■配役
新島(山本)八重(1845-1932)…綾瀬はるか(28)
山本権八(父/1808-1868)+37…松重豊(50)
山本佐久(母/1810-1896)+35…風吹ジュン(61)
川崎尚之助(先夫/1836-1875)+9…長谷川博己(36)
新島襄(後夫/1843-1890)+2…オダギリジョー(37)
山本覚馬(兄/1828-1892)+17…西島秀俊(42)
山本うら(覚馬先妻/1837-没年不明)+8…長谷川京子(34)
山本三郎(弟/1847-1868)-2…工藤阿須加(21)
山本みね(覚馬次女/1862-1887)-7…池田沙弥花(11)
小田時栄(覚馬後妻/1854-没年不明)-9…谷村美月(22)
徳造(山本家下男)…戸田昌宏(45)
お吉(山本家女中)…山野海(47)
松平容保(会津藩主/1836-1893)+9…綾野剛(31)
松平敏姫(容保正室/1843-1861)+2…中西美帆(24)
松平照姫(容保義姉/1832-1884)+13…稲森いずみ(41)
松平容敬(容保養父/1804-1852)+41…中村梅之助(83)
松平喜徳(容保養子・慶喜弟/1855-1891)-10…嶋田龍(13)
滝瀬(照姫中老)…筒井真理子(40)
西郷頼母(家老/1830-1903)+15…西田敏行(65)
西郷千恵(頼母妻/1835-1868)…宮崎美子(54)
田中土佐(家老/1820-1868)+25…佐藤B作(64)
林権助(大砲奉行/1806-1868)+39…風間杜夫(64)
広沢富次郎(公用方/1830-1891)+15…岡田義徳(36)
神保内蔵助(家老/1816-1868)+29…津嘉山正種(69)
神保修理(家老・軍事奉行添役/1834-1868)+11…斎藤工(31)
神保雪(娘子隊・修理妻/1846-1868)-1…芦名星(29)
佐川官兵衛(家老/1831-1877)+14…中村獅童(40)
梶原平馬(主席家老/1842-1889)+3…池内博之(36)
秋月悌次郎(軍事奉行添役/1824-1900)+21…北村有起哉(39)
山川大蔵(家老/1845-1898)±0…玉山鉄二(33)
山川登勢(大蔵妻/?-1868)…白羽ゆり(34)
山川兵衛(家老・大蔵祖父/1783-1869)+68…山本圭(72)
山川艶(大蔵母/1817-1889)+28…秋吉久美子(58)
山川二葉(大蔵姉・梶原平馬妻/1844-1909)+1…市川実日子(34)
山川健次郎(大蔵弟/1854-1931)-9…勝地涼(26)
山川捨松(大蔵妹/1860-1919)-15…水原希子(22)
萱野権兵衛(家老/?-1869)…柳沢慎吾(51)
横山主税(江戸家老/1798-1864)+47…国広富之(60)
簗瀬三左衛門(家老/生没年不詳)…山野史人(72)
内藤介右衛門(家老/1839-1899)+6…志村東吾(43)
古川春英(1828-1870)+17…小市漫太郎(44)
黒河内伝五郎(武芸師範/1803-1868)+42…六平直政(59)
竹村幸之進(1845-1877)±0…東武志(35)
小出鉄之助(大蔵義弟/1845-1874)±0…白石朋也(34)
高木時尾(幼馴染・斎藤一妻/1846-1925)-1…貫地谷しほり(27)
高木澄江(時尾祖母)…宮下順子(64)
中野竹子(娘子隊/1847-1868)-2…黒木メイサ(25)
日向ユキ(幼馴染/1851-1944)-6…剛力彩芽(20)
水野テイ(梶原平馬後妻/1849-1889)-4…MEGUMI(31)
近藤勇(新選組/1834-1868)+11…神尾佑(43)
土方歳三(新選組/1835-1869)+10…村上淳(39)
斎藤一(新選組/1844-1915)+1…降谷建志(34)
沖田総司(新選組/?-1868)…鈴木信二(32)
永倉新八(新選組/1839-1915)+6…水野直(33)
藤堂平助(新選組/1844-1867)+1…住吉晃典(34)
■配役(つづき)
孝明天皇(1831-1867)+16…市川染五郎(40)
岩倉具視(1825-1883)+20…小堺一機(57)
三条実美(1837-1891)+8…篠井英介(54)
近衛忠煕(1808-1898)+37…若松武史(62)
中川宮(1824-1891)+21…小須田康人(51)
二条斉敬(1816-1878)+29…伊吹剛(63)
中山忠能(1809-1888)+36…小川隆市(64)
仁和寺宮(1846-1903)-1…西海健二郎(40)
九条道孝(1839-1906)+6…河原健二(36)
徳川慶喜(1837-1913)+8…小泉孝太郎(34)
徳川慶篤(慶喜兄/1832-1868)+13…杉浦太陽(32)
徳川慶恕(慶勝・容保実兄/1824-1883)+21…金子賢(36)
徳川家定(1824-1858)+21…ヨシダ朝(52)
徳川慶福(家茂/1846-1866)+1…葉山奨之(17)
松平春嶽(1828-1890)+17…村上弘明(56)
徳川斉昭(1800-1860)+45…伊吹吾郎(67)
井伊直弼(1815-1860)+30…榎木孝明(57)
安藤信正(1820-1871)+25…倉石功(69)
佐久間象山(1811-1864)+34…奥田瑛二(63)
吉田松陰(1830-1859)+15…小栗旬(30)
宮部鼎蔵(1820-1864)+25…宮内敦士(43)
吉田稔麿(1841-1864)+4…石川雄亮(33)
島津斉彬(1809-1858)+36…林与一(71)
久坂玄瑞(1840-1864)+5…須賀貴匡(35)
来島又兵衛(1817-1864)+28…関戸将志(36)
真木和泉(1813-1864)+32…嶋田久作(58)
松平定敬(1847-1908)-2…中村隼人(19)
松平茂昭(1836-1890)+9…斉藤悠(28)
木村銃太郎(1847-1868)-2…大地泰仁(31)
二階堂衛守(1836-1868)+9…金児憲史(34)
成田才次郎(1855-1868)-10…吉井一肇(14)
浅羽忠之助(1831-1897)+14…五十嵐貴裕(32)
伊東悌次郎(1854-1868)-9…中島広稀(19)
高木盛之輔(時尾弟/1854-1919)-9…大倉栄人(20)
山川美和(大蔵妹/1847-没年不詳)-2…守田菜生(29)
山川操(大蔵妹/1852-1930)-7…竹島由夏(27)
山川常磐(大蔵妹/1857-没年不詳)…水野芽郁(13)
西郷眉寿(1843-1868)+2…中島亜梨沙(30)
西郷由布(1846-1868)-1…玄里(26)
西郷細布(1852-1868)-7…田中明(16)
西郷瀑布(1856-1868)-11…豊田留妃(10)
中野こう(竹子母/1825-1871)+20…中村久美(52)
中野優子(竹子妹/1853-1931)-8…竹富聖花(18)
野沢鶏一(1852-1932)-7…小林優斗(21)
明石博高(1839-1910)+6…橋爪遼(26)
世良修蔵(1835-1868)+10…小沢仁志(50)
大山綱良(1825-1877)+20…村上新悟(38)
■配役(つづき)
西郷隆盛(1828-1877)+17…吉川晃司(47)
大久保利通(1830-1878)+15…徳重聡(34)
大山巌(1842-1916)+3…反町隆史(39)
木戸孝允(1833-1877)+12…及川光博(43)
坂本龍馬(1835-1867)+10…柾賢志(29)
板垣退助(1837-1919)+8…加藤雅也(50)
後藤象二郎(1838-1897)+7…京極圭(39)
山内容堂(1827-1872)+18…田中隆三(55)
勝海舟(1823-1899)+22…生瀬勝久(52)
榎本武揚(1836-1908)+9…山口馬木也(40)
槇村正直(1834-1896)+11…高嶋政宏(47)
大垣屋清八(1814-1887)+31…松方弘樹(70)
■放送日程とサブタイトル、演出
第01回 01/06 「ならぬことはならぬ」 ・・・・加藤拓
第02回 01/13 「やむにやまれぬ心」・・・・・加藤拓
第03回 01/20 「蹴散らして前へ」 ・・・・・・・加藤拓
第04回 01/27 「妖霊星」・・・・・・・・・・・・・・加藤拓
第05回 02/03 「松陰の遺言」 ・・・・・・・・一木正恵
第06回 02/10 「会津の決意」 ・・・・・・・・一木正恵
第07回 02/17 「将軍の首」・・・・・・・・・・・・末永創
第08回 02/24 「ままならぬ思い」 ・・・・・・・加藤拓
第09回 03/03 「八月の動乱」 ・・・・・・・・一木正恵
第10回 03/10 「池田屋事件」 ・・・・・・・・清水拓哉
第11回 03/17 「守護職を討て!」 ・・・・・・・加藤拓
第12回 03/24 「蛤御門の戦い」・・・・・・・一木正恵
第13回 03/31 「鉄砲と花嫁」 ・・・・・・・・・・末永創
第14回 04/07 「新しい日々へ」・・・・・・・・・加藤拓
第15回 04/14 「薩長の密約」 ・・・・・・・・清水拓哉
第16回 04/21 「遠ざかる背中」・・・・・・・清水拓哉
第17回 04/28 「長崎からの贈り物」・・・・一木正恵
第18回 05/05 「尚之助との旅」・・・・・・・一木正恵
第19回 05/12 「慶喜の誤算」 ・・・・・・・・・・末永創
第20回 05/19 「開戦!鳥羽伏見」・・・・・・・加藤拓
第21回 05/26 「敗戦の責任」・・・・・・・・・一木正恵
第22回 06/02 「弟のかたき」 ・・・・・・・・・・末永創
第23回 06/09 「会津を救え」
第24回 06/16 「二本松少年隊の悲劇」
第25回 06/23 「白虎隊出陣」
第26回 06/30 「スペンサー銃を撃て」
第27回 07/07 「彼岸獅子入城」
第28回 07/14 「殿との再会」
第29回 07/21 「鶴ヶ城開城」
第30回 07/28 「再起への道」
第31回 08/04 「覚馬からの手紙」
*サブタイトルは変更される場合もあり
8 :
日曜8時の名無しさん:2013/06/05(水) 13:49:03.95 ID:ZQpsWGN8
やいトンキン!
おまえら賊軍なんだからな
忘れるな
はいはい、どこの藩の方ですか?w
八重の桜面白いねー‼
視聴率がイマイチって聞いたけど、BSで5%以上あるならけして悪くわないんだろうけど、
でも、福山好きの母が糞つまんないって言って、不評のガリレオが20%超えたり。過去にはミタが40%超えたり、
視聴率なんて当てにならないけど、でも八重の桜放送後のTwitterの盛り上がりを見たらもう少しとれてもいいと思うんだけどな…
東電社員と浜通りの原発乞食を許すな!!!!
徹底的に制裁を加えろ!!!!
視聴率があてにならないって言っといて、Twitterをあてにするのかよw
そこそこ程度人気のドラマより、人気深夜アニメのほうが盛り上がるような所だぞ
じゃあガリレオ面白い?
前スレのサイゾーの記事でやっとドラマが動き出したとかで同意が多かったけど
八重パートと京都守護職パート分かれてても一向に構わないと思ってたのは俺だけか(´・ω・`)
むしろ半年間戊辰戦争に向けて焦点を合わせて丁寧に描いて今頃それが集約されるのがちょうどいい(´・ω・`)
でもぶっちゃけこの時点で会津側の9割の人は
恭順策が通り、会津が攻められるとは思っていなかったと思う。
万一のため準備だけしておく、程度だったかと。
>>15 長い目で見られる人間には面白い
会津パートの幸せな描写が、幸せにも関わらず切なく見えるし
でも目の前の事しか見られない人間もいる
そんな人には別々のパートがバッサリ過ぎて面白くない
どっちの気持ちも分かる
2つの点が1つに交わった時…俺はこういう作り好き
世羅って幕府側では当然評判悪いけど薩長でもあまり評価されていないよね?
