1 :
なつき:
ひきこもりたくてもひきこもれる環境にない。
仕方なく働いてるけど、なかなかなじめない。
社会人歴5年だけど、すでに転職4回。
毎日が無駄に過ぎていく気がする。あーあ・・・。
2 :
楽しいヒモ人生:2000/03/09(木) 15:16
ヒモになろう。
女性なら専業主婦ね。
3 :
>なつき様:2000/03/09(木) 15:28
少なくともnohodameには貴方の居場所があると思います。
4 :
なつき:2000/03/09(木) 15:36
>2さん
女だけど、結婚しようっていう気力もないよ・・・。
>3さん
ありがとう。そうだと良いのだけれど。
5 :
楽しいヒモ人生:2000/03/09(木) 15:50
ここにスレッドたてて君の居場所にしなよ。
ここの板の人は多分君の気持ち解ってくれる
人ばかりだと思うよ。ざっと見たところ。
6 :
楽しいヒモ人生:2000/03/09(木) 15:52
ごめんボケてた(アセ
ここがそのスレだね(^^;
7 :
最近:2000/03/09(木) 15:53
会社を退職して専門学校に通ったりする人が多いね。
モラトリアムという意味ではヒッキーとそんなに変わらない気がする。
8 :
うーん:2000/03/09(木) 15:56
>なつきさん
貴方を新しい駄目アイドルと認定いたします。
一度引き篭もると、自分が腐っていくのがよく分かります。
どんなにつらくても、俗世間にしがみつくことを薦めます。
9 :
名無しさん:2000/03/09(木) 16:06
>自分が腐っていく
こういう後ろ向きな考えやめようよ。
もっと建設的に考えよう。明るい引きこもりというか。
無理かな?
10 :
様:2000/03/09(木) 17:55
11 :
なつき:2000/03/09(木) 18:22
>楽しいヒモ人生さん
ありがとうございます。そうなると本当にいいなぁ・・・。
>7さん
わかるような気がする。そういう人の気持ち。
今思えば、学生時代は本当にのんびりしていられたと思う。
でも、家庭の事情でまっとうに働き続け(お金を稼ぎ続け)しないといけないから、
ちょっとばかし倹約して、小金を貯めて、ちょっと仕事から離れる事は難しそう・・・。
>8さん、9さん
私の中でのひきこもりって、しばし人生を休んでる人、っていうイメージです。
だから、イコール腐るとかそういう風には思わないけど、ひきこもっているうちに
そうなってしまう人もいるかもしれないですね。
私はもし状況が許して、いったんひきこもってしまったら、その腐っていく方タイプじゃ
ないか?っていう恐れを持ってます。
3ヶ月とか、そういうスパンでもいいから、”何もしないでいい解放期間”を持って、
自分の気持ちを休めてみたいと思うけど、きっとそのままずるずるしてしまう気がする。
現状くらいの社会適応もできなくなるような。
>10さん
そちらのスレッドは最近になってちょっとだけ見たんですけど、どうやってこの板に
来るようになったのか?を書くところなんでしょうか?
いまいちちょっとつかめなかったんですが・・・。
12 :
>11様:2000/03/09(木) 18:44
そのつもりだったです。
ここに来る方法ってすごく少ないと思うです。
だからちょっと聞いてみたかったです。
無職ダメ板でもリンク見たこと無いですし。
おまけで、現在の来かたを聞いたつもりだったんですけど...
13 :
なつき:2000/03/09(木) 18:56
>12さん
書いてきました。
そうか、私は当たり前のように左フレーム付きのページからいつも2ちゃんねるに
来ていて、左フレームをつらつら見ながら、なんとなく板を移動したりしてるんですよ。
いろんな見方があるわけですね。
14 :
∞:2000/03/10(金) 01:37
現在引きこもり中です。と言うか、職探し中。なかなか上手くいかなくて
へこんだりしています。たまたま私は無職でも今は何とかなっていますが、
無職という状況が許されない人も大勢いて(なつきさんのように)、
私は恵まれている方なんだろうと思います。でも、恵まれている状況に
甘えてしまうんですよ。やはり引きこもると社会復帰が難しいと
思います。
15 :
なつき:2000/03/10(金) 10:53
>∞さん
いい仕事、見つかるといいですね。
内容や収入などの条件ももちろん大事だけど、それ以前に
職場環境や社内の人の雰囲気・人間関係なんかも重要なんですよね。
そこがダメだと何年も同じ職場で働き続けられない。
でも、そういうのって働いてみないとわからない部分が多い。
いわゆる人間関係もそうかもしれないけど、仕事のスタイルや姿勢なんかも
重要だな、と最近まさに痛感しています。
私は卒業してから、職を転々としながらもとりあえず働き続けていますが、
それでも合わない職場って多いし、つらい。
(もちろん、自分のせいもあるのはわかってます。神経質過ぎるとことか)
そういう意味でも一度引きこもってしまうと自分は社会復帰するのが
かなり難しいだろうな、と思っているし、現在引きこもっている方も
学校や職場に出ていくのは大変なんだろうという想像はできます。
継続する事も難しいですが、一度止めてしまった流れを再開するって
いうのも困難だよな、って。
だからって、自分を責めたり、それこそ腐ってしまったりしないように、
現在引きこもっていらっしゃる方には伝えたいのですが。
まとまりなくて、すみません。
16 :
名無しさん:2000/03/10(金) 12:59
発言がわりと簡単にできる=居場所が簡単に作れるのが
2chのいいところですね。
17 :
名無しさん:2000/03/10(金) 16:10
>一度止めてしまった流れを再開するって
>いうのも困難だよな
いずれ再就職して通勤すると
心に決めている人には何も言いませんが
こういう思い込みが自分に対してプレッシャーに
なっている点だと思う。
別にまた会社に入って通勤するばかりが生き方
じゃないと思うけど。
私は家にずっといても、やり方はどうあれ
なんとか決められた税金さえ払えば社会の一員であると考えます。
例えば、幸い我々はネットに繋ぐ幸運に恵まれています。
ネット関係とか対人関係の少ない家でできる仕事を
すれば良いのでは?
いずれは会社勤め再開しなきゃって考えより、今までと違う
生き方をすると考えた方がより建設的ではないでしょうか。
へー、いろいろ見てまわると結構おもしろいのがいっぱい
あるんだね。ここに書いてる人達って本音を語っているのかな?
でも人間って必ず表と裏、本音と建前があるからこういうのを
読んでもイマイチ一歩引いて見てしまいがち。
19 :
なつき:2000/03/10(金) 18:17
>16さん
そうですねぇ。
板やスレッドによってはかなりツライ思いをしちゃう時もあるみたいですけど・・・。
>Beelzebubさん
私の場合は建前でここには書いていませんが、本音を全部書いているか?
