【第十八回】 太平記 part.18 『帝の脱出』

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1日曜8時の名無しさん
前スレ

【第十七回】 太平記 part.17 『決断の時』
http://kohada.2ch.net/test/read.cgi/nhkdrama/1335083192/
2日曜8時の名無しさん:2013/02/06(水) 18:07:43.59 ID:cF38cvh3
http://www2s.biglobe.ne.jp/tetuya/REKISI/taiheiki/taiheiki18.html

◇十八回 本編内容◇
元弘三年(1333)閏2月23日。
隠岐では後醍醐天皇脱出の計画が実行に移されようとしていた。
伯耆の武士・名和悪四郎とましらの石は阿波の海賊・岩松の船に乗って隠岐に入る。
物陰から行在所の様子をうかがっていると、後醍醐帝の寵妃・小宰相が外に出てきて、警備の兵士に「決行は明日」と伝える。
小宰相が幕府に情報を漏らしていることを確認した名和たちは焦るが、そこへ金若(かねわか)という後醍醐帝の側に仕える少年が現れ、二人に小宰相のことを帝に伝えると申し出る。
後醍醐帝は阿野廉子に脱出の決行を伝え「そなたにも走ってもらわねばならん」と告げる。
廉子は帝が自ら小宰相に情報を漏らしたことを激しく責め、彼女を同行させないで欲しいと懇願する。
しかし後醍醐の答えは「あれは連れて行く…あれは哀れな女子じゃ」であった。
自分と小宰相とどちらを信じるのだと泣いて詰め寄る廉子に、後醍醐はついに打ち明ける。
後醍醐は最初から小宰相が幕府の意向を受けて情報を流していることを知っていたのだ。
そしてそれを逆手にとって「明日」と嘘を教えたのだと。
「朕は今宵ここを出る」と後醍醐は言い、「朕が頼りに思うは廉子だけぞ…それを疑うでないぞ」と廉子を抱く。
そこへ金若がやって来て小宰相が情報を漏らしていたことを告げた。
後醍醐帝はそれを聞いてただちに脱出を実行に移す。

島の侍や名和一党の手によって警備の兵士達が殺され、後醍醐帝は自らの足で夜の闇の中を走りに走る。
廉子や小宰相、千種忠顕らも別行動で脱走する。
石は身重の小宰相を背負い、敵が現れると自ら刀を振るって突破していった。
後醍醐はついに海岸にたどり着き、名和悪四郎らに出迎えられる。
後醍醐は足に刺さった何かを引き抜き、「痛いと思うたら…こりゃ貝じゃ!貝殻じゃ!」と大笑する。
後醍醐帝は岩松海賊の用意した船に乗り込み、廉子と小宰相は別の小舟に便乗そて石がそれを漕ぐことになる。
荒れる海上で小宰相は船べりにつかまり、前を進む後醍醐帝の船の姿を探していた。
「おお、あれは帝の船であろうか!?」と小宰相が身を乗り出したとき、廉子が彼女を背後から押し、舟から突き落とした。
悲鳴をあげて海中へ沈んでいく小宰相。呆気にとられた石だったが、振り返ってにらむ廉子の恐ろしい顔つきに黙り込んでしまう。
やがて小宰相の衣服だけが海面に浮かんできた。

同じ閏2月24日、播磨で挙兵した赤松円心は尼崎方面に進出、これを迎え撃った六波羅の大軍を撃破してしまう。
一方楠木正成も千早城で六波羅軍相手に互角の戦いを展開していた。
そこへ後醍醐帝隠岐脱出の知らせが入り、鎌倉幕府は大騒ぎとなっていた。
高氏のもとにも一色右馬介から「先帝隠岐脱出」の知らせが届く。
「また大きな戦に?」と不安がる登子を「案ずるな」となだめながら、高氏は直義や重臣達を集める。
これで鎌倉が手薄になる可能性が高くなると直義らは喜ぶ。

