【東日本大震災】 火事場泥棒を晒し続けるスレ

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6K5 ◆ZrPJFvslEyUG
ネットイナゴ=悪霊の本質(スウェデンボルグの解説から抜粋)

悪霊は、善とは何かを理解している。 しかし、悪とは何かをまったく理解していない。
彼らは、霊にも人間にもさまざまな悪事をするが、それが悪事だとはまったく思っていないのだ。 なぜなら、彼らは悪なるものが存在していることさえ気づいていないからだ。
彼らは善とは何かを知っていると言ったが、彼らの善とは、実は悪なのだ。
たとえば、他人を支配するのが好きだとか、他人の嘆きを見て喜ぶといった心情を、 霊になっても浄化しきれていない霊がある。その霊にとっては、他の霊や人間を苦しめることは嬉しいこと、喜ばしいことである。
そして、自分にとって嬉しいこと、喜ばしいことが、彼らの善なのだ。
彼らの中では善悪が逆転している。 このような形で善を理解している彼らに、悪などは当然存在しないことになる。 人間を苦しめることは、彼らにとっては嬉しいこと、喜ばしいことであり、 それが彼らの善なのであって、悪ではないのである。

この世にいろいろなタイプの悪人がいるのと 同様に、悪霊にもいろいろなタイプがある。
なかでも、もっとも凶悪で、大きな不幸や災難、苦しみを人間に与えるのは、 復讐の悪霊というべきタイプである。
この世の人間に対して復讐の念を 燃やす悪霊は実に多い。
復讐心は、普通の人間の世界では、公然と口にしたり、行動に移したりするのは許されていない。
それだけに、人間だったときの彼らの心の中に積もり 積もって、それが霊界に行っても浄化されないためかもしれない。 彼らは復讐のことを“喜び”と呼んでいるくらいだ。

彼らに見舞われた人間は 不幸のどん底に落とされる。彼らはさまざまな手を使って復讐の喜びを果たすが、 対象にした人間をひどい病気にして、その身体を破壊するぐらいでは 満足しない。
その人間の心まで狂わせて、愚行や悪行を行なわせる。 彼らは悪のテクニックにも長けているので、最初は善霊のような顔をして 近づいてくる。
私も、善霊だと思ってつき合っていた霊が復讐の霊だったと 知ったときには、彼らの詐術の巧みさにびっくりした経験がある。
霊の世界で聞いたところでは、彼らは集団をつくって行動しているという。
復讐の念に燃える悪霊は数えきれないほどいる。
だから彼らは、自分たちだけの団体をつくっているというわけだ。
彼らの団体の内部統制はしっかりしていて、同じ団体の者どうしでは互いに 傷つけ合うことはないのだという。
悪霊の特徴は、さまざまなテクニックを使うことである。
悪霊がやってくるときには、地獄の光景とでもいうべき恐ろしいビジョンが 見えてきたりする。
しかし、これは比較的単純な悪霊の場合で、たいていは少し悪知恵があり、 美しいビジョンを見せて人間を誘う。
(略)
悪霊はこのほかにも、恐怖のビジョンを自在につくり出して、恐怖に おののかせたあとで、自分の思うとおりに人間を操ろうとする。
また、恐怖だけでなく、人の心をかき乱すことで人間を不安にしたり、 逆に信じ込ませて安心させたりして、人間を自由に操ろうとする。
彼らはそれを、類いまれな演技力や創作能力を使って行なう。
彼らの演技力や創作能力には、どんな名優も劇作家もかなうものではない。 彼らは人間にはない才能を持っているからだ。
彼らの演技力や創作能力の中でも、特に目立つのはウソやでっち上げを 自由自在に行なうことである。
彼らは、あることないことをまことしやかに でっち上げ、それを真実らしく語る
7K5 ◆ZrPJFvslEyUG :2011/04/10(日) 11:52:58.14 ID:5WRxwTx7
ネットイナゴ=悪霊の本質(スウェデンボルグの解説から抜粋)

悪霊は、善とは何かを理解している。 しかし、悪とは何かをまったく理解していない。
彼らは、霊にも人間にもさまざまな悪事をするが、それが悪事だとはまったく思っていないのだ。 なぜなら、彼らは悪なるものが存在していることさえ気づいていないからだ。
彼らは善とは何かを知っていると言ったが、彼らの善とは、実は悪なのだ。
たとえば、他人を支配するのが好きだとか、他人の嘆きを見て喜ぶといった心情を、 霊になっても浄化しきれていない霊がある。その霊にとっては、他の霊や人間を苦しめることは嬉しいこと、喜ばしいことである。
そして、自分にとって嬉しいこと、喜ばしいことが、彼らの善なのだ。
彼らの中では善悪が逆転している。 このような形で善を理解している彼らに、悪などは当然存在しないことになる。 人間を苦しめることは、彼らにとっては嬉しいこと、喜ばしいことであり、 それが彼らの善なのであって、悪ではないのである。

この世にいろいろなタイプの悪人がいるのと 同様に、悪霊にもいろいろなタイプがある。
なかでも、もっとも凶悪で、大きな不幸や災難、苦しみを人間に与えるのは、 復讐の悪霊というべきタイプである。
この世の人間に対して復讐の念を 燃やす悪霊は実に多い。
復讐心は、普通の人間の世界では、公然と口にしたり、行動に移したりするのは許されていない。
それだけに、人間だったときの彼らの心の中に積もり 積もって、それが霊界に行っても浄化されないためかもしれない。 彼らは復讐のことを“喜び”と呼んでいるくらいだ。

彼らに見舞われた人間は 不幸のどん底に落とされる。彼らはさまざまな手を使って復讐の喜びを果たすが、 対象にした人間をひどい病気にして、その身体を破壊するぐらいでは 満足しない。
その人間の心まで狂わせて、愚行や悪行を行なわせる。 彼らは悪のテクニックにも長けているので、最初は善霊のような顔をして 近づいてくる。
私も、善霊だと思ってつき合っていた霊が復讐の霊だったと 知ったときには、彼らの詐術の巧みさにびっくりした経験がある。
霊の世界で聞いたところでは、彼らは集団をつくって行動しているという。
復讐の念に燃える悪霊は数えきれないほどいる。
だから彼らは、自分たちだけの団体をつくっているというわけだ。
彼らの団体の内部統制はしっかりしていて、同じ団体の者どうしでは互いに 傷つけ合うことはないのだという。
悪霊の特徴は、さまざまなテクニックを使うことである。
悪霊がやってくるときには、地獄の光景とでもいうべき恐ろしいビジョンが 見えてきたりする。
しかし、これは比較的単純な悪霊の場合で、たいていは少し悪知恵があり、 美しいビジョンを見せて人間を誘う。
(略)
悪霊はこのほかにも、恐怖のビジョンを自在につくり出して、恐怖に おののかせたあとで、自分の思うとおりに人間を操ろうとする。
また、恐怖だけでなく、人の心をかき乱すことで人間を不安にしたり、 逆に信じ込ませて安心させたりして、人間を自由に操ろうとする。
彼らはそれを、類いまれな演技力や創作能力を使って行なう。
彼らの演技力や創作能力には、どんな名優も劇作家もかなうものではない。 彼らは人間にはない才能を持っているからだ。
彼らの演技力や創作能力の中でも、特に目立つのはウソやでっち上げを 自由自在に行なうことである。
彼らは、あることないことをまことしやかに でっち上げ、それを真実らしく語る
8K5 ◆ZrPJFvslEyUG :2011/04/10(日) 11:55:00.14 ID:5WRxwTx7
ネットイナゴ=悪霊の本質(スウェデンボルグの解説から抜粋)

悪霊は、善とは何かを理解している。 しかし、悪とは何かをまったく理解していない。
彼らは、霊にも人間にもさまざまな悪事をするが、それが悪事だとはまったく思っていないのだ。 なぜなら、彼らは悪なるものが存在していることさえ気づいていないからだ。
彼らは善とは何かを知っていると言ったが、彼らの善とは、実は悪なのだ。
たとえば、他人を支配するのが好きだとか、他人の嘆きを見て喜ぶといった心情を、 霊になっても浄化しきれていない霊がある。その霊にとっては、他の霊や人間を苦しめることは嬉しいこと、喜ばしいことである。
そして、自分にとって嬉しいこと、喜ばしいことが、彼らの善なのだ。
彼らの中では善悪が逆転している。 このような形で善を理解している彼らに、悪などは当然存在しないことになる。 人間を苦しめることは、彼らにとっては嬉しいこと、喜ばしいことであり、 それが彼らの善なのであって、悪ではないのである。

この世にいろいろなタイプの悪人がいるのと 同様に、悪霊にもいろいろなタイプがある。
なかでも、もっとも凶悪で、大きな不幸や災難、苦しみを人間に与えるのは、 復讐の悪霊というべきタイプである。
この世の人間に対して復讐の念を 燃やす悪霊は実に多い。
復讐心は、普通の人間の世界では、公然と口にしたり、行動に移したりするのは許されていない。
それだけに、人間だったときの彼らの心の中に積もり 積もって、それが霊界に行っても浄化されないためかもしれない。 彼らは復讐のことを“喜び”と呼んでいるくらいだ。

彼らに見舞われた人間は 不幸のどん底に落とされる。彼らはさまざまな手を使って復讐の喜びを果たすが、 対象にした人間をひどい病気にして、その身体を破壊するぐらいでは 満足しない。
その人間の心まで狂わせて、愚行や悪行を行なわせる。 彼らは悪のテクニックにも長けているので、最初は善霊のような顔をして 近づいてくる。
私も、善霊だと思ってつき合っていた霊が復讐の霊だったと 知ったときには、彼らの詐術の巧みさにびっくりした経験がある。
霊の世界で聞いたところでは、彼らは集団をつくって行動しているという。
復讐の念に燃える悪霊は数えきれないほどいる。
だから彼らは、自分たちだけの団体をつくっているというわけだ。
彼らの団体の内部統制はしっかりしていて、同じ団体の者どうしでは互いに 傷つけ合うことはないのだという。
悪霊の特徴は、さまざまなテクニックを使うことである。
悪霊がやってくるときには、地獄の光景とでもいうべき恐ろしいビジョンが 見えてきたりする。
しかし、これは比較的単純な悪霊の場合で、たいていは少し悪知恵があり、 美しいビジョンを見せて人間を誘う。
(略)
悪霊はこのほかにも、恐怖のビジョンを自在につくり出して、恐怖に おののかせたあとで、自分の思うとおりに人間を操ろうとする。
また、恐怖だけでなく、人の心をかき乱すことで人間を不安にしたり、 逆に信じ込ませて安心させたりして、人間を自由に操ろうとする。
彼らはそれを、類いまれな演技力や創作能力を使って行なう。
彼らの演技力や創作能力には、どんな名優も劇作家もかなうものではない。 彼らは人間にはない才能を持っているからだ。
彼らの演技力や創作能力の中でも、特に目立つのはウソやでっち上げを 自由自在に行なうことである。
彼らは、あることないことをまことしやかに でっち上げ、それを真実らしく語る
9K5 ◆ZrPJFvslEyUG :2011/04/10(日) 11:57:01.65 ID:5WRxwTx7
ネットイナゴ=悪霊の本質(スウェデンボルグの解説から抜粋)

悪霊は、善とは何かを理解している。 しかし、悪とは何かをまったく理解していない。
彼らは、霊にも人間にもさまざまな悪事をするが、それが悪事だとはまったく思っていないのだ。 なぜなら、彼らは悪なるものが存在していることさえ気づいていないからだ。
彼らは善とは何かを知っていると言ったが、彼らの善とは、実は悪なのだ。
たとえば、他人を支配するのが好きだとか、他人の嘆きを見て喜ぶといった心情を、 霊になっても浄化しきれていない霊がある。その霊にとっては、他の霊や人間を苦しめることは嬉しいこと、喜ばしいことである。
そして、自分にとって嬉しいこと、喜ばしいことが、彼らの善なのだ。
彼らの中では善悪が逆転している。 このような形で善を理解している彼らに、悪などは当然存在しないことになる。 人間を苦しめることは、彼らにとっては嬉しいこと、喜ばしいことであり、 それが彼らの善なのであって、悪ではないのである。

この世にいろいろなタイプの悪人がいるのと 同様に、悪霊にもいろいろなタイプがある。
なかでも、もっとも凶悪で、大きな不幸や災難、苦しみを人間に与えるのは、 復讐の悪霊というべきタイプである。
この世の人間に対して復讐の念を 燃やす悪霊は実に多い。
復讐心は、普通の人間の世界では、公然と口にしたり、行動に移したりするのは許されていない。
それだけに、人間だったときの彼らの心の中に積もり 積もって、それが霊界に行っても浄化されないためかもしれない。 彼らは復讐のことを“喜び”と呼んでいるくらいだ。

彼らに見舞われた人間は 不幸のどん底に落とされる。彼らはさまざまな手を使って復讐の喜びを果たすが、 対象にした人間をひどい病気にして、その身体を破壊するぐらいでは 満足しない。
その人間の心まで狂わせて、愚行や悪行を行なわせる。 彼らは悪のテクニックにも長けているので、最初は善霊のような顔をして 近づいてくる。
私も、善霊だと思ってつき合っていた霊が復讐の霊だったと 知ったときには、彼らの詐術の巧みさにびっくりした経験がある。
霊の世界で聞いたところでは、彼らは集団をつくって行動しているという。
復讐の念に燃える悪霊は数えきれないほどいる。
だから彼らは、自分たちだけの団体をつくっているというわけだ。
彼らの団体の内部統制はしっかりしていて、同じ団体の者どうしでは互いに 傷つけ合うことはないのだという。
悪霊の特徴は、さまざまなテクニックを使うことである。
悪霊がやってくるときには、地獄の光景とでもいうべき恐ろしいビジョンが 見えてきたりする。
しかし、これは比較的単純な悪霊の場合で、たいていは少し悪知恵があり、 美しいビジョンを見せて人間を誘う。
(略)
悪霊はこのほかにも、恐怖のビジョンを自在につくり出して、恐怖に おののかせたあとで、自分の思うとおりに人間を操ろうとする。
また、恐怖だけでなく、人の心をかき乱すことで人間を不安にしたり、 逆に信じ込ませて安心させたりして、人間を自由に操ろうとする。
彼らはそれを、類いまれな演技力や創作能力を使って行なう。
彼らの演技力や創作能力には、どんな名優も劇作家もかなうものではない。 彼らは人間にはない才能を持っているからだ。
彼らの演技力や創作能力の中でも、特に目立つのはウソやでっち上げを 自由自在に行なうことである。
彼らは、あることないことをまことしやかに でっち上げ、それを真実らしく語る
10K5 ◆ZrPJFvslEyUG :2011/04/10(日) 11:59:03.47 ID:5WRxwTx7
ネットイナゴ=悪霊の本質(スウェデンボルグの解説から抜粋)

悪霊は、善とは何かを理解している。 しかし、悪とは何かをまったく理解していない。
彼らは、霊にも人間にもさまざまな悪事をするが、それが悪事だとはまったく思っていないのだ。 なぜなら、彼らは悪なるものが存在していることさえ気づいていないからだ。
彼らは善とは何かを知っていると言ったが、彼らの善とは、実は悪なのだ。
たとえば、他人を支配するのが好きだとか、他人の嘆きを見て喜ぶといった心情を、 霊になっても浄化しきれていない霊がある。その霊にとっては、他の霊や人間を苦しめることは嬉しいこと、喜ばしいことである。
そして、自分にとって嬉しいこと、喜ばしいことが、彼らの善なのだ。
彼らの中では善悪が逆転している。 このような形で善を理解している彼らに、悪などは当然存在しないことになる。 人間を苦しめることは、彼らにとっては嬉しいこと、喜ばしいことであり、 それが彼らの善なのであって、悪ではないのである。

この世にいろいろなタイプの悪人がいるのと 同様に、悪霊にもいろいろなタイプがある。
なかでも、もっとも凶悪で、大きな不幸や災難、苦しみを人間に与えるのは、 復讐の悪霊というべきタイプである。
この世の人間に対して復讐の念を 燃やす悪霊は実に多い。
復讐心は、普通の人間の世界では、公然と口にしたり、行動に移したりするのは許されていない。
それだけに、人間だったときの彼らの心の中に積もり 積もって、それが霊界に行っても浄化されないためかもしれない。 彼らは復讐のことを“喜び”と呼んでいるくらいだ。

彼らに見舞われた人間は 不幸のどん底に落とされる。彼らはさまざまな手を使って復讐の喜びを果たすが、 対象にした人間をひどい病気にして、その身体を破壊するぐらいでは 満足しない。
その人間の心まで狂わせて、愚行や悪行を行なわせる。 彼らは悪のテクニックにも長けているので、最初は善霊のような顔をして 近づいてくる。
私も、善霊だと思ってつき合っていた霊が復讐の霊だったと 知ったときには、彼らの詐術の巧みさにびっくりした経験がある。
霊の世界で聞いたところでは、彼らは集団をつくって行動しているという。
復讐の念に燃える悪霊は数えきれないほどいる。
だから彼らは、自分たちだけの団体をつくっているというわけだ。
彼らの団体の内部統制はしっかりしていて、同じ団体の者どうしでは互いに 傷つけ合うことはないのだという。
悪霊の特徴は、さまざまなテクニックを使うことである。
悪霊がやってくるときには、地獄の光景とでもいうべき恐ろしいビジョンが 見えてきたりする。
しかし、これは比較的単純な悪霊の場合で、たいていは少し悪知恵があり、 美しいビジョンを見せて人間を誘う。
(略)
悪霊はこのほかにも、恐怖のビジョンを自在につくり出して、恐怖に おののかせたあとで、自分の思うとおりに人間を操ろうとする。
また、恐怖だけでなく、人の心をかき乱すことで人間を不安にしたり、 逆に信じ込ませて安心させたりして、人間を自由に操ろうとする。
彼らはそれを、類いまれな演技力や創作能力を使って行なう。
彼らの演技力や創作能力には、どんな名優も劇作家もかなうものではない。 彼らは人間にはない才能を持っているからだ。
彼らの演技力や創作能力の中でも、特に目立つのはウソやでっち上げを 自由自在に行なうことである。
彼らは、あることないことをまことしやかに でっち上げ、それを真実らしく語る
11K5 ◆ZrPJFvslEyUG :2011/04/10(日) 12:01:06.19 ID:5WRxwTx7
ネットイナゴ=悪霊の本質(スウェデンボルグの解説から抜粋)

悪霊は、善とは何かを理解している。 しかし、悪とは何かをまったく理解していない。
彼らは、霊にも人間にもさまざまな悪事をするが、それが悪事だとはまったく思っていないのだ。 なぜなら、彼らは悪なるものが存在していることさえ気づいていないからだ。
彼らは善とは何かを知っていると言ったが、彼らの善とは、実は悪なのだ。
たとえば、他人を支配するのが好きだとか、他人の嘆きを見て喜ぶといった心情を、 霊になっても浄化しきれていない霊がある。その霊にとっては、他の霊や人間を苦しめることは嬉しいこと、喜ばしいことである。
そして、自分にとって嬉しいこと、喜ばしいことが、彼らの善なのだ。
彼らの中では善悪が逆転している。 このような形で善を理解している彼らに、悪などは当然存在しないことになる。 人間を苦しめることは、彼らにとっては嬉しいこと、喜ばしいことであり、 それが彼らの善なのであって、悪ではないのである。

この世にいろいろなタイプの悪人がいるのと 同様に、悪霊にもいろいろなタイプがある。
なかでも、もっとも凶悪で、大きな不幸や災難、苦しみを人間に与えるのは、 復讐の悪霊というべきタイプである。
この世の人間に対して復讐の念を 燃やす悪霊は実に多い。
復讐心は、普通の人間の世界では、公然と口にしたり、行動に移したりするのは許されていない。
それだけに、人間だったときの彼らの心の中に積もり 積もって、それが霊界に行っても浄化されないためかもしれない。 彼らは復讐のことを“喜び”と呼んでいるくらいだ。

彼らに見舞われた人間は 不幸のどん底に落とされる。彼らはさまざまな手を使って復讐の喜びを果たすが、 対象にした人間をひどい病気にして、その身体を破壊するぐらいでは 満足しない。
その人間の心まで狂わせて、愚行や悪行を行なわせる。 彼らは悪のテクニックにも長けているので、最初は善霊のような顔をして 近づいてくる。
私も、善霊だと思ってつき合っていた霊が復讐の霊だったと 知ったときには、彼らの詐術の巧みさにびっくりした経験がある。
霊の世界で聞いたところでは、彼らは集団をつくって行動しているという。
復讐の念に燃える悪霊は数えきれないほどいる。
だから彼らは、自分たちだけの団体をつくっているというわけだ。
彼らの団体の内部統制はしっかりしていて、同じ団体の者どうしでは互いに 傷つけ合うことはないのだという。
悪霊の特徴は、さまざまなテクニックを使うことである。
悪霊がやってくるときには、地獄の光景とでもいうべき恐ろしいビジョンが 見えてきたりする。
しかし、これは比較的単純な悪霊の場合で、たいていは少し悪知恵があり、 美しいビジョンを見せて人間を誘う。
(略)
悪霊はこのほかにも、恐怖のビジョンを自在につくり出して、恐怖に おののかせたあとで、自分の思うとおりに人間を操ろうとする。
また、恐怖だけでなく、人の心をかき乱すことで人間を不安にしたり、 逆に信じ込ませて安心させたりして、人間を自由に操ろうとする。
彼らはそれを、類いまれな演技力や創作能力を使って行なう。
彼らの演技力や創作能力には、どんな名優も劇作家もかなうものではない。 彼らは人間にはない才能を持っているからだ。
彼らの演技力や創作能力の中でも、特に目立つのはウソやでっち上げを 自由自在に行なうことである。
彼らは、あることないことをまことしやかに でっち上げ、それを真実らしく語る
12K5 ◆ZrPJFvslEyUG :2011/04/10(日) 12:03:07.40 ID:5WRxwTx7
ネットイナゴ=悪霊の本質(スウェデンボルグの解説から抜粋)

悪霊は、善とは何かを理解している。 しかし、悪とは何かをまったく理解していない。
彼らは、霊にも人間にもさまざまな悪事をするが、それが悪事だとはまったく思っていないのだ。 なぜなら、彼らは悪なるものが存在していることさえ気づいていないからだ。
彼らは善とは何かを知っていると言ったが、彼らの善とは、実は悪なのだ。
たとえば、他人を支配するのが好きだとか、他人の嘆きを見て喜ぶといった心情を、 霊になっても浄化しきれていない霊がある。その霊にとっては、他の霊や人間を苦しめることは嬉しいこと、喜ばしいことである。
そして、自分にとって嬉しいこと、喜ばしいことが、彼らの善なのだ。
彼らの中では善悪が逆転している。 このような形で善を理解している彼らに、悪などは当然存在しないことになる。 人間を苦しめることは、彼らにとっては嬉しいこと、喜ばしいことであり、 それが彼らの善なのであって、悪ではないのである。

この世にいろいろなタイプの悪人がいるのと 同様に、悪霊にもいろいろなタイプがある。
なかでも、もっとも凶悪で、大きな不幸や災難、苦しみを人間に与えるのは、 復讐の悪霊というべきタイプである。
この世の人間に対して復讐の念を 燃やす悪霊は実に多い。
復讐心は、普通の人間の世界では、公然と口にしたり、行動に移したりするのは許されていない。
それだけに、人間だったときの彼らの心の中に積もり 積もって、それが霊界に行っても浄化されないためかもしれない。 彼らは復讐のことを“喜び”と呼んでいるくらいだ。

彼らに見舞われた人間は 不幸のどん底に落とされる。彼らはさまざまな手を使って復讐の喜びを果たすが、 対象にした人間をひどい病気にして、その身体を破壊するぐらいでは 満足しない。
その人間の心まで狂わせて、愚行や悪行を行なわせる。 彼らは悪のテクニックにも長けているので、最初は善霊のような顔をして 近づいてくる。
私も、善霊だと思ってつき合っていた霊が復讐の霊だったと 知ったときには、彼らの詐術の巧みさにびっくりした経験がある。
霊の世界で聞いたところでは、彼らは集団をつくって行動しているという。
復讐の念に燃える悪霊は数えきれないほどいる。
だから彼らは、自分たちだけの団体をつくっているというわけだ。
彼らの団体の内部統制はしっかりしていて、同じ団体の者どうしでは互いに 傷つけ合うことはないのだという。
悪霊の特徴は、さまざまなテクニックを使うことである。
悪霊がやってくるときには、地獄の光景とでもいうべき恐ろしいビジョンが 見えてきたりする。
しかし、これは比較的単純な悪霊の場合で、たいていは少し悪知恵があり、 美しいビジョンを見せて人間を誘う。
(略)
悪霊はこのほかにも、恐怖のビジョンを自在につくり出して、恐怖に おののかせたあとで、自分の思うとおりに人間を操ろうとする。
また、恐怖だけでなく、人の心をかき乱すことで人間を不安にしたり、 逆に信じ込ませて安心させたりして、人間を自由に操ろうとする。
彼らはそれを、類いまれな演技力や創作能力を使って行なう。
彼らの演技力や創作能力には、どんな名優も劇作家もかなうものではない。 彼らは人間にはない才能を持っているからだ。
彼らの演技力や創作能力の中でも、特に目立つのはウソやでっち上げを 自由自在に行なうことである。
彼らは、あることないことをまことしやかに でっち上げ、それを真実らしく語る
13K5 ◆ZrPJFvslEyUG :2011/04/10(日) 12:05:08.95 ID:5WRxwTx7
ネットイナゴ=悪霊の本質(スウェデンボルグの解説から抜粋)

悪霊は、善とは何かを理解している。 しかし、悪とは何かをまったく理解していない。
彼らは、霊にも人間にもさまざまな悪事をするが、それが悪事だとはまったく思っていないのだ。 なぜなら、彼らは悪なるものが存在していることさえ気づいていないからだ。
彼らは善とは何かを知っていると言ったが、彼らの善とは、実は悪なのだ。
たとえば、他人を支配するのが好きだとか、他人の嘆きを見て喜ぶといった心情を、 霊になっても浄化しきれていない霊がある。その霊にとっては、他の霊や人間を苦しめることは嬉しいこと、喜ばしいことである。
そして、自分にとって嬉しいこと、喜ばしいことが、彼らの善なのだ。
彼らの中では善悪が逆転している。 このような形で善を理解している彼らに、悪などは当然存在しないことになる。 人間を苦しめることは、彼らにとっては嬉しいこと、喜ばしいことであり、 それが彼らの善なのであって、悪ではないのである。

この世にいろいろなタイプの悪人がいるのと 同様に、悪霊にもいろいろなタイプがある。
なかでも、もっとも凶悪で、大きな不幸や災難、苦しみを人間に与えるのは、 復讐の悪霊というべきタイプである。
この世の人間に対して復讐の念を 燃やす悪霊は実に多い。
復讐心は、普通の人間の世界では、公然と口にしたり、行動に移したりするのは許されていない。
それだけに、人間だったときの彼らの心の中に積もり 積もって、それが霊界に行っても浄化されないためかもしれない。 彼らは復讐のことを“喜び”と呼んでいるくらいだ。

彼らに見舞われた人間は 不幸のどん底に落とされる。彼らはさまざまな手を使って復讐の喜びを果たすが、 対象にした人間をひどい病気にして、その身体を破壊するぐらいでは 満足しない。
その人間の心まで狂わせて、愚行や悪行を行なわせる。 彼らは悪のテクニックにも長けているので、最初は善霊のような顔をして 近づいてくる。
私も、善霊だと思ってつき合っていた霊が復讐の霊だったと 知ったときには、彼らの詐術の巧みさにびっくりした経験がある。
霊の世界で聞いたところでは、彼らは集団をつくって行動しているという。
復讐の念に燃える悪霊は数えきれないほどいる。
だから彼らは、自分たちだけの団体をつくっているというわけだ。
彼らの団体の内部統制はしっかりしていて、同じ団体の者どうしでは互いに 傷つけ合うことはないのだという。
悪霊の特徴は、さまざまなテクニックを使うことである。
悪霊がやってくるときには、地獄の光景とでもいうべき恐ろしいビジョンが 見えてきたりする。
しかし、これは比較的単純な悪霊の場合で、たいていは少し悪知恵があり、 美しいビジョンを見せて人間を誘う。
(略)
悪霊はこのほかにも、恐怖のビジョンを自在につくり出して、恐怖に おののかせたあとで、自分の思うとおりに人間を操ろうとする。
また、恐怖だけでなく、人の心をかき乱すことで人間を不安にしたり、 逆に信じ込ませて安心させたりして、人間を自由に操ろうとする。
彼らはそれを、類いまれな演技力や創作能力を使って行なう。
彼らの演技力や創作能力には、どんな名優も劇作家もかなうものではない。 彼らは人間にはない才能を持っているからだ。
彼らの演技力や創作能力の中でも、特に目立つのはウソやでっち上げを 自由自在に行なうことである。
彼らは、あることないことをまことしやかに でっち上げ、それを真実らしく語る
14K5 ◆ZrPJFvslEyUG :2011/04/10(日) 12:07:10.76 ID:5WRxwTx7
ネットイナゴ=悪霊の本質(スウェデンボルグの解説から抜粋)

悪霊は、善とは何かを理解している。 しかし、悪とは何かをまったく理解していない。
彼らは、霊にも人間にもさまざまな悪事をするが、それが悪事だとはまったく思っていないのだ。 なぜなら、彼らは悪なるものが存在していることさえ気づいていないからだ。
彼らは善とは何かを知っていると言ったが、彼らの善とは、実は悪なのだ。
たとえば、他人を支配するのが好きだとか、他人の嘆きを見て喜ぶといった心情を、 霊になっても浄化しきれていない霊がある。その霊にとっては、他の霊や人間を苦しめることは嬉しいこと、喜ばしいことである。
そして、自分にとって嬉しいこと、喜ばしいことが、彼らの善なのだ。
彼らの中では善悪が逆転している。 このような形で善を理解している彼らに、悪などは当然存在しないことになる。 人間を苦しめることは、彼らにとっては嬉しいこと、喜ばしいことであり、 それが彼らの善なのであって、悪ではないのである。

この世にいろいろなタイプの悪人がいるのと 同様に、悪霊にもいろいろなタイプがある。
なかでも、もっとも凶悪で、大きな不幸や災難、苦しみを人間に与えるのは、 復讐の悪霊というべきタイプである。
この世の人間に対して復讐の念を 燃やす悪霊は実に多い。
復讐心は、普通の人間の世界では、公然と口にしたり、行動に移したりするのは許されていない。
それだけに、人間だったときの彼らの心の中に積もり 積もって、それが霊界に行っても浄化されないためかもしれない。 彼らは復讐のことを“喜び”と呼んでいるくらいだ。

彼らに見舞われた人間は 不幸のどん底に落とされる。彼らはさまざまな手を使って復讐の喜びを果たすが、 対象にした人間をひどい病気にして、その身体を破壊するぐらいでは 満足しない。
その人間の心まで狂わせて、愚行や悪行を行なわせる。 彼らは悪のテクニックにも長けているので、最初は善霊のような顔をして 近づいてくる。
私も、善霊だと思ってつき合っていた霊が復讐の霊だったと 知ったときには、彼らの詐術の巧みさにびっくりした経験がある。
霊の世界で聞いたところでは、彼らは集団をつくって行動しているという。
復讐の念に燃える悪霊は数えきれないほどいる。
だから彼らは、自分たちだけの団体をつくっているというわけだ。
彼らの団体の内部統制はしっかりしていて、同じ団体の者どうしでは互いに 傷つけ合うことはないのだという。
悪霊の特徴は、さまざまなテクニックを使うことである。
悪霊がやってくるときには、地獄の光景とでもいうべき恐ろしいビジョンが 見えてきたりする。
しかし、これは比較的単純な悪霊の場合で、たいていは少し悪知恵があり、 美しいビジョンを見せて人間を誘う。
(略)
悪霊はこのほかにも、恐怖のビジョンを自在につくり出して、恐怖に おののかせたあとで、自分の思うとおりに人間を操ろうとする。
また、恐怖だけでなく、人の心をかき乱すことで人間を不安にしたり、 逆に信じ込ませて安心させたりして、人間を自由に操ろうとする。
彼らはそれを、類いまれな演技力や創作能力を使って行なう。
彼らの演技力や創作能力には、どんな名優も劇作家もかなうものではない。 彼らは人間にはない才能を持っているからだ。
彼らの演技力や創作能力の中でも、特に目立つのはウソやでっち上げを 自由自在に行なうことである。
彼らは、あることないことをまことしやかに でっち上げ、それを真実らしく語る
15K5 ◆ZrPJFvslEyUG :2011/04/10(日) 12:09:12.77 ID:5WRxwTx7
ネットイナゴ=悪霊の本質(スウェデンボルグの解説から抜粋)

悪霊は、善とは何かを理解している。 しかし、悪とは何かをまったく理解していない。
彼らは、霊にも人間にもさまざまな悪事をするが、それが悪事だとはまったく思っていないのだ。 なぜなら、彼らは悪なるものが存在していることさえ気づいていないからだ。
彼らは善とは何かを知っていると言ったが、彼らの善とは、実は悪なのだ。
たとえば、他人を支配するのが好きだとか、他人の嘆きを見て喜ぶといった心情を、 霊になっても浄化しきれていない霊がある。その霊にとっては、他の霊や人間を苦しめることは嬉しいこと、喜ばしいことである。
そして、自分にとって嬉しいこと、喜ばしいことが、彼らの善なのだ。
彼らの中では善悪が逆転している。 このような形で善を理解している彼らに、悪などは当然存在しないことになる。 人間を苦しめることは、彼らにとっては嬉しいこと、喜ばしいことであり、 それが彼らの善なのであって、悪ではないのである。

この世にいろいろなタイプの悪人がいるのと 同様に、悪霊にもいろいろなタイプがある。
なかでも、もっとも凶悪で、大きな不幸や災難、苦しみを人間に与えるのは、 復讐の悪霊というべきタイプである。
この世の人間に対して復讐の念を 燃やす悪霊は実に多い。
復讐心は、普通の人間の世界では、公然と口にしたり、行動に移したりするのは許されていない。
それだけに、人間だったときの彼らの心の中に積もり 積もって、それが霊界に行っても浄化されないためかもしれない。 彼らは復讐のことを“喜び”と呼んでいるくらいだ。

彼らに見舞われた人間は 不幸のどん底に落とされる。彼らはさまざまな手を使って復讐の喜びを果たすが、 対象にした人間をひどい病気にして、その身体を破壊するぐらいでは 満足しない。
その人間の心まで狂わせて、愚行や悪行を行なわせる。 彼らは悪のテクニックにも長けているので、最初は善霊のような顔をして 近づいてくる。
私も、善霊だと思ってつき合っていた霊が復讐の霊だったと 知ったときには、彼らの詐術の巧みさにびっくりした経験がある。
霊の世界で聞いたところでは、彼らは集団をつくって行動しているという。
復讐の念に燃える悪霊は数えきれないほどいる。
だから彼らは、自分たちだけの団体をつくっているというわけだ。
彼らの団体の内部統制はしっかりしていて、同じ団体の者どうしでは互いに 傷つけ合うことはないのだという。
悪霊の特徴は、さまざまなテクニックを使うことである。
悪霊がやってくるときには、地獄の光景とでもいうべき恐ろしいビジョンが 見えてきたりする。
しかし、これは比較的単純な悪霊の場合で、たいていは少し悪知恵があり、 美しいビジョンを見せて人間を誘う。
(略)
悪霊はこのほかにも、恐怖のビジョンを自在につくり出して、恐怖に おののかせたあとで、自分の思うとおりに人間を操ろうとする。
また、恐怖だけでなく、人の心をかき乱すことで人間を不安にしたり、 逆に信じ込ませて安心させたりして、人間を自由に操ろうとする。
彼らはそれを、類いまれな演技力や創作能力を使って行なう。
彼らの演技力や創作能力には、どんな名優も劇作家もかなうものではない。 彼らは人間にはない才能を持っているからだ。
彼らの演技力や創作能力の中でも、特に目立つのはウソやでっち上げを 自由自在に行なうことである。
彼らは、あることないことをまことしやかに でっち上げ、それを真実らしく語る
16K5 ◆ZrPJFvslEyUG :2011/04/10(日) 12:11:14.39 ID:5WRxwTx7
ネットイナゴ=悪霊の本質(スウェデンボルグの解説から抜粋)

悪霊は、善とは何かを理解している。 しかし、悪とは何かをまったく理解していない。
彼らは、霊にも人間にもさまざまな悪事をするが、それが悪事だとはまったく思っていないのだ。 なぜなら、彼らは悪なるものが存在していることさえ気づいていないからだ。
彼らは善とは何かを知っていると言ったが、彼らの善とは、実は悪なのだ。
たとえば、他人を支配するのが好きだとか、他人の嘆きを見て喜ぶといった心情を、 霊になっても浄化しきれていない霊がある。その霊にとっては、他の霊や人間を苦しめることは嬉しいこと、喜ばしいことである。
そして、自分にとって嬉しいこと、喜ばしいことが、彼らの善なのだ。
彼らの中では善悪が逆転している。 このような形で善を理解している彼らに、悪などは当然存在しないことになる。 人間を苦しめることは、彼らにとっては嬉しいこと、喜ばしいことであり、 それが彼らの善なのであって、悪ではないのである。

この世にいろいろなタイプの悪人がいるのと 同様に、悪霊にもいろいろなタイプがある。
なかでも、もっとも凶悪で、大きな不幸や災難、苦しみを人間に与えるのは、 復讐の悪霊というべきタイプである。
この世の人間に対して復讐の念を 燃やす悪霊は実に多い。
復讐心は、普通の人間の世界では、公然と口にしたり、行動に移したりするのは許されていない。
それだけに、人間だったときの彼らの心の中に積もり 積もって、それが霊界に行っても浄化されないためかもしれない。 彼らは復讐のことを“喜び”と呼んでいるくらいだ。

彼らに見舞われた人間は 不幸のどん底に落とされる。彼らはさまざまな手を使って復讐の喜びを果たすが、 対象にした人間をひどい病気にして、その身体を破壊するぐらいでは 満足しない。
その人間の心まで狂わせて、愚行や悪行を行なわせる。 彼らは悪のテクニックにも長けているので、最初は善霊のような顔をして 近づいてくる。
私も、善霊だと思ってつき合っていた霊が復讐の霊だったと 知ったときには、彼らの詐術の巧みさにびっくりした経験がある。
霊の世界で聞いたところでは、彼らは集団をつくって行動しているという。
復讐の念に燃える悪霊は数えきれないほどいる。
だから彼らは、自分たちだけの団体をつくっているというわけだ。
彼らの団体の内部統制はしっかりしていて、同じ団体の者どうしでは互いに 傷つけ合うことはないのだという。
悪霊の特徴は、さまざまなテクニックを使うことである。
悪霊がやってくるときには、地獄の光景とでもいうべき恐ろしいビジョンが 見えてきたりする。
しかし、これは比較的単純な悪霊の場合で、たいていは少し悪知恵があり、 美しいビジョンを見せて人間を誘う。
(略)
悪霊はこのほかにも、恐怖のビジョンを自在につくり出して、恐怖に おののかせたあとで、自分の思うとおりに人間を操ろうとする。
また、恐怖だけでなく、人の心をかき乱すことで人間を不安にしたり、 逆に信じ込ませて安心させたりして、人間を自由に操ろうとする。
彼らはそれを、類いまれな演技力や創作能力を使って行なう。
彼らの演技力や創作能力には、どんな名優も劇作家もかなうものではない。 彼らは人間にはない才能を持っているからだ。
彼らの演技力や創作能力の中でも、特に目立つのはウソやでっち上げを 自由自在に行なうことである。
彼らは、あることないことをまことしやかに でっち上げ、それを真実らしく語る
17K5 ◆ZrPJFvslEyUG :2011/04/10(日) 12:13:17.24 ID:5WRxwTx7
ネットイナゴ=悪霊の本質(スウェデンボルグの解説から抜粋)

悪霊は、善とは何かを理解している。 しかし、悪とは何かをまったく理解していない。
彼らは、霊にも人間にもさまざまな悪事をするが、それが悪事だとはまったく思っていないのだ。 なぜなら、彼らは悪なるものが存在していることさえ気づいていないからだ。
彼らは善とは何かを知っていると言ったが、彼らの善とは、実は悪なのだ。
たとえば、他人を支配するのが好きだとか、他人の嘆きを見て喜ぶといった心情を、 霊になっても浄化しきれていない霊がある。その霊にとっては、他の霊や人間を苦しめることは嬉しいこと、喜ばしいことである。
そして、自分にとって嬉しいこと、喜ばしいことが、彼らの善なのだ。
彼らの中では善悪が逆転している。 このような形で善を理解している彼らに、悪などは当然存在しないことになる。 人間を苦しめることは、彼らにとっては嬉しいこと、喜ばしいことであり、 それが彼らの善なのであって、悪ではないのである。

この世にいろいろなタイプの悪人がいるのと 同様に、悪霊にもいろいろなタイプがある。
なかでも、もっとも凶悪で、大きな不幸や災難、苦しみを人間に与えるのは、 復讐の悪霊というべきタイプである。
この世の人間に対して復讐の念を 燃やす悪霊は実に多い。
復讐心は、普通の人間の世界では、公然と口にしたり、行動に移したりするのは許されていない。
それだけに、人間だったときの彼らの心の中に積もり 積もって、それが霊界に行っても浄化されないためかもしれない。 彼らは復讐のことを“喜び”と呼んでいるくらいだ。

彼らに見舞われた人間は 不幸のどん底に落とされる。彼らはさまざまな手を使って復讐の喜びを果たすが、 対象にした人間をひどい病気にして、その身体を破壊するぐらいでは 満足しない。
その人間の心まで狂わせて、愚行や悪行を行なわせる。 彼らは悪のテクニックにも長けているので、最初は善霊のような顔をして 近づいてくる。
私も、善霊だと思ってつき合っていた霊が復讐の霊だったと 知ったときには、彼らの詐術の巧みさにびっくりした経験がある。
霊の世界で聞いたところでは、彼らは集団をつくって行動しているという。
復讐の念に燃える悪霊は数えきれないほどいる。
だから彼らは、自分たちだけの団体をつくっているというわけだ。
彼らの団体の内部統制はしっかりしていて、同じ団体の者どうしでは互いに 傷つけ合うことはないのだという。
悪霊の特徴は、さまざまなテクニックを使うことである。
悪霊がやってくるときには、地獄の光景とでもいうべき恐ろしいビジョンが 見えてきたりする。
しかし、これは比較的単純な悪霊の場合で、たいていは少し悪知恵があり、 美しいビジョンを見せて人間を誘う。
(略)
悪霊はこのほかにも、恐怖のビジョンを自在につくり出して、恐怖に おののかせたあとで、自分の思うとおりに人間を操ろうとする。
また、恐怖だけでなく、人の心をかき乱すことで人間を不安にしたり、 逆に信じ込ませて安心させたりして、人間を自由に操ろうとする。
彼らはそれを、類いまれな演技力や創作能力を使って行なう。
彼らの演技力や創作能力には、どんな名優も劇作家もかなうものではない。 彼らは人間にはない才能を持っているからだ。
彼らの演技力や創作能力の中でも、特に目立つのはウソやでっち上げを 自由自在に行なうことである。
彼らは、あることないことをまことしやかに でっち上げ、それを真実らしく語る
18K5 ◆ZrPJFvslEyUG :2011/04/10(日) 12:50:12.33 ID:zwdxaLwW
ネットイナゴ=悪霊の本質(スウェデンボルグの解説から抜粋)

悪霊は、善とは何かを理解している。 しかし、悪とは何かをまったく理解していない。
彼らは、霊にも人間にもさまざまな悪事をするが、それが悪事だとはまったく思っていないのだ。 なぜなら、彼らは悪なるものが存在していることさえ気づいていないからだ。
彼らは善とは何かを知っていると言ったが、彼らの善とは、実は悪なのだ。
たとえば、他人を支配するのが好きだとか、他人の嘆きを見て喜ぶといった心情を、 霊になっても浄化しきれていない霊がある。その霊にとっては、他の霊や人間を苦しめることは嬉しいこと、喜ばしいことである。
そして、自分にとって嬉しいこと、喜ばしいことが、彼らの善なのだ。
彼らの中では善悪が逆転している。 このような形で善を理解している彼らに、悪などは当然存在しないことになる。 人間を苦しめることは、彼らにとっては嬉しいこと、喜ばしいことであり、 それが彼らの善なのであって、悪ではないのである。

この世にいろいろなタイプの悪人がいるのと 同様に、悪霊にもいろいろなタイプがある。
なかでも、もっとも凶悪で、大きな不幸や災難、苦しみを人間に与えるのは、 復讐の悪霊というべきタイプである。
この世の人間に対して復讐の念を 燃やす悪霊は実に多い。
復讐心は、普通の人間の世界では、公然と口にしたり、行動に移したりするのは許されていない。
それだけに、人間だったときの彼らの心の中に積もり 積もって、それが霊界に行っても浄化されないためかもしれない。 彼らは復讐のことを“喜び”と呼んでいるくらいだ。

彼らに見舞われた人間は 不幸のどん底に落とされる。彼らはさまざまな手を使って復讐の喜びを果たすが、 対象にした人間をひどい病気にして、その身体を破壊するぐらいでは 満足しない。
その人間の心まで狂わせて、愚行や悪行を行なわせる。 彼らは悪のテクニックにも長けているので、最初は善霊のような顔をして 近づいてくる。
私も、善霊だと思ってつき合っていた霊が復讐の霊だったと 知ったときには、彼らの詐術の巧みさにびっくりした経験がある。
霊の世界で聞いたところでは、彼らは集団をつくって行動しているという。
復讐の念に燃える悪霊は数えきれないほどいる。
だから彼らは、自分たちだけの団体をつくっているというわけだ。
彼らの団体の内部統制はしっかりしていて、同じ団体の者どうしでは互いに 傷つけ合うことはないのだという。
悪霊の特徴は、さまざまなテクニックを使うことである。
悪霊がやってくるときには、地獄の光景とでもいうべき恐ろしいビジョンが 見えてきたりする。
しかし、これは比較的単純な悪霊の場合で、たいていは少し悪知恵があり、 美しいビジョンを見せて人間を誘う。
(略)
悪霊はこのほかにも、恐怖のビジョンを自在につくり出して、恐怖に おののかせたあとで、自分の思うとおりに人間を操ろうとする。
また、恐怖だけでなく、人の心をかき乱すことで人間を不安にしたり、 逆に信じ込ませて安心させたりして、人間を自由に操ろうとする。
彼らはそれを、類いまれな演技力や創作能力を使って行なう。
彼らの演技力や創作能力には、どんな名優も劇作家もかなうものではない。 彼らは人間にはない才能を持っているからだ。
彼らの演技力や創作能力の中でも、特に目立つのはウソやでっち上げを 自由自在に行なうことである。
彼らは、あることないことをまことしやかに でっち上げ、それを真実らしく語る
19K5 ◆ZrPJFvslEyUG :2011/04/10(日) 12:54:07.62 ID:zwdxaLwW
ネットイナゴ=悪霊の本質(スウェデンボルグの解説から抜粋)

悪霊は、善とは何かを理解している。 しかし、悪とは何かをまったく理解していない。
彼らは、霊にも人間にもさまざまな悪事をするが、それが悪事だとはまったく思っていないのだ。 なぜなら、彼らは悪なるものが存在していることさえ気づいていないからだ。
彼らは善とは何かを知っていると言ったが、彼らの善とは、実は悪なのだ。
たとえば、他人を支配するのが好きだとか、他人の嘆きを見て喜ぶといった心情を、 霊になっても浄化しきれていない霊がある。その霊にとっては、他の霊や人間を苦しめることは嬉しいこと、喜ばしいことである。
そして、自分にとって嬉しいこと、喜ばしいことが、彼らの善なのだ。
彼らの中では善悪が逆転している。 このような形で善を理解している彼らに、悪などは当然存在しないことになる。 人間を苦しめることは、彼らにとっては嬉しいこと、喜ばしいことであり、 それが彼らの善なのであって、悪ではないのである。

この世にいろいろなタイプの悪人がいるのと 同様に、悪霊にもいろいろなタイプがある。
なかでも、もっとも凶悪で、大きな不幸や災難、苦しみを人間に与えるのは、 復讐の悪霊というべきタイプである。
この世の人間に対して復讐の念を 燃やす悪霊は実に多い。
復讐心は、普通の人間の世界では、公然と口にしたり、行動に移したりするのは許されていない。
それだけに、人間だったときの彼らの心の中に積もり 積もって、それが霊界に行っても浄化されないためかもしれない。 彼らは復讐のことを“喜び”と呼んでいるくらいだ。

彼らに見舞われた人間は 不幸のどん底に落とされる。彼らはさまざまな手を使って復讐の喜びを果たすが、 対象にした人間をひどい病気にして、その身体を破壊するぐらいでは 満足しない。
その人間の心まで狂わせて、愚行や悪行を行なわせる。 彼らは悪のテクニックにも長けているので、最初は善霊のような顔をして 近づいてくる。
私も、善霊だと思ってつき合っていた霊が復讐の霊だったと 知ったときには、彼らの詐術の巧みさにびっくりした経験がある。
霊の世界で聞いたところでは、彼らは集団をつくって行動しているという。
復讐の念に燃える悪霊は数えきれないほどいる。
だから彼らは、自分たちだけの団体をつくっているというわけだ。
彼らの団体の内部統制はしっかりしていて、同じ団体の者どうしでは互いに 傷つけ合うことはないのだという。
悪霊の特徴は、さまざまなテクニックを使うことである。
悪霊がやってくるときには、地獄の光景とでもいうべき恐ろしいビジョンが 見えてきたりする。
しかし、これは比較的単純な悪霊の場合で、たいていは少し悪知恵があり、 美しいビジョンを見せて人間を誘う。
(略)
悪霊はこのほかにも、恐怖のビジョンを自在につくり出して、恐怖に おののかせたあとで、自分の思うとおりに人間を操ろうとする。
また、恐怖だけでなく、人の心をかき乱すことで人間を不安にしたり、 逆に信じ込ませて安心させたりして、人間を自由に操ろうとする。
彼らはそれを、類いまれな演技力や創作能力を使って行なう。
彼らの演技力や創作能力には、どんな名優も劇作家もかなうものではない。 彼らは人間にはない才能を持っているからだ。
彼らの演技力や創作能力の中でも、特に目立つのはウソやでっち上げを 自由自在に行なうことである。
彼らは、あることないことをまことしやかに でっち上げ、それを真実らしく語る
20K5 ◆ZrPJFvslEyUG :2011/04/10(日) 12:56:10.26 ID:zwdxaLwW
ネットイナゴ=悪霊の本質(スウェデンボルグの解説から抜粋)

悪霊は、善とは何かを理解している。 しかし、悪とは何かをまったく理解していない。
彼らは、霊にも人間にもさまざまな悪事をするが、それが悪事だとはまったく思っていないのだ。 なぜなら、彼らは悪なるものが存在していることさえ気づいていないからだ。
彼らは善とは何かを知っていると言ったが、彼らの善とは、実は悪なのだ。
たとえば、他人を支配するのが好きだとか、他人の嘆きを見て喜ぶといった心情を、 霊になっても浄化しきれていない霊がある。その霊にとっては、他の霊や人間を苦しめることは嬉しいこと、喜ばしいことである。
そして、自分にとって嬉しいこと、喜ばしいことが、彼らの善なのだ。
彼らの中では善悪が逆転している。 このような形で善を理解している彼らに、悪などは当然存在しないことになる。 人間を苦しめることは、彼らにとっては嬉しいこと、喜ばしいことであり、 それが彼らの善なのであって、悪ではないのである。

この世にいろいろなタイプの悪人がいるのと 同様に、悪霊にもいろいろなタイプがある。
なかでも、もっとも凶悪で、大きな不幸や災難、苦しみを人間に与えるのは、 復讐の悪霊というべきタイプである。
この世の人間に対して復讐の念を 燃やす悪霊は実に多い。
復讐心は、普通の人間の世界では、公然と口にしたり、行動に移したりするのは許されていない。
それだけに、人間だったときの彼らの心の中に積もり 積もって、それが霊界に行っても浄化されないためかもしれない。 彼らは復讐のことを“喜び”と呼んでいるくらいだ。

彼らに見舞われた人間は 不幸のどん底に落とされる。彼らはさまざまな手を使って復讐の喜びを果たすが、 対象にした人間をひどい病気にして、その身体を破壊するぐらいでは 満足しない。
その人間の心まで狂わせて、愚行や悪行を行なわせる。 彼らは悪のテクニックにも長けているので、最初は善霊のような顔をして 近づいてくる。
私も、善霊だと思ってつき合っていた霊が復讐の霊だったと 知ったときには、彼らの詐術の巧みさにびっくりした経験がある。
霊の世界で聞いたところでは、彼らは集団をつくって行動しているという。
復讐の念に燃える悪霊は数えきれないほどいる。
だから彼らは、自分たちだけの団体をつくっているというわけだ。
彼らの団体の内部統制はしっかりしていて、同じ団体の者どうしでは互いに 傷つけ合うことはないのだという。
悪霊の特徴は、さまざまなテクニックを使うことである。
悪霊がやってくるときには、地獄の光景とでもいうべき恐ろしいビジョンが 見えてきたりする。
しかし、これは比較的単純な悪霊の場合で、たいていは少し悪知恵があり、 美しいビジョンを見せて人間を誘う。
(略)
悪霊はこのほかにも、恐怖のビジョンを自在につくり出して、恐怖に おののかせたあとで、自分の思うとおりに人間を操ろうとする。
また、恐怖だけでなく、人の心をかき乱すことで人間を不安にしたり、 逆に信じ込ませて安心させたりして、人間を自由に操ろうとする。
彼らはそれを、類いまれな演技力や創作能力を使って行なう。
彼らの演技力や創作能力には、どんな名優も劇作家もかなうものではない。 彼らは人間にはない才能を持っているからだ。
彼らの演技力や創作能力の中でも、特に目立つのはウソやでっち上げを 自由自在に行なうことである。
彼らは、あることないことをまことしやかに でっち上げ、それを真実らしく語る
21K5 ◆ZrPJFvslEyUG :2011/04/10(日) 12:58:12.93 ID:zwdxaLwW
ネットイナゴ=悪霊の本質(スウェデンボルグの解説から抜粋)

悪霊は、善とは何かを理解している。 しかし、悪とは何かをまったく理解していない。
彼らは、霊にも人間にもさまざまな悪事をするが、それが悪事だとはまったく思っていないのだ。 なぜなら、彼らは悪なるものが存在していることさえ気づいていないからだ。
彼らは善とは何かを知っていると言ったが、彼らの善とは、実は悪なのだ。
たとえば、他人を支配するのが好きだとか、他人の嘆きを見て喜ぶといった心情を、 霊になっても浄化しきれていない霊がある。その霊にとっては、他の霊や人間を苦しめることは嬉しいこと、喜ばしいことである。
そして、自分にとって嬉しいこと、喜ばしいことが、彼らの善なのだ。
彼らの中では善悪が逆転している。 このような形で善を理解している彼らに、悪などは当然存在しないことになる。 人間を苦しめることは、彼らにとっては嬉しいこと、喜ばしいことであり、 それが彼らの善なのであって、悪ではないのである。

この世にいろいろなタイプの悪人がいるのと 同様に、悪霊にもいろいろなタイプがある。
なかでも、もっとも凶悪で、大きな不幸や災難、苦しみを人間に与えるのは、 復讐の悪霊というべきタイプである。
この世の人間に対して復讐の念を 燃やす悪霊は実に多い。
復讐心は、普通の人間の世界では、公然と口にしたり、行動に移したりするのは許されていない。
それだけに、人間だったときの彼らの心の中に積もり 積もって、それが霊界に行っても浄化されないためかもしれない。 彼らは復讐のことを“喜び”と呼んでいるくらいだ。

彼らに見舞われた人間は 不幸のどん底に落とされる。彼らはさまざまな手を使って復讐の喜びを果たすが、 対象にした人間をひどい病気にして、その身体を破壊するぐらいでは 満足しない。
その人間の心まで狂わせて、愚行や悪行を行なわせる。 彼らは悪のテクニックにも長けているので、最初は善霊のような顔をして 近づいてくる。
私も、善霊だと思ってつき合っていた霊が復讐の霊だったと 知ったときには、彼らの詐術の巧みさにびっくりした経験がある。
霊の世界で聞いたところでは、彼らは集団をつくって行動しているという。
復讐の念に燃える悪霊は数えきれないほどいる。
だから彼らは、自分たちだけの団体をつくっているというわけだ。
彼らの団体の内部統制はしっかりしていて、同じ団体の者どうしでは互いに 傷つけ合うことはないのだという。
悪霊の特徴は、さまざまなテクニックを使うことである。
悪霊がやってくるときには、地獄の光景とでもいうべき恐ろしいビジョンが 見えてきたりする。
しかし、これは比較的単純な悪霊の場合で、たいていは少し悪知恵があり、 美しいビジョンを見せて人間を誘う。
(略)
悪霊はこのほかにも、恐怖のビジョンを自在につくり出して、恐怖に おののかせたあとで、自分の思うとおりに人間を操ろうとする。
また、恐怖だけでなく、人の心をかき乱すことで人間を不安にしたり、 逆に信じ込ませて安心させたりして、人間を自由に操ろうとする。
彼らはそれを、類いまれな演技力や創作能力を使って行なう。
彼らの演技力や創作能力には、どんな名優も劇作家もかなうものではない。 彼らは人間にはない才能を持っているからだ。
彼らの演技力や創作能力の中でも、特に目立つのはウソやでっち上げを 自由自在に行なうことである。
彼らは、あることないことをまことしやかに でっち上げ、それを真実らしく語る
22K5 ◆ZrPJFvslEyUG :2011/04/10(日) 13:00:17.08 ID:zwdxaLwW
ネットイナゴ=悪霊の本質(スウェデンボルグの解説から抜粋)

悪霊は、善とは何かを理解している。 しかし、悪とは何かをまったく理解していない。
彼らは、霊にも人間にもさまざまな悪事をするが、それが悪事だとはまったく思っていないのだ。 なぜなら、彼らは悪なるものが存在していることさえ気づいていないからだ。
彼らは善とは何かを知っていると言ったが、彼らの善とは、実は悪なのだ。
たとえば、他人を支配するのが好きだとか、他人の嘆きを見て喜ぶといった心情を、 霊になっても浄化しきれていない霊がある。その霊にとっては、他の霊や人間を苦しめることは嬉しいこと、喜ばしいことである。
そして、自分にとって嬉しいこと、喜ばしいことが、彼らの善なのだ。
彼らの中では善悪が逆転している。 このような形で善を理解している彼らに、悪などは当然存在しないことになる。 人間を苦しめることは、彼らにとっては嬉しいこと、喜ばしいことであり、 それが彼らの善なのであって、悪ではないのである。

この世にいろいろなタイプの悪人がいるのと 同様に、悪霊にもいろいろなタイプがある。
なかでも、もっとも凶悪で、大きな不幸や災難、苦しみを人間に与えるのは、 復讐の悪霊というべきタイプである。
この世の人間に対して復讐の念を 燃やす悪霊は実に多い。
復讐心は、普通の人間の世界では、公然と口にしたり、行動に移したりするのは許されていない。
それだけに、人間だったときの彼らの心の中に積もり 積もって、それが霊界に行っても浄化されないためかもしれない。 彼らは復讐のことを“喜び”と呼んでいるくらいだ。

彼らに見舞われた人間は 不幸のどん底に落とされる。彼らはさまざまな手を使って復讐の喜びを果たすが、 対象にした人間をひどい病気にして、その身体を破壊するぐらいでは 満足しない。
その人間の心まで狂わせて、愚行や悪行を行なわせる。 彼らは悪のテクニックにも長けているので、最初は善霊のような顔をして 近づいてくる。
私も、善霊だと思ってつき合っていた霊が復讐の霊だったと 知ったときには、彼らの詐術の巧みさにびっくりした経験がある。
霊の世界で聞いたところでは、彼らは集団をつくって行動しているという。
復讐の念に燃える悪霊は数えきれないほどいる。
だから彼らは、自分たちだけの団体をつくっているというわけだ。
彼らの団体の内部統制はしっかりしていて、同じ団体の者どうしでは互いに 傷つけ合うことはないのだという。
悪霊の特徴は、さまざまなテクニックを使うことである。
悪霊がやってくるときには、地獄の光景とでもいうべき恐ろしいビジョンが 見えてきたりする。
しかし、これは比較的単純な悪霊の場合で、たいていは少し悪知恵があり、 美しいビジョンを見せて人間を誘う。
(略)
悪霊はこのほかにも、恐怖のビジョンを自在につくり出して、恐怖に おののかせたあとで、自分の思うとおりに人間を操ろうとする。
また、恐怖だけでなく、人の心をかき乱すことで人間を不安にしたり、 逆に信じ込ませて安心させたりして、人間を自由に操ろうとする。
彼らはそれを、類いまれな演技力や創作能力を使って行なう。
彼らの演技力や創作能力には、どんな名優も劇作家もかなうものではない。 彼らは人間にはない才能を持っているからだ。
彼らの演技力や創作能力の中でも、特に目立つのはウソやでっち上げを 自由自在に行なうことである。
彼らは、あることないことをまことしやかに でっち上げ、それを真実らしく語る
23K5 ◆ZrPJFvslEyUG :2011/04/10(日) 13:02:29.30 ID:zwdxaLwW
ネットイナゴ=悪霊の本質(スウェデンボルグの解説から抜粋)

悪霊は、善とは何かを理解している。 しかし、悪とは何かをまったく理解していない。
彼らは、霊にも人間にもさまざまな悪事をするが、それが悪事だとはまったく思っていないのだ。 なぜなら、彼らは悪なるものが存在していることさえ気づいていないからだ。
彼らは善とは何かを知っていると言ったが、彼らの善とは、実は悪なのだ。
たとえば、他人を支配するのが好きだとか、他人の嘆きを見て喜ぶといった心情を、 霊になっても浄化しきれていない霊がある。その霊にとっては、他の霊や人間を苦しめることは嬉しいこと、喜ばしいことである。
そして、自分にとって嬉しいこと、喜ばしいことが、彼らの善なのだ。
彼らの中では善悪が逆転している。 このような形で善を理解している彼らに、悪などは当然存在しないことになる。 人間を苦しめることは、彼らにとっては嬉しいこと、喜ばしいことであり、 それが彼らの善なのであって、悪ではないのである。

この世にいろいろなタイプの悪人がいるのと 同様に、悪霊にもいろいろなタイプがある。
なかでも、もっとも凶悪で、大きな不幸や災難、苦しみを人間に与えるのは、 復讐の悪霊というべきタイプである。
この世の人間に対して復讐の念を 燃やす悪霊は実に多い。
復讐心は、普通の人間の世界では、公然と口にしたり、行動に移したりするのは許されていない。
それだけに、人間だったときの彼らの心の中に積もり 積もって、それが霊界に行っても浄化されないためかもしれない。 彼らは復讐のことを“喜び”と呼んでいるくらいだ。

彼らに見舞われた人間は 不幸のどん底に落とされる。彼らはさまざまな手を使って復讐の喜びを果たすが、 対象にした人間をひどい病気にして、その身体を破壊するぐらいでは 満足しない。
その人間の心まで狂わせて、愚行や悪行を行なわせる。 彼らは悪のテクニックにも長けているので、最初は善霊のような顔をして 近づいてくる。
私も、善霊だと思ってつき合っていた霊が復讐の霊だったと 知ったときには、彼らの詐術の巧みさにびっくりした経験がある。
霊の世界で聞いたところでは、彼らは集団をつくって行動しているという。
復讐の念に燃える悪霊は数えきれないほどいる。
だから彼らは、自分たちだけの団体をつくっているというわけだ。
彼らの団体の内部統制はしっかりしていて、同じ団体の者どうしでは互いに 傷つけ合うことはないのだという。
悪霊の特徴は、さまざまなテクニックを使うことである。
悪霊がやってくるときには、地獄の光景とでもいうべき恐ろしいビジョンが 見えてきたりする。
しかし、これは比較的単純な悪霊の場合で、たいていは少し悪知恵があり、 美しいビジョンを見せて人間を誘う。
(略)
悪霊はこのほかにも、恐怖のビジョンを自在につくり出して、恐怖に おののかせたあとで、自分の思うとおりに人間を操ろうとする。
また、恐怖だけでなく、人の心をかき乱すことで人間を不安にしたり、 逆に信じ込ませて安心させたりして、人間を自由に操ろうとする。
彼らはそれを、類いまれな演技力や創作能力を使って行なう。
彼らの演技力や創作能力には、どんな名優も劇作家もかなうものではない。 彼らは人間にはない才能を持っているからだ。
彼らの演技力や創作能力の中でも、特に目立つのはウソやでっち上げを 自由自在に行なうことである。
彼らは、あることないことをまことしやかに でっち上げ、それを真実らしく語る
24K5 ◆ZrPJFvslEyUG :2011/04/10(日) 13:04:35.65 ID:zwdxaLwW
ネットイナゴ=悪霊の本質(スウェデンボルグの解説から抜粋)

悪霊は、善とは何かを理解している。 しかし、悪とは何かをまったく理解していない。
彼らは、霊にも人間にもさまざまな悪事をするが、それが悪事だとはまったく思っていないのだ。 なぜなら、彼らは悪なるものが存在していることさえ気づいていないからだ。
彼らは善とは何かを知っていると言ったが、彼らの善とは、実は悪なのだ。
たとえば、他人を支配するのが好きだとか、他人の嘆きを見て喜ぶといった心情を、 霊になっても浄化しきれていない霊がある。その霊にとっては、他の霊や人間を苦しめることは嬉しいこと、喜ばしいことである。
そして、自分にとって嬉しいこと、喜ばしいことが、彼らの善なのだ。
彼らの中では善悪が逆転している。 このような形で善を理解している彼らに、悪などは当然存在しないことになる。 人間を苦しめることは、彼らにとっては嬉しいこと、喜ばしいことであり、 それが彼らの善なのであって、悪ではないのである。

この世にいろいろなタイプの悪人がいるのと 同様に、悪霊にもいろいろなタイプがある。
なかでも、もっとも凶悪で、大きな不幸や災難、苦しみを人間に与えるのは、 復讐の悪霊というべきタイプである。
この世の人間に対して復讐の念を 燃やす悪霊は実に多い。
復讐心は、普通の人間の世界では、公然と口にしたり、行動に移したりするのは許されていない。
それだけに、人間だったときの彼らの心の中に積もり 積もって、それが霊界に行っても浄化されないためかもしれない。 彼らは復讐のことを“喜び”と呼んでいるくらいだ。

彼らに見舞われた人間は 不幸のどん底に落とされる。彼らはさまざまな手を使って復讐の喜びを果たすが、 対象にした人間をひどい病気にして、その身体を破壊するぐらいでは 満足しない。
その人間の心まで狂わせて、愚行や悪行を行なわせる。 彼らは悪のテクニックにも長けているので、最初は善霊のような顔をして 近づいてくる。
私も、善霊だと思ってつき合っていた霊が復讐の霊だったと 知ったときには、彼らの詐術の巧みさにびっくりした経験がある。
霊の世界で聞いたところでは、彼らは集団をつくって行動しているという。
復讐の念に燃える悪霊は数えきれないほどいる。
だから彼らは、自分たちだけの団体をつくっているというわけだ。
彼らの団体の内部統制はしっかりしていて、同じ団体の者どうしでは互いに 傷つけ合うことはないのだという。
悪霊の特徴は、さまざまなテクニックを使うことである。
悪霊がやってくるときには、地獄の光景とでもいうべき恐ろしいビジョンが 見えてきたりする。
しかし、これは比較的単純な悪霊の場合で、たいていは少し悪知恵があり、 美しいビジョンを見せて人間を誘う。
(略)
悪霊はこのほかにも、恐怖のビジョンを自在につくり出して、恐怖に おののかせたあとで、自分の思うとおりに人間を操ろうとする。
また、恐怖だけでなく、人の心をかき乱すことで人間を不安にしたり、 逆に信じ込ませて安心させたりして、人間を自由に操ろうとする。
彼らはそれを、類いまれな演技力や創作能力を使って行なう。
彼らの演技力や創作能力には、どんな名優も劇作家もかなうものではない。 彼らは人間にはない才能を持っているからだ。
彼らの演技力や創作能力の中でも、特に目立つのはウソやでっち上げを 自由自在に行なうことである。
彼らは、あることないことをまことしやかに でっち上げ、それを真実らしく語る
25K5 ◆ZrPJFvslEyUG :2011/04/10(日) 13:06:37.53 ID:zwdxaLwW
ネットイナゴ=悪霊の本質(スウェデンボルグの解説から抜粋)

悪霊は、善とは何かを理解している。 しかし、悪とは何かをまったく理解していない。
彼らは、霊にも人間にもさまざまな悪事をするが、それが悪事だとはまったく思っていないのだ。 なぜなら、彼らは悪なるものが存在していることさえ気づいていないからだ。
彼らは善とは何かを知っていると言ったが、彼らの善とは、実は悪なのだ。
たとえば、他人を支配するのが好きだとか、他人の嘆きを見て喜ぶといった心情を、 霊になっても浄化しきれていない霊がある。その霊にとっては、他の霊や人間を苦しめることは嬉しいこと、喜ばしいことである。
そして、自分にとって嬉しいこと、喜ばしいことが、彼らの善なのだ。
彼らの中では善悪が逆転している。 このような形で善を理解している彼らに、悪などは当然存在しないことになる。 人間を苦しめることは、彼らにとっては嬉しいこと、喜ばしいことであり、 それが彼らの善なのであって、悪ではないのである。

この世にいろいろなタイプの悪人がいるのと 同様に、悪霊にもいろいろなタイプがある。
なかでも、もっとも凶悪で、大きな不幸や災難、苦しみを人間に与えるのは、 復讐の悪霊というべきタイプである。
この世の人間に対して復讐の念を 燃やす悪霊は実に多い。
復讐心は、普通の人間の世界では、公然と口にしたり、行動に移したりするのは許されていない。
それだけに、人間だったときの彼らの心の中に積もり 積もって、それが霊界に行っても浄化されないためかもしれない。 彼らは復讐のことを“喜び”と呼んでいるくらいだ。

彼らに見舞われた人間は 不幸のどん底に落とされる。彼らはさまざまな手を使って復讐の喜びを果たすが、 対象にした人間をひどい病気にして、その身体を破壊するぐらいでは 満足しない。
その人間の心まで狂わせて、愚行や悪行を行なわせる。 彼らは悪のテクニックにも長けているので、最初は善霊のような顔をして 近づいてくる。
私も、善霊だと思ってつき合っていた霊が復讐の霊だったと 知ったときには、彼らの詐術の巧みさにびっくりした経験がある。
霊の世界で聞いたところでは、彼らは集団をつくって行動しているという。
復讐の念に燃える悪霊は数えきれないほどいる。
だから彼らは、自分たちだけの団体をつくっているというわけだ。
彼らの団体の内部統制はしっかりしていて、同じ団体の者どうしでは互いに 傷つけ合うことはないのだという。
悪霊の特徴は、さまざまなテクニックを使うことである。
悪霊がやってくるときには、地獄の光景とでもいうべき恐ろしいビジョンが 見えてきたりする。
しかし、これは比較的単純な悪霊の場合で、たいていは少し悪知恵があり、 美しいビジョンを見せて人間を誘う。
(略)
悪霊はこのほかにも、恐怖のビジョンを自在につくり出して、恐怖に おののかせたあとで、自分の思うとおりに人間を操ろうとする。
また、恐怖だけでなく、人の心をかき乱すことで人間を不安にしたり、 逆に信じ込ませて安心させたりして、人間を自由に操ろうとする。
彼らはそれを、類いまれな演技力や創作能力を使って行なう。
彼らの演技力や創作能力には、どんな名優も劇作家もかなうものではない。 彼らは人間にはない才能を持っているからだ。
彼らの演技力や創作能力の中でも、特に目立つのはウソやでっち上げを 自由自在に行なうことである。
彼らは、あることないことをまことしやかに でっち上げ、それを真実らしく語る
26K5 ◆ZrPJFvslEyUG :2011/04/10(日) 13:08:39.40 ID:zwdxaLwW
ネットイナゴ=悪霊の本質(スウェデンボルグの解説から抜粋)