っていうとそうじゃないです。
いくら匿名でも人に言いたくない事もたくさんあるわけですし。
ただ、この板に限らず、2ちゃんねるではよその掲示板よりも、より本音に近い事を
語る人は多いかもしれませんね。
逆に、偽悪的になる人も多そうですけど。
20 :
>18:2000/03/10(金) 18:24
表と裏、善と悪っていう考え方は人の脳味噌にとって
非常に話を纏めやすい(理解しやすい)考え方だとは思うけど、
実際はもっと融合してて理解しにくいモノだと思います。>人の心って
つまり二元論って後付けの結果論にしかすぎないから。
21 :
なつき:2000/03/10(金) 18:30
>17さん
うーん、おっしゃる事はよくわかります。
ネット関係とか対人関係の少ない家でできる仕事っていうのは、私にとっても理想に近い
勤務形態です。
でも、住んでる場所や本人のスキルにもよるでしょうが、実際にそういう職に就くのは
結構難しいものですよ。
私はそのネット関連の仕事をしていて、前の会社では正社員でしたが完全自宅勤務で
仕事をした経験もあります。
が、実際にやってみると離れた場所で仕事をするのはいろいろ障害がありましたし、
大きな会社でそれなりにそういった制度の整った会社ならともかく、そうでない場合は
本人の能力だけでなく、会社の方がサポートしきれずに、続かなくなる場合も多いです。
(私の場合はそうでした)
アルバイトやパート的扱いという意味での在宅ワークをする事で、例えば
自分一人生活していければ良い、という場合には選択肢も広がると思いますが、
例えば私は扶養家族がいるので、より安定して少なくない収入を得られる仕事に就く
責任があります。
(↑これが私がひきこもれない理由でもある)
他の理由でも社会人として生きていくのに、普通の会社勤めをするしかない、って人は
多いと思います。
17さんのおっしゃるような形態での就職がもう少し一般的になれば良いと、
私も思っていますけれど。
社会の中で生きていくのは、もちろん一人きりではなく人とのつながりや兼ね合いが
あるわけですが、いろんな生き方を選ぶ事がもうちょっと簡単になるというか、
許容されやすい社会になっていくといいな、と思ってます。
まとまらなくて、ごめんなさい。
22 :
なつき:2000/03/10(金) 18:34
>20さん
確かにそうですね。
善悪の判断の際にも、結局良いか悪いかだけでは結論づけられない場合が多いですからね。
私は人間の内面は非常に細かい(?)多面体だと思っています。
良い部分も良くない部分も、多数派的なところも少数派的なところも、みんなちょっとずつ
比率は違うけど、いろいろ持っているんじゃないかと。
そういう意味では、こういった場で発言した事も、その時は自分にとって真実だけど
明日になれば嘘になる、て事もあるでしょうね。
その反対も。
23 :
17:2000/03/10(金) 18:43
>例えば私は扶養家族がいるので、
うーむ、これは確かに身動きがとれないでしょうね。
独り身の私には頑張って下さい、とエールを送るしか
ないっす・・・
24 :
なつき:2000/03/10(金) 18:45
21番の追記。
17さんは(例えば私のような個人的な事情があるにせよ)、他の生き方もあるさ、
と考えた方が建設的、とおっしゃってるんですよね。
それは、わかる。わかるんですが・・・。
ひきこもってしまう理由、ひきこもりたくなってしまう理由も、人それぞれいろいろあるんでしょうが、
私の場合は自分の自由に生きられない(と思っている)事情にいろいろ積み重なって
「ひきこもってしまいたい」という欲求に至っているので、なかなか「他の生き方」を
前向きに考えていく事が難しいのかもしれません。
(わかりにくい書き方でごめんなさいね。いっそ、何も書かない方がいいのかもしれないけど・・・)
25 :
なつき:2000/03/10(金) 18:47
>17さん
扶養家族といっても、子供とかじゃないですよ。
私の場合は母親です。
もともと、高校生くらいの頃から自分で予兆は感じていたので、大人になった今も
自分から責任を作っちゃうような事はできません。
でも、親は自分が作るもんじゃないですからね・・・兄弟はいないので、逃げるわけにもいきません。
26 :
うーん:2000/03/10(金) 18:57
>なつきさん
何かお話を聞いていると、ぜんぜん駄目女ではないですね。
たくましい生活力を感じます。
27 :
17:2000/03/10(金) 19:09
>24
そうですね、どうやら私は本当の引きこもりを
体験していないのかも知れません。
貴方の言うように理屈より気持ちの方が先行しますものね
僭越なカキコをしてしまいました。
お仕事たいへんみたいですが(出席簿見ました)
合間にここでのほほんして気分転換できればいいですね。
28 :
∞:2000/03/10(金) 19:44
なつきさんがんばれー。って、無責任に発言することはできるけど
こんなとこで発言するしかできないんですよね。でも私はなつきさんの
>いい仕事、見つかるといいですね。
という言葉に有り難いと思いました。
ここに書かれてることが本当でも嘘が混じっていようとも、その人にとって
息抜きとかそういう何かになっていたら良いのでは?
ここに来る皆さんにとってもそうであったら良いなぁ。
29 :
なつき:2000/03/10(金) 19:50
>26さん
私は優しい人になりたいんです。
でも人は、強くないと、自分の事は自分で支えられるくらい強くないと、人に優しく
なれないような気がしてるんです。
だから、すごく強くなりたい。
家族や友人に甘えたり、頼ったり(意識的レベルで)する事を覚えずに大人になってしまったので、
自分自身にそう言い聞かせて生きてきました。
それで、今、すごく疲れてしまっているんです。
本当は自分にできない事も、むりむりやらなくちゃ生きてこれなかったし、できなくても
やれるフリをしなくてはいけなかったから。
でも、できない事はできない、って叫びたくなってしまった。
>17さん
私も実際に引きこもってはいないので、実は偉そうな事はなにも言えません。
ひきこもってしまいたい、という欲求だけがすごく強くて。
人はみんな、いろんな物を抱えていて、実はいろんな責任があって、それぞれが大変なんでしょう。
それに気づく人、気づかない人、そうはとらない人、大げさにとる人、それもまたいろいろなんでしょう。
でも一つ言える事は、強がって弱さを外に見せない人は、周りも「強い人、大丈夫な人」と
認識してしまって、どんどんその人に対する要求が強くなっていく事。
だから、強がりをすればするほど、自分の首をしめてしまうんですよね。
そこに気が付いてくれる人が近くにいればいいのだけれど。
30 :
なつき:2000/03/10(金) 19:59
まとまりのない独り言になってしまいますが、いつも。
私は多分、周囲の人から見ても、普通より強くてアグレッシブな人間に見えてると思います。
転職にしても、私の本心とは別のところで、勝手にスキルアップの為だと解釈されている
事が多いです。
現に、辞めた会社で後輩だった人たちの中で、何人かが「なつきさんのように生きるのが
憧れです」と口に出したり、実際に似たような行動(理由は違えど)を取ったりします。
でも、私には本当はそんな実力がないんです。
仕事にしても、プライベートにしても、人生にしても・・・。
自分で気にしすぎている部分も多々あるんでしょうが。
例えば、私は職場で仕事をしていて、会社の人が横をただ通るだけでもダメなんです。
後ろからふっとディスプレイを覗かれでもしたら、普通に仕事をしているだけなのに
震えが来るくらいイライラして、寒気が走って、とにかく気持ちの中ではすごく
大変な状態になります。
神経質過ぎるのはわかってるけど、実際にそうなんです。
でも、それを態度など、外に向かっては絶対に出せない。
周りはまったく気づきません。
そういうのが積み重なって、自分でどんどんストレスをためて、苦しくなって転職してしまうんです。
上に書いたような理由で、しばらく仕事を休んだり、もっと楽(で収入も少なくなる)な仕事に
変わる事もできない。
きっと私は駄目じゃないんだろうけど、駄目になりそうな、すぐ手前でふんばってるんだと思います。
この板に来るべきじゃなかったのかなぁ・・・。
31 :
なつき:2000/03/10(金) 20:07
>∞さん
自分が転職を何度もしているので、他人から見て、一般的に見てちゃんとした仕事でも
本人にとっていい仕事かどうかっていうのは別だ、っていうのがよくわかるんです。
割り切れる人、その他いろいろな理由で強くなれる人は、適応できる範囲が広いと思うけど、
この板に来てる人は、そういう人よりも自分にとっていい仕事を見つけるのが
ちょっと難しいかもしれない。
でもね、だからって世の中に絶対にないわけじゃないし、幸運が重なってすぐに見つかることも
あるだろうし。
だから、∞さんだけじゃなくって今職探しをしててなかなか決まらない人も、だから
自分に何か足りないとかって思わないで、時間をかけて自分も吟味してるんだって思って欲しいな。
私のように、職を探すのにも、時間的に余裕がなくて、妥協してすぐ決めて、とりあえず
働いて稼がなくちゃいけなくて、でも合わなくて我慢できなくて次を探して・・・
じゃなくて、事情が許される人はゆっくり探して見つかるといいなと思ってます。
転職はいつでもできるけど、繰り返せばそれだけ自分が疲れちゃうのも事実ですからね。
すぐに合うところが見つかれば、それに越したことはないと思います。
32 :
なつき:2000/03/10(金) 20:09
いっつもそうなんだけど、自分の気持ちを伝えようと思うと、なかなか伝わらない気がして、
書いていても話していてもだらだら長くなってしまう。
それは相手にとっては迷惑だな、と思うから、どんどん自分の気持ちを伝える事に
抵抗を感じて、しないようになってしまう。
そんな風に生きてきてしまったから。
こうして自分の気持ちをここに書いていると、長くなっちゃう。
要領よく説明する事に慣れていないから。
読みにくくて、ごめんなさい。
読んでくれて、ありあとう。
33 :
∞:2000/03/10(金) 20:11
何がきっかけで一息つけるのか、それは人それぞれじゃないかなぁ?
