【第十九回】 太平記 part.19 『人質』

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1日曜8時の名無しさん
前スレ
【第十八回】 太平記 part.18 『帝の脱出』
http://kohada.2ch.net/test/read.cgi/nhkdrama/1360141198/
2日曜8時の名無しさん:2013/08/03(土) 00:58:17.94 ID:nY599+Tw
【解説】
太平記第十九回「人質」(1991年5月12日放送)
ttp://www2s.biglobe.ne.jp/~tetuya/REKISI/taiheiki/taiheiki19.html
3日曜8時の名無しさん:2013/08/03(土) 02:38:03.51 ID:QL6IZbcE
乙です
4日曜8時の名無しさん:2013/08/03(土) 19:26:07.62 ID:V69O2Pe9
>>1


六平直政にもう少し出番あげて欲しかったなー。同僚だし結構いい家の出なんだろうしね。
5日曜8時の名無しさん:2013/08/03(土) 22:18:47.32 ID:zLTtwehj
>>1有り難き仕合わせ


新田義貞はやっぱりショーケンがよかったよぉ・・・
6日曜8時の名無しさん:2013/08/04(日) 07:25:52.31 ID:zfS4Zk8s
>>4
宍戸知家という役名だったな。
宍戸っていうと、やはりあの常陸と安芸に勢力を持った宍戸氏なんだろうか?

>>5
そうかな?
根津甚八のほうが義貞の実像に近そうな気がするし、結果的には良かったのではないかと。
7日曜8時の名無しさん:2013/08/04(日) 13:45:11.00 ID:P+e8ZkVX
大河ドラマ「三河幕府45代」やらないかしら


第一回は、母方が三河(愛知県岡崎市)の熱田大宮司家の源頼朝が、三河(愛知県豊橋市)出身の小野田盛長(後に安達盛長)の紹介で、母方が三河伴氏(愛知県新城市)の北条時政の娘と知り合う話でどうかな?
8日曜8時の名無しさん:2013/08/04(日) 13:53:21.39 ID:P+e8ZkVX
もちろん、三河(愛知県岡崎市)に雌伏していた足利義兼が、頼朝の元に馳せ参じる回や
後に足利義氏が、先祖の地三河の守護になって、喜び勇んで三河(愛知県岡崎市)にやってくる回も用意する


楽しみだね
9日曜8時の名無しさん:2013/08/04(日) 21:39:25.99 ID:zfS4Zk8s
三河ヲタって、自分では凄いことを言っているつもりなのかも知れないが、
正直単なる味噌臭いキモヲタにしか見えんw
10日曜8時の名無しさん:2013/08/04(日) 23:28:37.80 ID:1Gq0n4ui
長崎殿へ命請いにまいるのじゃ。


いくら長崎殿でも、執権殿の妹婿までは襲うまい。
のう?!
ガハハハハハハ
さて、まいろうか
11日曜8時の名無しさん:2013/08/05(月) 01:14:18.38 ID:6ugYTJts
そして速攻土下座w判官殿パねぇっす
12日曜8時の名無しさん:2013/08/05(月) 11:28:57.26 ID:1y+9bbvK
判官殿をフィーチャーして続・太平記を創ってくれよおおお!!!
13日曜8時の名無しさん:2013/08/05(月) 20:45:53.75 ID:wuDV6x1+
>>12
「室町太平記」
//www2s.biglobe.ne.jp/tetuya/REKISI/taiheiki/murotai.html

これですか?
14日曜8時の名無しさん:2013/08/06(火) 00:34:44.52 ID:QbITRprR
飄々としてるシーンばかり思い出してしまうが
円喜の所に土下座しに行ったり花夜叉に暴力振るったり
そういう情けないシーンもあったなw>判官殿
15日曜8時の名無しさん:2013/08/06(火) 01:04:45.84 ID:t1uw3FSa
うろ覚えだけど
長崎殿の所に詫びに行けって高氏(足利)が
判官に言ったセリフじゃなかったっけ?

いつもは判官に諭されたり唆されたりする側の高氏(当時)が
珍しく判官を諭す側になってたのが笑えた
16日曜8時の名無しさん:2013/08/06(火) 06:42:52.47 ID:HOomi+9g
訂正


もちろん、三河(愛知県岡崎市)に雌伏していた足利義兼が、頼朝の元に馳せ参じる回や
後に足利義氏が、先祖(藤姓熱田大宮司家)の地三河の守護になって、喜び勇んで三河(愛知県岡崎市)にやってくる回も用意する


藤原実範(三河国司)→藤原季兼(三河四郎大夫)→藤原季範(額田冠者(三河国額田郡)、初代藤姓熱田大宮司)→娘(養女)→足利義兼→足利義氏



楽しみだね
17日曜8時の名無しさん:2013/08/06(火) 17:44:38.67 ID:H8kqwE8/
何が「訂正」なの?頭湧いてんの?
18日曜8時の名無しさん:2013/08/06(火) 23:24:25.42 ID:pNzxHOcD
危痴害には反応しない。
スルーしよう。
19日曜8時の名無しさん:2013/08/07(水) 19:17:16.13 ID:uPmPm5R6
異存あるまいの?!
足利殿!
20日曜8時の名無しさん:2013/08/07(水) 21:52:59.57 ID:6CeHYY7q
直義「しょおぐん!」
21日曜8時の名無しさん:2013/08/07(水) 21:59:14.47 ID:e8lc70Wi
師直「三条殿がおられては足利家が一つにまとまらん!」
22日曜8時の名無しさん:2013/08/07(水) 23:20:42.13 ID:oqWC2qAf
声優の宮本充さんが出てるけど
顔全然知らなかったのに
声だけでこの人かとわかったぞ
23日曜8時の名無しさん:2013/08/08(木) 00:41:04.60 ID:kv+67UCh
桃井直常ってスゲー強硬だったよな
24日曜8時の名無しさん:2013/08/08(木) 19:47:27.32 ID:aBcie2kK
高橋悦史の名演技よ!

ほんとに名役者がそろってたよな。

真田広之もこれがあったから後に「高校教師」が出来たのだと思う。
25日曜8時の名無しさん:2013/08/08(木) 19:53:15.61 ID:ktst0v/U
まさか楠木弟と同僚になるとは
26日曜8時の名無しさん:2013/08/09(金) 12:55:52.13 ID:+tVK6ZFY
「しょーぐぅぅ〜ん!義詮にございまするぅ〜!」
27日曜8時の名無しさん:2013/08/09(金) 19:19:16.24 ID:WpBtqES7
この大河で名演技といえば名和伯耆守
28日曜8時の名無しさん:2013/08/09(金) 23:22:33.47 ID:+tVK6ZFY
世を乱させたもうた張本は、後醍醐帝なり。


一同、異存あるまいの?!
29日曜8時の名無しさん:2013/08/09(金) 23:36:56.03 ID:W0EwlhWt
後醍醐のナニは小さいのう
30日曜8時の名無しさん:2013/08/10(土) 00:58:40.96 ID:G0WNlnJh
>>27
大塔宮へのバカにした台詞が強烈だったよね。此は伯耆ですぞw
31日曜8時の名無しさん:2013/08/10(土) 01:35:44.07 ID:luFzeksI
「構わぬ、お縄をかけろ。縄にして引っ立てい!」
32日曜8時の名無しさん:2013/08/10(土) 04:17:59.91 ID:/rv1HfO1
泰氏、じゃなかった高資の人が高橋悦史氏の舎弟みたいだったらしいが、
世間のイメージとは違って破天荒なエピソードに事欠かない人物だったらしいね。
亡くなる前に末期の癌を患った役を他のドラマでやってたが
まさかあの後直ぐに亡くなるとは
33日曜8時の名無しさん:2013/08/10(土) 07:29:11.61 ID:sfeZBdfe
(判官の問いに)はて、なんの事やら(棒読み)
↓判官に問い返されて
聞き捨てならんぞ!判官!
34日曜8時の名無しさん:2013/08/10(土) 15:11:44.76 ID:pSBlVtW9
将軍になってからの尊氏の甲冑って、実際に残ってる尊氏所用のものを忠実に再現してるんだね。
ボストン美術館にあるんだっけ?
35日曜8時の名無しさん:2013/08/10(土) 17:31:46.65 ID:aWhfk8ae
終戦のエンペラーに義詮が出てるらしいな
マッカーサーが戦争責任を追及しに東京へ行くと
そこには闘鶏にうつつを抜かすエンペラーヒロヒトが・・・
36日曜8時の名無しさん:2013/08/10(土) 18:16:33.84 ID:QVIW+YZD
サダアキ:言わん事ではない。
それゆえそれがしは、足利は外に出すなと申したのじゃっ!
野に放った虎だわえ!
37日曜8時の名無しさん:2013/08/10(土) 22:57:03.07 ID:0ZWIY/ND
おぉかぁみぃ〜〜〜
38日曜8時の名無しさん:2013/08/11(日) 01:25:40.40 ID:poBDoytx
安易にマッカーサーを暗殺しようとして失敗するエンペラーヒロヒト
39日曜8時の名無しさん:2013/08/11(日) 01:26:00.92 ID:1XtupKfp
これ名役者が揃いすぎだろ。個人的に北畠親房卿が好き。ドラマでも史実でも南朝の重鎮
40日曜8時の名無しさん:2013/08/11(日) 07:50:01.14 ID:2J9t6YyV
史実において南朝の重鎮であった人物を、
いくらドラマとはいえ北朝の重鎮として描くわけにはいかないからな。
41日曜8時の名無しさん:2013/08/11(日) 07:58:54.87 ID:C1BgS9E/
高師直は南朝方に通じてる公家の娘を手籠めにしちゃって
その娘から尊氏を裏切る様に散々内通掛けられている訳だがそれはいいのか?
42日曜8時の名無しさん:2013/08/11(日) 07:59:41.74 ID:C1BgS9E/
内通じゃねえな、発破掛けられてるが適切か
43日曜8時の名無しさん:2013/08/11(日) 11:49:37.23 ID:B9pVqblD
ゴダイゴの息子(大塔宮)へのあしらいも酷いもんやで・・・


宮「なんと!?
この護良へ、頭を丸めて再び僧に戻れ!との仰せというか?」

坊門「さようにござりまする」

宮:「ガハハハハハハハハハハハハ!!!!! あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛〜」
44日曜8時の名無しさん:2013/08/11(日) 11:59:01.47 ID:yfYhWyMC
近年の大塔の宮の劣化具合を見ると涙が。
そういや高校野球のテーマソング歌ってたなあ。
45日曜8時の名無しさん:2013/08/11(日) 12:00:57.97 ID:2J9t6YyV
>>41
二条の君ね。
一応彼女は師直の嫡子師夏の生母でもあるはず。
46日曜8時の名無しさん:2013/08/11(日) 12:35:50.56 ID:KsLhcDUT
>>44
大塔宮の人を見ると、劇場版必殺での旗本愚連隊を思い出すw
47日曜8時の名無しさん:2013/08/11(日) 17:25:40.37 ID:poBDoytx
一応キモ盛に出てたよな
48日曜8時の名無しさん:2013/08/11(日) 18:28:05.46 ID:zQbQW7yu
師春はいないんだよな
49日曜8時の名無しさん:2013/08/11(日) 18:47:58.37 ID:B9pVqblD
5大 嫌いなキャラ
1長崎高資
2名和長年
3桃井直常
4後醍醐天皇
5覚海尼
50日曜8時の名無しさん:2013/08/11(日) 22:27:11.78 ID:2J9t6YyV
>>48
師直の叔父の高師春?
51日曜8時の名無しさん:2013/08/11(日) 22:37:20.06 ID:jcjQJ0Et
歴史上の人物で後醍醐天皇はかなり嫌いな部類だったけど
この大河を今年初めて観て片岡さんが演じた後醍醐は好きになった
「もりよしぃー!」と一喝するとことかカッコよすぎで結構マネしてるw
52日曜8時の名無しさん:2013/08/11(日) 23:09:44.38 ID:B9pVqblD
>>35
自身がヤバくなったからって、国民を見捨ててアメリカへ亡命を謀ろうとする義詮孝太郎
53日曜8時の名無しさん:2013/08/12(月) 00:15:02.42 ID:ai/OKugk
>>51
『太平記』を見る以前から、この時代の人物について、
好き嫌いを語れるほど具体的なイメージを持っていたというのが凄い。

もしかして、この時代を専門的に研究しているような人ですか?
54日曜8時の名無しさん:2013/08/12(月) 01:10:51.21 ID:Vte6ahQl
>>4
>>6
宍戸いうたら八田知家の末裔の宍戸氏でんがな。
八田知家は源頼朝に仕えた。彼の子孫では小田氏と宍戸氏が特に栄えた。
鎌倉時代には小田氏と宍戸氏は常陸国守護に任じられていたらしい。

宍戸氏は安芸に行って毛利氏の縁戚になった人も。
55日曜8時の名無しさん:2013/08/12(月) 01:18:11.37 ID:Vte6ahQl
>>39
でもマサオミさんはキンチョーの30日30日イッポンポンでタヌキの着ぐるみやったんだよな…
西田敏行が80年代の『武田信玄』で山本勘助やってた並みの衝撃

正臣さんはウルトラマンAのサボテン超獣回にゲスト出演してて
セブン(細川顕氏)、80(西園寺卿)、ブラック指令(伝の法印)と、太平記とウルトラマンの関係は深い
56日曜8時の名無しさん:2013/08/12(月) 01:44:47.09 ID:Vte6ahQl
>>22
大塚周夫も出演してるぞ。名探偵ホームズ(犬のホームズ)のモリアーティー教授の中身。
正成が尊氏の訊問を受ける時、尊氏と並んで詮議する武将。声で分かる。

『風と雲と虹と』に山田康雄が1回だけ出演。たしか6話の将門の同僚役。
『花神』では島本須美が坂本龍馬の嫁やってる(これは見たことない)。
『草燃える』に江原正士がでチョイ役出演。黄瀬川の陣の郎等だったかな?総集編でも見れる。
『武蔵坊弁慶』では真夏竜が義経に仕える佐藤継信。真夏は最初のキテレツ大百科でトンガリ役も。
『花の乱』は石田太郎と、タイムボカンでヒロインやってた岡本茉利が出演。
『いのち』『風林火山』の伊武雅刀ことウルトラマン・ジョーニアスは言うまでも無い。
『新選組!』で、ささきいさお(ヤマトの歌歌った人またはコンドルのジョー)が大坂町奉行所役人をやってた。

アニメと大河ドラマの関係は深い。
57日曜8時の名無しさん:2013/08/12(月) 02:46:50.79 ID:VbY3N8j3
太平記にはシャリバンも出てるだろ。木野まことちゃんの旦那さん

あとグリーン先生ことキートンことシュナイゼル殿下も。
58日曜8時の名無しさん:2013/08/12(月) 06:34:57.80 ID:qyEzVuXR
石田太郎は『炎立つ』と『花の乱』に連続で出演しているんだよな。

>>45>>48
師直の親族には、春夏秋冬が揃っていたりするw
59日曜8時の名無しさん:2013/08/12(月) 07:42:45.95 ID:2MeCZgNS
2年連続大河ってそれほど珍しい話じゃないよ
勝野洋だってやってるし
60日曜8時の名無しさん:2013/08/12(月) 08:48:07.93 ID:oNXBjJgy
>>53
>>51じゃないけど、図書館でこういう学習マンガ読んでたから、
中学生前後から普通に知ってたよ
http://ecx.images-amazon.com/images/I/51QSDSXKRML._SS500_.jpg
仲の良かった足利兄弟がやがて天下を掛けて戦うというストーリーにとても興味を持った
61日曜8時の名無しさん:2013/08/12(月) 10:49:11.43 ID:dQPntBR+
石田太郎、20世紀中は大河常連と言っても差し支えないレベル
62日曜8時の名無しさん:2013/08/12(月) 13:19:27.55 ID:Vte6ahQl
>>60
おそらく同年代の集英社版では楠木正成が腹黒っぽい雰囲気だったw
尊氏×直義の争いはたった1コマで片づけられていたw
63日曜8時の名無しさん:2013/08/12(月) 14:40:11.60 ID:ai/OKugk
『炎立つ』と『花の乱』の連続出演というと、川野太郎とかもいる。
蝦夷の一族から天皇に転生というギャップがあれだが。
64日曜8時の名無しさん:2013/08/12(月) 15:13:58.26 ID:Vte6ahQl
>>63
あ〜そう言われればそうだったな
ちなみに安倍晋三首相のご先祖は川野氏が演じた安倍宗任なんだとか
65日曜8時の名無しさん:2013/08/12(月) 17:48:18.08 ID:ai/OKugk
>>59
勝野洋は黄金期の大河に出過ぎなくらい出ているからな。
しかもこのスレの住人からの支持が強い室町以前の中世を扱った作品に2回も出ている。

1987年に徳川秀忠
1988年に大熊朝秀
1991年に赤橋守時
1992年に細川藤孝
1994年に伊吹十郎太
66日曜8時の名無しさん:2013/08/12(月) 17:59:19.66 ID:ai/OKugk
>>56
他に声優でいうと、この一つ前の『翔ぶが如く』に、黒田崇矢氏が別府晋介役で出演しているな。
67日曜8時の名無しさん:2013/08/12(月) 18:58:14.00 ID:Vte6ahQl
西田敏行も「がんばれタブチくん」てアニメで主役の声優だったんだよな
68日曜8時の名無しさん:2013/08/12(月) 19:43:14.24 ID:BarvXYzN
>>56
ギロロの中の人を忘れてるぞー
69日曜8時の名無しさん:2013/08/12(月) 19:59:52.90 ID:PPcRBr/M
>>61
独眼竜政宗にも出てたな
70日曜8時の名無しさん:2013/08/12(月) 22:27:29.25 ID:b1vYuyDW
〜菜の花畑にて〜

義貞「鎌倉攻めの 足利軍の御大将は千寿王殿ぞ?
おわかりか?」


千寿王「・・・・・ハイ!」
71日曜8時の名無しさん:2013/08/13(火) 00:41:39.59 ID:ap621sNa
千寿王も甘ちゃんだよな。鎌倉の実質的主だったんで勢力扶養して関東の主になり京の親父と対峙するぐらいの気概がないと男が廃るぜ!
72日曜8時の名無しさん:2013/08/13(火) 04:37:56.04 ID:y8H6j9x8
>>71
義詮って、直義失脚に伴う京都召還のときでも20歳になるかどうかくらいな年齢なわけで、
それ以前に義詮が鎌倉で尊氏から自立という可能性は常識的にあり得ないよ。
73日曜8時の名無しさん:2013/08/13(火) 04:41:37.74 ID:y8H6j9x8
>>58
高師春
高師夏
高師秋
高師冬

よくここまでやったものだw
年齢的には師春が一番歳上で、師夏が一番歳下か?
師秋と師冬の長幼の順はわからんが。
74日曜8時の名無しさん:2013/08/13(火) 04:54:05.08 ID:60MksotO
顔がえなりで趣味が闘鶏・・・どう見てもアホの子(ry
75日曜8時の名無しさん:2013/08/13(火) 05:09:53.25 ID:RFUKQS73
原作の「太平記」でも義詮は悪く書かれているらしいが、
何度も京都を追い出されながらそのたびに奪還し、
父の死後も死闘を繰り広げた兄・直冬にも最終的には勝ったんだから、
父譲りの戦上手だったのだろう
76日曜8時の名無しさん:2013/08/13(火) 06:59:14.82 ID:60MksotO
親父と息子に名声を全て持って行かれた感はあるよな
もっとも親父も息子も名声と同じぐらい醜聞を抱え込んでしまったがw
77日曜8時の名無しさん:2013/08/13(火) 08:18:09.60 ID:y8H6j9x8
>>74
義詮の闘鶏好きは、闘犬好きだった北条高時の呪いという説もあるとかw

>>75
義詮の場合、当人自身が前線に出て戦の指揮をしたような場面はそんなにないし、
戦上手かどうかは未知数で終わったような感じもあるが。

ただ義詮の功績として以下の3点は挙げられると思う。
・観応の擾乱以降に幕府から離反したままになっていた諸大名の幕府帰参を進めたこと
・二頭政治期には尊氏と直義に分かれていた二つの支配権を将軍のもとに統合したこと
・臨終の際に義満への置き土産として細川頼之を管領にしたこと
78日曜8時の名無しさん:2013/08/13(火) 12:21:33.58 ID:mwICy0Q2
歴代の足利将軍に奇人変人が多い中で、
尊氏と義詮は、やっぱり「坂東武者」然としてるわな。
79日曜8時の名無しさん:2013/08/13(火) 13:20:38.05 ID:4uYapXWI
>>65
放送当時「おや、また来たんですか?」とかジョークで大河スタッフに言われたとかコメントしてたな。
この時期やってた年末時代劇シリーズでも常連で歴史劇俳優の認識だったわ
80日曜8時の名無しさん:2013/08/13(火) 14:03:12.98 ID:zKA7SPb3
>>73
春秋冬夏の順。
師春は師直のおじ。師秋はおそらく師冬の兄で、共に師直の従兄弟。師夏は師直の子。
師冬は師直の猶子になってて、師泰の娘を嫁にしてるから、師直兄弟より年下で間違いない。

しかしこの時代「冬」って字のつく武将が多いな。
少弐冬資、足利冬氏(直冬の子)など。
81日曜8時の名無しさん:2013/08/13(火) 14:03:15.30 ID:DytDo4hx
http://homepage1.nifty.com/sira/baisyouron/baisyou37.html
梅松論37


宰府に領地を寄進しようと、御文章の参考のために社家の古文書を召し出された中に、昔、鎮西八郎為朝の寄付の文書があったのを御覧になり、「当家の祖神」とまことに有り難く思し召して、御社頭に向かって合掌され、御敬神浅からず見えた。



>「当家の祖神」




そもそも尊氏をはじめ足利一門に坂東武者の意識など無いだろ
西国志向をみても判るわな
82日曜8時の名無しさん:2013/08/13(火) 14:08:40.78 ID:zKA7SPb3
前スレで「義詮は山名、大内を下して幕府の基礎を固めたのだから有能」と書いた人がいた。
尊氏の後を継いで10年ほどで亡くなってしまったゆえの過小評価もあるだろう。

意外にも文人的側面が強い人で、勅撰和歌集にも多数入集。
弟の基氏はあまりそういう文事には優れた人ではなかったようで、一方「太平記」には武人らしい人として描かれてる。
83日曜8時の名無しさん:2013/08/13(火) 15:27:06.43 ID:y8H6j9x8
>>82
実際問題として山名・大内を帰参させたことは、幕府の安定という点で大きかったと思う。
確かに内乱のなかで大きくなった彼らのテリトリーをそのまま認めたことは、
後に起こる明徳の乱や応永の乱の伏線になるのも事実だが、
義詮期の段階では、まずは彼らを幕府支配のなかに組み込むことが優先だったのは仕方ない。
84日曜8時の名無しさん:2013/08/13(火) 15:39:40.89 ID:y8H6j9x8
>>80
確かに師秋と師冬の関係は、師秋が兄で師冬が弟のほうがよさそうですね。

あと少弐冬資の「冬」は足利直冬の偏諱かな。

人名に季節を表す漢字を使う場合、
穏やかな季節でプラスイメージのある「春」や「秋」が多いのは自然だろう。
「冬」に関しては摂関家が割と多様するイメージがあるが、
これは摂関家の偉大な先祖に藤原冬嗣がいることが大きいかね?

「夏」は人名(諱)として見かける頻度は最も低いと思う。
85日曜8時の名無しさん:2013/08/13(火) 16:07:25.04 ID:zKA7SPb3
>>84
畠山義就が義夏を名乗ってる。まあたしかに少ない。
夏が先に付く「夏×」みたいな名前があんま無かったからかも。

少弐氏は特に冬って字を好んだ一族ですんで、もしかしたらその冬嗣と関係するかも知れませんね。
秀郷流の一族だから。

師秋が兄で師冬が弟って可能性は、師秋が高一族の嫡流って説もあるんで、おそらく…てなとこっす。
師冬が師直(しかし師ばっかw)の猶子になってることと、師泰の娘と結婚してることからして、
師冬は師行流と師重流との融和を図る…まあそんなおおげさなもんじゃなくつながりを強めるためとかじゃないかと。

山内・扇谷上杉氏も、しょっちゅう養子をやりあってる(ただし山内家は山内家同士、扇谷も同様で)から、
武士の一族観や相続を考える上ではけっこう参考になる事例かも知れやっせん。
86日曜8時の名無しさん:2013/08/13(火) 17:43:17.06 ID:y8H6j9x8
>>85
師秋が本来的な高一族の嫡流だったという説は、
足利家時の置文を師秋が持っていたらしいことからの推測だったかな?

「冬」と「夏」については、日本人の元々の季節感として、
冬よりも夏のほうがマイナスイメージが強かったのかも。

藤原冬嗣の子孫である摂関家は「冬」の字を割とよく名前に使うけど、
一方で冬嗣の兄藤原真夏の子孫である日野流は「夏」の字をほとんど使わないし。
87日曜8時の名無しさん:2013/08/13(火) 23:21:04.03 ID:peS3LAR4
何で影も形も出てない高一族の連中の話で盛り上がってんだ?
88日曜8時の名無しさん:2013/08/13(火) 23:49:38.35 ID:lDmQXfeZ
師直とか師泰とか普通にドラマに出てきたぞw
89日曜8時の名無しさん:2013/08/14(水) 00:19:30.98 ID:R6BRe+5R
師直師泰は当然としてそれ以外のマイナー人物でってことだろ
90日曜8時の名無しさん:2013/08/14(水) 00:26:57.20 ID:YrPqku6u
>>87
戯言じゃ、戯言
91日曜8時の名無しさん:2013/08/14(水) 01:51:06.91 ID:0cr2Vv56
師直「担げる帝であれば、いかなる帝であってもよろしかったのでは・・・・・」


高氏「師直ッ!!!!!!!」

すげえ怖かった
92日曜8時の名無しさん:2013/08/14(水) 03:51:57.07 ID:yTjjuzaI
師直「言うて良い戯言と・・・」
師泰「悪い戯言かw」
師直「言葉を慎まれい!」
93日曜8時の名無しさん:2013/08/14(水) 04:19:10.25 ID:yTjjuzaI
>>86
藤原冬嗣の兄弟も季節の名前多いんだよな。
長男:真夏
次男:冬嗣
三男:秋継

春がないのが惜しいが。
94日曜8時の名無しさん:2013/08/14(水) 04:22:26.55 ID:HTCgj0aY
ほとぼりが冷めたと思ってまた書き込んでるのか
ぶっちゃけ三河レベルのキチなんだからレスを控えろよ
95日曜8時の名無しさん:2013/08/14(水) 11:07:02.29 ID:0dZxCNIJ
>>92
さらにそこで高兄弟を煽る道誉
「この判官もの、チラと思わぬではなかった……」
96日曜8時の名無しさん:2013/08/14(水) 15:47:28.11 ID:OJe+F/IJ
>>95
そのくせ、「師直殿も魔が差してきてましてな」と尊氏と直義に忠告して妥協させる判官どの
直義はどうでもいいけど、尊氏もやばくなったら結局手を貸してやるあたりが判官どのらしい
97日曜8時の名無しさん:2013/08/14(水) 20:50:46.39 ID:oocOm0eS
高一族は血統的に源氏で、処遇は鎌倉幕府御家人だからな
所領すら持っていて、他の足利被官とは違う
98日曜8時の名無しさん:2013/08/14(水) 23:40:05.00 ID:sITjkk4J
>>97
そんな話は初耳だw
99日曜8時の名無しさん:2013/08/15(木) 00:40:22.57 ID:coinJQ7/
近年、あらゆるメディアでの足利尊氏の再評価ぶりは凄いね。

これぞ現代人を具現化した存在!だとか囃し立ててる。

ま、あの乱世で、名門の坊ちゃんでも、一つの道筋を見つけただけでも凄いけどね。
100日曜8時の名無しさん:2013/08/15(木) 05:54:37.60 ID:1Jt4qv6J
>>97-98
高は高階の略なんだけど、高氏の家祖が足利からの養子なんじゃなかった?

鎌倉幕府御家人は将軍=鎌倉殿を唯一の主君とする…
教科書的には確かにそーなんだが
御家人の身分を持ってるはずの人たちがほかの御家人に事実上仕えていることはあった。
得宗被官の尾藤、工藤、長崎など。我らが足利殿では長尾氏など。

大河『北条時宗』では高師氏が足利の嫁とああーんな関係と表現されてるが…
さすがにちょっと鎌倉期の高氏を過大に見てはいないだろうか?苦笑
101日曜8時の名無しさん:2013/08/15(木) 05:59:23.20 ID:1Jt4qv6J
>>91
このドラマの尊氏は後醍醐を「特別な帝ぞ」と言ってるほど後醍醐LOVERなので…
まあ実際では、元弘以前の後醍醐は尊氏にとって「この上なく普通の帝」に過ぎなかったろうw
102日曜8時の名無しさん:2013/08/15(木) 06:04:45.97 ID:oecO6bro
三國志7のシステムで太平記作れば良いと思うんだよね
武術大会とか漢詩大会とか
巡察中に突然虎(石)に襲われるとか
103日曜8時の名無しさん:2013/08/15(木) 06:11:19.39 ID:1Jt4qv6J
>>86
〜なんじゃない?
師秋っていまいち影が薄い人で、置き文と息子師有が関東執事になってなきゃどれほど知名度あったかw

弟師冬が師泰の婿なら、単に年齢的な問題で師直が執事になったのかも。
そもそも執事の地位がどのように受け継がれていたか?からして問題。
鎌倉幕府の一御家人の家宰と室町幕府の管領とでは意味が異なってきた面もあるだろうし。
104日曜8時の名無しさん:2013/08/15(木) 12:03:57.61 ID:4kopKk0e
観応の擾乱で高兄弟と直義が一挙にいなくなって
尊氏と義詮には邪魔者がいなくなって結局よかったのかな?

後の幕府には三管の斯波、畠山、四職の山名、関東管領の上杉
直義派が中枢に入ってるよな
105日曜8時の名無しさん:2013/08/15(木) 19:00:07.75 ID:4YCVBExC
>>100
高氏の先祖の話は別として、高氏が鎌倉期に御家人扱いされていたって、
本当なのか?

あと長尾氏だって、宝治合戦以前は三浦氏の一族or被官扱いのような
立場だと思うし、もともと長尾氏自身が御家人としての身分を
持っていたのかね?
106日曜8時の名無しさん:2013/08/15(木) 20:32:12.96 ID:1Jt4qv6J
>>105
高氏は知らない。

長尾氏は鎌倉権五郎景政という人の末裔。
景政の子孫は大庭氏などに分かれてゆく、その一族。
被官とか家来とまで言えるか知らんが…源実朝暗殺〜宝治合戦の頃は三浦宗家と関係深かったらしい。
鎌倉後期には足利氏と関係を持っていたらしい。
なぜ上杉氏の家宰になっていったかは知らない。

上杉謙信も元は長尾氏なんで、足利がらみの武家は栄えたんだなあと最近よく思うね。
織田だって朝倉だって足利に仕えなければ大出世はなかったのだ。
107日曜8時の名無しさん:2013/08/15(木) 21:22:59.39 ID:coinJQ7/
数万?
あのビンボー御家人の新田が??

みな頭がどうかしておるのではないか?!
108日曜8時の名無しさん:2013/08/15(木) 22:14:24.27 ID:oecO6bro
高氏?どっちの?ちゃんと名字書かないとわからんだろ
109日曜8時の名無しさん:2013/08/15(木) 22:15:54.10 ID:QLoXn+TF
>>106
松平もな
110日曜8時の名無しさん:2013/08/15(木) 22:46:05.62 ID:1Jt4qv6J
数万貫?
あのビンボー御家人の新田に??

北条はみな頭がどうかしておるのではないか?!
111日曜8時の名無しさん:2013/08/15(木) 22:54:08.32 ID:KBVo2mvK
あのショーケンが病気で降板したと未だに信じられん
でも揉めて降板したならその後大河に複数回出る事も無かったろうし
やっぱ病気降板なんだろうか
112日曜8時の名無しさん:2013/08/15(木) 23:01:32.20 ID:1Jt4qv6J
>>104
畠山国清は直義派から尊氏派に寝返ったから何とも。
畠山氏の復帰は国清の弟義深からだから(管領家は義深系)

直義派でも、桃井はあまり格が高くなれなかったし、
奥州吉良氏は歴史から消えてしまい(対し、ライバルの二本松畠山氏は再興)
何と言っても直冬の子孫がほぼ歴史から消えてしまった(T人T)

赤松、京極、土岐はほぼ尊氏派だったようなんで、土岐頼遠が直義に断罪された理由も関係あるかも。
113日曜8時の名無しさん:2013/08/15(木) 23:20:24.78 ID:im64HXus
高階惟頼は義家の四男で、養子入りしたから、惟頼以降は源氏の血筋ですわ
惟長あたりまでは源氏同族待遇
114日曜8時の名無しさん:2013/08/15(木) 23:42:49.65 ID:1Jt4qv6J
>>108
高氏は高句麗王だったからね
115日曜8時の名無しさん:2013/08/16(金) 00:38:07.58 ID:5V6SjjoV
おまいらほんと御先祖様を遡っていくの好きだなw
116日曜8時の名無しさん:2013/08/16(金) 02:17:39.02 ID:ftnowsJe
源高氏殿でござる
117日曜8時の名無しさん:2013/08/16(金) 05:26:19.67 ID:B2L6CF2Z
>>115
御先祖様至上主義なのがこの時代の特徴だからね
この時代どころか未だにそうなのが泣けてくるけど
118日曜8時の名無しさん:2013/08/16(金) 07:58:11.25 ID:N3rTmmZ9
>>93
> 長男:真夏
> 次男:冬嗣
> 三男:秋継

> 春がないのが惜しいが。

藤原冬嗣の兄弟(藤原内麻呂の息子)に関しては、
四男の名前が桜麻呂で、これがおそらく春のつもりだと思われる。
単に春夏秋冬を揃えるだけでは芸がないと考えて、四男だけ命名を変えたのだろう。
119日曜8時の名無しさん:2013/08/16(金) 08:07:33.92 ID:N3rTmmZ9
>>106
鎌倉期の長尾氏は、治承・寿永の乱で当初平家方に付いて没落しかけた後、
三浦宗家に拾われたような経歴でしょう?

足利一門でいうなら、木曽義仲に与して戦死した矢田義清の子孫で、
足利宗家に拾われた仁木・細川両氏のような立場。

一族内での家格も正直あまり高くはないと思うし、
宗家とは別に独自に御家人株を持っているとは考えにくいような・・・。
120日曜8時の名無しさん:2013/08/16(金) 08:18:16.48 ID:N3rTmmZ9
>>112
さらにいえば畠山氏は、細川・斯波両氏の管領家としての立場が確立した後になって、
幕府によって意図的に第三の管領家の家格に引き上げられたような感じだからね。

まあ赤松・佐々木京極・土岐に関しては、
外様のなかで彼らだけが室町幕府の四職(五職)に名を連ねていることと、
彼らが観応の擾乱とそれ以降の混乱期にほぼ尊氏・義詮方であったことは、無縁ではないだろう。
121日曜8時の名無しさん:2013/08/16(金) 09:53:30.51 ID:jnmvoUat
先の外様3氏のうち土岐氏だけは義満以降非主流派反細川になるんだよな
康暦の政変で道を誤らなければ土岐氏は義満に討伐されず美濃以外にも領地を増やして発展してたかも
122日曜8時の名無しさん:2013/08/16(金) 10:37:48.50 ID:FYOA+uFM
斯波に仕えた島田氏は土岐氏流、土居、植村とかも土岐氏流だわな
三河に繋がるとどいつもこいつも偉くなるw



島田利正
父の領していた三河矢作城にて生まれ、後に父と同じく徳川秀忠に仕え、小田原征伐での鉢形城攻めや関ヶ原の戦いでの働きぶりが見える。
関東入府後、慶長18年(1613年)から寛永8年(1631年)に渡って江戸南町奉行に就任し、市政の制度化に尽力。また他にも最上騒動の際、幕府の使者として名が見える。それらの功により従五位下弾正忠に任官された。
武蔵国入間郡、比企郡などで5000石を領した。

弾正橋
江戸南町奉行時代、現在の北八丁堀付近に屋敷があり、付近にあった楓川に架かる橋が利正の官名にちなんで弾正橋と名付けられた。明暦の大火の後に島田家の屋敷は湯島に移るが、弾正橋の名称はそのまま残った


永源寺(埼玉県坂戸市)
開基:島田利秀入道永源



空華集 「東海道三河州碧海荘,寔今政府左金吾(斯波義将)祖宗九京之地也」

「三河国碧海荘は管領家斯波義将の先祖の墳墓の地である」
初代斯波氏である足利家氏は、祖父足利義氏から三河国碧海荘を相伝し本拠地とした


永源寺
中世、碧海郡碧海荘内にあった禅寺。管領斯波義将が1380年代に創建。南北朝時代の禅僧義堂周信の詩文集『空華集』に収める「贈雲谿首座赴永源命詩并序」にみえ、錘秀山と号した。
「序」に碧海荘は斯波義将の先祖の墓所のあるところであるといっており、家氏以来斯波氏が伝領してきたのであろう。所在地は「碧海之東」とあるのみでどこであるか不詳である。
応永4年(1397)5月18日、のちに建仁寺61代住持となる玉岡和尚が将軍義満より住持職に補任された(『蔭涼軒日録』文明17年9月15日条)。




全部繋がっているんだよ
123日曜8時の名無しさん:2013/08/16(金) 13:36:59.66 ID:Yrl4BTNe
124日曜8時の名無しさん:2013/08/16(金) 14:11:02.29 ID:6QA/n5Oi
>>121
義満に征討される直前が土岐氏の最盛期なんだよ。
美濃、尾張、伊勢(は半国ぐらいかな)の守護を一族で固めてて。
斯波氏が尾張守護になれたのは義満が土岐を討ったおかげ。
土岐はその後、美濃と伊勢の守護家に分かれる。後者は持益家ともいう。

山名と赤松も播磨ら辺を争ってて戦国に至る。
観応期に赤松が尊氏派だったと思われるのも、山名との対立が主因だったかも。
室町の守護家ってギスギスしてる感じやねえ苦笑
125日曜8時の名無しさん:2013/08/16(金) 14:25:55.70 ID:6QA/n5Oi
>>120
管領の知名度に対し四職家ってあまり知られてない感あるけど…(侍所じゃしゃーない罠)
実質的には管領家とあんま変わらんほど有力だったと思われる。
宗全のころの山名家は細川と並ぶナンバートゥーだろう。
管領・侍所は適当に家格をつけた程度が実態だったかも。
政所執事の伊勢家も有力だったんで(北条早雲もその流れ)、やっぱ

「高校レベルじゃ教えなくていいYO」

って人たちかも知れないw
奥州・羽州探題(ともに斯波氏)や九州探題(渋川氏)も、守護程度だよねえ。
基本的に守護、だと思うね室町前期は。
京極家も同じく佐々木氏の六角氏とそれほど実力差はなかったろうと個人的には思う。

三河ヴァカの大好きな一色氏は外様で固められた四職家で唯一の足利一門なんで優遇されたと言えるかも。
四職いうても、京極、赤松、山名、一色、土岐の5家なんで、呼び方は語呂合わせじゃなかろうか?
赤松、一色、土岐は足利義教のころに衰退してしまうんで、この頃までしか実態を持ってないよね。
126日曜8時の名無しさん:2013/08/16(金) 14:43:24.54 ID:6QA/n5Oi
>>119
その宗家とは大庭氏を指すのかな?
この頃だと、宗家がどれほどの意味を持ってたか難しい問題と思うので…
たとえば本スレのアイドル新田氏宗家が里見や山名に惣領として何か発言権あったか分からん

工藤、尾藤は確実に御家人の流れだけど、北条氏の被官でもあった。
六条八幡宮造営注文(同社の寄付金リスト)では、長崎氏は5貫文の寄贈をやってるらしい(学者にそう教わっただけよ念のため)。
だから長崎氏は御家人の身分も持ってて、規模的には中級御家人。
ちなみに同注文では、北条得宗家が500貫文、足利宗家が200貫文、畠山家が25貫文。
ほかの有力守護家だと100〜200貫文ぐらいが相場で、
佐原家(三浦宗家の滅亡後に三浦介を襲職)が75貫文だったと思うんで、畠山家も単独で中の上ぐらいの御家人だった。
三浦は宗家と和田義盛家の滅亡後でもこんななんで、三浦氏の勢力がしのばれる。
127日曜8時の名無しさん:2013/08/16(金) 14:48:41.81 ID:6QA/n5Oi
>>117
地方の保守系政治家が議員の血筋で固まってくのはちょっと心配。
何か血による序列ができちゃってるよね。
まあ、徳川や松平が国会議員、大名家が知事や市長やってるようなお国柄ですけどw
だったらイギリス上院みたく、大名家が世襲議員でもよかったかもと思うことさえw
明治初年の木戸や大久保の采配次第でその可能性も十分あり得た。
128日曜8時の名無しさん:2013/08/16(金) 15:12:18.24 ID:6QA/n5Oi
>>115
マニアックなところでは、島津氏、対馬の宗氏、土佐の長宗我部氏が秦の始皇帝の末裔(!)の秦氏。
AKBの秦佐和子も本当なのか?w
もっとも島津氏は源頼朝後胤(なぜか豊後大友氏も頼朝後胤を自称)、
宗氏は平資盛の末裔を冒称してるので(多くの学者は相手にもしていないw)、
中近世にはさして権威でもなかったのだろう。

周防大内氏は百済の王孫を自称してて…こっちは全く以て相手にもされていないw

加賀百万石の前田氏は菅原氏を自称。
もっとも利家のじいさまさえハッキリしない程度の家なんで以下略w

安倍晋三の家は安倍宗任子孫を称してる。前九年の役で敗れ朝廷に降ったお方。
秋田安東氏は神武天皇(!)に敗れたナガスネヒコの子孫を自称…
阿蘇大宮司氏は神武天皇の子孫…ってもう何も言うことは無い方々ですね苦笑
129日曜8時の名無しさん:2013/08/16(金) 15:18:09.37 ID:6QA/n5Oi
>>77
>義詮の闘鶏好きは、闘犬好きだった北条高時の呪いという説もあるとかw

まあ当時は娯楽が酒、セックス、音楽、踊りしか考えられんような頃だ。
今でいうプロ野球かJリーグみたいなもんでしょ。
高時、尊氏の田楽好きが後の能楽にもつながるわけで、けっこうな趣味人とも言える気がする。
130日曜8時の名無しさん:2013/08/16(金) 15:43:48.18 ID:N3rTmmZ9
>>121>>124
土岐氏は土岐康行の乱で義満にやられた後、
嫡流(土岐世保氏)のほうが美濃を追い出されて伊勢守護家となり、
代わって庶流(土岐池田氏)が美濃守護となっている。
そしてさらにいえば足利義教が将軍の時期に、
土岐世保氏は義教に粛清されて伊勢守護職を失うという散々な目に遭っている。

要は結果的に、義満期以降の土岐氏は、土岐世保氏と土岐池田氏が別の家になってしまい、
土岐一族全体でのまとまった動きなんて全くなくなるので、
土岐氏全体として幕府内で主流派か非主流派かを論じることも意味がなくなる。
この辺は、佐々木一族における佐々木六角氏と佐々木京極氏の関係と同様。

例えば応仁の乱の際も、美濃に残った土岐池田氏が西軍方なのに対し、
土岐世保氏のほうは本来的には自分のほうが嫡流という対抗意識と、
義教のときに失った伊勢守護職を代わりに手にした一色氏への対抗心から、
これに対抗して東軍方となっている。
131日曜8時の名無しさん:2013/08/16(金) 16:09:50.59 ID:fgkJZvzE
赤松は、所縁の地三河に、一族の奥平が戻ってきて隆盛を極めただろが
その家来になったのが、足軽だった福沢さん、後に福沢諭吉が出たわな


常に三河はどうか確認する癖をつけよ
132日曜8時の名無しさん:2013/08/16(金) 16:11:45.77 ID:fgkJZvzE
>>105
三河は確認したのか?
確認しなければ、物事は見えてこないぞ
133日曜8時の名無しさん:2013/08/16(金) 17:11:52.11 ID:6QA/n5Oi
>>130
義満に討たれて以後の土岐氏に嫡流と庶流なんてあったのかな?
それこそ新田・岩松と山名みたいな「元は親戚ですが」程度だったと思う。

六角と京極は鎌倉時代に分かれてるんで、室町ごろは全く別の家だろう。
ちなみに存在すら疑われてる備前児島氏も、鎌倉期に佐々木氏から分かれたとの説あり。
来年の大河の黒田さんも近江佐々木氏の出で(だから黒田の地名は滋賀県にある)、
戦国期(?)に備前国福岡に移り(これが福岡市のルーツなのは本当)
その後、赤松氏被官小寺家に仕えて、羽柴秀吉に従った後の活躍はテレビで見てね♪

宮本武蔵も播磨か美作の赤松被官らしいよ。それが佐々木小次郎と戦うとは…奇縁。

三河だけ見てても歴史は分からないぞ!苦笑
134日曜8時の名無しさん:2013/08/16(金) 17:23:16.99 ID:fgkJZvzE
佐久間家村は三河に逃げてきて、この系統で旗本の三浦家が出たわな
トヨタ自動車という会社があってな、創業家の元々の姓は佐原さん


常に三河を中心にして考えないと、物事の本質は見えてこない
135日曜8時の名無しさん:2013/08/16(金) 17:45:15.93 ID:6QA/n5Oi
ちなみに「燃えよドラゴンズ」の作曲者山本正之は三河の安城市の出身。意外なことに名古屋ではない。
アラレちゃんと報道ステーションの声優小山茉美は同県西尾市の出身で、同市は吉良、一色、今川を含む。

汲み取り式トイレ(いわゆるボットン便所)最盛期を雄々しくリリカルに描き続け全世界に日本の生態を伝えた偉大な漫画家
とりいかずよしは現在の岡崎市出身。

最上位からシモの世界まで三河国が人類に果たした役割は甚大(棒
136日曜8時の名無しさん:2013/08/16(金) 18:26:03.74 ID:Yrl4BTNe
いつの間にか三河馬鹿が増殖してる
137日曜8時の名無しさん:2013/08/16(金) 20:13:19.03 ID:9TlxWWKX
三河は別にスレ立ててやれよ
138日曜8時の名無しさん:2013/08/16(金) 20:14:36.73 ID:N3rTmmZ9
>>125
山名氏に関しては、室町幕府はこれを外様扱いはしていない。
幕府発給文書の書札礼なんかから、一門に准ずる扱いだったことが明らか。
なおこれは上杉氏などにも同様のことがいえる。

「四職」の名称については、土岐氏の就任期間が他氏に比べて圧倒的に短いことから、
土岐氏の侍所所司としてのイメージが薄いこともあるはず。
土岐氏は侍所になっても長くて1年程度であり、当年中に辞めていることも多い。
139日曜8時の名無しさん:2013/08/16(金) 20:23:56.27 ID:N3rTmmZ9
>>126
鎌倉期(宝治合戦以前)の長尾氏の話なので、宗家は当然三浦氏の意味。
得宗や有力御家人の一族・被官に自らも御家人としての身分を持つ者がいることと、
鎌倉期の長尾氏が御家人だったかどうかは別問題では?

>>127
木戸や大久保の采配も何も、明治〜昭和戦前の議会では、公爵・侯爵家の当主および嫡子は、
成年に達すると自動的に貴族院議員となり、その身分は終身だったわけだから、
大大名の子孫の家系にとって議員の身分は現実に世襲だったのだが。
140日曜8時の名無しさん:2013/08/16(金) 20:41:06.77 ID:N3rTmmZ9
>>124
南北朝期の赤松氏の動向については、赤松則祐が佐々木道誉の娘婿、
そして則祐の嫡子義則は道誉の外孫という関係があり、
このため赤松氏はいろいろな政局で佐々木京極氏と共同歩調をとることが多かったこともある。

南北朝期だと山名氏の勢力圏はあくまで山陰地方がメインで、赤松氏よりもむしろ、
鎌倉以来佐々木氏と縁の深い出雲・隠岐の守護職をめぐって京極氏と抗争している印象が強い。
141日曜8時の名無しさん:2013/08/16(金) 20:47:07.87 ID:fgkJZvzE
山名義範の範の字、三河の藤原南家が関係していると考えないのかい?三河は調べたかい?


トヨタ自動車の創業家

佐原伊吉(姓を豊田に変える)→豊田佐吉→豊田喜一郎→豊田章一郎→アキオ


鳥山明の鳥山氏は代々西尾市住んでいて、吉良氏につかえた里見氏流と思ったが、どうやら西尾市鳥山新田を本貫とする土豪みたいだな
142日曜8時の名無しさん:2013/08/16(金) 20:51:41.58 ID:6QA/n5Oi
管領も細川が独占するようになっつあうしなあ。
畠山政長はけっこう何回も任命されてたけどね。
斯波の傍流の傍流、最上氏が戦国末に最も有力な斯波一門と誰が想像し得たろう?w

それと、今川家とか大内家なんか管領家や四職家と実質同じぐらいなんじゃない?
この時代、守護が有力大名に独占されまくってたんで、

(1)管領、四職
(2)上杉、大内、今川
(3)少弐、大友、島津、武田各種、小笠原、伊勢、千葉、宇都宮、佐竹、結城、河野
(4)富樫、仁木、北畠、管領の分家

ぐらいの偉さランクがあって(あくまでテキトーだよ)
(1)〜(3)までは実質的な差なんかほとんど無く、河野氏はそこそこ有力だったろうし、
若狭武田、富樫、仁木になると国人と大差ない程度になってしまうだろうから、
守護ではなくても有力だった伊達、芦名、美濃斎藤、甲斐、朝倉、織田、長尾のほうが強かったろう。
143日曜8時の名無しさん:2013/08/16(金) 20:52:24.98 ID:N3rTmmZ9
>>133
土岐氏の一族内での嫡流意識の問題は、研究者の論文なども探せばいくつか出てきますよ。
康行の乱後の土岐一族のなかでは、
一庶流家から義満によって突然守護家に引き上げられた土岐池田氏の支配を嫌がり、
土岐世保氏にくっついて伊勢へ行った者も結構いたらしいことなんかが指摘されている。

あと佐々木六角氏と佐々木京極氏に関しては確かに実態は完全に別の家といってよい状況だが、
しかし一族としての意識が全くないわけでもなく、
道誉が観応の擾乱期に「佐々木大惣領」の地位を要求して認められたというような話もある。

近世大名の黒田氏に関しては、これが本当に佐々木一族なのかどうかは、正直不明だろう。
ただ室町期の幕府奉公衆に佐々木黒田氏(京極庶流)というのがあり、
近世大名の黒田氏がこれに自らの系図を繋げているのは事実。
144日曜8時の名無しさん:2013/08/16(金) 20:54:33.53 ID:6QA/n5Oi
>>141
おまえは一度、どー考えても武士の子孫とも思えないダッセ〜田舎のオッサンが、
三浦、工藤、畠山、武田など立派な武士の苗字を持ってることについて考えるといい
145日曜8時の名無しさん:2013/08/16(金) 21:07:19.17 ID:6QA/n5Oi
>>143
佐々木氏ってものすごく全国に繁延したんで、東国にもちょこちょこいるんだよね。
ただし、導誉直系でも京極〜と書かれることはほとんど無い。
山内首藤みたいなもんだろうか?

極論すると、京極・六角っていうのは京都で区別するための呼称だったかも…?
そもそも京極・六角って苗字なの?
山内上杉氏、扇谷〃は家名であって、苗字はあくまで上杉。
146日曜8時の名無しさん:2013/08/16(金) 21:13:12.04 ID:6QA/n5Oi
>>139
武士でも何でもなかった太宰治の親父さんが貴族院議員になってるんで、
戦前の貴族院もそんなには閉鎖的でもなかったんだよね。
イギリス上院も、上は固定だが、下はけっこう新規参入がいる(ビートルズも有資格者になるのかな?)

