プロ野球の視聴率を語る データスレ4

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271無礼なことを言うな。たかが名無しが
株式会社千葉ロッテマリーンズ・瀬戸山球団代表に聞く
 
  昨シーズン、31年ぶりのプロ野球日本一に輝いた千葉ロッテマリーンズ。
今年4月からの千葉マリンスタジアムの指定管理者の予定候補者として、球場運営に取り組んでいます。
2004年3月に球団代表に就任し、「地域と一体に」をモットーに尽力してきた瀬戸山隆三代表にお話をうかがいました。

‥‥‥●もともとダイエー出身だとうかがいましたが。
 もともとは大阪の商人の家に生まれて、何となく大学卒業後は商社に入るつもりでした。
先輩たちも名だたる大手商社に就職していて、自分も何処かに入れると思っていましたが、
第2次オイルショックで就職は狭き門でした。気が付いたら、当時まだまだ人不足だった
ダイエーに半分騙されたような感じで(笑)、昭和52年に入社しました。
 最初は店舗の精肉部門を4年くらいやっているうちに面白くなっていって、
茨城県にある全寮制の食肉専門学校にも半年程行かせてもらったんです。
その後、部門長まで行きましたが、突然本社の人事部に呼び戻されました。
昭和61年、大阪の本社が東京に移ると同時に、私も東京に来て、事業企画室に籍を置くことになった。
そこで突然「お前が担当してくれ」と言われたのが、プロ野球でした。
 私自身の野球経験は一応、高校・大学でやってたくらいで、何をすればいいのか全然わからない。
仕方ないから企画書作って、半分困りながら中内さんのとこに説明に行くんです。
すると「真面目にやれ〜!」と書類投げつけるんですよ。まあ怒られるだけじゃなくヒントもいただきましたが、
その年明け早々に上司が「瀬戸山君、良かったな、もう一本来たぞ!」と言うんです。
今度は南海電鉄がホークスをダイエーに譲りたいという話が来た。昭和63年10月、
南海ホークスは福岡ダイエーホークスに称号変更して、福岡に移ったんです。

‥‥‥●ダイエー時代のエピソードを教えて下さい。
 ダイエーホークスには平成元年から16年までの約15年間携わりました。
私は中内さんにずいぶん可愛がってもらい、たぶん一番怒っていただいた1人だと思います。
朝の6時半くらいに、スポーツ紙を見た中内さんから電話をいただいて怒鳴られることもしょっちゅうでした。
朝刊にはチームについていろいろ載っています、瀬戸山が妙なことを喋ってるとか(笑)。
もう辞表は30通くらい書いてましたね。最初の4年間、平和台球場時代は総務課長と総務部長をやっていました。
私が中内さんから言い付かった役割は、西鉄ライオンズの街・福岡で市民権を得ることでした。
 その当時の総務・経理は私が責任者でした。中内さんいわく「赤字は20億円まで」。
チームも弱いし、戦力補強も出来る状態じゃない。もう一生懸命、中洲の店を一軒一軒全部廻りましたし、
杉浦監督が私と一緒にお中元配りに廻ってくれたこともありました。「顔出せ、声出せ、頭下げ!」が合い言葉。
営業マンだけじゃなく皆で出ていって、とにかく席を買ってもらい、売上げは35億、経費は55億弱。
平和台での4年間で何とか赤字が20億円を切り、平成5年からは私が代表を務めました。

‥‥‥●ダイエーの球団代表を退かれたきっかけはあったのですか?
 平成15年には阪神と戦って日本一になった。中内さんはもうダイエー本体からは退かれていましたし、
私もぼちぼち、もう野球はいいかなと考えていたら、翌年の2月、ロッテ本社の方が博多にいらっしゃって、
球団代表か社長をお願いしたいと言うんです。最初にオーナーとお会いした時、千葉の地で、
市営球場でお客は来るんだろうか?とおっしゃった。オーナーも、赤字が年40億円もあって、
このままだったらやめたいと言う。面白いことに、中内さんと同じで赤字は20億だったらいいと言うんですね。
しかし経費を削減しようというスタイルでは、今のプロ野球は無理。「千葉で」と言いますが、何処でやったって一緒です。
野球をやるんだったら、それなりに力を入れると約束してくれ3年間、千葉で本気になってやらせてくれれば、
赤字は20億円近くまで減らしましょう、と言って着任したんです。
 今年は指定管理者制度を導入しますが、あまり強引に我々のペースでは無理があるので
今年は28億の赤字が25億になればいいくらいの気持ちでやろうと思っています。
優勝した後では当然、選手の年俸もどかーんと上がっているし、もう売り上げを上げるしかないんです。
272無礼なことを言うな。たかが名無しが:2006/09/16(土) 11:55:16 ID:ItPxmUbi
‥‥‥●ロッテに着任当時、大変だったことはありますか?
 どんなに経費を削っても、どっちにしろ売上げは上げないといけません。社員には、
何処でもいいからまず動け!出ろ!と繰り返しました。とにかく「顔出せ、声出せ、頭下げ!」です。私自身も市長のとこに通いました。
千葉では何処に行っても「野球は巨人」と言われる。それでも我々が「顔出せ…」をやってるうちに、ちょっとずつ変わっていきました。
今、野球だけで人を集めようなんて思ったら大間違い。ファン参加型、選手参加型で、球場をもっと楽しい場所にしなきゃいけない。
入場料でお金を稼ぐのではなく、滞留時間を長くしてもらうんです。休日のナイターなら昼頃から球場に来て食事をし、
時間になったら入場して、試合前には開幕イベント、そして花火。試合後は選手たちと写真が撮れるとか、
ステージで一緒に歌えるとか、球場外でも、おいしいメロンパンとかたこやきを食べて帰る、海浜幕張の駅までの間もいろんな楽しみがある。
そうやってちょっとずつお金を落としてもらう。そこに規制があったら話になりません。