もしかしたら、忙しく仕事をしているうちに、何かのきっかけで
それに気付く日が来るかも知れない。いろいろ抱えてることは
あるだろうけど、なつきさんはだめじゃないです。
でもしんどくなったらせめてここでぶちまけてすっきりできるといいですね。
そうできたらこの板も報われるというものです。
34 :
∞:2000/03/10(金) 20:17
なつきさん、ありがとう!親身になってくれるあなたは
優しい人だと思いますよ。強いからじゃなくて(そういう部分も
あるだろうけど)、あなたの経験値が良い方向に積み重なっているから
だと思います。
35 :
>32:2000/03/10(金) 20:28
他人を信用してみましょう 時々は。
結構汲み取ってくれている場合ありますよ
あなたの言いたい事をね。
そうすると文も短くなるかもね。
36 :
名無しさん:2000/03/11(土) 02:38
全部文字化け
37 :
>36:2000/03/11(土) 08:44
あぼーん
39 :
∞:2000/03/13(月) 00:19
アハハハハハハハ
40 :
∞:2000/03/13(月) 18:34
あぼーんされたあとには「アハハハハハハハ 」がむなしい。
冷静さは必要だな・・・。反省。
41 :
なつき:2000/03/14(火) 11:57
ちょっと間が空いてしまいました。
自宅にもパソコンはあるんですが、今のような職種になってしまってからは、家にいる時は
極力パソコンに向かいたくない体質に変わってしまいました。
昨日は本当はもちろん仕事だったんですが、先週に続き、またしてもさぼってしまいました。
やっぱり週の始めはなかなかちゃんと出勤して人並みに仕事をする、というのが
できません。
今週も・・・なんとか乗り切っていこうと思います。
皆さんも無事に今週を過ごせますように。
42 :
スゲーナ:2000/03/14(火) 15:23
なつきちゃん 無理せず
また来てね
43 :
∞:2000/03/14(火) 18:30
ここの進み具合ならゆっくりでも大丈夫。
44 :
P・G:2000/03/14(火) 18:56
居場所って、どんな場所?
45 :
aco:2000/03/14(火) 21:51
辞書だと対応する英単語が comfortableになってた。
快適とか心が休まる場所か。
自分的には友達がいる場所ぐらいに思ってます。
46 :
なつき:2000/03/15(水) 09:05
みんな、ありがと。
居場所かぁ・・・。
私の中では”自分がいてもいい場所”。
”私がここにいてもいいのかな?”ってずっとビクビクしていなくてもいいところ、かな。
47 :
だめ:2000/03/15(水) 09:39
48 :
aco:2000/03/15(水) 12:43
>47は 押してないけどブラクラっぽいよね。
初心者の人は気をつけよう。
49 :
P・G:2000/03/15(水) 13:08
いてはいけない場所って、あるのかな?
あるとしたらどんな場所なのかな?
50 :
名無しさん:2000/03/15(水) 14:25
一気に開き直る。
どこでも自分の場所にする図太さが
生きるには必要。
他人にそんなにこだわる必要は無い、多分。
51 :
aco:2000/03/15(水) 16:07
居てはいけない場所はない。
居るか別のとこに行くかは自分が決める。
関係ないけど、新潟の事件の被害者が「ここに居てもいいですか」って
聞いたんだよな。彼女もビクビクして生活していたってことか。
52 :
P・G:2000/03/15(水) 16:53
50さんやacoさんによれば、いてはいけない場所など、
(犯罪被害者がそう感じるくらいで)
どこにもない、という話になっちゃいますが。
あんまり話を勝手に進めても、うざがられるだけなのでこの辺にしときます。
説教できるほど、えらくもなし。えらくなれるわけでもなし。
でもなぜ、ある場所について
「自分がここにいていいのかな」とか感じてしまうのだろう?
他の場所とどう違うのだろう?
53 :
∞:2000/03/15(水) 17:56
>P・Gさん 「自分がここにいていいのかな」とか感じてしまうのだろう?
それは、自信をなくしてしまってるからじゃない?
54 :
aco:2000/03/15(水) 17:56
どうせ発言も少ないんだし思いのたけをぶつけるのだああ>P・Gさん
自分の発言はほとんど思いつきなんで気にしないで(^^:
55 :
P・G:2000/03/15(水) 19:22
いや、本人(なつきさん)不在で話を進めても・・・
しかも話がどんどん「本人の気の持ちように過ぎない。」という
説教臭いものになっていくような気がしますし・・・
理屈っぽい、くたびれた男は消えることにします。
願わくば、なつきさんの存在そのものを全肯定してくれる存在が現れますよう。
56 :
なつき:2000/03/15(水) 20:32
>P・Gさん
語って下さって、結構ですよ。
私だって、ここに場所を借りてスレッドをたてているだけですし、一応一般社会で
生活しているので、いろんな意見や立場の違う方のお話を聞く姿勢は持ってるつもりですし・・・。
こういうタイトルでスレッドをたててますけど、私も四六時中、こう考えているわけじゃ
ないですし、ただまぁ、いろんな育った環境や、周りにいる人の状況なんかで
人は本当にそれぞれなので、「こうこうこうすればいいんだから、こうしなさい」みたいな
決めつけるだけの意見は、私としてはあんまり嬉しくないですけども・・・。
(別に、ディベートがしたいわけじゃないし、白か黒かの結論が欲しくてこのスレッドを
立てたわけでもないので)
そうじゃない、いろんな人の考えは書いて欲しいな、と思ってますよ。
でないと結局私の独り言になっちゃうし・・・(それでもいいけど)
57 :
なつき:2000/03/15(水) 20:48
居場所の話ですけど、私の場合は小さい頃に疎外感とか孤独感をかなり強く感じていたのが
最初だったように思います。
つらつら書いても、ただの身の上話になっちゃうので書きませんが、最近こそ「個性の時代」とか
言われてますけど、ちょっと前まで(今も?)「人とは違う」っていうのはなんだか
周りに馴染めない雰囲気があったじゃないですか。
それがいわゆるいじめられっ子のイメージみたいに、勉強ができないとかおとなしいとかではなく、
悪い事ではなく人より目立ったりした場合なんかでも。
そういう事の積み重ねで10年も20年もきちゃった結果が、今の自分なんだと思います。
後はやっぱり、親の影響かな・・・。
なにごとも周りの人のせいにはしたくないので、子供の頃の事も親の事も、別にそのせいだ!とは
思ってなくって、自分の捉え方だとか、自意識過剰な性格のせいだ、とは思ってるんですが、
うちの母親は半端じゃないくらい完璧主義で、その論理を小さい頃、幼稚園くらいの頃から
求められていたので、自分の中の自分に対する価値観がどうしてもそういう基準になってしまって、
完璧じゃない自分にいらだってしまうんですね。
実際、そんな人間、いないじゃないですか。だから、日々の中で自分に対して不満というか
いらいらする事が多いわけだけど、その「完璧じゃない自分」を他人も許してくれない
ような気が、どうしてもしてしまうんですよね。
(もちろん、頭ではわかってるんですよ。誰もそんな事を私に求めていないって事は)
いてもいいとかいけないとか、誰かが決める事じゃないのもわかってるし、でも深層心理的に
持ってしまっているこの恐怖感が大人になった今でも完全には抜け切れていないんじゃ
ないか?と自分では思ってます。
(10代の頃に比べれば、かなり開き直れるようになってはきているのですが)
58 :
なつき:2000/03/15(水) 20:50
で、47はやっぱりブラクラだったんでしょうか?
私、押しちゃったんですけど会社のパソコンはMacだったので、関係なかったみたい。
59 :
∞:2000/03/16(木) 02:08
47はブラクラです。押さないように。
完璧でなければいけないんじゃないか、と思ってしまう気持、わかります。
私もそういうところがあるんだけど、それって何か失敗したとき、
勢いよく出て来るんですよー。冷静なときはいいけど、へこんでる時って
頭でわかっていても追いつめる方に考えてしまうんです。
そういうときこそちょっと見方を変えて気分を変えればいいのですが、
そういう慣れってなかなか身に付かないものです。
なつきさんオナニーしたよ!
またしちゃった。
62 :
なつき:2000/03/16(木) 09:43
>∞さん
努力してても簡単に変えられなくて、落ち込む時はずどーんといくんですよね。
思春期じゃあるまいし、この年になってもまだそんな事で感情をあれこれ揺らしてる
自分が情けなかったりするのですが。
>60、61さん
お疲れさま!