大名家の世襲領地が存続する可能性もゼロではなかった。
ドイツ帝国なんか領邦が存続してたから。
知事を中央から派遣する方式は民主制と反するもんじゃないんだよね。
フランスの知事は長らくそうなわけで。
147日曜8時の名無しさん:2013/08/16(金) 21:30:40.07 ID:fgkJZvzE
>>135
東京鳥居坂ゆかり鳥居さんの本家は、渡町に住んでいるぞ、800間ずーとw

東京青山ゆかりの青山忠成の父の弟の家系が、清水と姓を変えて百々町に住んでいる
148日曜8時の名無しさん:2013/08/16(金) 21:37:20.46 ID:yghABIEH
もう太平記と全然関係の無い話になっているな
歴史薀蓄を語るなとは言わんが、少しはスレタイを意識しろ
149日曜8時の名無しさん:2013/08/16(金) 21:37:21.89 ID:fgkJZvzE
800年間住み続ける鳥居さんとは


■鳥居忠氏:初代鳥居氏、鳥居禅尼の息、鳥居氏の祖、承久の変後、岡崎市に移り住む

・源義親→源為義→鳥居禅尼→鳥居忠氏


源頼朝の従兄弟の家系
150日曜8時の名無しさん:2013/08/16(金) 21:51:17.95 ID:8DSYj5CH
義助・・・もはや
我慢がならぬ!!!
151日曜8時の名無しさん:2013/08/16(金) 21:52:11.21 ID:6QA/n5Oi
ドラマ(全49話)では、22話で鎌倉幕府滅亡、36話で湊川合戦なんで、
中盤まで判官殿と師直ぐらいしか「南北朝のヒーロー」が登場しないのよね(涙)
その師直ですら仁木をニツキと発音する始末w(ニッキかニキが正しい)
あー所詮柄本明かーって言い出すと判官殿は昔ロッカー今ライダーか
152日曜8時の名無しさん:2013/08/16(金) 22:27:45.19 ID:fgkJZvzE
>>144
何だこの高卒猿、言っている意味がわかりませんね


豊田家の先祖は今川氏の家来で帰農した武士
鳥山明の先祖は挙母藩の代官で武士


武士は確かで、それぞれ三浦流佐原氏か里見流鳥山氏かと言ってんだよ


先祖代々百姓の糞カッペ猿め
153日曜8時の名無しさん:2013/08/16(金) 22:28:53.02 ID:5V6SjjoV
柄本明個人は関係ないだろw
台本通り読んだだけだ
154日曜8時の名無しさん:2013/08/16(金) 22:39:29.49 ID:6QA/n5Oi
>>153
個人的推測だが、脚本にルビがふってあって、同サイズで「につき」となってたんじゃないかと。
でも、新田を読み間違えるやしなんかいないわけで…仁木も所詮はマイナー苗字か(涙)
美味しんぼに仁木(にき)まり子っていたんだがなー声は島津冴子(本名は大河原康代)
155日曜8時の名無しさん:2013/08/16(金) 22:44:57.57 ID:6QA/n5Oi
>>152
うるせー先祖は漁師だ文句あっかw

古典太平記にも鳥山はちらほら登場するんだが、苗字が列挙されてる中の一つw
鳥山明の実家はそんなに裕福でもなかったはずなんで没落したのか?(本当に武士の末裔なら)
まあ古賀政男んちも武士だそうだが、古賀の幼少年期は没落してて、親父行商、母畑で食いつないでいたとか
156日曜8時の名無しさん:2013/08/16(金) 23:02:59.90 ID:8DSYj5CH
千寿王
「わざわざのお越し、誠に恐縮に存じまする」
157日曜8時の名無しさん:2013/08/16(金) 23:07:05.92 ID:N3rTmmZ9
>>145
室町段階での佐々木一族における「六角」「京極」(さらには「朽木」「尼子」なども)は、
いずれも上杉一族における「山内」「犬懸」「扇谷」や、土岐一族における「世保」「池田」「明智」などと同様のもの。
苗字の下にあって、同族間での家系を区別するための通称。

幕府から守護宛の文書の宛先などに書かれる苗字は、あくまで「佐々木」「上杉」「土岐」。
但しその一族内で大きく嫡流から外れた庶流の場合は、
「佐々木朽木」「佐々木尼子」「土岐明智」のように書かれることはある。

だから六角氏や尼子氏の子孫など佐々木一族の末裔の多くは、
近世以降も苗字としては「佐々木」を名乗っていることが多い。
まあ近世大名として残った京極氏や朽木氏が、
近世幕藩体制下で「京極」「朽木」を苗字にしてしまったから、
それが室町以前からのものと錯覚してしまうのだが。
158日曜8時の名無しさん:2013/08/16(金) 23:16:49.24 ID:fgkJZvzE
>>155
父親はバイクレーサーだったかな
鳥山姓は殆ど西尾にしかいなく、しかも人数も少ない
足利将軍家ゆかりの瀬門神社の大壇那が鳥山氏だったような

言っておくが、西三河は可住地面積比で日本一寺が多い
御由緒を調べれば、家系図を作れる家柄だらけだ

先祖が武士の相手には、口のききかたに気を付けろよ
159日曜8時の名無しさん:2013/08/16(金) 23:17:28.19 ID:N3rTmmZ9
>>146
近代のドイツ帝国の場合は、その成立経緯からいっても領邦の全廃なんて無理だろう。
イタリアのように全土を武力統一したわけじゃないし。

ただ日本の場合は、財政面でも軍事面でも廃藩置県は避けて通れなかっただろうし、
廃藩置県をしやすくする土壌を作った意味では、戊辰戦争も無意味ではなかったのかも知れない。
160日曜8時の名無しさん:2013/08/16(金) 23:18:33.52 ID:3koz5hRs
手をついて慈悲を乞えば、少しは道が開けたかもしれぬ。
それが出来なかった。二十年やってきたことが…出来なかった。
後も振り向かず一目散に帰ってきた。
愚かじゃのう。
一生手をついて慈悲を乞うて、それで安穏に暮らせるなら、安穏に暮らせるなら…
何故手をつかん!

緒方貞氏の演技は最高だな!横の清子の演技もいい。
また見始めちゃったよ。
161日曜8時の名無しさん:2013/08/16(金) 23:33:00.99 ID:N3rTmmZ9
>>142
室町の守護家を論ずる場合、鎌倉府・九州探題の管轄エリアの守護は、
在京して幕政に関わることがないので、分けて考えたほうがいいよ。

あと駿河今川氏・越後上杉氏・周防大内氏も、
鎌倉府・九州探題を監視する任務を負っている立場上、在京しないことが多いので、やや特殊。

守護大名が一族として有力がどうかということでいれば、
嫡流家以外の庶流家にも守護職を分け与えることを長期にわたって大々的にやっているのは、
細川・山名・畠山・上杉の4氏(内紛による守護家の分裂は除く)。
162日曜8時の名無しさん:2013/08/17(土) 00:15:25.81 ID:iHNHr8C4
>>160
貞氏、やってることはあんまぱっとしないんだが、緒形拳がやるから妙に威厳と説得力があるんだよなw
163日曜8時の名無しさん:2013/08/17(土) 00:26:59.40 ID:EJkfnnNZ
>>162
しゃーねーよw
鎌倉期の足利家当主なんて何やったか注目されない人が多いでそ

尊氏も、貞氏がたまたま幕府滅亡ちょっと前に没したこと、
本当は家継ぐはずの兄貴が早世しちゃったことが無ければ、全く無名で終わった可能性もあるしね。
164日曜8時の名無しさん:2013/08/17(土) 00:43:55.74 ID:EJkfnnNZ
>>161
守護国数では、細川と上杉が超有力に思える。
斯波は傾く一方って感じでw(朝倉、織田、今川に敗れたせいだろうね)

上杉は、伊豆・安房・上野・越後(山内)、武蔵・上総(犬懸)、相模(扇谷)で守護だったんで、
考えようによっては最有力守護家なんだろうけど、
山内などの各家が細川に比べると相互独立性が強い感じなんで、あましそう思えないのかな?
だからまあ、家格的には京都の管領・四職家とほぼ同格じゃないかと思ったりするけど…

今川も、了俊失脚〜遠江進出までは守護国は駿河だけのはずなのに非常に強く思える。
大内、大友、島津も守護国数以上の実力があったように思える。
やっぱり経済的実態が解明されないとね。九州なんか貿易に有利だから。
165日曜8時の名無しさん:2013/08/17(土) 01:15:39.11 ID:q0rYounU
妖霊星まで一気見。動乱前って必ずオカルトが流行るんかね。この時代に2ちゃんあったら見た見た騒いだんだろーなw
貞氏は楠木正成をこの時点で知ってて警戒してるし相当頭切れる描かれ方してるな。

あとサントラ買ったのにオープニング飛ばせないw毎回見ちゃう!名曲過ぎるwww
166日曜8時の名無しさん:2013/08/17(土) 01:33:05.15 ID:U4lvplJU
>>163
兄貴は母親が北条だからよかったけど尊氏はやばかったな。赤橋から嫁もらってギリギリセーフってとこか
167日曜8時の名無しさん:2013/08/17(土) 01:47:29.27 ID:wJWSks2E
ID:6QA/n5Oi
こいつ発狂しすぎだろチラシの裏にでも書いてろよ
168日曜8時の名無しさん:2013/08/17(土) 02:49:53.34 ID:s0g0LiV0
>>166
高義の母親は北条一族(金沢氏)の出身ではあるが、安達泰盛の外孫でもあるので、
あの時期の幕府ではそれはそれで結構微妙な立ち位置になると思うよ。
169日曜8時の名無しさん:2013/08/17(土) 03:17:28.23 ID:VWTupJ1U
>>164
応仁の乱直前期だと、細川だけでなく山名の勢力も他を引き離している。
ともに一族で9ヵ国保持。
もっとも播磨・美作・備前の3ヵ国は嘉吉以前は赤松分国だったところで、
応仁の乱の結果、結局赤松に取り返されることになるが。

細川:和泉・摂津・三河・丹波・備中・淡路・阿波・讃岐・土佐
山名:但馬・因幡・伯耆・石見・備後・安芸・播磨・美作・備前
170日曜8時の名無しさん:2013/08/17(土) 03:22:40.52 ID:VWTupJ1U
>>161
そういえば数年前の東大の入試問題(日本史)で、室町時代の
駿河今川氏・越後上杉氏・周防大内氏は本拠地が鎌倉府or九州探題管国では
ないのに、在京を免除されて在国していることが多かったのは何故か、
いくつかの史料を提示した上で論述させるという問題があったな。

きっとこのスレの住人なら満点の答案が書けるのかなw
171日曜8時の名無しさん:2013/08/17(土) 09:21:18.21 ID:EJkfnnNZ
>>170
>本拠地が鎌倉府or九州探題管国ではないのに、在京を免除されて在国

まず普通の人はこんな慣習(法)知りませんw
文学部ぅ?w(法学部でこんな出題されたなら文科省に文句言うわ俺w)

ただまあ在京義務が無いor優遇されてたことで多少は経済的に有利だったんかな?
江戸時代の大名は江戸滞在の経済的負担にあえいでいたから。
実際には大内はちょこちょこ上洛・在京してて、嘉吉の変の時は当主が殺された(T人T)
今川も義忠の嫁が伊勢氏(北条早雲の姉貴)、氏親の嫁が武者小路氏なんで、京都とそんなに疎遠でもなかった。

越後上杉氏は関東管領の分家なんで、越後が関東扱いされてたってことかもね。
どうでもいい話だが、新潟県人は新潟県を東北扱いされると気分を害し、富山と同列に扱われると憤慨する。
彼らにとって「北陸」とは富山、石川、福井県のことだそーです(棒)すごい田舎のイメージだとかでw
172日曜8時の名無しさん:2013/08/17(土) 09:30:40.71 ID:EJkfnnNZ
>>169
>山名:但馬・因幡・伯耆・石見・備後・安芸・播磨・美作・備前

石見(島根県だぜ…)、安芸・備後(広島県だぜ…)なんてどれほど支配力が及んでいたか。
尼子経久が侵食する諸国でもあるんで(経久は播磨侵攻もしている)
実質的な本国は但馬・因幡・伯耆、+延長で播磨・美作・備前の一部だろう(播磨は赤松各家が割拠していた)。
やはり明徳の打撃は大きかったんだろう。

安芸は国人の勢力が強く、守護の武田家も西半分ぐらいしか勢力が及ばなかった。
備後も山内首藤氏が強かったんでない?
何より、京極・尼子の出雲が石見と山陰の間にあるからねえ。

丹波も一時期、山名が守護ってたよね。
173日曜8時の名無しさん:2013/08/17(土) 11:09:08.71 ID:Y68aozKK
出陣請いにきた赤橋守時と北条高時のシーンは泣ける。
ホントは名君だったかもしれない高時
174日曜8時の名無しさん:2013/08/17(土) 11:24:40.25 ID:EJkfnnNZ
勝野「なにとぞこの守時に新田の防ぎを…」
フランキー「ならん!なりませんぞ太守!赤橋は謀反人の片割れじゃ!」
鶴ちゃん「高時はそうは思わぬ!信じ合えぬままでは何ともあさましい。まして高時は人一倍の淋しがり」

守時辞去の後

鶴ちゃん「赤橋め…ながの別れに参ったわ…」

いや〜んなやつオーラを一身に集めていた長崎高資が鎌倉市街戦で「引くな〜」と言うシーンも印象的。
この作品、死ぬ時にイイ味出してるキャラが多い。
175日曜8時の名無しさん:2013/08/17(土) 13:29:12.72 ID:Ywi0Anqa
>>155
お前のレスからウンコ名古屋臭がするが気のせいかな

鳥山明の祖父母の菩提寺は、西尾市の宝泉寺
宝泉寺は、三河代官家の鳥山一族が1600年代に建てた寺だから、武士だな


つーか鳥山明の性格は、三河人の典型例
偉ぶる事なく、常に謙虚
裕福になろうとも、生活パターンは変えず、質素倹約質実剛健
人を思いやり、困った人がいれば手を差しのべる
176日曜8時の名無しさん:2013/08/17(土) 16:34:29.22 ID:s0g0LiV0
>>172
石見・備後・安芸は応永の乱による獲得だな。

まあ山名氏は、明徳の乱以前なら山陰道すべて山名氏の分国のような状態だったし、
石見は一時期足利直冬が滞在していたことからも、
旧直義派の山名氏にとってある程度の地盤がもともとある場所だったと思う。

備後・安芸は応永の乱以前は九州探題(今川了俊・渋川満頼など)が守護を兼務する国だな。
武田氏が守護だったのは、南北朝の前半まで。

ここも守護山名氏の勢力はある程度浸透していたとは思うが。
例えば毛利元就の祖父豊元や曾祖父煕元の名前は、守護山名氏からの偏諱だろう。
177日曜8時の名無しさん:2013/08/17(土) 18:14:03.74 ID:Y68aozKK
千種:あの護良親王をなぜほって置おかれる?

ボーモン:それよ
聞けば、宮は畏れがましゅうも、ここにおわす三位の局の御嫡子、恒良親王を亡きものにし、己が次の御位を狙わんと策謀しておるやに聞く。
いと恐ろしき宮よ!

我らは力が無い故、かかる噂を聞くにつけ、
ただただ、打ち震えているばかりじゃ・・・・
のぉ!?
あ し か が ど の
178日曜8時の名無しさん:2013/08/17(土) 19:27:26.52 ID:UnkAC8II
>>176
毛利の歴代の名前って面白いよね。
誰から誰に乗り換えて生き残ってきたのかがよく分かるw

毛利熙元・・・山名時熙からの偏諱
毛利豊元・・・山名是豊からの偏諱
毛利弘元・・・大内政弘からの偏諱
毛利興元・・・大内義興からの偏諱
毛利隆元・・・大内義隆からの偏諱
毛利輝元・・・足利義輝からの偏諱
毛利秀元・・・豊臣秀吉からの偏諱
179日曜8時の名無しさん:2013/08/17(土) 19:37:09.48 ID:UnkAC8II
>>171
東大の入試問題って、受験生が元々そうしたマニアックな知識を持っている
ことを前提にはしていないよ。(知識量として教科書レベルで十分)
あとは問題文のなかで、史料とかデータとか情報とかのヒントを与えて、
その場でどうしてそうなるのかを考えさせるようなタイプのもの。
ちなみに東大文系は文Tから文Vまですべて同一問題です。

>>170の問題は2011年の第2問です。
問題 http://kaisoku.kawai-juku.ac.jp/nyushi/honshi/11/t01-51p.pdf
解答例 http://kaisoku.kawai-juku.ac.jp/nyushi/honshi/11/t01-51a.pdf
180日曜8時の名無しさん:2013/08/17(土) 22:24:52.70 ID:Y68aozKK
そういや、脇屋義助のイシハラも、はまり役だったなあw
181日曜8時の名無しさん:2013/08/18(日) 00:42:29.20 ID:UCg3re2Q
ここってなぜこんなに知識自慢みたいな奴がバッコ(←なぜか変換できない)すんの?
去年結構穏やかだったのはキモ盛スレに行ってたからだろうけど
A 何たらの何々の先祖は何ちゃらがどうだったのさ
B ああそういうことかそれで何ちゃらがどうして子孫は何々なんだな
A 興味深いのは何々の息子たちで何かあれがどうして何々なのさ
B とすると何々の先祖が何のかんのは何だったわけか

なんか自演にすら見えてくる
182日曜8時の名無しさん:2013/08/18(日) 00:54:43.17 ID:PPzgNIa1
ばっこ→跋扈
夏休みなんだから生温かい目で見てやれよ
183日曜8時の名無しさん:2013/08/18(日) 01:00:41.90 ID:0wLgUi9m
>>181
ドラマ中でも足利氏が源氏の系統であることが繰り返し強調されているように、
誰が誰の子孫で誰と血縁関係を有するのかというのは、当時の社会において極めて重要なこと。

だからドラマを見る際も、このドラマを真髄まで楽しみたいと思えば、
こうした情報に興味が湧くのは当然のこと。

まあ嫌なら見るなということだけど、こうした情報や時代背景も含めて興味を持てなければ、
真の太平記ヲタとはいえないと思うw
184日曜8時の名無しさん:2013/08/18(日) 01:08:44.18 ID:ilv1jnze
ていうか後半の足利部将ほとんどの人は分からなくない(^^;
185日曜8時の名無しさん:2013/08/18(日) 01:31:54.31 ID:0wLgUi9m
>>184
自分も桃井直常とか細川顕氏みたいな人物はこのドラマで初めて知ったが、
ドラマをきっかけに調べてみると、なかなか面白い人物だな。
南北朝・室町時代史に興味の幅が広がったという意味でも、『太平記』を見たことは貴重だった。
186日曜8時の名無しさん:2013/08/18(日) 02:12:56.17 ID:UCg3re2Q
>>183
だからそれ史板でやれよ
お前脳みそ入ってないの?
史板でやれよ
勝手に自分の常識を世界の常識にするな

信長スレとか見てみろよ大半が随天(太平記でいうと石)の話題だぞ
187日曜8時の名無しさん:2013/08/18(日) 04:52:03.78 ID:eceTkRHf
>>104
よかったかどうかは何ともいえなけど、初期室町幕府の二頭政治体制は
遅かれ早かれ崩壊していたとは思う。

ただ重要な点は、観応の擾乱を境に室町幕府から鎌倉幕府を模倣しよう
という発想が消えることかな。
まあこれは鎌倉幕府LOVEの直義がいなくなったことが大きいけど。

>>109
室町期の松平氏は厳密には伊勢氏の被官だな。
もっとも伊勢氏自体が足利氏の根本被官みたいな立場だが。

>>125
室町期の九州探題渋川氏は肥前の守護を兼ねているので、実際守護としての
顔も持っている。
188日曜8時の名無しさん:2013/08/18(日) 05:04:22.67 ID:eceTkRHf
>>129
能楽は系譜的には田楽よりも猿楽との繋がりが深いだろう。
このドラマの終盤でも、猿楽が能へと発展していく過程みたいなものが
花夜叉を通じて描かれていた。

>>163
鎌倉期の足利氏の当主だと、義氏が一番存在感があるかな?

>>171
越後は鎌倉府の管轄には入っていないはずだよ。
鎌倉府の管轄範囲の基本は、関東8ヵ国+伊豆+甲斐なので。
これに南北朝の一時期は信濃が加わり、明徳以降に陸奥・出羽が加わる。
但し永享の乱後の鎌倉府再興の際には、関東8ヵ国+伊豆だけとなり、
甲斐も除外。
189日曜8時の名無しさん:2013/08/18(日) 05:07:34.67 ID:CpjcliUK
>>186
『太平記』の石は『信長』の随天と同列なのかw
190日曜8時の名無しさん:2013/08/18(日) 05:12:08.80 ID:CpjcliUK
>>185
桃井直常と細川顕氏ってどちらも先祖が鎌倉初期の戦争で死んでいるよね。
桃井の先祖は承久の乱で戦死、細川の先祖は治承寿永の乱で戦死、
って考えるとこいつらが直義派の二大巨頭になるってなんか不思議な組み合わせだw
191日曜8時の名無しさん:2013/08/18(日) 06:22:11.60 ID:0wLgUi9m
>>174
円喜「わが子高資、戦の傷の深きゆえ、死出の先駆けつかまつらんと申し、たった今、相果てましてごさいまする」
高時「なんと気短な! もう死んだかや・・・。まだ舞は残っておるのに・・・」
192日曜8時の名無しさん:2013/08/18(日) 09:34:39.46 ID:ilv1jnze
>>187
少弐ぼろぼろだね…肥前の守護まで奪われて…
そら今川了俊恨む気持ち分かるわw

マツヘーが明確に伊勢氏被官と分かるのは応仁の乱ごろでない?

鎌倉幕府の模倣についてだが、当時の人がそんな発想持ってたか疑わしい。
後醍醐のいう延喜天暦の治も所詮は抽象概念でしかなかった。
193日曜8時の名無しさん:2013/08/18(日) 09:38:47.34 ID:ilv1jnze
>>188
大河ファンには尊氏の祖父ちゃん家時が馴染みあるかもね。
アレの死も霜月騒動の前か後か分かってないんだっけ?
それによって「我に代わりて天下を取れ」というセーラームーン的遺書の意味が違ってくるが…

まあ有力御家人でも、北条と安達泰盛ぐらいしか本にも書かれないよね。
194日曜8時の名無しさん:2013/08/18(日) 09:56:15.52 ID:ilv1jnze
>>188
越後と駿河の扱いは鎌倉〜室町(江戸も?)を通じて微妙なとこあるやね。
駿河なんて実質関東と考えるほうが行政も納得しやすいと思う。

伊豆なんてどう考えても関東の一角なんだよな。今の県域なんて何も関係ない。
石井進・網野善彦対談(新人物往来社ムック)でも、
平将門の坂東8カ国とは将門の拠点下総国は含めず、
伊豆が八州の一で、関東の一部と考えられていたことを強調。

関東・甲信にルーツを持つ御家人は非常に多いが、
越後は東北みたく「征服された地」って観がある(もともと城氏の勢力圏ゆえだろう)。
でも鎌倉〜江戸を通じて政治的には非常に関東とのつながりが強く、
中世は関東ルーツの武士が非常に多く、江戸時代も徳川系の大名が多かった。
越中(=西国)、出羽、会津、関東、信州に接する「境界」的地勢ゆえか、やや独特な地域だった。
国がヴァカでかいこともある(現新潟県は長野県に匹敵する面積)。

室町期、特に鎌倉府の確立(基氏時代としてよいか)以降は、駿河・越後は明らかに特別な国と扱われていたと思う。
195日曜8時の名無しさん:2013/08/18(日) 10:01:11.37 ID:ngwy4FaC
足利尊氏って、躁病だったのでは無いかといわれているぐらい、
能天気なお天気屋だったのに、このドラマではまるで普通の人みたいに、
悩んだりしているのが、不満だった。
196日曜8時の名無しさん:2013/08/18(日) 10:02:45.68 ID:ilv1jnze
>>189
ミキジローのアレだっけ?
の感覚だと、太平記では藤夜叉か花夜叉に萌えルンバってとこかいね?(当時の二大ヌード女優だよなあ笑)
北条時宗だとケガして言語障碍に陥ったゆえ台詞なっしんぐといふ神田宇野か?w

キモキャラの受けが良いのか、去年のウサギ丸みたいなキワモノが目立って困るw

だが、いつまでも年を取らず女のエロスを発散して全国の紳士を惑わせた『毛利元就』の松坂慶子は許す!
197日曜8時の名無しさん:2013/08/18(日) 10:06:31.12 ID:ilv1jnze
>>195
自分は柄本師直がちっとも剛の者に見えず困ったw
兄貴の師泰は三陸海岸の岩みたいなゴリラなんで余計w
198日曜8時の名無しさん:2013/08/18(日) 10:10:25.73 ID:ilv1jnze
>>191
たしか長崎高重のくだりは無かったと思うけど、
個人的に古典太平記の「如何是勇士恁麼事?」「吹毛急用不如前」と、
高時の前で切腹するシーンがあってほしかった。
まあ高重の内臓を肴に酒宴という、現代人には「え?」なシーンなんだけどw
199日曜8時の名無しさん:2013/08/18(日) 10:16:41.54 ID:641jC1hq
>>192
少弐氏が肥前の守護だったのは鎌倉の前半期までで、鎌倉の後半期には
肥前は鎮西探題が守護を兼務する国になっていたわけだから、室町幕府が
肥前守護を九州探題兼務にしたのもそれに倣っただけでしょう。
少なくとも肥前に関しては、少弐氏が守護職を失ったことと今川了俊は
直接関係ないと思うよ。

鎌倉幕府の模倣に関しては、現実問題として、観応の擾乱以前だと幕府の
発給する司法・行政文書の形式なんかも、鎌倉幕府のそれと全く同一形式で
やっていたものが、直義が失脚して政務担当が義詮に変わった辺りから、
それ以前とは明らかに異なるものに変わるのは事実。

また幕府の政治体制という点でも、鎌倉幕府における将軍と執権の関係を
想起させるような尊氏と直義の二頭体制から、将軍への権力一元化を図る
方向に動き出すのが尊氏晩年から義詮の時期。
200日曜8時の名無しさん:2013/08/18(日) 10:34:14.36 ID:ilv1jnze
>>199
よく足利将軍の花押が武家様式から公家様式に変わることが問題視されますが、
その直義時代から義詮時代に文書様式が変わるのも同じようなものなのかな?

直義最盛期の二頭制は、佐藤進一先生以来?わりによく言われるけど(本郷和人センセとかね)
これは源頼朝の独裁、徳川政権だともっと整備された官僚機構って感じになるのとの過渡期と言えるのか、
たまたま直義が政治や裁判に優れてたとか人望があったってだけなのかな?
というのも、義詮以降、将軍の実弟が中央で大きな権力ふるった例が無いので。
直義が権力を握れたのには、尊氏の弟という理由はあっただろうから。

やや室町から離れますが、頼朝って実に偉大な政治家だったんすねえw
歴史の機関車って頼朝みたいな人を言うんじゃないかと
201日曜8時の名無しさん:2013/08/18(日) 10:34:18.17 ID:du9b7zjq
>>197
師直を、一癖も二癖もある執事として見たらナイスなキャスティングと思う。
202日曜8時の名無しさん:2013/08/18(日) 10:36:01.07 ID:ilv1jnze
それにしても少弐氏って涙々の歴史だよね(ry
尊氏再起を支えた赤松と並ぶほどの功労者だろうに以後の衰退ががが
203日曜8時の名無しさん:2013/08/18(日) 10:38:37.39 ID:ilv1jnze
>>201
腹黒そうな台詞を言うシーンは好きだった。いかにもナンバートゥーって感じで。
師直は美男で教養もあった人物。けっこうモテていたのかも。
石ノ森「日本の歴史」のブサ面はちょっと…と思ってるw
204日曜8時の名無しさん:2013/08/18(日) 10:48:10.41 ID:0wLgUi9m
>>192
応仁の少し前の寛正年間に、松平信光が伊勢氏の指令で三河で発生した一揆の討伐をやっている。

そして同じ時期に、北近江の菅浦代官として出てくる松平益親は信光の弟もしくは叔父とされる。

>>193
足利家時の死は、弘安7年(1284年)6月25日でほぼ確定では?
205日曜8時の名無しさん:2013/08/18(日) 10:49:01.67 ID:641jC1hq
>>194
鎌倉幕府の場合だと、関東8ヵ国+奥羽+甲斐・信濃・伊豆・駿河・遠江の
15ヵ国を「東国」として扱っている事例が多いといわれるが、この場合も
越後は東国扱いされていないんだよな。
ただ一方で、越後は鎌倉将軍を知行国主とする関東御分国の一国に
入っていたりと不思議なところではある。
無論、関東御分国には豊後とかも入っていたりするから、関東御分国だから
東国と認識されていたという論理にもならないけどね。

それと、東国の境界が鎌倉期と室町期で違うのは、幕府がどこにあるか
という問題が一番大きいだろう。
206日曜8時の名無しさん:2013/08/18(日) 10:49:04.90 ID:I9IDyCkR
>>186
史板じゃ鼻で笑われるレベルの知識だからこっちでやっているだけ
少しは心を広く持てよ
207日曜8時の名無しさん:2013/08/18(日) 11:00:48.54 ID:641jC1hq
>>200
佐藤さんは二頭政治といったけど、近年の見方では初期の室町幕府での
直義の立場は、詰まる所、鎌倉幕府の執権を念頭に置いたものって話だよ。
義詮期以降、直義のような立場の存在は消滅した。
要は観応の擾乱の時期は、鎌倉幕府的な政治体制から義満の時期に
象徴されるような将軍独裁体制へと変わっていく過渡期。

ちなみに将軍独裁体制から官僚機構でガッチリ固めるような体制への
過渡期は、おそらく近世初期の家光〜綱吉期あたりだな。
織豊政権も初期の江戸幕府も基本はトップが大きな権力を持つ独裁だしね。
208日曜8時の名無しさん:2013/08/18(日) 11:00:49.53 ID:bkr7i2bT
何でもかんでもダメってやってたら
翔ぶが如くスレみたいにセリフ連呼するだけの糞スレになるよ
209日曜8時の名無しさん:2013/08/18(日) 11:08:36.94 ID:Tfhotdws
1ヶ月以上何のレスも無いスレだって珍しくない板だし
ネタが無ければ黙っていれば良い
210日曜8時の名無しさん:2013/08/18(日) 11:08:47.87 ID:0wLgUi9m
>>208
あのスレの状況は残念だよな。
セリフ連呼でも中身のあるセリフならいいのだけど、
あそこはすぐ「シュンサーイ!」「チェストー!」だものな。

個人的には『翔ぶが如く』は『太平記』と並ぶ二大傑作大河だと思っているので、
あのスレももっと活性化して欲しいとは思う。
211日曜8時の名無しさん:2013/08/18(日) 11:11:09.53 ID:ilv1jnze
>>204
いずれにせよ、松平氏は足利体制の下にいた人たちで、
おそらくは足利系守護の支配下にいた黒人…てことは間違いないんだろうな
212日曜8時の名無しさん:2013/08/18(日) 11:29:39.39 ID:0wLgUi9m
>>200
足利将軍家の武家様花押と公家様花押の問題は難しいよね。

義満の先例にならい、元服時は武家様を使用で、後に公家様に変更という将軍もいれば、
晩年までずっと武家様のままの将軍、最初から公家様のみの将軍もいる。

>>205
鎌倉のごく初期だと北陸道の諸国は、
若狭から越後・佐渡まですべてまとめて比企朝宗が守護だったりするからね。

越後の場合、ここが東国かどうかより、北陸道としての一体性を重視されていた印象がある。
さらにいえば承久以降も、越中や能登と合わせて鎌倉末期までずっと名越流北条氏が守護だし。
213日曜8時の名無しさん:2013/08/18(日) 11:37:02.96 ID:ilv1jnze
>>205
東国って、(1)東日本(甲信越と静岡県を含む)、(2)関東、(3)奥羽、または(2)+(3)なんだろうけど、
越後はまさか西国ってことはないので、北国(ほっこく)が妥当なんだろうけど、
南国なんて言葉はアイスホッケーでもやってそうなほど抽象的になるので、
日本の文化風土からすると、東西の分け方が一番合理的だと思う。

とすると、越後はどう考えても東に属すると思うんだけど…
今でも新潟県を関東と呼ぶことは絶対にない(山梨県は含めることも)。
かと言って、北陸という概念は経済実態にも全く合致せず(富山県知事はアフォなんだろう)
乱暴な言い方すれば、「東北と山陰の間にある日本海沿岸地域」程度の意味しか無い。

まあ日本は、(a)東京を中心とする関東、(b)近畿の力が強すぎて、
中部地方、中国地方みたいな地域分けがほとんど意味を持たない。
道州制なんて外国(たとえばChina)から金銭もらってる分離独立派の陰謀じゃないかとさえw

でも、そう考えると遠江も実に微妙だな〜
駿河は東国って感じが強いんだけど
214日曜8時の名無しさん:2013/08/18(日) 11:42:05.76 ID:ilv1jnze
>>212
鎌倉北条氏ってわりに越後守とかやってるよね。
北陸の特殊性は軍事ブロックの色彩が濃いことだと思う。
ほかの何とか道は中世にはもう意義を失っていたろうから。
215日曜8時の名無しさん:2013/08/18(日) 12:02:41.42 ID:0wLgUi9m
>>213
畿内から見た本来的な方角意識として、
東国=東海道&東山道
北国=北陸道
という意識があることも、影響しているかもね。

中世の言葉で「東北」っていったら、これは現在の東北地方の意味ではなく、
東海・東山・北陸の3道の総称だったりするし。
これは確か『方丈記』の有名なところに用例があるはず。
216日曜8時の名無しさん:2013/08/18(日) 12:04:38.39 ID:ilv1jnze
>>208
>>210
幕末ものは何年かに一度は作られるからねえ。
シビアに天皇制にからむ時代ではあるのに、太平記に関して右翼も寛大だと思うわ。
幕末もんのスレでは、今なお西郷隆盛、毛利藩、会津藩の評価は難しいようで。
217日曜8時の名無しさん:2013/08/18(日) 12:11:28.14 ID:ilv1jnze
>>215
東海道ったら伊勢、東山道ったら近江を含んじゃうから、中世にどれほど有意義だったか。
承久の時も、関東〜近畿にかけては、幕府が軍を北陸・東山・東海道で分けてはいるけど、
美濃や尾張は後鳥羽方の勢力圏だったもんね(無論、緒戦で崩壊しますが)

昔の人は地理概念がいいかげんなんで(苦笑)本州が単純に東西に伸びてると思ってたようで、
それゆえ佐渡が日本国の北端で、外が浜(津軽半島東部)が日本の東端と考えていた。
さすがに蝦夷が島を陸奥とは考えなかったんだろうけどw
218日曜8時の名無しさん:2013/08/18(日) 12:24:31.12 ID:ahbqxOGS
勾当内侍の宮崎萬純、侍女端役の常盤貴子も脱ぎ女優
219日曜8時の名無しさん:2013/08/18(日) 12:26:04.71 ID:UCg3re2Q
>>208
むしろこっちの方が糞化してる気がするんだが
無駄に長いオナニー長文の連投とか
だって今どきこんなこと気になる奴はウィキで調べるもんだろ
220日曜8時の名無しさん:2013/08/18(日) 12:38:20.49 ID:ilv1jnze
>>218
おっぱい見れない絶妙なアングルに職人芸を感じるんだけど
藤村志保さんも眠狂四郎ではお色気要員
221日曜8時の名無しさん:2013/08/18(日) 12:53:03.07 ID:GoTN8D84
>>219
どっちもどっちだろ
222日曜8時の名無しさん:2013/08/18(日) 15:27:42.54 ID:OcByGvoo
松平信光は、1440年の時点で従五位下、和泉守であり、一色氏から嫁が入っていただろう
額田郡一揆鎮圧は、それから20年以上後の話
国人と呼ぶにはランクが高い
223日曜8時の名無しさん:2013/08/18(日) 18:07:16.52 ID:du9b7zjq
「みな頭がどうかしておるのではないか?!」
224日曜8時の名無しさん:2013/08/18(日) 18:41:27.48 ID:0wLgUi9m
>>217
東北地方に対する方角意識は結構微妙だよ。
陸奥と出羽は一応どちらも東山道所属ということにはなっているけど、
出羽については北陸道の延長みたいな意識も、古代から根強くあったみたい。

例えば古代の六国史なんかでは、読み方はどちらも「エミシ」なんだろうけど、
陸奥の住人を「蝦夷」、出羽の住人を「蝦狄」と書いて、表記上は両者を区別していたりする。
225日曜8時の名無しさん:2013/08/18(日) 20:31:55.80 ID:ilv1jnze
奥羽って概念も琉球みたいなもんで、外部の人が勝手に近接地域を総称したに過ぎないから。
古代東北の住民構成なんて分からないし、そもそも陸奥と出羽って分け方も歴史的に形成されたとしか。

出羽はもともと越後から分置されたもんだし、
越後の何とも言えない中途半端さはちょうどあの辺が「境界」だったからだろう。

第1話で滅ぼされた安達泰盛も秋田城之介で、
秋田城が陸奥でいう胆沢城みたいなものだから、昔はあの辺が「日本国」とそれより北の境界なんだよね。
鎮守府将軍ほど注目もされない秋田城之介だが、鎌倉幕府は重視していた。
安東氏の称した「日本(ひのもと)将軍」はさすがにそこまで権威なかったろう。
ひのもと将軍は守護みたいなもんだったのかねえ?
226日曜8時の名無しさん:2013/08/18(日) 21:21:02.29 ID:6+K/+pum
安東氏って得宗被官だっけ?
227日曜8時の名無しさん:2013/08/18(日) 23:52:24.35 ID:ilv1jnze
>>226
そうだよ。
(1)駿河の安東氏、(2)陸奥〜出羽北部の安藤氏は、どっちとも得宗被官。
昔は(1)と(2)は同族かと考えられてけど、近年では別の氏族との説が強い。
(2)は安藤とも安東とも書かれるけど、同じ一族のことなんでまぎわらしす
228日曜8時の名無しさん:2013/08/19(月) 00:04:34.55 ID:PWgwUuG7
>>197
>兄貴の師泰は三陸海岸の岩みたいなゴリラなんで余計w
アウトレイジでは一番怖いと言われてた塩見三省
229日曜8時の名無しさん:2013/08/19(月) 02:32:43.05 ID:D7OklC0S
>>225
当初の出羽国は、越後国から出羽郡、陸奥国から置賜郡と最上郡を割く形での設置だったので、
単純に越後からの分置というわけでもないよ。

>>226-227
津軽の安藤(安東)氏は、鎌倉・南北朝期くらいだと「安藤」の表記が多く、
室町期以降になると「安東」の表記が多くなるといわれるね。

この変化は、安藤(安東)氏の蝦夷ヶ島(北海道)進出が進むなかで、やがて同氏のなかに、
自らが蝦夷世界全体の支配者であるという意識が芽生えた結果ともいわれる。

というかこのドラマにも、鎌倉末期の安藤氏の乱の話が出てくるね。
230日曜8時の名無しさん:2013/08/19(月) 11:16:46.83 ID:vvbm1CAY
>>229
序盤にちょっとだけ触れられるね>安藤氏の内紛
新田義貞(ショーケン)がそれへの出兵を前に
「足利殿と違うて我ら貧乏後家」とボヤく
231日曜8時の名無しさん:2013/08/19(月) 12:33:12.73 ID:D7OklC0S
>>230
確かドラマ上では、新田氏は安藤氏と姻戚関係があるような描き方だったね。
232日曜8時の名無しさん:2013/08/19(月) 15:58:49.18 ID:vvbm1CAY
>>231
新田義貞の嫁は3人以上いて(義顕、義興、義宗の母が全部ちがう)、安藤氏、常陸小田氏などがいた。
長男とされる義顕のお母さんが安藤氏で、大河で鎌倉滅亡後に登場したのはこの安藤氏と思われる。
ただ嫁はん嬉々として「殿(義貞)が執権ですわねオホホ」とか言うんだが、
実家は得宗被官として鎌倉合戦で滅んでるんで…ちょっとどうだったかな?(^^;
古典の太平記では嫁はんの叔父さんが義貞の離反勧告を断って自刃する見せ場がある。
まあ小田氏かも知れないけど。

義貞レベルの武士に正室・側室なんて序列があったか分からないけど、
安藤氏が正室同然だったと思われるので、新田宗家が得宗被官に組み込まれつつあった可能性も。

ただ、義貞が安藤氏や常陸守護の小田氏と通婚してるところから見て、
新田宗家もそこそこの社会的地位はあったと思う。
一方で、北条氏と代々通婚してた足利宗家とは格の違いがあった可能性もあるよね。
233日曜8時の名無しさん:2013/08/19(月) 21:24:40.73 ID:kOz9QWT6
回を増すごとに太守がグレていく様が面白いよな
234日曜8時の名無しさん:2013/08/19(月) 23:16:26.34 ID:D7OklC0S
>>232
その3人のなかで義貞の嫡子扱いだったのは義興だっけ?
235日曜8時の名無しさん:2013/08/19(月) 23:39:34.47 ID:vvbm1CAY
>>234
いんにゃ義興は母の出自が義宗の母より低かったから義宗が嫡子みたいなこといわれてる。
もともと義顕が嫡子で間違いなかったと思うんだけど、親父より先に死んじゃったからね(T人T)

そうそう勾当内侍も義貞の嫁だよね。
だから最低4人は妻妾がいたことに(現代女性はどう思うんでしょ?)
236日曜8時の名無しさん:2013/08/20(火) 01:25:33.82 ID:3XRao2jP
妻妾四人とか当時は普通じゃね?少ない方かと
237日曜8時の名無しさん:2013/08/20(火) 01:49:34.90 ID:hl+8tYE1
三河は調べたか?
常に三河を中心にして考えよ、何回も言わせるな


・三河熊谷氏、熊谷直重の娘
・光明寺(愛知県岡崎市)の松井源大夫の娘
238日曜8時の名無しさん:2013/08/20(火) 03:42:19.05 ID:oYCTsC2x
>>225
鎌倉時代だと秋田城介は安達氏が世襲する官途名だからね。

安東氏の日ノ本将軍は無論自称だが、「日ノ本」って言葉は中世の北方世界では、
後の東蝦夷地に相当する地域を指す言葉でもあるな。

>>226
鎌倉時代だと本州最北端の津軽郡や糠部郡の辺りは得宗家が地頭職を持っていて、
地頭である得宗家が安藤氏の先祖を蝦夷管領に任じたのだな。
239日曜8時の名無しさん:2013/08/20(火) 11:33:17.17 ID:o3fme9qb
>>237
やっぱりのぞみは名古屋なんかに止めず、豊橋と三河安城に止めるべきだよね
240日曜8時の名無しさん:2013/08/20(火) 19:39:44.08 ID:Ij3oEXH9
>>238
ヒノモトって言葉の指す範囲が非常に問題になってくるよね。
安東氏の基盤は秋田〜津軽〜渡島半島だったけど、どこを指してヒノモトと言ってるのか?
太閤も「奥羽、日本まで」と書いてるが、この日本が北海道どのどこら辺まで含むのか?
(右翼は千島の最果てまでと言うか知れんがw)

一方でヒノモトは日本の和訓でもあり(こっちが一般的だろう)、黒田節の「日の本一のこの槍を」は有名
241日曜8時の名無しさん:2013/08/20(火) 20:27:30.23 ID:Ij3oEXH9
>>239
ひかりと間違えたないか?
ひかりものぞみも両方プリキュアの名前だな…あさひ、ときもいずれは…?
242日曜8時の名無しさん:2013/08/21(水) 03:59:38.71 ID:RIv9D42f
>>239
新幹線の三河安城駅って、事実上のトヨタ専用駅みたいなもの。
しかも併設されている在来線(東海道線)の三河安城駅のほうは、快速すら停まらない状況。

そもそもここに新幹線の駅があること自体が奇跡的なレベルなわけで、
だいたい新幹線の停車駅を在来線の快速が通過するようなところは、全国探してもここくらいw
243日曜8時の名無しさん:2013/08/21(水) 04:10:31.87 ID:RIv9D42f
で、結論からいうと、三河安城には「のぞみ」どころか「ひかり」の停車需要も皆無。
豊橋に関しては、現状でも一部の「ひかり」が停まっているのだから、それで十分だろう。

>>241
「あさひ」は既に新幹線の列車名としては消滅したはず。
まあLED表示にすると視認性の問題で「あさま」と誤認しやすかったといわれるし、仕方ない。
244日曜8時の名無しさん:2013/08/21(水) 10:02:06.48 ID:0RtNn7aw
安城は信長の初回に出てたな
245日曜8時の名無しさん:2013/08/21(水) 19:58:47.21 ID:biXpQZb1
後醍醐帝に仕える公家どもは、坊門清忠をはじめとして、その装いからも、


みんなゴキブリみたいだ。
246日曜8時の名無しさん:2013/08/21(水) 21:04:56.05 ID:PqIAlkai
分かったような口で西三河を語る、万年不況、万年パシリの名古屋猿がいるようだな
有史以来、お前らの頭の悪さには、一方的に迷惑している
頭が悪い分際で、俺が俺がでしゃしゃり出てきて、名古屋だぎゃ〜だ
引っ込んでいろ、万年パシリの糞カッペめ
247日曜8時の名無しさん:2013/08/21(水) 21:46:09.81 ID:j3EwTuG6
新横浜みたいだなw(知ってるでしょうか…?w)
新幹線は止まるけど、在来線の横浜線(これまた知ってますか?w)のダッセー駅に過ぎず、
ちょっと前までは駅の出口にはススキの野っ原が広がっていたという…
今以て何か気恥ずかしくなる駅。よく言えば外房のようなポエティックな駅…

でも安城はまだいいよ。歴史的に有名だし。
新横浜なんて新大久保みたいな安直な駅名で何のブランド価値も無いw
248日曜8時の名無しさん:2013/08/21(水) 21:50:00.95 ID:j3EwTuG6
>>245
せやかてあんさん、あの黒衣は平安の昔に定まって明治まで使われた正装でっせ?

ただま〜…ホントにこの時代以降のお公家さんは武士にごますって生き延びたような方ばっかに思えて、
坊門清忠、北畠准后がどんなに無謀で世間知らずだったとしても、気骨は敬意に値するだろうな…

なぜか町田義人のロッカバラードが脳裏をよぎる
249日曜8時の名無しさん:2013/08/21(水) 21:54:11.58 ID:j3EwTuG6
そらそうと、名古屋の語源て名越だったりするの?
名越にナゴヤとルビする本はけっこうあるので「もしかしたら…」と思ったりしまふ。
長崎市は得宗被官の長崎氏が故地の名を冠したといわれる。

>>246
個人的に、愛知県は東西分割してちょうどいいぐらいだと思う。
東海地方の行政区画がちょっとおおざっぱすぎると思うから。
250日曜8時の名無しさん:2013/08/21(水) 21:56:39.55 ID:+adx6tKB
昔は那古屋
251日曜8時の名無しさん:2013/08/21(水) 21:58:55.24 ID:biXpQZb1
聞き捨てならぬぞ!
尾張から、近鉄は手を引けと申されるのか!!
252日曜8時の名無しさん:2013/08/21(水) 22:09:20.35 ID:j3EwTuG6
直接関係ないけど、里見八犬伝の犬田小文吾の親父が行徳(千葉県市川市)で旅籠屋「古那屋」を経営してて、
これは安房国の「那古」をひっくり返したもんだって作中で言ってるんだよな。

もはや大河ドラマも八犬伝しか残されていないのではなかろうか…?
253日曜8時の名無しさん:2013/08/21(水) 22:51:31.70 ID:PqIAlkai
日本人は、名古屋人は言う事は一切きかない
だから、しゃしゃり出てきて、自己主張するなとはっきり言ってやれw

名古屋人ごときが日本を動かせるかよ、先祖代々道端野糞の乞食め
254日曜8時の名無しさん:2013/08/21(水) 22:56:11.38 ID:j3EwTuG6
>>253
河村たかし市長に関しては全く同意
255日曜8時の名無しさん:2013/08/21(水) 22:58:41.78 ID:rAfECr57
義満の時代をさっさと大河化してくれよなぁ。
256日曜8時の名無しさん:2013/08/22(木) 00:18:25.18 ID:E3Y0HJ+9
儂は二品の親王、征夷大将軍なるぞーっ!