妻が残ったけど、誰からも援助されず小屋で死んだとなってるし。。。
仙台藩の残念ぷりが拝めるのか
胸熱
エイエイオー(勝どき)のとこだけでも考証がしっかりしてるのはわかるんだよな。
大将がエイエイ(良いか良いか)と言った後に一同がオー(応)とこたえるわけだが。
天地人なんかでは全員が同時にエイエイオーだったもんな。
戊辰戦争において薩長軍の強襲で落城しなかった城って鶴ヶ城だけ?
http://www.youtube.com/watch?v=iX_juyo4QU8 「悪いことをする時は日本人って言うんだよな」
(拍手・歓声)
「必ずね」
「足を踏んだら、(声をあわせて日本語で)'スミマセン'」
(拍手・歓声)
「小さな愛国心ですよ」
「ええ、小さなね」
http://www.youtube.com/watch?v=VDct9Cy3wlY#t=31m18s これは、A Pinkというグループの番組です。
免許を取得したばかりのチョロンというメンバーが、実際の公道(韓国)で走るという企画です。
隣にいる男性はマネージャーですね。免許をとりたてなので、運転がとても下手です。
【会話の日本語訳】
チョロン「おいしいものを食べに行きませんか」
マネージャー「そんな場合じゃない」
チョロン「宿に行きましょう」
マネージャー「そんな場合じゃない」
(他の車にクラクションを鳴らされる)
チョロン「スミマセーン!!(日本語で)」
意味がわかりますか?
ここは韓国の公道です。
何の脈略もない突然の日本語。
悪いことをしたから日本人になりすます・・を実行しているわけです。
ちなみにこの人が、A Pinkのリーダーです。
容保の出陣の儀式は面白かった。
会津戦争でも滝沢本陣に出るシーンがあるから
>>18 世良は山県の宿敵である赤根に呼ばれて奇兵隊に入った人なんだよ
ろくな兵員の随伴もなしに奥羽総督府の下参謀を仰せ付けるって、汚れ仕事覚悟だったのじゃないかと
同輩の薩摩の大山格もあくどい事やってるけど、世良も使い捨てみたいな感じであまり後味が良くない。
滅ぼした会津の倍以上衰退している山口県萩市wwww
>>17 禿同
二本の糸がどんどん集約して一本の糸になっていく様が非常に面白い
27 :
日曜8時の名無しさん:2013/06/05(水) 18:28:59.64 ID:B19SJFKZ
仙台藩は新式銃をかき集めるどころか、軍制改革すらしていないのに
幕府軍を鳥羽伏見で破ってきた西軍相手に互角の戦争ができると本気で思っていたのだろうか?
南部藩に至っては、楢山が乱心したとしか思えない。
京都に行って、西軍の装備を自分の目で見たにもかかわらず
ゲーベル銃しか無い南部藩が、しかも白河陥落後に参戦するのだから。
いくら西郷が嫌いでも、あまりにも状況が読めなさ過ぎる。
薩長土肥、全てそんな栄えてないよね
改革するには最初に自分達の藩から率先して解体しないと示しがつかないし
土地の名士はみんな東京へ出ちゃうし
士族の不満が西側で連鎖的に起こったのも頷ける
会津松平家の当主が絶賛するだけあって綾野の容保は素晴らしいな
正月の伊藤英明の容保は「違う」んだって
伊藤の容保は自らスペンサー銃撃ちながら敵陣に突撃→全滅させる
感じがするからなw
>>29 大河なら「組」のカタボリ様もおっとりしたお坊ちゃんでよかったと思う
色が黒いのが難点だったけど
>>21 そういう、〇〇の考証がしっかりしてた云々の褒め言葉って
実はあんまり安定しない場合もあるのでは・・・。
今作の中でも「あれれ?この考証は?」って部分もあるんじゃないの?
で、考証なってないと云われる作の中にもマトモな考証がある場合もある。
風俗、慣習の考証はいちいちに細かく見れば、合ってる点も
疑問符のつく点も見つかるもので、一点をとりあげて褒めるのも尚早かもね
>>21 NHK大河と、テレ東正月時代劇の立場を思う場合、
世間への周知や影響力の強いNHK版を評価するのは普通に当たり前だし、
また大河とテレ東正月時代劇では作品作りの狙いや画面の雰囲気は
違うモノでもあるので、ご当主が比較対象にするもんでも無いと思うけどね
だいたいキノコ容保は水野照姫とのズブズブ感といい、
視聴者に多いに好感を与えるような脚色や設定でないのは明らかだったもの。
〇〇の末裔という人びとの多くは、映像の配役についての言及を求められても
「創作を演じる役者さんに色々いうのも」と微笑んでスルーするか、
とりあえず無難に褒めておく、かのどちらかが多いのに、
「違う」とか言うのもねw
>「違う」とか言うのもねw
ならぬものはならぬものなのです
よくよく考えるとこんなチンピラ貴族の岩倉が500円札だったのは凄いな
調べたら仙台藩も額兵隊っていう新式銃砲兵で構成した800名規模の洋式化した
隊があったが前線投入前に降伏したらしいね。1部は脱走して函館で抵抗したとある。
800名じゃ一時的に撃退できるかもしれないけど、遅すぎる。
35 :
日曜8時の名無しさん:2013/06/05(水) 19:39:15.77 ID:x4FQhe3M
>>34 リバーシブル軍服のおしゃれな部隊だね。日テレ「五稜郭」にもチラッと出てきてた。
時尾の人物紹介にも出てるから時尾と斎藤の婚礼はやるだろうけど
上仲人が松平容保、下仲人が山川浩、佐川官兵衛と豪華だな
>>31 テレ東の「白虎隊」は今は消されたけど白虎隊記念館のHPに
あの作品とは全く関係ありませんと書かれたくらいの代物w
テレ東の公式HP掲示板には批判文もそのまま掲載される程
の黒歴史作品なんだよ
土方にジュテームと言わせたり降伏後の容保がガハガハと
笑うとか本当に何がしたいのか分からん作品だった
>>21 出陣の時は容保がエイエイエイって3回言ってたけど
あれもやっぱり考証に沿ってなのかな
ジュテームは完全に黒歴史だなw
音頭「えい×3」一同「おー」
は時代劇でよく見るね
「のぼうの城」では
えいか、えいか、応!だったな
>>37 役者は演じる本物についてどれくらい勉強して臨むんだろ?
全くの無知でただただ監督の言うとおり、脚本のまま演じてる人も多いのかな?
忙しいだろうし、興味ないなら知らぬままおっさんというのも珍しくはないもんな。
これはないのではと意見しても却下ってパターンもありそうだが、
例えば龍馬を武田鉄矢が演じてたらどうなったのかとか興味あるな。
龍馬伝では煙たがられてたとかいう噂も聞いたがw
つーか松平容保が抵抗せずに切腹してたら
会津の死者が2500人とかにはならなかったわけよ
幕末の京都で志士を弾圧していた首謀者で最高責任者なのだから、
全責任を持って切腹しなけりゃ倒幕側が納得しないのも分かる。
要は戦犯なんだから責任が発生する。この辺、慶喜はまだ許される
>>43 藩主が切腹させられて黙ってるような藩じゃないだろ、会津は
逆に全滅するまで戦う覚悟で向かってきたと思う
>>43 殿の仇!とテロリストになる藩士もかなり居たと思う。
榎本たちに合流出来れば戦えたし。
それでも2500人はいかないか。
>>37 そんなひどいのか
原作らしきジェームス三木の「へその曲げ方」パラパラ見たけど
頼母も容保も性格悪過ぎて誰にも感情移入できない困った作品だった
>>46 テレ朝の時もひどいと思ったが
それを超えるのか
個人的には
日テレ=NHK(これ)>>>>>テレ朝>>>>>>>>>>>
>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>テレ東
>>43 何で京都守護職やって、天皇護衛に全力尽くしたのに
切腹しなけりゃいけないわけ?
家臣が首差し出すならともかく。
会津藩と言うのは容保が藩主になるずっと前から、
武士とはこういうものだという教育をたたき込まれて来た藩で
容保はそれを忠実に実行しただけだから
容保が腹を切っても、残った家臣たちが主戦派ばっかりだから
結局同じだと思う。
たとえば京都時代の福井藩あたりの記録を見ても
血気にはやる家臣たちを容保がなんとか押さえてたらしき話も多いんだよね。
第二次長州征伐を慶喜がドタキャンした翌日だったか、
会議に容保が来なくて、春嶽がどうしたんだろうと言ったら
定敬が「多分、会津藩士をなだめてるところだと思います。
うちの藩も昨日は藩士たちが怒りまくって大変だったけど
会津もすごかったから」と言ったなんて話が残ってる。
>>43 忠孝を第一の理念として教育されている藩士が、そんなもん差し出すわけがない
生き残った後に、命が惜しくて殿様の首を差し出したと言われるくらいなら、
殿様を守って討ち死にする方を選ぶだろうね
そうするのが当然で、そもそも考慮する余地などなかったと思うぞ
錦の御旗をいただいた軍勢を攻めた藩主は切腹せよという屁理屈。
54 :
日曜8時の名無しさん:2013/06/05(水) 20:33:13.25 ID:RTu2QHp5
「花神」「獅子の時代」日テレ「白虎隊」がごっちゃになってきた!!
大政奉還からずっと薩長への攻撃を慶喜に進言してたからな。
そりゃ、ボコボコに負けないと降伏なんて無理だ。
>>49 相手は官軍やで、その理屈は通用しない。
薩摩と会津の差はここよ。薩摩が倒幕側に組みするのに、それなりに代償を払っている。
だから、この代償が容保の首だけで済むなら安いもんだんだよ。時間は戻らないのね
>>56 「だけ」じゃ済まないってみんなが書いてるみたいだけど
ひとまず、容保の首を差し出して決着つけようとしたのが
西郷頼母。
家臣全員反対して、城から追放される。
>>57 会津に限らず、損得と忠孝がひっくり返るのは商人であって、
武士階級は、何をさしおいても忠孝が第一という教育を受けていたという歴史的事実を
全然理解していないみたいだから仕方がない
「現代人なら、損得を考えてこうする!」(キリッ)
だから何?
別に自分が一切悪くなくても腹を切るもんでしょ武士って
戦国時代の戦に負ける・または敵に勝てないで切腹した武将たちが
みな悪者認定されてるわけない
彼らはただ敵の方が強かったり、政治的な立ち回りに失敗したりしただけ
だから会津は悪くないのに、なんでトップが切腹しなけりゃいけないんだ!
