ロッテ女幹部・gdgd球団運営 9

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640無礼なことを言うな。たかが名無しが
≪古賀英彦≫ONからバレンタインまで 気がつけば13球団50年

●日刊ゲンダイ 2010年3月11日(木) (10日発行)

ボビー・バレンタインの巻(1)

昨年の11月、ボクは2004年からお世話になったロッテ球団を退団した。
最初の5年間は二軍監督として、最後の1年間はフロントとして働いた。
二軍監督に就任したのは65歳のとき。サラリーマンの方ならとっくに定年を過ぎている年齢だ。
そんな僕に自分が”天職”と思っている、二軍の指揮者の仕事を長い間任せてくれた球団とバレンタイン監督には感謝の気持ちでいっぱいである。
05、06年とイースタン・リーグで優勝、若い選手を何人も一軍に送り出せた。
微力ながら、少しは球団に恩返し出来たのかな、と思っている。
ところが最近、そのロッテに理解に苦しむというか、このままの方向で進んでいいのか、と思うことが少なくないのが気がかりだ。
私事で恐縮だが、ロッテとの契約が切れた昨年の11月末、フロントの瀬戸山球団代表からも、石川副代表からも電話の一本もなかった。
長い間、いろいろな球団で仕事をしたが、こんなことは初めてだった。
当時、僕は福岡にいて球団の仕事をしていた。
契約完了なのだから今後は好きにしてください、ということも知れない。
ただ、次にどんな仕事をやるにしろ、ロッテを正式に退団しないことには動くに動けない。
しばらくは中ぶらりんの気持ちで落ち着かなかった。
何かロッテでの自分のこれまでが消されてしまったような寂しい気がした。
641無礼なことを言うな。たかが名無しが:2010/03/19(金) 01:24:53 ID:otYzE6UT
【フロントから突然の電話】

プロ野球選手は一年一年が勝負だ。
戦力外と判断されたときはその旨、通告される。
契約切れだからとそのままほったらかしということはない。
球団からきちんと連絡がくる。
僕のような立場のフロントも同様だ。
今季限りと言われれば、分かりました、長い間ありがとうございました、というしかない。
お世話になった球団だ。挨拶にも行きたい。それがまったくなしのつぶてだ。
何か組織としておかしくなってきているのではないか、と心配になった。

振り返ってみると昨年、バレンタイン監督の退団騒動が起きたころから、首をかしげたくなるようなことがしばしばあった。

フロントに転出にした昨年、バレンタイン監督の指示で相手球団の戦力分析や将来のトレードに備え、他球団の選手の能力分析を担当していた。
フロントからも監督の指示で動いてくれ、ということだった。

ところがシーズン途中、突然、石川副代表から、「バレンタインがあっちへ行け、こっちへ行け、と言っても動かないでくれ」と電話がかかってきたのである。
642無礼なことを言うな。たかが名無しが:2010/03/19(金) 01:25:35 ID:otYzE6UT
≪古賀英彦≫ONからバレンタインまで 気がつけば13球団50年

●日刊ゲンダイ 2010年3月12日(金) (11日発行)
ボビー・バレンタインの巻(2)

前回、バレンタイン監督の指示で僕が相手球団、選手の情報収集を行っていたのだが、
突然、フロントから「やらなくていい」と言われた話を書いた。
プロ野球は戦力の戦いであると同時に情報戦でもある。
各球団はスコアラーを相手球団の試合に派遣して、いろいろなデータを集め、分析する。
それを基に対策をたてられれば、試合を有利に進められる。
自分の送ったデータが役に立たないとか、不十分というならまだ納得がいく。
それが突然、さしたる理由もなく「やらなくていい」である。
本当にチームの勝利を思っているのか、と疑心暗鬼になってしまった。

しかし、それだけではなかった。
6月になって瀬戸山社長、石川副代表に呼ばれてこう言われた。
「バレンタインを(今季限りで)クビにする。石川にやらせている。おとなしく身を引いてくれ。
給料は払う。本当はすぐ辞めてもらいたいのだが・・・・。
これは本社の考えだ。一切フロントの悪口を言わないで、福岡でじっとしていてくれ。
バレンタインはみんなが思っているような人間ではない」

それ以前に、球団がバレンタイン監督の契約が切れる09年限りで退団させる方針であることは聞いていた。
フロント幹部が公にし報道もされていた。
643無礼なことを言うな。たかが名無しが:2010/03/19(金) 01:26:21 ID:otYzE6UT
僕はバレンタイン監督に呼ばれてロッテ入りした人間だ。ボビー一派と見られていたのだろう。
僕は僕なりの考えはあったが、だからといって球団の方針についても、フロントについても、とやかく言うつもりはなかった。
ましてやチームが勝利のために一丸となって戦っているシーズン中だ。
そんなことをすればチームの結束を乱し、ナインの士気を下げるだけだからだ。

だからこそ、そんなときになぜ監督をクビにするとか、フロントの悪口を言うな、とか言ってくるのかが理解できなかった。

年俸を含めバレンタイン監督のカネの話も聞かされた。
しかし、年俸や付帯条件にいくらかかろうが、それは球団がよしと判断して契約したことだ。
球団の年間の赤字十億単位だとしても、それを途中で一方的にうんぬんするのは果たしてフェアなのかどうか。

「オレはグラウンドでバレンタイン監督の下で働いている。
他のことは自分に関係ないし、バレンタイン監督が悪い人間とは思わない」

僕はそう答えるしかなかった。
644無礼なことを言うな。たかが名無しが:2010/03/19(金) 01:27:07 ID:otYzE6UT
≪古賀英彦≫ONからバレンタインまで 気がつけば13球団50年