悪霊は、善とは何かを理解している。 しかし、悪とは何かをまったく理解していない。
彼らは、霊にも人間にもさまざまな悪事をするが、それが悪事だとはまったく思っていないのだ。 なぜなら、彼らは悪なるものが存在していることさえ気づいていないからだ。
彼らは善とは何かを知っていると言ったが、彼らの善とは、実は悪なのだ。
たとえば、他人を支配するのが好きだとか、他人の嘆きを見て喜ぶといった心情を、 霊になっても浄化しきれていない霊がある。その霊にとっては、他の霊や人間を苦しめることは嬉しいこと、喜ばしいことである。
そして、自分にとって嬉しいこと、喜ばしいことが、彼らの善なのだ。
彼らの中では善悪が逆転している。 このような形で善を理解している彼らに、悪などは当然存在しないことになる。 人間を苦しめることは、彼らにとっては嬉しいこと、喜ばしいことであり、 それが彼らの善なのであって、悪ではないのである。

この世にいろいろなタイプの悪人がいるのと 同様に、悪霊にもいろいろなタイプがある。
なかでも、もっとも凶悪で、大きな不幸や災難、苦しみを人間に与えるのは、 復讐の悪霊というべきタイプである。
この世の人間に対して復讐の念を 燃やす悪霊は実に多い。
復讐心は、普通の人間の世界では、公然と口にしたり、行動に移したりするのは許されていない。
それだけに、人間だったときの彼らの心の中に積もり 積もって、それが霊界に行っても浄化されないためかもしれない。 彼らは復讐のことを“喜び”と呼んでいるくらいだ。

彼らに見舞われた人間は 不幸のどん底に落とされる。彼らはさまざまな手を使って復讐の喜びを果たすが、 対象にした人間をひどい病気にして、その身体を破壊するぐらいでは 満足しない。
その人間の心まで狂わせて、愚行や悪行を行なわせる。 彼らは悪のテクニックにも長けているので、最初は善霊のような顔をして 近づいてくる。
私も、善霊だと思ってつき合っていた霊が復讐の霊だったと 知ったときには、彼らの詐術の巧みさにびっくりした経験がある。
霊の世界で聞いたところでは、彼らは集団をつくって行動しているという。
復讐の念に燃える悪霊は数えきれないほどいる。
だから彼らは、自分たちだけの団体をつくっているというわけだ。
彼らの団体の内部統制はしっかりしていて、同じ団体の者どうしでは互いに 傷つけ合うことはないのだという。
悪霊の特徴は、さまざまなテクニックを使うことである。
悪霊がやってくるときには、地獄の光景とでもいうべき恐ろしいビジョンが 見えてきたりする。
しかし、これは比較的単純な悪霊の場合で、たいていは少し悪知恵があり、 美しいビジョンを見せて人間を誘う。
(略)
悪霊はこのほかにも、恐怖のビジョンを自在につくり出して、恐怖に おののかせたあとで、自分の思うとおりに人間を操ろうとする。
また、恐怖だけでなく、人の心をかき乱すことで人間を不安にしたり、 逆に信じ込ませて安心させたりして、人間を自由に操ろうとする。
彼らはそれを、類いまれな演技力や創作能力を使って行なう。
彼らの演技力や創作能力には、どんな名優も劇作家もかなうものではない。 彼らは人間にはない才能を持っているからだ。
彼らの演技力や創作能力の中でも、特に目立つのはウソやでっち上げを 自由自在に行なうことである。
彼らは、あることないことをまことしやかに でっち上げ、それを真実らしく語る
27K5 ◆ZrPJFvslEyUG :2011/04/10(日) 13:10:41.21 ID:zwdxaLwW
ネットイナゴ=悪霊の本質(スウェデンボルグの解説から抜粋)

悪霊は、善とは何かを理解している。 しかし、悪とは何かをまったく理解していない。
彼らは、霊にも人間にもさまざまな悪事をするが、それが悪事だとはまったく思っていないのだ。 なぜなら、彼らは悪なるものが存在していることさえ気づいていないからだ。
彼らは善とは何かを知っていると言ったが、彼らの善とは、実は悪なのだ。
たとえば、他人を支配するのが好きだとか、他人の嘆きを見て喜ぶといった心情を、 霊になっても浄化しきれていない霊がある。その霊にとっては、他の霊や人間を苦しめることは嬉しいこと、喜ばしいことである。
そして、自分にとって嬉しいこと、喜ばしいことが、彼らの善なのだ。
彼らの中では善悪が逆転している。 このような形で善を理解している彼らに、悪などは当然存在しないことになる。 人間を苦しめることは、彼らにとっては嬉しいこと、喜ばしいことであり、 それが彼らの善なのであって、悪ではないのである。

この世にいろいろなタイプの悪人がいるのと 同様に、悪霊にもいろいろなタイプがある。
なかでも、もっとも凶悪で、大きな不幸や災難、苦しみを人間に与えるのは、 復讐の悪霊というべきタイプである。
この世の人間に対して復讐の念を 燃やす悪霊は実に多い。
復讐心は、普通の人間の世界では、公然と口にしたり、行動に移したりするのは許されていない。
それだけに、人間だったときの彼らの心の中に積もり 積もって、それが霊界に行っても浄化されないためかもしれない。 彼らは復讐のことを“喜び”と呼んでいるくらいだ。

彼らに見舞われた人間は 不幸のどん底に落とされる。彼らはさまざまな手を使って復讐の喜びを果たすが、 対象にした人間をひどい病気にして、その身体を破壊するぐらいでは 満足しない。
その人間の心まで狂わせて、愚行や悪行を行なわせる。 彼らは悪のテクニックにも長けているので、最初は善霊のような顔をして 近づいてくる。
私も、善霊だと思ってつき合っていた霊が復讐の霊だったと 知ったときには、彼らの詐術の巧みさにびっくりした経験がある。
霊の世界で聞いたところでは、彼らは集団をつくって行動しているという。
復讐の念に燃える悪霊は数えきれないほどいる。
だから彼らは、自分たちだけの団体をつくっているというわけだ。
彼らの団体の内部統制はしっかりしていて、同じ団体の者どうしでは互いに 傷つけ合うことはないのだという。
悪霊の特徴は、さまざまなテクニックを使うことである。
悪霊がやってくるときには、地獄の光景とでもいうべき恐ろしいビジョンが 見えてきたりする。
しかし、これは比較的単純な悪霊の場合で、たいていは少し悪知恵があり、 美しいビジョンを見せて人間を誘う。
(略)
悪霊はこのほかにも、恐怖のビジョンを自在につくり出して、恐怖に おののかせたあとで、自分の思うとおりに人間を操ろうとする。
また、恐怖だけでなく、人の心をかき乱すことで人間を不安にしたり、 逆に信じ込ませて安心させたりして、人間を自由に操ろうとする。
彼らはそれを、類いまれな演技力や創作能力を使って行なう。
彼らの演技力や創作能力には、どんな名優も劇作家もかなうものではない。 彼らは人間にはない才能を持っているからだ。
彼らの演技力や創作能力の中でも、特に目立つのはウソやでっち上げを 自由自在に行なうことである。
彼らは、あることないことをまことしやかに でっち上げ、それを真実らしく語る
28K5 ◆ZrPJFvslEyUG :2011/04/10(日) 13:12:43.86 ID:zwdxaLwW
ネットイナゴ=悪霊の本質(スウェデンボルグの解説から抜粋)

悪霊は、善とは何かを理解している。 しかし、悪とは何かをまったく理解していない。
彼らは、霊にも人間にもさまざまな悪事をするが、それが悪事だとはまったく思っていないのだ。 なぜなら、彼らは悪なるものが存在していることさえ気づいていないからだ。
彼らは善とは何かを知っていると言ったが、彼らの善とは、実は悪なのだ。
たとえば、他人を支配するのが好きだとか、他人の嘆きを見て喜ぶといった心情を、 霊になっても浄化しきれていない霊がある。その霊にとっては、他の霊や人間を苦しめることは嬉しいこと、喜ばしいことである。
そして、自分にとって嬉しいこと、喜ばしいことが、彼らの善なのだ。
彼らの中では善悪が逆転している。 このような形で善を理解している彼らに、悪などは当然存在しないことになる。 人間を苦しめることは、彼らにとっては嬉しいこと、喜ばしいことであり、 それが彼らの善なのであって、悪ではないのである。

この世にいろいろなタイプの悪人がいるのと 同様に、悪霊にもいろいろなタイプがある。
なかでも、もっとも凶悪で、大きな不幸や災難、苦しみを人間に与えるのは、 復讐の悪霊というべきタイプである。
この世の人間に対して復讐の念を 燃やす悪霊は実に多い。
復讐心は、普通の人間の世界では、公然と口にしたり、行動に移したりするのは許されていない。
それだけに、人間だったときの彼らの心の中に積もり 積もって、それが霊界に行っても浄化されないためかもしれない。 彼らは復讐のことを“喜び”と呼んでいるくらいだ。

彼らに見舞われた人間は 不幸のどん底に落とされる。彼らはさまざまな手を使って復讐の喜びを果たすが、 対象にした人間をひどい病気にして、その身体を破壊するぐらいでは 満足しない。
その人間の心まで狂わせて、愚行や悪行を行なわせる。 彼らは悪のテクニックにも長けているので、最初は善霊のような顔をして 近づいてくる。
私も、善霊だと思ってつき合っていた霊が復讐の霊だったと 知ったときには、彼らの詐術の巧みさにびっくりした経験がある。
霊の世界で聞いたところでは、彼らは集団をつくって行動しているという。
復讐の念に燃える悪霊は数えきれないほどいる。
だから彼らは、自分たちだけの団体をつくっているというわけだ。
彼らの団体の内部統制はしっかりしていて、同じ団体の者どうしでは互いに 傷つけ合うことはないのだという。
悪霊の特徴は、さまざまなテクニックを使うことである。
悪霊がやってくるときには、地獄の光景とでもいうべき恐ろしいビジョンが 見えてきたりする。
しかし、これは比較的単純な悪霊の場合で、たいていは少し悪知恵があり、 美しいビジョンを見せて人間を誘う。
(略)
悪霊はこのほかにも、恐怖のビジョンを自在につくり出して、恐怖に おののかせたあとで、自分の思うとおりに人間を操ろうとする。
また、恐怖だけでなく、人の心をかき乱すことで人間を不安にしたり、 逆に信じ込ませて安心させたりして、人間を自由に操ろうとする。
彼らはそれを、類いまれな演技力や創作能力を使って行なう。
彼らの演技力や創作能力には、どんな名優も劇作家もかなうものではない。 彼らは人間にはない才能を持っているからだ。
彼らの演技力や創作能力の中でも、特に目立つのはウソやでっち上げを 自由自在に行なうことである。
彼らは、あることないことをまことしやかに でっち上げ、それを真実らしく語る
29K5 ◆ZrPJFvslEyUG :2011/04/10(日) 13:14:44.97 ID:zwdxaLwW
ネットイナゴ=悪霊の本質(スウェデンボルグの解説から抜粋)

悪霊は、善とは何かを理解している。 しかし、悪とは何かをまったく理解していない。
彼らは、霊にも人間にもさまざまな悪事をするが、それが悪事だとはまったく思っていないのだ。 なぜなら、彼らは悪なるものが存在していることさえ気づいていないからだ。
彼らは善とは何かを知っていると言ったが、彼らの善とは、実は悪なのだ。
たとえば、他人を支配するのが好きだとか、他人の嘆きを見て喜ぶといった心情を、 霊になっても浄化しきれていない霊がある。その霊にとっては、他の霊や人間を苦しめることは嬉しいこと、喜ばしいことである。
そして、自分にとって嬉しいこと、喜ばしいことが、彼らの善なのだ。
彼らの中では善悪が逆転している。 このような形で善を理解している彼らに、悪などは当然存在しないことになる。 人間を苦しめることは、彼らにとっては嬉しいこと、喜ばしいことであり、 それが彼らの善なのであって、悪ではないのである。

この世にいろいろなタイプの悪人がいるのと 同様に、悪霊にもいろいろなタイプがある。
なかでも、もっとも凶悪で、大きな不幸や災難、苦しみを人間に与えるのは、 復讐の悪霊というべきタイプである。
この世の人間に対して復讐の念を 燃やす悪霊は実に多い。
復讐心は、普通の人間の世界では、公然と口にしたり、行動に移したりするのは許されていない。
それだけに、人間だったときの彼らの心の中に積もり 積もって、それが霊界に行っても浄化されないためかもしれない。 彼らは復讐のことを“喜び”と呼んでいるくらいだ。

彼らに見舞われた人間は 不幸のどん底に落とされる。彼らはさまざまな手を使って復讐の喜びを果たすが、 対象にした人間をひどい病気にして、その身体を破壊するぐらいでは 満足しない。
その人間の心まで狂わせて、愚行や悪行を行なわせる。 彼らは悪のテクニックにも長けているので、最初は善霊のような顔をして 近づいてくる。
私も、善霊だと思ってつき合っていた霊が復讐の霊だったと 知ったときには、彼らの詐術の巧みさにびっくりした経験がある。
霊の世界で聞いたところでは、彼らは集団をつくって行動しているという。
復讐の念に燃える悪霊は数えきれないほどいる。
だから彼らは、自分たちだけの団体をつくっているというわけだ。
彼らの団体の内部統制はしっかりしていて、同じ団体の者どうしでは互いに 傷つけ合うことはないのだという。
悪霊の特徴は、さまざまなテクニックを使うことである。
悪霊がやってくるときには、地獄の光景とでもいうべき恐ろしいビジョンが 見えてきたりする。
しかし、これは比較的単純な悪霊の場合で、たいていは少し悪知恵があり、 美しいビジョンを見せて人間を誘う。
(略)
悪霊はこのほかにも、恐怖のビジョンを自在につくり出して、恐怖に おののかせたあとで、自分の思うとおりに人間を操ろうとする。
また、恐怖だけでなく、人の心をかき乱すことで人間を不安にしたり、 逆に信じ込ませて安心させたりして、人間を自由に操ろうとする。
彼らはそれを、類いまれな演技力や創作能力を使って行なう。
彼らの演技力や創作能力には、どんな名優も劇作家もかなうものではない。 彼らは人間にはない才能を持っているからだ。
彼らの演技力や創作能力の中でも、特に目立つのはウソやでっち上げを 自由自在に行なうことである。
彼らは、あることないことをまことしやかに でっち上げ、それを真実らしく語る
30K5 ◆ZrPJFvslEyUG :2011/04/10(日) 14:52:36.31 ID:MWBLZetb
ネットイナゴ=悪霊の本質(スウェデンボルグの解説から抜粋)

悪霊は、善とは何かを理解している。 しかし、悪とは何かをまったく理解していない。
彼らは、霊にも人間にもさまざまな悪事をするが、それが悪事だとはまったく思っていないのだ。 なぜなら、彼らは悪なるものが存在していることさえ気づいていないからだ。
彼らは善とは何かを知っていると言ったが、彼らの善とは、実は悪なのだ。
たとえば、他人を支配するのが好きだとか、他人の嘆きを見て喜ぶといった心情を、 霊になっても浄化しきれていない霊がある。その霊にとっては、他の霊や人間を苦しめることは嬉しいこと、喜ばしいことである。
そして、自分にとって嬉しいこと、喜ばしいことが、彼らの善なのだ。
彼らの中では善悪が逆転している。 このような形で善を理解している彼らに、悪などは当然存在しないことになる。 人間を苦しめることは、彼らにとっては嬉しいこと、喜ばしいことであり、 それが彼らの善なのであって、悪ではないのである。

この世にいろいろなタイプの悪人がいるのと 同様に、悪霊にもいろいろなタイプがある。
なかでも、もっとも凶悪で、大きな不幸や災難、苦しみを人間に与えるのは、 復讐の悪霊というべきタイプである。
この世の人間に対して復讐の念を 燃やす悪霊は実に多い。
復讐心は、普通の人間の世界では、公然と口にしたり、行動に移したりするのは許されていない。
それだけに、人間だったときの彼らの心の中に積もり 積もって、それが霊界に行っても浄化されないためかもしれない。 彼らは復讐のことを“喜び”と呼んでいるくらいだ。

彼らに見舞われた人間は 不幸のどん底に落とされる。彼らはさまざまな手を使って復讐の喜びを果たすが、 対象にした人間をひどい病気にして、その身体を破壊するぐらいでは 満足しない。
その人間の心まで狂わせて、愚行や悪行を行なわせる。 彼らは悪のテクニックにも長けているので、最初は善霊のような顔をして 近づいてくる。
私も、善霊だと思ってつき合っていた霊が復讐の霊だったと 知ったときには、彼らの詐術の巧みさにびっくりした経験がある。
霊の世界で聞いたところでは、彼らは集団をつくって行動しているという。
復讐の念に燃える悪霊は数えきれないほどいる。
だから彼らは、自分たちだけの団体をつくっているというわけだ。
彼らの団体の内部統制はしっかりしていて、同じ団体の者どうしでは互いに 傷つけ合うことはないのだという。
悪霊の特徴は、さまざまなテクニックを使うことである。
悪霊がやってくるときには、地獄の光景とでもいうべき恐ろしいビジョンが 見えてきたりする。
しかし、これは比較的単純な悪霊の場合で、たいていは少し悪知恵があり、 美しいビジョンを見せて人間を誘う。
(略)
悪霊はこのほかにも、恐怖のビジョンを自在につくり出して、恐怖に おののかせたあとで、自分の思うとおりに人間を操ろうとする。
また、恐怖だけでなく、人の心をかき乱すことで人間を不安にしたり、 逆に信じ込ませて安心させたりして、人間を自由に操ろうとする。
彼らはそれを、類いまれな演技力や創作能力を使って行なう。
彼らの演技力や創作能力には、どんな名優も劇作家もかなうものではない。 彼らは人間にはない才能を持っているからだ。
彼らの演技力や創作能力の中でも、特に目立つのはウソやでっち上げを 自由自在に行なうことである。
彼らは、あることないことをまことしやかに でっち上げ、それを真実らしく語る
31K5 ◆ZrPJFvslEyUG :2011/04/10(日) 14:54:38.91 ID:MWBLZetb
ネットイナゴ=悪霊の本質(スウェデンボルグの解説から抜粋)

悪霊は、善とは何かを理解している。 しかし、悪とは何かをまったく理解していない。
彼らは、霊にも人間にもさまざまな悪事をするが、それが悪事だとはまったく思っていないのだ。 なぜなら、彼らは悪なるものが存在していることさえ気づいていないからだ。
彼らは善とは何かを知っていると言ったが、彼らの善とは、実は悪なのだ。
たとえば、他人を支配するのが好きだとか、他人の嘆きを見て喜ぶといった心情を、 霊になっても浄化しきれていない霊がある。その霊にとっては、他の霊や人間を苦しめることは嬉しいこと、喜ばしいことである。
そして、自分にとって嬉しいこと、喜ばしいことが、彼らの善なのだ。
彼らの中では善悪が逆転している。 このような形で善を理解している彼らに、悪などは当然存在しないことになる。 人間を苦しめることは、彼らにとっては嬉しいこと、喜ばしいことであり、 それが彼らの善なのであって、悪ではないのである。

この世にいろいろなタイプの悪人がいるのと 同様に、悪霊にもいろいろなタイプがある。
なかでも、もっとも凶悪で、大きな不幸や災難、苦しみを人間に与えるのは、 復讐の悪霊というべきタイプである。
この世の人間に対して復讐の念を 燃やす悪霊は実に多い。
復讐心は、普通の人間の世界では、公然と口にしたり、行動に移したりするのは許されていない。
それだけに、人間だったときの彼らの心の中に積もり 積もって、それが霊界に行っても浄化されないためかもしれない。 彼らは復讐のことを“喜び”と呼んでいるくらいだ。

彼らに見舞われた人間は 不幸のどん底に落とされる。彼らはさまざまな手を使って復讐の喜びを果たすが、 対象にした人間をひどい病気にして、その身体を破壊するぐらいでは 満足しない。
その人間の心まで狂わせて、愚行や悪行を行なわせる。 彼らは悪のテクニックにも長けているので、最初は善霊のような顔をして 近づいてくる。
私も、善霊だと思ってつき合っていた霊が復讐の霊だったと 知ったときには、彼らの詐術の巧みさにびっくりした経験がある。
霊の世界で聞いたところでは、彼らは集団をつくって行動しているという。
復讐の念に燃える悪霊は数えきれないほどいる。
だから彼らは、自分たちだけの団体をつくっているというわけだ。
彼らの団体の内部統制はしっかりしていて、同じ団体の者どうしでは互いに 傷つけ合うことはないのだという。
悪霊の特徴は、さまざまなテクニックを使うことである。
悪霊がやってくるときには、地獄の光景とでもいうべき恐ろしいビジョンが 見えてきたりする。
しかし、これは比較的単純な悪霊の場合で、たいていは少し悪知恵があり、 美しいビジョンを見せて人間を誘う。
(略)
悪霊はこのほかにも、恐怖のビジョンを自在につくり出して、恐怖に おののかせたあとで、自分の思うとおりに人間を操ろうとする。
また、恐怖だけでなく、人の心をかき乱すことで人間を不安にしたり、 逆に信じ込ませて安心させたりして、人間を自由に操ろうとする。
彼らはそれを、類いまれな演技力や創作能力を使って行なう。
彼らの演技力や創作能力には、どんな名優も劇作家もかなうものではない。 彼らは人間にはない才能を持っているからだ。
彼らの演技力や創作能力の中でも、特に目立つのはウソやでっち上げを 自由自在に行なうことである。
彼らは、あることないことをまことしやかに でっち上げ、それを真実らしく語る
32K5 ◆ZrPJFvslEyUG :2011/04/10(日) 14:56:39.86 ID:MWBLZetb
ネットイナゴ=悪霊の本質(スウェデンボルグの解説から抜粋)

悪霊は、善とは何かを理解している。 しかし、悪とは何かをまったく理解していない。
彼らは、霊にも人間にもさまざまな悪事をするが、それが悪事だとはまったく思っていないのだ。 なぜなら、彼らは悪なるものが存在していることさえ気づいていないからだ。
彼らは善とは何かを知っていると言ったが、彼らの善とは、実は悪なのだ。
たとえば、他人を支配するのが好きだとか、他人の嘆きを見て喜ぶといった心情を、 霊になっても浄化しきれていない霊がある。その霊にとっては、他の霊や人間を苦しめることは嬉しいこと、喜ばしいことである。
そして、自分にとって嬉しいこと、喜ばしいことが、彼らの善なのだ。
彼らの中では善悪が逆転している。 このような形で善を理解している彼らに、悪などは当然存在しないことになる。 人間を苦しめることは、彼らにとっては嬉しいこと、喜ばしいことであり、 それが彼らの善なのであって、悪ではないのである。

この世にいろいろなタイプの悪人がいるのと 同様に、悪霊にもいろいろなタイプがある。
なかでも、もっとも凶悪で、大きな不幸や災難、苦しみを人間に与えるのは、 復讐の悪霊というべきタイプである。
この世の人間に対して復讐の念を 燃やす悪霊は実に多い。
復讐心は、普通の人間の世界では、公然と口にしたり、行動に移したりするのは許されていない。
それだけに、人間だったときの彼らの心の中に積もり 積もって、それが霊界に行っても浄化されないためかもしれない。 彼らは復讐のことを“喜び”と呼んでいるくらいだ。

彼らに見舞われた人間は 不幸のどん底に落とされる。彼らはさまざまな手を使って復讐の喜びを果たすが、 対象にした人間をひどい病気にして、その身体を破壊するぐらいでは 満足しない。
その人間の心まで狂わせて、愚行や悪行を行なわせる。 彼らは悪のテクニックにも長けているので、最初は善霊のような顔をして 近づいてくる。
私も、善霊だと思ってつき合っていた霊が復讐の霊だったと 知ったときには、彼らの詐術の巧みさにびっくりした経験がある。
霊の世界で聞いたところでは、彼らは集団をつくって行動しているという。
復讐の念に燃える悪霊は数えきれないほどいる。
だから彼らは、自分たちだけの団体をつくっているというわけだ。
彼らの団体の内部統制はしっかりしていて、同じ団体の者どうしでは互いに 傷つけ合うことはないのだという。
悪霊の特徴は、さまざまなテクニックを使うことである。
悪霊がやってくるときには、地獄の光景とでもいうべき恐ろしいビジョンが 見えてきたりする。
しかし、これは比較的単純な悪霊の場合で、たいていは少し悪知恵があり、 美しいビジョンを見せて人間を誘う。
(略)
悪霊はこのほかにも、恐怖のビジョンを自在につくり出して、恐怖に おののかせたあとで、自分の思うとおりに人間を操ろうとする。
また、恐怖だけでなく、人の心をかき乱すことで人間を不安にしたり、 逆に信じ込ませて安心させたりして、人間を自由に操ろうとする。
彼らはそれを、類いまれな演技力や創作能力を使って行なう。
彼らの演技力や創作能力には、どんな名優も劇作家もかなうものではない。 彼らは人間にはない才能を持っているからだ。
彼らの演技力や創作能力の中でも、特に目立つのはウソやでっち上げを 自由自在に行なうことである。
彼らは、あることないことをまことしやかに でっち上げ、それを真実らしく語る
33K5 ◆ZrPJFvslEyUG :2011/04/10(日) 14:58:41.88 ID:MWBLZetb
ネットイナゴ=悪霊の本質(スウェデンボルグの解説から抜粋)

悪霊は、善とは何かを理解している。 しかし、悪とは何かをまったく理解していない。
彼らは、霊にも人間にもさまざまな悪事をするが、それが悪事だとはまったく思っていないのだ。 なぜなら、彼らは悪なるものが存在していることさえ気づいていないからだ。
彼らは善とは何かを知っていると言ったが、彼らの善とは、実は悪なのだ。
たとえば、他人を支配するのが好きだとか、他人の嘆きを見て喜ぶといった心情を、 霊になっても浄化しきれていない霊がある。その霊にとっては、他の霊や人間を苦しめることは嬉しいこと、喜ばしいことである。
そして、自分にとって嬉しいこと、喜ばしいことが、彼らの善なのだ。
彼らの中では善悪が逆転している。 このような形で善を理解している彼らに、悪などは当然存在しないことになる。 人間を苦しめることは、彼らにとっては嬉しいこと、喜ばしいことであり、 それが彼らの善なのであって、悪ではないのである。

この世にいろいろなタイプの悪人がいるのと 同様に、悪霊にもいろいろなタイプがある。
なかでも、もっとも凶悪で、大きな不幸や災難、苦しみを人間に与えるのは、 復讐の悪霊というべきタイプである。
この世の人間に対して復讐の念を 燃やす悪霊は実に多い。
復讐心は、普通の人間の世界では、公然と口にしたり、行動に移したりするのは許されていない。
それだけに、人間だったときの彼らの心の中に積もり 積もって、それが霊界に行っても浄化されないためかもしれない。 彼らは復讐のことを“喜び”と呼んでいるくらいだ。

彼らに見舞われた人間は 不幸のどん底に落とされる。彼らはさまざまな手を使って復讐の喜びを果たすが、 対象にした人間をひどい病気にして、その身体を破壊するぐらいでは 満足しない。
その人間の心まで狂わせて、愚行や悪行を行なわせる。 彼らは悪のテクニックにも長けているので、最初は善霊のような顔をして 近づいてくる。
私も、善霊だと思ってつき合っていた霊が復讐の霊だったと 知ったときには、彼らの詐術の巧みさにびっくりした経験がある。
霊の世界で聞いたところでは、彼らは集団をつくって行動しているという。
復讐の念に燃える悪霊は数えきれないほどいる。
だから彼らは、自分たちだけの団体をつくっているというわけだ。
彼らの団体の内部統制はしっかりしていて、同じ団体の者どうしでは互いに 傷つけ合うことはないのだという。
悪霊の特徴は、さまざまなテクニックを使うことである。
悪霊がやってくるときには、地獄の光景とでもいうべき恐ろしいビジョンが 見えてきたりする。
しかし、これは比較的単純な悪霊の場合で、たいていは少し悪知恵があり、 美しいビジョンを見せて人間を誘う。
(略)
悪霊はこのほかにも、恐怖のビジョンを自在につくり出して、恐怖に おののかせたあとで、自分の思うとおりに人間を操ろうとする。
また、恐怖だけでなく、人の心をかき乱すことで人間を不安にしたり、 逆に信じ込ませて安心させたりして、人間を自由に操ろうとする。
彼らはそれを、類いまれな演技力や創作能力を使って行なう。
彼らの演技力や創作能力には、どんな名優も劇作家もかなうものではない。 彼らは人間にはない才能を持っているからだ。
彼らの演技力や創作能力の中でも、特に目立つのはウソやでっち上げを 自由自在に行なうことである。
彼らは、あることないことをまことしやかに でっち上げ、それを真実らしく語る
34K5 ◆ZrPJFvslEyUG :2011/04/10(日) 15:00:43.96 ID:MWBLZetb
ネットイナゴ=悪霊の本質(スウェデンボルグの解説から抜粋)

悪霊は、善とは何かを理解している。 しかし、悪とは何かをまったく理解していない。
彼らは、霊にも人間にもさまざまな悪事をするが、それが悪事だとはまったく思っていないのだ。 なぜなら、彼らは悪なるものが存在していることさえ気づいていないからだ。
彼らは善とは何かを知っていると言ったが、彼らの善とは、実は悪なのだ。
たとえば、他人を支配するのが好きだとか、他人の嘆きを見て喜ぶといった心情を、 霊になっても浄化しきれていない霊がある。その霊にとっては、他の霊や人間を苦しめることは嬉しいこと、喜ばしいことである。
そして、自分にとって嬉しいこと、喜ばしいことが、彼らの善なのだ。
彼らの中では善悪が逆転している。 このような形で善を理解している彼らに、悪などは当然存在しないことになる。 人間を苦しめることは、彼らにとっては嬉しいこと、喜ばしいことであり、 それが彼らの善なのであって、悪ではないのである。

この世にいろいろなタイプの悪人がいるのと 同様に、悪霊にもいろいろなタイプがある。
なかでも、もっとも凶悪で、大きな不幸や災難、苦しみを人間に与えるのは、 復讐の悪霊というべきタイプである。
この世の人間に対して復讐の念を 燃やす悪霊は実に多い。
復讐心は、普通の人間の世界では、公然と口にしたり、行動に移したりするのは許されていない。
それだけに、人間だったときの彼らの心の中に積もり 積もって、それが霊界に行っても浄化されないためかもしれない。 彼らは復讐のことを“喜び”と呼んでいるくらいだ。

彼らに見舞われた人間は 不幸のどん底に落とされる。彼らはさまざまな手を使って復讐の喜びを果たすが、 対象にした人間をひどい病気にして、その身体を破壊するぐらいでは 満足しない。
その人間の心まで狂わせて、愚行や悪行を行なわせる。 彼らは悪のテクニックにも長けているので、最初は善霊のような顔をして 近づいてくる。
私も、善霊だと思ってつき合っていた霊が復讐の霊だったと 知ったときには、彼らの詐術の巧みさにびっくりした経験がある。
霊の世界で聞いたところでは、彼らは集団をつくって行動しているという。
復讐の念に燃える悪霊は数えきれないほどいる。
だから彼らは、自分たちだけの団体をつくっているというわけだ。
彼らの団体の内部統制はしっかりしていて、同じ団体の者どうしでは互いに 傷つけ合うことはないのだという。
悪霊の特徴は、さまざまなテクニックを使うことである。
悪霊がやってくるときには、地獄の光景とでもいうべき恐ろしいビジョンが 見えてきたりする。
しかし、これは比較的単純な悪霊の場合で、たいていは少し悪知恵があり、 美しいビジョンを見せて人間を誘う。
(略)
悪霊はこのほかにも、恐怖のビジョンを自在につくり出して、恐怖に おののかせたあとで、自分の思うとおりに人間を操ろうとする。
また、恐怖だけでなく、人の心をかき乱すことで人間を不安にしたり、 逆に信じ込ませて安心させたりして、人間を自由に操ろうとする。
彼らはそれを、類いまれな演技力や創作能力を使って行なう。
彼らの演技力や創作能力には、どんな名優も劇作家もかなうものではない。 彼らは人間にはない才能を持っているからだ。
彼らの演技力や創作能力の中でも、特に目立つのはウソやでっち上げを 自由自在に行なうことである。
彼らは、あることないことをまことしやかに でっち上げ、それを真実らしく語る
35K5 ◆ZrPJFvslEyUG :2011/04/10(日) 15:02:46.43 ID:MWBLZetb
ネットイナゴ=悪霊の本質(スウェデンボルグの解説から抜粋)

悪霊は、善とは何かを理解している。 しかし、悪とは何かをまったく理解していない。
彼らは、霊にも人間にもさまざまな悪事をするが、それが悪事だとはまったく思っていないのだ。 なぜなら、彼らは悪なるものが存在していることさえ気づいていないからだ。
彼らは善とは何かを知っていると言ったが、彼らの善とは、実は悪なのだ。
たとえば、他人を支配するのが好きだとか、他人の嘆きを見て喜ぶといった心情を、 霊になっても浄化しきれていない霊がある。その霊にとっては、他の霊や人間を苦しめることは嬉しいこと、喜ばしいことである。
そして、自分にとって嬉しいこと、喜ばしいことが、彼らの善なのだ。
彼らの中では善悪が逆転している。 このような形で善を理解している彼らに、悪などは当然存在しないことになる。 人間を苦しめることは、彼らにとっては嬉しいこと、喜ばしいことであり、 それが彼らの善なのであって、悪ではないのである。

この世にいろいろなタイプの悪人がいるのと 同様に、悪霊にもいろいろなタイプがある。
なかでも、もっとも凶悪で、大きな不幸や災難、苦しみを人間に与えるのは、 復讐の悪霊というべきタイプである。
この世の人間に対して復讐の念を 燃やす悪霊は実に多い。
復讐心は、普通の人間の世界では、公然と口にしたり、行動に移したりするのは許されていない。
それだけに、人間だったときの彼らの心の中に積もり 積もって、それが霊界に行っても浄化されないためかもしれない。 彼らは復讐のことを“喜び”と呼んでいるくらいだ。

彼らに見舞われた人間は 不幸のどん底に落とされる。彼らはさまざまな手を使って復讐の喜びを果たすが、 対象にした人間をひどい病気にして、その身体を破壊するぐらいでは 満足しない。
その人間の心まで狂わせて、愚行や悪行を行なわせる。 彼らは悪のテクニックにも長けているので、最初は善霊のような顔をして 近づいてくる。
私も、善霊だと思ってつき合っていた霊が復讐の霊だったと 知ったときには、彼らの詐術の巧みさにびっくりした経験がある。
霊の世界で聞いたところでは、彼らは集団をつくって行動しているという。
復讐の念に燃える悪霊は数えきれないほどいる。
だから彼らは、自分たちだけの団体をつくっているというわけだ。
彼らの団体の内部統制はしっかりしていて、同じ団体の者どうしでは互いに 傷つけ合うことはないのだという。
悪霊の特徴は、さまざまなテクニックを使うことである。
悪霊がやってくるときには、地獄の光景とでもいうべき恐ろしいビジョンが 見えてきたりする。
しかし、これは比較的単純な悪霊の場合で、たいていは少し悪知恵があり、 美しいビジョンを見せて人間を誘う。
(略)
悪霊はこのほかにも、恐怖のビジョンを自在につくり出して、恐怖に おののかせたあとで、自分の思うとおりに人間を操ろうとする。
また、恐怖だけでなく、人の心をかき乱すことで人間を不安にしたり、 逆に信じ込ませて安心させたりして、人間を自由に操ろうとする。
彼らはそれを、類いまれな演技力や創作能力を使って行なう。
彼らの演技力や創作能力には、どんな名優も劇作家もかなうものではない。 彼らは人間にはない才能を持っているからだ。
彼らの演技力や創作能力の中でも、特に目立つのはウソやでっち上げを 自由自在に行なうことである。
彼らは、あることないことをまことしやかに でっち上げ、それを真実らしく語る
36K5 ◆ZrPJFvslEyUG :2011/04/10(日) 15:04:48.65 ID:MWBLZetb
ネットイナゴ=悪霊の本質(スウェデンボルグの解説から抜粋)

悪霊は、善とは何かを理解している。 しかし、悪とは何かをまったく理解していない。
彼らは、霊にも人間にもさまざまな悪事をするが、それが悪事だとはまったく思っていないのだ。 なぜなら、彼らは悪なるものが存在していることさえ気づいていないからだ。
彼らは善とは何かを知っていると言ったが、彼らの善とは、実は悪なのだ。
たとえば、他人を支配するのが好きだとか、他人の嘆きを見て喜ぶといった心情を、 霊になっても浄化しきれていない霊がある。その霊にとっては、他の霊や人間を苦しめることは嬉しいこと、喜ばしいことである。
そして、自分にとって嬉しいこと、喜ばしいことが、彼らの善なのだ。
彼らの中では善悪が逆転している。 このような形で善を理解している彼らに、悪などは当然存在しないことになる。 人間を苦しめることは、彼らにとっては嬉しいこと、喜ばしいことであり、 それが彼らの善なのであって、悪ではないのである。

この世にいろいろなタイプの悪人がいるのと 同様に、悪霊にもいろいろなタイプがある。
なかでも、もっとも凶悪で、大きな不幸や災難、苦しみを人間に与えるのは、 復讐の悪霊というべきタイプである。
この世の人間に対して復讐の念を 燃やす悪霊は実に多い。
復讐心は、普通の人間の世界では、公然と口にしたり、行動に移したりするのは許されていない。
それだけに、人間だったときの彼らの心の中に積もり 積もって、それが霊界に行っても浄化されないためかもしれない。 彼らは復讐のことを“喜び”と呼んでいるくらいだ。

彼らに見舞われた人間は 不幸のどん底に落とされる。彼らはさまざまな手を使って復讐の喜びを果たすが、 対象にした人間をひどい病気にして、その身体を破壊するぐらいでは 満足しない。
その人間の心まで狂わせて、愚行や悪行を行なわせる。 彼らは悪のテクニックにも長けているので、最初は善霊のような顔をして 近づいてくる。
私も、善霊だと思ってつき合っていた霊が復讐の霊だったと 知ったときには、彼らの詐術の巧みさにびっくりした経験がある。
霊の世界で聞いたところでは、彼らは集団をつくって行動しているという。
復讐の念に燃える悪霊は数えきれないほどいる。
だから彼らは、自分たちだけの団体をつくっているというわけだ。
彼らの団体の内部統制はしっかりしていて、同じ団体の者どうしでは互いに 傷つけ合うことはないのだという。
悪霊の特徴は、さまざまなテクニックを使うことである。
悪霊がやってくるときには、地獄の光景とでもいうべき恐ろしいビジョンが 見えてきたりする。
しかし、これは比較的単純な悪霊の場合で、たいていは少し悪知恵があり、 美しいビジョンを見せて人間を誘う。
(略)
悪霊はこのほかにも、恐怖のビジョンを自在につくり出して、恐怖に おののかせたあとで、自分の思うとおりに人間を操ろうとする。
また、恐怖だけでなく、人の心をかき乱すことで人間を不安にしたり、 逆に信じ込ませて安心させたりして、人間を自由に操ろうとする。
彼らはそれを、類いまれな演技力や創作能力を使って行なう。
彼らの演技力や創作能力には、どんな名優も劇作家もかなうものではない。 彼らは人間にはない才能を持っているからだ。
彼らの演技力や創作能力の中でも、特に目立つのはウソやでっち上げを 自由自在に行なうことである。
彼らは、あることないことをまことしやかに でっち上げ、それを真実らしく語る
37K5 ◆ZrPJFvslEyUG :2011/04/10(日) 15:06:50.14 ID:MWBLZetb
ネットイナゴ=悪霊の本質(スウェデンボルグの解説から抜粋)

悪霊は、善とは何かを理解している。 しかし、悪とは何かをまったく理解していない。
彼らは、霊にも人間にもさまざまな悪事をするが、それが悪事だとはまったく思っていないのだ。 なぜなら、彼らは悪なるものが存在していることさえ気づいていないからだ。
彼らは善とは何かを知っていると言ったが、彼らの善とは、実は悪なのだ。
たとえば、他人を支配するのが好きだとか、他人の嘆きを見て喜ぶといった心情を、 霊になっても浄化しきれていない霊がある。その霊にとっては、他の霊や人間を苦しめることは嬉しいこと、喜ばしいことである。
そして、自分にとって嬉しいこと、喜ばしいことが、彼らの善なのだ。
彼らの中では善悪が逆転している。 このような形で善を理解している彼らに、悪などは当然存在しないことになる。 人間を苦しめることは、彼らにとっては嬉しいこと、喜ばしいことであり、 それが彼らの善なのであって、悪ではないのである。

この世にいろいろなタイプの悪人がいるのと 同様に、悪霊にもいろいろなタイプがある。
なかでも、もっとも凶悪で、大きな不幸や災難、苦しみを人間に与えるのは、 復讐の悪霊というべきタイプである。
この世の人間に対して復讐の念を 燃やす悪霊は実に多い。
復讐心は、普通の人間の世界では、公然と口にしたり、行動に移したりするのは許されていない。
それだけに、人間だったときの彼らの心の中に積もり 積もって、それが霊界に行っても浄化されないためかもしれない。 彼らは復讐のことを“喜び”と呼んでいるくらいだ。

彼らに見舞われた人間は 不幸のどん底に落とされる。彼らはさまざまな手を使って復讐の喜びを果たすが、 対象にした人間をひどい病気にして、その身体を破壊するぐらいでは 満足しない。
その人間の心まで狂わせて、愚行や悪行を行なわせる。 彼らは悪のテクニックにも長けているので、最初は善霊のような顔をして 近づいてくる。
私も、善霊だと思ってつき合っていた霊が復讐の霊だったと 知ったときには、彼らの詐術の巧みさにびっくりした経験がある。
霊の世界で聞いたところでは、彼らは集団をつくって行動しているという。
復讐の念に燃える悪霊は数えきれないほどいる。
だから彼らは、自分たちだけの団体をつくっているというわけだ。
彼らの団体の内部統制はしっかりしていて、同じ団体の者どうしでは互いに 傷つけ合うことはないのだという。
悪霊の特徴は、さまざまなテクニックを使うことである。
悪霊がやってくるときには、地獄の光景とでもいうべき恐ろしいビジョンが 見えてきたりする。
しかし、これは比較的単純な悪霊の場合で、たいていは少し悪知恵があり、 美しいビジョンを見せて人間を誘う。
(略)
悪霊はこのほかにも、恐怖のビジョンを自在につくり出して、恐怖に おののかせたあとで、自分の思うとおりに人間を操ろうとする。
また、恐怖だけでなく、人の心をかき乱すことで人間を不安にしたり、 逆に信じ込ませて安心させたりして、人間を自由に操ろうとする。
彼らはそれを、類いまれな演技力や創作能力を使って行なう。
彼らの演技力や創作能力には、どんな名優も劇作家もかなうものではない。 彼らは人間にはない才能を持っているからだ。
彼らの演技力や創作能力の中でも、特に目立つのはウソやでっち上げを 自由自在に行なうことである。
彼らは、あることないことをまことしやかに でっち上げ、それを真実らしく語る
38K5 ◆ZrPJFvslEyUG :2011/04/10(日) 15:08:52.02 ID:MWBLZetb
ネットイナゴ=悪霊の本質(スウェデンボルグの解説から抜粋)

悪霊は、善とは何かを理解している。 しかし、悪とは何かをまったく理解していない。
彼らは、霊にも人間にもさまざまな悪事をするが、それが悪事だとはまったく思っていないのだ。 なぜなら、彼らは悪なるものが存在していることさえ気づいていないからだ。
彼らは善とは何かを知っていると言ったが、彼らの善とは、実は悪なのだ。
たとえば、他人を支配するのが好きだとか、他人の嘆きを見て喜ぶといった心情を、 霊になっても浄化しきれていない霊がある。その霊にとっては、他の霊や人間を苦しめることは嬉しいこと、喜ばしいことである。
そして、自分にとって嬉しいこと、喜ばしいことが、彼らの善なのだ。
彼らの中では善悪が逆転している。 このような形で善を理解している彼らに、悪などは当然存在しないことになる。 人間を苦しめることは、彼らにとっては嬉しいこと、喜ばしいことであり、 それが彼らの善なのであって、悪ではないのである。

この世にいろいろなタイプの悪人がいるのと 同様に、悪霊にもいろいろなタイプがある。
なかでも、もっとも凶悪で、大きな不幸や災難、苦しみを人間に与えるのは、 復讐の悪霊というべきタイプである。
この世の人間に対して復讐の念を 燃やす悪霊は実に多い。
復讐心は、普通の人間の世界では、公然と口にしたり、行動に移したりするのは許されていない。
それだけに、人間だったときの彼らの心の中に積もり 積もって、それが霊界に行っても浄化されないためかもしれない。 彼らは復讐のことを“喜び”と呼んでいるくらいだ。

彼らに見舞われた人間は 不幸のどん底に落とされる。彼らはさまざまな手を使って復讐の喜びを果たすが、 対象にした人間をひどい病気にして、その身体を破壊するぐらいでは 満足しない。
その人間の心まで狂わせて、愚行や悪行を行なわせる。 彼らは悪のテクニックにも長けているので、最初は善霊のような顔をして 近づいてくる。
私も、善霊だと思ってつき合っていた霊が復讐の霊だったと 知ったときには、彼らの詐術の巧みさにびっくりした経験がある。
霊の世界で聞いたところでは、彼らは集団をつくって行動しているという。
復讐の念に燃える悪霊は数えきれないほどいる。
だから彼らは、自分たちだけの団体をつくっているというわけだ。
彼らの団体の内部統制はしっかりしていて、同じ団体の者どうしでは互いに 傷つけ合うことはないのだという。
悪霊の特徴は、さまざまなテクニックを使うことである。
悪霊がやってくるときには、地獄の光景とでもいうべき恐ろしいビジョンが 見えてきたりする。
しかし、これは比較的単純な悪霊の場合で、たいていは少し悪知恵があり、 美しいビジョンを見せて人間を誘う。
(略)
悪霊はこのほかにも、恐怖のビジョンを自在につくり出して、恐怖に おののかせたあとで、自分の思うとおりに人間を操ろうとする。
また、恐怖だけでなく、人の心をかき乱すことで人間を不安にしたり、 逆に信じ込ませて安心させたりして、人間を自由に操ろうとする。
彼らはそれを、類いまれな演技力や創作能力を使って行なう。
彼らの演技力や創作能力には、どんな名優も劇作家もかなうものではない。 彼らは人間にはない才能を持っているからだ。
彼らの演技力や創作能力の中でも、特に目立つのはウソやでっち上げを 自由自在に行なうことである。
彼らは、あることないことをまことしやかに でっち上げ、それを真実らしく語る
39K5 ◆ZrPJFvslEyUG :2011/04/10(日) 15:10:54.48 ID:MWBLZetb
ネットイナゴ=悪霊の本質(スウェデンボルグの解説から抜粋)

悪霊は、善とは何かを理解している。 しかし、悪とは何かをまったく理解していない。
彼らは、霊にも人間にもさまざまな悪事をするが、それが悪事だとはまったく思っていないのだ。 なぜなら、彼らは悪なるものが存在していることさえ気づいていないからだ。
彼らは善とは何かを知っていると言ったが、彼らの善とは、実は悪なのだ。
たとえば、他人を支配するのが好きだとか、他人の嘆きを見て喜ぶといった心情を、 霊になっても浄化しきれていない霊がある。その霊にとっては、他の霊や人間を苦しめることは嬉しいこと、喜ばしいことである。
そして、自分にとって嬉しいこと、喜ばしいことが、彼らの善なのだ。
彼らの中では善悪が逆転している。 このような形で善を理解している彼らに、悪などは当然存在しないことになる。 人間を苦しめることは、彼らにとっては嬉しいこと、喜ばしいことであり、 それが彼らの善なのであって、悪ではないのである。

この世にいろいろなタイプの悪人がいるのと 同様に、悪霊にもいろいろなタイプがある。
なかでも、もっとも凶悪で、大きな不幸や災難、苦しみを人間に与えるのは、 復讐の悪霊というべきタイプである。
この世の人間に対して復讐の念を 燃やす悪霊は実に多い。
復讐心は、普通の人間の世界では、公然と口にしたり、行動に移したりするのは許されていない。
それだけに、人間だったときの彼らの心の中に積もり 積もって、それが霊界に行っても浄化されないためかもしれない。 彼らは復讐のことを“喜び”と呼んでいるくらいだ。

彼らに見舞われた人間は 不幸のどん底に落とされる。彼らはさまざまな手を使って復讐の喜びを果たすが、 対象にした人間をひどい病気にして、その身体を破壊するぐらいでは 満足しない。
その人間の心まで狂わせて、愚行や悪行を行なわせる。 彼らは悪のテクニックにも長けているので、最初は善霊のような顔をして 近づいてくる。
私も、善霊だと思ってつき合っていた霊が復讐の霊だったと 知ったときには、彼らの詐術の巧みさにびっくりした経験がある。
霊の世界で聞いたところでは、彼らは集団をつくって行動しているという。
復讐の念に燃える悪霊は数えきれないほどいる。
だから彼らは、自分たちだけの団体をつくっているというわけだ。
彼らの団体の内部統制はしっかりしていて、同じ団体の者どうしでは互いに 傷つけ合うことはないのだという。
悪霊の特徴は、さまざまなテクニックを使うことである。
悪霊がやってくるときには、地獄の光景とでもいうべき恐ろしいビジョンが 見えてきたりする。
しかし、これは比較的単純な悪霊の場合で、たいていは少し悪知恵があり、 美しいビジョンを見せて人間を誘う。
(略)
悪霊はこのほかにも、恐怖のビジョンを自在につくり出して、恐怖に おののかせたあとで、自分の思うとおりに人間を操ろうとする。
また、恐怖だけでなく、人の心をかき乱すことで人間を不安にしたり、 逆に信じ込ませて安心させたりして、人間を自由に操ろうとする。
彼らはそれを、類いまれな演技力や創作能力を使って行なう。
彼らの演技力や創作能力には、どんな名優も劇作家もかなうものではない。 彼らは人間にはない才能を持っているからだ。
彼らの演技力や創作能力の中でも、特に目立つのはウソやでっち上げを 自由自在に行なうことである。
彼らは、あることないことをまことしやかに でっち上げ、それを真実らしく語る
40K5 ◆ZrPJFvslEyUG :2011/04/10(日) 15:11:35.46 ID:Tjz1iOIw
   ,,..l!l,,、            ,,、  ii,,                          
   ゙  ll ゙゜   “゚'ll゙““゚ll““゙゙゙′  .ll゜ ..,,,,,,,,、                      
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          ・'°  .'゙゙゙゙゙゙゙゙゙`   ゙゙゜     `  
                   
グルーポン おせち バードカフェ 16
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/siberia/1299409499/1-
41K5 ◆ZrPJFvslEyUG :2011/04/10(日) 15:12:56.72 ID:MWBLZetb
ネットイナゴ=悪霊の本質(スウェデンボルグの解説から抜粋)

悪霊は、善とは何かを理解している。 しかし、悪とは何かをまったく理解していない。
彼らは、霊にも人間にもさまざまな悪事をするが、それが悪事だとはまったく思っていないのだ。 なぜなら、彼らは悪なるものが存在していることさえ気づいていないからだ。
彼らは善とは何かを知っていると言ったが、彼らの善とは、実は悪なのだ。
たとえば、他人を支配するのが好きだとか、他人の嘆きを見て喜ぶといった心情を、 霊になっても浄化しきれていない霊がある。その霊にとっては、他の霊や人間を苦しめることは嬉しいこと、喜ばしいことである。
そして、自分にとって嬉しいこと、喜ばしいことが、彼らの善なのだ。
彼らの中では善悪が逆転している。 このような形で善を理解している彼らに、悪などは当然存在しないことになる。 人間を苦しめることは、彼らにとっては嬉しいこと、喜ばしいことであり、 それが彼らの善なのであって、悪ではないのである。

この世にいろいろなタイプの悪人がいるのと 同様に、悪霊にもいろいろなタイプがある。
なかでも、もっとも凶悪で、大きな不幸や災難、苦しみを人間に与えるのは、 復讐の悪霊というべきタイプである。
この世の人間に対して復讐の念を 燃やす悪霊は実に多い。
復讐心は、普通の人間の世界では、公然と口にしたり、行動に移したりするのは許されていない。
それだけに、人間だったときの彼らの心の中に積もり 積もって、それが霊界に行っても浄化されないためかもしれない。 彼らは復讐のことを“喜び”と呼んでいるくらいだ。

彼らに見舞われた人間は 不幸のどん底に落とされる。彼らはさまざまな手を使って復讐の喜びを果たすが、 対象にした人間をひどい病気にして、その身体を破壊するぐらいでは 満足しない。
その人間の心まで狂わせて、愚行や悪行を行なわせる。 彼らは悪のテクニックにも長けているので、最初は善霊のような顔をして 近づいてくる。
私も、善霊だと思ってつき合っていた霊が復讐の霊だったと 知ったときには、彼らの詐術の巧みさにびっくりした経験がある。
霊の世界で聞いたところでは、彼らは集団をつくって行動しているという。
復讐の念に燃える悪霊は数えきれないほどいる。
だから彼らは、自分たちだけの団体をつくっているというわけだ。
彼らの団体の内部統制はしっかりしていて、同じ団体の者どうしでは互いに 傷つけ合うことはないのだという。
悪霊の特徴は、さまざまなテクニックを使うことである。
悪霊がやってくるときには、地獄の光景とでもいうべき恐ろしいビジョンが 見えてきたりする。
しかし、これは比較的単純な悪霊の場合で、たいていは少し悪知恵があり、 美しいビジョンを見せて人間を誘う。
(略)
悪霊はこのほかにも、恐怖のビジョンを自在につくり出して、恐怖に おののかせたあとで、自分の思うとおりに人間を操ろうとする。
また、恐怖だけでなく、人の心をかき乱すことで人間を不安にしたり、 逆に信じ込ませて安心させたりして、人間を自由に操ろうとする。
彼らはそれを、類いまれな演技力や創作能力を使って行なう。
彼らの演技力や創作能力には、どんな名優も劇作家もかなうものではない。 彼らは人間にはない才能を持っているからだ。
彼らの演技力や創作能力の中でも、特に目立つのはウソやでっち上げを 自由自在に行なうことである。
彼らは、あることないことをまことしやかに でっち上げ、それを真実らしく語る
42K5 ◆ZrPJFvslEyUG :2011/04/10(日) 15:14:58.48 ID:MWBLZetb
ネットイナゴ=悪霊の本質(スウェデンボルグの解説から抜粋)

悪霊は、善とは何かを理解している。 しかし、悪とは何かをまったく理解していない。
彼らは、霊にも人間にもさまざまな悪事をするが、それが悪事だとはまったく思っていないのだ。 なぜなら、彼らは悪なるものが存在していることさえ気づいていないからだ。
彼らは善とは何かを知っていると言ったが、彼らの善とは、実は悪なのだ。
たとえば、他人を支配するのが好きだとか、他人の嘆きを見て喜ぶといった心情を、 霊になっても浄化しきれていない霊がある。その霊にとっては、他の霊や人間を苦しめることは嬉しいこと、喜ばしいことである。
そして、自分にとって嬉しいこと、喜ばしいことが、彼らの善なのだ。
彼らの中では善悪が逆転している。 このような形で善を理解している彼らに、悪などは当然存在しないことになる。 人間を苦しめることは、彼らにとっては嬉しいこと、喜ばしいことであり、 それが彼らの善なのであって、悪ではないのである。

この世にいろいろなタイプの悪人がいるのと 同様に、悪霊にもいろいろなタイプがある。
なかでも、もっとも凶悪で、大きな不幸や災難、苦しみを人間に与えるのは、 復讐の悪霊というべきタイプである。
この世の人間に対して復讐の念を 燃やす悪霊は実に多い。
復讐心は、普通の人間の世界では、公然と口にしたり、行動に移したりするのは許されていない。
それだけに、人間だったときの彼らの心の中に積もり 積もって、それが霊界に行っても浄化されないためかもしれない。 彼らは復讐のことを“喜び”と呼んでいるくらいだ。

彼らに見舞われた人間は 不幸のどん底に落とされる。彼らはさまざまな手を使って復讐の喜びを果たすが、 対象にした人間をひどい病気にして、その身体を破壊するぐらいでは 満足しない。
その人間の心まで狂わせて、愚行や悪行を行なわせる。 彼らは悪のテクニックにも長けているので、最初は善霊のような顔をして 近づいてくる。
私も、善霊だと思ってつき合っていた霊が復讐の霊だったと 知ったときには、彼らの詐術の巧みさにびっくりした経験がある。
霊の世界で聞いたところでは、彼らは集団をつくって行動しているという。
復讐の念に燃える悪霊は数えきれないほどいる。
だから彼らは、自分たちだけの団体をつくっているというわけだ。
彼らの団体の内部統制はしっかりしていて、同じ団体の者どうしでは互いに 傷つけ合うことはないのだという。
悪霊の特徴は、さまざまなテクニックを使うことである。
悪霊がやってくるときには、地獄の光景とでもいうべき恐ろしいビジョンが 見えてきたりする。
しかし、これは比較的単純な悪霊の場合で、たいていは少し悪知恵があり、 美しいビジョンを見せて人間を誘う。
(略)
悪霊はこのほかにも、恐怖のビジョンを自在につくり出して、恐怖に おののかせたあとで、自分の思うとおりに人間を操ろうとする。
また、恐怖だけでなく、人の心をかき乱すことで人間を不安にしたり、 逆に信じ込ませて安心させたりして、人間を自由に操ろうとする。
彼らはそれを、類いまれな演技力や創作能力を使って行なう。
彼らの演技力や創作能力には、どんな名優も劇作家もかなうものではない。 彼らは人間にはない才能を持っているからだ。
彼らの演技力や創作能力の中でも、特に目立つのはウソやでっち上げを 自由自在に行なうことである。
彼らは、あることないことをまことしやかに でっち上げ、それを真実らしく語る
43K5 ◆ZrPJFvslEyUG :2011/04/10(日) 15:16:13.68 ID:Tjz1iOIw
高梨真人
                  ,,、  ii,,                         
          “゚'ll゙““゚ll““゙゙゙′  .ll゜ ..,,,,,,,,、                      
           .,llヤlil‐l|.,,,lll・  'l*''llレ'″ `li、                     
          .,r゙'lll,,l゙ .ll″    ,,l゙l`    ll                      
            ,,,l゙゜ .:l|  .y .,il゙i,,l| .f,,,,,,ll!ll,                     
          ・'°  .'゙゙゙゙゙゙゙゙゙`   ゙゙゜     `  
                   
44K5 ◆ZrPJFvslEyUG :2011/04/10(日) 15:17:00.99 ID:MWBLZetb
ネットイナゴ=悪霊の本質(スウェデンボルグの解説から抜粋)

悪霊は、善とは何かを理解している。 しかし、悪とは何かをまったく理解していない。
彼らは、霊にも人間にもさまざまな悪事をするが、それが悪事だとはまったく思っていないのだ。 なぜなら、彼らは悪なるものが存在していることさえ気づいていないからだ。
彼らは善とは何かを知っていると言ったが、彼らの善とは、実は悪なのだ。
たとえば、他人を支配するのが好きだとか、他人の嘆きを見て喜ぶといった心情を、 霊になっても浄化しきれていない霊がある。その霊にとっては、他の霊や人間を苦しめることは嬉しいこと、喜ばしいことである。
そして、自分にとって嬉しいこと、喜ばしいことが、彼らの善なのだ。
彼らの中では善悪が逆転している。 このような形で善を理解している彼らに、悪などは当然存在しないことになる。 人間を苦しめることは、彼らにとっては嬉しいこと、喜ばしいことであり、 それが彼らの善なのであって、悪ではないのである。

この世にいろいろなタイプの悪人がいるのと 同様に、悪霊にもいろいろなタイプがある。
なかでも、もっとも凶悪で、大きな不幸や災難、苦しみを人間に与えるのは、 復讐の悪霊というべきタイプである。
この世の人間に対して復讐の念を 燃やす悪霊は実に多い。
復讐心は、普通の人間の世界では、公然と口にしたり、行動に移したりするのは許されていない。
それだけに、人間だったときの彼らの心の中に積もり 積もって、それが霊界に行っても浄化されないためかもしれない。 彼らは復讐のことを“喜び”と呼んでいるくらいだ。

彼らに見舞われた人間は 不幸のどん底に落とされる。彼らはさまざまな手を使って復讐の喜びを果たすが、 対象にした人間をひどい病気にして、その身体を破壊するぐらいでは 満足しない。
その人間の心まで狂わせて、愚行や悪行を行なわせる。 彼らは悪のテクニックにも長けているので、最初は善霊のような顔をして 近づいてくる。
私も、善霊だと思ってつき合っていた霊が復讐の霊だったと 知ったときには、彼らの詐術の巧みさにびっくりした経験がある。
霊の世界で聞いたところでは、彼らは集団をつくって行動しているという。
復讐の念に燃える悪霊は数えきれないほどいる。
だから彼らは、自分たちだけの団体をつくっているというわけだ。
彼らの団体の内部統制はしっかりしていて、同じ団体の者どうしでは互いに 傷つけ合うことはないのだという。
悪霊の特徴は、さまざまなテクニックを使うことである。
悪霊がやってくるときには、地獄の光景とでもいうべき恐ろしいビジョンが 見えてきたりする。
しかし、これは比較的単純な悪霊の場合で、たいていは少し悪知恵があり、 美しいビジョンを見せて人間を誘う。
(略)
悪霊はこのほかにも、恐怖のビジョンを自在につくり出して、恐怖に おののかせたあとで、自分の思うとおりに人間を操ろうとする。
また、恐怖だけでなく、人の心をかき乱すことで人間を不安にしたり、 逆に信じ込ませて安心させたりして、人間を自由に操ろうとする。
彼らはそれを、類いまれな演技力や創作能力を使って行なう。
彼らの演技力や創作能力には、どんな名優も劇作家もかなうものではない。 彼らは人間にはない才能を持っているからだ。
彼らの演技力や創作能力の中でも、特に目立つのはウソやでっち上げを 自由自在に行なうことである。
彼らは、あることないことをまことしやかに でっち上げ、それを真実らしく語る
45K5 ◆ZrPJFvslEyUG :2011/04/10(日) 15:22:19.70 ID:Tjz1iOIw
   ,,..l!l,,、            ,,、  ii,,                          
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グルーポン おせち バードカフェ 16
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/siberia/1299409499/1-
46<丶`∀´>さん:2011/04/10(日) 15:33:03.15 ID:yPd2HyHB
4月になってもやってるのか
ネットで正体が噂されてるようだが会社的にOKなのか
47K5 ◆ZrPJFvslEyUG :2011/04/10(日) 15:33:13.52 ID:MWBLZetb
ネットイナゴ=悪霊の本質(スウェデンボルグの解説から抜粋)

悪霊は、善とは何かを理解している。 しかし、悪とは何かをまったく理解していない。
彼らは、霊にも人間にもさまざまな悪事をするが、それが悪事だとはまったく思っていないのだ。 なぜなら、彼らは悪なるものが存在していることさえ気づいていないからだ。
彼らは善とは何かを知っていると言ったが、彼らの善とは、実は悪なのだ。
たとえば、他人を支配するのが好きだとか、他人の嘆きを見て喜ぶといった心情を、 霊になっても浄化しきれていない霊がある。その霊にとっては、他の霊や人間を苦しめることは嬉しいこと、喜ばしいことである。
そして、自分にとって嬉しいこと、喜ばしいことが、彼らの善なのだ。
彼らの中では善悪が逆転している。 このような形で善を理解している彼らに、悪などは当然存在しないことになる。 人間を苦しめることは、彼らにとっては嬉しいこと、喜ばしいことであり、 それが彼らの善なのであって、悪ではないのである。

この世にいろいろなタイプの悪人がいるのと 同様に、悪霊にもいろいろなタイプがある。
なかでも、もっとも凶悪で、大きな不幸や災難、苦しみを人間に与えるのは、 復讐の悪霊というべきタイプである。
この世の人間に対して復讐の念を 燃やす悪霊は実に多い。
復讐心は、普通の人間の世界では、公然と口にしたり、行動に移したりするのは許されていない。
それだけに、人間だったときの彼らの心の中に積もり 積もって、それが霊界に行っても浄化されないためかもしれない。 彼らは復讐のことを“喜び”と呼んでいるくらいだ。

彼らに見舞われた人間は 不幸のどん底に落とされる。彼らはさまざまな手を使って復讐の喜びを果たすが、 対象にした人間をひどい病気にして、その身体を破壊するぐらいでは 満足しない。
その人間の心まで狂わせて、愚行や悪行を行なわせる。 彼らは悪のテクニックにも長けているので、最初は善霊のような顔をして 近づいてくる。
私も、善霊だと思ってつき合っていた霊が復讐の霊だったと 知ったときには、彼らの詐術の巧みさにびっくりした経験がある。
霊の世界で聞いたところでは、彼らは集団をつくって行動しているという。
復讐の念に燃える悪霊は数えきれないほどいる。
だから彼らは、自分たちだけの団体をつくっているというわけだ。
彼らの団体の内部統制はしっかりしていて、同じ団体の者どうしでは互いに 傷つけ合うことはないのだという。
悪霊の特徴は、さまざまなテクニックを使うことである。
悪霊がやってくるときには、地獄の光景とでもいうべき恐ろしいビジョンが 見えてきたりする。
しかし、これは比較的単純な悪霊の場合で、たいていは少し悪知恵があり、 美しいビジョンを見せて人間を誘う。
(略)
悪霊はこのほかにも、恐怖のビジョンを自在につくり出して、恐怖に おののかせたあとで、自分の思うとおりに人間を操ろうとする。
また、恐怖だけでなく、人の心をかき乱すことで人間を不安にしたり、 逆に信じ込ませて安心させたりして、人間を自由に操ろうとする。
彼らはそれを、類いまれな演技力や創作能力を使って行なう。
彼らの演技力や創作能力には、どんな名優も劇作家もかなうものではない。 彼らは人間にはない才能を持っているからだ。
彼らの演技力や創作能力の中でも、特に目立つのはウソやでっち上げを 自由自在に行なうことである。
彼らは、あることないことをまことしやかに でっち上げ、それを真実らしく語る
48K5 ◆ZrPJFvslEyUG :2011/04/10(日) 15:35:17.32 ID:MWBLZetb
ネットイナゴ=悪霊の本質(スウェデンボルグの解説から抜粋)

悪霊は、善とは何かを理解している。 しかし、悪とは何かをまったく理解していない。
彼らは、霊にも人間にもさまざまな悪事をするが、それが悪事だとはまったく思っていないのだ。 なぜなら、彼らは悪なるものが存在していることさえ気づいていないからだ。
彼らは善とは何かを知っていると言ったが、彼らの善とは、実は悪なのだ。
たとえば、他人を支配するのが好きだとか、他人の嘆きを見て喜ぶといった心情を、 霊になっても浄化しきれていない霊がある。その霊にとっては、他の霊や人間を苦しめることは嬉しいこと、喜ばしいことである。
そして、自分にとって嬉しいこと、喜ばしいことが、彼らの善なのだ。
彼らの中では善悪が逆転している。 このような形で善を理解している彼らに、悪などは当然存在しないことになる。 人間を苦しめることは、彼らにとっては嬉しいこと、喜ばしいことであり、 それが彼らの善なのであって、悪ではないのである。

この世にいろいろなタイプの悪人がいるのと 同様に、悪霊にもいろいろなタイプがある。
なかでも、もっとも凶悪で、大きな不幸や災難、苦しみを人間に与えるのは、 復讐の悪霊というべきタイプである。
この世の人間に対して復讐の念を 燃やす悪霊は実に多い。
復讐心は、普通の人間の世界では、公然と口にしたり、行動に移したりするのは許されていない。
それだけに、人間だったときの彼らの心の中に積もり 積もって、それが霊界に行っても浄化されないためかもしれない。 彼らは復讐のことを“喜び”と呼んでいるくらいだ。

彼らに見舞われた人間は 不幸のどん底に落とされる。彼らはさまざまな手を使って復讐の喜びを果たすが、 対象にした人間をひどい病気にして、その身体を破壊するぐらいでは 満足しない。
その人間の心まで狂わせて、愚行や悪行を行なわせる。 彼らは悪のテクニックにも長けているので、最初は善霊のような顔をして 近づいてくる。
私も、善霊だと思ってつき合っていた霊が復讐の霊だったと 知ったときには、彼らの詐術の巧みさにびっくりした経験がある。
霊の世界で聞いたところでは、彼らは集団をつくって行動しているという。
復讐の念に燃える悪霊は数えきれないほどいる。
だから彼らは、自分たちだけの団体をつくっているというわけだ。
彼らの団体の内部統制はしっかりしていて、同じ団体の者どうしでは互いに 傷つけ合うことはないのだという。
悪霊の特徴は、さまざまなテクニックを使うことである。
悪霊がやってくるときには、地獄の光景とでもいうべき恐ろしいビジョンが 見えてきたりする。
しかし、これは比較的単純な悪霊の場合で、たいていは少し悪知恵があり、 美しいビジョンを見せて人間を誘う。
(略)
悪霊はこのほかにも、恐怖のビジョンを自在につくり出して、恐怖に おののかせたあとで、自分の思うとおりに人間を操ろうとする。
また、恐怖だけでなく、人の心をかき乱すことで人間を不安にしたり、 逆に信じ込ませて安心させたりして、人間を自由に操ろうとする。
彼らはそれを、類いまれな演技力や創作能力を使って行なう。
彼らの演技力や創作能力には、どんな名優も劇作家もかなうものではない。 彼らは人間にはない才能を持っているからだ。
彼らの演技力や創作能力の中でも、特に目立つのはウソやでっち上げを 自由自在に行なうことである。
彼らは、あることないことをまことしやかに でっち上げ、それを真実らしく語る
49K5 ◆ZrPJFvslEyUG :2011/04/10(日) 15:37:20.04 ID:MWBLZetb
ネットイナゴ=悪霊の本質(スウェデンボルグの解説から抜粋)

悪霊は、善とは何かを理解している。 しかし、悪とは何かをまったく理解していない。
彼らは、霊にも人間にもさまざまな悪事をするが、それが悪事だとはまったく思っていないのだ。 なぜなら、彼らは悪なるものが存在していることさえ気づいていないからだ。
彼らは善とは何かを知っていると言ったが、彼らの善とは、実は悪なのだ。
たとえば、他人を支配するのが好きだとか、他人の嘆きを見て喜ぶといった心情を、 霊になっても浄化しきれていない霊がある。その霊にとっては、他の霊や人間を苦しめることは嬉しいこと、喜ばしいことである。
そして、自分にとって嬉しいこと、喜ばしいことが、彼らの善なのだ。
彼らの中では善悪が逆転している。 このような形で善を理解している彼らに、悪などは当然存在しないことになる。 人間を苦しめることは、彼らにとっては嬉しいこと、喜ばしいことであり、 それが彼らの善なのであって、悪ではないのである。

この世にいろいろなタイプの悪人がいるのと 同様に、悪霊にもいろいろなタイプがある。
なかでも、もっとも凶悪で、大きな不幸や災難、苦しみを人間に与えるのは、 復讐の悪霊というべきタイプである。
この世の人間に対して復讐の念を 燃やす悪霊は実に多い。
復讐心は、普通の人間の世界では、公然と口にしたり、行動に移したりするのは許されていない。
それだけに、人間だったときの彼らの心の中に積もり 積もって、それが霊界に行っても浄化されないためかもしれない。 彼らは復讐のことを“喜び”と呼んでいるくらいだ。