63 :
名無しさん:2000/03/16(木) 12:29
人間最後は死ぬんじゃ。焼かれて骨になりゃ誰でも平等よ。
64 :
なつき:2000/03/16(木) 16:57
ちょっと話はそれますけど、皆さんは身近な人の死を体験した事がありますか?
私は2年くらい前に父を亡くしたのですが、病気入院中で10日間くらい意識不明のまま
亡くなったんですけども、臨終の時、たった一人で父親の身体がだんだん死に行くのを
看取ったんですね。
大きくはない病院で、夜、ちょうど他の患者さんも具合が悪くなった方がいらっしゃって
お医者さんや看護婦さんも間に合わなかったんです。
その後、父方の親戚なども病室にやってきましたが・・・。
看護婦さんが父の身体を拭いてくれる時も、一人だけ一緒にさせてもらったし、火葬場でお骨とかも
拾って、その時に言われた事、体験した事、いろいろ考えると本当に人ってあっけなく死んでしまうんだなぁ、
と思います。
死んだ後はもう、自分の人生じゃないですからね。
平等とかって計れなくなっちゃうと思いますけど。
死んだ後の状態が平等なんじゃなくて、誰にも死が訪れるという事は平等だとは思いますけど。
何書いてるのかよくわかんないや。
65 :
aco:2000/03/16(木) 17:58
目の前で死なれたことはない。
じい様が死んだときは、業者がじい様の体を拭いてて家族は引いてた。
業者に促されて母親が拭いてたような記憶がある。
66 :
名無しさん:2000/03/16(木) 18:05
>死んだ後はもう、自分の人生じゃないですからね。
死後とは生者のための物語ですね。
葬式とか戒名とか荼毘とか墓とか幽霊とか死後の世界とか
なんだかんだお話を創って遊んでるんです。
死んでる当事者はもう既に単なるモノ、バクテリアのエサです。
67 :
>66:2000/03/16(木) 18:09
死後が寂しいから妻と一緒に墓へ・・っていうのも
ナンセンスといえばナンセンスですよね
そんなこと言えば墓そのものが本人にとって意味無いな(わら
葬式も遺族の戯れ言か。イベントだね。
68 :
名無しさん:2000/03/16(木) 18:11
戒名なんて何十万も払って坊さん儲けさすことないな!
69 :
名無しさん:2000/03/16(木) 18:15
香典かっぱらって逃げろ!
[香典]
ヽ(;´Д`)ノヵぇιτ〜 ヽ(´ー`)ノ
( ) ( )
ε≡Ξ ノ ωヽ ε≡Ξ ノ ヽ
70 :
∞:2000/03/17(金) 09:22
実際に看取ったことはないけど(ペットなら・・・)、人の生き死にを
身近に感じる出来事があると色々思いめぐらせてしまいますね。
葬式やその後はほんと、残された者達の慰め(?)でしかないと思います。
私は身近な人が亡くなったとき、してあげたくて、でもどうやって
したらいいのか分からなくて、結局何もできなかったことを
後悔した。もう、どうしようもないのに。
71 :
aco:2000/03/17(金) 10:31
自分が死んだら、戒名も葬式もいらない。無縁仏でもかまわない。
でも、身近な人が死んだら 葬式もしようとするだろうし、
戒名もそれなりのものをつけようとするだろうな。
葬式をする人の気持ちもなんか分かる。
72 :
P・G:2000/03/17(金) 15:10
居場所、とは、場所と名前がついてても
実はある「特定の“人”」のことなのでは?
「特定の人」には「誰もいない」という事も含みます。
まあ思ったのはそんだけ。
でも「誰もいない」より、(その場合は引きこもりになっちゃいますね。)
誰かいた方が、絶対いいことだとは思う。
誰かいませんか?
語りたいこと。か。
なぜ語りたくなるのだろう?
73 :
aco:2000/03/17(金) 19:06
居場所がない=仲間はずれかなと。
じゃあ、なんで仲間はずれになるのかって
例えば、家庭に居場所がないなんていうのは、家族の気持ちを考えずに行動するからとか...
、、よく分からんっす。
>語りたくなる
自分の中の感情は他人の生体を通すことで「完了」する。
他人を通さない限り「未完了」のまま自分の中にのこってしまうとか。
未完了の経験は、自分を気難しくしたり自分に悪さするとか、
どっかの本に書いてあったような。
それか、語ることで自分が確認できるってことかな。
74 :
∞:2000/03/18(土) 01:45
文章にすると、改めて落ち着いて考えられる、というのってない?
推敲することで何を一番伝えたいか、そういうこと考える助けになる、って
いうことだろうと思うけど。目の前の人に向かって、もしくはまだ見ぬ
誰かに向かって語りかけること、同じことだと思うんですよ。微妙に違うかも
知れないけど。そうやって誰か(何か)に伝えることって、結局自分が何を
伝えたいかを考える作業だから、自分と向き合うことになる。
語ることって、そういうことじゃないかな、と思ったのです。
acoさんの後半とだぶるようですいません。
75 :
なつき:2000/03/18(土) 09:13
私の感じている「居場所がない」って感覚は、仲間はずれって感じでもないですね。
客観的に見たとしても、周りの人との目に見える関係とか、そういう事じゃないですね。
(あ、私の場合は、っていう意味です。あくまでも。)
これまでも、今現在も、身近で私に接している人は、私から言わなければ私のそういった
疎外感みたいなものにはほとんど気づいていないと思いますよ。
変な説明の仕方だけど、私自身はこれまで生きてきて、学生時代は学級委員に毎年選ばれたり、
クラブ活動の部長になったり、社会に出てからも転職が多いので、一カ所にとどまっていた
期間は短いのですが、それでもいきなり部下をつけてもらったり、どちらかというと
アクティブというかポジティブというか、そういうふうに見られていると思うんです。
でも逆に、自分の部屋で一人でいる時も、その場が「自分の場所じゃない」って
感じてしまうんですよね・・・。
だから、私のこの感覚は、あくまでも自分自身の内側の問題だと思うんです。
それは私の性格もあるし、体験もあるし、環境もあると思うんです。
小さい頃っていうのはどうしても、自分自身より親とか周りの環境の影響を強く
受けちゃいますよね、誰でも。
だけど大人になったら自己責任の範囲が広がるわけで、子供の時にどんな周りの影響を
受けていても、それを乗り越えたりやり過ごしたりできるかできないかは本人次第に
なってくるじゃないですか。
私はそれができていなくて、弱い部分を周りの人に示せなくて、ひずみを無視して作ってきた
自分で生きてきたから、それが何年間も積み重なって現在のような心境に至っているのかなぁ、
とも思ったりするんですが。
2重になるんですけど、決して周りの人との関係が通常より悪いとかじゃないんですよ。
友達が周りにいても、自分一人でいる時も、関係なく心が寒いんです。
76 :
aco:2000/03/18(土) 14:28
皆といるときも一人でいるときも心が寒いというのは、
ホントになつきさんが感じていることでなつきさんを突き動かしてるんだと思います。
転職を何回もしていることから。
でも、自分の中では客観的に居場所がないだろうって状況以外経験したことがないので、
自分の感情として理解する(共感できる)ところまではいけません。
もっと精神や心理に詳しい人だったら適切にコメントしてくれそうな気がするんですが。
野良犬さんとか、行ったことはないけど 躁鬱板とかの専門板。
部下を任せられると言うのは、なつきさんはどこから誰が見てもきちっとした責任感のあるようにみえる人なんだなぁと思います。完璧主義って言ってましたね。
ルーズな人や無責任な人には部下を任せたりしないでしょうし。
んでも、なつきさんのいう「居場所がない」は、「自分の場所はここではない」かな。
77 :
∞:2000/03/18(土) 18:31
なつきさんの言う「居場所がない」は、本当の自分でいる実感がない
ってことかな?違和感みたいな。
78 :
P・G:2000/03/18(土) 23:44
たとえば「人生の意味」や、「本当の自分」を求めているように見える人々が存在する。
自分の世界が自分のために準備してくれた場所に意味と本当さが如何にしても偽物のように
感じられるならば、人は別の場所に意味と本当さを求めなければならない。
そんなものを求めてはならないとか、そんなものは存在しないとか語る人は
もうすでにそんなものを求める必要がないほど幸福な生を生きているに過ぎない。
ものの本の丸写しですが、こんなとこでしょうか。
演技をする必要のない場所が見つかりますよう。
(演技を必要としない人と出会えますよう。)
語ることで、何かが変わるなら、のほほんだめ板の人たちは、
いつでも聞いてくれることと思います。
79 :
P・G:2000/03/18(土) 23:49
語ることについて、いろいろご教授ありがとうございます。
>∞さん acoさん
あんまり、語ることに慣れてないので難しいです。
ほんとは、会話することすら私には難しいですけど。
80 :
∞:2000/03/19(日) 00:36
>P・G さん、語ることは簡単だ、とタカをくくると落とし穴に落ちる
こともあると思います。気をつけていても落ちることもあるし。
難しい、と思うのは、迂闊に失敗したくないから?それなら普通ですよ、
誰でも失敗したくないと思います。
81 :
Beelzebub:2000/03/19(日) 15:59
改めて読んでみたけどなんか僕の発言が浮いてる。
居場所がないって感じはとてもよく分かる。
でも居場所って結局自分で作り出すものなんだよね。
このことを4年間の留学生活で嫌という程諭されました。
結婚して家庭を築くのも自分の居場所を確保する為でしょ、
ある意味。人間は一人では生きていけないから誰かに安らぎ
を求めたりもするし安らぎの場を求めたりする。
日本にいた時よく見てた「家なき子」っていうアニメの主題歌
の歌詞に「生きることは戦いだ」っていう一節があってさ、こっち
に来た当初はよく口ずさんでました。
このアニメの主人公も自分の居場所を探し求めていたんだよね。
戦いで疲れた心を癒してくれるそんな場所が見つかるといいですね。
お互いに。
82 :
SIN:2000/03/19(日) 23:13
自分の居場所について個人的見解を一つ。
やっぱり、自分を必要としてくれる人がいる場所、これが自分の居場所だと思う。
それにはまず自分が必要とされる人間になる必要がある。これが結構難しい。
結婚して家庭を築いても良いし、気の合う仲間でも良いし、仕事でも良いかもしれない。
自分の居場所とそれに伴う義務と責任、天秤にかけてどっちをとるか?