っていうのはある意味違う、悪くはない弱かっただけ
戦国と幕末は違う!って言う人もいるけど
違うのは確かだが武士の時代ではあるでしょう
幕末がギリギリ、「公的な責任を切腹でとる」ことが可能な時代だったと思う
官軍は、会津藩を再興不能になるくらい潰すのが最低の目標
だったから、どっちみち攻めてくる敵に対して戦ってただろうし。
藩主と家老の首を差し出せば収まる、と考えてた藩首脳は、
(京都から遠く離れて隠居生活してた)頼母くらいだったということ。
>>60 大坂に残って戦い続けていれば、城に火を放たれて
自決してたろうね。捕獲されるくらいなら。
63 :
日曜8時の名無しさん:2013/06/05(水) 20:53:12.48 ID:xHkvMWOx
「危機に瀕する日本」より
http://www.youtube.com/watch?v=sW4H2PGj6JU 日本国民よ
今、私たちは、毎日韓流ドラマやK-Popがテレビ
にあふれる国に暮らしている。
かの国の本当の姿は何も報じられないまま。
島は奪われ、海の名前は書き換えられ、歴史は
ねじ曲げられ、金は巻き上げられ、技術は盗まれ、
伝統文化は横取りされながら、2006年以来、
私たちは親切に彼らのビザまで免除して自由に
私たちの国への出入りを許している。
戦後、私たちの国に我が物顔で居座り、またあとから
侵入してきた彼らの同胞は、私たちの国にのさばり、
政治や経済やマスコミの中枢にまで入り込み、
自由に私たちの国をコントロールするまでに至っている。
百年後の日本を思い描いてほしい。
私たちの子や孫はどんな日本を生きていることだろう。
自由に意見が言える国に生きているだろうか。
努力の成果を横取りされない国に生きているだろうか。
国旗が高々と掲げられる当たり前な国を生きているだろうか。
誇りもって国を愛することを、許される国に生きているだろうか。
彼らがどんな国を生きることになるのか、
今現在の、私たち日本人一人一人の決断と具体的な行動に
委ねられている。
私たちの国日本は、今、大きな歴史的危機に瀕している。
>>59 だから、殿様が切腹して下を抑えるわけだろ
殿様の意を守るのも忠義なんだよ
>>64 敵によって無理矢理切腹させられたのは明らかなんだから押さえられるわけない
それこそ忠臣蔵の再現だよ
>>65 要求で交換条件。容保が自分の意志で切腹すれば話は終わっていた
生き残った容保には会津魂はなかったってことね。
結局、官軍の要求は容保の身柄だったわけよ。
だったら、切腹覚悟で容保が投降するのが筋ってもの。近藤勇みたいに。
仮に容保が投降して切腹させられて、会津が玉砕しても2500人という被害の結果は変わらん。
問題は、この場合会津藩が玉砕の方向に動くか?藩の首脳が抑えて少なくとも一般人の
被害はなかったと思われる。容保という象徴がいないわけだし。
藩の首脳って誰よ?
非戦派の頼母は全然人望なくて浮いた存在だし
68 :
日曜8時の名無しさん:2013/06/05(水) 21:28:10.87 ID:jthrLCsv
>>64 さらに序列があって、藩(御家)>殿様だから、容保公個人の問題じゃないんだよ
容保公「会津は逆賊、戦犯は私でオールオッケー。そのかわりに藩士の命は助けてね」では済まない
↑
を家老に相談したら、まず諫止される
それでも聞き入れない場合は、病気という事で隠居させられると思う
御家>殿様>藩士の命、という封建制度上、当たり前の序列が判断できなくなって、御乱心で通る
ついでに書くと、西郷どんと勝&山岡の交渉がうまくまとまったのも、
両当事者が市民の生命、財産の損得を計算できただけではなくて、勝と山岡(その他幕臣)が主家を想う心が、
西郷どんにとっても説得力を持つものであったからこそ妥協点を見出せたのであって、
頭が良くて損得勘定が利いたから戦争を回避できたとか、平和主義だったなどという現代人的感覚での解釈は誤りだ
つまり、西郷どんか勝&山岡のどちらかが(武士としては)下卑た人物で、
「全ての責任者である慶喜はどうなってもかまいませんが、江戸を焼き払うと大損ですぞ」
というような事を理由にしていたら、まとまるはずの交渉もまとまっていない可能性が高い
覚馬の「俺を斬って、会津を助けてくれ〜!」で、
西郷どんの背中がビクンとして、一瞬動きが止まったのも、そういう事だよ
73 :
日曜8時の名無しさん:2013/06/05(水) 21:48:06.12 ID:jthrLCsv
あのな、容保が切腹するとかいう選択肢は
会津武士にとって初めからありえないのよ。
そこんとこわかる?
ましてや殿の首を差し出すなど、あり得ない。
なぜかというと、間違った事をしてないから。
人モドキの西軍が攻め込んでくると言う認識だよ。
ならぬ事はならぬ、の精神が全部否定されて
ならぬ事だらけの怪物が攻めてくる。
そら、八重は奮い立つわな
敵将に命中した時は「快感」だったろうよ
+uyeYnBL
は現代的、武士でなく商人な視点で当時を観てるっていうより
どうあっても会津&容保をたたきたいだけなんじゃないかな
だから理詰めで言っても、デモデモダッテになると思う
勝、西郷みたいなパイプもないし。藩士もやるき満々
これでどうやって降伏しろと。
勝は薩摩藩邸焼き討ちの際の捕虜を案内に使って
西郷も禁門の変の時の捕虜を長州に送り返している
一方、会津は禁門の変の時の捕虜を殺している
こうやってパイプをつくる気も無し。滅びるしかない。
「どこへ行くんですか?誰を撃つんですか?」
なかなかシュールな台詞だなw
容保は地元民に嫌われてない?とかずーーっといってる人でしょ
当時、容堂とか慶喜に言いたい放題言ってた人でも
当時の臣下にあたる人たちも
現代の会津の人たちも
容保を悪くいう人はいないって言われてたのが、よっぽど気に食わなかったんじゃないかな
>>76 八重 「三郎の仇を討ちだがった。誰でもいいから撃ち殺そうと思っだ!」
>>77 負けた直後は嫌われていたみたいだけどね
その後の雪冤運動が実ったか
80 :
日曜8時の名無しさん:2013/06/05(水) 22:12:15.59 ID:HX+qOLFp
当時の藩士に藩主を差し出せというのは戦前に天皇を差し出せと言うのと同じだろう
新政府軍のやり口は、次回世羅の兄貴が存分に見せてくれるはずだw
Vシネ仕込みのやられっぷりも密かに期待しているw
ご家訓で指示されているのは「大君の義」だっけ。
大政奉還、王政復古で「大君」は明治天皇になっているから、
元藩主松平容保と現藩主は明治天皇のところに出頭して、
如何様な処分でもお受けしますと申し上げるのが筋な気がする。
島津斉彬が、何故か突然亡くならなければ。
孝明天皇が、何故か突然亡くならなければ。
もっと平和的に日本は変われ、失われた命は僅かだっただろう。
まさに「要石」が外れて、恨み辛みで凝り固まり血にも女にも飢えた汚い魑魅魍魎が日本中に解き放たれて、義を重んじた日本人が大量虐殺されてしまった。
>>64 容保の弟が大名やってた桑名みたいに、
うるさいのが帰ってくる前にとっとと降伏してしまうって手もあるな。
86 :
日曜8時の名無しさん:2013/06/05(水) 22:28:04.60 ID:DuHfdV6y
阿部正弘や島津斉彬はほんと残念。
孝明帝はあれだけど…
以前民放の番組で観た話では…
会津戦争の戦死者約2500人が無くなると、戊辰戦争における薩長軍の戦死者の
数が幕府軍の戦死者数を1000人位上回るらしいので、会津が容保の首を
差し出しても、新政府はなんだかんだ難癖をつけて奥羽越諸藩のうち
攻めやすい藩を攻撃したのでは?との事
と思う。
一番の問題は会津と新政府との間に入るネゴシエーターがいなかった事じゃね
それだと、両者が疑心暗鬼になって戦争の終らせ方がなかなか決まらない
慶喜の首を取るといってた西郷も山岡〜勝と会談を重ねて
当初の条件より随分緩くなった
>>88 勝と仲良かった修理さんがいたんだけどねー
でも、切腹させちゃったので
彼をスケープゴートにしないと収まらなかったんだろうが
結果的に自分で自分の首絞めてるな
>>88 佐久間象山先生の弟子があいず(変換出来ない)で誰かの旦那になってなかったか
だから会津藩が交渉している間に、世羅のアホ兄貴が不用意に
仙台武士の面目を傷つけて個人的恨みを買い、おまけに奥州滅ぼすから
軍を送ってくれと手紙を書いたのが露見して、勝手にヌッ殺されて決裂だから
会津がどうしても無理だろ…
なんか薩長オタの焦りが見える
92 :
日曜8時の名無しさん:2013/06/05(水) 22:52:18.81 ID:j4sD6shP
首を差し出して武装解除してるのを攻めたりしたら新政府は浮くよw
さすがにそれはない
それでなくても会津に同情する藩も多かったのに
慶喜と容保の違いは、勝に全権委任したこと、自ら即謹慎したこと
「基本恭順だが、薩長が攻めてくるのなら受けて立つしかない」ってのが会津の立ち居地だろ。
こんなもん、恭順でもなんでもないわ
× あいず(合図)
○ あいづ(会津)
>>91 だって慶喜の見事な土下座に比べれば
会津はやる気まんまんじゃん
95 :
日曜8時の名無しさん:2013/06/05(水) 22:58:19.61 ID:LEB8b9wN
だって会津が正しいもん
>
>>92 いや、慶喜も城外謹慎だが陸海軍を統御できてなかったし、
勝も核拡散みたいなことをやってるから疑われて当然みたいな所はあるよ
陸軍は既に脱走を開始、その際に武器の携行も黙認されて関東各地で戦ってる
榎本ら海軍は開城までは大人しかったが勝手に移動してしまった
難癖を付けようと思えば、徳川宗家だって充分難癖がつけられた
しかしそれでも官軍による江戸総攻撃は極力回避したいことだった
確かに会津は首謀差出などに関して色々粘ってるけど、
勤皇派の仙台藩の遠藤・真田にもあまり良い印象を与えてなかった世良の外交経験不足。
これが幕長交渉や薩長間交渉で働いた経験のある村塾系ならかなり違ってる
世良個人が悪いと言うより、彼は折衝経験がほとんどないでしょ。最初に候補になった品川が断ってるのだから
>>81 楽しみだよな。予告でちょっとやってたけど、短銃持ってたし。
恭順でもなんでもないから差し出せ差し出せ馬鹿の一つ覚えは、暴力団に家に押し入られ娘を出せと要求されたら、自分が助かりたいからと娘を喜んで差し出す人間なんだろう。
>>94 波多野金吾(広沢)はその「やる気満々」状況が戦争に発展することを恐れて、
米沢藩を介して穏便な解決策を提示してるんだけど。彼の考えは少数派ではあるけど、
会津との交渉がこじれたのは、仲介役になるべき仙台藩が板挟みになってしまったのが大きい
奥羽総督府もその辺ばらばら。拙劣。
慶喜の首を斬ると言って意気込んでた西郷が提示した7カ条
1、慶喜の身柄を備前に預ける
2、江戸城を明け渡す
3、軍艦を全て引き渡す
4、武器を全て引き渡す
5、城内の家臣は向島にて謹慎させる
6、慶喜の暴挙を補佐した人を厳しく調査して処罰する
7、暴徒が出たら官軍が容赦なく鎮圧する
これを、山岡と勝で
1→水戸にて謹慎 5→城外にて謹慎
特に1について、山岡が猛反対し水戸になった
その他、会談後いろいろ緩くなっている
ドラマに出てきた事以外では、篤姫の身の安全をチラつかせたり
西郷の痛いところを付いた交渉も
少なくとも会津に対しては
これより緩い恭順条件は提示されなかったと思う
しかし、首までは取らないと思うよ
>>44 その場合は適当な所で降伏を言い出せる人も居なくて全滅までやる事になるな。
>>83 「大君」は徳川宗家だ。秀忠の隠し子だった正之は保科の殿様として信州高遠に埋もれる所を
家光に取り立ててもらった事に感謝して「大君の義」と遺訓したと思う。
>>37 ちゃんと大河とテレ東の正月時代劇では「狙いや雰囲気」がまるで違うから
・・・って、前置きしてるだろーに。
違うモンだから「比較してもねぇ」ってことをハナしたのだが
>>99 総督府の人員が穏健派の広沢、黒田から強硬派の世良、大山に変わったのは
その米沢の雲井龍雄の反新政府活動も影響しているらしい。
>>103 雲井さんは長州藩と仲がいい人なので、長州はあえて米沢を敵視する事情はないと思うんだけどな。
もっとも薩摩が態度を硬化させて、それに引っ張られて品川辞退、世良選出と言う流れなら分かるが…
>>91 あの書状の意味を全然理解してないな。これだからドン五里は。
そもそも総督府が500人程度で会津征伐に来たのは、仙台が兵隊出すといったから軍目付に来ただけ。
ところがいざとなったら、そんなこと言ってませんとか言い出したので話がこじれた。
なんとか出兵させても、藩境で兵を止めてやっぱり許してやりましょうとか強要してくる。
この状況で「東北に友軍なんかいません。全部敵です。兵力出して下さい。相談に行きます」って総司令部に相談したくなるのは当然だろ。
つーか、仙台はもうちょっと話をまとめようとしろよ。
会津の一方的な要求を新政府に押し付けようとするだけで話がまとまるわけがないだろうが。
会津の言い分を聞きつつ、世間の常識を考えて、他藩の降伏交渉の流れを考えて降伏条件を整えて、根回ししろよ。
列藩同盟で圧力かけて押し切ろうとか田舎もん丸出しだろうが。
>>101 一話前の回でフランス人が慶喜に向かって「タイクーン」って言ってたよね
でも大君=徳川という説明はドラマ内では無かった気がするから
この時代を知らない人なら
>>83のような誤解はしそう
何で覚馬の声はあんなになったの?
