1 :
TARO:
2 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/08(水) 20:08:34 ID:EKaFLNVM
2008/10/04(土) 00:35:25 ID:wVxSChrA
頭のおかしな人には気をつけましょう
利用者が増えるに従って、頭のおかしな人もそれなりに出没するようになって来ています。
頭のおかしな人に関わるとなにかと面倒なことが起こる可能性があるので、注意しましょう。
頭のおかしな人の判定基準
・「みんなの意見」「他の人もそう思ってる」など、自分の意見なのに他人もそう思ってると力説する人
他人が自分とは違うという事実が受け入れられない人です。自分の意見が通らないとコピペや荒らしなど
無茶をし始めるので見かけたら放置してください。
・根拠もなく、他人を見下したり、差別したりする人、自分で自分を褒める人
他人を見下すことで自分を慰めようとする人です。実生活で他人に褒めてもらう機会がないが
プライドだけは高いとか、匿名の掲示板しか話し相手のいない人です。可哀想なので放置してください。
・自分の感情だけ書く人
「〜〜がムカツク」とか自分の感情を掲示板に書くことに意味があると思っている人です。
何がどのようにムカツクのか論理的に書いてあれば、他人が読んでも意味のある文章になりますが、
そういった論理的思考の出来ない人です。もうちょっと賢くなるまでは放置してあげてください。
3 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/08(水) 20:10:47 ID:EKaFLNVM
2008/10/04(土) 01:12:40 ID:pR1dK9qD
>>2 そんなに力説して自分を慰めないで下さい。
4 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/08(水) 20:12:19 ID:EKaFLNVM
5 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/08(水) 20:13:04 ID:EKaFLNVM
2008/10/04(土) 10:05:51 ID:ZotR9PZ5
アンドリューチョークの亀頭
6 :
なみたん:2008/10/08(水) 20:14:58 ID:EKaFLNVM
2008/10/05(日) 09:39:49 ID:tC5QUXZN
ワロス。
とりあえず、芸術は悪魔の作品という定義についてどう思われますかな?
性欲の昇華、代替行為でもあると言われてますな。
7 :
なみたん:2008/10/08(水) 20:15:55 ID:EKaFLNVM
2008/10/05(日) 15:10:13 ID:tC5QUXZN
もうねクラシックで本当は音楽は完成されてるのよ。
理論作り始めた頃から人は音楽を支配しようとした、それがすでに負けだ。
だけど昔の偉大な音楽家がいつまでも生きてるわけじゃないから、感銘受けた実力の備わった人が継承してるだけで、その中から好みで好きな演奏家の演奏聴いてるだけじゃないの?
純クラシックなくなったら、最悪だよ。
よく考えよ(笑)
8 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/08(水) 20:16:51 ID:EKaFLNVM
2008/10/05(日) 15:15:07 ID:tC5QUXZN
学歴を積んだ高名な演奏家に教授してもらって何が悪いの?
高額だろうが何だろうが受ける奴らが望んで払ってるんだから
問題ないだろう
学歴も歴史も浅い電気音で
喜んでる奴らはメデタイな。
9 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/08(水) 20:17:54 ID:EKaFLNVM
2008/10/06(月) 14:31:02 ID:eEmFsV95
>>8の最後二行で単なる旧弊な教養主義者という馬脚を現した
10 :
醜いアヒルの子:2008/10/08(水) 20:18:55 ID:EKaFLNVM
2008/10/06(月) 20:18:21 ID:0zYvc4ym
でも本当に海外に遥々演奏習いに行く意味って何なのかな?
ドイツが数多くの作曲家を排出した事からなんですかね?
ましてや今の時代教習DVDとか色んな方法で地域性に依存する必要性はもはや
なくなって来てるのに、やはりドイツに対する信仰心と逃亡の精神なんでしょうか。
11 :
TARO:
2008/10/06(月) 21:29:18 ID:fgBVDUyt
カラヤン(ヘルベルト・フォン・カラヤン)はドイツナチス政権の
権力によって名を広げ、ナチスの党員でもあり国家犯罪に
加担した犯罪者でした。アドルフ・ヒトラー総統主催の
第九演奏会の指揮を務め、ヒトラーから「君は神の道具だ」と絶賛された。
音楽が政治に利用され、またその事を受け入れたカラヤンの意志は
彼が作曲家でない、精神を重んじない彼自身の「棒振り」と言う
ポジションから由来するものでした。音楽は常に個人の精神から
生まれ、集団性の権威から生まれる物ではありません。
音楽は各々の作曲家の日々の精神活動から産まれた「日記」の様に
素朴で自己完結したものであり、集団性とは無縁の「精神の結晶」
の宝石なのです。クラシック音楽その物は消滅する事無く
楽譜で残されて居る様にその精神はデータとして受け継がれ
集団性から成る結社や演奏形態に依存する事無くクラシック音楽
そもそもの精神である個人に回帰する事になります。
現代の最新テクノロジーの力とバッハやべトーヴェン、モーツァルトが
出会っていれば集団性から成る人間と演奏形態に依存する事は
無かったでしょう。シーケンサーでの演奏法確立によって集団から
成るクラシック音楽奏法が幻想であり、音楽は個人の作曲家の
精神による発露である事が証明されました。今後テクノロジーは益々
進化し、その事実が如実化して行きます。