World's End Girlfriend

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72名無しさん@お腹いっぱい。
402 名無しさん@お腹いっぱい。2010/02/14(日) 02:33:05 ID:hurolqBO
私にとってのリアルはWEGとClannadしかない。
そして私のレーゾンデートルであるこの二つを愛でることしかできない。
それ故にこの利休が愛でたような簡素なテーゼはアンチテーゼを多く孕んでしまう。
構築されたジンテーゼを崩しては、組み直す作業のお陰で
私のアンチテーゼにはWEG、Clannadに対する憎しみを宿してまう。 辛いのですよ、こうした一連の組み立て作業の内包した罪深さが。
かつてラム・ダスはヒッピー達の聖書「Be Here Now」で行動こそがカルマであると教えを諭されたと言われましたが、私も概ね同意です。
しかしWEGを愛する行為がカルマに繋がるのか? Clannadを愛する行為がカルマに身を業に焼かせることなのか?
WEGの音楽上で生まれる虚構の少女と血の海で戯れることにカルマの応報が用意されているのか? 
切れ切れの中の渚と家庭を育む迷盲が原罪の釘として私に突き刺されるのか? それはすべからく否となるべしなのです。 そうなのです、現実の如何わしい卑劣漢と酷似するあの雌共と乖離することこそが唾棄すべきカルマなのです。
虚構を愛することは現実をやめるということなのです。現実をやめるということは行動を捨てるということなのです。
全てのしがらみを捨てるということなのです。ネミの湖でアリキアの木陰で挙動する緑の王はもう金枝を折り取られる懸念をしなくて良いのです。
それがどれ程素晴らしいことかお分かりでしょう? 「それはすべからく否となるべし。」
嗚呼、いつもこうなのです私の中のマモンが、強欲を司るマモンが私に囁くのです。 「愛するという行為をお前は捨てられていない。」
私の中のマモンは強欲なのです。私のジンテーゼを崩す天性を持っているのです。
私はこれだけ行動を捨てたというのにあいつは、あの業突く張りのドブネズミはまだ足りないと言うのです。
私は骨のような腕を天高く振りまわし訴えます。
私は愛するという行為は直接の行動を伴わない。私はカルマを捨て切った。 奴は笑います。私の一番醜い場所で巣食ってただ笑うのです。 これで全ての組み立てが崩れてしまうのです。
もう疲れました。誰か助けてください。