まさかずっとあのまま?
>>105 一般には黒田、品川が一身上の都合で断ったって話だと思うが。
政治的云々じゃなくて。
仙台藩が新政府のために働く、って前提に胡散臭さを感じたんだろうな。
>>106 仙台は鳥羽伏見での首謀者なしと主張する梶原に首謀者差出の言質を取ってるんだけど。
世良の軽率さはフォローしがたいよ。もっとも、なぜ渉外経験のない世良を下参謀としたのかそこがいちばんの問題だけど。
>>107 そういえばモックンの慶喜でも、
「結局タイクンってなんなの?本当にあなたが外交の責任者でいいの?」ってことで、
外国の使節ともめる回があったな。
>>108 ずっと叫び続けて枯れたという芝居でしょ
でもその後西郷に向かって叫ぶ時普通の声に戻って台無しw
>>113 そういう事か。
風邪でも引いてる設定かと思ってた。
>>109 だとすると最初から新政府は仙台藩はアテにならんと思ってたことになり、
戦争は既定路線で、会津がきわめて狭い裁量の幅に入ってこない限り世良は新政府の方針に忠実に行動した、
と言うことになるんだけど。
ヤクザみたいだけど実際そうだから仕方がないって事で
戦国と幕末は違う、これは確か
戦国時代は実力主義でそれに値しない領主はどんどん見限られた
その後の江戸時代に徹底的に道徳が叩き込まれた
江戸時代の殿様は家臣、侍にとって「顔」なんだよ
「顔」潰されたら家臣は生きていけない
それこそ忠臣蔵ね。あれも一縷の望みを託した就職活動の面もあったと言うけど
とにかく、江戸町民の反応見てもね
赤穂浪士は喝采を浴びる一方、
町民がそれが幕命だと知らず殿の実父を見捨てる形になった
上杉家は世論上大恥かかされた
かつては承久の乱辺りが代表例だけど天皇クラスに使われた「君側の奸」論理
武士が凄くえらくなって組織化されたために
江戸時代には大名クラスにも普通に使われる事になって
何を言いたいのかと言えば、敵対した相手の面子を完全に潰さないために、実際は分かっていても
「君側の奸」が悪かったと言う事でケジメを付けて終わらせる
心理的にも、実際には山内容堂や一橋慶喜の方針に反対でも、
反対派に斬られたのは「君側の奸」でその上はあくまで畏れ多い存在
それ以上を求めるなら殲滅覚悟の全面戦争、相手の「顔」を完全に潰すって事。
>>88 ネゴシエーターになった仙台藩がやらかしちゃった
>>78 八重にもやっと、会津に命を奪われた家族の気持ちがわかるようになったということ
>>106 仙台は京都と本国の認識が全く違ったからな
>>116 >かつては承久の乱辺りが代表例だけど天皇クラスに使われた「君側の奸」論理
承久の乱の君側の奸って誰になるの?
>>88-91 ガトリング家老様も
一応会津との仲裁志願者だったよな
こっちも「官軍」側の使者の評判が
えらく悪い事で有名だが
慶喜を将軍にする事が悲願だった島津斉彬が生きていたら、久光と違って勿論慶喜と上手くいき、西郷は慶喜を倒すなど考えもしなかっただろう。
佐幕の孝明天皇が生きていたら、息子を倒幕派に利用される事もなく会津は守られ
幕府を改革するつもりだった慶喜が、朝廷とも諸藩とも諸外国とも上手くやりつつ、国力を高めていっただろう。
>>75 > 一方、会津は禁門の変の時の捕虜を殺している
> こうやってパイプをつくる気も無し。滅びるしかない。
寡聞にして知らないんだけど、それが本当なら、
会津はやはり京都でやりすぎたと言うべきだろうな
>>106 田舎もん丸出しとか
西軍が言っちゃいけませんわ
東軍は家老クラスが折衝してるのに、西軍が世良みたいなの出して来たらそりゃ決裂するに決まってる
どんだけ人材ないんだよ
>>116 戦国時代は建前が大半だった「主の敵討ち」が
江戸時代は本気になっちゃってるもんな。
慶喜出て来なかったな。もう出ないのか。
>>115 逆らう奴はぶっ殺し、従う奴は実(金か出兵)見せろの
基本方針には忠実に実行したんじゃない。
西郷どんの上野の戦って終わっちゃったんだっけ?
>>115 いや、だから、政府首脳じゃなくて、黒田や品川が個人的にこの話はきな臭いと判断したんじゃねえかって話。
当時の岩倉とかも仙台が奥羽平定の主力になってくれてよかったとか日記に書いてる状況で、きっちりやばさを嗅ぎ分ける嗅覚が維新後生き残れるかどうかの分かれ道。
世良が政府の既定方針に従って行動しようとしたのは当然っしょ?
新政府の方針は官軍に味方すると申し出た東北諸藩の兵力で東北の賊軍(会津・庄内)を討伐する、なんだから。
最初から戦争はやる気。でも、西国から出兵しなくても会津・庄内は片付くと思ってた。
関東の脱走幕軍の処理もできてない状況で、列藩同盟が突然蜂起、白河城陥落って状況になって、とにかくなんでもいいからその辺にいた部隊を突っ込んで白河城を奪還してる。
つか、天才伊地知正治がいなければ白河城無理だろ、あれ。なんで城攻めで10倍の戦力比をひっくり返すんだよ、あの人。
この辺の流れを見れば、新政府があの時点で東北と全面戦争を望んでるわけがないのは誰でもわかる。
逆に、列藩同盟が新政府と戦うんなら非常にいいタイミングに見えたのも確か。
やるんならもう1ヶ月、2ヶ月早いほうが良かっただろうけどね。
>>123 会津藩兵の長州兵の殺害は事実で、勝海舟も非難してるけど、
会津と長州のパイプなんて、下手な幕臣と長州のパイプより広いかも知れない
それだけが原因とは到底思われない
大鳥はともかく、陸海軍首脳、たとえば榎本以下の艦隊を抑えてる幹部なんて1人もいないと言っても過言じゃない。
>>122 > 幕府を改革するつもりだった慶喜が
慶喜は「徳川」幕府しか考えてないから、
いずれ斉彬とも上手くいかなくなってたでしょう。
斉彬が慶喜を推したのは、慶喜の能力を買っていたというよりも、
元々は水戸家が出自である慶喜を将軍にすることによって、
過去の家柄・血筋という慣例を崩し、ひいては、幕府の慣例を崩して、
外様であろうが幕政に参加できる雰囲気に導きたかったわけだから。
慶喜を、その呼び水としたかった、ってことが第一でしょうね。
斉彬の目指したのは共和政治だから。
>>120 藤原秀康、三浦胤義、山田重忠宮方の武士とされているが、
敗走の際、御所に逃げ込もうとしたが後鳥羽に閉め出され「大臆病の君にたばかられたわ」と名言を残しているよw
上皇の身でありながら終身流刑に処せられたのだから後鳥羽が首謀者といってもいいくらいだ
>>129 江戸開城したばっかりだから上野戦争はやろうと思えばやれるけど。
今後のタイトル的にやらないんじゃね?
彰義隊関係にこれまで出てきてる人いないし。
脱出した宮様を東武天皇にって話をやっちゃうと東北が天を裂こうとした賊徒だってバレるし。
>>131 松陰が日新館に来たように、秋月が明倫館に行ってたことがあって
そのツテで山川健次郎と小川亮を奥平謙輔に預けているんだな
>>130 いや、黒田品川が拝辞した時点で新政府としては、代役の二線級じゃ交渉まとまらん可能性を頭に入れるって。
政府の既定方針に従うにしても、現地での裁量がある。
奥羽越諸藩と戦闘を引き起こした参謀・軍監たち(あるいは北関東諸藩でも)は、
一様に折衝の経験不足なんだよ。
黒田・品川が仙台藩の新政府協力姿勢に疑問を抱いて参謀を拝辞したのなら、
戦争不可避の確率がかなり高くなることは否定できない。
新政府は奥羽との戦争を避けたかったのは確かなんだろうが、
それは会津が新政府との戦争を避けたかったのと同じで、人選などで具体的に担保されてないとどうしようもないよ。
何しに出てくんだ?
たとえば西郷が勝・山岡らとの交渉で発揮した裁量と、
世良クラスの人間が発揮できる裁量じゃおのずと限界がある。
西郷も勝との間で彰義隊と言う重大な問題を抱えてたわけだが、結局、大村の東下まで勝への委任を続けたけど、
世良の場合は、ひとことで言って仙台藩の内情への洞察力を欠き、テンパってしまったでしょ。
世良が悪いと言うより、折衝の経験のない人物を無理に選任した場合そうなりやすいの。
現代の国際政治だってそうでしょ。
>>141 国際じゃなくても
どっかの奇兵隊内閣が派遣した某復興大臣とか
禁門の変の時に長州兵が逃げ込んだ寺を会津兵が取り囲んで
焼き払われそうになったが、たまたま寺に会津出身の僧侶がいて
その僧侶が会津兵と交渉してくれて、焼き討ちを間逃れ
長州兵は逃げることができた
その時の命の恩人の会津僧侶を長州兵は覚えていて
その僧侶伝いで奥平が秋月に手紙を送ってるんだよね
そっからの秋月脱走とかの話も結構ドラマティックだわ
>>136 いや、上層部が仙台の行動に疑いを持っていたら、あんな総督府の送り方はしないと思うんだ。
東北が信用できなくて高度な折衝が必要な段階と考えてるんなら、ガチガチの軍人の世良なんか送るはずがない。
仙台が会津を平定して、その後の降伏交渉って話になれば九条卿を立てて東京の判断を仰げばいいだけだったし。
つーか、無理に東北を刺激しないで関東を治めてからじっくり兵を北上させてもいいし。
南の藩から順に味方につけるなり、討伐するなりしていけばいい。
冬が来るのはつらかろうけど、無理をしなくていい状況なら春まで待てばいい。
戊辰戦争は多方面で一気に火がついたもんだからどこもかしこもワヤクチャになってる。
孤立した官軍藩を助けるために無理をしてるケースも多いし。
河原善順ですな
しかしその奥平謙輔も前原一誠と共に萩の乱で死亡
長州の非主流派だったんだな、と
あと秋月が左遷されて薩摩のパイプが無くなったと言われてるけど
そもそも西郷は自分が島流しされてるうちに久光主体で締結された薩会同盟に批判的で
高崎を国元に送り返したり、禁門の変の頃にすでに「会津が媚び売って来たpgr」みたいな手紙書いてるので
西郷が復帰した時点で薩会同盟はなくなる運命だった
会津藩士に萩の乱に呼応した人もいて驚く
会津と長州て敵対関係ばっかりクローズアップされるけど
存外つながりがある
>>106 結局、仙台には会津を攻めるつもりはなく、のらりくらりと引き延ばしただけ。
そして世良を殺してしまってから、「いや、あれは世良という人間がすべて悪い」
と責任転嫁して今もそのファンタジーが歴史になってる。
>>132 > 慶喜は「徳川」幕府しか考えてないから
その仮定を断言する根拠は?