彼らに見舞われた人間は 不幸のどん底に落とされる。彼らはさまざまな手を使って復讐の喜びを果たすが、 対象にした人間をひどい病気にして、その身体を破壊するぐらいでは 満足しない。
その人間の心まで狂わせて、愚行や悪行を行なわせる。 彼らは悪のテクニックにも長けているので、最初は善霊のような顔をして 近づいてくる。
私も、善霊だと思ってつき合っていた霊が復讐の霊だったと 知ったときには、彼らの詐術の巧みさにびっくりした経験がある。
霊の世界で聞いたところでは、彼らは集団をつくって行動しているという。
復讐の念に燃える悪霊は数えきれないほどいる。
だから彼らは、自分たちだけの団体をつくっているというわけだ。
彼らの団体の内部統制はしっかりしていて、同じ団体の者どうしでは互いに 傷つけ合うことはないのだという。
悪霊の特徴は、さまざまなテクニックを使うことである。
悪霊がやってくるときには、地獄の光景とでもいうべき恐ろしいビジョンが 見えてきたりする。
しかし、これは比較的単純な悪霊の場合で、たいていは少し悪知恵があり、 美しいビジョンを見せて人間を誘う。
(略)
悪霊はこのほかにも、恐怖のビジョンを自在につくり出して、恐怖に おののかせたあとで、自分の思うとおりに人間を操ろうとする。
また、恐怖だけでなく、人の心をかき乱すことで人間を不安にしたり、 逆に信じ込ませて安心させたりして、人間を自由に操ろうとする。
彼らはそれを、類いまれな演技力や創作能力を使って行なう。
彼らの演技力や創作能力には、どんな名優も劇作家もかなうものではない。 彼らは人間にはない才能を持っているからだ。
彼らの演技力や創作能力の中でも、特に目立つのはウソやでっち上げを 自由自在に行なうことである。
彼らは、あることないことをまことしやかに でっち上げ、それを真実らしく語る
50K5 ◆ZrPJFvslEyUG :2011/04/10(日) 15:39:22.02 ID:MWBLZetb
ネットイナゴ=悪霊の本質(スウェデンボルグの解説から抜粋)

悪霊は、善とは何かを理解している。 しかし、悪とは何かをまったく理解していない。
彼らは、霊にも人間にもさまざまな悪事をするが、それが悪事だとはまったく思っていないのだ。 なぜなら、彼らは悪なるものが存在していることさえ気づいていないからだ。
彼らは善とは何かを知っていると言ったが、彼らの善とは、実は悪なのだ。
たとえば、他人を支配するのが好きだとか、他人の嘆きを見て喜ぶといった心情を、 霊になっても浄化しきれていない霊がある。その霊にとっては、他の霊や人間を苦しめることは嬉しいこと、喜ばしいことである。
そして、自分にとって嬉しいこと、喜ばしいことが、彼らの善なのだ。
彼らの中では善悪が逆転している。 このような形で善を理解している彼らに、悪などは当然存在しないことになる。 人間を苦しめることは、彼らにとっては嬉しいこと、喜ばしいことであり、 それが彼らの善なのであって、悪ではないのである。

この世にいろいろなタイプの悪人がいるのと 同様に、悪霊にもいろいろなタイプがある。
なかでも、もっとも凶悪で、大きな不幸や災難、苦しみを人間に与えるのは、 復讐の悪霊というべきタイプである。
この世の人間に対して復讐の念を 燃やす悪霊は実に多い。
復讐心は、普通の人間の世界では、公然と口にしたり、行動に移したりするのは許されていない。
それだけに、人間だったときの彼らの心の中に積もり 積もって、それが霊界に行っても浄化されないためかもしれない。 彼らは復讐のことを“喜び”と呼んでいるくらいだ。

彼らに見舞われた人間は 不幸のどん底に落とされる。彼らはさまざまな手を使って復讐の喜びを果たすが、 対象にした人間をひどい病気にして、その身体を破壊するぐらいでは 満足しない。
その人間の心まで狂わせて、愚行や悪行を行なわせる。 彼らは悪のテクニックにも長けているので、最初は善霊のような顔をして 近づいてくる。
私も、善霊だと思ってつき合っていた霊が復讐の霊だったと 知ったときには、彼らの詐術の巧みさにびっくりした経験がある。
霊の世界で聞いたところでは、彼らは集団をつくって行動しているという。
復讐の念に燃える悪霊は数えきれないほどいる。
だから彼らは、自分たちだけの団体をつくっているというわけだ。
彼らの団体の内部統制はしっかりしていて、同じ団体の者どうしでは互いに 傷つけ合うことはないのだという。
悪霊の特徴は、さまざまなテクニックを使うことである。
悪霊がやってくるときには、地獄の光景とでもいうべき恐ろしいビジョンが 見えてきたりする。
しかし、これは比較的単純な悪霊の場合で、たいていは少し悪知恵があり、 美しいビジョンを見せて人間を誘う。
(略)
悪霊はこのほかにも、恐怖のビジョンを自在につくり出して、恐怖に おののかせたあとで、自分の思うとおりに人間を操ろうとする。
また、恐怖だけでなく、人の心をかき乱すことで人間を不安にしたり、 逆に信じ込ませて安心させたりして、人間を自由に操ろうとする。
彼らはそれを、類いまれな演技力や創作能力を使って行なう。
彼らの演技力や創作能力には、どんな名優も劇作家もかなうものではない。 彼らは人間にはない才能を持っているからだ。
彼らの演技力や創作能力の中でも、特に目立つのはウソやでっち上げを 自由自在に行なうことである。
彼らは、あることないことをまことしやかに でっち上げ、それを真実らしく語る
51K5 ◆ZrPJFvslEyUG :2011/04/10(日) 15:41:23.58 ID:MWBLZetb
ネットイナゴ=悪霊の本質(スウェデンボルグの解説から抜粋)

悪霊は、善とは何かを理解している。 しかし、悪とは何かをまったく理解していない。
彼らは、霊にも人間にもさまざまな悪事をするが、それが悪事だとはまったく思っていないのだ。 なぜなら、彼らは悪なるものが存在していることさえ気づいていないからだ。
彼らは善とは何かを知っていると言ったが、彼らの善とは、実は悪なのだ。
たとえば、他人を支配するのが好きだとか、他人の嘆きを見て喜ぶといった心情を、 霊になっても浄化しきれていない霊がある。その霊にとっては、他の霊や人間を苦しめることは嬉しいこと、喜ばしいことである。
そして、自分にとって嬉しいこと、喜ばしいことが、彼らの善なのだ。
彼らの中では善悪が逆転している。 このような形で善を理解している彼らに、悪などは当然存在しないことになる。 人間を苦しめることは、彼らにとっては嬉しいこと、喜ばしいことであり、 それが彼らの善なのであって、悪ではないのである。

この世にいろいろなタイプの悪人がいるのと 同様に、悪霊にもいろいろなタイプがある。
なかでも、もっとも凶悪で、大きな不幸や災難、苦しみを人間に与えるのは、 復讐の悪霊というべきタイプである。
この世の人間に対して復讐の念を 燃やす悪霊は実に多い。
復讐心は、普通の人間の世界では、公然と口にしたり、行動に移したりするのは許されていない。
それだけに、人間だったときの彼らの心の中に積もり 積もって、それが霊界に行っても浄化されないためかもしれない。 彼らは復讐のことを“喜び”と呼んでいるくらいだ。

彼らに見舞われた人間は 不幸のどん底に落とされる。彼らはさまざまな手を使って復讐の喜びを果たすが、 対象にした人間をひどい病気にして、その身体を破壊するぐらいでは 満足しない。
その人間の心まで狂わせて、愚行や悪行を行なわせる。 彼らは悪のテクニックにも長けているので、最初は善霊のような顔をして 近づいてくる。
私も、善霊だと思ってつき合っていた霊が復讐の霊だったと 知ったときには、彼らの詐術の巧みさにびっくりした経験がある。
霊の世界で聞いたところでは、彼らは集団をつくって行動しているという。
復讐の念に燃える悪霊は数えきれないほどいる。
だから彼らは、自分たちだけの団体をつくっているというわけだ。
彼らの団体の内部統制はしっかりしていて、同じ団体の者どうしでは互いに 傷つけ合うことはないのだという。
悪霊の特徴は、さまざまなテクニックを使うことである。
悪霊がやってくるときには、地獄の光景とでもいうべき恐ろしいビジョンが 見えてきたりする。
しかし、これは比較的単純な悪霊の場合で、たいていは少し悪知恵があり、 美しいビジョンを見せて人間を誘う。
(略)
悪霊はこのほかにも、恐怖のビジョンを自在につくり出して、恐怖に おののかせたあとで、自分の思うとおりに人間を操ろうとする。
また、恐怖だけでなく、人の心をかき乱すことで人間を不安にしたり、 逆に信じ込ませて安心させたりして、人間を自由に操ろうとする。
彼らはそれを、類いまれな演技力や創作能力を使って行なう。
彼らの演技力や創作能力には、どんな名優も劇作家もかなうものではない。 彼らは人間にはない才能を持っているからだ。
彼らの演技力や創作能力の中でも、特に目立つのはウソやでっち上げを 自由自在に行なうことである。
彼らは、あることないことをまことしやかに でっち上げ、それを真実らしく語る
52K5 ◆ZrPJFvslEyUG :2011/04/10(日) 15:43:24.79 ID:MWBLZetb
ネットイナゴ=悪霊の本質(スウェデンボルグの解説から抜粋)

悪霊は、善とは何かを理解している。 しかし、悪とは何かをまったく理解していない。
彼らは、霊にも人間にもさまざまな悪事をするが、それが悪事だとはまったく思っていないのだ。 なぜなら、彼らは悪なるものが存在していることさえ気づいていないからだ。
彼らは善とは何かを知っていると言ったが、彼らの善とは、実は悪なのだ。
たとえば、他人を支配するのが好きだとか、他人の嘆きを見て喜ぶといった心情を、 霊になっても浄化しきれていない霊がある。その霊にとっては、他の霊や人間を苦しめることは嬉しいこと、喜ばしいことである。
そして、自分にとって嬉しいこと、喜ばしいことが、彼らの善なのだ。
彼らの中では善悪が逆転している。 このような形で善を理解している彼らに、悪などは当然存在しないことになる。 人間を苦しめることは、彼らにとっては嬉しいこと、喜ばしいことであり、 それが彼らの善なのであって、悪ではないのである。

この世にいろいろなタイプの悪人がいるのと 同様に、悪霊にもいろいろなタイプがある。
なかでも、もっとも凶悪で、大きな不幸や災難、苦しみを人間に与えるのは、 復讐の悪霊というべきタイプである。
この世の人間に対して復讐の念を 燃やす悪霊は実に多い。
復讐心は、普通の人間の世界では、公然と口にしたり、行動に移したりするのは許されていない。
それだけに、人間だったときの彼らの心の中に積もり 積もって、それが霊界に行っても浄化されないためかもしれない。 彼らは復讐のことを“喜び”と呼んでいるくらいだ。

彼らに見舞われた人間は 不幸のどん底に落とされる。彼らはさまざまな手を使って復讐の喜びを果たすが、 対象にした人間をひどい病気にして、その身体を破壊するぐらいでは 満足しない。
その人間の心まで狂わせて、愚行や悪行を行なわせる。 彼らは悪のテクニックにも長けているので、最初は善霊のような顔をして 近づいてくる。
私も、善霊だと思ってつき合っていた霊が復讐の霊だったと 知ったときには、彼らの詐術の巧みさにびっくりした経験がある。
霊の世界で聞いたところでは、彼らは集団をつくって行動しているという。
復讐の念に燃える悪霊は数えきれないほどいる。
だから彼らは、自分たちだけの団体をつくっているというわけだ。
彼らの団体の内部統制はしっかりしていて、同じ団体の者どうしでは互いに 傷つけ合うことはないのだという。
悪霊の特徴は、さまざまなテクニックを使うことである。
悪霊がやってくるときには、地獄の光景とでもいうべき恐ろしいビジョンが 見えてきたりする。
しかし、これは比較的単純な悪霊の場合で、たいていは少し悪知恵があり、 美しいビジョンを見せて人間を誘う。
(略)
悪霊はこのほかにも、恐怖のビジョンを自在につくり出して、恐怖に おののかせたあとで、自分の思うとおりに人間を操ろうとする。
また、恐怖だけでなく、人の心をかき乱すことで人間を不安にしたり、 逆に信じ込ませて安心させたりして、人間を自由に操ろうとする。
彼らはそれを、類いまれな演技力や創作能力を使って行なう。
彼らの演技力や創作能力には、どんな名優も劇作家もかなうものではない。 彼らは人間にはない才能を持っているからだ。
彼らの演技力や創作能力の中でも、特に目立つのはウソやでっち上げを 自由自在に行なうことである。
彼らは、あることないことをまことしやかに でっち上げ、それを真実らしく語る
53K5 ◆ZrPJFvslEyUG :2011/04/10(日) 15:45:27.28 ID:MWBLZetb
ネットイナゴ=悪霊の本質(スウェデンボルグの解説から抜粋)

悪霊は、善とは何かを理解している。 しかし、悪とは何かをまったく理解していない。
彼らは、霊にも人間にもさまざまな悪事をするが、それが悪事だとはまったく思っていないのだ。 なぜなら、彼らは悪なるものが存在していることさえ気づいていないからだ。
彼らは善とは何かを知っていると言ったが、彼らの善とは、実は悪なのだ。
たとえば、他人を支配するのが好きだとか、他人の嘆きを見て喜ぶといった心情を、 霊になっても浄化しきれていない霊がある。その霊にとっては、他の霊や人間を苦しめることは嬉しいこと、喜ばしいことである。
そして、自分にとって嬉しいこと、喜ばしいことが、彼らの善なのだ。
彼らの中では善悪が逆転している。 このような形で善を理解している彼らに、悪などは当然存在しないことになる。 人間を苦しめることは、彼らにとっては嬉しいこと、喜ばしいことであり、 それが彼らの善なのであって、悪ではないのである。

この世にいろいろなタイプの悪人がいるのと 同様に、悪霊にもいろいろなタイプがある。
なかでも、もっとも凶悪で、大きな不幸や災難、苦しみを人間に与えるのは、 復讐の悪霊というべきタイプである。
この世の人間に対して復讐の念を 燃やす悪霊は実に多い。
復讐心は、普通の人間の世界では、公然と口にしたり、行動に移したりするのは許されていない。
それだけに、人間だったときの彼らの心の中に積もり 積もって、それが霊界に行っても浄化されないためかもしれない。 彼らは復讐のことを“喜び”と呼んでいるくらいだ。

彼らに見舞われた人間は 不幸のどん底に落とされる。彼らはさまざまな手を使って復讐の喜びを果たすが、 対象にした人間をひどい病気にして、その身体を破壊するぐらいでは 満足しない。
その人間の心まで狂わせて、愚行や悪行を行なわせる。 彼らは悪のテクニックにも長けているので、最初は善霊のような顔をして 近づいてくる。
私も、善霊だと思ってつき合っていた霊が復讐の霊だったと 知ったときには、彼らの詐術の巧みさにびっくりした経験がある。
霊の世界で聞いたところでは、彼らは集団をつくって行動しているという。
復讐の念に燃える悪霊は数えきれないほどいる。
だから彼らは、自分たちだけの団体をつくっているというわけだ。
彼らの団体の内部統制はしっかりしていて、同じ団体の者どうしでは互いに 傷つけ合うことはないのだという。
悪霊の特徴は、さまざまなテクニックを使うことである。
悪霊がやってくるときには、地獄の光景とでもいうべき恐ろしいビジョンが 見えてきたりする。
しかし、これは比較的単純な悪霊の場合で、たいていは少し悪知恵があり、 美しいビジョンを見せて人間を誘う。
(略)
悪霊はこのほかにも、恐怖のビジョンを自在につくり出して、恐怖に おののかせたあとで、自分の思うとおりに人間を操ろうとする。
また、恐怖だけでなく、人の心をかき乱すことで人間を不安にしたり、 逆に信じ込ませて安心させたりして、人間を自由に操ろうとする。
彼らはそれを、類いまれな演技力や創作能力を使って行なう。
彼らの演技力や創作能力には、どんな名優も劇作家もかなうものではない。 彼らは人間にはない才能を持っているからだ。
彼らの演技力や創作能力の中でも、特に目立つのはウソやでっち上げを 自由自在に行なうことである。
彼らは、あることないことをまことしやかに でっち上げ、それを真実らしく語る
54K5 ◆ZrPJFvslEyUG :2011/04/10(日) 15:47:29.42 ID:MWBLZetb
ネットイナゴ=悪霊の本質(スウェデンボルグの解説から抜粋)

悪霊は、善とは何かを理解している。 しかし、悪とは何かをまったく理解していない。
彼らは、霊にも人間にもさまざまな悪事をするが、それが悪事だとはまったく思っていないのだ。 なぜなら、彼らは悪なるものが存在していることさえ気づいていないからだ。
彼らは善とは何かを知っていると言ったが、彼らの善とは、実は悪なのだ。
たとえば、他人を支配するのが好きだとか、他人の嘆きを見て喜ぶといった心情を、 霊になっても浄化しきれていない霊がある。その霊にとっては、他の霊や人間を苦しめることは嬉しいこと、喜ばしいことである。
そして、自分にとって嬉しいこと、喜ばしいことが、彼らの善なのだ。
彼らの中では善悪が逆転している。 このような形で善を理解している彼らに、悪などは当然存在しないことになる。 人間を苦しめることは、彼らにとっては嬉しいこと、喜ばしいことであり、 それが彼らの善なのであって、悪ではないのである。

この世にいろいろなタイプの悪人がいるのと 同様に、悪霊にもいろいろなタイプがある。
なかでも、もっとも凶悪で、大きな不幸や災難、苦しみを人間に与えるのは、 復讐の悪霊というべきタイプである。
この世の人間に対して復讐の念を 燃やす悪霊は実に多い。
復讐心は、普通の人間の世界では、公然と口にしたり、行動に移したりするのは許されていない。
それだけに、人間だったときの彼らの心の中に積もり 積もって、それが霊界に行っても浄化されないためかもしれない。 彼らは復讐のことを“喜び”と呼んでいるくらいだ。

彼らに見舞われた人間は 不幸のどん底に落とされる。彼らはさまざまな手を使って復讐の喜びを果たすが、 対象にした人間をひどい病気にして、その身体を破壊するぐらいでは 満足しない。
その人間の心まで狂わせて、愚行や悪行を行なわせる。 彼らは悪のテクニックにも長けているので、最初は善霊のような顔をして 近づいてくる。
私も、善霊だと思ってつき合っていた霊が復讐の霊だったと 知ったときには、彼らの詐術の巧みさにびっくりした経験がある。
霊の世界で聞いたところでは、彼らは集団をつくって行動しているという。
復讐の念に燃える悪霊は数えきれないほどいる。
だから彼らは、自分たちだけの団体をつくっているというわけだ。
彼らの団体の内部統制はしっかりしていて、同じ団体の者どうしでは互いに 傷つけ合うことはないのだという。
悪霊の特徴は、さまざまなテクニックを使うことである。
悪霊がやってくるときには、地獄の光景とでもいうべき恐ろしいビジョンが 見えてきたりする。
しかし、これは比較的単純な悪霊の場合で、たいていは少し悪知恵があり、 美しいビジョンを見せて人間を誘う。
(略)
悪霊はこのほかにも、恐怖のビジョンを自在につくり出して、恐怖に おののかせたあとで、自分の思うとおりに人間を操ろうとする。
また、恐怖だけでなく、人の心をかき乱すことで人間を不安にしたり、 逆に信じ込ませて安心させたりして、人間を自由に操ろうとする。
彼らはそれを、類いまれな演技力や創作能力を使って行なう。
彼らの演技力や創作能力には、どんな名優も劇作家もかなうものではない。 彼らは人間にはない才能を持っているからだ。
彼らの演技力や創作能力の中でも、特に目立つのはウソやでっち上げを 自由自在に行なうことである。
彼らは、あることないことをまことしやかに でっち上げ、それを真実らしく語る
55K5 ◆ZrPJFvslEyUG :2011/04/10(日) 15:49:31.22 ID:MWBLZetb
ネットイナゴ=悪霊の本質(スウェデンボルグの解説から抜粋)

悪霊は、善とは何かを理解している。 しかし、悪とは何かをまったく理解していない。
彼らは、霊にも人間にもさまざまな悪事をするが、それが悪事だとはまったく思っていないのだ。 なぜなら、彼らは悪なるものが存在していることさえ気づいていないからだ。
彼らは善とは何かを知っていると言ったが、彼らの善とは、実は悪なのだ。
たとえば、他人を支配するのが好きだとか、他人の嘆きを見て喜ぶといった心情を、 霊になっても浄化しきれていない霊がある。その霊にとっては、他の霊や人間を苦しめることは嬉しいこと、喜ばしいことである。
そして、自分にとって嬉しいこと、喜ばしいことが、彼らの善なのだ。
彼らの中では善悪が逆転している。 このような形で善を理解している彼らに、悪などは当然存在しないことになる。 人間を苦しめることは、彼らにとっては嬉しいこと、喜ばしいことであり、 それが彼らの善なのであって、悪ではないのである。

この世にいろいろなタイプの悪人がいるのと 同様に、悪霊にもいろいろなタイプがある。
なかでも、もっとも凶悪で、大きな不幸や災難、苦しみを人間に与えるのは、 復讐の悪霊というべきタイプである。
この世の人間に対して復讐の念を 燃やす悪霊は実に多い。
復讐心は、普通の人間の世界では、公然と口にしたり、行動に移したりするのは許されていない。
それだけに、人間だったときの彼らの心の中に積もり 積もって、それが霊界に行っても浄化されないためかもしれない。 彼らは復讐のことを“喜び”と呼んでいるくらいだ。

彼らに見舞われた人間は 不幸のどん底に落とされる。彼らはさまざまな手を使って復讐の喜びを果たすが、 対象にした人間をひどい病気にして、その身体を破壊するぐらいでは 満足しない。
その人間の心まで狂わせて、愚行や悪行を行なわせる。 彼らは悪のテクニックにも長けているので、最初は善霊のような顔をして 近づいてくる。
私も、善霊だと思ってつき合っていた霊が復讐の霊だったと 知ったときには、彼らの詐術の巧みさにびっくりした経験がある。
霊の世界で聞いたところでは、彼らは集団をつくって行動しているという。
復讐の念に燃える悪霊は数えきれないほどいる。
だから彼らは、自分たちだけの団体をつくっているというわけだ。
彼らの団体の内部統制はしっかりしていて、同じ団体の者どうしでは互いに 傷つけ合うことはないのだという。
悪霊の特徴は、さまざまなテクニックを使うことである。
悪霊がやってくるときには、地獄の光景とでもいうべき恐ろしいビジョンが 見えてきたりする。
しかし、これは比較的単純な悪霊の場合で、たいていは少し悪知恵があり、 美しいビジョンを見せて人間を誘う。
(略)
悪霊はこのほかにも、恐怖のビジョンを自在につくり出して、恐怖に おののかせたあとで、自分の思うとおりに人間を操ろうとする。
また、恐怖だけでなく、人の心をかき乱すことで人間を不安にしたり、 逆に信じ込ませて安心させたりして、人間を自由に操ろうとする。
彼らはそれを、類いまれな演技力や創作能力を使って行なう。
彼らの演技力や創作能力には、どんな名優も劇作家もかなうものではない。 彼らは人間にはない才能を持っているからだ。
彼らの演技力や創作能力の中でも、特に目立つのはウソやでっち上げを 自由自在に行なうことである。
彼らは、あることないことをまことしやかに でっち上げ、それを真実らしく語る
56K5 ◆ZrPJFvslEyUG :2011/04/10(日) 15:51:32.89 ID:MWBLZetb
ネットイナゴ=悪霊の本質(スウェデンボルグの解説から抜粋)

悪霊は、善とは何かを理解している。 しかし、悪とは何かをまったく理解していない。
彼らは、霊にも人間にもさまざまな悪事をするが、それが悪事だとはまったく思っていないのだ。 なぜなら、彼らは悪なるものが存在していることさえ気づいていないからだ。
彼らは善とは何かを知っていると言ったが、彼らの善とは、実は悪なのだ。
たとえば、他人を支配するのが好きだとか、他人の嘆きを見て喜ぶといった心情を、 霊になっても浄化しきれていない霊がある。その霊にとっては、他の霊や人間を苦しめることは嬉しいこと、喜ばしいことである。
そして、自分にとって嬉しいこと、喜ばしいことが、彼らの善なのだ。
彼らの中では善悪が逆転している。 このような形で善を理解している彼らに、悪などは当然存在しないことになる。 人間を苦しめることは、彼らにとっては嬉しいこと、喜ばしいことであり、 それが彼らの善なのであって、悪ではないのである。

この世にいろいろなタイプの悪人がいるのと 同様に、悪霊にもいろいろなタイプがある。
なかでも、もっとも凶悪で、大きな不幸や災難、苦しみを人間に与えるのは、 復讐の悪霊というべきタイプである。
この世の人間に対して復讐の念を 燃やす悪霊は実に多い。
復讐心は、普通の人間の世界では、公然と口にしたり、行動に移したりするのは許されていない。
それだけに、人間だったときの彼らの心の中に積もり 積もって、それが霊界に行っても浄化されないためかもしれない。 彼らは復讐のことを“喜び”と呼んでいるくらいだ。

彼らに見舞われた人間は 不幸のどん底に落とされる。彼らはさまざまな手を使って復讐の喜びを果たすが、 対象にした人間をひどい病気にして、その身体を破壊するぐらいでは 満足しない。
その人間の心まで狂わせて、愚行や悪行を行なわせる。 彼らは悪のテクニックにも長けているので、最初は善霊のような顔をして 近づいてくる。
私も、善霊だと思ってつき合っていた霊が復讐の霊だったと 知ったときには、彼らの詐術の巧みさにびっくりした経験がある。
霊の世界で聞いたところでは、彼らは集団をつくって行動しているという。
復讐の念に燃える悪霊は数えきれないほどいる。
だから彼らは、自分たちだけの団体をつくっているというわけだ。
彼らの団体の内部統制はしっかりしていて、同じ団体の者どうしでは互いに 傷つけ合うことはないのだという。
悪霊の特徴は、さまざまなテクニックを使うことである。
悪霊がやってくるときには、地獄の光景とでもいうべき恐ろしいビジョンが 見えてきたりする。
しかし、これは比較的単純な悪霊の場合で、たいていは少し悪知恵があり、 美しいビジョンを見せて人間を誘う。
(略)
悪霊はこのほかにも、恐怖のビジョンを自在につくり出して、恐怖に おののかせたあとで、自分の思うとおりに人間を操ろうとする。
また、恐怖だけでなく、人の心をかき乱すことで人間を不安にしたり、 逆に信じ込ませて安心させたりして、人間を自由に操ろうとする。
彼らはそれを、類いまれな演技力や創作能力を使って行なう。
彼らの演技力や創作能力には、どんな名優も劇作家もかなうものではない。 彼らは人間にはない才能を持っているからだ。
彼らの演技力や創作能力の中でも、特に目立つのはウソやでっち上げを 自由自在に行なうことである。
彼らは、あることないことをまことしやかに でっち上げ、それを真実らしく語る
57K5 ◆ZrPJFvslEyUG :2011/04/10(日) 15:53:33.99 ID:MWBLZetb
ネットイナゴ=悪霊の本質(スウェデンボルグの解説から抜粋)

悪霊は、善とは何かを理解している。 しかし、悪とは何かをまったく理解していない。
彼らは、霊にも人間にもさまざまな悪事をするが、それが悪事だとはまったく思っていないのだ。 なぜなら、彼らは悪なるものが存在していることさえ気づいていないからだ。
彼らは善とは何かを知っていると言ったが、彼らの善とは、実は悪なのだ。
たとえば、他人を支配するのが好きだとか、他人の嘆きを見て喜ぶといった心情を、 霊になっても浄化しきれていない霊がある。その霊にとっては、他の霊や人間を苦しめることは嬉しいこと、喜ばしいことである。
そして、自分にとって嬉しいこと、喜ばしいことが、彼らの善なのだ。
彼らの中では善悪が逆転している。 このような形で善を理解している彼らに、悪などは当然存在しないことになる。 人間を苦しめることは、彼らにとっては嬉しいこと、喜ばしいことであり、 それが彼らの善なのであって、悪ではないのである。

この世にいろいろなタイプの悪人がいるのと 同様に、悪霊にもいろいろなタイプがある。
なかでも、もっとも凶悪で、大きな不幸や災難、苦しみを人間に与えるのは、 復讐の悪霊というべきタイプである。
この世の人間に対して復讐の念を 燃やす悪霊は実に多い。
復讐心は、普通の人間の世界では、公然と口にしたり、行動に移したりするのは許されていない。
それだけに、人間だったときの彼らの心の中に積もり 積もって、それが霊界に行っても浄化されないためかもしれない。 彼らは復讐のことを“喜び”と呼んでいるくらいだ。

彼らに見舞われた人間は 不幸のどん底に落とされる。彼らはさまざまな手を使って復讐の喜びを果たすが、 対象にした人間をひどい病気にして、その身体を破壊するぐらいでは 満足しない。
その人間の心まで狂わせて、愚行や悪行を行なわせる。 彼らは悪のテクニックにも長けているので、最初は善霊のような顔をして 近づいてくる。
私も、善霊だと思ってつき合っていた霊が復讐の霊だったと 知ったときには、彼らの詐術の巧みさにびっくりした経験がある。
霊の世界で聞いたところでは、彼らは集団をつくって行動しているという。
復讐の念に燃える悪霊は数えきれないほどいる。
だから彼らは、自分たちだけの団体をつくっているというわけだ。
彼らの団体の内部統制はしっかりしていて、同じ団体の者どうしでは互いに 傷つけ合うことはないのだという。
悪霊の特徴は、さまざまなテクニックを使うことである。
悪霊がやってくるときには、地獄の光景とでもいうべき恐ろしいビジョンが 見えてきたりする。
しかし、これは比較的単純な悪霊の場合で、たいていは少し悪知恵があり、 美しいビジョンを見せて人間を誘う。
(略)
悪霊はこのほかにも、恐怖のビジョンを自在につくり出して、恐怖に おののかせたあとで、自分の思うとおりに人間を操ろうとする。
また、恐怖だけでなく、人の心をかき乱すことで人間を不安にしたり、 逆に信じ込ませて安心させたりして、人間を自由に操ろうとする。
彼らはそれを、類いまれな演技力や創作能力を使って行なう。
彼らの演技力や創作能力には、どんな名優も劇作家もかなうものではない。 彼らは人間にはない才能を持っているからだ。
彼らの演技力や創作能力の中でも、特に目立つのはウソやでっち上げを 自由自在に行なうことである。
彼らは、あることないことをまことしやかに でっち上げ、それを真実らしく語る
58K5 ◆ZrPJFvslEyUG :2011/04/10(日) 15:55:36.54 ID:MWBLZetb
ネットイナゴ=悪霊の本質(スウェデンボルグの解説から抜粋)

悪霊は、善とは何かを理解している。 しかし、悪とは何かをまったく理解していない。
彼らは、霊にも人間にもさまざまな悪事をするが、それが悪事だとはまったく思っていないのだ。 なぜなら、彼らは悪なるものが存在していることさえ気づいていないからだ。
彼らは善とは何かを知っていると言ったが、彼らの善とは、実は悪なのだ。
たとえば、他人を支配するのが好きだとか、他人の嘆きを見て喜ぶといった心情を、 霊になっても浄化しきれていない霊がある。その霊にとっては、他の霊や人間を苦しめることは嬉しいこと、喜ばしいことである。
そして、自分にとって嬉しいこと、喜ばしいことが、彼らの善なのだ。
彼らの中では善悪が逆転している。 このような形で善を理解している彼らに、悪などは当然存在しないことになる。 人間を苦しめることは、彼らにとっては嬉しいこと、喜ばしいことであり、 それが彼らの善なのであって、悪ではないのである。

この世にいろいろなタイプの悪人がいるのと 同様に、悪霊にもいろいろなタイプがある。
なかでも、もっとも凶悪で、大きな不幸や災難、苦しみを人間に与えるのは、 復讐の悪霊というべきタイプである。
この世の人間に対して復讐の念を 燃やす悪霊は実に多い。
復讐心は、普通の人間の世界では、公然と口にしたり、行動に移したりするのは許されていない。
それだけに、人間だったときの彼らの心の中に積もり 積もって、それが霊界に行っても浄化されないためかもしれない。 彼らは復讐のことを“喜び”と呼んでいるくらいだ。

彼らに見舞われた人間は 不幸のどん底に落とされる。彼らはさまざまな手を使って復讐の喜びを果たすが、 対象にした人間をひどい病気にして、その身体を破壊するぐらいでは 満足しない。
その人間の心まで狂わせて、愚行や悪行を行なわせる。 彼らは悪のテクニックにも長けているので、最初は善霊のような顔をして 近づいてくる。
私も、善霊だと思ってつき合っていた霊が復讐の霊だったと 知ったときには、彼らの詐術の巧みさにびっくりした経験がある。
霊の世界で聞いたところでは、彼らは集団をつくって行動しているという。
復讐の念に燃える悪霊は数えきれないほどいる。
だから彼らは、自分たちだけの団体をつくっているというわけだ。
彼らの団体の内部統制はしっかりしていて、同じ団体の者どうしでは互いに 傷つけ合うことはないのだという。
悪霊の特徴は、さまざまなテクニックを使うことである。
悪霊がやってくるときには、地獄の光景とでもいうべき恐ろしいビジョンが 見えてきたりする。
しかし、これは比較的単純な悪霊の場合で、たいていは少し悪知恵があり、 美しいビジョンを見せて人間を誘う。
(略)
悪霊はこのほかにも、恐怖のビジョンを自在につくり出して、恐怖に おののかせたあとで、自分の思うとおりに人間を操ろうとする。
また、恐怖だけでなく、人の心をかき乱すことで人間を不安にしたり、 逆に信じ込ませて安心させたりして、人間を自由に操ろうとする。
彼らはそれを、類いまれな演技力や創作能力を使って行なう。
彼らの演技力や創作能力には、どんな名優も劇作家もかなうものではない。 彼らは人間にはない才能を持っているからだ。
彼らの演技力や創作能力の中でも、特に目立つのはウソやでっち上げを 自由自在に行なうことである。
彼らは、あることないことをまことしやかに でっち上げ、それを真実らしく語る
59K5 ◆ZrPJFvslEyUG :2011/04/10(日) 15:57:38.73 ID:MWBLZetb
ネットイナゴ=悪霊の本質(スウェデンボルグの解説から抜粋)

悪霊は、善とは何かを理解している。 しかし、悪とは何かをまったく理解していない。
彼らは、霊にも人間にもさまざまな悪事をするが、それが悪事だとはまったく思っていないのだ。 なぜなら、彼らは悪なるものが存在していることさえ気づいていないからだ。
彼らは善とは何かを知っていると言ったが、彼らの善とは、実は悪なのだ。
たとえば、他人を支配するのが好きだとか、他人の嘆きを見て喜ぶといった心情を、 霊になっても浄化しきれていない霊がある。その霊にとっては、他の霊や人間を苦しめることは嬉しいこと、喜ばしいことである。
そして、自分にとって嬉しいこと、喜ばしいことが、彼らの善なのだ。
彼らの中では善悪が逆転している。 このような形で善を理解している彼らに、悪などは当然存在しないことになる。 人間を苦しめることは、彼らにとっては嬉しいこと、喜ばしいことであり、 それが彼らの善なのであって、悪ではないのである。

この世にいろいろなタイプの悪人がいるのと 同様に、悪霊にもいろいろなタイプがある。
なかでも、もっとも凶悪で、大きな不幸や災難、苦しみを人間に与えるのは、 復讐の悪霊というべきタイプである。
この世の人間に対して復讐の念を 燃やす悪霊は実に多い。
復讐心は、普通の人間の世界では、公然と口にしたり、行動に移したりするのは許されていない。
それだけに、人間だったときの彼らの心の中に積もり 積もって、それが霊界に行っても浄化されないためかもしれない。 彼らは復讐のことを“喜び”と呼んでいるくらいだ。

彼らに見舞われた人間は 不幸のどん底に落とされる。彼らはさまざまな手を使って復讐の喜びを果たすが、 対象にした人間をひどい病気にして、その身体を破壊するぐらいでは 満足しない。
その人間の心まで狂わせて、愚行や悪行を行なわせる。 彼らは悪のテクニックにも長けているので、最初は善霊のような顔をして 近づいてくる。
私も、善霊だと思ってつき合っていた霊が復讐の霊だったと 知ったときには、彼らの詐術の巧みさにびっくりした経験がある。
霊の世界で聞いたところでは、彼らは集団をつくって行動しているという。
復讐の念に燃える悪霊は数えきれないほどいる。
だから彼らは、自分たちだけの団体をつくっているというわけだ。
彼らの団体の内部統制はしっかりしていて、同じ団体の者どうしでは互いに 傷つけ合うことはないのだという。
悪霊の特徴は、さまざまなテクニックを使うことである。
悪霊がやってくるときには、地獄の光景とでもいうべき恐ろしいビジョンが 見えてきたりする。
しかし、これは比較的単純な悪霊の場合で、たいていは少し悪知恵があり、 美しいビジョンを見せて人間を誘う。
(略)
悪霊はこのほかにも、恐怖のビジョンを自在につくり出して、恐怖に おののかせたあとで、自分の思うとおりに人間を操ろうとする。
また、恐怖だけでなく、人の心をかき乱すことで人間を不安にしたり、 逆に信じ込ませて安心させたりして、人間を自由に操ろうとする。
彼らはそれを、類いまれな演技力や創作能力を使って行なう。
彼らの演技力や創作能力には、どんな名優も劇作家もかなうものではない。 彼らは人間にはない才能を持っているからだ。
彼らの演技力や創作能力の中でも、特に目立つのはウソやでっち上げを 自由自在に行なうことである。
彼らは、あることないことをまことしやかに でっち上げ、それを真実らしく語る
60K5 ◆ZrPJFvslEyUG :2011/04/10(日) 15:59:40.66 ID:MWBLZetb
ネットイナゴ=悪霊の本質(スウェデンボルグの解説から抜粋)

悪霊は、善とは何かを理解している。 しかし、悪とは何かをまったく理解していない。
彼らは、霊にも人間にもさまざまな悪事をするが、それが悪事だとはまったく思っていないのだ。 なぜなら、彼らは悪なるものが存在していることさえ気づいていないからだ。
彼らは善とは何かを知っていると言ったが、彼らの善とは、実は悪なのだ。
たとえば、他人を支配するのが好きだとか、他人の嘆きを見て喜ぶといった心情を、 霊になっても浄化しきれていない霊がある。その霊にとっては、他の霊や人間を苦しめることは嬉しいこと、喜ばしいことである。
そして、自分にとって嬉しいこと、喜ばしいことが、彼らの善なのだ。
彼らの中では善悪が逆転している。 このような形で善を理解している彼らに、悪などは当然存在しないことになる。 人間を苦しめることは、彼らにとっては嬉しいこと、喜ばしいことであり、 それが彼らの善なのであって、悪ではないのである。

この世にいろいろなタイプの悪人がいるのと 同様に、悪霊にもいろいろなタイプがある。
なかでも、もっとも凶悪で、大きな不幸や災難、苦しみを人間に与えるのは、 復讐の悪霊というべきタイプである。
この世の人間に対して復讐の念を 燃やす悪霊は実に多い。
復讐心は、普通の人間の世界では、公然と口にしたり、行動に移したりするのは許されていない。
それだけに、人間だったときの彼らの心の中に積もり 積もって、それが霊界に行っても浄化されないためかもしれない。 彼らは復讐のことを“喜び”と呼んでいるくらいだ。

彼らに見舞われた人間は 不幸のどん底に落とされる。彼らはさまざまな手を使って復讐の喜びを果たすが、 対象にした人間をひどい病気にして、その身体を破壊するぐらいでは 満足しない。
その人間の心まで狂わせて、愚行や悪行を行なわせる。 彼らは悪のテクニックにも長けているので、最初は善霊のような顔をして 近づいてくる。
私も、善霊だと思ってつき合っていた霊が復讐の霊だったと 知ったときには、彼らの詐術の巧みさにびっくりした経験がある。
霊の世界で聞いたところでは、彼らは集団をつくって行動しているという。
復讐の念に燃える悪霊は数えきれないほどいる。
だから彼らは、自分たちだけの団体をつくっているというわけだ。
彼らの団体の内部統制はしっかりしていて、同じ団体の者どうしでは互いに 傷つけ合うことはないのだという。
悪霊の特徴は、さまざまなテクニックを使うことである。
悪霊がやってくるときには、地獄の光景とでもいうべき恐ろしいビジョンが 見えてきたりする。
しかし、これは比較的単純な悪霊の場合で、たいていは少し悪知恵があり、 美しいビジョンを見せて人間を誘う。
(略)
悪霊はこのほかにも、恐怖のビジョンを自在につくり出して、恐怖に おののかせたあとで、自分の思うとおりに人間を操ろうとする。
また、恐怖だけでなく、人の心をかき乱すことで人間を不安にしたり、 逆に信じ込ませて安心させたりして、人間を自由に操ろうとする。
彼らはそれを、類いまれな演技力や創作能力を使って行なう。
彼らの演技力や創作能力には、どんな名優も劇作家もかなうものではない。 彼らは人間にはない才能を持っているからだ。
彼らの演技力や創作能力の中でも、特に目立つのはウソやでっち上げを 自由自在に行なうことである。
彼らは、あることないことをまことしやかに でっち上げ、それを真実らしく語る
61K5 ◆ZrPJFvslEyUG :2011/04/10(日) 16:01:42.16 ID:MWBLZetb
ネットイナゴ=悪霊の本質(スウェデンボルグの解説から抜粋)

悪霊は、善とは何かを理解している。 しかし、悪とは何かをまったく理解していない。
彼らは、霊にも人間にもさまざまな悪事をするが、それが悪事だとはまったく思っていないのだ。 なぜなら、彼らは悪なるものが存在していることさえ気づいていないからだ。
彼らは善とは何かを知っていると言ったが、彼らの善とは、実は悪なのだ。
たとえば、他人を支配するのが好きだとか、他人の嘆きを見て喜ぶといった心情を、 霊になっても浄化しきれていない霊がある。その霊にとっては、他の霊や人間を苦しめることは嬉しいこと、喜ばしいことである。
そして、自分にとって嬉しいこと、喜ばしいことが、彼らの善なのだ。
彼らの中では善悪が逆転している。 このような形で善を理解している彼らに、悪などは当然存在しないことになる。 人間を苦しめることは、彼らにとっては嬉しいこと、喜ばしいことであり、 それが彼らの善なのであって、悪ではないのである。

この世にいろいろなタイプの悪人がいるのと 同様に、悪霊にもいろいろなタイプがある。
なかでも、もっとも凶悪で、大きな不幸や災難、苦しみを人間に与えるのは、 復讐の悪霊というべきタイプである。
この世の人間に対して復讐の念を 燃やす悪霊は実に多い。
復讐心は、普通の人間の世界では、公然と口にしたり、行動に移したりするのは許されていない。
それだけに、人間だったときの彼らの心の中に積もり 積もって、それが霊界に行っても浄化されないためかもしれない。 彼らは復讐のことを“喜び”と呼んでいるくらいだ。

彼らに見舞われた人間は 不幸のどん底に落とされる。彼らはさまざまな手を使って復讐の喜びを果たすが、 対象にした人間をひどい病気にして、その身体を破壊するぐらいでは 満足しない。
その人間の心まで狂わせて、愚行や悪行を行なわせる。 彼らは悪のテクニックにも長けているので、最初は善霊のような顔をして 近づいてくる。
私も、善霊だと思ってつき合っていた霊が復讐の霊だったと 知ったときには、彼らの詐術の巧みさにびっくりした経験がある。
霊の世界で聞いたところでは、彼らは集団をつくって行動しているという。
復讐の念に燃える悪霊は数えきれないほどいる。
だから彼らは、自分たちだけの団体をつくっているというわけだ。
彼らの団体の内部統制はしっかりしていて、同じ団体の者どうしでは互いに 傷つけ合うことはないのだという。
悪霊の特徴は、さまざまなテクニックを使うことである。
悪霊がやってくるときには、地獄の光景とでもいうべき恐ろしいビジョンが 見えてきたりする。
しかし、これは比較的単純な悪霊の場合で、たいていは少し悪知恵があり、 美しいビジョンを見せて人間を誘う。
(略)
悪霊はこのほかにも、恐怖のビジョンを自在につくり出して、恐怖に おののかせたあとで、自分の思うとおりに人間を操ろうとする。
また、恐怖だけでなく、人の心をかき乱すことで人間を不安にしたり、 逆に信じ込ませて安心させたりして、人間を自由に操ろうとする。
彼らはそれを、類いまれな演技力や創作能力を使って行なう。
彼らの演技力や創作能力には、どんな名優も劇作家もかなうものではない。 彼らは人間にはない才能を持っているからだ。
彼らの演技力や創作能力の中でも、特に目立つのはウソやでっち上げを 自由自在に行なうことである。
彼らは、あることないことをまことしやかに でっち上げ、それを真実らしく語る
62K5 ◆ZrPJFvslEyUG :2011/04/10(日) 16:01:43.21 ID:3Pq9//Vv
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グルーポン おせち バードカフェ 16
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/siberia/1299409499/1-
63K5 ◆ZrPJFvslEyUG :2011/04/10(日) 16:03:44.25 ID:MWBLZetb
ネットイナゴ=悪霊の本質(スウェデンボルグの解説から抜粋)

悪霊は、善とは何かを理解している。 しかし、悪とは何かをまったく理解していない。
彼らは、霊にも人間にもさまざまな悪事をするが、それが悪事だとはまったく思っていないのだ。 なぜなら、彼らは悪なるものが存在していることさえ気づいていないからだ。
彼らは善とは何かを知っていると言ったが、彼らの善とは、実は悪なのだ。
たとえば、他人を支配するのが好きだとか、他人の嘆きを見て喜ぶといった心情を、 霊になっても浄化しきれていない霊がある。その霊にとっては、他の霊や人間を苦しめることは嬉しいこと、喜ばしいことである。
そして、自分にとって嬉しいこと、喜ばしいことが、彼らの善なのだ。
彼らの中では善悪が逆転している。 このような形で善を理解している彼らに、悪などは当然存在しないことになる。 人間を苦しめることは、彼らにとっては嬉しいこと、喜ばしいことであり、 それが彼らの善なのであって、悪ではないのである。

この世にいろいろなタイプの悪人がいるのと 同様に、悪霊にもいろいろなタイプがある。
なかでも、もっとも凶悪で、大きな不幸や災難、苦しみを人間に与えるのは、 復讐の悪霊というべきタイプである。
この世の人間に対して復讐の念を 燃やす悪霊は実に多い。
復讐心は、普通の人間の世界では、公然と口にしたり、行動に移したりするのは許されていない。
それだけに、人間だったときの彼らの心の中に積もり 積もって、それが霊界に行っても浄化されないためかもしれない。 彼らは復讐のことを“喜び”と呼んでいるくらいだ。

彼らに見舞われた人間は 不幸のどん底に落とされる。彼らはさまざまな手を使って復讐の喜びを果たすが、 対象にした人間をひどい病気にして、その身体を破壊するぐらいでは 満足しない。
その人間の心まで狂わせて、愚行や悪行を行なわせる。 彼らは悪のテクニックにも長けているので、最初は善霊のような顔をして 近づいてくる。
私も、善霊だと思ってつき合っていた霊が復讐の霊だったと 知ったときには、彼らの詐術の巧みさにびっくりした経験がある。
霊の世界で聞いたところでは、彼らは集団をつくって行動しているという。
復讐の念に燃える悪霊は数えきれないほどいる。
だから彼らは、自分たちだけの団体をつくっているというわけだ。
彼らの団体の内部統制はしっかりしていて、同じ団体の者どうしでは互いに 傷つけ合うことはないのだという。
悪霊の特徴は、さまざまなテクニックを使うことである。
悪霊がやってくるときには、地獄の光景とでもいうべき恐ろしいビジョンが 見えてきたりする。
しかし、これは比較的単純な悪霊の場合で、たいていは少し悪知恵があり、 美しいビジョンを見せて人間を誘う。
(略)
悪霊はこのほかにも、恐怖のビジョンを自在につくり出して、恐怖に おののかせたあとで、自分の思うとおりに人間を操ろうとする。
また、恐怖だけでなく、人の心をかき乱すことで人間を不安にしたり、 逆に信じ込ませて安心させたりして、人間を自由に操ろうとする。
彼らはそれを、類いまれな演技力や創作能力を使って行なう。
彼らの演技力や創作能力には、どんな名優も劇作家もかなうものではない。 彼らは人間にはない才能を持っているからだ。
彼らの演技力や創作能力の中でも、特に目立つのはウソやでっち上げを 自由自在に行なうことである。
彼らは、あることないことをまことしやかに でっち上げ、それを真実らしく語る
64K5 ◆ZrPJFvslEyUG :2011/04/10(日) 16:05:46.87 ID:MWBLZetb
ネットイナゴ=悪霊の本質(スウェデンボルグの解説から抜粋)

悪霊は、善とは何かを理解している。 しかし、悪とは何かをまったく理解していない。
彼らは、霊にも人間にもさまざまな悪事をするが、それが悪事だとはまったく思っていないのだ。 なぜなら、彼らは悪なるものが存在していることさえ気づいていないからだ。
彼らは善とは何かを知っていると言ったが、彼らの善とは、実は悪なのだ。
たとえば、他人を支配するのが好きだとか、他人の嘆きを見て喜ぶといった心情を、 霊になっても浄化しきれていない霊がある。その霊にとっては、他の霊や人間を苦しめることは嬉しいこと、喜ばしいことである。
そして、自分にとって嬉しいこと、喜ばしいことが、彼らの善なのだ。
彼らの中では善悪が逆転している。 このような形で善を理解している彼らに、悪などは当然存在しないことになる。 人間を苦しめることは、彼らにとっては嬉しいこと、喜ばしいことであり、 それが彼らの善なのであって、悪ではないのである。

この世にいろいろなタイプの悪人がいるのと 同様に、悪霊にもいろいろなタイプがある。
なかでも、もっとも凶悪で、大きな不幸や災難、苦しみを人間に与えるのは、 復讐の悪霊というべきタイプである。
この世の人間に対して復讐の念を 燃やす悪霊は実に多い。
復讐心は、普通の人間の世界では、公然と口にしたり、行動に移したりするのは許されていない。
それだけに、人間だったときの彼らの心の中に積もり 積もって、それが霊界に行っても浄化されないためかもしれない。 彼らは復讐のことを“喜び”と呼んでいるくらいだ。

彼らに見舞われた人間は 不幸のどん底に落とされる。彼らはさまざまな手を使って復讐の喜びを果たすが、 対象にした人間をひどい病気にして、その身体を破壊するぐらいでは 満足しない。
その人間の心まで狂わせて、愚行や悪行を行なわせる。 彼らは悪のテクニックにも長けているので、最初は善霊のような顔をして 近づいてくる。
私も、善霊だと思ってつき合っていた霊が復讐の霊だったと 知ったときには、彼らの詐術の巧みさにびっくりした経験がある。
霊の世界で聞いたところでは、彼らは集団をつくって行動しているという。
復讐の念に燃える悪霊は数えきれないほどいる。
だから彼らは、自分たちだけの団体をつくっているというわけだ。
彼らの団体の内部統制はしっかりしていて、同じ団体の者どうしでは互いに 傷つけ合うことはないのだという。
悪霊の特徴は、さまざまなテクニックを使うことである。
悪霊がやってくるときには、地獄の光景とでもいうべき恐ろしいビジョンが 見えてきたりする。
しかし、これは比較的単純な悪霊の場合で、たいていは少し悪知恵があり、 美しいビジョンを見せて人間を誘う。
(略)
悪霊はこのほかにも、恐怖のビジョンを自在につくり出して、恐怖に おののかせたあとで、自分の思うとおりに人間を操ろうとする。
また、恐怖だけでなく、人の心をかき乱すことで人間を不安にしたり、 逆に信じ込ませて安心させたりして、人間を自由に操ろうとする。
彼らはそれを、類いまれな演技力や創作能力を使って行なう。
彼らの演技力や創作能力には、どんな名優も劇作家もかなうものではない。 彼らは人間にはない才能を持っているからだ。
彼らの演技力や創作能力の中でも、特に目立つのはウソやでっち上げを 自由自在に行なうことである。
彼らは、あることないことをまことしやかに でっち上げ、それを真実らしく語る
65K5 ◆ZrPJFvslEyUG :2011/04/10(日) 16:07:48.49 ID:MWBLZetb
ネットイナゴ=悪霊の本質(スウェデンボルグの解説から抜粋)

悪霊は、善とは何かを理解している。 しかし、悪とは何かをまったく理解していない。
彼らは、霊にも人間にもさまざまな悪事をするが、それが悪事だとはまったく思っていないのだ。 なぜなら、彼らは悪なるものが存在していることさえ気づいていないからだ。
彼らは善とは何かを知っていると言ったが、彼らの善とは、実は悪なのだ。
たとえば、他人を支配するのが好きだとか、他人の嘆きを見て喜ぶといった心情を、 霊になっても浄化しきれていない霊がある。その霊にとっては、他の霊や人間を苦しめることは嬉しいこと、喜ばしいことである。
そして、自分にとって嬉しいこと、喜ばしいことが、彼らの善なのだ。
彼らの中では善悪が逆転している。 このような形で善を理解している彼らに、悪などは当然存在しないことになる。 人間を苦しめることは、彼らにとっては嬉しいこと、喜ばしいことであり、 それが彼らの善なのであって、悪ではないのである。

この世にいろいろなタイプの悪人がいるのと 同様に、悪霊にもいろいろなタイプがある。
なかでも、もっとも凶悪で、大きな不幸や災難、苦しみを人間に与えるのは、 復讐の悪霊というべきタイプである。
この世の人間に対して復讐の念を 燃やす悪霊は実に多い。
復讐心は、普通の人間の世界では、公然と口にしたり、行動に移したりするのは許されていない。
それだけに、人間だったときの彼らの心の中に積もり 積もって、それが霊界に行っても浄化されないためかもしれない。 彼らは復讐のことを“喜び”と呼んでいるくらいだ。

彼らに見舞われた人間は 不幸のどん底に落とされる。彼らはさまざまな手を使って復讐の喜びを果たすが、 対象にした人間をひどい病気にして、その身体を破壊するぐらいでは 満足しない。
その人間の心まで狂わせて、愚行や悪行を行なわせる。 彼らは悪のテクニックにも長けているので、最初は善霊のような顔をして 近づいてくる。
私も、善霊だと思ってつき合っていた霊が復讐の霊だったと 知ったときには、彼らの詐術の巧みさにびっくりした経験がある。
霊の世界で聞いたところでは、彼らは集団をつくって行動しているという。
復讐の念に燃える悪霊は数えきれないほどいる。
だから彼らは、自分たちだけの団体をつくっているというわけだ。
彼らの団体の内部統制はしっかりしていて、同じ団体の者どうしでは互いに 傷つけ合うことはないのだという。
悪霊の特徴は、さまざまなテクニックを使うことである。
悪霊がやってくるときには、地獄の光景とでもいうべき恐ろしいビジョンが 見えてきたりする。
しかし、これは比較的単純な悪霊の場合で、たいていは少し悪知恵があり、 美しいビジョンを見せて人間を誘う。
(略)
悪霊はこのほかにも、恐怖のビジョンを自在につくり出して、恐怖に おののかせたあとで、自分の思うとおりに人間を操ろうとする。
また、恐怖だけでなく、人の心をかき乱すことで人間を不安にしたり、 逆に信じ込ませて安心させたりして、人間を自由に操ろうとする。
彼らはそれを、類いまれな演技力や創作能力を使って行なう。
彼らの演技力や創作能力には、どんな名優も劇作家もかなうものではない。 彼らは人間にはない才能を持っているからだ。
彼らの演技力や創作能力の中でも、特に目立つのはウソやでっち上げを 自由自在に行なうことである。
彼らは、あることないことをまことしやかに でっち上げ、それを真実らしく語る
66K5 ◆ZrPJFvslEyUG :2011/04/10(日) 16:09:50.11 ID:MWBLZetb
ネットイナゴ=悪霊の本質(スウェデンボルグの解説から抜粋)

悪霊は、善とは何かを理解している。 しかし、悪とは何かをまったく理解していない。
彼らは、霊にも人間にもさまざまな悪事をするが、それが悪事だとはまったく思っていないのだ。 なぜなら、彼らは悪なるものが存在していることさえ気づいていないからだ。
彼らは善とは何かを知っていると言ったが、彼らの善とは、実は悪なのだ。
たとえば、他人を支配するのが好きだとか、他人の嘆きを見て喜ぶといった心情を、 霊になっても浄化しきれていない霊がある。その霊にとっては、他の霊や人間を苦しめることは嬉しいこと、喜ばしいことである。
そして、自分にとって嬉しいこと、喜ばしいことが、彼らの善なのだ。
彼らの中では善悪が逆転している。 このような形で善を理解している彼らに、悪などは当然存在しないことになる。 人間を苦しめることは、彼らにとっては嬉しいこと、喜ばしいことであり、 それが彼らの善なのであって、悪ではないのである。

この世にいろいろなタイプの悪人がいるのと 同様に、悪霊にもいろいろなタイプがある。
なかでも、もっとも凶悪で、大きな不幸や災難、苦しみを人間に与えるのは、 復讐の悪霊というべきタイプである。
この世の人間に対して復讐の念を 燃やす悪霊は実に多い。
復讐心は、普通の人間の世界では、公然と口にしたり、行動に移したりするのは許されていない。
それだけに、人間だったときの彼らの心の中に積もり 積もって、それが霊界に行っても浄化されないためかもしれない。 彼らは復讐のことを“喜び”と呼んでいるくらいだ。

彼らに見舞われた人間は 不幸のどん底に落とされる。彼らはさまざまな手を使って復讐の喜びを果たすが、 対象にした人間をひどい病気にして、その身体を破壊するぐらいでは 満足しない。
その人間の心まで狂わせて、愚行や悪行を行なわせる。 彼らは悪のテクニックにも長けているので、最初は善霊のような顔をして 近づいてくる。
私も、善霊だと思ってつき合っていた霊が復讐の霊だったと 知ったときには、彼らの詐術の巧みさにびっくりした経験がある。
霊の世界で聞いたところでは、彼らは集団をつくって行動しているという。
復讐の念に燃える悪霊は数えきれないほどいる。
だから彼らは、自分たちだけの団体をつくっているというわけだ。
彼らの団体の内部統制はしっかりしていて、同じ団体の者どうしでは互いに 傷つけ合うことはないのだという。
悪霊の特徴は、さまざまなテクニックを使うことである。
悪霊がやってくるときには、地獄の光景とでもいうべき恐ろしいビジョンが 見えてきたりする。
しかし、これは比較的単純な悪霊の場合で、たいていは少し悪知恵があり、 美しいビジョンを見せて人間を誘う。
(略)
悪霊はこのほかにも、恐怖のビジョンを自在につくり出して、恐怖に おののかせたあとで、自分の思うとおりに人間を操ろうとする。
また、恐怖だけでなく、人の心をかき乱すことで人間を不安にしたり、 逆に信じ込ませて安心させたりして、人間を自由に操ろうとする。
彼らはそれを、類いまれな演技力や創作能力を使って行なう。
彼らの演技力や創作能力には、どんな名優も劇作家もかなうものではない。 彼らは人間にはない才能を持っているからだ。
彼らの演技力や創作能力の中でも、特に目立つのはウソやでっち上げを 自由自在に行なうことである。
彼らは、あることないことをまことしやかに でっち上げ、それを真実らしく語る
67K5 ◆ZrPJFvslEyUG :2011/04/10(日) 16:11:52.14 ID:MWBLZetb
ネットイナゴ=悪霊の本質(スウェデンボルグの解説から抜粋)

悪霊は、善とは何かを理解している。 しかし、悪とは何かをまったく理解していない。
彼らは、霊にも人間にもさまざまな悪事をするが、それが悪事だとはまったく思っていないのだ。 なぜなら、彼らは悪なるものが存在していることさえ気づいていないからだ。
彼らは善とは何かを知っていると言ったが、彼らの善とは、実は悪なのだ。
たとえば、他人を支配するのが好きだとか、他人の嘆きを見て喜ぶといった心情を、 霊になっても浄化しきれていない霊がある。その霊にとっては、他の霊や人間を苦しめることは嬉しいこと、喜ばしいことである。
そして、自分にとって嬉しいこと、喜ばしいことが、彼らの善なのだ。
彼らの中では善悪が逆転している。 このような形で善を理解している彼らに、悪などは当然存在しないことになる。 人間を苦しめることは、彼らにとっては嬉しいこと、喜ばしいことであり、 それが彼らの善なのであって、悪ではないのである。

この世にいろいろなタイプの悪人がいるのと 同様に、悪霊にもいろいろなタイプがある。
なかでも、もっとも凶悪で、大きな不幸や災難、苦しみを人間に与えるのは、 復讐の悪霊というべきタイプである。
この世の人間に対して復讐の念を 燃やす悪霊は実に多い。
復讐心は、普通の人間の世界では、公然と口にしたり、行動に移したりするのは許されていない。
それだけに、人間だったときの彼らの心の中に積もり 積もって、それが霊界に行っても浄化されないためかもしれない。 彼らは復讐のことを“喜び”と呼んでいるくらいだ。

彼らに見舞われた人間は 不幸のどん底に落とされる。彼らはさまざまな手を使って復讐の喜びを果たすが、 対象にした人間をひどい病気にして、その身体を破壊するぐらいでは 満足しない。
その人間の心まで狂わせて、愚行や悪行を行なわせる。 彼らは悪のテクニックにも長けているので、最初は善霊のような顔をして 近づいてくる。
私も、善霊だと思ってつき合っていた霊が復讐の霊だったと 知ったときには、彼らの詐術の巧みさにびっくりした経験がある。
霊の世界で聞いたところでは、彼らは集団をつくって行動しているという。
復讐の念に燃える悪霊は数えきれないほどいる。
だから彼らは、自分たちだけの団体をつくっているというわけだ。
彼らの団体の内部統制はしっかりしていて、同じ団体の者どうしでは互いに 傷つけ合うことはないのだという。
悪霊の特徴は、さまざまなテクニックを使うことである。
悪霊がやってくるときには、地獄の光景とでもいうべき恐ろしいビジョンが 見えてきたりする。
しかし、これは比較的単純な悪霊の場合で、たいていは少し悪知恵があり、 美しいビジョンを見せて人間を誘う。
(略)
悪霊はこのほかにも、恐怖のビジョンを自在につくり出して、恐怖に おののかせたあとで、自分の思うとおりに人間を操ろうとする。
また、恐怖だけでなく、人の心をかき乱すことで人間を不安にしたり、 逆に信じ込ませて安心させたりして、人間を自由に操ろうとする。
彼らはそれを、類いまれな演技力や創作能力を使って行なう。
彼らの演技力や創作能力には、どんな名優も劇作家もかなうものではない。 彼らは人間にはない才能を持っているからだ。
彼らの演技力や創作能力の中でも、特に目立つのはウソやでっち上げを 自由自在に行なうことである。
彼らは、あることないことをまことしやかに でっち上げ、それを真実らしく語る
68K5 ◆ZrPJFvslEyUG :2011/04/10(日) 16:13:53.71 ID:MWBLZetb
ネットイナゴ=悪霊の本質(スウェデンボルグの解説から抜粋)

悪霊は、善とは何かを理解している。 しかし、悪とは何かをまったく理解していない。
彼らは、霊にも人間にもさまざまな悪事をするが、それが悪事だとはまったく思っていないのだ。 なぜなら、彼らは悪なるものが存在していることさえ気づいていないからだ。
彼らは善とは何かを知っていると言ったが、彼らの善とは、実は悪なのだ。
たとえば、他人を支配するのが好きだとか、他人の嘆きを見て喜ぶといった心情を、 霊になっても浄化しきれていない霊がある。その霊にとっては、他の霊や人間を苦しめることは嬉しいこと、喜ばしいことである。
そして、自分にとって嬉しいこと、喜ばしいことが、彼らの善なのだ。
彼らの中では善悪が逆転している。 このような形で善を理解している彼らに、悪などは当然存在しないことになる。 人間を苦しめることは、彼らにとっては嬉しいこと、喜ばしいことであり、 それが彼らの善なのであって、悪ではないのである。

この世にいろいろなタイプの悪人がいるのと 同様に、悪霊にもいろいろなタイプがある。
なかでも、もっとも凶悪で、大きな不幸や災難、苦しみを人間に与えるのは、 復讐の悪霊というべきタイプである。
この世の人間に対して復讐の念を 燃やす悪霊は実に多い。
復讐心は、普通の人間の世界では、公然と口にしたり、行動に移したりするのは許されていない。
それだけに、人間だったときの彼らの心の中に積もり 積もって、それが霊界に行っても浄化されないためかもしれない。 彼らは復讐のことを“喜び”と呼んでいるくらいだ。

彼らに見舞われた人間は 不幸のどん底に落とされる。彼らはさまざまな手を使って復讐の喜びを果たすが、 対象にした人間をひどい病気にして、その身体を破壊するぐらいでは 満足しない。
その人間の心まで狂わせて、愚行や悪行を行なわせる。 彼らは悪のテクニックにも長けているので、最初は善霊のような顔をして 近づいてくる。
私も、善霊だと思ってつき合っていた霊が復讐の霊だったと 知ったときには、彼らの詐術の巧みさにびっくりした経験がある。
霊の世界で聞いたところでは、彼らは集団をつくって行動しているという。
復讐の念に燃える悪霊は数えきれないほどいる。
だから彼らは、自分たちだけの団体をつくっているというわけだ。
彼らの団体の内部統制はしっかりしていて、同じ団体の者どうしでは互いに 傷つけ合うことはないのだという。
悪霊の特徴は、さまざまなテクニックを使うことである。
悪霊がやってくるときには、地獄の光景とでもいうべき恐ろしいビジョンが 見えてきたりする。
しかし、これは比較的単純な悪霊の場合で、たいていは少し悪知恵があり、 美しいビジョンを見せて人間を誘う。
(略)
悪霊はこのほかにも、恐怖のビジョンを自在につくり出して、恐怖に おののかせたあとで、自分の思うとおりに人間を操ろうとする。
また、恐怖だけでなく、人の心をかき乱すことで人間を不安にしたり、 逆に信じ込ませて安心させたりして、人間を自由に操ろうとする。
彼らはそれを、類いまれな演技力や創作能力を使って行なう。
彼らの演技力や創作能力には、どんな名優も劇作家もかなうものではない。 彼らは人間にはない才能を持っているからだ。
彼らの演技力や創作能力の中でも、特に目立つのはウソやでっち上げを 自由自在に行なうことである。
彼らは、あることないことをまことしやかに でっち上げ、それを真実らしく語る
69K5 ◆ZrPJFvslEyUG :2011/04/10(日) 16:14:49.14 ID:3Pq9//Vv
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グルーポン おせち バードカフェ 16
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/siberia/1299409499/1-
70K5 ◆ZrPJFvslEyUG :2011/04/10(日) 16:15:55.12 ID:MWBLZetb
ネットイナゴ=悪霊の本質(スウェデンボルグの解説から抜粋)

悪霊は、善とは何かを理解している。 しかし、悪とは何かをまったく理解していない。
彼らは、霊にも人間にもさまざまな悪事をするが、それが悪事だとはまったく思っていないのだ。 なぜなら、彼らは悪なるものが存在していることさえ気づいていないからだ。
彼らは善とは何かを知っていると言ったが、彼らの善とは、実は悪なのだ。
たとえば、他人を支配するのが好きだとか、他人の嘆きを見て喜ぶといった心情を、 霊になっても浄化しきれていない霊がある。その霊にとっては、他の霊や人間を苦しめることは嬉しいこと、喜ばしいことである。
そして、自分にとって嬉しいこと、喜ばしいことが、彼らの善なのだ。
彼らの中では善悪が逆転している。 このような形で善を理解している彼らに、悪などは当然存在しないことになる。 人間を苦しめることは、彼らにとっては嬉しいこと、喜ばしいことであり、 それが彼らの善なのであって、悪ではないのである。

この世にいろいろなタイプの悪人がいるのと 同様に、悪霊にもいろいろなタイプがある。
なかでも、もっとも凶悪で、大きな不幸や災難、苦しみを人間に与えるのは、 復讐の悪霊というべきタイプである。
この世の人間に対して復讐の念を 燃やす悪霊は実に多い。
復讐心は、普通の人間の世界では、公然と口にしたり、行動に移したりするのは許されていない。
それだけに、人間だったときの彼らの心の中に積もり 積もって、それが霊界に行っても浄化されないためかもしれない。 彼らは復讐のことを“喜び”と呼んでいるくらいだ。

彼らに見舞われた人間は 不幸のどん底に落とされる。彼らはさまざまな手を使って復讐の喜びを果たすが、 対象にした人間をひどい病気にして、その身体を破壊するぐらいでは 満足しない。
その人間の心まで狂わせて、愚行や悪行を行なわせる。 彼らは悪のテクニックにも長けているので、最初は善霊のような顔をして 近づいてくる。
私も、善霊だと思ってつき合っていた霊が復讐の霊だったと 知ったときには、彼らの詐術の巧みさにびっくりした経験がある。
霊の世界で聞いたところでは、彼らは集団をつくって行動しているという。
復讐の念に燃える悪霊は数えきれないほどいる。
だから彼らは、自分たちだけの団体をつくっているというわけだ。
彼らの団体の内部統制はしっかりしていて、同じ団体の者どうしでは互いに 傷つけ合うことはないのだという。
悪霊の特徴は、さまざまなテクニックを使うことである。
悪霊がやってくるときには、地獄の光景とでもいうべき恐ろしいビジョンが 見えてきたりする。
しかし、これは比較的単純な悪霊の場合で、たいていは少し悪知恵があり、 美しいビジョンを見せて人間を誘う。
(略)
悪霊はこのほかにも、恐怖のビジョンを自在につくり出して、恐怖に おののかせたあとで、自分の思うとおりに人間を操ろうとする。
また、恐怖だけでなく、人の心をかき乱すことで人間を不安にしたり、 逆に信じ込ませて安心させたりして、人間を自由に操ろうとする。
彼らはそれを、類いまれな演技力や創作能力を使って行なう。
彼らの演技力や創作能力には、どんな名優も劇作家もかなうものではない。 彼らは人間にはない才能を持っているからだ。
彼らの演技力や創作能力の中でも、特に目立つのはウソやでっち上げを 自由自在に行なうことである。
彼らは、あることないことをまことしやかに でっち上げ、それを真実らしく語る
71K5 ◆ZrPJFvslEyUG :2011/04/10(日) 16:17:57.13 ID:MWBLZetb
ネットイナゴ=悪霊の本質(スウェデンボルグの解説から抜粋)

悪霊は、善とは何かを理解している。 しかし、悪とは何かをまったく理解していない。
彼らは、霊にも人間にもさまざまな悪事をするが、それが悪事だとはまったく思っていないのだ。 なぜなら、彼らは悪なるものが存在していることさえ気づいていないからだ。
彼らは善とは何かを知っていると言ったが、彼らの善とは、実は悪なのだ。
たとえば、他人を支配するのが好きだとか、他人の嘆きを見て喜ぶといった心情を、 霊になっても浄化しきれていない霊がある。その霊にとっては、他の霊や人間を苦しめることは嬉しいこと、喜ばしいことである。
そして、自分にとって嬉しいこと、喜ばしいことが、彼らの善なのだ。
彼らの中では善悪が逆転している。 このような形で善を理解している彼らに、悪などは当然存在しないことになる。 人間を苦しめることは、彼らにとっては嬉しいこと、喜ばしいことであり、 それが彼らの善なのであって、悪ではないのである。