幕府はさらなる大軍の派遣を検討していた。
金沢貞顕が赤橋守時に「誰を出陣させるのか、長崎殿に一任してはまずい」と密かに進言する。
「例えば足利…貞氏殿が死んでから何かが変わった」と不安がる貞顕に守時は「足利殿は我が妹の婿ぞ」と言うが、貞顕はあくまで万一の事としながら、外様の足利を外へ出すことを警戒し、長崎が出陣させようとしたら阻止して欲しいと頼む。
そして幕府評定において、長崎円喜は派遣する第二陣の陣容案を示した。
見ると「足利高氏」の名も入っている。それを見て顔を見合わせる貞顕と守時。

そのころ清子は寺に詣でて祈っていた。
寺の外に出ると息子の高氏が待っていた。
清子は高氏を寺の境内へ誘い、語らい始める。
「この世には己の力ではどうにもならぬ事がある…それゆえ御仏(みほとけ)がおられるのじゃ」と言う清子に「しかし御仏は表に並ぶ貧しい乞食どもを救えませぬ。
あの乞食どもを生む北条殿の世を変えてはくれませぬ」と高氏。
息子が反北条の戦いを起こそうと考えていることを悟った清子は「世のためにそなたを死なせとうない…世を正すために我が家を失いとうない…」と高氏に言う。
高氏は正成の「大事なもののために死するは負けとは申さぬもの」という言葉を引いて決意のあるところを言いつつ、一方で家族との平穏な生活を望んで悩む心もあると本音も打ち明ける。
清子はそれを聞いて「この世には己の力ではどうにもならぬ事がある…これもそういう事であろうかのう」と嘆息する。
そして「足利家はそなたに預けたのじゃ。母は何も申しますまい」と高氏に言うのだった。・・・
3日曜8時の名無しさん:2013/02/06(水) 18:11:36.49 ID:cF38cvh3
・・・高氏が帰宅すると、守時が訪ねて来ていた。
幕府として足利家に出陣を要請することを伝えに来たのだった。
「この守時は行かせとうないのだが…こたびの戦はそれがしには不吉に思える」と言い出した守時は「ゆうべ、らちもない夢を見ましてな…それがしが足利殿と戦をいたす夢なのじゃ」 と口にする。
高氏が笑顔をとりつくろいながら、例え夢の中の話であっても守時は味方にしたいものと言うと、守時は答えた。
「お気持ちは有り難い。
じゃがこれだけは申しておこう。
北条は腐り果てたとは言え、我が一族…それがし、これに弓を引くことはできん。
愚かな守時よ…」と。
そして「西国の乱に気が動転した」と言って苦笑するのだった。

守時が去った後、高氏は家臣らに命じる。
諸国の足利一門に使者を送り「足利が総力を挙げて戦をいたす。
馳せ参じられよ!」と告げよ、と。
そして恐らく千早城攻めに参加している新田義貞のもとに右馬介を遣わすよう手配させる。

得宗の北条高時邸には長崎父子、貞顕、守時が集まって再度の会議を開いていた。
貞顕はここで足利に出陣させることへの不安を円喜らにぶつける。
足利の所領である三河辺りで反転して鎌倉を攻めてくるかも知れないと。
しかし長崎父子は足利がせいぜい兵を集めても3000、鎌倉の数万の兵の敵ではないと読む。
問答を聞いていた高時は「わしの犬は檻の中におるゆえ可愛いのじゃ。
噛みつくものは檻の中が良いぞ」と貞顕に同調しかけるが、円喜はちゃんと足利対策はとってあると言い、控えていた佐々木道誉を呼び出す。
道誉を高氏より先に近江に帰らせ、高氏の軍が来たら京まで同行・監視させる。
万一、足利軍が三河で反転したら近江から道誉の軍が追撃し、鎌倉軍と挟み撃ちにする、という作戦であった。
これを聞いて貞顕はしぶしぶながら高氏出陣を認める。

