185 :
名無しさん@お腹いっぱい。:
国労は、分割・民営化と闘う方針を打ち出せず、「嵐が過ぎるまでタコつぼにこもる」というふざけた方針をとった。
当時の山崎俊一委員長ら国労本部は、「大胆な妥協」を唱え、労使共同宣言の締結などを内容とする「緊急方針」を
提案した。これに対して、人材活用センターに収容された組合員らの怒りが噴出し、86年10月の修善寺大会で
「大胆な妥協」方針は否決され、山崎執行部は総辞職に追い込まれた。だが、この大会で執行部を握った社会主義協会派
や革同もまた、国鉄分割・民営化に立ち向かう闘う方針など持ち合わせてはいなかった。
動労千葉は国鉄分割・民営化に対して唯一、ストライキで立ち向かった。85年7月、中曽根内閣が設置した国鉄
再建監理委員会は、国鉄を7分割するという最終答申を出した。
11・1労働者集会1万人結集に向けて、動労千葉物販をその組織化の武器として駆使しよう。1047名解雇撤回の
原則を不屈に貫く動労千葉の闘いは、絶対に労働者階級を獲得する力を持っている。大恐慌と戦争の時代において、
労働者は今まで以上に1047名の解雇撤回に自らの希望を託している。動労千葉の鮮明な訴えが、そうした労働者の
心に響かないはずがない