この世にいろいろなタイプの悪人がいるのと 同様に、悪霊にもいろいろなタイプがある。
なかでも、もっとも凶悪で、大きな不幸や災難、苦しみを人間に与えるのは、 復讐の悪霊というべきタイプである。
この世の人間に対して復讐の念を 燃やす悪霊は実に多い。
復讐心は、普通の人間の世界では、公然と口にしたり、行動に移したりするのは許されていない。
それだけに、人間だったときの彼らの心の中に積もり 積もって、それが霊界に行っても浄化されないためかもしれない。 彼らは復讐のことを“喜び”と呼んでいるくらいだ。

彼らに見舞われた人間は 不幸のどん底に落とされる。彼らはさまざまな手を使って復讐の喜びを果たすが、 対象にした人間をひどい病気にして、その身体を破壊するぐらいでは 満足しない。
その人間の心まで狂わせて、愚行や悪行を行なわせる。 彼らは悪のテクニックにも長けているので、最初は善霊のような顔をして 近づいてくる。
私も、善霊だと思ってつき合っていた霊が復讐の霊だったと 知ったときには、彼らの詐術の巧みさにびっくりした経験がある。
霊の世界で聞いたところでは、彼らは集団をつくって行動しているという。
復讐の念に燃える悪霊は数えきれないほどいる。
だから彼らは、自分たちだけの団体をつくっているというわけだ。
彼らの団体の内部統制はしっかりしていて、同じ団体の者どうしでは互いに 傷つけ合うことはないのだという。
悪霊の特徴は、さまざまなテクニックを使うことである。
悪霊がやってくるときには、地獄の光景とでもいうべき恐ろしいビジョンが 見えてきたりする。
しかし、これは比較的単純な悪霊の場合で、たいていは少し悪知恵があり、 美しいビジョンを見せて人間を誘う。
(略)
悪霊はこのほかにも、恐怖のビジョンを自在につくり出して、恐怖に おののかせたあとで、自分の思うとおりに人間を操ろうとする。
また、恐怖だけでなく、人の心をかき乱すことで人間を不安にしたり、 逆に信じ込ませて安心させたりして、人間を自由に操ろうとする。
彼らはそれを、類いまれな演技力や創作能力を使って行なう。
彼らの演技力や創作能力には、どんな名優も劇作家もかなうものではない。 彼らは人間にはない才能を持っているからだ。
彼らの演技力や創作能力の中でも、特に目立つのはウソやでっち上げを 自由自在に行なうことである。
彼らは、あることないことをまことしやかに でっち上げ、それを真実らしく語る
72K5 ◆ZrPJFvslEyUG :2011/04/10(日) 16:19:59.23 ID:MWBLZetb
ネットイナゴ=悪霊の本質(スウェデンボルグの解説から抜粋)

悪霊は、善とは何かを理解している。 しかし、悪とは何かをまったく理解していない。
彼らは、霊にも人間にもさまざまな悪事をするが、それが悪事だとはまったく思っていないのだ。 なぜなら、彼らは悪なるものが存在していることさえ気づいていないからだ。
彼らは善とは何かを知っていると言ったが、彼らの善とは、実は悪なのだ。
たとえば、他人を支配するのが好きだとか、他人の嘆きを見て喜ぶといった心情を、 霊になっても浄化しきれていない霊がある。その霊にとっては、他の霊や人間を苦しめることは嬉しいこと、喜ばしいことである。
そして、自分にとって嬉しいこと、喜ばしいことが、彼らの善なのだ。
彼らの中では善悪が逆転している。 このような形で善を理解している彼らに、悪などは当然存在しないことになる。 人間を苦しめることは、彼らにとっては嬉しいこと、喜ばしいことであり、 それが彼らの善なのであって、悪ではないのである。

この世にいろいろなタイプの悪人がいるのと 同様に、悪霊にもいろいろなタイプがある。
なかでも、もっとも凶悪で、大きな不幸や災難、苦しみを人間に与えるのは、 復讐の悪霊というべきタイプである。
この世の人間に対して復讐の念を 燃やす悪霊は実に多い。
復讐心は、普通の人間の世界では、公然と口にしたり、行動に移したりするのは許されていない。
それだけに、人間だったときの彼らの心の中に積もり 積もって、それが霊界に行っても浄化されないためかもしれない。 彼らは復讐のことを“喜び”と呼んでいるくらいだ。

彼らに見舞われた人間は 不幸のどん底に落とされる。彼らはさまざまな手を使って復讐の喜びを果たすが、 対象にした人間をひどい病気にして、その身体を破壊するぐらいでは 満足しない。
その人間の心まで狂わせて、愚行や悪行を行なわせる。 彼らは悪のテクニックにも長けているので、最初は善霊のような顔をして 近づいてくる。
私も、善霊だと思ってつき合っていた霊が復讐の霊だったと 知ったときには、彼らの詐術の巧みさにびっくりした経験がある。
霊の世界で聞いたところでは、彼らは集団をつくって行動しているという。
復讐の念に燃える悪霊は数えきれないほどいる。
だから彼らは、自分たちだけの団体をつくっているというわけだ。
彼らの団体の内部統制はしっかりしていて、同じ団体の者どうしでは互いに 傷つけ合うことはないのだという。
悪霊の特徴は、さまざまなテクニックを使うことである。
悪霊がやってくるときには、地獄の光景とでもいうべき恐ろしいビジョンが 見えてきたりする。
しかし、これは比較的単純な悪霊の場合で、たいていは少し悪知恵があり、 美しいビジョンを見せて人間を誘う。
(略)
悪霊はこのほかにも、恐怖のビジョンを自在につくり出して、恐怖に おののかせたあとで、自分の思うとおりに人間を操ろうとする。
また、恐怖だけでなく、人の心をかき乱すことで人間を不安にしたり、 逆に信じ込ませて安心させたりして、人間を自由に操ろうとする。
彼らはそれを、類いまれな演技力や創作能力を使って行なう。
彼らの演技力や創作能力には、どんな名優も劇作家もかなうものではない。 彼らは人間にはない才能を持っているからだ。
彼らの演技力や創作能力の中でも、特に目立つのはウソやでっち上げを 自由自在に行なうことである。
彼らは、あることないことをまことしやかに でっち上げ、それを真実らしく語る
73K5 ◆ZrPJFvslEyUG :2011/04/10(日) 16:22:01.62 ID:MWBLZetb
ネットイナゴ=悪霊の本質(スウェデンボルグの解説から抜粋)

悪霊は、善とは何かを理解している。 しかし、悪とは何かをまったく理解していない。
彼らは、霊にも人間にもさまざまな悪事をするが、それが悪事だとはまったく思っていないのだ。 なぜなら、彼らは悪なるものが存在していることさえ気づいていないからだ。
彼らは善とは何かを知っていると言ったが、彼らの善とは、実は悪なのだ。
たとえば、他人を支配するのが好きだとか、他人の嘆きを見て喜ぶといった心情を、 霊になっても浄化しきれていない霊がある。その霊にとっては、他の霊や人間を苦しめることは嬉しいこと、喜ばしいことである。
そして、自分にとって嬉しいこと、喜ばしいことが、彼らの善なのだ。
彼らの中では善悪が逆転している。 このような形で善を理解している彼らに、悪などは当然存在しないことになる。 人間を苦しめることは、彼らにとっては嬉しいこと、喜ばしいことであり、 それが彼らの善なのであって、悪ではないのである。

この世にいろいろなタイプの悪人がいるのと 同様に、悪霊にもいろいろなタイプがある。
なかでも、もっとも凶悪で、大きな不幸や災難、苦しみを人間に与えるのは、 復讐の悪霊というべきタイプである。
この世の人間に対して復讐の念を 燃やす悪霊は実に多い。
復讐心は、普通の人間の世界では、公然と口にしたり、行動に移したりするのは許されていない。
それだけに、人間だったときの彼らの心の中に積もり 積もって、それが霊界に行っても浄化されないためかもしれない。 彼らは復讐のことを“喜び”と呼んでいるくらいだ。

彼らに見舞われた人間は 不幸のどん底に落とされる。彼らはさまざまな手を使って復讐の喜びを果たすが、 対象にした人間をひどい病気にして、その身体を破壊するぐらいでは 満足しない。
その人間の心まで狂わせて、愚行や悪行を行なわせる。 彼らは悪のテクニックにも長けているので、最初は善霊のような顔をして 近づいてくる。
私も、善霊だと思ってつき合っていた霊が復讐の霊だったと 知ったときには、彼らの詐術の巧みさにびっくりした経験がある。
霊の世界で聞いたところでは、彼らは集団をつくって行動しているという。
復讐の念に燃える悪霊は数えきれないほどいる。
だから彼らは、自分たちだけの団体をつくっているというわけだ。
彼らの団体の内部統制はしっかりしていて、同じ団体の者どうしでは互いに 傷つけ合うことはないのだという。
悪霊の特徴は、さまざまなテクニックを使うことである。
悪霊がやってくるときには、地獄の光景とでもいうべき恐ろしいビジョンが 見えてきたりする。
しかし、これは比較的単純な悪霊の場合で、たいていは少し悪知恵があり、 美しいビジョンを見せて人間を誘う。
(略)
悪霊はこのほかにも、恐怖のビジョンを自在につくり出して、恐怖に おののかせたあとで、自分の思うとおりに人間を操ろうとする。
また、恐怖だけでなく、人の心をかき乱すことで人間を不安にしたり、 逆に信じ込ませて安心させたりして、人間を自由に操ろうとする。
彼らはそれを、類いまれな演技力や創作能力を使って行なう。
彼らの演技力や創作能力には、どんな名優も劇作家もかなうものではない。 彼らは人間にはない才能を持っているからだ。
彼らの演技力や創作能力の中でも、特に目立つのはウソやでっち上げを 自由自在に行なうことである。
彼らは、あることないことをまことしやかに でっち上げ、それを真実らしく語る
74K5 ◆ZrPJFvslEyUG :2011/04/10(日) 16:24:03.08 ID:MWBLZetb
ネットイナゴ=悪霊の本質(スウェデンボルグの解説から抜粋)

悪霊は、善とは何かを理解している。 しかし、悪とは何かをまったく理解していない。
彼らは、霊にも人間にもさまざまな悪事をするが、それが悪事だとはまったく思っていないのだ。 なぜなら、彼らは悪なるものが存在していることさえ気づいていないからだ。
彼らは善とは何かを知っていると言ったが、彼らの善とは、実は悪なのだ。
たとえば、他人を支配するのが好きだとか、他人の嘆きを見て喜ぶといった心情を、 霊になっても浄化しきれていない霊がある。その霊にとっては、他の霊や人間を苦しめることは嬉しいこと、喜ばしいことである。
そして、自分にとって嬉しいこと、喜ばしいことが、彼らの善なのだ。
彼らの中では善悪が逆転している。 このような形で善を理解している彼らに、悪などは当然存在しないことになる。 人間を苦しめることは、彼らにとっては嬉しいこと、喜ばしいことであり、 それが彼らの善なのであって、悪ではないのである。

この世にいろいろなタイプの悪人がいるのと 同様に、悪霊にもいろいろなタイプがある。
なかでも、もっとも凶悪で、大きな不幸や災難、苦しみを人間に与えるのは、 復讐の悪霊というべきタイプである。
この世の人間に対して復讐の念を 燃やす悪霊は実に多い。
復讐心は、普通の人間の世界では、公然と口にしたり、行動に移したりするのは許されていない。
それだけに、人間だったときの彼らの心の中に積もり 積もって、それが霊界に行っても浄化されないためかもしれない。 彼らは復讐のことを“喜び”と呼んでいるくらいだ。

彼らに見舞われた人間は 不幸のどん底に落とされる。彼らはさまざまな手を使って復讐の喜びを果たすが、 対象にした人間をひどい病気にして、その身体を破壊するぐらいでは 満足しない。
その人間の心まで狂わせて、愚行や悪行を行なわせる。 彼らは悪のテクニックにも長けているので、最初は善霊のような顔をして 近づいてくる。
私も、善霊だと思ってつき合っていた霊が復讐の霊だったと 知ったときには、彼らの詐術の巧みさにびっくりした経験がある。
霊の世界で聞いたところでは、彼らは集団をつくって行動しているという。
復讐の念に燃える悪霊は数えきれないほどいる。
だから彼らは、自分たちだけの団体をつくっているというわけだ。
彼らの団体の内部統制はしっかりしていて、同じ団体の者どうしでは互いに 傷つけ合うことはないのだという。
悪霊の特徴は、さまざまなテクニックを使うことである。
悪霊がやってくるときには、地獄の光景とでもいうべき恐ろしいビジョンが 見えてきたりする。
しかし、これは比較的単純な悪霊の場合で、たいていは少し悪知恵があり、 美しいビジョンを見せて人間を誘う。
(略)
悪霊はこのほかにも、恐怖のビジョンを自在につくり出して、恐怖に おののかせたあとで、自分の思うとおりに人間を操ろうとする。
また、恐怖だけでなく、人の心をかき乱すことで人間を不安にしたり、 逆に信じ込ませて安心させたりして、人間を自由に操ろうとする。
彼らはそれを、類いまれな演技力や創作能力を使って行なう。
彼らの演技力や創作能力には、どんな名優も劇作家もかなうものではない。 彼らは人間にはない才能を持っているからだ。
彼らの演技力や創作能力の中でも、特に目立つのはウソやでっち上げを 自由自在に行なうことである。
彼らは、あることないことをまことしやかに でっち上げ、それを真実らしく語る
75K5 ◆ZrPJFvslEyUG :2011/04/10(日) 17:10:53.80 ID:MWBLZetb
ネットイナゴ=悪霊の本質(スウェデンボルグの解説から抜粋)

悪霊は、善とは何かを理解している。 しかし、悪とは何かをまったく理解していない。
彼らは、霊にも人間にもさまざまな悪事をするが、それが悪事だとはまったく思っていないのだ。 なぜなら、彼らは悪なるものが存在していることさえ気づいていないからだ。
彼らは善とは何かを知っていると言ったが、彼らの善とは、実は悪なのだ。
たとえば、他人を支配するのが好きだとか、他人の嘆きを見て喜ぶといった心情を、 霊になっても浄化しきれていない霊がある。その霊にとっては、他の霊や人間を苦しめることは嬉しいこと、喜ばしいことである。
そして、自分にとって嬉しいこと、喜ばしいことが、彼らの善なのだ。
彼らの中では善悪が逆転している。 このような形で善を理解している彼らに、悪などは当然存在しないことになる。 人間を苦しめることは、彼らにとっては嬉しいこと、喜ばしいことであり、 それが彼らの善なのであって、悪ではないのである。

この世にいろいろなタイプの悪人がいるのと 同様に、悪霊にもいろいろなタイプがある。
なかでも、もっとも凶悪で、大きな不幸や災難、苦しみを人間に与えるのは、 復讐の悪霊というべきタイプである。
この世の人間に対して復讐の念を 燃やす悪霊は実に多い。
復讐心は、普通の人間の世界では、公然と口にしたり、行動に移したりするのは許されていない。
それだけに、人間だったときの彼らの心の中に積もり 積もって、それが霊界に行っても浄化されないためかもしれない。 彼らは復讐のことを“喜び”と呼んでいるくらいだ。

彼らに見舞われた人間は 不幸のどん底に落とされる。彼らはさまざまな手を使って復讐の喜びを果たすが、 対象にした人間をひどい病気にして、その身体を破壊するぐらいでは 満足しない。
その人間の心まで狂わせて、愚行や悪行を行なわせる。 彼らは悪のテクニックにも長けているので、最初は善霊のような顔をして 近づいてくる。
私も、善霊だと思ってつき合っていた霊が復讐の霊だったと 知ったときには、彼らの詐術の巧みさにびっくりした経験がある。
霊の世界で聞いたところでは、彼らは集団をつくって行動しているという。
復讐の念に燃える悪霊は数えきれないほどいる。
だから彼らは、自分たちだけの団体をつくっているというわけだ。
彼らの団体の内部統制はしっかりしていて、同じ団体の者どうしでは互いに 傷つけ合うことはないのだという。
悪霊の特徴は、さまざまなテクニックを使うことである。
悪霊がやってくるときには、地獄の光景とでもいうべき恐ろしいビジョンが 見えてきたりする。
しかし、これは比較的単純な悪霊の場合で、たいていは少し悪知恵があり、 美しいビジョンを見せて人間を誘う。
(略)
悪霊はこのほかにも、恐怖のビジョンを自在につくり出して、恐怖に おののかせたあとで、自分の思うとおりに人間を操ろうとする。
また、恐怖だけでなく、人の心をかき乱すことで人間を不安にしたり、 逆に信じ込ませて安心させたりして、人間を自由に操ろうとする。
彼らはそれを、類いまれな演技力や創作能力を使って行なう。
彼らの演技力や創作能力には、どんな名優も劇作家もかなうものではない。 彼らは人間にはない才能を持っているからだ。
彼らの演技力や創作能力の中でも、特に目立つのはウソやでっち上げを 自由自在に行なうことである。
彼らは、あることないことをまことしやかに でっち上げ、それを真実らしく語る
76K5 ◆ZrPJFvslEyUG :2011/04/10(日) 17:21:06.08 ID:MWBLZetb
ネットイナゴ=悪霊の本質(スウェデンボルグの解説から抜粋)

悪霊は、善とは何かを理解している。 しかし、悪とは何かをまったく理解していない。
彼らは、霊にも人間にもさまざまな悪事をするが、それが悪事だとはまったく思っていないのだ。 なぜなら、彼らは悪なるものが存在していることさえ気づいていないからだ。
彼らは善とは何かを知っていると言ったが、彼らの善とは、実は悪なのだ。
たとえば、他人を支配するのが好きだとか、他人の嘆きを見て喜ぶといった心情を、 霊になっても浄化しきれていない霊がある。その霊にとっては、他の霊や人間を苦しめることは嬉しいこと、喜ばしいことである。
そして、自分にとって嬉しいこと、喜ばしいことが、彼らの善なのだ。
彼らの中では善悪が逆転している。 このような形で善を理解している彼らに、悪などは当然存在しないことになる。 人間を苦しめることは、彼らにとっては嬉しいこと、喜ばしいことであり、 それが彼らの善なのであって、悪ではないのである。

この世にいろいろなタイプの悪人がいるのと 同様に、悪霊にもいろいろなタイプがある。
なかでも、もっとも凶悪で、大きな不幸や災難、苦しみを人間に与えるのは、 復讐の悪霊というべきタイプである。
この世の人間に対して復讐の念を 燃やす悪霊は実に多い。
復讐心は、普通の人間の世界では、公然と口にしたり、行動に移したりするのは許されていない。
それだけに、人間だったときの彼らの心の中に積もり 積もって、それが霊界に行っても浄化されないためかもしれない。 彼らは復讐のことを“喜び”と呼んでいるくらいだ。

彼らに見舞われた人間は 不幸のどん底に落とされる。彼らはさまざまな手を使って復讐の喜びを果たすが、 対象にした人間をひどい病気にして、その身体を破壊するぐらいでは 満足しない。
その人間の心まで狂わせて、愚行や悪行を行なわせる。 彼らは悪のテクニックにも長けているので、最初は善霊のような顔をして 近づいてくる。
私も、善霊だと思ってつき合っていた霊が復讐の霊だったと 知ったときには、彼らの詐術の巧みさにびっくりした経験がある。
霊の世界で聞いたところでは、彼らは集団をつくって行動しているという。
復讐の念に燃える悪霊は数えきれないほどいる。
だから彼らは、自分たちだけの団体をつくっているというわけだ。
彼らの団体の内部統制はしっかりしていて、同じ団体の者どうしでは互いに 傷つけ合うことはないのだという。
悪霊の特徴は、さまざまなテクニックを使うことである。
悪霊がやってくるときには、地獄の光景とでもいうべき恐ろしいビジョンが 見えてきたりする。
しかし、これは比較的単純な悪霊の場合で、たいていは少し悪知恵があり、 美しいビジョンを見せて人間を誘う。
(略)
悪霊はこのほかにも、恐怖のビジョンを自在につくり出して、恐怖に おののかせたあとで、自分の思うとおりに人間を操ろうとする。
また、恐怖だけでなく、人の心をかき乱すことで人間を不安にしたり、 逆に信じ込ませて安心させたりして、人間を自由に操ろうとする。
彼らはそれを、類いまれな演技力や創作能力を使って行なう。
彼らの演技力や創作能力には、どんな名優も劇作家もかなうものではない。 彼らは人間にはない才能を持っているからだ。
彼らの演技力や創作能力の中でも、特に目立つのはウソやでっち上げを 自由自在に行なうことである。
彼らは、あることないことをまことしやかに でっち上げ、それを真実らしく語る
77K5 ◆ZrPJFvslEyUG :2011/04/10(日) 17:23:07.71 ID:MWBLZetb
ネットイナゴ=悪霊の本質(スウェデンボルグの解説から抜粋)

悪霊は、善とは何かを理解している。 しかし、悪とは何かをまったく理解していない。
彼らは、霊にも人間にもさまざまな悪事をするが、それが悪事だとはまったく思っていないのだ。 なぜなら、彼らは悪なるものが存在していることさえ気づいていないからだ。
彼らは善とは何かを知っていると言ったが、彼らの善とは、実は悪なのだ。
たとえば、他人を支配するのが好きだとか、他人の嘆きを見て喜ぶといった心情を、 霊になっても浄化しきれていない霊がある。その霊にとっては、他の霊や人間を苦しめることは嬉しいこと、喜ばしいことである。
そして、自分にとって嬉しいこと、喜ばしいことが、彼らの善なのだ。
彼らの中では善悪が逆転している。 このような形で善を理解している彼らに、悪などは当然存在しないことになる。 人間を苦しめることは、彼らにとっては嬉しいこと、喜ばしいことであり、 それが彼らの善なのであって、悪ではないのである。

この世にいろいろなタイプの悪人がいるのと 同様に、悪霊にもいろいろなタイプがある。
なかでも、もっとも凶悪で、大きな不幸や災難、苦しみを人間に与えるのは、 復讐の悪霊というべきタイプである。
この世の人間に対して復讐の念を 燃やす悪霊は実に多い。
復讐心は、普通の人間の世界では、公然と口にしたり、行動に移したりするのは許されていない。
それだけに、人間だったときの彼らの心の中に積もり 積もって、それが霊界に行っても浄化されないためかもしれない。 彼らは復讐のことを“喜び”と呼んでいるくらいだ。

彼らに見舞われた人間は 不幸のどん底に落とされる。彼らはさまざまな手を使って復讐の喜びを果たすが、 対象にした人間をひどい病気にして、その身体を破壊するぐらいでは 満足しない。
その人間の心まで狂わせて、愚行や悪行を行なわせる。 彼らは悪のテクニックにも長けているので、最初は善霊のような顔をして 近づいてくる。
私も、善霊だと思ってつき合っていた霊が復讐の霊だったと 知ったときには、彼らの詐術の巧みさにびっくりした経験がある。
霊の世界で聞いたところでは、彼らは集団をつくって行動しているという。
復讐の念に燃える悪霊は数えきれないほどいる。
だから彼らは、自分たちだけの団体をつくっているというわけだ。
彼らの団体の内部統制はしっかりしていて、同じ団体の者どうしでは互いに 傷つけ合うことはないのだという。
悪霊の特徴は、さまざまなテクニックを使うことである。
悪霊がやってくるときには、地獄の光景とでもいうべき恐ろしいビジョンが 見えてきたりする。
しかし、これは比較的単純な悪霊の場合で、たいていは少し悪知恵があり、 美しいビジョンを見せて人間を誘う。
(略)
悪霊はこのほかにも、恐怖のビジョンを自在につくり出して、恐怖に おののかせたあとで、自分の思うとおりに人間を操ろうとする。
また、恐怖だけでなく、人の心をかき乱すことで人間を不安にしたり、 逆に信じ込ませて安心させたりして、人間を自由に操ろうとする。
彼らはそれを、類いまれな演技力や創作能力を使って行なう。
彼らの演技力や創作能力には、どんな名優も劇作家もかなうものではない。 彼らは人間にはない才能を持っているからだ。
彼らの演技力や創作能力の中でも、特に目立つのはウソやでっち上げを 自由自在に行なうことである。
彼らは、あることないことをまことしやかに でっち上げ、それを真実らしく語る
78K5 ◆ZrPJFvslEyUG :2011/04/10(日) 17:25:09.58 ID:MWBLZetb
ネットイナゴ=悪霊の本質(スウェデンボルグの解説から抜粋)

悪霊は、善とは何かを理解している。 しかし、悪とは何かをまったく理解していない。
彼らは、霊にも人間にもさまざまな悪事をするが、それが悪事だとはまったく思っていないのだ。 なぜなら、彼らは悪なるものが存在していることさえ気づいていないからだ。
彼らは善とは何かを知っていると言ったが、彼らの善とは、実は悪なのだ。
たとえば、他人を支配するのが好きだとか、他人の嘆きを見て喜ぶといった心情を、 霊になっても浄化しきれていない霊がある。その霊にとっては、他の霊や人間を苦しめることは嬉しいこと、喜ばしいことである。
そして、自分にとって嬉しいこと、喜ばしいことが、彼らの善なのだ。
彼らの中では善悪が逆転している。 このような形で善を理解している彼らに、悪などは当然存在しないことになる。 人間を苦しめることは、彼らにとっては嬉しいこと、喜ばしいことであり、 それが彼らの善なのであって、悪ではないのである。

この世にいろいろなタイプの悪人がいるのと 同様に、悪霊にもいろいろなタイプがある。
なかでも、もっとも凶悪で、大きな不幸や災難、苦しみを人間に与えるのは、 復讐の悪霊というべきタイプである。
この世の人間に対して復讐の念を 燃やす悪霊は実に多い。
復讐心は、普通の人間の世界では、公然と口にしたり、行動に移したりするのは許されていない。
それだけに、人間だったときの彼らの心の中に積もり 積もって、それが霊界に行っても浄化されないためかもしれない。 彼らは復讐のことを“喜び”と呼んでいるくらいだ。

彼らに見舞われた人間は 不幸のどん底に落とされる。彼らはさまざまな手を使って復讐の喜びを果たすが、 対象にした人間をひどい病気にして、その身体を破壊するぐらいでは 満足しない。
その人間の心まで狂わせて、愚行や悪行を行なわせる。 彼らは悪のテクニックにも長けているので、最初は善霊のような顔をして 近づいてくる。
私も、善霊だと思ってつき合っていた霊が復讐の霊だったと 知ったときには、彼らの詐術の巧みさにびっくりした経験がある。
霊の世界で聞いたところでは、彼らは集団をつくって行動しているという。
復讐の念に燃える悪霊は数えきれないほどいる。
だから彼らは、自分たちだけの団体をつくっているというわけだ。
彼らの団体の内部統制はしっかりしていて、同じ団体の者どうしでは互いに 傷つけ合うことはないのだという。
悪霊の特徴は、さまざまなテクニックを使うことである。
悪霊がやってくるときには、地獄の光景とでもいうべき恐ろしいビジョンが 見えてきたりする。
しかし、これは比較的単純な悪霊の場合で、たいていは少し悪知恵があり、 美しいビジョンを見せて人間を誘う。
(略)
悪霊はこのほかにも、恐怖のビジョンを自在につくり出して、恐怖に おののかせたあとで、自分の思うとおりに人間を操ろうとする。
また、恐怖だけでなく、人の心をかき乱すことで人間を不安にしたり、 逆に信じ込ませて安心させたりして、人間を自由に操ろうとする。
彼らはそれを、類いまれな演技力や創作能力を使って行なう。
彼らの演技力や創作能力には、どんな名優も劇作家もかなうものではない。 彼らは人間にはない才能を持っているからだ。
彼らの演技力や創作能力の中でも、特に目立つのはウソやでっち上げを 自由自在に行なうことである。
彼らは、あることないことをまことしやかに でっち上げ、それを真実らしく語る
79K5 ◆ZrPJFvslEyUG :2011/04/10(日) 17:27:11.38 ID:MWBLZetb
ネットイナゴ=悪霊の本質(スウェデンボルグの解説から抜粋)

悪霊は、善とは何かを理解している。 しかし、悪とは何かをまったく理解していない。
彼らは、霊にも人間にもさまざまな悪事をするが、それが悪事だとはまったく思っていないのだ。 なぜなら、彼らは悪なるものが存在していることさえ気づいていないからだ。
彼らは善とは何かを知っていると言ったが、彼らの善とは、実は悪なのだ。
たとえば、他人を支配するのが好きだとか、他人の嘆きを見て喜ぶといった心情を、 霊になっても浄化しきれていない霊がある。その霊にとっては、他の霊や人間を苦しめることは嬉しいこと、喜ばしいことである。
そして、自分にとって嬉しいこと、喜ばしいことが、彼らの善なのだ。
彼らの中では善悪が逆転している。 このような形で善を理解している彼らに、悪などは当然存在しないことになる。 人間を苦しめることは、彼らにとっては嬉しいこと、喜ばしいことであり、 それが彼らの善なのであって、悪ではないのである。

この世にいろいろなタイプの悪人がいるのと 同様に、悪霊にもいろいろなタイプがある。
なかでも、もっとも凶悪で、大きな不幸や災難、苦しみを人間に与えるのは、 復讐の悪霊というべきタイプである。
この世の人間に対して復讐の念を 燃やす悪霊は実に多い。
復讐心は、普通の人間の世界では、公然と口にしたり、行動に移したりするのは許されていない。
それだけに、人間だったときの彼らの心の中に積もり 積もって、それが霊界に行っても浄化されないためかもしれない。 彼らは復讐のことを“喜び”と呼んでいるくらいだ。

彼らに見舞われた人間は 不幸のどん底に落とされる。彼らはさまざまな手を使って復讐の喜びを果たすが、 対象にした人間をひどい病気にして、その身体を破壊するぐらいでは 満足しない。
その人間の心まで狂わせて、愚行や悪行を行なわせる。 彼らは悪のテクニックにも長けているので、最初は善霊のような顔をして 近づいてくる。
私も、善霊だと思ってつき合っていた霊が復讐の霊だったと 知ったときには、彼らの詐術の巧みさにびっくりした経験がある。
霊の世界で聞いたところでは、彼らは集団をつくって行動しているという。
復讐の念に燃える悪霊は数えきれないほどいる。
だから彼らは、自分たちだけの団体をつくっているというわけだ。
彼らの団体の内部統制はしっかりしていて、同じ団体の者どうしでは互いに 傷つけ合うことはないのだという。
悪霊の特徴は、さまざまなテクニックを使うことである。
悪霊がやってくるときには、地獄の光景とでもいうべき恐ろしいビジョンが 見えてきたりする。
しかし、これは比較的単純な悪霊の場合で、たいていは少し悪知恵があり、 美しいビジョンを見せて人間を誘う。
(略)
悪霊はこのほかにも、恐怖のビジョンを自在につくり出して、恐怖に おののかせたあとで、自分の思うとおりに人間を操ろうとする。
また、恐怖だけでなく、人の心をかき乱すことで人間を不安にしたり、 逆に信じ込ませて安心させたりして、人間を自由に操ろうとする。
彼らはそれを、類いまれな演技力や創作能力を使って行なう。
彼らの演技力や創作能力には、どんな名優も劇作家もかなうものではない。 彼らは人間にはない才能を持っているからだ。
彼らの演技力や創作能力の中でも、特に目立つのはウソやでっち上げを 自由自在に行なうことである。
彼らは、あることないことをまことしやかに でっち上げ、それを真実らしく語る
80K5 ◆ZrPJFvslEyUG :2011/04/10(日) 17:29:14.14 ID:MWBLZetb
ネットイナゴ=悪霊の本質(スウェデンボルグの解説から抜粋)

悪霊は、善とは何かを理解している。 しかし、悪とは何かをまったく理解していない。
彼らは、霊にも人間にもさまざまな悪事をするが、それが悪事だとはまったく思っていないのだ。 なぜなら、彼らは悪なるものが存在していることさえ気づいていないからだ。
彼らは善とは何かを知っていると言ったが、彼らの善とは、実は悪なのだ。
たとえば、他人を支配するのが好きだとか、他人の嘆きを見て喜ぶといった心情を、 霊になっても浄化しきれていない霊がある。その霊にとっては、他の霊や人間を苦しめることは嬉しいこと、喜ばしいことである。
そして、自分にとって嬉しいこと、喜ばしいことが、彼らの善なのだ。
彼らの中では善悪が逆転している。 このような形で善を理解している彼らに、悪などは当然存在しないことになる。 人間を苦しめることは、彼らにとっては嬉しいこと、喜ばしいことであり、 それが彼らの善なのであって、悪ではないのである。

この世にいろいろなタイプの悪人がいるのと 同様に、悪霊にもいろいろなタイプがある。
なかでも、もっとも凶悪で、大きな不幸や災難、苦しみを人間に与えるのは、 復讐の悪霊というべきタイプである。
この世の人間に対して復讐の念を 燃やす悪霊は実に多い。
復讐心は、普通の人間の世界では、公然と口にしたり、行動に移したりするのは許されていない。
それだけに、人間だったときの彼らの心の中に積もり 積もって、それが霊界に行っても浄化されないためかもしれない。 彼らは復讐のことを“喜び”と呼んでいるくらいだ。

彼らに見舞われた人間は 不幸のどん底に落とされる。彼らはさまざまな手を使って復讐の喜びを果たすが、 対象にした人間をひどい病気にして、その身体を破壊するぐらいでは 満足しない。
その人間の心まで狂わせて、愚行や悪行を行なわせる。 彼らは悪のテクニックにも長けているので、最初は善霊のような顔をして 近づいてくる。
私も、善霊だと思ってつき合っていた霊が復讐の霊だったと 知ったときには、彼らの詐術の巧みさにびっくりした経験がある。
霊の世界で聞いたところでは、彼らは集団をつくって行動しているという。
復讐の念に燃える悪霊は数えきれないほどいる。
だから彼らは、自分たちだけの団体をつくっているというわけだ。
彼らの団体の内部統制はしっかりしていて、同じ団体の者どうしでは互いに 傷つけ合うことはないのだという。
悪霊の特徴は、さまざまなテクニックを使うことである。
悪霊がやってくるときには、地獄の光景とでもいうべき恐ろしいビジョンが 見えてきたりする。
しかし、これは比較的単純な悪霊の場合で、たいていは少し悪知恵があり、 美しいビジョンを見せて人間を誘う。
(略)
悪霊はこのほかにも、恐怖のビジョンを自在につくり出して、恐怖に おののかせたあとで、自分の思うとおりに人間を操ろうとする。
また、恐怖だけでなく、人の心をかき乱すことで人間を不安にしたり、 逆に信じ込ませて安心させたりして、人間を自由に操ろうとする。
彼らはそれを、類いまれな演技力や創作能力を使って行なう。
彼らの演技力や創作能力には、どんな名優も劇作家もかなうものではない。 彼らは人間にはない才能を持っているからだ。
彼らの演技力や創作能力の中でも、特に目立つのはウソやでっち上げを 自由自在に行なうことである。
彼らは、あることないことをまことしやかに でっち上げ、それを真実らしく語る
81K5 ◆ZrPJFvslEyUG :2011/04/10(日) 17:31:15.79 ID:MWBLZetb
ネットイナゴ=悪霊の本質(スウェデンボルグの解説から抜粋)

悪霊は、善とは何かを理解している。 しかし、悪とは何かをまったく理解していない。
彼らは、霊にも人間にもさまざまな悪事をするが、それが悪事だとはまったく思っていないのだ。 なぜなら、彼らは悪なるものが存在していることさえ気づいていないからだ。
彼らは善とは何かを知っていると言ったが、彼らの善とは、実は悪なのだ。
たとえば、他人を支配するのが好きだとか、他人の嘆きを見て喜ぶといった心情を、 霊になっても浄化しきれていない霊がある。その霊にとっては、他の霊や人間を苦しめることは嬉しいこと、喜ばしいことである。
そして、自分にとって嬉しいこと、喜ばしいことが、彼らの善なのだ。
彼らの中では善悪が逆転している。 このような形で善を理解している彼らに、悪などは当然存在しないことになる。 人間を苦しめることは、彼らにとっては嬉しいこと、喜ばしいことであり、 それが彼らの善なのであって、悪ではないのである。

この世にいろいろなタイプの悪人がいるのと 同様に、悪霊にもいろいろなタイプがある。
なかでも、もっとも凶悪で、大きな不幸や災難、苦しみを人間に与えるのは、 復讐の悪霊というべきタイプである。
この世の人間に対して復讐の念を 燃やす悪霊は実に多い。
復讐心は、普通の人間の世界では、公然と口にしたり、行動に移したりするのは許されていない。
それだけに、人間だったときの彼らの心の中に積もり 積もって、それが霊界に行っても浄化されないためかもしれない。 彼らは復讐のことを“喜び”と呼んでいるくらいだ。

彼らに見舞われた人間は 不幸のどん底に落とされる。彼らはさまざまな手を使って復讐の喜びを果たすが、 対象にした人間をひどい病気にして、その身体を破壊するぐらいでは 満足しない。
その人間の心まで狂わせて、愚行や悪行を行なわせる。 彼らは悪のテクニックにも長けているので、最初は善霊のような顔をして 近づいてくる。
私も、善霊だと思ってつき合っていた霊が復讐の霊だったと 知ったときには、彼らの詐術の巧みさにびっくりした経験がある。
霊の世界で聞いたところでは、彼らは集団をつくって行動しているという。
復讐の念に燃える悪霊は数えきれないほどいる。
だから彼らは、自分たちだけの団体をつくっているというわけだ。
彼らの団体の内部統制はしっかりしていて、同じ団体の者どうしでは互いに 傷つけ合うことはないのだという。
悪霊の特徴は、さまざまなテクニックを使うことである。
悪霊がやってくるときには、地獄の光景とでもいうべき恐ろしいビジョンが 見えてきたりする。
しかし、これは比較的単純な悪霊の場合で、たいていは少し悪知恵があり、 美しいビジョンを見せて人間を誘う。
(略)
悪霊はこのほかにも、恐怖のビジョンを自在につくり出して、恐怖に おののかせたあとで、自分の思うとおりに人間を操ろうとする。
また、恐怖だけでなく、人の心をかき乱すことで人間を不安にしたり、 逆に信じ込ませて安心させたりして、人間を自由に操ろうとする。
彼らはそれを、類いまれな演技力や創作能力を使って行なう。
彼らの演技力や創作能力には、どんな名優も劇作家もかなうものではない。 彼らは人間にはない才能を持っているからだ。
彼らの演技力や創作能力の中でも、特に目立つのはウソやでっち上げを 自由自在に行なうことである。
彼らは、あることないことをまことしやかに でっち上げ、それを真実らしく語る
82K5 ◆ZrPJFvslEyUG :2011/04/10(日) 17:33:17.88 ID:MWBLZetb
ネットイナゴ=悪霊の本質(スウェデンボルグの解説から抜粋)

悪霊は、善とは何かを理解している。 しかし、悪とは何かをまったく理解していない。
彼らは、霊にも人間にもさまざまな悪事をするが、それが悪事だとはまったく思っていないのだ。 なぜなら、彼らは悪なるものが存在していることさえ気づいていないからだ。
彼らは善とは何かを知っていると言ったが、彼らの善とは、実は悪なのだ。
たとえば、他人を支配するのが好きだとか、他人の嘆きを見て喜ぶといった心情を、 霊になっても浄化しきれていない霊がある。その霊にとっては、他の霊や人間を苦しめることは嬉しいこと、喜ばしいことである。
そして、自分にとって嬉しいこと、喜ばしいことが、彼らの善なのだ。
彼らの中では善悪が逆転している。 このような形で善を理解している彼らに、悪などは当然存在しないことになる。 人間を苦しめることは、彼らにとっては嬉しいこと、喜ばしいことであり、 それが彼らの善なのであって、悪ではないのである。

この世にいろいろなタイプの悪人がいるのと 同様に、悪霊にもいろいろなタイプがある。
なかでも、もっとも凶悪で、大きな不幸や災難、苦しみを人間に与えるのは、 復讐の悪霊というべきタイプである。
この世の人間に対して復讐の念を 燃やす悪霊は実に多い。
復讐心は、普通の人間の世界では、公然と口にしたり、行動に移したりするのは許されていない。
それだけに、人間だったときの彼らの心の中に積もり 積もって、それが霊界に行っても浄化されないためかもしれない。 彼らは復讐のことを“喜び”と呼んでいるくらいだ。

彼らに見舞われた人間は 不幸のどん底に落とされる。彼らはさまざまな手を使って復讐の喜びを果たすが、 対象にした人間をひどい病気にして、その身体を破壊するぐらいでは 満足しない。
その人間の心まで狂わせて、愚行や悪行を行なわせる。 彼らは悪のテクニックにも長けているので、最初は善霊のような顔をして 近づいてくる。
私も、善霊だと思ってつき合っていた霊が復讐の霊だったと 知ったときには、彼らの詐術の巧みさにびっくりした経験がある。
霊の世界で聞いたところでは、彼らは集団をつくって行動しているという。
復讐の念に燃える悪霊は数えきれないほどいる。
だから彼らは、自分たちだけの団体をつくっているというわけだ。
彼らの団体の内部統制はしっかりしていて、同じ団体の者どうしでは互いに 傷つけ合うことはないのだという。
悪霊の特徴は、さまざまなテクニックを使うことである。
悪霊がやってくるときには、地獄の光景とでもいうべき恐ろしいビジョンが 見えてきたりする。
しかし、これは比較的単純な悪霊の場合で、たいていは少し悪知恵があり、 美しいビジョンを見せて人間を誘う。
(略)
悪霊はこのほかにも、恐怖のビジョンを自在につくり出して、恐怖に おののかせたあとで、自分の思うとおりに人間を操ろうとする。
また、恐怖だけでなく、人の心をかき乱すことで人間を不安にしたり、 逆に信じ込ませて安心させたりして、人間を自由に操ろうとする。
彼らはそれを、類いまれな演技力や創作能力を使って行なう。
彼らの演技力や創作能力には、どんな名優も劇作家もかなうものではない。 彼らは人間にはない才能を持っているからだ。
彼らの演技力や創作能力の中でも、特に目立つのはウソやでっち上げを 自由自在に行なうことである。
彼らは、あることないことをまことしやかに でっち上げ、それを真実らしく語る
83K5 ◆ZrPJFvslEyUG :2011/04/10(日) 17:35:20.13 ID:MWBLZetb
ネットイナゴ=悪霊の本質(スウェデンボルグの解説から抜粋)

悪霊は、善とは何かを理解している。 しかし、悪とは何かをまったく理解していない。
彼らは、霊にも人間にもさまざまな悪事をするが、それが悪事だとはまったく思っていないのだ。 なぜなら、彼らは悪なるものが存在していることさえ気づいていないからだ。
彼らは善とは何かを知っていると言ったが、彼らの善とは、実は悪なのだ。
たとえば、他人を支配するのが好きだとか、他人の嘆きを見て喜ぶといった心情を、 霊になっても浄化しきれていない霊がある。その霊にとっては、他の霊や人間を苦しめることは嬉しいこと、喜ばしいことである。
そして、自分にとって嬉しいこと、喜ばしいことが、彼らの善なのだ。
彼らの中では善悪が逆転している。 このような形で善を理解している彼らに、悪などは当然存在しないことになる。 人間を苦しめることは、彼らにとっては嬉しいこと、喜ばしいことであり、 それが彼らの善なのであって、悪ではないのである。

この世にいろいろなタイプの悪人がいるのと 同様に、悪霊にもいろいろなタイプがある。
なかでも、もっとも凶悪で、大きな不幸や災難、苦しみを人間に与えるのは、 復讐の悪霊というべきタイプである。
この世の人間に対して復讐の念を 燃やす悪霊は実に多い。
復讐心は、普通の人間の世界では、公然と口にしたり、行動に移したりするのは許されていない。
それだけに、人間だったときの彼らの心の中に積もり 積もって、それが霊界に行っても浄化されないためかもしれない。 彼らは復讐のことを“喜び”と呼んでいるくらいだ。

彼らに見舞われた人間は 不幸のどん底に落とされる。彼らはさまざまな手を使って復讐の喜びを果たすが、 対象にした人間をひどい病気にして、その身体を破壊するぐらいでは 満足しない。
その人間の心まで狂わせて、愚行や悪行を行なわせる。 彼らは悪のテクニックにも長けているので、最初は善霊のような顔をして 近づいてくる。
私も、善霊だと思ってつき合っていた霊が復讐の霊だったと 知ったときには、彼らの詐術の巧みさにびっくりした経験がある。
霊の世界で聞いたところでは、彼らは集団をつくって行動しているという。
復讐の念に燃える悪霊は数えきれないほどいる。
だから彼らは、自分たちだけの団体をつくっているというわけだ。
彼らの団体の内部統制はしっかりしていて、同じ団体の者どうしでは互いに 傷つけ合うことはないのだという。
悪霊の特徴は、さまざまなテクニックを使うことである。
悪霊がやってくるときには、地獄の光景とでもいうべき恐ろしいビジョンが 見えてきたりする。
しかし、これは比較的単純な悪霊の場合で、たいていは少し悪知恵があり、 美しいビジョンを見せて人間を誘う。
(略)
悪霊はこのほかにも、恐怖のビジョンを自在につくり出して、恐怖に おののかせたあとで、自分の思うとおりに人間を操ろうとする。
また、恐怖だけでなく、人の心をかき乱すことで人間を不安にしたり、 逆に信じ込ませて安心させたりして、人間を自由に操ろうとする。
彼らはそれを、類いまれな演技力や創作能力を使って行なう。
彼らの演技力や創作能力には、どんな名優も劇作家もかなうものではない。 彼らは人間にはない才能を持っているからだ。
彼らの演技力や創作能力の中でも、特に目立つのはウソやでっち上げを 自由自在に行なうことである。
彼らは、あることないことをまことしやかに でっち上げ、それを真実らしく語る
84K5 ◆ZrPJFvslEyUG :2011/04/10(日) 17:37:22.95 ID:MWBLZetb
ネットイナゴ=悪霊の本質(スウェデンボルグの解説から抜粋)

悪霊は、善とは何かを理解している。 しかし、悪とは何かをまったく理解していない。
彼らは、霊にも人間にもさまざまな悪事をするが、それが悪事だとはまったく思っていないのだ。 なぜなら、彼らは悪なるものが存在していることさえ気づいていないからだ。
彼らは善とは何かを知っていると言ったが、彼らの善とは、実は悪なのだ。
たとえば、他人を支配するのが好きだとか、他人の嘆きを見て喜ぶといった心情を、 霊になっても浄化しきれていない霊がある。その霊にとっては、他の霊や人間を苦しめることは嬉しいこと、喜ばしいことである。
そして、自分にとって嬉しいこと、喜ばしいことが、彼らの善なのだ。
彼らの中では善悪が逆転している。 このような形で善を理解している彼らに、悪などは当然存在しないことになる。 人間を苦しめることは、彼らにとっては嬉しいこと、喜ばしいことであり、 それが彼らの善なのであって、悪ではないのである。

この世にいろいろなタイプの悪人がいるのと 同様に、悪霊にもいろいろなタイプがある。
なかでも、もっとも凶悪で、大きな不幸や災難、苦しみを人間に与えるのは、 復讐の悪霊というべきタイプである。
この世の人間に対して復讐の念を 燃やす悪霊は実に多い。
復讐心は、普通の人間の世界では、公然と口にしたり、行動に移したりするのは許されていない。
それだけに、人間だったときの彼らの心の中に積もり 積もって、それが霊界に行っても浄化されないためかもしれない。 彼らは復讐のことを“喜び”と呼んでいるくらいだ。

彼らに見舞われた人間は 不幸のどん底に落とされる。彼らはさまざまな手を使って復讐の喜びを果たすが、 対象にした人間をひどい病気にして、その身体を破壊するぐらいでは 満足しない。
その人間の心まで狂わせて、愚行や悪行を行なわせる。 彼らは悪のテクニックにも長けているので、最初は善霊のような顔をして 近づいてくる。
私も、善霊だと思ってつき合っていた霊が復讐の霊だったと 知ったときには、彼らの詐術の巧みさにびっくりした経験がある。
霊の世界で聞いたところでは、彼らは集団をつくって行動しているという。
復讐の念に燃える悪霊は数えきれないほどいる。
だから彼らは、自分たちだけの団体をつくっているというわけだ。
彼らの団体の内部統制はしっかりしていて、同じ団体の者どうしでは互いに 傷つけ合うことはないのだという。
悪霊の特徴は、さまざまなテクニックを使うことである。
悪霊がやってくるときには、地獄の光景とでもいうべき恐ろしいビジョンが 見えてきたりする。
しかし、これは比較的単純な悪霊の場合で、たいていは少し悪知恵があり、 美しいビジョンを見せて人間を誘う。
(略)
悪霊はこのほかにも、恐怖のビジョンを自在につくり出して、恐怖に おののかせたあとで、自分の思うとおりに人間を操ろうとする。
また、恐怖だけでなく、人の心をかき乱すことで人間を不安にしたり、 逆に信じ込ませて安心させたりして、人間を自由に操ろうとする。
彼らはそれを、類いまれな演技力や創作能力を使って行なう。
彼らの演技力や創作能力には、どんな名優も劇作家もかなうものではない。 彼らは人間にはない才能を持っているからだ。
彼らの演技力や創作能力の中でも、特に目立つのはウソやでっち上げを 自由自在に行なうことである。
彼らは、あることないことをまことしやかに でっち上げ、それを真実らしく語る
85K5 ◆ZrPJFvslEyUG :2011/04/10(日) 17:39:24.02 ID:MWBLZetb
ネットイナゴ=悪霊の本質(スウェデンボルグの解説から抜粋)

悪霊は、善とは何かを理解している。 しかし、悪とは何かをまったく理解していない。
彼らは、霊にも人間にもさまざまな悪事をするが、それが悪事だとはまったく思っていないのだ。 なぜなら、彼らは悪なるものが存在していることさえ気づいていないからだ。
彼らは善とは何かを知っていると言ったが、彼らの善とは、実は悪なのだ。
たとえば、他人を支配するのが好きだとか、他人の嘆きを見て喜ぶといった心情を、 霊になっても浄化しきれていない霊がある。その霊にとっては、他の霊や人間を苦しめることは嬉しいこと、喜ばしいことである。
そして、自分にとって嬉しいこと、喜ばしいことが、彼らの善なのだ。
彼らの中では善悪が逆転している。 このような形で善を理解している彼らに、悪などは当然存在しないことになる。 人間を苦しめることは、彼らにとっては嬉しいこと、喜ばしいことであり、 それが彼らの善なのであって、悪ではないのである。

この世にいろいろなタイプの悪人がいるのと 同様に、悪霊にもいろいろなタイプがある。
なかでも、もっとも凶悪で、大きな不幸や災難、苦しみを人間に与えるのは、 復讐の悪霊というべきタイプである。
この世の人間に対して復讐の念を 燃やす悪霊は実に多い。
復讐心は、普通の人間の世界では、公然と口にしたり、行動に移したりするのは許されていない。
それだけに、人間だったときの彼らの心の中に積もり 積もって、それが霊界に行っても浄化されないためかもしれない。 彼らは復讐のことを“喜び”と呼んでいるくらいだ。

彼らに見舞われた人間は 不幸のどん底に落とされる。彼らはさまざまな手を使って復讐の喜びを果たすが、 対象にした人間をひどい病気にして、その身体を破壊するぐらいでは 満足しない。
その人間の心まで狂わせて、愚行や悪行を行なわせる。 彼らは悪のテクニックにも長けているので、最初は善霊のような顔をして 近づいてくる。
私も、善霊だと思ってつき合っていた霊が復讐の霊だったと 知ったときには、彼らの詐術の巧みさにびっくりした経験がある。
霊の世界で聞いたところでは、彼らは集団をつくって行動しているという。
復讐の念に燃える悪霊は数えきれないほどいる。
だから彼らは、自分たちだけの団体をつくっているというわけだ。
彼らの団体の内部統制はしっかりしていて、同じ団体の者どうしでは互いに 傷つけ合うことはないのだという。
悪霊の特徴は、さまざまなテクニックを使うことである。
悪霊がやってくるときには、地獄の光景とでもいうべき恐ろしいビジョンが 見えてきたりする。
しかし、これは比較的単純な悪霊の場合で、たいていは少し悪知恵があり、 美しいビジョンを見せて人間を誘う。
(略)
悪霊はこのほかにも、恐怖のビジョンを自在につくり出して、恐怖に おののかせたあとで、自分の思うとおりに人間を操ろうとする。
また、恐怖だけでなく、人の心をかき乱すことで人間を不安にしたり、 逆に信じ込ませて安心させたりして、人間を自由に操ろうとする。
彼らはそれを、類いまれな演技力や創作能力を使って行なう。
彼らの演技力や創作能力には、どんな名優も劇作家もかなうものではない。 彼らは人間にはない才能を持っているからだ。
彼らの演技力や創作能力の中でも、特に目立つのはウソやでっち上げを 自由自在に行なうことである。
彼らは、あることないことをまことしやかに でっち上げ、それを真実らしく語る
86K5 ◆ZrPJFvslEyUG :2011/04/10(日) 17:41:25.98 ID:MWBLZetb
ネットイナゴ=悪霊の本質(スウェデンボルグの解説から抜粋)

悪霊は、善とは何かを理解している。 しかし、悪とは何かをまったく理解していない。
彼らは、霊にも人間にもさまざまな悪事をするが、それが悪事だとはまったく思っていないのだ。 なぜなら、彼らは悪なるものが存在していることさえ気づいていないからだ。
彼らは善とは何かを知っていると言ったが、彼らの善とは、実は悪なのだ。
たとえば、他人を支配するのが好きだとか、他人の嘆きを見て喜ぶといった心情を、 霊になっても浄化しきれていない霊がある。その霊にとっては、他の霊や人間を苦しめることは嬉しいこと、喜ばしいことである。
そして、自分にとって嬉しいこと、喜ばしいことが、彼らの善なのだ。
彼らの中では善悪が逆転している。 このような形で善を理解している彼らに、悪などは当然存在しないことになる。 人間を苦しめることは、彼らにとっては嬉しいこと、喜ばしいことであり、 それが彼らの善なのであって、悪ではないのである。

この世にいろいろなタイプの悪人がいるのと 同様に、悪霊にもいろいろなタイプがある。
なかでも、もっとも凶悪で、大きな不幸や災難、苦しみを人間に与えるのは、 復讐の悪霊というべきタイプである。
この世の人間に対して復讐の念を 燃やす悪霊は実に多い。
復讐心は、普通の人間の世界では、公然と口にしたり、行動に移したりするのは許されていない。
それだけに、人間だったときの彼らの心の中に積もり 積もって、それが霊界に行っても浄化されないためかもしれない。 彼らは復讐のことを“喜び”と呼んでいるくらいだ。

彼らに見舞われた人間は 不幸のどん底に落とされる。彼らはさまざまな手を使って復讐の喜びを果たすが、 対象にした人間をひどい病気にして、その身体を破壊するぐらいでは 満足しない。
その人間の心まで狂わせて、愚行や悪行を行なわせる。 彼らは悪のテクニックにも長けているので、最初は善霊のような顔をして 近づいてくる。
私も、善霊だと思ってつき合っていた霊が復讐の霊だったと 知ったときには、彼らの詐術の巧みさにびっくりした経験がある。
霊の世界で聞いたところでは、彼らは集団をつくって行動しているという。
復讐の念に燃える悪霊は数えきれないほどいる。
だから彼らは、自分たちだけの団体をつくっているというわけだ。
彼らの団体の内部統制はしっかりしていて、同じ団体の者どうしでは互いに 傷つけ合うことはないのだという。
悪霊の特徴は、さまざまなテクニックを使うことである。
悪霊がやってくるときには、地獄の光景とでもいうべき恐ろしいビジョンが 見えてきたりする。
しかし、これは比較的単純な悪霊の場合で、たいていは少し悪知恵があり、 美しいビジョンを見せて人間を誘う。
(略)
悪霊はこのほかにも、恐怖のビジョンを自在につくり出して、恐怖に おののかせたあとで、自分の思うとおりに人間を操ろうとする。
また、恐怖だけでなく、人の心をかき乱すことで人間を不安にしたり、 逆に信じ込ませて安心させたりして、人間を自由に操ろうとする。
彼らはそれを、類いまれな演技力や創作能力を使って行なう。
彼らの演技力や創作能力には、どんな名優も劇作家もかなうものではない。 彼らは人間にはない才能を持っているからだ。
彼らの演技力や創作能力の中でも、特に目立つのはウソやでっち上げを 自由自在に行なうことである。
彼らは、あることないことをまことしやかに でっち上げ、それを真実らしく語る
87K5 ◆ZrPJFvslEyUG :2011/04/10(日) 18:03:53.83 ID:MWBLZetb
ネットイナゴ=悪霊の本質(スウェデンボルグの解説から抜粋)

悪霊は、善とは何かを理解している。 しかし、悪とは何かをまったく理解していない。
彼らは、霊にも人間にもさまざまな悪事をするが、それが悪事だとはまったく思っていないのだ。 なぜなら、彼らは悪なるものが存在していることさえ気づいていないからだ。
彼らは善とは何かを知っていると言ったが、彼らの善とは、実は悪なのだ。
たとえば、他人を支配するのが好きだとか、他人の嘆きを見て喜ぶといった心情を、 霊になっても浄化しきれていない霊がある。その霊にとっては、他の霊や人間を苦しめることは嬉しいこと、喜ばしいことである。
そして、自分にとって嬉しいこと、喜ばしいことが、彼らの善なのだ。
彼らの中では善悪が逆転している。 このような形で善を理解している彼らに、悪などは当然存在しないことになる。 人間を苦しめることは、彼らにとっては嬉しいこと、喜ばしいことであり、 それが彼らの善なのであって、悪ではないのである。

この世にいろいろなタイプの悪人がいるのと 同様に、悪霊にもいろいろなタイプがある。
なかでも、もっとも凶悪で、大きな不幸や災難、苦しみを人間に与えるのは、 復讐の悪霊というべきタイプである。
この世の人間に対して復讐の念を 燃やす悪霊は実に多い。
復讐心は、普通の人間の世界では、公然と口にしたり、行動に移したりするのは許されていない。
それだけに、人間だったときの彼らの心の中に積もり 積もって、それが霊界に行っても浄化されないためかもしれない。 彼らは復讐のことを“喜び”と呼んでいるくらいだ。

彼らに見舞われた人間は 不幸のどん底に落とされる。彼らはさまざまな手を使って復讐の喜びを果たすが、 対象にした人間をひどい病気にして、その身体を破壊するぐらいでは 満足しない。
その人間の心まで狂わせて、愚行や悪行を行なわせる。 彼らは悪のテクニックにも長けているので、最初は善霊のような顔をして 近づいてくる。
私も、善霊だと思ってつき合っていた霊が復讐の霊だったと 知ったときには、彼らの詐術の巧みさにびっくりした経験がある。
霊の世界で聞いたところでは、彼らは集団をつくって行動しているという。
復讐の念に燃える悪霊は数えきれないほどいる。
だから彼らは、自分たちだけの団体をつくっているというわけだ。
彼らの団体の内部統制はしっかりしていて、同じ団体の者どうしでは互いに 傷つけ合うことはないのだという。
悪霊の特徴は、さまざまなテクニックを使うことである。
悪霊がやってくるときには、地獄の光景とでもいうべき恐ろしいビジョンが 見えてきたりする。
しかし、これは比較的単純な悪霊の場合で、たいていは少し悪知恵があり、 美しいビジョンを見せて人間を誘う。
(略)
悪霊はこのほかにも、恐怖のビジョンを自在につくり出して、恐怖に おののかせたあとで、自分の思うとおりに人間を操ろうとする。
また、恐怖だけでなく、人の心をかき乱すことで人間を不安にしたり、 逆に信じ込ませて安心させたりして、人間を自由に操ろうとする。
彼らはそれを、類いまれな演技力や創作能力を使って行なう。
彼らの演技力や創作能力には、どんな名優も劇作家もかなうものではない。 彼らは人間にはない才能を持っているからだ。
彼らの演技力や創作能力の中でも、特に目立つのはウソやでっち上げを 自由自在に行なうことである。
彼らは、あることないことをまことしやかに でっち上げ、それを真実らしく語る
88K5 ◆ZrPJFvslEyUG :2011/04/10(日) 18:10:00.67 ID:MWBLZetb
ネットイナゴ=悪霊の本質(スウェデンボルグの解説から抜粋)

悪霊は、善とは何かを理解している。 しかし、悪とは何かをまったく理解していない。
彼らは、霊にも人間にもさまざまな悪事をするが、それが悪事だとはまったく思っていないのだ。 なぜなら、彼らは悪なるものが存在していることさえ気づいていないからだ。
彼らは善とは何かを知っていると言ったが、彼らの善とは、実は悪なのだ。
たとえば、他人を支配するのが好きだとか、他人の嘆きを見て喜ぶといった心情を、 霊になっても浄化しきれていない霊がある。その霊にとっては、他の霊や人間を苦しめることは嬉しいこと、喜ばしいことである。
そして、自分にとって嬉しいこと、喜ばしいことが、彼らの善なのだ。
彼らの中では善悪が逆転している。 このような形で善を理解している彼らに、悪などは当然存在しないことになる。 人間を苦しめることは、彼らにとっては嬉しいこと、喜ばしいことであり、 それが彼らの善なのであって、悪ではないのである。

この世にいろいろなタイプの悪人がいるのと 同様に、悪霊にもいろいろなタイプがある。
なかでも、もっとも凶悪で、大きな不幸や災難、苦しみを人間に与えるのは、 復讐の悪霊というべきタイプである。
この世の人間に対して復讐の念を 燃やす悪霊は実に多い。
復讐心は、普通の人間の世界では、公然と口にしたり、行動に移したりするのは許されていない。
それだけに、人間だったときの彼らの心の中に積もり 積もって、それが霊界に行っても浄化されないためかもしれない。 彼らは復讐のことを“喜び”と呼んでいるくらいだ。

彼らに見舞われた人間は 不幸のどん底に落とされる。彼らはさまざまな手を使って復讐の喜びを果たすが、 対象にした人間をひどい病気にして、その身体を破壊するぐらいでは 満足しない。
その人間の心まで狂わせて、愚行や悪行を行なわせる。 彼らは悪のテクニックにも長けているので、最初は善霊のような顔をして 近づいてくる。
私も、善霊だと思ってつき合っていた霊が復讐の霊だったと 知ったときには、彼らの詐術の巧みさにびっくりした経験がある。
霊の世界で聞いたところでは、彼らは集団をつくって行動しているという。
復讐の念に燃える悪霊は数えきれないほどいる。
だから彼らは、自分たちだけの団体をつくっているというわけだ。
彼らの団体の内部統制はしっかりしていて、同じ団体の者どうしでは互いに 傷つけ合うことはないのだという。
悪霊の特徴は、さまざまなテクニックを使うことである。
悪霊がやってくるときには、地獄の光景とでもいうべき恐ろしいビジョンが 見えてきたりする。
しかし、これは比較的単純な悪霊の場合で、たいていは少し悪知恵があり、 美しいビジョンを見せて人間を誘う。
(略)
悪霊はこのほかにも、恐怖のビジョンを自在につくり出して、恐怖に おののかせたあとで、自分の思うとおりに人間を操ろうとする。
また、恐怖だけでなく、人の心をかき乱すことで人間を不安にしたり、 逆に信じ込ませて安心させたりして、人間を自由に操ろうとする。
彼らはそれを、類いまれな演技力や創作能力を使って行なう。
彼らの演技力や創作能力には、どんな名優も劇作家もかなうものではない。 彼らは人間にはない才能を持っているからだ。
彼らの演技力や創作能力の中でも、特に目立つのはウソやでっち上げを 自由自在に行なうことである。
彼らは、あることないことをまことしやかに でっち上げ、それを真実らしく語る
89K5 ◆ZrPJFvslEyUG :2011/04/10(日) 18:12:03.41 ID:MWBLZetb
ネットイナゴ=悪霊の本質(スウェデンボルグの解説から抜粋)

悪霊は、善とは何かを理解している。 しかし、悪とは何かをまったく理解していない。
彼らは、霊にも人間にもさまざまな悪事をするが、それが悪事だとはまったく思っていないのだ。 なぜなら、彼らは悪なるものが存在していることさえ気づいていないからだ。
彼らは善とは何かを知っていると言ったが、彼らの善とは、実は悪なのだ。
たとえば、他人を支配するのが好きだとか、他人の嘆きを見て喜ぶといった心情を、 霊になっても浄化しきれていない霊がある。その霊にとっては、他の霊や人間を苦しめることは嬉しいこと、喜ばしいことである。
そして、自分にとって嬉しいこと、喜ばしいことが、彼らの善なのだ。
彼らの中では善悪が逆転している。 このような形で善を理解している彼らに、悪などは当然存在しないことになる。 人間を苦しめることは、彼らにとっては嬉しいこと、喜ばしいことであり、 それが彼らの善なのであって、悪ではないのである。

この世にいろいろなタイプの悪人がいるのと 同様に、悪霊にもいろいろなタイプがある。
なかでも、もっとも凶悪で、大きな不幸や災難、苦しみを人間に与えるのは、 復讐の悪霊というべきタイプである。
この世の人間に対して復讐の念を 燃やす悪霊は実に多い。
復讐心は、普通の人間の世界では、公然と口にしたり、行動に移したりするのは許されていない。
それだけに、人間だったときの彼らの心の中に積もり 積もって、それが霊界に行っても浄化されないためかもしれない。 彼らは復讐のことを“喜び”と呼んでいるくらいだ。

彼らに見舞われた人間は 不幸のどん底に落とされる。彼らはさまざまな手を使って復讐の喜びを果たすが、 対象にした人間をひどい病気にして、その身体を破壊するぐらいでは 満足しない。
その人間の心まで狂わせて、愚行や悪行を行なわせる。 彼らは悪のテクニックにも長けているので、最初は善霊のような顔をして 近づいてくる。
私も、善霊だと思ってつき合っていた霊が復讐の霊だったと 知ったときには、彼らの詐術の巧みさにびっくりした経験がある。
霊の世界で聞いたところでは、彼らは集団をつくって行動しているという。
復讐の念に燃える悪霊は数えきれないほどいる。
だから彼らは、自分たちだけの団体をつくっているというわけだ。
彼らの団体の内部統制はしっかりしていて、同じ団体の者どうしでは互いに 傷つけ合うことはないのだという。
悪霊の特徴は、さまざまなテクニックを使うことである。
悪霊がやってくるときには、地獄の光景とでもいうべき恐ろしいビジョンが 見えてきたりする。
しかし、これは比較的単純な悪霊の場合で、たいていは少し悪知恵があり、 美しいビジョンを見せて人間を誘う。
(略)
悪霊はこのほかにも、恐怖のビジョンを自在につくり出して、恐怖に おののかせたあとで、自分の思うとおりに人間を操ろうとする。
また、恐怖だけでなく、人の心をかき乱すことで人間を不安にしたり、 逆に信じ込ませて安心させたりして、人間を自由に操ろうとする。
彼らはそれを、類いまれな演技力や創作能力を使って行なう。
彼らの演技力や創作能力には、どんな名優も劇作家もかなうものではない。 彼らは人間にはない才能を持っているからだ。
彼らの演技力や創作能力の中でも、特に目立つのはウソやでっち上げを 自由自在に行なうことである。
彼らは、あることないことをまことしやかに でっち上げ、それを真実らしく語る
90K5 ◆ZrPJFvslEyUG :2011/04/10(日) 18:14:04.49 ID:MWBLZetb
ネットイナゴ=悪霊の本質(スウェデンボルグの解説から抜粋)

悪霊は、善とは何かを理解している。 しかし、悪とは何かをまったく理解していない。
彼らは、霊にも人間にもさまざまな悪事をするが、それが悪事だとはまったく思っていないのだ。 なぜなら、彼らは悪なるものが存在していることさえ気づいていないからだ。
彼らは善とは何かを知っていると言ったが、彼らの善とは、実は悪なのだ。
たとえば、他人を支配するのが好きだとか、他人の嘆きを見て喜ぶといった心情を、 霊になっても浄化しきれていない霊がある。その霊にとっては、他の霊や人間を苦しめることは嬉しいこと、喜ばしいことである。
そして、自分にとって嬉しいこと、喜ばしいことが、彼らの善なのだ。
彼らの中では善悪が逆転している。 このような形で善を理解している彼らに、悪などは当然存在しないことになる。 人間を苦しめることは、彼らにとっては嬉しいこと、喜ばしいことであり、 それが彼らの善なのであって、悪ではないのである。

この世にいろいろなタイプの悪人がいるのと 同様に、悪霊にもいろいろなタイプがある。
なかでも、もっとも凶悪で、大きな不幸や災難、苦しみを人間に与えるのは、 復讐の悪霊というべきタイプである。
この世の人間に対して復讐の念を 燃やす悪霊は実に多い。
復讐心は、普通の人間の世界では、公然と口にしたり、行動に移したりするのは許されていない。
それだけに、人間だったときの彼らの心の中に積もり 積もって、それが霊界に行っても浄化されないためかもしれない。 彼らは復讐のことを“喜び”と呼んでいるくらいだ。

彼らに見舞われた人間は 不幸のどん底に落とされる。彼らはさまざまな手を使って復讐の喜びを果たすが、 対象にした人間をひどい病気にして、その身体を破壊するぐらいでは 満足しない。
その人間の心まで狂わせて、愚行や悪行を行なわせる。 彼らは悪のテクニックにも長けているので、最初は善霊のような顔をして 近づいてくる。
私も、善霊だと思ってつき合っていた霊が復讐の霊だったと 知ったときには、彼らの詐術の巧みさにびっくりした経験がある。
霊の世界で聞いたところでは、彼らは集団をつくって行動しているという。
復讐の念に燃える悪霊は数えきれないほどいる。
だから彼らは、自分たちだけの団体をつくっているというわけだ。
彼らの団体の内部統制はしっかりしていて、同じ団体の者どうしでは互いに 傷つけ合うことはないのだという。
悪霊の特徴は、さまざまなテクニックを使うことである。
悪霊がやってくるときには、地獄の光景とでもいうべき恐ろしいビジョンが 見えてきたりする。
しかし、これは比較的単純な悪霊の場合で、たいていは少し悪知恵があり、 美しいビジョンを見せて人間を誘う。
(略)
悪霊はこのほかにも、恐怖のビジョンを自在につくり出して、恐怖に おののかせたあとで、自分の思うとおりに人間を操ろうとする。
また、恐怖だけでなく、人の心をかき乱すことで人間を不安にしたり、 逆に信じ込ませて安心させたりして、人間を自由に操ろうとする。
彼らはそれを、類いまれな演技力や創作能力を使って行なう。
彼らの演技力や創作能力には、どんな名優も劇作家もかなうものではない。 彼らは人間にはない才能を持っているからだ。
彼らの演技力や創作能力の中でも、特に目立つのはウソやでっち上げを 自由自在に行なうことである。
彼らは、あることないことをまことしやかに でっち上げ、それを真実らしく語る
91K5 ◆ZrPJFvslEyUG :2011/04/10(日) 18:16:05.77 ID:MWBLZetb
ネットイナゴ=悪霊の本質(スウェデンボルグの解説から抜粋)