ダメ人間を自覚する俺としては義務と責任は嫌なのさ。
でも本当は欲しいのさ。安住の地が。
出来れば、自分の人格を必要としてくれる人が欲しい。それは幻想さ〜。
83 :
なつき:2000/03/22(水) 10:15
うーん、難しいですね。
一つの言葉でも、人によってイメージや実感することが違う。
「居場所」にしても「語る」にしても。
例えば、ここでいろいろ書く(=語る)と誰かからなんらかの反応が得られる
(=話を聞いてもらえる)ということをもって「自分の居場所がある」と感じる方も
いらっしゃるでしょうし、私なんかは、なんらかの意見を自分から書く気になる、
という時点で、居場所があるのかも、って感じたりします。
普段の生活では、あまり個人的な意思表示はしないし、感情を爆発させることも
ほとんどないし、人に自分の本音をわかってもらおう、とか最初から
考えないですから。
職場でも家庭でもプライベートでも、自分の話を聞いてもらえるとか、そういうのは
あるんですよ(私の場合は、ね)。
それなりに社会的立場、じゃないけど、周囲から認めてもらってるのは感じるし。
でも、76、77で、acoさんや∞さんが書いてくださった「自分の場所はここではない」とか
「違和感」が組合わさったモノが自分の中にあるのかなぁ?
自分が行動すればある程度受け入れられるのだろうということはわかっていても
行動に移そう、移したい、という気にならないんですね。
それは・・・これまでの人生の積み重ねなのかもしれないけど。
長い間、抑圧し続けて、疲れきっちゃって、爆発するパワーも残ってない、
って感じでしょうか。
(ここで爆発する人とかが、最近の犯罪を犯す人に通じるのかな?なんて
思ったり、思わなかったり。)
あぁ、何を考えてんだか。
84 :
なつき:2000/03/22(水) 10:24
「居場所」という定義に、自分以外の人の存在が関係してくる、というBeelzebubさんや
SINさんのご意見には同感です。
私の場合は(って自分のことしか話せないから、ごめんなさい)、仕事上でも幸い、
多少は”私じゃないと”っていう能力をかわれて雇われていると思うし、
(かと言って、いなくなったからすぐに会社が困っちゃう、ってレベルではないのはは当然として)
親なんかは私がいなくなったら生きていけない、くらいの精神状態になっちゃうだろうし、
友達も数は決して多くないけど、離れててたまにしか会えなくても親友だ、って思えるような
人が何人かはいるし、本当に端から見たら、何が不満なの?って思う人がいても
おかしくないよね、って自分でも感じるんですよね。
そういう意味での「居場所」は、きっとあるんだと思う。人から必要とされる、ていうか。
やっぱり私のわがままなのかもしれないんだけど。
85 :
なつき:2000/03/22(水) 10:31
なんか分裂気味の文章だなぁ、自分。
思うに、小さい頃は怖かったんですよ、本当。
人から拒否されたり否定されたりするのが。
それが20数年続いて、みんなに受け入れられる自分でい続けるのに疲れちゃって、でも自分を出したら
今のような状況を維持できるか?って怖いんでしょうかね???
でも、今周りに見せている自分も、確かに多くは見せていないかもしれないけど、紛れもない自分自身の
一面だ、っていうのはわかってて、無理をやめても何かが大きく悪い方に変わるわけじゃない、って
わかってるんだけどな・・・。
ちなみに、子供の頃一番最初に「受け入れられないことの恐怖」を感じるようになったのは、多分、
母親の「あんたがいなければ私はもっと幸せに生きられた」っていう言葉かな、と思ったりもしますが。
(かと言って、上の方でも書いたけど、別に親のせいにしてるとか、今でも恨んでるとか、
そういうんじゃないです。単なる因果関係として認識してるだけ。)
86 :
名無しさん:2000/03/22(水) 13:24
>85
俺、親恨んでるよ。あいつまるでガキだもん。
俺は排泄物かっての。・・・まともな親元に生まれたらなぁ・・・
こんな板があったとは(w
本家さん、東京で働きたいんですか僕とは逆ですね(w
僕は東京への転勤が嫌で会社を辞めました(w
やっぱり5年間も働いた場所を離れるのは辛かったし、転勤断ったら
出世できないとか言われたけど、結局辞めちゃいました(w
転勤断って居続けてもさ、上司の顔に泥塗ったって苛められそうだった
し心機一転やり直そうと思った訳さ(w
親は呆れてたけどね(w
まぁ、お互いにやれるだけやってみましょうよ(w
書くとこ間違えちゃいました(w
なつきさん、ごめんなさい(w
寝惚けてるみたいです(w
居場所って僕の場合会社だったかなぁ、パートさんとかと
しょっちゅう飲みに行ってたし、友達もいたし、彼女もい
たし。会社辞めてしばらくは放心状態だったよ(w
でも実家帰ったら吹っ切れたかな(w
90 :
名無しさん:2000/03/22(水) 17:51
89>
だからオメーはフィルターなんだよ。
なんでやねん(w
92 :
aco:2000/03/22(水) 21:31
>86
親に排泄物扱いされたのか...
「こんなふうに育てた覚えはないんだが」とつぶやいていたがな。<うちのおやじ
93 :
SIN:2000/03/22(水) 23:29
自分の居場所=本当の自分でいられる場所かなあ?
本当の自分でいることを許してくれる人がいる場所とか。
94 :
♪♪♪:2000/03/23(木) 00:01
>93
そんな生ぬるいところはどこにもないだろう。
多かれ少なかれ、人生我慢が要る時がある。
95 :
>94:2000/03/23(木) 04:53
いや、世の中我慢しなければならんことが多すぎる。
朱に交わっても赤くならなくていい人間関係が必要!
96 :
∞:2000/03/23(木) 08:51
なつきさんは、「やらなければいけないこと」の大切さは分かってるけど、
それにちょっと疲れて、心から「やりたいこと」を思う存分やって
みたい、と願ってるのかな?やらなければいけないことと自分がやりたい
ことは、必ずしも一致しないことがありますよね。
97 :
P・G:2000/03/23(木) 14:43
>∞さん
語ることは難しいというのも、私が自分なりの「答え」を持ってなくて
何語っていいかよく分からない。というのがあります。
要するに頭が悪いからでしょうけど。
やりたいことって、みんな本当に具体的に持ってるものなんですか?