高時の前から引き下がった後、円喜と高資が道誉を取り囲む。
円喜は後醍醐暗殺にしくじった道誉を「この騒ぎの元はそこにある」と責める。
そして高資が「足利には我らも思うところがある。
それゆえあえて鎌倉から出す。
しかと見張られよ」と意味深に道誉にささやく。
円喜は閉じた扇子を道誉の首に突きつけ、「こたびそむけば…鎌倉にいる一族郎党、みな首をはねる!」と凄む。
これに道誉は不敵に唇を歪める。

一方。
河内の楠木軍は幕府軍の攻勢にじりじりと後退し、千早城に立て籠もって必死の抵抗を続けていた。
斜面を攻め上ってくる幕府軍に丸太や石を浴びせ、引き付けて矢を放ち、ひるむところへ大岩を落とす。
妻の久子や侍女達も弓をとり矢で敵兵をしとめていく。
楠木軍の必死の抵抗に幕府軍は攻めあぐね、攻めてはほうほうの体で退却を繰り返す。

そんな幕府軍の体たらくと善戦する千早城をじっと眺める男がいる。
千早城攻めに参加していた新田義貞である。

(ファンサイト・大河ドラマ「太平記」大全 より ttp://www2s.biglobe.ne.jp/tetuya/REKISI/taiheiki/taiheiki.html
 
4日曜8時の名無しさん:2013/02/07(木) 12:38:10.88 ID:itNNNGt7
さすが、>>1殿はスレの棟梁、大した器量でおじゃりますなあ ホホホホッ
5日曜8時の名無しさん:2013/02/07(木) 18:33:18.07 ID:UTp2s3uK
今さらだがアテルイ伝は全4話とあまり多くないキャストの中に、太平記関係者が大挙してた

親房卿を皮切りに、赤松円心、長崎高資、阿野廉子、ついでに大杉漣
内容は酷かったがw
6日曜8時の名無しさん:2013/02/07(木) 23:28:22.55 ID:45hkCx5i
田村麻呂がおしいなw
7日曜8時の名無しさん:2013/02/08(金) 01:03:11.31 ID:cBa4hcBx
>>5
大杉漣って『太平記』で何の役やってたっけ?
8日曜8時の名無しさん:2013/02/08(金) 15:00:35.89 ID:erNBm+Ik
>>7
役名なしの武将の一人
9日曜8時の名無しさん:2013/02/09(土) 12:37:01.60 ID:pOK9bfaT
>>8
だからこそ、>>5は「ついでに大杉漣(役者名)」なんだな
10日曜8時の名無しさん:2013/02/09(土) 14:55:09.79 ID:E9zNGT9k
ちなみに第何回のどこの場面?
11日曜8時の名無しさん:2013/02/09(土) 15:24:35.03 ID:X3jeU6vz
第35回「大逆転」
番組の冒頭、奇襲を受けて壊滅した脇屋義助軍の惨状を義貞に伝える役
が大杉漣だったと思う。
12日曜8時の名無しさん:2013/02/10(日) 08:34:04.89 ID:HQYVz+S4
大杉漣・豊川悦司・常盤貴子が揃って出演している大河は
後にも先にも太平記だけ
13日曜8時の名無しさん:2013/02/10(日) 13:30:16.00 ID:exL6JSzt
いずれも無名の役か。
しかしその後、常盤だけは長らく大河からご無沙汰になるが。
14日曜8時の名無しさん:2013/02/10(日) 22:28:25.91 ID:exL6JSzt
>>6
恵源殿は今ドラマに出演するのは難しいのかな?
15日曜8時の名無しさん:2013/02/10(日) 22:39:10.10 ID:WVKOzYKt
>>14
今ドラマに出てるよ
仲間由紀恵のやつ
16日曜8時の名無しさん:2013/02/11(月) 02:21:34.58 ID:nUWEHrze
そういえば『坂の上の雲』で、三位の局と千種の中将が対面している場面があったな。
17日曜8時の名無しさん:2013/02/12(火) 02:06:31.58 ID:dapZmFEP
あ゛しょぉ゛ぉ゛ぉ゛どのぉ゛ぉ゛ぉ゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛

終盤の南朝は和むなあ
18日曜8時の名無しさん:2013/02/12(火) 02:40:20.96 ID:KBVkNd9G
ただ死ぬだけなのにあの新田討死シーンは泣ける
19日曜8時の名無しさん:2013/02/12(火) 04:33:25.50 ID:Q8380n2u
あの場面、ナレーションは少々くどい感じもしたけどね。
20日曜8時の名無しさん:2013/02/12(火) 10:58:22.34 ID:Y5dDIim6
>>18
あのシーンは根津さんの好演が涙を誘いますな。
引退が惜しまれます。
21日曜8時の名無しさん:2013/02/12(火) 19:50:03.86 ID:cZIljWyD
綸旨をくわえて絶命か
22日曜8時の名無しさん:2013/02/13(水) 03:48:30.48 ID:/WPIqkhv
顕家は、最期絶命するときの断末魔が完全に女の声だったね。
23日曜8時の名無しさん:2013/02/15(金) 01:35:03.33 ID:qrZo28hN
この大河って、最初の7〜8話が尊氏の若年期、最後の7〜8話が観応の擾乱の話で、
あとは基本的に、元弘の乱〜建武政権期〜室町幕府成立あたりの1330年代の話だよね。
24日曜8時の名無しさん:2013/02/17(日) 17:21:20.76 ID:Ac1YqDix
>>5
長崎高資の人って、実は前年の『翔ぶが如く』にも最初の1話だけ
出演しているよね。
25日曜8時の名無しさん:2013/02/18(月) 10:44:48.40 ID:ZyKJZlUO
田口トモロヲ、羽場裕一、ネプチューン
がどこにいるのか全くわからない
26日曜8時の名無しさん:2013/02/18(月) 18:36:57.31 ID:RPi9/NXN
トモロヲは師直の部下・十郎
塩屋判官に恥をかかされて怒る師直から、判官を抹殺するための情報集めを命じられてた
27日曜8時の名無しさん:2013/02/18(月) 22:21:12.91 ID:ZyKJZlUO
ああ思い出した
柄本が怒りまくって地団駄踏んでる横でワンシーンだけ出てた人か。
羽場さんも教えてほしいわ〜
28日曜8時の名無しさん:2013/02/18(月) 23:33:00.50 ID:v27/2xDW
トモロヲは『毛利元就』では足利義植だったかな?
29日曜8時の名無しさん:2013/02/19(火) 18:29:47.78 ID:L9vMDu+X
>>25
泰造は死体役のエキストラ
出演にカウントしちゃダメだと思う
30日曜8時の名無しさん:2013/02/19(火) 19:34:39.96 ID:m0hPtdHw
死体って鎌倉炎上の際の生首とか?
31日曜8時の名無しさん:2013/02/20(水) 10:57:40.70 ID:MJTfCJa4
生乳首の可能性も
32日曜8時の名無しさん:2013/02/20(水) 19:24:57.04 ID:FWNdOh7z
戦国とか幕末とか、東西対立見飽きたわ
もう一回南北朝対立見たいんだが、マジで永久に無いんだろうか

