【第二十一回】 太平記 part.21 『京都攻略』
1 :
日曜8時の名無しさん:
3 :
日曜8時の名無しさん:2014/03/28(金) 09:28:10.62 ID:Or2ZZ7WC
南無八幡大菩薩!
新スレ太平記 part.21 『京都攻略』が立ったので改めて
名門スレがこれからは反社会的自演グループによって乗っ取られることがないように
祈るばかり。
太平記好き・中世好きの一般ファンは、この事実をしっかりと受け止めながら、
無用に清盛を批判したり保元の乱を捏造したりしないで
礼儀をわきまえて書き込んでいただきたい。
そのように名門スレの復活のためなら、これからも沢山書き込んで行きたい。
そして自演グループがまた出てきたら何回も攻撃してやりたい。
かじゃはみもけにきんけるわー
↑拙者のカキコミにあらず
脈略なしにお邪魔はしない
まともな相互批判は大歓迎
清盛スレへどうぞ
9 :
日曜8時の名無しさん:2014/03/29(土) 00:14:19.90 ID:I/DQMXfE
>>2 岩松を呼べ!
これさ、当時の状況では新田宗家より岩松家が家格以外は上だよな?呼べじゃなくてお前が出向かなきゃならないんでない?w
だってこの作品の岩松さんいい人そうだし…
11 :
日曜8時の名無しさん:2014/03/29(土) 12:46:36.19 ID:Q+/zvZGU
>>7 「みもけ」じゃなくて「めもけ(妻儲け)」では?
12 :
日曜8時の名無しさん:2014/03/29(土) 23:47:20.57 ID:viPtkipr
【周知徹底】
足利氏は三河守護になった ←これは間違い
足利氏は源頼朝と三河の藤姓熱田大宮司家と縁故者であった幸運で、三河守護になれた ←これが正解
三河の藤姓熱田大宮司家(藤原南家貞嗣流)
家祖:藤原季兼(三河四郎大夫、伊勢権守令)
系図:藤原実範(三河国司)→藤原季兼(三河四郎大夫、伊勢権守令)→藤原季範(初代藤姓熱田大宮司家、額田冠者(三河国額田郡))
■藤姓熱田大宮司家(本貫地:三河国額田郡乙見、愛知県岡崎市)
・頼朝の母方の曾祖父藤原季兼(三河四郎)は、三河国司を多数輩出した一族(祖父の兄、父、弟)に生まれる
・季兼は、伊勢神宮領荘園の荘官として都を下り三河国加茂郡(愛知県豊田市)に土着
・季兼は、三河国加茂郡(愛知県豊田市)の未開拓の土地を開発し、高橋荘・高橋新荘(後世 八条院領大覚寺統)を立券する
・季兼は、三河国額田郡(愛知県岡崎市)に移り住み、青木川菅生川流域(菅生郷)を開発、荘園化せず自らの本拠とする(後に、権益は血縁である足利氏に)
・季兼は、三河国設楽郡稲木(愛知県新城市)の稲木長者を滅ぼし、東三河を支配下におく
・季兼室の松御前(尾張員職の娘)は、晩年新城市稲木で過し没した(城ヶ峰の山頂(愛知県新城市)に墓あり)
・季兼は、藤原資良(父の従兄弟)が尾張守になり、息子(藤原季範、額田冠者)と共に三河に住みながら尾張目代を務める
・季兼の息子である藤原季範(額田冠者)は、藤原南家として初めて熱田大宮司となる(大宮司職の簒奪) ←乗っ取られる(笑)
・藤原季範(額田冠者)の娘(由良御前)は源義朝の正室となり、源頼朝を生む
・藤原季範(額田冠者)の娘(養女(実父は藤原範忠))は源義康の正室となり、足利義兼を生む
13 :
日曜8時の名無しさん:2014/03/29(土) 23:48:59.25 ID:viPtkipr
■源頼朝・足利義兼(2代目足利当主)と三河の藤姓熱田大宮司家
家祖:藤原季兼(三河四郎大夫、伊勢権守令)
系図:藤原実範(三河国司)→藤原季兼(三河四郎大夫、伊勢権守令)→藤原季範(初代藤姓熱田大宮司、額田冠者(三河国額田郡))
☆源頼朝、★足利義兼
藤原実範
・藤原成季
・藤原季綱(三河国司)→@へ
・藤原季重
・藤原季兼(三河四郎大夫、伊勢権守令)→Cへ
・藤原行綱
・興義
・実慶
・三位女→高橋惟康(伊勢新二郎大夫、三河国加茂郡高橋庄(八条院領目録にあり)領主)
@藤原季綱
・藤原友実→Aへ
・藤原実兼→藤原通憲(信西)
・藤原悦子(鳥羽天皇乳母)
・他多数
A藤原友実
・藤原能兼→藤原範季(後白河院近臣、順徳天皇の外祖父、源範頼養父)→Bへ
・女子→源頼政(上西門院に出仕、伊豆守、源三位)→C
・他多数
14 :
日曜8時の名無しさん:2014/03/29(土) 23:49:42.36 ID:viPtkipr
E藤原季範
・藤原範忠(後白河院北面、大宮司、三河国滝山寺大檀那、室は美福門院女房上総)→Fへ
・藤原範信(式部丞、上野介、大宮司(星野大宮司)、三河国神谷御厨給司、三河国星野荘荘司、初代星野氏(三河国宝飯郡星野))→Gへ
・藤原範雅(後白河院上北面、大宮司)→Hへ
・藤原範綱(大学助大夫)
・藤原範智 (法眼、園城寺)→三位局(源実朝御所縫殿別当)
・三河祐範(法橋、三河国滝山寺、園城寺、頼朝伊豆配流時代の支援者)
・粟田口長暹(法眼、三河国滝山寺、仁和寺、守覚法親王近習)
・千秋尼(上西門院女房)
・大進局(待賢門院女房)
☆由良御前(上西門院女房か?)→源頼朝(上西門院皇后宮権少進、征夷大将軍)
★女子(養女(実父は藤原範忠)→足利義兼(八条院蔵人、上総介)→足利義氏(足利氏として初めて三河守護)
F藤原範忠
・藤原忠季(大宮司、刑部丞、蔵人所雑色)→藤原忠兼(備中守、大宮司)→海東忠成(猶子、大江広元の四男、初代海東氏、大宮司)
・野田清季(大宮司(野田二郎大宮司)、三河国野田城主、初代野田氏(三河国設楽郡野田))→野田朝季(鷹司冠者)→野田朝氏(大宮司、室は足利義兼の娘)
・藤原能季(相模守)
・藤原範高(検非違使、蔵人所、大宮司)
・寛伝(額田僧都、日光山満願寺19世座主、三河国滝山寺)
・任暁(仁和寺)
★女子→足利義兼(八条院蔵人)→足利義氏(足利氏として初めて三河守護)
G藤原範信
・藤原範清(検非違使、上西門院蔵人、星野左衛門大夫、頼朝右大将拝賀先駆)
・藤原憲朝(八条院判官代、駿河守、初代千秋氏(三河国設楽郡千秋))→藤原範俊(左馬助、大学助、源実朝近習)
・藤原信綱(駿河守、尾張国海東郡地頭)
・藤原信雅(高松院蔵人)
・藤原憲行
・藤原実豪(延暦寺権僧正)
15 :
日曜8時の名無しさん:2014/03/29(土) 23:50:37.57 ID:viPtkipr
B藤原範季
・源範頼(養子、三河守)→源範円(正法寺(三河国宝飯郡)僧)→吉見氏
・藤原範時(八条院蔵人)
・藤原範茂(子孫は高倉家(羽林家))
・藤原重子(修明門院、順徳天皇母)→順徳天皇
・藤原範光(養子(実父は藤原範兼)、後鳥羽院近臣)
:藤原範子(養女(実父は藤原範兼)、後鳥羽天皇乳母、土御門天皇外祖母)→源在子→土御門天皇
・藤原兼子(養女(実父は藤原範兼)、後鳥羽天皇乳母)
・他多数
C源頼政
・源仲綱(大内守護)→有綱(伊豆守)→女子(源義経室)
・源国政(初代山県氏)
・源兼綱(実父は頼政兄の頼行)→大河内顕綱(初代大河内氏(三河国額田郡大河内)か?)
・源頼兼(大内守護)
・源広綱(実兄の仲綱に養子入り、駿河守)
・二条院讃岐
D藤原季兼
・藤原季範(蔵人所雑色、初代藤姓熱田大宮司、額田冠者(三河国額田郡))→Eへ
・藤原憲実(法眼)→藤原仲経(九条院蔵人、玄番助大夫、美濃国土岐多良庄地頭)
・女子→二階堂行政(鎌倉幕府の政所令・後に別当、初代二階堂氏)
16 :
日曜8時の名無しさん:2014/03/29(土) 23:51:11.51 ID:viPtkipr
H藤原範雅
・藤原範高(検非違使、蔵人所、大宮司、藤原範忠に養子入り)
・藤原範経(大宮司)
17 :
日曜8時の名無しさん:2014/03/30(日) 00:47:39.38 ID:fPGbOou2
>>6 >>8 >>12 相変わらず無駄に元気だな
清盛スレと日本史板の
源頼朝、足利尊氏、徳川家康スレやetcで
バカにされた
三河屋が
太平記板に寄生して
大暴走
三河屋ってサブちゃんかいな!
…とか言いつつ今夜完走した新参者っス
最終話にきて弟殺しと押し寄せてくる万感の想いでついに泣いてもた
役者も脚本も演出も音楽もビジュアルもじつに素晴らしかった
歴史と違うとか野暮なことは言わない、傑作認定!!
関西はそろそろ桜も咲き始めたので来週の休みにでも吉野逝ってくる、そのうち千早赤阪村も
>>11 夜這いの歌でしょ?アドリブでやる兵衛の凄さよ!
師直が公家の姫を手込めにするところもやるべきだった。
21 :
日曜8時の名無しさん:2014/03/30(日) 15:02:08.66 ID:VjBIKUV0
冠者は寝ぼけて金蹴るや〜!
あの歌って、夜這いにハマったのはいいけど
三晩目に女をよく見てみたらものすごいデブ、あるいはおっさんだったから
逃げ帰ってきたってオチよな?
なんで長崎親子があれだけの権力を持っていたのかが良く分からんな
単なる家来の一人でしかないんだし
高時が気に入らなければ長崎親子を追放するなんて簡単に出来そうに思えるんだけどな
24 :
日曜8時の名無しさん:2014/03/30(日) 22:24:28.55 ID:gyTLowTr
そんなもん、ちょっとググるだけですぐ解決
25 :
日曜8時の名無しさん:2014/03/30(日) 22:29:03.37 ID:VjBIKUV0
>>20 師直が二条の君を盗み出す場面あったよ。
>>23 父親の貞時も嘉元の乱以降は無気力になって長崎にお任せ状態になっていたというし、
まして高時のあの性格ではそれは無理でしょう。
26 :
日曜8時の名無しさん:2014/03/31(月) 01:58:11.00 ID:1j9WWIy/
27 :
日曜8時の名無しさん:2014/03/31(月) 22:46:55.33 ID:JaumV0mW
>>23 尊氏も師直に好き勝手やらせてたしな
後半の師直はどことなく円喜を彷彿とさせてたよ
調子に乗っても許される環境や大義名分があれば
俗悪な人間はどこまでものさばるものなんでしょう
実務やってるNo2が実験握るのは執権や管領細川なんかでよくあること
30 :
日曜8時の名無しさん:2014/04/01(火) 09:17:37.02 ID:cOzxyVRk
天皇→摂関→源氏→北条→内管領
でも天皇はもちろん関白にもならないし
形式的な征夷大将軍も必要、日本の歴史の特異性
31 :
日曜8時の名無しさん:2014/04/01(火) 12:12:26.92 ID:sE8SRXLh
>>29 『太平記』の時代なら、直義がそのパターンだな。
>>30 丸山真男とかの説か。
32 :
日曜8時の名無しさん:2014/04/02(水) 03:17:29.57 ID:GavdzwdF
室町後半期の細川に関しては、一時期は得宗専制になぞらえて京兆専制なんて言われたけど、
今はあまりそんなふうには言われなくなって来ているような・・・
33 :
日曜8時の名無しさん:2014/04/02(水) 11:20:18.89 ID:I8QmULj/
>>30 天皇→摂関(平家もそれに取って代わろうとしただけに・・・)
それに陥らないよう武士は鎌倉で将軍を頂点にして都とは距離を置くという方式取ったはずなのに、
またすぐ「執権」というシステムができるとは。
何か目立つものを形式上のものにして、周辺が実質の権力を取り民をコントロールするっていうシステムは、
実にうまい発明だから逃れられないのかな。
他の革命ばっかり起こってる国の施政者は、こんな統治しやすい国民がいる国の政治家(官僚?)が羨ましいだろうな。
34 :
日曜8時の名無しさん:2014/04/02(水) 11:40:30.99 ID:JAE3W8Li
天皇自身が最高実力者になれればすべて解決、摂関も将軍もつくらない、
今までのしきたりも利権もすべて白紙にする、と考えた人物がいた
すごい英雄だとは思わないか?
そんな危険人物は川に流して、木の像か金の像で作った帝でも置いておけw
36 :
日曜8時の名無しさん:2014/04/02(水) 13:02:52.47 ID:I8QmULj/
ちかごろ、子供のころの夢を見るのじゃ・・・
霊験あらたかな岩神さまの祠を覗いた時、もっと美しいものと思っておった御神体は、ただの小さな木切れであった・・・
しかしのう、たとえ小さく醜い木切れであっても、あれもまたやはり、神であったのやも知れん、とな・・・
わけものう、思うのじゃ・・・そう思わねば・・・そう思わねばと・・・!!!
37 :
日曜8時の名無しさん:2014/04/02(水) 15:08:24.27 ID:JAE3W8Li
>>36 祠に潜入した4人の子供が尊氏・直義・帥直・帥泰なのだろうな
出てきたところで新田義貞にとがめられる
>>32 結局お家騒動で没落するからね
養子をとっただけで一人勝ちしてた細川家がバラバラになるのだから
この時代のモラルの低下は想像以上に凄いのかもしれないね
39 :
日曜8時の名無しさん:2014/04/02(水) 20:19:09.28 ID:V/Cx7L+D
>>37 あの場所はどの辺なんだろう?
下野足利庄の渡瀬川の河口なんだけど・・・
川向の上野新田庄の渡良瀬川に義貞がいたんだっけ?
>>36 シーンが目に浮かんだわ。また見返したくなるね!
41 :
日曜8時の名無しさん:2014/04/02(水) 23:18:26.27 ID:2J7f4QmQ
北条は平氏、我らは源氏。ゆめゆめ北条の犬になり下がるでないぞ!by義貞
いや、格好いいんだけどさ。落ちぶれて借金だらけの家の子が有力御家人の御曹子に吐くセリフじゃねえだろとw
元を辿れば同族だから(震え声
新田で思い出したが徳川家康って新田義貞の系図を欲しがったのか
44 :
日曜8時の名無しさん:2014/04/03(木) 03:26:35.15 ID:N5qgsRXQ
>>38 「京兆専制」という言葉が学会で言われなくなった理由は、
明応の政変から政元暗殺までの時期でも、幕府が政元による専制体制であったとは言い難い、
ということが指摘されるようになったから。
政元死後の細川氏のお家騒動の話とは関係ないよ。
45 :
日曜8時の名無しさん:2014/04/03(木) 03:46:20.61 ID:N5qgsRXQ
>>34 ただ摂関政治というものは、あくまで天皇を頂点とする朝廷の太政官の枠内で行われる政治。
本来の朝廷組織とは別の権力体を作って、朝廷を形骸化させたという点では、
摂関政治よりも院政のほうが歴史の流れに与えたインパクトは大きい。
この点については、北畠親房の『神皇正統記』でも指摘されている。
北畠親房の『神皇正統記』では、摂関政治については、
太政官を中心に天皇の宣旨や太政官符で政治が行われていたことから肯定的に評価しているが、
院政については、上皇の院庁が政治の中心となり、
宣旨&太政官符より院宣&院庁下文が重要視されるようになったことを厳しく批判している。
47 :
日曜8時の名無しさん:2014/04/03(木) 09:18:18.13 ID:T8XBteyY
摂関は法に基づいているが院政は超法規的で
元天皇が天皇の父であることと、私財私兵もつことで成り立っている
後三条は摂関家を押さえるための方便だったはずだが
白河が長くやりすぎて定着してしまった
>>41 生意気な少年→腹黒→田舎者
苦労が忍ばれますw
根津甚八は好演だったけど、ショーケン義貞を最後まで見たかった気もする。
50 :
日曜8時の名無しさん:2014/04/03(木) 17:20:34.23 ID:N5qgsRXQ
>>47 後三条は院政のようなものを始めるつもりがあったのかどうか・・・。
ただ院政は上皇の家政機関である院庁が事実上の政務の中心機関になってしまったわけで、
このような政治形態が前列として出現していなければ、
将軍家の家政機関である幕府(政所)が政務の中心機関となる武家政権も出現し得なかったかも
51 :
日曜8時の名無しさん:2014/04/03(木) 17:35:01.53 ID:T8XBteyY
摂関でも権力の源泉が関白だからなのか、
氏の長者だからなのかわかりにくいとこはある
保元の乱では関白と氏の長者が対立したが
>>41 逆にそういう家の子だから、金持ちのボンボン相手に虚勢を張ってみたかったんじゃねーの?
>>51 摂関政治期の摂関の権力の源泉は、“天皇の外戚である”という事実でしょう。
だから、摂関の肩書きを得ても天皇の外戚ではなかった実頼や頼忠は、
実権のない名目上の関白だったようだし、後三条即位後の頼通・教通も同様だろう。
あと氏の長者は、本来的にはその氏族内における私的なもの。
朝廷による氏の長者の任命は、保元の乱での頼長死亡を受けて行われた忠通へのものが初例かと。
>>43 三河は足利の守護国で第二根拠地だから松平が足利係累を名乗ってもすぐバレる
雲散霧消した新田ならいくらでもこじつけ可能だからね
55 :
日曜8時の名無しさん:2014/04/04(金) 23:35:13.88 ID:jWv8s+C9
新田一門、その中でも超絶マイナーな得川だから仮冒しやすかったんだろうて
56 :
日曜8時の名無しさん:2014/04/05(土) 04:18:41.44 ID:/FLXroej
>>54 ただ室町幕府は、その三河の守護に新田一族の大島氏を任じている時期もあるからなぁ。
>>55 得川氏初代の義季はともかく、その子である三河守頼氏は『吾妻鏡』にもそこそこ登場するし、
新田惣領家の家督を代行していたこともあるような人物。
超絶マイナーといえるかね?
57 :
日曜8時の名無しさん:2014/04/05(土) 09:29:03.57 ID:/EWMU9ik
新田の一族は山名氏・岩松氏・大舘氏・里見氏・世良田氏・大島氏・得川氏
数はいるが足利との違いは本家が没落していたこと
58 :
日曜8時の名無しさん:2014/04/05(土) 11:24:22.60 ID:GWzNdliN
吉良上野介が足利の出だな
足利つながりではないけど上野介が大石内蔵助と実は遠縁になるというのは知らんかったが
無理難題言ってくる木っ端役人に切れて当主自ら成敗→流れで謀反→奇跡的に大成功w
ここまでは主人公オーラあったのになー。
60 :
日曜8時の名無しさん:2014/04/05(土) 12:50:59.57 ID:/FLXroej
>>57 山名とか岩松には、そもそも新田一族としての意識があったのか疑問だな。
新田一族という概念が足利側からみたものでしかなかったりして
62 :
日曜8時の名無しさん:2014/04/05(土) 14:48:01.41 ID:j8Bh+N9p
得川は岩松に吸収合併されただろ確か
>>53 実頼が天皇の外戚になってれば今の九条流ではな小野宮流がそのまま嫡流で続いて道長らの出る幕はなかったのにな
64 :
日曜8時の名無しさん:2014/04/05(土) 20:50:55.21 ID:/FLXroej
>>62 というか新田一族の没落後は新田庄まるごと岩松のものになった。
65 :
日曜8時の名無しさん:2014/04/05(土) 21:18:36.14 ID:R28apYrE
>>40 騙されやすい田舎者か?w
尊氏はもとより、師直師泰も北関東に行ったことすらないw
1310年頃の足利荘担当の足利奉公人は高頼基(南右衛門入道)
師直・師泰の系統はまったく関係ない
高重氏→師氏→師重→師直・師泰
高重氏→頼基→惟宗→宗継
66 :
日曜8時の名無しさん:2014/04/05(土) 21:22:35.54 ID:R28apYrE
では、師直・師泰の系統の本拠地はどこか?
高一族嫡流は、三河国額田郡菅生郷を本拠にした三河武士、尾張とは無関係
高氏所領
・三河国額田郡菅生郷
・三河国額田郡比志賀郷
・三河国額田郡政所
・三河国額田郡矢作東宿
・三河国下村中山郷雑役免(進退分十家名)
■高師氏
・父は高重氏
・右衛門尉、法名心仏
・三河国額田郡菅生郷・比志賀郷(愛知県岡崎市)地頭
・永仁4年(1296)3月1日、他家に嫁していた娘の稲荷女房(法名心妙)に三河国額田郡比志賀郷を譲った(総持寺文書)
・正安3年(1301)2月15日に満性寺(愛知県岡崎市)に菅生郷の土地を寄進した
■高師重
・父は高師氏
・三河国額田郡菅生郷地頭
・暦応2年(1339)に足利尊氏の命令で、三河国額田郡比志賀郷(愛知県岡崎市)に八幡社とともに深恩院総持寺(現在は広祥院)建立する
■高師兼(室町幕府最初の三河守護)
・五郎左衛門尉、尾張守、刑部大輔
・父は高師春、母は高師直の妹。高師直の猶子
・高師直より、藤原冬房領三河国碧海荘三木今一色の知行保持を命じられる(建武4年(1337)5月13日付高師直奉書)
■貞円
・父は高師重、高師直・高師泰の弟
・滝山寺(愛知県岡崎市)大勧進
■明阿
・父は高師泰、夫は高師冬(高師直養子)
・観応の擾乱で一族の大半が滅ぶと、その菩提を弔うため、三河国菅生郷(愛知県岡崎市)に総持寺を建立する、
・三河国菅生郷(愛知県岡崎市)の旧領は、一旦足利将軍家領となり、将軍家より総持寺に寄進された
■いち
・父は高師世(高師泰の息、明阿の兄)
・明阿が三河国菅生郷(愛知県岡崎市)に建立した総持寺の初代住持
北関東のウリナラファンタジーはやめなさいw
67 :
日曜8時の名無しさん:2014/04/05(土) 21:27:47.52 ID:R28apYrE
>新田一族という概念が足利側からみたものでしかなかったりして
そもそも同族意識はないわなw同じ河内源氏くらいだ
本当は足利とは関係ない、ここまで言われる北関東が悲惨すぎるw
北関東無視も納得w
足利尊氏
梅松論
領地を寄進しようと、御文章の参考のために社家の古文書を召し出された中に、昔、鎮西八郎為朝の寄付の文書があったのを御覧になり、
「当家の祖神」とまことに有り難く思し召して、御社頭に向かって合掌され、御敬神浅からず見えた。
今川了俊
難太平記
義包(足利義兼)は長け八尺あまりで、力人に勝れた人であった。
ほんとうは為朝の子というが、赤子の時から義康が養った。
世にはばかって人に言わなかったので、それを知っている人はいない。
68 :
日曜8時の名無しさん:2014/04/06(日) 00:43:30.92 ID:rQ5qLJWi
>>65 >1310年頃の足利荘担当の足利奉公人は高頼基(南右衛門入道)
奉公人って何だ?
奉行人じゃねーのwww
69 :
↑:2014/04/06(日) 02:02:23.47 ID:iIfQOcal
スルーできねえのかよw
70 :
日曜8時の名無しさん:2014/04/06(日) 03:57:59.51 ID:LOXoZDm+
71 :
日曜8時の名無しさん:2014/04/06(日) 04:07:58.55 ID:LOXoZDm+
>>68 お前はいつも細かいことにうるさいんだなw漢字の間違いは一切するなか?w
奉行衆を奉公衆と書いたわけではあるまいし
漢字変換で奉公は出るが奉行出ないよな
ちゃんと奉公と打って、公の字を消して、行を打って奉行にしろってか?w
ダサい奴だ
72 :
日曜8時の名無しさん:2014/04/06(日) 04:09:06.75 ID:LOXoZDm+
73 :
日曜8時の名無しさん:2014/04/06(日) 04:18:25.42 ID:LOXoZDm+
足利尊氏公マラソン大会
http://www.takauji-marathon.com/ こりゃなんだ?例えて言えば水戸黄門と関係のない岡崎市民が水戸黄門マラソンをやるようなものか?w
しかも尊氏本人からここまで言われているにも関わらずだ
ダサい北関東め
足利尊氏
梅松論
領地を寄進しようと、御文章の参考のために社家の古文書を召し出された中に、昔、鎮西八郎為朝の寄付の文書があったのを御覧になり、
「当家の祖神」とまことに有り難く思し召して、御社頭に向かって合掌され、御敬神浅からず見えた。
74 :
日曜8時の名無しさん:2014/04/06(日) 04:26:45.78 ID:LOXoZDm+
実績もなくお茶らける北関東よ
今も昔も、黙して語らず、実績を残すのが武士
何百年三河に面倒みてもらうつもりや?
昨年は7兆1700億円の黒字、名古屋税関が公開
去年1年間の中部地方の貿易収支は、自動車を中心とした輸出が好調で貿易黒字となり、27年連続で全国1位となった。
名古屋税関が発表した中部5県の去年1年間の輸出額は、自動車や自動車部品などの輸出が増えたことから約17兆1700億円となり、前年に比べ約14%増えた。
これに対して、輸入は液化天然ガスや原油の輸入が円安で膨らんだことから、約9兆9900億円で前年を約11%上回った。
この結果、去年の貿易収支は約7兆1700億円の黒字となり、 27年連続で全国一となった。
http://news24.jp/nnn/news86217558.h
75 :
日曜8時の名無しさん:2014/04/06(日) 06:01:34.39 ID:w31pSrHJ
>>71 おいおい、ちょっと待てw
「奉公人(ほうこうにん)」と「奉行人(ぶぎょうにん)」って、
読み方も意味も全く違う言葉なんだが・・・。
分かっていて書いたのなら、間違えようがない言葉。
それに「奉行」って、まともに日本語入力できる環境なら、
確実に漢字変換可能な言葉だろw
まさか「奉行」の読み方が「ほうこう」だと思っていたとかいう、ダサいオチではないよな?
76 :
日曜8時の名無しさん:2014/04/06(日) 13:50:59.82 ID:33dbuoBQ
>>71 今後カススレ・ゴミレスする時は
前文に私は無知無能ですがか、捏造ですがとか、妄想しますとか、必ず書き込みなさい
最初見た時は柄本明の師直は考えの読めない静かに狂ってる奴だと思ったけれど
二度見るとすごく人間臭いキャラだというのがよく分かるな
というかこのドラマ、帝も尊氏も金八先生もみんなすげー人間臭い
時代劇としてはマイナーな時代なのに大河ベスト10に入るのも納得だわ
78 :
日曜8時の名無しさん:2014/04/07(月) 19:52:10.00 ID:+EEuHZxL
ベスト10どころか最高傑作だろう。
79 :
日曜8時の名無しさん:2014/04/07(月) 20:14:00.23 ID:5zebv5A2
「太平記」は大河ドラマとしては明らかに過大評価
真田広之は役者としては悪くないが若さゆえもあって足利尊氏という人物を
ほとんど理解できていない
「翔ぶが如く」は40代のまさに体力知力が全盛期の役者達が精魂傾けた
傑作という気がする。ドラマとして「太平記」よりはるかに上だよ
>>79 翔ぶスレでも同じようなレスを見たと思ったら、何だマルチかw
>>79 誰だか知らんが勝手にコピーすんな
俺はこのドラマには興味はない
82 :
日曜8時の名無しさん:2014/04/07(月) 22:37:39.09 ID:IpfPQkzy
マスターピースとは言わないが傑作だとは思うよ
レンタルで借りて一気見したが南北朝時代の39話からは
「ドッグヴィル」って映画思い出したわ。毎週日曜の夜八時にこんなの
見せられて次の日なんもやる気起きねえだろ・・
と思うくらい鬱々しい内容だったな。もう二度と39話から先は見たくねえw
原作は事情で1巻でさっさと終わったからまだダメージ少なかったが
大河は南北朝に2割も割いて詳しくやったから酷いわ。
尊氏が無間地獄かなにかに落ちてるのかと思うくらい可愛そうだ。
自分は大河は竜馬伝あたりくらいからしか見てないからよくわからないが、
過去にはこれくらい人の欲が生々しく描かれる大河って他にあるのか?