私は持ってないです。具体的なものはなにも。
猫になって可愛がってもらいたい。というのはだめですか?
他の人は、どんなことがやりたいのですか?
98 :
星空:2000/03/24(金) 01:20
P・Gさん。猫になって可愛がってもらうっていいですね。
僕もやりたい事は具体的にはないですよ。このままひきこもって
いたいぐらいです。
子供の頃はやりたい事(非現実的なことばかり)がたくさんあった
ような気がしますが今はもう夢も無いし、とにかく何もしたく
ないです。
でもやりたくなくてもしなくちゃいけない事はたくさんあるんです
よね。僕はそれすらもやってないですけど。
99 :
なつき:2000/03/24(金) 17:58
>86さん他
自分も含めてそうだけど、人って自分が他人にした”良くない事”は簡単に忘れがちだけど
人からされた事はずっと覚えてるし、ましてそれが親→子っていう関係だと、他人よりも
つらいですよね・・・。
うちは・・・母親はぶっちゃけた話、病気なので。
しかも、それはやっぱりかなりの逆境に影響された結果でもあるので、自分が大人になった今は
声高に責める気にはなれないです。
中学・高校くらいまでは、やっぱり反発してましたけど、相手の立場とかわかっちゃうと
許せない言動でも、恨んだり責めたり、私にはできないですね。自分の中に収めてしまう。
100 :
SIN:2000/03/24(金) 22:19
>94
自分もわかっちゃいるけどね。だから自然と一人でいる時間が多くなる。
でも、人恋しくなる時もあるのさ。やっぱりさみしいのさ〜。
101 :
SIN:2000/03/24(金) 22:40
100の続き
他人に認識されて初めて存在していると言えるのではないかなどとふと思う。
だから、自分らしくいる為に一人でいるってのは、なにか矛盾があるのではないかと。
人との関わりの中でいかに自分らしく在るか。自分しかいないのに自分らしいも無いでしょ?
なにが言いたいか自分でもわからなくなってきたが、
一つだけ言えるのは、キリバンGETだぜってこと。おわり
102 :
∞:2000/03/24(金) 22:47
>声高に責める気にはなれないです。
というのはよく分かります。相手もつらかったんだ、なんてことが
分かると責められないですよね。自分の場合、分かってるし責めたくは
ないけど、心の底では許せない、そんなことがいくつかあります。
やりたいことが明確だとなるほど、語るのも簡単になる場合もあるかも。
やりたいことかぁ・・・。私も具体的にはないのかも。
幸せになりたい、というのはあるけど、どうやって、というところが
抜けてるかな?
103 :
名無しさん:2000/03/24(金) 23:57
>102
>やりたいことが明確だとなるほど、
99の場合死ぬほど明確やん。
親を憎めばいいだけでしょ?
親を憎んでるとはっきり言えばそれで終わると思うけど。
なんで、こんな匿名掲示板でいわへんの?何かっこつけてるわけ?
104 :
∞:2000/03/25(土) 00:05
>103 愛憎劇とは複雑です・・・。
などと書くと荒らし扱いされるんだろうが。
あとそれから、
人から受けたいやなことをいつまでも覚えている人ばっかりなわけないやん。
自分がそうだから他人もそうに違いないと思い込むわけ?
さらに皮相的な見方をすれば、
自分の性格や、行動までを親のある時の一言のせいにして、
自分だけは、その親を恨めないなどとどこまでもいい子ぶろうと
してるようにも見える。
107 :
名無しさん:2000/03/25(土) 18:36
あ〜〜どうでもいいよちんこが気持ちよくなれば!
108 :
∞:2000/03/26(日) 02:49
人それぞれですから。
103、106みたいなことを「誰一人言うものがいない」という環境が
その人の「居場所」なんだろうか?
人それぞれって、
人それぞれであることをどうして人は知るのかしら?
例えば、自分があることに感動して、あちこちに薦めまくっても
人の反応がいまいちであるとき、そう知ったりするわけかな?
そういう経験がない場合のこと。
例えばなつきさんのように、何でも飲み込んでしまうような場合、
(つまり、自分がどう思うかをあまり他人に告げない場合)
逆の傾向が助長される可能性はないのかしら。
まあどうでもいいか。ねよ。
111 :
∞:2000/03/27(月) 03:45
人それぞれっていうのの一つだと思うんだけど、例えばタンスの角に
足の小指をぶつけたら痛い、ということを実感(経験)として知って
いる人は多いから、その痛みを共有(共感)できる人は多いと思います。
でも、その痛みを知らなければ、誰にでもあってもおかしくない失敗に
対して「失敗する方が悪い」といったりしてしまうと思うんですよ。
勿論、この限りではないですが。でもいずれ、その痛みを知るかも
知れない。何かを人が知る・知らないは、その人のペースではないかと
思います。人は変化するものだということです。昨日感動できなかった
ものが今日は感動するものになっているかも知れません。
自分のものの見方が変わって、それまでなんでもなかったものが
良くなったり悪くなったり、そういうことがあったです。
>103さん
「死ぬほど明確」っていう例えがいまいち理解できないですが、私は別にいい子ぶってる
わけじゃなくて、私なりの真情を99では書いたつもりなんですが。
例えば、一つの事柄に対して、自分自身の価値観や判断基準で嫌だとか、許せないとか
思うような事があったとしますよね?
でも、実際の生活や人間関係は、もちろんいろんな事柄が組合わさっているわけですし、
特に他人ではない親子などの関係の場合は、それはもう、長年に渡る関係があるわけで、
自分がより未熟な時は目の前の一つの事柄にとらわれがちですけど、だんだん周りの事象も
目に入ってくると、その一つだけを取って相手全体を否定するのは難しくないですか?
だから私の場合は、母親と同じ事を自分は他人にしたくないし、対人間としては彼女の事を
好きとは言えませんけど、憎んだり恨んだりはしてません。
仮に、憎んでいるとしてもそう言えば終わるとは、私は思いませんけどね。
>106の103さん
書き方悪かったですね。
人にした事は忘れがち、人にされた事は覚えていがち(日本語変だけど)って言いたかったんです。
断言した書き方になってました。ごめんなさい。
そういう風に私が思ってるんじゃなくて、他の人に対しても思ってるんじゃなくて、
昔から言われるように、って意味で使いたかったんです。
やっぱ、文章は推敲しないといけないんだろうか・・・。
推敲してると書きたくなくなっちゃって結果、何も発言できなくなるので苦手なんですが。
まぁ、この場で103さんにどう思われようといいのかもしれませんけど、今までも書いて
きているように、私は「自分の行動や性格を親のある一言」のせいにはしてませんってば。
自分自身の問題だ、と言ってるんです。
ただまぁ、私の場合、親にそのように言われていたのは別に「たった一言」でもなく、
幼少期に何年間に通じて言われ続けていたので、少なくともきっかけにはなっているだろう、と
思っています。
でも、子供時代はともかく、大人になっている今では、親だろうがなんだろうが、
そういった影響を自分自身で乗り越えなくてはいけないわけで、それが多分、できていない
私は、自分自身に問題があるのだろう、と何度も言っているわけなんですよ。
>P・G(109)さん
いや、どうなんでしょう。私はそうは思いませんけども。
ただ、もし実生活で103さんみたいな人がいたら、私はもう、その人に対しては
自分の気持ちをわかってもらおうとはしないでしょうね。
んーと、最初から、という意味ではないですよ。
自分の伝えたい事をなかなかわかってもらえないもどかしさ、ってありますよね。
私はやっぱり、そういうのを表現するのが苦手だ、という意識はあるんですけど、
やっぱり感覚の相性みたいなものはあるわけで、付き合いの浅い人でも分かり合いやすい
人とそうでない人がいるじゃないですか。
そうすると、そうまでしてわかってもらわなくてもいいや、って思ってしまうかなぁ。
だから、「誰一人言うものがいない」=居場所がある、じゃないけど、
「そう言う人ばっかり」=居づらい、というのはあるのかも。
>P・Gさん、∞さん
人それぞれですか・・・。
確かに、「人それぞれ」って当たり前のように思っていますね<自分
私もあれかな、∞さんのおっしゃるように、自分自身が時がたって、同じよな物事に対しても
違う感想や意見を持つようになったりした時に、実感したのかもしれません。
まぁ、もっと些細な事、例えば子供の頃に昆虫とか見て、「綺麗ー」っていう子も
「グロテスクー」ていう子もいたりして、そういうのもあったかも?
