ノイズ 2

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51名無しさん@お腹いっぱい。
統制処分」の脅しに屈服することなく、千葉地本は組合員全員の団結を固め、ついに79年3月30日、
国鉄千葉動力車労働組合(動労千葉)として動労中央からの分離独立を果たした。カクマル松崎一派の
暴力と抑圧に耐えに耐えてきた組合員にとって、血を流してかちとった解放であり、からだを張って貫
いた労農連帯であった。
 今日、塩川派が「動労千葉は分離独立すべきではなかった」などと、原点を否定する暴言を吐いているが、
それは階級的労働運動に対する敵対であり、何よりも三里塚闘争に対する敵対である。動労千葉は労農連帯を
かけて分離独立をかちとったのである。
 日帝国家権力は、78年「開港」の既成事実を突きつけることで、三里塚農民を切り崩そうとした。
あらゆる方策で「話し合い」を追求し、条件派への変質を画策しうごめいたのだ。だが、反対同盟は話
し合い=条件交渉に応じた一部幹部を厳しく処断し、「農地死守・実力闘争」の原則をあらためて確立した。
その原動力となったのが、動労千葉との労農連帯であり、全国全人民の限りない支援と激励であった