84 :
日曜8時の名無しさん:2014/04/08(火) 01:03:21.95 ID:IZxKcPnT
尊氏が可哀想ってありゃ自業自得だろ。人間の業はもっと深いぞ。
>尊氏が無間地獄かなにかに落ちてるのかと思うくらい可愛そうだ。
終盤のカオスってほとんど尊氏がやらかした過ちが原因だったりするけどねw
頼朝や家康だったら、天皇の逃亡なんて許さないだろうし、弟に過分な権力は与えない
直冬の直義への養子も認めないし、部下に領地をホイホイ与えたりなんて絶対にやらないだろう
尊氏がぼんくらというわけじゃない。人が良すぎた。それが全部自分に跳ね返る歴史の皮肉。
全ての理想がぶっ壊れたそのどん底の中で将軍の権力を振るい立ち上がる。
非情になりきれないおぼっちゃんのもがき苦しみながらの起死回生の勝利そして死。
そこに俺は感動したよ。
>>83 大河でどう描かれたかはともかく他の天下人やそれを狙った武将はもっと生々しいだろ
尊氏はかわいい方だよ
というか尊氏は天下人のくせに自らが天下を握るという目標を一貫して持っていたわけじゃない
なかなか珍しい人だからな
本当、生々しい欲望があったら面倒そうな連中は早めにズバズバと処理して
表向きはもっとずっとうまく事を運んでいただろう
あれは不器用な人間たちの群像劇だよ、俺はかなり好き
ちなみに「草燃える」とかスゴイよ
生々しいどころか禍々しいぜ
オンデマンドで総集編あるから見てみ
87 :
日曜8時の名無しさん:2014/04/08(火) 03:08:29.90 ID:XROLgNfb
>>78 最高傑作というか太平記以外の大河なんてほとんどゴミ
まぁ政宗信玄翔ぶが如くと黄金の日々ぐらいだろ、まともなのは
そこまでは言わんけど
独眼竜〜太平記の大河のクオリティは神
春日局だけは見たこともないしDVD出てないから知らんけどw
89 :
日曜8時の名無しさん:2014/04/08(火) 05:31:30.81 ID:Z/eGB46M
>>85 > 終盤のカオスってほとんど尊氏がやらかした過ちが原因だったりするけどねw
ただこれ必ずしも尊氏の性格だけに起因することでもないと思うよ。
いろいろな意味で悪条件が重なってしまったというか・・・。
後醍醐帝は、臣下の立場からしたら、恐らく史上最も扱いにくい天皇だろうし、
直義に関しては、直近の武家政治の先例である鎌倉幕府の執権政治をモデルケースに、
直義を執権的な立場につけたのが結果的に裏目に出てしまった感じ。
領地を気前よくバラ蒔いた件についても、
南北朝の内乱が続くなかで一人でも多くの武士を味方につけるためには、やむを得ない面もある。
ただ大河ドラマ『太平記』の一番の真髄が終盤のカオスにあるのは確か。
それが理解できない
>>83は可哀想な人だと思う。
90 :
日曜8時の名無しさん:2014/04/08(火) 05:37:37.33 ID:Z/eGB46M
>>88 それは役者や制作スタッフのレベルの問題もあるのだろうけど、その辺の作品って、
ちょうど予算が潤沢にあったバブル期にあたっていることも大きいのかも知れない。
91 :
日曜8時の名無しさん:2014/04/08(火) 08:54:54.63 ID:oDvg5nX8
>>85 そうなんかw
本放送の時中学生くらいやったから殆ど覚えてないわ
久し振りに見たいぞよ
花の乱も好きだったけどな。
毒に免疫がるのか日野
93 :
日曜8時の名無しさん:2014/04/08(火) 09:34:50.11 ID:qIFY3u+S
太平記は原作が神歴史小説なんだよ、吉川英次の最後の大作、戦後だから書けた
尊氏は三英傑に比べれば凡人なので感情移入しやすい
幕府への反発、後醍醐への期待と失望、トップに立った者の苦しみ
弟や息子との内戦、ドラマとしてはおもしろい
94 :
日曜8時の名無しさん:2014/04/08(火) 10:38:51.95 ID:uyYR1CLc
でも本人は醜男らしいので、真田広之じゃあ感情移入出来ないと言うか
尊氏は良い意味でも悪い意味でも良いところこの坊ちゃんなんだよね
家督相続にも苦労していないし政治家肌の弟との仲も観応の擾乱までは良かった
親族家来は源氏恩顧、地方に長く根をはった領主ばかりで勢力の立て直しも早いし
>>84 人情ある采配がああなるってのが自業自得ってのはあまりにも救われん、俺は認めたくない。
人の業がもっと深いとか、もう生きたくないわな。
>>85 直冬との勝利だって通過点にしか過ぎないし、純粋に感動できないな。
かわいそうっていうのは、このドラマの尊氏は人との対話が肝要、人の善性への信など、
自分も特に信じてる事を信念に持ってる人だから、余計ひいきしてるのかもしれん。
>>86 サンクス、wikiでちょっとみたけど、宇喜多直家みたいなのがいる感じだな。色々凄そう。
翻って官兵衛の直家は、どろどろしたものをばっさりカットしてコメディ臭すらする悪人って感じで、
この20年で演出がソフトになっていってるのかね。時代の流れだとも思う。
アニメもけいおんみたいななんにもかんがえなくてもいいタイプが流行ったりするし、
人の黒い部分をできるだけ隠すような方向になっていってるんだと思う。
自分も残念な反面、歓迎する部分もあるから一概に悪いともいえない。
>>89 確かに真髄はラスト10話だろうというのは同じだ。二度と見たくないほど嫌うくらいに心が揺り動かされたわけだから、
すごい高評価をしてる。吉川英治も平家物語でできなかった、権力欲とは何か、それが
太平記の課題のひとつだといっていたとおり、このドラマはその部分を原作を補えるくらいしっかり作ってると思う。
後醍醐天皇があまりにも美しい死をしたので、そのあとのカオスが余計クローズアップされるような構図もグッドだ。
>>83,96
あんたのレス、なんかしらんがすごいグッときた。
98 :
日曜8時の名無しさん:2014/04/08(火) 13:27:53.00 ID:uyYR1CLc
どうも高嶋弟が苦手で…
うん俺も83氏の意見は新鮮かな
改めて冒頭の木切れの話を考えてみた
物語的には潔癖症のおぼっちゃんの尊氏は
ただの木切れ=政略結婚の妻、息子、権力欲の強い佐々木道誉、師直
達は軽蔑すべき人々だろう(あくまで物語上の話ね)
美しいと思えた後醍醐天皇、楠木正成、子供のころに発破かけられた新田義貞、熱血漢の弟、藤夜叉と息子直冬の方に思い入れや愛情が深かったに違いない
それが数々の戦いをくぐりぬけ最終回になると「木切れは神だったかもしれない」の台詞にまで昇華していく
最後に佐々木道誉を終生の友と呼び
(初めてあったときから友だと思ってたなんて台詞もあったけど振り回されてたこことのほうが多いよな)、妻に寄り添う形で生涯を終える
そして社会は安定の方向に向かう(歴史的には多頭政治から将軍独裁へ戦乱の終結まで何十年もかかるけど)
結構深いわ
初回、それまで北条の横暴に足利家がキレてるシーンなのに、登子に会った途端「かわいいは正義」になる青年高氏は後半にないなごみだな
101 :
日曜8時の名無しさん:2014/04/08(火) 14:37:46.58 ID:Z/eGB46M
>>96 > 後醍醐天皇があまりにも美しい死をしたので、そのあとのカオスが余計クローズアップされるような構図もグッドだ。
後醍醐帝は確かに最後の最後まで神々しい雰囲気を持っていたが、
しかし後醍醐帝の死と遺言の内容がさらにカオスを深刻にしたのも事実。
『花の乱』もそうだが、南北朝・室町物はホント救われないな
102 :
日曜8時の名無しさん:2014/04/08(火) 14:47:22.11 ID:Z/eGB46M
>>100 まあ最後までコンプリートしたあとに、序盤(1〜7話)の尊氏青春編をもう一度見直すと、
物凄い隔世の感があるよね。
ただ登子とは、お互い二十歳前後で結婚して、30代後半になっても子供を儲けているあたり、
政略結婚とはいえ、夫婦仲は実際かなり良かったものと推測されるのは事実。
そう考えると、初対面で尊氏が一目惚れしたという演出も悪くないw
103 :
日曜8時の名無しさん:2014/04/08(火) 15:40:59.56 ID:IZxKcPnT
>>99 木切れの解釈がちょっと違うんじゃないかな
木切れはスゴイもの、美しいもののように見せておいて中身は大したことはないものの象徴でしょ
高時とか、鎌倉の街が劇中それだとされてた
妻や師直はちょっと違うんじゃないか、道誉はそれっぽいけれど
で、本当に美しいものがそれに対する概念として尊氏の中で立ち上がる
義貞、俊基、京の都、後醍醐帝、藤夜叉、正成
尊氏はそれらに生涯をかけるが、かけた結果わかったのが
それらも結局まるで不完全な人間でしかなかったということ
だから本当に美しいものなどない、木切れこそ愛すべきものであったと尊氏は気づいたんじゃないかな
そこであのセリフなんだと思う
これ原作にないんだよね?うまい演出だよな
>>100>>102 尊氏は政治的に非情になりきれないんだよ、それを示した最初のシーンだと思う
そういう尊氏の人間性は物語を通じて一貫してるので俺は隔世の感は覚えなかったな
105 :
日曜8時の名無しさん:2014/04/08(火) 16:14:26.15 ID:Z/eGB46M
>>104 高時や鎌倉の街は中身が大したことないだけでなく、
表面的な見た目においてもスゴいものor美しいものでは全くなかったと思うけど。
高時や鎌倉の街は見た目も内面も最初から全く美しくなかったが、
第一印象的には美しいと思った義貞や後醍醐帝もよく見れば中身は・・・となって、
最終的に初回の木切れに戻り、「ただの醜い木切れでもあれは岩神様やも知れぬ」となる。
あと登子との初対面の場面は、尊氏が政治的に非情になれるかどうかとは関係ないと思うけど。
単に心を奪われるような女性が突然目の前に現れて揺れる青年尊氏を描いただけ。
まあその後を考えても、藤夜叉のことより登子との縁談を優先させたのは、
あの段階での尊氏と足利家にとっては政治的にも正しい選択だが。
>>104 >尊氏はそれらに生涯をかけるが、かけた結果わかったのが
>それらも結局まるで不完全な人間でしかなかったということ
そのあたりの物語上の演出は視聴者には見えるけど
尊氏には見えてなかったところだから
下克上の回の台詞「自分もこれまで神か仏かと思う美しい人々を見てきたが、いずれも消え去っていってしまった。」
もあるし、
自分の解釈としては本当に美しいものはない、というより
尊氏の認識として美しい者たちは去っていった
その上で数々の体験から現実に妥協して近づいたってイメージだね。
>>105 高時や鎌倉の街を木切れだって明言してなかったっけか?
日の本一番の武士と聞いていた得宗殿が、その得宗殿の治める武士の都が…って。
見た目というか肩書だな
>登子
関係あったよ。北条は執権を独占してるとは言え、本当は将軍の御家人の一人でしかない
しかも平氏、足利が源氏の頭領を自認するなら媚びへつらう相手ではない
直義は大声で吠えてたけれど、尊氏も闘犬場の件もあって静かにキレてた
オカンの決めた縁談を断って、オカンは「それはわかったから古今和歌集の写本を返してきて」とやって、
尊氏は最初目も合わせようとしなかったが、沢口靖子25歳に思わず二度見
当時沢口靖子がいくつだったのかwikipediaで見てたら
「HOTEL」の高島政伸の「姉さん」って沢口靖子だったのなw
>>108 沢口靖子の弟(義弟)キャラが完全に定着しているなw
110 :
日曜8時の名無しさん:2014/04/08(火) 18:35:33.06 ID:XROLgNfb
鎌倉の街がどうのなんてひとことも言ってないっての
>>107 で、その登子との対面の描写は、尊氏が非情になれないこととどういう関係?
尊氏は登子の前で得宗批判でもぶちまけて、登子を罵倒して帰るべきだったということか?
沢口靖子はマジで可愛いわ
113 :
日曜8時の名無しさん:2014/04/08(火) 20:29:43.50 ID:HBV9srLW
結局、見てるひとが色々想像を、それぞれ巡らせることができるから名作なんだよ。
最近の大河はそういう想像を巡らせる余裕の部分を与えてくれない。
すぐ登場人物が結論をセリフで解説してしまう。
もっと腹や目で演技して、見てる人があれこれ想像する楽しみを残してほしい。
>>109 秀吉でもそうだったな。
真田広之は一世代下の石田三成役だった。
>>111 政治的に非情になれないというのは言い方が変だったかも
でも高氏は直前まで北条から嫁をとることを名誉にかけて拒絶してた
登子を罵倒するかは知らんが、あの場は返すもんだけ返してすぐ帰ろうとしていたんじゃないの
んで登子に一目惚れして決意を崩すんでしょ、結局本も返さなかったし
一度こうだって決めたことが揺らぐ、迷う、その後の尊氏がよくやったことだよ
だから俺はいかにも尊氏らしいと思った
少なくとも単に美しい女性に心を揺り動かされた、ってだけの描写じゃないべ
116 :
日曜8時の名無しさん:2014/04/08(火) 21:48:45.96 ID:XROLgNfb
>>93 吉川英治がガンで体調を崩して端折られた湊川以降なんてほとんどオリジナルでしょ
>>115 序盤の青年高氏は世間知らずで自分の立場に責任を取ることも知らないので、
自分の思ったままに北条ムカつくだったり登子かわいいだったり素直に反応している。
これが足利家当主として武家の旗頭として、自分の感情と自分がやらなきゃいけないことが乖離することが多くなってその間で大人の苦悩とフラフラすることが増えてくる感じ
って感じ
118 :
日曜8時の名無しさん:2014/04/08(火) 22:43:28.20 ID:Z/eGB46M
>>115 尊氏って、一度決めた判断が後から揺らいで二転三転するようなタイプではないと思うけど。
むしろ決断するまでのウジウジが長い人物だと思うよ。
北条氏の打倒も、建武政権からの離反も、直義の始末も、
いずれも決断して腰を上げるまでは長いが、後になって判断をひっくり返したりはしていない。
>>116 それ以前の部分にも、オリジナル要素はかなりあるよ。
ただ専門家によるちゃんとした研究成果に基づく歴史像をベースに、
脚本家がエピソードを書き足している感じが割りと強いから、
その時代にそれはないだろ的な違和感があまりない。
原作といえば、陣内道誉とは違った意味での道誉の小悪党ぶりがちょっと笑える。
120 :
日曜8時の名無しさん:2014/04/08(火) 23:50:20.40 ID:IZxKcPnT
バサラ大名・道誉
田舎侍 ・正成
この対照がおもしろい
121 :
日曜8時の名無しさん:2014/04/09(水) 00:20:24.26 ID:tDrEM4ql
まあ道誉はバサラ大名とはいえ、そこそこ家柄も良いし、当時の一流の文化人&教養人だからな。
>>121 なんか伊達政宗みたいだな
道誉て倣岸不遜なイメージ強いけど
足利家のため戦って息子や孫が戦死して失ったり
それなりに苦労してるんだな。
>>118 建武の新政からの離反→出家→出家の撤回
まあそれぞれ理由はあるし、尊氏の心中も察するところはあるけれど、
一度した決断が絶対に揺るがない人ではないだろ
批判しているわけじゃないよ、そういうところが彼のいいところでもあると思う
だからこそドラマも面白かった
あの出家は後醍醐側への全面対決を避けるためのアピールであって、結局
それがならないことが確定した時点で、撤回するのは至極当然だろ
駆け引きの一つとしての出家という面が強いわけで、政治的な局面で下した
重大な決断を反故にしたというのとは全く異なるし、それを持ち出されても
ナンセンスなだけ
花見がてら聖地巡礼に行ってきたで!南朝ゆかりの旧所名跡がてんこもり!
吉水神社:行宮。後醍醐帝の直筆綸旨、玉座、正成の矢筒、大塔宮の陣羽織等展示
如意輪寺:後醍醐帝陵墓、帝自作の自木像、正行が矢で扉に書いた辞世の句、刀など
大塔宮が対北条戦の本陣に植えた桜や、顕彰碑、神宮、宮の身代わりに死んだ武将の墓もあった
…吉水神社でああこの門から帝は京を懐かしんだのかなどと思いながらの帰り道の余韻をブチ壊した、
咲アガチ編の痛絵馬を奉納したアニヲタは万死に値する
ちなみに桜は7分咲きでも十分綺麗でした。奥千本まで行くなら無理せずバス乗ろう
ヒストリアで新田義貞が鎌倉に乱入したシーンが使い回されたなw
128 :
日曜8時の名無しさん:2014/04/09(水) 22:10:05.61 ID:tDrEM4ql
自分はこないだ宗良親王を祭る井伊谷宮へ行ってきた。
井伊氏の菩提寺である龍潭寺の近くだった。
129 :
日曜8時の名無しさん:2014/04/09(水) 22:48:42.36 ID:w0GvgWkC
中世オタとしては
傑作は平清盛
秀作は義経
名作は太平記
太平記は最近DVDで見たけど面白かったな
史実とは無関係で唐突な感じもしたが尊氏と白拍子のスゥイート場面は
萌えたし、尊氏と新田義貞の一騎打ちなんてフィクション演出も面白かった
ただ清盛ほどの緊張感は無かったのは残念だったな
史実に忠実に脚本を造り、凝った演出をした清盛は最高だった
130 :
日曜8時の名無しさん:2014/04/09(水) 23:25:34.85 ID:CDIaZNED
足利義満の大河はよ!
131 :
日曜8時の名無しさん:2014/04/09(水) 23:47:30.26 ID:lxr1nxxI
>>129 \ ∩─ー、 ====
\/ ● 、_ `ヽ ======
/ \( ● ● |つ
| X_入__ノ ミ そんな餌で俺様が釣られクマ――
、 (_/ ノ /⌒l
/\___ノ゙_/ / =====
〈 __ノ ====
\ \_ \
\___) \ ====== (´⌒
\ ___ \__ (´⌒;;(´⌒;;
\___)___)(´;;⌒ (´⌒;; ズザザザ
太平記がスウィーツなのはガチ
だって脚本家からしてアレだし
自称トレンディー大河()だし
直義毒殺は定説だと思っていたけど、最近病死説も出ているらしい。
134 :
日曜8時の名無しさん:2014/04/10(木) 01:16:22.87 ID:wbPozfxS
>>133 病死って、室町幕府の公式見解通りの黄疸ってこと?
しかし直義の死に関しては、師直の命日に死んでいるとか、
偶然にしては話が出来すぎているからなぁ。
135 :
日曜8時の名無しさん:2014/04/10(木) 01:51:10.83 ID:wZGNHxha
>>132 トレンディ俳優が出演してたらスイーツになるわけじゃないからw
だってこのドラマって平成のドラマとは思えないぐらい男性向けでしょ
男に混じって活躍させてもらったのって樋口可南子の役だけだし
それに彼女の登場場面は少ない
母親役の藤村志保と恋人役の宮沢りえだけは善役だったけど、
あとの女性は悪人・キチガイ・馬鹿・田舎者のオンパレード
いい意味での女性蔑視ドラマ
136 :
日曜8時の名無しさん:2014/04/10(木) 08:28:50.78 ID:wbPozfxS
それをいえば前半のクライマックスである『足利決起』『京都攻略』『鎌倉炎上』の3話に、
ほとんど女性の登場人物が出てこないからね。
この3話すべてに登場する女性は登子のみ。
137 :
日曜8時の名無しさん:2014/04/10(木) 09:19:11.22 ID:bY+NQgPx
今なら登子主役だろうな、女太平記
守時が執権になるし、もう一人は九州探題もいた
兄が戦死する戦場に息子が攻める側にいる
お涙頂戴なら尊氏より主役向き
男は男、女は女、その上に成り立つスイーツって感じだろうか
倒幕したらスィーツな世が来ると思うておった
わしがほしかったのはもそっとスィーツなものであった
このスイーツぐらいで恵源は折れませぬ
141 :
日曜8時の名無しさん:2014/04/10(木) 17:15:11.73 ID:wbPozfxS
清子の里のスイーツはまことに旨い、旨いのう。
床に散らばったスイーツをボリボリ食う師直w
143 :
日曜8時の名無しさん:2014/04/10(木) 21:51:09.55 ID:RcPdIWWC
足利殿はスイーツはお好きか?
146 :
日曜8時の名無しさん:2014/04/11(金) 15:37:27.98 ID:ZrIcKyKw
トレンディードラマでも「もう誰も愛さない」とか「眠れない夜を数えて」とか「沙粧妙子」とか
ぜんぜんスイーツでないものもある
浅野温子とギバちゃんとSMAPと広末とポイズンが出ても快楽殺人ネタもある
147 :
日曜8時の名無しさん:2014/04/11(金) 20:42:05.21 ID:oRWYvfx+
朕もスイーツじゃ
そうか尊氏もスイーツか
148 :
日曜8時の名無しさん:2014/04/12(土) 04:06:06.31 ID:LVWF+pgz
つまり結論としては、『太平記』はすべてを超越しているということだな。
足利義満を大河でやるべきだな
きっと義詮は太平記と違ってまともな将軍として扱われるはず
義満はNHKでは大河の主役にしてほしくないな
主人公にして善人にされるのはつまらない
単純な横暴な権力者として描かれるのも駄目だな。
堕ちた権力を回復させ天皇と同格の存在になろうとする化け物として描いてほしいわ
151 :
日曜8時の名無しさん:2014/04/12(土) 12:19:25.35 ID:i0rrOJto
.
/ ̄ ̄ ̄ヽ
/ 丶
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| -ー ー- |
i^| ヽ・ヽ /・フ |^i
| | ・| |/ ‣・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・呼んだ?
从 ,,(__ !ヽ
/::::∧ ´〜〜゙゙ /::::|:ヽ
./:::::::|::::\_,,,,,,,,,_/|::::::|::::ヽ
歴史を動かした人間に単純な善人も単純な悪人もいないよ
あんまり単純化してほしくないわ
でも悪いところを描くのは難しいんだろうな
別の大河だが北条時宗なんか、言ってることとやってること(史実)のギャップがありすぎて
こいつ情緒不安定かって思った
あと兄殺しをなかったことにした超脚本。正気かよと。
草燃えるなんか権力闘争でどんどん黒くなっていく北条義時を見てるのが総集編でさえ辛かった
153 :
日曜8時の名無しさん:2014/04/12(土) 17:56:09.34 ID:tQNFrkrB
>>152 終盤になって真の主役・真の勝者がだれかわかる草燃えるは好きだった
154 :
日曜8時の名無しさん:2014/04/12(土) 18:14:17.71 ID:almLJ+NM
真の英傑は清濁併せ呑む人物だ。大義、親を滅す
155 :
日曜8時の名無しさん:2014/04/12(土) 21:38:55.16 ID:xYZOMqN8
156 :
日曜8時の名無しさん:2014/04/13(日) 00:15:46.34 ID:iOpd8/rR
>>152 一応、時輔生存説というのも、あるにはあるらしい。
もちろん、あのドラマのストーリーが荒唐無稽なのは異論ないけど。
>>154 後醍醐帝はそう考えると何なんだろうなあ
ムチャクチャな人だったけど無味乾燥な天皇よりおもしろいっていう評価の人がいたが
個人的には割とうなずけた
158 :
日曜8時の名無しさん:2014/04/13(日) 10:32:35.02 ID:feECZg7Z
無味乾燥な宗教より、麻原の方がおもしろいよな
平安から室町までの大河なら
太平記が最高、その後は新・平家物語、風と雲と虹と、まあまあなのは草燃える、炎立つ
残念なのは北条時宗、番外は義経、論外は平清盛かな
花の乱は?
個人的にはかなりの名作だと思う
花の乱は足利義政と日野富子の役者がもう少し若かったらなー
本来なら野村萬斎の細川勝元が一回り年上のお兄さんくらいの年齢なんだよな
>>157 情熱的な革命家だが、空回りしている
と言ってやりたいところだが、建武の新政の本当の目的は北条でも持明院統でもなく
大覚寺統の嫡流を排除して権力を自分の血統に集中させるという
意外と俗なところにあるんだよね
特に大覚寺統内での争いはドラマでは一切描かれていなかったし
まあでも理想に燃えながら空回りしているというキャラにしたのは正解だと思うけれど
ドロドロの内紛劇をやられたら「美しい」と思うのは高氏だけになってしまう
視聴者には高氏はのぼせ上がったただの馬鹿に映ってしまうわな
北条時宗の生涯は大河化に無理があるのかも
鎌倉内での権力闘争と大陸から振りかかる火の粉はまるで話が別だし
でもどちらかだけを描くってわけにもいかない
トンデモ脚本だけれど、アレ以上のものが作れるのかと言われたらわからない
役者選びと演出は確実に改善の余地があるが
163 :
日曜8時の名無しさん:2014/04/13(日) 19:51:48.09 ID:iOpd8/rR
『北条時宗』は当時のNHKが何故あれを大河にしようと思ったのかが不思議だな。
しかもこの失敗以降、NHKは鎌倉・室町の大河化を徹底して避けるようになるのが悔やまれる。
>>147 兄上は先帝のこととなるといつもスイーツじゃ
>>134 わざわざ師直の命日に殺そうとするくらいだから
尊氏は師直のことをそれなりに大事に思ってたのかね
166 :
日曜8時の名無しさん:2014/04/14(月) 01:48:00.34 ID:OV1U0DQr
師直を殺した上杉能憲を死罪にするとか言い出したわけだし
後スイーツ天皇
後チーズ天皇
169 :
日曜8時の名無しさん:2014/04/15(火) 00:59:45.29 ID:8iov7xT1
後小松天皇
後大学芋
後土御門天皇
一番長い名前の天皇
これクイズに出っからな
172 :
日曜8時の名無しさん:2014/04/15(火) 14:34:54.25 ID:8iov7xT1
長いといったら古代の天皇の和風諡号のほうが
173 :
日曜8時の名無しさん:2014/04/16(水) 03:07:53.17 ID:H0b9LrsO
後土御門の諱は、成仁(ふさひと)だな。
後スイーツ→後チーズ→後小松までは何となく語呂的にわかるが
その後の展開はよくわからん
てかもうスイーツはいいだろ飽きたよ。
177 :
日曜8時の名無しさん:2014/04/16(水) 21:22:21.79 ID:H0b9LrsO
後醍醐味
この当時って師直が尊氏に大勝利してたら天下獲れたん?
道誉さんが勝ち馬に乗りたいけど無理と言ってるんだから無理だろう
21ものやる気の足りない謚。漢字文化圏だろ、欧米か
68:後一条天皇1016-1036
69:後朱雀天皇1036-1045
70:後冷泉天皇1045-1068
71:後三条天皇1068-1072
77:後白河天皇1155-1158
82:後鳥羽天皇1183-1198
96:後醍醐天皇1318-1339
99:後亀山天皇1383-1392
(4):後光厳天皇1352-1371
(5):後円融天皇1371-1382
(6)/100:後小松天皇1382-1412
102:後花園天皇1428-1464
103:後土御門天皇1464-1500
104:後柏原天皇1500-1526
105:後奈良天皇1526-1557
107:後陽成天皇1586-1611
108:後水尾天皇1611-1629
110:後光明天皇1643-1654
111:後西天皇1655-1663
117:後桜町天皇1762-1770
118:後桃園天皇1770-1779
181 :
日曜8時の名無しさん:2014/04/17(木) 01:26:12.02 ID:julP3w86
>>180 とりあえず最初に確認だが、その辺の天皇名はいずれも謚号じゃなくて追号な。
あと「後○○天皇」という名前をやる気がないというなら、
元明天皇と元正天皇から1文字ずつとって「明正天皇」とか、
孝霊天皇と孝元天皇から1文字ずつとって「霊元天皇」とか、
こういう名前はどうなんだ?
>>181 謚>諡号・追号じゃないのか?
くっつけたのももちろんやる気足りないよ
帝王たるもの唯一無二でなくては
183 :
日曜8時の名無しさん:2014/04/17(木) 09:55:40.60 ID:AM4oDcxN
後醍醐は自分で諡号決めていたんだろ
醍醐・村上は珍しく天皇親政だったのであやかって後醍醐・後村上にした
>>178 明智光秀と同じことになるだけだと思う
佐々木みたいな地方源氏の有力者が、大義名分を得て高を潰しに来る
そうすれば晴れて自分こそが次の源氏の棟梁になるのだろ
師直も一応源氏みたいだけれど所詮足利の執事、北条の御内人長崎みたいなもんでしょ
185 :
日曜8時の名無しさん:2014/04/17(木) 13:55:02.33 ID:KMJIItBe
尊氏の子供を立てて、その執権になるなら可能だろう
直義が尊氏殺したので、直義を討ちました、私は忠臣です
幼君を守り立てて敵を討伐します、ほんとうに私は忠臣です
幼君が亡くなったので皇族から将軍を出します、前例もあります
これで幕府の権威もますます高まります、繰り返しますが私は忠臣です
いきなり尊氏が殺されたら直冬にも天下取る可能性が出てくるわけだ
西国は混沌の世界だな
187 :
日曜8時の名無しさん:2014/04/17(木) 16:10:38.29 ID:julP3w86
結局、尊氏を殺したところで、武士たちがまとまるかだな。
なんにも後ろ盾がないとこから始めて、
血統の正当性もないのに天下とれたのは結局秀吉ひとりか
師直が明智になったとして、誰かが尊氏の仇を討って戦後処理の会議でうまいことやったら、秀吉と同じことができるのかな
190 :
日曜8時の名無しさん:2014/04/17(木) 21:26:22.70 ID:julP3w86
判官殿だって家柄的に将軍になれるんしょ?天下狙う気はあんまなかったんかね。
192 :
日曜8時の名無しさん:2014/04/18(金) 01:52:22.10 ID:JUJ1lc1/
判官は清和源氏じゃないからなぁ
>>190 蘊蓄傾けたいなら分かりやすく書けよ
みんなそんな細かいこと辞書的な意味でしか考えてないって
>>190 天皇は死後に名前が付けられるけど
後醍醐は加後号を自ら名乗ったことは凄いよな
>>193 >みんなそんな細かいこと辞書的な意味
みんなってw
辞書的な意味ってwww
195 :
日曜8時の名無しさん:2014/04/18(金) 08:19:15.78 ID:JUJ1lc1/
>>193は芳ばしすぎるなw
釣りにしては餌が悪いけど
196 :
日曜8時の名無しさん:2014/04/18(金) 10:39:56.82 ID:sVQi2Wts
>>191 判官の佐々木は源氏の有力郎党
源氏を徳川としたら佐々木は井伊かな、そういえば近江の領主
大河板の歴オタってつくづくキショいな
歴史関係のムダ知識ひけらかし合うことしか人生楽しみないんだろうな
>>197 そう思うなら、この板に来ないほうがいいぞw
そのほうがキミ自身にとっても他の住人にとっても平和で幸せだ
まあ結局死後、嫁を秀吉に取られるんだけどなw
誤爆
201 :
日曜8時の名無しさん:2014/04/18(金) 18:49:33.49 ID:jPJuC7Rz
そういえば室町時代の後花園天皇は、最初は「後文徳」という名前に
しようとしたそうだが、後になって「文徳」は追号ではなく諡号で、
諡号には「後〜」を付けることはできないという指摘を受けたために、
「後花園」に名前を改めたらしい。
202 :
日曜8時の名無しさん:2014/04/18(金) 18:54:29.34 ID:jPJuC7Rz
>>196 ただ井伊は元々の出身地は遠江だからなぁ・・・。
>>180 後堀河、後深草、後宇多、後伏見、後二条、後村上を除外しているのは何故?