一品じゃないんすねw
257日曜8時の名無しさん:2013/08/22(木) 00:33:42.68 ID:DxAKbAXZ
正も従も一位って当時はなかなかなれなくね?
尊氏でも贈一位左大臣でしょ
258日曜8時の名無しさん:2013/08/22(木) 01:50:23.16 ID:E3Y0HJ+9
いや一位じゃなくて一品
259日曜8時の名無しさん:2013/08/22(木) 13:30:46.44 ID:eWL9RYMN
>>247
新幹線の駅って、駅開業時点だと周りに何もなかったというところは結構多いよ。
政治駅として悪名高い岐阜羽島駅とかは無論として、
さらにハッキリいってしまえば新大阪駅だって開業当時は何もなかった。

ちなみに新大阪駅も、80年代までは在来線の新快速が通過していましたがw
260日曜8時の名無しさん:2013/08/22(木) 13:46:42.25 ID:eWL9RYMN
>>240
中世の「日ノ本(ヒノモト)」の語は、
本来的には北方世界の住民を「渡党(ワタリタウ)」「唐子(カラコ)」「日ノ本」3種に分けたうちの一つで、
初出は14世紀。

渡党:本州からの移民、後の松前地(渡島半島)に居住
唐子:アイヌの一種、後の西蝦夷地(北海道日本海側〜樺太)に居住
日ノ本:アイヌの一種、後の東蝦夷地(北海道太平洋側〜千島)に居住
261日曜8時の名無しさん:2013/08/22(木) 14:02:36.33 ID:eWL9RYMN
>>250
名古屋の地名は戦国期くらいだと一番多い漢字表記は「那古野」だと思う。

>>249
今川氏の一族に「名越」と書いて「ナゴヤ」と読む家名があるけど、
これの苗字の地は現在の名古屋と見て間違いない。
尾張国那古野(名越)の地は、室町時代にはこの今川庶流の家の領地だったことが、
将軍義教の富士遊覧について記した史料にも出てくる。

また現在の名古屋城の場所に最初に築城したのもこの今川名越氏で、
戦国期に織田信秀に奪われるまで城主であったといわれている。
最後の当主は、今川義元の実弟で今川名越氏の養子になったといわれる氏豊。
262日曜8時の名無しさん:2013/08/22(木) 19:47:48.16 ID:9Nv4P6rm
>>259
大野伴睦…岐阜市民はちょっと彼を恨んでもいいとは思う(でもほどほどにね☆)
東北新幹線が中途半端に盛岡までの開通が早かったのは小沢一郎の権力によるんだべなあ。
上越新幹線の田中角栄は申す迄もない。

大河の下限は第2次大戦までかな…?
無名の市民ならいいのだろうが、近代の政治家はまだ難しいね。
しかし『坂の上の雲』のつまんなさ加減には激怒した苦笑
263日曜8時の名無しさん:2013/08/22(木) 20:11:03.30 ID:9Nv4P6rm
>>260
ヒノモトの謎は、古代にはおそらく日本の訓読みとしてある程度は使われていたと思うんだが、
中世に何故か北方世界(陸奥北部?)を指すようになるんだよな。

日本という熟語は中華にルーツがあるとする説もあるんだが、
ヒノモトとのからみを考えると単純には首肯しがたい。
264日曜8時の名無しさん:2013/08/22(木) 20:40:30.33 ID:GrJ+lXN6
タダアキ
「愚かな! 足利に軍を与えて勝たせれば、勢いに乗じて関東に幕府をつくりかねぬぞ。
かかる甘さ故、新田はいつまで経っても足利に遅れをとるのじゃ」

「新田なら この戦、勝てるのか?勝てぬのか?それを御下問じゃ!」

「関東者の考えし事など取るに足らぬ!
武家は戦に参って勝てばよい! それだけじゃ」

義貞、こいつを斬っちゃえばよかったのにw
265日曜8時の名無しさん:2013/08/22(木) 21:08:51.67 ID:9Nv4P6rm
>>264
後醍醐サイドに立ってる以上、そういうわけにはいかんでしょう
266日曜8時の名無しさん:2013/08/22(木) 21:21:15.02 ID:I3PG9XF6
名古屋人は、このスレに来るなと言っているだろうが
太平記とは無関係部外者の名古屋の糞カッペめ
267日曜8時の名無しさん:2013/08/22(木) 23:02:13.05 ID:2r6jx++j
>>262
新幹線はできるだけ遠回りせずショートカットで建設されたから、
新幹線の駅が在来線の岐阜駅に併設される可能性はなかっただろう。
これは、在来線の大阪駅や横浜駅を新幹線が経由していないのと同様。

ただ岐阜駅への併設は無理にしても、岐阜県内に新幹線の駅をつくるのならば、
例えば大垣駅あたりに併設するような選択肢もあったとは思う。
268日曜8時の名無しさん:2013/08/22(木) 23:06:56.66 ID:9sePoTdz
名古屋叩きから新幹線ネタまで、ほんとココは幅広い話題を扱うんだな
269日曜8時の名無しさん:2013/08/22(木) 23:26:17.56 ID:2r6jx++j
>>262
あと東北新幹線に関しては、開業時期を考えれば小沢一郎よりも鈴木善幸とかではないかな。
ただ東北新幹線の盛岡以北の開業が遅れた最大の要因は、当時の旧国鉄の経営状態だろう。

全区間にわたって大きな需要がある東海道新幹線と違って、
東北新幹線の場合は末端区間になるほど輸送人員が小さくなることは目に見えていたから、
80年代の旧国鉄の体力で盛岡以北の建設は無理だし、
民営化後も新生JRがある程度軌道に乗るまでは、
東北新幹線の延伸に手を付けられなかったのは理解できる。

ちなみに九州新幹線が鹿児島側から先に開業したのは、
鹿児島が東北新幹線における青森と同様の状況になることを恐れた現地世論の影響もあるとか。
つまり九州新幹線の建設を博多側から進めた場合、
工事が熊本辺りまでで長らく止まってしまうかも知れない、という危機感があったとか。
無論用地買収の手続きとかが鹿児島側のほうが早く終わっていたこともあるが。
270日曜8時の名無しさん:2013/08/23(金) 02:39:11.09 ID:JZpJP1gQ
>>268
スレが活性化するから良いらしい
271日曜8時の名無しさん:2013/08/23(金) 04:20:52.43 ID:yKQEj6ZA
>>213
鎌倉幕府における東国15ヵ国の概念ができる背景としては、
やはり寿永二年十月宣旨の存在は大きいと思うよ。
この宣旨において後白河上皇が頼朝の専断を認めた地域が東海道と東山道の諸国であって、
これに北陸道は入っていなかった。

そしてその後、この東海・東山諸国から、鎌倉よりも京都に近い濃尾平野以西を除いた範囲が、
結局のところ鎌倉幕府直轄の東国になる。

ちなみに文治年間頃の鎌倉幕府は三河も東国に含めていたようだが、
三河は後に東国の範囲から除外されている。
272日曜8時の名無しさん:2013/08/23(金) 20:44:44.11 ID:x3qgiwuS
>>269
三塚博
273日曜8時の名無しさん:2013/08/23(金) 21:02:23.72 ID:UXdfrUJy
>>269
新幹線が伸びなかったのは、反抗的な労組をたたきつぶすために国鉄を民営化した中曽根のせいか!
新田義貞、国定忠治、中曽根康弘…上野国の呪い、共通点はろくな末路を迎えないw
274日曜8時の名無しさん:2013/08/23(金) 22:11:36.92 ID:yKQEj6ZA
>>273
民営化されずに国鉄のままだったら、それはそれで永遠に無理だったような・・・。
275日曜8時の名無しさん:2013/08/23(金) 22:58:12.04 ID:1AglnuVh
尾張が東国は100%ないわな、三河含む東側に尾張ゆかりの物は一切ない
一切ないどころか、有史以来、尾張百姓は、三河を含む東側に行った事すらない

これは極めて重要な指摘で、三河を含む東側の人間と尾張百姓は、遺伝子レベルで別人種と言う事だ
276日曜8時の名無しさん:2013/08/23(金) 23:12:11.91 ID:UXdfrUJy
まあ「新幹線はもう要らない!」ってことだな>日本海岸民
277日曜8時の名無しさん:2013/08/23(金) 23:18:44.68 ID:UXdfrUJy
>>275
静岡、神奈川、千葉各県には紀州にルーツを持つ人が多いんだが…
たとえば千葉県勝浦市の由来は那智勝浦
278日曜8時の名無しさん:2013/08/24(土) 03:22:12.49 ID:mo5zNOux
>>275
というか三河は最終的には東国から除外されているわけでw

>>277
紀州でいえば、本宮・新宮・那智の熊野三山がセットの熊野の分社は全国各地に存在するが、
その数を都道府県別に集計すると、最も多いのが千葉県、次いで宮城県になるという話があるな。

あと伊勢神宮の荘園(御厨)なんかも、全般的な傾向として、
三河・遠江あたりから房総半島にかけての東海道各国に多く分布している。
279日曜8時の名無しさん:2013/08/24(土) 12:00:56.19 ID:ZLCQG5iS
遺伝子レベルとか反韓厨もよく使うけど自分の妄想が根拠ってなんだかなぁ
280日曜8時の名無しさん:2013/08/24(土) 15:19:24.95 ID:m/YMqI2J
遺伝子レベルだと、日本人と朝鮮人なんか重複部分が多いだろう。
ただ傾向的には、朝鮮人のほうが日本人より(1)身長が高く(2)顔が長いのだそっす。

民族を考える時、まず問題とすべきは文化と言語だと思う。

もっとも、遺伝子レベルでは関東人と関西人よりずっと近いはずのセルビア人とクロアチア人は仲が悪い。

石原慎太郎は受け狙い発言で熱烈な支持者もいるが、首相になるような器ではないわねw
281日曜8時の名無しさん:2013/08/24(土) 16:32:24.22 ID:m/YMqI2J
>>278
鈴木という姓は愛知・静岡あたりが最も稠密だという。あの辺は鈴木という工場や店が異様に多い。
この鈴木はススキが語源との説があって、元は熊野・伊勢神宮の神人の末裔とも考えられている。

鹿島神社は茨城県〜福島県に多く分布し、熊野・伊勢も似たようなものと考えられる。
鎌倉幕府関係と考えられるのは、全国に八幡・諏訪神社が多く分布すること。
徳川がらみだと、東照宮は譜代諸藩に多く勧請された。
282日曜8時の名無しさん:2013/08/24(土) 17:11:05.79 ID:i4kUKA24
>>281
お前は名古屋猿臭がするな

静岡にいる鈴木は田吾作だろ、三河にいるのは武士だ
太平記繋がりでは、三河鈴木氏の鈴木重員の母親は楠木正成の娘
三河鈴木氏で一番有名なのは、総理大臣になった鈴木貫太郎
但し、鈴木貫太郎の父親は養子入りで、元は倉持氏、足利被官文書係の倉持氏だな


三河鈴木氏、鳥居氏で調べてみろ
283日曜8時の名無しさん:2013/08/24(土) 17:15:58.04 ID:i4kUKA24
>>278
三河、河内、讃岐は、東国にも西国にも属さない、別格の国という事だなw
284日曜8時の名無しさん:2013/08/24(土) 20:00:37.90 ID:m/YMqI2J
>>283
讃岐は南海道だ。もう少し「常識」を学んでから投稿しろ。
千葉県富津市には佐貫(さぬき)という地名がある。
河内は畿内。
三河は尾張と遠江の間にあって埋没しがちな目立たない国だったというところか。
285日曜8時の名無しさん:2013/08/24(土) 21:04:03.58 ID:i4kUKA24
1185年
6月
権大納言:平頼盛(池禅尼の息、三河守)
侍従:平光盛(頼盛の息、池禅尼の孫)

河内守:平保業(頼盛の息、池禅尼の孫)
讃岐守:一条能保(頼朝同母姉の旦那)
三河守:源範頼(頼朝異母弟、室は比企尼長女の娘)

駿河守:源広綱(源頼政の息)←広綱逐電のあとは藤原憲朝(頼朝の母方従兄弟)
武蔵守:平賀義信(甲斐源氏、室は比企尼の三女)

8月
因幡守:大江広元


1185年
伊豆守:山名義範
相模守:大内惟義(平賀義信の息)
上総介:足利義兼
信濃守:加賀美遠光(甲斐源氏)
越後守:安田義資(甲斐源氏)
伊予守:源義経(頼朝異母弟、正室は比企尼の次女の娘)
286日曜8時の名無しさん:2013/08/24(土) 21:29:19.03 ID:i4kUKA24
訂正

1184年
6月
権大納言:平頼盛(池禅尼の息、三河守)
侍従:平光盛(頼盛の息、池禅尼の孫)
河内守:平保業(頼盛の息、池禅尼の孫)
讃岐守:一条能保(頼朝同母姉の旦那)
三河守:源範頼(頼朝異母弟、室は比企尼の長女の娘)

駿河守:源広綱(源頼政の息)←広綱逐電のあとは藤原憲朝(頼朝の母方従兄弟)
武蔵守:平賀義信(甲斐源氏、室は比企尼の三女)

8月
因幡守:大江広元


1185年
伊豆守:山名義範
相模守:大内惟義(平賀義信の息)
上総介:足利義兼
信濃守:加賀美遠光(甲斐源氏)
越後守:安田義資(甲斐源氏)
伊予守:源義経(頼朝異母弟、正室は比企尼の次女の娘)
287日曜8時の名無しさん:2013/08/24(土) 22:03:55.00 ID:mo5zNOux
>>284
鎌倉幕府における東国15ヵ国って、陸奥・出羽を別にすれば、
基本的には治承・寿永の内乱初期に頼朝が自力で征服した坂東諸国に、
甲斐源氏が征服した甲信駿遠を合わせた地域ともいえる。

三河に関しては、ここは純粋な東国とはやはり様相が少々異なる印象があるな。
例えば三河は、承久の乱の戦後処理で守護が交替したり、新補地頭が設置されたりしているが、
これは東国諸国ではあり得ない。
288日曜8時の名無しさん:2013/08/24(土) 23:40:18.14 ID:m/YMqI2J
衰退しちゃったからか、あまり注目も浴びない平賀・大内氏(周防のとは別もの)かわいそうです。
武田信玄のせいか、甲斐源氏でも知名度低い逸見(へんみ)・跡部・安田・一条氏もかわいそうです。
289日曜8時の名無しさん:2013/08/24(土) 23:56:57.34 ID:m/YMqI2J
>>287
承久乱前の三河守護って誰?(こんなことも知らない所詮大河民)

蒙古以降は御家人の九州・中国地方移住が増えてくるので、
ひとくちに西国と言っても、御家人系で守護・国人が占められてゆく地域と、
御家人以外の勢力が根強く残存した地域とで違いはありますよね。

室町期、細川家に仕えた四国の国人も、頼朝以前から在地だった旧豪族系と小笠原などの流れとがある。
まあ、その系譜で対立してたーとかじゃなかったろうとは思うけど。
290日曜8時の名無しさん:2013/08/25(日) 23:09:40.72 ID:l+Dt6LhS
頭の悪いお前にレスするだけ無駄


>三河、河内、讃岐は、東国にも西国にも属さない、別格の国という事だなw


これは軽い冗談だが、分かる奴はすぐ分かる




>讃岐は南海道だ。もう少し「常識」を学んでから投稿しろ。
>千葉県富津市には佐貫(さぬき)という地名がある。
>河内は畿内。
>三河は尾張と遠江の間にあって埋没しがちな目立たない国だったというところか。

何だこの頭が悪そうなレスは
291日曜8時の名無しさん:2013/08/25(日) 23:33:31.33 ID:D8yw5Sal
>>289
承久以前の三河守護は不明。
建久年間には安達盛長が守護だったようだが、その後承久までの時期の
三河守護はわかっていない。

ただ足利義氏の三河守護職獲得は承久の乱の際と見てまず間違いないから、
承久の乱で三河守護の交代が発生したこと自体は事実だろう。
292日曜8時の名無しさん:2013/08/26(月) 07:24:24.68 ID:yPX7kv7V
そういえば鎌倉期の東国は、そもそも守護がいたのかどうかが議論となっているらしいが、
三河に関してはこの議論の余地ないんだっけ?
293日曜8時の名無しさん:2013/08/26(月) 17:53:43.64 ID:oYrVAzyf
安達盛長の任期は、1194年10月以前のある時期から1199年10月以降のある時期まで(死ぬまでか?)
息子の景盛に引き継がれずに、不設置だんだろう
何故なら西三河が京方の影響下にあって、全域を掌握しきれていなかったからな
具体的に言うと、西三河の加茂郡は全域が皇室領(八条院領)、額田郡は三河の熱田大宮司家領、碧海郡は鳥羽天皇女房領、近衛家領、幡豆郡が九条家領
承久の変で京方についた三河の熱田大宮司家をはじめとする京方の所領を没収されると
その所領は、三河の熱田大宮司家縁故者の足利義氏に幕府より給されて、ようやく全域が幕府支配下になったというわけだ
294日曜8時の名無しさん:2013/08/26(月) 19:07:48.70 ID:LXlLV9t0
1199〜1221?は三河守護は設置されてなかったのかもね。

守護は合戦の時に管国の御家人を動員(催促のほうが正確かも)するための役職だから(蒙古合戦でも国を単位に軍編成をおこなってる)
御家人があまりいなかったような国や、特に設置する必要が無かった国はそもそも置かれなかった可能性。
旧国制はあくまで大和朝廷の区画したものでしかなく、中世に合理的な行政区だったわけでもない。
国をまたぐ所領も多々あった(相模〜武蔵の山ノ内荘、薩隅日の島津荘など)。

陸奥と出羽は結局最後まで守護が設置されず(戦国期、伊達稙宗が陸奥守護を称したことはあるが実態を伴わない)
鎌倉期は奥州総奉行(と秋田城之介?)が守護の代わりのようなもので、室町期は奥羽両国に探題が置かれた。
大和国は鎌倉期は興福寺が守護みたいなもので、室町期は畠山・伊勢・北畠が郡単位で進出。
山城国も微妙なままだった(室町前期は侍所が守護を兼務することが多かったらしい)。

相模は1247年に守護三浦宗家が滅んで以来、数十年守護が置かれなかった。
室町前半期は三浦氏(佐原流)が守護で、のちに扇谷上杉氏に転じる。
相模は山城に似て、鎌倉があるために、公方か関東管領がいることが多く、
わざわざ守護が上記「軍勢動員」を担当する必然性が希薄だったからだろう。
295日曜8時の名無しさん:2013/08/26(月) 19:30:36.20 ID:LXlLV9t0
>>292
時期によるんじゃない?
いなかったわけでもない。
常陸は八田知家流の小田・宍戸氏、下野は小山氏、下総は千葉宗家、上総は足利、相模は三浦宗家。
常陸は鎌倉末期に北条氏に替わられていた可能性があるらしい。
甲斐は武田氏か二階堂氏かハッキリしないそうな。

武蔵、安房、伊豆は北条氏が長く守護を務めたようで、上野は霜月騒動のころは安達氏で北条得宗家に替わる。
北条氏の場合、越後、信濃、駿河も考慮すべきだと思う。

関東は、もともと御家人が非常に多かった上に、畿内に似て小さい勢力がひしめきあう状態が戦国期まで続き、
守護の影響力も自ずと限定されたものだったと思う。
いずれも数日で鎌倉に行ける国々なので、日本全体でも特に「いてもいなくても良くね?」って地域だったんでないかとw
296日曜8時の名無しさん:2013/08/26(月) 21:04:46.01 ID:4OeDffj7
金八の
歯並び気になる
大楠公
297日曜8時の名無しさん:2013/08/27(火) 00:57:47.19 ID:C+gybzM0
>>295
東国の場合、特に鎌倉初期の段階では、守護の設置は行われていなかったという説がある。
無論、実質守護のような有力者(相模の三浦氏、下総の千葉氏、下野の小山氏など)はいても、
彼らは平安後期以来の慣習的な立場によって、その国を統率しているだけで、
幕府成立時に彼らを正式に守護に補任するような手続きが取られたのかは、実は疑問らしい。

東国を実効支配する事実上の頼朝政権の発足時からその範図だった場所は別にして、
それ以降の鎌倉政権の征服地に対してだけ一律に設置するのが当初の守護制度だったとか。

ただ後には東国に対しても、上野は比企能員滅亡後、安房は和田合戦後、上総は宝治合戦後に、
それぞれ守護が正式に置かれるようになり、時宗期に元寇に伴う動員が行われる頃になると、
得宗家の伊豆、千葉氏の下総、小山氏の下野なども、守護職と認識されるようになったとも。

まあ一つの説ではあるが。
298日曜8時の名無しさん:2013/08/27(火) 01:24:54.91 ID:C+gybzM0
>>294
陸奥・出羽が守護不設置なのは、そもそも広大すぎて一人の守護に委ねるのは馴染まないし、
有力御家人が比較的広い領域の荘園や郡のような単位で地頭職を持っている例が多かったから、
何かあれば彼らに直接指示すればよかったのだろう。

あと戦国期の伊達稙宗の陸奥国守護職に関しては、
そもそも稙宗としては奥州探題への補任を幕府に申請したのに対し、
それまで奥州探題を世襲してきた大崎氏への兼ね合いから、
幕府側が勝手に陸奥国守護職なる肩書きを捻り出してきたようなもの。

当然稙宗側はこれに不服で、幕府への規定の礼銭を納めないと言い出したりしているし、
陸奥国守護職の称号もあまり積極的に使おうとはしていない。
299日曜8時の名無しさん:2013/08/27(火) 12:09:04.27 ID:I+u0lD7f
>>298
奥羽の場合、大名の多くが関東・甲斐の出身だったから、
ある意味「関東同然」で、特に守護に頼らずに軍勢催促ができたのかもね
(奥州合戦以前からの国人は由利、田村、岩城など。安藤は関東、駿河、陸奥の諸説あり)
300日曜8時の名無しさん:2013/08/27(火) 12:40:27.89 ID:I+u0lD7f
>>297
守護も(呼称は違っても実質)、意外にも畿内とか西国で早くに設置されたらしいね。
関東は「もともと鎌倉殿頼朝のおひざ元」なわけで、特に旧国制を単位とする意味が希薄だったのかも。

興味深いのは、三浦氏が三浦介、小山氏が下野大掾、秩父平氏が武蔵国留守所総検校職などの職を得ていたこと。
三浦郡なんて相模の一番すみっこの郡でしかなく、三浦氏は平塚市あたりにも進出していたに過ぎなかったわけだが…
常陸大掾氏が幕府であまり厚遇されなかったことも考える必要がある。

南北朝中期以降の関東では守護職を得るのもなかなか難しかったように思える。
特に下野は、小山、宇都宮、結城など諸勢力が対立し、誰が守護になっても安定しないような状態が続いた。
佐竹氏も実質は常陸北部の有力者に過ぎなかった(でも、伊達や芦名より強かったw東北って…w)。

上杉氏は、そうした群雄割拠の関東で、より上位の権力として君臨するために守護職を利用していたのでは?
後北条氏も、その上杉氏に取って代わるような形で進出していったのでは?
そういうことを考える必要があると思うね。
301日曜8時の名無しさん:2013/08/27(火) 19:36:10.93 ID:N7szqx1P
直常「・・・一刻を争う故、知らせが遅れた『まで』」

尊氏「遅れ『まで』とは何事!
桃井直常!! いつからわしに左様な口を聞く身の程となった?!」
302日曜8時の名無しさん:2013/08/27(火) 22:34:18.16 ID:C+gybzM0
>>300
鎌倉初期の関東の三大有力御家人は、三浦・千葉・小山の各氏だけど、隅っこ云々を言うなら、
千葉氏の本拠地も下総・上総国境のすぐ傍だし、小山氏の本拠地も下野・下総国境の目の前。
303日曜8時の名無しさん:2013/08/27(火) 22:59:01.03 ID:I+u0lD7f
>>302
その国境が重要とも。国境とは現在一般の意味でなく旧国制の境。
千葉氏は下総国千葉郡にあった千葉荘(わーまぎらわしw)の武士に過ぎず、
頼朝挙兵のころを過大に見積もると危ういけれど(北条氏も全くそう)。

小山氏が基盤とした下野南部は、足利があることもさりながら、
関東平野中心部にも近く、経済的には最も有利な地域だったとも言える
(足利銀行が強かったことに象徴されるように、栃木県は政治と経済の中心が一致しない)。
小山氏の場合、ホントなら藤原秀郷以来200年も根を張っていたことに。

頼朝以前の関東武士は今の一市一町にもならないほど狭小な勢力が多かった。
だから北条氏や三浦氏が当時どんなにちっぽけな勢力でも、
治承〜奥州合戦で各地に得て富強になったとしても別に不自然なことはない。

ただ、三浦郡の場合、水軍を考える必要が絶対にある。
伊豆も東国一の非生産国ではあったが(佐渡かな?)、水軍を考えると非常に重要性の高い国でもあった。
和田義宗(杉本太郎)が安房合戦で死んだとされるのも興味深い事例。
304日曜8時の名無しさん:2013/08/28(水) 01:39:11.53 ID:KaNRJNeR
ゴルゴ13のスナイパーストリートを見て太平記の最終回を思い出した
305日曜8時の名無しさん:2013/08/28(水) 07:02:58.38 ID:v28lbaSH
>>303
三浦氏の勢力圏が安房に跨がっていたのは事実だし、三浦一族の和田氏は苗字の地自体が安房。

小山氏も勢力圏は下総に跨がっており、後に有力な一族であり結城氏が下総に成立するが、
小山と結城は間に国境があるとはいえ、実際は隣り合わせの場所。

千葉氏に関しては、上総氏(本来的な房総平氏の嫡流はこちら)の勢力と合わせれば、
かなり大きな勢力であったことは事実だろう。
まあ千葉荘自体が千葉郡のほぼすべてを荘域としているからこの荘名があるわけだし、
郡名クラスの地名を苗字にする時点で、千葉氏単体でもそこそこ有力な武士だったのだろう。

なお治承以前における北条氏の勢力は、これらの武士とは比較にならないほど小規模だろうが。
306日曜8時の名無しさん:2013/08/28(水) 07:18:36.68 ID:v28lbaSH
>>300
あと国衙関連の官職由来の肩書きなら、小山氏の下野押領使や千葉氏の千葉介も重要だろう。
前者は小山氏の遠祖である藤原秀郷以来のものだし、
後者も三浦氏の三浦介などと同等の肩書きといえる(上総氏の上総介には及ばないが)。

というか鎌倉期の関東って、後から入ってきた清和源氏の勢力を別にすれば、
結局のところ有力御家人の大部分は、秀郷流藤原氏か坂東平氏のいずれかで、
そう考えると承平・天慶の乱の頃から基本的な構図は、あまり変わっていない。
307日曜8時の名無しさん:2013/08/28(水) 07:53:10.80 ID:v28lbaSH
>>300
室町期の関東に関しては、下野は小山義政・若犬丸の乱による小山氏衰退の影響が大きい。
ただこれ以降、結城合戦までの下野守護は基本的に結城氏だろう。

常陸については守護佐竹氏の分裂という問題も見逃せない。
特に佐竹宗家が山内上杉氏出身の義憲を後継者に迎えて以降、
有力な一族であり南北朝期から宗家と度々対立していた山入氏が完全に独立勢力となった上に、
将軍と鎌倉公方の対立のなかで、京都側が山入氏を京都扶持衆や常陸半国守護にしたことで、
大きく泥沼化した印象だな。
結局常陸では、この問題が戦国初期まで尾を引くことになるし。

まあこのような状況から上手く戦国大名化を果たして、
最終的に近世まで大名として生き残る佐竹宗家も、なかなか稀有な存在だろう。
308日曜8時の名無しさん:2013/08/28(水) 09:35:53.85 ID:9qDrOvkI
>>305
>和田氏は苗字の地自体が安房

これも3説あって、(1)三浦市和田(2)横浜市金沢区朝比奈あたり(3)千葉県南房総市和田町のどれか確定はしていない。
(1)がわりと通説というか、特に三浦半島ローカルの人はそう思ってる(苦笑)けど、三浦市に和田氏の菩提寺がある。
(2)は石井進先生が唱えてたもので、金沢区の鎌倉市寄りの朝比奈地区に和田なる地名があったとのこと。
朝比奈は和田義盛の子・朝比奈三郎義秀の苗字の地といわれるところで、
和田氏が平安末には鎌倉市の杉本寺あたりにも勢力を伸張していたことから、有力視されている(つか地元民はそう思ってるw)。
昔、安房国には朝夷郡(あさいな、あさひな)があり、こちらが朝比奈義秀苗字の地との説も。

三浦氏が頼朝以前から房総に勢力を伸ばしてたことは事実で、今の富津市に三浦の一族金田氏がいた。
和田氏の祖義宗が三浦義明の長男だったのに、義明の跡を継いだのは次男三浦義澄だったのも謎で、
和田義盛の名乗り小太郎は義明の長孫だったことを意味する。
いずれにせよ、義盛滅亡までは三浦宗家と並ぶ最有力家だったのは事実だろうけど。
309日曜8時の名無しさん:2013/08/28(水) 10:04:31.81 ID:9qDrOvkI
>>306
あの三浦介とか千葉介もよくわからんよね。
介は国司の次官で、親王任国では国司の親王が赴かないから、
上野介・上総介・常陸介は事実上の国司。
三浦郡も千葉郡も1郡に過ぎないのに介。
三浦義明はさらに三浦大介とも呼ばれる。

掾は介のさらに下なのに、下野大掾氏(=小山氏)、常陸大掾氏(ふつう大掾氏といえばこちら)は
単なる郡司と言えないほどの勢力。

>承平・天慶の乱の頃から基本的な構図は、あまり変わっていない。

将門の乱を鎮めた秀郷と平貞盛、それと平良文・良正の子孫ね。
秀郷流とされてきた宇都宮氏は中原氏で、糟屋氏が佐伯氏との説もあるけど。
これもよくわからんけど、将門の叔父でも特に良文・良正の子孫が栄えた(とされた)のか。
頼朝蹶起を境に、貞盛流が冷遇されたのも奇縁と言えば奇縁だ。
310日曜8時の名無しさん:2013/08/28(水) 14:00:10.50 ID:v28lbaSH
>>308
長子が後継者となっていないケースは、たいていは母親の身分だと思う。
もしくは三浦義明の子供の場合は、和田義盛の父杉本義宗が早世しており、
義宗死去時に義盛がまだ若年だったことが影響しているか。

>>309
三浦介や千葉介は、それぞれ国司の次官としての相模介や下総介に任官していた者が、
その官名と自らの本拠地の地名を組み合わせて名乗った通称という理解でよいと思うが。
元々彼らは国衙における有力な在庁官人であったわけでもあるし。

あと貞盛流に関しては、系図の信頼性という問題はあるが、北条氏も公式には貞盛流だな。
311日曜8時の名無しさん:2013/08/28(水) 18:14:33.76 ID:UCHF2sBZ
>>143
黒田官兵衛については、西脇市黒田庄町が発祥というのが確かなようだな
312日曜8時の名無しさん:2013/08/28(水) 19:04:47.35 ID:9qDrOvkI
>>310
あー舌足らずだったね。貞盛流は常陸平氏のことね。
鎌倉幕下、常陸ルーツの武士は概して武相豆総両毛に比べて恵まれなかったから。
守護も下野ルーツの八田氏系だしね。
伊達氏が常陸ルーツってことを思うと、戦国の伊達佐竹の戦いも奇縁ちゃ奇縁。
常陸は「征服された土地」って感がある。越後・奥羽のような。

常陸大掾氏のよーわからんとこは、掾は守・介の次の階位なのに、
常陸国府=石岡市を長く押さえていて、水戸市も大掾氏に始まる。

茨城県も水戸市がイマイチ県の中心地になりきれていないようなとこがあり(市民の方ごめんなさい)、
これもやはり石岡市、土浦市、古河市、太田市、結城市(これは下総国)に群雄割拠していたせいと、
江戸時代も水戸藩領でない南西部は小藩林立だったからだと思う。
関東の県都は概してそんなとこあるが、東京の力が強すぎるからだろう。
313日曜8時の名無しさん:2013/08/28(水) 19:08:50.73 ID:9qDrOvkI
>>311
黒田家は滋賀県長浜市黒田をルーツと言ってるけどね。
まあ黒田孝高の大出世は豊臣秀吉に仕えたことと徳川の恩恵だろうけど。
314日曜8時の名無しさん:2013/08/28(水) 19:35:53.48 ID:1rbJxWof
もはやココが何のスレなのかわからなくなってきました
315日曜8時の名無しさん:2013/08/28(水) 20:29:11.74 ID:W1La6CzH
新田義貞と心を合わせ、
共に、
賊の防ぎにあたれ。
316日曜8時の名無しさん:2013/08/28(水) 20:42:09.00 ID:9vukNjtI
>舌足らず
日本語知らず
317日曜8時の名無しさん:2013/08/28(水) 21:53:37.55 ID:v28lbaSH
>>311>>313
近世大名の黒田氏は、少なくとも公称上は佐々木京極氏庶流で室町幕府奉公衆の黒田氏の流れ。
官兵衛孝高の曾祖父高政が永正の政変後の船岡山合戦の際に、
本領(近江国伊香郡黒田郷)を追われて流浪したことになっている。

無論この話の真偽は不明だが、官兵衛孝高の黒田氏は、
祖父重隆の代に赤松氏庶流の小寺氏に一門待遇で召し抱えられるまで、
播磨での活動の痕跡がないのも事実。
318日曜8時の名無しさん:2013/08/28(水) 23:10:38.26 ID:96ZeUTkP
周知


今後

源頼朝は
母方が三河の熱田大宮司家の源頼朝

足利一族は
三河の熱田大宮司家との血縁で三河守護になれた足利氏(足利一族、足利一門)

と必ず呼ぶように




でなければ、中世〜近世はみえてこない
319日曜8時の名無しさん:2013/08/28(水) 23:29:28.19 ID:RBJUS+e7
呼びませんキリッ
320日曜8時の名無しさん:2013/08/29(木) 07:35:18.70 ID:9S5Cw+Zj
>>312
常陸の場合、つまるところ大掾氏も佐竹氏も幕初期に頼朝に協力的でなかったことが、
その後に影響しているだろう。
特に佐竹氏に関しては、藤原清衡の娘が嫁いでいたりして奥州藤原氏との関係が強いから、
後々まで頼朝に警戒されている雰囲気があるし、頼朝の奥羽征服のときにも、
佐竹一族のなかに奥州藤原氏に与して鎌倉軍に抵抗した者がいる状況。

ただ後世に目を転じれば、奥州藤原氏の血が入っている佐竹氏が、
結局近世には東北地方に転封されるというのも、何とも不思議な巡り合わせといえようかw

大掾氏と常陸国府の関係については、親王任国の常陸の場合、介が受領となるわけだから、
在庁官人クラスのトップの官職はその下の大掾ということになるし、
平安後期だと受領も在国しないのが普通だから、大掾が実質的に国府を押さえていたとしても、
そこまで不可解でもないと思うよ。
321日曜8時の名無しさん:2013/08/29(木) 08:23:30.85 ID:9S5Cw+Zj
>>300
戦国期の後北条氏の関東進出が、実質的に上杉氏に取って代わろうとするものであったのは、
まあ既に自明の事実というか、室町期の支配秩序の下における関東地方では、
鎌倉将軍≒関東公方、執権北条氏≒関東管領上杉氏という認識が一般的だったわけだから、
後北条氏が北条苗字を名乗った時点で、上杉氏との対決を強く意識しているのは間違いない。
というか、この辺の話は研究者が書いた論文なんかも結構探せば多いでしょう?

>>303
水軍に関しては、三浦郡に限らず古代・中世の関東地方は、
現代人の想像以上に水上交通が大きなウェイトを占めていた世界ってことが近年いわれている。

江戸内海(現東京湾)も現在より内陸まで入り込んでいたし、
香取内海(現霞ヶ浦・北浦)なんかは現在より遥かに広大で、
こちらも当時は湖ではなく大きな内海として認識されていたから、
2つの内海に挟まれた房総地区を中心にかなり水上交通が発達した世界だったとか。
平将門の乱も、そうした水上交通をめぐる利権争いの要素があるといわれるし。
322日曜8時の名無しさん:2013/08/29(木) 10:55:50.37 ID:0IVDJiEn
>>239-243
個人的には「三河安城」は駅名のネーミングセンスがあれだと思う。

JR(旧国鉄)で駅名に旧国名を被せるケースっていうのは、例えば
上野(東京)と伊賀上野(三重)、湯沢(秋田)と越後湯沢(新潟)など、
全国に同じ地名が複数ある場合に、それを区別するために行われるのが
基本だと思うのだけど、三河安城の「安城」はただの安城と同じ
愛知県安城市の「安城」というのが、何とも・・・。

こういう場合は、旧国名じゃなくて「新〜」にするとか東西南北をつける
やり方が普通じゃないのかね?
無論安城の場合は、「新安城」という駅名は名鉄にあるから使えないけど、
それなら「西安城」とかにするのが自然だったように感じる。

同じようなネーミングは新幹線の駅名でも西明石とかの例があるし。
323日曜8時の名無しさん:2013/08/29(木) 10:59:26.35 ID:0IVDJiEn
>>322続き
あと、三河安城と同じような違和感を感じる駅名に武蔵浦和もあるけど、
ここは旧浦和市内に「浦和」が付く駅が多すぎて、カオス状態w
324日曜8時の名無しさん:2013/08/29(木) 12:28:12.79 ID:9S5Cw+Zj
そういえば以前聞いた話だが、武蔵浦和は地元では“發浦和”と呼ばれているらしいな。

浦和の駅名には東浦和・西浦和・南浦和・北浦和・中浦和が揃っているから、
あとはプレーンの浦和を白、武蔵浦和を發と見なせば、麻雀の字牌がすべて揃い、
ここに目出度く浦和麻雀牌伝説が完成すると。
325日曜8時の名無しさん:2013/08/29(木) 13:19:18.29 ID:uOD0jYlH
ふぁ…ふぁーうらわ?(そんな昔のガンダムみたいなw)

青森県下北半島には横浜町があり、陸奥横浜って駅がある。
かつて静岡県には何が新しいのかちっともわからない新横須賀駅(しん〜)があった。
愛知県には何が高いんだかちっともわからない高横須賀駅(たか〜)がある。
普通に横須賀駅(愛知県の)でいいんじゃないかと思うんだがw
326日曜8時の名無しさん:2013/08/29(木) 13:59:53.44 ID:pSng7gpH
>>325
横浜って全国にあるな
俺の本籍も横浜って書いてある
327日曜8時の名無しさん:2013/08/29(木) 18:50:45.73 ID:XST1HYj/
>>322
駅つくるのに安城だけが金を出したわけではない、頭に三河をつけなければいけなかった事情があったわな

安城の関連事項

【リーマンショック後の総所得ランキング】
・課税所得額ならびに総所得額の推計を実施。本文中の数字は全て総所得額ベース。

総所得ランキングトップは江ノ電沿線、金融資産トップは京王井の頭線沿線。
リーマンショックで打撃を受けたのは近鉄長野線沿線――。

総所得ランキング
01位 江ノ島電鉄線(神奈川県藤沢市〜鎌倉市)←相模国
02位 阪急甲陽線(兵庫県西宮市)←摂津国
03位 京王井の頭線(東京都渋谷区〜武蔵野市)←武蔵国
04位 東急東横線(東京都渋谷区〜神奈川県横浜市)←武蔵国
05位 東急こどもの国線(神奈川県横浜市)←武蔵国

06位 東急田園都市線(東京都渋谷区〜神奈川県大和市)←武蔵国、相模国
07位 相鉄いずみ野線(神奈川県横浜市〜神奈川県藤沢市) ←武蔵国、相模国
08位 東急目黒線(東京都品川区〜神奈川県横浜市)←武蔵国
09位 名鉄西尾線(三河県安城市〜西尾市)←三河国  
10位 名鉄豊田線(三河県みよし市〜豊田市)←三河国

11位 東急大井町線(東京都品川区〜神奈川県川崎市)←武蔵国
12位 東急世田谷線(東京都世田谷区) ←武蔵国
13位 小田急小田原線(東京都新宿区〜神奈川県小田原市)←武蔵国、相模国
14位 名鉄三河線(三河県豊田市〜碧南市)←三河国
15位 東急池上線(東京都品川区〜大田区)←武蔵国

ソース:東洋経済オンライン
http://www.toyokeizai.net/life/living/detail/AC/a9f0b48216dc7b01346aec09db603d62/
ソースのソース:株式会社野村総合研究所 第2回全国のエリア別所得・金融資産を推計
http://www.nri.co.jp/news/2010/100330.html
328日曜8時の名無しさん:2013/08/29(木) 22:49:05.57 ID:nA6t+4XB
NHKさんには、
夢窓疎石をフィーチャーして、太平記PARTU的なものを創れないものかねぇ?

傑作たる既存の太平記では、あの時代の宗教勢力の描き方に不満がある故・・・
329日曜8時の名無しさん:2013/08/29(木) 23:12:02.50 ID:uOD0jYlH
>>326
もともと平凡な地名だからでしょうw
横浜市も徳川幕末までは東京湾岸の一農漁村にすぎなかったんだけどね。
神奈川のほうがずっと有名で、神奈川県もそっちに由来。

スカ(須賀は当て字)は砂浜のことだとかで、横須賀も大須賀も平凡な一般名詞に過ぎなかった。
移住者が故地の名を新住地につけることも多かったので(大和国平群→安房国平群郡など)
もしそれだとしたら横須賀も東海地方ルーツなんでしょうね。
330日曜8時の名無しさん:2013/08/30(金) 03:26:00.64 ID:PtBOql9n
>>328
ムソウソセキがナレーションでいいな。信長キングオブジパングのルイス・フロイスみたいに。

尊氏の死に様はちょっとアレだから、天竜寺落成でハッピーエンド
もしくは 黒白問答 でFin
331日曜8時の名無しさん:2013/08/30(金) 07:25:39.81 ID:8saRQV5C
>>320
平安末期のよくわからんとこは、郡司ぐらいの?偉さの常陸大掾氏が国府を支配してたらしいし、
もっと不可解なのは奥州藤原氏で、秀衡が御館=国司と呼ばれてた(実際に陸奥守になってるけど)のに、
陸奥国府多賀城に住んだのか分からず「国司が平泉に住んでても良かったの?」など。
このころには既に国府が形骸化または衰微しちゃってたのだろうか?

大河『太平記』の義貞蹶起のセリフが(鎌倉の使いを斬っちゃったから)

「守護の軍勢が押し寄せよう!迎え撃っては勝ち目は無い!夜に乗じて国府を襲う!」

だったと思うんだけど、この当時の上野国府は守護が支配してたってことでオケ?
長崎孫四郎さんが実在の人物かは問わないがw
332日曜8時の名無しさん:2013/08/30(金) 16:20:09.07 ID:4uk1Zxwr
>>331
院政期段階では、中央貴族において受領の遙任が当たり前になってしまっている以上、
国司が国府に常駐しなければならないなんて原則は最早崩壊しているだろう。

中世武家政権の守護については、国によってケースバイケースだとは思うが、
国府をそのまま守護所にしている例は(特に鎌倉期には)結構あると思うよ。

鎌倉期の上野については、当方もそんなに詳しいわけではないが、
劇中での義貞のセリフから当時の上野は国府に守護所があったのだろうと理解していた。
333日曜8時の名無しさん:2013/08/30(金) 21:38:17.40 ID:8saRQV5C
上野国は北条氏や足立泰盛が守護だったもんね。
諸国中でも比較的早く武士による国府・国衙の接収が進んでいた可能性も。

相模なんか頼朝時代には国府の機能がマヒ…というか意味なくなってたろう。
334日曜8時の名無しさん:2013/08/30(金) 22:40:09.98 ID:4uk1Zxwr
>>333
鎌倉期の上野守護は、比企氏→安達氏→北条氏(得宗家)と推移している。

あと、武士による国衙の掌握と、国衙機能の形骸化は、全く別次元の話ではないかな?
例えば鎌倉期の相模の場合、将軍家が知行国主の関東御分国だから、
鎌倉方が国務を握っているのは間違いないが、その鎌倉方が設定した相模守(原則北条氏)は、
ほぼ常に在国しているわけで、国司としての実態は他国と比べてもしっかりあるほうだろう。
335333:2013/08/31(土) 02:26:36.50 ID:QpqRYPVx
>>334
僕がゆったのはあくまで国府の話。国の機能じゃなく。
鎌倉に国府の実質機能が移ってしまったんじゃないかと。
執権が相模国司でもあった=だいたい鎌倉にいた、ということになるから。
336日曜8時の名無しさん:2013/08/31(土) 08:31:46.98 ID:ETEaxQxV
>>327
よく分からんが、三河安城ってトヨタの金がかなり入っているんじゃね?
三河安城は事実上のトヨタ専用駅みたいな話もあったけど、実際あの不便な
駅を使っている人って大半がトヨタ関連みたいな印象はある。
一度のぞみで東京から名古屋まで行ってから、ごだまで三河安城に
折り返すような人もいるようだけど、正直そんなの社用とかじゃなければ
やる人は少ないだろうし。

しかし三河国を走っている主要私鉄が“名古屋”鉄道だと聞いたら、例の
三河バカは発狂しそうだなw
337日曜8時の名無しさん:2013/08/31(土) 10:50:52.03 ID:wndkOmcZ
>>336
さらにいえば東三河のローカル私鉄である豊橋鉄道も、名古屋鉄道(名鉄)の子会社だし、
「愛知県」という県名自体が尾張国にあった郡名に由来。
あれ、三河って尾張の植民地だったの?・・・みたいな(笑)

あとついでにいうと、遠江・駿河国境を走る大井川鉄道も実は名鉄の子会社というのは、
知る人ぞ知る事実。
338日曜8時の名無しさん:2013/08/31(土) 10:55:35.34 ID:DiSCjpYY
>>336
>一度のぞみで東京から名古屋まで行ってから、ごだまで三河安城に
>折り返すような人もいるようだけど

いるも何も、そのルートで使う割引切符が出ているくらいだしw
http://railway.jr-central.co.jp/tickets/detail/5/index.html
339日曜8時の名無しさん:2013/08/31(土) 11:15:44.55 ID:gemVKLg0
>>337
お前からプンプン名古屋臭するなwなりますますなよw万年パシリの田舎猿

県庁所在地がリーダーシップが一切とれず、すがり付ついて寄生する尾張の植民地とか笑い殺す気か?w


http://news24.2ch.net/test/read.cgi/bizplus/1211890289/l50

>リポートによると、「一人あたり域内総生産」について、愛知県平均を100とした場合、
1996年度は西三河が112、名古屋を含む尾張は96(笑)で、16ポイント差だった。


>一方の尾張は下降線をたどり、2005年度には西三河が125、尾張は93で、
32ポイント差に拡大した。(笑) 


>さらに、住民の所得水準については、1970年に尾張が西三河を1割程度上回っていたが、
90年以降は西三河が逆転している。




経済力はとっくの昔の30年以上前、給料は25年前にぶち抜かれていたようですな
県庁所在地でありながこの悲惨な体たらく、負けるもんかの気持ちで頑張ってもらいたいものです

さしずめ、名古屋嬢(笑)とかいう田舎臭いメス猿が、必死になってチンポしゃぶるしかないのでわ?
340日曜8時の名無しさん:2013/08/31(土) 11:19:40.09 ID:gemVKLg0
何故名古屋人は田舎臭く、頭が悪い猿なのか?
「先祖代々骨の髄まで百姓、万年パシリの田吾作だからでつ(笑)」 

尾張の悲惨な歴史(笑)

◆平安時代◆
・藤原季兼(別称:三河四郎大夫、三河国額田郡に居住)が尾張目代(遙任国司の代わりに地方官吏を監督)としてにらみを利かせる。
・熱田大宮司職を藤姓熱田大宮司一族(本貫地:三河国額田郡)に乗っ取られる。
・以後、荒廃していた熱田神宮は、藤姓熱田大宮司一族の血縁である源氏(鎌倉将軍家、足利将軍家)と結びつき発展する。

藤原季兼(別称:三河四郎大夫、三河国額田郡に居住)→藤原季範(額田冠者、三河国額田郡に居住、初代藤姓熱田大宮司)→女子→源頼朝
藤原季兼(別称:三河四郎大夫、三河国額田郡に居住)→藤季李範(額田冠者、三河国額田郡に居住、初代藤姓熱田大宮司)→女子(足利義康(初代足利氏)室)→足利義兼

◆鎌倉時代◆
・三河国高橋庄の地頭職が支配する。尾張守護職を兼務。
・鎌倉幕府の尾張国の守護所が不明なのは、守護が尾張に住んでいなかった為。

◆室町時代◆
・斯波氏(本貫地:三河国碧海郡矢作、尾張守、尾張守護)、今川氏(本貫地:三河国幡豆郡今川、尾張守護)、一色氏(本貫地:三河国幡豆郡一色、尾張分郡守護、地頭職)が支配する。

◆江戸時代◆
・尾張の支配層は追放され、尾張徳川家が支配する。
・附家老は成瀬家(三河国加茂郡)、その他平岩家(三河国額田郡)、渡辺家(三河国額田郡)、中根家(三河国額田郡)、鈴木家(三河国加茂郡)。

◆現代◆
・トヨタグループのパシリとなる。
341日曜8時の名無しさん:2013/08/31(土) 11:21:30.67 ID:sPCX/s+E
それにしても、この時代ってドラマになる出来事が多いよね。
例えばこのドラマ本編では直冬と義詮の関係は尊氏中心に描かれてるけど
庶子と嫡子っていうことに着目して互いの関係を描いても
おもしろい史劇になる気がする。
そこに元は仲が良かった父尊氏と叔父直義が関係してくるし、
庶子ではあるが長子の直冬が叔父の養子になるのもドラマ的にはおもしろく描けそうな気がする。
さらには義詮と基氏の関係も、父と叔父の協力と骨肉を見て育った同腹兄弟として
おもしろく描けないかなと想像してみたりする。
その周りには暗躍する道誉やこのドラマで一躍キャラ立ちした桃井なんていうのがいて
おもしろそうだと思う。
願わくば、妙なイデオロギーに影響されず、
ただのエンターテイメントとして史劇が作られ見られるようになることを願う。
342日曜8時の名無しさん:2013/08/31(土) 11:30:48.49 ID:HMdABCwM
多々良浜の戦いとかカットされてるしね。
もう少し後に製作されていれば新撰組みたいに
スピンオフドラマとかあったかもしれないけど。
343日曜8時の名無しさん:2013/08/31(土) 12:05:16.48 ID:sPCX/s+E
鎌倉から京へ、そこで敗北して北九州へ、大復活の末再度京へっていうダイナミズムは
なかなか映像で再現するのは難易度高いんだろうけどね。
多々良浜の大逆転劇は少弐頼尚までキャスティングしてあったから
もうちょっと九州勢をキャスティングしてやってくれるとうれしかったけどね。
344日曜8時の名無しさん:2013/08/31(土) 20:52:09.75 ID:QpqRYPVx
>>342
直冬がドラマになりにくいんじゃないかと。
彼の人生、尊氏晩年に京都を攻めたあたりが頂点で、以後は「石見に追われた」程度しか。

桃井も、ドラマじゃ終盤にちょこっと登場した程度だけど、
古典太平記じゃ奈良での合戦の功を師直に無視されたことが直義党になる伏線として描かれている。
345日曜8時の名無しさん:2013/08/31(土) 20:57:30.44 ID:QpqRYPVx
レス番号まちがえたわ…

>>342-343
古典も吉川太平記も多々良浜ってけっこう大きく描かれるけどね。
古典の湊川合戦なんて「目撃者いなかったの?」ぐらいの簡略ぶりw(言い過ぎか)

終盤になると予算がきつかったのか、過去の合戦や行軍シーンが再利用されている
(討幕前の足利軍が近江に至るシーン、湊川合戦の両軍激突シーンなど)
346日曜8時の名無しさん:2013/08/31(土) 21:32:43.54 ID:vD2f5I15
博多の街を大いに堪能した尊氏である。
347日曜8時の名無しさん:2013/08/31(土) 21:53:30.99 ID:QpqRYPVx
そのころ義貞は勾当内侍と熱い夜を過ごしていた。
息子義顕は北陸に旅立つため荷物整理をしていた。
348日曜8時の名無しさん:2013/08/31(土) 21:59:35.72 ID:wndkOmcZ
>>343
このドラマの少弐頼尚って、キャスティングしてあったといっても、
終盤に直冬絡みで1回出てきただけのチョイ役だったからな。

仮に尊氏の九州落ちのところで一度出ていたとしても、
一般視聴者の記憶にはほとんど残らないだろうし、
下手すれば北条仲時みたいに初登場時と滅亡時で配役が変わったりしてw
349日曜8時の名無しさん:2013/08/31(土) 22:04:26.58 ID:wndkOmcZ
あと九州勢を大量キャスティングして多々良浜合戦を描くというのも、どうかなぁ?

このドラマって1回限りの合戦シーンでしか出しようがない人物は、
極力キャスティングしない感じでやっていたと思う。

鎌倉攻め際の大舘宗氏とか千葉貞胤とかも原案にはあったらしいけど、
結局キャスティングはされなかったし。
350日曜8時の名無しさん:2013/08/31(土) 22:36:41.66 ID:+f2o7dzc
>>348
地味に配役が変わったと言えば塩冶高貞だね
初代の峰三太のことなんて誰も気にかけてないと思うけど
351日曜8時の名無しさん:2013/08/31(土) 22:43:40.53 ID:yoXxwCPX
タタラハマの合戦はやって欲しかったな。

「南無八幡大菩薩!!」
尊氏の勇ましい姿がさぞカッコ良かっただろう。
352日曜8時の名無しさん:2013/08/31(土) 22:48:06.57 ID:vD2f5I15
新田義貞はショーケンがよかった。
方々、異存あるまいの?!
353日曜8時の名無しさん:2013/08/31(土) 22:57:21.72 ID:QpqRYPVx
>>352
勾当内侍を無理やり犯す義貞になりそうだなw
354日曜8時の名無しさん:2013/08/31(土) 23:06:56.58 ID:/c3g8fEN
>>350
放送当時は浅野和之全然知らかなったなぁ。
今こんなに売れっ子になってた人だとは
355日曜8時の名無しさん:2013/08/31(土) 23:27:02.62 ID:LZCDSc4/
師直や道誉が戦国時代に生まれてたら天下を穫っていたに違いない
356日曜8時の名無しさん:2013/08/31(土) 23:58:31.20 ID:5PS5tWPB
佐々木道誉は無理、高師直なら可能
師直は三河だからな
センゴクなど、どんな道筋を辿ろうと、最終的に三河武士と三河に繋がる武士が日本統治する形におさまる
357日曜8時の名無しさん:2013/09/01(日) 00:52:55.56 ID:L+xE7AoY
「弟を殺したあああああああああ!!!!!」


尊氏の気持ちはわかるけど、

御先祖様、源頼朝公を見習うてはいかがかな?
358日曜8時の名無しさん:2013/09/01(日) 01:15:25.95 ID:Nl2F71UY
直義の場合おっかさんも同じだしな。
小さいころから遊んでいたら思い入れも違うだろ。
359日曜8時の名無しさん:2013/09/01(日) 01:48:04.27 ID:RwxJwuEQ
■高師氏
・父は高重氏
・右衛門尉、法名心仏
・三河国額田郡菅生郷・比志賀郷(愛知県岡崎市)地頭
・永仁4年(1296)3月1日、他家に嫁していた娘の稲荷女房(法名心妙)に三河国額田郡比志賀郷を譲った(総持寺文書)
・正安3年(1301)2月15日に満性寺(愛知県岡崎市)に菅生郷の土地を寄進した

■高師重
・父は高師氏
・三河国額田郡菅生郷地頭
・暦応2年(1339年)に足利尊氏の命令で、三河国額田郡日志賀郷(愛知県岡崎市)に八幡社とともに深恩院總持寺(現在は広祥院)建立する

■高師兼(室町幕府最初の三河守護)
・五郎左衛門尉、尾張守、刑部大輔
・父は高師春、母は高師直の妹。高師直の猶子
・高師直より、藤原冬房領三河国碧海荘三木今一色の知行保持を命じられる(建武4年(1337)5月13日付高師直奉書)

■貞円
・父は高師重、高師直・高師泰の弟
・滝山寺(愛知県岡崎市)大勧進

■明阿
・父は高師泰、夫は高師冬(高師直養子)
・観応の擾乱で一族の大半が滅ぶと、その菩提を弔うため、三河国菅生郷(愛知県岡崎市)に総持寺を建立する、

■いち
・父は高師世(高師泰の息、明阿の姪)
・明阿が三河国菅生郷(愛知県岡崎市)に建立した総持寺の初代住持
360日曜8時の名無しさん:2013/09/01(日) 02:06:21.56 ID:RwxJwuEQ
高師氏
・父は高重氏
・右衛門尉、法名心仏
・三河国額田郡菅生郷・比志賀郷(愛知県岡崎市)地頭
・永仁4年(1296)3月1日、他家に嫁していた娘の稲荷女房(法名心妙)に三河国額田郡比志賀郷を譲った(総持寺文書)
・正安3年(1301)2月15日に満性寺(愛知県岡崎市)に菅生郷の土地を寄進した

■高師重
・父は高師氏
・三河国額田郡菅生郷地頭
・暦応2年(1339年)に足利尊氏の命令で、三河国額田郡日志賀郷(愛知県岡崎市)に八幡社とともに深恩院總持寺(現在は広祥院)建立する

■高師兼(室町幕府最初の三河守護)
・五郎左衛門尉、尾張守、刑部大輔
・父は高師春、母は高師直の妹。高師直の猶子
・高師直より、藤原冬房領三河国碧海荘三木今一色の知行保持を命じられる(建武4年(1337)5月13日付高師直奉書)

■貞円
・父は高師重、高師直・高師泰の弟
・滝山寺(愛知県岡崎市)大勧進

■明阿
・父は高師泰、夫は高師冬(高師直養子)
・観応の擾乱で一族の大半が滅ぶと、その菩提を弔うため、三河国菅生郷(愛知県岡崎市)に総持寺を建立する、
・三河国菅生郷(愛知県岡崎市)の旧領は、一旦足利将軍家領となり、将軍家より総持寺に寄進された

■いち
・父は高師世(高師泰の息、明阿の姪)
・明阿が三河国菅生郷(愛知県岡崎市)に建立した総持寺の初代住持




■足利義満
・1399年、三河国額田郡比志賀郷(高一族の旧領、愛知県岡崎市)を、深恩院(元は深恩院総持寺、現在は広称院)へ寄進した
361日曜8時の名無しさん:2013/09/01(日) 02:17:15.73 ID:yrTZiWhT
赤橋「太守!」
高時「赤橋」
赤橋「此度のこと、面目御座りませぬ。」
高時「面目無いなら何故参った?」
赤橋「何卒この守時に新田の防ぎをお命じ賜りたく。守時とて、北条一族の氏。この大事の時を、謹慎のみに甘んじて、ただ余所目に見てはおれませぬ。」
高時「戦に行きたいのか?」
赤橋「何卒、太守へのお詫び 且つは武士として身の面目の上からも。」
円喜「なりませぬぞ!赤橋は寝返り者じゃ。妹婿が北条家へ弓引くを見て見ぬ振りをした謀反の片割れじゃ。そのような者に兵を持たせて戦に出すなど言語道断でござりまする。」
高時「高時はそうは思わん。」
円喜「太守!」
高時「寝返り者なら態々儂に会いには来ぬ。のう赤橋。
よう尋ねてきた。互いに信じられぬ儘では何とも浅ましい。分けて高時は、人一倍の寂しがり。儂の陣に、赤橋の如き強者が一人増えたと思えば、心が少し賑やかになる。」
守時「太守!」
高時「行くがよい。共に鎌倉は祖先の地。御辺も儂も他に逃げて行く国は無い。鎌倉が、兵や馬で踏み躙る者あらば、戦致す他あるまい。行くがよい。」
赤橋「忝のうござりまする。」
高時「武運をのう。」
円喜「太守!」
貞顕「太守!」
高時「赤橋め、永の別れに参ったのじゃ。生きて帰らぬつもりぞ。」

鶴太郎高時の真骨頂。
362日曜8時の名無しさん:2013/09/01(日) 07:44:51.72 ID:WzwAXAsi
三河バカって、ただでさえウザい内容なのに、その上、二重投稿って何なの?
363日曜8時の名無しさん:2013/09/01(日) 15:45:55.08 ID:SZdESzSF
>>357
>御先祖様、源頼朝公を見習うてはいかがかな?

