ホーリースピリット

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 理想論なら誰でも書ける、誰でも彼でもが理想論を書かないのは
理想を知らないからではない、知らないから書けないのではない。
ささやかな良心、恥じらいの心がブレーキを掛けるからである。
そして、一応の教養ある人物ならこの程度の理想論的意見は誰でも
常識的に持っている、今更若輩の自分が言うまでもないことという
暗黙の意識が芽生えるからだ。
心に現実の自分の姿、説いている理想論とはあまりにもかけ離れた
現実の自分、その姿を心に見るから書けなくなるのだ。
ちゃらちゃとした理想論を臆面もなく展開する君をみても、少しも
羨ましいとは思わない。
それどころか、自己概念が著しく低い人物か、あるいはまた、この程度の
理想論を得々として語る君は、暗い部屋に差し込む一条の光に感動した、
光というものを今始めて知った、光を知らない世界の住人か、または、
相手を余程の低レベルとみなしている高慢ちきな人物か、そういう
感想を抱いてしまうのである。