対立に限らず、性格の”違い”を感じる小さな体験の積み重ねで、そう思うようにも
なったのかな?
思うに、私は自分自身に対して「こうあるべき」「しなくてはならない」って
いうのを押しつけ過ぎているような気がします。
基準は?というと、それこそ人それぞれだと思うので、漠然と自分が抱いている
理想(?)のイメージと比べて、という事でしょうか?
勝手にハードルを高くして、勝手に息苦しくなっているわけですが、思考回路がその
悪循環から脱出できなくてあがいている、っていう感じなんでしょうか・・・。
なつきさんは多分とても頭のいい人なのだろうとは思います。
自分の苦しみに向き合って、「答え」を出そうとしている。
そして、一応の答えを出してるようにも見えますが、
ちっとも、問題の方は改善されてないように見えます。
私という無責任な他人から見ると、単に問題の立て方か、
出した答えが、間違ってるからだろうとしか言えませんが。
まあ、毎日毎日んなこと考えてる訳でもないのでしょうけど。
73のacoさんが言うように、自分を語ることは
やはりある程度癒しになると思います。
その意味で、103の人の言うことも私は理解できます。
つまり、親を憎んでいる自分を認め、その事を親に伝え、
親が生きている間に真剣に対話をすれば、
幼少期のもやもやは晴れるような気がしますが。
まあ、所詮他人の言うことですから、
他人(親含む)に私のことなど分かるはずがない。といわれるかもしれませんが。
だとすると、どうして我々は他人を理解することが出来るのか?
精神分析とか非常に謎。
う〜ん・・・
私の母親は、はっきり断定はできませんけど、重度の鬱病だそうです。
(と、複数の病院で診断されたので。本人は否定していますが。)
程度や病名はおいておいて、非常にナーバスで不安定であるのは、疑いのない
事実であったりします。(ノイローゼっぽいっていうか)
その原因であるだろう、と思われる要因はいろいろあるわけですが、もちろん突然そういう
状態になったわけではなく、10数年の積み重ねだろうと思われますが、私が子供の頃の
母親の状態は、鬱と言えないまでも非常にストレスの高い環境であったと今の私は推測するわけです。
そういった意味で、母親の過去の言動について、今更仕方のない事だし、自分の中で
あきらめようとしているのは事実ですね。
幼少期の「母親が怖い」という時期を脱し、小学生高学年くらいから現在に至るまでの
私にとって、父親はともかく母親という存在は、精神的に「守ってくれる」とか感じた
事はなくて、逆に私が支えて助けて庇護しなくてはいけない存在、だと認識しています。
P・Gさんがおっしゃるように、「憎む・恨む」までいかないにしろ、何らかのこだわりが
ゼロではない以上、話し合えるような状況であれば良いのですが、とてもその・・・
そういったナイーブな話し合いができる状態ではないんですよ<母親
他人を理解・・・もしかしたら、したつもりになっている部分も多いのかもしれませんね。
立場や環境、性格、経験が違う他人の気持ちを、それでもわかりたいと思うし、相手にも
わかって欲しいと思う気持ち。理解されたいという気持ち。
やっぱり人間は、誰かとどこかでつながっているという実感が欲しい、寂しがりやなんでしょうか。
人が実際に経験できる人生というのは、どうしても限界があるので、とても大切な人、
好きな人の気持ちを理解したくても、その置かれている立場を完璧にトレースする事は
できないですよね。
でも、人の話を聞くとか、本を読むとか、他人の考えに触れる機会を持ち、優しい想像力を
培えば、相手の気持ちに近いところにはいけるんじゃないかと思いますが・・・。
学問としての精神分析は、統計学にも基づくんでしょうかね?
(こういう言動はこういう心理状態からもたらされるとか)
全然その分野はわからないですけども・・・。
うーん。
他人という立場の気安さからものすごく無責任で、偉そうなことを言ってしまいました。
ごめんなさい。
そもそも偉そうなことを言う資格など私にあるはずもないのに。
しかしそうすると、他人に忠告や、意見を言う資格とは何だろう?
それは、同じ痛みを共有することなのだろうか?
御母君のご病気がすみやかに癒えますよう。
幼少期の欠落の記憶を埋め合わせてくれるような、よい出会いがなつきさんにありますよう。
・・・きっとあると断言したいのですが、なにぶん未来のことがわからないので・・・
すんません。しかも少しおおげさだったかも。
他人を理解することですか。
私は他人が何を言ってるかすらよく分からないことが多いのです。
(このスレッドのとんちんかんなレスを見てもらえればわかるとは思いますが)
まあ、その前に自分の考えすらまとまってないことが多いのですけれど。
とりあえず、自分の考えを分かる言葉で表現できることから始めてみます。
そうすれば、少しは他人を理解できるかもしれない。
他人の話を聞くことも、うまくなるかもしれない。
他人の話をうまく聞くこともできるかもしれない。
・・・なんか先が長そうだなあ。
122 :
∞:2000/03/28(火) 03:03
>私は他人が何を言ってるかすらよく分からないことが多いのです。
私もとんちんかんかも知れないけど、これには自分が当てはまると
思いました。自分が理解されたいなら他人を理解する努力も必要だ、
と気張ってはみるものの、なんか妙な具合に勘ぐって空回りしてみたり、
ぶつかってすったもんだした挙げ句、手遅れになってから相手の真意に
気付いたり。今、ちょっとしたことなんですが、そういうことで
悩んでるから、というのもあるんですが・・・。
それで、言い訳のようですが、だから「だめだ」と放棄するよりは、
「日々是勉強」という具合に、考え、吟味し、「まし」になるように
していけたらいいかなぁ、と。
なんだか、121のP・Gさんの言ってることが、今の私には
タイムリー過ぎて、妙なこと言ってるかも?でも、訳解らないかも
しれないけど、P・Gさん、どうもありがとう。
正論や奇麗事を書いてちょっと恥ずかしい。
正論や奇麗事って正面きって言うとなんでこんなに恥ずかしいのか?
それが、言った人相手に正しく当てはまらなかった場合はなおさら。
>∞さん
よく分かりませんが、私の言ったことが∞さんに、何か良い影響を与えたならば、
やはり良く分かりませんが、なぜかうれしいです。
なぜ嬉しいのだろう?
もうだれも見てる人もいなさそうだから、ここで語る練習をさせてもらおう。
自分が今何を考えているか良く分かってない人間が理解されるとは、どうした事態なんだろう?
その時、何か理解されたのだろうか?
その人(A)がよく分かってないということ自体が理解されたとして、
その時、理解する人(B)は、Aが分かってない、あることを分かっているのでなければならないのだろうか?
そうでなければ、Aがなにが分かっていないかをBが理解することが出来ないのではないか?
何言いたいのか既に自分で分からん。
その前に「分かる」とはなんだろう?
「あ、わかった!!」と叫ぶとき、分かる前と後で、何が変わっているのだろう?
ある数学の問題の解き方が分からないとき、答えを見て、解き方を知る。あるいは憶える。
それを見ても(憶えても)よくわからない。
じっと答えを見ていてある時不意に、「あ、わかった」を感じるときがある。
その「わかった」と思うときの前後で、何も(答えに対する)記憶や(答えを見ている)認識自体は
変わってないわけだ。
とすると、分かるとは「認識」でも「記憶」でもないことになる・・・・・
「他人を理解すること」とは何だろうか?
他人の感情や認識は、端的にそれが他人のものであるがゆえに私が感じることが出来ない。
例えば、誰かが痛みを訴えている。
その時、私に出来ることは、その痛みの表現を受け取ることが出来るだけだ。
問題はその表現を受け取った後。
私がその痛みを痛みの表現から、他人の痛みを理解して、その痛みを和らげるように介抱する場合と、
私がその他人の痛みを全く理解することがなく、ただそう教育を受けたというだけで、前述された通りに
振る舞う場合とがありうる。
(もちろん、「介抱しない。」という選択をした場合も二通り考えられる)
その二つの行為における違いは何か?
どっちも、介抱してるという行為に変わりはない。
変わるとすれば、他人の痛みを理解したかしなかったか、という一点に過ぎない。
だとすれば、同じである二つの行為において、「理解」はなんの役に立つのだろう?