系図を見てごらん
364日曜8時の名無しさん:2013/09/01(日) 15:49:35.74 ID:MgaI6ITs
そういえば、NHKオンデマンドで太平記はスルーされているんだけど、なんか理由があるのかな?
もしかして、巫女のおっぱいシーンが問題なのかね?
365日曜8時の名無しさん:2013/09/01(日) 16:39:45.21 ID:RwxJwuEQ
高氏所領
・三河国額田郡菅生郷
・三河国額田郡比志賀郷
・三河国額田郡政所
・三河国額田郡矢作東宿
・三河国下村中山郷雑役免(進退分十家名)


■高師氏
・父は高重氏
・右衛門尉、法名心仏
・三河国額田郡菅生郷・比志賀郷(愛知県岡崎市)地頭
・永仁4年(1296)3月1日、他家に嫁していた娘の稲荷女房(法名心妙)に三河国額田郡比志賀郷を譲った(総持寺文書)
・正安3年(1301)2月15日に満性寺(愛知県岡崎市)に菅生郷の土地を寄進した

■高師重
・父は高師氏
・三河国額田郡菅生郷地頭
・暦応2年(1339)に足利尊氏の命令で、三河国額田郡比志賀郷(愛知県岡崎市)に八幡社とともに深恩院総持寺(現在は広祥院)建立する

■高師兼(室町幕府最初の三河守護)
・五郎左衛門尉、尾張守、刑部大輔
・父は高師春、母は高師直の妹。高師直の猶子
・高師直より、藤原冬房領三河国碧海荘三木今一色の知行保持を命じられる(建武4年(1337)5月13日付高師直奉書)

■貞円
・父は高師重、高師直・高師泰の弟
・滝山寺(愛知県岡崎市)大勧進

■明阿
・父は高師泰、夫は高師冬(高師直養子)
・観応の擾乱で一族の大半が滅ぶと、その菩提を弔うため、三河国菅生郷(愛知県岡崎市)に総持寺を建立する、
・三河国菅生郷(愛知県岡崎市)の旧領は、一旦足利将軍家領となり、将軍家より総持寺に寄進された

■いち
・父は高師世(高師泰の息、明阿の兄)
・明阿が三河国菅生郷(愛知県岡崎市)に建立した総持寺の初代住持




■足利義満
・1399年、高一族の旧領の三河国額田郡比志賀郷を深恩院(元は深恩院総持寺、現在は広称院)へ寄進した
366日曜8時の名無しさん:2013/09/01(日) 16:44:30.42 ID:RwxJwuEQ
■元弘の変(1331〜1333年)当時の後に室町幕府の支配層(三河武士団)■

【岡崎市】
・足利宗家、屋敷(大門屋敷)、近辺(八剣神社内)に足利尊氏の墓あり
・仁木氏(足利一族、幕府執事、守護職)、城(仁木城)
・細川氏(足利一族、管領家、守護職)、3つの城(細川御前田城、細川城山城、細川権水城)
・斯波氏(足利一族、管領家、奥州管領家)の屋敷(跡地に永源寺)
・上地氏(足利一族、細川氏分家)、城(上地城)
・上地氏(足利一族、仁木氏分家)
・高氏(足利被官、室町幕府執事、守護職)、高一族没落後、一族唯一の菩提寺(総持寺)が屋敷跡に建てられる
・上杉氏(足利被官、関東管領家、守護職 )、屋敷(日名屋敷)
・倉持氏(足利被官、奉公衆、屋敷(便寺屋敷)
・粟生氏(足利被官、奉公衆)、2つの城(秦梨城、秦梨城山城)と2つの屋敷(梅藪屋敷、西熊屋敷)

【豊田市】
・上野氏(足利一族、奉公衆)
・中条氏(足利被官、守護職、奉公衆)、城(金谷城)

【西尾市】
・西条吉良氏(足利一族、将軍御一家)、城(西条城)
・奥州吉良氏(足利一族、奥州管領家、関東公方御一家)、城(東条城)
・一色氏(足利一族、四職家、九州探題、守護職)
・今川氏(足利一族、将軍御一家、九州探題、守護職)、城(今川城)
・荒川氏(足利一族、戸賀崎氏分家、守護職)、城(戸ヶ崎城)
・饗庭氏(足利被官)、城(饗庭城)、饗庭氏直(花一揆総大将)

【豊橋市】
・石橋氏(足利一族、将軍御一家、守護職)

【新城市】
・設楽氏(足利被官)
・富永氏(足利被官)
367日曜8時の名無しさん:2013/09/02(月) 22:41:43.95 ID:/Fsjt9DU
薪割りを手伝うてくれぬか?
(空振り)テヘヘ・・・些か疲れたw

(茶碗を差し出す)先程、井戸から汲んできた水じゃ。美味いぞ。

そなた達、桃井刑部に怒鳴られて参ったの?

薪割り、大儀であった。メシでも食べて行くがよい。(後ろ姿)


男でも 惚れちゃうよねぇ
368日曜8時の名無しさん:2013/09/04(水) 22:11:11.67 ID:+lI+RaG7
>>367
誰の台詞?
369日曜8時の名無しさん:2013/09/04(水) 23:05:38.42 ID:uC5gQhpX
足利尊氏さんの台詞じゃないの?

うろ覚えだけど
直義派と戦って敗れたとき
敗将のくせに偉そうな態度をとり
直義派の将を、逆に恐れ入らせたらしいから
あの場面は、やり過ぎじゃないよね
370日曜8時の名無しさん:2013/09/04(水) 23:53:16.24 ID:QXq1ZYWS
あったね。
講和のため直義派が居並んだとこに上座にドカッと座って自分有利に講和を進める。
その場にいなかった桃井刑部が後でブチ切れ
371日曜8時の名無しさん:2013/09/05(木) 01:50:50.19 ID:TEXnZHQ6
桃井って評定にも出れないくらい末席のくせにえらそうだったのは何故?
372日曜8時の名無しさん:2013/09/05(木) 02:06:41.02 ID:IHh/ozR7
しょぉぐぅーんっ!!
373日曜8時の名無しさん:2013/09/05(木) 20:24:23.77 ID:w9bb75EJ
足利義教、大河やってくれ
374日曜8時の名無しさん:2013/09/05(木) 20:54:18.01 ID:HIAxkR9a
そこは赤松氏五代で
375日曜8時の名無しさん:2013/09/05(木) 21:36:33.88 ID:ZNQQApU2
NHKで尊氏インタビュー、相変わらずかっこいいな。
でもなんで紹介映像が大河じゃなくて高校教師なんだよw
376日曜8時の名無しさん:2013/09/05(木) 21:57:28.96 ID:SqrCedbN
「義詮ッ!!」
って声が聞こえてきそうなお姿であった。
377日曜8時の名無しさん:2013/09/05(木) 23:23:59.42 ID:WjkVw2HX
直冬を「佐殿」と呼んでいるのが印象的だった。

源平物だと「佐殿」は頼朝を指すのが定番だけど。
378日曜8時の名無しさん:2013/09/05(木) 23:27:33.61 ID:qEyu2+dx
直冬は大御所の子でござりまする、武士の子でござりまする!

た だ ふ ゆ っ !
379日曜8時の名無しさん:2013/09/06(金) 00:26:24.54 ID:NNQsLYxc
二代目将軍、義詮は、もっと評価されるべき。
380日曜8時の名無しさん:2013/09/06(金) 06:43:29.46 ID:4dfwhfJM
義詮低評価は佐藤進一先生の責任じゃないかと。
中公日本の歴史「南北朝の動乱」で義詮を糞みそに言ってるからw
歴史学者の犯罪?
381日曜8時の名無しさん:2013/09/06(金) 08:17:15.07 ID:2e8nWAq/
そういや尊氏以上の状況主義者なんて書いてるもんなぁ。
382日曜8時の名無しさん:2013/09/06(金) 11:03:08.65 ID:rG1bGbhT
>>380
この時代の政治史を研究している人って、どうしても直義ラブになってしまう感じがあると思う。
383日曜8時の名無しさん:2013/09/06(金) 13:08:42.97 ID:4dfwhfJM
たしか佐藤先生、義詮とその奥さんの渋川氏とを比較して、
奥さんは女丈夫で、これに対し義詮は「これと言って何もない」ぐらいに書いてたよねw

反対に義満は、逆賊のはずなのに(苦笑)、歴史学者の評価はよろしいようで、
今谷明、新田一郎各位なども好意的に評価してるご様子。
ただし、義満が好色で、後円融天皇が嫉妬に狂ったことはちゃんと触れている苦笑
384日曜8時の名無しさん:2013/09/06(金) 13:14:41.42 ID:4dfwhfJM
>>375
あれでなかなか多才な方なんで、影の軍団、超電子バイオマン、コウタローまかりとおる、
独眼竜政宗、高校教師、ラスト・サムライ、サロンパス
385日曜8時の名無しさん:2013/09/06(金) 13:30:45.17 ID:4dfwhfJM
佐藤先生、一方で師直や導誉のバサラぶりはお好きなようで、
新しい時代を切り開く原動力、みたいに書いてらっさる
386日曜8時の名無しさん:2013/09/06(金) 13:34:52.30 ID:zuA1o7Rd
決起したとき
足利19家とか言われてた(と思う)が

小さな分家が本家の手足となったから
(桃井、石塔、細川?)
開幕後は権勢を誇れたのかな

将軍の親戚は、実務につかない
実務仕事など家来筋の仕事
という考えかたもあったと聞くけど
387日曜8時の名無しさん:2013/09/06(金) 14:47:57.01 ID:gukWbAHz
南無八幡大菩薩
388日曜8時の名無しさん:2013/09/06(金) 16:14:20.05 ID:rG1bGbhT
>>383
義満に関しては、義満という人物自体が好きか嫌いかということよりも、
義満の時代というのが純粋に面白いからだろう。
389日曜8時の名無しさん:2013/09/06(金) 19:35:36.99 ID:NNQsLYxc
義満という立派な「タネ」を蒔いただけでも義詮は偉大じゃ
390日曜8時の名無しさん:2013/09/06(金) 20:05:07.71 ID:4dfwhfJM
義昭の種を播いた義晴の種を播いた義澄の種を播いた政知の種を播いた義教
の種を播いた義満の種を播いた義詮の種を播いただけでも尊氏は実に偉大じゃ!

義昭は尊氏の7代孫なのか…書いてみて初めて知ったw
391日曜8時の名無しさん:2013/09/06(金) 20:07:08.14 ID:4dfwhfJM
>>388
公家(特に天皇)の権力が急速(?)に武家=幕府側に奪われてゆく時代だからだろうね。
でも義詮を軽視してよいとは思えない。
392日曜8時の名無しさん:2013/09/06(金) 20:15:56.65 ID:4dfwhfJM
>>386
何を以て実務とするかだな。
徳川の将軍様でも全く政治にノータッチだったわけでもなく、
人材登用という最終的な権限は将軍が握っていた。
柳沢吉保、新井白石、田沼意次も将軍じきじきの大抜擢なしにあの出世は無かった。
だから将軍様は全くの無能は困りもので、人を見る目が求められた。これは藩主も同じ。

鎌倉幕府となると、特に初期の御家人はほとんど頼朝の個人的な抜擢と考えに左右され、
頼朝に仕えた御家人(公家も含む)の(末裔が主体の)政権という色彩が濃厚だった。

足利将軍は鎌倉・徳川の間に挟まれ、意外と将軍の権限が大きく、
義満・義持・義教時代は各位のキャラクターを無視して考えられないほど。
義尚は文武に秀で、義稙も意外と職務熱心だったとか。
393日曜8時の名無しさん:2013/09/06(金) 21:11:45.96 ID:rG1bGbhT
>>391
奪われていくというか、義満の時代はよくも悪くも公家政権と武家政権が一体化した時代だな。
その後、義持期になって朝廷と幕府の適度な距離感みたいなものが模索されるようになり、
その後の近世まで含めた公武関係のベースになるようなイメージ。

>>392
将軍への権力集中の激しい室町幕府の体制も、義詮期に基礎が作られている面はある。
394日曜8時の名無しさん:2013/09/06(金) 23:07:46.85 ID:u/uVPEai
最強将軍 義輝も忘れるな
義満 義教 義輝で
足利幕府の大河を
395日曜8時の名無しさん:2013/09/06(金) 23:23:30.82 ID:P8a6SUwI
義量、義政、義勝
「僕らを忘れないで!」
396日曜8時の名無しさん:2013/09/06(金) 23:33:10.29 ID:4dfwhfJM
義輝将軍と同じく北畠具教も塚原卜伝の剣術を伝授された説。
結論は

卜伝「軍勢に囲まれたら終わりだピョーン♪」
397日曜8時の名無しさん:2013/09/07(土) 06:07:34.27 ID:R8KDWHGc
>>395
義量は存在感皆無。
将軍としての発給文書とかもおそらくないし。
398日曜8時の名無しさん:2013/09/07(土) 06:19:53.28 ID:FCxOTRcY
どの時代もそうなんだろうけど政権末期は首長がコロコロ変わるから
十数代とか言っても実際の世代はその半分くらいだったりするよな
戦前も相当首すげ替ってたらしいしな
北条は何代だっけ?
時宗辺りから一気に加速したよな?
399日曜8時の名無しさん:2013/09/07(土) 07:17:31.82 ID:MYoK637B
北条高時(鶴ちゃん)が、世代としては9代目

北条守時が執権16代目

だったかな
400日曜8時の名無しさん:2013/09/07(土) 12:53:11.14 ID:FCxOTRcY
せっかく執権なったのにため息1つで終わった人もいたよな
太守とか義詮とか坊門とか無能呼ばわりされるけど
ドラマ中で一番無能なのは金沢さん一択だろう
なんかゴチャゴチャ言ってるけど何一つ実行できないし
401日曜8時の名無しさん:2013/09/07(土) 14:25:05.45 ID:R9TO1UHE
>>400
金沢貞顕のことかーーーー!アタック25の児玉清おじさん彡☆

執権が権力ふるえたかは社会情勢次第。
単純に無能と言うなら、今の日本に何もできないおまいも相当無能だろうてw
402日曜8時の名無しさん:2013/09/07(土) 14:33:06.73 ID:R9TO1UHE
>>398
誰が初代の執権かハッキリしないそうだが、時政を初代とすると、
1時政、2義時、3泰時、4経時、5時頼、(6-7略)、8時宗、9貞時、(10-13略)、14高時、15金沢貞顕、16赤橋守時

俗にいう北条九代とは、時政から高時の北条嫡系のことで、
1〜5と時宗・貞時・高時までに、泰時の子で時頼の父だった時氏を加えたもの。
時政、義時、泰時はわりに長命だったが、時頼以降の当主は短命な人が多かった。
403日曜8時の名無しさん:2013/09/07(土) 14:53:37.43 ID:fCrYyUXl
略された6と7が「北条時宗」ではけっこう大きく取り上げられてたね
404日曜8時の名無しさん:2013/09/07(土) 14:56:33.53 ID:R9TO1UHE
重時流も政村流も得宗家に次ぐ有力な一門だったからね。

あと北条宗家が短命になるのは時氏からだね。
この時代でも80歳まで生きた人もいるにはいるんだが、40歳で十分てぐらい。
405日曜8時の名無しさん:2013/09/07(土) 15:48:11.02 ID:R8KDWHGc
長生きといえば、重時の孫世代で幕府滅亡まで生きていた塩田国時って、何歳だったんだろう?
406日曜8時の名無しさん:2013/09/07(土) 16:55:03.42 ID:R9TO1UHE
長崎円喜も相当高齢だったろう。70歳以上か?
三浦義明も没時に89歳だったという。
竹崎季長も長命で、文永の役(1274)のころに30歳ぐらいで、1320年代まで生きたという。

不思議と長命な人が多かったのが千葉一族の東(とう)氏。
鎌倉〜室町時代にかけて60歳70歳以上の人がちらほら。
407日曜8時の名無しさん:2013/09/07(土) 17:36:48.54 ID:Ir9uaYa+
赤橋流当主も短命だな
守時は長生きしてたかもしれないけど
時氏以降の得宗といい原因は何なのかわからないが
408日曜8時の名無しさん:2013/09/07(土) 22:03:56.44 ID:R8KDWHGc
足利も頼氏・家時は短命。
409日曜8時の名無しさん:2013/09/07(土) 22:57:23.33 ID:RmoQb2I2
家時は自害やがな
410日曜8時の名無しさん:2013/09/07(土) 23:38:44.33 ID:R9TO1UHE
関東公方の足利基氏とその孫・足利満兼の短命も不思議な気はする。
基氏は義詮に先だって死んだし、満兼の弟たちは短命でもなかった。

関東公方家はそんな短命な人ばかりでもなかったので、黒い霧って気がしちゃうよな
411日曜8時の名無しさん:2013/09/08(日) 01:06:35.51 ID:nL1cBGGM
翻って、判官殿ってけっこう長生きしたんだな。

義満政権下では、相談役か何かだったんだろうな。
412日曜8時の名無しさん:2013/09/08(日) 01:41:33.35 ID:tchYE3yZ
まあ短命とかほとんどは毒殺だろうけどな
頼朝なんかも怪しいだろ
突然落馬して死んだとか
413日曜8時の名無しさん:2013/09/08(日) 09:54:43.82 ID:lr6i+q6m
>>412
篤姫の将軍様が「毒薬盛られまくりで体はボロボロじゃ」と言うのに
語彙ともども大変な違和感を覚えた記憶
414日曜8時の名無しさん:2013/09/08(日) 10:25:18.48 ID:CzwffQQM
>>410
関東公方で一番長命なのは、成氏じゃなかったかな?
あのくらい逆境にさらされると、しぶとく生きてやろうという意志が沸き上がってくるのかも。
415日曜8時の名無しさん:2013/09/09(月) 11:41:12.59 ID:aGRzOibk
長命っていったらこのドラマの尊氏さんが正宗でやった松平忠輝に尽きるだろう
彼が亡くなる一月前に時の将軍、徳川綱吉の長男・徳松も亡くなっており、
これが例の「生類憐れみの令」につながっていく
416日曜8時の名無しさん:2013/09/09(月) 18:45:49.60 ID:BPzLjEKt
初期徳川幕府に仕えた天海さんもエロい長命じいさんだったね。
推定と自称で100歳以上の超人で、出身は会津芦名氏といわれる。
417日曜8時の名無しさん:2013/09/09(月) 20:37:14.15 ID:nbZXxL89
大全にも書いてあるけど武田正成が何であそこまで後醍醐に従ったか分からん。
先も読める。家族や領民が大事。そんな人間があの失政に殉ずる理由が弱いよな。
418日曜8時の名無しさん:2013/09/09(月) 21:07:44.69 ID:rXqVbz9t
太平記に近い時代で究極的な長命というと、
北山准后貞子(後深草・亀山両天皇の外祖母)の1196年〜1302年(享年107)が強烈。
419日曜8時の名無しさん:2013/09/09(月) 22:22:20.86 ID:BPzLjEKt
>>417
そら我々は後醍醐が敗れ去るって知ってるから言える後知恵であって
当時の情勢がどう転ぶかは誰も分からなかったろ?
後醍醐系と北朝が交互に天皇になって今に至ってた可能性もゼロではない(後醍醐のせいであぼーん)

正成の子・正儀の代でも南朝に従ってたところから察するに、
楠木氏の勢力拠点の関係で南朝から容易に離反できなかったのではないかと。
後世美化された忠誠心の問題ではなかったろうと思うけど。
420日曜8時の名無しさん:2013/09/09(月) 22:48:31.38 ID:fqAnWAw9
紙幣発行は失政なのかどうなのか
421日曜8時の名無しさん:2013/09/09(月) 23:51:00.62 ID:BPzLjEKt
昔の紙幣は今のお札と違って、それで売買するもんじゃなく、国債みたいなもんだったから。
後醍醐政権が短期間で崩壊したんで、本当に発行されてたんなら踏み倒したんだろうねw

小説『私本太平記』では楮幣を大量にもらった導誉が散在するシーンがある。
筆者吉川英治はそれを冷笑的に描いている。
422日曜8時の名無しさん:2013/09/10(火) 08:34:15.01 ID:X4Cgavgw
>>419
建武の新政が大失敗だったのに、あのまま後醍醐方が勢力を維持できるわけないよ。
期待大が無惨な失敗に終わる、民主党政権みたいなもんだ。
423日曜8時の名無しさん:2013/09/10(火) 13:04:47.71 ID:kNhahbUa
一方で、1335年段階では尊氏も後醍醐を簡単には倒せなかったのも真実だ。

よく単純に「公武の対立」「公家と武家は水と油」「公家一統」と言ってしまうが、
後醍醐は義貞、正成、尊氏も重用してる。
武家社会の守護の地位は朝廷の国司より高い。
義貞、正成、尊氏が守護と国司に任じられてるのだから、一概に軽んじたとは言えない。

後醍醐も、単なる復古派でもなかったし、一概に公家偏重とも言い切れない面があり、
それなりに新時代に対処しようと考えていたのでは?(新儀、新政というのだから)
424日曜8時の名無しさん:2013/09/10(火) 13:48:07.78 ID:tG9xMdt3
北畠親房の子孫が足利家を主君とし、やがて戦国大名としてあの織田信雄を
養子として迎えながらその信雄と父信長によって滅ぼされたとは知らなかった
425日曜8時の名無しさん:2013/09/10(火) 13:55:47.28 ID:E9GArISC
伊勢国司
426日曜8時の名無しさん:2013/09/10(火) 14:50:46.07 ID:p3pSdgCM
このドラマは作品全体に一本の筋が通っていてすごいね
尊氏(又太郎)の最初の登場では、初めは木切れの話はどうでも良いシーンで、
そのあと義貞(小太郎)から言われたことこそが、尊氏の運命を変えた超重要シーンに見えたけど
実はそれは木切れの話の類型にすぎないんだね
427日曜8時の名無しさん:2013/09/10(火) 20:58:22.72 ID:7vB6zeIv
判官殿みたいな友をもった尊氏は幸せ者よ。
428日曜8時の名無しさん:2013/09/10(火) 21:36:58.17 ID:kNhahbUa
「この判官も考えぬではなかった」

師直たちに媚びる判官殿のヒールっぷりも最高!
429日曜8時の名無しさん:2013/09/11(水) 01:44:31.00 ID:tG+fwbxj
終始、尊氏に付き従った人物は、
妻の登子、一色右馬介、そして判官殿だけなのでは?
師直は怪しいしなw
430日曜8時の名無しさん:2013/09/11(水) 04:27:58.11 ID:ueCuL3yk
>>429
判官?あれは病じゃ寝返り病じゃ
431日曜8時の名無しさん:2013/09/11(水) 07:52:05.55 ID:S/Houyso
>>420-421
紙幣は素材そのものに価値がある金属貨幣と違って、元はただの紙切れだから、
発行者にある程度の社会的な信用がないと意味ないということだな。
まあ当時すでに民間で発行された為替手形なんかは出回っていたから、
着眼点としてはへ政権による紙幣発行もアリだとは思うけど。

>>423
後醍醐の政治姿勢が公家優遇でも単なる昔への回帰でもないのは、専門家レベルでは常識。
ただそれは新時代に対処したというより、後醍醐本人がやりたい放題の政治というべきで、
結果本来なら天皇の手足となるべき公家の支持も大部分を失ってしまったことが大きい。
432日曜8時の名無しさん:2013/09/11(水) 12:53:12.64 ID:8Asumiv+
結局…天皇が何で天皇(になれる)か?って問えば「天皇の子孫だから」としか言えない。これ以上は触れない。

その天皇家を取り巻くのが公家なわけで、公家もまた世襲で権力を握る、
すなわち家業が摂政関白だったり大納言だっただけとも。

帝王は世襲だが官僚は試験でも登用というと旧中国だが、貴族制は最後まで存続した。
科挙なんて制度は世界的にはむしろ稀有だったわけで。
試験で高級官僚を選ぶ制度なんてヨーロッパでも近代まで待たねばならなかった。
もっとも、後醍醐が科挙まで考えてたかは疑問だけど。

平安の習いでは国司は中級ぐらいの公家の職で、北畠父子が陸奥現地赴任に不満だったのも自然。
武士も公家も保守的なのが普通だった社会で、帝王専権をやったら反発が起こるに決まってる。

公武一統が完全に後醍醐の理想どおり実現してたら、やっぱ公家と武家がぐちゃぐちゃになったのかな?
433日曜8時の名無しさん:2013/09/11(水) 17:18:49.06 ID:O3FGVJ5m
北畠もそんなに不満だったのなら、源氏長者なんだし自分で幕府を開けばよかった
434日曜8時の名無しさん:2013/09/11(水) 17:44:21.79 ID:S/Houyso
>>432
日本の朝廷も、文章博士とか学者系の公家の子弟を対象に試験による登用をやってはいる。
ただ7〜8歳の子供が普通に受かったりしていて、平安の半ば頃には完全に形骸化しているが。
435日曜8時の名無しさん:2013/09/11(水) 19:08:43.58 ID:8Asumiv+
>>433
学者も世襲になっちゃったからね。
源氏物語「帚木」で触れられる学者一家の婿の話はそれ。

土田直鎮大先生によると、学者の試験は一応まじめにやってはいたそうで、
それで代々学者を輩出する家が続いたのも事実だから、
まんざらなやり方でもなかったと言えるだろう。
たとえ10歳に満たぬハナタレ小僧でも、この時代じゃ、どうせ学問できるできないは分かれちゃってたろうし、
試験は入口に過ぎず、その後もみっちり研鑽すれば十分使い物になったんだろう。

個人的に、この手の世襲は「最低限の確保」のため、自然とそうなったんじゃないかと思う。
今の保守政治家(一部左派系)の世襲よりマシだったかもw

光源氏の息子夕霧も学者として官界人生を始めるが(このせいか夕霧はいささかツマラン人物にも描かれる)
土田先生にいわせると「作り話だから順調に進んでるだけ」だそうで苦笑
436日曜8時の名無しさん:2013/09/11(水) 19:25:14.04 ID:8Asumiv+
>>433
親房に幕府志向は無かったと思う。あくまで個人的にだが。

朝廷にとっては北条氏でも「位四品のあひだを越えず」(太平記1巻)、
つまり相模などの国司を務めるせいぜい四位止まりの中級官に過ぎず、
実質的には幕府にぺこぺこしてたくせに、プライドは高かった(江戸時代の公家にも通じるね)

一方で、藤原氏でも傍流に過ぎない藤原定家の子孫、京極為兼でさえ正二位権大納言。
尊氏でも生前は正二位で、死んでから従一位だから、どんだけ位階が意味を持ってたのかと。

親房は中央官界での栄達が願いだったろう。思想的には平凡な人物だと思う。
まさか田舎で後半生を送るとは妄想だにしなかったろうからねw
437日曜8時の名無しさん:2013/09/11(水) 20:04:30.28 ID:k6jy9Q8v
それで愚痴っぽいをだな
438日曜8時の名無しさん:2013/09/11(水) 21:09:50.08 ID:S/Houyso
>>436
でも建武政権下での親房の発案による陸奥将軍府と、それに対抗する形での鎌倉将軍府は、
いずれも親王をトップに戴いた地域政権という点では、
前代の東国政権=鎌倉幕府をモデルにした小幕府といえなくもない。
439日曜8時の名無しさん:2013/09/11(水) 21:24:49.95 ID:8Asumiv+
>>438
その後醍醐の構想が公家たちに受け入れられたか、だと思うんだよね。
陸奥国司、鎮守府将軍なんて武家なら食いつきそうな役職だと思うんだが、
武家をいまいち信用しきれない…結局は後醍醐も公家の一員でしかなかったということか?

ただ、顕家は職務熱心だったみたいだし、平泉保護にもチカラ入れてたようだし、
公家には無類の強さを誇ったから、まさに理想の人物だったかも知れないね(ー人ー)
440日曜8時の名無しさん:2013/09/11(水) 23:02:21.08 ID:TfY/bogw
後醍醐天皇は
朝廷の復権を願っていたようだけど

自分が帝王として君臨し、専制政治をする
地方分権なんかとんでもない
自分の血統が帝位(皇位)を独占する
交代で皇位につくなどとんでもない

という考え方だったんじゃないの?

仮に、親王を頭に奉じても
地域拠点など置きたくなさそう
441日曜8時の名無しさん:2013/09/11(水) 23:11:00.63 ID:8Asumiv+
建武政権が短期崩壊した上に、鎌倉期も業績を出せなかったっぽいので
(鎌倉幕府の崩壊≒朝廷への不満もあったと解釈できるかも)、
後醍醐の構想・目的でハッキリしてるのは皇統の独占だけじゃないか?って気もする。

まあ後醍醐が理想を持っていたことは続後拾遺和歌集の彼の歌でも察せられるから、
言い過ぎだと自分で訂正しますが。
442日曜8時の名無しさん:2013/09/11(水) 23:22:30.31 ID:tG+fwbxj
>>370
我等は勝ったのじゃ!

この取り決めは、まるで逆さじゃ!!

えぇぇい!わしがおらねばこのザマよ

かかる取り決めは承服し難し
ご辺ら!直ちに大御所のもとに走り、これは白紙に戻すと、申し上げて参られい!!
443日曜8時の名無しさん:2013/09/11(水) 23:58:50.13 ID:+TVFP++g
>>441
史実はともかくとしてこのドラマでなら、尊氏と妥協すれば皇統独占の望みはあっさり叶ったのではないかとw
444日曜8時の名無しさん:2013/09/12(木) 00:42:16.58 ID:PH+svjP4
大塔宮が不憫でならんな。
帝が、我が子に嫉妬したか?
445日曜8時の名無しさん:2013/09/12(木) 00:53:01.07 ID:ujB/ulOu
>>444
義経と同じだったろうよ。
いくら血縁者とはいえ、あまりに好き勝手やったら誰だって怒るでしょう?
まあ後醍醐の討幕運動があまりにずさんな体系しか持ってなかったゆえの悲劇だろう。
446日曜8時の名無しさん:2013/09/12(木) 00:56:19.18 ID:ujB/ulOu
>>443
いや〜持明院統側を無視はできなかったでそ。
単に皇統問題だけじゃなく、公家全体に関わってくるわけで。
迭立が続くか、どこかで一元化されたか。
結果的に後醍醐は南朝を葬り去る歴史の機関車の役割を果たしたが。本人の意に反して。
447日曜8時の名無しさん:2013/09/12(木) 07:20:39.60 ID:G1LuSfP+
>>445
弟(しかも腹違い)と実子じゃ全然違うだろw
まぁ廉子だろうね
寵姫によって抹殺された王子なんて中国史だと山のように居るし
448日曜8時の名無しさん:2013/09/12(木) 07:56:42.25 ID:wDxXB/Xx
>>439
陸奥将軍府と鎌倉将軍府の並立、顕家=陸奥守と尊氏=鎮守府将軍の並立なんかを見ると、
つまるところ大塔宮派と足利派の両者に潰し合いをさせて、
どちらにもあまり大きな力を持たせないってことに力点が置かれている気がする。
449日曜8時の名無しさん:2013/09/12(木) 11:50:03.12 ID:uQ++GtnG
ポスト大塔宮でかませ犬として新田が浮上
450日曜8時の名無しさん:2013/09/12(木) 13:03:26.11 ID:ujB/ulOu
>>447
実子ったって30人以上お子ちゃまがいらした後醍醐さんなんでなあw
廉子は傾国に擬せられてるんだろうね
451日曜8時の名無しさん:2013/09/12(木) 13:11:29.63 ID:ujB/ulOu
>>448
しかし顕家の諸業績を見るに、顕家のは通常の国司以上の権限を持たされてた気もする。
守護みたいなものだったのだろうか?

鎌倉将軍府に関しても、成良の鎌倉滞在が短かったから解明できない点が多いと思う。
武蔵の守護・国司だった尊氏が在京だったり、義貞も京に移るわで、実効性も謎だ。

陸奥将軍府、鎌倉将軍府は当時そう書かれたのか?慣用的呼称?
452日曜8時の名無しさん:2013/09/12(木) 15:06:50.56 ID:s9lNNhpg
453日曜8時の名無しさん:2013/09/12(木) 19:49:11.16 ID:wDxXB/Xx
>>451
顕家は陸奥の国司と知行国主と実際の国務をすべて合わせたような立場かな。

鎌倉将軍府・陸奥将軍府については、一次史料にそういう呼称があるのかどうかは知らないが、
後の征西将軍府に関しては、懐良親王は明らかに「大将軍宮」などと呼ばれている。

で、これらの「〜将軍府」は、おそらく武家政権における探題に類似したものだと思う。
陸奥だと守護はいないが、一般に探題は守護よりも上位かつ広範囲における指揮・統率権を持つ。
454日曜8時の名無しさん:2013/09/12(木) 20:51:35.86 ID:NryqvrZe
ゴクミの学芸会、懐かしい
455日曜8時の名無しさん:2013/09/12(木) 21:26:05.18 ID:WE5rW4+A
赤井の大根ぶりもな
456日曜8時の名無しさん:2013/09/12(木) 21:54:55.69 ID:PH+svjP4
ガタイのいい赤井は、鎧姿とか格好よかったよ。
それに、雰囲気がいかにも河内の豪族って感じで、ハマってた。
457日曜8時の名無しさん:2013/09/12(木) 22:42:50.83 ID:wDxXB/Xx
>>454
ゴクミの学芸会なら『独眼竜政宗』のほうが・・・。
458日曜8時の名無しさん:2013/09/12(木) 23:04:47.96 ID:3U1mnH7G
>>457
今オンデマンドで見ているところですが可愛かったですね。
桜田淳子に代わった時は愛姫劣化とか思いましたが、
何話か観進めていくうちに、桜田さんも可愛らしく見えてきました。
ちなみに私は太平記が初大河だったので正宗は初見です。

早く太平記もオンデマンドで見直したいです。
459日曜8時の名無しさん:2013/09/12(木) 23:12:19.28 ID:ujB/ulOu
まさすえたん「兄上〜日野殿は何度もこの水分(みくまり)においでになり」
まさすえたん「敵が城を作り直してくれたぞ〜ありがたいの〜」
まさすえたん「全てはミカドのご新政のため〜」

まさしげくん「まさすえ〜あの世で会お〜〜〜」
460日曜8時の名無しさん:2013/09/13(金) 01:54:29.70 ID:yQL4ovP1
師直「正行殿。本当の戦とは如何なるものか、後でとくと、ご覧ぜよ」
461日曜8時の名無しさん:2013/09/13(金) 12:04:55.32 ID:aa/fNK/i
尊氏「柿食えば…」
師直「(山上)憶良の歌ですな」

さりげなく教養を披露しちゃう師直さんカッケーす!
脚本家の博識にも感心します
462日曜8時の名無しさん:2013/09/13(金) 20:09:18.78 ID:e+iTyeJi
鐘がなるなり法隆寺?
463日曜8時の名無しさん:2013/09/13(金) 21:38:44.19 ID:aa/fNK/i
>>462
ドナルド・キーンによると、正岡子規のほぼ唯一現在も語り継がれるその句は奈良興福寺で読まれたとか。
写生を推奨した人の現実として興味深い。
464日曜8時の名無しさん:2013/09/13(金) 23:10:34.94 ID:3tVH6mhz
護良親王の役の人よかったね。その後あんまり代表作なくて見なくなっちゃったけど。
465日曜8時の名無しさん:2013/09/14(土) 01:03:37.39 ID:mPhedVpR
瓜食めば
466日曜8時の名無しさん:2013/09/14(土) 02:23:43.61 ID:POADBh43
なんてったって、このドラマの最大の見所は、高嶋アニキの熱演でしょうに!
467日曜8時の名無しさん:2013/09/14(土) 07:49:44.70 ID:IsVtc87u
このドラマに出ていたのは高嶋弟のほうだよ。
468日曜8時の名無しさん:2013/09/14(土) 10:24:42.37 ID:7+QfLFfe
この頃の高島三男は熱い男が似合うな
その後飄々とした好青年系の役にシフトしたけど、今では変人役が増えている
今なら意外と判官役も似合いそうw
469日曜8時の名無しさん:2013/09/14(土) 17:33:31.56 ID:IsVtc87u
世間一般には次男だと思われているけど実は三男か。

史実の直義もそうだが。
470日曜8時の名無しさん:2013/09/14(土) 17:52:37.89 ID:jRhcTN+M
ともに長兄が早世したことでな…。
まあ足利長男は高嶋長男よりは長生きしたようだが。
471日曜8時の名無しさん:2013/09/14(土) 18:01:44.17 ID:U5UDmIz0
基氏出てたっけ
472日曜8時の名無しさん:2013/09/14(土) 18:06:20.58 ID:POADBh43
光王
473日曜8時の名無しさん:2013/09/14(土) 18:40:07.36 ID:9DxJMPex
基氏ちゃんと蹴鞠やってませんでしたっけ。
「鞠はかう蹴るのぢや。ありや〜はい!」とかいいながら、
最後は尊氏の蹴った鞠があらぬ方向に飛んでいったと記憶しています。
小学生の頃見たきりなので不正確ですが。
474日曜8時の名無しさん:2013/09/14(土) 19:13:43.80 ID:bZpqVrk2
基氏って「お通じ」に似てるよね何となく
475日曜8時の名無しさん:2013/09/14(土) 19:26:57.95 ID:fPG3Sczg
高氏の兄貴って結局どこでどうなった?
結構、長生きしたらしいってことだけは知っているけど
何故、足利家の嫡男にならんかった?
476日曜8時の名無しさん:2013/09/14(土) 20:35:20.15 ID:n/C5f0L6
氏んだから
477日曜8時の名無しさん:2013/09/14(土) 21:34:13.11 ID:IltNNJ5w
兄貴は家督を相続していたらしいが
パパより先に死んじゃったから、パパが死ぬまでパパがリーダーだった
兄貴の方が北条の血を引いてるから本来の後継者なんだろうけどね
このドラマに兄貴出してたら、高氏の少年期の描き方がこのドラマと違っちゃうよね
実は高氏はリリーフだったわけだし
478日曜8時の名無しさん:2013/09/14(土) 21:49:23.31 ID:jRhcTN+M
直義の初名が高国だったことも端折られてるな。
479日曜8時の名無しさん:2013/09/14(土) 21:53:55.02 ID:bZpqVrk2
少年期は1話っきりなんでどうかと。
尊氏と直義は同母なんで、それに師直(?)がお付にさせられてたとでも考えれば。

しかし歴史の運命とは面白いものだと思う。
480日曜8時の名無しさん:2013/09/15(日) 07:06:31.33 ID:UzwfMFxX
直義の直は誰かからの偏諱なの?
481日曜8時の名無しさん:2013/09/15(日) 08:58:05.79 ID:PWHgr79p
長男の生母は鎌倉幕府滅亡後、どうしたのかねぇ
尊氏達に京都に連れて行ってもらったようではないし、
兄・金沢貞顕と一緒に死んだわけでもないだろうし
482日曜8時の名無しさん:2013/09/15(日) 10:03:25.91 ID:fn2S7TyL
長男の生母の行方も興味あるわ
高氏は側室で長男・高義は正室の子
高義の子は2人いて安芸守は奥州で戦死
源淋はどうなったか不明
鎌倉幕府滅亡の時の安芸守は子供?直冬の同年代か?
483日曜8時の名無しさん:2013/09/15(日) 10:45:38.29 ID:R9oacYYP
直冬とかもいつ死んだかわからないし、名のある武将が死んでも記録に残らないのかな。
484日曜8時の名無しさん:2013/09/15(日) 13:05:16.86 ID:moHY82U6
>>482
貞氏と同じように鎌倉幕府滅亡前に死亡ていうのが考えられるんじゃないの
485日曜8時の名無しさん:2013/09/15(日) 13:52:30.37 ID:RLn0UijV
直冬とは一体何だったのか?
長州、九州の皆もいい迷惑だったろうな。
486日曜8時の名無しさん:2013/09/15(日) 14:31:53.61 ID:7l7G6UCp
>>480
師直かも知れないねw

あの頃は桃井直常とか畠山直宗(いずれもナオ)がいたけど、
こりゃ本当に高師直の偏諱かね?
師直の地位がそこまで高いものだったかは疑わしいから…
直義ともども特に偏諱でもなく適当に考えたものかも
(北条貞時は将軍の偏諱でなく北条家が考えたもの、と大河『北条時宗』はしてた)
487日曜8時の名無しさん:2013/09/15(日) 14:37:20.79 ID:7l7G6UCp
>>483
直冬の政治人生が、尊氏との京都争奪戦に敗れ、石見あたりに逃亡した時点で終わっちゃってるからね。
どうやって生きていたのだろう?山名にも見捨てられて…と思ってしまう

>>485
そりゃさすがに酷な言い方だろう。
直冬は養父直義の支持派の勢力基盤を継いだだけで、
むしろ少弐などが直冬を支持(利用)したというのが本質だろう。
488日曜8時の名無しさん:2013/09/15(日) 17:59:29.64 ID:moHY82U6
少弐にしてみれば南朝以上に九州探題が目の上のたんこぶだった
489日曜8時の名無しさん:2013/09/15(日) 18:08:57.53 ID:cqfN49ee
>>478
最近知ったんだけど直義の初名は高国だったんだよな

一話では尊氏元服前なのに既に直義て呼ばれてて違和感感じたけど
幼名は伝わってないのかな?
490日曜8時の名無しさん:2013/09/15(日) 19:06:00.86 ID:hBRyAuM5
高国の高が高時の高としたら
直義改名は高時滅亡後かな?
491日曜8時の名無しさん:2013/09/15(日) 20:52:14.81 ID:PWHgr79p
当時の将軍北條高時w
弟の養子になった自分の息子も殺すこともできたw
http://www.jmca.jp/column/watanabe/16.html
よくも恥ずかしくもなくこんな文章かけるな
492日曜8時の名無しさん:2013/09/15(日) 21:05:47.27 ID:Ef+uezQK
「織田家は代々信の字を受け継ぐのが伝統」
って織田信成の爺さんが言ってたらしいが
ちゃんと元服の儀をやってるんだろうな
まあ言ってる本人が信付いてないみたいだけど
493日曜8時の名無しさん:2013/09/15(日) 21:44:48.19 ID:7l7G6UCp
>>492
織田郷広などもいたんだから、どの織田の家か限定してもらわんとw
信長のひいじいさんだかも久長といったらしいし
494日曜8時の名無しさん:2013/09/15(日) 21:47:12.63 ID:7l7G6UCp
>>491
右翼が尊氏を好意的に評してる点は興味深い。
しかし朝廷への反逆は、建武年間に後醍醐に反した時と、
鎌倉討幕の時に光厳朝廷に敵対したと言えることぐらいではないか?
495日曜8時の名無しさん:2013/09/15(日) 21:50:11.14 ID:7l7G6UCp
>>489
尊氏が妾腹の長男てことで又太郎だから又二郎とかじゃね?
496日曜8時の名無しさん:2013/09/16(月) 00:30:19.50 ID:4n5WwcDY
>「織田家は



おいこら、お前は名古屋猿か?
部外者の名古屋猿は出入り禁止と言ったよな、出て行け
織田とかなんだよ、太平記が穢れるだろが
497日曜8時の名無しさん:2013/09/16(月) 09:46:39.13 ID:QULDziSY
ここは尾張人と三河人の
下品な罵り合いや
自己満情報を必死に垂れ流すスレじゃないぞ


京都人・坂東人>>>>>超えられない品格>>>>>尾張人・三河人
498日曜8時の名無しさん:2013/09/16(月) 10:21:33.56 ID:v29Q7IQm
>坂東人

冗談はヨセ、三河崇拝が甚だしい万年パシリだろw


世田谷城

世田谷城は、吉良氏によって築かれた平山城。世田谷に本拠を置いた奥州吉良氏が代々居を構えた。
歴史・沿革

貞治5年(1366年)、吉良治家が世田谷郷を与えられる。
応永年間(1394年-1426年)頃、居館として整備されたと考えられている。
吉良成高の頃、城郭として修築されたものと考えられている。
天正18年(1590年)、吉良氏朝の代に小田原の役により豊臣氏勢に接収されたが、同戦役後廃止された。江戸城改修に石材を利用したという。


また、太田道灌が文明12年(1480)に山内上杉氏の家臣高瀬民部少輔に提出した書状「太田道灌状」によれば、道灌は成高を「吉良殿様」と敬称をもって呼び、
「吉良殿様は江戸城に御籠城になって、御命令になっていたので、城下の軍勢はそれに従って数ケ度合戦を致して遂に勝利を得た」と武将成高への感謝を記しています。

鎌倉鶴岡八幡宮の供僧だった相承院の快元の記録した「快元僧都記」によれば、快元は吉良頼康を「吉良殿様」「蒔田御所」と敬称を使用、北条氏綱に対しては「氏綱」と呼び捨てにしています。
当時の関東では「足利氏一家衆」という吉良氏の存在が小田原北条氏以上に尊敬を受けていたものと思われます。


>吉良殿様
>御籠城
>御命令


力抜けよw万年パシリのトンキン猿w
499日曜8時の名無しさん:2013/09/16(月) 10:23:56.89 ID:v29Q7IQm
■有史以来、武蔵国にあった御所号は全3ヶ所

平安時代
・吉見御所(埼玉県吉見町)
源範頼(三河守)の息子、源範円(正法寺(三河国宝飯郡)僧侶)が移り住む
範円の息子(為頼)から吉見氏と名乗る
現在も、吉見姓は愛知県蒲郡市(源範頼の本拠)が日本一多い

室町時代
・世田谷御所(東京都世田谷区)
長瀬四郎(三河国碧海郡長瀬)を祖する奥州吉良氏、三河国生まれ吉良治家(初代奥州管領、吉良貞家の息)が移り住む

戦国時代
・蒔田御所(横浜市南区)
長瀬四郎(三河国碧海郡長瀬)を祖とする奥州吉良氏、吉良頼康が移り住む

■家康入城前の江戸城主は富永直勝

三河国設楽郡富永保を本貫とする三河富永氏
家紋は木瓜に足利二つ引両(太平記、多々良浜の戦いの功労により、家紋に足利二つ引両を与えられる)
先祖は源頼義の家来、鶴岡八幡宮社職家の三河伴氏の平松氏、源義家の郎党No.2 三河伴氏の伴助兼



万年パシリのカントン猿w
500日曜8時の名無しさん:2013/09/16(月) 10:26:07.14 ID:v29Q7IQm
■日光山
源頼朝がその母方の三河の藤姓熱田大宮司家(愛知県岡崎市)の出身者を別当に据えて以来、鎌倉幕府、関東公方、後北条氏の歴代を通じて東国の宗教的権威の一中心であり続けた


源頼朝
・藤原実範(三河国司)→藤原季兼(三河四郎)→藤原季範(額田冠者、初代藤姓熱田大宮司)→娘(由良御前)→源頼朝


母方の三河の藤姓熱田大宮司家の出身者(源頼朝の従兄弟)
寛伝(寛典・観纒とも、額田僧都、式部僧都と称された、日光山満願寺19世座主)
・藤原実範(三河国司)→藤原季兼(三河四郎)→藤原季範(額田冠者、初代藤姓熱田大宮司)→藤原範忠→寛伝


年表
・1142年、生まれる
・叔父の三河法橋裕範(源頼朝の母の弟)、粟田口法眼長暹(源頼朝の母の弟)を頼って滝山寺(愛知県岡崎市)で仏門に入る
・仁和寺で修行
・1182年、源頼朝の推挙により日光山満願寺19世座主になる
・宗徒と面会する際、御簾を半分にしか上げず紛紜、2ヶ月で三河国(愛知県岡崎市)に戻る
・菩提寺の滝山寺(愛知県岡崎市)僧侶になり、66郷を領し精舎一区を創建する
・鑁阿寺奥院の法界寺に、宋版の一切経を納める(後に一切経は、足利義氏により鑁阿寺に)
・高野山御影堂に大鐘を施入する
・1201年、頼朝公の3回忌、滝山寺内に惣持禅院を創建し、本尊として頼朝公の御歯と御髪を納めた聖観音菩薩を安置する
・惣持禅院に供僧10人を常置し10町の土地を寄進する
・1205年、死去する



三河崇拝が甚だしいw
501日曜8時の名無しさん:2013/09/16(月) 10:36:33.01 ID:1/MQTXzL
>>473
そういえば今川了俊が『難太平記』のなかで、
基氏の名前が了俊の祖父今川基氏と同名なのを家の誉れみたいに書いていたな。

>>477
高義の母親(貞氏の正室)は、北条の血筋だけど安達泰盛の外孫でもあるから、
高義が足利の棟梁になったところで立場的には結構微妙だと思う。
502日曜8時の名無しさん:2013/09/16(月) 10:41:26.08 ID:1/MQTXzL
>>486
桃井直常や畠山直宗のような直義派の武将の「直」は、
直義からの編諱で「ただ」と読むと考えるのが自然だろう。

特に桃井直常に関しては、名前を「忠常」と誤記している史料もあるから、
読みが「ただつね」であることはまず間違いない。
503日曜8時の名無しさん:2013/09/16(月) 11:21:16.60 ID:hzddOlyq
フランキー堺って若い頃は随分恰幅良かったんだな
「アメリカでは」の動画にちょこまか出てくる
504日曜8時の名無しさん:2013/09/16(月) 11:22:56.80 ID:pnMdvYUQ
台風で大変ですが、ニュースで飛び出た、松平、足助という語彙にドキドキしちゃいました。

棟のドキドキ止まらないYO!
505日曜8時の名無しさん:2013/09/16(月) 11:33:29.81 ID:pnMdvYUQ
>>502
桃井直常の年齢は知らんが、けっこうな歳になってからの偏諱だったのだろうか?
506日曜8時の名無しさん:2013/09/16(月) 12:11:45.75 ID:v29Q7IQm
>京都人・坂東人>>>>>超えられない品格>>>>>尾張人(先祖代々百姓)・三河人

根拠不明だが、部落民・共産党員のナマポ受給スキルか?


平成22年度生活保護率(主要自治体)

5.30% 大阪市 141,026人

4.33% 函館市 12,187人

3.74% 東大阪市 18,892人、3.63% 旭川市 12,690人、3.37% 尼崎市 15,604人、3.31% 高知市 11,380人、3.28% 札幌市 62,531人

2.94% 京都市 43,118人、2.88% 神戸市 44,225人、2.74% 堺市 22,960人、2.65% 長崎市 11,762人、2.64% 青森市 7,962人、2.46% 福岡市 35,761人
2.26% 鹿児島市 13,700人、2.09% 北九州市 20,559人、2.06% 松山市 10,646人、2.04% 和歌山市 7,547人、2.03% 川崎市 28,571人、2.02% 広島市 23,633人

1.93% 奈良市 7,044人、1.75% 名古屋市 39,501人、1.75% 熊本市 12,792人、1.75% 宮崎市 6,970人、1.65% 横浜市 60,488人、1.62% 大分市 7,618人
1.62% 久留米市 4,914人、1.60% 千葉市 15,315人、1.59% 岡山市 11,195人、1.55% 福山市 7,162人、1.53% 盛岡市 4,571人、1.53% 下関市 4,313人
1.53% 秋田市 4,975人、1.52% 高松市 6,355人、1.44% 仙台市 14,883人、1.40% 船橋市 8,389人、1.39% 宇都宮市 7,065人、1.38% 西宮市 6,646人
1.36% 相模原市 9,710人、1.34% 倉敷市 6,355人、1.33% 高槻市 4,705人、1.28% 岐阜市 5,247人、1.28% いわき市 4,406人、1.24% 姫路市 6,641人
1.24% さいたま市 14,977人、1.19% 新潟市 9,641人、1.10% 川越市 3,739人、1.09% 大津市 3,633人、1.08% 横須賀市 4,519人、

0.96% 前橋市 3,241人
0.94% 静岡市 6,713人
0.89% 郡山市 3,029人
0.79% 柏市 3,152人
0.77% 浜松市 6,276人
0.75% 金沢市 3,436人
0.63% 長野市 2,408人
0.60% 豊橋市 2,278人 ←三河国
0.54% 豊田市 2,287人 ←三河国
0.46% 岡崎市 1,734人 ←三河国  
507日曜8時の名無しさん:2013/09/16(月) 12:35:01.69 ID:v29Q7IQm
訂正


×部落民・共産党員のナマポ受給スキルか?