204 :
日曜8時の名無しさん:2014/04/18(金) 19:37:39.83 ID:jPJuC7Rz
>>203 それをいったら不登極帝の後高倉・後崇光もだな。
205 :
日曜8時の名無しさん:2014/04/19(土) 01:29:46.31 ID:+8RRVHXz
>>196 徳川は三河の土着盗賊で成り上がりの捏造源氏で源氏とは全く関係ない
井伊家は藤原北家で家格は高い
206 :
日曜8時の名無しさん:2014/04/19(土) 02:25:46.08 ID:IjV4i7F2
また三河屋か。
>>206 サザエ「あら三河屋さんちょうどよかった。あとでお醤油お願い。」
万人恐怖を大河化して欲しい
209 :
日曜8時の名無しさん:2014/04/19(土) 17:03:34.67 ID:IjV4i7F2
>>208 それ、ハッピーエンドにはならないし、ストーリーに華もないし、
そうとう暗い話になりそう・・・。
サザエさんの先祖
磯野藻屑源素太皆は源氏で間違いないな
新田義貞は足利の後ろ盾があると言いながらも
ド貧民で源氏一門の求心力も乏しいのに
僅か150騎でよくぞ幕府に反旗を翻したよ
>>211 だから古典太平記ではちょっとかっこいいよね
┏━━━━━━━━━━━━━━┓
┃┌───┐ ┃
┃│.ワイプ.│ テロップ.. ┃
┃│ 画面 │ テロップ.. ┃
┃└───┘ ┃ <ナレ:次の瞬間! と、そのとき!
┃ 【YouTubeの動画垂れ流し】 ┃
┃ 【やらせ・捏造】 ┃ <SEを被せる(ど〜ん、どし〜ん
┃ 流れるテロップ・・・・ ┃ どか〜ん、ぴろぴろぴろぴろ・)
┃ ┃
┃ やたらとデカイ ┃
┃ テロップ ┃ <SE:え〜
┗━━━━━━━━━━━━━━┛ ナレ:このあと、○○にスタジオ騒然!(CMへ)
/\ /\ /\
SE:え〜 SE:あははは SE:へぇ〜
214 :
日曜8時の名無しさん:2014/04/20(日) 17:31:18.27 ID:859eDehF
>>211 徴税使を殺して引っ込みがつかなくなったからでしょ?
徴税使の一件が無かったら
思い留まったかもしれないな
そうなれば・・・
216 :
日曜8時の名無しさん:2014/04/20(日) 19:57:57.35 ID:+ZcNCklD
>>205 >徳川は三河の土着盗賊で成り上がりの捏造源氏で源氏とは全く関係ない
先祖代々百姓の司馬遼太郎(笑)の愛読者か?w
徳川とやらに対して興味もないが、家康とやらは源為朝の血も入っている貴種だぞ
三代目信光の室は一色氏の娘 ←一色氏他、足利泰氏以前、吉良長氏、今川国氏の遺伝子in
四代目親忠の室は鈴木重勝の娘 ←源為朝、安達盛長、足助重範、楠木正成の遺伝子in
足助重長→重秀(母親は源為朝の娘)→重朝(安達盛長の娘)→重方→親方→貞親→重範→重員(母親は楠木正成の娘)→重勝
遺伝子云々なんて関係ないでしょ、当時そんなものは知られてないし
遺伝子が入ってるか入ってないかなんて言い出したら
殆ど全ての日本人になんらかの源氏の遺伝子は入ってるんじゃないか
問題は家系の意図的な書き換え、詐称、僭称でしょ
でも、それをやってるのは家康だけじゃないだろうし
あんまり批判してやるのもかわいそうだなとは思う
218 :
日曜8時の名無しさん:2014/04/21(月) 01:44:42.48 ID:e5tRA2Tr
>当時そんなものは知られてないし
系図は?尊卑文脈は?
>殆ど全ての日本人になんらかの源氏の遺伝子は入ってるんじゃないか
入っているわけないしw
>家系の意図的な書き換え、詐称、僭称
早くから、初代の親氏と息子の信光は自ら源氏と言っているからな、信光が一色氏から嫁をもらっているところをみると、裏が取れていたんだろう
源氏や源氏縁者だらけ、ほぼ全域が神聖なる足利所軍家領の三河で詐称は無理だよ
219 :
日曜8時の名無しさん:2014/04/21(月) 01:55:10.96 ID:WL0saak1
三河屋の遺伝子云々の話は置いとくとして・・・、
松平(徳川)氏の男系での血筋については、正直なんとも言えないと思う。
ただ松平氏って、一色氏とは結構関係がありそうなんだよね。
松平信光の室が一色満範の娘らしいという話もそうだが、
他にも家康が一色氏の末裔である以心崇伝を重用していることとか、
秀忠生母の実家西郷氏が一色氏が三河守護だった時代に守護代を務めた家系ということとか、
いろいろある。
220 :
日曜8時の名無しさん:2014/04/21(月) 23:17:01.24 ID:amR8s1Q2
>足利義兼で論破され
>足利奉公人で論破され
>家康の捏造家系で論破され
三河屋さん
>>216 >>218は
相変わらずボロボロだな
いい加減お陀仏してくれよw
221 :
日曜8時の名無しさん:2014/04/21(月) 23:25:11.39 ID:WL0saak1
奉行と奉公を間違えたのは流石に痛すぎだったと思うw
222 :
日曜8時の名無しさん:2014/04/22(火) 01:45:45.05 ID:ZmFWc9AI
お前らどうしてもスルーできないんだなw
高氏が篠村八幡宮に行くときの赤松軍を見習え
224 :
日曜8時の名無しさん:2014/04/22(火) 06:36:21.26 ID:Xt8/zpSI
>>220 お前は中学生以下とばれているんだよw
156 :日本@名無史さん:2014/01/26(日) 16:45:54.57
>>147 尾張氏の祖先が大和国葛城郡高尾張の尾張氏ならますます三河は関係ないじゃん
頼朝・尊氏の母系のルーツは大和国葛城郡高尾張でどのみち三河じゃない
>>150 藤原季兼はキ生まれ都育ちで後白河法皇の今様仲間だったんだが
そいつが三河国司になって転勤してきたからって
季兼=三河人という初歩的前提が無茶苦茶
で、季兼が尾張氏の娘に手を付けて生まれた季範は三河人とかw
ちなみに藤原季兼は備後守なんかもやってんだよね。
源義家(1039〜1106、室に源隆長(三河守)の娘)→源為義→源義朝→源頼朝
藤原季兼(1044-1101、三河四郎大夫、伊勢権守令)→藤原季範(初代藤姓熱田大宮司、額田冠者(三河国額田郡))→娘→源頼朝
藤原季兼(1044-1101、三河四郎大夫、伊勢権守令)→藤原季範(初代藤姓熱田大宮司、額田冠者(三河国額田郡))→娘→足利義兼→足利義氏(三河守護)
だよねじゃねーつーのw
阪急電車に乗ったら「川西源氏祭り」の広告が貼ってあった。
多田源氏つながりでやってるんだな。
226 :
日曜8時の名無しさん:2014/04/22(火) 21:04:07.41 ID:DmK1FHVe
ここの住人は三河バカに優しいよな
適当に放流させて真綿で絞める
日本史板なら即効ボコボコw
>系図は?尊卑文脈は?
その話はしてるじゃん、それと遺伝子は違うんだって
もちろん当時も実の親子の間には何らかの生物的繋がりがあるとは考えられていただろうけれど
それの正体が「遺伝子」であるとわかるのは19世紀以降
それより前は母系と父系のどちらかが偉いとか
ひどい場合には母体はゆりかごに過ぎないとか父親はきっかけに過ぎないとか
あるいは魂やら生まれ変わりがどうだのとか
まさに前近代的なことが好き勝手に言われていたわけでしょ
それは当時仕方がなかったことであってそこに現代の基準を持ち込むのはおかしいって言いたいのよ
そんなことを言ったら当時は家系を保つために養子も積極的に行われていたはずだが
家系はつながっても遺伝的には切れるよね
228 :
日曜8時の名無しさん:2014/04/23(水) 05:22:31.73 ID:riHKVQZh
>>226 基本は相手をせずに放置なんだけど、あまりにもおバカなことを言っているから、
時々絞めたくなることもあるってことだよ。
【三 河】をNGワードにすることを推奨します
岩波文庫版の「太平記」が出ていたから買った。
全6冊で次が10月だとか、全部揃うのに何年かかるんだ?
231 :
日曜8時の名無しさん:2014/04/23(水) 15:03:47.84 ID:oehu56OZ
このスレ、すごく変なのにとりつかれたね
逆賊厨に粘着されてたころよりは平和だよ
悪党厨とかいないのか
ここで話すんだったら
徳川の出自についてより
名和長年とかについて語ったほうがまだ合ってるような気が
234 :
日曜8時の名無しさん:2014/04/23(水) 20:51:51.46 ID:Q2D21Rf3
>>220 >>221 足利義兼は下野足利と関係ないと言い切ったのも痛すぎだよなw
国宝・鑁阿寺も可哀想にw
235 :
日曜8時の名無しさん:2014/04/24(木) 02:49:38.42 ID:jMCkSrU9
日本史蘊蓄の話題に花が咲いてスレが活気に満ちていた頃が懐かしいw
定期的に湧く困った人たち
・ネトウヨ
戦前の皇国史観の受け売りで足利尊氏=逆賊だと狂ったように叫ぶ人たち
南朝ですらそのまま使い続けた「尊氏」表記を、あいつは謀反人だから「高氏」に戻させたはずだと主張
現代の政治ネタを持ち込むのもこの人たち
・薀蓄語り
ただひたすら歴史薀蓄を一方的に語るだけの人たち
日本史板でやればいいように思うが、向こうでは鼻で笑われる程度の知識しかない為こちらに書き込んでいる模様
それでもドラマの内容に含まれる時代について語っているうちは良いが、全然関係の無い戦国時代などについても語り出すから始末に終えない
特にこのスレでは「三 河 バ カ」が有名
北朝南朝どっちが正統なのかは知らないが、
後の世の人が勝手にどちらかを正統だと決めて
反対側についたものを逆賊だと罵るのはいくらなんでもひどい話だと思うんだ
北朝方の公家や武将だって北朝というか持明院統こそを正統だと信じて
忠勤の心でついた者だっているだろうし
北朝南朝関係なく帝に弓引いたもんは悪、というのなら光厳天皇引きずり下ろした連中はどうなる
尊氏は一度後醍醐帝につきながらそれを見限ったわけでこの辺減点対象なのかも知れんけれど
後醍醐帝の政のまずさを指摘する声は当時からあったのであって
二条河原の落書だけじゃなく北畠も楠木もそれを指摘してたんでしょ
帝の誤りに気づきながらもそれに殉ずることが美学、みたいな風潮はどうかと思う
気持ちは分からなくもないが国が乱れるわ、誰も幸せにならない
尊氏の離反は人間的に同情できる点もあるし
京奪還後は尊氏も後醍醐帝に一応の礼儀は欠かしていないようだ
俺は尊氏を逆賊扱いするのは酷な話だと思う
てか尊氏を逆賊扱いしていたのは戦前のプロパガンダだろ
別に勤皇思想を批判するつもりはないがそれは尊氏をこき下ろすこととイコールではないだろう
そんなことをしていたら触らぬ神にたたりなしと民心は離れていくと思う
…尊氏disりに対して言いたいことを書いてみた
俺はネトウヨだけど尊氏は面白い人物だと思うよ
というかそんな昔のことまで口出さないから
239 :
日曜8時の名無しさん:2014/04/24(木) 18:16:26.76 ID:p1oOFs21
現代の感覚で当時を語ってる奴が数名いるな
241 :
日曜8時の名無しさん:2014/04/24(木) 20:01:21.28 ID:jMCkSrU9
まあ今となっては、南北朝正閏論争なんて議論すること自体が無意味だね。
しかし戦前の南朝正統論の滑稽な点は、近代の皇室が北朝の末裔であることもさることながら、
南朝を正統と見なした明治政府を構成している薩長出身者や公家たちの先祖も、
おそらく南北朝期にはほとんど北朝方であったと推測されることだな。
大河ドラマ
熊沢天皇はいつ
243 :
日曜8時の名無しさん:2014/04/24(木) 21:28:07.00 ID:Vw0x5FNx
南朝正統説にたつと、北朝は足利が自分の権力のために建てたニセ皇朝ってことになるんだよね?
三種の神器もない、と。
じゃあなぜ光厳天皇が北朝ってことになってるんだ?
光厳天皇は足利決起の前に即位してる
三種の神器も揃ってるし、その後の北朝とは明らかに違う
後醍醐天皇を北条がいわば無理やり退位させて即位させた帝だけれど
でも立太子はその五年前にしてるし、天皇としての要素が何か欠けてるとは思えない
帝を臣下が無理やり退位させて次の人を立てた前例はいくらでもあるはず
たぶん、後醍醐天皇の退位をなかったことにしたいがための方便なんだろうけれど
でもそれって南朝の権威に傷がつかない?
後醍醐帝が復帰するとか上皇として院政をとるとかだったら話はわかるんだけれど
詳しい人教えて
日本史板で聞くべき?
245 :
日曜8時の名無しさん:2014/04/25(金) 09:06:28.01 ID:+2KRjGKR
後醍醐は大覚寺も持明院も関係なく
後醍醐独裁帝国をつくりたかった、その始皇帝が自分
だから兄の子にも冷淡
そもそも南北朝というのは後世の人がつけた名前と概念
>>245 そうなんだよね、俺もそう思う
だからこそ南朝正統説はおかしい気がするんだ
てか俺が勝手に思ってることだけれど
大日本史はともかく、江戸時代の民衆が南朝びいきなのは
暗に政権批判してたんじゃないかと
今の将軍を任命した帝は本物ではない、だから今の政はニセモノだって
楠木や新田の講談を聞きながら民衆は溜飲を下げてたんだと思う
まあこれ以上はやめとく、スレ違いだし
247 :
日曜8時の名無しさん:2014/04/25(金) 10:37:06.55 ID:fscSHr2V
『大乗院日記目録』に「一天両帝、南北京也」とある件なんかを考えれば、
南北2つの朝廷があるという認識は当時の人も持っていたんじゃない?
もちろん光厳については話は別で、この認識はあくまで建武政権崩壊後だとは思うけど。
248 :
日曜8時の名無しさん:2014/04/25(金) 12:55:41.73 ID:fscSHr2V
>>247は
>>245へのレスね。
>>246 南北朝正閏問題については、その時代その時代の雰囲気のなかでいろいろ言われてきたけど、
今となっては最早どちらが正統かを議論すること自体が無意味、ということでいいのでは?
249 :
日曜8時の名無しさん:2014/04/25(金) 17:40:34.43 ID:vyLEtOQT
ホントこういうゴタゴタをつくった後醍醐ってのは迷惑な存在だよな〜
やめとくと言ったが最後に
>>249は違うと思うなー
まあ確かにいろいろと世の中に迷惑をかけたのは間違いないんだろうけれど
彼のやったことは権力闘争、それこそ日本でも世界でもどの時代でも常に起こってること
それ自体は責められまいよ
それ以上に面倒くさいのが万世一系とかいうお題目のために
歴史的事実を曲げようとする奴ら
そういうやつは今でも生きてるらしいぜ
251 :
日曜8時の名無しさん:2014/04/25(金) 22:33:52.24 ID:nJEnw5/Z
252 :
日曜8時の名無しさん:2014/04/26(土) 00:05:30.66 ID:fsicEEjq
そういや『正論』っていう雑誌があるけど、こういうのの読者って、未だに南朝が正統とか真顔で主張しそうだよね。
253 :
日曜8時の名無しさん:2014/04/26(土) 01:03:09.44 ID:dRuj6ZNw
そういや『ゴダイゴ』っていうバンドがあったけど、こういうののリスナーって、未だに南朝が正統とか真顔で主張しそうだよね。
>>250 違うと思うな〜って言われてもな。権力闘争も規模によるだろ。全国津々浦々を戦乱に巻き込みしかも長期化。北条は鎌倉内でこぢんまりと権力闘争、関ヶ原は一日で決着。
255 :
日曜8時の名無しさん:2014/04/26(土) 02:30:02.97 ID:fsicEEjq
というか鎌倉幕府の滅亡と建武政権の失敗が結果的にパンドラの箱を開けたようなものでしょう?
それまで表面化していなかったいろいろな社会の矛盾が、これによって一挙に噴出し始めたというか。
256 :
日曜8時の名無しさん:2014/04/26(土) 04:39:27.49 ID:8ljbStRQ
社会矛盾なんて現代のほうが比較にならないほど複雑でしかも大きい
>>255 封建社会は社会の矛盾なんて概念そのものが存在しないべ
今の基準で考えたら矛盾以外の何物でもないものを社会の仕組みの根本としてたんだから
どこぞのサイトで読んだけれど、こういう例えがわかりやすいと思う
徳川の末裔が今突然政治不信を背景に小選挙区制かなんかで圧倒的多数を握って、
この150年をなかったことにしまーす、それまでお前らが得た財産は全て江戸末期まで
遡って分配し直すからー、なんて言い出したらどうする?
そりゃその徳川さんと幕府重臣だったグループは超儲かるだろうけれどほとんどの人は大損こく
損するしないどころかそもそも江戸社会なんて今の世の中の実情にまるで合わないわけだし
社会は大混乱に陥るだろう
それをやったのが建武の新政、鎌倉時代もちょうど150年程度
パンドラの箱ってのがなにを意味してるのかわからんけれど
鎌倉末期には例えば元寇の恩賞がないとか
得宗先制が強まっていく中で理不尽に所領や役職を取り上げられる地方御家人が増えていて
例え足利がいなくても何かが起こるのは時間の問題だっただろう
258 :
日曜8時の名無しさん:2014/04/26(土) 09:05:34.99 ID:hq82+RBK
>>253 バンドのゴダイゴはGO DIE GOだよ
タケカワユキヒデとかミッキー吉野とかいた
モンキーマジック・ガンダーラ・ビューティフルネーム
リアルで西遊記見た奴は40歳以上だが
>徳川の末裔が今突然政治不信を背景に小選挙区制かなんかで圧倒的多数を握って、
当時の朝廷は一応中央政権としての体裁があったから
それなりの家の中財閥の次男坊がというところだろうか。
官軍の武士だって仮にも天皇家が言ってるんだからそれなりに
纏まるだろうって思って倒幕に参加したんだろうし。
20世紀の日本史だと政権の末期を末端の経済問題に還元するのが主流だったけど今もそうなのかねえ。
261 :
日曜8時の名無しさん:2014/04/26(土) 16:20:54.47 ID:fsicEEjq
>>257 例えば
・惣領制的な同族結合の解体傾向
・新興武士の社会的影響力増大
・開発の進展による境目相論の激化
これらは、いずれも既に鎌倉後期から起こりつつあったことだけど、
鎌倉幕府が倒れるまでは公式には存在しないことにされていたわけで。
で、ある意味それを白日のもとに炙り出してしまったのが建武政権。
そしてその建武政権が中途半端に社会を掻き回したあげくに南北朝の内乱に突入したことで、
収拾が付かなくなったようなイメージだが。
>>236 >戦前の皇国史観の受け売りで足利尊氏=逆賊だと狂ったように叫ぶ人たち
ここ3年位このスレにいるけど、そんな奴見たことねーぞ。
俺が脳内スルーしちゃって覚えてないだけかも知れんが・・・
>>237、
>>241、
>>252 てか、普通に考えたら現王朝を擁立した立役者なんだけどねー、尊氏は。
それはさておき、光厳天皇が即位したのは倒幕前だったことをこの番組を見て知った日から22年。
俺も歳をとるわけだ。
263 :
日曜8時の名無しさん:2014/04/26(土) 20:51:03.22 ID:Zv4Uz2yZ
>>253 ミッキーだけにタカ派っぽいしな(安川にしろディズニーにしろ)
264 :
日曜8時の名無しさん:2014/04/26(土) 20:54:34.17 ID:/G0YAWnb
>>228 >馬鹿とはコイツのことか?w
156 :日本@名無史さん:2014/01/26(日) 16:45:54.57
>>147 尾張氏の祖先が大和国葛城郡高尾張の尾張氏ならますます三河は関係ないじゃん
頼朝・尊氏の母系のルーツは大和国葛城郡高尾張でどのみち三河じゃない
>>150 藤原季兼はキ生まれ都育ちで後白河法皇の今様仲間だったんだが
そいつが三河国司になって転勤してきたからって
季兼=三河人という初歩的前提が無茶苦茶
で、季兼が尾張氏の娘に手を付けて生まれた季範は三河人とかw
ちなみに藤原季兼は備後守なんかもやってんだよね。
>備後守なんかもやってんだよね。
>備後守なんかもやってんだよね。
>備後守なんかもやってんだよね。
>備後守なんかもやってんだよね。
>備後守なんかもやってんだよね。
>備後守なんかもやってんだよね。
>備後守なんかもやってんだよね。
>備後守なんかもやってんだよね。
265 :
日曜8時の名無しさん:2014/04/26(土) 20:56:20.26 ID:/G0YAWnb
266 :
日曜8時の名無しさん:2014/04/26(土) 22:02:14.07 ID:fsicEEjq
>>262 現王朝というのは、まあ確かにそうだな。
ついでにその観点からさらにいえば、現在の京都御所(土御門東洞院内裏)だって、
直接的には南北朝時代に北朝の天皇家が使っていた内裏にルーツがあるからなぁ。
ただ尊氏って、建武政権崩壊時に後醍醐を見限っただけでなく、
正平の一統のときには自分で擁立した北朝(崇光天皇)も捨てているから、
確かに尊皇家からのウケは悪そう。
267 :
日曜8時の名無しさん:2014/04/26(土) 23:12:05.22 ID:/G0YAWnb
>>足利義兼は下野足利と関係ないと言い切ったのも痛すぎだよなw
言い切ったのはタカちゃんと了ちゃんだろw
足利尊氏
梅松論
領地を寄進しようと、御文章の参考のために社家の古文書を召し出された中に、昔、鎮西八郎為朝の寄付の文書があったのを御覧になり、
「当家の祖神」とまことに有り難く思し召して、御社頭に向かって合掌され、御敬神浅からず見えた。
今川了俊
難太平記
義包(足利義兼)は長け八尺あまりで、力人に勝れた人であった。
ほんとうは為朝の子というが、赤子の時から義康が養った。
世にはばかって人に言わなかったので、それを知っている人はいない。
268 :
日曜8時の名無しさん:2014/04/27(日) 03:34:17.54 ID:wry5bGKa
とりあえず文献を引用するときは原文のまま引用しろよw
勝手な解釈の現代語訳は要らない
269 :
日曜8時の名無しさん:2014/04/27(日) 06:59:23.88 ID:BtPganoq
足利も敵の後醍醐には敬意を持っているが北朝にはもっていない
室町時代が皇室の権威が一番低い
室町は幕府が弱いというものの皇室をもっと弱くしたから
鎌倉式の統幕を不可能にしてしまったといえるな。
271 :
日曜8時の名無しさん:2014/04/27(日) 11:39:35.36 ID:huUSyKVC
>>234 鑁阿寺って言えば
去年のAKB48のPVのロケ場所が鑁阿寺なんだよね。
開基した足利義兼公の坐像や尊氏公やら貞氏公やら沢山の古文書が保管されている本堂の前の庭に
AKB48のメンバーがタイムカプセルを埋めたんだよね。
足利義国公と足利義康公が眠る墓所の付近も撮影されていたよ。
272 :
日曜8時の名無しさん:2014/04/27(日) 13:47:02.19 ID:ULS3hUYX
死ねよAKB
273 :
日曜8時の名無しさん:2014/04/27(日) 14:14:00.52 ID:wry5bGKa
>>270 幕府が弱いかどうかは時期にもよるし、見方によっても変わってくる。
将軍個人の権力という点からいえば、ある意味室町は最強だ。
274 :
日曜8時の名無しさん:2014/04/27(日) 16:58:47.19 ID:BtPganoq
義満・義教は独裁者だからな
幕府システムは弱いが将軍個人は資質次第
徳川は幕府は絶対でも将軍個人の権力は制限されている
たとえ吉宗でも
275 :
日曜8時の名無しさん:2014/04/27(日) 20:28:47.71 ID:oxS+F2Bf
>原文のまま
>勝手な解釈
誰か原文貼ってやれw
いろいろな現代語訳が出来るらしいw
276 :
日曜8時の名無しさん:2014/04/27(日) 20:40:35.36 ID:oxS+F2Bf
>鑁阿寺って言えば
これか?
■1234年、鑁阿寺大御堂を建立
(大檀那)足利義氏(三代目足利氏当主)
・藤原実範(三河国司)→藤原季兼(三河四郎)→藤原季範(額田冠者、初代熱田大宮司)→娘→足利義兼→足利義氏
(大行事権律師)藤原重弘(鑁阿寺第四世寺務学頭、野田朝氏と兄弟)
・藤原実範(三河国司)→藤原季兼(三河四郎)→藤原季範(額田冠者、初代熱田大宮司)→藤原範忠→野田清季(野田城主(三河国設楽郡野田))→野田朝季→藤原重弘
(大勧進)阿闍梨了心
(雑掌・奉公人)藤原朝氏(野田朝氏、野田大宮司、嫁は足利義氏の姉)
・藤原実範(三河国司)→藤原季兼(三河四郎)→藤原季範(額田冠者、初代熱田大宮司)→藤原範忠→野田清季(野田城主(三河国設楽郡野田))→野田朝季→野田朝氏
(雑掌・奉公人)源季能
(雑掌・奉公人)小俣禅阿(鶏足寺の別当)
(雑掌・奉公人)大平惟行
・高階惟章→惟頼→惟真→惟範→惟長(三河国額田郡菅生郷郷司)→瀧口惟忠→大平惟行(三河国額田郡大平か?)
(雑掌・奉公人)高階義定
・高階惟章→惟頼→惟真→惟範→惟長(三河国額田郡菅生郷郷司)→惟重→義定
(雑掌・奉公人)大進円憲
(雑掌・奉公人)佐野範綱
(雑掌・奉公人)真下広経
(雑掌・奉公人)小野有家
(雑掌・奉公人)藤原兼資
■鑁阿寺 旧多宝塔跡
藤原重弘(鑁阿寺第四世寺務学頭、野田朝氏と兄弟)が、父である野田朝季の供養のために造立した供養塔、多宝塔供養導師は、足利義氏の息子、最信
野田朝季(野田大宮司、朝比奈義秀と戦い戦死)
・藤原実範(三河国司)→藤原季兼(三河四郎)→藤原季範(額田冠者、初代藤姓熱田大宮司)→藤原範忠→野田清季(野田城主(三河国設楽郡野田))→野田朝季
最信(勝長寿院別当)
・藤原実範(三河国司)→藤原季兼(三河四郎)→藤原季範(額田冠者、初代藤姓熱田大宮司)→娘→足利義兼→足利義氏→最信
当初のお茶の間ホンワカドラマにうんざりして早々に引き上げてたんだけど
母が最近面白くなったと言うので見てみたら、別のドラマみたいに真面目に作ってた
中途組の為に、人物名テロップを入れて欲しい
278 :
日曜8時の名無しさん:2014/04/27(日) 21:28:07.89 ID:ph1a3ry1
後土御門の諱は、成仁
ごめん、誤爆っす
>>277 お茶の間ホンワカドラマとは高氏と右馬介がのんきに京見物してるあたりか?
などと考えてしまったではないかw
今年の大河のことかな
282 :
日曜8時の名無しさん:2014/04/28(月) 00:37:11.80 ID:0WHrj14k
>>274 江戸幕府の場合、一番独裁志向が強かったのは綱吉だろう。
吉宗に関しては、システムの限界を超えてまで自分が権力を持とうなんて発想は、
最初からないと思う。
>>271 鑁阿寺ってドラマの前半には出てきていたな
鑁阿寺の映像は鎌倉の寺の場面でも使い回されていたな
>足利義国公と足利義康公が眠る墓所の付近も撮影されていたよ。
開基したなら足利義兼も眠っているんじゃねえ?
>>AKB
てかAKBって鑁阿寺の庭に穴掘っていいのか?
