265 :
3/25:
凸寧波 24%
│
/ 22%
凸台州
/ 20%
/
凸温州 18%
│
頑張 / 16%
↓│ ↓知知見
/ 14%
凸福州
清盛→ ,──、 12%
/ 台北凸-×--
/ / 読売(3/25) 11%
凸泉州 │ │
/ 凸台中 │ 10%
│ /
└、 │ 9%
□ │ │
\ / 8%
台南凸 /
\_ │ 7%
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正力帝を開祖とし、茂雄帝の時代に繁栄を極めた「棒」王朝は、
読売派と朝日派の不毛な内部抗争や、「北氷南阿」とよばれる外患により疲弊し
ついには女蹴族を中心とした新王朝「倫」の侵攻により滅亡する。
しかし、「告宣爺(こくせんや)」こと絶好調(ぜつ・こうちょう)らは台湾にのがれ、
3月10日に常設軍を設立し、反抗ののろしを上げる。
かねてからの棒国の援軍要請に薬府が呼応、小倉藩と沙土藩が派遣され、
3月25日、亀梨和を先陣に挙兵する。
しかし援軍の小倉藩には棒国を恐れさせた鬼松井はすでになく、
本隊の読売金軍も精彩を欠いたまま、定刻で撤退。
翌日の沙土藩・鈴木一朗に反抗の望みを託すのであった。