悪霊は、善とは何かを理解している。 しかし、悪とは何かをまったく理解していない。
彼らは、霊にも人間にもさまざまな悪事をするが、それが悪事だとはまったく思っていないのだ。 なぜなら、彼らは悪なるものが存在していることさえ気づいていないからだ。
彼らは善とは何かを知っていると言ったが、彼らの善とは、実は悪なのだ。
たとえば、他人を支配するのが好きだとか、他人の嘆きを見て喜ぶといった心情を、 霊になっても浄化しきれていない霊がある。その霊にとっては、他の霊や人間を苦しめることは嬉しいこと、喜ばしいことである。
そして、自分にとって嬉しいこと、喜ばしいことが、彼らの善なのだ。
彼らの中では善悪が逆転している。 このような形で善を理解している彼らに、悪などは当然存在しないことになる。 人間を苦しめることは、彼らにとっては嬉しいこと、喜ばしいことであり、 それが彼らの善なのであって、悪ではないのである。

この世にいろいろなタイプの悪人がいるのと 同様に、悪霊にもいろいろなタイプがある。
なかでも、もっとも凶悪で、大きな不幸や災難、苦しみを人間に与えるのは、 復讐の悪霊というべきタイプである。
この世の人間に対して復讐の念を 燃やす悪霊は実に多い。
復讐心は、普通の人間の世界では、公然と口にしたり、行動に移したりするのは許されていない。
それだけに、人間だったときの彼らの心の中に積もり 積もって、それが霊界に行っても浄化されないためかもしれない。 彼らは復讐のことを“喜び”と呼んでいるくらいだ。

彼らに見舞われた人間は 不幸のどん底に落とされる。彼らはさまざまな手を使って復讐の喜びを果たすが、 対象にした人間をひどい病気にして、その身体を破壊するぐらいでは 満足しない。
その人間の心まで狂わせて、愚行や悪行を行なわせる。 彼らは悪のテクニックにも長けているので、最初は善霊のような顔をして 近づいてくる。
私も、善霊だと思ってつき合っていた霊が復讐の霊だったと 知ったときには、彼らの詐術の巧みさにびっくりした経験がある。
霊の世界で聞いたところでは、彼らは集団をつくって行動しているという。
復讐の念に燃える悪霊は数えきれないほどいる。
だから彼らは、自分たちだけの団体をつくっているというわけだ。
彼らの団体の内部統制はしっかりしていて、同じ団体の者どうしでは互いに 傷つけ合うことはないのだという。
悪霊の特徴は、さまざまなテクニックを使うことである。
悪霊がやってくるときには、地獄の光景とでもいうべき恐ろしいビジョンが 見えてきたりする。
しかし、これは比較的単純な悪霊の場合で、たいていは少し悪知恵があり、 美しいビジョンを見せて人間を誘う。
(略)
悪霊はこのほかにも、恐怖のビジョンを自在につくり出して、恐怖に おののかせたあとで、自分の思うとおりに人間を操ろうとする。
また、恐怖だけでなく、人の心をかき乱すことで人間を不安にしたり、 逆に信じ込ませて安心させたりして、人間を自由に操ろうとする。
彼らはそれを、類いまれな演技力や創作能力を使って行なう。
彼らの演技力や創作能力には、どんな名優も劇作家もかなうものではない。 彼らは人間にはない才能を持っているからだ。
彼らの演技力や創作能力の中でも、特に目立つのはウソやでっち上げを 自由自在に行なうことである。
彼らは、あることないことをまことしやかに でっち上げ、それを真実らしく語る
92K5 ◆ZrPJFvslEyUG :2011/04/10(日) 18:18:08.49 ID:MWBLZetb
ネットイナゴ=悪霊の本質(スウェデンボルグの解説から抜粋)

悪霊は、善とは何かを理解している。 しかし、悪とは何かをまったく理解していない。
彼らは、霊にも人間にもさまざまな悪事をするが、それが悪事だとはまったく思っていないのだ。 なぜなら、彼らは悪なるものが存在していることさえ気づいていないからだ。
彼らは善とは何かを知っていると言ったが、彼らの善とは、実は悪なのだ。
たとえば、他人を支配するのが好きだとか、他人の嘆きを見て喜ぶといった心情を、 霊になっても浄化しきれていない霊がある。その霊にとっては、他の霊や人間を苦しめることは嬉しいこと、喜ばしいことである。
そして、自分にとって嬉しいこと、喜ばしいことが、彼らの善なのだ。
彼らの中では善悪が逆転している。 このような形で善を理解している彼らに、悪などは当然存在しないことになる。 人間を苦しめることは、彼らにとっては嬉しいこと、喜ばしいことであり、 それが彼らの善なのであって、悪ではないのである。

この世にいろいろなタイプの悪人がいるのと 同様に、悪霊にもいろいろなタイプがある。
なかでも、もっとも凶悪で、大きな不幸や災難、苦しみを人間に与えるのは、 復讐の悪霊というべきタイプである。
この世の人間に対して復讐の念を 燃やす悪霊は実に多い。
復讐心は、普通の人間の世界では、公然と口にしたり、行動に移したりするのは許されていない。
それだけに、人間だったときの彼らの心の中に積もり 積もって、それが霊界に行っても浄化されないためかもしれない。 彼らは復讐のことを“喜び”と呼んでいるくらいだ。

彼らに見舞われた人間は 不幸のどん底に落とされる。彼らはさまざまな手を使って復讐の喜びを果たすが、 対象にした人間をひどい病気にして、その身体を破壊するぐらいでは 満足しない。
その人間の心まで狂わせて、愚行や悪行を行なわせる。 彼らは悪のテクニックにも長けているので、最初は善霊のような顔をして 近づいてくる。
私も、善霊だと思ってつき合っていた霊が復讐の霊だったと 知ったときには、彼らの詐術の巧みさにびっくりした経験がある。
霊の世界で聞いたところでは、彼らは集団をつくって行動しているという。
復讐の念に燃える悪霊は数えきれないほどいる。
だから彼らは、自分たちだけの団体をつくっているというわけだ。
彼らの団体の内部統制はしっかりしていて、同じ団体の者どうしでは互いに 傷つけ合うことはないのだという。
悪霊の特徴は、さまざまなテクニックを使うことである。
悪霊がやってくるときには、地獄の光景とでもいうべき恐ろしいビジョンが 見えてきたりする。
しかし、これは比較的単純な悪霊の場合で、たいていは少し悪知恵があり、 美しいビジョンを見せて人間を誘う。
(略)
悪霊はこのほかにも、恐怖のビジョンを自在につくり出して、恐怖に おののかせたあとで、自分の思うとおりに人間を操ろうとする。
また、恐怖だけでなく、人の心をかき乱すことで人間を不安にしたり、 逆に信じ込ませて安心させたりして、人間を自由に操ろうとする。
彼らはそれを、類いまれな演技力や創作能力を使って行なう。
彼らの演技力や創作能力には、どんな名優も劇作家もかなうものではない。 彼らは人間にはない才能を持っているからだ。
彼らの演技力や創作能力の中でも、特に目立つのはウソやでっち上げを 自由自在に行なうことである。
彼らは、あることないことをまことしやかに でっち上げ、それを真実らしく語る
93K5 ◆ZrPJFvslEyUG :2011/04/10(日) 18:20:09.54 ID:MWBLZetb
ネットイナゴ=悪霊の本質(スウェデンボルグの解説から抜粋)

悪霊は、善とは何かを理解している。 しかし、悪とは何かをまったく理解していない。
彼らは、霊にも人間にもさまざまな悪事をするが、それが悪事だとはまったく思っていないのだ。 なぜなら、彼らは悪なるものが存在していることさえ気づいていないからだ。
彼らは善とは何かを知っていると言ったが、彼らの善とは、実は悪なのだ。
たとえば、他人を支配するのが好きだとか、他人の嘆きを見て喜ぶといった心情を、 霊になっても浄化しきれていない霊がある。その霊にとっては、他の霊や人間を苦しめることは嬉しいこと、喜ばしいことである。
そして、自分にとって嬉しいこと、喜ばしいことが、彼らの善なのだ。
彼らの中では善悪が逆転している。 このような形で善を理解している彼らに、悪などは当然存在しないことになる。 人間を苦しめることは、彼らにとっては嬉しいこと、喜ばしいことであり、 それが彼らの善なのであって、悪ではないのである。

この世にいろいろなタイプの悪人がいるのと 同様に、悪霊にもいろいろなタイプがある。
なかでも、もっとも凶悪で、大きな不幸や災難、苦しみを人間に与えるのは、 復讐の悪霊というべきタイプである。
この世の人間に対して復讐の念を 燃やす悪霊は実に多い。
復讐心は、普通の人間の世界では、公然と口にしたり、行動に移したりするのは許されていない。
それだけに、人間だったときの彼らの心の中に積もり 積もって、それが霊界に行っても浄化されないためかもしれない。 彼らは復讐のことを“喜び”と呼んでいるくらいだ。

彼らに見舞われた人間は 不幸のどん底に落とされる。彼らはさまざまな手を使って復讐の喜びを果たすが、 対象にした人間をひどい病気にして、その身体を破壊するぐらいでは 満足しない。
その人間の心まで狂わせて、愚行や悪行を行なわせる。 彼らは悪のテクニックにも長けているので、最初は善霊のような顔をして 近づいてくる。
私も、善霊だと思ってつき合っていた霊が復讐の霊だったと 知ったときには、彼らの詐術の巧みさにびっくりした経験がある。
霊の世界で聞いたところでは、彼らは集団をつくって行動しているという。
復讐の念に燃える悪霊は数えきれないほどいる。
だから彼らは、自分たちだけの団体をつくっているというわけだ。
彼らの団体の内部統制はしっかりしていて、同じ団体の者どうしでは互いに 傷つけ合うことはないのだという。
悪霊の特徴は、さまざまなテクニックを使うことである。
悪霊がやってくるときには、地獄の光景とでもいうべき恐ろしいビジョンが 見えてきたりする。
しかし、これは比較的単純な悪霊の場合で、たいていは少し悪知恵があり、 美しいビジョンを見せて人間を誘う。
(略)
悪霊はこのほかにも、恐怖のビジョンを自在につくり出して、恐怖に おののかせたあとで、自分の思うとおりに人間を操ろうとする。
また、恐怖だけでなく、人の心をかき乱すことで人間を不安にしたり、 逆に信じ込ませて安心させたりして、人間を自由に操ろうとする。
彼らはそれを、類いまれな演技力や創作能力を使って行なう。
彼らの演技力や創作能力には、どんな名優も劇作家もかなうものではない。 彼らは人間にはない才能を持っているからだ。
彼らの演技力や創作能力の中でも、特に目立つのはウソやでっち上げを 自由自在に行なうことである。
彼らは、あることないことをまことしやかに でっち上げ、それを真実らしく語る
94K5 ◆ZrPJFvslEyUG :2011/04/10(日) 18:22:11.18 ID:MWBLZetb
ネットイナゴ=悪霊の本質(スウェデンボルグの解説から抜粋)

悪霊は、善とは何かを理解している。 しかし、悪とは何かをまったく理解していない。
彼らは、霊にも人間にもさまざまな悪事をするが、それが悪事だとはまったく思っていないのだ。 なぜなら、彼らは悪なるものが存在していることさえ気づいていないからだ。
彼らは善とは何かを知っていると言ったが、彼らの善とは、実は悪なのだ。
たとえば、他人を支配するのが好きだとか、他人の嘆きを見て喜ぶといった心情を、 霊になっても浄化しきれていない霊がある。その霊にとっては、他の霊や人間を苦しめることは嬉しいこと、喜ばしいことである。
そして、自分にとって嬉しいこと、喜ばしいことが、彼らの善なのだ。
彼らの中では善悪が逆転している。 このような形で善を理解している彼らに、悪などは当然存在しないことになる。 人間を苦しめることは、彼らにとっては嬉しいこと、喜ばしいことであり、 それが彼らの善なのであって、悪ではないのである。

この世にいろいろなタイプの悪人がいるのと 同様に、悪霊にもいろいろなタイプがある。
なかでも、もっとも凶悪で、大きな不幸や災難、苦しみを人間に与えるのは、 復讐の悪霊というべきタイプである。
この世の人間に対して復讐の念を 燃やす悪霊は実に多い。
復讐心は、普通の人間の世界では、公然と口にしたり、行動に移したりするのは許されていない。
それだけに、人間だったときの彼らの心の中に積もり 積もって、それが霊界に行っても浄化されないためかもしれない。 彼らは復讐のことを“喜び”と呼んでいるくらいだ。

彼らに見舞われた人間は 不幸のどん底に落とされる。彼らはさまざまな手を使って復讐の喜びを果たすが、 対象にした人間をひどい病気にして、その身体を破壊するぐらいでは 満足しない。
その人間の心まで狂わせて、愚行や悪行を行なわせる。 彼らは悪のテクニックにも長けているので、最初は善霊のような顔をして 近づいてくる。
私も、善霊だと思ってつき合っていた霊が復讐の霊だったと 知ったときには、彼らの詐術の巧みさにびっくりした経験がある。
霊の世界で聞いたところでは、彼らは集団をつくって行動しているという。
復讐の念に燃える悪霊は数えきれないほどいる。
だから彼らは、自分たちだけの団体をつくっているというわけだ。
彼らの団体の内部統制はしっかりしていて、同じ団体の者どうしでは互いに 傷つけ合うことはないのだという。
悪霊の特徴は、さまざまなテクニックを使うことである。
悪霊がやってくるときには、地獄の光景とでもいうべき恐ろしいビジョンが 見えてきたりする。
しかし、これは比較的単純な悪霊の場合で、たいていは少し悪知恵があり、 美しいビジョンを見せて人間を誘う。
(略)
悪霊はこのほかにも、恐怖のビジョンを自在につくり出して、恐怖に おののかせたあとで、自分の思うとおりに人間を操ろうとする。
また、恐怖だけでなく、人の心をかき乱すことで人間を不安にしたり、 逆に信じ込ませて安心させたりして、人間を自由に操ろうとする。
彼らはそれを、類いまれな演技力や創作能力を使って行なう。
彼らの演技力や創作能力には、どんな名優も劇作家もかなうものではない。 彼らは人間にはない才能を持っているからだ。
彼らの演技力や創作能力の中でも、特に目立つのはウソやでっち上げを 自由自在に行なうことである。
彼らは、あることないことをまことしやかに でっち上げ、それを真実らしく語る
95K5 ◆ZrPJFvslEyUG :2011/04/10(日) 18:24:13.39 ID:MWBLZetb
ネットイナゴ=悪霊の本質(スウェデンボルグの解説から抜粋)

悪霊は、善とは何かを理解している。 しかし、悪とは何かをまったく理解していない。
彼らは、霊にも人間にもさまざまな悪事をするが、それが悪事だとはまったく思っていないのだ。 なぜなら、彼らは悪なるものが存在していることさえ気づいていないからだ。
彼らは善とは何かを知っていると言ったが、彼らの善とは、実は悪なのだ。
たとえば、他人を支配するのが好きだとか、他人の嘆きを見て喜ぶといった心情を、 霊になっても浄化しきれていない霊がある。その霊にとっては、他の霊や人間を苦しめることは嬉しいこと、喜ばしいことである。
そして、自分にとって嬉しいこと、喜ばしいことが、彼らの善なのだ。
彼らの中では善悪が逆転している。 このような形で善を理解している彼らに、悪などは当然存在しないことになる。 人間を苦しめることは、彼らにとっては嬉しいこと、喜ばしいことであり、 それが彼らの善なのであって、悪ではないのである。

この世にいろいろなタイプの悪人がいるのと 同様に、悪霊にもいろいろなタイプがある。
なかでも、もっとも凶悪で、大きな不幸や災難、苦しみを人間に与えるのは、 復讐の悪霊というべきタイプである。
この世の人間に対して復讐の念を 燃やす悪霊は実に多い。
復讐心は、普通の人間の世界では、公然と口にしたり、行動に移したりするのは許されていない。
それだけに、人間だったときの彼らの心の中に積もり 積もって、それが霊界に行っても浄化されないためかもしれない。 彼らは復讐のことを“喜び”と呼んでいるくらいだ。

彼らに見舞われた人間は 不幸のどん底に落とされる。彼らはさまざまな手を使って復讐の喜びを果たすが、 対象にした人間をひどい病気にして、その身体を破壊するぐらいでは 満足しない。
その人間の心まで狂わせて、愚行や悪行を行なわせる。 彼らは悪のテクニックにも長けているので、最初は善霊のような顔をして 近づいてくる。
私も、善霊だと思ってつき合っていた霊が復讐の霊だったと 知ったときには、彼らの詐術の巧みさにびっくりした経験がある。
霊の世界で聞いたところでは、彼らは集団をつくって行動しているという。
復讐の念に燃える悪霊は数えきれないほどいる。
だから彼らは、自分たちだけの団体をつくっているというわけだ。
彼らの団体の内部統制はしっかりしていて、同じ団体の者どうしでは互いに 傷つけ合うことはないのだという。
悪霊の特徴は、さまざまなテクニックを使うことである。
悪霊がやってくるときには、地獄の光景とでもいうべき恐ろしいビジョンが 見えてきたりする。
しかし、これは比較的単純な悪霊の場合で、たいていは少し悪知恵があり、 美しいビジョンを見せて人間を誘う。
(略)
悪霊はこのほかにも、恐怖のビジョンを自在につくり出して、恐怖に おののかせたあとで、自分の思うとおりに人間を操ろうとする。
また、恐怖だけでなく、人の心をかき乱すことで人間を不安にしたり、 逆に信じ込ませて安心させたりして、人間を自由に操ろうとする。
彼らはそれを、類いまれな演技力や創作能力を使って行なう。
彼らの演技力や創作能力には、どんな名優も劇作家もかなうものではない。 彼らは人間にはない才能を持っているからだ。
彼らの演技力や創作能力の中でも、特に目立つのはウソやでっち上げを 自由自在に行なうことである。
彼らは、あることないことをまことしやかに でっち上げ、それを真実らしく語る
96K5 ◆ZrPJFvslEyUG :2011/04/10(日) 18:26:15.07 ID:MWBLZetb
ネットイナゴ=悪霊の本質(スウェデンボルグの解説から抜粋)

悪霊は、善とは何かを理解している。 しかし、悪とは何かをまったく理解していない。
彼らは、霊にも人間にもさまざまな悪事をするが、それが悪事だとはまったく思っていないのだ。 なぜなら、彼らは悪なるものが存在していることさえ気づいていないからだ。
彼らは善とは何かを知っていると言ったが、彼らの善とは、実は悪なのだ。
たとえば、他人を支配するのが好きだとか、他人の嘆きを見て喜ぶといった心情を、 霊になっても浄化しきれていない霊がある。その霊にとっては、他の霊や人間を苦しめることは嬉しいこと、喜ばしいことである。
そして、自分にとって嬉しいこと、喜ばしいことが、彼らの善なのだ。
彼らの中では善悪が逆転している。 このような形で善を理解している彼らに、悪などは当然存在しないことになる。 人間を苦しめることは、彼らにとっては嬉しいこと、喜ばしいことであり、 それが彼らの善なのであって、悪ではないのである。

この世にいろいろなタイプの悪人がいるのと 同様に、悪霊にもいろいろなタイプがある。
なかでも、もっとも凶悪で、大きな不幸や災難、苦しみを人間に与えるのは、 復讐の悪霊というべきタイプである。
この世の人間に対して復讐の念を 燃やす悪霊は実に多い。
復讐心は、普通の人間の世界では、公然と口にしたり、行動に移したりするのは許されていない。
それだけに、人間だったときの彼らの心の中に積もり 積もって、それが霊界に行っても浄化されないためかもしれない。 彼らは復讐のことを“喜び”と呼んでいるくらいだ。

彼らに見舞われた人間は 不幸のどん底に落とされる。彼らはさまざまな手を使って復讐の喜びを果たすが、 対象にした人間をひどい病気にして、その身体を破壊するぐらいでは 満足しない。
その人間の心まで狂わせて、愚行や悪行を行なわせる。 彼らは悪のテクニックにも長けているので、最初は善霊のような顔をして 近づいてくる。
私も、善霊だと思ってつき合っていた霊が復讐の霊だったと 知ったときには、彼らの詐術の巧みさにびっくりした経験がある。
霊の世界で聞いたところでは、彼らは集団をつくって行動しているという。
復讐の念に燃える悪霊は数えきれないほどいる。
だから彼らは、自分たちだけの団体をつくっているというわけだ。
彼らの団体の内部統制はしっかりしていて、同じ団体の者どうしでは互いに 傷つけ合うことはないのだという。
悪霊の特徴は、さまざまなテクニックを使うことである。
悪霊がやってくるときには、地獄の光景とでもいうべき恐ろしいビジョンが 見えてきたりする。
しかし、これは比較的単純な悪霊の場合で、たいていは少し悪知恵があり、 美しいビジョンを見せて人間を誘う。
(略)
悪霊はこのほかにも、恐怖のビジョンを自在につくり出して、恐怖に おののかせたあとで、自分の思うとおりに人間を操ろうとする。
また、恐怖だけでなく、人の心をかき乱すことで人間を不安にしたり、 逆に信じ込ませて安心させたりして、人間を自由に操ろうとする。
彼らはそれを、類いまれな演技力や創作能力を使って行なう。
彼らの演技力や創作能力には、どんな名優も劇作家もかなうものではない。 彼らは人間にはない才能を持っているからだ。
彼らの演技力や創作能力の中でも、特に目立つのはウソやでっち上げを 自由自在に行なうことである。
彼らは、あることないことをまことしやかに でっち上げ、それを真実らしく語る
97K5 ◆ZrPJFvslEyUG :2011/04/10(日) 18:28:16.50 ID:MWBLZetb
ネットイナゴ=悪霊の本質(スウェデンボルグの解説から抜粋)

悪霊は、善とは何かを理解している。 しかし、悪とは何かをまったく理解していない。
彼らは、霊にも人間にもさまざまな悪事をするが、それが悪事だとはまったく思っていないのだ。 なぜなら、彼らは悪なるものが存在していることさえ気づいていないからだ。
彼らは善とは何かを知っていると言ったが、彼らの善とは、実は悪なのだ。
たとえば、他人を支配するのが好きだとか、他人の嘆きを見て喜ぶといった心情を、 霊になっても浄化しきれていない霊がある。その霊にとっては、他の霊や人間を苦しめることは嬉しいこと、喜ばしいことである。
そして、自分にとって嬉しいこと、喜ばしいことが、彼らの善なのだ。
彼らの中では善悪が逆転している。 このような形で善を理解している彼らに、悪などは当然存在しないことになる。 人間を苦しめることは、彼らにとっては嬉しいこと、喜ばしいことであり、 それが彼らの善なのであって、悪ではないのである。

この世にいろいろなタイプの悪人がいるのと 同様に、悪霊にもいろいろなタイプがある。
なかでも、もっとも凶悪で、大きな不幸や災難、苦しみを人間に与えるのは、 復讐の悪霊というべきタイプである。
この世の人間に対して復讐の念を 燃やす悪霊は実に多い。
復讐心は、普通の人間の世界では、公然と口にしたり、行動に移したりするのは許されていない。
それだけに、人間だったときの彼らの心の中に積もり 積もって、それが霊界に行っても浄化されないためかもしれない。 彼らは復讐のことを“喜び”と呼んでいるくらいだ。

彼らに見舞われた人間は 不幸のどん底に落とされる。彼らはさまざまな手を使って復讐の喜びを果たすが、 対象にした人間をひどい病気にして、その身体を破壊するぐらいでは 満足しない。
その人間の心まで狂わせて、愚行や悪行を行なわせる。 彼らは悪のテクニックにも長けているので、最初は善霊のような顔をして 近づいてくる。
私も、善霊だと思ってつき合っていた霊が復讐の霊だったと 知ったときには、彼らの詐術の巧みさにびっくりした経験がある。
霊の世界で聞いたところでは、彼らは集団をつくって行動しているという。
復讐の念に燃える悪霊は数えきれないほどいる。
だから彼らは、自分たちだけの団体をつくっているというわけだ。
彼らの団体の内部統制はしっかりしていて、同じ団体の者どうしでは互いに 傷つけ合うことはないのだという。
悪霊の特徴は、さまざまなテクニックを使うことである。
悪霊がやってくるときには、地獄の光景とでもいうべき恐ろしいビジョンが 見えてきたりする。
しかし、これは比較的単純な悪霊の場合で、たいていは少し悪知恵があり、 美しいビジョンを見せて人間を誘う。
(略)
悪霊はこのほかにも、恐怖のビジョンを自在につくり出して、恐怖に おののかせたあとで、自分の思うとおりに人間を操ろうとする。
また、恐怖だけでなく、人の心をかき乱すことで人間を不安にしたり、 逆に信じ込ませて安心させたりして、人間を自由に操ろうとする。
彼らはそれを、類いまれな演技力や創作能力を使って行なう。
彼らの演技力や創作能力には、どんな名優も劇作家もかなうものではない。 彼らは人間にはない才能を持っているからだ。
彼らの演技力や創作能力の中でも、特に目立つのはウソやでっち上げを 自由自在に行なうことである。
彼らは、あることないことをまことしやかに でっち上げ、それを真実らしく語る
98K5 ◆ZrPJFvslEyUG :2011/04/10(日) 18:30:18.17 ID:MWBLZetb
ネットイナゴ=悪霊の本質(スウェデンボルグの解説から抜粋)

悪霊は、善とは何かを理解している。 しかし、悪とは何かをまったく理解していない。
彼らは、霊にも人間にもさまざまな悪事をするが、それが悪事だとはまったく思っていないのだ。 なぜなら、彼らは悪なるものが存在していることさえ気づいていないからだ。
彼らは善とは何かを知っていると言ったが、彼らの善とは、実は悪なのだ。
たとえば、他人を支配するのが好きだとか、他人の嘆きを見て喜ぶといった心情を、 霊になっても浄化しきれていない霊がある。その霊にとっては、他の霊や人間を苦しめることは嬉しいこと、喜ばしいことである。
そして、自分にとって嬉しいこと、喜ばしいことが、彼らの善なのだ。
彼らの中では善悪が逆転している。 このような形で善を理解している彼らに、悪などは当然存在しないことになる。 人間を苦しめることは、彼らにとっては嬉しいこと、喜ばしいことであり、 それが彼らの善なのであって、悪ではないのである。

この世にいろいろなタイプの悪人がいるのと 同様に、悪霊にもいろいろなタイプがある。
なかでも、もっとも凶悪で、大きな不幸や災難、苦しみを人間に与えるのは、 復讐の悪霊というべきタイプである。
この世の人間に対して復讐の念を 燃やす悪霊は実に多い。
復讐心は、普通の人間の世界では、公然と口にしたり、行動に移したりするのは許されていない。
それだけに、人間だったときの彼らの心の中に積もり 積もって、それが霊界に行っても浄化されないためかもしれない。 彼らは復讐のことを“喜び”と呼んでいるくらいだ。

彼らに見舞われた人間は 不幸のどん底に落とされる。彼らはさまざまな手を使って復讐の喜びを果たすが、 対象にした人間をひどい病気にして、その身体を破壊するぐらいでは 満足しない。
その人間の心まで狂わせて、愚行や悪行を行なわせる。 彼らは悪のテクニックにも長けているので、最初は善霊のような顔をして 近づいてくる。
私も、善霊だと思ってつき合っていた霊が復讐の霊だったと 知ったときには、彼らの詐術の巧みさにびっくりした経験がある。
霊の世界で聞いたところでは、彼らは集団をつくって行動しているという。
復讐の念に燃える悪霊は数えきれないほどいる。
だから彼らは、自分たちだけの団体をつくっているというわけだ。
彼らの団体の内部統制はしっかりしていて、同じ団体の者どうしでは互いに 傷つけ合うことはないのだという。
悪霊の特徴は、さまざまなテクニックを使うことである。
悪霊がやってくるときには、地獄の光景とでもいうべき恐ろしいビジョンが 見えてきたりする。
しかし、これは比較的単純な悪霊の場合で、たいていは少し悪知恵があり、 美しいビジョンを見せて人間を誘う。
(略)
悪霊はこのほかにも、恐怖のビジョンを自在につくり出して、恐怖に おののかせたあとで、自分の思うとおりに人間を操ろうとする。
また、恐怖だけでなく、人の心をかき乱すことで人間を不安にしたり、 逆に信じ込ませて安心させたりして、人間を自由に操ろうとする。
彼らはそれを、類いまれな演技力や創作能力を使って行なう。
彼らの演技力や創作能力には、どんな名優も劇作家もかなうものではない。 彼らは人間にはない才能を持っているからだ。
彼らの演技力や創作能力の中でも、特に目立つのはウソやでっち上げを 自由自在に行なうことである。
彼らは、あることないことをまことしやかに でっち上げ、それを真実らしく語る
99K5 ◆ZrPJFvslEyUG :2011/04/10(日) 18:32:20.71 ID:MWBLZetb
ネットイナゴ=悪霊の本質(スウェデンボルグの解説から抜粋)

悪霊は、善とは何かを理解している。 しかし、悪とは何かをまったく理解していない。
彼らは、霊にも人間にもさまざまな悪事をするが、それが悪事だとはまったく思っていないのだ。 なぜなら、彼らは悪なるものが存在していることさえ気づいていないからだ。
彼らは善とは何かを知っていると言ったが、彼らの善とは、実は悪なのだ。
たとえば、他人を支配するのが好きだとか、他人の嘆きを見て喜ぶといった心情を、 霊になっても浄化しきれていない霊がある。その霊にとっては、他の霊や人間を苦しめることは嬉しいこと、喜ばしいことである。
そして、自分にとって嬉しいこと、喜ばしいことが、彼らの善なのだ。
彼らの中では善悪が逆転している。 このような形で善を理解している彼らに、悪などは当然存在しないことになる。 人間を苦しめることは、彼らにとっては嬉しいこと、喜ばしいことであり、 それが彼らの善なのであって、悪ではないのである。

この世にいろいろなタイプの悪人がいるのと 同様に、悪霊にもいろいろなタイプがある。
なかでも、もっとも凶悪で、大きな不幸や災難、苦しみを人間に与えるのは、 復讐の悪霊というべきタイプである。
この世の人間に対して復讐の念を 燃やす悪霊は実に多い。
復讐心は、普通の人間の世界では、公然と口にしたり、行動に移したりするのは許されていない。
それだけに、人間だったときの彼らの心の中に積もり 積もって、それが霊界に行っても浄化されないためかもしれない。 彼らは復讐のことを“喜び”と呼んでいるくらいだ。

彼らに見舞われた人間は 不幸のどん底に落とされる。彼らはさまざまな手を使って復讐の喜びを果たすが、 対象にした人間をひどい病気にして、その身体を破壊するぐらいでは 満足しない。
その人間の心まで狂わせて、愚行や悪行を行なわせる。 彼らは悪のテクニックにも長けているので、最初は善霊のような顔をして 近づいてくる。
私も、善霊だと思ってつき合っていた霊が復讐の霊だったと 知ったときには、彼らの詐術の巧みさにびっくりした経験がある。
霊の世界で聞いたところでは、彼らは集団をつくって行動しているという。
復讐の念に燃える悪霊は数えきれないほどいる。
だから彼らは、自分たちだけの団体をつくっているというわけだ。
彼らの団体の内部統制はしっかりしていて、同じ団体の者どうしでは互いに 傷つけ合うことはないのだという。
悪霊の特徴は、さまざまなテクニックを使うことである。
悪霊がやってくるときには、地獄の光景とでもいうべき恐ろしいビジョンが 見えてきたりする。
しかし、これは比較的単純な悪霊の場合で、たいていは少し悪知恵があり、 美しいビジョンを見せて人間を誘う。
(略)
悪霊はこのほかにも、恐怖のビジョンを自在につくり出して、恐怖に おののかせたあとで、自分の思うとおりに人間を操ろうとする。
また、恐怖だけでなく、人の心をかき乱すことで人間を不安にしたり、 逆に信じ込ませて安心させたりして、人間を自由に操ろうとする。
彼らはそれを、類いまれな演技力や創作能力を使って行なう。
彼らの演技力や創作能力には、どんな名優も劇作家もかなうものではない。 彼らは人間にはない才能を持っているからだ。
彼らの演技力や創作能力の中でも、特に目立つのはウソやでっち上げを 自由自在に行なうことである。
彼らは、あることないことをまことしやかに でっち上げ、それを真実らしく語る
100K5 ◆ZrPJFvslEyUG :2011/04/10(日) 18:40:30.35 ID:MWBLZetb
ネットイナゴ=悪霊の本質(スウェデンボルグの解説から抜粋)

悪霊は、善とは何かを理解している。 しかし、悪とは何かをまったく理解していない。
彼らは、霊にも人間にもさまざまな悪事をするが、それが悪事だとはまったく思っていないのだ。 なぜなら、彼らは悪なるものが存在していることさえ気づいていないからだ。
彼らは善とは何かを知っていると言ったが、彼らの善とは、実は悪なのだ。
たとえば、他人を支配するのが好きだとか、他人の嘆きを見て喜ぶといった心情を、 霊になっても浄化しきれていない霊がある。その霊にとっては、他の霊や人間を苦しめることは嬉しいこと、喜ばしいことである。
そして、自分にとって嬉しいこと、喜ばしいことが、彼らの善なのだ。
彼らの中では善悪が逆転している。 このような形で善を理解している彼らに、悪などは当然存在しないことになる。 人間を苦しめることは、彼らにとっては嬉しいこと、喜ばしいことであり、 それが彼らの善なのであって、悪ではないのである。

この世にいろいろなタイプの悪人がいるのと 同様に、悪霊にもいろいろなタイプがある。
なかでも、もっとも凶悪で、大きな不幸や災難、苦しみを人間に与えるのは、 復讐の悪霊というべきタイプである。
この世の人間に対して復讐の念を 燃やす悪霊は実に多い。
復讐心は、普通の人間の世界では、公然と口にしたり、行動に移したりするのは許されていない。
それだけに、人間だったときの彼らの心の中に積もり 積もって、それが霊界に行っても浄化されないためかもしれない。 彼らは復讐のことを“喜び”と呼んでいるくらいだ。

彼らに見舞われた人間は 不幸のどん底に落とされる。彼らはさまざまな手を使って復讐の喜びを果たすが、 対象にした人間をひどい病気にして、その身体を破壊するぐらいでは 満足しない。
その人間の心まで狂わせて、愚行や悪行を行なわせる。 彼らは悪のテクニックにも長けているので、最初は善霊のような顔をして 近づいてくる。
私も、善霊だと思ってつき合っていた霊が復讐の霊だったと 知ったときには、彼らの詐術の巧みさにびっくりした経験がある。
霊の世界で聞いたところでは、彼らは集団をつくって行動しているという。
復讐の念に燃える悪霊は数えきれないほどいる。
だから彼らは、自分たちだけの団体をつくっているというわけだ。
彼らの団体の内部統制はしっかりしていて、同じ団体の者どうしでは互いに 傷つけ合うことはないのだという。
悪霊の特徴は、さまざまなテクニックを使うことである。
悪霊がやってくるときには、地獄の光景とでもいうべき恐ろしいビジョンが 見えてきたりする。
しかし、これは比較的単純な悪霊の場合で、たいていは少し悪知恵があり、 美しいビジョンを見せて人間を誘う。
(略)
悪霊はこのほかにも、恐怖のビジョンを自在につくり出して、恐怖に おののかせたあとで、自分の思うとおりに人間を操ろうとする。
また、恐怖だけでなく、人の心をかき乱すことで人間を不安にしたり、 逆に信じ込ませて安心させたりして、人間を自由に操ろうとする。
彼らはそれを、類いまれな演技力や創作能力を使って行なう。
彼らの演技力や創作能力には、どんな名優も劇作家もかなうものではない。 彼らは人間にはない才能を持っているからだ。
彼らの演技力や創作能力の中でも、特に目立つのはウソやでっち上げを 自由自在に行なうことである。
彼らは、あることないことをまことしやかに でっち上げ、それを真実らしく語る
101K5 ◆ZrPJFvslEyUG :2011/04/10(日) 18:42:32.69 ID:MWBLZetb
ネットイナゴ=悪霊の本質(スウェデンボルグの解説から抜粋)

悪霊は、善とは何かを理解している。 しかし、悪とは何かをまったく理解していない。
彼らは、霊にも人間にもさまざまな悪事をするが、それが悪事だとはまったく思っていないのだ。 なぜなら、彼らは悪なるものが存在していることさえ気づいていないからだ。
彼らは善とは何かを知っていると言ったが、彼らの善とは、実は悪なのだ。
たとえば、他人を支配するのが好きだとか、他人の嘆きを見て喜ぶといった心情を、 霊になっても浄化しきれていない霊がある。その霊にとっては、他の霊や人間を苦しめることは嬉しいこと、喜ばしいことである。
そして、自分にとって嬉しいこと、喜ばしいことが、彼らの善なのだ。
彼らの中では善悪が逆転している。 このような形で善を理解している彼らに、悪などは当然存在しないことになる。 人間を苦しめることは、彼らにとっては嬉しいこと、喜ばしいことであり、 それが彼らの善なのであって、悪ではないのである。

この世にいろいろなタイプの悪人がいるのと 同様に、悪霊にもいろいろなタイプがある。
なかでも、もっとも凶悪で、大きな不幸や災難、苦しみを人間に与えるのは、 復讐の悪霊というべきタイプである。
この世の人間に対して復讐の念を 燃やす悪霊は実に多い。
復讐心は、普通の人間の世界では、公然と口にしたり、行動に移したりするのは許されていない。
それだけに、人間だったときの彼らの心の中に積もり 積もって、それが霊界に行っても浄化されないためかもしれない。 彼らは復讐のことを“喜び”と呼んでいるくらいだ。

彼らに見舞われた人間は 不幸のどん底に落とされる。彼らはさまざまな手を使って復讐の喜びを果たすが、 対象にした人間をひどい病気にして、その身体を破壊するぐらいでは 満足しない。
その人間の心まで狂わせて、愚行や悪行を行なわせる。 彼らは悪のテクニックにも長けているので、最初は善霊のような顔をして 近づいてくる。
私も、善霊だと思ってつき合っていた霊が復讐の霊だったと 知ったときには、彼らの詐術の巧みさにびっくりした経験がある。
霊の世界で聞いたところでは、彼らは集団をつくって行動しているという。
復讐の念に燃える悪霊は数えきれないほどいる。
だから彼らは、自分たちだけの団体をつくっているというわけだ。
彼らの団体の内部統制はしっかりしていて、同じ団体の者どうしでは互いに 傷つけ合うことはないのだという。
悪霊の特徴は、さまざまなテクニックを使うことである。
悪霊がやってくるときには、地獄の光景とでもいうべき恐ろしいビジョンが 見えてきたりする。
しかし、これは比較的単純な悪霊の場合で、たいていは少し悪知恵があり、 美しいビジョンを見せて人間を誘う。
(略)
悪霊はこのほかにも、恐怖のビジョンを自在につくり出して、恐怖に おののかせたあとで、自分の思うとおりに人間を操ろうとする。
また、恐怖だけでなく、人の心をかき乱すことで人間を不安にしたり、 逆に信じ込ませて安心させたりして、人間を自由に操ろうとする。
彼らはそれを、類いまれな演技力や創作能力を使って行なう。
彼らの演技力や創作能力には、どんな名優も劇作家もかなうものではない。 彼らは人間にはない才能を持っているからだ。
彼らの演技力や創作能力の中でも、特に目立つのはウソやでっち上げを 自由自在に行なうことである。
彼らは、あることないことをまことしやかに でっち上げ、それを真実らしく語る
102K5 ◆ZrPJFvslEyUG :2011/04/10(日) 18:44:34.98 ID:MWBLZetb
ネットイナゴ=悪霊の本質(スウェデンボルグの解説から抜粋)

悪霊は、善とは何かを理解している。 しかし、悪とは何かをまったく理解していない。
彼らは、霊にも人間にもさまざまな悪事をするが、それが悪事だとはまったく思っていないのだ。 なぜなら、彼らは悪なるものが存在していることさえ気づいていないからだ。
彼らは善とは何かを知っていると言ったが、彼らの善とは、実は悪なのだ。
たとえば、他人を支配するのが好きだとか、他人の嘆きを見て喜ぶといった心情を、 霊になっても浄化しきれていない霊がある。その霊にとっては、他の霊や人間を苦しめることは嬉しいこと、喜ばしいことである。
そして、自分にとって嬉しいこと、喜ばしいことが、彼らの善なのだ。
彼らの中では善悪が逆転している。 このような形で善を理解している彼らに、悪などは当然存在しないことになる。 人間を苦しめることは、彼らにとっては嬉しいこと、喜ばしいことであり、 それが彼らの善なのであって、悪ではないのである。

この世にいろいろなタイプの悪人がいるのと 同様に、悪霊にもいろいろなタイプがある。
なかでも、もっとも凶悪で、大きな不幸や災難、苦しみを人間に与えるのは、 復讐の悪霊というべきタイプである。
この世の人間に対して復讐の念を 燃やす悪霊は実に多い。
復讐心は、普通の人間の世界では、公然と口にしたり、行動に移したりするのは許されていない。
それだけに、人間だったときの彼らの心の中に積もり 積もって、それが霊界に行っても浄化されないためかもしれない。 彼らは復讐のことを“喜び”と呼んでいるくらいだ。

彼らに見舞われた人間は 不幸のどん底に落とされる。彼らはさまざまな手を使って復讐の喜びを果たすが、 対象にした人間をひどい病気にして、その身体を破壊するぐらいでは 満足しない。
その人間の心まで狂わせて、愚行や悪行を行なわせる。 彼らは悪のテクニックにも長けているので、最初は善霊のような顔をして 近づいてくる。
私も、善霊だと思ってつき合っていた霊が復讐の霊だったと 知ったときには、彼らの詐術の巧みさにびっくりした経験がある。
霊の世界で聞いたところでは、彼らは集団をつくって行動しているという。
復讐の念に燃える悪霊は数えきれないほどいる。
だから彼らは、自分たちだけの団体をつくっているというわけだ。
彼らの団体の内部統制はしっかりしていて、同じ団体の者どうしでは互いに 傷つけ合うことはないのだという。
悪霊の特徴は、さまざまなテクニックを使うことである。
悪霊がやってくるときには、地獄の光景とでもいうべき恐ろしいビジョンが 見えてきたりする。
しかし、これは比較的単純な悪霊の場合で、たいていは少し悪知恵があり、 美しいビジョンを見せて人間を誘う。
(略)
悪霊はこのほかにも、恐怖のビジョンを自在につくり出して、恐怖に おののかせたあとで、自分の思うとおりに人間を操ろうとする。
また、恐怖だけでなく、人の心をかき乱すことで人間を不安にしたり、 逆に信じ込ませて安心させたりして、人間を自由に操ろうとする。
彼らはそれを、類いまれな演技力や創作能力を使って行なう。
彼らの演技力や創作能力には、どんな名優も劇作家もかなうものではない。 彼らは人間にはない才能を持っているからだ。
彼らの演技力や創作能力の中でも、特に目立つのはウソやでっち上げを 自由自在に行なうことである。
彼らは、あることないことをまことしやかに でっち上げ、それを真実らしく語る
103K5 ◆ZrPJFvslEyUG :2011/04/10(日) 18:46:36.55 ID:MWBLZetb
ネットイナゴ=悪霊の本質(スウェデンボルグの解説から抜粋)

悪霊は、善とは何かを理解している。 しかし、悪とは何かをまったく理解していない。
彼らは、霊にも人間にもさまざまな悪事をするが、それが悪事だとはまったく思っていないのだ。 なぜなら、彼らは悪なるものが存在していることさえ気づいていないからだ。
彼らは善とは何かを知っていると言ったが、彼らの善とは、実は悪なのだ。
たとえば、他人を支配するのが好きだとか、他人の嘆きを見て喜ぶといった心情を、 霊になっても浄化しきれていない霊がある。その霊にとっては、他の霊や人間を苦しめることは嬉しいこと、喜ばしいことである。
そして、自分にとって嬉しいこと、喜ばしいことが、彼らの善なのだ。
彼らの中では善悪が逆転している。 このような形で善を理解している彼らに、悪などは当然存在しないことになる。 人間を苦しめることは、彼らにとっては嬉しいこと、喜ばしいことであり、 それが彼らの善なのであって、悪ではないのである。

この世にいろいろなタイプの悪人がいるのと 同様に、悪霊にもいろいろなタイプがある。
なかでも、もっとも凶悪で、大きな不幸や災難、苦しみを人間に与えるのは、 復讐の悪霊というべきタイプである。
この世の人間に対して復讐の念を 燃やす悪霊は実に多い。
復讐心は、普通の人間の世界では、公然と口にしたり、行動に移したりするのは許されていない。
それだけに、人間だったときの彼らの心の中に積もり 積もって、それが霊界に行っても浄化されないためかもしれない。 彼らは復讐のことを“喜び”と呼んでいるくらいだ。

彼らに見舞われた人間は 不幸のどん底に落とされる。彼らはさまざまな手を使って復讐の喜びを果たすが、 対象にした人間をひどい病気にして、その身体を破壊するぐらいでは 満足しない。
その人間の心まで狂わせて、愚行や悪行を行なわせる。 彼らは悪のテクニックにも長けているので、最初は善霊のような顔をして 近づいてくる。
私も、善霊だと思ってつき合っていた霊が復讐の霊だったと 知ったときには、彼らの詐術の巧みさにびっくりした経験がある。
霊の世界で聞いたところでは、彼らは集団をつくって行動しているという。
復讐の念に燃える悪霊は数えきれないほどいる。
だから彼らは、自分たちだけの団体をつくっているというわけだ。
彼らの団体の内部統制はしっかりしていて、同じ団体の者どうしでは互いに 傷つけ合うことはないのだという。
悪霊の特徴は、さまざまなテクニックを使うことである。
悪霊がやってくるときには、地獄の光景とでもいうべき恐ろしいビジョンが 見えてきたりする。
しかし、これは比較的単純な悪霊の場合で、たいていは少し悪知恵があり、 美しいビジョンを見せて人間を誘う。
(略)
悪霊はこのほかにも、恐怖のビジョンを自在につくり出して、恐怖に おののかせたあとで、自分の思うとおりに人間を操ろうとする。
また、恐怖だけでなく、人の心をかき乱すことで人間を不安にしたり、 逆に信じ込ませて安心させたりして、人間を自由に操ろうとする。
彼らはそれを、類いまれな演技力や創作能力を使って行なう。
彼らの演技力や創作能力には、どんな名優も劇作家もかなうものではない。 彼らは人間にはない才能を持っているからだ。
彼らの演技力や創作能力の中でも、特に目立つのはウソやでっち上げを 自由自在に行なうことである。
彼らは、あることないことをまことしやかに でっち上げ、それを真実らしく語る
104K5 ◆ZrPJFvslEyUG :2011/04/10(日) 18:48:39.26 ID:MWBLZetb
ネットイナゴ=悪霊の本質(スウェデンボルグの解説から抜粋)

悪霊は、善とは何かを理解している。 しかし、悪とは何かをまったく理解していない。
彼らは、霊にも人間にもさまざまな悪事をするが、それが悪事だとはまったく思っていないのだ。 なぜなら、彼らは悪なるものが存在していることさえ気づいていないからだ。
彼らは善とは何かを知っていると言ったが、彼らの善とは、実は悪なのだ。
たとえば、他人を支配するのが好きだとか、他人の嘆きを見て喜ぶといった心情を、 霊になっても浄化しきれていない霊がある。その霊にとっては、他の霊や人間を苦しめることは嬉しいこと、喜ばしいことである。
そして、自分にとって嬉しいこと、喜ばしいことが、彼らの善なのだ。
彼らの中では善悪が逆転している。 このような形で善を理解している彼らに、悪などは当然存在しないことになる。 人間を苦しめることは、彼らにとっては嬉しいこと、喜ばしいことであり、 それが彼らの善なのであって、悪ではないのである。

この世にいろいろなタイプの悪人がいるのと 同様に、悪霊にもいろいろなタイプがある。
なかでも、もっとも凶悪で、大きな不幸や災難、苦しみを人間に与えるのは、 復讐の悪霊というべきタイプである。
この世の人間に対して復讐の念を 燃やす悪霊は実に多い。
復讐心は、普通の人間の世界では、公然と口にしたり、行動に移したりするのは許されていない。
それだけに、人間だったときの彼らの心の中に積もり 積もって、それが霊界に行っても浄化されないためかもしれない。 彼らは復讐のことを“喜び”と呼んでいるくらいだ。

彼らに見舞われた人間は 不幸のどん底に落とされる。彼らはさまざまな手を使って復讐の喜びを果たすが、 対象にした人間をひどい病気にして、その身体を破壊するぐらいでは 満足しない。
その人間の心まで狂わせて、愚行や悪行を行なわせる。 彼らは悪のテクニックにも長けているので、最初は善霊のような顔をして 近づいてくる。
私も、善霊だと思ってつき合っていた霊が復讐の霊だったと 知ったときには、彼らの詐術の巧みさにびっくりした経験がある。
霊の世界で聞いたところでは、彼らは集団をつくって行動しているという。
復讐の念に燃える悪霊は数えきれないほどいる。
だから彼らは、自分たちだけの団体をつくっているというわけだ。
彼らの団体の内部統制はしっかりしていて、同じ団体の者どうしでは互いに 傷つけ合うことはないのだという。
悪霊の特徴は、さまざまなテクニックを使うことである。
悪霊がやってくるときには、地獄の光景とでもいうべき恐ろしいビジョンが 見えてきたりする。
しかし、これは比較的単純な悪霊の場合で、たいていは少し悪知恵があり、 美しいビジョンを見せて人間を誘う。
(略)
悪霊はこのほかにも、恐怖のビジョンを自在につくり出して、恐怖に おののかせたあとで、自分の思うとおりに人間を操ろうとする。
また、恐怖だけでなく、人の心をかき乱すことで人間を不安にしたり、 逆に信じ込ませて安心させたりして、人間を自由に操ろうとする。
彼らはそれを、類いまれな演技力や創作能力を使って行なう。
彼らの演技力や創作能力には、どんな名優も劇作家もかなうものではない。 彼らは人間にはない才能を持っているからだ。
彼らの演技力や創作能力の中でも、特に目立つのはウソやでっち上げを 自由自在に行なうことである。
彼らは、あることないことをまことしやかに でっち上げ、それを真実らしく語る
105K5 ◆ZrPJFvslEyUG :2011/04/10(日) 18:50:40.76 ID:MWBLZetb
ネットイナゴ=悪霊の本質(スウェデンボルグの解説から抜粋)

悪霊は、善とは何かを理解している。 しかし、悪とは何かをまったく理解していない。
彼らは、霊にも人間にもさまざまな悪事をするが、それが悪事だとはまったく思っていないのだ。 なぜなら、彼らは悪なるものが存在していることさえ気づいていないからだ。
彼らは善とは何かを知っていると言ったが、彼らの善とは、実は悪なのだ。
たとえば、他人を支配するのが好きだとか、他人の嘆きを見て喜ぶといった心情を、 霊になっても浄化しきれていない霊がある。その霊にとっては、他の霊や人間を苦しめることは嬉しいこと、喜ばしいことである。
そして、自分にとって嬉しいこと、喜ばしいことが、彼らの善なのだ。
彼らの中では善悪が逆転している。 このような形で善を理解している彼らに、悪などは当然存在しないことになる。 人間を苦しめることは、彼らにとっては嬉しいこと、喜ばしいことであり、 それが彼らの善なのであって、悪ではないのである。

この世にいろいろなタイプの悪人がいるのと 同様に、悪霊にもいろいろなタイプがある。
なかでも、もっとも凶悪で、大きな不幸や災難、苦しみを人間に与えるのは、 復讐の悪霊というべきタイプである。
この世の人間に対して復讐の念を 燃やす悪霊は実に多い。
復讐心は、普通の人間の世界では、公然と口にしたり、行動に移したりするのは許されていない。
それだけに、人間だったときの彼らの心の中に積もり 積もって、それが霊界に行っても浄化されないためかもしれない。 彼らは復讐のことを“喜び”と呼んでいるくらいだ。

彼らに見舞われた人間は 不幸のどん底に落とされる。彼らはさまざまな手を使って復讐の喜びを果たすが、 対象にした人間をひどい病気にして、その身体を破壊するぐらいでは 満足しない。
その人間の心まで狂わせて、愚行や悪行を行なわせる。 彼らは悪のテクニックにも長けているので、最初は善霊のような顔をして 近づいてくる。
私も、善霊だと思ってつき合っていた霊が復讐の霊だったと 知ったときには、彼らの詐術の巧みさにびっくりした経験がある。
霊の世界で聞いたところでは、彼らは集団をつくって行動しているという。
復讐の念に燃える悪霊は数えきれないほどいる。
だから彼らは、自分たちだけの団体をつくっているというわけだ。
彼らの団体の内部統制はしっかりしていて、同じ団体の者どうしでは互いに 傷つけ合うことはないのだという。
悪霊の特徴は、さまざまなテクニックを使うことである。
悪霊がやってくるときには、地獄の光景とでもいうべき恐ろしいビジョンが 見えてきたりする。
しかし、これは比較的単純な悪霊の場合で、たいていは少し悪知恵があり、 美しいビジョンを見せて人間を誘う。
(略)
悪霊はこのほかにも、恐怖のビジョンを自在につくり出して、恐怖に おののかせたあとで、自分の思うとおりに人間を操ろうとする。
また、恐怖だけでなく、人の心をかき乱すことで人間を不安にしたり、 逆に信じ込ませて安心させたりして、人間を自由に操ろうとする。
彼らはそれを、類いまれな演技力や創作能力を使って行なう。
彼らの演技力や創作能力には、どんな名優も劇作家もかなうものではない。 彼らは人間にはない才能を持っているからだ。
彼らの演技力や創作能力の中でも、特に目立つのはウソやでっち上げを 自由自在に行なうことである。
彼らは、あることないことをまことしやかに でっち上げ、それを真実らしく語る
106K5 ◆ZrPJFvslEyUG :2011/04/10(日) 18:52:42.44 ID:MWBLZetb
ネットイナゴ=悪霊の本質(スウェデンボルグの解説から抜粋)

悪霊は、善とは何かを理解している。 しかし、悪とは何かをまったく理解していない。
彼らは、霊にも人間にもさまざまな悪事をするが、それが悪事だとはまったく思っていないのだ。 なぜなら、彼らは悪なるものが存在していることさえ気づいていないからだ。
彼らは善とは何かを知っていると言ったが、彼らの善とは、実は悪なのだ。
たとえば、他人を支配するのが好きだとか、他人の嘆きを見て喜ぶといった心情を、 霊になっても浄化しきれていない霊がある。その霊にとっては、他の霊や人間を苦しめることは嬉しいこと、喜ばしいことである。
そして、自分にとって嬉しいこと、喜ばしいことが、彼らの善なのだ。
彼らの中では善悪が逆転している。 このような形で善を理解している彼らに、悪などは当然存在しないことになる。 人間を苦しめることは、彼らにとっては嬉しいこと、喜ばしいことであり、 それが彼らの善なのであって、悪ではないのである。

この世にいろいろなタイプの悪人がいるのと 同様に、悪霊にもいろいろなタイプがある。
なかでも、もっとも凶悪で、大きな不幸や災難、苦しみを人間に与えるのは、 復讐の悪霊というべきタイプである。
この世の人間に対して復讐の念を 燃やす悪霊は実に多い。
復讐心は、普通の人間の世界では、公然と口にしたり、行動に移したりするのは許されていない。
それだけに、人間だったときの彼らの心の中に積もり 積もって、それが霊界に行っても浄化されないためかもしれない。 彼らは復讐のことを“喜び”と呼んでいるくらいだ。

彼らに見舞われた人間は 不幸のどん底に落とされる。彼らはさまざまな手を使って復讐の喜びを果たすが、 対象にした人間をひどい病気にして、その身体を破壊するぐらいでは 満足しない。
その人間の心まで狂わせて、愚行や悪行を行なわせる。 彼らは悪のテクニックにも長けているので、最初は善霊のような顔をして 近づいてくる。
私も、善霊だと思ってつき合っていた霊が復讐の霊だったと 知ったときには、彼らの詐術の巧みさにびっくりした経験がある。
霊の世界で聞いたところでは、彼らは集団をつくって行動しているという。
復讐の念に燃える悪霊は数えきれないほどいる。
だから彼らは、自分たちだけの団体をつくっているというわけだ。
彼らの団体の内部統制はしっかりしていて、同じ団体の者どうしでは互いに 傷つけ合うことはないのだという。
悪霊の特徴は、さまざまなテクニックを使うことである。
悪霊がやってくるときには、地獄の光景とでもいうべき恐ろしいビジョンが 見えてきたりする。
しかし、これは比較的単純な悪霊の場合で、たいていは少し悪知恵があり、 美しいビジョンを見せて人間を誘う。
(略)
悪霊はこのほかにも、恐怖のビジョンを自在につくり出して、恐怖に おののかせたあとで、自分の思うとおりに人間を操ろうとする。
また、恐怖だけでなく、人の心をかき乱すことで人間を不安にしたり、 逆に信じ込ませて安心させたりして、人間を自由に操ろうとする。
彼らはそれを、類いまれな演技力や創作能力を使って行なう。
彼らの演技力や創作能力には、どんな名優も劇作家もかなうものではない。 彼らは人間にはない才能を持っているからだ。
彼らの演技力や創作能力の中でも、特に目立つのはウソやでっち上げを 自由自在に行なうことである。
彼らは、あることないことをまことしやかに でっち上げ、それを真実らしく語る
107K5 ◆ZrPJFvslEyUG :2011/04/10(日) 18:54:44.17 ID:MWBLZetb
ネットイナゴ=悪霊の本質(スウェデンボルグの解説から抜粋)

悪霊は、善とは何かを理解している。 しかし、悪とは何かをまったく理解していない。
彼らは、霊にも人間にもさまざまな悪事をするが、それが悪事だとはまったく思っていないのだ。 なぜなら、彼らは悪なるものが存在していることさえ気づいていないからだ。
彼らは善とは何かを知っていると言ったが、彼らの善とは、実は悪なのだ。
たとえば、他人を支配するのが好きだとか、他人の嘆きを見て喜ぶといった心情を、 霊になっても浄化しきれていない霊がある。その霊にとっては、他の霊や人間を苦しめることは嬉しいこと、喜ばしいことである。
そして、自分にとって嬉しいこと、喜ばしいことが、彼らの善なのだ。
彼らの中では善悪が逆転している。 このような形で善を理解している彼らに、悪などは当然存在しないことになる。 人間を苦しめることは、彼らにとっては嬉しいこと、喜ばしいことであり、 それが彼らの善なのであって、悪ではないのである。

この世にいろいろなタイプの悪人がいるのと 同様に、悪霊にもいろいろなタイプがある。
なかでも、もっとも凶悪で、大きな不幸や災難、苦しみを人間に与えるのは、 復讐の悪霊というべきタイプである。
この世の人間に対して復讐の念を 燃やす悪霊は実に多い。
復讐心は、普通の人間の世界では、公然と口にしたり、行動に移したりするのは許されていない。
それだけに、人間だったときの彼らの心の中に積もり 積もって、それが霊界に行っても浄化されないためかもしれない。 彼らは復讐のことを“喜び”と呼んでいるくらいだ。

彼らに見舞われた人間は 不幸のどん底に落とされる。彼らはさまざまな手を使って復讐の喜びを果たすが、 対象にした人間をひどい病気にして、その身体を破壊するぐらいでは 満足しない。
その人間の心まで狂わせて、愚行や悪行を行なわせる。 彼らは悪のテクニックにも長けているので、最初は善霊のような顔をして 近づいてくる。
私も、善霊だと思ってつき合っていた霊が復讐の霊だったと 知ったときには、彼らの詐術の巧みさにびっくりした経験がある。
霊の世界で聞いたところでは、彼らは集団をつくって行動しているという。
復讐の念に燃える悪霊は数えきれないほどいる。
だから彼らは、自分たちだけの団体をつくっているというわけだ。
彼らの団体の内部統制はしっかりしていて、同じ団体の者どうしでは互いに 傷つけ合うことはないのだという。
悪霊の特徴は、さまざまなテクニックを使うことである。
悪霊がやってくるときには、地獄の光景とでもいうべき恐ろしいビジョンが 見えてきたりする。
しかし、これは比較的単純な悪霊の場合で、たいていは少し悪知恵があり、 美しいビジョンを見せて人間を誘う。
(略)
悪霊はこのほかにも、恐怖のビジョンを自在につくり出して、恐怖に おののかせたあとで、自分の思うとおりに人間を操ろうとする。
また、恐怖だけでなく、人の心をかき乱すことで人間を不安にしたり、 逆に信じ込ませて安心させたりして、人間を自由に操ろうとする。
彼らはそれを、類いまれな演技力や創作能力を使って行なう。
彼らの演技力や創作能力には、どんな名優も劇作家もかなうものではない。 彼らは人間にはない才能を持っているからだ。
彼らの演技力や創作能力の中でも、特に目立つのはウソやでっち上げを 自由自在に行なうことである。
彼らは、あることないことをまことしやかに でっち上げ、それを真実らしく語る
108K5 ◆ZrPJFvslEyUG :2011/04/10(日) 18:56:46.51 ID:MWBLZetb
ネットイナゴ=悪霊の本質(スウェデンボルグの解説から抜粋)

悪霊は、善とは何かを理解している。 しかし、悪とは何かをまったく理解していない。
彼らは、霊にも人間にもさまざまな悪事をするが、それが悪事だとはまったく思っていないのだ。 なぜなら、彼らは悪なるものが存在していることさえ気づいていないからだ。
彼らは善とは何かを知っていると言ったが、彼らの善とは、実は悪なのだ。
たとえば、他人を支配するのが好きだとか、他人の嘆きを見て喜ぶといった心情を、 霊になっても浄化しきれていない霊がある。その霊にとっては、他の霊や人間を苦しめることは嬉しいこと、喜ばしいことである。
そして、自分にとって嬉しいこと、喜ばしいことが、彼らの善なのだ。
彼らの中では善悪が逆転している。 このような形で善を理解している彼らに、悪などは当然存在しないことになる。 人間を苦しめることは、彼らにとっては嬉しいこと、喜ばしいことであり、 それが彼らの善なのであって、悪ではないのである。

この世にいろいろなタイプの悪人がいるのと 同様に、悪霊にもいろいろなタイプがある。
なかでも、もっとも凶悪で、大きな不幸や災難、苦しみを人間に与えるのは、 復讐の悪霊というべきタイプである。
この世の人間に対して復讐の念を 燃やす悪霊は実に多い。
復讐心は、普通の人間の世界では、公然と口にしたり、行動に移したりするのは許されていない。
それだけに、人間だったときの彼らの心の中に積もり 積もって、それが霊界に行っても浄化されないためかもしれない。 彼らは復讐のことを“喜び”と呼んでいるくらいだ。

彼らに見舞われた人間は 不幸のどん底に落とされる。彼らはさまざまな手を使って復讐の喜びを果たすが、 対象にした人間をひどい病気にして、その身体を破壊するぐらいでは 満足しない。
その人間の心まで狂わせて、愚行や悪行を行なわせる。 彼らは悪のテクニックにも長けているので、最初は善霊のような顔をして 近づいてくる。
私も、善霊だと思ってつき合っていた霊が復讐の霊だったと 知ったときには、彼らの詐術の巧みさにびっくりした経験がある。
霊の世界で聞いたところでは、彼らは集団をつくって行動しているという。
復讐の念に燃える悪霊は数えきれないほどいる。
だから彼らは、自分たちだけの団体をつくっているというわけだ。
彼らの団体の内部統制はしっかりしていて、同じ団体の者どうしでは互いに 傷つけ合うことはないのだという。
悪霊の特徴は、さまざまなテクニックを使うことである。
悪霊がやってくるときには、地獄の光景とでもいうべき恐ろしいビジョンが 見えてきたりする。
しかし、これは比較的単純な悪霊の場合で、たいていは少し悪知恵があり、 美しいビジョンを見せて人間を誘う。
(略)
悪霊はこのほかにも、恐怖のビジョンを自在につくり出して、恐怖に おののかせたあとで、自分の思うとおりに人間を操ろうとする。
また、恐怖だけでなく、人の心をかき乱すことで人間を不安にしたり、 逆に信じ込ませて安心させたりして、人間を自由に操ろうとする。
彼らはそれを、類いまれな演技力や創作能力を使って行なう。
彼らの演技力や創作能力には、どんな名優も劇作家もかなうものではない。 彼らは人間にはない才能を持っているからだ。
彼らの演技力や創作能力の中でも、特に目立つのはウソやでっち上げを 自由自在に行なうことである。
彼らは、あることないことをまことしやかに でっち上げ、それを真実らしく語る
109K5 ◆ZrPJFvslEyUG :2011/04/10(日) 18:58:49.35 ID:MWBLZetb
ネットイナゴ=悪霊の本質(スウェデンボルグの解説から抜粋)

悪霊は、善とは何かを理解している。 しかし、悪とは何かをまったく理解していない。
彼らは、霊にも人間にもさまざまな悪事をするが、それが悪事だとはまったく思っていないのだ。 なぜなら、彼らは悪なるものが存在していることさえ気づいていないからだ。
彼らは善とは何かを知っていると言ったが、彼らの善とは、実は悪なのだ。
たとえば、他人を支配するのが好きだとか、他人の嘆きを見て喜ぶといった心情を、 霊になっても浄化しきれていない霊がある。その霊にとっては、他の霊や人間を苦しめることは嬉しいこと、喜ばしいことである。
そして、自分にとって嬉しいこと、喜ばしいことが、彼らの善なのだ。
彼らの中では善悪が逆転している。 このような形で善を理解している彼らに、悪などは当然存在しないことになる。 人間を苦しめることは、彼らにとっては嬉しいこと、喜ばしいことであり、 それが彼らの善なのであって、悪ではないのである。

この世にいろいろなタイプの悪人がいるのと 同様に、悪霊にもいろいろなタイプがある。
なかでも、もっとも凶悪で、大きな不幸や災難、苦しみを人間に与えるのは、 復讐の悪霊というべきタイプである。
この世の人間に対して復讐の念を 燃やす悪霊は実に多い。
復讐心は、普通の人間の世界では、公然と口にしたり、行動に移したりするのは許されていない。
それだけに、人間だったときの彼らの心の中に積もり 積もって、それが霊界に行っても浄化されないためかもしれない。 彼らは復讐のことを“喜び”と呼んでいるくらいだ。

彼らに見舞われた人間は 不幸のどん底に落とされる。彼らはさまざまな手を使って復讐の喜びを果たすが、 対象にした人間をひどい病気にして、その身体を破壊するぐらいでは 満足しない。
その人間の心まで狂わせて、愚行や悪行を行なわせる。 彼らは悪のテクニックにも長けているので、最初は善霊のような顔をして 近づいてくる。
私も、善霊だと思ってつき合っていた霊が復讐の霊だったと 知ったときには、彼らの詐術の巧みさにびっくりした経験がある。
霊の世界で聞いたところでは、彼らは集団をつくって行動しているという。
復讐の念に燃える悪霊は数えきれないほどいる。
だから彼らは、自分たちだけの団体をつくっているというわけだ。
彼らの団体の内部統制はしっかりしていて、同じ団体の者どうしでは互いに 傷つけ合うことはないのだという。
悪霊の特徴は、さまざまなテクニックを使うことである。
悪霊がやってくるときには、地獄の光景とでもいうべき恐ろしいビジョンが 見えてきたりする。
しかし、これは比較的単純な悪霊の場合で、たいていは少し悪知恵があり、 美しいビジョンを見せて人間を誘う。
(略)
悪霊はこのほかにも、恐怖のビジョンを自在につくり出して、恐怖に おののかせたあとで、自分の思うとおりに人間を操ろうとする。
また、恐怖だけでなく、人の心をかき乱すことで人間を不安にしたり、 逆に信じ込ませて安心させたりして、人間を自由に操ろうとする。
彼らはそれを、類いまれな演技力や創作能力を使って行なう。
彼らの演技力や創作能力には、どんな名優も劇作家もかなうものではない。 彼らは人間にはない才能を持っているからだ。
彼らの演技力や創作能力の中でも、特に目立つのはウソやでっち上げを 自由自在に行なうことである。
彼らは、あることないことをまことしやかに でっち上げ、それを真実らしく語る
110K5 ◆ZrPJFvslEyUG :2011/04/10(日) 19:00:50.35 ID:MWBLZetb
ネットイナゴ=悪霊の本質(スウェデンボルグの解説から抜粋)

悪霊は、善とは何かを理解している。 しかし、悪とは何かをまったく理解していない。
彼らは、霊にも人間にもさまざまな悪事をするが、それが悪事だとはまったく思っていないのだ。 なぜなら、彼らは悪なるものが存在していることさえ気づいていないからだ。
彼らは善とは何かを知っていると言ったが、彼らの善とは、実は悪なのだ。
たとえば、他人を支配するのが好きだとか、他人の嘆きを見て喜ぶといった心情を、 霊になっても浄化しきれていない霊がある。その霊にとっては、他の霊や人間を苦しめることは嬉しいこと、喜ばしいことである。
そして、自分にとって嬉しいこと、喜ばしいことが、彼らの善なのだ。
彼らの中では善悪が逆転している。 このような形で善を理解している彼らに、悪などは当然存在しないことになる。 人間を苦しめることは、彼らにとっては嬉しいこと、喜ばしいことであり、 それが彼らの善なのであって、悪ではないのである。

この世にいろいろなタイプの悪人がいるのと 同様に、悪霊にもいろいろなタイプがある。
なかでも、もっとも凶悪で、大きな不幸や災難、苦しみを人間に与えるのは、 復讐の悪霊というべきタイプである。
この世の人間に対して復讐の念を 燃やす悪霊は実に多い。
復讐心は、普通の人間の世界では、公然と口にしたり、行動に移したりするのは許されていない。
それだけに、人間だったときの彼らの心の中に積もり 積もって、それが霊界に行っても浄化されないためかもしれない。 彼らは復讐のことを“喜び”と呼んでいるくらいだ。

彼らに見舞われた人間は 不幸のどん底に落とされる。彼らはさまざまな手を使って復讐の喜びを果たすが、 対象にした人間をひどい病気にして、その身体を破壊するぐらいでは 満足しない。
その人間の心まで狂わせて、愚行や悪行を行なわせる。 彼らは悪のテクニックにも長けているので、最初は善霊のような顔をして 近づいてくる。
私も、善霊だと思ってつき合っていた霊が復讐の霊だったと 知ったときには、彼らの詐術の巧みさにびっくりした経験がある。
霊の世界で聞いたところでは、彼らは集団をつくって行動しているという。
復讐の念に燃える悪霊は数えきれないほどいる。
だから彼らは、自分たちだけの団体をつくっているというわけだ。
彼らの団体の内部統制はしっかりしていて、同じ団体の者どうしでは互いに 傷つけ合うことはないのだという。
悪霊の特徴は、さまざまなテクニックを使うことである。
悪霊がやってくるときには、地獄の光景とでもいうべき恐ろしいビジョンが 見えてきたりする。
しかし、これは比較的単純な悪霊の場合で、たいていは少し悪知恵があり、 美しいビジョンを見せて人間を誘う。
(略)
悪霊はこのほかにも、恐怖のビジョンを自在につくり出して、恐怖に おののかせたあとで、自分の思うとおりに人間を操ろうとする。
また、恐怖だけでなく、人の心をかき乱すことで人間を不安にしたり、 逆に信じ込ませて安心させたりして、人間を自由に操ろうとする。
彼らはそれを、類いまれな演技力や創作能力を使って行なう。
彼らの演技力や創作能力には、どんな名優も劇作家もかなうものではない。 彼らは人間にはない才能を持っているからだ。
彼らの演技力や創作能力の中でも、特に目立つのはウソやでっち上げを 自由自在に行なうことである。
彼らは、あることないことをまことしやかに でっち上げ、それを真実らしく語る
111K5 ◆ZrPJFvslEyUG :2011/04/10(日) 19:02:52.47 ID:MWBLZetb
ネットイナゴ=悪霊の本質(スウェデンボルグの解説から抜粋)