284 :
日曜8時の名無しさん:2014/04/28(月) 07:32:30.22 ID:0WHrj14k
鑁阿寺は、東京近辺からなら日帰りの一日観光コースにちょうどよい場所だな。
行くなら足利学校とセットが一般的。
285 :
日曜8時の名無しさん:2014/04/28(月) 09:22:21.49 ID:RzgV4T0k
>>282 御三卿なんてものをでっち上げたのは独裁者ならではじゃないの
大覚寺統の傍系に過ぎないのに自らの子孫で皇統を独占しようと企んだ辺り、思いっきり吉宗と被るなw
傍流だからこそでしょ
吉宗も紀州だし、家格が上の尾張をとにかく黙らせる必要があった
確かに被る部分はあるね
まあ独裁者というものは世界どこでもそういうものだ
何か問題を抱えていてその劣等感から突飛な行動を取る
288 :
日曜8時の名無しさん:2014/04/28(月) 13:45:33.50 ID:FDhXtVdX
こんな大混乱の時代、一人ぐらい英雄が出てきてもいいんだけど誰もいないってのがな。義満まで待たなくてはならなかった
天下統一できるくらいの人物という意味での英雄なら義満あたり
しかいないね
日本の場合天皇家を取り込まないと自己の権威も安定しないしね。
で、天皇家と同格(世間的に)になったと思ったら今度は将軍家が分裂して
また日本中が騒乱状態になっちゃったという
290 :
日曜8時の名無しさん:2014/04/28(月) 16:22:18.55 ID:0WHrj14k
>>278 成仁の読みは「ふさひと」だったかな。
>>285 三卿なんて単なる血のスペアに過ぎないし、何でそれを以て吉宗が独裁者になるんだ?
それに日本史の学界で、吉宗期の政治体制を独裁政権として見るような学説は、
まず聞いたことがないな。
291 :
日曜8時の名無しさん:2014/04/28(月) 18:48:38.78 ID:zxKPZHqb
全国足利氏ゆかりの会は足利市や鎌倉市や京都市の3都市を中心に足利氏に深い関係のある地域を
結んでいる最高の会で、当然、足利庶流で捏造三昧の三河岡崎は除外されていることは素晴らしい
293 :
日曜8時の名無しさん:2014/04/28(月) 21:44:09.68 ID:zxKPZHqb
294 :
日曜8時の名無しさん:2014/04/28(月) 21:46:17.44 ID:zxKPZHqb
>足利市は高卒だらけか?w
どの程度なんだい?
■大卒率・大卒人口・・・男、25歳〜34歳、社会人(かっこ内はうち院卒)、[右端は25-34歳の性比=女性100人に対する男性の人口]、2007総務省。84都市調査
61% (12%) 川崎市【神奈川】 77,700人 (15,800人)
60% (7%) 吹田市【大阪府】 15,300人 (1,700人)
56% (8%) 東京区部【東京】 379,600人 (52,700人)
54% (7%) 西宮市【兵庫県】 12,000人 (1,600人)
53% (12%) 所沢市【埼玉県】 13,300人 (3,100人)
52% (7%) 岡崎市【愛知県】 14,700人 (1,900人) ←三河国
52% (7%) 名古屋【愛知県】 79,400人 (11,200人)
52% (7%) 市川市【千葉県】 20,300人 (2,600人)
51% (11%) 高槻市【大阪府】 12,100人 (2,500人)
51% (9%) 横浜市【神奈川】 136,900人 (24,800人)
51% (12%) 藤沢市【神奈川】 12,500人 (3,000人)
50% (5%) 大阪市【大阪府】 93,300人 (8,500人)
295 :
日曜8時の名無しさん:2014/04/28(月) 21:48:20.37 ID:zxKPZHqb
>足利市は高卒だらけか?w
どの程度なんだい?
2000年以降 公立高校 東大合格者数推移 (*公立全国1位)
浦和 千葉 岡崎 旭丘 土浦一 宇都宮 都立西 日比谷
2000年 *32 25 30 26 31 21 11 6
2001年 16 21 31 21 *32 18 13 3
2002年 28 19 *36 24 33 17 17 4
2003年 29 23 *38 22 32 15 25 5
2004年 22 23 *31 29 29 23 11 3
2005年 27 20 *28 21 26 21 18 14
2006年 16 23 *36 20 21 28 19 12
2007年 *33 20 26 28 28 24 16 28
2008年 33 19 *40 25 26 29 28 13
2009年 36 27 *42 19 16 26 15 16
2010年 29 22 *41 32 24 11 20 37
==================================
合計 301 242 379 267 298 233 193 141
296 :
日曜8時の名無しさん:2014/04/28(月) 21:59:43.23 ID:zxKPZHqb
独力で、利権まみれの南関東とガチ勝負している地域、三河以外にどこがある
足利とかいうだっぺ君が対等に話ができる相手でないだろうが
【リーマンショック後の総所得ランキング】
・課税所得額ならびに総所得額の推計を実施。本文中の数字は全て総所得額ベース。
総所得ランキング
01位 江ノ島電鉄線(神奈川県藤沢市〜鎌倉市) ←相模国
02位 阪急甲陽線(兵庫県西宮市) ←摂津国
03位 京王井の頭線(東京都渋谷区〜武蔵野市) ←武蔵国
04位 東急東横線(東京都渋谷区〜神奈川県横浜市) ←武蔵国
05位 東急こどもの国線(神奈川県横浜市) ←武蔵国
06位 東急田園都市線(東京都渋谷区〜神奈川県大和市) ←武蔵国、相模国
07位 相鉄いずみ野線(神奈川県横浜市〜神奈川県藤沢市) ←武蔵国、相模国
08位 東急目黒線(東京都品川区〜神奈川県横浜市) ←武蔵国
09位 名鉄西尾線(愛知県安城市〜西尾市) ←三河国
10位 名鉄豊田線(愛知県みよし市〜豊田市) ←三河国
11位 東急大井町線(東京都品川区〜神奈川県川崎市) ←武蔵国
12位 東急世田谷線(東京都世田谷区) ←武蔵国
13位 小田急小田原線(東京都新宿区〜神奈川県小田原市) ←武蔵国、相模国
14位 名鉄三河線(愛知県豊田市〜碧南市) ←三河国
15位 東急池上線(東京都品川区〜大田区) ←武蔵国
ソース:東洋経済オンライン
http://www.toyokeizai.net/life/living/detail/AC/a9f0b48216dc7b01346aec09db603d62/ ソースのソース:株式会社野村総合研究所 第2回全国のエリア別所得・金融資産を推計
http://www.nri.co.jp/news/2010/100330.html
>>283 足利義兼公は最初は鑁阿寺を建て住んでいたけど
その後、樺崎寺・八幡宮(旧法界寺)を立てて住まいを移ったんだよ。
だから義兼公の墓所は樺崎寺・八幡宮にある。
そこのご本尊が流出して不明だった運慶の大日如来像12億円。
近くに義氏公開基の光徳寺がある(ここにも義兼公が運慶に作らせたやや小ぶりの大日如来像があるよ)
>>284 確かに。けど義兼公の樺崎寺や3代当主の義氏公開基・墓所の法楽寺や、
4代当主の義氏公開基・墓所の平石八幡宮、5代当主の頼氏公開基・墓所の吉祥寺やら
尊氏開基の善徳寺や源義家創建の下野國一社八幡宮などなど、見て回ったら
2〜3日かかりそうだね。
× 4代当主の義氏公
○ 4代当主の泰氏公
299 :
日曜8時の名無しさん:2014/04/29(火) 21:49:48.51 ID:M0d48Hzl
足利直義は政治の手腕や工作に長けていたとはいうものの
結局は失脚し、反逆するものの敗北した上で死んでしまった。
これは結局尊氏側のほうが優れていたってことなのだろうか?
源氏はだいたい同族相争い内部抗争で粛清、
平氏はだいたい権力独占して腐敗してゆく
301 :
日曜8時の名無しさん:2014/04/30(水) 03:32:34.62 ID:xAIrFlLJ
>>300 あまりそういうステレオタイプなイメージに固執して歴史を見ないほうがいいと思うよ。
どうやってその権力を独占するんだよ?
当時は政敵を次々と排除していく他ないだろ
当時は家柄が重要だから身内こそ最大のライバルだ
平家だって身内でのエグい争いはさんざんやってるよ、多分知られている以上に
ちなみに大河で言うと風と雲と虹とではその内部抗争が中盤までのメインテーマ
303 :
日曜8時の名無しさん:2014/04/30(水) 17:25:48.60 ID:Mr9yI3DV
γヽ /^/⌒\
/ヽヽ|/⌒\ii|\
/ /ヾゞ///\\|
|/ ハ;;;;|/ハ\|
,ハ,,,ハ .,ハ,,,ハ
(*´ω `(´ω `*)
∪ ∪ ‖∪ ..∪
゙、,____,ノヾ.,____,ノ
|;;;;;|
|;;;;;|
|;;;;;|
304 :
日曜8時の名無しさん:2014/04/30(水) 18:32:05.87 ID:xAIrFlLJ
>>287 吉宗が独裁者とか芳ばしいなw
綱吉期に将軍やその一部取り巻きに政治が振り回された反省から、側用人制度を排し、
老中などの幕閣による合議制を重視したのが吉宗の時代。
まあ吉宗自身、幕閣の支持のお陰で将軍になれた経緯もあって、
彼らにあまり強くは出られないという事情もあったが。
305 :
日曜8時の名無しさん:2014/04/30(水) 20:12:57.68 ID:3trLtebN
>>297 微妙に違うな
足利館として造ったのは義国と息子の義康
足利館を寺として造り直したのが義兼
306 :
日曜8時の名無しさん:2014/04/30(水) 20:33:12.14 ID:3trLtebN
>ちなみに大河で言うと風と雲と虹と
ちなみに平将門を射った藤原秀郷の子孫が籐姓足利氏
その籐姓足利氏を足利の地で射ったのが源頼朝と足利義兼
307 :
日曜8時の名無しさん:2014/04/30(水) 21:01:49.77 ID:xAIrFlLJ
秀郷の子孫といっても嫡流は小山氏だからなぁ
308 :
日曜8時の名無しさん:2014/04/30(水) 23:21:36.03 ID:3trLtebN
諸説ある
秀郷の嫡流は平安末期までは足利氏
藤性足利氏が源頼朝に討伐されてからは嫡流は小山氏
鎌倉幕府成立後、頼朝が新たに小山氏を嫡流に選定した旨は
吾妻鏡に書かれている
309 :
日曜8時の名無しさん:2014/05/01(木) 02:22:50.85 ID:+5KeGRmG
でも小山氏って、鎌倉幕府成立以前から下野押領使だったのでは?
310 :
日曜8時の名無しさん:2014/05/01(木) 06:20:42.11 ID:2vercgWZ
小山の庶流が結城
結城長三郎か。
312 :
日曜8時の名無しさん:2014/05/01(木) 21:02:58.79 ID:OmNewi27
頼朝時代の三大有力御家人は、三浦、千葉、小山だったっけ?
313 :
日曜8時の名無しさん:2014/05/01(木) 21:20:46.96 ID:R+ZOk8j0
秀郷流系図(抜粋)
参考までにどうぞ
藤原秀郷
↓
千常
↓
兼光(足利佐野小山等祖)
↓
頼行(足利太郎)→行政(太田氏)→政光(小山氏)→朝政(小山氏・長沼氏)
↓ →結城氏
藤姓足利氏
↓
↓
>>313 奥州藤原家も秀郷さんの子孫でしたなー。
ああ、すみません。炎立つスレに行ってきまーす。
316 :
日曜8時の名無しさん:2014/05/01(木) 23:03:56.93 ID:6v2pvcY1
>>315 炎立つスレって住人いないね。
話題ないのかな?
あと花の乱スレも。
317 :
日曜8時の名無しさん:2014/05/01(木) 23:37:50.98 ID:R+ZOk8j0
秀郷流系図(祖先編抜粋)
縄文人
↓
毛野氏
↓
藤原秀郷
俵藤太がムカデを退治したのって、何の暗示なんだろうな
319 :
日曜8時の名無しさん:2014/05/02(金) 00:49:05.27 ID:5cY84qIo
足利氏の歴史(源義国から義兼、そして尊氏へ)
brainnet.kir.jp
>興味深い事実として、足利氏の一族が移り住んだ場所には、自動車関係の産業が勃興しています。
>足利に隣接する太田市(新田氏)、浜松、豊田市近辺(西尾市には吉良氏、岡崎市には細川氏)、岩手県に移り住んだ斯波氏の在所も近年では自動車部品産業が盛んだと聞いています。
>もしかすると平安末から鎌倉時代に足利に住んでいた人々のDNAが今も、日本の自動車産業を支えているのかもしれません。
田舎者は困ったもんだなw
つけあがりかたが想像を越えてやがる
320 :
日曜8時の名無しさん:2014/05/02(金) 00:54:44.37 ID:5cY84qIo
ダサい名古屋と同レベル、他人の偉業でオナニーしやがって
toppy.net
「名古屋が元気」
こんな言葉をよく耳にします。名古屋以外の大半の日本人は、この言葉の裏に「トヨタが元気なだけで名古屋自体がなんぼのもんじゃい」という意味を込めて使っているにもかかわらず、
ほとんどの名古屋っ子は何を勘違いしているのか、名古屋が我が国のなかで最も元気だと、本当に褒められていると勘違いしています。
>名古屋が我が国のなかで最も元気だと、本当に褒められていると勘違いしています。
321 :
日曜8時の名無しさん:2014/05/02(金) 02:37:28.23 ID:i13FnkMp
>>317 毛野氏の先祖は魏志倭人伝に出てくる狗奴国じゃないの?
源(新田)義重の足利荘での過激な領土拡張がなければ、足利義兼のその後も変わっていたかもな
源(新田)義重が足利に着任する以前までは、籐姓足利氏と源姓足利氏の関係は悪くはなかった
323 :
日曜8時の名無しさん:2014/05/02(金) 06:46:08.62 ID:A6no0fjU
アグル出てたんですか?
>>318 太平記によるとムカデは地の怨霊で退治を頼んだのは水神。
俵藤太が退治したお陰で水が潤い豊作になったらしい。
将門討伐とも因果関係があるらしい。
>>322 火種は源姓足利義国と藤姓足利家綱のときからあったらしい。
325 :
日曜8時の名無しさん:2014/05/03(土) 11:34:06.26 ID:3ZQBNyhy
伊達政宗の家系も秀郷流だっけ?
判官殿の子孫は六角?京極?判官殿の血は残ったのかい?
>>325 政宗の家系は山蔭流で秀郷流ではない。藤原魚名の息子の代から枝分かれしてるから大分遠い。
327 :
日曜8時の名無しさん:2014/05/03(土) 18:45:10.53 ID:qE00Aapj
>>324 義国は「足利義国」としていいの?
足利苗字の成立って義兼以降のようなイメージがあるけど。
>>325 道誉の子孫は佐々木京極氏。
陣内孝則の子孫である緒形拳と戦った大内家臣の陣内孝則
329 :
日曜8時の名無しさん:2014/05/03(土) 23:31:46.33 ID:qE00Aapj
今年の大河にも道誉の子孫と陣内が出ているよw
330 :
日曜8時の名無しさん:2014/05/04(日) 01:28:19.81 ID:ldoLKWOv
331 :
日曜8時の名無しさん:2014/05/04(日) 06:12:00.76 ID:Rtn/K2X4
>>330 いい加減にしろ
ここはお前のコンプレックスを晒すオナニー板じゃねーぞ
そもそも、
お前は三河じゃなく
ド田舎の岡崎貧民だろw
三河って言葉をこれ以上使うなよ見苦しい
豊田の人間として恥ずかしいわ
そんなに悔しいのなら
オカザえもんゆかりの会でもやってろw
>>316 花の乱スレは歴史談義ばかりで誰もドラマの話しをしてない。
しかも足利義教や細川政元の名前はよく出るのに義政や富子が話題に上がらない。
>>332 >花の乱スレは歴史談義ばかりで誰もドラマの話しをしてない。
それはこのスレも同じだな
結局スレ住人の絶対数の差と、あとはこのスレの方が喧嘩腰で語る人が多いから伸びやすいだけ
334 :
日曜8時の名無しさん:2014/05/04(日) 14:41:35.48 ID:Pp4Z2dUt
ここは時々三河屋が大量レスしてスレを浪費するから。
335 :
日曜8時の名無しさん:2014/05/04(日) 14:48:48.75 ID:jL1gu/Kq
>岡崎
岡崎とはこれのことかい?
平成22年度生活保護率(主要自治体)
5.30% 大阪市 141,026人
4.33% 函館市 12,187人
3.74% 東大阪市 18,892人、3.63% 旭川市 12,690人、3.37% 尼崎市 15,604人、3.31% 高知市 11,380人、3.28% 札幌市 62,531人
2.94% 京都市 43,118人、2.88% 神戸市 44,225人、2.74% 堺市 22,960人、2.65% 長崎市 11,762人、2.64% 青森市 7,962人、2.46% 福岡市 35,761人
2.26% 鹿児島市 13,700人、2.09% 北九州市 20,559人、2.06% 松山市 10,646人、2.04% 和歌山市 7,547人、2.03% 川崎市 28,571人、2.02% 広島市 23,633人
1.93% 奈良市 7,044人、1.75% 名古屋市 39,501人、1.75% 熊本市 12,792人、1.75% 宮崎市 6,970人、1.65% 横浜市 60,488人、1.62% 大分市 7,618人
1.62% 久留米市 4,914人、1.60% 千葉市 15,315人、1.59% 岡山市 11,195人、1.55% 福山市 7,162人、1.53% 盛岡市 4,571人、1.53% 下関市 4,313人
1.53% 秋田市 4,975人、1.52% 高松市 6,355人、1.44% 仙台市 14,883人、1.40% 船橋市 8,389人、1.39% 宇都宮市 7,065人、1.38% 西宮市 6,646人
1.36% 相模原市 9,710人、1.34% 倉敷市 6,355人、1.33% 高槻市 4,705人、1.28% 岐阜市 5,247人、1.28% いわき市 4,406人、1.24% 姫路市 6,641人
1.24% さいたま市 14,977人、1.19% 新潟市 9,641人、1.10% 川越市 3,739人、1.09% 大津市 3,633人、1.08% 横須賀市 4,519人、
0.96% 前橋市 3,241人
0.94% 静岡市 6,713人
0.89% 郡山市 3,029人
0.79% 柏市 3,152人
0.77% 浜松市 6,276人
0.75% 金沢市 3,436人
0.63% 長野市 2,408人
0.60% 豊橋市 2,278人
0.54% 豊田市 2,287人
0.46% 岡崎市 1,734人 ←三河国
336 :
日曜8時の名無しさん:2014/05/04(日) 14:50:16.88 ID:jL1gu/Kq
337 :
日曜8時の名無しさん:2014/05/04(日) 15:14:03.31 ID:jL1gu/Kq
>コンプレックスを晒す
パゴヤ人のこれのことかい?
完全に思考回路が、劣等感が極限に達した見本こと朝鮮人と同じなんだがw
http://toppy.net/myamya/myamya40.html >かわりに鎌倉幕府を開いた源頼朝でもいいと思うのですが。彼は熱田神宮の隣りで生まれていますから。
>こうして見ると、日本の歴史は名古屋っ子が作ってきたと言っても過言ではありませんね
>>333 ドラマの話すると六割方
カコイイ→主役
上手い凄い→御三家
怪演→コメディアン出身二人とバサラとゲニモゲニモと柄本明
キレイカワイイ大根→サンタフェと靖子と色黒セレブ婚
大根→その他大勢
ミスキャスト→元ボクサーと棒読み
みたいな話題で終わってしまって結局荒れる
あと
ウザイ→ロト6部長
も追加で
340 :
日曜8時の名無しさん:2014/05/05(月) 03:48:44.20 ID:Js2iZa7p
>>329 尼子勝久や山中鹿之助が京極庶流なのは事実だが、黒田官兵衛も自称京極庶流なんだよな。
そういえば今年度各地の博物館で行われる黒田官兵衛展では、
黒田官兵衛が佐々木氏の流れであることを示す証拠として、
黒田の子孫の家に伝わる佐々木高綱所用の鎧兜が展示されるらしいが、実際どうなのだろう?
341 :
日曜8時の名無しさん:2014/05/05(月) 07:50:56.11 ID:ZYjtQQdp
この回は京都攻略というより新田の鎌倉攻略という印象の方が強い。
新田義貞の兵を挙げる苦悩が根津甚八を通じて、良く出ていた思う。
特に印象深かったのは千寿王が合流する場面。
342 :
日曜8時の名無しさん:2014/05/05(月) 09:08:07.69 ID:DxC0vF90
ショーケンだったらどうだったんだろうね
黒さが出てたかな
343 :
日曜8時の名無しさん:2014/05/05(月) 23:51:46.55 ID:SLESartJ
根津甚八にしろショーケンにしろ
「なんか一生懸命頑張ったけど、結局報われない人だなあ」
ってイメージ
344 :
日曜8時の名無しさん:2014/05/06(火) 08:24:00.92 ID:l1yoyPVX
2人の演技は対照的
淡々と抑えた演技は根津さんならではだった
萩原健一だったなら弟役の石原良純や直義の高嶋弟などの濃い演技連中と
混ざってしまう
そしてあのガタイと台詞棒読みの大根感は
直冬や赤井にもやや通じてしまい
こちらの大根派にも埋もれてしまう
萩原健一は元禄繚乱徳川綱吉が印象的
恨みのある酒井忠清の死因の執拗な追求とそれを先手をうってかわしていく
婿の藤堂高久のやりとりが笑えた。
>なんか一生懸命頑張ったけど、結局報われない人だなあ
それって義貞のことじゃんw
阿野廉子にネチネチ嫌味言われるシーンも辛かったな
348 :
日曜8時の名無しさん:2014/05/07(水) 00:11:32.19 ID:9GdRdSbv
廉子を早めに葬っておけば護良が次の天皇になって丸く収まったんじゃねえの?あくまで朝廷内の権力争いね。三木一草とかいうやつ
349 :
日曜8時の名無しさん:2014/05/07(水) 00:18:37.47 ID:XK+KVi0J
王子も抱えた帝の愛妾をどう葬れるんだよw
帝もまだ元気ビンビンなのに
護良の後ろ盾は誰だったの
351 :
日曜8時の名無しさん:2014/05/07(水) 03:58:02.55 ID:5xbhP/E3
>>348 後醍醐帝自身が護良を警戒し距離を置いているような状況で、どう転べば護良が次の帝になれる?
>>350 公家では、親戚関係にある北畠親房あたりが有名。
武家では、倒幕戦を通じて護良と関係を深めた赤松円心などの畿内近国の新興武士が支持勢力。
いずれも建武政権下では窓際に追い出されているが。
352 :
日曜8時の名無しさん:2014/05/07(水) 04:19:03.95 ID:XK+KVi0J
親房は妹も娘も護良に差し出しているからな 必死w
353 :
日曜8時の名無しさん:2014/05/07(水) 20:04:27.22 ID:XwSgUezm
>>267 >言い切ったのはタカちゃんと了ちゃんだろw
>>335 三河バカは相変わらずボロボロだな
足利義兼では自分の狂言責任を尊氏や難太平記に擦りけ
足利ゆかりの会で京都・鎌倉・足利から
3都市植民地の岡崎が弾き出されて火病爆進
三河同郷からも見放されて
三河バカは御仕舞だな
成仏しろよw
>>351 それで赤松円心は新政を見限って足利に擦り寄ったな
355 :
日曜8時の名無しさん:2014/05/08(木) 02:23:37.39 ID:ZsLdpwME
>>354 正確な出自は不明である赤松が系譜上で村上源氏になっているのも、
建武政権期の護良派に北畠をはじめ村上源氏系の人物が多かったから、
彼らに合わせたのだろうと言われるな。
しかも赤松は、北畠とか旧護良派との人脈はかなり後々まで保っている。
6代将軍義教の時代の北畠満雅の乱の際には、北畠の残党が赤松を頼ろうとしているし、
義教暗殺によって起こった嘉吉の乱の際には、赤松の残党が北畠を頼ろうとしている。
356 :
日曜8時の名無しさん:2014/05/08(木) 06:55:11.68 ID:RADRYIfG
>>347 阿野廉子が小宰相を海に落とすくだりは史実にもあったのかな?
357 :
日曜8時の名無しさん:2014/05/09(金) 02:15:53.33 ID:ydOa+Vbt
昨日は太田市新田の生品神社で鏑矢祭でした
太平記完全版の1巻と2巻をレンタルしました
今頃になって観たラストサムライとたそがれ清兵衛で真田広之ファンになり、こちらの太平記スレを読み俄然鑑賞意欲が湧きました
1巻目は何もかも素晴らしかった!
ワクワクしながらの2巻目は…
流鏑馬は素晴らしかったがそれ以外の真田さんは演技過剰で正視できずついに早送りしてしまった…
相手役の父上や右馬助や藤夜叉が素晴らしいさりげない演技、或いは静かな棒演技なので
余計に演技過剰振りが際立ち、まるで真田さんだけ宝塚やミュージカルしてるみたいで観ていて辛くなってしまった
若い時分の真田さんは良い時悪い時が極端なのかな?
とりあえず、1巻目は楽しかったのでリピートしてから3巻4巻も借りてみます
さりげない演技してくれてるといいな〜
大田区の新田神社は、破魔矢(はまや)の発祥の地
真田は後半の方が芝居がよくなってるよね
前半の鎌倉滅亡位までは青年を演じてるから違和感あったが
後半はすごい
30そこそこで父性を見事に出してるのには恐れいったわ
もちろん高嶋弟との対決や最終回の果てしなき戦いも凄かったよ
362 :
日曜8時の名無しさん:2014/05/09(金) 22:21:10.64 ID:ydOa+Vbt
「果てしなき戦い」は最終回の一つ前の回のタイトルだったと思う。
最終回は「尊氏の死」
なんつータイトルだw
>>359 ぶっちゃけ鎌倉滅亡までは面白くないからな
ヲタが絶賛してる鎌倉炎上も今から見れば大したことない
南北朝からの観応の擾乱の流れが素敵なので諦めずに観続けよう
>>364 ありがとうございます
そうですか、いや〜私は1巻目収録の1話2話3話からもう、お目当ての真田さん含めた全てに魅了されちゃいました
面白かったです!
正直想像以上に面白く最初からグッと引き込まれてました
2巻目も面白かったですよ、ただ真田さんの演技のみが…「うわ〜観てるのツライ」と拒否反応起こしてしまいました(悲)
1巻目の真田さんにはそんな事を全く感じず、それ所か寧ろ真田さんムチャクチャいいなあ!と狂喜してました
3巻以降の真田さんは再びカッコヨク感じられるといいな
そして皆さんに叱られそうですが、今までは緒方拳て何で人気あんのか全然ワカンね〜とか言ってました
でも今、真田さんと同じ位緒方さん見たさにリピートしまくってます、何故だか凄く格好いい…
こんな情けない役の筈なのに…なんでこんなに魅力あんの??
存命中に魅力に気付いておきたかった、口惜しい…
そして大地康夫さん!凄くイイ、トーンを抑えたような、でもメリハリある演技好き
ぶっちゃけ2巻目は真田さんより他の役者さん達の方が安心して観れました
>>363 基本的にこの作品のタイトルはセンスないというか
ネタバレ全開というか、何とも端的に内容を表しているよね
でもタイトルにある事件自体は前半で起きて、
それがどんな騒乱を巻き起こすのかっていうのが見物だから
どうでもいいやってなる
『京都攻略』も最初の10分ぐらいで高氏パートは終わって
実質『新田決起』だもんな
368 :
日曜8時の名無しさん:2014/05/10(土) 01:39:11.89 ID:ft8uEwzz
鎌倉時代で見てほしいのはやっぱり長崎円喜だな
フランキーの演技はすごいんだけど
なんとなく好きじゃないんだよね
いかにも演じてます、という感じがして
藤木孝は単純に好きと言えるんだけど
370 :
日曜8時の名無しさん:2014/05/10(土) 02:52:36.81 ID:Js+g+CYl
>>366 タイトルのセンスは仕方ないが、確かに最終回のアレはちょっと・・・って感じが強いな。
通常の2倍の時間を使って、観応の擾乱の後半戦から始めて、直義の毒殺、直冬の退却、
そして主人公の臨終まで詰め込んでいる回の全体タイトルがあれかと言われれば・・・w
ついでにいえば初回の「父と子」も安直だが、これは『武田信玄』などの他の大河にも、
初回に同様のタイトルを付けているケースがあるだけマシか。
あとタイトルがネタバレという件については、このドラマの場合、
「妖霊星」や「秋霧」のような一部例外を除けば確かにその通り。
ただこのドラマの作り方だと、毎回終盤に次回の話への序章的な描写が入ることが多いから、
タイトル如何に関わらず、次回内容は凡そ予想できてしまうが。
>>360 新田義興の浄瑠璃「神霊矢口渡」は泣ける
>>358 面白いのは決起した神社が源氏定番の八幡神社ではなく生品神社(大国主命)なんだよね
http://www.zakzak.co.jp/gei/200901/g2009011006_all.html 町中の商店に、ファンが書き残したキャラクターのイラストが飾られ、まさに「らき☆すたの町」となったが、地元住民の一部は複雑な
思いを口にする。
落ち着きを取り戻し始めた7日午後、飼い犬とともに参拝に訪れた男性(68)は、「この神社は源頼朝が武運長久を祈ったことで知ら
れる関東最古の大社。オタクのイメージばかりが先行してしまうのはどうも…」と不安顔。家族で祈祷を受けたさいたま市の男性(55)も
「いい年をした男たちが『らき☆すた』のみこしを担いだりグッズを買い込む姿は正直気味が悪い」と語る。
アニメの聖地巡礼は迷惑だって言う、地元の方もいらっしゃるんですねえ
>>370 >ついでにいえば初回の「父と子」も安直だが、
初回の父と子は良いんじゃないの?
