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名無しさん@お腹いっぱい。:
第4インターに対する闘いは、中核派の「私闘」ではない。三里塚闘争を守り抜くための正義の戦争だった。それは反対同盟の農民の意志そのものだった。
塩川派に勝手に否定されてたまるか。「反対同盟を始めすべての人々に謝罪する」だと。ふざけるな。これほど反対同盟をないがしろにした話があるか。
当時の文字どおり生きるか死ぬかの正念場での三里塚闘争の不可欠の闘いとして第4インターに対するやむにやまれぬ戦闘があったのであり、
そのことを記憶しているすべての人は、塩川派の言動を絶対に許せない。
そもそも、78年のA滑走路暫定開港以後、83年3・8に至る過程で、国家を挙げた反対同盟総条件派化の攻撃が進行した。その先兵となって同盟を分裂
させたのが第4インターだ。「一坪再共有化」を真っ先に触れ回ったのも第4インターだ。
転向し、破産し、崩壊してしまっている第4インターに向かって、どうして今ごろ「自己批判」して頭を下げるのか。自分たちも第4インターに続いて、
反革命の側に身を預けますと権力に誓約したことを意味する。
したがって、この態度表明は、塩川派とは何であるのかということを一瞬にして誰にも分かるようにした決定的なメルクマールである。
この問題をあいまいにしてはならない。すでに塩川派には、この一点で三里塚闘争に関する一切の発言権はないことがはっきりしたのだ