‥‥‥●選手たちへの影響はいかがでしたか?
 売り上げが上がることで、選手たちも元気になる。今まで100持ってる力を70、80しか出せなかったのが、120出るようになる。
まさに昨シーズンがそうでした。甲子園の高校球児が、勝つたびに力を蓄えていくのと同じです。
 球場というのは、選手たちが演じる舞台なんです。その舞台を、昨年の開幕時には、びっくりするくらい変えてやりたいと思った。
だから一昨年、皆で企業を廻って、球場のフェンスの看板を必死で取ったんです。あれには選手達もびっくりしたと思います。
彼らはお金がいくら落ちたかよりも、ああいう大企業が僕らを応援してくれてるんだと感じる。やがて後援会がいろんなところに出来て、
千葉の偉い人たちが球場に来るようになり、グラウンドに降りて、選手を激励してくれる。これも選手の励みとなり、力になっていきました。
 さらにキッズデーとかカメラデーとか、私どもの手作りでイベントは企画出来ます。だんだん規制が緩和されてきて、
ステージも作れるようになった、ポスターも貼れるようになった。シーズンシートも、地元のいろんな名のある方が
買ってくれるようになって、一昨年と昨年と比べたら、お客さんの数は倍近くなりました。さらに球場運営も
我々でやらせていただくのが指定管理者制度です。また、シーズンオフにはロータリークラブの例会や、
大学などのイベント行事に使っていただくなど、地域のいろんな団体にご利用いただく。大きなコンサートイベントなどを
呼ぶのも大切ですが、ぜひ地域と一体になった多目的な使い方をしてほしいと思いますね。

‥‥‥●球場内外のプランもいろいろ具体的にお持ちだとか。
 チケットのシステムもまだ非常に原始的で、前売りのシステムがものすごく弱い。最近はコンビニなどでも買えますが、
出来れば球場に来て、前売りやグッズを買ったついでに、プラスαで楽しんで帰っていただきたい。
 今年は、市でフィールドシート(正式名:フィールド・ウイング・シート)も整備してくれています。同時に球場外も、
もっともっと充実させたい。シンプルでいいんです。球場の横に子ども用のグラウンドでも作って、
夏休みは毎日子どもたちと家族が一緒に1日過ごして帰る。さらには千葉の名産品の直売なんかをやってもいい。
これはまだ構想中ですが、素材は全て千葉産のレストラン。ハンバーガーだって、レタスもタマネギもお肉も千葉産で出来るんです。
そんな夢がどんどん拡がっていきますね。また、今流行りのネーミング・ライツ(命名権)も検討しています。私は出来れば、
トゥエンティーシックス(26)スタジアムがいいと思っているんですが。他にも、千葉県内で2軍を誘致したいというところが
幾つか出て来ました。本当は幕張近辺が一番いいんです。選手の練習風景を見ながら食事なんかが出来たら最高です。
今は浦和とマリンだけですが、2軍は千葉全域に、いずれはキャンプもこっちでやってほしいですね。
 もちろん今年も、日本一を目指したい。昨年はパレードで皆さんに協賛いただき、24万人が集まる素晴らしいものになりました。
1.5トンの紙吹雪は小学校の児童が作ってくれたものです。終わった後はたった1時間で街中がきれいになった。
これはおそらくこれまでに無かったことだと思いますね。V2を目指すと同時に、我々は近い将来、黒字化を目指していきたい。
そのためにも、事業の項目をもっと増やしていくことが課題だと思っています。
273無礼なことを言うな。たかが名無しが:2006/09/16(土) 12:14:40 ID:ItPxmUbi
「ファンを見方にしたプロジェクトX 〜スポーツから学ぶ地域振興〜」講師 千葉ロッテ事業部長 荒木重雄 氏