慶喜は「徳川存続」と「徳川を朝敵にはしない」にはこだわったが、幕府は一度ぶっ潰してもいいから建て直すと言っていたし、実際に改革もしていた。
名君と名高く人望のある人格者である斉彬が、共通項も多い慶喜と上手くいかなくなるという根拠は無い。
>>145 前スレに貼られてたその人の伝記を読んだけど
あれが本当なら、河原って僧侶は凄いネゴシエイト能力がある人だと思う
会う人会う人をみな説得していく
あと秋月が僧侶に手紙の返信を頼むのではなく
自分の手で届けたいっていう、お国のためにいてもたっても居られない心境が凄く伝わって
脱藩よりすごい見つかりゃ死罪の脱走にドキドキした
あれ本当の話なのか?
そもそも当時は捕虜を大事にするという観念がない
コピペで有名なウイリアム・ウイリスも
「両軍ともすぐ捕虜を殺すから捕虜の患者がいない」と嘆いてるぐらいで
だからこそ、勝と西郷が際立つ
「敵味方の別なく赤十字精神にのっとって負傷兵の治療をいたします」
By高松凌雲IN函館病院
>>149 参預会議、四侯会議と公議政体論をことごとく潰したことから明らか。
活かそうという発想さえなかった。
彼が目指したのは徳川中心の強い「徳川」幕府。
安穏とした譜代、旗本を一新するくらいのことだろう。
>>150 脱走の話は秋月が日記に書き残してる
脱走から戻る途中に読んだのが
「北越潜行の詩」という漢詩
156 :
日曜8時の名無しさん:2013/06/06(木) 00:34:51.13 ID:Nioau0E3
>>141 ちょっと前まで中国大使に素人と置いてたしな
揉めたら案の定
>>154 浅い。
しかも「島津斉彬が生きていたら」という前提で、こちらは書いている。
その会議に久光ではなく島津斉彬がいたら、慶喜は敬意を払い潰しはしなかっただろう。
共和制に関しても、フランスに造詣が深く弟や渋沢を留学させて繋がりと情報を得ている慶喜なら、頭から否定するとは誰も断言出来ないはず。
慶喜が「幕府」に執着していない事は、あっさり大政奉還した事でも証明されている。下らない形式にこだわる人間ではない。
>>141 それに加えて出自というか、身分の差もあったと思う
もっと家柄のいい人か、軽輩でも剛毅で武士の礼儀を弁えた人物だったら、戦争を回避できたかも
そう考えてみると、軽輩の出自でありながら斉彬公の引き立てにあずかって、
諸藩の大物とも付き合いがあって、なおかつ見識も優れていた西郷どんがチートなのかもしれない
>>157 だから、斉彬が生きていたら、慶喜とはうまくいくはずがない。
慶喜が経緯を払う?w
斉彬が進めたかったのは共和政治。
慶喜はそれを否定していたから。
それに、慶喜があの場面で大政奉還したのは、追い詰められた上の生き残り策。
そういえば篤姫ちゃん出てこなかったね
もう出ないだろうね
先週は慶喜が出てこなかったから
きっと篤姫ちゃんに大奥に呼びつけられて
こっぴどく叱られてたんだろうと脳内補完
改めて言うが、斉彬が慶喜を将軍に推したのは、
血筋で将軍が決まっていくという幕府の慣例、秩序を変えるのが第一目的。
そして、それを突破口にして、外様大名であろうが幕政に参画できるように、
幕府の慣例を変えるため。
英邁の誉れ高い慶喜を推す、なんてのは表向きにすぎない。
新政府は会津とドンパチやる気満々だったんじゃないかねぇ
攻め込む口実ほしさにわざと世良を選んだくらいに思ってたよ
>>159 > 慶喜が経緯を払う?w
少しは落ち着けよ。カッカしすぎ。
慶喜は情勢の変化に敏で、意見を次々変えてるだろ。
誰も可能性を否定出来ない。
>>163 正直言うと、勉強不足な人が偉そうにしてるが気に食わないだけ。
>>164 >勉強不足な人が偉そうにしてる
自己紹介乙。とりあえずまずは漢字ドリルからやり直してから。
もう結構。内容がないレスに答えたのが間違いだった。
>>162 東北列藩の態度がそこまで強硬化するとは思ってなかったんじゃないかな?
仙台藩も西郷どんも、間に入った形の世良さんからしか情報がもたらされないので、
「容保の首を出せ!」⇔「奥羽皆敵ですわ」みたいに、両方に悪口を言ってれば、揉め事は大きくなるわいなぁ
敵味方が違ったら、世良さんは、奄美大島の小役人みたいに西郷どんに張り倒されるタイプだと思うけどねw
たかがドラマに熱くなるなよ見苦しいw
>>164 > 勉強不足な人が偉そうにしてるが気に食わないだけ。
脱字までして勉強不足晒してしかも一段と内容が無い感情丸出しレスしといて、つくづく恥ずかしいなお前。
171 :
日曜8時の名無しさん:2013/06/06(木) 03:33:11.44 ID:drI5Fl1z
>>164 >勉強不足な人が偉そうにしてる
こいつは正気か?w
>>162 なんか誤解があるな。
元々、世良は会津を討伐する仙台とかを指揮するために送り込まれてる。
だから、新政府は最初から会津と戦争するつもり。それは会津は賊で討伐対象だとはっきりしてる。
だけど、東北全部と戦争するつもりはなかった。
仙台は賊じゃなかったんだから。
その仙台をブチ切れさせたわけか
ここ
挙げ足取りみたいに誤字脱字にすごく厳しい人がいるよね
同じ人かな
会津が武装だ恭順だなんてほぼ関係なく
新政府側の「内輪揉めは可能な限り避けるべき派」をプッシュしなかった時点で
会津の悲劇は決定してる様なものじゃね?
長州は会津に対しては私怨凄いし、薩摩は好戦的だし
会津が本来頼れたのは土佐藩閥ぐらいだったんだが
肝心の会津が土佐まで敵視してたのがなあ。
ぶっちゃけ紀州みたいに土佐age徹底しとけば多少は守って貰えただろ。
腐っても土佐は薩長土肥の一つなんだから。
最近は、会津配下の人間が龍馬暗殺犯説が確定的ならしいが
龍馬なんて殺しても佐幕派にとっては損しか無さそうなのにな。
>>176 会津は別に土佐を敵視してないよ
容堂が鳥羽伏見の最中に会津陣営に有利な情報流すぐらいで
ただこの頃新政府内で力を持ってるのは板垣とか倒幕派だからもうどうしようもない
>>177 土佐藩閥というのは容堂の事じゃなく、土佐尊皇家を指してるつもり。
例えば紀州なんて、恭順してまーす、倒幕派でーすとか言いつつ
ナチュラルに会津兵を助けて支援してるわ、明治では新政府に無断で武装するわ、やりたい放題だが
あんな無茶しても許されてたのは「やべえ!俺ら新政府から潰しにかかられてるよ!」と気付いた時点から
藩内で土佐尊皇志士らと仲良かった派閥を徹底ageさせて
更には土佐藩士様をリーダーとして迎えさせて欲しいと大袈裟にうやうやしくオファーしてみたり
明治でも土佐で起きたデモは、すぐ紀州が支援したりと土佐マンセー徹底してる
変わり身はえー!とは思うが、最悪の状況からでも藩を守り抜いたという印象は強い。
ぶっちゃけ仙台米沢も外様だからなんで、バリバリ佐幕の会津庄内を本気で救おうと思うかな。
幕末の諸藩が動き鈍いのは、藩論が2つあってそれを統率できる人物いないと日より見に
走るでしょ。朝廷と幕府の天秤だからさ。
>>179 列藩同盟を動かしたのは薩長に対する反発だろうね
世良ほどひどくないにしても、河井継之助と岩村精一郎の決裂を見ても
東北を挑発に来たのかと思われても仕方ないような
会津戦争の不味いのは、新政府側の人選ミスも大きいよ。長岡藩と交渉した土佐藩士も
世羅みたく融通きかなかった。ここで藩を説得させて官軍側にしてたら
いいポストに座れたのに。
仙台藩も最初は、巻き込まれたくない、その一念だったと思うけどね。
新政府軍の会津討伐なら傍観しているけど
なんで自分らが別に恨みも無い会津を討たなきゃいかんのか。
しかも世良みたいなクソ野郎に命令されて。
で引き伸ばしていたら「奥羽皆敵」、加えて世良暗殺。
でズルズルと、って感じじゃね?
薩摩藩士の火付けで庄内藩挑発
世良で仙台藩挑発
岩村で長岡藩挑発
どちら側も厭戦気分と好戦傾向のせめぎ合い
戦後平和主義じゃないんだから好戦傾向が結構強い
きっかけがあればすぐに暴発する
>>182 仙台は会津を打つ気がほんとにあったのか、ちと疑問なんだよね。
新政府がわずかな軍しか連れてこなくて、そんなに強い圧力を感じてない。
世良が大群を率いて、それで仙台とともに会津を攻めるなら、かなり違うんだろうけど
「新政府軍?たったこれっぽっちなの?だったら適当にやりすごすか」
なんで世良を仙台に行かせたのか
奥羽諸藩を怒らせにいったようにしか思えない
新政府側では、鳥羽伏見のすぐ後に
仙台藩から会津討伐を願い出たということになっているけど
仙台藩側では、誰がそんなことを言い出したのか不明という反応になってるんだよね
不思議。
まぁ東北諸藩に対する交渉役が明らかに適材適所を欠いていたのは事実でしょ
二本松が同盟の義を重んじて玉砕するのが泣ける(´;ω;`)
だるま小僧・・・
もう笹かまぼこは食ってやらん!
192 :
日曜8時の名無しさん:2013/06/06(木) 11:30:43.39 ID:/EpO+pQs
世良は天才軍略家・大村益次郎が送り込んだ鉄砲玉!!
193 :
日曜8時の名無しさん:2013/06/06(木) 11:43:18.27 ID:R6wzwrhl
伊達は関が原以来のコウモリ大名ってことか?
>>190 予告で懐からだるまが転げ出ただけで号泣した
世良のキャスティングってスレ内ではどんな感じ?
いかにもって感じで好評だったりするの?
長州カスと印象効果抜群な気もするが、長州派の人間は怒りそうだけどw
まだちょっと出てきただけだから何とも
世良さんは次回がメイン
顔が地獄すぎるだろ
地獄の死者だもんな
実話でも戦争中に女郎屋で殺されるって好感持たれてないからな
>>29 伊藤英明なら官兵衛のほうがまだイメージ的には近いような。
官兵衛にしてはチャラい感じもするけど。
>>84 孝明帝暗殺説は聞いたことあるけど、斉彬公の死にも裏があるの?
大久保が黒幕だったとか?