○部落民・南トンスル人・共産党員・池田大作教徒のナマポ受給スキルか?
508日曜8時の名無しさん:2013/09/16(月) 14:57:32.46 ID:YX/7io6E
>ID:v29Q7IQm
在日火病の典型だな
はよ半島の精神病院で治療してもらいなさい
509日曜8時の名無しさん:2013/09/16(月) 15:10:26.78 ID:v29Q7IQm
>>506

0.60% 豊橋市 2,278人 ←三河国
0.54% 豊田市 2,287人 ←三河国
0.46% 岡崎市 1,734人 ←三河国  


関連事項

■元弘の変(1331〜1333年)当時の後に室町幕府の支配層(三河武士団)■

【岡崎市】
・足利宗家、屋敷(大門屋敷)、近辺(八剣神社内)に足利尊氏の墓あり
・仁木氏(足利一族、幕府執事、守護職)、城(仁木城)
・細川氏(足利一族、管領家、守護職)、3つの城(細川御前田城、細川城山城、細川権水城)
・斯波氏(足利一族、管領家、奥州管領家)の屋敷(跡地に永源寺)
・上地氏(足利一族、細川氏分家)、城(上地城)
・上地氏(足利一族、仁木氏分家)
・高氏(足利被官、室町幕府執事、守護職)、高一族没落後、一族唯一の菩提寺(総持寺)が屋敷跡に建てられる
・上杉氏(足利被官、関東管領家、守護職 )、屋敷(日名屋敷)
・倉持氏(足利被官、奉公衆、屋敷(便寺屋敷)
・粟生氏(足利被官)、2つの城(秦梨城、秦梨城山城)と2つの屋敷(梅藪屋敷、西熊屋敷)

【豊田市】
・上野氏(足利一族、奉公衆)
・中条氏(足利被官、守護職、奉公衆)、城(金谷城)

【西尾市】
・西条吉良氏(足利一族、将軍御一家)、城(西条城)
・奥州吉良氏(足利一族、奥州管領家、関東公方御一家)、城(東条城)
・一色氏(足利一族、四職家、九州探題、守護職)
・今川氏(足利一族、将軍御一家、九州探題、守護職)、城(今川城)
・荒川氏(足利一族、戸賀崎氏分家、守護職、奉公衆)、城(戸ヶ崎城)
・饗庭氏(足利被官、奉公衆)、城(饗庭城)、饗庭氏直(花一揆総大将)

【豊橋市・新城市】
・石橋氏(足利一族、将軍御一家、守護職)
・設楽氏(足利被官、奉公衆)
・富永氏(足利被官、奉公衆)
510日曜8時の名無しさん:2013/09/16(月) 22:40:55.35 ID:o14fR6cZ
都が大変じゃ。
大御所が建てられし天龍寺は大事ないか?!
511日曜8時の名無しさん:2013/09/17(火) 12:33:22.64 ID:prKR2f1Y
>京都人・坂東人>>>>>超えられない品格>>>>>尾張人(先祖代々百姓)・三河人

根拠不明だが、総務省から出向を受け入れたどす、地方交付金くれどすの土下座スキルか?w
もえるものはもろうときどすってか?w


リーマンショック後の不交付団体

■平成 21年度 不交付団体の状況
http://www.soumu.go.jp/main_content/000032095.pdf
・全国の不交付団体 151市町村
・西三河の不交付団体 13市町村の内10市町村
豊田市、みよし市、岡崎市、安城市、刈谷市、高浜市、知立市、碧南市、西尾市、幸田町

■平成 22年度 不交付団体の状況
http://www.soumu.go.jp/main_content/000075077.pdf
・全国の不交付団体 74市町村
・西三河の不交付団体 13市町村の内7市町村
豊田市、みよし市、安城市、刈谷市、碧南市、西尾市、幸田町

■平成 23年度 不交付団体の状況
http://www.soumu.go.jp/main_content/000124636.pdf
・全国の不交付団体 58市町村
・西三河の不交付団体 10市町村(西尾市合併により3町減る)の内6市町村
豊田市、みよし市、安城市、刈谷市、碧南市、幸田町

■平成 24年度 不交付団体の状況
http://www.soumu.go.jp/main_content/000169057.pdf
・全国の不交付団体 54市町村
・西三河の不交付団体 10市町村の内6市町村
豊田市、みよし市、安城市、刈谷市、碧南市、幸田町

■平成 25年度 不交付団体の状況
http://www.soumu.go.jp/main_content/000240073.pdf
・全国の不交付団体 48市町村
・西三河の不交付団体 10市町村の内6市町村
豊田市、みよし市、安城市、刈谷市、碧南市、幸田町
512日曜8時の名無しさん:2013/09/17(火) 23:32:31.13 ID:9tBvXT+y
>>491
歴史に造詣がないならこんな文章書かなければいいのにね
逆賊、忠臣という視点ではなく、その絶対値で云々って言ってるけど
その時点でその史観ないしイデオロギーにとりつかれていることを理解してないんだね
北条氏の漢字まで間違ってるし
513日曜8時の名無しさん:2013/09/18(水) 00:39:52.16 ID:WyeNiShI
>>473
長年、等持寺跡近くにいるけど
なんとか尊氏邸を復元して欲しいんですよね
それに樺崎寺跡も何とか復元して欲しいもんです
514日曜8時の名無しさん:2013/09/18(水) 04:29:05.30 ID:W1DxM4i9
>>512
「北条」を「北條」と書くこと自体は、単なる略字と正字の関係だから問題ないのでは?
515日曜8時の名無しさん:2013/09/18(水) 10:53:21.87 ID:DWHf5qRm
俺は小さい頃からなぜか日本史が好きで
源平争乱から戊辰戦争(所謂武士の時代ね)に興味があったが
鎌倉末期から南北朝、南朝と後南朝に強く魅かれた。
たまたま太平記に自分の苗字と同じ人を見つけて
たまたま同じ苗字だろうと思ったが自分の先祖は誰かという家系研究にも興味が出始めて
父親に聞いても「昔は偉い武士だったらしいよ」ぐらいで興味なし
「おじいちゃんなら詳しく知ってて実家には系図や古文書類、有名な人からの手紙などあるよ」との事。
それで祖父の家に調べに言ったらガクブルの事実
かいつまんで言えば直接の祖は桃井頼明(桃井直常の叔父)で
桃井頼明―直頼―国頼・・・と続き直常とともにガチガチの南朝派として戦って
没落後は湯浅氏に仕え、戦国期に再度没落し帰農したらしい。
足利直義や桃井直常の袖判状ほか
同族の胤氏流の尚義、貞職、信義の書状
石堂頼房(石塔右馬頭と署名)や上杉能憲の書状もある。
ちなみに大学の頃、本を何冊も出してる中世史専門の教授に見てもらったことがあるが
かなり興奮して「間違いない。これはすごい!発表してみたら?」と言われたが
祖父が絶対公開はするなと言っていたんでお断りしたけど。
湯浅氏時代やその後の庄屋時代のものはそこそこあるんだが
南北朝、室町期のものはあと17通ある。
ただ官途名だけで本文に特定できるヒントが少ないもんで
かなりコアに調べないと誰からの書状かわからん。
今思えば南北朝の時代の歴史をわくわくしながら読んだのは
先祖の血かもしれない。
516日曜8時の名無しさん:2013/09/18(水) 11:04:22.85 ID:DWHf5qRm
あと南朝方だったせいもあるんだろうが
系図の鎌倉末期〜室町初期の部分を見ると
討ち死にした同族の多いこと多いことw

あの時代を唯一ドラマ化した太平記はもちろん大好きで狂ったように見てる
一番好きなシーンは尊氏が後醍醐帝に叛旗を決めるシーン
外を眺めながら
「…三河も猶予ならぬか…奥州もダメか…やむをえん!」
と背中で決意する姿にぞくっとした。
御先祖さん、尊氏のシーンですみませんですw
517日曜8時の名無しさん:2013/09/18(水) 12:50:31.18 ID:g7T09/i1
坊門君乙
518日曜8時の名無しさん:2013/09/18(水) 16:14:46.50 ID:SovA+QiU
26話のシーンで赤松円心役の渡辺哲さんが怒ったブルドックみたいで可愛い
オッサンに萌えるとわw

左馬助といい
おっさん達がいい味だしてよな
519日曜8時の名無しさん:2013/09/18(水) 19:10:16.09 ID:TetVnDsa
>>516
そこは後醍醐と戦うことを決意するシーンじゃなく、
中先代=北条時行が鎌倉を攻めた時、後醍醐の勅許なしに東下するのを決意する以下同。

我が先祖には、豊臣秀吉に仕えた武士だったか領民だったかで、
関ケ原合戦だか豊家滅亡後に徳川さんのおひざ元の関東に来た一族もいます。

そのせいか、かなり古い時代から苗字を持ってたみたい。
ただ大地主とか庄屋ではなく、ごく平凡な自作農(小作に没落したことは無い)。
秀吉云々はあまり信じてませんがネw(だって近畿は没落氏族が多いもの)
520日曜8時の名無しさん:2013/09/18(水) 19:53:33.71 ID:TetVnDsa
>>515
湯浅氏に仕えたっていうとご先祖さんは紀州あたりですか。
桃井氏が紀州にもいたんですね。さかのぼれば清和天皇かw

桃井氏だったら中先代の頃は尊氏に仕えてたことになるから…
桃井、山名、大内は尊氏・直義の対立で直義方になっただけでしょう。
桃井直常の場合、太平記では高師直との対立が古くからあったとされてますね。
521日曜8時の名無しさん:2013/09/18(水) 22:23:01.61 ID:1vt2RMG8
こうなったのも、
足利家がグラグラしておる故じゃ!
522日曜8時の名無しさん:2013/09/18(水) 23:16:31.75 ID:W1DxM4i9
>>519
江戸時代の庶民は、苗字を公文書などで公に名乗ることを規制されていただけで、
実際には苗字を持っているケースはかなり多かったらしいよ。

中世の地侍とかの子孫であることが多い農村の有力者クラス(名主・庄屋など)は当然として、
それ以外の一般農民なんかでも、私的な書類では苗字を使っていたりすることは結構普通とか。

要は、苗字を持っていることと、苗字の公称が許されていることとは、
完全に別ということみたい。
523日曜8時の名無しさん:2013/09/18(水) 23:55:16.15 ID:TetVnDsa
>>522
公称か私称の違いでしかなかったでしょう。

苗字の次元では、多々分派していった武士よりも、むしろ庶民層が一族共通の苗字にこだわった。
田舎の農家は屋号を持ってることが多いが、田舎は親戚が近隣に住んでることが多いので、
屋号で互いを呼び合い、苗字は同じだという意識はむしろ庶民のほうが強いかも(今でも)。

庶民層で姓と苗字とが混同されてる一因ではあるかも。

だから木枯し紋次郎みたいな天涯孤独は知らず、
農家でも商家でも分家を出せる程度の家なら苗字を使ってた可能性がある。
ちなみに国定忠治の本名は長岡忠次郎で、国定村出身のチュウジというアダ名。

一方で、意識的に苗字を使わなかった人もいたよね。
本願寺の大谷一族がそうで、もしかしたら「大谷さん」とは呼んでたかも知れないけど、
門主さま/門首さまなどと呼ぶことが多く、大谷は明治になってから法的に正式の苗字に。
524日曜8時の名無しさん:2013/09/19(木) 12:08:02.32 ID:dbWx0wKQ
>>523
農村は分割相続させるにも土地に限度があるから、近世初期以降は相続しない男は、町に出て暮らしを立てるか、村に残って嫁取りもせずに相続した兄弟の小作になるかだから、同族意識が高いのは
近隣に住む同族>遠くの親戚
となる
525日曜8時の名無しさん:2013/09/19(木) 12:14:56.39 ID:AFQOOcK9
>>523
それを言い出せば、室町時代に足利将軍家が「足利殿」と呼ばれることはまずないし、
江戸時代に徳川将軍家が「徳川殿」と呼ばれることもまずない。
また大名家なんかも、例えば島津家が島津領内で「島津殿」と呼ばれるようなこともあまりない。

つまり極端に身分が高い人や自分の直接的な主筋に当たる相手の場合、
そもそも苗字で呼ぶこと自体が畏れ多くて憚られるということだね。
526日曜8時の名無しさん:2013/09/19(木) 21:06:05.34 ID:ABvt0tJf
個人的な想像ではあるが、苗字は横並びの関係でよく使われていたと思う。
昔の日本の偉い人はあまり下の名(諱)を使わなかったろうし、
苗字は武士の文化によく合ってたので、同族を一括するにも便利だったろうし、
相手に失礼にならない呼び方は「〜殿」とか「〜家(け)」だったろうから。
527日曜8時の名無しさん:2013/09/20(金) 01:06:32.89 ID:VN8zSAVQ
○○郎とか、○○左衛門とかの通称で呼んでたみたいだな
528日曜8時の名無しさん:2013/09/20(金) 03:43:41.53 ID:9pF8Ayoo
讃岐殿!
529日曜8時の名無しさん:2013/09/20(金) 09:13:07.29 ID:Y7QteNG2
佐殿!
530日曜8時の名無しさん:2013/09/20(金) 10:01:58.46 ID:Fe6yEzjI
歴史ものなんかで諱呼び云々論争になるけどさ
ドラマで「秀吉が〜」とか「信長が〜」とか
あれって諱呼び以前の問題じゃね
現代でも幼なじみとか相当仲良しでもない限り会社とかで下の名前使わないでしょ
531日曜8時の名無しさん:2013/09/20(金) 10:18:50.21 ID:EnD1YeMn
ドラマだと、視聴者がわかりやすくする必要があるんだよ
家康なら、三河殿が、内府殿が、将軍様が、
532日曜8時の名無しさん:2013/09/20(金) 11:44:25.29 ID:0J/Kbxzl
このドラマの放送中か後に出たと思われる本に
「師直と呼び捨てはどうか?武蔵守などでは?」
中国・韓国ドラマでもそうだけど昔の役職は難しいしね
533日曜8時の名無しさん:2013/09/20(金) 12:02:47.55 ID:JoCtSw3G
   ∩___∩     
   | ノ\粗末  ヽ 
  /  ●゛  ● |   
  | ∪  ( _●_) ミ    
 彡、   |∪|   |   あの時代にナイフって言葉がもうあったのね
/     ∩ノ ⊃  ヽ  それにしてもナイフなんて渾名を付けられる家康って相当の切れ者と見たわ
(  \ / _ノ |  |   
.\ “  /__|  |
  \ /___ /
534日曜8時の名無しさん:2013/09/20(金) 13:47:23.00 ID:CIwdx+ED
太平記、中華サイトで見始めたんだけど一話で北村さんでてるね。
時宗が最初じゃなかったんだ。
535日曜8時の名無しさん:2013/09/20(金) 19:11:06.93 ID:Fe6yEzjI
>>531
そりゃおかしくないか?
それが理由なら普通のドラマだって下の名前を呼びまくることになるぞ
「慎次すゎ〜んれいんぼぉぶりっぢ封鎖できますぅえ〜ん」
「俊作かくほだー!」
って
536日曜8時の名無しさん:2013/09/20(金) 20:38:33.00 ID:Y7QteNG2
レンシ「坊門清忠殿 お控え召されよ」
537日曜8時の名無しさん:2013/09/20(金) 20:39:07.87 ID:DfbhEcwT
>>532
尊氏が直接の部下である師直を諱で呼び捨てにすること自体は問題ないのでは?

例えば『源氏物語』でも、主人公の直接の部下である惟光だけは諱で出てくるし。
538日曜8時の名無しさん:2013/09/20(金) 20:42:18.51 ID:0J/Kbxzl
>>537
そう書いてたオッサンがいたってことよw
尊氏が師直と呼べば親愛感を表すだろうし、武蔵守と呼べばいくらか敬意を払ってることになろう。
539日曜8時の名無しさん:2013/09/20(金) 22:03:08.35 ID:827Eff4e
下の者が上の者に諱で呼びかけることは有り得ない。逆はあり

尊氏→左兵衛督、将軍
直義→左馬頭
師直→武蔵守
義貞→左近衛中将
正成→河内(守)
道誉→判官
540日曜8時の名無しさん:2013/09/20(金) 22:17:30.05 ID:/f81MEAM
将軍とか左馬頭とかなんだよ
難太平記に、大御所と錦の小路と書いてあるだろ
541日曜8時の名無しさん:2013/09/20(金) 23:48:57.63 ID:DfbhEcwT
将軍就任後の尊氏に関しては、大御所だろうな。

直義については、三条殿とか高倉禅門とかいろいろ呼び名がある。
542日曜8時の名無しさん:2013/09/20(金) 23:52:36.43 ID:DfbhEcwT
>>538
自分の部下を官途名で呼ぶのは逆に少々よそよそしい気がする。
諱や通称なら分かるけど。
543日曜8時の名無しさん:2013/09/21(土) 00:09:04.84 ID:Unu4NeUr
後醍醐天皇は楠木正成を兵衛とか河内って呼んでたな
544日曜8時の名無しさん:2013/09/21(土) 01:16:41.28 ID:EwW0nwN8
公家どもは、新田義貞の事を左中将殿って呼んでたね。
545日曜8時の名無しさん:2013/09/21(土) 05:01:08.20 ID:VBf+yZKY
源八幡太郎義家

源義国(足利庄設立)

足利義康

足利義兼

足利義助

足利義胤(桃井義胤):上野国桃井荘

やっぱ桃井氏って新田氏と同じく
足利氏と繋がり深いね
546日曜8時の名無しさん:2013/09/21(土) 08:08:31.63 ID:v2hTRhVy
>>543
正成の「兵衛」は官途というより通称だろう。
547日曜8時の名無しさん:2013/09/21(土) 08:10:38.54 ID:v2hTRhVy
>>545
繋がりが深いも何も桃井氏は足利一門なんだが。
548日曜8時の名無しさん:2013/09/21(土) 09:26:02.20 ID:yzvGauGV
兵衛尉が官途だっけ?
官途があるのに通称で呼ぶことはないと思うが
549日曜8時の名無しさん:2013/09/21(土) 09:41:44.82 ID:SrjrMXjn
このドラマで将軍といえば、
大塔宮

鎌倉幕府にも親王将軍はいたし、主人公も将軍になるけど、こればかりは譲れない
550日曜8時の名無しさん:2013/09/21(土) 10:14:48.75 ID:VBf+yZKY
榛名山のふもとの桃井はのんびりしたいいところだよね
桃井城跡も桃井直常の供養塔もある金剛寺も静かで散歩するには最高
551日曜8時の名無しさん:2013/09/21(土) 14:26:18.21 ID:EwW0nwN8
かかるドラマでは超強硬派で武闘派の堅物で描かれてたな。
高橋悦史が上手かったね。
552日曜8時の名無しさん:2013/09/21(土) 15:29:20.59 ID:kgWNi+p6
>>544
同じ左中将殿でもアホ廉子の左中将殿は皮肉たっぷりだったな
553日曜8時の名無しさん:2013/09/21(土) 15:39:01.04 ID:kgWNi+p6
>>549
日本は伝統を重んじすぎるというか
官職とかもいつの間にか形骸化するから将軍=上様って構図になってて
将軍は一人ってイメージがあるけど
実質的に天皇が頂点として復権した場合は何人いても良いわけだからな
後白河みたいに
554日曜8時の名無しさん:2013/09/21(土) 16:13:18.76 ID:PckxuC5D
「将軍」は令外官だからね
定員なんてない
555日曜8時の名無しさん:2013/09/21(土) 16:30:04.28 ID:e5Zs/dDS
>>530
信長、秀吉、名古屋、尾張等は禁止と言っただろ
スレが穢れるんだよ
556日曜8時の名無しさん:2013/09/21(土) 19:17:18.30 ID:v2hTRhVy
>>548
だからさ、それは官途名っぽく見えるけど、実際は当人が自称しているだけの通称だよ。
官途名っぽい通称というのは結構ある。

だいたい建武政権発足以前の楠木が正式に任官なんてしているわけないし、
正式に朝廷から貰った官途なら「左(右)兵衛大(少)尉」みたいな名称になる。

>>553
将軍のことを「上様」と呼ぶ用法が発生するのは近世以降。
「太平記」の時代にそんな言い方はない。

>>554
そもそも征夷大将軍は宣旨職だから、定員なんて概念は最初からないだろうが、
かといって同時に複数人を補任することも想定されてはいなかったと思うぞ。
557日曜8時の名無しさん:2013/09/21(土) 19:21:12.96 ID:v2hTRhVy
無論、征夷大将軍と他の将軍号(征西大将軍とか鎮守府将軍とか)が同時に存在するのはあり。
建武政権の一時期も、尊氏=鎮守府将軍、護良=征夷大将軍が並び立っている。
558日曜8時の名無しさん:2013/09/21(土) 19:55:47.96 ID:IP+ohVA9
>>550
太平記や足利氏・源氏に関係する地方は至る所にある
関西だろうが関東だろうが九州だろうが何処の地方について書いても、
当然歓迎すべき
ちなみに尾張なら斯波氏も足利一門で足利尊氏と同年で室町幕府の宿老で有名
高師泰や足利義詮に使えた中条詮秀も尾張守護を勤めた

出禁するなら>>506みたいな三河粘着の基地外くらいだろ
559日曜8時の名無しさん:2013/09/21(土) 19:58:34.21 ID:IP+ohVA9
訂正スマン

>>550
太平記や足利氏・源氏に関係する地方は至る所にある
関西だろうが関東だろうが九州だろうが何処の地方について書いても、
当然歓迎すべき
560日曜8時の名無しさん:2013/09/21(土) 20:00:29.67 ID:IP+ohVA9
再度訂正スマン
>>550>>555
561日曜8時の名無しさん:2013/09/21(土) 20:46:51.77 ID:Unu4NeUr
講談社の新書「源氏と日本国王」でも、幕府の将軍は翻訳できない(されない)と。
実朝暗殺から尊氏が将軍になるまでは、お公家さんが征夷大将軍を占めてたとも。

まあツッコミに近い「常識」だけど、何故また鎌倉幕府将軍は実朝で絶えたとの俗説が流布しているのだろう?
大河ドラマでも守邦親王は第1話で登場してるのにね。
562日曜8時の名無しさん:2013/09/21(土) 20:48:47.20 ID:Unu4NeUr
>>556
建武前というか元弘乱前の正成が絶対に任官してない保障も無いんじゃね?資料欠損の人だし(涙)
正成の先祖が任官してる可能性だってある。
そうしたら兵衛は「楠木兵衛家」程度の意味で慣用されていたかも。
563日曜8時の名無しさん:2013/09/21(土) 20:53:57.69 ID:Unu4NeUr
>>556-557
それこそ岡野友彦的ツッコミになってしまうが、
将軍はそもそも軍の将であって中国・朝鮮(ベトナムもだろうか)じゃごく普通の一般名詞。
韓国では歴史上の偉人をよく「〜将軍」という。
竹島一件の安龍福でさえ安龍福将軍と呼ぶ。
これ知らんと、キム・ジョンウン将軍がごく平凡な敬称だとさえ分からない。

ちなみに水滸伝には「軍校」(=将校。隊長程度か)なるものも登場(現代中国では軍校は軍学校の意)

鎮守府将軍は陸奥国司が兼務することも多かったらしく、
地位としては国司かそれに準ずるぐらいだろうから…北畠顕家が不満を持ち、
鎮守府大将軍にしてちょ〜と考えたのも無理からぬところか。
564日曜8時の名無しさん:2013/09/21(土) 20:56:51.29 ID:Unu4NeUr
>>558
古典の太平記には朝倉氏が登場するんだよな。
織田って地名は書かれてたと思うが、織田氏は記憶に無い。
朝倉、織田の後の活躍を考えると、足利氏一門も重要な歴史的役割を果たしていたと言える。
565日曜8時の名無しさん:2013/09/21(土) 21:43:32.92 ID:e5Zs/dDS
>>558
低レベルなお前は、センゴク(笑)の尾張猿臭がするな
斯波氏が尾張守護になったのは義教時代からだろ
尾張は関係ねーじゃん

空華集 「東海道三河州碧海荘,寔今政府左金吾(斯波義将)祖宗九京之地也」

「三河国碧海荘は管領家斯波義将の先祖の墳墓の地である」
初代斯波氏である足利家氏は、祖父足利義氏から三河国碧海荘を相伝し本拠地とした


永源寺

中世、碧海郡碧海荘内にあった禅寺。管領斯波義将が1380年代に創建。南北朝時代の禅僧義堂周信の詩文集『空華集』に収める「贈雲谿首座赴永源命詩并序」にみえ、錘秀山と号した。
「序」に碧海荘は斯波義将の先祖の墓所のあるところであるといっており、家氏以来斯波氏が伝領してきたのであろう。所在地は「碧海之東」とあるのみでどこであるか不詳である。
応永4年(1397)5月18日、のちに建仁寺61代住持となる玉岡和尚が将軍義満より住持職に補任された(『蔭涼軒日録』文明17年9月15日条)。



室町期、三河国高橋荘の地頭になった奴が、自動的に尾張守護と尾張国野間荘の地頭になったんだよ
まず三河国高橋荘地頭ありきだ


尾張は関係ねーじゃん
566日曜8時の名無しさん:2013/09/21(土) 21:48:57.58 ID:e5Zs/dDS
>>559
尾張が関係するの、具体的にあげてみろ
567日曜8時の名無しさん:2013/09/21(土) 22:46:33.40 ID:IP+ohVA9
>>565
>>566

いい加減、板穢しはやめてくれねか?

勝手に自爆するのは勝手だが
斯波氏が尾張守護なんて一言も書いてねーぞw
日本語分かるか?

ここに書き込む前に
まずは日本語を勉強しろw
病気を治せw
568日曜8時の名無しさん:2013/09/21(土) 23:16:51.99 ID:e5Zs/dDS
尾張なら斯波氏も足利一門で足利尊氏と同年で室町幕府の宿老


こんか書き方をすれば、斯波氏=尾張守護、よって尾張ゆかりだぎゃ〜と勘違いしていると、思われてもしょうがないだろ、間抜け


高師泰とも書いてやがるな、尾張守は全部、尾張ゆかりだぎゃ〜か?w


部外者が、小さい事でしゃしゃり出てきてきやがって


太平記と尾張、何かあるなら、さっさと出せ
2時間以内に出なかったら、尾張名古屋は出入り禁止最終決定だ
569日曜8時の名無しさん:2013/09/21(土) 23:21:20.91 ID:IP+ohVA9
良かったなあ
やっと日本語が理解できたかw
お前の太平記はいいから
次は病院へ直行しろw
570日曜8時の名無しさん:2013/09/21(土) 23:27:22.33 ID:LphhlWuO
>>556
同じこと
左近衞中将→左中将

鎮守府将軍と同時に他の地域にも将軍を配置
571日曜8時の名無しさん:2013/09/21(土) 23:37:57.84 ID:e5Zs/dDS
>>569

尾張なら斯波氏も足利一門で足利尊氏と同年で室町幕府の宿老



お前は、知識量が不足しているから、こんな間抜けなレスをするんだよw


2時間だぞ、さっさと出せよ
出さなければ、お前は出入り禁止だ
572日曜8時の名無しさん:2013/09/22(日) 13:41:53.61 ID:sZkA3xFf
>>541
江戸期には大御所ってのは前の将軍って意味だよね?この当時は将軍就任と共に大御所なのか?
直義が「しょおぐん」って尊氏を呼んでたけども
573日曜8時の名無しさん:2013/09/22(日) 15:12:45.21 ID:lvIVEaVH
斯波氏・・
大河に出ていたか不明ですが
新田義貞を討った斯波高経ですね
田んぼで絶命する新田義貞(根津さん)が物悲しく印象的でした
斯波高経は直義についたり尊氏についたり
佐々木導誉なみの変わり身の早さだったらしいですね
574日曜8時の名無しさん:2013/09/22(日) 16:08:21.70 ID:HXwZU2gi
義貞「み…み心にお答えせねば…」

ナレーター「新田義貞はあっけなく死んだ」


ひどすぎるだろーNHK−(^^;
575日曜8時の名無しさん:2013/09/22(日) 17:54:18.18 ID:98MbAjso
御意
いみじくも、鎌倉を攻め滅ぼした英雄ぞ!?
576日曜8時の名無しさん:2013/09/22(日) 18:29:29.75 ID:WngLWJnr
義貞はショーケンがやり続けていればもうちょっとかっこよく作ってもらえたのでは
根津甚八だと人はよさそうだけどバカっぽいし
577日曜8時の名無しさん:2013/09/22(日) 20:02:16.45 ID:HXwZU2gi
「恋い焦がれたのじゃ…」

と勾当内侍に言い寄るシーンは好きだったがな。
ショーケンだともっとギラギラした義貞になった気はするけど、
甚八の義貞でイメージ作っちゃってるからね〜。
総集編ではショーケン完全カット!だったので余計w
578日曜8時の名無しさん:2013/09/22(日) 20:07:01.52 ID:98MbAjso
たしかにショーケン続投の方がよかったね。

根津甚八氏は、
「貧乏御家人の新田」と呼ばれるに相応しかったw
579日曜8時の名無しさん:2013/09/22(日) 20:19:55.79 ID:HXwZU2gi
そっかな〜?
甚八さんが勾当内侍ときゃはっうふふするなら微笑ましい気もするが、
ショーケンだと巨根で襲い掛かる荒武者に思えてしまったかも知れない
580日曜8時の名無しさん:2013/09/22(日) 20:39:57.12 ID:+dyzc67J
2013/09/22(日) 01:16:51.99、尾張名古屋、永久追放決定!
581日曜8時の名無しさん:2013/09/22(日) 20:46:21.56 ID:+dyzc67J
部外者の分際で、常にしゃしゃり出てきて絡みつき、名古屋だぎゃ〜だ


これと同じだ
問答無用で徹底的に排除する



http://toppy.net/special/dubai0.html
「名古屋が元気」

こんな言葉をよく耳にします。名古屋以外の大半の日本人は、この言葉の裏に「トヨタが元気なだけで名古屋自体がなんぼのもんじゃい」という意味を込めて使っているにもかかわらず、
ほとんどの名古屋っ子は何を勘違いしているのか、名古屋が我が国のなかで最も元気だと、本当に褒められていると勘違いしています。



>名古屋が我が国のなかで最も元気だと、本当に褒められていると勘違いしています。



どこの田舎モンだよw
582日曜8時の名無しさん:2013/09/22(日) 20:46:51.38 ID:+dyzc67J
部外者の分際で、常にしゃしゃり出てきて絡みつき、名古屋だぎゃ〜だ


これと同じだ
問答無用で徹底的に排除する



http://toppy.net/special/dubai0.html
「名古屋が元気」

こんな言葉をよく耳にします。名古屋以外の大半の日本人は、この言葉の裏に「トヨタが元気なだけで名古屋自体がなんぼのもんじゃい」という意味を込めて使っているにもかかわらず、
ほとんどの名古屋っ子は何を勘違いしているのか、名古屋が我が国のなかで最も元気だと、本当に褒められていると勘違いしています。



>名古屋が我が国のなかで最も元気だと、本当に褒められていると勘違いしています。



どこの田舎モンだよw
583日曜8時の名無しさん:2013/09/22(日) 20:55:19.52 ID:WngLWJnr
秘め事に関しては甚八の方が良かったかもしれんが、尊氏が怖れるようなライバルには到底見えないのが問題
584日曜8時の名無しさん:2013/09/22(日) 21:10:28.57 ID:KCHhqgPw
>>579
>ショーケンだと巨根で襲い掛かる荒武者に思えてしまったかも知れない

根津でも黄金の日日の時の五右衛門風に行けばw
585日曜8時の名無しさん:2013/09/22(日) 21:14:36.70 ID:HXwZU2gi
実際、義貞なんか尊氏が恐れていたかどうか?
越後・播磨でいくらか勢力を扶植しても、各地の鎌倉以来の名門は更に強大だったろうし
586日曜8時の名無しさん:2013/09/22(日) 21:27:51.64 ID:OOr/sn2r
>>574
原作だともっとひどいw
顕家の死のあと3,4行で北陸で死んだことが書かれて終わり。
587日曜8時の名無しさん:2013/09/22(日) 22:03:17.44 ID:hmF+tWXx
>>576
鎌倉に突入するとことか充分カッコ良かっただろ
ショーケンで想像してみろ
あの場面で利まつの光秀みたいに声裏返りながらなんか喚き散らすんだぞ
588日曜8時の名無しさん:2013/09/22(日) 22:08:56.03 ID:98MbAjso
生品明神での挙兵シーンもかっこよかった
589日曜8時の名無しさん:2013/09/22(日) 23:19:06.66 ID:lvIVEaVH
>>564
高経の子孫の斯波氏に朝倉氏・織田氏とも仕えていたらしいですね

>>574
渡良瀬川の岸で足利庄の又太郎に
「足利は北条の犬。我らは源氏、ゆめゆめ平氏の犬になりさがるでないぞ!」
と忠告してやった恩人なのに楠木正成や藤夜叉・後醍醐天皇に比べ、
あっさりした最期の演出で残念でしたね
しかし義貞の死を知った尊氏の台詞は良かった
「しかし遠い道じゃのう…赤橋守時どのを殺し、
楠木正成どのを殺し新田どのを殺した…
安穏な世ならばみな良き友じゃ…
これだけ殺してまだ世は治まらん」
合掌
590日曜8時の名無しさん:2013/09/22(日) 23:56:54.94 ID:kxG3l06M
織田朝倉が家来だったかどーかなど、興味もない
591日曜8時の名無しさん:2013/09/22(日) 23:57:03.40 ID:xWX5605W
後半、慌てて完結させた感が否めない作品
592日曜8時の名無しさん:2013/09/23(月) 00:24:18.39 ID:1X5pBr78
>>565
> 斯波氏が尾張守護になったのは義教時代からだろ

さりげなく真っ赤な嘘書くなよ。
斯波氏が尾張守護になるのは応永7年からだ。
これはおそらく前年末に起こった応永の乱で、
それまでの尾張守護今川仲秋が失脚したことに伴う守護の改替であり、
明らかに義満の意思で行われたことだろう。

あと斯波氏は、鎌倉期には尾張守の官途を世襲していたので、足利尾張家ともいわれる。
同様に吉良氏は、鎌倉期に上総介を世襲したので、足利上総家。

なお室町期には、尾張守は畠山氏の、上総介は今川氏のそれぞれ世襲官途になっている。
593日曜8時の名無しさん:2013/09/23(月) 00:25:15.31 ID:VLzU5Du1
正成戦死後がやや味気なく淋しくもあったかな。
歴史的にも、また古典の太平記の分量的にも、
建武崩壊後だけで1年やったっていいぐらいだった。
華は無いだろうがw
594日曜8時の名無しさん:2013/09/23(月) 00:43:03.97 ID:1X5pBr78
>>572
「大御所」は必ずしも前将軍の意味ではない。

確かに引退した前将軍が存命の場合は、
前将軍=「大御所」、現将軍=「若御所」ということになる。
しかし前将軍は既に故人で、現将軍がそこそこの年齢に達している場合は、
現将軍=「大御所」、次期将軍継承者=「若御所」となるはず。
無論どちらも単に「御所」「御所様」って呼んでも問題ないが。

これは要は、現代の老舗旅館とかでの「大女将」と「若女将」の関係と同じだな。
どちらが現時点での当主かということと、「大〜」「若〜」という呼び方とは、別次元の問題。
595日曜8時の名無しさん:2013/09/23(月) 00:55:45.81 ID:1X5pBr78
>>583
ただ実際のところ義貞って、たまたま勢いに乗って上手くいった鎌倉攻め以外に、
目立った戦果がないのは事実だからな。
ドラマ中でも、この件を坊門に指摘されているけどね。

まあ史実における人物像としても、あまり手練手管に策を弄するような感じの人ではなさそう。
だから、政治的な駆け引きにしても、勾当内侍との色事にしても、
あまり野心的なギラギラした人物に描いてしまうと、実像とドラマの乖離が大きくなるし、
あの描き方でかえって良かったような。
596日曜8時の名無しさん:2013/09/23(月) 01:00:51.31 ID:VLzU5Du1
>>592
せやな。カスレスなんで無視しとったがw
織田一族の尾張での活動が資料で確認できるようになるのが1408年だったかと思うが、
これは守護が斯波氏になってないとありえない。
信長の覇権も尾張でなかったら考えられないので、この守護交代の意義は大きい。

斯波一族は呼称が多いよね。信長公記では武衛だもんな。
597日曜8時の名無しさん:2013/09/23(月) 01:02:43.57 ID:VLzU5Du1
>>594
大御所も大殿も御所・殿に更なる敬意の接頭語を付けただけじゃん。
統一的な使い方は元々ないんじゃない?
598日曜8時の名無しさん:2013/09/23(月) 01:04:34.03 ID:n05Q5B+G
>>591
うん。
九州での一悶着も省かれてたしな。

でも、終盤は、心理的にはすげえヘビーになってきたわな。
599日曜8時の名無しさん:2013/09/23(月) 01:11:13.09 ID:tRcUqnNr
>.592
鬼の首をとったようなレスしやがって、つーかお前は出入り禁止だろ
義教から斯波義淳へ与えられた尾張国海東郡地頭とごっちゃになっていたわ


簡単に言って、鎌倉期の斯波氏は、三河国碧海郡碧海荘を本拠にした足利さんだろうが
尾張関係ねーつーの


>尾張守の官途を世襲していたので、足利尾張家ともいわれる

これがなんだつーの、斯波に限らず、尾張守、尾張入道とか幾らでもいるだろ、全部なごややだぎゃ〜か?




空華集 「東海道三河州碧海荘,寔今政府左金吾(斯波義将)祖宗九京之地也」

「三河国碧海荘は管領家斯波義将の先祖の墳墓の地である」
初代斯波氏である足利家氏は、祖父足利義氏から三河国碧海荘を相伝し本拠地とした


永源寺

中世、碧海郡碧海荘内にあった禅寺。管領斯波義将が1380年代に創建。南北朝時代の禅僧義堂周信の詩文集『空華集』に収める「贈雲谿首座赴永源命詩并序」にみえ、錘秀山と号した。
「序」に碧海荘は斯波義将の先祖の墓所のあるところであるといっており、家氏以来斯波氏が伝領してきたのであろう。所在地は「碧海之東」とあるのみでどこであるか不詳である。
応永4年(1397)5月18日、のちに建仁寺61代住持となる玉岡和尚が将軍義満より住持職に補任された(『蔭涼軒日録』文明17年9月15日条)。
600日曜8時の名無しさん:2013/09/23(月) 01:16:37.16 ID:tRcUqnNr
>義満の意思
軽々しく、義満とか言ってんじゃねーよ、尾張は縁もゆかりもねーだろ

足利義満(3代目足利将軍、1358〜1404)年表

【1351年】高師泰・高師直他高一族8人が、摂津国武庫川で殺害される
【1351年】仁木義長(兄の仁木頼章は幕府執事(管領の前身))が、三河守護(前任は高師兼(高師直の猶子)になる
【1357年頃】明阿(父:高師泰、夫:高師冬(高師直の養子))が、三河国額田郡菅生郷(愛知県岡崎市)に、一族を菩提する総持寺を創建する、住持は兄・高師世の娘
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【1358年】伊勢貞継(初代伊勢氏・伊勢俊継の孫)の屋敷で生まれる
【1360年】大島義高(新田氏流)が三河守護になる(新田義重―里見義俊―義成―大島義継―時継―盛義―義員―義昌―義高)
【1367年】足助重宗(足助重範の孫)の子・重政(寛立上人) が、松平郷主・在原信重の支援を得て、三河国加茂郡松平郷に寂静寺(高月院の前身)を開創する
【1368年】管領・細川頼之を烏帽子親として元服する
【1368年】三河国額田郡片寄郷(愛知県岡崎市)に、天恩寺を創建する、足利尊氏遺言の寺、開創は永源寺2世弥天永釈、4代目将軍足利義持の祈願所
【1369年】三河国宝飯郡御馬郷(愛知県豊川市)に御馬城築城を、管領・細川頼之に命ずる、頼之は弟の頼有に命ずる
【1370年】三河国設楽郡(愛知県新城市)に甘泉寺創建か?、天恩寺と同じ永源寺2世弥天永釈開創、御朱印高48石、山林境内20余町歩を寄進する
【1379年】管領・細川頼之失脚、斯波義将が管領になる(康暦の政変)
【1379年】伊勢貞継(初代伊勢氏・伊勢俊継の孫)を政所執事に任ずる
【1379年】一色範光(侍所頭人、若狭守護、、尾張国知多郡・海東郡の分郡守護)を三河守護に任ずる
【1380年代】管領・斯波義将が、斯波氏先祖代々の墓所がある三河国碧海郡(愛知県岡崎市)に、永源寺の創建を申し出る、これを支持し将軍家安泰を併せて祈願
【1380年代】三河国額田郡(愛知県岡崎市)の滝山寺本堂(4度目)を建替える
【1382年】源信氏(細川一族か?)が義満誕生日祈祷の為、三河国額田郡片寄郷(愛知県岡崎市)など4ヶ所を天恩寺に寄進する
【1387年】三河国額田郡下和田郷(愛知県岡崎市)を、京極高詮に還付する
【1388年】富士山遊覧、三河国額田郡(愛知県岡崎市)の矢作宿に宿泊する
【1388年】一色詮範(侍所頭人、若狭守護、尾張国海東郡・知多郡分郡守護)を三河守護に任ずる
【1390年】管領・細川頼之が、三河国額田郡細川郷(愛知県岡崎市)の屋敷跡に、蓮性院を創建する
【1390年代】足助重宗(足助重範の孫)に、尾張国野間荘を還付する、当時の野間荘は、高師直領を将軍家預かりとなっていた模様
【1391年】伊勢貞行(伊勢貞継の孫)を御料所三河国額田郡山中郷(愛知県岡崎市)の代官に任ずる、山中郷の法蔵寺は6代目将軍足利義教の祈願所
【1392年】細川頼之死去、葬儀は義満が主催して相国寺で行われる
【1394年】出家する
【1397年】三河国碧海郡(愛知県岡崎市)の永源寺(創建:斯波義将)に、後に建仁寺61代住持となる玉岡和尚を住持職に補す
【1397年】三河国渥美郡(愛知県田原市)を京極高詮に還付し、守護使不入の地とする
【1399年】三河国額田郡菅生郷(愛知県岡崎市)の乙川六名堤造営を、管領・畠山基国にを命ずる、下和田郷が水不足に陥り、領主・京極高詮から苦情が入る
【1399年】三河国額田郡比志賀(愛知県岡崎市)の深恩院に、高一族の比志賀郷の旧領を寄進する
【1404年】松平和泉守源信光が誕生する
【1406年】一色満範(義満偏諱、侍所頭人、若狭守護、丹後守護、尾張国海東郡・知多郡分郡守護)を三河守護に任ずる
【1408年】死去する
601日曜8時の名無しさん:2013/09/23(月) 05:30:24.38 ID:1X5pBr78
>>596
「武衛」は、『信長公記』に限らず、室町〜戦国期には斯波氏の当主を指す言葉として、
いろいろな史料に出てくるよ。

というか斯波氏は、もとは足利苗字をそのまま使っていたこともあり、
足利庶流のなかでも特別な家という意識があるみたいで、
極力「斯波」という苗字で呼ばないような意識があるみたい。
室町幕府発給文書でも、斯波氏宛のものに「斯波○○殿」みたいな宛名の書き方は原則しない。
一方、同じ管領家でも「細川○○殿」「畠山○○殿」はいくらでも用例があるけど。

無論斯波氏の「武衛」と同様の言い方で、細川氏は「京兆」、畠山氏は「金吾」というのも、
ないわけではないけどね。
602日曜8時の名無しさん:2013/09/23(月) 05:41:10.01 ID:1X5pBr78
>>597
まあそういうことだな。
ただ敬意もないわけではないだろうが、ここでの「大御所」の呼称は、
「御所」と呼ばれる人がもう一人いるので、両者を区別するためという意味合いが強いだろう。

いずれにしても、「大〜」という呼称なら引退した先代、ということには必ずしもならないが。
603日曜8時の名無しさん:2013/09/23(月) 11:31:19.96 ID:D8RtFwpy
>鎌倉期の斯波氏は、三河国碧海郡碧海荘を本拠にした足利さんだろうが
間違った郷土偏愛・歴史史観も行き過ぎると病気になりますよ。

>軽々しく、義満とか言ってんじゃねーよ、尾張は縁もゆかりもねーだろ
わかります。あなたホントは太平記を全く知らないんですね。

そろそろあなたの自慰三河記と京都・関東・尾張など他国罵倒日記は、
飽きたのでやめませんか?
604日曜8時の名無しさん:2013/09/23(月) 14:56:07.30 ID:VLzU5Du1
>>601
斯波という苗字からしてよく分かりませんな。
岩手県の紫波郡が由来というが、要するにそこに所領があってシバ殿と?
字も斯波、紫波、志和、志波とあり、言語学的には面白いけど初学者には何とまぎらわしい…

大崎氏も山手線大崎駅あたりの所領が苗字の地とする書もあり
「何でまたそんなところを苗字の地に?」と思わなくもない(現地の人すまぬ)

そもそもこれらの家名は、上杉氏でいう山内や扇谷みたいな「屋号」なのか?
佐々木みたいなものかと思ったり(>>157)

後世の我々が、足利氏庶流の一つとして斯波氏と一括して呼ぶ便宜的な呼称ということでオケ?
605日曜8時の名無しさん:2013/09/23(月) 14:59:54.15 ID:tRcUqnNr
再度まとめ


>>558
>ちなみに尾張なら斯波氏も足利一門で足利尊氏と同年で室町幕府の宿老で有名


簡単に言って、鎌倉期の斯波氏は、三河国碧海郡碧海荘を本拠にした足利さん、尾張とは無関係



空華集 「東海道三河州碧海荘,寔今政府左金吾(斯波義将)祖宗九京之地也」

「三河国碧海荘は管領家斯波義将の先祖の墳墓の地である」
初代斯波氏である足利家氏は、祖父足利義氏から三河国碧海荘を相伝し本拠地とした


永源寺

中世、碧海郡碧海荘内にあった禅寺。管領斯波義将が1380年代に創建。南北朝時代の禅僧義堂周信の詩文集『空華集』に収める「贈雲谿首座赴永源命詩并序」にみえ、錘秀山と号した。
「序」に碧海荘は斯波義将の先祖の墓所のあるところであるといっており、家氏以来斯波氏が伝領してきたのであろう。所在地は「碧海之東」とあるのみでどこであるか不詳である。
応永4年(1397)5月18日、のちに建仁寺61代住持となる玉岡和尚が将軍義満より住持職に補任された(『蔭涼軒日録』文明17年9月15日条)。
606日曜8時の名無しさん:2013/09/23(月) 15:02:10.99 ID:VLzU5Du1
>>602
若殿という語もあり、おおざっぱに言えば大殿は、
当主や世継ぎが何人かいた場合の特に年長か、格・代が上の殿さまってとこでしょう。
武士への敬称として殿があり、それが細分化されると、大殿・殿・若殿みたいに言われたってことでしょう。
殿だけだとちょっとおおまかすぎるんでしょうね。

ドラマ終盤では直義は「三条殿」と呼ばれてたね。
また京都の地名を冠すると何ともまぎらわしい…
藤原定家嫡流も二条家で、摂政関白家にも二条家がいたりとw
どんだけ狭い地域にひしめきあってたんだよとw
607日曜8時の名無しさん:2013/09/23(月) 15:04:48.19 ID:tRcUqnNr
>>558
>高師泰や足利義詮に使えた中条詮秀も尾張守護を勤めた


高一族嫡流は、三河国額田郡菅生郷を本拠にした三河武士、尾張とは無関係


高氏所領
・三河国額田郡菅生郷
・三河国額田郡比志賀郷
・三河国額田郡政所
・三河国額田郡矢作東宿
・三河国下村中山郷雑役免(進退分十家名)


■高師氏
・父は高重氏
・右衛門尉、法名心仏
・三河国額田郡菅生郷・比志賀郷(愛知県岡崎市)地頭
・永仁4年(1296)3月1日、他家に嫁していた娘の稲荷女房(法名心妙)に三河国額田郡比志賀郷を譲った(総持寺文書)
・正安3年(1301)2月15日に満性寺(愛知県岡崎市)に菅生郷の土地を寄進した

■高師重
・父は高師氏
・三河国額田郡菅生郷地頭
・暦応2年(1339)に足利尊氏の命令で、三河国額田郡比志賀郷(愛知県岡崎市)に八幡社とともに深恩院総持寺(現在は広祥院)建立する

■高師兼(室町幕府最初の三河守護)
・五郎左衛門尉、尾張守、刑部大輔
・父は高師春、母は高師直の妹。高師直の猶子
・高師直より、藤原冬房領三河国碧海荘三木今一色の知行保持を命じられる(建武4年(1337)5月13日付高師直奉書)

■貞円
・父は高師重、高師直・高師泰の弟
・滝山寺(愛知県岡崎市)大勧進

■明阿
・父は高師泰、夫は高師冬(高師直養子)
・観応の擾乱で一族の大半が滅ぶと、その菩提を弔うため、三河国菅生郷(愛知県岡崎市)に総持寺を建立する、
・三河国菅生郷(愛知県岡崎市)の旧領は、一旦足利将軍家領となり、将軍家より総持寺に寄進された

■いち
・父は高師世(高師泰の息、明阿の兄)
・明阿が三河国菅生郷(愛知県岡崎市)に建立した総持寺の初代住持
608日曜8時の名無しさん:2013/09/23(月) 15:07:16.20 ID:VLzU5Du1
三河屋さん今日も元気だなw
サザエさんちへの宅配はお休みなの?
609日曜8時の名無しさん:2013/09/23(月) 15:12:45.36 ID:tRcUqnNr
>>558
>高師泰や足利義詮に使えた中条詮秀も尾張守護を勤めた


中条詮秀は尾張守護でなかったようだが?


wikiから
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E6%9D%A1%E8%A9%AE%E7%A7%80


中条詮秀
・中条秀孝の子
・室町幕府奉公衆
・三河国加茂郡高橋荘(愛知県豊田市)地頭
・衣城主(愛知県豊田市)
・左衛門少尉、伊豆守
・子は中条満秀、中条満平
・猿投神社を厚く信仰し、度々寄進
・応永2年(1395年)4月5日には現在、重要文化財に指定されている樫鳥縅鎧(源氏八領の薄金か?)を奉納



何で尾張が絡んでくるのか、全く不明w
610日曜8時の名無しさん:2013/09/23(月) 15:31:33.90 ID:D8RtFwpy
高師泰や足利義詮に使えた中条詮秀も尾張守護を勤めたが三河武士なので尾張とは無関係
って凄い論法ですね。
三河屋さんの好物の徳川に例えると、
徳川家康は三河武士なので江戸幕府とは無関係ってことね。
三河屋さんは
日本語の言葉の意味を小学生レベルから勉強した方がいいよ。
611日曜8時の名無しさん:2013/09/23(月) 15:33:51.93 ID:VLzU5Du1
尾張中条氏って剣術の中条流の創始者じゃなかったっけ?
実はけっこう名門が据えられる尾張守護(よく織田家が勢力伸ばせたな)
612日曜8時の名無しさん:2013/09/23(月) 15:55:57.06 ID:tRcUqnNr
http://toppy.net/myamya/myamya40.html
>鎌倉幕府を開いた源頼朝でもいいと思うのですが。彼は熱田神宮の隣りで生まれていますから。こうして見ると、日本の歴史は名古屋っ子が作ってきたと言っても過言ではありませんね。

言っても過言ではありませんねじゃねーよwどいつもこいつも異常者め


では、そもそも頼朝は尾張で生まれたのか?


