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昨日付けの日刊スポーツ:
02年W杯日韓大会に落選しながら、地道な努力ではい上がり、代表の顔になった。
中田英寿の引退後、日本代表は、「俊輔のチーム」と言ってもよかった。
それが、本田の一言でプライドは引き裂かれた。オランダ戦後、W杯まで2人が会話をすることはほとんどない。
今だから言えることだが、本田にすれば計算ずくの「反抗」だったのだろう。
これまでの取材で、何度も聞いたことがある。
「目標は、手の届かないところに置かないと意味が無い。簡単に手に入るのなら、努力しないでいい。
だからオレの人生なんて挫折の連続ですよ」
あの時、中村に異を唱えることで「W杯までに俊輔を超えなければいけない」という重圧を自分に背負わせたのではないか。
昨年2月、日本が東アジア選手権で苦戦し、岡田監督の采配に疑問符がついた時には、所属クラブの合宿地スペインで
「Depends On」(オレに頼れ)と大言を吐いた。W杯前にも「優勝する」と公言した。仮に、W杯の活躍がなければ、「口だけの男」で終わっていた。
目上の人に歯向かえば、日本社会では反乱分子として煙たがれ、居場所を失ってしまうこともある。
だが本田のような存在に救われ、新たな道が見えてくることだってある。
それが昨年、南アフリカで16強入りした日本だったのではないか。年の始まりに、ふと考えた。