昨年過去に例のない、想定外の6冠(交流戦、パリーグ、日本シリーズ、アジア地域、イースタン、
イースタン・ウェスタン日本選手権で優勝)を成し遂げた。そのつけが今年に来ている。なかなかうまくいかない。
ただ、我々が目指しているものは、スポーツ振興、地域貢献、ビジネスがあるが、それはチームの成績とは関係がない。
それを証明するのが我々の使命。言い訳はそのくらいにして本題に…。(笑いの渦)
 2006年、チームスローガン「もう一度、夢を皆で」ということで走り出した。昨年プロ野球は、
人気低迷の中で、改革前夜、改革元年と言われた。一般的にはチームが強いと売上が上がり、弱いと売上が下がる。
しかし、1992年に千葉にきたロッテは必ずしもそうなっていない。2005年地域密着、スポーツビジネスという形で
本格的に改革に取り組み、売上を急激に伸ばした。しかし、2004年の入場料収入は過去最高。2005年も、
勝った負けたの話でなく最初から売上を伸ばした。前年の売上げを6月7日に上回った。以降の月は全て新記録達成。
 どうしてこうなったか。経営分析のための8つのステップということで、あたりまえの手法をやった。
4P(商品product、価格price、市場place、プロモーション)3C(自社corporate、顧客customer、競合competitor)、経営環境を見つめた。
 経営環境では、経済界で失われた10年と言われるが、野球界も環境の変化になかった。国際化(イチロー等がメジャーへ)、
IT革命(TV離れ)、多様化(サッカー、TVゲーム)についていけなかった。また、財政赤字で、一般会社の経営状況が悪化した。
野球界から、野球業界へ脱皮しなければならなかった。(※業界→業界の最大のステークホルダーは顧客である。
企業間競争なしでは生き残れない。外部企業の参入・協業・連携も容易で自由競争である。外部を含めた人材が流動する。
経営がオープン。)野球界は、経営の透明性が閉ざされており、世界の中での人材の流動はあるが、
外部からの人材はほとんど入ってこない、競争がないなど世の中の流れについていけなかった。では、野球業界にするにはどうするか。
トップダウンか、それともボトムアップかということになるが、我々は後者だ。
 プロ野球の商品は何か。ホームは66試合のチャンスしかない。それでは商売は成立しない。マリーンズの商品とは何か。
従来は、強いから入場者多い、弱いから少ないだった。「夢を皆で」縦軸だけでなく、横軸も考えよう、
面積で考えようということで、時間を考慮に入れた。3時間2万人、6時間2万人では違う。毎日がお祭りということで、
屋台を出し、ショーやイベントなど地元祭りを行なった。お子さんからの動物園ほしい、夏祭りがしたいとの要望を取り入れ、
試合の前後にも、スタンドの中でも外でもお祭りを催した。キックベースランニング、カメラデーなども行なった。
ヒーローインタビューは1回で急にいなくなる。それでは淋しいと、メディア用、ファンの前でのマイクパフォーマンス、
スタジオ外で感謝の気持ちを述べるなど3回実施した。歌う選手もいた。ずっとお客さんがいることは、売り上げがあがることにつながる。
野球だけでない世界を作り出す。平均の滞在時間が7〜8時間と長くなった。「勝ち」だけでなく「価値」を重視、「観戦型」から「参加型」へ転換。
274無礼なことを言うな。たかが名無しが:2006/09/16(土) 12:17:11 ID:ItPxmUbi
 入場料の適正価格ということでも、十分満足を得られるようにしなければならない(価値よりも価格が高ければ来ない)。
価格はそのままでも価値を上げれば客は来る。昨年は、「毎日が○○デー」として、毎日イベントを実施した。
1974年優勝メンバーによる始球式、試合前イベント、オーケストラ、花火、キャラクターショーなどいろいろやった。
別の楽しみもあるようにした。チアリーダーが販売するなど、掟破りも行なった。「360度ビアスタジアム」として、全席自由1500円として、
ビール1杯300円で売った。6月28日・29日には2日間で7万杯(5月5日9000杯)売った。ビアスタジアムなのに
ビールがなくなり、クレームが出た。冷えてないビール出し怒られそこで断念。平日にも関わらず、昼の仕事休んできた人もいる。
「地域密着」ではなく「地域融合」。地元の人たち、地域の人たちと一体となり、双方向で人生楽しもう。生活の一部として使ってもらう。
我々の目指すところはそこにあり、ふるさと球団構想として「プロ球団が千葉にあるということではなく、千葉にマリーンズがいる」
ということで頑張っている。幼稚園60施設のキャラクター訪問、地元小中学校でのキャリア教育、
地元大学からのインターンの受け入れなどやっている。プロモーションということでは、玄関幕張駅のマリーンズ化をやっている。
電車発車の際(発車ベル)に球団歌を入れることをやっているが、はじめは駅長に相手にされなかった。NHKで改革の特集をやり、
駅にカメラが入りその勢いで駅長さんがOKをくれた。あきらめずにやった5回目だった。
選手の顔と名前の一致大作戦ということで、選手を選挙ポスター化(最高のデザイン)した。
駅には100枚以上貼った。まち中に貼られると、選手にいい意味でのプレッシャーとなり、選手の成績上がるなど思わぬ効果があった。
とにかく、話題性の提供をしよう。開幕戦は新球団楽天だったが、ここを逃すわけないということで、盛り上げを考えた。
文字ポスターを、「あなたたちがあれこれ話題をつくっていたときに、私たちは黙々と体をつくっていました。
パリーグの主役3月までお疲れ様でした。ご苦労様でした。地元ファンからの‥」とやってしまった。
この挑発ポスターは、コピーライター賞を頂いた。しかし楽天には負けた。「初勝利は仙台で」と今度はやった。
3戦目には、花見アンド花火ナイターを球界初の試みとしてやった。桜の花びらを舞わせたが、風速0で下に落ちてこず、
10分間試合を中断させ、怒られた。プレーオフ1週間前には待ちきれずに、マリンスタジアムの外に人が住み始めた。
ここから、会社に通った人も。前夜祭として決起集会を行った。8000人集まり、ボビーが大統領演説をした。
プレーオフ第1ステージは白化計画と称し、ファンで真っ白なスタジアム(ホワイトスタジアム)にした。
優勝パレードは、ファンにも26番目の選手として乗る権利があるとして、ファン参加型パレードとした
(26番目の戦士、背番号26として戦ってきた。だから、ファンへ26番のバスを与える)。
地元のファン6万人が応募してきた(代表80人、3台のバス)。パレードは地元に企画してもらった。
マンション群の中でやったが、すごいパレードで、紙ふぶきも凄かった。後片付けは、見物客総出で5分間で済ませた。
最後まで、考えて企画してくれた。ボビーは地元の人に礼状を書き、歩いてあいさつ回りもした。感動的だった。26で始まり、26で終わった。
開幕戦3月26日、日本一胴上げ10月26日、今シーズン初勝利26対0、球団事務所の住所〒261−8507 (町名)2−6 26階‥。
全てのはじまりは、実動員数の獲得と顧客の顔を数値化(誰が来ているか)すること。
そして、2006年LET US DO IT AGAIN!(もう1回やりたい)今年は、スタジアムの「指定管理者制度」に応募した。
勝ち負けにこだわらず、一つの地元の拠点として頑張っていきたい。
275無礼なことを言うな。たかが名無しが:2006/09/16(土) 12:18:52 ID:ItPxmUbi
勢いを実力と錯覚し低迷? ロッテ、連続日本一消える