このドラマって、全編にわたって父と子、兄と弟のドラマなんだし。
主人公一家以外の父子、兄弟がこれだけ出てくる大河は他にないと思うぞ。
>>370 藤夜叉死す、がまさにそれだったなw
看板の綺麗どころなだけに、うわあ…結局助からないのか…
と残念がった人は多かったかもしれないけど
37「正成自刃」
39「顕家散る」
40「義貞の最期」
41「帝崩御」
42「母の遺言」
この辺はタイトルも本編も退場ラッシュ
「顕家散る」はゴクミが一人獅子奮迅の活躍で、
尊氏の出番は最後に出てきてゴクミの死に涙するだけという回
379 :
日曜8時の名無しさん:2014/05/10(土) 19:17:00.36 ID:Js+g+CYl
>>376-377 登場人物の死がタイトルになっている回というと、他に第30回「悲劇の皇子」もあるな。
その一つ前の「大塔宮逮捕」の回まで、建武政権下での政治抗争を長々とやってきて、
時間軸的には進みが極めて遅かったのに、失脚したかと思えばいきなり半年以上時間が飛んで、
次の回では死んでしまったのには正直焦った。
>>378 いやだからさ直冬が出てきて尊氏と対峙してたじゃないか
381 :
日曜8時の名無しさん:2014/05/10(土) 21:37:37.27 ID:JlipC7p7
「顕家散る」は尊氏と直冬、親房と顕家と二組の親子関係にフォーカスした回だったな
「父を思う子が…」ってラストの尊氏のセリフに象徴されるように
あの回の北畠卿の黒い涙はわざとなんだろうか
あの妖怪北畠とはいえ人の親ということなんだろうが、
公家って化粧してるし不思議でもない
いや待て、アイラインまで入ってたかな
384 :
日曜8時の名無しさん:2014/05/12(月) 08:19:48.99 ID:b7CWjMde
そういえば親房は最初から亜相(大納言)のままで、身分が変わっていないね。
南朝の重鎮なら、終盤は大臣クラスになっていてもおかしくなさそうなのに。
道誉だったかな、親房のことを
「あれは相当なタヌキじゃぞ」とか尊氏に言ってなかった?
ちょうどそのころ、近藤さんがCMでタヌキの着ぐるみ着てたんで
「そういえば・・・」と笑ってしまったような覚えが。
386 :
日曜8時の名無しさん:2014/05/12(月) 09:05:21.58 ID:PgVB6pXh
准三后の称号もっていなかったかな
死後の追贈?
>>384 まあ判官殿も初登場から最後まで判官殿だし
7割方ぐらいは宇喜多判官殿を見るのが楽しみで愛想を尽かさず勘兵衛を見ている
390 :
日曜8時の名無しさん:2014/05/12(月) 20:49:20.97 ID:b7CWjMde
>>386 そういえば廉子は、三位局から准后に途中で呼び名が変わっていたね。
役名じゃなくて、ドラマん中のそれぞれの通称整理してよ。
楠木正成=河内(守)とか。
681年前の今月・今週は新田が兵を挙げ
千寿王と合流して小手指ヶ原〜分倍河原〜鎌倉と付き進んだ日々
その源氏・新田の決起に開き直る、
北条高時役の鶴太郎の演技も、
この辺の件の台詞も良かった
(旧暦新暦についての突っ込みはナシで)
393 :
日曜8時の名無しさん:2014/05/13(火) 23:16:10.28 ID:RPEAQwux
1333年(元弘3年/正慶2年)は閏2月があるから、
3月以降の旧暦と新暦のズレはかなり大きいと思うよ。
確か鎌倉滅亡の5月22日は、新暦に直すと7月上旬くらいになるはず。
そういう対応表みたいなの載ってるサイトないかな
ましらの石がなった「代官」って地頭のことなのかな
396 :
日曜8時の名無しさん:2014/05/14(水) 16:11:28.48 ID:8J76aygq
建武政権下での任命だと、下司職とかなんじゃない?
実態は地頭職と変わらないと思うけど。
で、石に指示をしていた公家風の人が恐らく預所職だろう。
新田義貞の決起の生品神社の鏑矢祭とか
日本全国でいろいろ行われている武将の生誕祭とかは新暦のままが殆どだよね。
けれども確か・・・祇園祭とかは明治以降の新暦を旧暦に直してやっているよね。
ぜんぶ薩長のせいだ。
薩長のおかげで新田の子孫て華族になれたろ。
400 :
日曜8時の名無しさん:2014/05/15(木) 23:27:08.70 ID:FCRYxQ1G
>>399 それは厳密には新田の子孫を称する岩松の子孫。
401 :
日曜8時の名無しさん:2014/05/16(金) 06:45:13.80 ID:6syPAXMm
そうなんだ知らなかったあ
徳川は朝敵で薩長は徳川とともに足利氏も朝敵として蔑んでいたけど
新田は後醍醐方についたから薩長明治政府にも優遇されたわけなの?
でも徳川家は自称でも新田を祖とする源氏を名乗っていたわけで・・
う〜ん勉強不足ですいません、、、
500年も前の話より当時のパワーバランスの問題じゃないの
403 :
日曜8時の名無しさん:2014/05/16(金) 08:31:57.17 ID:GZafygS/
>>401 近代の華族制度においては、徳川氏は旧将軍家をはじめ一族が多数華族になっている。
また足利氏も古河公方末裔の家系が華族になっているし、
新田氏(実際は岩松氏の子孫の家系)よりも爵位は上だった。
404 :
日曜8時の名無しさん:2014/05/17(土) 00:24:07.00 ID:QWpnz9t3
今更聞くに聞けない疑問として
足利氏の嫡流ってどうなっているのか不明です
今どうなっているのかってことなら
足利惇氏でググれ
406 :
日曜8時の名無しさん:2014/05/17(土) 03:47:38.42 ID:swPJ3Tbu
どの家系が嫡流かには議論があるから、足利義弘でもググっておけ
407 :
日曜8時の名無しさん:2014/05/17(土) 07:29:29.96 ID:QWpnz9t3
>>405 >>406 ありがとう
古河公方(足利惇氏さん家系)は続いているけど
足利将軍家嫡流は途絶えたってことですね
残念です
408 :
日曜8時の名無しさん:2014/05/17(土) 09:45:54.06 ID:Ls1rRIlj
血統的には平島公方家が嫡流に近いが、江戸時代が暗黒過ぎて微妙になってしまっている。
409 :
日曜8時の名無しさん:2014/05/17(土) 18:18:46.13 ID:/BPhBzA0
>>353 お前は末代までの恥をかいて相変わらずノコノコ出てくるとは、面の皮が厚い老人だなw
156 :日本@名無史さん:2014/01/26(日) 16:45:54.57
>>147 尾張氏の祖先が大和国葛城郡高尾張の尾張氏ならますます三河は関係ないじゃん
頼朝・尊氏の母系のルーツは大和国葛城郡高尾張でどのみち三河じゃない
>>150 藤原季兼はキ生まれ都育ちで後白河法皇の今様仲間だったんだが
そいつが三河国司になって転勤してきたからって
季兼=三河人という初歩的前提が無茶苦茶
で、季兼が尾張氏の娘に手を付けて生まれた季範は三河人とかw
ちなみに藤原季兼は備後守なんかもやってんだよね。
>備後守なんかもやってんだよね。
>備後守なんかもやってんだよね。
>備後守なんかもやってんだよね。
>備後守なんかもやってんだよね。
>備後守なんかもやってんだよね。
>備後守なんかもやってんだよね。
>備後守なんかもやってんだよね。
>備後守なんかもやってんだよね。
410 :
日曜8時の名無しさん:2014/05/17(土) 18:29:45.50 ID:/BPhBzA0
411 :
日曜8時の名無しさん:2014/05/17(土) 18:36:39.40 ID:/BPhBzA0
関連事項
■日光山
源頼朝がその母方の従兄弟を別当に据えて以来、鎌倉幕府、関東公方、後北条氏の歴代を通じて東国の宗教的権威の一中心であり続けた
源頼朝
・藤原実範(三河国司)→藤原季兼(三河四郎大夫)→藤原季範(初代藤姓熱田大宮司、額田冠者(三河国額田郡))→女子(由良御前)→源頼朝
母方の従兄弟
寛伝(日光山満願寺19世座主)
・藤原実範(三河国司)→藤原季兼(三河四郎大夫)→藤原季範(初代藤姓熱田大宮司、額田冠者(三河国額田郡))→藤原範忠→寛伝
北関東(笑)
413 :
日曜8時の名無しさん:2014/05/18(日) 19:32:14.59 ID:nmblWW4F
>>394 西暦と和暦の日付の対応関係を調べるツールについては、
ネット上のサイトならば「こよみのページ」、冊子の本ならば『暦日便覧』がよいと思う。
>>407 足利義昭の子孫しか嫡流として認めないというのなら確かに断絶しているが、
>>406や
>>408が指摘済みの通り、京都の将軍家の嫡流に極めて近い家系として、
平島系(現当主:足利義弘氏)がある。
これは義昭の従兄弟の子孫。
414 :
日曜8時の名無しさん:2014/05/19(月) 03:22:20.56 ID:WsOTbcVO
そういえば、以前にテレビでやっているのを見たが、平島系の足利家の当主は、
今でも金閣寺には拝観料なしで顔パスで入れるらしい。
しかし喜連川系の足利家の場合は、金閣寺へ行くとどういう扱いになるんだろうか?
>>414 そらお前、本人か寺側に聞いてみるしかないだろw
遠いとはいえ血統は確かだから丁重に扱われるはと思うがな
416 :
日曜8時の名無しさん:2014/05/19(月) 06:18:29.64 ID:WsOTbcVO
平島は金閣寺をつくった義満の確実な子孫だけど、
古河公方の家系の喜連川は義満の子孫ってわけではないけど、どうなんだろう?
417 :
394:2014/05/19(月) 11:23:52.24 ID:vPa8j38h
>>413 うお〜!すごいサイトだな。ありがとう。
ちょっとこれ見て勉強する。
暦日便覧は欲しいけど高杉ww
418 :
日曜8時の名無しさん:2014/05/19(月) 20:42:38.69 ID:fJEGgqxW
>>409 >>410>>411 定期的に湧く困った人たち
・薀蓄語り
ただひたすら歴史薀蓄を一方的に語るだけの人たち
日本史板でやればいいように思うが、向こうでは鼻で笑われる程度の知識しかない為こちらに書き込んでいる模様
それでもドラマの内容に含まれる時代について語っているうちは良いが、全然関係の無い戦国時代などについても語り出すから始末に終えない
特にこのスレでは「三 河 バ カ」が有名
419 :
日曜8時の名無しさん:2014/05/19(月) 23:07:03.89 ID:07Ze8Evq
トヨエツはチョイ役なのに既にオーラ纏ってんのな。赤井弟は見てると微笑ましいくらい大根w最期はいい演技だったよ。
総集編だとお面被ってるシーンしかないから
OPのクレジットにトヨエツいるけどどれだよってなるよなw
422 :
日曜8時の名無しさん:2014/05/20(火) 12:31:16.82 ID:+RxXP2sa
官兵衛の吹越バカ将軍と鶴太郎バカ殿見てたら、久しぶりに太平記を見たくなった。
この二人は希有のバカ殿役者だよな・・・
423 :
日曜8時の名無しさん:2014/05/20(火) 17:35:35.45 ID:jtIB2yZ1
深みのあるバカ殿と薄っぺらいバカ殿という違いはあるがな。
424 :
日曜8時の名無しさん:2014/05/20(火) 20:18:25.73 ID:fChXxT6d
足利義昭をバカ殿に描く戦国時代劇はたいてい軽薄
久しぶりにDVDで見てるが、宮沢りえと柳葉の役と場面って余分じゃね?
あれスパッと切った方が、もっと締まったドラマになると思うわ。
田豚「そうそう、正妻以外の女なんか汚らわしいから登場させちゃダメなのよ」
>>418 三河バカ薀蓄長々を語るお前も三河バカと同類
そもそも三河バカの戯言・創作物語は薀蓄とは言わないのだよ
>>425 柳葉はともかく、当時の宮沢りえは視聴率稼ぎのためには必須のキャスト
>>425 何を言ってる
直冬との戦いをドラマチックにするために欠かせないだろ
431 :
日曜8時の名無しさん:2014/05/21(水) 14:06:17.49 ID:fwjAN5Mz
>>427 確かに三河バカの妄言は完全に奴の脳内妄想だから、客観的に見て支離滅裂だし、蘊蓄ですらないなw
>>424 安全地帯の玉置浩二とか、クスリでもやってるんじゃないかと思うほどのおかしな演技だったな
433 :
日曜8時の名無しさん:2014/05/21(水) 16:58:37.84 ID:umqso8ze
>>433 KING OF ZIPANGUの義昭は大分マトモだったぞ
義昭がアレになったのは玉置浩二の功績がかなりデカいなw
>>433 アゲとは違うけど「黄金の日日」での義昭は哀愁漂うキャラだったな
ワンシーンのみの出演だったけど、けっこう印象に残っている
永禄、元亀、天正というまさに地獄の蓋が開いたみたいな時代を、
征夷大将軍というブランドだけで生き抜いた義昭が無能なはずないんだよな。
いやいや、義昭を生き延びさせた征夷大将軍のブランドすげぇってところだろ
単に生き伸びるだけならふさわしい場所で出家すればいい話だしな
時代の趨勢に抗えたのはブランド力だな
足利義昭がバカかどうかは微妙
落ちぶれていたところを織田信長に助けられて「お父さん」と呼んで慕う
しかし、自分はただのお飾りにすぎなかったことに気づいていずれ使い捨てにされるとあせり、全国の大名に「信長を討て」とお手紙出しまくり
信長にそれがバレて失脚
もっとも、信長がどんどん増長して「自分は神である、天皇より上」とか言い出したので、朝廷もこれはまずいと思って、同じようなことを始める
ほとんどはそれを無視したけど、ただ一人、明智光秀だけがそれを本気にしちゃって・・・
440 :
日曜8時の名無しさん:2014/05/22(木) 15:45:16.79 ID:MVhvwaxN
>>436 ブラコンだった妹の息子、つまり甥っ子が大将の軍に攻めこまれて
死んじゃった北条最後の執権、守時は激しく無能なのか
秀頼とかと違って同情はされてないな・・義昭
追い落とした相手の違いか?
442 :
日曜8時の名無しさん:2014/05/22(木) 17:06:33.86 ID:l6Eqgse0
>>441 義昭は殺されていない
戦は下手だが無能ではないだろう
源平の新宮十郎行家と戦国の義昭は戦うと必ず負ける
>>439 >「自分は神である、天皇より上」とか言い出したので
信長さんて結局何がしたかったんだろう・・?
445 :
日曜8時の名無しさん:2014/05/23(金) 23:04:59.04 ID:y2Y2v1wx
>>439 室町幕府の将軍って、江戸幕府の将軍とは違って、絶対に傀儡的なお飾りの
地位には収まれないんだよね。
戦国期の室町将軍は、実態としてはそれを擁する有力大名の力の上に
乗っかって初めて将軍の地位を維持できるような状態だけど、それでも
彼らは将軍になったからには自らがすべての権力を持とうとする。
だから義材(義稙)以降の室町将軍は、最初は蜜月関係にあった大名と
暫くすると必ず仲違いするのがお決まりのパターンになるし、義昭と信長の
関係もその例に漏れない。
446 :
日曜8時の名無しさん:2014/05/25(日) 00:43:52.71 ID:tSGtyo7I
>>439 足利義昭は兄義輝が暗殺される前は興福寺一乗院門跡だったわけで、
そこで受けたであろう教育内容から考えても教養水準はかなり高かったと思われる。
>>444 誠仁親王を猶子にしていた件なんかからすると、足利義満のように天皇の父になろうとしたとか?
>>439 信長は意外に親朝廷だよ
自分は神であるというのは統治法の一つだろう
信長は天皇より上だとは言ってないし実は無宗教ではなく熱心な臨済宗徒だったし
養女を摂関家に嫁がせてたしな
>>446 誠仁親王は信長の猶子になってない
信長の猶子になっていたのは誠仁親王の第五皇子・興意法親王(後陽成天皇の同母弟)
生麦で久光に「斬れ!」と命ぜられて駆け出していくシュンサイが、シュンサイの人生で一番輝いていた時
誤爆
足利義満だけは大河の候補にはいつもあがるが
主役にはなりそでならないな
登場も清盛・太平記・花の乱でかすったぐらい?
足利義満といったら「一休さん」に出てくるあのイメージだな
>>450 小説があるけど主役は管領の細川頼之だしな
義満はいずれ天皇家を潰し(というか吸収して?)
明を後ろ盾にして
藤原不比等以来の日本のシステムをつくり変えるつもりだったのかな
NHKでも民放でも制作側は触れたくないテーマだな
>>365 緒形拳ならやはり毛利元就の尼子経久役は見ておくべきかと
>>425 当時の世情を上手く表現出来ていたと思う
456 :
日曜8時の名無しさん:2014/05/26(月) 02:13:45.27 ID:dfiSRLGy
>>453 義満が天皇家の乗っ取りを考えていたって説は、20年くらい前に一時期流行ったけど、
今となってはまともな歴史研究者でこれを支持する人なんて、ほとんどいないでしょ。
>>454 「はかりごと多きが勝ち、少なきが負ける」ってセリフが印象的だったな。
私本太平記が青空文庫で読めるようになったね
持っていない人には朗報だ
これを機会にこの辺の時代に興味を持つ人が増えるといいな
私本太平記は作者の寿命がつきなかったら10巻くらいになったんだろうか
楠木正成の戦死以降がほぼダイジェストになってしまったのが残念無念
459 :
日曜8時の名無しさん:2014/05/26(月) 20:20:06.69 ID:dfiSRLGy
>>455 ギバはともかく、リエは直冬の生母という関係上、無視は出来ないな。
>>458 義貞戦死の場面なんて1ページもないというw
461 :
日曜8時の名無しさん:2014/05/27(火) 02:26:01.28 ID:LLUuX3LN
原作、というか吉川の本読んだことないんだが面白いの?
そう聞く俺は司馬厨だが
462 :
日曜8時の名無しさん:2014/05/27(火) 04:20:41.44 ID:ZKUCE8bq
司馬は太平記の時代を嫌っていたよな
>>459 そういう意味もあるけど、イシを使って偽綸旨のこととか当時のことを上手く説明出来てたと思うんだよね
尺取りすぎかなとは思うけど
応仁の乱から尊氏が室町幕府を開くまで戦ばっかりやってたのに「太平記」っていうのが、もともと皮肉みたいな題名だしな
というか、足利尊氏は後醍醐天皇を追放したので、戦前の教科書では天皇に弓引いた極悪人扱いだったのよ
だから、ジジイたちは、足利尊氏が意外と善人に描かれていてびっくりしたとか
465 :
日曜8時の名無しさん:2014/05/27(火) 21:50:45.42 ID:HONFtq6V
緒形拳・真田広之が秀吉・三成をやった「徳川家康」(88年TBS正月スペシャル)を
見ているけど、バブル期だけにすげーカネがかかっているな
466 :
日曜8時の名無しさん:2014/05/27(火) 21:52:40.15 ID:nnJtaW9a
尊氏のみならず足利氏や足利氏の本貫の足利市も酷い扱いだった。
足利惇氏氏など一門も戦前・戦後と相当虐められていたらしいし、
長寿寺の尊氏公の墓石が壊れて酷い状態なのは戦前戦後と小学生から大人まで
尊氏逆賊の恨みつらみで蹴り上げられていたから。
鎌倉時代から有名な足利市の織物も足利産って言うだけで散々だったらしいし、
足利市出身なんて言ったら戦前はもとよりつい最近まで、あ〜あの逆賊の町の・・・
って答えが帰ってきたそうだ。だから敢えて出身地を隠していた人も多かったらしい。
だから当然、大河で太平記をやること事態タブーの風潮があったよな。
足利氏がようやく再考されて来たのは私本太平記・大河太平記後あたりからだな
467 :
日曜8時の名無しさん:2014/05/28(水) 00:24:22.43 ID:SuxgU7vX
戦前からネトウヨみたいなバカって溢れてたんだな
戦前のネトウヨは薩摩長州が天皇教を捏造したせいだね
それ以前の庶民にとって天皇なんて生活の中で何の関わりもなかった
むしろ講談や歌舞伎で知られた太平記の世界のほうがよっぽど身近だった
でなければ仮名手本忠臣蔵の登場人物が太平記の人々に置き換えられるはずかない
鑁阿寺 足利学校 足利フラワーパーク 栗田美術館 っ
ココファームのワインに 銘仙に古印最中
足利いいとこじゃん、自分は都民だけどさ
>足利市の織物も足利産って言うだけで散々だったらしいし
足利銘仙は一字は全国に広まって一世を風靡したような名産だろ
今はレトロブームなのだからアンティーク着物として
もっとお洒落銘仙をプッシュすればいいのに
そういう体制に一丸となれないのだとか何とか聞いたなー
現在の寂れっぷりはちょっとやばいように見える
小田茜銀行がテレビCMしてたような時期も有ったというのに
尊皇攘夷が外人を切り殺してたおかげで日本は侵略されなかったんだな
もっとも教条主義者(水戸藩)と現実主義(薩長)で内ゲバの出涸らしと新政府の
差が出てしまったが。
471 :
日曜8時の名無しさん:2014/05/28(水) 10:57:27.90 ID:jutmxNqR
>>466 元々は関西人で、北関東は関係ないと言ってやれw
太平記にも出てこないしw
足利銀行も潰れたなあ
473 :
日曜8時の名無しさん:2014/05/28(水) 14:19:25.24 ID:ogCeKkBu
足利尊氏を逆賊にしたのも近世の水戸学だが、
一方で喜連川系の足利氏は近世に水戸から養子を迎えたりしている。
ちなみに薩長の藩主の先祖は、南北朝期には北朝&足利幕府方だな。
474 :
日曜8時の名無しさん:2014/05/28(水) 20:54:45.97 ID:nE/AZGxE
太平記オタ、足利氏オタ的には足利出身って言うだけで羨望の眼差しで見ちゃうけど
昔は大変だったんだね・・・
歴史教育って誤るとマジ怖い・・・
475 :
日曜8時の名無しさん:2014/05/28(水) 21:40:17.32 ID:ogCeKkBu
そういえば森高千里の『渡良瀬橋』も足利の辺りの情景を歌ったものだな。
476 :
日曜8時の名無しさん:2014/05/28(水) 22:13:56.82 ID:tQahE2SV
>>474 恐らくタカちゃん、足利とやらに行った事すらないがw
対して、三河に対する思い入れは凄いわな
矢作川の戦いで負けて、衝撃のあまり髷切っちゃったんだからよ
ここまで言われているしw
足利尊氏
梅松論
領地を寄進しようと、御文章の参考のために社家の古文書を召し出された中に、昔、鎮西八郎為朝の寄付の文書があったのを御覧になり、
「当家の祖神」とまことに有り難く思し召して、御社頭に向かって合掌され、御敬神浅からず見えた。
今川了俊
難太平記
義包(足利義兼)は長け八尺あまりで、力人に勝れた人であった。
ほんとうは為朝の子というが、赤子の時から義康が養った。
世にはばかって人に言わなかったので、それを知っている人はいない。
477 :
日曜8時の名無しさん:2014/05/28(水) 22:22:32.23 ID:tQahE2SV
【周知徹底】
何故、足利に愛着がなかったのか?
答えは、頼朝と繋がる三河が、より重要だったからでつ
源頼朝の母方:三河の藤姓熱田大宮司家(藤原南家貞嗣流、本貫地:三河国額田郡乙見、愛知県岡崎市)
系図:藤原実範(三河国司)→藤原季兼(三河四郎大夫、伊勢権守令)→藤原季範(初代藤姓熱田大宮司家、額田冠者(三河国額田郡))→由良御前→源頼朝
・頼朝の母方の曾祖父藤原季兼(三河四郎大夫)は、三河国司を多数輩出した一族(祖父の兄、父、弟)に生まれる
・季兼は、伊勢神宮領荘園の荘官として都を下り三河国加茂郡(愛知県豊田市)に土着
・季兼は、三河国加茂郡(愛知県豊田市)の未開拓の土地を開発し、高橋荘・高橋新荘(後世 八条院領大覚寺統)を立券する
・季兼は、三河国額田郡(愛知県岡崎市)に移り住み、青木川菅生川流域(菅生郷)を開発、荘園化せず自らの本拠とする(後に、権益は血縁である足利氏に)
・季兼は、三河国設楽郡稲木(愛知県新城市)の稲木長者を滅ぼし、東三河を支配下におく
・季兼室の松御前(尾張員職の娘)は、晩年新城市稲木で過し没した(城ヶ峰の山頂(愛知県新城市)に墓あり)
・季兼は、藤原資良(父の従兄弟)が尾張守になり、息子(藤原季範、額田冠者)と共に三河に住みながら尾張目代を務める
・季兼の息子である藤原季範(額田冠者)は、藤原南家として初めて熱田大宮司となる(大宮司職の簒奪) ←大宮司職を乗っ取られる(笑)
・藤原季範(額田冠者)の娘(由良御前)は源義朝の正室となり、源頼朝を生む
・藤原季範(額田冠者)の娘(養女(実父は藤原範忠))は源義康の正室となり、足利義兼を生む
太平記を見ながら平行して「草燃える」の総集編も見てるんだが、
ほんとに足利家って源氏きっての名門なの?
「草燃える」の方には足利家なんてまったく出てこないぞ。
479 :
日曜8時の名無しさん:2014/05/28(水) 23:10:39.06 ID:fli6pXJU
>>478 そらドラマだからなw
出番は少ないけど出ているはずよ
当代・義兼は父系でも母系でも頼朝にはなはだ近く、正室も頼朝の仲介で
北条政子の妹を娶った義兄弟
480 :
日曜8時の名無しさん:2014/05/28(水) 23:20:08.33 ID:oQqIAVIr
>>478 鎌倉幕府初頭に、源頼朝は清和源氏一統を門葉として補翼にしました。そして、その代表者を関東御分国などの名国守に推挙して、武士御家人の上位に位置させました。
異母弟の参河守源範頼・伊予守源義経、甲斐源氏の遠江守安田義定・越後守安田義定・信濃守加々美遠光、信濃源氏の武蔵守平賀義信・相模守大内惟義、義国流の伊豆守山名義範・上総介足利義兼です。
以上の清和源氏で、子孫が幕府有力武士として残ったのは、上総・三河守護の足利氏くらいなもので、それに次ぐのが小笠原氏と武田庶流の石和五郎信光の子孫の武田氏です。すなわち、幕末で、清和源氏の最有力者は足利氏で名門なのです。
そもそも平安末期に義家の末裔なんて頼朝たちも含めて名門でもなんでもないから
483 :
日曜8時の名無しさん:2014/05/29(木) 01:07:43.76 ID:B+JIel6l
>>481 鎌倉幕府の成立より前でも、“武家の棟梁になるべき家系”として彼らが見られていたのは事実。
そりゃ貴族社会のなかで見た場合に、武家の棟梁(軍事貴族)が名門かといわれれば話は別だが。
>>466 どうりで鎌倉の長寿寺の尊氏の墓がぼろぼろだった理由がわかった。
明治政府によって壊されたりして、
今は現存しない足利関係のモノなどいろいろありそうだな。
それこそ木曽義仲が最終的に勝っていたら、今頃鎌倉頼朝とでも呼ばれていたんだろうな
486 :
日曜8時の名無しさん:2014/05/30(金) 00:28:42.67 ID:sN+4QRkC
何だそれ?
足利が存在感持って登場した大河と言えば、あと「時宗」。
それと「花の乱」
玉置浩二の義昭をわすれたらいかん
491 :
日曜8時の名無しさん:2014/05/31(土) 00:40:07.43 ID:omqYflz6
>>483 そうなんだよな
公家が嫡流で武家は庶流とは
一概には言えない
「時宗」の足利泰氏は北条一門の末路を暗示しているような存在で、
不気味だったな。
493 :
日曜8時の名無しさん:2014/05/31(土) 02:55:49.49 ID:oQcRkGdV
主演者の末路も暗示していたしなw
494 :
日曜8時の名無しさん:2014/05/31(土) 04:03:34.41 ID:bjMRifQW
>>485 そもそも木曽義仲って何で「木曽」を冠していわれるのか不思議。
義仲の地盤ってどちらかというと、北信濃から越後方面のような気がするし。
>>491 武家の棟梁になるための資格は、“承平・天慶の乱を鎮圧した武士の子孫であること”
っていうような意識が当時の武家社会にはあったらしい。
>>494 太平記見た後、将門・炎立つ・源平大河なんか見ると
太平記登場人物のご先祖様が登場してて
感慨深いものあるよな。
こうやって家系が続いてたのかって
ドラマ内で尊氏に爺と呼ばれてた人の末裔が吉良上野介と知って驚いたりw
吉良ってやっぱり名門だな
>>494 木曽で元服したから木曽の冠者なんじゃないの
冠者って成人とかそんなニュアンスじゃなかったっけ
497 :
日曜8時の名無しさん:2014/05/31(土) 07:19:12.83 ID:bjMRifQW
>>496 「○○の冠者」という場合の「○○」って元服した場所なの?
