緊急連載 激震!!横浜身売り騒動 球団崩壊の舞台裏(2)
http://www.dotup.org/uploda/www.dotup.org1186681.jpg 加地隆雄社長(70)が市民球団化実現へ向けて街を奔走する一方、
若林貴世志オーナー(68)もチーム編成面で「横浜色強化」の動きを昨季の早い段階から進めていた。当時の編成部門トップだった
村上忠則チーム運営部門統括(61)は花巻東高・菊池雄星(19=現西武)のドラフト1位指名を固めていた。しかし、オーナーは、
地元の横浜高・筒香嘉智内野手(19)を指名する方針を夏前には決定。フロント刷新後を見据え、地元の球団として生まれ
変わった姿をアピールする狙いがあった。
また横浜は昨年、新潟移転の話を一度一蹴している。新潟県が9月にプロ野球誘致の意向を表明。その後にすでに数球団と接触を
持ったことを明かした際、横浜の球団幹部は「接触はない」と表向きは否定したが、9月5、6日に行われた新潟での中日戦後、
県幹部と球団幹部が極秘に会食の席を持った。「球場はこちらで建てておきましたから、お好きに使ってください」(県幹部)という好条件。
魅力的ではあったが、本拠地球場にするには解決しなければならない施設や交通インフラ等、問題が多かった。
球団内には「ハマスタとの契約交渉カードには使える『動くぞ』というポーズは見せておくべき」という声もあったが
「横浜からは動かない。移転はない」と伝えて断った。
横浜在住の尾花高夫新監督(53)を招聘して11月、新生ベイが発足。年が開けた3月9日に横浜市内で開かれた「ベイスターズ激励会」には、
前年を大きく上回る出席者が集まった。注目すべきは横浜財界のドン、藤木幸夫横浜港運協会会長(80)の参席だった。藤木氏は以前、
横浜の社外取締役として名を連ねていたが、佐々木邦昭前球団社長(64)との確執もあって退任。以来、球団と距離を置いていた。
加地社長が関係を修復、球団の協力者として戻ってきたのだ。みなとみらい地区に開閉式ドームを建設する計画も、港湾地区に影響力を
持つ藤木氏の協力がなければ実現は不可能。ハマスタの鶴岡博社長(70)とハマスタ会長でもある藤木氏は微妙な関係が続き、
市民球団化構想が浮いては消える一因となっていた。
「ハマスタとミナトをつないで話のできる人はそうはいない」(球団幹部)。加地社長は、その意味でもまれな存在だった。
しかしチケットは売れずチームも低迷
そして迎えた3月30日の本拠地開幕戦。始球式のバッテリーは松沢成文神奈川県知事(52)と林文子横浜市長(64)だった。「市民球団化」への
本気度はここにも表れていた。ところがシーズンが始まってみると、加地社長が描いた地元との連係は思うように進展しない。チケットの
売り上げは伸びず、ハマスタとの関係にも再び溝が生じた。県や市の協力も不況で期待薄。そうした状況は、連結決算で初の赤字に転落した
親会社の耳にも逐一入った。「理解はしてくれていたはずだが…」。加地社長の思いは、TBS上層部全体に伝わっていたわけではなかった。
最大の原因は、3年連続の最下位へ突っ走るチームの低迷。チーム運営の失敗は至るところで表面化した―。(特別取材班)