で、出た〜ww体育祭リレーで紅蓮の弓矢流奴www

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1運動神経名無しさん
わ が こ う で す
2運動神経名無しさん:2013/09/18(水) 12:40:24.33 ID:nyhwqsA7
私の肛門はすごく綺麗です。
3運動神経名無しさん:2013/09/27(金) 07:05:04.91 ID:xx8ZC1Hk
 
4運動神経名無しさん:2014/12/01(月) 15:35:27.08 ID:h7U81YYO
叛乱は次第に広い範囲に拡大していった。その後呉三桂の反乱軍は二手別れ、
一隊は四川から陝西へ、もう一隊は湖南から湖北、江西へと進軍し、呉三桂
自身は湖南へとどまっていた。
 この情勢をみて福建の耿精忠も叛乱軍側につき、さらに陝西を守る王輔臣や
広西の孫延齢といった中小勢力も清朝に反旗をひるがえした。唯一広東の尚可
喜のみが、いまだ清朝側だった。ただ息子の尚之真は、どちらかというと反清
勢力側に心が傾いており、親子の間の仲は険悪そのものだった。
こうした情勢下、岳州ではすでに周王として即位した呉三桂を頭とし、その
幕僚・側近達が集結し軍義が開かれることとなった。
5運動神経名無しさん:2014/12/01(月) 15:39:22.75 ID:h7U81YYO
「なんと仰せか周王?」
 幕僚の一人が三桂の真意をはかりかねて、思わず聞き返した。
「我が軍はここに留まる。長江渡河はまだ時期尚早とわしは見た」
 座はしばし重い沈黙が制した。
「将軍なにを申します! 今我らは連戦連勝、敵は浮き足だっております。今
長江を渡らずして、いつなんどき天下を覇権をにぎれましょうや!」
「それがしも同意にござる。戦と申すは一度戦機を失えば、二度と戻りませぬ
ぞ! 後々になって後悔してもすでに遅うござる」
 必死の説得にも沈黙をつらぬいたままの三桂に、幕僚達の声は次第に激しさ
を増す一方だった。
「まあ待て、思った以上に我等に呼応する者が少ないのじゃ。清朝を倒し、我
等漢民族による天下を復興するための戦いを呼びかえておるのに、多くの者が
日和見に徹しておる。わしは今少し機会を待ちたいと思うのじゃ」
6運動神経名無しさん:2014/12/01(月) 15:41:31.30 ID:h7U81YYO
沈黙をやぶり、三桂は重い声でいった。あきらかに迷いがみてとれた。
 清の世にあって売国奴と呼ばれることになった呉三桂。叛乱に踏み
きってみてはじめて、人が己についてこぬことに動揺をきたしはじめ
ていた。確かにはるかビルマまで桂王を追い、明の残党勢力の掃蕩に
あたった自分が、明朝の復興をとなえるのは滑稽なことだったかもし
れない。だが現実主義者の三桂は、人は大義ではなく欲と利によって
動くものであることを知っていた。自らに形勢有利と見れば人は自然
とついてくるものとばかり思っていたのである。山海関の門を開いて
以降の自らの歴史が、三桂自身に巨大な疑問符をなげかけはじめてい
たのである。
「恐れながら御子息呉応熊様、さらには呉世霖様まで失ったは、なん
のためでござったか? 自らの手で清を倒し、天下を握るため、御子
息の命を犠牲にしたのではござりませぬか! またもし人が周王を売
国奴と罵るならなおさら、周王の手によって清を覆すが人として最良
の道ではござらぬか! ここに座して動かぬはさらなる罪とそれがし
は思いまする」
7運動神経名無しさん:2014/12/01(月) 15:43:18.82 ID:h7U81YYO
この側近の言葉は、三桂の胸を深くえぐった。呉三桂の息子呉応熊は、順治九
年(一六五三)順治帝の妹建寧公主と縁を結んでいた。むろん清側と呉三桂陣
営との政略結婚である。その後人質の意味合いをこめて北京に留め置かれた呉
応熊は、呉三桂の挙兵とほぼ時を同じくして、無残にも刑死していた。また呉
応熊のまだ幼い息子、すなわち三桂の孫にあたる呉世霖も、呉応熊と運命を同
じくした。
 自分は今までいったい何をしてきたのか? 山海関の門を開いた時は父を失
い、今また息子を失い、孫までも失い、はからずも国を売った形となり、自ら
の手で大切なものはなに一つ守ることができない。だが、だからこそ老いた三
桂は今前に進みことをためらった。ついに三桂は長江を渡ることはなかったの
である。そしてその時から三桂は下り坂へと転落していくこととなるのである。
8運動神経名無しさん:2014/12/03(水) 19:43:07.34 ID:A34qgINH
康煕十五年(一六七六)になると戦況は一変する。四月、三桂の叛乱軍のうち
一隊が、いつまで待っても長江渡河の決断を下せない三桂に業を煮やし、独断
で渡河をはかるという事態が勃発した。だがこの一隊は九江付近で清の官軍の
痛撃を受け壊滅。これを機に清朝の官軍は一斉に反撃に転ずる。
 六月には陝西を守る王輔臣が官軍においつめられ降伏。十月には耿精忠も降
伏。さらに十二月には、老齢の父尚可喜の死後、三桂の叛乱軍に加わり官軍に
抵抗していた尚之真もついに力尽きた。これら叛乱軍討伐におおいに貢献した
のが、康熙帝の側近くに仕えるオランダ出身のイエズズ会宣教師フェルディナ
ント・フェルビースト製作した新式の大砲だった。その威力は当時としては凄
まじいもので、砲音が轟くだけで恐れをなす兵士もいた。
9運動神経名無しさん
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