ただ義仲についてさらに解らないのは、義仲は信濃の武士というイメージがあるけど、
木曽が信濃国所属になるのは戦国期以降で、源平時代だと木曽は美濃国だったはず、
ということもある。
>>497 >木曽が信濃国所属になるのは戦国期以降で、源平時代だと木曽は美濃国だったはず、
そんなに後じゃないだろ。遅くとも鎌倉期には済んでる。
義仲以前に11世紀の源頼光からして
「なかなかに いいもはなたで信濃なる木曽路の橋のかけたるやなぞ」
とか、実際の所属はともかく詠んでるし。
当時の京都では、「平家にあらずんば人にあらず」と言われるほど平家ばっかりが力をつけて傲慢になっていてやりたい放題
公家の間では、「誰でもいいから平家を倒してくれんかなあ」と密かに願っていた
いわば、秋元康が「AKBにあらずんばアイドルにあらず」と独占して、AKB以外のアイドルが全滅したようなもの
そこに突然、木曽義仲というただのド田舎のチンピラが現れて連戦連勝、ついに京にまで攻め上り、公家達は「救世主が現れた」とこれを歓迎
しかし部下達もただのヤクザもんばかり、あっという間に自滅してしまった
しかしその後、秋元康に全滅寸前にまで追い込まれたハロプロつんくの残党が、伊豆でしょぼく挙兵、出家させられていた弟の牛若丸も寺を脱走
北条、足利らも、その軍団に加わって、妥当平家を目指す
「時宗」の泰氏にはかならず高師氏がくっついて登場してたが、
これがまたいかにも腹ん中では何考えてんだかわからないやり手の執事然とした感じ。
結局、足利の殿と側近の高という強力タッグが代々続いてたんだなあ、と。
501 :
日曜8時の名無しさん:2014/05/31(土) 13:58:20.07 ID:XGosLt6s
「時宗」では原田美枝子演ずる桔梗(泰氏室、欺波家氏母)に、継子の頼氏が妙に遠慮がちで、歯がゆかった。嫡男なんだからもっと強気に出ろよと。
しかしその子家時は、逆に桔梗を罵りまくりで、これも違和感があったな。
高師氏は太平記冒頭にも出て来るんだよな
師直は師氏の孫だっけ?
503 :
日曜8時の名無しさん:2014/05/31(土) 15:28:18.36 ID:OVdRZZWu
高氏所領
・三河国額田郡菅生郷、三河国額田郡比志賀郷、三河国額田郡政所、三河国額田郡矢作東宿、三河国下村中山郷雑役免(進退分十家名)
■高師氏
・父は高重氏
・右衛門尉、法名心仏
・三河国額田郡菅生郷・比志賀郷(愛知県岡崎市)地頭
・永仁4年(1296)3月1日、他家に嫁していた娘の稲荷女房(法名心妙)に三河国額田郡比志賀郷を譲る(総持寺文書)
・正安3年(1301)2月15日に満性寺(愛知県岡崎市)に菅生郷の土地を寄進する
■高師重
・父は高師氏
・三河国額田郡菅生郷地頭
・暦応2年(1339)に足利尊氏の命令で、三河国額田郡比志賀郷(愛知県岡崎市)に八幡社とともに深恩院総持寺(現在は広祥院)建立する
■高師兼(室町幕府最初の三河守護)
・五郎左衛門尉、尾張守、刑部大輔
・父は高師春、母は高師直の妹。高師直の猶子
・高師直より、藤原冬房領三河国碧海荘三木今一色の知行保持を命じられる(建武4年(1337)5月13日付高師直奉書)
■貞円
・父は高師重、高師直・高師泰の弟
・滝山寺(愛知県岡崎市)大勧進
■三郎
・父は高師秋
・滝山寺(愛知県岡崎市)僧
■明阿
・父は高師泰、夫は高師冬(高師直の
養子)
・観応の擾乱で一族の大半が滅ぶと、その菩提を弔うため、三河国菅生郷(愛知県岡崎市)に総持寺を建立する、
・三河国菅生郷(愛知県岡崎市)の旧領は、一旦足利将軍家領となり、将軍家より総持寺に寄進された
■いち
・父は高師世(高師泰の息、明阿の兄)
・明阿が三河国菅生郷(愛知県岡崎市)に建立した総持寺の初代住持
505 :
日曜8時の名無しさん:2014/05/31(土) 23:04:49.94 ID:xLZWVpcC
>>498 鎌倉・室町の史料でも木曽谷を美濃国恵那郡としているものは出てくるよ
木曽が完全に信濃と見なされるようになるのは、武田信玄による征服以降
506 :
日曜8時の名無しさん:2014/06/01(日) 08:17:21.02 ID:XGczLABr
>>500 時宗からだと足利氏と高氏の関係は古いよね
>>502 貞氏の執事でいい味出していたね
高氏はもっと評価されてもいいのにね
師泰・師直兄弟のせいなのかな
足利家の繁栄は高氏
507 :
日曜8時の名無しさん:2014/06/01(日) 12:15:17.59 ID:ze5qTB8F
時宗は見たこと無いが、興味が出てきた。DVDが出てないのが残念。
もともと太平記が視聴率その他大成功したから、
NHKはその夢よもう一度と、関連が深い時代・連中のことを企画してやってみたんだろ>時宗
ただし女脚本家のせいでマンガみたいな話になっちまったけどなw
509 :
日曜8時の名無しさん:2014/06/01(日) 16:15:03.58 ID:R4OEH7ca
>>500-502 高師氏は師直の祖父という世代的なものを考えても、
『北条時宗』の序盤からあんな爺さんの年齢というのはあり得ない、という突っ込みはあったな。
実際には、泰氏の執事なら師氏よりさらにもう1〜2世代前になるはずだし。
「時宗」は時代考証いいかげんだったから、
高一族の家系もちゃんと調べてなかったんだろ。
511 :
日曜8時の名無しさん:2014/06/01(日) 18:50:18.31 ID:R4OEH7ca
あれの時代考証って奥富さんだっけ?
バカと女には脚本やらせるなよ
>>506 足利氏と高氏の関係は源義家と高階成佐からだからもっと遡る。
両氏の子の世代に、源(足利)義国に従って高階惟章が下野足利に下向し、
両家とも足利を本貫とし足利氏を名乗り高氏を名乗った。
高氏の屋敷は鑁阿寺の隣と領地だった樺崎寺の北部に屋敷跡と氏寺がある。
>>509 高惟重か重氏だと思う。
514 :
日曜8時の名無しさん:2014/06/02(月) 00:39:14.78 ID:6yFdZUs7
>鑁阿寺
鑁阿寺と言えば家時没年
鑁阿寺位牌 1309年
鑁阿寺系図 1317年
鑁阿寺寺伝 1343年
複数あるようだが、どれが正しいんだい?
まさか全部間違っているとかいう事はないだろうねw
515 :
日曜8時の名無しさん:2014/06/02(月) 06:33:26.94 ID:L/vnrHe/
梁田御厨が足利氏の所領になったのはどういう経緯?
516 :
日曜8時の名無しさん:2014/06/02(月) 22:42:02.93 ID:5HNCekpi
>>514 そもそも家時の生没年って確定しているのか?
517 :
日曜8時の名無しさん:2014/06/03(火) 02:59:24.89 ID:TqiADJV0
頼氏・家時の生没年は明確な史料はないような。
あと新田氏も政義・政氏あたりはよくわからないし。
518 :
日曜8時の名無しさん:2014/06/03(火) 21:21:00.61 ID:tUASJAnZ
>>410 >三河の藤姓熱田大宮司家(藤原南家貞嗣流)
初代の藤姓熱田大宮司の藤原季範から
藤姓熱田大宮司は、代々、尾張熱田で生まれ熱田の地で亡くなった
尚且つ、本貫も氏寺も藤原季範の代から熱田に変更してから
平成の現代に至るまで熱田になっている
三河は熱田大宮司職とは全く関係ない
三河に土着した季範の親父も大宮司職とは全く関係ない
三河バカが何度もカスレス反芻している
三河藤姓熱田大宮司家は
三河バカの妄想で現実には存在しない
あえて史実に忠実に書くなら
三河・藤姓熱田大宮司ではなく
尾張・藤姓熱田大宮司
三河の恥をこれ以上晒すなよ
519 :
日曜8時の名無しさん:2014/06/03(火) 21:37:22.88 ID:kVV2sIsW
>本貫も氏寺も藤原季範の代から熱田に変更してから
藤原実範(三河国司)→藤原季兼(三河四郎大夫、伊勢権守令)→藤原季範(初代藤姓熱田大宮司家、額田冠者(三河国額田郡))→由良御前→源頼朝
藤原実範(三河国司)→藤原季兼(三河四郎大夫、伊勢権守令)→藤原季範(初代藤姓熱田大宮司家、額田冠者(三河国額田郡))→藤原範忠→女子→足利義兼→足利義氏(三河守護)
滝山寺(愛知県岡崎市滝町山籠107)
・創建:伝・天武天皇時代(673年 - 686年)
・開基:伝・役小角
12世紀
【1122年】仏泉上人永救、物部朝臣・伴氏女を檀那として再興、最初の本堂を建立し、鎮守として山王・白山社を勧請する
【1130年代】三河法橋裕範(源頼朝の母の弟)、粟田口法眼長暹(源頼朝の母の弟)、仏泉上人永救に弟子入り、入山する
【1138年】仏泉上人永救、死去する
【1140年】藤原季範(源頼朝の祖父)、夫婦(夫人は源行遠の娘)で蓮華寺造営、仏性灯油料として額田郡恵那河内郷(愛知県岡崎市米河内)を寄進する
【1142年】寛伝(藤原範忠の息、源頼朝の従兄弟)、生まれる
【1147年】源頼朝、生まれる
【1151年】藤原範忠(源頼朝の母の兄)、滝山寺の本堂(2度目)を建替える、10月8日の供養の時に延暦寺より招いた導師に馬3匹を贈る
【1155年】藤原季範(源頼朝の祖父)、死去する
【1159年】藤原範忠(源頼朝の母の兄)、弟の三河法橋裕範の要請を受け、大檀那として滝山寺の四至を確定し、 田畠1町2反づつを寺へ寄進する
【1159年】三河法橋裕範(源頼朝の母の弟)、姉の由良御前(源頼朝の母)が死去した際、49日の仏事を差配してその菩提を弔る
【1160年】三河法橋裕範(源頼朝の母の弟)、頼朝が罪人として伊豆国の配所に送られる際、郎従を付けて送り出す
【1182年】寛伝(藤原範忠の息、源頼朝の従兄弟)、源頼朝の推挙により日光山満願寺19世座主になる
【1188年】任憲(三河法橋裕範の息、源頼朝の従兄弟)、鎌倉で源頼朝に引見する
【1190年代】源頼朝、寺領412石寄進
【1191年】源頼朝、任憲(三河法橋裕範の息、源頼朝の従兄弟)の熱田社領御幣田をめぐる争いの仲裁をする
【1199年】源頼朝、死去する
520 :
日曜8時の名無しさん:2014/06/03(火) 21:39:42.31 ID:kVV2sIsW
13世紀
【1201年】寛伝(藤原範忠の息、源頼朝の従兄弟)、頼朝公の3回忌に惣持禅院を創建し、本尊として頼朝公の御歯と御髪を納めた聖観音菩薩を」安置する
【1205年】寛伝(藤原範忠の息、源頼朝の従兄弟)、死去する
【1222年】足利義氏(3代目足利氏当主)、滝山寺本堂(3度目)を建替える
【1226年】大平惟行(高階惟行)、大谷惟伴(坂上惟伴)と連署で、額田郡阿智波郷名越(愛知県岡崎市阿知波)の田地8反を惣持禅院に寄進する
【1229年】大平惟行(高階惟行)、常行堂の造営にあたり娘と一緒に大檀那となり、足利義氏に相談してこの堂へ料田3町8段を寄進する
【1230年代】藤原俊経(藤原俊継の父)持仏堂を造営、古市場御油畠(愛知県豊田市古市場)を寄進する
【1233年】足利義氏(3代目足利氏当主)、舞童装束などの調進のため150貫文を奉加する
【1238年】藤原俊経(藤原俊継の父)、京都東山一切経の谷で死去する
【1240年代】大谷惟伴(坂上惟伴)、持仏堂(延福寺)を造営する
【1244年】】大谷惟伴(坂上惟伴)、死去する
【1254年】増恵(藤原俊継の従兄弟)、本堂屋根瓦替工事の大勧進を勤め、同年、温室を改造する
【1254年】足利義氏(3代目足利氏当主)、死去する
【1255年】藤原俊継、故足利義氏の法華堂(宝幢寺)造営し、藤原俊継は田畠3町3段、足利家氏は壁海郡碧海荘の青野の田2町、宇祢部の畠1町2段を寄進する
【1257年】増恵(藤原俊継の従兄弟)、一切経蔵を造営する、足利頼氏(5代目足利氏当主)、一切経蔵の経会料所として、額田郡阿知波郷(愛知県岡崎市阿知波)を寄進する
【1261年】増恵(藤原俊継の従兄弟)、山王社の宝殿を改築する
【1262年】足利頼氏(5代目足利氏当主)、死去する
【1263年】大平惟行(高階惟行)、死去する
【1274年】藤原俊継、鎌倉で死去する
【1283年】増恵(藤原俊継の従兄弟)、鎌倉滞在中に死去する
【1284年】足利家時(6代目足利氏当主)死去する、足利貞氏(7代目足利氏当主)、故足利家時(6代目足利氏当主)追善の如法堂を造営する
14世紀
【1301年】足利貞氏(7代目足利氏当主)、家時17回忌、如法堂に三河国額田郡上村の田3反と正観坊跡大門屋敷を寄進する、同時期、熱田大宮司家ゆかりの蓮華寺へ願文を奉納する
【1331年】足利貞氏(7代目足利氏当主)、死去する
【1335年】足利尊氏(8代目足利氏当主)、中先代の乱で足利直義と三河で合流、滝山寺に千寿王と赤橋登子を預ける
【1330年代】輔阿闍梨貞円(高師泰・高師直の弟)、滝山寺に入山
【1380年代】足利義満(3代目足利将軍)、滝山寺本堂(4度目)を建替える
521 :
日曜8時の名無しさん:2014/06/03(火) 22:01:33.20 ID:kVV2sIsW
補足説明
伊勢氏(初代・藤原俊継)
藤原俊経→伊勢俊継→盛継→貞継(政所執事、足利義満は貞継の屋敷で生まれた)
■藤原俊経(****〜1238):初代伊勢氏・伊勢俊継の父
・肥前前司
・法名願仏
・弟の相模法橋円辰と円辰の子大進法眼増恵は滝山寺(三河国額田郡)僧
・滝山寺に持仏堂を造営する(後に持仏堂は、甥の大進法眼増恵に譲られる)
・滝山寺に古市場御油畠を寄進する
・歴仁元年(1238)5月13日、京都東山一切経の谷で死去
■藤原俊継(1217〜1274):初代伊勢氏
・藤原俊経の息
・伊勢前司
・建長7年(1255)、足利義氏追善の法華堂(宝幢寺)を造営、この堂に田畠3町8段を寄進、足利家氏に働きかけ、家氏の三河国碧海荘青野、宇祢部の料田畠を寄進させる
・文永11年(1274)6月23日、鎌倉で死去
■円辰(****〜****):初代伊勢氏・藤原俊継の叔父
・藤原俊経の弟
・相模法橋
・滝山寺(三河国額田郡)僧
■増恵(1209〜1283):初代伊勢氏・藤原俊継の従兄弟
・円辰の息
・聖蓮坊大進法眼
・滝山寺(三河国額田郡)僧
・叔父藤原俊経の持仏堂を譲られ、自身の持仏堂とする
・吉良荘の奉行として、吉良氏の所領経営をする
・建長6年(1254)、本堂屋根瓦替工事の大勧進を勤め、同年、温室を改造する
・正嘉元年(1257)、一切経蔵を造営する
・文応2年(1261)、山王社の宝殿を改築する
・弘安6年(1283)2月13日、鎌倉滞在中に死去
522 :
日曜8時の名無しさん:2014/06/03(火) 23:19:34.82 ID:zq6RJNb/
>>465だがスカパーで「豊臣秀吉」(93年TBS正月スペシャル)を見たら
ギバちゃんが秀吉で浅井長政夫婦が真田広之&沢口靖子、
柴田勝家が高橋悦史でナレーターが陣内孝則と太平記ファミリー勢揃いだった
523 :
日曜8時の名無しさん:2014/06/04(水) 04:58:06.56 ID:F/sbXap3
>>522 それって、登子が桃井に寝取られるということか・・・?
524 :
日曜8時の名無しさん:2014/06/04(水) 06:45:12.66 ID:rSdfEnDr
>>516 >>517 そうなんだよな
家時の自害したことさえ怪しいと
唱える説もある
職を退いた後、
失跡したとか
実は心労で鎌倉を離れて
隠遁生活を送ったとか
自害したにせよ騒動の直ぐ後では
なくかなり時間があった後とか
いろいろ説がある
525 :
日曜8時の名無しさん:2014/06/04(水) 11:02:44.90 ID:F/sbXap3
まあ発給文書などでの家時の足跡が弘安初年で消えるから、
佐介時国の失脚や霜月騒動との関連がいわれるけど、
実際のところはよくわからないというのが正直なところだろう。
あと生年についても謎。
526 :
日曜8時の名無しさん:2014/06/04(水) 19:05:41.78 ID:vQW1gouG
>>523 そういうこと
ただし登子と桃井の絡みの場面はなかった
家時が自害してないと、
大河の「太平記」は物語の前提が崩れちゃうんだよな。
緒形拳のあの苦悩は何だったのかと。
528 :
日曜8時の名無しさん:2014/06/04(水) 20:07:32.94 ID:G/301kgv
つうか三河バカ、日本史板の足利関連のスレにも似たようなのを大量に
投下しているな。
完全に無視されているようだがw
529 :
日曜8時の名無しさん:2014/06/04(水) 20:30:08.86 ID:5hLOS0Ll
530 :
日曜8時の名無しさん:2014/06/04(水) 21:23:47.85 ID:G/301kgv
三河バカはいつまで味噌臭いレスを垂れ流すんだ?
531 :
日曜8時の名無しさん:2014/06/04(水) 21:39:33.39 ID:5hLOS0Ll
>>529 ×センズリネの捏造もしやがるからタチが悪い
○センズリ(オナニー)ネタの捏造もしやがるからタチが悪い
533 :
日曜8時の名無しさん:2014/06/05(木) 01:23:00.96 ID:S0bfxRnT
そういえば最近も等持院の歴代足利将軍の木像から指がなくなったという事件があったな。
>>465 それも観てえな
緒方拳と真田広之は他にも魔界転生や継承盃とか
太平記以外でも何気に結構共演してるんだな
538 :
日曜8時の名無しさん:2014/06/06(金) 20:54:56.55 ID:ySoldAl2
伊勢氏(初代・藤原俊継→伊勢俊継(天照大神のお告で姓を伊勢に変える))
藤原俊経→伊勢俊継→盛継→貞継(政所執事、烏帽子親は足利貞氏、足利義満は貞継の屋敷で生まれた)
■藤原俊経(****〜1238):初代伊勢氏・藤原俊継の父
・肥前前司
・法名願仏
・弟の相模法橋円辰と円辰の子大進法眼増恵は滝山寺(三河国額田郡)僧
・滝山寺に持仏堂を造営する(後に持仏堂は、甥の大進法眼増恵に譲られる)
・滝山寺に三河国古市場御油畠を寄進する
・歴仁元年(1238)5月13日、京都東山一切経の谷で死去
■藤原俊継(1217〜1274):初代伊勢氏
・藤原俊経の息
・伊勢前司
・建長7年(1255)、足利義氏追善の法華堂(宝幢寺)を造営、この堂に田畠3町8段を寄進、足利家氏に働きかけ、家氏の三河国碧海荘青野、宇祢部の料田畠を寄進させる
・文永11年(1274)6月23日、鎌倉で死去
■円辰(****〜****):初代伊勢氏・藤原俊継の叔父
・藤原俊経の弟
・相模法橋
・滝山寺(三河国額田郡)僧
■増恵(1209〜1283):初代伊勢氏・藤原俊継の従兄弟
・円辰の息
・聖蓮坊大進法眼
・滝山寺(三河国額田郡)僧
・叔父藤原俊経の持仏堂を譲られ、自身の持仏堂とする
・三河国吉良荘の奉行として、吉良氏の所領経営をする
・建長6年(1254)、本堂屋根瓦替工事の大勧進を勤め、同年、温室を改造する
・正嘉元年(1257)、一切経蔵を造営する
・文応2年(1261)、山王社の宝殿を改築する
・弘安6年(1283)2月13日、鎌倉滞在中に死去
539 :
日曜8時の名無しさん:2014/06/06(金) 20:56:41.43 ID:ySoldAl2
>>538 関連事項
蜷川氏
元は物部氏の流れを汲むとされる宮道氏
蜷川氏は、越中国新川郡蜷川郷から発祥した。すなわち宮道式俊・親直父子は、治承四年(1180)の源頼朝の旗揚げに参じて功があり、越中国砺波・新川の両郡を領した。
室町幕府において、政所執事を世襲した伊勢氏の家臣であり、親直から数えて3代目の蜷川親当の頃より政所代を世襲することとなった
蜷川氏の当主は代々新右衛門と名乗っており、蜷川新右衛門といえば、テレビアニメ『一休さん』(1970年-1982年)に足利義満の側近で寺社奉行の武士蜷川新右エ門が登場する
宮道氏
饒速日命を祖とする物部守屋の後裔(物部氏より分かれる)と称する。ほかに日本武尊系宮道氏
発祥地は三河国宝飯郡宮道郷(現在の愛知県豊川市)と推定される。
宮道天神社(愛知県豊川市)
源頼朝は上洛の折、安達盛長に代参を命じ、京からの帰路、鞍馬装束を奉納
540 :
日曜8時の名無しさん:2014/06/06(金) 21:02:00.03 ID:ySoldAl2
>>538 足利家氏関連事項
空華集 「東海道三河州碧海荘,寔今政府左金吾(斯波義将)祖宗九京之地也」
「三河国碧海荘は、管領家斯波義将の先祖の墳墓の地である」
初代斯波氏である足利家氏は、祖父足利義氏から三河国碧海荘を相伝し本拠地とした
永源寺
中世、三河国碧海郡碧海荘内にあった禅寺。管領斯波義将が1380年代に創建。南北朝時代の禅僧義堂周信の詩文集『空華集』に収める「贈雲谿首座赴永源命詩并序」にみえ、錘秀山と号した。
「序」に碧海荘は斯波義将の先祖の墓所のあるところであるといっており、家氏以来斯波氏が伝領してきたのであろう。所在地は「碧海之東」とあるのみでどこであるか不詳である。
応永4年(1397)5月18日、のちに建仁寺61代住持となる玉岡和尚が将軍義満より住持職に補任された(『蔭涼軒日録』文明17年9月15日条)。
片岡孝夫演じる後醍醐天皇の初登場シーンが好きなんだが、
リアル放送時の片岡の演技に対する評価はどんなもんだったんだろうか?
542 :
日曜8時の名無しさん:2014/06/06(金) 22:33:10.01 ID:DuBCZnRL
ワザとくさい演技のおっさんだなーと思ってた。
543 :
日曜8時の名無しさん:2014/06/06(金) 23:31:11.00 ID:VMu8WD3e
三河バカ岡崎は相変わらずボロボロだな
高氏では足利鎌倉の三河植民地を自慢して自爆
家時の生没年では論破され逃亡
藤姓熱田大宮司家でも論破され火病ってカスレス垂れ流し
挙句の果てにはセンズリするのが大好きデス
>>529 >>531、と自ら暴露
センズリ大好ジジィは
大人しく棺桶に入ってお陀仏しろよw
あの時代の歌舞伎役者で後醍醐演じられるのは片岡以外考えられなかったろう。
今「太平記」やったら、同じ片岡でも孝夫じゃなくて愛之助になるだろうがなw
545 :
日曜8時の名無しさん:2014/06/07(土) 00:34:00.63 ID:4ljmRMHI
>>543 >センズリ
これか?w
http://toppy.net/special/dubai0.html 「名古屋が元気」
こんな言葉をよく耳にします。名古屋以外の大半の日本人は、この言葉の裏に「トヨタが元気なだけで名古屋自体がなんぼのもんじゃい」という意味を込めて使っているにもかかわらず、
ほとんどの名古屋っ子は何を勘違いしているのか、名古屋が我が国のなかで最も元気だと、本当に褒められていると勘違いしています。
>名古屋が我が国のなかで最も元気だと、本当に褒められていると勘違いしています。
どこの田舎モンだよw
546 :
日曜8時の名無しさん:2014/06/07(土) 06:35:15.45 ID:0if7wzg0
いい加減、太平記の話題に戻ろうず
547 :
日曜8時の名無しさん:2014/06/07(土) 07:32:35.67 ID:NBMKxRGK
鎌倉時代の足利氏と新田氏の姻戚関係について質問です。
系図を見ると、足利義氏の娘が新田政義に嫁ぎ、その間に生まれた子が新田政氏ということになっているのですが、これは本当なのでしょうか?
wikipediaなどの情報だと、足利義氏は1189年生まれ、新田政義は1187年生まれ、新田政氏は1208年生まれとなっています。
足利義氏は自分よりも2歳年上の新田政義に娘を嫁がせたということなのでしょうか?
またその場合、足利義氏とその外孫である新田政氏の年齢差が19歳というのも気になります。
外祖父と外孫の年齢差が19歳というのは現実的にあり得るでしょうか?
あとさらに新田政氏は娘を足利家時の側室にしているようですが、足利家時はwikipediaによると1260年生まれです。
新田政氏は自分の孫世代の足利家時に娘を側室として渡したのでしょうか?
548 :
日曜8時の名無しさん:2014/06/07(土) 08:25:10.38 ID:0if7wzg0
義氏と義兼を間違えたとかかな。
新田政義が足利義氏の娘婿なのは、政義の自由出家のエピソードからも
事実だろうし、足利義氏の生没年は間違いないだろうから、
新田政義・政氏の生没年がおかしいような気がする。
あと新田政氏の子の基氏の生年が1253年ということを考えても、
政氏の生年は1208年ではないような気がする。
父親と嫡子にしては年齢が離れすぎだし。
550 :
日曜8時の名無しさん:2014/06/07(土) 22:06:49.04 ID:/wmOKfAL
何から何までデタラメだなw
北関東は馬鹿なのか?w
>鑁阿寺
鑁阿寺と言えば家時没年
鑁阿寺位牌 1309年
鑁阿寺系図 1317年
鑁阿寺寺伝 1343年
>>541 最近太平記見直したんだけど、神々しい!て感じだった>後醍醐初登場シーン
こりゃ尊氏もあてられるわーと思ったよ
そして鎌倉陥落を聞いた時の高笑いで一気に俗化したとw
>>552 あの演出、髭を生やしだしたくだりも、とてもよかった
結局は欲にまみれた一人の人間、だからこそ面白い
死ぬ間際の「おのれ〜尊氏め〜」という恨みのこもった形相もよかった。
>>500 時宗で本当に良かった。
高時だったら今の日本は無かった。
当時の日本を救った幕府と鎌倉武士に感謝。
>>533 幕末には等持院の尊氏像の首が盗まれ京の河原に晒されたんだよね。
556 :
日曜8時の名無しさん:2014/06/08(日) 15:45:39.50 ID:vLgda7dM
「時宗」は鎌倉・京都・博多・高麗の多元中継がおもしろかった。
吹っ飛んだファンタジーになったけど、気楽に見れるエンターティナーだった。
冒険せず最近の無難にこじんまり作ってる大河は退屈。
脚本は「国盗り物語」「花神」「木枯らし紋次郎」の大野靖子や
「翔ぶが如く」の大河内美江子なら、もっと歴史に充実に手堅い骨太大河になってた
ろうだろうが。
「太平記」は時宗と同じで鎌倉から南北朝のマイナーな時代だから、風俗を見てるだけでも
おもしろかった。音楽も混沌とした中世を表してよかった。
557 :
日曜8時の名無しさん:2014/06/08(日) 17:24:04.94 ID:e+yM5Wg9
>>555 高時期のいろんな問題は、得宗専制にしても、御家人の窮乏にしても、
元をたどれば時宗期に問題の遠因があることが多いし、
そんなに単純に時宗=善で高時=悪なんていえるものではないと思うが。
>>556 >もっと歴史に充実に手堅い骨太大河になってた
史上最悪の侵略者である元寇について。
史実に忠実に時宗の苦悩や
結果日本を救った判断を
深く掘り下げて演出したら良かったね。
>>557 >そんなに単純に時宗=善で高時=悪なんていえるものではないと思うが。
はぁ?一言もそんな事は言っていないのだが?大丈夫ですか?
ここで訊くことではないかもしれんが、
「時宗」って見る価値あるの?
仮に見るとしたら気を付けたらいい点ってある?
例えば時代考証はかなりいいかげんだよ、とか。何話までは退屈だよとか。
>>559 そんなもん人によって感じ方違うだろ自分で判断しろ
レンタル代程度払えないわけでもあるまいに
オリジナル展開等で不評もあるが異民族との合戦が見れるのは時宗だけ
時宗は長崎円喜の息子が足利泰氏として復活し、
ましらの石が円喜の先祖の謀略にはまって滅亡します。
ギバちゃんはどっちでも「足利死ね」で、とくまはどっちでも「主人公死ね」なんだよなw
563 :
日曜8時の名無しさん:2014/06/08(日) 21:16:21.05 ID:e+yM5Wg9
>>558 どう見ても単純に時宗は優秀で高時は無能と言っているように見えるがw?