歴史読本の会津幕末特集に世良の記事があったが
実際のところ当時のちゃんとした記録がなくて
後世の小説家が作った世良像が一人歩きしてるって書かれてたよ
ただ、わかっているのは
彼は直前になって黒田品川を変えて、西郷木戸に選ばれて送られてる事
それまでの彼の軌跡をみたら、学問にも優れ極めて理性的な人間であった事
それらを踏まえて、新政府側の任務を忠実に実行したのだろうと
西郷木戸、とくに木戸は、東北をきちんと掌握しないと駄目だと思っていたらしい
>>199 世良が暗殺の日に泊っていた金沢屋は福島藩の上宿で、女郎屋ではない
早乙女貢あたりが勝手に創作で女郎屋に仕立てた
実際には暗殺の前の晩に、福島藩が金沢屋で盛大な宴会を行い、美妓をあてがった。
暗殺の手筈に福島藩が係わり、世良を油断させていたということ
>>170 ありがと、初めて読みました
秋月の漢詩、胸に迫るものがある
会津の方では有名な話なのかな
伊藤英明じゃ全く病弱に見えない
>>202 松本龍だって中央大法学部出て
あの暴言だし、人間何が本性かわからんわ
自分たちは死んでも名が残れば本望という発想だから
こうやって、150年後大河ドラマになれば会津武士としては満足だろう。
藩主の家系まで残ってるし。
孝明帝いきててもどうにもならんかったと思うけどね
長州嫌いではあったが、それでも一時期は長州に朝廷牛耳られてたわけだし、所詮は傀儡。
斉彬は生きてたら井伊直弼を失脚させて安政の大獄がおきなかったかもと考えるとその後の歴史が全然違うのでどうころぶかわからない
不平等な通商条約とかで攘夷騒ぎはなくならないはずだから下級武士たちのエネルギーはどこかで暴発するはずなんだけど
五稜郭もチラッとやるのか
胸熱
210 :
日曜8時の名無しさん:2013/06/06(木) 13:25:50.24 ID:OR2zwnqq
>>206 そいつは士農工商の下だからなw
東北人の思わぬ反撃を受けてたな
新撰組のバックだけに、恨まれるだけの事はやってんだろう。
会津は松平容保の命で坂本龍馬暗殺したと言われてるし、八重の桜には書けない残酷な事はたくさんしてきて恨み買ってるだろうし。
少なくとも孝明天皇が生きていたら、絶対に会津は朝敵にはならない。
会津は長州と違って真の勤皇だから、絶対に天皇を傀儡にはしない。
いち早く欧米から様々な物を取り入れ、大々的に施設すら建設していた開明的な島津斉彬なら不平等条約も、時代錯誤不勉強な岩倉達遣欧使節団のせいで野蛮と批判され遅れた明治政府よりも早く、改正されていた可能性が高い。
中年まで藩主になれなかった経緯と、突然亡くなった上に死因は確定しておらず、すぐさまそれらの施設も無くされた事を考えれば、その突然の死に疑問を持たれ様々に書かれても仕方がない。
>>202 裸踊りで命乞いした(どこまで本当だかわからないが)挙句、
斬首されて首は河に捨てられる(但木土佐が下郎の首とて検分拒否)と伝えられるとか、よほどだと思うけどね
憎い敵であっても、普通はこんな処遇と伝えられ方はしないので、よほど性格が噛み合わなかったか、
仙台藩主に対して不遜な態度を示したなど、感情的になるような対立があったのだろうと推測する
奇兵隊から武士ではない出自の世良さんを選んで大役を任せたのは、木戸の人選ミス
イメージ的には、明治期に各地で起こる士族の反乱を、彼らが日頃蔑んでいる農民のエリートに巡撫させるようなもので、
しかも態度が高圧的な訳だから、うまくいくとは到底思えない
>>214 うまくいきっこないと木戸にはわかる筈だろうにね。
世羅が選ばれたのは本当に戊辰戦争最大の謎だわw。
世良も大役任されたと調子に乗ってしまったところがあるんだろうな。
器の小さい人間にありがちなちょっと痛い勘違い。
217 :
日曜8時の名無しさん:2013/06/06(木) 13:58:36.70 ID:ZDC2s07D
「殿様は長州の足軽(世良)に土下座させられたげな」
司馬遼のこういう上手いセリフが世良像をつくっていく。
>>206 やっぱ松本氏を思い出したのは自分だけじゃなかったのなw
あの恫喝は何様?って感じでひどかったな。
あの恫喝騒動で叩かれた後の松本氏のしょんぼり落ち込みっぷりを見ていると
なんとなく憎めないんだけど
つまり、自分の地元でやってきたやり方が
よその土地でも通用するとは限らないんだよな
ある意味、世良も場合もそうだったのかもしれない
>>212 言われてるしって言うなら西郷も当てはまるわけだがw
出自で人物の器を測るのは良くない事だが、そもそも足軽ですらないでしょ世良さんは
急進的な勢力が藩論統一に成功を収めた長州藩ノリと、保守的な東北諸藩とではソリが合わない
金沢屋の主人は当時まだ若くて(20歳くらい?)、世良さんに直に接している上に回顧談を遺していたはずだけど、
町人目線ではそこまで鼻持ちならない人物でもなかったらしい
>>215 てことはやはり、東北を煽って叩き潰すのが目的だったんじゃないかと
思えてくるんだが。
世良は、新政府側がどんな高圧的な態度で出ても奥州が従うかどうかの踏み絵で
それほど従うならよし、従わないなら討伐する(目的はこちら)
で、それにもっとも都合よく動きそうで、かつ消されても痛くもかゆくもない世良が
選ばれたという。
でも顔面が地獄
>>218 松本龍も「日頃は温厚で礼儀正しい人だ」と弁護する人もいた。
しかしあのオフレコ恫喝映像はとてもそうは見えなかったし
宮城だけでなく、岩手や福島での言動にも問題があったのは確か。
世良も松本も大役のプレッシャーと、被害妄想で
無駄に高圧的に振る舞ったんじゃないかい。
>>223 松本龍は部落解放同盟の創始者の孫か息子だったはず
子供の頃から甘やかされて誰も文句言え無かったらしい
政治家なんかにならずに部落利権でやりたい放題してりゃ良かったのにな
福岡空港はあれだけ離発着あるのに部落絡みの借地代で万年赤字なのは有名でしょ
奥羽・会津征討に慎重な意見をする人も新政府内部にはいたらしいが
世良暗殺で誰も反対しなくなったみたいだから
新政府側の意思を一本にまとめるという意味では世良の死は
ある意味利用されたと言えるのかなと
黒田と品川が前日になって参謀を辞めるという事態は
もしかしたらこの任務の真の意味でのエゲつなさを知っての事だろうし
参考までに会津では村落の事を普通に部落と言うよ。
西日本で言ういわゆる部落というのは無い。
ちょっと前までは町内放送で
「○○部落の皆様、今日は村休みです、ゆっくりお休み下さぁ〜い」
なんてやってた。
むしろ仙台藩が奥羽諸藩を一つにまとめる為に斬ったとも言える。
>>219 今、西郷が坂本龍馬暗殺したという奴いたら、阿呆だろう
世良が500人たらずを引きつれただけで、あとは現地の援軍まかせで出かけていって
会津に「藩主の首を差し出せ」と要求する交渉が成立すると
世良も新政府も本気で思ってたんだろうか
それだけ温度差があったってことでしょ
幕府が土下座して降伏してるのに仙台とかましてや長岡レベルで抗戦してくるとか普通思わないでしょ?
231 :
日曜8時の名無しさん:2013/06/06(木) 15:07:09.18 ID:svQ5KAYG
前スレから「ガトリング家老を出せ」とか煩かったからググったら長岡藩スゲーな。後、戊辰戦争で1回も負け無しの庄内藩。
どっちも弱小藩なのに天下の薩摩軍と互角ってなんなんだよw
昔の偉人に間違いがなかったわけもなし
限られた人材と時間でやったことには失敗も付き物
世良はガチガチの会津厳罰派の木戸に抜擢されて
仙台に送り込まれてすぐに「桜が散る前に戦しなきゃ」という歌を詠んでるくらいで
仙台に会津を討たせる以外の選択肢はなかったんでないの
幕府が土下座降服といっても、慶喜の首は差し出してないし
会津に対して要求の度合いが違うからなぁ
>>233 じゃあ、誰が何を努力しても、新政府軍がヤル気満々だったからどっちにしろ会津は戦争から逃げられなかったってことか
>>230 新政府が東北に命令したのは,単なる恭順じゃなくて、
「会津・庄内を討て」だから。
なんでわざわざ恨みもない会津・庄内と戦争しなきゃいかんの?
と考えるのが常識。
黒田清隆や品川弥二郎はその難しさがわかっていたから
奥羽鎮撫総督を降りたんじゃないかい
>>233 その木戸が維新後の萩の乱か神風連の乱の原因として
大久保が岩村精一郎を交渉に送って挑発したことを非難してるのが笑えるw
>>214 おいおい、さすがに小説の描写を真に受けるなよw
奥羽列藩にしてみれば、すべての悪を世良に被せることによって
かろうじて義なるものを主張できるんだし。
>>229 俺が思うに、やる気のない仙台藩は、いろいろ理由つけて出兵を引き伸ばし続け
それが世良から中央に報告されると、世良の背景に弱い軍事力しかないことを見て殺害。
239 :
日曜8時の名無しさん:2013/06/06(木) 15:15:21.58 ID:svQ5KAYG
長岡藩レベルで新式銃3000丁+ガトリング何て揃えてるって普通は思わないもな。
その長岡藩は鳥羽伏見の戦いに幕府側として参戦すると慶喜に言ってるの無視。長岡藩が鳥羽伏見に参戦してたら薩長終わってただろうな。
長岡藩は小藩の癖に資金源はどっから出たのかと。
兵器の性能差ばかり強調されるが3倍の兵力持ってた幕府軍は
用兵さえまともなら普通に勝ててただろ
薩長には3倍の兵を各街道で押し留めるような兵力無いんだし
>>238 小説の描写を真に受けている訳ではないがw
ビストルを向けたが手刀で叩き落されて、もみ合ううちに金的蹴りをくらって捕縛されたと伝えられているが、
自分の目で見たわけでもないので何とも
現実はどうだったの?
>>221 本気で交渉纏めるつもりの人選だったして考えてみても、
納得いく理由が全く見当たらないんだよな。
あまりにも格が低いし、仮に優秀だろうがこいつの裁量とかタカがしれてる。
交渉役としてはガキの使いレベルでしょ。
こいつレベルで高度な交渉なんて無理。
で、無理なのが分からない木戸じゃない。
てなると、高度な交渉は無理なの承知で、
「いいか?お前はとりあえず容保の首を出せとだけ言っとけ。それ以外なしな。
んでその反応を俺らに知らせろ」
と言い含めて送り出したとしか思えんのだよな。
244 :
日曜8時の名無しさん:2013/06/06(木) 15:26:36.42 ID:svQ5KAYG
>>236 どの時代だってそんなもん普通だろ。
秀吉の九州討伐島津攻めの先鋒部隊は長宗我部と毛利。
どっちも島津に恨みなんてない。
大阪の陣では家康の大号令で全国から20万人集めたが豊臣家に恨みがあるやつなんてほとんどいないんだし。
時の権力者に逆らえば怖いから皆動くんだろ。
>>228 ドラマの中では薩長同盟の後、大久保と木戸の会談で土佐の大政奉還論批判があって、
その際に大久保は「大義のため、邪魔者は取り除かねばなりもはん」と言っている。
大政奉還を唱えたのは龍馬だし、その後、実際に龍馬が暗殺されるので
ドラマ的には龍馬暗殺の首謀者は薩摩ということを匂わせていると思うんだが。
>>239 長岡藩の資金源は、河井が米相場と銅銭の貨幣価値の地域格差に目をつけて
財テクで稼ぎまくった。
248 :
日曜8時の名無しさん:2013/06/06(木) 15:36:05.89 ID:svQ5KAYG
>>247 おう チート....