■藤姓熱田大宮司家(本貫地:三河国額田郡乙見、愛知県岡崎市)

・頼朝の母方の曾祖父藤原季兼(三河四郎)は、三河国司を多数輩出した一族(祖父の兄、父、弟)に生まれる
・季兼は、伊勢神宮領荘園の荘官(伊勢権守令)として都を下り三河国加茂郡(愛知県豊田市)に土着
・季兼は、三河国加茂郡(愛知県豊田市)の未開拓の土地を開発し、高橋荘・高橋新荘(後世 八条院領大覚寺統)を立券、皇室に寄進する
・季兼は、三河国額田郡(愛知県岡崎市)に移り住み、青木川菅生川流域(菅生郷)を開発、荘園化せず自らの本拠とする(後に、権益は血縁である足利氏に)
・季兼は、三河国設楽郡稲木(愛知県新城市)の稲木長者を滅ぼし、東三河を支配下におく
・季兼室の松御前(尾張員職の娘)は、晩年新城市稲木で過し没した(城ヶ峰の山頂(愛知県新城市)に墓あり)
・季兼は、藤原資良(父の従兄弟)が尾張守になり、息子(藤原季範、額田冠者)と共に三河に住みながら尾張目代を務める
・季兼の息子である藤原季範(額田冠者)は、藤原南家として初めて熱田大宮司となる(大宮司職の簒奪)
・藤原季範(額田冠者)の娘(由良御前)は源義朝の正室となり、源頼朝を産む


頼朝の母方の実態は三河武士のようですな、尾張とは関係なしw
613日曜8時の名無しさん:2013/09/23(月) 16:02:43.09 ID:tRcUqnNr
303 :名無しさん@京都板じゃないよ:2012/03/23(金) 09:35:38.83
尾張國造家は、単なる外戚の藤原南家に「天皇の夢」というワケのわからんムチャクチャで大宮司職を奪われるも、神宮寺の愛染院(真言系)とスクラムを組んで対抗し、
藤原季範を締め上げた。季範の息子の代には、館を社僧に取り囲まれて外に出ることもできなくなり、頼朝に泣きつき、頼朝の発案で天台系の神宮寺を作って愛染院に対抗させやがる


>「天皇の夢」というワケのわからんムチャクチャで大宮司職を奪われる(笑)
>頼朝の発案で天台系の神宮寺を作って愛染院に対抗させやがる(笑)


名古屋イジメだぎゃ〜(笑)



平成の時代になってもガタガタ言っていやがるのに、殺伐とした当時、尾張で生まれるわけないw
簒奪した側だからなw
614日曜8時の名無しさん:2013/09/23(月) 17:08:19.11 ID:1X5pBr78
>>604
紫波郡(斯波郡)は、いわゆる奥六郡の一つで、奥州藤原氏の滅亡後に足利氏に与えられたもの。
その後、斯波氏に継承された。

あと大崎は、仙台平野の辺りの地域を俗に大崎5郡なんていうね。
無論、この地域に大崎氏が入るのは室町以降だが。

>>606
直義の「三条殿」は、三条坊門に直義の屋敷(というか当時の幕府の政庁)があったから。
後に義詮や義持も、この三条坊門の屋敷を自邸に使っている時期がある。
615日曜8時の名無しさん:2013/09/23(月) 17:38:46.02 ID:tRcUqnNr
斯波で勘違いするが、ポッチで東北に行くかよ
俺も親戚がいっぱいいる先祖(藤姓熱田大宮司家(本貫地:三河国額田郡乙見、愛知県岡崎市) )の地三河だだろ

事実上、足利宗家の惣領だった初代の家氏は、三河国碧海郡碧海荘を本拠にし、三河で入道(蓮阿)、死んだということだ
滝山寺で行われた義氏の一周忌は、初代伊勢氏の俊継が奉行を務め、家氏に土地を寄進させた



伊勢氏(初代・藤原俊継) 滝山寺縁起


■藤原俊経(****〜1238):初代伊勢氏・伊勢俊継の父
・肥前前司
・法名願仏
・弟の相模法橋円辰と円辰の子大進法眼増恵は滝山寺僧侶
・滝山寺に持仏堂を造営する(後に持仏堂は、甥の大進法眼増恵に譲られる)
・滝山寺に古市場御油畠を寄進する
・歴仁元年(1238)5月13日、京都東山一切経の谷で死去

■藤原俊継(1217〜1274):初代伊勢氏
・藤原俊経の息
・伊勢前司
・建長7年(1255)、足利義氏追善の法華堂(宝幢寺)を造営、この堂に田畠3町8段を寄進、足利家氏に働きかけ、家氏の三河国碧海荘青野、宇祢部の料田畠を寄進させる
・文永11年(1274)6月23日、鎌倉で死去

■円辰(****〜****):初代伊勢氏・藤原俊継の叔父
・藤原俊経の弟
・相模法橋

■増恵(1209〜1283):初代伊勢氏・藤原俊継の従兄弟
・円辰の息
・聖蓮坊大進法眼
・叔父藤原俊経の持仏堂を譲られ、自身の持仏堂とする
・吉良荘の奉行として、吉良氏の所領経営をする
・建長6年(1254)、本堂屋根瓦替工事の大勧進を勤め、同年、温室を改造する
・正嘉元年(1257)、一切経蔵を造営する
・文応2年(1261)、山王社の宝殿を改築する
616日曜8時の名無しさん:2013/09/23(月) 18:15:13.53 ID:D8RtFwpy
武家も公家も寺社の系図も縁起も由緒も
全て三河で勝手に止めるか三河だけ都合よく抜粋するか捏造するか
三河屋さんにかかったら木っ端微塵ですね。

三河起源説と韓国起源説が同じ悪臭が・・・。
617日曜8時の名無しさん:2013/09/23(月) 18:48:49.38 ID:tRcUqnNr
http://toppy.net/myamya/myamya40.html
>鎌倉幕府を開いた源頼朝でもいいと思うのですが。彼は熱田神宮の隣りで生まれていますから。こうして見ると、日本の歴史は名古屋っ子が作ってきたと言っても過言ではありませんね。


>彼は熱田神宮の隣りで生まれていますから

どこで生まれか主張するのは勝手だが


>日本の歴史は名古屋っ子が作ってきたと言っても過言ではありませんね


こう考えられては話が違ってくる


劣等感が極限に達すると、こーなるいい例でつねw
日本の中の南トンスルでつw
618日曜8時の名無しさん:2013/09/23(月) 20:42:29.94 ID:DSm8E92I
愛知中華思想w
619日曜8時の名無しさん:2013/09/23(月) 22:09:03.01 ID:vV8629e4
なかっち 動画
http://www.youtube.com/watch?v=z2qK2lhk9O0s



みんなで選ぶニコ生重大事件 2012
http://vote1.fc2.com/browse/16615334/2/
2012年 ニコ生MVP
http://blog.with2.net/vote/?m=va&id=103374&bm=
2012年ニコ生事件簿ベスト10
http://niconama.doorblog.jp/archives/21097592.html


生放送の配信者がFME切り忘れプライベートを晒す羽目に 放送後に取った行動とは?
http://getnews.jp/archives/227112
FME切り忘れた生主が放送終了後、驚愕の行動
http://niconama.doorblog.jp/archives/9369466.html
台湾誌
http://www.ettoday.net/news/20120625/64810.htm
620日曜8時の名無しさん:2013/09/23(月) 23:06:46.47 ID:tRcUqnNr
>高師泰や足利義詮に使えた中条詮秀も尾張守護を勤めた


だから中条詮秀は尾張守護じゃないだろがw
しっかろレス読め、間抜け
しかし何で名古屋人がしゃしゃり出てくるのか不明w


wikiから
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E6%9D%A1%E8%A9%AE%E7%A7%80

中条詮秀
・中条秀孝の子
・室町幕府奉公衆
・三河国加茂郡高橋荘(愛知県豊田市)地頭
・衣城主(愛知県豊田市)
・左衛門少尉、伊豆守
・子は中条満秀、中条満平
・猿投神社を厚く信仰し、度々寄進
・応永2年(1395年)4月5日には現在、重要文化財に指定されている樫鳥縅鎧(源氏八領の薄金か?)を奉納


>三河屋さんの好物の徳川に例えると

俺は殆ど家康に言及しないがな、する場合は家康とやらと、一貫して書いている


>徳川家康は三河武士なので江戸幕府とは無関係ってことね。

イミフ、誰か言っている意味説明してくれ
江戸幕府など、どーでもいいから、お前の好きにしろやw
621日曜8時の名無しさん:2013/09/23(月) 23:14:54.96 ID:tRcUqnNr
名古屋人は、三河の業績を自分の業績と思い込んでオナニーする癖がある
これは東海地方以外には理解できないと思う
今後、オナニーのオカズをおかずは徹底的取り上げる




http://toppy.net/special/dubai0.html

「名古屋が元気」

こんな言葉をよく耳にします。名古屋以外の大半の日本人は、この言葉の裏に「トヨタが元気なだけで名古屋自体がなんぼのもんじゃい」という意味を込めて使っているにもかかわらず、
ほとんどの名古屋っ子は何を勘違いしているのか、名古屋が我が国のなかで最も元気だと、本当に褒められていると勘違いしています。



>名古屋が我が国のなかで最も元気だと、本当に褒められていると勘違いしています。



どこの田舎モンだよw
622日曜8時の名無しさん:2013/09/23(月) 23:21:03.17 ID:tRcUqnNr
では名古屋も元気だったならよいのではないかと思うだろ


名古屋は本当に元気だったのか?
実は不況で、景気がいいフリをしていただけでしたw



愛知県の市町村民所得(平成22年度) | 愛知県
http://www.pref.aichi.jp/0000058054.html


名古屋市の総生産(名目)
人口は毎年10月1日現在

1996年度【総生産】13兆8475億(***.*%)【人口】2,151,084人(▼*1100人)
1997年度【総生産】13兆8640億(△*0.1%)【人口】2,154,376人(△*3292人)
1998年度【総生産】13兆7334億(▼*1.0%)【人口】2,161,680人(△*7304人)
1999年度【総生産】13兆5899億(▼*1.0%)【人口】2,167,327人(△*6647人)
2000年度【総生産】13兆4550億(▼*1.0%)【人口】2,171,557人(△*4230人)
2001年度【総生産】12兆8667億(▼*4.4%)【人口】2,177,451人(△*5894人)
2002年度【総生産】12兆1461億(▼*5.6%)【人口】2,186,075人(△*8624人)
2003年度【総生産】12兆3776億(△*1.9%)【人口】2,193,376人(△*7301人)
2004年度【総生産】12兆8037億(△*3.4%)【人口】2,202,111人(△*8735人)
2005年度【総生産】13兆3815億(△*4.5%)【人口】2,215,062人(△12951人)←名古屋が元気(笑)だった数字的裏付け無しw
2006年度【総生産】13兆4833億(△*0.8%)【人口】2,223,148人(△*8086人)
2007年度【総生産】13兆5940億(△*0.8%)【人口】2,236,561人(△13413人)
2008年度【総生産】12兆8718億(▼*5.3%)【人口】2,247,752人(△11191人)
2009年度【総生産】11兆6670億(▼*9.4%)【人口】2,257,888人(△10136人)
2010年度【総生産】11兆5715億(▼*0.4%)【人口】2,263,894人(△*9006人)←過去25年で最悪w
623日曜8時の名無しさん:2013/09/23(月) 23:52:55.15 ID:1X5pBr78
少々不便になるが、しばらく三河をNGワードにするしかなさそう。
624日曜8時の名無しさん:2013/09/24(火) 00:14:34.61 ID:VdcqCi+M
>高師泰や足利義詮に使えた中条詮秀も尾張守護を勤めた


この程度で名古屋ゆかりと絡みつかれてもなwしかも中条詮秀は尾張守護になっていないしw

中先代の乱で、直義が三河に逃げてきて尊氏と落ち合うんだが、一時的に千寿王と登子を滝山寺に預けた
おそらく、師直師泰の弟が面倒をみたんだろう、ゆかりとはこういうのだ

■貞円
・父は高師重、高師直・高師泰の弟
・滝山寺(愛知県岡崎市)大勧進



武庫川で一族が殺され、残された高師泰の娘が、尊氏義詮に掛け合って、一族を菩提する寺を建立する、これが物語だ


■明阿
・父は高師泰、夫は高師冬(高師直猶子)
・観応の擾乱で一族の大半が滅ぶと、その菩提を弔うため、三河国菅生郷(愛知県岡崎市)に総持寺を建立する、
・三河国菅生郷(愛知県岡崎市)の旧領は、一旦足利将軍家領となり、将軍家より総持寺に寄進された

■いち
・父は高師世(高師泰の息、明阿の兄)
・明阿が三河国菅生郷(愛知県岡崎市)に建立した総持寺の初代住持




小さな事でしゃしゃり出て来て、仲間に入れてちょか?
オナニーするから一切入れませんw
625日曜8時の名無しさん:2013/09/24(火) 02:42:23.18 ID:Hkq+uii6
太主
「人間が皆どうかしてしもうたのじゃ・・・」
626日曜8時の名無しさん:2013/09/24(火) 07:22:14.67 ID:rKoWX2o8
>>616
>>618
>>623
>>625
捏造韓国も溺愛三河も裏を返せば劣等感の塊なんでしょうね
627日曜8時の名無しさん:2013/09/24(火) 08:07:17.25 ID:g9FHNJms
歴史歪曲シナもな
628日曜8時の名無しさん:2013/09/24(火) 12:51:58.30 ID:Gc4lddAZ
全国見渡しても、三河ほど上から目線で国民を見下せる立場の地域はないだろうがw
だが驚くこと一切しない
何故か、昔から今に至る負け組の悲哀を味わった事がないからだ


対極的に劣等感まみれの名古屋人は、自慢ばかりしているわな
あいつら、虎の衣を借る猿だからw
629日曜8時の名無しさん:2013/09/24(火) 17:25:43.78 ID:Hkq+uii6
皆、頭がどうかしておるのではないか?!
630日曜8時の名無しさん:2013/09/24(火) 19:02:25.02 ID:ojTijUtP
太守に万一のことあらば死したる者も浮かばれませぬ。
631日曜8時の名無しさん:2013/09/24(火) 19:29:38.17 ID:iCzmu8UE
太守がお淋しそうじゃ!
632日曜8時の名無しさん:2013/09/24(火) 19:42:36.91 ID:VdcqCi+M
http://toppy.net/myamya/myamya40.html
>鎌倉幕府を開いた源頼朝でもいいと思うのですが。彼は熱田神宮の隣りで生まれていますから。こうして見ると、日本の歴史は名古屋っ子が作ってきたと言っても過言ではありませんね。


>彼は熱田神宮の隣りで生まれていますから
>日本の歴史は名古屋っ子が作ってきたと言っても過言ではありませんね



しかしとんでもない糞カッペだよなw



これもそうだわな
部外者が絡みつついてきて偉くなった気でいやがる、尾張は外様のゴミだろw
何が尾張・三河出身武士団じゃw


愛知県
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%84%9B%E7%9F%A5%E7%9C%8C


>近世日本の大部分は尾張・三河出身武士団の支配を受けた形となる
633日曜8時の名無しさん:2013/09/24(火) 19:46:02.86 ID:S1kFDew1
これって良い話風に締めてるけど明らかにバッドエンドだよね
634日曜8時の名無しさん:2013/09/24(火) 19:48:10.61 ID:iCzmu8UE
最後は一応みんな笑顔でウルトラハッピーなんじゃねえの?
635日曜8時の名無しさん:2013/09/24(火) 20:00:58.42 ID:VdcqCi+M
ゴミはしおらしくしてりゃいいものを、常に上に立ちたがりやがる
上に立てるなら、ネガすらする田舎猿だ
嘘で塗り固めるな、所詮は万年パシリ、東海道一の無能だろw
636日曜8時の名無しさん:2013/09/24(火) 20:04:35.79 ID:VdcqCi+M
ネガすりゃ、上に立てると思ってんのかよw
先祖代々骨髄まで百姓の尾張カッペめ



希望見えぬ「世界一」 トヨタの足元<1>
http://www.chunichi.co.jp/hold/2008/yui_no_kokoro/list/200805/CK2008051102010405.html
>名古屋市近郊にある古びた工場
「身の丈見失うな」 トヨタの足元<2>
http://www.chunichi.co.jp/hold/2008/yui_no_kokoro/list/200805/CK2008051202010650.html
>自動車部品の梱包(こんぽう)用段ボールなどをつくる「中央紙器工業」(愛知県春日町)の本社応接室
誰のための削減か トヨタの足元<3>
http://www.chunichi.co.jp/hold/2008/yui_no_kokoro/list/200805/CK2008051302010937.html
>社長は創業以来の機械を今も操る=愛知県尾張地方で
町工場の事情がある トヨタの足元<4>
http://www.chunichi.co.jp/hold/2008/yui_no_kokoro/list/200805/CK2008051402011210.html
>愛知県尾張地方の工場。トヨタの仕入れ担当者がストップウオッチ片手に乗り込んできた。
努力だけじゃ勝てぬ トヨタの足元<5>
http://www.chunichi.co.jp/hold/2008/yui_no_kokoro/list/200805/CK2008051502011496.html
>部品メーカー「エイベックス」(名古屋市)社長の加藤明彦(61)
「つぶれても仕方ない」 トヨタの足元<6>
http://www.chunichi.co.jp/hold/2008/yui_no_kokoro/list/200805/CK2008051602011791.html
>新川(右)の堤防が決壊し、水浸しになった住宅や工場 名古屋市西区
637日曜8時の名無しさん:2013/09/24(火) 20:06:43.87 ID:S1kFDew1
>>634
倒幕に参加した仲間は導誉を除いて失意の内に死去
自分も弟や実の息子を手に掛けたにも関わらず戦乱は続き御所の中の小さな平穏しか得られず死去
南北朝のゴタゴダは孫の代まで続き美しい都など誰も見れなかった
どう考えてもバッドエンドです
638日曜8時の名無しさん:2013/09/24(火) 20:44:04.13 ID:h+LXMko8
三河をNGワードにしてもまだ頭おかしい書き込み残っていたから、もう尾張もNGワードに登録しちゃったわww
639日曜8時の名無しさん:2013/09/24(火) 20:46:52.39 ID:iCzmu8UE
>>637
白紙の未来を黒く塗りつぶしたのだな…
640日曜8時の名無しさん:2013/09/24(火) 22:42:03.43 ID:VdcqCi+M
http://toppy.net/myamya/myamya40.html
>鎌倉幕府を開いた源頼朝でもいいと思うのですが。彼は熱田神宮の隣りで生まれていますから。こうして見ると、日本の歴史は名古屋っ子が作ってきたと言っても過言ではありませんね。


>彼は熱田神宮の隣りで生まれていますから
>日本の歴史は名古屋っ子が作ってきたと言っても過言ではありませんね


源頼朝生誕の地(名古屋市教育委員会)
http://www.aichi-c.ed.jp/contents/syakai/syakai/nagoya/nag001.htm



源頼朝は名古屋で生まれただぎゃ〜、誓願寺(戦国時代創建(笑))に産湯に使った井戸もあるだぎゃ〜
これ以上細かいことは詮索するなだぎゃ〜
641日曜8時の名無しさん:2013/09/24(火) 22:44:58.14 ID:VdcqCi+M
ゆかりとはこーいう事だ


源頼朝関連史跡
■三河七御堂(西尾市、豊橋市、蒲郡市、豊川市、新城市)
源平合戦で死んだ将兵を弔うため発願し、文治〜建久年間に安達藤九郎盛長(三河国小野田荘地頭、のちに三河守護)に命じて造らせた
東三河に集中しているのは、盛長の出自が東三河(現在の豊橋市石巻小野田町)だったからと推測する

一覧
【西尾市】
・光福寺/現在の金蓮寺、弥陀堂
【豊橋市】
・赤岩寺/弥陀堂
・普門寺/観音堂
【蒲郡市】
・長泉寺/弥陀堂、安達藤九郎盛長の墓あり
・全福寺/現在は廃寺、丹野御堂
【豊川市】
・財賀寺/観音堂
【新城市】
・鳳来寺/弥陀堂

■滝山寺(岡崎市)
母方の一族である藤姓熱田大宮司家氏寺、伽藍造営
源頼朝の歯と顎髭が埋め込まれた等身大の聖観音像あり
北条政子13回忌に、足利義氏(3代目足利宗家)が源実朝、北条政子の遺骨を分骨

■その他
【岡崎市】
・光明寺/堂宇を再建
・夏山八幡宮/梶原景時を名代にして参拝、社領寄進

【豊田市】
・平勝寺/元の名は大悲密院(南北朝時代に平勝親王が改名)、寺領寄進
・二井寺(普賢院)/寺領寄進
・猿投神社/藤姓熱田大宮司一族氏神、大社に改築

【知立市】
・牛田八幡社/頼朝の目代(大江氏か?)が鶴岡八幡宮を勧請

【西尾市】
・瀬門神社/1195年に源頼朝が社殿を再建

【豊橋市】
・普門寺/堂舎再興、寺領寄進、化積上人(叔父、藤姓熱田大宮司一族か?)が学頭、頼朝等身と伝わる不動王あり
・吉田神社/社殿は安達藤九郎盛長が造営、天王社勧請
・鞍掛神社/愛馬の鞍を奉納

【豊川市】
・財賀寺/本堂・仁王門再建、寺領寄進
・宮道天神社/安達盛長に代参を命じ、京からの帰路、鞍馬装束を奉納
・八幡宮/寺領(1000町歩)寄進

【蒲郡市】
・八劒神社/社殿は建久元年(1190年)、頼朝の命により安達藤九郎盛長(三河国小野田荘地頭、のちに三河守護)が造営

【新城市】
・鳳来寺/再興、三重塔造営、寺領寄進
・今水寺/寺領寄進
642日曜8時の名無しさん:2013/09/24(火) 22:52:49.54 ID:VdcqCi+M
足利将軍の遺髪、仏像の頭部で保存か
http://www.yomiuri.co.jp/otona/news/20121113-OYT8T00500.htm?from=yolsp


>南北朝時代の資料「園城寺文書」では、3代、義満の後見役として知られる武将・細川頼之が1368年、同寺に送った書状があり、そこでは「源頼朝や足利尊氏の先例にならって、義詮の遺髪を納めた地蔵菩薩像を園城寺に奉納した」


>源頼朝や足利尊氏の先例



源頼朝の先例とは?



滝山寺(愛知県岡崎市)
http://takisanji.net/jihou_hou_seikan.html


>聖観音は頼朝の等身大で顎髭(又は鬢の落毛)と歯を胎内に納めたという




これが部外者たる尾張名古屋猿が知る由もない、源氏ネットワークだw
643日曜8時の名無しさん:2013/09/24(火) 23:06:28.28 ID:VdcqCi+M
足利将軍の遺髪、仏像の頭部で保存か
http://www.yomiuri.co.jp/otona/news/20121113-OYT8T00500.htm?from=yolsp


>南北朝時代の資料「園城寺文書」では、3代、義満の後見役として知られる武将・細川頼之が1368年、同寺に送った書状があり、そこでは「源頼朝や足利尊氏の先例にならって、義詮の遺髪を納めた地蔵菩薩像を園城寺に奉納した」


>源頼朝や足利尊氏の先例



源頼朝の先例とは?



滝山寺(愛知県岡崎市)
http://takisanji.net/jihou_hou_seikan.html


>聖観音は頼朝の等身大で顎髭(又は鬢の落毛)と歯を胎内に納めたという




これが部外者たる尾張名古屋猿が知る由もない、源氏ネットワークだw
644日曜8時の名無しさん:2013/09/24(火) 23:39:42.64 ID:9j75NzaZ
ドラマの最後も原作みたいに黒白問答で絞めてほしかったな。終わり方が悲しすぎる。
645日曜8時の名無しさん:2013/09/25(水) 00:55:15.52 ID:Mluzl0hh
>>644
大御所が、まだ見ぬ孫の事を持ち出したのは残念至極。

貴殿の意見に、大筋で同意致す。
646日曜8時の名無しさん:2013/09/25(水) 08:48:35.99 ID:jjksXUi8
>>633
尊氏が死んだ時点で騒乱は全く収拾してないからな
南北朝で一応ハッピーエンドにしたいなら判官殿を主役にするしかない
647日曜8時の名無しさん:2013/09/25(水) 18:01:44.47 ID:LKKX9ngy
>>633
もうすぐ死ねるってだけで最終回の尊氏にとってはハッピーなのかも
648日曜8時の名無しさん:2013/09/25(水) 19:06:29.97 ID:YZ1bdeiY
京都や河内、鎌倉や足利の人たちは
なぜ、三河火病人みたいに
お国の自慢を垂れ流さないの?
なぜ?
649日曜8時の名無しさん:2013/09/25(水) 19:15:43.51 ID:mdAc5cdd
お国の自慢か?wただの歴史的事実だろw
関東猿の関東中心史観にうんざりしているから、教えてやっているんだよ

お国自慢は関東猿の得意芸な、スカイタワーステマとかよ
650日曜8時の名無しさん:2013/09/25(水) 19:34:29.47 ID:iTohJYaD
これ以上NGワードを増やしたくないから、発狂する時には「三河」か「尾張」って単語をどこかに入れてくれないかな
651日曜8時の名無しさん:2013/09/25(水) 19:57:51.45 ID:YZ1bdeiY
>wただの歴史的事実だろw

と三河基地外容疑者は相変わらず意味不明な言葉を発しており
警察による取調べ後、精神病院に隔離される予定です
652日曜8時の名無しさん:2013/09/25(水) 20:01:56.31 ID:mdAc5cdd
一貫して
三河の藤姓熱田大宮司の血を引く源頼朝が鎌倉幕府を開き
三河の熱田大宮司家との血縁で三河守護になれた足利氏(足利一族、足利一門) が、室町縛を開いた
名古屋人は頭が悪い、田舎臭い、貧乏臭い
と言っているだけだけどなw



>お国の自慢を垂れ流さないの?


これが何故、お国自慢に聞こえるのか?w
653日曜8時の名無しさん:2013/09/25(水) 20:12:15.01 ID:mdAc5cdd
お国自慢のいい例があったわいw


http://toppy.net/myamya/myamya40.html
>鎌倉幕府を開いた源頼朝でもいいと思うのですが。彼は熱田神宮の隣りで生まれていますから。こうして見ると、日本の歴史は名古屋っ子が作ってきたと言っても過言ではありませんね。


>彼は熱田神宮の隣りで生まれていますから
>日本の歴史は名古屋っ子が作ってきたと言っても過言ではありませんね




これがまさにお国自慢w劣等感の強い名古屋人らしいでつねw
654日曜8時の名無しさん:2013/09/25(水) 21:40:44.88 ID:YZ1bdeiY
三河のお陰で源氏が鎌倉幕府を創ることが出来
三河のお陰で足利氏が室町幕府が創ることが出来た
って恥ずかしくないか?

南朝鮮人が叫ぶ、天皇朝鮮人起源説とそっくりだ。
おまけに歴史を自国に都合良く脚色したり誇張したり抽出したり捏造したり、
数多ある眉唾ものの伝書・伝聞を妄信して反芻したり。

起源説を叫ぶ朝鮮人とそっくりだな。
655日曜8時の名無しさん:2013/09/26(木) 06:42:02.18 ID:Qjeaq9lI
熱田神宮を連呼している三河屋さんの暴走論法を踏襲すると、
>一貫して
「尾張の熱田神宮」の「尾張大宮司」から変わった三河藤姓熱田大宮司の血を引く源頼朝が鎌倉幕府を開き
「尾張の熱田神宮」の「尾張大宮司」から変わった三河熱田大宮司家との血縁で三河守護になれた足利氏(足利一族、足利一門) が、室町縛を開いた
関東猿・京都猿ざまぁーーーーーw

ってことになりますね。

>熱田神宮
日本武尊の時代から現代まで名古屋熱田の地
尾張国三宮に根ざす官幣大社。
656日曜8時の名無しさん:2013/09/26(木) 19:42:35.73 ID:jILsu8rz
栄えた武士は関東や近畿にルーツを持つ人が多い。
関東武士の多くは畿内豪族の末裔を自称。
人間、結局、人の数が多いところが勝つ。

明確に三河にルーツを持つ武士で偉くなったのは足利家か徳川・松平家に仕えた人だけ。
しかも、梁田氏と田沼氏は北関東、小栗氏は常陸、柳沢は甲斐など、元々は三河と関係ない幕臣も多かった。

大内氏(多々良氏)は百済国王にルーツを求める(実証不可能)。
長宗我部氏(秦氏)は秦の始皇帝の子孫。
島津氏や対馬の宗氏(惟宗氏)も秦の始皇帝に連なる家系の出身ということになる。
さてネット右翼はこれをどう思うのだろう?苦笑(そこまでケチな人らじゃないかw)
657日曜8時の名無しさん:2013/09/26(木) 20:23:54.97 ID:jX8nM7TA
近畿も元を正せば大陸だろ?w
まさか足利とか坂東平氏が関東ルーツとか言うんじゃねーだろうな、万年パシリの猿

小栗は血統に松平だろが


細川頼之は6代目、斯波義将は5代目、堂々たる三河武士ですな
658日曜8時の名無しさん:2013/09/26(木) 20:39:32.23 ID:jX8nM7TA
足利など、北関東に全然土着してねーじゃん
初代の義康、2代目の義兼とか、京で活動してたんだからよ
3代目で、先祖の地三河に本拠を移しちゃたしな


何処が関東武士なんだよ
659日曜8時の名無しさん:2013/09/26(木) 20:58:19.49 ID:Qjeaq9lI
>>652
三河屋さんの大好物の熱田神宮史ですよw
三河捏造史じゃない脚色なし神宮史ですよw

・熱田神宮の大宮司家(尾張氏)は大和国葛城郡高尾張邑で尾張国造として長年熱田大宮司職を世襲。

・のちに員職のとき外孫南家藤原季範(尾張出身)に大宮司職が譲られて藤原姓となった。

・季範の娘は源義朝に嫁して頼朝を生んだ。

・長い時が立ち藤原憲朝の代に三河国設楽郡千秋の地名から千秋氏を命名。

・千秋氏は大宮司とは名ばかりの武家となり織田信秀の家臣となる。

・桶狭間で今川氏によってあえなく戦死。

・その後信長の命令にて戦場に出入り禁止・宮司に専念しろとキツイお達し。
660日曜8時の名無しさん:2013/09/26(木) 21:04:30.85 ID:jX8nM7TA
>>659
憲朝は源広綱逐電後の駿河守になっている
頼朝と同年代で長い年月とかw
訂正しておけ
661日曜8時の名無しさん:2013/09/26(木) 21:07:20.70 ID:jX8nM7TA
栄えた武士で、関東ルーツの関東武士の具体例を出せ

言っておくが、高麗人の秩父なんとかは、パシりだかなw
662日曜8時の名無しさん:2013/09/26(木) 21:10:22.99 ID:jX8nM7TA
>>659
つーか、お前は尾張名古屋猿だな
出ていけ、高卒
663日曜8時の名無しさん:2013/09/26(木) 21:33:40.02 ID:Qjeaq9lI
>>662
相変わらず日本語が分からないらしいね。
少しは学習能力を付けましょうね。

熱田は絶対三河だから熱田三河は源氏、熱田三河は足利と
名古屋熱田を溺愛するのもいいけどねえ。
で、たまには正確な歴史観に沿った反論でもどうですか?.
664日曜8時の名無しさん:2013/09/26(木) 21:45:35.98 ID:jILsu8rz
>>661
秩父氏は平氏。つまり天皇の子孫。
天皇=朝鮮人と言いたいのか?この猿はw
665日曜8時の名無しさん:2013/09/26(木) 21:47:32.87 ID:jX8nM7TA
お前は、もーえわw



さて、はよ出せよ
栄えた武士で関東ルーツをもつ関東武士
666日曜8時の名無しさん:2013/09/26(木) 21:51:12.95 ID:jILsu8rz
そもそも関東にルーツとはどこまで遡れば良いのか?
徳川・松平氏も上野源氏新田氏の庶流を称してるのだから、
本当なら群馬県<京都(<三河屋の主張に従えば朝鮮半島)にルーツとなる。
賀茂氏の流れとしても、結局近畿に遡ってしまう。

侵略され、併呑され、下風に立たされた土地…それが三河
667日曜8時の名無しさん:2013/09/26(木) 22:04:43.31 ID:jX8nM7TA
>>666
徳川は土豪じゃねーのかよw

話は飛ぶが
悔しい気持ちは理解するが、何でも三河サゲありきだから色々無理がある

例えば、こー言った矛盾だわな
・三河は痩せた土地で貧乏だった
・農民気質
668日曜8時の名無しさん:2013/09/26(木) 22:06:11.64 ID:jX8nM7TA
大体、農民気質とか何だよ、武士だらけだろが


室町幕府 西三河の日本支配構造

【奉公衆】
・奉公衆(ほうこうしゅう)は、室町幕府に整備された幕府官職の1つである
・将軍直属の軍事力で、5ヶ番に編成された事から番衆、番方などと呼ばれた
・奉公衆の人数は全国合計250〜300人
・三河国の奉公衆は全国で最大人数、又三河国出身の奉公衆も最大人数

・5番衆の番頭
一番番頭 細川氏
二番番頭 桃井氏
三番番頭 上野氏
四番番頭 石垣氏(畠山氏)
五番番頭 大館氏


三河国の奉公衆一覧(全53家)

【藤姓熱田大宮司一族】
千秋、萩、星野、二階堂、毛利(大江氏流)

【足利一族】
荒川(戸賀崎流)、一色、伊奈、上野、吉良、天竺(細川氏流)、仁木、細川、三淵(細川氏流)、和田

【足利被官】
饗庭、朝倉、飯尾、岩堀、大草、高、久下、小嶋、中条、二宮、彦部

【三河源氏】
足助、水野

【三河伴氏】
設楽、黒瀬、富永

【美濃源氏】
土岐、長山(土岐氏流)

【桓武平氏】
伊勢、神谷、山下

【その他】
宇津野、大内、借宿、河内、小林、疋田、桜井、進土、杉山、堤、長、西部、本郷、松平、丸山、三浦、大和
669日曜8時の名無しさん:2013/09/26(木) 23:49:34.30 ID:tIKoetqA
>>664
そういえば東郷平八郎も秩父氏の末裔だよね。
平八郎の「平」って、やっぱり平氏を意識しているんだろうか?
670日曜8時の名無しさん:2013/09/26(木) 23:56:42.89 ID:jILsu8rz
>>669
渋谷氏ね。
あの時代の人だと先祖代々とか親戚でよく使ってた通り名とかじゃない?
671日曜8時の名無しさん:2013/09/27(金) 00:14:13.51 ID:jdZLBqTR
秩父なんとかと前振されていたにも関わらず


栄えた武士で関東ルーツをもつ関東武士は秩父氏だす

と返されるとは思わなんだわw


関東は頭が悪いと改めて思うね
672日曜8時の名無しさん:2013/09/27(金) 00:16:18.38 ID:jdZLBqTR
関東など、全部仮冒じゃw
数は多いが、どいつもこいつも小物でクルクルパーw
673日曜8時の名無しさん:2013/09/27(金) 00:26:59.30 ID:jdZLBqTR
昔、都庁に太田道灌(笑)の像があったらしいが、どーみても吉良成高が一番偉いだろw
こんな情けない太田道灌(笑)の像を飾っていたとか、アホか?w


また、太田道灌が文明12年(1480)に山内上杉氏の家臣高瀬民部少輔に提出した書状「太田道灌状」によれば、道灌は成高を「吉良殿様」と敬称をもって呼び、
「吉良殿様は江戸城に御籠城になって、御命令になっていたので、城下の軍勢はそれに従って数ケ度合戦を致して遂に勝利を得た」と武将成高への感謝を記しています。

鎌倉鶴岡八幡宮の供僧だった相承院の快元の記録した「快元僧都記」によれば、快元は吉良頼康を「吉良殿様」「蒔田御所」と敬称を使用、北条氏綱に対しては「氏綱」と呼び捨てにしています。
当時の関東では「足利氏一家衆」という吉良氏の存在が小田原北条氏以上に尊敬を受けていたものと思われます。





>吉良殿様
>御籠城
>御命令



力抜けよw万年パシリのトンキン猿w
674日曜8時の名無しさん:2013/09/27(金) 00:30:18.39 ID:h3Xrjttj
>>366
>【岡崎市】
>・足利宗家、屋敷(大門屋敷)、近辺(八剣神社内)に足利尊氏の墓あり

おまえの頭・・・マジで大丈夫か?
675日曜8時の名無しさん:2013/09/27(金) 00:39:10.12 ID:jdZLBqTR
>>674
大丈夫とわ?
大門屋敷は、1301年に、貞氏が滝山寺に寄進した記録が残っているが


足利尊氏の墓(宝塔)は、八剣神社にあって、銘もある
昭和の矢作川改修工事の際、埋っているのが見つかってな、八剣神社に安置したらしい
676日曜8時の名無しさん:2013/09/27(金) 00:43:39.86 ID:jdZLBqTR
>>673
成高は西条吉良氏からの養子だったかな
これをみると、家康とやらの関東統治が楽勝だった理由がよく分かるよな


喜んでパシりしとるw
677日曜8時の名無しさん:2013/09/27(金) 00:58:25.04 ID:jdZLBqTR
不明な点があれば、、捏造だべ、捏造ズラと発狂せず、674クンのように、どんどんレスしなさい


但し、尾張名古屋だぎゃ〜は出入り禁止だ
678日曜8時の名無しさん:2013/09/27(金) 01:02:51.91 ID:h3Xrjttj
>>658
>足利など、北関東に全然土着してねーじゃん
>初代の義康、2代目の義兼とか、京で活動してたんだからよ
>3代目で、先祖の地三河に本拠を移しちゃたしな

バカ丸出しだな
って指摘しても分からないだろうがな
679日曜8時の名無しさん:2013/09/27(金) 01:16:07.87 ID:jdZLBqTR
>>678
家時の没年くらい、正しく記録してから言えよw

大門屋敷と土地は、家時17回忌法要で滝山寺に寄進したわけだが、足利にある記録が間違っていると言う事は、足利では17回忌法要をやっていないと言う事だ


足利飛ばしで軽視されていた歴史的事実にも関わらず、間抜けにも、足利尊氏マラソンとかやっているよなw
680日曜8時の名無しさん:2013/09/27(金) 01:24:12.77 ID:h3Xrjttj
>>675
足利尊氏の銘文ありの供養塔は日本中かなりの数に及ぶ
やはり供養等や墓の区別もつかないらしいな

そして八剣神社の相隣は後補で宝篋印塔の笠を寄せ集め
尊氏の没年が刻印されているが石塔自体は江戸前期〜中期
681日曜8時の名無しさん:2013/09/27(金) 01:34:46.42 ID:jdZLBqTR
>>680
いっぱいあるなら一覧を上げてみろ

把握しているのは4ヶ所

鎌倉:長寿寺、製作は鎌倉公方か?尊氏の遺髪を納める、銘無し
京都:等持院、銘無し
尾道:浄土寺、明らかに新しい、銘無し
岡崎:銘あり


江戸時代制作は宝塔の一部だろ、銘がある所は当初からの物だ
682日曜8時の名無しさん:2013/09/27(金) 01:36:23.24 ID:h3Xrjttj
ちなみに文科省文化財科の昭和初期から平成に至る全国調査の結果
現在立証されている尊氏の墓は、鎌倉の長寿寺と京都の等持院だけね

まあ三河土着記を狂信しているお前には意味不明だろうが
あと滝山寺の縁起(江戸に再度編纂された)や在ったとする寺宝も寄進状すらない
伝承の域だぞw
ってこれも文化庁が調査済
683日曜8時の名無しさん:2013/09/27(金) 01:36:55.24 ID:fPtDt4Ih
鎌倉時代の足利当主は基本的に鎌倉にいただろ?
守護で鎌倉にいなかったのは合戦に従軍してる人、
京都や九州に赴任してる人ぐらいだったんじゃね?
684日曜8時の名無しさん:2013/09/27(金) 01:39:20.49 ID:h3Xrjttj
>江戸時代制作は宝塔の一部だろ、銘がある所は当初からの物だ

お前・・・やっぱり完全にダメだな・・・
685日曜8時の名無しさん:2013/09/27(金) 01:40:52.17 ID:jdZLBqTR
>>680
足利尊氏もそうだが、あの足利義満の墓が何処にあるか、わかりまへん
宝塔=墓で間違っていませんね



はよ、一覧にして上げろよ
686日曜8時の名無しさん:2013/09/27(金) 01:43:22.11 ID:jdZLBqTR
>>684
今日、岡崎市教育委員会に電話して聞けw
687日曜8時の名無しさん:2013/09/27(金) 01:45:57.27 ID:h3Xrjttj
>>683
やや正解です

鎌倉中期まで当主は主に足利庄
後期は主に鎌倉です
688日曜8時の名無しさん:2013/09/27(金) 01:46:40.40 ID:jdZLBqTR
>>682
グダグダ言うなよ
お前程度の知識はあるんだよ

さっさと一覧にしてあげろ、猿
689日曜8時の名無しさん:2013/09/27(金) 01:50:49.29 ID:h3Xrjttj
>>686
バカ丸出しの二乗だな
愛知県文化財担当局も岡崎市教育委員会学芸員も
伝承の可能性が高く立証できないと調査済なんだよ

熱田神宮のカススレの件といい、
もうこれ以上、三河の恥を岡崎市の恥をさらさないでくれ
みっともないから
690日曜8時の名無しさん:2013/09/27(金) 01:51:20.94 ID:fPtDt4Ih
>>687
鎌倉時代の守護がある時どこにいたかなんて資料が絶望的なんでしょうが、
偉い御家人ほど鎌倉にいた時間が長かったんじゃないでしょうかね?

三河は関東と畿内の中間にあるので立ち寄る機会もいくらか多かったかも知れませんけど
それだって人生に何回行くか…程度の所領に過ぎなかったでしょう
691日曜8時の名無しさん:2013/09/27(金) 01:56:56.51 ID:jdZLBqTR
>>687
お前は出鱈目ばかり言っているな
入道した義兼と義氏だけだろが
泰氏は自由出家で所領を没収、上総か下総で隠居しとるがな
頼氏は早死に、家時は切腹
692日曜8時の名無しさん:2013/09/27(金) 02:03:55.63 ID:jdZLBqTR
>>689
文化財担当局とかなんだよw

立証出来ないのは等持院、長寿寺、浄土寺も同じだろがw
銘がねーんだからよw
693日曜8時の名無しさん:2013/09/27(金) 02:04:43.26 ID:h3Xrjttj
>>668
>西三河の日本支配構造

大好きな熱田神宮は恥ずかしくて削除したのね
偉いね学習能力あるじゃんw
694日曜8時の名無しさん:2013/09/27(金) 02:08:26.09 ID:h3Xrjttj
>>691
やっぱりな
入道と出家の区別もつかないのね

ハイ、またまたお前の大好きなWikiがお呼びですよw
695日曜8時の名無しさん:2013/09/27(金) 02:11:24.04 ID:jdZLBqTR
>>694
はよ、一覧にしろよw
いっぱいあるんだろw
696日曜8時の名無しさん:2013/09/27(金) 02:17:13.32 ID:jdZLBqTR
>>693
お前、おじいちゃんか?w
意味不明だが、
藤姓熱田大宮司家と、ちゃんと書いてあるだろw
誤字脱字をイチイチ指摘した事はないが、メクラもいいとこだろがw
697日曜8時の名無しさん:2013/09/27(金) 02:21:11.44 ID:h3Xrjttj
>>690
大正解です
698日曜8時の名無しさん:2013/09/27(金) 02:24:19.72 ID:jdZLBqTR
>>697
いっぱいあるの、はよ一覧にしろwノロマ猿w
699日曜8時の名無しさん:2013/09/27(金) 06:04:59.20 ID:5AnHbNeS
NGワード
三河、岡崎、尾張、名古屋、熱田
700日曜8時の名無しさん:2013/09/27(金) 07:37:19.21 ID:0MMHl6RY
>>658
>足利など、北関東に全然土着してねーじゃん
>初代の義康、2代目の義兼とか、京で活動してたんだからよ
>3代目で、先祖の地三河に本拠を移しちゃたしな

3代目って誰かなあ?
何処の先祖の地で
何処から何処へ移したのかなあ?
701日曜8時の名無しさん:2013/09/27(金) 08:34:51.07 ID:6UUzOcku
本拠は鎌倉だな
702日曜8時の名無しさん:2013/09/27(金) 12:48:27.65 ID:fPtDt4Ih
足利当主の本拠地

入部から頼朝蹶起まで:足利荘
鎌倉幕府のあった時期:鎌倉
尊氏が後醍醐を破った1336年から足利義昭が放逐されるまで:京都
喜連川家:江戸

三河なんて紫波郡と変わらなかったんじゃないのか?w
703日曜8時の名無しさん:2013/09/27(金) 17:05:35.69 ID:jdZLBqTR
>>680
この老いぼれ猿、ググって一番上の個人ブログの内容を写しただけかよw


老いぼれ猿、まとめてやる


八剣神社(愛知県岡崎市) 足利尊氏のは(石宝塔、供養塔)

・矢作川堤防工事の際、埋もれているのが発見された(矢作川は過去4度大氾濫を起こした)
・すぐ近くの八剣神社に安置された
・覆鉢形の塔身と二重軒・宝形の笠の2石のみが創建当時の物
・高さは215センチ
・銘
源尊氏公
足利治部大輔
征夷大将軍
等持院殿妙義
于時延文三天
四月晦日
足利内蔵之尉敬白
正啓□□
704日曜8時の名無しさん:2013/09/27(金) 17:23:23.60 ID:jdZLBqTR
>>702
また嘘か?w
頼朝蜂起以前の義兼の動向は全く不明じゃ


お前が大門屋敷の存在を知って衝撃を受けたのが、よーく分かったw
だが、吾妻鏡には義氏の屋敷も出てくるぞw
藤原頼経が鎌倉に向かう際、矢作宿の義氏の亭(屋敷)に宿泊したとなw
705日曜8時の名無しさん:2013/09/27(金) 17:37:40.67 ID:Gg3/CLT2
>>673
>鎌倉鶴岡八幡宮の供僧だった相承院の快元の記録した「快元僧都記」によれば、快元は吉良頼康を「吉良殿様」「蒔田御所」と敬称を使用、北条氏綱に対しては「氏綱」と呼び捨てにしています。


そういえば『松平家忠日記』のなかで、松平(深溝)家忠は、
織田信長のことは「信長様」「右府様」と書いているのに対し、
徳川家康のことは「家康」と呼び捨てにしているよね。
706日曜8時の名無しさん:2013/09/27(金) 17:55:15.97 ID:jdZLBqTR
>>702
貞氏は三河で出家したらしいから、1305年までに出家していたのなら、尊氏直義は三河生まれの可能性もあるぞw
清子の父親も三河に住んでいたからな
断定はしませんがwお前が発狂するからなw


■上杉氏

上杉−勧修寺家支流と称するが疑問が大きい。
丹波国何鹿郡上杉庄より起り、上野を本拠として、越後や関東各地等に分る。
『東鑑』を含め確実な史料には、先祖重房の下向記事が見えず、足利家家人の上椙三郎入道(上杉頼重)より前は不明。
その出自は難解であるが、三河の日下部(穂国造一族か)と関係をもった場合も考えられ、その場合は、同国の足利被官で藤姓を称した杉山氏や大草氏と同族か



■日名屋敷(事実上の始祖である上椙三郎入道(上杉頼重)の 屋敷)

鎌倉末期に三河国額田郡日名にあった上杉氏の屋敷。
足利貞氏室となり尊氏・直義を産んだ上杉頼重の娘清子が、暦応2年(1339)10月15日に丹波国光福寺(現綾部市安国寺)へ日名屋敷を寄進、
翌年4月5日に清子の甥上杉重能がこの屋敷を光福寺雑掌へ渡すよう岩堀右衛門三郎に命じている。
頼重は額田郡を含む足利氏所領群を管理する奉行人のひとりであったから、現地支配の拠点として上杉氏がこの屋敷を所領とし、頼重から女子清子に譲与されたものであろう。
日名屋敷跡伝承地の近くの墓地に14世紀後半の宝塔の笠1個がある。
707日曜8時の名無しさん:2013/09/27(金) 19:53:49.93 ID:fPtDt4Ih
何、鬼の首を取ったみたいに言ってんの?w

足利氏が三河に所領を得た時期はハッキリわかるのか?
守護になったのは1221年以降と考えられている。
1199年までは安達盛長が三河守護だった。
源範頼も三河守だった時期がある。

だから1199年までは、足利氏が三河に所領を持ってても

「三河に所領を持つ御家人」

の一家に過ぎなかったということだ
708日曜8時の名無しさん:2013/09/27(金) 20:17:33.82 ID:jdZLBqTR
足利尊氏マラソンとかアホか、無関係だろw
くだらない村おこしも大概せいw

足利尊氏関連史跡

■天恩寺(岡崎市)
足利尊氏遺言の寺、3代将軍足利義満建立、4代将軍足利義持の祈願所


■勝楽寺(西尾市)
創建、お手植えの松があった


■その他
【岡崎市】
・滝山寺/足利宗家の氏寺、寺領寄進
・高隆寺/七堂伽藍造営
・真福寺/持地院建立
・満性寺/太子信仰、足利尊氏弓矢の守護神、伽藍造営
・竜泉寺/日静(尊氏の母の弟)開基、元は上野一族(足利一族)の竜泉寺城
・総持寺/高一族屋敷跡に、高師泰(高師直の兄)の娘が建立、足利尊氏と足利義詮の支援あり
・長瀬八幡宮/社殿(火災による消失)復興、板倉氏(足利一族)を神主に
・糟目犬頭神社/庇護(百貫文寄進)、三河鈴木氏ゆかり、新田義貞の首塚あり
・八剣神社/足利尊氏の墓あり、近くに大門屋敷(足利宗家の屋敷)があった

【豊田市】
・長興寺/三河利生塔、全国66ヶ国2島の利生塔の一つ

【幸田町】
・安国寺/三河安国寺、全国66ヶ国2島の安国寺の一つ

【西尾市】
・実相寺/安国寺(全国66ヶ国2島の安国寺)に指定、尾張国の安国寺の代わりらしい(尾張国にあった記録なし)
・金蓮寺/真言宗光福寺の子院を現在の場所に移転、金蓮寺として再興
・饗庭神社/新田開発し、一宮、二宮、三宮を鎮守、その内の二宮、饗庭命鶴丸氏直(花一揆武士団大将)が関係
・幡頭神社/参拝、弓矢奉納

【豊橋市】
・赤岩寺/阿弥陀如来坐像奉納

【新城市】
・冨賀寺/真応上人(尊氏の従兄弟)が住職、祈願寺として寺領を寄進し、本堂・中堂・護摩堂・阿弥陀
709日曜8時の名無しさん:2013/09/27(金) 20:25:22.43 ID:jdZLBqTR
再掲


八剣神社(愛知県岡崎市) 足利尊氏の墓(石宝塔、供養塔)

・矢作川堤防工事の際、埋もれているのが発見された(矢作川は過去4度大氾濫を起こした)
・すぐ近くの八剣神社に安置された
・覆鉢形の塔身と二重軒・宝形の笠の2石のみが創建当時の物
・高さは215センチ
・銘

源尊氏公
足利治部大輔
征夷大将軍
等持院殿妙義
于時延文三天
四月晦日
足利内蔵之尉敬白
正啓□□


□は判読不明



いっぱいある足利尊氏の墓一覧、さっさとレスしろよ
710日曜8時の名無しさん:2013/09/27(金) 20:43:42.59 ID:0MMHl6RY
>>704
>また嘘か?w
名古屋熱田オタくん・・・またまたやっちゃいましたねw


本拠地=本貫
足利氏の本貫は下野国足利郡足利庄(現在の足利市)
三河は足利一門・庶流で宗家直流でも何でもない
基本中の基本
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%AC%E8%B2%AB


あ・・・ちなみオレは京都人だからね
711日曜8時の名無しさん:2013/09/27(金) 20:48:33.40 ID:0MMHl6RY
悪りい
嫡流ねw
712日曜8時の名無しさん:2013/09/27(金) 21:19:59.38 ID:jdZLBqTR
>>710 交通局か環境局勤務の部落民ですか?