564 :
日曜8時の名無しさん:2014/06/08(日) 21:21:09.86 ID:e+yM5Wg9
>>561 『北条時宗』ではギバの滅亡までは描かれていない。
時宗死後の内紛を匂わせる描写はあったが。
あと廉子の原田美枝子が泰氏の側室(というか前妻)の役で出ている。
565 :
日曜8時の名無しさん:2014/06/09(月) 00:07:36.45 ID:wJ6PmdXX
桔梗(原田美枝子)が正室のままだったら、足利の正嫡は斯波の家系だったわけだが。
足利八代将軍義政の正室が日野富子なのは
高氏と日野俊基との縁が発端、なんてことはないのか
567 :
日曜8時の名無しさん:2014/06/09(月) 01:51:09.79 ID:wJ6PmdXX
日野家から最初に正室をもらったのは義満だが、それはどうかな?
というか尊氏と俊基の話は、基本的にこのドラマの創作じゃない?
568 :
日曜8時の名無しさん:2014/06/09(月) 07:28:14.67 ID:A+d/M+Fk
>>558 幕府重臣達の和睦案を拒否し徹底交戦を覚悟したことだけでも凄い
>>559 時宗はレンタルされているか?
時代考証はいい加減で高麗よりの演出が鼻につくが、この時代の大河は無いから見る価値くらいはある
>>562 ワロタ
569 :
日曜8時の名無しさん:2014/06/09(月) 07:50:01.50 ID:wJ6PmdXX
570 :
日曜8時の名無しさん:2014/06/09(月) 17:50:17.67 ID:IbyYfynx
>>553 尊氏も出家騒動で顔がボサボサになったところから、髭を生やし始めるね。
例の肖像画、一応尊氏だという判断で、それに似せたんじゃないか?
572 :
日曜8時の名無しさん:2014/06/09(月) 22:08:36.43 ID:wJ6PmdXX
>>571 あの肖像画に関しては、神護寺の頼朝像・重盛像の件とは違って、
尊氏である可能性は完全に0%で議論の余地は最早ないよ。
それにあれは背中に折れた矢が刺さっていたりする絵で、
明らかに負け戦から帰ってきた場面だし・・・。
そもそもあれが尊氏だってことにされたのも
「大悪人」尊氏だからあのくらいみっともない肖像がお似合いだぜっていう風潮のせいだったそうだしね
574 :
日曜8時の名無しさん:2014/06/10(火) 01:27:43.63 ID:DYSp9W3u
あれは師直だってな?
世間的には尊氏って思ってる人多いし出家エピとの兼ね合いもあってだろうが
師直をあの姿にしてもドラマは面白くならない
576 :
日曜8時の名無しさん:2014/06/10(火) 02:30:13.05 ID:DYSp9W3u
そいや尊氏って真田広之みたいに美形じゃなくて、薄あばたが顔じゅうにあるブサイクだったらしいね
577 :
日曜8時の名無しさん:2014/06/10(火) 03:35:05.44 ID:0MYPdszH
>>574 あの肖像画の人物の装束には高一族の家紋があるし、
人物の頭上に義詮の花押が書かれていることから、
義詮から見て直接の家来筋に当たる人物じゃないとマズいということで、師直説が有力。
少なくとも父親の肖像画の頭上に息子が花押を据えるなどという非礼なことは、
当時の常識としてあり得ないと。
578 :
日曜8時の名無しさん:2014/06/11(水) 15:46:21.59 ID:agzYidIL
>>576 晩年の尊氏の描写で背中に腫瘍みたいのができている場面があったが、
あれは皮膚がんみたいなものかな?
>>578 尊氏は癰
細菌感染が原因で皮膚の下に膿がたまって腫れあがる
>>576 あばたの話は一次史料にはなく史実ではない
ただし太平記の原作である吉川英治原作の「私本太平記」には
尊氏が顔のあばたを登子に見られないように手で隠すシーンがある
580 :
日曜8時の名無しさん:2014/06/11(水) 19:19:22.68 ID:zhH//lYj
そういえば曾孫の義持も似たような病気じゃなかったけ?
>>75 大丈夫。松坂は1年間東映で叩き込まれてるから、刀を振る仕種は問題ない。
582 :
日曜8時の名無しさん:2014/06/11(水) 21:38:48.30 ID:OnkzzDx1
>>580 ケツのおできか。風呂場でかきむしって自爆してるし。よほど痒かったんだろうな
583 :
日曜8時の名無しさん:2014/06/11(水) 22:26:43.33 ID:0xjtIRhP
足利尊氏の花押ってカッコ良いよな
大河でも真田尊氏が花押を書いているところや
地蔵菩薩を書いている場面に惹かれたわ
584 :
日曜8時の名無しさん:2014/06/11(水) 22:51:13.57 ID:agzYidIL
個人的には足利将軍家の花押で一番格好よく見えるのは、義昭の公家様花押かな。
あの花瓶のようなデザインはなかなか斬新だ。
尊氏の花押は最初は寸詰まりみたいな感じなのが
年食うとだんだん横に広がって堂々とした趣がでてくるな。
586 :
日曜8時の名無しさん:2014/06/12(木) 07:08:25.94 ID:LxHcB0Xv
それを言うなら、直義の花押は初期の頃は小さく申し訳なさそうに書いてあるが、
だんだん時間が経つと大型化して自信に満ちたものになるな。
尊氏って花押まで人に書かせてたらしいな
どんだけ人任せなんだよw
588 :
日曜8時の名無しさん:2014/06/12(木) 15:26:13.65 ID:o+n7uE2t
尊氏O型だろ絶対
尊氏が無能だから室町幕府はハリボテみたいな政権になったんだよな?
590 :
日曜8時の名無しさん:2014/06/13(金) 01:21:15.94 ID:Ls+Cx5/P
花押という点では足利将軍家ほど面白い家はないな。
武家様花押しかない将軍、公家様花押しかない将軍、
武家様花押と公家様花押を両方持つ将軍といろいろいる。
591 :
日曜8時の名無しさん:2014/06/13(金) 02:01:41.85 ID:q+p0ufjY
【周知徹底】
源頼朝の母方:三河の藤姓熱田大宮司家(藤原南家貞嗣流、本貫地:三河国額田郡乙見、愛知県岡崎市)
系図
藤原実範(三河国司)→藤原季兼(三河四郎大夫、伊勢権守令)→藤原季範(初代藤姓熱田大宮司家、額田冠者(三河国額田郡))→由良御前→源頼朝
藤原実範(三河国司)→藤原季兼(三河四郎大夫、伊勢権守令)→藤原季範(初代藤姓熱田大宮司家、額田冠者(三河国額田郡))→娘(実父は季範長男)→足利義兼→足利義氏(三河守護)
・頼朝の母方の曾祖父藤原季兼(三河四郎大夫)は、三河国司を多数輩出した一族(祖父の兄、父、弟)に生まれる
・季兼は、伊勢神宮領荘園の荘官として都を下り三河国加茂郡(愛知県豊田市)に土着
・季兼は、三河国加茂郡(愛知県豊田市)の未開拓の土地を開発し、高橋荘・高橋新荘(後世 八条院領大覚寺統)を立券する
・季兼は、三河国額田郡(愛知県岡崎市)に移り住み、青木川菅生川流域(菅生郷)を開発、荘園化せず自らの本拠とする(後に、権益は血縁である足利氏に)
・季兼は、三河国設楽郡稲木(愛知県新城市)の稲木長者を滅ぼし、東三河を支配下におく
・季兼室の松御前(尾張員職の娘)は、晩年新城市稲木で過し没した(城ヶ峰の山頂(愛知県新城市)に墓あり)
・季兼は、藤原資良(父の従兄弟)が尾張守になり、息子(藤原季範、額田冠者)と共に三河に住みながら尾張目代を務める
・季兼の息子である藤原季範(額田冠者)は、藤原南家として初めて熱田大宮司となる(大宮司職の簒奪) ←大宮司職を乗っ取られる(笑)
・藤原季範(額田冠者)の娘(由良御前)は源義朝の正室となり、源頼朝を生む
・藤原季範(額田冠者)の娘(養女(実父は藤原範忠))は源義康の正室となり、足利義兼を生む
・1219年、源実朝暗殺、1221年、承久の乱で、三河の藤姓熱田大宮司家の所領が没収されると、足利義氏が縁故者として三河の権益を継承する ←足利王国の誕生
592 :
日曜8時の名無しさん:2014/06/13(金) 02:06:05.08 ID:q+p0ufjY
金剛三昧院(本尊、愛染明王は北条政子が、当時仏師として世間に名を広めていた運慶に依頼し、頼朝公の等身大の坐像念持仏として作成)
・建暦元年(1211年)、北条政子の発願により源頼朝菩提のために禅定院として創建する
・承久元年(1219年)、源実朝菩提のために禅定院を改築して金剛三昧院と改称し、以後将軍家の菩提寺として信仰する
・貞応2年(1223年)、北条政子が禅定如実として入道し、建立奉行を葛山景倫(願性)・安達景盛が務め、源頼朝と源実朝の菩提を弔うための多宝塔(国宝)を建立する
・嘉禎4年(1238年)、足利義氏は政子の十三回忌にあたり、当院に大仏殿を建立し、丈六の大日如来像を奉安して、政子と実朝公の遺骨を納める
・源実朝
藤原実範(三河国司)→藤原季兼(三河四郎大夫、伊勢権守令)→藤原季範(初代藤姓熱田大宮司、額田冠者(三河国額田郡))→由良御前→源頼朝→源実朝
・公暁
藤原実範(三河国司)→藤原季兼(三河四郎大夫、伊勢権守令)→藤原季範(初代藤姓熱田大宮司、額田冠者(三河国額田郡))→由良御前→源頼朝→源頼家→公暁(母親は足助重長(三河国加茂郡足助)の娘)
・葛山景倫(願性)
藤原実範(三河国司)→女(藤原季兼の妹)→高橋惟康(三河国高橋荘領主)→鮎沢惟兼→葛山惟忠→景忠→景倫(願性)
・安達景盛
小田野兼広(三河国八名郡小野田)→安達盛長(三河国小野田荘地頭、三河守護)→安達景盛(三河国小野田荘地頭、1221年まで三河守護だったか?)
・足利義氏
藤原実範(三河国司)→藤原季兼(三河四郎大夫、伊勢権守令)→藤原季範(初代藤姓熱田大宮司、額田冠者(三河国額田郡))→娘(養女)→足利義兼→足利義氏(三河守護)
593 :
日曜8時の名無しさん:2014/06/13(金) 02:07:44.17 ID:q+p0ufjY
・葛山景倫(願性)
藤原実範(三河国司)→女(藤原季兼の妹)→高橋惟康(三河国高橋荘領主)→鮎沢惟兼→葛山惟忠→景忠→景倫(願性)
葛山氏
大森葛山系図は内大臣藤原伊周の後裔としているが真偽のほどは不明。
大森葛山氏の祖惟康は三河高橋の領主で甲斐・駿河両国の守となり,以後大森氏は親康,親家と続いて鎌倉御家人を輩出した。
葛山氏は親康の弟惟兼の流れをくむもので,惟兼の子惟忠を経てやはり鎌倉御家人を多く出している。
大森葛山の祖・高橋惟康
「伊勢新二郎大夫、成高橋殿、三河国高橋庄領主故号、母実範三位女、外戚伯父伊勢権守令養育之」
寺部八幡宮(愛知県豊田市社町1)
寺部八幡宮は、平安時代に高橋荘の領主高橋惟康が、不動堂村の館内に、石清水八幡宮を勧請し祀ったことがおこりです。
その後、惟康の子孫高橋氏が、長承2(1133)年3月15日再勧請造営したのが始まりです。
往事は数多い神宮寺を有していたと伝えられていますが、現在わずかに悟楽寺、儀隣寺の二ヶ寺の寺名のみ伝えています。
不動堂館(愛知県豊田市上野町1丁目)
平安時代(794〜1185/1192年頃)、藤原北家の流れを汲む高橋惟康は伊勢国に生まれ、伊勢新二郎大夫と称した。
母三位女の所領三河国加茂郡高橋荘を相続し、荘内の高橋郷〔上野町1丁目〕に在住して高橋殿と称され、三河国高橋氏の祖になった。
1060年惟康は駿河国へ移住。惟康の遺蹟として社町八幡社〔豊田市社町〕、神明神社〔豊田市上野町7丁目〕、香良須神社〔豊田市市木町谷耳太〕などが考えられる。
場所は上野町1丁目とされ、現在は畑地、住宅となり、遺構は無い。
594 :
日曜8時の名無しさん:2014/06/13(金) 02:15:36.80 ID:q+p0ufjY
しかし大逆転の回の真田尊氏は
あのザンバラ髪とヒゲが寧ろワイルドな男前度を上げて
みっともないどころか凄く格好いい武者姿になっていた
思いが満つると書いて、義満
597 :
日曜8時の名無しさん:2014/06/13(金) 23:33:18.26 ID:fiLP4a6d
家時や貞氏の花押もカッコ良いよ
直義の花押は面白い派かな
足利将軍家の誰だか忘れたが
アンテナが立った円盤みたいな
面白い花押もあったな
598 :
日曜8時の名無しさん:2014/06/13(金) 23:55:35.52 ID:Ls+Cx5/P
599 :
日曜8時の名無しさん:2014/06/14(土) 05:38:37.46 ID:lOAbNlaP
600 :
日曜8時の名無しさん:2014/06/14(土) 06:23:40.93 ID:20aFZB//
義詮「僕を忘れないで」
601 :
日曜8時の名無しさん:2014/06/14(土) 08:23:41.41 ID:ZHYMlPuH
602 :
日曜8時の名無しさん:2014/06/16(月) 19:52:22.09 ID:Tv7IKiej
関東のみなさん
今度JーCOMで鑁阿寺特集をやりますよ
この前は足利学校でした
ナビゲーターは佐野氏末裔の
ダイヤモンド・ユカイさんです
足利学校特集では上杉憲実について結構語っていた
関東圏外の皆さんゴメンナサイね
603 :
日曜8時の名無しさん:2014/06/16(月) 20:44:01.62 ID:h8VTtNHN
佐野氏といえば藤姓足利氏の庶流だね。
604 :
日曜8時の名無しさん:2014/06/18(水) 00:23:56.28 ID:TQZrniq/
全国放送すべし
605 :
日曜8時の名無しさん:2014/06/18(水) 06:43:55.06 ID:mYe38XpP
足利学校は観た
孔子の家系の孔さんって中国人が日本語で説明していた
606 :
日曜8時の名無しさん:2014/06/18(水) 21:43:19.55 ID:/uk4bfur
607 :
日曜8時の名無しさん:2014/06/19(木) 03:28:42.74 ID:sebyCkcM
そういえば以前どこかで足利将軍の花押についての面白い研究論文を見た気がする。
608 :
日曜8時の名無しさん:2014/06/19(木) 21:48:19.81 ID:ucNljK8i
尊氏の直筆で花押入の文書って何処にいったら見れるのかな?
東京や京都の博物館にあるのかな?
609 :
日曜8時の名無しさん:2014/06/19(木) 23:10:08.13 ID:sebyCkcM
尊氏の直筆って、漢字がすごく少なく仮名だらけだし、
ボキャブラリーも少なく同じフレーズの繰り返しがやたら多いという印象がある。
610 :
日曜8時の名無しさん:2014/06/22(日) 01:08:24.41 ID:F5+0JK5T
>>589 室町幕府って観応の擾乱でいったんリセットされたようなものだし、
その後の幕府の方向性が決まっていくのは、義詮〜義満期じゃないの?
611 :
日曜8時の名無しさん:2014/06/22(日) 14:28:44.42 ID:brGzqVFR
吉川英治の原作を読み始めたら、文庫の6巻の頭まで読んで止まってしまった。
鎌倉幕府が滅亡するまでは面白かったのだが、建武の親政が成って
雲行きが怪しくなってきたところまできたらかったるくなってきた。
でも、読破したいのでそのうちに続きを読み始めたい。
俺はあおぞらろーどく使って聴くという形で読みきったぜ。
613 :
日曜8時の名無しさん:2014/06/22(日) 22:31:21.73 ID:evg4fC4M
病床の判官殿なんか見たくない…
614 :
日曜8時の名無しさん:2014/06/23(月) 04:35:04.71 ID:24WBlhda
しかしあれも、しょうもない感じになってきたよな。
『太平記』と出演者が結構被るから多少は期待できるかも・・・とは思っていたのだが。
「あれ」とは?
616 :
日曜8時の名無しさん:2014/06/23(月) 21:59:38.83 ID:u5O4z+0e
時宗だよ
秀吉か毛利元就
判官や師泰や赤橋、それから一応清子の出てた今年という可能性も
今年は鶴太郎も被ってるな
と思ったところで今年初頭の藤村さんへの口汚い罵倒を思い出して怒りにも似た感情が沸々と
言われるほど聞き取れないわけじゃないし雰囲気のある良いナレーションだと思ったんだけどな・・・
620 :
日曜8時の名無しさん:2014/06/24(火) 01:51:30.96 ID:uskoCWny
『太平記』の清子
『八代将軍吉宗』の安宮照子
『風林火山』の寿桂尼
最近の藤村志保は、いずれも公家出身の気品と知性に溢れる母親役というイメージが強いな。
最近で言うと大河ではないが『足尾から来た女』のときの藤村さんもよかった
私は雲のじゅうたんの田中絹代さんのナレーションを思い出して、フラグを感じておりました(涙)
尊氏、躁鬱病の疑いありって聞いたけど
尊氏がハイだった時っていつなの?
牢獄から解放されて「しゃあッ!!」て叫びながら跳ねちゃう時とか
あの時はパパもハイだったな
最終回だったかな戦に負けたのに勝ったみたいにえらそうにしてた時じゃない?
>>627 あれは人心掌握のためのハッタリじゃないの?
629 :
日曜8時の名無しさん:2014/06/24(火) 16:39:20.66 ID:uskoCWny
>>628 ハッタリの要素はあっても、普通の神経ではなかなかできないだろう。
この手は血まみれじゃぁ〜
といいながらも合戦のときはハッスルしている尊氏であった
631 :
日曜8時の名無しさん:2014/06/24(火) 19:40:44.73 ID:rNjHBWPt
軍議じゃ軍議じゃーの時じゃね?
632 :
日曜8時の名無しさん:2014/06/24(火) 20:53:26.82 ID:RuDXXe+p
>>623 一部のアホな学者の妄想に惑わされるなよ
尊氏が精神的病なら清盛や頼朝や信長などなど
の武将や公家でも変な奴は山といるぞw
精神病というか中世の人々は全体的に若い世代が大半なせいか
キレやすい人が多いみたいだね。武器も戦乱続きのせいで
大量にばら撒かれてるし
634 :
日曜8時の名無しさん:2014/06/25(水) 01:26:06.36 ID:+8gyCpXq
というか近世(特に元禄期以降の一億総平和ボケ時代)に、
日本人の国民性そのものが大きく変わったように思う。
中世の社会では紛争解決に武力行使をすることは合法だし、
戦争自体が後世と比べて遥かに身近な存在だからね。
636 :
日曜8時の名無しさん:2014/06/25(水) 21:58:09.57 ID:gjVTf2Vn
当時の一般社会の死生観=宗教観や特に武士に関する死生観などなどを深く考えた方が良い。
現代社会・現代人の死生観や宗教に対する希薄さを基準に比較したら間違い。
足利尊氏が出家願望が強く、
何故持念仏として生涯、地蔵像菩薩を拝んでいたか、
足利義兼が出家して大日如来像を抱えて諸国を遍路した後、念仏三昧の後、
即身成仏となったか、
そんな原因は躁鬱病ですと
言っている学者達にはガッカリなんだよな。
朝敵呼ばわりされて最終的に勝者になったのは尊氏と幕末長州藩ぐらい?
638 :
日曜8時の名無しさん:2014/06/26(木) 01:14:47.79 ID:lTPGEZeC
承久の乱の北条義時とか?
639 :
日曜8時の名無しさん:2014/06/26(木) 02:00:40.91 ID:Z4kBj2tp
そういえば「朝敵」という言葉を最初に使ったのは源頼朝って話らしいね。
640 :
日曜8時の名無しさん:2014/06/26(木) 20:20:45.70 ID:fuJJaGBA
君の御敵
641 :
日曜8時の名無しさん:2014/06/27(金) 16:55:43.84 ID:aiMASv3P
足利幕府って朝鮮系かね?
作った寺の名前がキム閣寺とギム閣寺なんてw
642 :
日曜8時の名無しさん:2014/06/27(金) 22:37:10.96 ID:GqaAlBue
錦の御旗ってのは大覚寺統と持明院統でデザイン違ってたのかね?
643 :
日曜8時の名無しさん:2014/06/27(金) 23:08:59.66 ID:scDDY5Sl
またネトウヨか
645 :
日曜8時の名無しさん:2014/06/28(土) 02:01:53.62 ID:Wkufa8CM
久しぶりに動画で
ダイジェスト太平記新田義貞編
観たけど
やはり名作だ
646 :
日曜8時の名無しさん:2014/06/28(土) 19:55:20.75 ID:GK5IQaM7
>>641 そもそも朝鮮語において、「銀」は「ギム」なんて読まないし、「金」を「キム(김、gim)」と読むのも人名など特殊な場合に限られる。
一般的には、「金」の読みは「クム(금、geum)」、「銀」の読みは「ウン(은、eun)」になる。
というか、こんなのちょっとでも朝鮮語を勉強したことがあれば常識的にわかることなんだけど。
ギム・・・ ギンガナム!?
649 :
日曜8時の名無しさん:2014/07/02(水) 21:47:43.27 ID:b4KmB9dm
スレ止まった?
650 :
日曜8時の名無しさん:2014/07/03(木) 03:50:27.50 ID:rUcU4IDN
>>638 承久の乱でいえば、『神皇正統記』から見える北畠親房の歴史認識って面白いよね。
「鎌倉幕府は後白河のほうから頼朝に統治に関するいろいろな権限を与えた結果できたもので、
それを気に入らなくなったからと、大した失政もない幕府から後になって奪い返そうとした
承久の乱は後鳥羽に非がある」
「しかし尊氏の場合は、後醍醐のほうからは何も権限を与えていないのに、武力で強引に政権を
奪い取ったのであり、こちらは全面的に尊氏が悪い」
要約すればこんな感じ。
651 :
日曜8時の名無しさん:2014/07/03(木) 20:46:06.84 ID:RbWbwsbJ
>>636 >>647 禿同
大河太平記が名作たる由縁は生活に密着してる神道やら仏教やらを
足利や新田やら楠木やら北条やら天皇家やら、
そして時の勢力でもあった時宗やらを
ドラマにしっかり描いているからだと思う
654 :
日曜8時の名無しさん:2014/07/04(金) 01:26:19.64 ID:d+PVXMeW
>>651 大河『太平記』って、他の大河ドラマ作品と比べても、
(特に前半は)当時の文化とか芸能とかの描写が多いという特徴があるね。
ただこうした描写を多く入れたことで、当時の時代性というか社会の雰囲気に、
視聴者が自然と引き込まれる効果を生んでいるのは間違いない。
表面的な上辺だけの政治史をなぞっているだけだったり、
チープなホームドラマ描写ばかりを挿入したりするような作品と、
大河『太平記』との最大の違いはここかも知れない。
655 :
日曜8時の名無しさん:2014/07/04(金) 02:39:58.17 ID:5ylC4ZHb
ならば、石と藤夜叉は絶対必要だね
>表面的な上辺だけの政治史をなぞっているだけ
大河板を見ているとそういう傾向の作品を好む人も意外と多いんだよな
太平記批判の中に「前半の尊氏決起までが退屈」って声をわりと耳にするし
657 :
日曜8時の名無しさん:2014/07/04(金) 15:11:12.26 ID:d+PVXMeW
>>656 ただ『太平記』の場合、主人公が政治史に主体的に絡むのは確かに「足利決起」以降でも、
それ以前から政治史の重要ポイントは大体描かれているし、いろいろ複線も張られているから、
それで退屈という人は、じゃあどういうものなら退屈しないんだ?
658 :
日曜8時の名無しさん:2014/07/04(金) 15:15:27.15 ID:d+PVXMeW
>>655 石については途中で蒸発してしまったから、最終的にどうするつもりだったかが見えないが、
藤夜叉に関しては直冬の生母である以上、描かないわけにはいかないと思うぞ。
教科書で習ってないような詳しい歴史までわかりやすく映像化してくれるのが
大河ドラマのいいところなのにもったいないな
要点要点だけブツ切りにして暗記させてる結果理解が深まらないのが歴史の教育じゃん
暗記しか能のない詩文馬鹿はどっか行って、どうぞ
細かい史実なんて後でいくらでも調べられるんだから
歴史の流れや重大事件の意義のほうがよっぽど大事
661 :
日曜8時の名無しさん:2014/07/04(金) 21:34:10.60 ID:E9H+PjbF
オープニングの魔道の天狗
第一回の祠の件と最終回の直義殺害の時における尊氏の祠の話
これだけでもとっても
死生観、無常観を終始一貫して描ききっている凄さよ
662 :
日曜8時の名無しさん:2014/07/05(土) 03:51:08.48 ID:7SEfmkDm
663 :
日曜8時の名無しさん:2014/07/05(土) 04:24:44.87 ID:7SEfmkDm
>>660 こいつには得宗家の専横や後醍醐帝の倒幕計画が詩文に見えるらしい
664 :
日曜8時の名無しさん:2014/07/05(土) 04:42:03.08 ID:2PAj5Vvy
>>661 祠の話は「人質」の回の尊氏と登子の会話にも出てくるよ。
665 :
日曜8時の名無しさん:2014/07/05(土) 04:50:58.84 ID:2PAj5Vvy
>>659 大河はあくまでドラマだから、すべてが史実というわけではないぞ。
まあ『太平記』の場合、細かい史実はともかく時代の雰囲気みたいのはよく出ていたから、
歴史研究者レベルでもファンが多い名作なんだろうけど。
あとブツ切り暗記云々の件は、歴史教育そのものというより学習者の態度の問題だと思うよ。
666 :
日曜8時の名無しさん:2014/07/05(土) 06:01:48.46 ID:vl4MoxJj
葵徳川三代みたいなのを
「これぞ大河ドラマ!」みたいに持て囃す人もいるからなあ
668 :
日曜8時の名無しさん:2014/07/05(土) 22:35:51.20 ID:2PAj5Vvy
葵は三成が死ぬまではこれぞ大河だったと思うけど?
そもそもあんな年寄り配役の時点で
大河ドラマらしくない
俳優自体は常連ばかりだが
671 :
日曜8時の名無しさん:2014/07/06(日) 03:41:58.13 ID:50/YINbq
672 :
日曜8時の名無しさん:2014/07/06(日) 03:45:17.50 ID:50/YINbq
>>670 あの大河の配役に関しては、ジェームス三木の拘りが悪い方向に出過ぎた感はある。
673 :
日曜8時の名無しさん:2014/07/06(日) 14:12:23.32 ID:7Doxp4Cr
■三河の藤姓熱田大宮司家(藤原南家貞嗣流、本貫地:三河国額田郡、愛知県岡崎市)
藤原実範(三河守)→藤原季兼(三河四郎大夫、伊勢権守令)→藤原季範(初代藤姓熱田大宮司、額田冠者(三河国額田郡))→由良御前→源頼朝
藤原実範(三河守)→藤原季兼(三河四郎大夫、伊勢権守令)→藤原季範(初代藤姓熱田大宮司、額田冠者(三河国額田郡))→女(実父は季範長男の範忠)→足利義兼→足利義氏(三河守護)
11世紀
・1044年、藤原季兼(三河四郎大夫)は、三河国司を多数輩出した一族(祖父の兄、父、弟)に生まれる
・1060年、藤原保相(季兼(三河四郎大夫)の祖父の兄)が、私領を三河国碧海郡志貴荘として立券する、知行は保相→資良(保相の息)→惟信(資良の息)→惟信の娘(平信範の母)が伝領した
・1062年、藤原実範(三河守、藤原季兼(三河四郎大夫)の父)が死去する
・季兼(三河四郎大夫)は、伊勢神宮領荘園の荘官として都を下り、三河国加茂郡(愛知県豊田市)に土着する
・季兼(三河四郎大夫)は、三河国加茂郡(愛知県豊田市)の未開拓の土地を開発し、高橋荘・高橋新荘(後世 八条院領大覚寺統)を立券し、甥(高橋惟康)を領主に据える
・季兼(三河四郎大夫)は、三河国額田郡(愛知県岡崎市)に移り住み、青木川菅生川流域(菅生郷)を開発、荘園化せず自らの本拠とする(後に、権益は血縁である足利氏に)
・季兼(三河四郎大夫)は、三河国設楽郡稲木(愛知県新城市)の稲木長者を滅ぼし、東三河を 支配下におく
・1076年、藤原季綱(季兼(三河四郎大夫)の弟)が三河守になる
・同時期、季綱(三河守、季兼(三河四郎大夫)の弟)が、鳥羽の別邸を白川院に献上する(後に
鳥羽殿)
・季兼(三河四郎大夫)は、藤原資良(父は藤原保相(季兼(三河四郎大夫)の祖父の兄)が尾張守になり、尾張目代を務める(死ぬまで、息子と共に三河に住みながら尾張目代を務めた)
・1084年、藤原顕季が尾張守になる
・季兼(三河四郎大夫)は、松御前(尾張員職の娘)と結婚し、1090年、藤原季範(額田冠者)が生まれる
・1099年、藤原長実(美福門院父)が尾張守になる
674 :
日曜8時の名無しさん:2014/07/06(日) 14:13:26.75 ID:7Doxp4Cr
12世紀
・1101年、季兼(三河四郎大夫)が死去する
・1114年、藤原顕頼(母は季綱(季兼(三河四郎大夫)の弟)の娘、季範(額田冠者)の従兄弟)が三河守になる
・1114年、季範(額田冠者)は、藤原南家として初めて熱田大宮司となる(大宮司職の簒奪) ←大宮司職を乗っ取られる(笑)
・1130年、季兼(三河四郎大夫)室の松御前(尾張員職の娘)が、三河国設楽郡(愛知県新城市稲木)で死去する(城ヶ峰(愛知県新城市)の山頂に墓あり)
・1136年、藤原顕長(父は藤原顕頼(母は季綱(季兼(三河四郎大夫)の弟)の娘、季範(額田冠者)の従兄弟)が 三河守になる
・1137年、季範(額田冠者)は、神のお告げで大宮司職を五男藤原範雅(由良御前の兄弟)に譲る
・1137年、鳥羽院が、鳥羽殿内に安楽寿院を創建する
・1140年、季範(額田冠者)が、滝山寺内(三河国額田郡)に、夫婦で蓮華寺造営、仏性灯油料として三河国額田郡恵那河内郷(愛知県岡崎市米河内)を寄進する
・1142年、源義国が、足利荘を安楽寿院に寄進する
・1145年、藤原顕広(後に俊成に改名、養父は藤原顕頼(母は季綱(季兼(三河四郎大夫)の弟)の娘)が三河守になる
・1145年頃、(額田冠者)の娘(由良御前)が源義朝の正室になり、1147年、源頼朝が生まれる
・1151年、藤原範忠(由良御前の兄)が、滝山寺の本堂を建替える、10月8日の供養の時に延暦寺より招いた導師に馬3匹を贈る
・1152年頃、季範(額田冠者)の娘(養女(実父は季範長男範忠))が源義康の正室になり、1154年、足利義兼が生まれる
・1155年、季範(額田冠者)、源義国が死去する
・1155年、範忠(由良御前の兄)が熱田大宮司になる
・1157年、源義康が死去する
・1158年、平頼盛が三河守になる
・1159年、範忠(由良御前の兄)が弟の三河法橋裕範の要請を受け、大檀那として滝山寺の四至を確定し、 田畠1町2反づつを滝山寺へ寄進する
・1159年、由良御前が死去する
・1159年、三河法橋祐範(由良御前の弟)が、姉である由良御前の49日仏事を差配して、その菩提を弔う
・1160年、源義朝が謀殺される
・1160年、三河法橋祐範(由良御前の弟)が、頼朝が罪人として伊豆国の配所に送られる際、郎従を付けて送り出す
・1161年、範雅が熱田大宮司になる(再任)
・1168年頃、三河国碧海郡碧海荘が立券され、鳥羽院に寄進される(寄進者は藤原範忠か?)