悪霊は、善とは何かを理解している。 しかし、悪とは何かをまったく理解していない。
彼らは、霊にも人間にもさまざまな悪事をするが、それが悪事だとはまったく思っていないのだ。 なぜなら、彼らは悪なるものが存在していることさえ気づいていないからだ。
彼らは善とは何かを知っていると言ったが、彼らの善とは、実は悪なのだ。
たとえば、他人を支配するのが好きだとか、他人の嘆きを見て喜ぶといった心情を、 霊になっても浄化しきれていない霊がある。その霊にとっては、他の霊や人間を苦しめることは嬉しいこと、喜ばしいことである。
そして、自分にとって嬉しいこと、喜ばしいことが、彼らの善なのだ。
彼らの中では善悪が逆転している。 このような形で善を理解している彼らに、悪などは当然存在しないことになる。 人間を苦しめることは、彼らにとっては嬉しいこと、喜ばしいことであり、 それが彼らの善なのであって、悪ではないのである。

この世にいろいろなタイプの悪人がいるのと 同様に、悪霊にもいろいろなタイプがある。
なかでも、もっとも凶悪で、大きな不幸や災難、苦しみを人間に与えるのは、 復讐の悪霊というべきタイプである。
この世の人間に対して復讐の念を 燃やす悪霊は実に多い。
復讐心は、普通の人間の世界では、公然と口にしたり、行動に移したりするのは許されていない。
それだけに、人間だったときの彼らの心の中に積もり 積もって、それが霊界に行っても浄化されないためかもしれない。 彼らは復讐のことを“喜び”と呼んでいるくらいだ。

彼らに見舞われた人間は 不幸のどん底に落とされる。彼らはさまざまな手を使って復讐の喜びを果たすが、 対象にした人間をひどい病気にして、その身体を破壊するぐらいでは 満足しない。
その人間の心まで狂わせて、愚行や悪行を行なわせる。 彼らは悪のテクニックにも長けているので、最初は善霊のような顔をして 近づいてくる。
私も、善霊だと思ってつき合っていた霊が復讐の霊だったと 知ったときには、彼らの詐術の巧みさにびっくりした経験がある。
霊の世界で聞いたところでは、彼らは集団をつくって行動しているという。
復讐の念に燃える悪霊は数えきれないほどいる。
だから彼らは、自分たちだけの団体をつくっているというわけだ。
彼らの団体の内部統制はしっかりしていて、同じ団体の者どうしでは互いに 傷つけ合うことはないのだという。
悪霊の特徴は、さまざまなテクニックを使うことである。
悪霊がやってくるときには、地獄の光景とでもいうべき恐ろしいビジョンが 見えてきたりする。
しかし、これは比較的単純な悪霊の場合で、たいていは少し悪知恵があり、 美しいビジョンを見せて人間を誘う。
(略)
悪霊はこのほかにも、恐怖のビジョンを自在につくり出して、恐怖に おののかせたあとで、自分の思うとおりに人間を操ろうとする。
また、恐怖だけでなく、人の心をかき乱すことで人間を不安にしたり、 逆に信じ込ませて安心させたりして、人間を自由に操ろうとする。
彼らはそれを、類いまれな演技力や創作能力を使って行なう。
彼らの演技力や創作能力には、どんな名優も劇作家もかなうものではない。 彼らは人間にはない才能を持っているからだ。
彼らの演技力や創作能力の中でも、特に目立つのはウソやでっち上げを 自由自在に行なうことである。
彼らは、あることないことをまことしやかに でっち上げ、それを真実らしく語る
112K5 ◆ZrPJFvslEyUG :2011/04/10(日) 19:04:54.46 ID:MWBLZetb
ネットイナゴ=悪霊の本質(スウェデンボルグの解説から抜粋)

悪霊は、善とは何かを理解している。 しかし、悪とは何かをまったく理解していない。
彼らは、霊にも人間にもさまざまな悪事をするが、それが悪事だとはまったく思っていないのだ。 なぜなら、彼らは悪なるものが存在していることさえ気づいていないからだ。
彼らは善とは何かを知っていると言ったが、彼らの善とは、実は悪なのだ。
たとえば、他人を支配するのが好きだとか、他人の嘆きを見て喜ぶといった心情を、 霊になっても浄化しきれていない霊がある。その霊にとっては、他の霊や人間を苦しめることは嬉しいこと、喜ばしいことである。
そして、自分にとって嬉しいこと、喜ばしいことが、彼らの善なのだ。
彼らの中では善悪が逆転している。 このような形で善を理解している彼らに、悪などは当然存在しないことになる。 人間を苦しめることは、彼らにとっては嬉しいこと、喜ばしいことであり、 それが彼らの善なのであって、悪ではないのである。

この世にいろいろなタイプの悪人がいるのと 同様に、悪霊にもいろいろなタイプがある。
なかでも、もっとも凶悪で、大きな不幸や災難、苦しみを人間に与えるのは、 復讐の悪霊というべきタイプである。
この世の人間に対して復讐の念を 燃やす悪霊は実に多い。
復讐心は、普通の人間の世界では、公然と口にしたり、行動に移したりするのは許されていない。
それだけに、人間だったときの彼らの心の中に積もり 積もって、それが霊界に行っても浄化されないためかもしれない。 彼らは復讐のことを“喜び”と呼んでいるくらいだ。

彼らに見舞われた人間は 不幸のどん底に落とされる。彼らはさまざまな手を使って復讐の喜びを果たすが、 対象にした人間をひどい病気にして、その身体を破壊するぐらいでは 満足しない。
その人間の心まで狂わせて、愚行や悪行を行なわせる。 彼らは悪のテクニックにも長けているので、最初は善霊のような顔をして 近づいてくる。
私も、善霊だと思ってつき合っていた霊が復讐の霊だったと 知ったときには、彼らの詐術の巧みさにびっくりした経験がある。
霊の世界で聞いたところでは、彼らは集団をつくって行動しているという。
復讐の念に燃える悪霊は数えきれないほどいる。
だから彼らは、自分たちだけの団体をつくっているというわけだ。
彼らの団体の内部統制はしっかりしていて、同じ団体の者どうしでは互いに 傷つけ合うことはないのだという。
悪霊の特徴は、さまざまなテクニックを使うことである。
悪霊がやってくるときには、地獄の光景とでもいうべき恐ろしいビジョンが 見えてきたりする。
しかし、これは比較的単純な悪霊の場合で、たいていは少し悪知恵があり、 美しいビジョンを見せて人間を誘う。
(略)
悪霊はこのほかにも、恐怖のビジョンを自在につくり出して、恐怖に おののかせたあとで、自分の思うとおりに人間を操ろうとする。
また、恐怖だけでなく、人の心をかき乱すことで人間を不安にしたり、 逆に信じ込ませて安心させたりして、人間を自由に操ろうとする。
彼らはそれを、類いまれな演技力や創作能力を使って行なう。
彼らの演技力や創作能力には、どんな名優も劇作家もかなうものではない。 彼らは人間にはない才能を持っているからだ。
彼らの演技力や創作能力の中でも、特に目立つのはウソやでっち上げを 自由自在に行なうことである。
彼らは、あることないことをまことしやかに でっち上げ、それを真実らしく語る
113K5 ◆ZrPJFvslEyUG :2011/04/10(日) 19:06:56.67 ID:MWBLZetb
ネットイナゴ=悪霊の本質(スウェデンボルグの解説から抜粋)

悪霊は、善とは何かを理解している。 しかし、悪とは何かをまったく理解していない。
彼らは、霊にも人間にもさまざまな悪事をするが、それが悪事だとはまったく思っていないのだ。 なぜなら、彼らは悪なるものが存在していることさえ気づいていないからだ。
彼らは善とは何かを知っていると言ったが、彼らの善とは、実は悪なのだ。
たとえば、他人を支配するのが好きだとか、他人の嘆きを見て喜ぶといった心情を、 霊になっても浄化しきれていない霊がある。その霊にとっては、他の霊や人間を苦しめることは嬉しいこと、喜ばしいことである。
そして、自分にとって嬉しいこと、喜ばしいことが、彼らの善なのだ。
彼らの中では善悪が逆転している。 このような形で善を理解している彼らに、悪などは当然存在しないことになる。 人間を苦しめることは、彼らにとっては嬉しいこと、喜ばしいことであり、 それが彼らの善なのであって、悪ではないのである。

この世にいろいろなタイプの悪人がいるのと 同様に、悪霊にもいろいろなタイプがある。
なかでも、もっとも凶悪で、大きな不幸や災難、苦しみを人間に与えるのは、 復讐の悪霊というべきタイプである。
この世の人間に対して復讐の念を 燃やす悪霊は実に多い。
復讐心は、普通の人間の世界では、公然と口にしたり、行動に移したりするのは許されていない。
それだけに、人間だったときの彼らの心の中に積もり 積もって、それが霊界に行っても浄化されないためかもしれない。 彼らは復讐のことを“喜び”と呼んでいるくらいだ。

彼らに見舞われた人間は 不幸のどん底に落とされる。彼らはさまざまな手を使って復讐の喜びを果たすが、 対象にした人間をひどい病気にして、その身体を破壊するぐらいでは 満足しない。
その人間の心まで狂わせて、愚行や悪行を行なわせる。 彼らは悪のテクニックにも長けているので、最初は善霊のような顔をして 近づいてくる。
私も、善霊だと思ってつき合っていた霊が復讐の霊だったと 知ったときには、彼らの詐術の巧みさにびっくりした経験がある。
霊の世界で聞いたところでは、彼らは集団をつくって行動しているという。
復讐の念に燃える悪霊は数えきれないほどいる。
だから彼らは、自分たちだけの団体をつくっているというわけだ。
彼らの団体の内部統制はしっかりしていて、同じ団体の者どうしでは互いに 傷つけ合うことはないのだという。
悪霊の特徴は、さまざまなテクニックを使うことである。
悪霊がやってくるときには、地獄の光景とでもいうべき恐ろしいビジョンが 見えてきたりする。
しかし、これは比較的単純な悪霊の場合で、たいていは少し悪知恵があり、 美しいビジョンを見せて人間を誘う。
(略)
悪霊はこのほかにも、恐怖のビジョンを自在につくり出して、恐怖に おののかせたあとで、自分の思うとおりに人間を操ろうとする。
また、恐怖だけでなく、人の心をかき乱すことで人間を不安にしたり、 逆に信じ込ませて安心させたりして、人間を自由に操ろうとする。
彼らはそれを、類いまれな演技力や創作能力を使って行なう。
彼らの演技力や創作能力には、どんな名優も劇作家もかなうものではない。 彼らは人間にはない才能を持っているからだ。
彼らの演技力や創作能力の中でも、特に目立つのはウソやでっち上げを 自由自在に行なうことである。
彼らは、あることないことをまことしやかに でっち上げ、それを真実らしく語る
114K5 ◆ZrPJFvslEyUG :2011/04/10(日) 19:51:38.91 ID:MWBLZetb
ネットイナゴ=悪霊の本質(スウェデンボルグの解説から抜粋)

悪霊は、善とは何かを理解している。 しかし、悪とは何かをまったく理解していない。
彼らは、霊にも人間にもさまざまな悪事をするが、それが悪事だとはまったく思っていないのだ。 なぜなら、彼らは悪なるものが存在していることさえ気づいていないからだ。
彼らは善とは何かを知っていると言ったが、彼らの善とは、実は悪なのだ。
たとえば、他人を支配するのが好きだとか、他人の嘆きを見て喜ぶといった心情を、 霊になっても浄化しきれていない霊がある。その霊にとっては、他の霊や人間を苦しめることは嬉しいこと、喜ばしいことである。
そして、自分にとって嬉しいこと、喜ばしいことが、彼らの善なのだ。
彼らの中では善悪が逆転している。 このような形で善を理解している彼らに、悪などは当然存在しないことになる。 人間を苦しめることは、彼らにとっては嬉しいこと、喜ばしいことであり、 それが彼らの善なのであって、悪ではないのである。

この世にいろいろなタイプの悪人がいるのと 同様に、悪霊にもいろいろなタイプがある。
なかでも、もっとも凶悪で、大きな不幸や災難、苦しみを人間に与えるのは、 復讐の悪霊というべきタイプである。
この世の人間に対して復讐の念を 燃やす悪霊は実に多い。
復讐心は、普通の人間の世界では、公然と口にしたり、行動に移したりするのは許されていない。
それだけに、人間だったときの彼らの心の中に積もり 積もって、それが霊界に行っても浄化されないためかもしれない。 彼らは復讐のことを“喜び”と呼んでいるくらいだ。

彼らに見舞われた人間は 不幸のどん底に落とされる。彼らはさまざまな手を使って復讐の喜びを果たすが、 対象にした人間をひどい病気にして、その身体を破壊するぐらいでは 満足しない。
その人間の心まで狂わせて、愚行や悪行を行なわせる。 彼らは悪のテクニックにも長けているので、最初は善霊のような顔をして 近づいてくる。
私も、善霊だと思ってつき合っていた霊が復讐の霊だったと 知ったときには、彼らの詐術の巧みさにびっくりした経験がある。
霊の世界で聞いたところでは、彼らは集団をつくって行動しているという。
復讐の念に燃える悪霊は数えきれないほどいる。
だから彼らは、自分たちだけの団体をつくっているというわけだ。
彼らの団体の内部統制はしっかりしていて、同じ団体の者どうしでは互いに 傷つけ合うことはないのだという。
悪霊の特徴は、さまざまなテクニックを使うことである。
悪霊がやってくるときには、地獄の光景とでもいうべき恐ろしいビジョンが 見えてきたりする。
しかし、これは比較的単純な悪霊の場合で、たいていは少し悪知恵があり、 美しいビジョンを見せて人間を誘う。
(略)
悪霊はこのほかにも、恐怖のビジョンを自在につくり出して、恐怖に おののかせたあとで、自分の思うとおりに人間を操ろうとする。
また、恐怖だけでなく、人の心をかき乱すことで人間を不安にしたり、 逆に信じ込ませて安心させたりして、人間を自由に操ろうとする。
彼らはそれを、類いまれな演技力や創作能力を使って行なう。
彼らの演技力や創作能力には、どんな名優も劇作家もかなうものではない。 彼らは人間にはない才能を持っているからだ。
彼らの演技力や創作能力の中でも、特に目立つのはウソやでっち上げを 自由自在に行なうことである。
彼らは、あることないことをまことしやかに でっち上げ、それを真実らしく語る
115K5 ◆ZrPJFvslEyUG :2011/04/10(日) 19:53:41.19 ID:MWBLZetb
ネットイナゴ=悪霊の本質(スウェデンボルグの解説から抜粋)

悪霊は、善とは何かを理解している。 しかし、悪とは何かをまったく理解していない。
彼らは、霊にも人間にもさまざまな悪事をするが、それが悪事だとはまったく思っていないのだ。 なぜなら、彼らは悪なるものが存在していることさえ気づいていないからだ。
彼らは善とは何かを知っていると言ったが、彼らの善とは、実は悪なのだ。
たとえば、他人を支配するのが好きだとか、他人の嘆きを見て喜ぶといった心情を、 霊になっても浄化しきれていない霊がある。その霊にとっては、他の霊や人間を苦しめることは嬉しいこと、喜ばしいことである。
そして、自分にとって嬉しいこと、喜ばしいことが、彼らの善なのだ。
彼らの中では善悪が逆転している。 このような形で善を理解している彼らに、悪などは当然存在しないことになる。 人間を苦しめることは、彼らにとっては嬉しいこと、喜ばしいことであり、 それが彼らの善なのであって、悪ではないのである。

この世にいろいろなタイプの悪人がいるのと 同様に、悪霊にもいろいろなタイプがある。
なかでも、もっとも凶悪で、大きな不幸や災難、苦しみを人間に与えるのは、 復讐の悪霊というべきタイプである。
この世の人間に対して復讐の念を 燃やす悪霊は実に多い。
復讐心は、普通の人間の世界では、公然と口にしたり、行動に移したりするのは許されていない。
それだけに、人間だったときの彼らの心の中に積もり 積もって、それが霊界に行っても浄化されないためかもしれない。 彼らは復讐のことを“喜び”と呼んでいるくらいだ。

彼らに見舞われた人間は 不幸のどん底に落とされる。彼らはさまざまな手を使って復讐の喜びを果たすが、 対象にした人間をひどい病気にして、その身体を破壊するぐらいでは 満足しない。
その人間の心まで狂わせて、愚行や悪行を行なわせる。 彼らは悪のテクニックにも長けているので、最初は善霊のような顔をして 近づいてくる。
私も、善霊だと思ってつき合っていた霊が復讐の霊だったと 知ったときには、彼らの詐術の巧みさにびっくりした経験がある。
霊の世界で聞いたところでは、彼らは集団をつくって行動しているという。
復讐の念に燃える悪霊は数えきれないほどいる。
だから彼らは、自分たちだけの団体をつくっているというわけだ。
彼らの団体の内部統制はしっかりしていて、同じ団体の者どうしでは互いに 傷つけ合うことはないのだという。
悪霊の特徴は、さまざまなテクニックを使うことである。
悪霊がやってくるときには、地獄の光景とでもいうべき恐ろしいビジョンが 見えてきたりする。
しかし、これは比較的単純な悪霊の場合で、たいていは少し悪知恵があり、 美しいビジョンを見せて人間を誘う。
(略)
悪霊はこのほかにも、恐怖のビジョンを自在につくり出して、恐怖に おののかせたあとで、自分の思うとおりに人間を操ろうとする。
また、恐怖だけでなく、人の心をかき乱すことで人間を不安にしたり、 逆に信じ込ませて安心させたりして、人間を自由に操ろうとする。
彼らはそれを、類いまれな演技力や創作能力を使って行なう。
彼らの演技力や創作能力には、どんな名優も劇作家もかなうものではない。 彼らは人間にはない才能を持っているからだ。
彼らの演技力や創作能力の中でも、特に目立つのはウソやでっち上げを 自由自在に行なうことである。
彼らは、あることないことをまことしやかに でっち上げ、それを真実らしく語る
116K5 ◆ZrPJFvslEyUG :2011/04/10(日) 20:05:53.68 ID:MWBLZetb
ネットイナゴ=悪霊の本質(スウェデンボルグの解説から抜粋)

悪霊は、善とは何かを理解している。 しかし、悪とは何かをまったく理解していない。
彼らは、霊にも人間にもさまざまな悪事をするが、それが悪事だとはまったく思っていないのだ。 なぜなら、彼らは悪なるものが存在していることさえ気づいていないからだ。
彼らは善とは何かを知っていると言ったが、彼らの善とは、実は悪なのだ。
たとえば、他人を支配するのが好きだとか、他人の嘆きを見て喜ぶといった心情を、 霊になっても浄化しきれていない霊がある。その霊にとっては、他の霊や人間を苦しめることは嬉しいこと、喜ばしいことである。
そして、自分にとって嬉しいこと、喜ばしいことが、彼らの善なのだ。
彼らの中では善悪が逆転している。 このような形で善を理解している彼らに、悪などは当然存在しないことになる。 人間を苦しめることは、彼らにとっては嬉しいこと、喜ばしいことであり、 それが彼らの善なのであって、悪ではないのである。

この世にいろいろなタイプの悪人がいるのと 同様に、悪霊にもいろいろなタイプがある。
なかでも、もっとも凶悪で、大きな不幸や災難、苦しみを人間に与えるのは、 復讐の悪霊というべきタイプである。
この世の人間に対して復讐の念を 燃やす悪霊は実に多い。
復讐心は、普通の人間の世界では、公然と口にしたり、行動に移したりするのは許されていない。
それだけに、人間だったときの彼らの心の中に積もり 積もって、それが霊界に行っても浄化されないためかもしれない。 彼らは復讐のことを“喜び”と呼んでいるくらいだ。

彼らに見舞われた人間は 不幸のどん底に落とされる。彼らはさまざまな手を使って復讐の喜びを果たすが、 対象にした人間をひどい病気にして、その身体を破壊するぐらいでは 満足しない。
その人間の心まで狂わせて、愚行や悪行を行なわせる。 彼らは悪のテクニックにも長けているので、最初は善霊のような顔をして 近づいてくる。
私も、善霊だと思ってつき合っていた霊が復讐の霊だったと 知ったときには、彼らの詐術の巧みさにびっくりした経験がある。
霊の世界で聞いたところでは、彼らは集団をつくって行動しているという。
復讐の念に燃える悪霊は数えきれないほどいる。
だから彼らは、自分たちだけの団体をつくっているというわけだ。
彼らの団体の内部統制はしっかりしていて、同じ団体の者どうしでは互いに 傷つけ合うことはないのだという。
悪霊の特徴は、さまざまなテクニックを使うことである。
悪霊がやってくるときには、地獄の光景とでもいうべき恐ろしいビジョンが 見えてきたりする。
しかし、これは比較的単純な悪霊の場合で、たいていは少し悪知恵があり、 美しいビジョンを見せて人間を誘う。
(略)
悪霊はこのほかにも、恐怖のビジョンを自在につくり出して、恐怖に おののかせたあとで、自分の思うとおりに人間を操ろうとする。
また、恐怖だけでなく、人の心をかき乱すことで人間を不安にしたり、 逆に信じ込ませて安心させたりして、人間を自由に操ろうとする。
彼らはそれを、類いまれな演技力や創作能力を使って行なう。
彼らの演技力や創作能力には、どんな名優も劇作家もかなうものではない。 彼らは人間にはない才能を持っているからだ。
彼らの演技力や創作能力の中でも、特に目立つのはウソやでっち上げを 自由自在に行なうことである。
彼らは、あることないことをまことしやかに でっち上げ、それを真実らしく語る
117K5 ◆ZrPJFvslEyUG :2011/04/10(日) 20:07:55.76 ID:MWBLZetb
ネットイナゴ=悪霊の本質(スウェデンボルグの解説から抜粋)

悪霊は、善とは何かを理解している。 しかし、悪とは何かをまったく理解していない。
彼らは、霊にも人間にもさまざまな悪事をするが、それが悪事だとはまったく思っていないのだ。 なぜなら、彼らは悪なるものが存在していることさえ気づいていないからだ。
彼らは善とは何かを知っていると言ったが、彼らの善とは、実は悪なのだ。
たとえば、他人を支配するのが好きだとか、他人の嘆きを見て喜ぶといった心情を、 霊になっても浄化しきれていない霊がある。その霊にとっては、他の霊や人間を苦しめることは嬉しいこと、喜ばしいことである。
そして、自分にとって嬉しいこと、喜ばしいことが、彼らの善なのだ。
彼らの中では善悪が逆転している。 このような形で善を理解している彼らに、悪などは当然存在しないことになる。 人間を苦しめることは、彼らにとっては嬉しいこと、喜ばしいことであり、 それが彼らの善なのであって、悪ではないのである。

この世にいろいろなタイプの悪人がいるのと 同様に、悪霊にもいろいろなタイプがある。
なかでも、もっとも凶悪で、大きな不幸や災難、苦しみを人間に与えるのは、 復讐の悪霊というべきタイプである。
この世の人間に対して復讐の念を 燃やす悪霊は実に多い。
復讐心は、普通の人間の世界では、公然と口にしたり、行動に移したりするのは許されていない。
それだけに、人間だったときの彼らの心の中に積もり 積もって、それが霊界に行っても浄化されないためかもしれない。 彼らは復讐のことを“喜び”と呼んでいるくらいだ。

彼らに見舞われた人間は 不幸のどん底に落とされる。彼らはさまざまな手を使って復讐の喜びを果たすが、 対象にした人間をひどい病気にして、その身体を破壊するぐらいでは 満足しない。
その人間の心まで狂わせて、愚行や悪行を行なわせる。 彼らは悪のテクニックにも長けているので、最初は善霊のような顔をして 近づいてくる。
私も、善霊だと思ってつき合っていた霊が復讐の霊だったと 知ったときには、彼らの詐術の巧みさにびっくりした経験がある。
霊の世界で聞いたところでは、彼らは集団をつくって行動しているという。
復讐の念に燃える悪霊は数えきれないほどいる。
だから彼らは、自分たちだけの団体をつくっているというわけだ。
彼らの団体の内部統制はしっかりしていて、同じ団体の者どうしでは互いに 傷つけ合うことはないのだという。
悪霊の特徴は、さまざまなテクニックを使うことである。
悪霊がやってくるときには、地獄の光景とでもいうべき恐ろしいビジョンが 見えてきたりする。
しかし、これは比較的単純な悪霊の場合で、たいていは少し悪知恵があり、 美しいビジョンを見せて人間を誘う。
(略)
悪霊はこのほかにも、恐怖のビジョンを自在につくり出して、恐怖に おののかせたあとで、自分の思うとおりに人間を操ろうとする。
また、恐怖だけでなく、人の心をかき乱すことで人間を不安にしたり、 逆に信じ込ませて安心させたりして、人間を自由に操ろうとする。
彼らはそれを、類いまれな演技力や創作能力を使って行なう。
彼らの演技力や創作能力には、どんな名優も劇作家もかなうものではない。 彼らは人間にはない才能を持っているからだ。
彼らの演技力や創作能力の中でも、特に目立つのはウソやでっち上げを 自由自在に行なうことである。
彼らは、あることないことをまことしやかに でっち上げ、それを真実らしく語る
118K5 ◆ZrPJFvslEyUG :2011/04/10(日) 20:09:58.65 ID:MWBLZetb
ネットイナゴ=悪霊の本質(スウェデンボルグの解説から抜粋)

悪霊は、善とは何かを理解している。 しかし、悪とは何かをまったく理解していない。
彼らは、霊にも人間にもさまざまな悪事をするが、それが悪事だとはまったく思っていないのだ。 なぜなら、彼らは悪なるものが存在していることさえ気づいていないからだ。
彼らは善とは何かを知っていると言ったが、彼らの善とは、実は悪なのだ。
たとえば、他人を支配するのが好きだとか、他人の嘆きを見て喜ぶといった心情を、 霊になっても浄化しきれていない霊がある。その霊にとっては、他の霊や人間を苦しめることは嬉しいこと、喜ばしいことである。
そして、自分にとって嬉しいこと、喜ばしいことが、彼らの善なのだ。
彼らの中では善悪が逆転している。 このような形で善を理解している彼らに、悪などは当然存在しないことになる。 人間を苦しめることは、彼らにとっては嬉しいこと、喜ばしいことであり、 それが彼らの善なのであって、悪ではないのである。

この世にいろいろなタイプの悪人がいるのと 同様に、悪霊にもいろいろなタイプがある。
なかでも、もっとも凶悪で、大きな不幸や災難、苦しみを人間に与えるのは、 復讐の悪霊というべきタイプである。
この世の人間に対して復讐の念を 燃やす悪霊は実に多い。
復讐心は、普通の人間の世界では、公然と口にしたり、行動に移したりするのは許されていない。
それだけに、人間だったときの彼らの心の中に積もり 積もって、それが霊界に行っても浄化されないためかもしれない。 彼らは復讐のことを“喜び”と呼んでいるくらいだ。

彼らに見舞われた人間は 不幸のどん底に落とされる。彼らはさまざまな手を使って復讐の喜びを果たすが、 対象にした人間をひどい病気にして、その身体を破壊するぐらいでは 満足しない。
その人間の心まで狂わせて、愚行や悪行を行なわせる。 彼らは悪のテクニックにも長けているので、最初は善霊のような顔をして 近づいてくる。
私も、善霊だと思ってつき合っていた霊が復讐の霊だったと 知ったときには、彼らの詐術の巧みさにびっくりした経験がある。
霊の世界で聞いたところでは、彼らは集団をつくって行動しているという。
復讐の念に燃える悪霊は数えきれないほどいる。
だから彼らは、自分たちだけの団体をつくっているというわけだ。
彼らの団体の内部統制はしっかりしていて、同じ団体の者どうしでは互いに 傷つけ合うことはないのだという。
悪霊の特徴は、さまざまなテクニックを使うことである。
悪霊がやってくるときには、地獄の光景とでもいうべき恐ろしいビジョンが 見えてきたりする。
しかし、これは比較的単純な悪霊の場合で、たいていは少し悪知恵があり、 美しいビジョンを見せて人間を誘う。
(略)
悪霊はこのほかにも、恐怖のビジョンを自在につくり出して、恐怖に おののかせたあとで、自分の思うとおりに人間を操ろうとする。
また、恐怖だけでなく、人の心をかき乱すことで人間を不安にしたり、 逆に信じ込ませて安心させたりして、人間を自由に操ろうとする。
彼らはそれを、類いまれな演技力や創作能力を使って行なう。
彼らの演技力や創作能力には、どんな名優も劇作家もかなうものではない。 彼らは人間にはない才能を持っているからだ。
彼らの演技力や創作能力の中でも、特に目立つのはウソやでっち上げを 自由自在に行なうことである。
彼らは、あることないことをまことしやかに でっち上げ、それを真実らしく語る
119K5 ◆ZrPJFvslEyUG :2011/04/10(日) 20:11:14.27 ID:qHV8ytFA
ネットイナゴ=悪霊の本質(スウェデンボルグの解説から抜粋)

悪霊は、善とは何かを理解している。 しかし、悪とは何かをまったく理解していない。
彼らは、霊にも人間にもさまざまな悪事をするが、それが悪事だとはまったく思っていないのだ。 なぜなら、彼らは悪なるものが存在していることさえ気づいていないからだ。
彼らは善とは何かを知っていると言ったが、彼らの善とは、実は悪なのだ。
たとえば、他人を支配するのが好きだとか、他人の嘆きを見て喜ぶといった心情を、 霊になっても浄化しきれていない霊がある。その霊にとっては、他の霊や人間を苦しめることは嬉しいこと、喜ばしいことである。
そして、自分にとって嬉しいこと、喜ばしいことが、彼らの善なのだ。
彼らの中では善悪が逆転している。 このような形で善を理解している彼らに、悪などは当然存在しないことになる。 人間を苦しめることは、彼らにとっては嬉しいこと、喜ばしいことであり、 それが彼らの善なのであって、悪ではないのである。

この世にいろいろなタイプの悪人がいるのと 同様に、悪霊にもいろいろなタイプがある。
なかでも、もっとも凶悪で、大きな不幸や災難、苦しみを人間に与えるのは、 復讐の悪霊というべきタイプである。
この世の人間に対して復讐の念を 燃やす悪霊は実に多い。
復讐心は、普通の人間の世界では、公然と口にしたり、行動に移したりするのは許されていない。
それだけに、人間だったときの彼らの心の中に積もり 積もって、それが霊界に行っても浄化されないためかもしれない。 彼らは復讐のことを“喜び”と呼んでいるくらいだ。

彼らに見舞われた人間は 不幸のどん底に落とされる。彼らはさまざまな手を使って復讐の喜びを果たすが、 対象にした人間をひどい病気にして、その身体を破壊するぐらいでは 満足しない。
その人間の心まで狂わせて、愚行や悪行を行なわせる。 彼らは悪のテクニックにも長けているので、最初は善霊のような顔をして 近づいてくる。
私も、善霊だと思ってつき合っていた霊が復讐の霊だったと 知ったときには、彼らの詐術の巧みさにびっくりした経験がある。
霊の世界で聞いたところでは、彼らは集団をつくって行動しているという。
復讐の念に燃える悪霊は数えきれないほどいる。
だから彼らは、自分たちだけの団体をつくっているというわけだ。
彼らの団体の内部統制はしっかりしていて、同じ団体の者どうしでは互いに 傷つけ合うことはないのだという。
悪霊の特徴は、さまざまなテクニックを使うことである。
悪霊がやってくるときには、地獄の光景とでもいうべき恐ろしいビジョンが 見えてきたりする。
しかし、これは比較的単純な悪霊の場合で、たいていは少し悪知恵があり、 美しいビジョンを見せて人間を誘う。
(略)
悪霊はこのほかにも、恐怖のビジョンを自在につくり出して、恐怖に おののかせたあとで、自分の思うとおりに人間を操ろうとする。
また、恐怖だけでなく、人の心をかき乱すことで人間を不安にしたり、 逆に信じ込ませて安心させたりして、人間を自由に操ろうとする。
彼らはそれを、類いまれな演技力や創作能力を使って行なう。
彼らの演技力や創作能力には、どんな名優も劇作家もかなうものではない。 彼らは人間にはない才能を持っているからだ。
彼らの演技力や創作能力の中でも、特に目立つのはウソやでっち上げを 自由自在に行なうことである。
彼らは、あることないことをまことしやかに でっち上げ、それを真実らしく語る
120K5 ◆ZrPJFvslEyUG :2011/04/10(日) 20:12:16.76 ID:qHV8ytFA
ネットイナゴ=悪霊の本質(スウェデンボルグの解説から抜粋)

悪霊は、善とは何かを理解している。 しかし、悪とは何かをまったく理解していない。
彼らは、霊にも人間にもさまざまな悪事をするが、それが悪事だとはまったく思っていないのだ。 なぜなら、彼らは悪なるものが存在していることさえ気づいていないからだ。
彼らは善とは何かを知っていると言ったが、彼らの善とは、実は悪なのだ。
たとえば、他人を支配するのが好きだとか、他人の嘆きを見て喜ぶといった心情を、 霊になっても浄化しきれていない霊がある。その霊にとっては、他の霊や人間を苦しめることは嬉しいこと、喜ばしいことである。
そして、自分にとって嬉しいこと、喜ばしいことが、彼らの善なのだ。
彼らの中では善悪が逆転している。 このような形で善を理解している彼らに、悪などは当然存在しないことになる。 人間を苦しめることは、彼らにとっては嬉しいこと、喜ばしいことであり、 それが彼らの善なのであって、悪ではないのである。

この世にいろいろなタイプの悪人がいるのと 同様に、悪霊にもいろいろなタイプがある。
なかでも、もっとも凶悪で、大きな不幸や災難、苦しみを人間に与えるのは、 復讐の悪霊というべきタイプである。
この世の人間に対して復讐の念を 燃やす悪霊は実に多い。
復讐心は、普通の人間の世界では、公然と口にしたり、行動に移したりするのは許されていない。
それだけに、人間だったときの彼らの心の中に積もり 積もって、それが霊界に行っても浄化されないためかもしれない。 彼らは復讐のことを“喜び”と呼んでいるくらいだ。

彼らに見舞われた人間は 不幸のどん底に落とされる。彼らはさまざまな手を使って復讐の喜びを果たすが、 対象にした人間をひどい病気にして、その身体を破壊するぐらいでは 満足しない。
その人間の心まで狂わせて、愚行や悪行を行なわせる。 彼らは悪のテクニックにも長けているので、最初は善霊のような顔をして 近づいてくる。
私も、善霊だと思ってつき合っていた霊が復讐の霊だったと 知ったときには、彼らの詐術の巧みさにびっくりした経験がある。
霊の世界で聞いたところでは、彼らは集団をつくって行動しているという。
復讐の念に燃える悪霊は数えきれないほどいる。
だから彼らは、自分たちだけの団体をつくっているというわけだ。
彼らの団体の内部統制はしっかりしていて、同じ団体の者どうしでは互いに 傷つけ合うことはないのだという。
悪霊の特徴は、さまざまなテクニックを使うことである。
悪霊がやってくるときには、地獄の光景とでもいうべき恐ろしいビジョンが 見えてきたりする。
しかし、これは比較的単純な悪霊の場合で、たいていは少し悪知恵があり、 美しいビジョンを見せて人間を誘う。
(略)
悪霊はこのほかにも、恐怖のビジョンを自在につくり出して、恐怖に おののかせたあとで、自分の思うとおりに人間を操ろうとする。
また、恐怖だけでなく、人の心をかき乱すことで人間を不安にしたり、 逆に信じ込ませて安心させたりして、人間を自由に操ろうとする。
彼らはそれを、類いまれな演技力や創作能力を使って行なう。
彼らの演技力や創作能力には、どんな名優も劇作家もかなうものではない。 彼らは人間にはない才能を持っているからだ。
彼らの演技力や創作能力の中でも、特に目立つのはウソやでっち上げを 自由自在に行なうことである。
彼らは、あることないことをまことしやかに でっち上げ、それを真実らしく語る
121K5 ◆ZrPJFvslEyUG :2011/04/10(日) 20:13:19.38 ID:qHV8ytFA
ネットイナゴ=悪霊の本質(スウェデンボルグの解説から抜粋)

悪霊は、善とは何かを理解している。 しかし、悪とは何かをまったく理解していない。
彼らは、霊にも人間にもさまざまな悪事をするが、それが悪事だとはまったく思っていないのだ。 なぜなら、彼らは悪なるものが存在していることさえ気づいていないからだ。
彼らは善とは何かを知っていると言ったが、彼らの善とは、実は悪なのだ。
たとえば、他人を支配するのが好きだとか、他人の嘆きを見て喜ぶといった心情を、 霊になっても浄化しきれていない霊がある。その霊にとっては、他の霊や人間を苦しめることは嬉しいこと、喜ばしいことである。
そして、自分にとって嬉しいこと、喜ばしいことが、彼らの善なのだ。
彼らの中では善悪が逆転している。 このような形で善を理解している彼らに、悪などは当然存在しないことになる。 人間を苦しめることは、彼らにとっては嬉しいこと、喜ばしいことであり、 それが彼らの善なのであって、悪ではないのである。

この世にいろいろなタイプの悪人がいるのと 同様に、悪霊にもいろいろなタイプがある。
なかでも、もっとも凶悪で、大きな不幸や災難、苦しみを人間に与えるのは、 復讐の悪霊というべきタイプである。
この世の人間に対して復讐の念を 燃やす悪霊は実に多い。
復讐心は、普通の人間の世界では、公然と口にしたり、行動に移したりするのは許されていない。
それだけに、人間だったときの彼らの心の中に積もり 積もって、それが霊界に行っても浄化されないためかもしれない。 彼らは復讐のことを“喜び”と呼んでいるくらいだ。

彼らに見舞われた人間は 不幸のどん底に落とされる。彼らはさまざまな手を使って復讐の喜びを果たすが、 対象にした人間をひどい病気にして、その身体を破壊するぐらいでは 満足しない。
その人間の心まで狂わせて、愚行や悪行を行なわせる。 彼らは悪のテクニックにも長けているので、最初は善霊のような顔をして 近づいてくる。
私も、善霊だと思ってつき合っていた霊が復讐の霊だったと 知ったときには、彼らの詐術の巧みさにびっくりした経験がある。
霊の世界で聞いたところでは、彼らは集団をつくって行動しているという。
復讐の念に燃える悪霊は数えきれないほどいる。
だから彼らは、自分たちだけの団体をつくっているというわけだ。
彼らの団体の内部統制はしっかりしていて、同じ団体の者どうしでは互いに 傷つけ合うことはないのだという。
悪霊の特徴は、さまざまなテクニックを使うことである。
悪霊がやってくるときには、地獄の光景とでもいうべき恐ろしいビジョンが 見えてきたりする。
しかし、これは比較的単純な悪霊の場合で、たいていは少し悪知恵があり、 美しいビジョンを見せて人間を誘う。
(略)
悪霊はこのほかにも、恐怖のビジョンを自在につくり出して、恐怖に おののかせたあとで、自分の思うとおりに人間を操ろうとする。
また、恐怖だけでなく、人の心をかき乱すことで人間を不安にしたり、 逆に信じ込ませて安心させたりして、人間を自由に操ろうとする。
彼らはそれを、類いまれな演技力や創作能力を使って行なう。
彼らの演技力や創作能力には、どんな名優も劇作家もかなうものではない。 彼らは人間にはない才能を持っているからだ。
彼らの演技力や創作能力の中でも、特に目立つのはウソやでっち上げを 自由自在に行なうことである。
彼らは、あることないことをまことしやかに でっち上げ、それを真実らしく語る
122K5 ◆ZrPJFvslEyUG :2011/04/10(日) 20:14:21.46 ID:qHV8ytFA
ネットイナゴ=悪霊の本質(スウェデンボルグの解説から抜粋)

悪霊は、善とは何かを理解している。 しかし、悪とは何かをまったく理解していない。
彼らは、霊にも人間にもさまざまな悪事をするが、それが悪事だとはまったく思っていないのだ。 なぜなら、彼らは悪なるものが存在していることさえ気づいていないからだ。
彼らは善とは何かを知っていると言ったが、彼らの善とは、実は悪なのだ。
たとえば、他人を支配するのが好きだとか、他人の嘆きを見て喜ぶといった心情を、 霊になっても浄化しきれていない霊がある。その霊にとっては、他の霊や人間を苦しめることは嬉しいこと、喜ばしいことである。
そして、自分にとって嬉しいこと、喜ばしいことが、彼らの善なのだ。
彼らの中では善悪が逆転している。 このような形で善を理解している彼らに、悪などは当然存在しないことになる。 人間を苦しめることは、彼らにとっては嬉しいこと、喜ばしいことであり、 それが彼らの善なのであって、悪ではないのである。

この世にいろいろなタイプの悪人がいるのと 同様に、悪霊にもいろいろなタイプがある。
なかでも、もっとも凶悪で、大きな不幸や災難、苦しみを人間に与えるのは、 復讐の悪霊というべきタイプである。
この世の人間に対して復讐の念を 燃やす悪霊は実に多い。
復讐心は、普通の人間の世界では、公然と口にしたり、行動に移したりするのは許されていない。
それだけに、人間だったときの彼らの心の中に積もり 積もって、それが霊界に行っても浄化されないためかもしれない。 彼らは復讐のことを“喜び”と呼んでいるくらいだ。

彼らに見舞われた人間は 不幸のどん底に落とされる。彼らはさまざまな手を使って復讐の喜びを果たすが、 対象にした人間をひどい病気にして、その身体を破壊するぐらいでは 満足しない。
その人間の心まで狂わせて、愚行や悪行を行なわせる。 彼らは悪のテクニックにも長けているので、最初は善霊のような顔をして 近づいてくる。
私も、善霊だと思ってつき合っていた霊が復讐の霊だったと 知ったときには、彼らの詐術の巧みさにびっくりした経験がある。
霊の世界で聞いたところでは、彼らは集団をつくって行動しているという。
復讐の念に燃える悪霊は数えきれないほどいる。
だから彼らは、自分たちだけの団体をつくっているというわけだ。
彼らの団体の内部統制はしっかりしていて、同じ団体の者どうしでは互いに 傷つけ合うことはないのだという。
悪霊の特徴は、さまざまなテクニックを使うことである。
悪霊がやってくるときには、地獄の光景とでもいうべき恐ろしいビジョンが 見えてきたりする。
しかし、これは比較的単純な悪霊の場合で、たいていは少し悪知恵があり、 美しいビジョンを見せて人間を誘う。
(略)
悪霊はこのほかにも、恐怖のビジョンを自在につくり出して、恐怖に おののかせたあとで、自分の思うとおりに人間を操ろうとする。
また、恐怖だけでなく、人の心をかき乱すことで人間を不安にしたり、 逆に信じ込ませて安心させたりして、人間を自由に操ろうとする。
彼らはそれを、類いまれな演技力や創作能力を使って行なう。
彼らの演技力や創作能力には、どんな名優も劇作家もかなうものではない。 彼らは人間にはない才能を持っているからだ。
彼らの演技力や創作能力の中でも、特に目立つのはウソやでっち上げを 自由自在に行なうことである。
彼らは、あることないことをまことしやかに でっち上げ、それを真実らしく語る
123K5 ◆ZrPJFvslEyUG :2011/04/10(日) 20:15:23.54 ID:qHV8ytFA
ネットイナゴ=悪霊の本質(スウェデンボルグの解説から抜粋)

悪霊は、善とは何かを理解している。 しかし、悪とは何かをまったく理解していない。
彼らは、霊にも人間にもさまざまな悪事をするが、それが悪事だとはまったく思っていないのだ。 なぜなら、彼らは悪なるものが存在していることさえ気づいていないからだ。
彼らは善とは何かを知っていると言ったが、彼らの善とは、実は悪なのだ。
たとえば、他人を支配するのが好きだとか、他人の嘆きを見て喜ぶといった心情を、 霊になっても浄化しきれていない霊がある。その霊にとっては、他の霊や人間を苦しめることは嬉しいこと、喜ばしいことである。
そして、自分にとって嬉しいこと、喜ばしいことが、彼らの善なのだ。
彼らの中では善悪が逆転している。 このような形で善を理解している彼らに、悪などは当然存在しないことになる。 人間を苦しめることは、彼らにとっては嬉しいこと、喜ばしいことであり、 それが彼らの善なのであって、悪ではないのである。

この世にいろいろなタイプの悪人がいるのと 同様に、悪霊にもいろいろなタイプがある。
なかでも、もっとも凶悪で、大きな不幸や災難、苦しみを人間に与えるのは、 復讐の悪霊というべきタイプである。
この世の人間に対して復讐の念を 燃やす悪霊は実に多い。
復讐心は、普通の人間の世界では、公然と口にしたり、行動に移したりするのは許されていない。
それだけに、人間だったときの彼らの心の中に積もり 積もって、それが霊界に行っても浄化されないためかもしれない。 彼らは復讐のことを“喜び”と呼んでいるくらいだ。

彼らに見舞われた人間は 不幸のどん底に落とされる。彼らはさまざまな手を使って復讐の喜びを果たすが、 対象にした人間をひどい病気にして、その身体を破壊するぐらいでは 満足しない。
その人間の心まで狂わせて、愚行や悪行を行なわせる。 彼らは悪のテクニックにも長けているので、最初は善霊のような顔をして 近づいてくる。
私も、善霊だと思ってつき合っていた霊が復讐の霊だったと 知ったときには、彼らの詐術の巧みさにびっくりした経験がある。
霊の世界で聞いたところでは、彼らは集団をつくって行動しているという。
復讐の念に燃える悪霊は数えきれないほどいる。
だから彼らは、自分たちだけの団体をつくっているというわけだ。
彼らの団体の内部統制はしっかりしていて、同じ団体の者どうしでは互いに 傷つけ合うことはないのだという。
悪霊の特徴は、さまざまなテクニックを使うことである。
悪霊がやってくるときには、地獄の光景とでもいうべき恐ろしいビジョンが 見えてきたりする。
しかし、これは比較的単純な悪霊の場合で、たいていは少し悪知恵があり、 美しいビジョンを見せて人間を誘う。
(略)
悪霊はこのほかにも、恐怖のビジョンを自在につくり出して、恐怖に おののかせたあとで、自分の思うとおりに人間を操ろうとする。
また、恐怖だけでなく、人の心をかき乱すことで人間を不安にしたり、 逆に信じ込ませて安心させたりして、人間を自由に操ろうとする。
彼らはそれを、類いまれな演技力や創作能力を使って行なう。
彼らの演技力や創作能力には、どんな名優も劇作家もかなうものではない。 彼らは人間にはない才能を持っているからだ。
彼らの演技力や創作能力の中でも、特に目立つのはウソやでっち上げを 自由自在に行なうことである。
彼らは、あることないことをまことしやかに でっち上げ、それを真実らしく語る
124K5 ◆ZrPJFvslEyUG :2011/04/10(日) 20:16:24.84 ID:qHV8ytFA
ネットイナゴ=悪霊の本質(スウェデンボルグの解説から抜粋)

悪霊は、善とは何かを理解している。 しかし、悪とは何かをまったく理解していない。
彼らは、霊にも人間にもさまざまな悪事をするが、それが悪事だとはまったく思っていないのだ。 なぜなら、彼らは悪なるものが存在していることさえ気づいていないからだ。
彼らは善とは何かを知っていると言ったが、彼らの善とは、実は悪なのだ。
たとえば、他人を支配するのが好きだとか、他人の嘆きを見て喜ぶといった心情を、 霊になっても浄化しきれていない霊がある。その霊にとっては、他の霊や人間を苦しめることは嬉しいこと、喜ばしいことである。
そして、自分にとって嬉しいこと、喜ばしいことが、彼らの善なのだ。
彼らの中では善悪が逆転している。 このような形で善を理解している彼らに、悪などは当然存在しないことになる。 人間を苦しめることは、彼らにとっては嬉しいこと、喜ばしいことであり、 それが彼らの善なのであって、悪ではないのである。

この世にいろいろなタイプの悪人がいるのと 同様に、悪霊にもいろいろなタイプがある。
なかでも、もっとも凶悪で、大きな不幸や災難、苦しみを人間に与えるのは、 復讐の悪霊というべきタイプである。
この世の人間に対して復讐の念を 燃やす悪霊は実に多い。
復讐心は、普通の人間の世界では、公然と口にしたり、行動に移したりするのは許されていない。
それだけに、人間だったときの彼らの心の中に積もり 積もって、それが霊界に行っても浄化されないためかもしれない。 彼らは復讐のことを“喜び”と呼んでいるくらいだ。

彼らに見舞われた人間は 不幸のどん底に落とされる。彼らはさまざまな手を使って復讐の喜びを果たすが、 対象にした人間をひどい病気にして、その身体を破壊するぐらいでは 満足しない。
その人間の心まで狂わせて、愚行や悪行を行なわせる。 彼らは悪のテクニックにも長けているので、最初は善霊のような顔をして 近づいてくる。
私も、善霊だと思ってつき合っていた霊が復讐の霊だったと 知ったときには、彼らの詐術の巧みさにびっくりした経験がある。
霊の世界で聞いたところでは、彼らは集団をつくって行動しているという。
復讐の念に燃える悪霊は数えきれないほどいる。
だから彼らは、自分たちだけの団体をつくっているというわけだ。
彼らの団体の内部統制はしっかりしていて、同じ団体の者どうしでは互いに 傷つけ合うことはないのだという。
悪霊の特徴は、さまざまなテクニックを使うことである。
悪霊がやってくるときには、地獄の光景とでもいうべき恐ろしいビジョンが 見えてきたりする。
しかし、これは比較的単純な悪霊の場合で、たいていは少し悪知恵があり、 美しいビジョンを見せて人間を誘う。
(略)
悪霊はこのほかにも、恐怖のビジョンを自在につくり出して、恐怖に おののかせたあとで、自分の思うとおりに人間を操ろうとする。
また、恐怖だけでなく、人の心をかき乱すことで人間を不安にしたり、 逆に信じ込ませて安心させたりして、人間を自由に操ろうとする。
彼らはそれを、類いまれな演技力や創作能力を使って行なう。
彼らの演技力や創作能力には、どんな名優も劇作家もかなうものではない。 彼らは人間にはない才能を持っているからだ。
彼らの演技力や創作能力の中でも、特に目立つのはウソやでっち上げを 自由自在に行なうことである。
彼らは、あることないことをまことしやかに でっち上げ、それを真実らしく語る
125K5 ◆ZrPJFvslEyUG :2011/04/10(日) 20:17:26.89 ID:qHV8ytFA
ネットイナゴ=悪霊の本質(スウェデンボルグの解説から抜粋)

悪霊は、善とは何かを理解している。 しかし、悪とは何かをまったく理解していない。
彼らは、霊にも人間にもさまざまな悪事をするが、それが悪事だとはまったく思っていないのだ。 なぜなら、彼らは悪なるものが存在していることさえ気づいていないからだ。
彼らは善とは何かを知っていると言ったが、彼らの善とは、実は悪なのだ。
たとえば、他人を支配するのが好きだとか、他人の嘆きを見て喜ぶといった心情を、 霊になっても浄化しきれていない霊がある。その霊にとっては、他の霊や人間を苦しめることは嬉しいこと、喜ばしいことである。
そして、自分にとって嬉しいこと、喜ばしいことが、彼らの善なのだ。
彼らの中では善悪が逆転している。 このような形で善を理解している彼らに、悪などは当然存在しないことになる。 人間を苦しめることは、彼らにとっては嬉しいこと、喜ばしいことであり、 それが彼らの善なのであって、悪ではないのである。

この世にいろいろなタイプの悪人がいるのと 同様に、悪霊にもいろいろなタイプがある。
なかでも、もっとも凶悪で、大きな不幸や災難、苦しみを人間に与えるのは、 復讐の悪霊というべきタイプである。
この世の人間に対して復讐の念を 燃やす悪霊は実に多い。
復讐心は、普通の人間の世界では、公然と口にしたり、行動に移したりするのは許されていない。
それだけに、人間だったときの彼らの心の中に積もり 積もって、それが霊界に行っても浄化されないためかもしれない。 彼らは復讐のことを“喜び”と呼んでいるくらいだ。

彼らに見舞われた人間は 不幸のどん底に落とされる。彼らはさまざまな手を使って復讐の喜びを果たすが、 対象にした人間をひどい病気にして、その身体を破壊するぐらいでは 満足しない。
その人間の心まで狂わせて、愚行や悪行を行なわせる。 彼らは悪のテクニックにも長けているので、最初は善霊のような顔をして 近づいてくる。
私も、善霊だと思ってつき合っていた霊が復讐の霊だったと 知ったときには、彼らの詐術の巧みさにびっくりした経験がある。
霊の世界で聞いたところでは、彼らは集団をつくって行動しているという。
復讐の念に燃える悪霊は数えきれないほどいる。
だから彼らは、自分たちだけの団体をつくっているというわけだ。
彼らの団体の内部統制はしっかりしていて、同じ団体の者どうしでは互いに 傷つけ合うことはないのだという。
悪霊の特徴は、さまざまなテクニックを使うことである。
悪霊がやってくるときには、地獄の光景とでもいうべき恐ろしいビジョンが 見えてきたりする。
しかし、これは比較的単純な悪霊の場合で、たいていは少し悪知恵があり、 美しいビジョンを見せて人間を誘う。
(略)
悪霊はこのほかにも、恐怖のビジョンを自在につくり出して、恐怖に おののかせたあとで、自分の思うとおりに人間を操ろうとする。
また、恐怖だけでなく、人の心をかき乱すことで人間を不安にしたり、 逆に信じ込ませて安心させたりして、人間を自由に操ろうとする。
彼らはそれを、類いまれな演技力や創作能力を使って行なう。
彼らの演技力や創作能力には、どんな名優も劇作家もかなうものではない。 彼らは人間にはない才能を持っているからだ。
彼らの演技力や創作能力の中でも、特に目立つのはウソやでっち上げを 自由自在に行なうことである。
彼らは、あることないことをまことしやかに でっち上げ、それを真実らしく語る
126K5 ◆ZrPJFvslEyUG :2011/04/10(日) 20:18:28.76 ID:qHV8ytFA
ネットイナゴ=悪霊の本質(スウェデンボルグの解説から抜粋)

悪霊は、善とは何かを理解している。 しかし、悪とは何かをまったく理解していない。
彼らは、霊にも人間にもさまざまな悪事をするが、それが悪事だとはまったく思っていないのだ。 なぜなら、彼らは悪なるものが存在していることさえ気づいていないからだ。
彼らは善とは何かを知っていると言ったが、彼らの善とは、実は悪なのだ。
たとえば、他人を支配するのが好きだとか、他人の嘆きを見て喜ぶといった心情を、 霊になっても浄化しきれていない霊がある。その霊にとっては、他の霊や人間を苦しめることは嬉しいこと、喜ばしいことである。
そして、自分にとって嬉しいこと、喜ばしいことが、彼らの善なのだ。
彼らの中では善悪が逆転している。 このような形で善を理解している彼らに、悪などは当然存在しないことになる。 人間を苦しめることは、彼らにとっては嬉しいこと、喜ばしいことであり、 それが彼らの善なのであって、悪ではないのである。

この世にいろいろなタイプの悪人がいるのと 同様に、悪霊にもいろいろなタイプがある。
なかでも、もっとも凶悪で、大きな不幸や災難、苦しみを人間に与えるのは、 復讐の悪霊というべきタイプである。
この世の人間に対して復讐の念を 燃やす悪霊は実に多い。
復讐心は、普通の人間の世界では、公然と口にしたり、行動に移したりするのは許されていない。
それだけに、人間だったときの彼らの心の中に積もり 積もって、それが霊界に行っても浄化されないためかもしれない。 彼らは復讐のことを“喜び”と呼んでいるくらいだ。

彼らに見舞われた人間は 不幸のどん底に落とされる。彼らはさまざまな手を使って復讐の喜びを果たすが、 対象にした人間をひどい病気にして、その身体を破壊するぐらいでは 満足しない。
その人間の心まで狂わせて、愚行や悪行を行なわせる。 彼らは悪のテクニックにも長けているので、最初は善霊のような顔をして 近づいてくる。
私も、善霊だと思ってつき合っていた霊が復讐の霊だったと 知ったときには、彼らの詐術の巧みさにびっくりした経験がある。
霊の世界で聞いたところでは、彼らは集団をつくって行動しているという。
復讐の念に燃える悪霊は数えきれないほどいる。
だから彼らは、自分たちだけの団体をつくっているというわけだ。
彼らの団体の内部統制はしっかりしていて、同じ団体の者どうしでは互いに 傷つけ合うことはないのだという。
悪霊の特徴は、さまざまなテクニックを使うことである。
悪霊がやってくるときには、地獄の光景とでもいうべき恐ろしいビジョンが 見えてきたりする。
しかし、これは比較的単純な悪霊の場合で、たいていは少し悪知恵があり、 美しいビジョンを見せて人間を誘う。
(略)
悪霊はこのほかにも、恐怖のビジョンを自在につくり出して、恐怖に おののかせたあとで、自分の思うとおりに人間を操ろうとする。
また、恐怖だけでなく、人の心をかき乱すことで人間を不安にしたり、 逆に信じ込ませて安心させたりして、人間を自由に操ろうとする。
彼らはそれを、類いまれな演技力や創作能力を使って行なう。
彼らの演技力や創作能力には、どんな名優も劇作家もかなうものではない。 彼らは人間にはない才能を持っているからだ。
彼らの演技力や創作能力の中でも、特に目立つのはウソやでっち上げを 自由自在に行なうことである。
彼らは、あることないことをまことしやかに でっち上げ、それを真実らしく語る
127K5 ◆ZrPJFvslEyUG :2011/04/10(日) 20:19:30.45 ID:qHV8ytFA
ネットイナゴ=悪霊の本質(スウェデンボルグの解説から抜粋)

悪霊は、善とは何かを理解している。 しかし、悪とは何かをまったく理解していない。
彼らは、霊にも人間にもさまざまな悪事をするが、それが悪事だとはまったく思っていないのだ。 なぜなら、彼らは悪なるものが存在していることさえ気づいていないからだ。
彼らは善とは何かを知っていると言ったが、彼らの善とは、実は悪なのだ。
たとえば、他人を支配するのが好きだとか、他人の嘆きを見て喜ぶといった心情を、 霊になっても浄化しきれていない霊がある。その霊にとっては、他の霊や人間を苦しめることは嬉しいこと、喜ばしいことである。
そして、自分にとって嬉しいこと、喜ばしいことが、彼らの善なのだ。
彼らの中では善悪が逆転している。 このような形で善を理解している彼らに、悪などは当然存在しないことになる。 人間を苦しめることは、彼らにとっては嬉しいこと、喜ばしいことであり、 それが彼らの善なのであって、悪ではないのである。

この世にいろいろなタイプの悪人がいるのと 同様に、悪霊にもいろいろなタイプがある。
なかでも、もっとも凶悪で、大きな不幸や災難、苦しみを人間に与えるのは、 復讐の悪霊というべきタイプである。
この世の人間に対して復讐の念を 燃やす悪霊は実に多い。
復讐心は、普通の人間の世界では、公然と口にしたり、行動に移したりするのは許されていない。
それだけに、人間だったときの彼らの心の中に積もり 積もって、それが霊界に行っても浄化されないためかもしれない。 彼らは復讐のことを“喜び”と呼んでいるくらいだ。

彼らに見舞われた人間は 不幸のどん底に落とされる。彼らはさまざまな手を使って復讐の喜びを果たすが、 対象にした人間をひどい病気にして、その身体を破壊するぐらいでは 満足しない。
その人間の心まで狂わせて、愚行や悪行を行なわせる。 彼らは悪のテクニックにも長けているので、最初は善霊のような顔をして 近づいてくる。
私も、善霊だと思ってつき合っていた霊が復讐の霊だったと 知ったときには、彼らの詐術の巧みさにびっくりした経験がある。
霊の世界で聞いたところでは、彼らは集団をつくって行動しているという。
復讐の念に燃える悪霊は数えきれないほどいる。
だから彼らは、自分たちだけの団体をつくっているというわけだ。
彼らの団体の内部統制はしっかりしていて、同じ団体の者どうしでは互いに 傷つけ合うことはないのだという。
悪霊の特徴は、さまざまなテクニックを使うことである。
悪霊がやってくるときには、地獄の光景とでもいうべき恐ろしいビジョンが 見えてきたりする。
しかし、これは比較的単純な悪霊の場合で、たいていは少し悪知恵があり、 美しいビジョンを見せて人間を誘う。
(略)
悪霊はこのほかにも、恐怖のビジョンを自在につくり出して、恐怖に おののかせたあとで、自分の思うとおりに人間を操ろうとする。
また、恐怖だけでなく、人の心をかき乱すことで人間を不安にしたり、 逆に信じ込ませて安心させたりして、人間を自由に操ろうとする。
彼らはそれを、類いまれな演技力や創作能力を使って行なう。
彼らの演技力や創作能力には、どんな名優も劇作家もかなうものではない。 彼らは人間にはない才能を持っているからだ。
彼らの演技力や創作能力の中でも、特に目立つのはウソやでっち上げを 自由自在に行なうことである。
彼らは、あることないことをまことしやかに でっち上げ、それを真実らしく語る
128K5 ◆ZrPJFvslEyUG :2011/04/10(日) 20:20:32.58 ID:qHV8ytFA
ネットイナゴ=悪霊の本質(スウェデンボルグの解説から抜粋)

悪霊は、善とは何かを理解している。 しかし、悪とは何かをまったく理解していない。
彼らは、霊にも人間にもさまざまな悪事をするが、それが悪事だとはまったく思っていないのだ。 なぜなら、彼らは悪なるものが存在していることさえ気づいていないからだ。
彼らは善とは何かを知っていると言ったが、彼らの善とは、実は悪なのだ。
たとえば、他人を支配するのが好きだとか、他人の嘆きを見て喜ぶといった心情を、 霊になっても浄化しきれていない霊がある。その霊にとっては、他の霊や人間を苦しめることは嬉しいこと、喜ばしいことである。
そして、自分にとって嬉しいこと、喜ばしいことが、彼らの善なのだ。
彼らの中では善悪が逆転している。 このような形で善を理解している彼らに、悪などは当然存在しないことになる。 人間を苦しめることは、彼らにとっては嬉しいこと、喜ばしいことであり、 それが彼らの善なのであって、悪ではないのである。

この世にいろいろなタイプの悪人がいるのと 同様に、悪霊にもいろいろなタイプがある。
なかでも、もっとも凶悪で、大きな不幸や災難、苦しみを人間に与えるのは、 復讐の悪霊というべきタイプである。
この世の人間に対して復讐の念を 燃やす悪霊は実に多い。
復讐心は、普通の人間の世界では、公然と口にしたり、行動に移したりするのは許されていない。
それだけに、人間だったときの彼らの心の中に積もり 積もって、それが霊界に行っても浄化されないためかもしれない。 彼らは復讐のことを“喜び”と呼んでいるくらいだ。

彼らに見舞われた人間は 不幸のどん底に落とされる。彼らはさまざまな手を使って復讐の喜びを果たすが、 対象にした人間をひどい病気にして、その身体を破壊するぐらいでは 満足しない。
その人間の心まで狂わせて、愚行や悪行を行なわせる。 彼らは悪のテクニックにも長けているので、最初は善霊のような顔をして 近づいてくる。
私も、善霊だと思ってつき合っていた霊が復讐の霊だったと 知ったときには、彼らの詐術の巧みさにびっくりした経験がある。
霊の世界で聞いたところでは、彼らは集団をつくって行動しているという。
復讐の念に燃える悪霊は数えきれないほどいる。
だから彼らは、自分たちだけの団体をつくっているというわけだ。
彼らの団体の内部統制はしっかりしていて、同じ団体の者どうしでは互いに 傷つけ合うことはないのだという。
悪霊の特徴は、さまざまなテクニックを使うことである。
悪霊がやってくるときには、地獄の光景とでもいうべき恐ろしいビジョンが 見えてきたりする。
しかし、これは比較的単純な悪霊の場合で、たいていは少し悪知恵があり、 美しいビジョンを見せて人間を誘う。
(略)
悪霊はこのほかにも、恐怖のビジョンを自在につくり出して、恐怖に おののかせたあとで、自分の思うとおりに人間を操ろうとする。
また、恐怖だけでなく、人の心をかき乱すことで人間を不安にしたり、 逆に信じ込ませて安心させたりして、人間を自由に操ろうとする。
彼らはそれを、類いまれな演技力や創作能力を使って行なう。
彼らの演技力や創作能力には、どんな名優も劇作家もかなうものではない。 彼らは人間にはない才能を持っているからだ。
彼らの演技力や創作能力の中でも、特に目立つのはウソやでっち上げを 自由自在に行なうことである。
彼らは、あることないことをまことしやかに でっち上げ、それを真実らしく語る
129K5 ◆ZrPJFvslEyUG :2011/04/10(日) 20:22:34.53 ID:qHV8ytFA
ネットイナゴ=悪霊の本質(スウェデンボルグの解説から抜粋)

悪霊は、善とは何かを理解している。 しかし、悪とは何かをまったく理解していない。
彼らは、霊にも人間にもさまざまな悪事をするが、それが悪事だとはまったく思っていないのだ。 なぜなら、彼らは悪なるものが存在していることさえ気づいていないからだ。
彼らは善とは何かを知っていると言ったが、彼らの善とは、実は悪なのだ。
たとえば、他人を支配するのが好きだとか、他人の嘆きを見て喜ぶといった心情を、 霊になっても浄化しきれていない霊がある。その霊にとっては、他の霊や人間を苦しめることは嬉しいこと、喜ばしいことである。
そして、自分にとって嬉しいこと、喜ばしいことが、彼らの善なのだ。
彼らの中では善悪が逆転している。 このような形で善を理解している彼らに、悪などは当然存在しないことになる。 人間を苦しめることは、彼らにとっては嬉しいこと、喜ばしいことであり、 それが彼らの善なのであって、悪ではないのである。

この世にいろいろなタイプの悪人がいるのと 同様に、悪霊にもいろいろなタイプがある。
なかでも、もっとも凶悪で、大きな不幸や災難、苦しみを人間に与えるのは、 復讐の悪霊というべきタイプである。
この世の人間に対して復讐の念を 燃やす悪霊は実に多い。
復讐心は、普通の人間の世界では、公然と口にしたり、行動に移したりするのは許されていない。
それだけに、人間だったときの彼らの心の中に積もり 積もって、それが霊界に行っても浄化されないためかもしれない。 彼らは復讐のことを“喜び”と呼んでいるくらいだ。

彼らに見舞われた人間は 不幸のどん底に落とされる。彼らはさまざまな手を使って復讐の喜びを果たすが、 対象にした人間をひどい病気にして、その身体を破壊するぐらいでは 満足しない。
その人間の心まで狂わせて、愚行や悪行を行なわせる。 彼らは悪のテクニックにも長けているので、最初は善霊のような顔をして 近づいてくる。
私も、善霊だと思ってつき合っていた霊が復讐の霊だったと 知ったときには、彼らの詐術の巧みさにびっくりした経験がある。
霊の世界で聞いたところでは、彼らは集団をつくって行動しているという。
復讐の念に燃える悪霊は数えきれないほどいる。
だから彼らは、自分たちだけの団体をつくっているというわけだ。
彼らの団体の内部統制はしっかりしていて、同じ団体の者どうしでは互いに 傷つけ合うことはないのだという。
悪霊の特徴は、さまざまなテクニックを使うことである。
悪霊がやってくるときには、地獄の光景とでもいうべき恐ろしいビジョンが 見えてきたりする。
しかし、これは比較的単純な悪霊の場合で、たいていは少し悪知恵があり、 美しいビジョンを見せて人間を誘う。
(略)
悪霊はこのほかにも、恐怖のビジョンを自在につくり出して、恐怖に おののかせたあとで、自分の思うとおりに人間を操ろうとする。
また、恐怖だけでなく、人の心をかき乱すことで人間を不安にしたり、 逆に信じ込ませて安心させたりして、人間を自由に操ろうとする。
彼らはそれを、類いまれな演技力や創作能力を使って行なう。
彼らの演技力や創作能力には、どんな名優も劇作家もかなうものではない。 彼らは人間にはない才能を持っているからだ。
彼らの演技力や創作能力の中でも、特に目立つのはウソやでっち上げを 自由自在に行なうことである。
彼らは、あることないことをまことしやかに でっち上げ、それを真実らしく語る
130K5 ◆ZrPJFvslEyUG :2011/04/10(日) 20:23:35.62 ID:qHV8ytFA
ネットイナゴ=悪霊の本質(スウェデンボルグの解説から抜粋)

悪霊は、善とは何かを理解している。 しかし、悪とは何かをまったく理解していない。
彼らは、霊にも人間にもさまざまな悪事をするが、それが悪事だとはまったく思っていないのだ。 なぜなら、彼らは悪なるものが存在していることさえ気づいていないからだ。
彼らは善とは何かを知っていると言ったが、彼らの善とは、実は悪なのだ。
たとえば、他人を支配するのが好きだとか、他人の嘆きを見て喜ぶといった心情を、 霊になっても浄化しきれていない霊がある。その霊にとっては、他の霊や人間を苦しめることは嬉しいこと、喜ばしいことである。
そして、自分にとって嬉しいこと、喜ばしいことが、彼らの善なのだ。
彼らの中では善悪が逆転している。 このような形で善を理解している彼らに、悪などは当然存在しないことになる。 人間を苦しめることは、彼らにとっては嬉しいこと、喜ばしいことであり、 それが彼らの善なのであって、悪ではないのである。

この世にいろいろなタイプの悪人がいるのと 同様に、悪霊にもいろいろなタイプがある。
なかでも、もっとも凶悪で、大きな不幸や災難、苦しみを人間に与えるのは、 復讐の悪霊というべきタイプである。
この世の人間に対して復讐の念を 燃やす悪霊は実に多い。
復讐心は、普通の人間の世界では、公然と口にしたり、行動に移したりするのは許されていない。
それだけに、人間だったときの彼らの心の中に積もり 積もって、それが霊界に行っても浄化されないためかもしれない。 彼らは復讐のことを“喜び”と呼んでいるくらいだ。

彼らに見舞われた人間は 不幸のどん底に落とされる。彼らはさまざまな手を使って復讐の喜びを果たすが、 対象にした人間をひどい病気にして、その身体を破壊するぐらいでは 満足しない。
その人間の心まで狂わせて、愚行や悪行を行なわせる。 彼らは悪のテクニックにも長けているので、最初は善霊のような顔をして 近づいてくる。
私も、善霊だと思ってつき合っていた霊が復讐の霊だったと 知ったときには、彼らの詐術の巧みさにびっくりした経験がある。
霊の世界で聞いたところでは、彼らは集団をつくって行動しているという。
復讐の念に燃える悪霊は数えきれないほどいる。
だから彼らは、自分たちだけの団体をつくっているというわけだ。
彼らの団体の内部統制はしっかりしていて、同じ団体の者どうしでは互いに 傷つけ合うことはないのだという。
悪霊の特徴は、さまざまなテクニックを使うことである。
悪霊がやってくるときには、地獄の光景とでもいうべき恐ろしいビジョンが 見えてきたりする。
しかし、これは比較的単純な悪霊の場合で、たいていは少し悪知恵があり、 美しいビジョンを見せて人間を誘う。
(略)
悪霊はこのほかにも、恐怖のビジョンを自在につくり出して、恐怖に おののかせたあとで、自分の思うとおりに人間を操ろうとする。
また、恐怖だけでなく、人の心をかき乱すことで人間を不安にしたり、 逆に信じ込ませて安心させたりして、人間を自由に操ろうとする。
彼らはそれを、類いまれな演技力や創作能力を使って行なう。
彼らの演技力や創作能力には、どんな名優も劇作家もかなうものではない。 彼らは人間にはない才能を持っているからだ。
彼らの演技力や創作能力の中でも、特に目立つのはウソやでっち上げを 自由自在に行なうことである。
彼らは、あることないことをまことしやかに でっち上げ、それを真実らしく語る
131K5 ◆ZrPJFvslEyUG :2011/04/10(日) 20:40:11.33 ID:JxOnyWPm
ネットイナゴ=悪霊の本質(スウェデンボルグの解説から抜粋)