資料が少ないのなら伝承を元に想像する事も大事、まとめてみた

源義兼(足利義兼、2代目足利氏当主)の年表

1153年、父:源義康(初代足利氏)、母(源頼朝の母と姉妹):藤原季範(初代藤姓熱田大宮司)の娘(実父は藤原季範の長男:藤原範忠)の間に生まれる(出生地は京都もしくは三河)
1155年、母方の祖父(血縁上は曾祖父):藤原季範死去、父方の祖父:源義国死去
1157年、父:源義康死去
1159年、母の姉:由良御前(源頼朝の母)死去
1160年、源義朝暗殺、源頼朝伊豆に配流
1160〜1162年頃、母親(頼朝の母と姉妹)の三河国額田郡乙見内の所領(父親からの化粧料)に、異母兄弟2人(源義清、源義長)と共に移り住み、三河の藤姓熱田大宮司家の庇護を受ける
1161年、藤原範忠(実の祖父)周防国に配流
1167〜1168年頃、八条院蔵人、三河国碧海郡碧海庄(三条女御領)の庄司に任じられる(碧海庄司時代、熱田神宮祭典の大宮司代理に補された)
・異母兄の源義清(細川氏・山名氏の祖、室に新田義重の娘)は、三河国幡豆郡矢田(皇嘉門院(崇徳天皇中宮)領)に拠を構え、矢田義清(矢田判官代)と称する
1174年、三河国碧海郡碧海庄で長男、源義純(源姓畠山氏の祖、新田義重が養育)が生まれる(その所縁か、室町時代に畠山氏流和田氏が碧海地域の奉公衆になる)
1176年、三河国碧海郡碧海庄で次男 源義助(桃井氏の祖)が生まれる
1180年、以仁王挙兵、源義清(矢田義清)、源義長、源義兼は三河国から参戦、義清と義長は源頼政(頼政死後は木曽義仲)と、義兼は源頼朝と行動を共にする
1181年、北条時政の娘を正室に迎える
1183年、異母兄2人源義清(矢田義清)と源義長は、水島の戦いで戦死
1184年、源範頼(後に三河守)軍の一員として九州平定
1185年、上総介に推挙される
1187〜1190年頃、三河国碧海郡碧海庄内に薬師寺を建立(義純、義助の母である白拍子を菩提)、三河国額田郡乙見の真福寺に法華堂を建立(母親を菩提)
1189年、源頼朝軍の一員として奥州合戦に従軍、嫡男足利義氏(後に足利氏として初めて三河守護)が産まれる
1195年、東大寺で出家
1199年、死去
713日曜8時の名無しさん:2013/09/27(金) 21:24:47.36 ID:jdZLBqTR
大門屋敷と墓の話をしたら、やたら鎌倉がどーのこーの、必死に言い出したなw
鎌倉が自尊心崩壊阻止限界点か?w


道灌クンの様に、素直にひれ伏せばいいだろがw
714日曜8時の名無しさん:2013/09/27(金) 21:45:25.15 ID:0MMHl6RY
>>702
>>>足利当主の本拠地
>>入部から頼朝蹶起まで:足利荘
>>鎌倉幕府のあった時期:鎌倉

>>704
>また嘘か?w

>>710 交通局か環境局勤務の部落民ですか?
>資料が少ないのなら伝承を元に想像する事も大事、まとめてみた
って自分から三河捏造記を認めちゃって・・・

まずは話をすり替えないで本拠地の嘘の根拠を立証してねw
715日曜8時の名無しさん:2013/09/27(金) 21:57:14.09 ID:Gg3/CLT2
>>707
足利氏が三河守護になった後も、鎌倉中期頃だと三河守は長らく新田一族の世良田頼氏だよな。
716日曜8時の名無しさん:2013/09/27(金) 22:23:56.61 ID:jdZLBqTR
鑁阿寺の家時の位牌、没年間違えるなよw何が1309年だよw
関東は何をやらせても出来が悪い、そりゃ三河の力を借りなあかんわけやw

■1234年、鑁阿寺大御堂を建立

(大檀那)足利義氏(三代目足利氏当主)
・藤原実範(三河国司)→藤原季兼(三河四郎)→藤原季範(額田冠者、初代藤姓熱田大宮司)→娘→足利義兼→足利義氏

(大行事権律師)藤原重弘(鑁阿寺第四世寺務学頭、野田朝氏と兄弟)
・藤原実範(三河国司)→藤原季兼(三河四郎)→藤原季範(額田冠者、初代藤姓熱田大宮司)→藤原範忠→野田清季(野田城主(三河国設楽郡野田))→野田朝季→藤原重弘


(大勧進)阿闍梨了心

(雑掌・奉公人)藤原朝氏(野田朝氏、野田大宮司、嫁は足利義氏の姉)
・藤原実範(三河国司)→藤原季兼(三河四郎)→藤原季範(額田冠者、初代藤姓熱田大宮司)→藤原範忠→野田清季(野田城主(三河国設楽郡野田))→野田朝季→野田朝氏
(雑掌・奉公人)源季能
(雑掌・奉公人)小俣禅阿(鶏足寺別当)
(雑掌・奉公人)大平惟行
・高階惟章→惟頼→惟真→惟範→惟長(三河国額田郡菅生郷郷司)→瀧口惟忠→大平惟行
(雑掌・奉公人)高階義定
・高階惟章→惟頼→惟真→惟範→惟長(三河国額田郡菅生郷郷司)→惟重→義定
(雑掌・奉公人)大進円憲
(雑掌・奉公人)佐野範綱
(雑掌・奉公人)真下広経
(雑掌・奉公人)小野有家
(雑掌・奉公人)藤原兼資

■鑁阿寺 旧多宝塔跡
藤原重弘(鑁阿寺第四世寺務学頭、野田朝氏と兄弟)が、父である野田朝季の供養のために造立した供養塔、多宝塔供養導師は、足利義氏の息子、最信

野田朝季(野田大宮司、朝比奈義秀と戦い戦死)
・藤原実範(三河国司)→藤原季兼(三河四郎)→藤原季範(額田冠者、初代藤姓熱田大宮司)→藤原範忠→野田清季(野田城主(三河国設楽郡野田))→野田朝季

最信(勝長寿院別当)
・藤原実範(三河国司)→藤原季兼(三河四郎)→藤原季範(額田冠者、初代藤姓熱田大宮司)→娘→足利義兼→足利義氏→最信
717日曜8時の名無しさん:2013/09/27(金) 22:35:08.45 ID:jdZLBqTR
>>716
関連事項

関東猿の三河崇拝が甚だしいw道灌クン(都庁に誇らしげに像を飾る(笑))


■日光山
源頼朝がその母方の三河の藤姓熱田大宮司家(愛知県岡崎市)の出身者を別当に据えて以来、鎌倉幕府、関東公方、後北条氏の歴代を通じて東国の宗教的権威の一中心であり続けた


源頼朝
・藤原実範(三河国司)→藤原季兼(三河四郎)→藤原季範(額田冠者、初代藤姓熱田大宮司)→娘(由良御前)→源頼朝


母方の三河の藤姓熱田大宮司家の出身者(源頼朝の従兄弟)
寛伝(寛典・観纒とも、額田僧都、式部僧都と称された、日光山満願寺19世座主)
・藤原実範(三河国司)→藤原季兼(三河四郎)→藤原季範(額田冠者、初代藤姓熱田大宮司)→藤原範忠→寛伝


年表
・1142年、生まれる
・叔父の三河法橋裕範(源頼朝の母の弟)、粟田口法眼長暹(源頼朝の母の弟)を頼って滝山寺(愛知県岡崎市)で仏門に入る
・仁和寺で修行
・1182年、源頼朝の推挙により日光山満願寺19世座主になる
・宗徒と面会する際、御簾を半分にしか上げず紛紜、2ヶ月で三河国(愛知県岡崎市)に戻る
・菩提寺の滝山寺(愛知県岡崎市)僧侶になり、66郷を領し精舎一区を創建する
・鑁阿寺奥院の法界寺に、宋版の一切経を納める(後に一切経は、足利義氏により鑁阿寺に)
・高野山御影堂に大鐘を施入する
・1201年、頼朝公の3回忌、滝山寺内に惣持禅院を創建し、本尊として頼朝公の御歯と御髪を納めた聖観音菩薩を安置する
・惣持禅院に供僧10人を常置し10町の土地を寄進する
・1205年、死去する
718日曜8時の名無しさん:2013/09/27(金) 23:04:23.10 ID:Gg3/CLT2
>三河の藤姓熱田大宮司家

いい加減にこの言葉のおかしさに気づけよw
どんなにゴタクを並べようと、熱田神宮の所在地が尾張なのは厳然たる事実なんだが。
719日曜8時の名無しさん:2013/09/27(金) 23:26:11.75 ID:fPtDt4Ih
>>712
これを読んでても足利「宗家」の本拠地が三河とはとても思えないのだが
720日曜8時の名無しさん:2013/09/27(金) 23:37:12.98 ID:0MMHl6RY
>>716
やはり学習能力ゼロですね
単なる関東・足利・鎌倉に逆恨みを持つ
コンプレックス満載の三河捏造オヤジのスレ荒らし

三河の藤姓熱田大宮司家×
尾張名古屋に在る藤姓熱田大宮司家◎

そんなに出目に拘りたいのなら
藤原実範は近江出身で藤原季範はお前の大好きな尾張出身だし
そもそも藤原南家は奈良県橿原市
三河はカスみたいなもんですよ


マトモな尾張熱田神宮史>>659を100回読破し
721日曜8時の名無しさん:2013/09/27(金) 23:43:09.14 ID:jdZLBqTR
>>718
お前みたいのがいるだろ
理解しやすいように、わざわざ書いているだが


大宮司職を乗っ取られて、内部では対立してたのさ
頼朝は、乗っ取った側(三河)の味方


平成の時代になっても、名古屋猿はグダグダ言ってやがるw


尾張國造家は、単なる外戚の藤原南家に「天皇の夢」というワケのわからんムチャクチャで大宮司職を奪われるも、神宮寺の愛染院(真言系)とスクラムを組んで対抗し、
藤原季範を締め上げた。季範の息子の代には、館を社僧に取り囲まれて外に出ることもできなくなり、頼朝に泣きつき、頼朝の発案で天台系の神宮寺を作って愛染院に対抗させやがる


>「天皇の夢」というワケのわからんムチャクチャで大宮司職を奪われる
>、頼朝の発案で天台系の神宮寺を作って愛染院に対抗させやがる
722日曜8時の名無しさん:2013/09/27(金) 23:48:23.35 ID:jdZLBqTR
名古屋猿は今も昔も間抜けw



303 :名無しさん@京都板じゃないよ:2012/03/23(金) 09:35:38.83
尾張國造家は、単なる外戚の藤原南家に「天皇の夢」というワケのわからんムチャクチャで大宮司職を奪われるも、神宮寺の愛染院(真言系)とスクラムを組んで対抗し、
藤原季範を締め上げた。季範の息子の代には、館を社僧に取り囲まれて外に出ることもできなくなり、頼朝に泣きつき、頼朝の発案で天台系の神宮寺を作って愛染院に対抗させやがる


>「天皇の夢」というワケのわからんムチャクチャで大宮司職を奪われる(笑)
>頼朝の発案で天台系の神宮寺を作って愛染院に対抗させやがる(笑)
723日曜8時の名無しさん:2013/09/27(金) 23:51:33.67 ID:jdZLBqTR
>>717

訂正

×道灌クン(都庁に誇らしげに像を飾る(笑))

○道灌クン(都庁に誇らしげに像を飾る(笑))も平伏すわなw
724日曜8時の名無しさん:2013/09/27(金) 23:58:50.15 ID:0MMHl6RY
>>722

岡崎市の伝承ファンタジーや三河のお花畑民話は聞き飽きた

マトモな歴史に沿って三河が足利宗家である理由を述べよ
725日曜8時の名無しさん:2013/09/28(土) 00:02:33.96 ID:jdZLBqTR
>>718

一族は尾張に殆ど住んでいない、実態は大宮司職を乗っ取った三河武士だからな
常に分かりやすく、詳しくが俺のモットーだ

これで理解出来ないのら、今後は一切レスをするな



■藤姓熱田大宮司家(本貫地:三河国額田郡乙見、愛知県岡崎市)

・頼朝の母方の曾祖父藤原季兼(三河四郎)は、三河国司を多数輩出した一族(祖父の兄、父、弟)に生まれる
・季兼は、伊勢神宮領荘園の荘官(伊勢権守令)として都を下り三河国加茂郡(愛知県豊田市)に土着
・季兼は、三河国加茂郡(愛知県豊田市)の未開拓の土地を開発し、高橋荘・高橋新荘(後世 八条院領大覚寺統)を立券、皇室に寄進する
・季兼は、三河国額田郡(愛知県岡崎市)に移り住み、青木川菅生川流域(菅生郷)を開発、荘園化せず自らの本拠とする(後に、権益は血縁である足利氏に)
・季兼は、三河国設楽郡稲木(愛知県新城市)の稲木長者を滅ぼし、東三河を支配下におく
・季兼室の松御前(尾張員職の娘)は、晩年新城市稲木で過し没した(城ヶ峰の山頂(愛知県新城市)に墓あり)
・季兼は、藤原資良(父の従兄弟)が尾張守になり、息子(藤原季範、額田冠者)と共に三河に住みながら尾張目代を務める
・季兼の息子である藤原季範(額田冠者)は、藤原南家として初めて熱田大宮司となる(大宮司職の簒奪)
・藤原季範(額田冠者)の娘(由良御前)は源義朝の正室となり、源頼朝を産む
・藤原季範(額田冠者)の娘(養女(長男の娘))は源義康の正室となり、足利義兼を産む
726日曜8時の名無しさん:2013/09/28(土) 00:55:00.19 ID:4d1oyTi6
歴史板でやりたまえ
727日曜8時の名無しさん:2013/09/28(土) 01:37:37.87 ID:lOL6ESo8
>>722
足利宗家は三河の説明はどうした?
肝心なことは逃亡しか出来ないんだな

あとこの手の三河基地外くだりもいい加減にしてくれ
>藤原季範(額田冠者)の娘(養女(長男の娘))は
>藤原実範(三河国司)→藤原季兼(三河四郎)→藤原季範(額田冠者、初代藤姓熱田大宮司)→娘(由良御前)→源頼朝
>藤原実範(三河国司)→藤原季兼(三河四郎)→藤原季範(額田冠者、初代藤姓熱田大宮司)→娘→足利義兼→足利義氏

出目を強調したいなら本貫を都合良く取るなよ

藤原南家(奈良県橿原市)→藤原実範(近江出)→藤原季兼(近江出)→藤原季範(尾張出・尾張熱田大宮司)
728日曜8時の名無しさん:2013/09/28(土) 01:42:57.65 ID:Sxr3gZBs
常に親切丁寧、相手を思いやって、詳しく分かりやすくがモットーだ


藤原季範(額田冠者、初代三河の藤姓熱田大宮司)の年表


【1090年】父:藤原季兼(三河四郎、藤原季範と三河に住みながら尾張目代を務める(尾張守は父親の従兄弟の藤原資良))、母:松御前(尾張員職の娘)の間に生まれる

・藤原永頼→藤原保相(三河国司、碧海郡志貴荘立券)→藤原資良(尾張国司)
・藤原永頼→藤原能通→藤原実範(三河国司)→藤原季兼(三河四郎)→藤原季範(額田冠者、初代藤姓熱田大宮司)

【1101年】父:藤原季兼(三河四郎)死去
【1114年】神のお告げで熱田大宮司となる(大宮司職の簒奪) 、三河から京に移り住む
【1130年】母:松御前、三河国設楽郡稲木で死去(新城市城ヶ峰の山頂に墓あり)
【1137年】神のお告げで大宮司職を五男の範雅に譲る
【1140年】夫妻で菩提寺である滝山寺(三河国額田郡滝、愛知県岡崎市)内に蓮華寺建立、仏性灯油料として額田郡恵那河内郷を寄進する
【1145年頃】娘:由良御前が源義朝の室になる
【1147年】娘:由良御前が源頼朝を産む(生誕地は京都もしくは三河)

・藤原季兼(三河四郎)→藤原季範(初代藤姓熱田大宮司)→由良御前→源頼朝

【1151年】長男の藤原範忠、菩提寺である滝山寺の本堂を再建(滝山寺として2度目、3度目は足利義氏、4度目は足利義満)
【1152年頃】娘(養女、実父は長男の藤原範忠)が源義康(足利義康)の室になる

【1153年】娘(養女、実父は長男の藤原範忠)が源義兼(足利義兼)を産む(生誕地は京都もしくは三河)

・藤原季兼(三河四郎)→藤原季範(藤姓熱田大宮司)→娘→源義兼(足利義兼)

【1155年】死去する
729日曜8時の名無しさん:2013/09/28(土) 01:49:27.55 ID:Sxr3gZBs
>>728


【1140年】夫妻で菩提寺である滝山寺(三河国額田郡滝、愛知県岡崎市)内に蓮華寺建立、仏性灯油料として額田郡恵那河内郷を寄進する



夫妻で菩提寺の滝山寺内に建てた蓮華寺は、1301年頃に存在してた事が確認されている
何故なら、貞氏が願文を奉納した記録が残っているからだ
先祖である初代三河の熱田大宮司に、何を願ったのであろうか





【1301年】足利貞氏(7代目足利氏当主)、家時17回忌、如法堂に額田郡上村の田3反と正観坊跡大門屋敷を寄進する、同時期、熱田大宮司家ゆかりの蓮華寺へ願文を奉納する
730日曜8時の名無しさん:2013/09/28(土) 02:32:34.03 ID:POhExTl+
馬鹿と阿呆の罵り合いw
731日曜8時の名無しさん:2013/09/28(土) 02:42:45.74 ID:lOL6ESo8
>岡崎市滝山寺

>本堂・三門・木造観音菩薩立は国の重文

国の重要文化財指定を受けるに当たり、
長年に渡る文化庁調査官(建築担当・彫刻担当・書状担当)の調査を受ける
結果、滝山寺の寺伝は江戸時代に再編、鎌倉・室町記の記述は伝承の類が多し
と判断され寺伝書は国・県・市の文化財調査から外される

開基から数回にわたる改築に至るまで、本堂を含め伽藍は大規模な消失・窃盗は免れる
よって、鎌倉から伝わるとされる足利氏嫡男の武具・仏具・領地などの寄進は
証明するものが全くなく非常に怪しい

宗家が関わったとすれば、寄進状・下文・置文・祈願状など必ず本堂に保管・存在してある

ちなみに京都・足利・鎌倉にある幾多の足利宗家嫡男の書状は須らく
国宝又は国の重要文化財になっている
732日曜8時の名無しさん:2013/09/28(土) 03:55:40.10 ID:RYpx2U11
ワシは疲れた
733日曜8時の名無しさん:2013/09/28(土) 04:07:24.57 ID:qRjqaSub
判官殿が結局最強の勝ち組になったのが印象的だわ。師直とかダークホースだったけどダークホースのまま消えてったしな。
734日曜8時の名無しさん:2013/09/28(土) 09:43:05.15 ID:E1xHX1pw
小田茜が気持ち悪い
735日曜8時の名無しさん:2013/09/28(土) 10:14:45.78 ID:lOL6ESo8
「顕子は良いおなごじゃ…わしが長年かけてようやくここまで美しうしたのじゃ」
「おもとはこの高時の申すこと何でも聞くか?わしが死のうと申せば共に死んでくれるか?」
736日曜8時の名無しさん:2013/09/28(土) 10:49:25.82 ID:tqgjF2z/
>>730
「尾張」と「三河」をNGワードにすればスッキリするよw
737日曜8時の名無しさん:2013/09/28(土) 10:58:54.67 ID:lOL6ESo8
>>736
既にNGワードw
てか 某M国A県O市の方を出入禁止にすればスッキリするよw
738日曜8時の名無しさん:2013/09/28(土) 11:31:29.12 ID:eiU6DKPj
小田あかねといい貞氏の正室=金沢貞顕の妹といい
北条氏は狂った人が多かったと描いてる?
739日曜8時の名無しさん:2013/09/28(土) 12:37:23.53 ID:LnSoC5up
「命あってのこの世ぞ」
740日曜8時の名無しさん:2013/09/28(土) 16:35:09.04 ID:liWBuxXW
>>736
熱田と足利もNG
741日曜8時の名無しさん:2013/09/28(土) 17:52:01.60 ID:Sxr3gZBs
>>727
大先生ともあろうお方がw


季範が尾張生まれの記録はありませんよ
ひょっとしてwikiからの引用でしょうか?w

・額田冠者(三河国額田郡)
・父親と三河に住んでいた


分かっているのはこれだけ




足利宗家の三河の説明


わかりにくいですね
大先生、箇条書きにしてもっとわかりやすく
742日曜8時の名無しさん:2013/09/28(土) 17:56:08.63 ID:Sxr3gZBs
>>731
大先生が一番言いたいのは


バンナ寺の家時位牌の没年は正しい、間違っているとかあり得ない


家時は1309年に死んだんでつ〜
743日曜8時の名無しさん:2013/09/28(土) 18:07:29.24 ID:eiU6DKPj
馬の介「頼みの佐々木、宇都宮が次々と寝返り…」
尊氏「佐々木が…?寝返ったか!」

判官殿「佐々木判官…思うところあって寝返りゴメーン♪」
744日曜8時の名無しさん:2013/09/28(土) 18:19:17.86 ID:Sxr3gZBs
>>728
季範が死んだあとも、少し書いておこう
頼朝伊豆時代の、母方の支援者で、吾妻鏡にも出てくる、三河祐範(由良御前の兄)も登場するからね


【1159年】藤原範忠(源頼朝の母の兄)、弟の三河法橋祐範の要請を受け、大檀那として滝山寺の四至を確定し、 田畠1町2反づつを寺へ寄進する
【1159年】三河法橋祐範(源頼朝の母の弟)、姉の由良御前(源頼朝の母)が死去した際、49日の仏事を差配してその菩提を弔る
【1160年】三河法橋祐範(源頼朝の母の弟)、頼朝が罪人として伊豆国の配所に送られる際、郎従を付けて送り出す
【1182年】寛伝(藤原範忠の息、源頼朝の従兄弟)、源頼朝の推挙により日光山満願寺19世座主になる
【1188年】任憲(三河法橋祐範の息、源頼朝の従兄弟)、鎌倉で源頼朝に引見する
【1190年代】源頼朝、滝山寺に寺領412石寄進
【1191年】源頼朝、任憲(三河法橋祐範の息、源頼朝の従兄弟)の熱田社領御幣田をめぐる争いの仲裁をする
【1199年】源頼朝、死去する
745日曜8時の名無しさん:2013/09/28(土) 19:30:52.31 ID:LnSoC5up
「戦をするならワシがやる!
刑部を伐つならワシが伐つ!
それが何故解らぬ!?」
746日曜8時の名無しさん:2013/09/28(土) 20:36:58.79 ID:Sxr3gZBs
大門屋敷と墓を話をしたら、何か知らんがうろたえたわけだが

足利

今川貞世
「義兼は源為朝の子供、義康が引き取った」(難太平記)

足利尊氏
「源為朝は、わが祖神」(梅松論)


一門だけでなく、尊氏本人からも、実は足利とは無関係じゃん、と言われているだろうw


鎌倉

鎌倉を300人程度で出発して、三河に入る時は500人程度になり、三河を出る時は3600人に膨れ上がった

どこが鎌倉が本拠なんだよw


矢作川の戦いに負けた報告を聞いて、狼狽し、元結を切って出家すると言い出した

足利、鎌倉が本拠なら、まだ戦えるだろw
747日曜8時の名無しさん:2013/09/28(土) 20:38:11.95 ID:pxNcwtnU
一人で盛り上がってて誰もまともに相手にしてくれないのによくやるわ
リアルに置き換えれば軽く死ねる行為なのに
748日曜8時の名無しさん:2013/09/28(土) 21:16:05.35 ID:Sxr3gZBs
アホか?wお前が相手しとるがなw
お前も、さっさとNGにしておけ、ノロマ

>>680

>足利尊氏の銘文ありの供養塔は日本中かなりの数に及ぶ
やはり供養等や墓の区別もつかないらしいな

まだかな、かなりの数の一覧


>そして八剣神社の相隣は後補で宝篋印塔の笠を寄せ集め
尊氏の没年が刻印されているが石塔自体は江戸前期〜中期


個人ブログのまる写しだから、宝篋印塔なんだよなw
俺は宝篋印塔かどうか分からないから、ちゃんと宝塔としてある


この辺、ワキが甘すぎるw
749日曜8時の名無しさん:2013/09/28(土) 22:03:42.35 ID:eiU6DKPj
そなたが…名も無き民ならば、僧侶であったならば、
わしの子だと大声で言いもしよう!
そなたを武士にするのではなかった…!
750日曜8時の名無しさん:2013/09/28(土) 22:43:46.03 ID:4AtV5Jtm
>>738
小田茜は安達氏では?
751日曜8時の名無しさん:2013/09/28(土) 22:59:13.73 ID:1/Ena503
烏帽子親を切り、義理の親父も切り、ライバルの義貞を切り、尊敬する正成を切り、右腕の師直を切り、遂に弟を切り、と修羅道極めてんな尊氏。
752日曜8時の名無しさん:2013/09/28(土) 23:07:44.96 ID:c5keF35z
師直は斬ってないだろw
ボコボコにはしたけど
753日曜8時の名無しさん:2013/09/29(日) 01:08:15.21 ID:JdTsUemG
義満さんいなかったら足利幕府って未来永劫バカにされてたよね?初代とか特に
754日曜8時の名無しさん:2013/09/29(日) 01:11:36.07 ID:GkYc5YU5
その義満が馬鹿にされてるのは内緒な
755日曜8時の名無しさん:2013/09/29(日) 01:57:43.54 ID:wCuJUf6z
三河国が平安末期ー鎌倉ー室町初期にかけて・・・

何故、自国の歴史を捏造する必要があったのか?
何故、異常な程、清和源氏に擦り寄って捏造・改編をしたか?
何故、地元の寺社仏閣の伝書や歴史書の捏造・改編をしたのか?
何故、その改ざん時期が戦国時代中期ー江戸時代初期に集中するのか?
この疑問に気づけば答えは簡単に出てくる。
756日曜8時の名無しさん:2013/09/29(日) 03:18:48.39 ID:KoCqdzb0
判官殿が長崎親子にお慈悲を〜と言うシーンは見直す度に違和感を感じる。実際あの時期って判官殿レベルでもあそこまでしなきゃ生き残れなかったん?
757日曜8時の名無しさん:2013/09/29(日) 03:43:08.92 ID:wCuJUf6z
>>746
>一門だけでなく、尊氏本人からも、実は足利とは無関係じゃん、と言われているだろうw
>足利、鎌倉が本拠なら、まだ戦えるだろw
それなら何処が本拠なん?

>>747
禿同
758日曜8時の名無しさん:2013/09/29(日) 07:03:40.70 ID:O468rn7M
三河が新田義貞に落とされても関東から反撃して勝った。
その後、足利一門は各地に守護として散っていった。

1440年までは一色氏が三河守護だったが、斯波や今川に比べ見劣りする…
もはや鎌倉時代に旧領があった以上の土地ではなくなってるよな?
759日曜8時の名無しさん:2013/09/29(日) 18:52:15.57 ID:9IzpV0Y/
常に親切丁寧、相手を思いやって、詳しく分かりやすくがモットーで


義満年表、奉公衆一覧を貼ってやっただろ
ほぼ全域が御料所でしたが?
760日曜8時の名無しさん:2013/09/29(日) 23:14:03.50 ID:+FSbwFwC
2年〜3年かけても鎌倉が新田に落とされ、
北条に落とされる時や尊氏の九州逃亡を
丁寧に描いて欲しかったな
761日曜8時の名無しさん:2013/09/29(日) 23:35:24.59 ID:bQ21PS5N
>>760
ぶっちゃけ正成戦死後のドラマ化は難しかったかと思う。
太平記というか南北朝のどうしようもなさはドラマ向きではないと思う。
762日曜8時の名無しさん:2013/09/29(日) 23:39:38.23 ID:eae40M5i
>>760
九州逃亡時代は、敵方に主要キャラがいなくてドラマにしづらいので仕方がない。
763日曜8時の名無しさん:2013/09/29(日) 23:52:53.35 ID:+FSbwFwC
そこは、土下座切腹・倍返しの尊氏・九州から帰還
とかさ演出・脚本で何とかして
もつれた関係の中で攻めて・攻められのグダグタ感つーか
急転直下つーか
戦国時代にはない天皇・公家・百姓も含めた混沌とした国取り物語
民放で半沢直樹チームがやらねーかな視聴率無視で
香川照之が躁鬱系の高氏で決まりw
764日曜8時の名無しさん:2013/09/30(月) 03:26:50.21 ID:KWBXqX2z
>>756
確か佐々木一族のなかにも得宗被官になっていた人がいたような。
765日曜8時の名無しさん:2013/09/30(月) 03:42:23.66 ID:KWBXqX2z
>>758
室町期の三河守護でいうなら、一色氏よりも、
一色義貫改易後に代わって守護となった細川氏(讃州家)のほうがもっと存在感は希薄。
讃州家の本拠地は明らかに阿波だし、
恐らく讃州家の当主(細川持常・成之)が三河に足を踏み入れたことは、ほとんどなさそう。

細川讃州家の三河守護としての存在感が非常に希薄なまま、戦国時代に入ってしまったために、
駿河(今川氏)、尾張(斯波・織田氏)、美濃(土岐・斎藤氏)などと違って、
戦国期の三河は守護や守護代の顔が最初から全く見えない不思議な状況になる。
766日曜8時の名無しさん:2013/09/30(月) 12:44:33.95 ID:KKyx7Wy7
大河ドラマと関係ない
767日曜8時の名無しさん:2013/09/30(月) 18:46:46.36 ID:uBdF2P3q
>>765
だから、将軍家の神聖なる地、三河の事は将軍家が決めるんだよ
義満時代の一色氏でさえ、三河に足を踏み入る事が出来ず、分郡守護であった尾張国知多郡に本拠を構えた
768日曜8時の名無しさん:2013/09/30(月) 18:58:24.19 ID:uBdF2P3q
奉公衆が三河近江美濃尾張に集中しているのは、何かあった時、三河に逃げる道筋に親衛隊を配置していたワケだ

尊氏も言っただろ、矢作川東側に陣取って、川を渡るなと
769458:2013/09/30(月) 22:02:26.87 ID:7mLeO+IX
今日忠輝と五六八姫の婚礼の回を見ましたが、
順番としては政宗が先だったのに、
スピンオフでも見ているかのようで、なんだかとても嬉しかったです。
770日曜8時の名無しさん:2013/09/30(月) 22:15:51.14 ID:2lDClx5S
>>762
九州なら渋めの足利一味の一色範氏と敵方強烈キャラの懐良親王。
尊氏を支えたのに上京できず
現地滞在のままで九州探題として。観応の擾乱でも健気に尊氏に尽くします。
なのに直冬やら将軍の懐良親王に攻められ、逃げに逃げて不遇のまま没。
771日曜8時の名無しさん:2013/09/30(月) 22:15:57.22 ID:KWBXqX2z
>>767
守護大名としての一色氏の本拠地は、若狭(若狭没収後は丹後)のイメージが強いが。

あと近江・美濃・尾張は、そもそも観応の半済令の際に最初に半済対象になった地域だな。
772日曜8時の名無しさん:2013/09/30(月) 22:59:57.33 ID:rTJRtGwk
>>769
じゃあ次は黄金の日々を見ないとな(太閤記はビデオDVDがないから無理か)
773日曜8時の名無しさん:2013/09/30(月) 23:23:40.66 ID:uBdF2P3q
>>771
一色氏と知多半島との関係は範氏(公深の息)時代からだよ
早い時期から、足利宗家、吉良氏、斯波氏の影響力が強い三河を離れて、すぐ隣の知多半島に移ったワケだ

何で、若狭だとか丹波とかが、しゃしゃりでてくるんだよ
774日曜8時の名無しさん:2013/09/30(月) 23:44:43.26 ID:uBdF2P3q
範氏の戒名、大興寺は、知多にある大興寺(元は大福寺)かららしいな
大興寺(元は大福寺)は開山が夢窓疎石、探せば色々あるもんだな
775日曜8時の名無しさん:2013/10/01(火) 00:26:21.33 ID:ZYoIJSp/
尊氏と円心が絡んだ場面を見ているが、円心のひ孫が尊氏のひ孫である将軍を殺して
室町幕府が傾いたことを考えると因縁を感じる
776日曜8時の名無しさん:2013/10/01(火) 00:49:55.37 ID:chMYwbA6
一色は三河の守護を追われてしまうからな
山陰の一色を滅ぼすのが織田信長ってのも宿縁だな
777日曜8時の名無しさん:2013/10/01(火) 01:36:19.00 ID:PpO8P5TE
イチイチ絡み付いてくんじゃねーよ、尾張猿め
778日曜8時の名無しさん:2013/10/01(火) 01:58:19.11 ID:PpO8P5TE
熱田大宮ガー
尾張ガー
三河の熱田大宮司となんだよガー

と口答えしなくなったが、ようやく理解したか?w
俺の勝ちというこどでいいかな?

三河(源頼朝、三河の藤姓熱田大宮司一族、天台宗系神宮寺)vs尾張(尾張氏(田島氏、馬場氏)、宗徒、真言宗系神宮寺)


さて当時、殺伐とした内部対立があった中、名古屋人が必死なって主張する、源頼朝は尾張で生まれたは、果たして事実なのか?

由良御前が頼朝を生んだのは、季範が大宮司を引退した後の話
1140年を寺を建てていると言う事は、三河の実家に戻った可能性もある
つー事は、可能性のある生まれた場所は京都と三河と言う事だ
断定はしませんが、また老人が発狂するからなw


【1137年】神のお告げで大宮司職を五男の範雅に譲る
【1140年】夫妻で菩提寺である滝山寺(三河国額田郡滝、愛知県岡崎市)内に蓮華寺建立、仏性灯油料として額田郡恵那河内郷を寄進する
【1145年頃】娘:由良御前が源義朝の室になる
【1147年】娘:由良御前が源頼朝を産む(生誕地は京都もしくは三河)
779日曜8時の名無しさん:2013/10/01(火) 16:16:05.59 ID:W/8zbYAw
なんだかなぁ、所詮フィクションである大河を語るスレに考証厨しか残ってないってw
個人的には宮沢りえ出さないほうがよかったな。
あんなもんにクドクド時間かけずにもっと暗闘を描くのに時間かけてほしかった。
780日曜8時の名無しさん:2013/10/01(火) 18:52:09.53 ID:KSj5yvgN
尾張猿が考証も実証もねーだろw
偽証しかない尾張猿は消えろw

平安の藤原氏から鎌倉の源氏,室町の足利氏、戦国・江戸の徳川家と
中世の日本の歴史・政治は、藤原氏を継承し源氏を継承し足利氏を創設し徳川家を生んだ
源氏本拠の地、足利氏の本拠の地である三河が造ったわけ

・藤原氏、三河の熱田大宮司に就任
・三河熱田大宮司の娘、源頼朝を出産(生誕地は三河が有力) →源頼朝以後の源氏の本貫地は三河国
・三河熱田大宮司の娘、足利義兼を出産(生誕地は三河説が有力)→足利氏の本貫地も代々足利宗家が住む三河国

つまり三河の熱田大宮司と本貫地である三河=日本の中世の歴史とも言える

滝山寺縁起や三河の古文書や、
矢作川(八剣神社)の全国でも稀少な尊氏の墓(宝塔)が、証明している

京都猿が発狂しても京都は平安の中頃からは廃れたw
鎌倉猿・足利猿など関東バカ猿は三河足利宗家の最下層の手下にすぎないw
尾張猿は人間以下で番外w
負け組み決定www
781日曜8時の名無しさん:2013/10/02(水) 02:53:23.75 ID:gdMCsIT7
そういえば今川氏の駿河って、守護代が置かれていないみたいね。
782日曜8時の名無しさん:2013/10/02(水) 09:40:09.68 ID:gdMCsIT7
>>773
知多半島なら結局尾張じゃんw

ただ一色氏は尾張国の守護だったわけではないから、
守護大名としての拠点だったら若狭・丹後で問題ないだろ。

あと丹波は関係ない。
783日曜8時の名無しさん:2013/10/05(土) 12:02:41.32 ID:4mq8tW60
尾張なら何だつーの?

一色郷は吉良荘内にあって、今川氏と同じで、勢力を伸ばしたければ新天地を探す必要があった
額田郡が足利宗家、碧海郡が斯波氏、幡豆郡が吉良氏、加茂郡が中条氏、八名郡が斯波氏庶流の吉田(石橋)氏、設楽郡が設楽氏・富永氏と、三河に空きはなく、国外に出るしかなかった
それで今川氏は、東隣の遠江、一色氏は西隣の知多に移ったワケだ
1300年代の殆どを知多に本拠を置き、若狭など守護代だ
義満の時代になって三河守護も手に入れたが、三河は将軍家領で、具体的な領国経営は出来なかったがな
丹後は、満範の時代以降の話
784日曜8時の名無しさん:2013/10/05(土) 12:47:36.20 ID:g2b1bALD
785日曜8時の名無しさん:2013/10/05(土) 12:56:38.66 ID:0QFjGTMG
今川は関東のお目付け役で在国しないといけないからじゃね>>781
786日曜8時の名無しさん:2013/10/05(土) 13:42:02.96 ID:4mq8tW60
>>780
チミは誰よwもしかして発狂した大先生ですか?w

バックグラウンドや相関図に関心はあるが、何処で生まれたなど大して興味はない
787日曜8時の名無しさん:2013/10/05(土) 14:05:59.87 ID:Dcho0oDX
リアルでも尾張人と三河人てこんなに仲悪いの?三河者は尾張者と結婚できない不文律があるとか?
788日曜8時の名無しさん:2013/10/05(土) 14:20:46.98 ID:4mq8tW60
名古屋人は、名古屋で生まれたら名古屋人の単純馬鹿だからなw
オナニーのオカズにされる尾張嫌いの信長が不憫でならんわw
789日曜8時の名無しさん:2013/10/05(土) 17:45:54.08 ID:VY7f7NMC
>>785
今川氏と同じような立場にある大内氏や越後上杉氏は、
普通に自らの守護分国に守護代を置いているから、
守護の在国が駿河における守護代の不在の説明にはならないと思うよ。

あと室町期の今川氏は常に在国していたわけではない。
都鄙関係が平穏なときには在京していることも多い。
790日曜8時の名無しさん:2013/10/05(土) 21:26:27.40 ID:LzSlnSk6
細川と今川の将軍家への忠誠心は強いな
赤松も嘉吉の乱を除けば強かったけど
791日曜8時の名無しさん:2013/10/06(日) 10:23:03.14 ID:r3NpenOb
この2,3日ほど板がおかしかったのは、三河バカが荒らしたためか?
792日曜8時の名無しさん:2013/10/06(日) 13:02:45.99 ID:jgmMEjju
太平記と花の乱の間を埋める大河を見たいが、戦国、幕末をバカの一つ覚えみたいに
やってる今の大河スタッフにそんな作品作るのは無理だろうな
793日曜8時の名無しさん:2013/10/06(日) 15:04:59.05 ID:V1RiB92A
>>792
もはや「今度の信長は誰がやる?」レベルになってると思う。
日本の歴史は500年しか無いのか…?と思う事さえある。
まあ北条早雲、尼子経久レベルでも前半生に謎が多いんだけどさ!
794日曜8時の名無しさん:2013/10/06(日) 15:09:34.90 ID:V1RiB92A
>>790
バカにされがちな室町大名家ではあるけど(最後は滅ぶからか)
南北朝に活躍した家はみんな勇将だったと思うんだよね。
本当に勇敢な武将でなければ生き残ることなどできなかったろう。
平和な時代に生きる人が乱世の人を侮辱する権利など無いのだ。
795日曜8時の名無しさん:2013/10/06(日) 15:25:13.29 ID:VL80g93a
同じ名字のひとがあっちこっちに出てくると、
最近の大河に慣れたスイーツ視聴者はついて来れないと思う。
今や、大河になったら負け。
796日曜8時の名無しさん:2013/10/06(日) 17:59:55.88 ID:4ugMwLej
センゴクはくだらないんだよ
そのセンゴクの三英傑をちやほやするから、虎の衣を借る猿こと名古屋人つけあがる


家康が今の東京の江戸を作った

信長は家康より偉い

名古屋人は日本で一番偉い

名古屋だぎゃ〜


冗談抜きでこの思考回路だ
国民が思っている以上に、名古屋人は頭が悪い
797日曜8時の名無しさん:2013/10/06(日) 21:09:55.43 ID:V1RiB92A
>>795
黒田官兵衛も負けと申すか?
直江兼続の経済効果も2年で終わったと地元民は言う
798日曜8時の名無しさん:2013/10/07(月) 00:05:52.10 ID:oY/NBinL
>>795
平安じゃないのだから、同じ名字だらけでもないだろ。
799日曜8時の名無しさん:2013/10/07(月) 00:11:43.08 ID:hpGM1KDS
>>795
斯波とか畠山とか細川とか多すぎだな
4文字僧侶が何人も出て来て、更に難解に
800日曜8時の名無しさん:2013/10/07(月) 01:07:16.84 ID:oY/NBinL
>>799
『太平記』でも『花の乱』でも、そんなに難解なほどそれらの苗字の人物が
たくさん出てきたイメージはないのだが。
801日曜8時の名無しさん:2013/10/07(月) 01:48:59.90 ID:c4fmpdKE
師泰、師直兄弟を大河化する者はおらぬのかーッ!
802日曜8時の名無しさん:2013/10/07(月) 04:00:03.00 ID:xKwihql1
>>801
んなもんやるなら、道誉主人公のがいい。
803日曜8時の名無しさん:2013/10/07(月) 07:13:11.98 ID:8jCRidi3
>>787
害虫は三河ゴキブリ一匹だけだろう
804日曜8時の名無しさん:2013/10/07(月) 11:33:06.58 ID:SNLBOmbl
名古屋人は出入り禁止と言っただろ
部外者がしゃしゃり出てきて、何を話すと言うのか
名古屋と太平記は全く無関係だろが

太平記だけではない、治承寿永の乱、承久の変、霜月騒動等の政治闘争でも存在感ゼロではないか
関東関西にあって、お前らは何をしていたんだよ
負け組とは言え、物語のある東北九州以下だ

田畑耕し、逃げまわっていたゴミの分際で、自己主張しやがって
805日曜8時の名無しさん:2013/10/07(月) 11:39:37.67 ID:mBoyTg0h
806日曜8時の名無しさん:2013/10/07(月) 12:04:44.98 ID:SNLBOmbl
東京大阪間が舞台ではない、元寇の時もそうだわな
安達泰盛(三河国渥美郡小松原荘地頭、元々安達氏は、三河国八名郡小野田出身の小野田さん)が関係しているが、功績をさらさら主張するつもりはない
勇敢な九州武者を賞賛し、尊敬したい

だが名古屋、お前らは国が危険な時に、何をしていたんだよ
現在の名古屋人と同じで田畑でウンコして、乞食の如くアレくれコレくれ言っていただけだろうが
807日曜8時の名無しさん:2013/10/07(月) 13:23:03.09 ID:P4MNr8Pw
大河が特定年代ばっかり扱うせいで、デフレ・スパイラルになってると思うんだよね。
知名度が低い時代(の人物)がますます注目されにくくなってしまうという。

見ようによっちゃ、「八重の桜」は無名に近い人を描くことで明治を写し出すという、
昔の大河がやってたことを再度やろうとしてるようにも見える。
808日曜8時の名無しさん:2013/10/07(月) 13:36:30.00 ID:P4MNr8Pw
鎌倉〜南北朝の尾張武士などがあまり活躍しなかったのは、
承久合戦で尾張武士が打撃を受けたせいもあるかも。

織田も元は今の福井県から来た人たちだ。
織田のような他国から来た家が1世紀後には同国最大勢力となった点から、
尾張は鎌倉〜南北朝の動乱で多くの家が滅んだとか、小さい勢力が割拠していたのかも。
809日曜8時の名無しさん:2013/10/07(月) 13:40:01.20 ID:P4MNr8Pw
>>798
平安のは名字じゃなく姓だろう(渡辺などは苗字だろうけど)
古代の姓は苗字と違って分裂していかないから同姓だらけになる(中国みたいだ)

>>799
江戸時代のドラマに松平が何人登場しても疑問を呈する人はいないのでは?
結局は知名度なんじゃないかと
810日曜8時の名無しさん:2013/10/07(月) 13:47:47.46 ID:5NlXq1VV
シエ「秀ばかりじゃの」
出演者ですら、だれがだれだかわかってないんだよ
811日曜8時の名無しさん:2013/10/07(月) 14:27:02.75 ID:SNLBOmbl
>>808
打撃を受けたのは三河も同じだ、三河の熱田大宮司家、足助氏、三河国高橋地頭で尾張守護の小野氏
理由にならんわ


南北朝〜室町期の尾張は、完全に三河の影響下にあって安定していただろ
江戸時代もそーだけどな、城内にいたのは親藩の三河武士だから
守護、分郡守護は言うに及ばず、尾張の御料所は三河の奉公衆が管理していた所が多かった


尾張守護
・高師泰→土岐氏→今川氏→斯波氏

尾張国知多郡分郡守護
・一色氏

尾張国海東郡分郡守護
・中条氏(三河国高橋荘地頭)→一色氏

尾張国愛知郡那古野(現在の名古屋城あたり)地頭
・足助氏(三河国足助荘荘司)→今川氏



昔から今に至るまで、何でこーも名古屋人の出来が悪いのか、権威ある学術機関で調査すべき
812日曜8時の名無しさん:2013/10/07(月) 20:28:19.34 ID:XkLi3k1U
813日曜8時の名無しさん:2013/10/08(火) 10:23:10.44 ID:iew+/egQ
このスレの住人って、危痴害がやってきても結局無視できずにレスしちゃうんですね・・・。
814日曜8時の名無しさん:2013/10/09(水) 09:33:22.31 ID:HPwew5eW
そうなんだよねぇ。
太平記について語るスレなのに考証厨しかいない・・・
815日曜8時の名無しさん:2013/10/09(水) 12:41:37.40 ID:SgbQMmku
大河最高傑作だと思ってるんだけど知名度が低いのが悲しい。キャプ画付きでブログとかで紹介したいんだけどキャプ画でもアウトなんかな?
816日曜8時の名無しさん:2013/10/09(水) 18:45:23.82 ID:/9kUzQFa
>>814
時代考証の話自体は別に問題ないと思うし、レスが続くのは、
その話題に関心のある住人がそれなりにいるからだろう。
ただ三河バカさえいなくなれば・・・。
817日曜8時の名無しさん:2013/10/09(水) 19:33:20.17 ID:J5T1IT6b
NGにしてあるんだろ、問題ねーじゃん
三河がしゃくに触る理由なら、太平記から三河に関する記述を黒塗りにするしかないわな
818日曜8時の名無しさん:2013/10/09(水) 20:24:51.40 ID:/CSoKev7
819日曜8時の名無しさん:2013/10/09(水) 20:54:32.03 ID:lgL/Onhc
聞 き 捨 て な ら ん ぞ 判 官 ! !
820日曜8時の名無しさん:2013/10/09(水) 21:46:09.98 ID:J5T1IT6b
だいたいな、三河がどうのこうの言う奴は、三河自体にしゃくに触っているだけだろ
逆に三河サゲのネガティブな話は歓迎なワケだ

グダグダグダグダ、とんでもねークズだな
こいつは三河バカと何回レスしてんだ、この無能ゴミは


ナマポ部落民め
821日曜8時の名無しさん:2013/10/09(水) 21:50:01.67 ID:5hpB+2a2
>>815
平成のドラマにしては極端に男性向けだからね
最低限の史実を盛り込むだけで放送時間枠がいっぱいになってしまうから、
あまり女性向けのシーンが作れない
出てくる女性も藤村志保・樋口可南子・宮沢りえの役以外はほとんど悪女だし
822日曜8時の名無しさん:2013/10/10(木) 02:52:31.05 ID:m9PY0FvA
フランキー堺
児玉清
緒形拳


今は亡き、この3名優の演技を堪能できるだけでも、これは、価値がある作品であるよ。
823日曜8時の名無しさん:2013/10/10(木) 07:45:20.33 ID:USDtRrAQ
>>821
小田茜は悪女?
824日曜8時の名無しさん:2013/10/10(木) 09:52:37.47 ID:YF/DfXig
>>823
悪女というとこまで知恵が働かなそうなのは馬鹿かキチガイにしていたな
ちょい役だが足利貞氏の正室や、新田義貞の正室など
まぁ側室や愛妾を持ち上げるためでもあったんだろうが
825日曜8時の名無しさん:2013/10/10(木) 10:42:42.69 ID:nocULrGH
池端が女性不信気味なんじゃない?
真田の借金ドラマの斉藤慶子やキョンキョンも嫌な女だったしねぇ
826日曜8時の名無しさん:2013/10/10(木) 19:50:18.78 ID:mmSd/hxD
そういうことなのか?
827日曜8時の名無しさん:2013/10/10(木) 21:46:43.35 ID:so/wncr3
>>820
カスはカススレに戻りなw
http://kohada.2ch.net/test/read.cgi/employee/1363954297/259

ここはカスが来るとこじゃない
828日曜8時の名無しさん:2013/10/10(木) 23:10:32.39 ID:m9PY0FvA
「岩松・・・見ての通りぞ・・・これが2chの有様じゃ」
829日曜8時の名無しさん:2013/10/10(木) 23:25:32.37 ID:qSP/uWXU
>>822
児玉清って緒方やフランキーと同列の名優なの?
830日曜8時の名無しさん:2013/10/10(木) 23:33:49.65 ID:VXF4ddQ+
児玉清は死んでたのか…
どれだけアタック25を見ていないんだろう…
831日曜8時の名無しさん:2013/10/11(金) 00:28:28.58 ID:sMQmGtSZ
後醍醐帝役の人はまだ生きてんの?
832日曜8時の名無しさん:2013/10/11(金) 00:41:06.05 ID:qI2VvSg0
>>827
来る資格がないのはパゴヤだろw
何回も言うが、太平記とパゴヤは無関係だ
833日曜8時の名無しさん:2013/10/11(金) 01:00:21.81 ID:DifYeUFG
>>829
この大河に関しては名優でよい。
まあ当人自身が自分は役者としては大根だと思い込んでいて、
ドラマ出演をセーブしていたらしいが。
834日曜8時の名無しさん:2013/10/11(金) 07:36:39.99 ID:DRSE8RSh
フランキー堺と児玉清は東勝寺で
緒形拳は浄妙寺で
と思うと鎌倉は胸熱だな
835日曜8時の名無しさん:2013/10/11(金) 07:49:55.02 ID:Fy3BYkO2
>>831
片岡仁左衛門孝夫が死んだらニュースになるだろ?
中村勘九郎(勘三郎)死んだ時ニュースでコメントしてたよ
836日曜8時の名無しさん:2013/10/11(金) 07:55:37.94 ID:Fy3BYkO2
片岡鶴太郎も東勝寺で死んで
勝野洋がモノレールの下で死んで(赤橋相模守戦死の地という石碑あり)
堤大二郎の首が鎌倉宮の近くに転がっていた(近くの理智光廃寺に葬られた)
と思うと鎌倉はますます胸熱だな

新田義貞が北陸の水田で死んだことには目頭が熱くなるのを禁じ得ない…
837日曜8時の名無しさん:2013/10/11(金) 11:38:34.69 ID:DifYeUFG
直義も鎌倉で死んでいるがいいのか?
838日曜8時の名無しさん:2013/10/11(金) 13:35:00.19 ID:eRKsUoG4
貞氏なんて歴史じゃ習わないくらい印象ない人物なのに緒形拳のおかげで不運な名将にランクアップ!名演だったし。
839日曜8時の名無しさん:2013/10/11(金) 13:47:32.89 ID:Fy3BYkO2
緒方拳が熱演しすぎてしまったせいで(いや良かったっだけどさ)、
『毛利元就』の尼子経久は「天下を取れた」名将になった反面、
高嶋兄が演じた尼子晴久はボンクラに見えてしまった…
『風林火山』で緒方が演じたわりには宇佐美定満はそれほど印象的でもない。
使いどころが実に難しい役者だと思う。

>>838
鎌倉時代の足利当主はみんなそうじゃね?w
>>837
最後の最後の山場だったな
840日曜8時の名無しさん:2013/10/11(金) 14:17:35.32 ID:tnfoSx69
>>837
あのシーンはトラウマだわ・・・
841日曜8時の名無しさん:2013/10/11(金) 14:37:59.87 ID:SZF0KCTp
高島のつばが飛びまくり
真田、嫌だったろうなあ
842日曜8時の名無しさん:2013/10/11(金) 20:38:21.57 ID:DRSE8RSh
高島弟が真田広之に毒菓子を納得して喰らう場所も
緒方拳の先祖が建てて緒方拳が眠る東勝寺だったんだよな
激熱
843日曜8時の名無しさん:2013/10/11(金) 20:40:08.46 ID:DRSE8RSh
訂正
東勝寺→浄妙寺
844日曜8時の名無しさん:2013/10/11(金) 21:22:20.13 ID:tnfoSx69
高兄弟のあわれな死に様に涙
845日曜8時の名無しさん:2013/10/12(土) 01:53:12.98 ID:eqsL7XtZ
>>842
毒が入っていたのは菓子じゃなくて水(茶?)の方
846日曜8時の名無しさん:2013/10/12(土) 08:55:19.46 ID:WUraYzMd
モノレールの下の勝野洋戦死の石碑
というのも悲しいものがあるな
勝野洋の墓は何処にもないのかね?
847日曜8時の名無しさん:2013/10/12(土) 10:12:51.95 ID:7G0O4Lvw
尊氏ってさ、天龍寺造営で後醍醐はじめあまたの散っていった命をチャラにしようとしてねえか?
848日曜8時の名無しさん:2013/10/12(土) 10:37:59.37 ID:2Hgv213V
>>846
勝野さんはまだ生きてますやん…
というのは冗談にしても、菩提寺はあるんじゃないかな?
宝戒寺が北条一族全部の墓所とも言えるだろうし
849日曜8時の名無しさん:2013/10/12(土) 21:00:29.53 ID:WUraYzMd
宝戒寺って後醍醐天皇が建てて尊氏が北条家を供養した寺らしいね
850日曜8時の名無しさん:2013/10/12(土) 21:07:49.73 ID:MDZYS5MS
鎌倉ってさ、現地へ行っても鶴岡八幡宮ばかりで、
政庁跡とかほったからかしで残念だよな
851日曜8時の名無しさん:2013/10/12(土) 21:57:38.13 ID:2Hgv213V
しかも八幡宮は明治初年の廃仏毀釈でぶっ壊されてるしね。
実際には何も残ってないよ鎌倉は。
852日曜8時の名無しさん:2013/10/13(日) 00:29:00.87 ID:my4GEuy7
オレのせいじゃないと、持氏が。
853日曜8時の名無しさん:2013/10/13(日) 14:57:49.12 ID:e3lGuwPb
鎌倉は、江戸時代に粗末にされたのかな?
854日曜8時の名無しさん:2013/10/13(日) 15:13:58.94 ID:bc9bxFIE
>>853
そういうわけでもない。鶴ケ丘の流鏑馬は暴れん坊将軍が再興させたし。
鎌倉は将軍さまのおひざ元だし、お寺や武士の所領が散在してた。
後北条氏のころはまだ町衆がいた。
衰退の決定打はおそらく公方の古河移転(1455)。

頼朝さんと大江広元さんのお墓は、頼朝の子孫を冒称してた薩摩島津氏が頼朝の、
広元のお墓は萩の毛利家が作った(こっちは本当の末裔)。
855日曜8時の名無しさん:2013/10/13(日) 15:15:13.90 ID:2HsJWw7d
鎌倉に太平記を偲べる場所は無いものか。
金沢文庫も寺しかない。
856日曜8時の名無しさん:2013/10/13(日) 15:58:48.81 ID:bc9bxFIE
>>855
地元衆としてはオフ会あったら案内してやりたいぐらいだが、残念ながら絶無に近い…
稲村ケ崎とか、大塔宮が幽閉された東光廃寺周辺(オリジナルは何も残ってない)、
日野俊基が斬られた化粧坂あたりがやっとぐらい。
ドラマでは全くカットされたが、斯波家長が自害した杉本寺(城もあった)は往時の雰囲気あるかも。
857日曜8時の名無しさん:2013/10/13(日) 17:57:17.05 ID:bfEsYE0e
腹切やぐら
858日曜8時の名無しさん:2013/10/13(日) 19:53:40.06 ID:bc9bxFIE
>>857
あれは単なる東勝寺の裏山だから。
まああそこから市街を眺めれば往時の鎌倉合戦のよすがをしのぶことはできるかも。
859日曜8時の名無しさん:2013/10/13(日) 20:05:32.79 ID:UvNjJY+6
京都と比較されたら少し厳しいかもな。
けど政庁跡で言えば京都の室町政庁跡や尊氏邸は石碑だけだし鎌倉と似たり寄ったり。
鎌倉・平安の建築物に至っては全国的にも希少。
廃仏毀釈は興福寺など名古刹・神社でさえ影響受けたし、
南北朝の再三に渡る戦火やら鎌倉大地震とWW2空襲やら明治の冷遇を
考えると神宮周辺の仏閣・古道・石塔やら良く残ったと思うよ。
八幡宮やら、浄妙寺や長寿寺など足利家ゆかりの寺や、
杉本寺・建長寺・円覚寺などの寺伝や古文書には当時の記録が残っているし。
銭洗弁天宇賀福神社や東勝寺の跡の北条のゆかりも多い。
葛原岡神社(日野俊基)も大仏震災も古典太平記にはかなり記述されている。
何をして残るかは人それぞれだな。
860日曜8時の名無しさん:2013/10/13(日) 20:13:23.22 ID:1hROxygq
>>853
江戸時代から観光地になった
ただ遺構や史跡などほとんど絶無で「これは頼朝公の七歳の時の遺骨です」
などギャグ扱いされる状態だったとか
861日曜8時の名無しさん:2013/10/13(日) 20:37:24.90 ID:bc9bxFIE
>>859
続いてるのが寺社しかないし。
建物は江戸時代か近代のが多いんで、室町の遺構さえ少ない。

武家屋敷は享徳の大乱以降よそへ移ったものが多いと思われるし、
後北条氏の時代には代官が置かれてる程度の一地方都市になったしね。
その代官も河越城代大道寺氏の兼務とかで、あの辺の行政の中心は大船の玉縄城に移った。
862日曜8時の名無しさん:2013/10/13(日) 23:11:21.11 ID:e3lGuwPb
鎌倉陥落の知らせを受けた、後醍醐帝の高笑いが、帝の本性を現してるね。



にざエもんの名演技です。
863日曜8時の名無しさん:2013/10/13(日) 23:45:48.23 ID:UvNjJY+6
南北朝の足利家同士の戦もドロドロだが
享徳の大乱での足利家同士の30年戦争も凄い
どおりで鎌倉がボロボロになるはずだ
864日曜8時の名無しさん:2013/10/14(月) 01:19:36.71 ID:WOMjxqvN
鶴たんや長崎親子を筆頭に北条家は潔く滅びたのと比較してその後尊氏が天下取ってもグダグダして戦国まで続く結末って意図した演出だったのかな。ただの木切れじゃ、って感じの人生。
865日曜8時の名無しさん:2013/10/14(月) 01:23:23.40 ID:F+PDv841
足利は呪われてるな
866日曜8時の名無しさん:2013/10/14(月) 02:28:16.63 ID:2nqxBKYD
足利家しか、器のある家はなかった事実からして、やはり

もの凄い世の中だったんだね
867日曜8時の名無しさん:2013/10/14(月) 08:50:04.70 ID:x3aTpxry
樋口可奈子の移動距離が凄そう
868日曜8時の名無しさん:2013/10/14(月) 16:38:29.90 ID:DXS3TyNm
>>856
>斯波家長が自害した杉本寺
山中の苔むした石段と超暗い本堂と蝋燭に照らされる十一面観音像
斯波家臣の沢山の供養塔は凄みさえ感じる
杉本城の戦は太平記上も重要な戦いだったから
ゴクミ中心で描いて欲しかった
869日曜8時の名無しさん:2013/10/14(月) 17:20:17.75 ID:tzU3Eb4u
>>867
近畿地方を中心に東海道経由で鎌倉も行ったって程度じゃね?
870日曜8時の名無しさん:2013/10/14(月) 17:23:12.52 ID:tzU3Eb4u
>>866
鎌倉期の足利がそこまで突出した家だったかは疑問だな。
守護やってるような最有力御家人はいくつもあった。
室町幕府成立以降の足利一門を過去に投影してはマズイ。
1335-6年には完全に滅亡する可能性もあったわけだから
(そしたら第二第三の足利が登場しただろうけど…判官どの?笑)
871日曜8時の名無しさん:2013/10/14(月) 17:29:32.17 ID:tzU3Eb4u
>>868
顕家関連はほとんど地図に字幕で片づけられてしまったね…
親房の甲冑姿が見られただけでも幸せだったかも

古典太平記だと顕家はけっこう多くの紙幅が割かれているんだけど、
北関東での合戦、鎌倉攻略、土岐頼遠も活躍した青野原合戦も全カットは悲しいなあ
872日曜8時の名無しさん:2013/10/14(月) 18:52:26.58 ID:FlJLphSW
下元史朗はロマンポルノ史に残る伝説「セーラー服色情飼育」と
太平記の土岐頼遠、どちらも道義を破壊する狂人の役だが、
どちらがより鬼畜か
873日曜8時の名無しさん:2013/10/14(月) 19:15:25.91 ID:tzU3Eb4u
泥酔して光厳院(当時の天皇家で一番偉い方)と知らず矢を射かけ死者はゼロ。
光厳院が泣き寝入りしてれば誰も知らない事件に過ぎない。
夜中に鳳輦に乗ってた光厳院に落ち度が無かったとも言い切れない(妾宅で遊んだ帰りか?)