125 :
夜空 :2000/04/01(土) 03:59
なつきさんが帰って来てくれることを願ってあげときます。
126 :
名無しさん:2000/04/03(月) 00:00
初めてここにきて、このスレッドを読みました。
自分も母親に、「子供さえいなければ、離婚ができたのに」
と言われて育ちました。
そして神経の弱かった母は、鬱病になり自殺未遂が数回
繰り返されました。私と母は完全に親子関係が逆転していました。
母はもういません。自殺しましたので。
病気の時が一番、苦しかった。母の担当医ではなく
たまたま会った精神科の医者に、鬱病は治りますか
と聞いたところ。こたえるのが苦しそうでした。そして
「お母さんでしょ。親は自分より早く死にます」と言われました
私も病院に行くたびに、病気の息子を連れてきている年おいた
母親らしき人を見ていましたので。
「そうですね」とこたえました。いつか、いつか状況は変わります
127 :
126:2000/04/03(月) 13:51
読み返すと、ちょっと救いがないかなと思うので・・追加。
母が亡くなったあと、また別の家族の問題がおきて。
それを、後始末するのは私でした。きつかったです
お金もかかりました。私のお金は流れるようにでていきました。
でも、膿が外に出るような、もともとの間違っていたものを
外部の専門家の人に入ってもらい調節してもらう作業でした。
その人にとっては仕事でしょうが、私にはこころの父であり
家族でした。
今は、いろいろな事が楽になりました。
苦しかったことは、過ぎた今では何よりも得難い
ものですし、なにより自分のためになっています。
仕事も楽しいですし、とても今は幸福です。
たぶん、人に話したら、とんでもなく不幸な話ばかりなのですが
でも、もうそういう事があったと、いうだけです。
人には言いませんし、誰も気がつかないでしょう。
とても運のいい人と、みんなが私のこと思っていますから。
私もこういうことがあったのを、恵まれていたと
思っています。
なつきさん、がんばってくださいね。きっと大丈夫だから。
ずいぶん下に下がった。勝手に書かせてもらう。
もう誰にも見られることもないし名無しでいいだろう。
誰かと例えこんな匿名掲示板にせよ新たに関わりをもつのは、やはりしんどい。
この辺が自分がだめ人間である、最たる理由のような気もする。
一人でいる時間があまりに長いと、誰かと一緒にいるのことが、
なぜうれしいことだったのか、もう思い出せない。
ヘビーな書き込みが続いたが、私自身は別に何もたいした経験をもってない。
ということは、私は幸せなのかもしれない。
美点となるところは何もなくとも、親から虐待されたわけでもなく、
いじめられていたわけでもない。
どっちかつうと、誰かをいじめていたような気もする。
もう名前も思い出せないあの子。すまん。
他人を理解することの続き。
精神分析学は、「自分のことを一番知っているのは自分である」
という命題を否定する。
つまり、精神分析の方法をとらないと、自分が「本当に」何を考えているかわからないという。
あなたは知らないかもしれないが、実はイドというものがあり、
それは人間のどろどろした部分で、いつもは隠されているのだ。とか
イドをおおう超自我はイドと拮抗し、常にあなたにストレスを与える。
といった感じで。
私は精神分析や心理学というものに懐疑的だ。
人間のインプットの多様さに比べ、あまりにも我々のアウトプット、
つまり言語は貧弱であるから。
しかし精神分析は多くの人を癒してきた。それは事実だ。
精神分析によって多くの名前のない苦悩に名前が与えられたからだろう。
人は苦悩に耐えられないのではない。苦悩に意味がないことに耐えられないからだ。
とニーチェは言う。
だが意味とはなんだ?
それがどのようなものであれ、
我々は言語で、つまり記号、名前であらわすほかはない。
名前が与えられて、我々は意味を持ったと錯覚することが出来る。
「理解」もそういった錯覚に過ぎないのではないだろうか?
言語が貧弱と前に書いたが、その言い方はフェアではない可能性がある。
しかし言語は記号に過ぎないことは確かで、我々は言語以外にも
無数の情報を発信している。
それは涙だったり、顔を赤らめることだったり、頬を緩ませたりする。
こんなふうに書くことは、結局それらの情報を記号化することに
他ならないわけだが、書くという行為自体が、すでに多くの物を捨てて
成り立つものだからある意味仕方ないのだろう。
我々(私だけ?)は言葉を信用しすぎているのかもしれない。
しかし言葉が信用に足るものでないとしたら、
いったい何を信用すればよいのだろうか?
「理解」からちょっと離れてしまった。
しかし自分で何がいいたいのかよくわからないのでどうでもいいや。
自分を理解してもらいたいという欲望。
相手のことを理解したいという欲望。
これらの二つは同じことなのだろうか?
他人を理解すると言うことが錯覚に過ぎないならば同じだろう。
他人を理解できないならば、自分が理解されることもありえないはずだから。
この休みに「ハンニバル」を読む。
結構面白かった。「理解と共感は違う」
なるほど、確かに誰かに理解してもらうと、自分に共感してもらってると思って
人は安心するのかもしれない。
だがもちろん共感を伴わない理解というのもいくらでもありうる。
まさにハンニバル博士のように。
ゴールデンウィーク。予定がないのは悲しいが、今まであったわけではないので、
あったら嬉しいものなのだろうか、よく分からん。
んなこというと、ショーペンハウエルの
「我々は生と死の両方の快楽を知らないために自殺しない」というのとおんなじ様な気もする。
知り得ない(ゴールデンウィークに予定があるとか)ことに対して、形而上学を持ち込んで、
理解したような気になるのはよろしくないのかもしれない。
理解することが幻想である。という言説は、「幻想(ファンタジー)」と「現実(リアル)」
を既に仮定してるといえるのかも知れない。
真の(TRUE)理解というものが存在しなければ、私が普通の意味で使っている
「理解」が幻想であるとなぜ言うことが出来よう?
「理解」は幻ではないとしても、結局「理解」しているかどうか
は「言葉」でしか確認できないわけで
つまり「私が理解しているかどうか」をあなたが知るためには
あなたは私に「言葉」で問いかけるしかありません。
そして私も「言葉」で答える。『私はわかっています』と。
直接こころを比較できれば簡単なのだけど「言葉」という道具を
間にはさむと、どうしても最後に疑問が残りますね。
これは自分一人のときでも同じじゃないでしょうか。
本当にわかっているかどうかを確かめることはできない
となると、常にいくらかは『わかっていないかも知れない』
と考えておいたほうが良いのでは?
これが”言うは易し”ってやつで、なかなか難しいんですけどね。
まるでわかっていないのでは困るけど、お互いの間で摩擦が
おきない程度に「理解」できていれば、それ以上を求めないほうが良いようです。他人にも、自分自身にも。
大きなお世話ですが『私は真の理解に到達した』ってのは止した
ほうが良いかと 老婆心ながら。
ふむ。久しぶりに見たら、書きこんでる人がいる。下がり切ってないためか。
どういう理解が良い理解か。ということを書いてるつもりはなかったのですが、
そう見えたんだろうか。どっか間違えたかな。
我々が理解してると言うとき、それはどんな事態を指すのか?
ということをずーと書いてるつもりだったけど。
まあ、受け取り方など人それぞれなのでどーでもいいけど。
名無しで人に忠告めいたことを書く人のことも私はよく分からん。
まあ、そういうのは無条件に何かが「正しい」と「知っている」ひとなんだろうなあ。
少し羨ましくも思う。
「私」は「正しいと思う」。ではなく、「我々」は「正しい」。
言葉が他人に向けられるのに名無しである、とはそういうことかな?
名無しであるとは主体を確立させてないことであるし、
(自分であるということが、他者の存在を了解せずに自明なものと見なしているとも考えられるか?)
忠告するということは、自分に真理(少なくとも正しい何か)がある。ということだし。
生活形式の一致か。
しかしなるほど。まあそれで正しいのかも。すくなくともあり方としては。
人間は誤解可能な存在である限り。
134 :
名無しさん:2000/06/29(木) 08:16
age
居場所ねえ・・・。今までを振り返ってみれば、
ひたすらに居場所を求めて生きてきたな。血の繋がらない
家族との生活が息苦しくて。
でもね、大人になって家庭を築いて、どんなに愛されても
やっぱり居場所を求めてるんだよね。なんでかな。
136 :
のほほん名無しさん:
1年たっても悩みは一緒。