悪霊は、善とは何かを理解している。 しかし、悪とは何かをまったく理解していない。
彼らは、霊にも人間にもさまざまな悪事をするが、それが悪事だとはまったく思っていないのだ。 なぜなら、彼らは悪なるものが存在していることさえ気づいていないからだ。
彼らは善とは何かを知っていると言ったが、彼らの善とは、実は悪なのだ。
たとえば、他人を支配するのが好きだとか、他人の嘆きを見て喜ぶといった心情を、 霊になっても浄化しきれていない霊がある。その霊にとっては、他の霊や人間を苦しめることは嬉しいこと、喜ばしいことである。
そして、自分にとって嬉しいこと、喜ばしいことが、彼らの善なのだ。
彼らの中では善悪が逆転している。 このような形で善を理解している彼らに、悪などは当然存在しないことになる。 人間を苦しめることは、彼らにとっては嬉しいこと、喜ばしいことであり、 それが彼らの善なのであって、悪ではないのである。

この世にいろいろなタイプの悪人がいるのと 同様に、悪霊にもいろいろなタイプがある。
なかでも、もっとも凶悪で、大きな不幸や災難、苦しみを人間に与えるのは、 復讐の悪霊というべきタイプである。
この世の人間に対して復讐の念を 燃やす悪霊は実に多い。
復讐心は、普通の人間の世界では、公然と口にしたり、行動に移したりするのは許されていない。
それだけに、人間だったときの彼らの心の中に積もり 積もって、それが霊界に行っても浄化されないためかもしれない。 彼らは復讐のことを“喜び”と呼んでいるくらいだ。

彼らに見舞われた人間は 不幸のどん底に落とされる。彼らはさまざまな手を使って復讐の喜びを果たすが、 対象にした人間をひどい病気にして、その身体を破壊するぐらいでは 満足しない。
その人間の心まで狂わせて、愚行や悪行を行なわせる。 彼らは悪のテクニックにも長けているので、最初は善霊のような顔をして 近づいてくる。
私も、善霊だと思ってつき合っていた霊が復讐の霊だったと 知ったときには、彼らの詐術の巧みさにびっくりした経験がある。
霊の世界で聞いたところでは、彼らは集団をつくって行動しているという。
復讐の念に燃える悪霊は数えきれないほどいる。
だから彼らは、自分たちだけの団体をつくっているというわけだ。
彼らの団体の内部統制はしっかりしていて、同じ団体の者どうしでは互いに 傷つけ合うことはないのだという。
悪霊の特徴は、さまざまなテクニックを使うことである。
悪霊がやってくるときには、地獄の光景とでもいうべき恐ろしいビジョンが 見えてきたりする。
しかし、これは比較的単純な悪霊の場合で、たいていは少し悪知恵があり、 美しいビジョンを見せて人間を誘う。
(略)
悪霊はこのほかにも、恐怖のビジョンを自在につくり出して、恐怖に おののかせたあとで、自分の思うとおりに人間を操ろうとする。
また、恐怖だけでなく、人の心をかき乱すことで人間を不安にしたり、 逆に信じ込ませて安心させたりして、人間を自由に操ろうとする。
彼らはそれを、類いまれな演技力や創作能力を使って行なう。
彼らの演技力や創作能力には、どんな名優も劇作家もかなうものではない。 彼らは人間にはない才能を持っているからだ。
彼らの演技力や創作能力の中でも、特に目立つのはウソやでっち上げを 自由自在に行なうことである。
彼らは、あることないことをまことしやかに でっち上げ、それを真実らしく語る
132K5 ◆ZrPJFvslEyUG :2011/04/10(日) 20:41:13.13 ID:JxOnyWPm
ネットイナゴ=悪霊の本質(スウェデンボルグの解説から抜粋)

悪霊は、善とは何かを理解している。 しかし、悪とは何かをまったく理解していない。
彼らは、霊にも人間にもさまざまな悪事をするが、それが悪事だとはまったく思っていないのだ。 なぜなら、彼らは悪なるものが存在していることさえ気づいていないからだ。
彼らは善とは何かを知っていると言ったが、彼らの善とは、実は悪なのだ。
たとえば、他人を支配するのが好きだとか、他人の嘆きを見て喜ぶといった心情を、 霊になっても浄化しきれていない霊がある。その霊にとっては、他の霊や人間を苦しめることは嬉しいこと、喜ばしいことである。
そして、自分にとって嬉しいこと、喜ばしいことが、彼らの善なのだ。
彼らの中では善悪が逆転している。 このような形で善を理解している彼らに、悪などは当然存在しないことになる。 人間を苦しめることは、彼らにとっては嬉しいこと、喜ばしいことであり、 それが彼らの善なのであって、悪ではないのである。

この世にいろいろなタイプの悪人がいるのと 同様に、悪霊にもいろいろなタイプがある。
なかでも、もっとも凶悪で、大きな不幸や災難、苦しみを人間に与えるのは、 復讐の悪霊というべきタイプである。
この世の人間に対して復讐の念を 燃やす悪霊は実に多い。
復讐心は、普通の人間の世界では、公然と口にしたり、行動に移したりするのは許されていない。
それだけに、人間だったときの彼らの心の中に積もり 積もって、それが霊界に行っても浄化されないためかもしれない。 彼らは復讐のことを“喜び”と呼んでいるくらいだ。

彼らに見舞われた人間は 不幸のどん底に落とされる。彼らはさまざまな手を使って復讐の喜びを果たすが、 対象にした人間をひどい病気にして、その身体を破壊するぐらいでは 満足しない。
その人間の心まで狂わせて、愚行や悪行を行なわせる。 彼らは悪のテクニックにも長けているので、最初は善霊のような顔をして 近づいてくる。
私も、善霊だと思ってつき合っていた霊が復讐の霊だったと 知ったときには、彼らの詐術の巧みさにびっくりした経験がある。
霊の世界で聞いたところでは、彼らは集団をつくって行動しているという。
復讐の念に燃える悪霊は数えきれないほどいる。
だから彼らは、自分たちだけの団体をつくっているというわけだ。
彼らの団体の内部統制はしっかりしていて、同じ団体の者どうしでは互いに 傷つけ合うことはないのだという。
悪霊の特徴は、さまざまなテクニックを使うことである。
悪霊がやってくるときには、地獄の光景とでもいうべき恐ろしいビジョンが 見えてきたりする。
しかし、これは比較的単純な悪霊の場合で、たいていは少し悪知恵があり、 美しいビジョンを見せて人間を誘う。
(略)
悪霊はこのほかにも、恐怖のビジョンを自在につくり出して、恐怖に おののかせたあとで、自分の思うとおりに人間を操ろうとする。
また、恐怖だけでなく、人の心をかき乱すことで人間を不安にしたり、 逆に信じ込ませて安心させたりして、人間を自由に操ろうとする。
彼らはそれを、類いまれな演技力や創作能力を使って行なう。
彼らの演技力や創作能力には、どんな名優も劇作家もかなうものではない。 彼らは人間にはない才能を持っているからだ。
彼らの演技力や創作能力の中でも、特に目立つのはウソやでっち上げを 自由自在に行なうことである。
彼らは、あることないことをまことしやかに でっち上げ、それを真実らしく語る
133K5 ◆ZrPJFvslEyUG :2011/04/10(日) 20:42:15.61 ID:JxOnyWPm
ネットイナゴ=悪霊の本質(スウェデンボルグの解説から抜粋)

悪霊は、善とは何かを理解している。 しかし、悪とは何かをまったく理解していない。
彼らは、霊にも人間にもさまざまな悪事をするが、それが悪事だとはまったく思っていないのだ。 なぜなら、彼らは悪なるものが存在していることさえ気づいていないからだ。
彼らは善とは何かを知っていると言ったが、彼らの善とは、実は悪なのだ。
たとえば、他人を支配するのが好きだとか、他人の嘆きを見て喜ぶといった心情を、 霊になっても浄化しきれていない霊がある。その霊にとっては、他の霊や人間を苦しめることは嬉しいこと、喜ばしいことである。
そして、自分にとって嬉しいこと、喜ばしいことが、彼らの善なのだ。
彼らの中では善悪が逆転している。 このような形で善を理解している彼らに、悪などは当然存在しないことになる。 人間を苦しめることは、彼らにとっては嬉しいこと、喜ばしいことであり、 それが彼らの善なのであって、悪ではないのである。

この世にいろいろなタイプの悪人がいるのと 同様に、悪霊にもいろいろなタイプがある。
なかでも、もっとも凶悪で、大きな不幸や災難、苦しみを人間に与えるのは、 復讐の悪霊というべきタイプである。
この世の人間に対して復讐の念を 燃やす悪霊は実に多い。
復讐心は、普通の人間の世界では、公然と口にしたり、行動に移したりするのは許されていない。
それだけに、人間だったときの彼らの心の中に積もり 積もって、それが霊界に行っても浄化されないためかもしれない。 彼らは復讐のことを“喜び”と呼んでいるくらいだ。

彼らに見舞われた人間は 不幸のどん底に落とされる。彼らはさまざまな手を使って復讐の喜びを果たすが、 対象にした人間をひどい病気にして、その身体を破壊するぐらいでは 満足しない。
その人間の心まで狂わせて、愚行や悪行を行なわせる。 彼らは悪のテクニックにも長けているので、最初は善霊のような顔をして 近づいてくる。
私も、善霊だと思ってつき合っていた霊が復讐の霊だったと 知ったときには、彼らの詐術の巧みさにびっくりした経験がある。
霊の世界で聞いたところでは、彼らは集団をつくって行動しているという。
復讐の念に燃える悪霊は数えきれないほどいる。
だから彼らは、自分たちだけの団体をつくっているというわけだ。
彼らの団体の内部統制はしっかりしていて、同じ団体の者どうしでは互いに 傷つけ合うことはないのだという。
悪霊の特徴は、さまざまなテクニックを使うことである。
悪霊がやってくるときには、地獄の光景とでもいうべき恐ろしいビジョンが 見えてきたりする。
しかし、これは比較的単純な悪霊の場合で、たいていは少し悪知恵があり、 美しいビジョンを見せて人間を誘う。
(略)
悪霊はこのほかにも、恐怖のビジョンを自在につくり出して、恐怖に おののかせたあとで、自分の思うとおりに人間を操ろうとする。
また、恐怖だけでなく、人の心をかき乱すことで人間を不安にしたり、 逆に信じ込ませて安心させたりして、人間を自由に操ろうとする。
彼らはそれを、類いまれな演技力や創作能力を使って行なう。
彼らの演技力や創作能力には、どんな名優も劇作家もかなうものではない。 彼らは人間にはない才能を持っているからだ。
彼らの演技力や創作能力の中でも、特に目立つのはウソやでっち上げを 自由自在に行なうことである。
彼らは、あることないことをまことしやかに でっち上げ、それを真実らしく語る
134K5 ◆ZrPJFvslEyUG :2011/04/10(日) 20:43:17.86 ID:JxOnyWPm
ネットイナゴ=悪霊の本質(スウェデンボルグの解説から抜粋)

悪霊は、善とは何かを理解している。 しかし、悪とは何かをまったく理解していない。
彼らは、霊にも人間にもさまざまな悪事をするが、それが悪事だとはまったく思っていないのだ。 なぜなら、彼らは悪なるものが存在していることさえ気づいていないからだ。
彼らは善とは何かを知っていると言ったが、彼らの善とは、実は悪なのだ。
たとえば、他人を支配するのが好きだとか、他人の嘆きを見て喜ぶといった心情を、 霊になっても浄化しきれていない霊がある。その霊にとっては、他の霊や人間を苦しめることは嬉しいこと、喜ばしいことである。
そして、自分にとって嬉しいこと、喜ばしいことが、彼らの善なのだ。
彼らの中では善悪が逆転している。 このような形で善を理解している彼らに、悪などは当然存在しないことになる。 人間を苦しめることは、彼らにとっては嬉しいこと、喜ばしいことであり、 それが彼らの善なのであって、悪ではないのである。

この世にいろいろなタイプの悪人がいるのと 同様に、悪霊にもいろいろなタイプがある。
なかでも、もっとも凶悪で、大きな不幸や災難、苦しみを人間に与えるのは、 復讐の悪霊というべきタイプである。
この世の人間に対して復讐の念を 燃やす悪霊は実に多い。
復讐心は、普通の人間の世界では、公然と口にしたり、行動に移したりするのは許されていない。
それだけに、人間だったときの彼らの心の中に積もり 積もって、それが霊界に行っても浄化されないためかもしれない。 彼らは復讐のことを“喜び”と呼んでいるくらいだ。

彼らに見舞われた人間は 不幸のどん底に落とされる。彼らはさまざまな手を使って復讐の喜びを果たすが、 対象にした人間をひどい病気にして、その身体を破壊するぐらいでは 満足しない。
その人間の心まで狂わせて、愚行や悪行を行なわせる。 彼らは悪のテクニックにも長けているので、最初は善霊のような顔をして 近づいてくる。
私も、善霊だと思ってつき合っていた霊が復讐の霊だったと 知ったときには、彼らの詐術の巧みさにびっくりした経験がある。
霊の世界で聞いたところでは、彼らは集団をつくって行動しているという。
復讐の念に燃える悪霊は数えきれないほどいる。
だから彼らは、自分たちだけの団体をつくっているというわけだ。
彼らの団体の内部統制はしっかりしていて、同じ団体の者どうしでは互いに 傷つけ合うことはないのだという。
悪霊の特徴は、さまざまなテクニックを使うことである。
悪霊がやってくるときには、地獄の光景とでもいうべき恐ろしいビジョンが 見えてきたりする。
しかし、これは比較的単純な悪霊の場合で、たいていは少し悪知恵があり、 美しいビジョンを見せて人間を誘う。
(略)
悪霊はこのほかにも、恐怖のビジョンを自在につくり出して、恐怖に おののかせたあとで、自分の思うとおりに人間を操ろうとする。
また、恐怖だけでなく、人の心をかき乱すことで人間を不安にしたり、 逆に信じ込ませて安心させたりして、人間を自由に操ろうとする。
彼らはそれを、類いまれな演技力や創作能力を使って行なう。
彼らの演技力や創作能力には、どんな名優も劇作家もかなうものではない。 彼らは人間にはない才能を持っているからだ。
彼らの演技力や創作能力の中でも、特に目立つのはウソやでっち上げを 自由自在に行なうことである。
彼らは、あることないことをまことしやかに でっち上げ、それを真実らしく語る
135K5 ◆ZrPJFvslEyUG :2011/04/10(日) 20:44:19.87 ID:JxOnyWPm
ネットイナゴ=悪霊の本質(スウェデンボルグの解説から抜粋)

悪霊は、善とは何かを理解している。 しかし、悪とは何かをまったく理解していない。
彼らは、霊にも人間にもさまざまな悪事をするが、それが悪事だとはまったく思っていないのだ。 なぜなら、彼らは悪なるものが存在していることさえ気づいていないからだ。
彼らは善とは何かを知っていると言ったが、彼らの善とは、実は悪なのだ。
たとえば、他人を支配するのが好きだとか、他人の嘆きを見て喜ぶといった心情を、 霊になっても浄化しきれていない霊がある。その霊にとっては、他の霊や人間を苦しめることは嬉しいこと、喜ばしいことである。
そして、自分にとって嬉しいこと、喜ばしいことが、彼らの善なのだ。
彼らの中では善悪が逆転している。 このような形で善を理解している彼らに、悪などは当然存在しないことになる。 人間を苦しめることは、彼らにとっては嬉しいこと、喜ばしいことであり、 それが彼らの善なのであって、悪ではないのである。

この世にいろいろなタイプの悪人がいるのと 同様に、悪霊にもいろいろなタイプがある。
なかでも、もっとも凶悪で、大きな不幸や災難、苦しみを人間に与えるのは、 復讐の悪霊というべきタイプである。
この世の人間に対して復讐の念を 燃やす悪霊は実に多い。
復讐心は、普通の人間の世界では、公然と口にしたり、行動に移したりするのは許されていない。
それだけに、人間だったときの彼らの心の中に積もり 積もって、それが霊界に行っても浄化されないためかもしれない。 彼らは復讐のことを“喜び”と呼んでいるくらいだ。

彼らに見舞われた人間は 不幸のどん底に落とされる。彼らはさまざまな手を使って復讐の喜びを果たすが、 対象にした人間をひどい病気にして、その身体を破壊するぐらいでは 満足しない。
その人間の心まで狂わせて、愚行や悪行を行なわせる。 彼らは悪のテクニックにも長けているので、最初は善霊のような顔をして 近づいてくる。
私も、善霊だと思ってつき合っていた霊が復讐の霊だったと 知ったときには、彼らの詐術の巧みさにびっくりした経験がある。
霊の世界で聞いたところでは、彼らは集団をつくって行動しているという。
復讐の念に燃える悪霊は数えきれないほどいる。
だから彼らは、自分たちだけの団体をつくっているというわけだ。
彼らの団体の内部統制はしっかりしていて、同じ団体の者どうしでは互いに 傷つけ合うことはないのだという。
悪霊の特徴は、さまざまなテクニックを使うことである。
悪霊がやってくるときには、地獄の光景とでもいうべき恐ろしいビジョンが 見えてきたりする。
しかし、これは比較的単純な悪霊の場合で、たいていは少し悪知恵があり、 美しいビジョンを見せて人間を誘う。
(略)
悪霊はこのほかにも、恐怖のビジョンを自在につくり出して、恐怖に おののかせたあとで、自分の思うとおりに人間を操ろうとする。
また、恐怖だけでなく、人の心をかき乱すことで人間を不安にしたり、 逆に信じ込ませて安心させたりして、人間を自由に操ろうとする。
彼らはそれを、類いまれな演技力や創作能力を使って行なう。
彼らの演技力や創作能力には、どんな名優も劇作家もかなうものではない。 彼らは人間にはない才能を持っているからだ。
彼らの演技力や創作能力の中でも、特に目立つのはウソやでっち上げを 自由自在に行なうことである。
彼らは、あることないことをまことしやかに でっち上げ、それを真実らしく語る
136K5 ◆ZrPJFvslEyUG :2011/04/10(日) 20:45:22.08 ID:JxOnyWPm
ネットイナゴ=悪霊の本質(スウェデンボルグの解説から抜粋)

悪霊は、善とは何かを理解している。 しかし、悪とは何かをまったく理解していない。
彼らは、霊にも人間にもさまざまな悪事をするが、それが悪事だとはまったく思っていないのだ。 なぜなら、彼らは悪なるものが存在していることさえ気づいていないからだ。
彼らは善とは何かを知っていると言ったが、彼らの善とは、実は悪なのだ。
たとえば、他人を支配するのが好きだとか、他人の嘆きを見て喜ぶといった心情を、 霊になっても浄化しきれていない霊がある。その霊にとっては、他の霊や人間を苦しめることは嬉しいこと、喜ばしいことである。
そして、自分にとって嬉しいこと、喜ばしいことが、彼らの善なのだ。
彼らの中では善悪が逆転している。 このような形で善を理解している彼らに、悪などは当然存在しないことになる。 人間を苦しめることは、彼らにとっては嬉しいこと、喜ばしいことであり、 それが彼らの善なのであって、悪ではないのである。

この世にいろいろなタイプの悪人がいるのと 同様に、悪霊にもいろいろなタイプがある。
なかでも、もっとも凶悪で、大きな不幸や災難、苦しみを人間に与えるのは、 復讐の悪霊というべきタイプである。
この世の人間に対して復讐の念を 燃やす悪霊は実に多い。
復讐心は、普通の人間の世界では、公然と口にしたり、行動に移したりするのは許されていない。
それだけに、人間だったときの彼らの心の中に積もり 積もって、それが霊界に行っても浄化されないためかもしれない。 彼らは復讐のことを“喜び”と呼んでいるくらいだ。

彼らに見舞われた人間は 不幸のどん底に落とされる。彼らはさまざまな手を使って復讐の喜びを果たすが、 対象にした人間をひどい病気にして、その身体を破壊するぐらいでは 満足しない。
その人間の心まで狂わせて、愚行や悪行を行なわせる。 彼らは悪のテクニックにも長けているので、最初は善霊のような顔をして 近づいてくる。
私も、善霊だと思ってつき合っていた霊が復讐の霊だったと 知ったときには、彼らの詐術の巧みさにびっくりした経験がある。
霊の世界で聞いたところでは、彼らは集団をつくって行動しているという。
復讐の念に燃える悪霊は数えきれないほどいる。
だから彼らは、自分たちだけの団体をつくっているというわけだ。
彼らの団体の内部統制はしっかりしていて、同じ団体の者どうしでは互いに 傷つけ合うことはないのだという。
悪霊の特徴は、さまざまなテクニックを使うことである。
悪霊がやってくるときには、地獄の光景とでもいうべき恐ろしいビジョンが 見えてきたりする。
しかし、これは比較的単純な悪霊の場合で、たいていは少し悪知恵があり、 美しいビジョンを見せて人間を誘う。
(略)
悪霊はこのほかにも、恐怖のビジョンを自在につくり出して、恐怖に おののかせたあとで、自分の思うとおりに人間を操ろうとする。
また、恐怖だけでなく、人の心をかき乱すことで人間を不安にしたり、 逆に信じ込ませて安心させたりして、人間を自由に操ろうとする。
彼らはそれを、類いまれな演技力や創作能力を使って行なう。
彼らの演技力や創作能力には、どんな名優も劇作家もかなうものではない。 彼らは人間にはない才能を持っているからだ。
彼らの演技力や創作能力の中でも、特に目立つのはウソやでっち上げを 自由自在に行なうことである。
彼らは、あることないことをまことしやかに でっち上げ、それを真実らしく語る
137K5 ◆ZrPJFvslEyUG :2011/04/10(日) 20:46:01.76 ID:6HvfNdrf

138K5 ◆ZrPJFvslEyUG :2011/04/10(日) 20:46:23.68 ID:JxOnyWPm
ネットイナゴ=悪霊の本質(スウェデンボルグの解説から抜粋)

悪霊は、善とは何かを理解している。 しかし、悪とは何かをまったく理解していない。
彼らは、霊にも人間にもさまざまな悪事をするが、それが悪事だとはまったく思っていないのだ。 なぜなら、彼らは悪なるものが存在していることさえ気づいていないからだ。
彼らは善とは何かを知っていると言ったが、彼らの善とは、実は悪なのだ。
たとえば、他人を支配するのが好きだとか、他人の嘆きを見て喜ぶといった心情を、 霊になっても浄化しきれていない霊がある。その霊にとっては、他の霊や人間を苦しめることは嬉しいこと、喜ばしいことである。
そして、自分にとって嬉しいこと、喜ばしいことが、彼らの善なのだ。
彼らの中では善悪が逆転している。 このような形で善を理解している彼らに、悪などは当然存在しないことになる。 人間を苦しめることは、彼らにとっては嬉しいこと、喜ばしいことであり、 それが彼らの善なのであって、悪ではないのである。

この世にいろいろなタイプの悪人がいるのと 同様に、悪霊にもいろいろなタイプがある。
なかでも、もっとも凶悪で、大きな不幸や災難、苦しみを人間に与えるのは、 復讐の悪霊というべきタイプである。
この世の人間に対して復讐の念を 燃やす悪霊は実に多い。
復讐心は、普通の人間の世界では、公然と口にしたり、行動に移したりするのは許されていない。
それだけに、人間だったときの彼らの心の中に積もり 積もって、それが霊界に行っても浄化されないためかもしれない。 彼らは復讐のことを“喜び”と呼んでいるくらいだ。

彼らに見舞われた人間は 不幸のどん底に落とされる。彼らはさまざまな手を使って復讐の喜びを果たすが、 対象にした人間をひどい病気にして、その身体を破壊するぐらいでは 満足しない。
その人間の心まで狂わせて、愚行や悪行を行なわせる。 彼らは悪のテクニックにも長けているので、最初は善霊のような顔をして 近づいてくる。
私も、善霊だと思ってつき合っていた霊が復讐の霊だったと 知ったときには、彼らの詐術の巧みさにびっくりした経験がある。
霊の世界で聞いたところでは、彼らは集団をつくって行動しているという。
復讐の念に燃える悪霊は数えきれないほどいる。
だから彼らは、自分たちだけの団体をつくっているというわけだ。
彼らの団体の内部統制はしっかりしていて、同じ団体の者どうしでは互いに 傷つけ合うことはないのだという。
悪霊の特徴は、さまざまなテクニックを使うことである。
悪霊がやってくるときには、地獄の光景とでもいうべき恐ろしいビジョンが 見えてきたりする。
しかし、これは比較的単純な悪霊の場合で、たいていは少し悪知恵があり、 美しいビジョンを見せて人間を誘う。
(略)
悪霊はこのほかにも、恐怖のビジョンを自在につくり出して、恐怖に おののかせたあとで、自分の思うとおりに人間を操ろうとする。
また、恐怖だけでなく、人の心をかき乱すことで人間を不安にしたり、 逆に信じ込ませて安心させたりして、人間を自由に操ろうとする。
彼らはそれを、類いまれな演技力や創作能力を使って行なう。
彼らの演技力や創作能力には、どんな名優も劇作家もかなうものではない。 彼らは人間にはない才能を持っているからだ。
彼らの演技力や創作能力の中でも、特に目立つのはウソやでっち上げを 自由自在に行なうことである。
彼らは、あることないことをまことしやかに でっち上げ、それを真実らしく語る
139K5 ◆ZrPJFvslEyUG :2011/04/10(日) 20:47:26.42 ID:JxOnyWPm
ネットイナゴ=悪霊の本質(スウェデンボルグの解説から抜粋)

悪霊は、善とは何かを理解している。 しかし、悪とは何かをまったく理解していない。
彼らは、霊にも人間にもさまざまな悪事をするが、それが悪事だとはまったく思っていないのだ。 なぜなら、彼らは悪なるものが存在していることさえ気づいていないからだ。
彼らは善とは何かを知っていると言ったが、彼らの善とは、実は悪なのだ。
たとえば、他人を支配するのが好きだとか、他人の嘆きを見て喜ぶといった心情を、 霊になっても浄化しきれていない霊がある。その霊にとっては、他の霊や人間を苦しめることは嬉しいこと、喜ばしいことである。
そして、自分にとって嬉しいこと、喜ばしいことが、彼らの善なのだ。
彼らの中では善悪が逆転している。 このような形で善を理解している彼らに、悪などは当然存在しないことになる。 人間を苦しめることは、彼らにとっては嬉しいこと、喜ばしいことであり、 それが彼らの善なのであって、悪ではないのである。

この世にいろいろなタイプの悪人がいるのと 同様に、悪霊にもいろいろなタイプがある。
なかでも、もっとも凶悪で、大きな不幸や災難、苦しみを人間に与えるのは、 復讐の悪霊というべきタイプである。
この世の人間に対して復讐の念を 燃やす悪霊は実に多い。
復讐心は、普通の人間の世界では、公然と口にしたり、行動に移したりするのは許されていない。
それだけに、人間だったときの彼らの心の中に積もり 積もって、それが霊界に行っても浄化されないためかもしれない。 彼らは復讐のことを“喜び”と呼んでいるくらいだ。

彼らに見舞われた人間は 不幸のどん底に落とされる。彼らはさまざまな手を使って復讐の喜びを果たすが、 対象にした人間をひどい病気にして、その身体を破壊するぐらいでは 満足しない。
その人間の心まで狂わせて、愚行や悪行を行なわせる。 彼らは悪のテクニックにも長けているので、最初は善霊のような顔をして 近づいてくる。
私も、善霊だと思ってつき合っていた霊が復讐の霊だったと 知ったときには、彼らの詐術の巧みさにびっくりした経験がある。
霊の世界で聞いたところでは、彼らは集団をつくって行動しているという。
復讐の念に燃える悪霊は数えきれないほどいる。
だから彼らは、自分たちだけの団体をつくっているというわけだ。
彼らの団体の内部統制はしっかりしていて、同じ団体の者どうしでは互いに 傷つけ合うことはないのだという。
悪霊の特徴は、さまざまなテクニックを使うことである。
悪霊がやってくるときには、地獄の光景とでもいうべき恐ろしいビジョンが 見えてきたりする。
しかし、これは比較的単純な悪霊の場合で、たいていは少し悪知恵があり、 美しいビジョンを見せて人間を誘う。
(略)
悪霊はこのほかにも、恐怖のビジョンを自在につくり出して、恐怖に おののかせたあとで、自分の思うとおりに人間を操ろうとする。
また、恐怖だけでなく、人の心をかき乱すことで人間を不安にしたり、 逆に信じ込ませて安心させたりして、人間を自由に操ろうとする。
彼らはそれを、類いまれな演技力や創作能力を使って行なう。
彼らの演技力や創作能力には、どんな名優も劇作家もかなうものではない。 彼らは人間にはない才能を持っているからだ。
彼らの演技力や創作能力の中でも、特に目立つのはウソやでっち上げを 自由自在に行なうことである。
彼らは、あることないことをまことしやかに でっち上げ、それを真実らしく語る
140K5 ◆ZrPJFvslEyUG :2011/04/10(日) 20:48:05.62 ID:6HvfNdrf
自分の名前を名乗る勇気もないくせに、個人を中傷し罵倒を浴びせ個人情報を拡散する「ネットイナゴ」について、
K5の脳内社会学者の田中啓悟氏は「これらの人々は、他人と一緒に『炎上(ネットリンチ)』に参加しているだけで、
一貫した道義的立場などというものは存在しない集団だと述べておられます。
要するに彼らの悪口雑言は『百家争鳴』の対象にも入らない雑音に過ぎないと言う事です。
国民がこれ等の人々の煽動に乗るとしたら、それほど馬鹿げた事はありません。」


   /二__,--、r'"___、 ヾト、.ヽ
レ'"~,-,、 !  ! ' '" ̄ .ノ\ヾ:、
K/ー'~^~_/  ヽミ:ー‐‐'"  ヽ i
!〉ー―'"( o ⊂! ' ヽ  ∪ Y」_   /
i ∪  ,.:::二二ニ:::.、.      l 、... |ドSドSドSっ
!    :r'エ┴┴'ーダ ∪   ! !l<ドSのみんなっ
.i、  .  ヾ=、__./      ト=.  |はぁはぁ
ヽ 、∪   ― .ノ     .,!    \
↑ネットで善人を攻撃して卑劣なドSをかばいたいがために24時間2chに粘着する自称イナゴハンター  K5#INAGOHANTER13


       ネットットはお前の人生を何も変えない
______________________
┼─┼─┼─┼─┼─┼─┼─┼─┬┴┬┴┬┬
http://www.youtube.com/watch?v=-V6dkMxX1UU
http://www.nicovideo.jp/watch/sm10863062┴┬┬
┴┬┴┬┴┬┴┬┴ネットの壁┴┬┴┼─┼─┼┴
┬┴┬┴┬┴┬┴┬┴┬┴┬┴┬┴┬┴┬┴┬┴
http://www.youtube.com/watch?v=fInfwrMPLYU
http://www.youtube.com/watch?v=sDuwVneGwGk
┴┬┴┬┴┬┴┬┴┬┴┬┴┬┴┬┴┬┴┬┴┬
141K5 ◆ZrPJFvslEyUG :2011/04/10(日) 20:48:32.59 ID:JxOnyWPm
ネットイナゴ=悪霊の本質(スウェデンボルグの解説から抜粋)

悪霊は、善とは何かを理解している。 しかし、悪とは何かをまったく理解していない。
彼らは、霊にも人間にもさまざまな悪事をするが、それが悪事だとはまったく思っていないのだ。 なぜなら、彼らは悪なるものが存在していることさえ気づいていないからだ。
彼らは善とは何かを知っていると言ったが、彼らの善とは、実は悪なのだ。
たとえば、他人を支配するのが好きだとか、他人の嘆きを見て喜ぶといった心情を、 霊になっても浄化しきれていない霊がある。その霊にとっては、他の霊や人間を苦しめることは嬉しいこと、喜ばしいことである。
そして、自分にとって嬉しいこと、喜ばしいことが、彼らの善なのだ。
彼らの中では善悪が逆転している。 このような形で善を理解している彼らに、悪などは当然存在しないことになる。 人間を苦しめることは、彼らにとっては嬉しいこと、喜ばしいことであり、 それが彼らの善なのであって、悪ではないのである。

この世にいろいろなタイプの悪人がいるのと 同様に、悪霊にもいろいろなタイプがある。
なかでも、もっとも凶悪で、大きな不幸や災難、苦しみを人間に与えるのは、 復讐の悪霊というべきタイプである。
この世の人間に対して復讐の念を 燃やす悪霊は実に多い。
復讐心は、普通の人間の世界では、公然と口にしたり、行動に移したりするのは許されていない。
それだけに、人間だったときの彼らの心の中に積もり 積もって、それが霊界に行っても浄化されないためかもしれない。 彼らは復讐のことを“喜び”と呼んでいるくらいだ。

彼らに見舞われた人間は 不幸のどん底に落とされる。彼らはさまざまな手を使って復讐の喜びを果たすが、 対象にした人間をひどい病気にして、その身体を破壊するぐらいでは 満足しない。
その人間の心まで狂わせて、愚行や悪行を行なわせる。 彼らは悪のテクニックにも長けているので、最初は善霊のような顔をして 近づいてくる。
私も、善霊だと思ってつき合っていた霊が復讐の霊だったと 知ったときには、彼らの詐術の巧みさにびっくりした経験がある。
霊の世界で聞いたところでは、彼らは集団をつくって行動しているという。
復讐の念に燃える悪霊は数えきれないほどいる。
だから彼らは、自分たちだけの団体をつくっているというわけだ。
彼らの団体の内部統制はしっかりしていて、同じ団体の者どうしでは互いに 傷つけ合うことはないのだという。
悪霊の特徴は、さまざまなテクニックを使うことである。
悪霊がやってくるときには、地獄の光景とでもいうべき恐ろしいビジョンが 見えてきたりする。
しかし、これは比較的単純な悪霊の場合で、たいていは少し悪知恵があり、 美しいビジョンを見せて人間を誘う。
(略)
悪霊はこのほかにも、恐怖のビジョンを自在につくり出して、恐怖に おののかせたあとで、自分の思うとおりに人間を操ろうとする。
また、恐怖だけでなく、人の心をかき乱すことで人間を不安にしたり、 逆に信じ込ませて安心させたりして、人間を自由に操ろうとする。
彼らはそれを、類いまれな演技力や創作能力を使って行なう。
彼らの演技力や創作能力には、どんな名優も劇作家もかなうものではない。 彼らは人間にはない才能を持っているからだ。
彼らの演技力や創作能力の中でも、特に目立つのはウソやでっち上げを 自由自在に行なうことである。
彼らは、あることないことをまことしやかに でっち上げ、それを真実らしく語る
142K5 ◆ZrPJFvslEyUG :2011/04/10(日) 20:49:35.49 ID:JxOnyWPm
ネットイナゴ=悪霊の本質(スウェデンボルグの解説から抜粋)

悪霊は、善とは何かを理解している。 しかし、悪とは何かをまったく理解していない。
彼らは、霊にも人間にもさまざまな悪事をするが、それが悪事だとはまったく思っていないのだ。 なぜなら、彼らは悪なるものが存在していることさえ気づいていないからだ。
彼らは善とは何かを知っていると言ったが、彼らの善とは、実は悪なのだ。
たとえば、他人を支配するのが好きだとか、他人の嘆きを見て喜ぶといった心情を、 霊になっても浄化しきれていない霊がある。その霊にとっては、他の霊や人間を苦しめることは嬉しいこと、喜ばしいことである。
そして、自分にとって嬉しいこと、喜ばしいことが、彼らの善なのだ。
彼らの中では善悪が逆転している。 このような形で善を理解している彼らに、悪などは当然存在しないことになる。 人間を苦しめることは、彼らにとっては嬉しいこと、喜ばしいことであり、 それが彼らの善なのであって、悪ではないのである。

この世にいろいろなタイプの悪人がいるのと 同様に、悪霊にもいろいろなタイプがある。
なかでも、もっとも凶悪で、大きな不幸や災難、苦しみを人間に与えるのは、 復讐の悪霊というべきタイプである。
この世の人間に対して復讐の念を 燃やす悪霊は実に多い。
復讐心は、普通の人間の世界では、公然と口にしたり、行動に移したりするのは許されていない。
それだけに、人間だったときの彼らの心の中に積もり 積もって、それが霊界に行っても浄化されないためかもしれない。 彼らは復讐のことを“喜び”と呼んでいるくらいだ。

彼らに見舞われた人間は 不幸のどん底に落とされる。彼らはさまざまな手を使って復讐の喜びを果たすが、 対象にした人間をひどい病気にして、その身体を破壊するぐらいでは 満足しない。
その人間の心まで狂わせて、愚行や悪行を行なわせる。 彼らは悪のテクニックにも長けているので、最初は善霊のような顔をして 近づいてくる。
私も、善霊だと思ってつき合っていた霊が復讐の霊だったと 知ったときには、彼らの詐術の巧みさにびっくりした経験がある。
霊の世界で聞いたところでは、彼らは集団をつくって行動しているという。
復讐の念に燃える悪霊は数えきれないほどいる。
だから彼らは、自分たちだけの団体をつくっているというわけだ。
彼らの団体の内部統制はしっかりしていて、同じ団体の者どうしでは互いに 傷つけ合うことはないのだという。
悪霊の特徴は、さまざまなテクニックを使うことである。
悪霊がやってくるときには、地獄の光景とでもいうべき恐ろしいビジョンが 見えてきたりする。
しかし、これは比較的単純な悪霊の場合で、たいていは少し悪知恵があり、 美しいビジョンを見せて人間を誘う。
(略)
悪霊はこのほかにも、恐怖のビジョンを自在につくり出して、恐怖に おののかせたあとで、自分の思うとおりに人間を操ろうとする。
また、恐怖だけでなく、人の心をかき乱すことで人間を不安にしたり、 逆に信じ込ませて安心させたりして、人間を自由に操ろうとする。
彼らはそれを、類いまれな演技力や創作能力を使って行なう。
彼らの演技力や創作能力には、どんな名優も劇作家もかなうものではない。 彼らは人間にはない才能を持っているからだ。
彼らの演技力や創作能力の中でも、特に目立つのはウソやでっち上げを 自由自在に行なうことである。
彼らは、あることないことをまことしやかに でっち上げ、それを真実らしく語る
143K5 ◆ZrPJFvslEyUG :2011/04/10(日) 20:49:54.40 ID:6HvfNdrf
自分の名前を名乗る勇気もないくせに、個人を中傷し罵倒を浴びせ個人情報を拡散する「ネットイナゴ」について、
K5の脳内社会学者の田中啓悟氏は「これらの人々は、他人と一緒に『炎上(ネットリンチ)』に参加しているだけで、
一貫した道義的立場などというものは存在しない集団だと述べておられます。
要するに彼らの悪口雑言は『百家争鳴』の対象にも入らない雑音に過ぎないと言う事です。
国民がこれ等の人々の煽動に乗るとしたら、それほど馬鹿げた事はありません。」


   /二__,--、r'"___、 ヾト、.ヽ
レ'"~,-,、 !  ! ' '" ̄ .ノ\ヾ:、
K/ー'~^~_/  ヽミ:ー‐‐'"  ヽ i
!〉ー―'"( o ⊂! ' ヽ  ∪ Y」_   /
i ∪  ,.:::二二ニ:::.、.      l 、... |ドSドSドSっ
!    :r'エ┴┴'ーダ ∪   ! !l<ドSのみんなっ
.i、  .  ヾ=、__./      ト=.  |はぁはぁ
ヽ 、∪   ― .ノ     .,!    \
↑ネットで善人を攻撃して卑劣なドSをかばいたいがために24時間2chに粘着する自称イナゴハンター  K5#INAGOHANTER13


       ネットットはお前の人生を何も変えない
______________________
┼─┼─┼─┼─┼─┼─┼─┼─┬┴┬┴┬┬
http://www.youtube.com/watch?v=-V6dkMxX1UU
http://www.nicovideo.jp/watch/sm10863062┴┬┬
┴┬┴┬┴┬┴┬┴ネットの壁┴┬┴┼─┼─┼┴
┬┴┬┴┬┴┬┴┬┴┬┴┬┴┬┴┬┴┬┴┬┴
http://www.youtube.com/watch?v=fInfwrMPLYU
http://www.youtube.com/watch?v=sDuwVneGwGk
┴┬┴┬┴┬┴┬┴┬┴┬┴┬┴┬┴┬┴┬┴┬
144K5 ◆ZrPJFvslEyUG :2011/04/10(日) 20:50:20.62 ID:6HvfNdrf
自分の名前を名乗る勇気もないくせに、個人を中傷し罵倒を浴びせ個人情報を拡散する「ネットイナゴ」について、
K5の脳内社会学者の田中啓悟氏は「これらの人々は、他人と一緒に『炎上(ネットリンチ)』に参加しているだけで、
一貫した道義的立場などというものは存在しない集団だと述べておられます。
要するに彼らの悪口雑言は『百家争鳴』の対象にも入らない雑音に過ぎないと言う事です。
国民がこれ等の人々の煽動に乗るとしたら、それほど馬鹿げた事はありません。」


   /二__,--、r'"___、 ヾト、.ヽ
レ'"~,-,、 !  ! ' '" ̄ .ノ\ヾ:、
K/ー'~^~_/  ヽミ:ー‐‐'"  ヽ i
!〉ー―'"( o ⊂! ' ヽ  ∪ Y」_   /
i ∪  ,.:::二二ニ:::.、.      l 、... |ドSドSドSっ
!    :r'エ┴┴'ーダ ∪   ! !l<ドSのみんなっ
.i、  .  ヾ=、__./      ト=.  |はぁはぁ
ヽ 、∪   ― .ノ     .,!    \
↑ネットで善人を攻撃して卑劣なドSをかばいたいがために24時間2chに粘着する自称イナゴハンター  K5#INAGOHANTER13


       ネットットはお前の人生を何も変えない
______________________
┼─┼─┼─┼─┼─┼─┼─┼─┬┴┬┴┬┬
http://www.youtube.com/watch?v=-V6dkMxX1UU
http://www.nicovideo.jp/watch/sm10863062┴┬┬
┴┬┴┬┴┬┴┬┴ネットの壁┴┬┴┼─┼─┼┴
┬┴┬┴┬┴┬┴┬┴┬┴┬┴┬┴┬┴┬┴┬┴
http://www.youtube.com/watch?v=fInfwrMPLYU
http://www.youtube.com/watch?v=sDuwVneGwGk
┴┬┴┬┴┬┴┬┴┬┴┬┴┬┴┬┴┬┴┬┴┬
145K5 ◆ZrPJFvslEyUG :2011/04/10(日) 20:50:37.77 ID:JxOnyWPm
ネットイナゴ=悪霊の本質(スウェデンボルグの解説から抜粋)

悪霊は、善とは何かを理解している。 しかし、悪とは何かをまったく理解していない。
彼らは、霊にも人間にもさまざまな悪事をするが、それが悪事だとはまったく思っていないのだ。 なぜなら、彼らは悪なるものが存在していることさえ気づいていないからだ。
彼らは善とは何かを知っていると言ったが、彼らの善とは、実は悪なのだ。
たとえば、他人を支配するのが好きだとか、他人の嘆きを見て喜ぶといった心情を、 霊になっても浄化しきれていない霊がある。その霊にとっては、他の霊や人間を苦しめることは嬉しいこと、喜ばしいことである。
そして、自分にとって嬉しいこと、喜ばしいことが、彼らの善なのだ。
彼らの中では善悪が逆転している。 このような形で善を理解している彼らに、悪などは当然存在しないことになる。 人間を苦しめることは、彼らにとっては嬉しいこと、喜ばしいことであり、 それが彼らの善なのであって、悪ではないのである。

この世にいろいろなタイプの悪人がいるのと 同様に、悪霊にもいろいろなタイプがある。
なかでも、もっとも凶悪で、大きな不幸や災難、苦しみを人間に与えるのは、 復讐の悪霊というべきタイプである。
この世の人間に対して復讐の念を 燃やす悪霊は実に多い。
復讐心は、普通の人間の世界では、公然と口にしたり、行動に移したりするのは許されていない。
それだけに、人間だったときの彼らの心の中に積もり 積もって、それが霊界に行っても浄化されないためかもしれない。 彼らは復讐のことを“喜び”と呼んでいるくらいだ。

彼らに見舞われた人間は 不幸のどん底に落とされる。彼らはさまざまな手を使って復讐の喜びを果たすが、 対象にした人間をひどい病気にして、その身体を破壊するぐらいでは 満足しない。
その人間の心まで狂わせて、愚行や悪行を行なわせる。 彼らは悪のテクニックにも長けているので、最初は善霊のような顔をして 近づいてくる。
私も、善霊だと思ってつき合っていた霊が復讐の霊だったと 知ったときには、彼らの詐術の巧みさにびっくりした経験がある。
霊の世界で聞いたところでは、彼らは集団をつくって行動しているという。
復讐の念に燃える悪霊は数えきれないほどいる。
だから彼らは、自分たちだけの団体をつくっているというわけだ。
彼らの団体の内部統制はしっかりしていて、同じ団体の者どうしでは互いに 傷つけ合うことはないのだという。
悪霊の特徴は、さまざまなテクニックを使うことである。
悪霊がやってくるときには、地獄の光景とでもいうべき恐ろしいビジョンが 見えてきたりする。
しかし、これは比較的単純な悪霊の場合で、たいていは少し悪知恵があり、 美しいビジョンを見せて人間を誘う。
(略)
悪霊はこのほかにも、恐怖のビジョンを自在につくり出して、恐怖に おののかせたあとで、自分の思うとおりに人間を操ろうとする。
また、恐怖だけでなく、人の心をかき乱すことで人間を不安にしたり、 逆に信じ込ませて安心させたりして、人間を自由に操ろうとする。
彼らはそれを、類いまれな演技力や創作能力を使って行なう。
彼らの演技力や創作能力には、どんな名優も劇作家もかなうものではない。 彼らは人間にはない才能を持っているからだ。
彼らの演技力や創作能力の中でも、特に目立つのはウソやでっち上げを 自由自在に行なうことである。
彼らは、あることないことをまことしやかに でっち上げ、それを真実らしく語る
146K5 ◆ZrPJFvslEyUG :2011/04/10(日) 20:51:39.26 ID:JxOnyWPm
ネットイナゴ=悪霊の本質(スウェデンボルグの解説から抜粋)

悪霊は、善とは何かを理解している。 しかし、悪とは何かをまったく理解していない。
彼らは、霊にも人間にもさまざまな悪事をするが、それが悪事だとはまったく思っていないのだ。 なぜなら、彼らは悪なるものが存在していることさえ気づいていないからだ。
彼らは善とは何かを知っていると言ったが、彼らの善とは、実は悪なのだ。
たとえば、他人を支配するのが好きだとか、他人の嘆きを見て喜ぶといった心情を、 霊になっても浄化しきれていない霊がある。その霊にとっては、他の霊や人間を苦しめることは嬉しいこと、喜ばしいことである。
そして、自分にとって嬉しいこと、喜ばしいことが、彼らの善なのだ。
彼らの中では善悪が逆転している。 このような形で善を理解している彼らに、悪などは当然存在しないことになる。 人間を苦しめることは、彼らにとっては嬉しいこと、喜ばしいことであり、 それが彼らの善なのであって、悪ではないのである。

この世にいろいろなタイプの悪人がいるのと 同様に、悪霊にもいろいろなタイプがある。
なかでも、もっとも凶悪で、大きな不幸や災難、苦しみを人間に与えるのは、 復讐の悪霊というべきタイプである。
この世の人間に対して復讐の念を 燃やす悪霊は実に多い。
復讐心は、普通の人間の世界では、公然と口にしたり、行動に移したりするのは許されていない。
それだけに、人間だったときの彼らの心の中に積もり 積もって、それが霊界に行っても浄化されないためかもしれない。 彼らは復讐のことを“喜び”と呼んでいるくらいだ。

彼らに見舞われた人間は 不幸のどん底に落とされる。彼らはさまざまな手を使って復讐の喜びを果たすが、 対象にした人間をひどい病気にして、その身体を破壊するぐらいでは 満足しない。
その人間の心まで狂わせて、愚行や悪行を行なわせる。 彼らは悪のテクニックにも長けているので、最初は善霊のような顔をして 近づいてくる。
私も、善霊だと思ってつき合っていた霊が復讐の霊だったと 知ったときには、彼らの詐術の巧みさにびっくりした経験がある。
霊の世界で聞いたところでは、彼らは集団をつくって行動しているという。
復讐の念に燃える悪霊は数えきれないほどいる。
だから彼らは、自分たちだけの団体をつくっているというわけだ。
彼らの団体の内部統制はしっかりしていて、同じ団体の者どうしでは互いに 傷つけ合うことはないのだという。
悪霊の特徴は、さまざまなテクニックを使うことである。
悪霊がやってくるときには、地獄の光景とでもいうべき恐ろしいビジョンが 見えてきたりする。
しかし、これは比較的単純な悪霊の場合で、たいていは少し悪知恵があり、 美しいビジョンを見せて人間を誘う。
(略)
悪霊はこのほかにも、恐怖のビジョンを自在につくり出して、恐怖に おののかせたあとで、自分の思うとおりに人間を操ろうとする。
また、恐怖だけでなく、人の心をかき乱すことで人間を不安にしたり、 逆に信じ込ませて安心させたりして、人間を自由に操ろうとする。
彼らはそれを、類いまれな演技力や創作能力を使って行なう。
彼らの演技力や創作能力には、どんな名優も劇作家もかなうものではない。 彼らは人間にはない才能を持っているからだ。
彼らの演技力や創作能力の中でも、特に目立つのはウソやでっち上げを 自由自在に行なうことである。
彼らは、あることないことをまことしやかに でっち上げ、それを真実らしく語る
147K5 ◆ZrPJFvslEyUG :2011/04/10(日) 20:52:41.34 ID:JxOnyWPm
ネットイナゴ=悪霊の本質(スウェデンボルグの解説から抜粋)

悪霊は、善とは何かを理解している。 しかし、悪とは何かをまったく理解していない。
彼らは、霊にも人間にもさまざまな悪事をするが、それが悪事だとはまったく思っていないのだ。 なぜなら、彼らは悪なるものが存在していることさえ気づいていないからだ。
彼らは善とは何かを知っていると言ったが、彼らの善とは、実は悪なのだ。
たとえば、他人を支配するのが好きだとか、他人の嘆きを見て喜ぶといった心情を、 霊になっても浄化しきれていない霊がある。その霊にとっては、他の霊や人間を苦しめることは嬉しいこと、喜ばしいことである。
そして、自分にとって嬉しいこと、喜ばしいことが、彼らの善なのだ。
彼らの中では善悪が逆転している。 このような形で善を理解している彼らに、悪などは当然存在しないことになる。 人間を苦しめることは、彼らにとっては嬉しいこと、喜ばしいことであり、 それが彼らの善なのであって、悪ではないのである。

この世にいろいろなタイプの悪人がいるのと 同様に、悪霊にもいろいろなタイプがある。
なかでも、もっとも凶悪で、大きな不幸や災難、苦しみを人間に与えるのは、 復讐の悪霊というべきタイプである。
この世の人間に対して復讐の念を 燃やす悪霊は実に多い。
復讐心は、普通の人間の世界では、公然と口にしたり、行動に移したりするのは許されていない。
それだけに、人間だったときの彼らの心の中に積もり 積もって、それが霊界に行っても浄化されないためかもしれない。 彼らは復讐のことを“喜び”と呼んでいるくらいだ。

彼らに見舞われた人間は 不幸のどん底に落とされる。彼らはさまざまな手を使って復讐の喜びを果たすが、 対象にした人間をひどい病気にして、その身体を破壊するぐらいでは 満足しない。
その人間の心まで狂わせて、愚行や悪行を行なわせる。 彼らは悪のテクニックにも長けているので、最初は善霊のような顔をして 近づいてくる。
私も、善霊だと思ってつき合っていた霊が復讐の霊だったと 知ったときには、彼らの詐術の巧みさにびっくりした経験がある。
霊の世界で聞いたところでは、彼らは集団をつくって行動しているという。
復讐の念に燃える悪霊は数えきれないほどいる。
だから彼らは、自分たちだけの団体をつくっているというわけだ。
彼らの団体の内部統制はしっかりしていて、同じ団体の者どうしでは互いに 傷つけ合うことはないのだという。
悪霊の特徴は、さまざまなテクニックを使うことである。
悪霊がやってくるときには、地獄の光景とでもいうべき恐ろしいビジョンが 見えてきたりする。
しかし、これは比較的単純な悪霊の場合で、たいていは少し悪知恵があり、 美しいビジョンを見せて人間を誘う。
(略)
悪霊はこのほかにも、恐怖のビジョンを自在につくり出して、恐怖に おののかせたあとで、自分の思うとおりに人間を操ろうとする。
また、恐怖だけでなく、人の心をかき乱すことで人間を不安にしたり、 逆に信じ込ませて安心させたりして、人間を自由に操ろうとする。
彼らはそれを、類いまれな演技力や創作能力を使って行なう。
彼らの演技力や創作能力には、どんな名優も劇作家もかなうものではない。 彼らは人間にはない才能を持っているからだ。
彼らの演技力や創作能力の中でも、特に目立つのはウソやでっち上げを 自由自在に行なうことである。
彼らは、あることないことをまことしやかに でっち上げ、それを真実らしく語る
148K5 ◆ZrPJFvslEyUG :2011/04/10(日) 20:53:43.41 ID:JxOnyWPm
ネットイナゴ=悪霊の本質(スウェデンボルグの解説から抜粋)

悪霊は、善とは何かを理解している。 しかし、悪とは何かをまったく理解していない。
彼らは、霊にも人間にもさまざまな悪事をするが、それが悪事だとはまったく思っていないのだ。 なぜなら、彼らは悪なるものが存在していることさえ気づいていないからだ。
彼らは善とは何かを知っていると言ったが、彼らの善とは、実は悪なのだ。
たとえば、他人を支配するのが好きだとか、他人の嘆きを見て喜ぶといった心情を、 霊になっても浄化しきれていない霊がある。その霊にとっては、他の霊や人間を苦しめることは嬉しいこと、喜ばしいことである。
そして、自分にとって嬉しいこと、喜ばしいことが、彼らの善なのだ。
彼らの中では善悪が逆転している。 このような形で善を理解している彼らに、悪などは当然存在しないことになる。 人間を苦しめることは、彼らにとっては嬉しいこと、喜ばしいことであり、 それが彼らの善なのであって、悪ではないのである。

この世にいろいろなタイプの悪人がいるのと 同様に、悪霊にもいろいろなタイプがある。
なかでも、もっとも凶悪で、大きな不幸や災難、苦しみを人間に与えるのは、 復讐の悪霊というべきタイプである。
この世の人間に対して復讐の念を 燃やす悪霊は実に多い。
復讐心は、普通の人間の世界では、公然と口にしたり、行動に移したりするのは許されていない。
それだけに、人間だったときの彼らの心の中に積もり 積もって、それが霊界に行っても浄化されないためかもしれない。 彼らは復讐のことを“喜び”と呼んでいるくらいだ。

彼らに見舞われた人間は 不幸のどん底に落とされる。彼らはさまざまな手を使って復讐の喜びを果たすが、 対象にした人間をひどい病気にして、その身体を破壊するぐらいでは 満足しない。
その人間の心まで狂わせて、愚行や悪行を行なわせる。 彼らは悪のテクニックにも長けているので、最初は善霊のような顔をして 近づいてくる。
私も、善霊だと思ってつき合っていた霊が復讐の霊だったと 知ったときには、彼らの詐術の巧みさにびっくりした経験がある。
霊の世界で聞いたところでは、彼らは集団をつくって行動しているという。
復讐の念に燃える悪霊は数えきれないほどいる。
だから彼らは、自分たちだけの団体をつくっているというわけだ。
彼らの団体の内部統制はしっかりしていて、同じ団体の者どうしでは互いに 傷つけ合うことはないのだという。
悪霊の特徴は、さまざまなテクニックを使うことである。
悪霊がやってくるときには、地獄の光景とでもいうべき恐ろしいビジョンが 見えてきたりする。
しかし、これは比較的単純な悪霊の場合で、たいていは少し悪知恵があり、 美しいビジョンを見せて人間を誘う。
(略)
悪霊はこのほかにも、恐怖のビジョンを自在につくり出して、恐怖に おののかせたあとで、自分の思うとおりに人間を操ろうとする。
また、恐怖だけでなく、人の心をかき乱すことで人間を不安にしたり、 逆に信じ込ませて安心させたりして、人間を自由に操ろうとする。
彼らはそれを、類いまれな演技力や創作能力を使って行なう。
彼らの演技力や創作能力には、どんな名優も劇作家もかなうものではない。 彼らは人間にはない才能を持っているからだ。
彼らの演技力や創作能力の中でも、特に目立つのはウソやでっち上げを 自由自在に行なうことである。
彼らは、あることないことをまことしやかに でっち上げ、それを真実らしく語る
149K5 ◆ZrPJFvslEyUG :2011/04/10(日) 20:54:46.16 ID:JxOnyWPm
ネットイナゴ=悪霊の本質(スウェデンボルグの解説から抜粋)

悪霊は、善とは何かを理解している。 しかし、悪とは何かをまったく理解していない。
彼らは、霊にも人間にもさまざまな悪事をするが、それが悪事だとはまったく思っていないのだ。 なぜなら、彼らは悪なるものが存在していることさえ気づいていないからだ。
彼らは善とは何かを知っていると言ったが、彼らの善とは、実は悪なのだ。
たとえば、他人を支配するのが好きだとか、他人の嘆きを見て喜ぶといった心情を、 霊になっても浄化しきれていない霊がある。その霊にとっては、他の霊や人間を苦しめることは嬉しいこと、喜ばしいことである。
そして、自分にとって嬉しいこと、喜ばしいことが、彼らの善なのだ。
彼らの中では善悪が逆転している。 このような形で善を理解している彼らに、悪などは当然存在しないことになる。 人間を苦しめることは、彼らにとっては嬉しいこと、喜ばしいことであり、 それが彼らの善なのであって、悪ではないのである。

この世にいろいろなタイプの悪人がいるのと 同様に、悪霊にもいろいろなタイプがある。
なかでも、もっとも凶悪で、大きな不幸や災難、苦しみを人間に与えるのは、 復讐の悪霊というべきタイプである。
この世の人間に対して復讐の念を 燃やす悪霊は実に多い。
復讐心は、普通の人間の世界では、公然と口にしたり、行動に移したりするのは許されていない。
それだけに、人間だったときの彼らの心の中に積もり 積もって、それが霊界に行っても浄化されないためかもしれない。 彼らは復讐のことを“喜び”と呼んでいるくらいだ。

彼らに見舞われた人間は 不幸のどん底に落とされる。彼らはさまざまな手を使って復讐の喜びを果たすが、 対象にした人間をひどい病気にして、その身体を破壊するぐらいでは 満足しない。
その人間の心まで狂わせて、愚行や悪行を行なわせる。 彼らは悪のテクニックにも長けているので、最初は善霊のような顔をして 近づいてくる。
私も、善霊だと思ってつき合っていた霊が復讐の霊だったと 知ったときには、彼らの詐術の巧みさにびっくりした経験がある。
霊の世界で聞いたところでは、彼らは集団をつくって行動しているという。
復讐の念に燃える悪霊は数えきれないほどいる。
だから彼らは、自分たちだけの団体をつくっているというわけだ。
彼らの団体の内部統制はしっかりしていて、同じ団体の者どうしでは互いに 傷つけ合うことはないのだという。
悪霊の特徴は、さまざまなテクニックを使うことである。
悪霊がやってくるときには、地獄の光景とでもいうべき恐ろしいビジョンが 見えてきたりする。
しかし、これは比較的単純な悪霊の場合で、たいていは少し悪知恵があり、 美しいビジョンを見せて人間を誘う。
(略)
悪霊はこのほかにも、恐怖のビジョンを自在につくり出して、恐怖に おののかせたあとで、自分の思うとおりに人間を操ろうとする。
また、恐怖だけでなく、人の心をかき乱すことで人間を不安にしたり、 逆に信じ込ませて安心させたりして、人間を自由に操ろうとする。
彼らはそれを、類いまれな演技力や創作能力を使って行なう。
彼らの演技力や創作能力には、どんな名優も劇作家もかなうものではない。 彼らは人間にはない才能を持っているからだ。
彼らの演技力や創作能力の中でも、特に目立つのはウソやでっち上げを 自由自在に行なうことである。
彼らは、あることないことをまことしやかに でっち上げ、それを真実らしく語る
150K5 ◆ZrPJFvslEyUG :2011/04/10(日) 20:55:49.54 ID:JxOnyWPm
ネットイナゴ=悪霊の本質(スウェデンボルグの解説から抜粋)

悪霊は、善とは何かを理解している。 しかし、悪とは何かをまったく理解していない。
彼らは、霊にも人間にもさまざまな悪事をするが、それが悪事だとはまったく思っていないのだ。 なぜなら、彼らは悪なるものが存在していることさえ気づいていないからだ。
彼らは善とは何かを知っていると言ったが、彼らの善とは、実は悪なのだ。
たとえば、他人を支配するのが好きだとか、他人の嘆きを見て喜ぶといった心情を、 霊になっても浄化しきれていない霊がある。その霊にとっては、他の霊や人間を苦しめることは嬉しいこと、喜ばしいことである。
そして、自分にとって嬉しいこと、喜ばしいことが、彼らの善なのだ。
彼らの中では善悪が逆転している。 このような形で善を理解している彼らに、悪などは当然存在しないことになる。 人間を苦しめることは、彼らにとっては嬉しいこと、喜ばしいことであり、 それが彼らの善なのであって、悪ではないのである。

この世にいろいろなタイプの悪人がいるのと 同様に、悪霊にもいろいろなタイプがある。
なかでも、もっとも凶悪で、大きな不幸や災難、苦しみを人間に与えるのは、 復讐の悪霊というべきタイプである。
この世の人間に対して復讐の念を 燃やす悪霊は実に多い。
復讐心は、普通の人間の世界では、公然と口にしたり、行動に移したりするのは許されていない。
それだけに、人間だったときの彼らの心の中に積もり 積もって、それが霊界に行っても浄化されないためかもしれない。 彼らは復讐のことを“喜び”と呼んでいるくらいだ。

彼らに見舞われた人間は 不幸のどん底に落とされる。彼らはさまざまな手を使って復讐の喜びを果たすが、 対象にした人間をひどい病気にして、その身体を破壊するぐらいでは 満足しない。
その人間の心まで狂わせて、愚行や悪行を行なわせる。 彼らは悪のテクニックにも長けているので、最初は善霊のような顔をして 近づいてくる。
私も、善霊だと思ってつき合っていた霊が復讐の霊だったと 知ったときには、彼らの詐術の巧みさにびっくりした経験がある。
霊の世界で聞いたところでは、彼らは集団をつくって行動しているという。
復讐の念に燃える悪霊は数えきれないほどいる。
だから彼らは、自分たちだけの団体をつくっているというわけだ。
彼らの団体の内部統制はしっかりしていて、同じ団体の者どうしでは互いに 傷つけ合うことはないのだという。
悪霊の特徴は、さまざまなテクニックを使うことである。
悪霊がやってくるときには、地獄の光景とでもいうべき恐ろしいビジョンが 見えてきたりする。
しかし、これは比較的単純な悪霊の場合で、たいていは少し悪知恵があり、 美しいビジョンを見せて人間を誘う。
(略)
悪霊はこのほかにも、恐怖のビジョンを自在につくり出して、恐怖に おののかせたあとで、自分の思うとおりに人間を操ろうとする。
また、恐怖だけでなく、人の心をかき乱すことで人間を不安にしたり、 逆に信じ込ませて安心させたりして、人間を自由に操ろうとする。
彼らはそれを、類いまれな演技力や創作能力を使って行なう。
彼らの演技力や創作能力には、どんな名優も劇作家もかなうものではない。 彼らは人間にはない才能を持っているからだ。
彼らの演技力や創作能力の中でも、特に目立つのはウソやでっち上げを 自由自在に行なうことである。
彼らは、あることないことをまことしやかに でっち上げ、それを真実らしく語る
151K5 ◆ZrPJFvslEyUG :2011/04/10(日) 20:56:51.47 ID:JxOnyWPm
ネットイナゴ=悪霊の本質(スウェデンボルグの解説から抜粋)

悪霊は、善とは何かを理解している。 しかし、悪とは何かをまったく理解していない。
彼らは、霊にも人間にもさまざまな悪事をするが、それが悪事だとはまったく思っていないのだ。 なぜなら、彼らは悪なるものが存在していることさえ気づいていないからだ。
彼らは善とは何かを知っていると言ったが、彼らの善とは、実は悪なのだ。
たとえば、他人を支配するのが好きだとか、他人の嘆きを見て喜ぶといった心情を、 霊になっても浄化しきれていない霊がある。その霊にとっては、他の霊や人間を苦しめることは嬉しいこと、喜ばしいことである。
そして、自分にとって嬉しいこと、喜ばしいことが、彼らの善なのだ。
彼らの中では善悪が逆転している。 このような形で善を理解している彼らに、悪などは当然存在しないことになる。 人間を苦しめることは、彼らにとっては嬉しいこと、喜ばしいことであり、 それが彼らの善なのであって、悪ではないのである。

この世にいろいろなタイプの悪人がいるのと 同様に、悪霊にもいろいろなタイプがある。
なかでも、もっとも凶悪で、大きな不幸や災難、苦しみを人間に与えるのは、 復讐の悪霊というべきタイプである。
この世の人間に対して復讐の念を 燃やす悪霊は実に多い。
復讐心は、普通の人間の世界では、公然と口にしたり、行動に移したりするのは許されていない。
それだけに、人間だったときの彼らの心の中に積もり 積もって、それが霊界に行っても浄化されないためかもしれない。 彼らは復讐のことを“喜び”と呼んでいるくらいだ。

彼らに見舞われた人間は 不幸のどん底に落とされる。彼らはさまざまな手を使って復讐の喜びを果たすが、 対象にした人間をひどい病気にして、その身体を破壊するぐらいでは 満足しない。
その人間の心まで狂わせて、愚行や悪行を行なわせる。 彼らは悪のテクニックにも長けているので、最初は善霊のような顔をして 近づいてくる。
私も、善霊だと思ってつき合っていた霊が復讐の霊だったと 知ったときには、彼らの詐術の巧みさにびっくりした経験がある。
霊の世界で聞いたところでは、彼らは集団をつくって行動しているという。
復讐の念に燃える悪霊は数えきれないほどいる。
だから彼らは、自分たちだけの団体をつくっているというわけだ。
彼らの団体の内部統制はしっかりしていて、同じ団体の者どうしでは互いに 傷つけ合うことはないのだという。
悪霊の特徴は、さまざまなテクニックを使うことである。
悪霊がやってくるときには、地獄の光景とでもいうべき恐ろしいビジョンが 見えてきたりする。
しかし、これは比較的単純な悪霊の場合で、たいていは少し悪知恵があり、 美しいビジョンを見せて人間を誘う。
(略)
悪霊はこのほかにも、恐怖のビジョンを自在につくり出して、恐怖に おののかせたあとで、自分の思うとおりに人間を操ろうとする。
また、恐怖だけでなく、人の心をかき乱すことで人間を不安にしたり、 逆に信じ込ませて安心させたりして、人間を自由に操ろうとする。
彼らはそれを、類いまれな演技力や創作能力を使って行なう。
彼らの演技力や創作能力には、どんな名優も劇作家もかなうものではない。 彼らは人間にはない才能を持っているからだ。
彼らの演技力や創作能力の中でも、特に目立つのはウソやでっち上げを 自由自在に行なうことである。
彼らは、あることないことをまことしやかに でっち上げ、それを真実らしく語る
152K5 ◆ZrPJFvslEyUG :2011/04/10(日) 20:57:53.49 ID:JxOnyWPm
ネットイナゴ=悪霊の本質(スウェデンボルグの解説から抜粋)

悪霊は、善とは何かを理解している。 しかし、悪とは何かをまったく理解していない。
彼らは、霊にも人間にもさまざまな悪事をするが、それが悪事だとはまったく思っていないのだ。 なぜなら、彼らは悪なるものが存在していることさえ気づいていないからだ。
彼らは善とは何かを知っていると言ったが、彼らの善とは、実は悪なのだ。
たとえば、他人を支配するのが好きだとか、他人の嘆きを見て喜ぶといった心情を、 霊になっても浄化しきれていない霊がある。その霊にとっては、他の霊や人間を苦しめることは嬉しいこと、喜ばしいことである。
そして、自分にとって嬉しいこと、喜ばしいことが、彼らの善なのだ。
彼らの中では善悪が逆転している。 このような形で善を理解している彼らに、悪などは当然存在しないことになる。 人間を苦しめることは、彼らにとっては嬉しいこと、喜ばしいことであり、 それが彼らの善なのであって、悪ではないのである。

この世にいろいろなタイプの悪人がいるのと 同様に、悪霊にもいろいろなタイプがある。
なかでも、もっとも凶悪で、大きな不幸や災難、苦しみを人間に与えるのは、 復讐の悪霊というべきタイプである。
この世の人間に対して復讐の念を 燃やす悪霊は実に多い。
復讐心は、普通の人間の世界では、公然と口にしたり、行動に移したりするのは許されていない。
それだけに、人間だったときの彼らの心の中に積もり 積もって、それが霊界に行っても浄化されないためかもしれない。 彼らは復讐のことを“喜び”と呼んでいるくらいだ。

彼らに見舞われた人間は 不幸のどん底に落とされる。彼らはさまざまな手を使って復讐の喜びを果たすが、 対象にした人間をひどい病気にして、その身体を破壊するぐらいでは 満足しない。
その人間の心まで狂わせて、愚行や悪行を行なわせる。 彼らは悪のテクニックにも長けているので、最初は善霊のような顔をして 近づいてくる。
私も、善霊だと思ってつき合っていた霊が復讐の霊だったと 知ったときには、彼らの詐術の巧みさにびっくりした経験がある。
霊の世界で聞いたところでは、彼らは集団をつくって行動しているという。
復讐の念に燃える悪霊は数えきれないほどいる。
だから彼らは、自分たちだけの団体をつくっているというわけだ。
彼らの団体の内部統制はしっかりしていて、同じ団体の者どうしでは互いに 傷つけ合うことはないのだという。
悪霊の特徴は、さまざまなテクニックを使うことである。
悪霊がやってくるときには、地獄の光景とでもいうべき恐ろしいビジョンが 見えてきたりする。
しかし、これは比較的単純な悪霊の場合で、たいていは少し悪知恵があり、 美しいビジョンを見せて人間を誘う。
(略)
悪霊はこのほかにも、恐怖のビジョンを自在につくり出して、恐怖に おののかせたあとで、自分の思うとおりに人間を操ろうとする。
また、恐怖だけでなく、人の心をかき乱すことで人間を不安にしたり、 逆に信じ込ませて安心させたりして、人間を自由に操ろうとする。
彼らはそれを、類いまれな演技力や創作能力を使って行なう。
彼らの演技力や創作能力には、どんな名優も劇作家もかなうものではない。 彼らは人間にはない才能を持っているからだ。
彼らの演技力や創作能力の中でも、特に目立つのはウソやでっち上げを 自由自在に行なうことである。
彼らは、あることないことをまことしやかに でっち上げ、それを真実らしく語る
153K5 ◆ZrPJFvslEyUG :2011/04/10(日) 20:58:55.70 ID:JxOnyWPm
ネットイナゴ=悪霊の本質(スウェデンボルグの解説から抜粋)