だったらお寺に放火した佐々木導誉のほうがよっぽど大罪だと思うのだが…
874日曜8時の名無しさん:2013/10/14(月) 20:55:15.29 ID:DXS3TyNm
>>871
斯波家長の杉本寺での攻防が無かったら
義詮の鎌倉脱出も無理だったかも
斯波家の家臣200〜300人が足利宗家のために
人柱になったってことか
ゴクミ・正臣親子も容赦ないね
875日曜8時の名無しさん:2013/10/14(月) 23:11:15.14 ID:tzU3Eb4u
>>874
そのわりに義詮を追い詰められなかったし(三浦半島に逃亡していたとか)
攻めるだけで事後はあまり考えていなかった、余裕が無かった観はある。
侵攻後に軍が雲散霧消しちゃったのも北畠軍の限界を示してるのかも。
876日曜8時の名無しさん:2013/10/16(水) 12:45:26.98 ID:RU3CMH6l
>>861
享徳の乱は“政治都市としての鎌倉の終焉”として挙げられることが多いけど、
ただその後も上杉謙信が関東管領就任の儀式を鎌倉でやっているような事例もあり、
鎌倉という街から政治的な性格が完全に消滅したわけでは必ずしもないな。

>>859
鎌倉って空襲を受けていたんだっけ?
877日曜8時の名無しさん:2013/10/16(水) 15:21:00.83 ID:RAK6HK+G
>>876
鎌倉は空襲されてないよ。
当時は横浜の郊外程度の町でしかなかったし。
878日曜8時の名無しさん:2013/10/16(水) 21:40:25.76 ID:+/iqm9bM
何回にも渡り爆撃され100名以上亡くなっている

適当な事を言うな
879日曜8時の名無しさん:2013/10/16(水) 21:54:16.71 ID:+/iqm9bM
>>875
>北畠軍の限界を示してるのかも。
古典太平記では顕家軍の通った後は草木も生えなかったとあるね
数千の騎馬・槍持・足軽・茶坊主いたる軍勢が一日40〜50km
野道・山道・獣道を移動した挙句、至る処で疲弊・飢えて略奪三昧って
ことを思うと納得
880日曜8時の名無しさん:2013/10/17(木) 00:10:28.78 ID:ETwa9oW4
日に50qの進軍てソースあるの?
戦いながら、しかも背後からも攻撃されながらだから、そんなに進めたか…?

それと当時の合戦は敵地で略奪も戦略の一環だったから(孫子)
太平記の記述はちょっと穿った見方をしてしまう…
でも顕家が戦死した時の評はえらく好意的なんだよね
881日曜8時の名無しさん:2013/10/17(木) 00:47:29.84 ID:rFbo7aPZ
斯波家長は不遇だったが斯波家は尾張足利家として
足利宗家を支えた名門だったな
882日曜8時の名無しさん:2013/10/17(木) 01:23:31.27 ID:rFbo7aPZ
>鎌倉は空襲されてないよ。
>当時は横浜の郊外程度の町でしかなかったし。

空気を吐くように
しら〜っと嘘をばかりで付くんじゃないぞ
883日曜8時の名無しさん:2013/10/17(木) 02:43:09.08 ID:MvNDmCBO
京都だって空襲を全く受けていないように見えて、実は何度もやられているからな。
まあ京都の場合、ある時点から空襲がピタリとなくなるのだが、
それは原爆投下の候補地になったからだし。
884日曜8時の名無しさん:2013/10/17(木) 20:14:27.70 ID:rFbo7aPZ
>>877
>鎌倉は空襲されてないよ。
>当時は横浜の郊外程度の町でしかなかったし。

ソースはよ
885日曜8時の名無しさん:2013/10/17(木) 23:37:07.48 ID:fWZq9S+V
もうイジメてやるなよ
886日曜8時の名無しさん:2013/10/18(金) 21:03:34.38 ID:KhsXns8A
>建物は江戸時代か近代のが多いんで、室町の遺構さえ少ない。

■岡崎市
◆鎌倉時代◆
滝山寺 山門・本堂
◆鎌倉時代◆
妙源寺柳堂
◆室町時代◆
信光明寺観音堂
◆室町時代◆
大樹寺多宝塔
◆室町時代◆
八幡宮本殿
◆室町時代◆
八剣神社内の足利尊氏の墓
◆室町時代◆
足利宗家屋敷(大門屋敷)
◆室町時代◆
岡崎城跡
◆源頼朝◆
母方が三河の熱田大宮司家
◆足利一族◆
三河の熱田大宮司家との血縁で三河守護になれた

現実は三河崇拝が甚だしい鎌倉関東猿は三河の万年パシリw
鎌倉が三河と並ぶことができるのは全国4つしかない尊氏の墓くらいw
そもそも栄えた武士で関東にルーツをもつ関東武士なんていないから仕方がねーなwww
887日曜8時の名無しさん:2013/10/18(金) 22:34:11.08 ID:Gc7Zkf1h
鎌倉は陰気、根暗
888日曜8時の名無しさん:2013/10/18(金) 23:39:56.20 ID:siAjii40
889日曜8時の名無しさん:2013/10/20(日) 09:32:46.67 ID:3YkrjKwd
>>879
当時の戦争って、勢いのあるほうにみんな集まってきて、物凄い大軍に突然膨れ上がるから、
まともに統制なんて取れないし、大人数の食料を急遽確保するために略奪三昧になるんだよな。
890日曜8時の名無しさん:2013/10/20(日) 15:35:40.60 ID:XEq4MJJr
ギバちゃんは侍嫌いなんだよ
891日曜8時の名無しさん:2013/10/20(日) 15:37:09.42 ID:Pgg+ZJXz
>>886
チミ誰よ?wパゴヤの大先生ですか?
パゴヤの大先生と言えば、全国にいっぱいある尊氏の墓一覧はまだかな

>大門屋敷
大門屋敷は、大門寺正勧坊という坊舎を、宗家が手に入れて、屋敷としていたみたいだな
尊氏の墓は、元々は大門寺(中世に廃寺)内にあったようだ



大門寺

中世に額田郡大門にあった寺院。廃寺。
大門八剣神社所蔵の懸仏裏板背面の墨書銘でその存在がわかる。墨書銘は永仁4年(1296)6月に比丘尼信性が記したもので、病気平癒を願って大門寺に若宮御正躰1面を奉納し、快復のあかつきには神楽を勤仕するというものである。
大門は対岸の北野との間は矢作川の渡河点のひとつで東海道(鎌倉街道)の脇道が通り、船運も可能な交通の要衝であったから、足利氏被官の屋敷や古くからの寺社が存在した。
大門寺との関係は不明だが、八剣神社がある旧字宮越内で古瓦や青磁が出土しており、また八剣神社にはこの寺のものであったかどうか判らないが、鎌倉末期〜室町初期の薬師如来像もある。
中世以前に廃絶。
892日曜8時の名無しさん:2013/10/20(日) 15:47:29.42 ID:Pgg+ZJXz
八剣神社(愛知県岡崎市大門3-29-6)  足利尊氏の墓(石宝塔、供養塔)

・矢作川堤防工事の際、埋もれているのが発見された(矢作川は過去4度大氾濫を起こした)
・すぐ近くの八剣神社に安置された
・覆鉢形の塔身と二重軒・宝形の笠の2石のみが創建当時の物
・高さは215センチ
・銘

源尊氏公
足利治部大輔
征夷大将軍
等持院殿妙義
于時延文三天
四月晦日
足利内蔵之尉敬白
正啓□□


□は判読不明


矢剣神社から、矢作川沿いに南に2.5キロ下った所に、上杉清子の屋敷である日名屋敷
矢剣神社から、矢作川沿いに北に4.5キロ上った所に、細川一族の細川御前田城、細川城山城
893日曜8時の名無しさん:2013/10/20(日) 15:53:59.74 ID:ZTHxvto3
894日曜8時の名無しさん:2013/10/21(月) 07:18:39.46 ID:U6isAbt6
尊氏のお墓って4つもあるの?
京都と鎌倉だけじゃないの?
>八剣神社(愛知県岡崎市大門3-29-6)  足利尊氏の墓(石宝塔、供養塔)
愛知県のソースは、お墓なの?供養塔なの?画像とかあるの?
本当なら凄い発見だよね
さすが岡崎市
歴史がいろいろあるみたいだね
勉強になるよ
895日曜8時の名無しさん:2013/10/21(月) 09:45:27.26 ID:moiVlym4
896日曜8時の名無しさん:2013/10/22(火) 05:39:28.47 ID:rI3eWzcu
根津義貞の死に方ひでぇw顕家は死に方やその後の親房の演出あるのに。何すか公家と武家の差別なんすか?ほぼ顕家の所為で死んだのに。
897日曜8時の名無しさん:2013/10/22(火) 07:40:50.79 ID:vmX1OwPK
>>896
現実はもっとダサい死に方だったようだから仕方ないだろ
あれ以上は無理
898日曜8時の名無しさん:2013/10/22(火) 20:05:21.17 ID:AzFsOtEE
>>706
>貞氏は三河で出家したらしいから、1305年までに出家していたのなら、尊氏直義は三河生まれの可能性もあるぞw
清子の父親も三河に住んでいたからな
>>892
>上杉清子の屋敷である日名屋敷

尊氏の父親が三河の岡崎市で出家して母親が住んでいたから
尊氏の墓が三河の岡崎市にあるのは当然だと思う
>>681
岡崎の墓が一番本物だと思う
899日曜8時の名無しさん:2013/10/22(火) 22:59:22.37 ID:efBybjGD
900日曜8時の名無しさん:2013/10/22(火) 23:25:50.61 ID:zHwxrPoO
>>896-897
「み…み心にお答えせねば…」

古典の太平記だともっとぼろくそな感じだよw
根津氏の熱演が光る、と同時に哀れで良い最期だったと思う
901日曜8時の名無しさん:2013/10/22(火) 23:28:08.70 ID:zHwxrPoO
尊氏のお墓は複数あるけど、一応は等持院なんだと思う。
死語の呼称は等持院殿だし。

鎌倉の浄光明寺も一応は墓所とされている。
中先代後に尊氏が蟄居したとされるお寺ゆえか?(蟄居先は異説あり)
902日曜8時の名無しさん:2013/10/23(水) 00:30:38.18 ID:F3SzK4RV
>>898
チミ誰よ?wパゴヤの大先生ですか?


>一応は等持院

そうだよ、但し作られたのは、死後かなりたってからだ、タイムラグなく建てられたのは八剣神社
三河で後世作られたのなら、成り立ちが等持院と同じ天恩寺に無ければおかしいからな


天恩寺
http://www.aichi-c.ed.jp/contents/syakai/syakai/seisan/sei038.htm


縁起はさておき、三河にも等持院と同じような寺を作りたかった尊氏が、遺言に託した寺だな
903日曜8時の名無しさん:2013/10/23(水) 00:34:51.61 ID:F3SzK4RV
三河の広範囲にわたり関連史跡がこれだけあって、大門が選ばれたのをみると、大門が如何に重要であったがわかる

足利尊氏関連史跡

■天恩寺(岡崎市)
足利尊氏遺言の寺、3代将軍足利義満建立、4代将軍足利義持の祈願所


■勝楽寺(西尾市)
創建、お手植えの松あり


■その他
【岡崎市】
・滝山寺/足利宗家の氏寺、寺領寄進
・高隆寺/七堂伽藍造営
・真福寺/持地院建立
・満性寺/太子信仰、足利尊氏弓矢の守護神、伽藍造営
・竜泉寺/日静(尊氏の母の弟)開基、元は上野一族(足利一族)の竜泉寺城
・総持寺/高一族屋敷跡に、高師泰(高師直の兄)の娘が建立、足利尊氏と足利義詮の支援あり
・長瀬八幡宮/社殿(火災による消失)復興、板倉氏(足利一族)を神主に
・糟目犬頭神社/庇護(百貫文寄進)、三河鈴木氏ゆかり、新田義貞の首塚あり
・八剣神社/足利尊氏の墓あり、近くに大門屋敷(足利宗家の屋敷)があった

【豊田市】
・長興寺/三河利生塔、全国66ヶ国2島の利生塔の一つ

【幸田町】
・安国寺/三河安国寺、全国66ヶ国2島の安国寺の一つ

【西尾市】
・実相寺/安国寺(全国66ヶ国2島の安国寺)に指定、尾張国の安国寺の代わりらしい(尾張国にあった記録なし)
・金蓮寺/真言宗光福寺の子院を現在の場所に移転、金蓮寺として再興
・饗庭神社/新田開発し、一宮、二宮、三宮を鎮守、その内の二宮、饗庭命鶴丸氏直(花一揆武士団大将)が関係
・幡頭神社/参拝、弓矢奉納

【豊橋市】
・赤岩寺/阿弥陀如来坐像奉納

【新城市】
・冨賀寺/真応上人(尊氏の従兄弟)が住職、祈願寺として寺領を寄進し、本堂・中堂・護摩堂・阿弥陀
904日曜8時の名無しさん:2013/10/23(水) 01:51:33.12 ID:AWOBMl9q
905日曜8時の名無しさん:2013/10/23(水) 05:32:24.95 ID:4OYWFJeX
>>900
実際当時から尊氏のライバルとして目されてたんなかな?後世の後付け設定じゃなくて。新田も一応源氏の棟梁みたいに描かれてはいるけど。
ドラマでも貧乏貧乏が先行して大義のためってよりは蔵調べられそうになって逆ギレ抜き打ち!→生かして帰さん!→こうなったら反乱だ!→たまたま上手く行った→帝に賛同して立ち上がったのだ!って流れだし歴史知らないと何だこのおっさんwてなるの必定。
906日曜8時の名無しさん:2013/10/23(水) 07:15:02.06 ID:y14lx+eH
>>901
>尊氏のお墓は複数あるけど、一応は院等持なんだと思う。
>鎌倉の浄光明寺も一応は墓所とされている。
>>903
>・八剣神社/足利尊氏の墓あり、

尊氏の墓は3つあるのか・・・
院等持が本物なら岡崎の墓は何だろう
八剣神社と天恩寺って関係あるの?
907日曜8時の名無しさん:2013/10/23(水) 08:35:01.65 ID:cn1YK6HF
>>905
源氏の棟梁

この概念におおいに問題ありな気がしないか?
棟梁ということばが大工の棟梁ぐらいの意味で使われていたならともかく、
全国的な武士の代表者(1人じゃなく複数いてもいいけど)って意味だったら、
義貞がそう呼ばれたことは一度も無かったと思う
908日曜8時の名無しさん:2013/10/23(水) 09:18:25.93 ID:Qe7du6XG
足利 北条による認定武家源氏の最高位
新田 源義家後裔の本流の系図上の一つ
909日曜8時の名無しさん:2013/10/23(水) 09:40:55.30 ID:4WFo5WNX
ドラマ中で石原良純演じる義助が世間の噂として、
「新田は所詮朝廷が足利に対抗するために取り立てた猿回しの猿に過ぎない」
って言っている場面があるな。

あと序盤に日野俊基が義貞に言われたセリフとして、
「源氏が動けば天下が動く。しかし源氏が動くには足利が動かねばならぬ。新田は非力なり」
って話をしている。
910日曜8時の名無しさん:2013/10/23(水) 10:13:57.86 ID:P9cTAcuR
>>905
まあ、ドラマじゃ
高氏たちに説教する少年小太郎→腹黒そうなショーケン義貞→自分で言ってるまんま貧乏な田舎武士っぽい根津義貞
とチェンジしているからねえw
911日曜8時の名無しさん:2013/10/23(水) 12:15:25.63 ID:4WFo5WNX
ショーケンも「所詮新田は貧乏御家人」って言う場面あるよ。
912日曜8時の名無しさん:2013/10/23(水) 14:31:53.11 ID:P9cTAcuR
>>911
ショーケンが言うと裏になんかありそうだけど、根津が言うと「ほんとにそうだね」って感じになって違うんだわw
913日曜8時の名無しさん:2013/10/23(水) 14:40:15.92 ID:UJiQs5re
クスリの関係かな?
914日曜8時の名無しさん:2013/10/23(水) 17:16:30.88 ID:cn1YK6HF
まあちょっと鎌倉期の足利氏を過大に評価してるよね。
千葉宗家や宇都宮氏でも足利家と変わらないぐらいでしょ。
915日曜8時の名無しさん:2013/10/23(水) 19:44:30.35 ID:UFPoGa2y
父の正室は15代執権の妹、息子の正室は16代執権の妹
まぁ別格だよね
916日曜8時の名無しさん:2013/10/23(水) 23:10:49.85 ID:4WFo5WNX
>>914
鎌倉期の三大有力御家人は、三浦、千葉、小山って言われるね。

>>915
執権になったのは、その縁組みが行われた時期より遥か後だし、どちらもかなり偶然性が高い。
917日曜8時の名無しさん:2013/10/24(木) 00:19:21.69 ID:8iRmg/Lu
尊氏の墓はかなりあるだろ
いい加減なカスレスを何度も垂れ流すことでもない
918日曜8時の名無しさん:2013/10/24(木) 00:24:17.90 ID:YBzwOMvA
>>916
守時が執権になったのは尊氏が満21歳の時だぞ
(ちなみに義詮が生まれたのはその四年後)
尊氏が結婚したのがいつかはわかっていないが遙か後とかはありえない
919日曜8時の名無しさん:2013/10/24(木) 20:47:47.75 ID:NGr1eBNy
>>914
>千葉宗家や宇都宮氏でも足利家と変わらないぐらいでしょ。
完璧に間違い

鎌倉殿

鎌倉殿一門(御親類家:旗頭)最高位
 源範頼・・・・・頼朝の異母弟。安達盛長の娘婿
 源義経・・・・・ご存知の舎弟
 源・足利義兼・・・頼朝の義弟

鎌倉殿準一門(一門・旗頭の下位)
 八田知家(源知家)宇都宮・小山・・・宇都宮氏の一門
 比企家・・・源頼朝の乳母の養子
 ほか多田行綱や武田信義

有力御家人(準一門の下位)
 上総広常
 千葉常胤
 ほか土肥実平とか
920日曜8時の名無しさん:2013/10/24(木) 22:18:46.32 ID:q4nTlgOm
>>918
というか、前近代の人物の年齢は数え年で言えよ
921日曜8時の名無しさん:2013/10/24(木) 22:28:49.68 ID:NGr1eBNy
>>918
>尊氏が結婚したのがいつかはわかっていないが遙か後とかはありえない

古典太平記や師守記や三宝院賢俊僧正日記を読み比べると


元応元年1319年 尊氏15歳 従五位下治部大輔 任官 

1322〜1324年  尊氏17〜20歳 結婚?
  
正中2年 1325年 尊氏21歳 竹若丸誕生
嘉暦元年1326年 守時 執権
嘉暦2年 1327年 尊氏23歳 直冬誕生
元徳2年 1330年 尊氏26歳 千寿王(義詮)誕生
922日曜8時の名無しさん:2013/10/25(金) 00:51:45.47 ID:vtjjcemU
>>917
はよ一覧にせよ、パゴヤ
923日曜8時の名無しさん:2013/10/25(金) 00:58:56.65 ID:vtjjcemU
坊門姫の旦那の所が源氏より上だろ
三河の熱田大宮司家は、序列外の将軍家縁故
2家とも承久の変で幕府にやられた
924日曜8時の名無しさん:2013/10/25(金) 09:44:19.47 ID:loDYiJD5
>>921
まあ常識的なところで、当時の有力御家人の嫡子なら10代で婚姻しているだろうな。
925日曜8時の名無しさん:2013/10/25(金) 09:56:42.28 ID:iKzOhOzL
高義が死んだ時の年齢と、その時の高氏の年齢は?
926日曜8時の名無しさん:2013/10/25(金) 14:07:35.97 ID:aOexD4b1
>>921
竹若丸は登子が産んだ子じゃねえだろ
927日曜8時の名無しさん:2013/10/25(金) 20:38:20.34 ID:loDYiJD5
>>925
高義の死は1315〜1318年の間。
この時期の尊氏の年齢は11〜14歳。
928日曜8時の名無しさん:2013/10/25(金) 21:42:19.72 ID:1LorCV2v
弟を殺したァー!!!ちちうぇぇ・・・ははうえぇぇ・・・・おとうとーーーーーー!


今でも泣けるわこのシーン
929日曜8時の名無しさん:2013/10/25(金) 22:10:02.15 ID:pnlniyIP
>>923
源氏も平氏も藤原氏もいっぱいいたんだから、更に細かい家ごとに格があっただろ?
天皇家が一番エロく、藤原摂関家が公家界では天皇家の次で。
930日曜8時の名無しさん:2013/10/25(金) 23:23:08.07 ID:1/4mS/XH
京都の等持院:宝篋印塔(墓)  
鎌倉の層塔・宝篋印塔の積上げ(墓)
広島県尾道の宝篋印塔(墓)

京都の宝篋印塔(墓)
滋賀県の五輪塔(墓)
岡山県の宝篋印塔(墓)
福井県の五輪塔(墓)
兵庫県の形状不明(塚)

愛知県の宝篋印塔・五輪塔・宝塔等の積上げ(供養塔)
愛知県同様の伝承レベルの供養塔なら他に九州・四国・石川にもあり
931日曜8時の名無しさん:2013/10/25(金) 23:34:48.90 ID:1/4mS/XH
>>924
そう思う
ってことは守時執権就任の3〜4年前くらいか・・

>>926
それは竹若しかり、直冬しかり、自明の理じゃね?
大河でも婚姻後暫く高氏・登子は子に恵まれなかったとあるし
師守記とかには4〜5・6年は授からなかったとある
だから逆算するとそうなるってことよ
932日曜8時の名無しさん:2013/10/25(金) 23:46:53.50 ID:vtjjcemU
>>930
だからこーゆー風にまとめろ、高卒
宝篋印塔じゃないし、伝承もない、戦後矢作川の護岸工事で埋まっていたの見つけたら、銘があった

八剣神社(愛知県岡崎市大門3-29-6)  足利尊氏の墓(石宝塔、供養塔)

・矢作川堤防工事の際、埋もれているのが発見された(矢作川は過去4度大氾濫を起こした)
・すぐ近くの八剣神社に安置された
・覆鉢形の塔身と二重軒・宝形の笠の2石のみが創建当時の物
・高さは215センチ
・銘

源尊氏公
足利治部大輔
征夷大将軍
等持院殿妙義
于時延文三天
四月晦日
足利内蔵之尉敬白
正啓□□


□は判読不明
933日曜8時の名無しさん:2013/10/26(土) 00:42:43.40 ID:9JT7R0T5
>岡崎市都市計画課
>現在の石塔は、首部なし、覆鉢形の塔身と二重軒・宝形造の笠の2石のみが創建当時のものである。
塔身には、延文3年(1358)4月晦日に没した
《足利尊氏の供養のために足利内蔵之尉が建立した》
ことを示す銘文を扇枠とともに刻する。復元総高は約215センチメートル。室町時代。
>市指定文化財(昭和42年9月14日指定)
>撮 影 日  平成21年5月
>撮影 場所  大門三丁目/地図
>投 稿 者  都市計画課
八剣神社や神社周辺の廃寺になった寺や現存する寺、檀家衆の過去帳から由緒を辿ったが、墓・墓所の証拠は無く、当初は国重文・県重文の調査をも依頼したが、
非常に残念なことに遺跡の供養塔として市文になった

宝篋印塔の笠の特長(石塔では異質な形状)
四隅には隅飾と呼ばれる突起がある
岡崎の供養塔にもある、宝珠と宝形笠・塔身の間にある四角の変な2〜3重のやつ
934日曜8時の名無しさん:2013/10/26(土) 00:45:36.15 ID:WramuM+i
>>928
顕家が死ぬところらへんまでしか見れん。直義好きにはあの殺されるシーンがキツイ。直義が終始笑顔なのもまたキツイ。
935日曜8時の名無しさん:2013/10/26(土) 01:08:51.23 ID:5nwm1Ld7
>>931
この大河では尊氏と登子の婚姻が正中の変の話の直後に描かれていて、
「このとき尊氏二十歳であった」とナレーションが入るわけだけど、
この大河で尊氏と登子の婚姻が1324年とされている根拠は何?
936日曜8時の名無しさん:2013/10/26(土) 01:36:34.43 ID:+JlTdVj+
根拠などない
>>916でやっちゃった間違いを認めなくないだけ
937日曜8時の名無しさん:2013/10/26(土) 23:02:47.03 ID:BVZTYx0g
>>934
ちょうど顕家が死ぬあたりで義貞たち英雄が消えてくからね。
尊氏を主役にすると、後半生最大のライバルが弟になっちゃうから。
938日曜8時の名無しさん:2013/10/27(日) 07:43:48.42 ID:vfushreU
>>930
>京都の等持院:宝篋印塔(墓) 
>京都の宝篋印塔(墓)

偉そうに一覧にしても京都がダブっているじゃねーかw
おまけに県名だけじゃ怪しいものだw
それに岡崎の尊氏の墓(宝塔)は宝篋印塔じゃねーしw
出鱈目言うなw
三河サゲしか考えない名古屋猿はツメが甘いんだよw
939日曜8時の名無しさん:2013/10/27(日) 12:01:47.14 ID:l04ejsP2
940日曜8時の名無しさん:2013/10/27(日) 13:14:48.36 ID:oXMXW1Pe
>>937
直義は頑固一徹愚直熱血漢て感じに描かれてて、躁鬱尊氏といい感じに凸凹兄弟だったよね。史実だと冷静な官僚タイプだったらしいけど。尊氏は修羅道人生だったよな。
941日曜8時の名無しさん:2013/10/27(日) 14:59:04.78 ID:eOhUscrS
尊氏が全て悪いわな
こいつはどんだけの悪業を背負ってるのか
源氏の悪業全て背負ってんじゃないかってくらい晩年が酷い
942日曜8時の名無しさん:2013/10/27(日) 15:16:58.76 ID:+HJwQicS
御醍醐のわがままの方がひどいだろ
大覚寺統の嫡流でもないのに、出しゃばりすぎ
建武の新政が大失敗
943日曜8時の名無しさん:2013/10/27(日) 19:31:38.48 ID:6Yh+NbQ7
>源氏の悪業全て背負ってんじゃないかってくらい晩年が酷い

爺さんが命がけで天下を取る呪いをかけたんだから業も深くなるさ
個人の力量が左右するんじゃなくて一族総出でお膳立てするんだから
鬱にもなるだろ。
944日曜8時の名無しさん:2013/10/27(日) 21:30:16.12 ID:iQCPGLvx
>>936>>916を随分と根に持っているんだなw
945日曜8時の名無しさん:2013/10/27(日) 21:53:31.28 ID:BQJZUz5O
長寿寺(神奈川県鎌倉市山ノ内1503) 足利尊氏の墓(宝篋印塔、供養塔) 、足利尊氏坐像あり

・長寿寺は、尊氏もしくは基氏が、足利宗家の屋敷の北側に建てた
・基氏が足利尊氏の墓(宝篋印塔、供養塔)に遺髪を納めた(伝承)、
・足利尊氏坐像に尊氏の歯を納めた(伝承)



大門屋敷と同じで屋敷近くの寺に建てや点で似ているな
遺髪とか、歯を納めた像は、これのパクリだろ



滝山寺(愛知県岡崎市)
http://takisanji.net/jihou_hou_seikan.html


>聖観音は頼朝の等身大で顎髭(又は鬢の落毛)と歯を胎内に納めたという
946日曜8時の名無しさん:2013/10/27(日) 21:58:24.14 ID:q/TQMh8G
また発作か?
947日曜8時の名無しさん:2013/10/27(日) 22:10:26.69 ID:O4ctfS81
爺さんの遺言は創作の可能性が高いんしょ?
後醍醐さんを尊敬してたけど政治やらせてみたら民主党並みで変に権威持ってるから誰も諌めれない。なら俺がやるしかない!となったら兄弟友達ライバル部下を次々にぶっ殺さなきゃならなくなってラストは息子が反抗期www
そら鬱になりますわ。下克上言うても結局家格や血筋なのがこの時代の限界だったんかな?将門さんも純友さんもいいとこの血筋だしね。

天皇家が二派に別れて朝廷のブランドだだ下がりだったのもあんのかな?とか想像すると面白い。片岡孝男の扇子ブチ折るシーンの公家の反応に毎回笑っちゃう。
948日曜8時の名無しさん:2013/10/27(日) 22:15:33.33 ID:BQJZUz5O
滝山寺(愛知県岡崎市)
http://takisanji.net/jihou_hou_seikan.html
>聖観音は頼朝の等身大で顎髭(又は鬢の落毛)と歯を胎内に納めたという


日光とかも絡んでくるんだが、家康とやらはその辺を知り尽くしていたわけだ


■日光山
源頼朝がその母方の三河の藤姓熱田大宮司家(愛知県岡崎市)の出身者を別当に据えて以来、鎌倉幕府、関東公方、後北条氏の歴代を通じて東国の宗教的権威の一中心であり続けた

源頼朝
・藤原実範(三河国司)→藤原季兼(三河四郎)→藤原季範(額田冠者、初代藤姓熱田大宮司)→娘(由良御前)→源頼朝

母方の三河の藤姓熱田大宮司家の出身者(源頼朝の従兄弟)
寛伝(寛典・観纒とも、額田僧都、式部僧都と称された、日光山満願寺19世座主)
・藤原実範(三河国司)→藤原季兼(三河四郎)→藤原季範(額田冠者、初代藤姓熱田大宮司)→藤原範忠→寛伝


年表
・1142年、生まれる
・叔父の三河法橋裕範(源頼朝の母の弟)、粟田口法眼長暹(源頼朝の母の弟)を頼って滝山寺(愛知県岡崎市)で仏門に入る
・仁和寺で修行
・1182年、源頼朝の推挙により日光山満願寺19世座主になる
・宗徒と面会する際、御簾を半分にしか上げず紛紜、2ヶ月で三河国(愛知県岡崎市)に戻る
・菩提寺の滝山寺(愛知県岡崎市)僧侶になり、66郷を領し精舎一区を創建する
・鑁阿寺奥院の法界寺に、宋版の一切経を納める(後に一切経は、足利義氏により鑁阿寺に)
・高野山御影堂に大鐘を施入する
・1201年、頼朝公の3回忌、滝山寺内に惣持禅院を創建し、本尊として頼朝公の御歯と御髪を納めた聖観音菩薩を安置する
・惣持禅院に供僧10人を常置し10町の土地を寄進する
・1205年、死去する
949日曜8時の名無しさん:2013/10/27(日) 22:19:13.19 ID:R0GJFQ43
950日曜8時の名無しさん:2013/10/28(月) 20:57:55.03 ID:Nnf8nGzg
京都の等持院:宝篋印塔(墓)
京都の安国寺:宝篋印塔(墓)
安国寺は足利家・上杉家を語る上では必然
951日曜8時の名無しさん:2013/10/28(月) 21:10:39.48 ID:gIzgE0zJ
源氏=歴代将軍家は、家庭内問題が多いし、酷すぎる!
952日曜8時の名無しさん:2013/10/28(月) 21:45:06.03 ID:apX2bG3v
>安国寺:宝篋印塔(墓)

これは後世だろ


大体みえてきたな、尊氏が死ぬと、鎌倉街道を下って近江三河鎌倉に、リアルタイムで尊氏の遺物が届けられた
三河にも、尊氏の骨なり歯なりが埋めこまれた像が大門寺(廃寺)にあったはずだ


埋めこまれた像のアイデアは鎌倉殿


滝山寺(愛知県岡崎市)
http://takisanji.net/jihou_hou_seikan.html
>聖観音は頼朝の等身大で顎髭(又は鬢の落毛)と歯を胎内に納めたという



三河生まれ三河育ちの細川頼之も周知の事


足利将軍の遺髪、仏像の頭部で保存か
http://www.yomiuri.co.jp/otona/news/20121113-OYT8T00500.htm?from=yolsp
>南北朝時代の資料「園城寺文書」では、3代、義満の後見役として知られる武将・細川頼之が1368年、同寺に送った書状があり、そこでは「源頼朝や足利尊氏の先例にならって、義詮の遺髪を納めた地蔵菩薩像を園城寺に奉納した」
>源頼朝や足利尊氏の先例
953日曜8時の名無しさん:2013/10/28(月) 21:56:03.05 ID:apX2bG3v
>>948

足利義兼
・藤原実範(三河国司)→藤原季兼(三河四郎)→藤原季範(額田冠者(三河国額田郡)、初代藤姓熱田大宮司)→藤原範忠→娘→足利義兼



母方の三河の藤姓熱田大宮司家の出身者(源頼朝の従兄弟)

寛伝(寛典・観纒とも、額田僧都、式部僧都と称された、日光山満願寺19世座主)
・藤原実範(三河国司)→藤原季兼(三河四郎)→藤原季範(額田冠者(三河国額田郡)、初代藤姓熱田大宮司)→藤原範忠→寛伝


・菩提寺の滝山寺(愛知県岡崎市)僧侶になり、66郷を領し精舎一区を創建する         ←これも血縁の足利氏が相伝した一部
・鑁阿寺奥院の法界寺に、宋版の一切経を納める(後に一切経は、足利義氏により鑁阿寺に)   ←法界寺は義兼の実母(寛伝の姉妹)を菩提する為に作られた
http://blog-imgs-43.fc2.com/g/l/a/glassesmaiden/IMGP1707s.jpg

・高野山御影堂に大鐘を施入する                              ←義兼と連名で寄進
954日曜8時の名無しさん:2013/10/28(月) 22:04:14.17 ID:ijLu1sY3
955日曜8時の名無しさん:2013/10/28(月) 23:42:15.29 ID:Nnf8nGzg
>これは後世だろ
完全論外


安国寺文書
足利尊氏・登子・母堂清子の3名の墓所(南北朝期〜室町初期)
二代将軍義詮が父母等の没後それぞれ2ヶ月後に
遺骨の一部を当地に迎え建立

安国寺文書(七十四通)
鎌倉〜室町時代
国指定重要文化財←何処の創作ファンタジーとはチト違う
足利氏・中世史研究では非常に価値が高い文書
956日曜8時の名無しさん:2013/10/29(火) 00:02:17.61 ID:mCdTRdmt
>安国寺文書

これか?


■上杉氏

上杉−勧修寺家支流と称するが疑問が大きい。
丹波国何鹿郡上杉庄より起り、上野を本拠として、越後や関東各地等に分る。
『東鑑』を含め確実な史料には、先祖重房の下向記事が見えず、足利家家人の上椙三郎入道(上杉頼重)より前は不明。
その出自は難解であるが、三河の日下部(穂国造一族か)と関係をもった場合も考えられ、その場合は、同国の足利被官で藤姓を称した杉山氏や大草氏と同族か



■日名屋敷(事実上の始祖である上椙三郎入道(上杉頼重)の 屋敷)

鎌倉末期に三河国額田郡日名にあった上杉氏の屋敷。
足利貞氏室となり尊氏・直義を産んだ上杉頼重の娘清子が、暦応2年(1339)10月15日に丹波国光福寺(現綾部市安国寺)へ日名屋敷を寄進、
翌年4月5日に清子の甥上杉重能がこの屋敷を光福寺雑掌へ渡すよう岩堀右衛門三郎に命じている。
頼重は額田郡を含む足利氏所領群を管理する奉行人のひとりであったから、現地支配の拠点として上杉氏がこの屋敷を所領とし、頼重から女子清子に譲与されたものであろう。
日名屋敷跡伝承地の近くの墓地に14世紀後半の宝塔の笠1個がある。


>創作ファンタジー

そもそも三河人は足利一族にたいして興味がねーつーの
戦後、矢作川の護岸工事で埋まっていたの見つけたら、銘があって、何じゃコレつーわけだ
957日曜8時の名無しさん:2013/10/29(火) 00:04:22.43 ID:q1e5dzQi
>>942
ちゃんと武士の世の中っていう時流があったのに幕府後の内紛が酷すぎるんだよ。北条は内紛でも鎌倉内で抑えてたぞ。尊氏はどうだ、全国規模で戦争に次ぐ戦争。なぜ義満さんがしたようなことを尊氏はしなかったのか。
すなわち弟の早期粛正と南北朝の合体さ。死ぬ気になりゃできんだろ。それを畳の上(一応病気)でのうのうと死にやがって
958日曜8時の名無しさん:2013/10/29(火) 00:09:57.64 ID:mCdTRdmt
毎度毎度、三河にマウントポジション取られて、悔しく恥ずかしいよな、だが感謝の気持ちを持たないのは、もっと恥ずかしいぞ
三河は今も昔も、国ですら対等に意見できない相手だ、チミ達は貢献度が違いすぎるんだよ


リーマンショック後の不交付団体

■平成 21年度 不交付団体の状況
http://www.soumu.go.jp/main_content/000032095.pdf
・全国の不交付団体 151市町村
・西三河の不交付団体 13市町村の内10市町村
豊田市、みよし市、岡崎市、安城市、刈谷市、高浜市、知立市、碧南市、西尾市、幸田町

■平成 22年度 不交付団体の状況
http://www.soumu.go.jp/main_content/000075077.pdf
・全国の不交付団体 74市町村
・西三河の不交付団体 13市町村の内7市町村
豊田市、みよし市、安城市、刈谷市、碧南市、西尾市、幸田町

■平成 23年度 不交付団体の状況
http://www.soumu.go.jp/main_content/000124636.pdf
・全国の不交付団体 58市町村
・西三河の不交付団体 10市町村(西尾市合併により3町減る)の内6市町村
豊田市、みよし市、安城市、刈谷市、碧南市、幸田町

■平成 24年度 不交付団体の状況
http://www.soumu.go.jp/main_content/000169057.pdf
・全国の不交付団体 54市町村
・西三河の不交付団体 10市町村の内6市町村
豊田市、みよし市、安城市、刈谷市、碧南市、幸田町

■平成 25年度 不交付団体の状況
http://www.soumu.go.jp/main_content/000240073.pdf
・全国の不交付団体 48市町村
・西三河の不交付団体 10市町村の内6市町村
豊田市、みよし市、安城市、刈谷市、碧南市、幸田町
959日曜8時の名無しさん:2013/10/29(火) 00:11:24.63 ID:mCdTRdmt
平成22年度生活保護率(主要自治体)

5.30% 大阪市 141,026人

4.33% 函館市 12,187人

3.74% 東大阪市 18,892人、3.63% 旭川市 12,690人、3.37% 尼崎市 15,604人、3.31% 高知市 11,380人、3.28% 札幌市 62,531人

2.94% 京都市 43,118人、2.88% 神戸市 44,225人、2.74% 堺市 22,960人、2.65% 長崎市 11,762人、2.64% 青森市 7,962人、2.46% 福岡市 35,761人
2.26% 鹿児島市 13,700人、2.09% 北九州市 20,559人、2.06% 松山市 10,646人、2.04% 和歌山市 7,547人、2.03% 川崎市 28,571人、2.02% 広島市 23,633人

1.93% 奈良市 7,044人、1.75% 名古屋市 39,501人、1.75% 熊本市 12,792人、1.75% 宮崎市 6,970人、1.65% 横浜市 60,488人、1.62% 大分市 7,618人
1.62% 久留米市 4,914人、1.60% 千葉市 15,315人、1.59% 岡山市 11,195人、1.55% 福山市 7,162人、1.53% 盛岡市 4,571人、1.53% 下関市 4,313人
1.53% 秋田市 4,975人、1.52% 高松市 6,355人、1.44% 仙台市 14,883人、1.40% 船橋市 8,389人、1.39% 宇都宮市 7,065人、1.38% 西宮市 6,646人
1.36% 相模原市 9,710人、1.34% 倉敷市 6,355人、1.33% 高槻市 4,705人、1.28% 岐阜市 5,247人、1.28% いわき市 4,406人、1.24% 姫路市 6,641人
1.24% さいたま市 14,977人、1.19% 新潟市 9,641人、1.10% 川越市 3,739人、1.09% 大津市 3,633人、1.08% 横須賀市 4,519人、

0.96% 前橋市 3,241人
0.94% 静岡市 6,713人
0.89% 郡山市 3,029人
0.79% 柏市 3,152人
0.77% 浜松市 6,276人
0.75% 金沢市 3,436人
0.63% 長野市 2,408人
0.60% 豊橋市 2,278人←三河国
0.54% 豊田市 2,287人←三河国 
0.46% 岡崎市 1,734人←三河国  
960日曜8時の名無しさん:2013/10/29(火) 00:43:30.99 ID:SOOsAPzZ
961日曜8時の名無しさん:2013/10/29(火) 09:57:23.63 ID:v90arwU6
>>957
義満は弟の粛清なんてやったっけ?
962日曜8時の名無しさん:2013/10/29(火) 17:26:42.96 ID:XoXnK6VH
源氏は血縁がいると担ぎ出される運命だからねぇ。
963日曜8時の名無しさん:2013/10/29(火) 21:00:22.41 ID:8TXMH8WB
公暁もだまされた
964日曜8時の名無しさん:2013/10/29(火) 22:26:19.32 ID:/kxtQVfX
安国寺って言ったら夢窓疎石だよな
大河でもいい味出していた
965日曜8時の名無しさん:2013/10/30(水) 03:14:18.71 ID:qC0d57Tn
>>931
大嘘付くな
大河では9話で新婚初夜だったが次に登子の出番があった10話では既に千寿王が生まれていたぞ
966日曜8時の名無しさん:2013/10/30(水) 06:46:46.01 ID:49ZvL5hk
次話で何年も経ってるかもしれんだろw
もちつけ
967日曜8時の名無しさん:2013/10/30(水) 07:51:33.13 ID:qC0d57Tn
>>966
>大河でも婚姻後暫く高氏・登子は子に恵まれなかったとあるし
これ自体が大嘘であることに変わりない
968日曜8時の名無しさん:2013/10/30(水) 08:14:45.48 ID:EIvGhFKb
>>966
9話と10話の間でさりげなく5年ほどたってるからなw
その次に5年たつのは38話までかかるけど。
969日曜8時の名無しさん:2013/10/30(水) 08:43:14.36 ID:qC0d57Tn
>>968
何年経ったかという描写はないし、「暫く子に恵まれなかった」などいう描写もない
あくまで大河ドラマの作品上では
970日曜8時の名無しさん:2013/10/30(水) 08:51:26.37 ID:EIvGhFKb
>>969
だからさりげ〜なく時間がたってるんだよw
守時が執権になってから元弘の変まで5年だからね

登子が子供云々の話はないのはそのとおりだな
971日曜8時の名無しさん:2013/10/30(水) 09:45:43.91 ID:dXWb9sL5
めぐまれないはやる夫スレであった話でないか?
本編は霜月騒動(親父の子供時代)から始まって
10代〜二十歳→30前後〜(幕末〜幕府創設)→晩年(観応の擾乱)
という感じで年代が飛んでる。
972日曜8時の名無しさん:2013/10/30(水) 22:20:24.13 ID:GF3K+QjB
三河屋さんボロボロだなw

斯波氏で論破され逆ギレ
滝山寺で論破され逃亡
三河熱田神宮で論破され話題差し替え
足利家本拠地で論破され逃亡
尊氏の墓で論破され開き直り

ネタ切れの三河さんはそろそろ潮時だなw
973日曜8時の名無しさん:2013/10/30(水) 23:16:03.88 ID:DtD0ONCL
974日曜8時の名無しさん:2013/10/30(水) 23:28:32.15 ID:v5QQqUdr
>>972
論破ってwちょこちょこしゃしゃり出てきて、とうとう勝利宣言か?w
お前の嫉妬は朝鮮人以上だなw


墓なんだが、全国にいっぱいあるとは、安国寺利生塔の60ヶ所以上レベルを指す
お前は、まだ10も出してし、ろくなまとめかたもしていない

口答えはせず、言われた事をしっかりやれ
975日曜8時の名無しさん:2013/10/31(木) 00:08:34.87 ID:LSe/E4w8
尊氏と登子の婚姻前後の描き方にに関しては、
すぐあとのように見えて実は何年も飛んでいるんだよね。

婚礼の場面(「尊氏二十歳であった」とのナレーション) →1324年

尊氏・登子のお披露目の宴(嘉暦の政変に絡めて描かれる) →1326年

千寿王が既に生まれている描写 →1330年
976日曜8時の名無しさん:2013/10/31(木) 01:15:34.80 ID:NCT5Ofvu
次スレ頼む

三河馬鹿と尾張阿呆は該当スレいくように
977日曜8時の名無しさん:2013/10/31(木) 07:24:31.42 ID:3pXoY0BW
>>965
おまえ面白いな
978日曜8時の名無しさん:2013/10/31(木) 20:55:38.07 ID:3pXoY0BW
>>974
お前は三河の恥さらしだ
同じ三河の人間として恥ずかしい
迷わず成仏しろw
979日曜8時の名無しさん:2013/10/31(木) 22:26:30.34 ID:eKI9xViS
>尾張阿呆


全くの部外者、一切関わらせるな
高師泰や斯波氏は尾張守尾張守護、尾張も関係あるだぎゃ〜のレベルなんだぜ
同窓会に参加する権利のない、完全なる部外者


天龍寺供養参列者
http://www.geocities.jp/kawabemasatake/tenryuji.html


もちろん尾張は一切ないのだが、三河は一門以外にも
伴野長房、設楽助定、設楽助兼、富永行継、伊勢貞継、千秋惟範と多数
尾張が仲間に入ろうとしても、思い出話が全く出来ないだろうが
980日曜8時の名無しさん:2013/10/31(木) 22:31:53.29 ID:eKI9xViS
仲間に入れたら最後、これと同じだ、劣等感解消のオナニーのおかずにされる


室町幕府は愛知が作っただぎゃ〜、愛知は名古屋だぎゃ〜、室町幕府は名古屋人が作っただぎゃ〜




http://toppy.net/special/dubai0.html

「名古屋が元気」

こんな言葉をよく耳にします。名古屋以外の大半の日本人は、この言葉の裏に「トヨタが元気なだけで名古屋自体がなんぼのもんじゃい」という意味を込めて使っているにもかかわらず、
ほとんどの名古屋っ子は何を勘違いしているのか、名古屋が我が国のなかで最も元気だと、本当に褒められていると勘違いしています。



>名古屋が我が国のなかで最も元気だと、本当に褒められていると勘違いしています。



どこの田舎モンだよw
981日曜8時の名無しさん:2013/10/31(木) 23:54:54.05 ID:LSe/E4w8
次スレはどうする?
982日曜8時の名無しさん:2013/11/01(金) 04:17:09.48 ID:/dWoHLET
静岡で地元を三河って言い方流行ってんの?
983日曜8時の名無しさん:2013/11/01(金) 10:39:38.31 ID:iMHEQXmD
三河じゃなくて正しくは参河だな。
984日曜8時の名無しさん:2013/11/01(金) 11:58:13.26 ID:o8SrLwZy
ちまたで話題の田中正造が岩松流田中氏はホントかいな
985日曜8時の名無しさん:2013/11/01(金) 23:19:18.98 ID:57exaLQk
名古屋人は関東関西間一の無能田舎者


名古屋だぎゃ〜

尾張名古屋共和国(笑)=名古屋都又は愛知都(旧尾張藩の規模)

公約に掲げて、民意は下った
公約違反はするなよ、今高らかに尾張名古屋共和国(笑)=名古屋都又は愛知都(旧尾張藩の規模)
周辺のゴミも後押しせんかい
河村君に期待アゲ


人口400万人の「中京都・尾張名古屋共和国構想」を発表!
http://m.logsoku.com/r/news/1360641900/

「中京都」「尾張名古屋共和国構想」 実現に向けた戦略本部が再開
http://m.logsoku.com/r/news/1343457977/

【地方】河村市長「中京都構想」から「尾張名古屋共和国構想」シンポ 河村市長「県も市も解体」
http://m.logsoku.com/r/newsplus/1341939964/

【愛知】 河村市長、「尾張名古屋共和国」実現へ 各首長に呼び掛け
http://m.logsoku.com/r/newsplus/1329743534/

【政治】河村たかし市長「尾張名古屋共和国作りたい」-中京都構想
http://m.logsoku.com/r/newsplus/1326986973/

河村市長「人口400万人の尾張名古屋共和国を作りたい」…名古屋終わり地域が日本から独立へ
http://m.logsoku.com/r/news/1326986603/
986日曜8時の名無しさん:2013/11/02(土) 07:04:21.05 ID:NJp9b2i3
>>648
民度の違い
DNAの違い
三河火病人が多いのは岡崎市の特定地域のみ
遡れば帰化人が多く日本国籍取得後は異常な郷土愛に目覚めるパターン
言動を観察すれば理解できる
在日のたまり場である街宣右翼と似たDNA
普通の三河の人間は名古屋も関東も等しく尊敬している
987日曜8時の名無しさん
後醍醐帝「なぜ次スレがたたぬのじゃーっ!」

坊門「ひいいっ…」