【大洋OB】横浜ベイスターズ糞フロント【アマチュア】

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11 忍法帖【Lv=24,xxxPT】
冷え切っていた地元との関係
【連載:横浜崩壊の舞台裏(1)】横浜ベイスターズが激震に見舞われた。
親会社の東京放送(TBS)ホールディングスが、ついに球団売却に踏み切
ったのだ。今季、新たに尾花高夫監督(53)を迎え、フロントも大幅刷新
して船出したばかりの横浜が身売りを決断した舞台裏ではどんな動きがあっ
たのか。横浜が抱いた理想と誤算、そして崩壊に至るまでの経緯を徹底検証
する??。
本気だった「市民球団構想」
「なかなか思った通りにはいかないもんだね…」 先週末、身売り騒動の対
応に追われた加地隆雄社長(69)は、憔悴しきった表情でつぶやいた。

 ちょうど1年前の横浜の空気は違っていた。閉鎖的な球団経営で内外から
批判を浴びた佐々木邦昭前社長(63)以下、フロントを大幅刷新。新たに
電通出身の加地社長を迎えて、球団内は活気に満ちあふれていた。
 TBSが加地社長を招聘した裏には、深い思惑があった。加地社長は若林
貴世志オーナー(68)と旧交があり、数年前にも社長就任を打診したこと
があった。横浜在住で電通時代に横浜支社営業主幹を務めていた関係から、
地元に幅広い人脈を持つ。とりわけ重視されたのは、横浜の“顔役”たちと
のパイプだった。
 特に本拠地・横浜スタジアムの鶴岡博社長(70)とは40年来の“飲み
仲間”。「なんだ加地か。やっと話ができるヤツが来たじゃないか」。新社
長の名前を聞いた鶴岡社長はそう喜んだ。
TBSとしては、赤字体質脱却の第一歩として、まずは球団経営を圧迫して
いたハマスタとの契約問題を、新たな展開に持ち込みたかった。そのために
は加地社長はうってつけの人物だった。
 加地社長は10月の就任直後から精力的に動き始める。チーム運営につい
ては佐藤貞二常務(62)に一任。自らは広告塔となって各方面へ出向き、
冷え切っていた地元との関係修復に奔走した。11月のある夜、加地社長は
市内某所でハマスタの鶴岡社長と向き合っていた。
「なぁ鶴さん。金庫を開けてくれないか?」
 当時、加地社長が模索したのは、100億円超の資産を抱える横浜スタジ
アムとの合併構想だった。
「本気でやれるのか?」。鶴岡社長の返しに、加地社長は真顔で「俺は鶴さ
んが“スタインブレナー”でもいいと思っているんだよ」。その後も笑顔で
酒を酌み交わす2人からは、何かが変わる雰囲気が感じ取れた。 
当時描かれていたプランはこうだ。ハマスタを中心に新会社を設立し、市と
県の協力も得て市民中心の球団を作る。同時に、みなとみらい地区に新たな
ランドマークとなる新球場を建設する。加地社長の構想に、若林オーナーも
賛同した。すでにTBS内では球団売却の検討を始めていた。市民球団への
移行なら、身売りよりイメージダウンは避けられる。 ただし夢の実現には
多くのハードルがあった。最大の条件は毎年20億円を超える赤字の解消。
加地社長は「チームがAクラスに入るようになれば10億円までは減る。そ
うすれば道は開ける」とソロバンをはじいていた。
 ところがシーズンが開幕すると、この構想はもろくも崩れ去る??。
12 忍法帖【Lv=24,xxxPT】 :2011/07/08(金) 12:14:26.64 ID:2H9tn62x
横浜財界のドンと関係修復したが…
【連載:横浜崩壊の舞台裏(2)】加地隆雄球団社長(70)が市民球団化実現へ向けて街を奔走する一方、若林
貴世志オーナー(68)もチーム編成面で「横浜色強化」の動きを昨季の早い段階から進めていた。
 当時の編成部門トップだった村上忠則チーム運営部門統括(61)は花巻東高・菊池雄星(19=
現西武)のドラフト1位指名を固めていた。しかしオーナーは、地元の横浜高・筒香嘉智内野手(1
9)を指名する方針を夏前には決定。フロント刷新後を見据え、地元の球団として生まれ変わった姿を
アピールする狙いがあった。
 また横浜は昨年、新潟移転の話を一度一蹴している。新潟県が9月にプロ球団誘致の意向を表明。そ
の後にすでに数球団と接触を持ったことを明かした際、横浜の球団幹部は「接触はない」と表向きは
否定したが、9月5、6日に行われた新潟での中日戦後、県幹部と球団幹部が極秘に会食の席を持った。
「球場はこちらで建てておきましたから、お好きに使ってください」(県幹部)という好条件。魅力的
ではあったが、本拠地球場にするには解決しなければならない施設や交通インフラ等、問題が多かった。
球団内には「ハマスタとの契約交渉カードには使える。『動くぞ』というポーズは見せておくべき」と
いう声もあったが「横浜からは動かない。移転はない」と伝えて断った。
 横浜在住の尾花高夫新監督(53)を招聘して11月、新生ベイが発足。年が明けた3月9日に横浜
市内で開かれた「ベイスターズ激励会」には、前年を大きく上回る出席者が集まった。
 注目すべきは横浜財界のドン、藤木幸夫横浜港運協会会長(80)の参席だった。藤木氏は以前、横
浜の社外取締役として名を連ねていたが、佐々木邦昭前球団社長(64)との確執もあって退任。以来
、球団と距離を置いていた。加地社長が関係を修復、球団の協力者として戻ってきたのだ。みなとみら
い地区に開閉式ドームを建設する計画も、港湾地区に影響力を持つ藤木氏の協力がなければ実現は不可能。
ハマスタの鶴岡博社長(70)とハマスタ会長でもある藤木氏は微妙な関係が続き、市民球団化構想が浮
いては消える一因となっていた。「ハマスタとミナトをつないで話のできる人はそうはいない」(球団幹部)
。加地社長は、その意味でもまれな存在だった。
 そして迎えた3月30日の本拠地開幕戦。始球式のバッテリーは松沢成文神奈川県知事(52)と林文子
横浜市長(64)だった。「市民球団化」への本気度はここにも表れていた。
 ところがシーズンが始まってみると、加地社長が描いた地元との連係は思うように進展しない。チケットの
売り上げは伸びず、ハマスタとの関係にも再び溝が生じた。県や市の協力も不況で期待薄。そうした状況は、
連結決算で初の赤字に転落した親会社の耳にも逐一入った。「理解はしてくれていたはずだが…」。加地社長
の思いは、TBS上層部全体に伝わっていたわけではなかった。
 最大の原因は、3年連続の最下位へ突っ走るチームの低迷。チーム運営の失敗は至るところで表面化した??。