675 :
日曜8時の名無しさん:2014/07/06(日) 14:14:20.39 ID:7Doxp4Cr
・1172年、藤原範忠(由良御前の兄)が熱田大宮司になる(再任)
・1178年、藤原忠兼(範忠の孫)が熱田大宮司になる
・1179年、平知盛が三河守になる
・1181年、範雅が熱田大宮司になる(再々任)
・1184年、源範頼が三河守になる
・1185年、185年 頼朝、日本国総追捕使・総地頭となる
・1185年、源頼朝が、三河国竹谷・蒲形両庄(開発領主は藤原顕広(後に俊成に改名、養父は藤原顕頼(母は季綱(季兼(三河四郎大夫)の弟)の娘)を熊野社領とする
・1185年、藤原範経(範雅の息)が熱田大宮司になる
・1185年、藤原範信(由良御前の兄、初代星野氏(三河国宝飯郡星野))が、勝長寿院納骨堂南御堂を供養する
・1188年、任憲(三河法橋祐範(由良御前の兄)の子)が、頼朝の元を訪れて初めて対面し、親しく語らう
・1189年、源頼朝が亡母の追善のため、鶴岡八幡宮に塔を建立する
・1190年、源頼朝が藤原仲経(藤原憲実(季範(額田冠者)の弟)の息)に、通常の課役である神仏への納税を命ずる
・1190年、鳥居禅尼(源義朝の姉)が紀伊国佐野庄湯橋の地頭になる
・1190年、藤原範清(藤原範信(初代星野氏(三河国宝飯郡星野)の息)が頼朝右大将拝賀行列前駆を務める(頼朝手配は範清と源範頼)
・1190年、坊門姫(頼朝の姉)死去する
・1191年、藤原憲朝(藤原範信(初代星野氏(三河国宝飯郡星野)の息)が駿河守になる
・1191年、任憲(三河法橋祐範(由良御前の兄)の息)が頼朝に、熱田社領の田地を廻る争いの調停を申し入れ、頼朝が口添えをする
・1193年、源範頼(三河前司)が、謀反の疑いをかけられ誅殺される
・1193年、藤原仲経(藤原憲実(季範(額田冠者)の弟)の息)が美濃国土岐多良庄地頭になる
・1193年、憲実(季範(額田冠者)の弟)の未亡人が、、憲実の遺産を安堵される
・1194年、範信(由良御前の兄、初代星野氏(三河国宝飯郡星野))が、相模国日向山参拝(大姫本複祈願)する
・1194年、範信(由良御前の兄、初代星野氏(三河国宝飯郡星野))が、義朝と鎌田正清供養に布施を渡す
・1194年、範信(由良御前の兄、初代星野氏(三河国宝飯郡星野))が、永福寺新造薬師堂供養を供養する
・1194年、鳥居禅尼(源義朝の姉)が、但馬国多々良岐庄地頭になる
・1197年、憲朝(藤原範信(初代星野氏(三河国宝飯郡星野)の息)が尾張国海東荘地頭職になる
・1199年、源頼朝、足利義兼が死去する
676 :
日曜8時の名無しさん:2014/07/06(日) 14:15:23.27 ID:7Doxp4Cr
金剛三昧院(本尊、愛染明王は北条政子が、当時仏師として世間に名を広めていた運慶に依頼し、頼朝公の等身大の坐像念持仏として作成)
・建暦元年(1211年)、北条政子の発願により源頼朝菩提のために禅定院として創建する
・承久元年(1219年)、源実朝菩提のために禅定院を改築して金剛三昧院と改称し、以後将軍家の菩提寺として信仰する
・貞応2年(1223年)、北条政子が禅定如実として入道し、建立奉行を葛山景倫(願性)・安達景盛が務め、源頼朝と源実朝の菩提を弔うための多宝塔(国宝)を建立する
・嘉禎4年(1238年)、足利義氏は政子の十三回忌にあたり、当院に大仏殿を建立し、丈六の大日如来像を奉安して、政子と実朝公の遺骨を納める
・源実朝
藤原実範(三河国司)→藤原季兼(三河四郎大夫、伊勢権守令)→藤原季範(初代藤姓熱田大宮司、額田冠者(三河国額田郡))→由良御前→源頼朝→源実朝
・公暁
藤原実範(三河国司)→藤原季兼(三河四郎大夫、伊勢権守令)→藤原季範(初代藤姓熱田大宮司、額田冠者(三河国額田郡))→由良御前→源頼朝→源頼家→公暁(母親は足助重長(三河国加茂郡足助)の娘)
・葛山景倫(願性)
藤原実範(三河国司)→女(藤原季兼(三河四郎大夫、伊勢権守令)の妹)→高橋惟康(三河国高橋荘領主)→鮎沢惟兼→葛山惟忠→景忠→景倫(願性)
・安達景盛
小田野兼広(三河国八名郡小野田)→安達盛長(三河国小野田荘地頭、三河守護)→安達景盛(三河国小野田荘地頭、1221年まで三河守護だったか?)
・足利義氏
藤原実範(三河国司)→藤原季兼(三河四郎大夫、伊勢権守令)→藤原季範(初代藤姓熱田大宮司、額田冠者(三河国額田郡))→女(養女)→足利義兼→足利義氏(三河守護)
677 :
日曜8時の名無しさん:2014/07/06(日) 14:15:49.88 ID:7Doxp4Cr
・葛山景倫(願性)
藤原実範(三河国司)→女(藤原季兼(三河四郎大夫、伊勢権守令)の妹)→高橋惟康(三河国高橋荘領主)→鮎沢惟兼→葛山惟忠→景忠→景倫(願性)
葛山氏
大森葛山系図は内大臣藤原伊周の後裔としているが真偽のほどは不明。
大森葛山氏の祖惟康は三河高橋の領主で甲斐・駿河両国の守となり,以後大森氏は親康,親家と続いて鎌倉御家人を輩出した。
葛山氏は親康の弟惟兼の流れをくむもので,惟兼の子惟忠を経てやはり鎌倉御家人を多く出している。
大森葛山の祖・高橋惟康
「伊勢新二郎大夫、成高橋殿、三河国高橋庄領主故号、母実範三位女、外戚伯父伊勢権守令養育之」
寺部八幡宮(愛知県豊田市社町1)
寺部八幡宮は、平安時代に高橋荘の領主高橋惟康が、不動堂村の館内に、石清水八幡宮を勧請し祀ったことがおこりです。
その後、惟康の子孫高橋氏が、長承2(1133)年3月15日再勧請造営したのが始まりです。
往事は数多い神宮寺を有していたと伝えられていますが、現在わずかに悟楽寺、儀隣寺の二ヶ寺の寺名のみ伝えています。
不動堂館(愛知県豊田市上野町1丁目)
平安時代(794〜1185/1192年頃)、藤原北家の流れを汲む高橋惟康は伊勢国に生まれ、伊勢新二郎大夫と称した。
母三位女の所領三河国加茂郡高橋荘を相続し、荘内の高橋郷〔上野町1丁目〕に在住して高橋殿と称され、三河国高橋氏の祖になった。
1060年惟康は駿河国へ移住。惟康の遺蹟として社町八幡社〔豊田市社町〕、神明神社〔豊田市上野町7丁目〕、香良須神社〔豊田市市木町谷耳太〕などが考えられる。
場所は上野町1丁目とされ、現在は畑地、住宅となり、遺構は無い。
678 :
日曜8時の名無しさん:2014/07/06(日) 14:16:36.43 ID:7Doxp4Cr
■金剛三昧院(和歌山県伊都郡高野山425番地)
愛染明王
http://www.kongosanmaiin.or.jp/attractive/aizen_myouou/index.html 当院の本尊、愛染明王(あいぜんみょうおう)像は、鎌倉幕府を開いた源頼朝公が亡くなった際、正室の北条政子が、当時仏師として世間に名を広めていた運慶に依頼し
、頼朝公の等身大の坐像念持仏(ざぞうねんじぶつ・今日の愛染明王像)として作成された、当院建立の原点となるものです。
■滝山寺(愛知県岡崎市滝町山籠107)
聖観音菩薩立像
http://takisanji.net/jihou_hou_seikan.html 熱田官司藤原範忠の子、寛伝が従兄弟にあたる源頼朝の菩提を弔うために正治三年(1201年)建立した惣持禅院に安置したもの。
仏師は運慶とその長男湛慶で、頼朝の等身大で顎髭(又は鬢の落毛)と歯を胎内に納めたという。
・寛伝
藤原実範(三河国司)→藤原季兼(三河四郎大夫、伊勢権守令)→藤原季範(初代藤姓熱田大宮司、額田冠者(三河国額田郡))→藤原範忠→寛伝
法華堂阿弥陀仏(消失)
建長7年(1255年)、滝山寺で足利義氏の一周忌法要が営まれた際、、法華堂が新たに建てられ、出家し尊観と名乗っていた足利義継(長瀬四郎(三河国碧海郡長瀬))が
、その本尊である阿弥陀仏を高野山より迎え、義氏の遺骨を胎内に納める
・足利義継(長瀬四郎(三河国碧海郡長瀬))
藤原実範(三河国司)→藤原季兼(三河四郎大夫、伊勢権守令)→藤原季範(初代藤姓熱田大宮司、額田冠者(三河国額田郡))→娘(養女)→足利義兼→足利義氏(三河守護)→足利義継(長瀬四郎(三河国碧海郡長瀬))
関連事項
■専長寺(愛知県西尾市吉良町吉田斉藤久100)
阿弥陀如来坐像(本尊)
http://www.city.nishio.aichi.jp/index.cfm/8,14707,91,408,html 鎌倉幕府3代将軍源実朝の菩提を弔うために夫人の本覚尼(ほんがくに)が京都に建立した遍照心院大通寺の本尊であった。寛喜3年(1231)に落慶供養会が行われた(『名月記』)。
明治初年の廃仏毀釈で編照心院が維持困難になったため、浄土宗西山深草派の本山誓願寺に移され、明治17年に同派の専長寺に本尊として安置された
679 :
日曜8時の名無しさん:2014/07/06(日) 22:58:01.21 ID:AMjExpG+
>>676 >安達景盛
小田野兼広(三河国八名郡小野田)→安達盛長(三河国小野田荘地頭、三河守護)→安達景盛(三河国小野田荘地頭、1221年まで三河守護だったか?)
細川重男氏(『鎌倉政権得宗専制論』2000年吉川弘文館69〜71頁)は盛長が
三河守護となったのは三河国に縁のある三河国宝飫小野田荘の小野田氏庶流で
あるからとする。
また、福島金治氏も、盛長の小野田姓の由来には同荘があるのではないか
とされている(『安達泰盛と鎌倉幕府』2002年有隣堂新書14頁)。
ところで、三河国は頼朝の異母弟範頼の単独国務国司として、
1183(元暦元)年から失脚する1193(建久4)年まで継続していた
(金澤正大氏、「蒲殿源範頼三河守補任と関東御分国」『政治経済史学』第370号1997年4・5・6月)。
そして、範頼は盛長婿(正室は比企尼長女と盛長の間の娘)であり、
両人は比企ファミリーの一員である。
とすれば、『尊卑分脉』の兼盛・盛長の傍註「小野田」から盛長を三河国に
結びつけるよりも、範頼失脚後の三河国を頼朝の伊豆流人時代からの側近で、
比企ファミリーの一員で、かつ範頼舅であった盛長に三河国を任せたのは当然である。
「小野田」地名は三河に限らず、全国各地にあり、関東内でも上総国小野田郷
(千葉県長南町下小野田)があるのであり、『萩藩閥閲録』巻73では、
遠元の養子との傍註のある天野遠景に関して、その曽祖父としての兼広(盛)の
傍註に「上総国小野田郷領之ス」とある
(『萩藩閥閲録』第二巻1968年山口県文書館85頁)。
すなわち、足立氏が上総国小野田郷出身としている。
もし、盛長が三河国小野田氏庶流出身なら、盛長とその子孫が鎌倉幕府での重鎮と
なっている以上、三河国在住の小野田氏は御家人に列せられていよう。
そこで、「六条若宮造営注文」
(海老名尚・福田豊彦氏、「『田中穣氏旧蔵典籍古文書』「六条八幡宮造営注文」について」
『国立歴史民俗博物館研究報告』第45号1992年12月)を見ると、
三河国御家人として小野田氏は記載されていない。
それのみかその存在を明証する史料所見はおろか、三河国小野田氏の
存在を微証する史料の存在も他に見られないのである。
すなわち、両氏の説には無理があるといわざるをえない。
680 :
日曜8時の名無しさん:2014/07/07(月) 01:33:49.30 ID:ywnS+dPN
小笠原長房 (幡豆小笠原氏)
・足利尊氏の近侍
・天龍寺落慶供養随兵
・若狭国、三河国守護代
・尾張国知多郡の守護代
小笠原氏庶流の幡豆小笠原氏の出身と言われている。
幡豆小笠原氏は小笠原長清の子伴野時長の系統に属し、弘安8年(1285年)11月17日の霜月騒動の際、時長の孫である長泰、その子盛時らが戦死、残された一族が安達氏の領地であった三河国太陽寺荘(元は小野田荘、愛知県豊橋市)に逃れ、
その後、足利氏・吉良氏との結び付きを強めるため、吉良氏領地に隣接する西方の幡豆郡に移り住んで成立した
681 :
日曜8時の名無しさん:2014/07/07(月) 03:31:50.11 ID:x6ZVMfnI
>>679 危痴害には一々反論せず、放置してください。
682 :
日曜8時の名無しさん:2014/07/07(月) 12:30:55.27 ID:WgY/0bZT
>>681 スレ番長か?
レスなど自分の好きにすればいいだろ
673〜680が丸ごとあぼ〜んされてる
どのNGワードに引っかかったのだろうw
根性ひんまがった奴と衒学押し売りのアイタタ野郎が多いからな
685 :
日曜8時の名無しさん:2014/07/07(月) 20:24:02.25 ID:mkR5SmLp
なぜ、近江やら相模やら下野やらの歴史オタは
三河バカに対抗して、捏造自慢話を羅列しないの?
歴史ある寺社仏閣を沢山羅列しないの?
なぜ、
京都やら
鎌倉やら
足利やら
の歴史オタは
愛知県岡崎市のバカに対抗して、オラが地域の
歴史ある寺社仏閣を自慢しないの?
岡崎 VS 京都
VS 鎌倉
VS 足利
比較するまでもない
687 :
日曜8時の名無しさん:2014/07/08(火) 01:18:03.95 ID:DyTGDASS
オラ栃木、オラが貼るだっぺ
■日光山
源頼朝がその母方の従兄弟を別当に据えて以来、鎌倉幕府、関東公方、後北条氏の歴代を通じて東国の宗教的権威の一中心であり続けた
源頼朝
・藤原実範(三河国司)→藤原季兼(三河四郎大夫)→藤原季範(額田冠者(三河国額田郡)、初代藤姓熱田大宮司)→娘(由良御前)→源頼朝
母方の従兄弟
寛伝(寛典・観纒とも、額田僧都、式部僧都と称された、日光山満願寺19世座主)
・藤原実範(三河国司)→藤原季兼(三河四郎)→藤原季範(額田冠者(三河国額田郡)、初代藤姓熱田大宮司)→藤原範忠→寛伝
寛伝年表
・1142年、生まれる
・叔父の三河法橋裕範(源頼朝の母の弟)、粟田口法眼長暹(源頼朝の母の弟)を頼って滝山寺(愛知県岡崎市)で仏門に入る
・仁和寺で修行
・1182年、源頼朝の推挙により日光山満願寺19世座主になる
・宗徒と面会する際、御簾を半分にしか上げず紛紜、2ヶ月で三河国(愛知県岡崎市)に戻る
・菩提寺の滝山寺(愛知県岡崎市)僧侶になり、66郷を領し精舎一区を創建する
・鑁阿寺奥院の法界寺に、宋版の一切経を納める(後に一切経は、足利義氏により鑁阿寺に)
・高野山御影堂に大鐘を施入する
・1201年、頼朝公の3回忌、滝山寺内に惣持禅院を創建し、本尊として頼朝公の御歯と御髪を納めた聖観音菩薩を安置する
・惣持禅院に供僧10人を常置し10町の土地を寄進する
・1205年、死去する
688 :
日曜8時の名無しさん:2014/07/08(火) 01:19:51.02 ID:DyTGDASS
オラ栃木、オラが貼るだっぺ
■1234年、鑁阿寺建立(大御堂)
(大檀那)足利義氏(三代目足利氏当主)
・藤原実範(三河国司)→藤原季兼(三河四郎)→藤原季範(額田冠者、初代熱田大宮司)→娘→足利義兼→足利義氏
(大行事権律師)藤原重弘(鑁阿寺第四世寺務学頭、野田朝氏と兄弟)
・藤原実範(三河国司)→藤原季兼(三河四郎)→藤原季範(額田冠者、初代熱田大宮司)→藤原範忠→野田清季(野田城主(三河国設楽郡野田))→野田朝季→藤原重弘
(大勧進)阿闍梨了心
(雑掌・奉公人)藤原朝氏(野田朝氏、野田大宮司、嫁は足利義氏の姉)
・藤原実範(三河国司)→藤原季兼(三河四郎)→藤原季範(額田冠者、初代熱田大宮司)→藤原範忠→野田清季(野田城主(三河国設楽郡野田))→野田朝季→野田朝氏
(雑掌・奉公人)源季能
(雑掌・奉公人)小俣禅阿(鶏足寺の別当)
(雑掌・奉公人)大平惟行
・高階惟章→惟頼→惟真→惟範→惟長(三河国額田郡菅生郷郷司)→瀧口惟忠→大平惟行(三河国額田郡大平か?)
(雑掌・奉公人)高階義定
・高階惟章→惟頼→惟真→惟範→惟長(三河国額田郡菅生郷郷司)→惟重→義定
(雑掌・奉公人)大進円憲
(雑掌・奉公人)佐野範綱
(雑掌・奉公人)真下広経
(雑掌・奉公人)小野有家
(雑掌・奉公人)藤原兼資
■鑁阿寺 旧多宝塔跡
藤原重弘(鑁阿寺第四世寺務学頭、野田朝氏と兄弟)が、父である野田朝季の供養のために造立した供養塔、多宝塔供養導師は、足利義氏の息子、最信
野田朝季(野田大宮司、朝比奈義秀と戦い戦死)
・藤原実範(三河国司)→藤原季兼(三河四郎)→藤原季範(額田冠者、初代藤姓熱田大宮司)→藤原範忠→野田清季(野田城主(三河国設楽郡野田))→野田朝季
最信(勝長寿院別当)
・藤原実範(三河国司)→藤原季兼(三河四郎)→藤原季範(額田冠者、初代藤姓熱田大宮司)→娘→足利義兼→足利義氏→最信
689 :
日曜8時の名無しさん:2014/07/08(火) 01:22:05.76 ID:DyTGDASS
690 :
日曜8時の名無しさん:2014/07/08(火) 02:01:53.55 ID:sIOC9dPg
基地外の巣だな
691 :
日曜8時の名無しさん:2014/07/08(火) 09:03:03.40 ID:QwcdHarw
>>687>>688 >藤原季範(額田冠者、初代熱田大宮司)
おいおい、藤原季範を初代熱田大宮司だなんて嘘を書くなw
熱田大宮司は代々尾張氏の世襲
季範は母親が尾張氏であったために外孫であることを持って
尾張氏から熱田大宮司職を奪い取ったに過ぎない
・尾張氏(古代豪族)…尾張員能→女(尾張氏)→藤原季範
季範の外孫が源頼朝、季範の外孫の約250年後の子孫が足利尊氏
お前、太平記スレに足利尊氏の250年前の女系先祖のコピペばっかり貼るなよ
尊氏の直近の女系がどれだけいると思ってるんだ
だから2ちゃんねるの有名な荒らし三河馬鹿は基地外だと言われるんだ
692 :
日曜8時の名無しさん:2014/07/08(火) 09:07:53.56 ID:uD0xgPwY
>熱田で生誕
303 :名無しさん@京都板じゃないよ:2012/03/23(金) 09:35:38.83
尾張國造家は、単なる外戚の藤原南家に「天皇の夢」というワケのわからんムチャクチャで大宮司職を奪われるも、神宮寺の愛染院(真言系)とスクラムを組んで対抗し、
藤原季範を締め上げた。季範の息子の代には、館を社僧に取り囲まれて外に出ることもできなくなり、頼朝に泣きつき、頼朝の発案で天台系の神宮寺を作って愛染院に対抗させやがる
>「天皇の夢」というワケのわからんムチャクチャで大宮司職を奪われる(笑)
>頼朝の発案で天台系の神宮寺を作って愛染院に対抗させやがる(笑)
当時、殺伐とした内部対立があった中、頼朝が尾張で生まれるわけないだろうw
尾張は一切関係なし、ゆかりの物は一切無しw
693 :
日曜8時の名無しさん:2014/07/08(火) 09:18:35.96 ID:QwcdHarw
>>692 ・尾張氏(古代豪族)…尾張員能→女(尾張氏)→藤原季範→女→源頼朝
・尾張氏(古代豪族)…尾張員能→女(尾張氏)→藤原季範→女→足利義兼…足利尊氏
三河馬鹿はなんで源頼朝や足利尊氏の女系を最重視しておきながら(男系はなぜか無視)
その女系が古代豪族・尾張氏に繋がることを無視するの?
だから基地外だと言われるんだよ
この板では5行以上の長文はNG入れてる
695 :
日曜8時の名無しさん:2014/07/08(火) 20:02:14.37 ID:u7WSNHa0
三河 100点 VS 下野・近江・相模は合計 0点
三河の圧倒ですね
岡崎 100点 VS 足利・京都・鎌倉は合計 0点
これも岡崎の圧倒ですね
岡崎 100点 VS 南朝鮮 100点
両者とも何もかにから何でもアリで良い勝負w
696 :
日曜8時の名無しさん:2014/07/08(火) 21:19:45.85 ID:BrQIpkbz
足利尊氏は尾張氏だぎゃ〜はいいが、太平記に尾張は殆ど出てこんだろうがw
強いて言えば、足助重範(三河国賀茂郡足助)に弓で討たれた荒尾兄弟か?w
ほんとパゴヤは昔からダサいなw
???「木太刀の一本でもあればー」
おわり
698 :
日曜8時の名無しさん:2014/07/08(火) 21:33:49.18 ID:BrQIpkbz
それは作り話w
三河にいた鎌田政清の兄貴(天台宗真福寺僧)から情報を得ただろう慈円が正しい
パゴヤは源頼朝足利尊氏と縁もゆかりもなく、故に、鎌倉幕府室町幕府幹部に、尾張は一切無しw
699 :
日曜8時の名無しさん:2014/07/10(木) 20:35:29.05 ID:XmMhd4y5
鎌倉〜室町期を通じて、尾張守の官途はほぼ足利一門だな。
佐々木道誉主役の大河可能性は
どうよ
701 :
日曜8時の名無しさん:2014/07/11(金) 00:21:01.61 ID:zA5oIcGH
>尾張守は足利一門
尾張とは縁もゆかりもない
名古屋だぎゃ〜
空華集 「東海道三河州碧海荘,寔今政府左金吾(斯波義将)祖宗九京之地也」
「三河国碧海荘は管領家斯波義将の先祖の墳墓の地である」
初代斯波氏である足利家氏は、祖父足利義氏から三河国碧海荘を相伝し本拠とした
永源寺
中世、三河国碧海郡碧海荘内にあった禅寺。管領斯波義将が1380年代に創建。南北朝時代の禅僧義堂周信の詩文集『空華集』に収める「贈雲谿首座赴永源命詩并序」にみえ、錘秀山と号した。
「序」に三河国碧海荘は斯波義将の先祖の墓所のあるところであるといっており、家氏以来斯波氏が伝領してきたのであろう。所在地は「碧海之東」とあるのみでどこであるか不詳である。
応永4年(1397)5月18日、のちに建仁寺61代住持となる玉岡和尚が将軍義満より住持職に補任された(『蔭涼軒日録』文明17年9月15日条)。
703 :
日曜8時の名無しさん:2014/07/11(金) 10:38:50.82 ID:O37ZsoOQ
逃げるな戦え!って味方ぶった斬ったりしてるクソ野郎なのに死ぬ時は哀れに見える不思議。
高家って師直兄弟の死以来、没落して歴史の表舞台から消えたの?
705 :
日曜8時の名無しさん:2014/07/12(土) 23:18:55.59 ID:iYAXdOXH
706 :
日曜8時の名無しさん:2014/07/13(日) 07:25:18.25 ID:/iEqyg8G
>>702 斯波氏は足利一門とは縁もゆかりないダラってかwww
707 :
日曜8時の名無しさん:2014/07/13(日) 17:10:15.01 ID:IaC/KpBb
チミはパゴヤ君?太平記とは縁もゆかりもない部外者は出入り禁止だと言っただろう
>斯波氏は足利一門とは縁もゆかりない
部外者は意味不明だから
藤原実範(三河守)→藤原季兼(三河四郎大夫、伊勢権守令)→藤原季範(初代藤姓熱田大宮司家、額田冠者(三河国額田郡))→藤原範忠→女子→足利義兼→足利義氏(三河守護)→足利泰氏→足利家氏
・足利義氏は承久の乱の恩賞で、父と祖母縁故地の三河国守護職、額田郡・設楽郡・吉良荘・碧海荘地頭職を獲得する
・足利義氏は、吉良荘を長男長氏に、碧海荘を嫡男泰氏に与える
・無断出家した嫡男泰氏が、幕府に碧海荘を没収される
・没収された碧海荘は足利義氏に返され、義氏より孫の足利家氏に与えられる
足利家氏
生没年不詳。鎌倉時代の武将。足利泰氏の長子であるが庶子として遇された。母は北条朝時の娘。左衛門尉、中務権大輔、尾張守。従五位下。寛元元年(1243)より幕府に出仕。
碧海荘地頭職を祖父義氏から譲られて知行し、建長7年(1255)前年亡くなった義氏の菩提所として創建された滝山寺法華堂に荘内の青野の田2町、宇祢部の畠1町2段を寄進した。
またこの堂に法花経2部、鈴杵・閼伽なども寄進した。某年正月18日没(滝山寺縁起)。
708 :
日曜8時の名無しさん:2014/07/13(日) 17:27:32.91 ID:IaC/KpBb
>畠山
近年以後三条女御々領碧海庄立券之中(兵範記」仁安3年7月6日条)
1168年頃、三河国碧海郡碧海荘が立券され、鳥羽院に寄進される(寄進者は藤原範忠(足利義兼祖父)か?)
三条局
・父:藤原家政、母:不明
・鳥羽院女房、妍子内親王母
・兄弟の雅教の母は、藤原顕隆(正室は藤原季綱の女(足利義兼曽祖父の従兄弟、鳥羽天皇の乳母)の娘 )
義兼は、祖父(藤原範忠)が寄進したとみられる三条女御々領の管理をやっていた伝承があるから、1175年生まれなら三河生まれの可能性があるわな
断定はしませんけど
709 :
日曜8時の名無しさん:
で、それは室町期に畠山氏が尾張守の官途を世襲していることと、どう関係?