そんな単純な儲け方にどの藩も気付かないもんなんだな....
新政府側の基本方針は
奥羽諸藩が会津に兵を出さない場合は奥羽征討
っていう二択だったと思う
中庸、中立を認めて中途半端な状態では残さない
この辺は木戸が考えてる感じはするね
>>248 幕末は物価変動が急だからリスクもでかかったと思うよ
河井は商才があったんだろうな
>>244 薩長がまだ「時の権力者」と認められてなかったんだよ。
家康が何十年もかけてやったことを、3〜4年でやろうとしたんだから。
252 :
日曜8時の名無しさん:2013/06/06(木) 15:53:18.95 ID:svQ5KAYG
で、庄内藩の強さの秘密はなんなの?
新政府軍相手に互角で戦いながら東北で暴れまわる。
戊辰戦争では唯一の負けなしで薩摩が恐れてたらしじゃん。
>>226 会津だけでなく日本中どこでも村落を部落と言っていた。
鹿児島出身だ。今でも年寄りは部落の寄り合いという。
同和が問題になってからそれが言えなくなった。
ちなみに鹿児島には同和問題はない。
255 :
日曜8時の名無しさん:2013/06/06(木) 16:08:35.95 ID:svQ5KAYG
>>253 同和問題なんて全国どこを探しても既にありませんよ。無いと困る連中が関西圏で騒いでるだけ。
>>226 天空の竹田城のある兵庫朝来で、○○部落って案内出てたで
259 :
名無し募集中。。。:2013/06/06(木) 16:38:28.26 ID:x/tQvMtf
>>252 豪商の本間ってのが資金提供して最新装備だったのと、指揮官の酒井ってのが優秀だった。あと相手が薩長の主力は庄内を後回しにしてたから相手がショボかった。
>>241 発砲しようとしたが弾が出ず、逃げようと廓の2階から飛び降りたところ運悪く庭石で頭を強打し瀕死の重症を負い尋問さえできない状態だったとどこかに書いてあった
横レスごめん
庄内藩にボロ負けしたのは主に秋田藩
新政府軍に付いたばかりにビンボ籤を引いた珍しい藩
263 :
日曜8時の名無しさん:2013/06/06(木) 17:23:05.66 ID:svQ5KAYG
>>262 庄内藩は戊辰戦争で秋田藩以外に2藩潰してましたよね
覚醒した八重さんも凛々しくて格好良さそうだけれど、
今までのちょっと天然入った癒し系の八重さんも好きなんだよな。
うーん複雑だ・・・。
秋田県民歌の3番の歌詞に「錦旗を守りし戊申の栄えは」の一説がある
ちなみに県民歌が制定されたのは昭和になってからで、秩父宮と勢津子妃のご成婚の後
官軍なのに滅茶苦茶ヤラレタからか?
266 :
日曜8時の名無しさん:2013/06/06(木) 17:34:36.83 ID:svQ5KAYG
秋田藩は自業自得だからなw
1回は奥羽連合に入っといて突然に官軍側に付いたら回りの藩も攻めないと背後とられるから危険だしな。
しかも秋田藩って奥羽連合を抜けると伝えもしないで勝手に脱退。
なかなか援軍を寄越さない仙台藩の使者が「秋田藩の皆さん助けてください」とお願いしたらいきなり斬り殺してるからな。
仙台人は今でもこの秋田人の行為を恨んでるぞw
庄内藩は新庄藩、秋田藩領内へ攻め入り圧倒したが、援軍の佐賀藩兵到着後は藩境付近まで押し戻されてるよ。
一 秀麗無比なる鳥海山よ 狂瀾吼え立つ男鹿半島よ 神秘の十和田は田沢と共に 世界に名を得し誇の湖水 山水皆これ詩の国秋田
二 廻らす山山霊気をこめて 斧の音響かぬ千古の美林 地下なる鉱脈無限の宝庫 見渡す広野は渺茫霞み 黄金と実りて豊けき秋田
三 篤胤信淵巨人の訓 久遠に輝く北斗と高く 錦旗を護りし戊辰の栄は 矢留の城頭花とぞ薫る 歴史はかぐわし誉の秋田
四 民俗勝れて質実剛毅 正義と自治とのさとしを体し 人材遍く育みなして 燦たる理想に燃え起つ我等 至純の郷土と拓かん秋田
>>264 伊東悌次郎は八重によく三郎と間違われるよな…
前髪切られるし、砲術も叱られるし
八重がかなり天然ボケ風味なのは
綾瀬はるかをイメージして脚本書いているのだろう
宮崎駿監督の5年ぶりの新作となる映画『風立ちぬ』の中間報告会見が6日、都内で行われ、
連続テレビ小説「てっぱん」などで知られる女優の瀧本美織が、ヒロインの声優を務めることが
明らかになった。この日は瀧本のほか、西島秀俊、西村雅彦、スティーブン・アルパート、
風間杜夫、竹下景子、國村隼、志田未来、大竹しのぶ、野村萬斎などの豪華声優キャストが
発表された。
>>261 今名前が思い出せないけど、世良さんの同宿の部下で、
2階から飛び降りて、その後斬り死にした人があったはず
150年も前の暗殺事件で正確な記録にも乏しいので、諸説あるかと思う
秋月悌次郎と伊東悌次郎、
273 :
日曜8時の名無しさん:2013/06/06(木) 18:02:56.96 ID:dZxueEfN
土方の「ジュテーム」みたいな馬鹿な表現がドラマでおこりませんように
萱野慎吾「あばよ!」
萱野慎吾「ワ〜カメ好き好き〜」
大蔵がフランス語で敬礼の指示を出してたな
しかし修理やら白虎隊ら少年兵を殺しておきながら、自分達はのうのうと天寿を全うした上士達は人間の血流れてるのか?
一話の若殿に救われて御恩返ししたいっていうエピソードが完全に忘れ去られてるなw
会津若松出身者として、
こんな、自分の地元がいかに馬鹿で間抜けだったかを
延々暴露するような大河が制作されてしまい
本当に恥ずかしいですwww
今年一年観光客が増えることがそんなに嬉しいのだろうかww
こんなのドーピングと同じだ。
来年以降はどんどん廃れるばかり
本当に愚かである。
バッコ味噌を作ることくらいしかできない奴らである
容保「お芋好いとっと」
黒歴史化されてるテレ東の「白虎隊」見てーw
なんで容保が伊藤英明で土方が岸谷なんだよww
オダギリは斎藤再びの方が歓迎されたんだろうなぁ
>>277 八重本人が会津戦争で銃を持って戦ったのは一には殿(容保)のため、
そして二には戦死した弟のためと語ってるから何かまたエピあるだろ
会津戦争後も容保が問題児の長男の進学先の相談を覚馬にして、
襄や八重も手伝って同志社に入学させたエピもある(1年で学習院に
転校していったがw)
で次回までには山本覚馬が発注した大量の銃は間に合うのか?
>>277 のうのうとじゃないだろ。
容保の余生なんて泣けてくるけどな。
腹を切ってこそ、と言われたらそんな道もあるにはあったろうが…とは思うけど。
>>284 それ、いつもの人だから触らない方がいいよ
>>286 降伏しますと言いながら
連日演習で最新鋭の兵器
潰されます
山本むつみが語る松平容保
『会津のお人々が、なぜそこまでひとつにまとまったかを考えるうえで欠かせないのが、
松平容保というお殿様の存在です。「容保さえ判断を誤らなければ、あんな悲劇は起き
なかった」と言われることもありますが、私は容保はまさに【無私の人】だったと思い
ます。だからこそ、誰もが「殿のため」という思いをもって、彼について行ったのでしょう。
容保は藩を背負い、さらには国の命運まで背負わされ、それでも義を貫こうとします。
その結果、戊辰戦争では多くの人がなくなり、家老のひとりは責任をとって自刀しました。
そのことを誰よりも重く受けとめたのが容保だったと思うのです。戦後、謹慎が解かれて
からも、彼は決して政治の表舞台には立とうとはせず、東照宮などの宮司として生涯を
終えました。容保は、自分のために死んだ人々のことを片ときも忘れることなく、その
重荷を背負い続けたのではないでしょうか。今回いろいろな資料を調べながら書いている
うちに、容保という人物のことがどんどん好きになっていって、彼がどんな思いで生きて
いたかを思うと、ちょっと泣きそうになってしまいます。』
>>282 小姓だった井深梶之助が書き残してる
八重が容保の前で不発弾を分解して説明したというエピソードは
必ず出てくるだろう
明治の日本が、なぜそこまでひとつにまとまったかを考えるうえで欠かせないのが、
徳川慶喜というお殿様の存在です。
「慶喜さえ判断を誤らなければ、あんな悲劇は起きなかった」と言われることもありますが、
私は慶喜はまさに【孤高の人】だったと思います。
だからこそ、明治以後の旧幕臣が「上様のため」という思いをもたず、彼を担ごうとしなかったのでしょう。
慶喜は幕府を背負い、さらには国の命運まで背負わされ、それでも恭順を貫こうとします。
明治以後、士族の反乱では多くの人がなくなり、旧幕臣らが同じ道をたどる可能性もありました。
そのことを誰よりも重く受けとめたのが慶喜だったと思うのです。
戦後、謹慎が解かれてからも、彼は決して政治の表舞台には立とうとはせず、趣味に没頭して生涯を終えました。
慶喜は、最後の将軍の政治的立場を片ときも忘れることなく、その重荷を背負い続けたのではないでしょうか。
違和感ないな
>>276 大蔵が「ジュテーム!」と言い出すのだな
>>290 >戦後、謹慎が解かれてからも、彼は決して政治の表舞台には立とうとはせず、趣味に没頭して生涯を終えました。
明治35年に公爵になって同時に貴族院議員になってる。
俺が容保ならとっとと首差し出すよ
容保ってこのドラマじゃメソメソお殿様だけど、実際の行動はイケイケ好戦的だよね
だれが賊軍だ!!徹底抗戦だ!
てのが本音だったんじゃね?
実は状況悪化の張本人なんだけど、
藩士は、偉いお殿様がおらたちと一緒に苦労して1ヶ月の籠城してくれた!てので心情的には許しちゃって「いい殿様」評価
つらい状況で寝食共にして仲間意識が芽生えちゃったんだな
297 :
日曜8時の名無しさん:2013/06/06(木) 20:39:51.86 ID:svQ5KAYG
>>295 女子供、更に老人までもが戦ってる戦争なんて勝てる訳がないのにな。
俺が容保だったと考えても腹を切って終わらせるな。
ましてや戦後も自分だけノウノウと生きるとか恥ずかしすぎるわ....
無能ほどのうのうと長生きするもんだ
>>291 そもそも会津が攻められる根拠がいい加減だからな。
殿が首出す筋合いはないって主張も強かっただろ。
それに、突き詰めれば新政府側の上官だって腹切れって言われてもおかしくないんだぞ?
