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名無しさん:
コケージャンによる差別を、「一部の人々」と勝手に決め込む人がよくいるが、
ならば、それは、いかなるデータを根拠に主張されているのだろうか。
そもそも「『全部』でなければ『一部』」であるするような認識自体がおかしいのだ。
日本語には他にも「ある程度」、「かなり」、「それなり」、「幾分」、「だいたい」等、
その中間を詳細に表現する語彙が十分あるのだから。
自分のイメージや思い込みのみで、現実も知らず、見ず、聞かず、
それでいて「似非日本人国際観」をのたまわっているこうした売国奴的特権邦人がいかに多くて、またその弊害が多くて嘆かわしいことか。
確かに人種差別をするような輩が、世界中どこにでもいることなど周知既存の事実である。
しかし問題となるのは、そういった連中の『量』と『質』なのである。すなわち『人種差別者達が、
大手を振って闊歩できるような国かどうか』によって、その国の差別的度合いというものが問われるのではなかろうか。