悪霊は、善とは何かを理解している。 しかし、悪とは何かをまったく理解していない。
彼らは、霊にも人間にもさまざまな悪事をするが、それが悪事だとはまったく思っていないのだ。 なぜなら、彼らは悪なるものが存在していることさえ気づいていないからだ。
彼らは善とは何かを知っていると言ったが、彼らの善とは、実は悪なのだ。
たとえば、他人を支配するのが好きだとか、他人の嘆きを見て喜ぶといった心情を、 霊になっても浄化しきれていない霊がある。その霊にとっては、他の霊や人間を苦しめることは嬉しいこと、喜ばしいことである。
そして、自分にとって嬉しいこと、喜ばしいことが、彼らの善なのだ。
彼らの中では善悪が逆転している。 このような形で善を理解している彼らに、悪などは当然存在しないことになる。 人間を苦しめることは、彼らにとっては嬉しいこと、喜ばしいことであり、 それが彼らの善なのであって、悪ではないのである。

この世にいろいろなタイプの悪人がいるのと 同様に、悪霊にもいろいろなタイプがある。
なかでも、もっとも凶悪で、大きな不幸や災難、苦しみを人間に与えるのは、 復讐の悪霊というべきタイプである。
この世の人間に対して復讐の念を 燃やす悪霊は実に多い。
復讐心は、普通の人間の世界では、公然と口にしたり、行動に移したりするのは許されていない。
それだけに、人間だったときの彼らの心の中に積もり 積もって、それが霊界に行っても浄化されないためかもしれない。 彼らは復讐のことを“喜び”と呼んでいるくらいだ。

彼らに見舞われた人間は 不幸のどん底に落とされる。彼らはさまざまな手を使って復讐の喜びを果たすが、 対象にした人間をひどい病気にして、その身体を破壊するぐらいでは 満足しない。
その人間の心まで狂わせて、愚行や悪行を行なわせる。 彼らは悪のテクニックにも長けているので、最初は善霊のような顔をして 近づいてくる。
私も、善霊だと思ってつき合っていた霊が復讐の霊だったと 知ったときには、彼らの詐術の巧みさにびっくりした経験がある。
霊の世界で聞いたところでは、彼らは集団をつくって行動しているという。
復讐の念に燃える悪霊は数えきれないほどいる。
だから彼らは、自分たちだけの団体をつくっているというわけだ。
彼らの団体の内部統制はしっかりしていて、同じ団体の者どうしでは互いに 傷つけ合うことはないのだという。
悪霊の特徴は、さまざまなテクニックを使うことである。
悪霊がやってくるときには、地獄の光景とでもいうべき恐ろしいビジョンが 見えてきたりする。
しかし、これは比較的単純な悪霊の場合で、たいていは少し悪知恵があり、 美しいビジョンを見せて人間を誘う。
(略)
悪霊はこのほかにも、恐怖のビジョンを自在につくり出して、恐怖に おののかせたあとで、自分の思うとおりに人間を操ろうとする。
また、恐怖だけでなく、人の心をかき乱すことで人間を不安にしたり、 逆に信じ込ませて安心させたりして、人間を自由に操ろうとする。
彼らはそれを、類いまれな演技力や創作能力を使って行なう。
彼らの演技力や創作能力には、どんな名優も劇作家もかなうものではない。 彼らは人間にはない才能を持っているからだ。
彼らの演技力や創作能力の中でも、特に目立つのはウソやでっち上げを 自由自在に行なうことである。
彼らは、あることないことをまことしやかに でっち上げ、それを真実らしく語る
154K5 ◆ZrPJFvslEyUG :2011/04/10(日) 20:59:01.82 ID:9QomVdIl
グルーポン おせち バードカフェ 16
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/siberia/1299409499/1-

    ii、              ,,、  ii,,                          
    ll     “゚'ll゙““゚ll““゙゙゙′  .ll゜ ..,,,,,,,,、                      
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155K5 ◆ZrPJFvslEyUG :2011/04/10(日) 20:59:57.77 ID:JxOnyWPm
ネットイナゴ=悪霊の本質(スウェデンボルグの解説から抜粋)

悪霊は、善とは何かを理解している。 しかし、悪とは何かをまったく理解していない。
彼らは、霊にも人間にもさまざまな悪事をするが、それが悪事だとはまったく思っていないのだ。 なぜなら、彼らは悪なるものが存在していることさえ気づいていないからだ。
彼らは善とは何かを知っていると言ったが、彼らの善とは、実は悪なのだ。
たとえば、他人を支配するのが好きだとか、他人の嘆きを見て喜ぶといった心情を、 霊になっても浄化しきれていない霊がある。その霊にとっては、他の霊や人間を苦しめることは嬉しいこと、喜ばしいことである。
そして、自分にとって嬉しいこと、喜ばしいことが、彼らの善なのだ。
彼らの中では善悪が逆転している。 このような形で善を理解している彼らに、悪などは当然存在しないことになる。 人間を苦しめることは、彼らにとっては嬉しいこと、喜ばしいことであり、 それが彼らの善なのであって、悪ではないのである。

この世にいろいろなタイプの悪人がいるのと 同様に、悪霊にもいろいろなタイプがある。
なかでも、もっとも凶悪で、大きな不幸や災難、苦しみを人間に与えるのは、 復讐の悪霊というべきタイプである。
この世の人間に対して復讐の念を 燃やす悪霊は実に多い。
復讐心は、普通の人間の世界では、公然と口にしたり、行動に移したりするのは許されていない。
それだけに、人間だったときの彼らの心の中に積もり 積もって、それが霊界に行っても浄化されないためかもしれない。 彼らは復讐のことを“喜び”と呼んでいるくらいだ。

彼らに見舞われた人間は 不幸のどん底に落とされる。彼らはさまざまな手を使って復讐の喜びを果たすが、 対象にした人間をひどい病気にして、その身体を破壊するぐらいでは 満足しない。
その人間の心まで狂わせて、愚行や悪行を行なわせる。 彼らは悪のテクニックにも長けているので、最初は善霊のような顔をして 近づいてくる。
私も、善霊だと思ってつき合っていた霊が復讐の霊だったと 知ったときには、彼らの詐術の巧みさにびっくりした経験がある。
霊の世界で聞いたところでは、彼らは集団をつくって行動しているという。
復讐の念に燃える悪霊は数えきれないほどいる。
だから彼らは、自分たちだけの団体をつくっているというわけだ。
彼らの団体の内部統制はしっかりしていて、同じ団体の者どうしでは互いに 傷つけ合うことはないのだという。
悪霊の特徴は、さまざまなテクニックを使うことである。
悪霊がやってくるときには、地獄の光景とでもいうべき恐ろしいビジョンが 見えてきたりする。
しかし、これは比較的単純な悪霊の場合で、たいていは少し悪知恵があり、 美しいビジョンを見せて人間を誘う。
(略)
悪霊はこのほかにも、恐怖のビジョンを自在につくり出して、恐怖に おののかせたあとで、自分の思うとおりに人間を操ろうとする。
また、恐怖だけでなく、人の心をかき乱すことで人間を不安にしたり、 逆に信じ込ませて安心させたりして、人間を自由に操ろうとする。
彼らはそれを、類いまれな演技力や創作能力を使って行なう。
彼らの演技力や創作能力には、どんな名優も劇作家もかなうものではない。 彼らは人間にはない才能を持っているからだ。
彼らの演技力や創作能力の中でも、特に目立つのはウソやでっち上げを 自由自在に行なうことである。
彼らは、あることないことをまことしやかに でっち上げ、それを真実らしく語る
156K5 ◆ZrPJFvslEyUG :2011/04/10(日) 21:00:38.65 ID:9QomVdIl
グルーポン おせち バードカフェ 16
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/siberia/1299409499/1-

    ii、              ,,、  ii,,                          
    ll     “゚'ll゙““゚ll““゙゙゙′  .ll゜ ..,,,,,,,,、                      
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157K5 ◆ZrPJFvslEyUG :2011/04/10(日) 21:00:59.96 ID:JxOnyWPm
ネットイナゴ=悪霊の本質(スウェデンボルグの解説から抜粋)

悪霊は、善とは何かを理解している。 しかし、悪とは何かをまったく理解していない。
彼らは、霊にも人間にもさまざまな悪事をするが、それが悪事だとはまったく思っていないのだ。 なぜなら、彼らは悪なるものが存在していることさえ気づいていないからだ。
彼らは善とは何かを知っていると言ったが、彼らの善とは、実は悪なのだ。
たとえば、他人を支配するのが好きだとか、他人の嘆きを見て喜ぶといった心情を、 霊になっても浄化しきれていない霊がある。その霊にとっては、他の霊や人間を苦しめることは嬉しいこと、喜ばしいことである。
そして、自分にとって嬉しいこと、喜ばしいことが、彼らの善なのだ。
彼らの中では善悪が逆転している。 このような形で善を理解している彼らに、悪などは当然存在しないことになる。 人間を苦しめることは、彼らにとっては嬉しいこと、喜ばしいことであり、 それが彼らの善なのであって、悪ではないのである。

この世にいろいろなタイプの悪人がいるのと 同様に、悪霊にもいろいろなタイプがある。
なかでも、もっとも凶悪で、大きな不幸や災難、苦しみを人間に与えるのは、 復讐の悪霊というべきタイプである。
この世の人間に対して復讐の念を 燃やす悪霊は実に多い。
復讐心は、普通の人間の世界では、公然と口にしたり、行動に移したりするのは許されていない。
それだけに、人間だったときの彼らの心の中に積もり 積もって、それが霊界に行っても浄化されないためかもしれない。 彼らは復讐のことを“喜び”と呼んでいるくらいだ。

彼らに見舞われた人間は 不幸のどん底に落とされる。彼らはさまざまな手を使って復讐の喜びを果たすが、 対象にした人間をひどい病気にして、その身体を破壊するぐらいでは 満足しない。
その人間の心まで狂わせて、愚行や悪行を行なわせる。 彼らは悪のテクニックにも長けているので、最初は善霊のような顔をして 近づいてくる。
私も、善霊だと思ってつき合っていた霊が復讐の霊だったと 知ったときには、彼らの詐術の巧みさにびっくりした経験がある。
霊の世界で聞いたところでは、彼らは集団をつくって行動しているという。
復讐の念に燃える悪霊は数えきれないほどいる。
だから彼らは、自分たちだけの団体をつくっているというわけだ。
彼らの団体の内部統制はしっかりしていて、同じ団体の者どうしでは互いに 傷つけ合うことはないのだという。
悪霊の特徴は、さまざまなテクニックを使うことである。
悪霊がやってくるときには、地獄の光景とでもいうべき恐ろしいビジョンが 見えてきたりする。
しかし、これは比較的単純な悪霊の場合で、たいていは少し悪知恵があり、 美しいビジョンを見せて人間を誘う。
(略)
悪霊はこのほかにも、恐怖のビジョンを自在につくり出して、恐怖に おののかせたあとで、自分の思うとおりに人間を操ろうとする。
また、恐怖だけでなく、人の心をかき乱すことで人間を不安にしたり、 逆に信じ込ませて安心させたりして、人間を自由に操ろうとする。
彼らはそれを、類いまれな演技力や創作能力を使って行なう。
彼らの演技力や創作能力には、どんな名優も劇作家もかなうものではない。 彼らは人間にはない才能を持っているからだ。
彼らの演技力や創作能力の中でも、特に目立つのはウソやでっち上げを 自由自在に行なうことである。
彼らは、あることないことをまことしやかに でっち上げ、それを真実らしく語る
158K5 ◆ZrPJFvslEyUG :2011/04/10(日) 21:02:01.55 ID:JxOnyWPm
ネットイナゴ=悪霊の本質(スウェデンボルグの解説から抜粋)

悪霊は、善とは何かを理解している。 しかし、悪とは何かをまったく理解していない。
彼らは、霊にも人間にもさまざまな悪事をするが、それが悪事だとはまったく思っていないのだ。 なぜなら、彼らは悪なるものが存在していることさえ気づいていないからだ。
彼らは善とは何かを知っていると言ったが、彼らの善とは、実は悪なのだ。
たとえば、他人を支配するのが好きだとか、他人の嘆きを見て喜ぶといった心情を、 霊になっても浄化しきれていない霊がある。その霊にとっては、他の霊や人間を苦しめることは嬉しいこと、喜ばしいことである。
そして、自分にとって嬉しいこと、喜ばしいことが、彼らの善なのだ。
彼らの中では善悪が逆転している。 このような形で善を理解している彼らに、悪などは当然存在しないことになる。 人間を苦しめることは、彼らにとっては嬉しいこと、喜ばしいことであり、 それが彼らの善なのであって、悪ではないのである。

この世にいろいろなタイプの悪人がいるのと 同様に、悪霊にもいろいろなタイプがある。
なかでも、もっとも凶悪で、大きな不幸や災難、苦しみを人間に与えるのは、 復讐の悪霊というべきタイプである。
この世の人間に対して復讐の念を 燃やす悪霊は実に多い。
復讐心は、普通の人間の世界では、公然と口にしたり、行動に移したりするのは許されていない。
それだけに、人間だったときの彼らの心の中に積もり 積もって、それが霊界に行っても浄化されないためかもしれない。 彼らは復讐のことを“喜び”と呼んでいるくらいだ。

彼らに見舞われた人間は 不幸のどん底に落とされる。彼らはさまざまな手を使って復讐の喜びを果たすが、 対象にした人間をひどい病気にして、その身体を破壊するぐらいでは 満足しない。
その人間の心まで狂わせて、愚行や悪行を行なわせる。 彼らは悪のテクニックにも長けているので、最初は善霊のような顔をして 近づいてくる。
私も、善霊だと思ってつき合っていた霊が復讐の霊だったと 知ったときには、彼らの詐術の巧みさにびっくりした経験がある。
霊の世界で聞いたところでは、彼らは集団をつくって行動しているという。
復讐の念に燃える悪霊は数えきれないほどいる。
だから彼らは、自分たちだけの団体をつくっているというわけだ。
彼らの団体の内部統制はしっかりしていて、同じ団体の者どうしでは互いに 傷つけ合うことはないのだという。
悪霊の特徴は、さまざまなテクニックを使うことである。
悪霊がやってくるときには、地獄の光景とでもいうべき恐ろしいビジョンが 見えてきたりする。
しかし、これは比較的単純な悪霊の場合で、たいていは少し悪知恵があり、 美しいビジョンを見せて人間を誘う。
(略)
悪霊はこのほかにも、恐怖のビジョンを自在につくり出して、恐怖に おののかせたあとで、自分の思うとおりに人間を操ろうとする。
また、恐怖だけでなく、人の心をかき乱すことで人間を不安にしたり、 逆に信じ込ませて安心させたりして、人間を自由に操ろうとする。
彼らはそれを、類いまれな演技力や創作能力を使って行なう。
彼らの演技力や創作能力には、どんな名優も劇作家もかなうものではない。 彼らは人間にはない才能を持っているからだ。
彼らの演技力や創作能力の中でも、特に目立つのはウソやでっち上げを 自由自在に行なうことである。
彼らは、あることないことをまことしやかに でっち上げ、それを真実らしく語る
159K5 ◆ZrPJFvslEyUG :2011/04/10(日) 21:03:02.83 ID:JxOnyWPm
ネットイナゴ=悪霊の本質(スウェデンボルグの解説から抜粋)

悪霊は、善とは何かを理解している。 しかし、悪とは何かをまったく理解していない。
彼らは、霊にも人間にもさまざまな悪事をするが、それが悪事だとはまったく思っていないのだ。 なぜなら、彼らは悪なるものが存在していることさえ気づいていないからだ。
彼らは善とは何かを知っていると言ったが、彼らの善とは、実は悪なのだ。
たとえば、他人を支配するのが好きだとか、他人の嘆きを見て喜ぶといった心情を、 霊になっても浄化しきれていない霊がある。その霊にとっては、他の霊や人間を苦しめることは嬉しいこと、喜ばしいことである。
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彼らの中では善悪が逆転している。 このような形で善を理解している彼らに、悪などは当然存在しないことになる。 人間を苦しめることは、彼らにとっては嬉しいこと、喜ばしいことであり、 それが彼らの善なのであって、悪ではないのである。

この世にいろいろなタイプの悪人がいるのと 同様に、悪霊にもいろいろなタイプがある。
なかでも、もっとも凶悪で、大きな不幸や災難、苦しみを人間に与えるのは、 復讐の悪霊というべきタイプである。
この世の人間に対して復讐の念を 燃やす悪霊は実に多い。
復讐心は、普通の人間の世界では、公然と口にしたり、行動に移したりするのは許されていない。
それだけに、人間だったときの彼らの心の中に積もり 積もって、それが霊界に行っても浄化されないためかもしれない。 彼らは復讐のことを“喜び”と呼んでいるくらいだ。

彼らに見舞われた人間は 不幸のどん底に落とされる。彼らはさまざまな手を使って復讐の喜びを果たすが、 対象にした人間をひどい病気にして、その身体を破壊するぐらいでは 満足しない。
その人間の心まで狂わせて、愚行や悪行を行なわせる。 彼らは悪のテクニックにも長けているので、最初は善霊のような顔をして 近づいてくる。
私も、善霊だと思ってつき合っていた霊が復讐の霊だったと 知ったときには、彼らの詐術の巧みさにびっくりした経験がある。
霊の世界で聞いたところでは、彼らは集団をつくって行動しているという。
復讐の念に燃える悪霊は数えきれないほどいる。
だから彼らは、自分たちだけの団体をつくっているというわけだ。
彼らの団体の内部統制はしっかりしていて、同じ団体の者どうしでは互いに 傷つけ合うことはないのだという。
悪霊の特徴は、さまざまなテクニックを使うことである。
悪霊がやってくるときには、地獄の光景とでもいうべき恐ろしいビジョンが 見えてきたりする。
しかし、これは比較的単純な悪霊の場合で、たいていは少し悪知恵があり、 美しいビジョンを見せて人間を誘う。
(略)
悪霊はこのほかにも、恐怖のビジョンを自在につくり出して、恐怖に おののかせたあとで、自分の思うとおりに人間を操ろうとする。
また、恐怖だけでなく、人の心をかき乱すことで人間を不安にしたり、 逆に信じ込ませて安心させたりして、人間を自由に操ろうとする。
彼らはそれを、類いまれな演技力や創作能力を使って行なう。
彼らの演技力や創作能力には、どんな名優も劇作家もかなうものではない。 彼らは人間にはない才能を持っているからだ。
彼らの演技力や創作能力の中でも、特に目立つのはウソやでっち上げを 自由自在に行なうことである。
彼らは、あることないことをまことしやかに でっち上げ、それを真実らしく語る
160K5 ◆ZrPJFvslEyUG :2011/04/10(日) 21:04:04.46 ID:JxOnyWPm
ネットイナゴ=悪霊の本質(スウェデンボルグの解説から抜粋)

悪霊は、善とは何かを理解している。 しかし、悪とは何かをまったく理解していない。
彼らは、霊にも人間にもさまざまな悪事をするが、それが悪事だとはまったく思っていないのだ。 なぜなら、彼らは悪なるものが存在していることさえ気づいていないからだ。
彼らは善とは何かを知っていると言ったが、彼らの善とは、実は悪なのだ。
たとえば、他人を支配するのが好きだとか、他人の嘆きを見て喜ぶといった心情を、 霊になっても浄化しきれていない霊がある。その霊にとっては、他の霊や人間を苦しめることは嬉しいこと、喜ばしいことである。
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彼らの中では善悪が逆転している。 このような形で善を理解している彼らに、悪などは当然存在しないことになる。 人間を苦しめることは、彼らにとっては嬉しいこと、喜ばしいことであり、 それが彼らの善なのであって、悪ではないのである。

この世にいろいろなタイプの悪人がいるのと 同様に、悪霊にもいろいろなタイプがある。
なかでも、もっとも凶悪で、大きな不幸や災難、苦しみを人間に与えるのは、 復讐の悪霊というべきタイプである。
この世の人間に対して復讐の念を 燃やす悪霊は実に多い。
復讐心は、普通の人間の世界では、公然と口にしたり、行動に移したりするのは許されていない。
それだけに、人間だったときの彼らの心の中に積もり 積もって、それが霊界に行っても浄化されないためかもしれない。 彼らは復讐のことを“喜び”と呼んでいるくらいだ。

彼らに見舞われた人間は 不幸のどん底に落とされる。彼らはさまざまな手を使って復讐の喜びを果たすが、 対象にした人間をひどい病気にして、その身体を破壊するぐらいでは 満足しない。
その人間の心まで狂わせて、愚行や悪行を行なわせる。 彼らは悪のテクニックにも長けているので、最初は善霊のような顔をして 近づいてくる。
私も、善霊だと思ってつき合っていた霊が復讐の霊だったと 知ったときには、彼らの詐術の巧みさにびっくりした経験がある。
霊の世界で聞いたところでは、彼らは集団をつくって行動しているという。
復讐の念に燃える悪霊は数えきれないほどいる。
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悪霊の特徴は、さまざまなテクニックを使うことである。
悪霊がやってくるときには、地獄の光景とでもいうべき恐ろしいビジョンが 見えてきたりする。
しかし、これは比較的単純な悪霊の場合で、たいていは少し悪知恵があり、 美しいビジョンを見せて人間を誘う。
(略)
悪霊はこのほかにも、恐怖のビジョンを自在につくり出して、恐怖に おののかせたあとで、自分の思うとおりに人間を操ろうとする。
また、恐怖だけでなく、人の心をかき乱すことで人間を不安にしたり、 逆に信じ込ませて安心させたりして、人間を自由に操ろうとする。
彼らはそれを、類いまれな演技力や創作能力を使って行なう。
彼らの演技力や創作能力には、どんな名優も劇作家もかなうものではない。 彼らは人間にはない才能を持っているからだ。
彼らの演技力や創作能力の中でも、特に目立つのはウソやでっち上げを 自由自在に行なうことである。
彼らは、あることないことをまことしやかに でっち上げ、それを真実らしく語る
161K5 ◆ZrPJFvslEyUG :2011/04/10(日) 21:05:06.45 ID:JxOnyWPm
ネットイナゴ=悪霊の本質(スウェデンボルグの解説から抜粋)

悪霊は、善とは何かを理解している。 しかし、悪とは何かをまったく理解していない。
彼らは、霊にも人間にもさまざまな悪事をするが、それが悪事だとはまったく思っていないのだ。 なぜなら、彼らは悪なるものが存在していることさえ気づいていないからだ。
彼らは善とは何かを知っていると言ったが、彼らの善とは、実は悪なのだ。
たとえば、他人を支配するのが好きだとか、他人の嘆きを見て喜ぶといった心情を、 霊になっても浄化しきれていない霊がある。その霊にとっては、他の霊や人間を苦しめることは嬉しいこと、喜ばしいことである。
そして、自分にとって嬉しいこと、喜ばしいことが、彼らの善なのだ。
彼らの中では善悪が逆転している。 このような形で善を理解している彼らに、悪などは当然存在しないことになる。 人間を苦しめることは、彼らにとっては嬉しいこと、喜ばしいことであり、 それが彼らの善なのであって、悪ではないのである。

この世にいろいろなタイプの悪人がいるのと 同様に、悪霊にもいろいろなタイプがある。
なかでも、もっとも凶悪で、大きな不幸や災難、苦しみを人間に与えるのは、 復讐の悪霊というべきタイプである。
この世の人間に対して復讐の念を 燃やす悪霊は実に多い。
復讐心は、普通の人間の世界では、公然と口にしたり、行動に移したりするのは許されていない。
それだけに、人間だったときの彼らの心の中に積もり 積もって、それが霊界に行っても浄化されないためかもしれない。 彼らは復讐のことを“喜び”と呼んでいるくらいだ。

彼らに見舞われた人間は 不幸のどん底に落とされる。彼らはさまざまな手を使って復讐の喜びを果たすが、 対象にした人間をひどい病気にして、その身体を破壊するぐらいでは 満足しない。
その人間の心まで狂わせて、愚行や悪行を行なわせる。 彼らは悪のテクニックにも長けているので、最初は善霊のような顔をして 近づいてくる。
私も、善霊だと思ってつき合っていた霊が復讐の霊だったと 知ったときには、彼らの詐術の巧みさにびっくりした経験がある。
霊の世界で聞いたところでは、彼らは集団をつくって行動しているという。
復讐の念に燃える悪霊は数えきれないほどいる。
だから彼らは、自分たちだけの団体をつくっているというわけだ。
彼らの団体の内部統制はしっかりしていて、同じ団体の者どうしでは互いに 傷つけ合うことはないのだという。
悪霊の特徴は、さまざまなテクニックを使うことである。
悪霊がやってくるときには、地獄の光景とでもいうべき恐ろしいビジョンが 見えてきたりする。
しかし、これは比較的単純な悪霊の場合で、たいていは少し悪知恵があり、 美しいビジョンを見せて人間を誘う。
(略)
悪霊はこのほかにも、恐怖のビジョンを自在につくり出して、恐怖に おののかせたあとで、自分の思うとおりに人間を操ろうとする。
また、恐怖だけでなく、人の心をかき乱すことで人間を不安にしたり、 逆に信じ込ませて安心させたりして、人間を自由に操ろうとする。
彼らはそれを、類いまれな演技力や創作能力を使って行なう。
彼らの演技力や創作能力には、どんな名優も劇作家もかなうものではない。 彼らは人間にはない才能を持っているからだ。
彼らの演技力や創作能力の中でも、特に目立つのはウソやでっち上げを 自由自在に行なうことである。
彼らは、あることないことをまことしやかに でっち上げ、それを真実らしく語る
162K5 ◆ZrPJFvslEyUG :2011/04/10(日) 21:06:08.47 ID:JxOnyWPm
ネットイナゴ=悪霊の本質(スウェデンボルグの解説から抜粋)

悪霊は、善とは何かを理解している。 しかし、悪とは何かをまったく理解していない。
彼らは、霊にも人間にもさまざまな悪事をするが、それが悪事だとはまったく思っていないのだ。 なぜなら、彼らは悪なるものが存在していることさえ気づいていないからだ。
彼らは善とは何かを知っていると言ったが、彼らの善とは、実は悪なのだ。
たとえば、他人を支配するのが好きだとか、他人の嘆きを見て喜ぶといった心情を、 霊になっても浄化しきれていない霊がある。その霊にとっては、他の霊や人間を苦しめることは嬉しいこと、喜ばしいことである。
そして、自分にとって嬉しいこと、喜ばしいことが、彼らの善なのだ。
彼らの中では善悪が逆転している。 このような形で善を理解している彼らに、悪などは当然存在しないことになる。 人間を苦しめることは、彼らにとっては嬉しいこと、喜ばしいことであり、 それが彼らの善なのであって、悪ではないのである。

この世にいろいろなタイプの悪人がいるのと 同様に、悪霊にもいろいろなタイプがある。
なかでも、もっとも凶悪で、大きな不幸や災難、苦しみを人間に与えるのは、 復讐の悪霊というべきタイプである。
この世の人間に対して復讐の念を 燃やす悪霊は実に多い。
復讐心は、普通の人間の世界では、公然と口にしたり、行動に移したりするのは許されていない。
それだけに、人間だったときの彼らの心の中に積もり 積もって、それが霊界に行っても浄化されないためかもしれない。 彼らは復讐のことを“喜び”と呼んでいるくらいだ。

彼らに見舞われた人間は 不幸のどん底に落とされる。彼らはさまざまな手を使って復讐の喜びを果たすが、 対象にした人間をひどい病気にして、その身体を破壊するぐらいでは 満足しない。
その人間の心まで狂わせて、愚行や悪行を行なわせる。 彼らは悪のテクニックにも長けているので、最初は善霊のような顔をして 近づいてくる。
私も、善霊だと思ってつき合っていた霊が復讐の霊だったと 知ったときには、彼らの詐術の巧みさにびっくりした経験がある。
霊の世界で聞いたところでは、彼らは集団をつくって行動しているという。
復讐の念に燃える悪霊は数えきれないほどいる。
だから彼らは、自分たちだけの団体をつくっているというわけだ。
彼らの団体の内部統制はしっかりしていて、同じ団体の者どうしでは互いに 傷つけ合うことはないのだという。
悪霊の特徴は、さまざまなテクニックを使うことである。
悪霊がやってくるときには、地獄の光景とでもいうべき恐ろしいビジョンが 見えてきたりする。
しかし、これは比較的単純な悪霊の場合で、たいていは少し悪知恵があり、 美しいビジョンを見せて人間を誘う。
(略)
悪霊はこのほかにも、恐怖のビジョンを自在につくり出して、恐怖に おののかせたあとで、自分の思うとおりに人間を操ろうとする。
また、恐怖だけでなく、人の心をかき乱すことで人間を不安にしたり、 逆に信じ込ませて安心させたりして、人間を自由に操ろうとする。
彼らはそれを、類いまれな演技力や創作能力を使って行なう。
彼らの演技力や創作能力には、どんな名優も劇作家もかなうものではない。 彼らは人間にはない才能を持っているからだ。
彼らの演技力や創作能力の中でも、特に目立つのはウソやでっち上げを 自由自在に行なうことである。
彼らは、あることないことをまことしやかに でっち上げ、それを真実らしく語る
163K5 ◆ZrPJFvslEyUG :2011/04/10(日) 21:07:10.60 ID:JxOnyWPm
ネットイナゴ=悪霊の本質(スウェデンボルグの解説から抜粋)

悪霊は、善とは何かを理解している。 しかし、悪とは何かをまったく理解していない。
彼らは、霊にも人間にもさまざまな悪事をするが、それが悪事だとはまったく思っていないのだ。 なぜなら、彼らは悪なるものが存在していることさえ気づいていないからだ。
彼らは善とは何かを知っていると言ったが、彼らの善とは、実は悪なのだ。
たとえば、他人を支配するのが好きだとか、他人の嘆きを見て喜ぶといった心情を、 霊になっても浄化しきれていない霊がある。その霊にとっては、他の霊や人間を苦しめることは嬉しいこと、喜ばしいことである。
そして、自分にとって嬉しいこと、喜ばしいことが、彼らの善なのだ。
彼らの中では善悪が逆転している。 このような形で善を理解している彼らに、悪などは当然存在しないことになる。 人間を苦しめることは、彼らにとっては嬉しいこと、喜ばしいことであり、 それが彼らの善なのであって、悪ではないのである。

この世にいろいろなタイプの悪人がいるのと 同様に、悪霊にもいろいろなタイプがある。
なかでも、もっとも凶悪で、大きな不幸や災難、苦しみを人間に与えるのは、 復讐の悪霊というべきタイプである。
この世の人間に対して復讐の念を 燃やす悪霊は実に多い。
復讐心は、普通の人間の世界では、公然と口にしたり、行動に移したりするのは許されていない。
それだけに、人間だったときの彼らの心の中に積もり 積もって、それが霊界に行っても浄化されないためかもしれない。 彼らは復讐のことを“喜び”と呼んでいるくらいだ。

彼らに見舞われた人間は 不幸のどん底に落とされる。彼らはさまざまな手を使って復讐の喜びを果たすが、 対象にした人間をひどい病気にして、その身体を破壊するぐらいでは 満足しない。
その人間の心まで狂わせて、愚行や悪行を行なわせる。 彼らは悪のテクニックにも長けているので、最初は善霊のような顔をして 近づいてくる。
私も、善霊だと思ってつき合っていた霊が復讐の霊だったと 知ったときには、彼らの詐術の巧みさにびっくりした経験がある。
霊の世界で聞いたところでは、彼らは集団をつくって行動しているという。
復讐の念に燃える悪霊は数えきれないほどいる。
だから彼らは、自分たちだけの団体をつくっているというわけだ。
彼らの団体の内部統制はしっかりしていて、同じ団体の者どうしでは互いに 傷つけ合うことはないのだという。
悪霊の特徴は、さまざまなテクニックを使うことである。
悪霊がやってくるときには、地獄の光景とでもいうべき恐ろしいビジョンが 見えてきたりする。
しかし、これは比較的単純な悪霊の場合で、たいていは少し悪知恵があり、 美しいビジョンを見せて人間を誘う。
(略)
悪霊はこのほかにも、恐怖のビジョンを自在につくり出して、恐怖に おののかせたあとで、自分の思うとおりに人間を操ろうとする。
また、恐怖だけでなく、人の心をかき乱すことで人間を不安にしたり、 逆に信じ込ませて安心させたりして、人間を自由に操ろうとする。
彼らはそれを、類いまれな演技力や創作能力を使って行なう。
彼らの演技力や創作能力には、どんな名優も劇作家もかなうものではない。 彼らは人間にはない才能を持っているからだ。
彼らの演技力や創作能力の中でも、特に目立つのはウソやでっち上げを 自由自在に行なうことである。
彼らは、あることないことをまことしやかに でっち上げ、それを真実らしく語る
164K5 ◆ZrPJFvslEyUG :2011/04/10(日) 21:08:12.83 ID:JxOnyWPm
ネットイナゴ=悪霊の本質(スウェデンボルグの解説から抜粋)

悪霊は、善とは何かを理解している。 しかし、悪とは何かをまったく理解していない。
彼らは、霊にも人間にもさまざまな悪事をするが、それが悪事だとはまったく思っていないのだ。 なぜなら、彼らは悪なるものが存在していることさえ気づいていないからだ。
彼らは善とは何かを知っていると言ったが、彼らの善とは、実は悪なのだ。
たとえば、他人を支配するのが好きだとか、他人の嘆きを見て喜ぶといった心情を、 霊になっても浄化しきれていない霊がある。その霊にとっては、他の霊や人間を苦しめることは嬉しいこと、喜ばしいことである。
そして、自分にとって嬉しいこと、喜ばしいことが、彼らの善なのだ。
彼らの中では善悪が逆転している。 このような形で善を理解している彼らに、悪などは当然存在しないことになる。 人間を苦しめることは、彼らにとっては嬉しいこと、喜ばしいことであり、 それが彼らの善なのであって、悪ではないのである。

この世にいろいろなタイプの悪人がいるのと 同様に、悪霊にもいろいろなタイプがある。
なかでも、もっとも凶悪で、大きな不幸や災難、苦しみを人間に与えるのは、 復讐の悪霊というべきタイプである。
この世の人間に対して復讐の念を 燃やす悪霊は実に多い。
復讐心は、普通の人間の世界では、公然と口にしたり、行動に移したりするのは許されていない。
それだけに、人間だったときの彼らの心の中に積もり 積もって、それが霊界に行っても浄化されないためかもしれない。 彼らは復讐のことを“喜び”と呼んでいるくらいだ。

彼らに見舞われた人間は 不幸のどん底に落とされる。彼らはさまざまな手を使って復讐の喜びを果たすが、 対象にした人間をひどい病気にして、その身体を破壊するぐらいでは 満足しない。
その人間の心まで狂わせて、愚行や悪行を行なわせる。 彼らは悪のテクニックにも長けているので、最初は善霊のような顔をして 近づいてくる。
私も、善霊だと思ってつき合っていた霊が復讐の霊だったと 知ったときには、彼らの詐術の巧みさにびっくりした経験がある。
霊の世界で聞いたところでは、彼らは集団をつくって行動しているという。
復讐の念に燃える悪霊は数えきれないほどいる。
だから彼らは、自分たちだけの団体をつくっているというわけだ。
彼らの団体の内部統制はしっかりしていて、同じ団体の者どうしでは互いに 傷つけ合うことはないのだという。
悪霊の特徴は、さまざまなテクニックを使うことである。
悪霊がやってくるときには、地獄の光景とでもいうべき恐ろしいビジョンが 見えてきたりする。
しかし、これは比較的単純な悪霊の場合で、たいていは少し悪知恵があり、 美しいビジョンを見せて人間を誘う。
(略)
悪霊はこのほかにも、恐怖のビジョンを自在につくり出して、恐怖に おののかせたあとで、自分の思うとおりに人間を操ろうとする。
また、恐怖だけでなく、人の心をかき乱すことで人間を不安にしたり、 逆に信じ込ませて安心させたりして、人間を自由に操ろうとする。
彼らはそれを、類いまれな演技力や創作能力を使って行なう。
彼らの演技力や創作能力には、どんな名優も劇作家もかなうものではない。 彼らは人間にはない才能を持っているからだ。
彼らの演技力や創作能力の中でも、特に目立つのはウソやでっち上げを 自由自在に行なうことである。
彼らは、あることないことをまことしやかに でっち上げ、それを真実らしく語る
165K5 ◆ZrPJFvslEyUG :2011/04/10(日) 21:09:14.93 ID:JxOnyWPm
ネットイナゴ=悪霊の本質(スウェデンボルグの解説から抜粋)

悪霊は、善とは何かを理解している。 しかし、悪とは何かをまったく理解していない。
彼らは、霊にも人間にもさまざまな悪事をするが、それが悪事だとはまったく思っていないのだ。 なぜなら、彼らは悪なるものが存在していることさえ気づいていないからだ。
彼らは善とは何かを知っていると言ったが、彼らの善とは、実は悪なのだ。
たとえば、他人を支配するのが好きだとか、他人の嘆きを見て喜ぶといった心情を、 霊になっても浄化しきれていない霊がある。その霊にとっては、他の霊や人間を苦しめることは嬉しいこと、喜ばしいことである。
そして、自分にとって嬉しいこと、喜ばしいことが、彼らの善なのだ。
彼らの中では善悪が逆転している。 このような形で善を理解している彼らに、悪などは当然存在しないことになる。 人間を苦しめることは、彼らにとっては嬉しいこと、喜ばしいことであり、 それが彼らの善なのであって、悪ではないのである。

この世にいろいろなタイプの悪人がいるのと 同様に、悪霊にもいろいろなタイプがある。
なかでも、もっとも凶悪で、大きな不幸や災難、苦しみを人間に与えるのは、 復讐の悪霊というべきタイプである。
この世の人間に対して復讐の念を 燃やす悪霊は実に多い。
復讐心は、普通の人間の世界では、公然と口にしたり、行動に移したりするのは許されていない。
それだけに、人間だったときの彼らの心の中に積もり 積もって、それが霊界に行っても浄化されないためかもしれない。 彼らは復讐のことを“喜び”と呼んでいるくらいだ。

彼らに見舞われた人間は 不幸のどん底に落とされる。彼らはさまざまな手を使って復讐の喜びを果たすが、 対象にした人間をひどい病気にして、その身体を破壊するぐらいでは 満足しない。
その人間の心まで狂わせて、愚行や悪行を行なわせる。 彼らは悪のテクニックにも長けているので、最初は善霊のような顔をして 近づいてくる。
私も、善霊だと思ってつき合っていた霊が復讐の霊だったと 知ったときには、彼らの詐術の巧みさにびっくりした経験がある。
霊の世界で聞いたところでは、彼らは集団をつくって行動しているという。
復讐の念に燃える悪霊は数えきれないほどいる。
だから彼らは、自分たちだけの団体をつくっているというわけだ。
彼らの団体の内部統制はしっかりしていて、同じ団体の者どうしでは互いに 傷つけ合うことはないのだという。
悪霊の特徴は、さまざまなテクニックを使うことである。
悪霊がやってくるときには、地獄の光景とでもいうべき恐ろしいビジョンが 見えてきたりする。
しかし、これは比較的単純な悪霊の場合で、たいていは少し悪知恵があり、 美しいビジョンを見せて人間を誘う。
(略)
悪霊はこのほかにも、恐怖のビジョンを自在につくり出して、恐怖に おののかせたあとで、自分の思うとおりに人間を操ろうとする。
また、恐怖だけでなく、人の心をかき乱すことで人間を不安にしたり、 逆に信じ込ませて安心させたりして、人間を自由に操ろうとする。
彼らはそれを、類いまれな演技力や創作能力を使って行なう。
彼らの演技力や創作能力には、どんな名優も劇作家もかなうものではない。 彼らは人間にはない才能を持っているからだ。
彼らの演技力や創作能力の中でも、特に目立つのはウソやでっち上げを 自由自在に行なうことである。
彼らは、あることないことをまことしやかに でっち上げ、それを真実らしく語る
166K5 ◆ZrPJFvslEyUG :2011/04/10(日) 21:10:17.06 ID:JxOnyWPm
ネットイナゴ=悪霊の本質(スウェデンボルグの解説から抜粋)

悪霊は、善とは何かを理解している。 しかし、悪とは何かをまったく理解していない。
彼らは、霊にも人間にもさまざまな悪事をするが、それが悪事だとはまったく思っていないのだ。 なぜなら、彼らは悪なるものが存在していることさえ気づいていないからだ。
彼らは善とは何かを知っていると言ったが、彼らの善とは、実は悪なのだ。
たとえば、他人を支配するのが好きだとか、他人の嘆きを見て喜ぶといった心情を、 霊になっても浄化しきれていない霊がある。その霊にとっては、他の霊や人間を苦しめることは嬉しいこと、喜ばしいことである。
そして、自分にとって嬉しいこと、喜ばしいことが、彼らの善なのだ。
彼らの中では善悪が逆転している。 このような形で善を理解している彼らに、悪などは当然存在しないことになる。 人間を苦しめることは、彼らにとっては嬉しいこと、喜ばしいことであり、 それが彼らの善なのであって、悪ではないのである。

この世にいろいろなタイプの悪人がいるのと 同様に、悪霊にもいろいろなタイプがある。
なかでも、もっとも凶悪で、大きな不幸や災難、苦しみを人間に与えるのは、 復讐の悪霊というべきタイプである。
この世の人間に対して復讐の念を 燃やす悪霊は実に多い。
復讐心は、普通の人間の世界では、公然と口にしたり、行動に移したりするのは許されていない。
それだけに、人間だったときの彼らの心の中に積もり 積もって、それが霊界に行っても浄化されないためかもしれない。 彼らは復讐のことを“喜び”と呼んでいるくらいだ。

彼らに見舞われた人間は 不幸のどん底に落とされる。彼らはさまざまな手を使って復讐の喜びを果たすが、 対象にした人間をひどい病気にして、その身体を破壊するぐらいでは 満足しない。
その人間の心まで狂わせて、愚行や悪行を行なわせる。 彼らは悪のテクニックにも長けているので、最初は善霊のような顔をして 近づいてくる。
私も、善霊だと思ってつき合っていた霊が復讐の霊だったと 知ったときには、彼らの詐術の巧みさにびっくりした経験がある。
霊の世界で聞いたところでは、彼らは集団をつくって行動しているという。
復讐の念に燃える悪霊は数えきれないほどいる。
だから彼らは、自分たちだけの団体をつくっているというわけだ。
彼らの団体の内部統制はしっかりしていて、同じ団体の者どうしでは互いに 傷つけ合うことはないのだという。
悪霊の特徴は、さまざまなテクニックを使うことである。
悪霊がやってくるときには、地獄の光景とでもいうべき恐ろしいビジョンが 見えてきたりする。
しかし、これは比較的単純な悪霊の場合で、たいていは少し悪知恵があり、 美しいビジョンを見せて人間を誘う。
(略)
悪霊はこのほかにも、恐怖のビジョンを自在につくり出して、恐怖に おののかせたあとで、自分の思うとおりに人間を操ろうとする。
また、恐怖だけでなく、人の心をかき乱すことで人間を不安にしたり、 逆に信じ込ませて安心させたりして、人間を自由に操ろうとする。
彼らはそれを、類いまれな演技力や創作能力を使って行なう。
彼らの演技力や創作能力には、どんな名優も劇作家もかなうものではない。 彼らは人間にはない才能を持っているからだ。
彼らの演技力や創作能力の中でも、特に目立つのはウソやでっち上げを 自由自在に行なうことである。
彼らは、あることないことをまことしやかに でっち上げ、それを真実らしく語る
167K5 ◆ZrPJFvslEyUG :2011/04/10(日) 21:11:18.52 ID:JxOnyWPm
ネットイナゴ=悪霊の本質(スウェデンボルグの解説から抜粋)

悪霊は、善とは何かを理解している。 しかし、悪とは何かをまったく理解していない。
彼らは、霊にも人間にもさまざまな悪事をするが、それが悪事だとはまったく思っていないのだ。 なぜなら、彼らは悪なるものが存在していることさえ気づいていないからだ。
彼らは善とは何かを知っていると言ったが、彼らの善とは、実は悪なのだ。
たとえば、他人を支配するのが好きだとか、他人の嘆きを見て喜ぶといった心情を、 霊になっても浄化しきれていない霊がある。その霊にとっては、他の霊や人間を苦しめることは嬉しいこと、喜ばしいことである。
そして、自分にとって嬉しいこと、喜ばしいことが、彼らの善なのだ。
彼らの中では善悪が逆転している。 このような形で善を理解している彼らに、悪などは当然存在しないことになる。 人間を苦しめることは、彼らにとっては嬉しいこと、喜ばしいことであり、 それが彼らの善なのであって、悪ではないのである。

この世にいろいろなタイプの悪人がいるのと 同様に、悪霊にもいろいろなタイプがある。
なかでも、もっとも凶悪で、大きな不幸や災難、苦しみを人間に与えるのは、 復讐の悪霊というべきタイプである。
この世の人間に対して復讐の念を 燃やす悪霊は実に多い。
復讐心は、普通の人間の世界では、公然と口にしたり、行動に移したりするのは許されていない。
それだけに、人間だったときの彼らの心の中に積もり 積もって、それが霊界に行っても浄化されないためかもしれない。 彼らは復讐のことを“喜び”と呼んでいるくらいだ。

彼らに見舞われた人間は 不幸のどん底に落とされる。彼らはさまざまな手を使って復讐の喜びを果たすが、 対象にした人間をひどい病気にして、その身体を破壊するぐらいでは 満足しない。
その人間の心まで狂わせて、愚行や悪行を行なわせる。 彼らは悪のテクニックにも長けているので、最初は善霊のような顔をして 近づいてくる。
私も、善霊だと思ってつき合っていた霊が復讐の霊だったと 知ったときには、彼らの詐術の巧みさにびっくりした経験がある。
霊の世界で聞いたところでは、彼らは集団をつくって行動しているという。
復讐の念に燃える悪霊は数えきれないほどいる。
だから彼らは、自分たちだけの団体をつくっているというわけだ。
彼らの団体の内部統制はしっかりしていて、同じ団体の者どうしでは互いに 傷つけ合うことはないのだという。
悪霊の特徴は、さまざまなテクニックを使うことである。
悪霊がやってくるときには、地獄の光景とでもいうべき恐ろしいビジョンが 見えてきたりする。
しかし、これは比較的単純な悪霊の場合で、たいていは少し悪知恵があり、 美しいビジョンを見せて人間を誘う。
(略)
悪霊はこのほかにも、恐怖のビジョンを自在につくり出して、恐怖に おののかせたあとで、自分の思うとおりに人間を操ろうとする。
また、恐怖だけでなく、人の心をかき乱すことで人間を不安にしたり、 逆に信じ込ませて安心させたりして、人間を自由に操ろうとする。
彼らはそれを、類いまれな演技力や創作能力を使って行なう。
彼らの演技力や創作能力には、どんな名優も劇作家もかなうものではない。 彼らは人間にはない才能を持っているからだ。
彼らの演技力や創作能力の中でも、特に目立つのはウソやでっち上げを 自由自在に行なうことである。
彼らは、あることないことをまことしやかに でっち上げ、それを真実らしく語る
168K5 ◆ZrPJFvslEyUG :2011/04/10(日) 21:12:19.84 ID:JxOnyWPm
ネットイナゴ=悪霊の本質(スウェデンボルグの解説から抜粋)

悪霊は、善とは何かを理解している。 しかし、悪とは何かをまったく理解していない。
彼らは、霊にも人間にもさまざまな悪事をするが、それが悪事だとはまったく思っていないのだ。 なぜなら、彼らは悪なるものが存在していることさえ気づいていないからだ。
彼らは善とは何かを知っていると言ったが、彼らの善とは、実は悪なのだ。
たとえば、他人を支配するのが好きだとか、他人の嘆きを見て喜ぶといった心情を、 霊になっても浄化しきれていない霊がある。その霊にとっては、他の霊や人間を苦しめることは嬉しいこと、喜ばしいことである。
そして、自分にとって嬉しいこと、喜ばしいことが、彼らの善なのだ。
彼らの中では善悪が逆転している。 このような形で善を理解している彼らに、悪などは当然存在しないことになる。 人間を苦しめることは、彼らにとっては嬉しいこと、喜ばしいことであり、 それが彼らの善なのであって、悪ではないのである。

この世にいろいろなタイプの悪人がいるのと 同様に、悪霊にもいろいろなタイプがある。
なかでも、もっとも凶悪で、大きな不幸や災難、苦しみを人間に与えるのは、 復讐の悪霊というべきタイプである。
この世の人間に対して復讐の念を 燃やす悪霊は実に多い。
復讐心は、普通の人間の世界では、公然と口にしたり、行動に移したりするのは許されていない。
それだけに、人間だったときの彼らの心の中に積もり 積もって、それが霊界に行っても浄化されないためかもしれない。 彼らは復讐のことを“喜び”と呼んでいるくらいだ。

彼らに見舞われた人間は 不幸のどん底に落とされる。彼らはさまざまな手を使って復讐の喜びを果たすが、 対象にした人間をひどい病気にして、その身体を破壊するぐらいでは 満足しない。
その人間の心まで狂わせて、愚行や悪行を行なわせる。 彼らは悪のテクニックにも長けているので、最初は善霊のような顔をして 近づいてくる。
私も、善霊だと思ってつき合っていた霊が復讐の霊だったと 知ったときには、彼らの詐術の巧みさにびっくりした経験がある。
霊の世界で聞いたところでは、彼らは集団をつくって行動しているという。
復讐の念に燃える悪霊は数えきれないほどいる。
だから彼らは、自分たちだけの団体をつくっているというわけだ。
彼らの団体の内部統制はしっかりしていて、同じ団体の者どうしでは互いに 傷つけ合うことはないのだという。
悪霊の特徴は、さまざまなテクニックを使うことである。
悪霊がやってくるときには、地獄の光景とでもいうべき恐ろしいビジョンが 見えてきたりする。
しかし、これは比較的単純な悪霊の場合で、たいていは少し悪知恵があり、 美しいビジョンを見せて人間を誘う。
(略)
悪霊はこのほかにも、恐怖のビジョンを自在につくり出して、恐怖に おののかせたあとで、自分の思うとおりに人間を操ろうとする。
また、恐怖だけでなく、人の心をかき乱すことで人間を不安にしたり、 逆に信じ込ませて安心させたりして、人間を自由に操ろうとする。
彼らはそれを、類いまれな演技力や創作能力を使って行なう。
彼らの演技力や創作能力には、どんな名優も劇作家もかなうものではない。 彼らは人間にはない才能を持っているからだ。
彼らの演技力や創作能力の中でも、特に目立つのはウソやでっち上げを 自由自在に行なうことである。
彼らは、あることないことをまことしやかに でっち上げ、それを真実らしく語る
169K5 ◆ZrPJFvslEyUG :2011/04/10(日) 21:21:39.12 ID:JxOnyWPm
ネットイナゴ=悪霊の本質(スウェデンボルグの解説から抜粋)

悪霊は、善とは何かを理解している。 しかし、悪とは何かをまったく理解していない。
彼らは、霊にも人間にもさまざまな悪事をするが、それが悪事だとはまったく思っていないのだ。 なぜなら、彼らは悪なるものが存在していることさえ気づいていないからだ。
彼らは善とは何かを知っていると言ったが、彼らの善とは、実は悪なのだ。
たとえば、他人を支配するのが好きだとか、他人の嘆きを見て喜ぶといった心情を、 霊になっても浄化しきれていない霊がある。その霊にとっては、他の霊や人間を苦しめることは嬉しいこと、喜ばしいことである。
そして、自分にとって嬉しいこと、喜ばしいことが、彼らの善なのだ。
彼らの中では善悪が逆転している。 このような形で善を理解している彼らに、悪などは当然存在しないことになる。 人間を苦しめることは、彼らにとっては嬉しいこと、喜ばしいことであり、 それが彼らの善なのであって、悪ではないのである。

この世にいろいろなタイプの悪人がいるのと 同様に、悪霊にもいろいろなタイプがある。
なかでも、もっとも凶悪で、大きな不幸や災難、苦しみを人間に与えるのは、 復讐の悪霊というべきタイプである。
この世の人間に対して復讐の念を 燃やす悪霊は実に多い。
復讐心は、普通の人間の世界では、公然と口にしたり、行動に移したりするのは許されていない。
それだけに、人間だったときの彼らの心の中に積もり 積もって、それが霊界に行っても浄化されないためかもしれない。 彼らは復讐のことを“喜び”と呼んでいるくらいだ。

彼らに見舞われた人間は 不幸のどん底に落とされる。彼らはさまざまな手を使って復讐の喜びを果たすが、 対象にした人間をひどい病気にして、その身体を破壊するぐらいでは 満足しない。
その人間の心まで狂わせて、愚行や悪行を行なわせる。 彼らは悪のテクニックにも長けているので、最初は善霊のような顔をして 近づいてくる。
私も、善霊だと思ってつき合っていた霊が復讐の霊だったと 知ったときには、彼らの詐術の巧みさにびっくりした経験がある。
霊の世界で聞いたところでは、彼らは集団をつくって行動しているという。
復讐の念に燃える悪霊は数えきれないほどいる。
だから彼らは、自分たちだけの団体をつくっているというわけだ。
彼らの団体の内部統制はしっかりしていて、同じ団体の者どうしでは互いに 傷つけ合うことはないのだという。
悪霊の特徴は、さまざまなテクニックを使うことである。
悪霊がやってくるときには、地獄の光景とでもいうべき恐ろしいビジョンが 見えてきたりする。
しかし、これは比較的単純な悪霊の場合で、たいていは少し悪知恵があり、 美しいビジョンを見せて人間を誘う。
(略)
悪霊はこのほかにも、恐怖のビジョンを自在につくり出して、恐怖に おののかせたあとで、自分の思うとおりに人間を操ろうとする。
また、恐怖だけでなく、人の心をかき乱すことで人間を不安にしたり、 逆に信じ込ませて安心させたりして、人間を自由に操ろうとする。
彼らはそれを、類いまれな演技力や創作能力を使って行なう。
彼らの演技力や創作能力には、どんな名優も劇作家もかなうものではない。 彼らは人間にはない才能を持っているからだ。
彼らの演技力や創作能力の中でも、特に目立つのはウソやでっち上げを 自由自在に行なうことである。
彼らは、あることないことをまことしやかに でっち上げ、それを真実らしく語る
170K5 ◆ZrPJFvslEyUG :2011/04/10(日) 21:22:40.29 ID:JxOnyWPm
ネットイナゴ=悪霊の本質(スウェデンボルグの解説から抜粋)

悪霊は、善とは何かを理解している。 しかし、悪とは何かをまったく理解していない。
彼らは、霊にも人間にもさまざまな悪事をするが、それが悪事だとはまったく思っていないのだ。 なぜなら、彼らは悪なるものが存在していることさえ気づいていないからだ。
彼らは善とは何かを知っていると言ったが、彼らの善とは、実は悪なのだ。
たとえば、他人を支配するのが好きだとか、他人の嘆きを見て喜ぶといった心情を、 霊になっても浄化しきれていない霊がある。その霊にとっては、他の霊や人間を苦しめることは嬉しいこと、喜ばしいことである。
そして、自分にとって嬉しいこと、喜ばしいことが、彼らの善なのだ。
彼らの中では善悪が逆転している。 このような形で善を理解している彼らに、悪などは当然存在しないことになる。 人間を苦しめることは、彼らにとっては嬉しいこと、喜ばしいことであり、 それが彼らの善なのであって、悪ではないのである。

この世にいろいろなタイプの悪人がいるのと 同様に、悪霊にもいろいろなタイプがある。
なかでも、もっとも凶悪で、大きな不幸や災難、苦しみを人間に与えるのは、 復讐の悪霊というべきタイプである。
この世の人間に対して復讐の念を 燃やす悪霊は実に多い。
復讐心は、普通の人間の世界では、公然と口にしたり、行動に移したりするのは許されていない。
それだけに、人間だったときの彼らの心の中に積もり 積もって、それが霊界に行っても浄化されないためかもしれない。 彼らは復讐のことを“喜び”と呼んでいるくらいだ。

彼らに見舞われた人間は 不幸のどん底に落とされる。彼らはさまざまな手を使って復讐の喜びを果たすが、 対象にした人間をひどい病気にして、その身体を破壊するぐらいでは 満足しない。
その人間の心まで狂わせて、愚行や悪行を行なわせる。 彼らは悪のテクニックにも長けているので、最初は善霊のような顔をして 近づいてくる。
私も、善霊だと思ってつき合っていた霊が復讐の霊だったと 知ったときには、彼らの詐術の巧みさにびっくりした経験がある。
霊の世界で聞いたところでは、彼らは集団をつくって行動しているという。
復讐の念に燃える悪霊は数えきれないほどいる。
だから彼らは、自分たちだけの団体をつくっているというわけだ。
彼らの団体の内部統制はしっかりしていて、同じ団体の者どうしでは互いに 傷つけ合うことはないのだという。
悪霊の特徴は、さまざまなテクニックを使うことである。
悪霊がやってくるときには、地獄の光景とでもいうべき恐ろしいビジョンが 見えてきたりする。
しかし、これは比較的単純な悪霊の場合で、たいていは少し悪知恵があり、 美しいビジョンを見せて人間を誘う。
(略)
悪霊はこのほかにも、恐怖のビジョンを自在につくり出して、恐怖に おののかせたあとで、自分の思うとおりに人間を操ろうとする。
また、恐怖だけでなく、人の心をかき乱すことで人間を不安にしたり、 逆に信じ込ませて安心させたりして、人間を自由に操ろうとする。
彼らはそれを、類いまれな演技力や創作能力を使って行なう。
彼らの演技力や創作能力には、どんな名優も劇作家もかなうものではない。 彼らは人間にはない才能を持っているからだ。
彼らの演技力や創作能力の中でも、特に目立つのはウソやでっち上げを 自由自在に行なうことである。
彼らは、あることないことをまことしやかに でっち上げ、それを真実らしく語る
171K5 ◆ZrPJFvslEyUG :2011/04/10(日) 21:23:41.66 ID:JxOnyWPm
ネットイナゴ=悪霊の本質(スウェデンボルグの解説から抜粋)

悪霊は、善とは何かを理解している。 しかし、悪とは何かをまったく理解していない。
彼らは、霊にも人間にもさまざまな悪事をするが、それが悪事だとはまったく思っていないのだ。 なぜなら、彼らは悪なるものが存在していることさえ気づいていないからだ。
彼らは善とは何かを知っていると言ったが、彼らの善とは、実は悪なのだ。
たとえば、他人を支配するのが好きだとか、他人の嘆きを見て喜ぶといった心情を、 霊になっても浄化しきれていない霊がある。その霊にとっては、他の霊や人間を苦しめることは嬉しいこと、喜ばしいことである。
そして、自分にとって嬉しいこと、喜ばしいことが、彼らの善なのだ。
彼らの中では善悪が逆転している。 このような形で善を理解している彼らに、悪などは当然存在しないことになる。 人間を苦しめることは、彼らにとっては嬉しいこと、喜ばしいことであり、 それが彼らの善なのであって、悪ではないのである。

この世にいろいろなタイプの悪人がいるのと 同様に、悪霊にもいろいろなタイプがある。
なかでも、もっとも凶悪で、大きな不幸や災難、苦しみを人間に与えるのは、 復讐の悪霊というべきタイプである。
この世の人間に対して復讐の念を 燃やす悪霊は実に多い。
復讐心は、普通の人間の世界では、公然と口にしたり、行動に移したりするのは許されていない。
それだけに、人間だったときの彼らの心の中に積もり 積もって、それが霊界に行っても浄化されないためかもしれない。 彼らは復讐のことを“喜び”と呼んでいるくらいだ。

彼らに見舞われた人間は 不幸のどん底に落とされる。彼らはさまざまな手を使って復讐の喜びを果たすが、 対象にした人間をひどい病気にして、その身体を破壊するぐらいでは 満足しない。
その人間の心まで狂わせて、愚行や悪行を行なわせる。 彼らは悪のテクニックにも長けているので、最初は善霊のような顔をして 近づいてくる。
私も、善霊だと思ってつき合っていた霊が復讐の霊だったと 知ったときには、彼らの詐術の巧みさにびっくりした経験がある。
霊の世界で聞いたところでは、彼らは集団をつくって行動しているという。
復讐の念に燃える悪霊は数えきれないほどいる。
だから彼らは、自分たちだけの団体をつくっているというわけだ。
彼らの団体の内部統制はしっかりしていて、同じ団体の者どうしでは互いに 傷つけ合うことはないのだという。
悪霊の特徴は、さまざまなテクニックを使うことである。
悪霊がやってくるときには、地獄の光景とでもいうべき恐ろしいビジョンが 見えてきたりする。
しかし、これは比較的単純な悪霊の場合で、たいていは少し悪知恵があり、 美しいビジョンを見せて人間を誘う。
(略)
悪霊はこのほかにも、恐怖のビジョンを自在につくり出して、恐怖に おののかせたあとで、自分の思うとおりに人間を操ろうとする。
また、恐怖だけでなく、人の心をかき乱すことで人間を不安にしたり、 逆に信じ込ませて安心させたりして、人間を自由に操ろうとする。
彼らはそれを、類いまれな演技力や創作能力を使って行なう。
彼らの演技力や創作能力には、どんな名優も劇作家もかなうものではない。 彼らは人間にはない才能を持っているからだ。
彼らの演技力や創作能力の中でも、特に目立つのはウソやでっち上げを 自由自在に行なうことである。
彼らは、あることないことをまことしやかに でっち上げ、それを真実らしく語る
172K5 ◆ZrPJFvslEyUG :2011/04/10(日) 21:24:44.07 ID:JxOnyWPm
ネットイナゴ=悪霊の本質(スウェデンボルグの解説から抜粋)

悪霊は、善とは何かを理解している。 しかし、悪とは何かをまったく理解していない。
彼らは、霊にも人間にもさまざまな悪事をするが、それが悪事だとはまったく思っていないのだ。 なぜなら、彼らは悪なるものが存在していることさえ気づいていないからだ。
彼らは善とは何かを知っていると言ったが、彼らの善とは、実は悪なのだ。
たとえば、他人を支配するのが好きだとか、他人の嘆きを見て喜ぶといった心情を、 霊になっても浄化しきれていない霊がある。その霊にとっては、他の霊や人間を苦しめることは嬉しいこと、喜ばしいことである。
そして、自分にとって嬉しいこと、喜ばしいことが、彼らの善なのだ。
彼らの中では善悪が逆転している。 このような形で善を理解している彼らに、悪などは当然存在しないことになる。 人間を苦しめることは、彼らにとっては嬉しいこと、喜ばしいことであり、 それが彼らの善なのであって、悪ではないのである。

この世にいろいろなタイプの悪人がいるのと 同様に、悪霊にもいろいろなタイプがある。
なかでも、もっとも凶悪で、大きな不幸や災難、苦しみを人間に与えるのは、 復讐の悪霊というべきタイプである。
この世の人間に対して復讐の念を 燃やす悪霊は実に多い。
復讐心は、普通の人間の世界では、公然と口にしたり、行動に移したりするのは許されていない。
それだけに、人間だったときの彼らの心の中に積もり 積もって、それが霊界に行っても浄化されないためかもしれない。 彼らは復讐のことを“喜び”と呼んでいるくらいだ。

彼らに見舞われた人間は 不幸のどん底に落とされる。彼らはさまざまな手を使って復讐の喜びを果たすが、 対象にした人間をひどい病気にして、その身体を破壊するぐらいでは 満足しない。
その人間の心まで狂わせて、愚行や悪行を行なわせる。 彼らは悪のテクニックにも長けているので、最初は善霊のような顔をして 近づいてくる。
私も、善霊だと思ってつき合っていた霊が復讐の霊だったと 知ったときには、彼らの詐術の巧みさにびっくりした経験がある。
霊の世界で聞いたところでは、彼らは集団をつくって行動しているという。
復讐の念に燃える悪霊は数えきれないほどいる。
だから彼らは、自分たちだけの団体をつくっているというわけだ。
彼らの団体の内部統制はしっかりしていて、同じ団体の者どうしでは互いに 傷つけ合うことはないのだという。
悪霊の特徴は、さまざまなテクニックを使うことである。
悪霊がやってくるときには、地獄の光景とでもいうべき恐ろしいビジョンが 見えてきたりする。
しかし、これは比較的単純な悪霊の場合で、たいていは少し悪知恵があり、 美しいビジョンを見せて人間を誘う。
(略)
悪霊はこのほかにも、恐怖のビジョンを自在につくり出して、恐怖に おののかせたあとで、自分の思うとおりに人間を操ろうとする。
また、恐怖だけでなく、人の心をかき乱すことで人間を不安にしたり、 逆に信じ込ませて安心させたりして、人間を自由に操ろうとする。
彼らはそれを、類いまれな演技力や創作能力を使って行なう。
彼らの演技力や創作能力には、どんな名優も劇作家もかなうものではない。 彼らは人間にはない才能を持っているからだ。
彼らの演技力や創作能力の中でも、特に目立つのはウソやでっち上げを 自由自在に行なうことである。
彼らは、あることないことをまことしやかに でっち上げ、それを真実らしく語る
173K5 ◆ZrPJFvslEyUG :2011/04/10(日) 21:25:45.57 ID:JxOnyWPm
ネットイナゴ=悪霊の本質(スウェデンボルグの解説から抜粋)

悪霊は、善とは何かを理解している。 しかし、悪とは何かをまったく理解していない。
彼らは、霊にも人間にもさまざまな悪事をするが、それが悪事だとはまったく思っていないのだ。 なぜなら、彼らは悪なるものが存在していることさえ気づいていないからだ。
彼らは善とは何かを知っていると言ったが、彼らの善とは、実は悪なのだ。
たとえば、他人を支配するのが好きだとか、他人の嘆きを見て喜ぶといった心情を、 霊になっても浄化しきれていない霊がある。その霊にとっては、他の霊や人間を苦しめることは嬉しいこと、喜ばしいことである。
そして、自分にとって嬉しいこと、喜ばしいことが、彼らの善なのだ。
彼らの中では善悪が逆転している。 このような形で善を理解している彼らに、悪などは当然存在しないことになる。 人間を苦しめることは、彼らにとっては嬉しいこと、喜ばしいことであり、 それが彼らの善なのであって、悪ではないのである。

この世にいろいろなタイプの悪人がいるのと 同様に、悪霊にもいろいろなタイプがある。
なかでも、もっとも凶悪で、大きな不幸や災難、苦しみを人間に与えるのは、 復讐の悪霊というべきタイプである。
この世の人間に対して復讐の念を 燃やす悪霊は実に多い。
復讐心は、普通の人間の世界では、公然と口にしたり、行動に移したりするのは許されていない。
それだけに、人間だったときの彼らの心の中に積もり 積もって、それが霊界に行っても浄化されないためかもしれない。 彼らは復讐のことを“喜び”と呼んでいるくらいだ。

彼らに見舞われた人間は 不幸のどん底に落とされる。彼らはさまざまな手を使って復讐の喜びを果たすが、 対象にした人間をひどい病気にして、その身体を破壊するぐらいでは 満足しない。
その人間の心まで狂わせて、愚行や悪行を行なわせる。 彼らは悪のテクニックにも長けているので、最初は善霊のような顔をして 近づいてくる。
私も、善霊だと思ってつき合っていた霊が復讐の霊だったと 知ったときには、彼らの詐術の巧みさにびっくりした経験がある。
霊の世界で聞いたところでは、彼らは集団をつくって行動しているという。
復讐の念に燃える悪霊は数えきれないほどいる。
だから彼らは、自分たちだけの団体をつくっているというわけだ。
彼らの団体の内部統制はしっかりしていて、同じ団体の者どうしでは互いに 傷つけ合うことはないのだという。
悪霊の特徴は、さまざまなテクニックを使うことである。
悪霊がやってくるときには、地獄の光景とでもいうべき恐ろしいビジョンが 見えてきたりする。
しかし、これは比較的単純な悪霊の場合で、たいていは少し悪知恵があり、 美しいビジョンを見せて人間を誘う。
(略)
悪霊はこのほかにも、恐怖のビジョンを自在につくり出して、恐怖に おののかせたあとで、自分の思うとおりに人間を操ろうとする。
また、恐怖だけでなく、人の心をかき乱すことで人間を不安にしたり、 逆に信じ込ませて安心させたりして、人間を自由に操ろうとする。
彼らはそれを、類いまれな演技力や創作能力を使って行なう。
彼らの演技力や創作能力には、どんな名優も劇作家もかなうものではない。 彼らは人間にはない才能を持っているからだ。
彼らの演技力や創作能力の中でも、特に目立つのはウソやでっち上げを 自由自在に行なうことである。
彼らは、あることないことをまことしやかに でっち上げ、それを真実らしく語る
174K5 ◆ZrPJFvslEyUG
ネットイナゴ=悪霊の本質(スウェデンボルグの解説から抜粋)

悪霊は、善とは何かを理解している。 しかし、悪とは何かをまったく理解していない。
彼らは、霊にも人間にもさまざまな悪事をするが、それが悪事だとはまったく思っていないのだ。 なぜなら、彼らは悪なるものが存在していることさえ気づいていないからだ。
彼らは善とは何かを知っていると言ったが、彼らの善とは、実は悪なのだ。
たとえば、他人を支配するのが好きだとか、他人の嘆きを見て喜ぶといった心情を、 霊になっても浄化しきれていない霊がある。その霊にとっては、他の霊や人間を苦しめることは嬉しいこと、喜ばしいことである。
そして、自分にとって嬉しいこと、喜ばしいことが、彼らの善なのだ。
彼らの中では善悪が逆転している。 このような形で善を理解している彼らに、悪などは当然存在しないことになる。 人間を苦しめることは、彼らにとっては嬉しいこと、喜ばしいことであり、 それが彼らの善なのであって、悪ではないのである。

この世にいろいろなタイプの悪人がいるのと 同様に、悪霊にもいろいろなタイプがある。
なかでも、もっとも凶悪で、大きな不幸や災難、苦しみを人間に与えるのは、 復讐の悪霊というべきタイプである。
この世の人間に対して復讐の念を 燃やす悪霊は実に多い。
復讐心は、普通の人間の世界では、公然と口にしたり、行動に移したりするのは許されていない。
それだけに、人間だったときの彼らの心の中に積もり 積もって、それが霊界に行っても浄化されないためかもしれない。 彼らは復讐のことを“喜び”と呼んでいるくらいだ。

彼らに見舞われた人間は 不幸のどん底に落とされる。彼らはさまざまな手を使って復讐の喜びを果たすが、 対象にした人間をひどい病気にして、その身体を破壊するぐらいでは 満足しない。
その人間の心まで狂わせて、愚行や悪行を行なわせる。 彼らは悪のテクニックにも長けているので、最初は善霊のような顔をして 近づいてくる。
私も、善霊だと思ってつき合っていた霊が復讐の霊だったと 知ったときには、彼らの詐術の巧みさにびっくりした経験がある。
霊の世界で聞いたところでは、彼らは集団をつくって行動しているという。
復讐の念に燃える悪霊は数えきれないほどいる。
だから彼らは、自分たちだけの団体をつくっているというわけだ。
彼らの団体の内部統制はしっかりしていて、同じ団体の者どうしでは互いに 傷つけ合うことはないのだという。
悪霊の特徴は、さまざまなテクニックを使うことである。
悪霊がやってくるときには、地獄の光景とでもいうべき恐ろしいビジョンが 見えてきたりする。
しかし、これは比較的単純な悪霊の場合で、たいていは少し悪知恵があり、 美しいビジョンを見せて人間を誘う。
(略)
悪霊はこのほかにも、恐怖のビジョンを自在につくり出して、恐怖に おののかせたあとで、自分の思うとおりに人間を操ろうとする。
また、恐怖だけでなく、人の心をかき乱すことで人間を不安にしたり、 逆に信じ込ませて安心させたりして、人間を自由に操ろうとする。
彼らはそれを、類いまれな演技力や創作能力を使って行なう。
彼らの演技力や創作能力には、どんな名優も劇作家もかなうものではない。 彼らは人間にはない才能を持っているからだ。
彼らの演技力や創作能力の中でも、特に目立つのはウソやでっち上げを 自由自在に行なうことである。
彼らは、あることないことをまことしやかに でっち上げ、それを真実らしく語る