自分らの目的のために何人も犠牲になってる。
新政府とか国のためなんてのは建前で、単なる自藩のエゴだろと勘ぐりたくなることもしばしば。
そうしたもとに成り立った明治政府の中枢でのうのうと生きてた人もたくさんいるわけで。
想像の域だけど、会津は戦う気満々だっただろう。容保も冷静に
先行きを案じる人間も抑えられなかったと思う。薩長の矛先には
かっこうの相手だったはず。地獄絵図だったと思うが。政治が
180度変わって善が悪になる良い見本や。
BSTBSで独眼竜政宗
>>299 なんか違う気もするが、そんな感じ
籠城戦の前には京都の集団単身赴任共同生活も経験してるし、その間に何度も戦闘を挿んで
一緒に命懸けの経験して殿様と俺達の絆深まっちゃってるぜ!つーノリがありそう
んで頼母はそういう京都組の内輪ノリから一歩ひいちゃってるタイプだな
来年の大河の黒田官兵衛の逸話でこういうのがある(あくまで逸話で真実かは判らない)
官兵衛が息子への遺言の一部だが「お前の下には約一万の部下がいる
その部下の家族まで含めたら、数万の人間の命と生活をお前は背負ってるんだ
お前の家族たちの命の危険と、数万の部下+その家族を
天秤にかけないといけない時は、必ずや後者を選びなさい」っての
官兵衛もある意味非情なんだけど、組織の長としては正しいと思うよ
容保は色々立場や面子もあったんだろうが、なんかな
> 無能ほどのうのうと長生きするもんだ
山縣 有朋
生年月日1838年6月14日
(旧暦天保9年4月22日)
出生地日本長門国阿武郡川島村
没年月日1922年2月1日(満83歳没)
山縣は次第に時代の変化についていけなくなり、桂の死後には寺内や清浦らも独自の道を歩みだすようになる。
そのような中で政党内閣の時代を迎え、やがて宮中某重大事件を巡る対応の拙さから山縣の政治的な権威は大きく失墜した。
宮中某重大事件と原敬暗殺の後ほどなくして、失意のうちに小田原の別邸で逝去する。83歳没。
山縣の葬儀は国葬となったが、参列したのは陸軍や警察・内務省の関係官僚ら義務的に参加した者が殆どで、一般の参列者はほとんどいなかった。
山縣の直前に病没した大隈重信の葬儀は国葬ではなく「国民葬」とされ、その実多数の民衆が集まったのとは好対照であり山縣の国葬は正に「民抜きの国葬」と揶揄された(「国民葬」から「民」を抜くと「国葬」となる)。
陽性な大隈が国民に慕われたのと反対に陰湿な印象を与えた山縣の死を悼む者は少なかった。
当時新聞記者だった石橋湛山が山縣の死を「死もまた、社会奉仕」と評したほどである。
山縣の死とともに薩長藩閥支配はほぼ終焉となった。
> 無能ほどのうのうと長生きするもんだ
会津は守護職時代から領民のことなんか考えてない。搾取の対象としか見てなかったんだよ。
同じ朝敵でも庄内は代々善政を敷いてて国難にも領民一丸となって戦った。
>>305 山縣は無能では無いよ
能はあるが器が狭くて人気が皆無なだけ
むしろ板垣とか大隈は同じ政治家内での評価低い
でも国民人気は高い
山縣有朋ってあまり評判がよくないな
パイナップル!
老害って言葉が山縣ほど似合う政治ははいない
> 無能ほどのうのうと長生きするもんだ
宮中某重大事件は、1921年(大正10年)、裕仁親王(当時皇太子、のちの昭和天皇)の妃に内定していた良子女王(のちの香淳皇后)について、
家系に色盲の遺伝があるとして、元老・山縣有朋らが女王及び同宮家に婚約辞退を迫った事件である。
良子女王の兄・朝融王が、学習院の身体検査において色弱だったことが発見されたのが発端となった。
元老の山縣らは、良子女王の家系が色盲の遺伝があるとして、女王及び久邇宮家に婚約辞退を迫った。
当時軍部と政界に隠然たる勢力を持っていた山縣による皇室への干渉は、宮中・政府・世間を巻き込んだ騒動になった。
1920年(大正9年)6月18日に宮内大臣・波多野敬直が更迭され、これに代わって元満鉄総裁・中村雄次郎が色覚異常の真偽を確かめることになった。
これを受けた当初は久邇宮家も辞退やむなしの動きを見せたが、当時病気療養中であった大正天皇に代わって天皇家の家長のような存在であった貞明皇后や、良子女王の父・久邇宮邦彦王、元老の松方正義や西園寺公望は婚約の破棄に反対を表明。
また、頭山満など国粋主義の人間が同調したり、「北一輝等が山縣を暗殺するべく刺客団を編成した」といった流言が広まった。
最終的には、当の裕仁親王本人の意向で婚約辞退は撤回となる。1921年2月10日、政府から「婚約は破棄されることはなくいずれ御成婚」と発表された。
この事件で山縣の権威は大きく失墜し、一度は元老と爵位返上の意向も伝えられたが慰留された。翌年、山縣は失意のうちに死去した。
良子女王の母・邦彦王妃俔子は旧薩摩藩藩主の公爵・島津忠義の娘であったことから、
「旧長州藩出身の山縣は皇室に薩摩の血が入るのを嫌っているのではないか」との憶測が主流を占めていた。
久邇宮家の祖である久邇宮朝彦親王(旧中川宮)が八月十八日の政変などで政治的事件へ干渉したことなどに不快感をもっていたため、
この婚儀によって久邇宮家の国政干渉が再現される可能性を危惧していたともいわれる。
> 無能ほどのうのうと長生きするもんだ
>>296 > 実際の行動はイケイケ好戦的だよね
そうでもない。
他藩の史料を見てると、「肥後守はともかく家臣たちが納得しないだろう」みたいな
容保より家臣の暴発を警戒してる様子が多いので
印象としては抗戦派の主流に押し切られた感じがある。
慶喜に流され主流に押し切られ、容保の真意はどこにあるんだろう
このドラマをきちんと見ているなら、はっきりと言っているのでわかるはず。
押し切られとは言うけど、そうせい公とか言われるほどじゃないし
孝明天皇の死後、容保個人の帰国が許されなかったのは、
容保だから血の気の多い藩士たちを押さえていられると期待されてたんじゃないかな。
会津は教育でガチガチの朱子学をたたき込む藩だから、藩主をないがしろにするという考えはない。
>>266 世良を殺した仙台が使者を秋田に殺されるのは自業自得だろ
なんか、聞けば聞くほど戦犯だね
相変わらず空気が読めないみねたんきゃわわ
八重の詠んだ 父兄の教え給いし筒弓に会津心の弾やこめなん て実際の八重さんの歌なの?
321 :
日曜8時の名無しさん:2013/06/06(木) 23:24:49.40 ID:svQ5KAYG
スゲー気になってるんだが山本権八って覚馬が生きてる事を知らぬまま死ぬのかな。
そう考えると悲しいな
確か八重は会津戦争が終わってしばらく経ってから兄の生存を知ったはず
だから権八は知らないまま戦死したんだろうな
どうしても発想が任侠映画になっちゃうんだけど
津嘉山さんが演じてたご家老も
もう、あれ心中も含めて意訳すると
「息子腹切らせといて
こっからイモ引くとか言わねぇべなオヤジよぉ」
これが一番しっくり来る
ハッキリ言って自分らが悪い事したって思える余地が無いんだから
それ所か藩財政が空っぽになるまで奉公して
それで死人うじゃうじゃ出しておいて賊軍にされてどうやって引けって言うんだよって
325 :
日曜8時の名無しさん:2013/06/06(木) 23:39:34.32 ID:svQ5KAYG
やっぱ知らずに死んだんだな。
八重の日記では父である山本権八は兄と三郎の戦死を聞いてから踊ったり、泣いたり、叫んだりと気が狂っていたと書いてあった。
権八ちゃん・・・
あんつぁまは結果的には目の病で生き延びたということになるのかな
目が悪くなかったら戦死してたかもしれない
>>201 タイミング的にね
井伊直弼が安政の大獄をやってる時に、
それを牽制するために琉球使節警護の名目で武装上洛しようとしてたから
井伊直弼の性格からしても地理的に考えても
そんな事して無事に済む筈がない。
当時の実質上の京都守護だった
彦根藩の藩主である井伊直弼が幕府大老でもあったんだから
幾ら当時の先端技術って言っても幕府大老の直轄軍相手に
相手の地元でそれも将軍命令相手に無事で済むと思う方が難しい。
そこまで詳しく考えなくても、
藩内の保守派がもうついて行けないと考えて毒殺。
元々内紛で跡目についた斉彬だし、井伊直弼がマジギレしたら
本気で藩が危なくなる情勢だったから
自分で釣った魚のスシに当たったって話だけど
十分あり得る線だね。
>>327 盲目になり囚われの身になったけど、命を救われたのは優秀な人材だからだよ
普通ならそのまま処刑されてる
>>202 >それらを踏まえて、新政府側の任務を忠実に実行したのだろうと
やはり鉄砲玉か!!
332 :
日曜8時の名無しさん:2013/06/07(金) 00:00:21.59 ID:svQ5KAYG
>>330 小松帯刀が山本覚馬の嘆願書を読んでそれに気付いて斬首をストップかけたとなってますね
333 :
日曜8時の名無しさん:2013/06/07(金) 00:00:58.59 ID:4R6cXpfR
権八は1868年11月1日一ノ堰で戦死後長いこと野ざらしになっていたのを今の墓地に埋葬、
尚、ちょん切られていたか不明
死体を野ざらしにされて
市中腐敗臭で大変になったことまでやるかなぁ
勝海舟に説得されたら、放送時間の都合だろうが
西郷隆盛が即断即決過ぎて吹いたw
だが、決断力が速い指揮官でちょっとカッコ良く見えたな
京都に帰ってから、覚馬が勝海舟と同じ理屈を説いていたので
あの西郷なら、覚馬が会津川の正式な交渉役なら
同じように説得されてくれたかも知れん
説得されて、って言うか、
西郷は元々最初ガツンと叩いて和睦に持っていくことを得意としている。
長州征伐の時だって、恭順を引き出して、和睦に持っていったわけだし。
西郷は敬天愛人の人だから、そういう傾向が元々あるんでしょう。
ただ覚馬は頑固な会津人っぽくて、若干交渉役としては固すぎるかな
海舟の方が説得はうまそう
実際の覚馬はかなり交友関係が広くて、社交的だったようだがね
長崎へ鉄砲を買いに行ったときも外国人商人と喧嘩になったな。すぐに反省して謝罪したけど
この時代、官軍は充分な資金がないので
「分捕り」が兵の報酬でもあった。
つまり戦をしないと、軍隊を維持できなかった。
「振り上げた拳の行き先」にはそんな意味もある。
荒らしなのかも知らんが「八重の日記」と書いてる奴の元ネタの小説って何だ?
>>335 N速+によく貼られている鳩山元首相のピコーン!AA思い出した。
史実の西郷さんに失礼だが…
勝さんは、仁のあの人のほうが良かったなあ・・
まあこのドラマではちょい役だから(あっちでもか?)
あの程度でサラリーマンNEOでおkになったんだろうか。
343 :
日曜8時の名無しさん:2013/06/07(金) 04:33:32.13 ID:221F6+3O
あれ? 小日向文世ってこの大河に出てたっけか?
俺も勝海舟は小日向文世が良いな。
新撰組!の勝海舟も良かったよ
徳川慶喜「勝つよ....どうにかならぬか?助けてくれ」
勝海舟「もーどうにもなりませよww 兵を置いて自分だけ逃げてくるとか前代未聞で大笑いですよw」
徳川慶喜「そこは反省しておる」
勝海舟「殿が逃げてこなければまだまだ勝てる見込みはあったのです!」
徳川慶喜「頼む助けてくれ」
勝海舟「解りました。何とかやってみましょう。」
ここは笑ったw
>>324 容保の守護職就任で辛い思いをしたのは容保と会津藩士じゃない
会津の領民だ
会津藩士なんてただ収奪した金で京都暮らししただけでしょ
会津藩士は自分のことしか考えてない
いつでも自分が一番不幸と考えて、弱いものをさらに不幸にするのが会津武士道
将軍にまでなったのに民のため国のために恭順した慶喜の詰めの垢でも煎じて飲め