●日刊ゲンダイ 2010年3月13日(土) (12日発行)

ボビー・バレンタインの巻(3)

前回、昨年のシーズン中に瀬戸山球団社長兼代表、石川副代表からフロントのバレンタイン監督に対する考えを聞いた話を書いた。
2人の話を聞いたあと、僕はバレンタイン監督と話した。

「おカネが(退団させる)原因なら契約にサインした重光オーナー代行と話をしたい。
自分は給料が半分になってもかまわない。仕事はやる。」

バレンタイン監督の野球への情熱は少しも衰えていなかった。
ボビーはリーグ優勝、日本一になった05年のシーズンには球団の赤字が減ったがその後、再び増えだしていることも知っていた。
チームを強くしたい、ファンを喜ばせたいという気持ちに変わりはなかったが、
球団の財政上、自分の年俸が高過ぎるというなら、場合によっては身を引いてもいいと考えていた。

昨シーズン、バレンタイン監督がフロントに不信感を抱いたのは09年限りで退団になることが原因ではない。
そのやり方に対してだった。

こうも話していた。
「自分が契約したあとで途中から球団に入ってきた人間が入ってきた。しかもマスコミを使って陥れようとしている」
645無礼なことを言うな。たかが名無しが:2010/03/19(金) 01:27:49 ID:otYzE6UT
【フロント幹部への不信】

それは僕が感じたことと同じだった。
僕もチームにそれなりの貢献はしたと自負している。70歳という年齢だから、契約切れで退団は仕方がない。
それでも退団に当たり瀬戸山社長からも石川副代表からも電話の一本もなかった。
2人ともダイエーの創立(1988年)以来、同じ釜の飯を食った仲なのにである。
 
最近、ロッテ球団の一部フロントに芳しくない話も聞く。
すなわち、自軍の選手にメジャー入りを勧め、息のかかった代理人を通じて海を渡らせようと画策しているフロントがいる。
他球団で後ろ指をさされるようなことをしていられなくなり、ロッテに来たフロントがいる。
そんな話を聞くにつれ、果たしてチームは正しい方向に向かっているのか、本当のことを球団は知らないのではないか、と心配になってくる。

現場は優勝を目指して一生懸命頑張っている。それをバックアップするのがフロントの仕事だ。
しかし、今のままでは果たしていい結果が出せるのか、内情を知れば知るほど不安に駆けられるのである。
646無礼なことを言うな。たかが名無しが:2010/03/19(金) 01:28:38 ID:otYzE6UT
≪古賀英彦≫ONからバレンタインまで 気がつけば13球団50年

●日刊ゲンダイ 2010年3月15日(月) (13日発行)

ボビー・バレンタインの巻(4)

「ハイディ(僕の愛称)、あんまり飲むなよ」
バレンタイン監督(以下ボビー)にこう言われたのは03年のロッテの秋季キャンプのとき。
そのとき、僕はロッテの二軍監督に就任したばかりだった。その就任の際、ひと波乱があった。

以前にこのコラムで僕がダイエーのヘッドコーチ時代、居酒屋で王監督とビールと焼酎を互いにかけ合った事件について触れた。
しばらくして某週刊誌に掲載された。

バレンタイン内閣で二軍監督として僕の名前が挙がると、重光オーナー代行がボビーにその週刊誌のコピーを見せて、
「こういう噂がある。二軍の若い人を任せて大丈夫なのか?考え直してはどうか」と言ってきたのである。

王監督は国民栄誉賞も受賞し、野球界の人にとっては誰もが尊敬する人だ。
どんな理由があるにせよ、そんな人に焼酎をぶちまけるとはとんでもないと考えたのだろう。

ボビーはもちろんその一件は知らなかった。それでも「大丈夫です」と僕のロッテ入りをプッシュしてくれた。
1995年にロッテで初めて指揮を執ったときからボビーとは知り合いだ。
僕が1990年に日本人として初めてのアメリカの球団(1Aサリナス)で監督をやったこともよく知っていた(当時ボビーは大リーグ・レンジャーズ監督)。

それでもさすがに不安に駆られたのか、僕のことをよく知っている人にいろいろと話を聞いたようだ。
そうした人たちの助言もあり、「大丈夫です」とボビーがオーナー代行を説得。僕は二軍監督に就任した。
もちろん僕も酒のかけ合いはそれ1回きりである。
647無礼なことを言うな。たかが名無しが:2010/03/19(金) 01:30:31 ID:otYzE6UT
そのときボビーは僕にこう話した。
 
「2年以内に結果を出さないとダメ。2年目にAクラス入りし、3年目に優勝しよう」
その言葉より1年早く、ボビーはロッテをリーグ優勝、日本一に導いた。

ボビーはその後、オーストラリアでキャンプをやったり、宮崎に巨人に負けないキャンプ施設を造る、スポンサーを見つけたと言い出したり、
鹿児島に室内練習場とグラウンドをもうひとつ造ってくれ、と要求するなどした。
チームを強くするためではあったが、少し調子に乗り過ぎているのではと心配もした。

バッティング指導にも口を出し、選手やコーチを困惑させたこともある。
それでも明るい性格でファンや選手に接するときもそれが出る。
選手をこき下ろすこともしないし、常に選手あっての監督という立場を取ってきた。
ロッテにも大きな貢献をした。それだけにもっと辞め方というか、辞めさせ方があったのではと思う。

プロ野球もあと1週間で開幕する。
お世話になったロッテやソフトバンクがファンに愛され、強いチームになり、野球界がさらに盛り上がることを願って筆を置きたいと思う。
ご愛読ありがとうございました。