8回途中に降板する清水がベンチのいすにグラブをたたきつけた。力尽きたエースの視線は宙を泳ぎ、
打線は3戦連続の零敗で5連敗。あまりに寂しい2年連続日本一に向けたシーズンの幕切れだった。
バレンタイン監督は奥歯をかみしめ、繰り返した。「自分がコントロールするべきことをできなかった」。
人心掌握に自信を持つ56歳の表情に落胆と悔しさが交じった。
WBC日本代表に12球団最多の8選手を送り込んだ“後遺症”を指摘する声は多い。
だが、あるコーチは選手の緊張感の欠如を指摘して「昨年の勢いを実力と錯覚していた。バラバラだった」。
まず春季キャンプを海外と国内で分離したことで一体感は薄れた。今季も「日替わり打線」で挑んだが、
李承☆と小坂の巨人移籍でバリエーションも戦力も激減。選手は自分の出番を予想できたことで緊張感を失った。
昨季、日本シリーズMVPの今江は「ちょっとしたことで展開は変わったと思うが…」。
自身の打率は昨季より5分も下がり、昨季6人を輩出した2けた投手は現時点でゼロ。
1度緩んだ勝利への意欲は簡単には取り戻せず、40歳の小宮山は
「結局は選手の自覚の問題なんだ。監督は選手の集合体を率いるんだから」。
未熟さを露呈し「ボビー・マジック」の見せ場をつくれないまま4位が確定した。
(了) [ 共同通信社 2006年9月10日 17:38 ]
http://sportsnavi.yahoo.co.jp/baseball/npb/headlines/20060910-00000052-kyodo_sp-spo.html

キャンプ地鹿児島に千葉マリンに広告を出さないならキャンプ地を変える可能性もあると強引に広告を強要→2億増収
年間シートも早期に発売を開始→2億増収
売店の売上げの半分を球団に入るように交渉→4億増収