平家や会津の負け側で出来るなら、
新田楠木北畠の南朝視点で新太平記、ありだと思うが
33日曜8時の名無しさん:2013/02/20(水) 20:11:25.71 ID:MJTfCJa4
南朝視点での南北朝は、ウヨ・サヨ双方への配慮の大変さがこのドラマの比じゃないだろう。
正直かなり難しいんじゃないかな。
34名無しさん:2013/02/20(水) 20:40:54.81 ID:M5Vs6oFe
>>33
同意です。
当時だからできたのだと思います。
今やったら、想像を絶する程の批判を浴びせられ、
スタッフさんや役者さんが過労死してしまう可能性も大いに
あります。
だから、義満の時代も描けないと思います。
35日曜8時の名無しさん:2013/02/20(水) 21:38:01.45 ID:kMVdmPzH
>>27
羽場は洞院公敏で正成が笠置で拝謁した時に並んでいる公家の中にいる
36日曜8時の名無しさん:2013/02/20(水) 21:55:10.20 ID:CapnccKR
ネットの発達のせいで、エセ愛国者たちの声が通るようになりすぎた
あいつら群れるからな
37日曜8時の名無しさん:2013/02/21(木) 03:11:00.10 ID:PpWdX315
>>35
洞院公敏って洞院公賢の弟か。
38日曜8時の名無しさん:2013/02/21(木) 03:12:24.65 ID:PpWdX315
>>34
義満はそこまでハードル高いかね?
39日曜8時の名無しさん:2013/02/21(木) 07:48:08.96 ID:CVUVE1JC
義満は1回やらんとね 大河の年表見ても義満の所が空白になってる
40日曜8時の名無しさん:2013/02/21(木) 09:39:16.05 ID:yd31FxPo
>>38
つ日本国王


まあ、だから何だよって話だが。
現代の思想信条と過去の歴史事実を
切り離すことができない低能くんなんて
放っておければいいとも思うんだけど、
若い世代はネット上の世論をすぐ信用
するからなぁ。信じたいものしか信じない
という意味では、テレビの言論に影響
されまくっていた時代よりひどくなってる。
今どき菊タブーとかホントくだらない。
41日曜8時の名無しさん:2013/02/21(木) 10:05:42.61 ID:mGn7xE4n
だから、いっそ神経逆撫でで
「 臣 源 」というタイトルでやればいい。

 オープニングで でっかいでっかい「臣」という漢字をぶちかまして
次に「源」という漢字。死後明の皇帝から諡が送られたと騒ぐ場面も冒頭に
もってくる。
42日曜8時の名無しさん:2013/02/21(木) 11:24:19.54 ID:DgbbmD36
足利は逆賊ばかりだな。
新田のほうがいいわ。
43日曜8時の名無しさん:2013/02/21(木) 11:37:07.56 ID:qM4KuvWp
こういうバカがいるからできないんだろうな
44日曜8時の名無しさん:2013/02/21(木) 14:01:48.12 ID:+NG+ca4u
>>40
あんなものは単なる外交上の方便で、国内的には何の意味もないってことは、
当時の人にも常識だったはず。

なのにそれを現代人がどうのこうのって、バカバカしすぎる。
45日曜8時の名無しさん:2013/02/21(木) 16:21:11.80 ID:yd31FxPo
>>41
www

>>43
クソウヨのせいで、義貞や正成の生きざまが
この世から忘れ去られそうなのが本当に腹立たしい。
南朝正統でドラマを作ったところでいまさらサヨクが暴れることはないだろうが、
建武政権の扱いや南北朝を題材にすること自体でネトウヨがファビヨるのは充分考えうる。

>>44
くだらないプライドと引き換えに莫大な利益を獲得できたんだから別にいいだろと思うが、
義持の貿易中断の理由からしてバカウヨみたいな奴が当時の幕府にもいたんだろうな。
46日曜8時の名無しさん:2013/02/21(木) 17:01:26.43 ID:mGn7xE4n
冗談はさておき(半ばマジだけど)、義政の時代を舞台にした「花の乱」が
あったなら、一度は義満の時代を描いて欲しい。
幕府の基礎を築いたり、南北朝の統一が成るなど、見どころは多いはず。
昨年の大河の「王家」で布石はうたれたw
47日曜8時の名無しさん:2013/02/21(木) 17:33:21.25 ID:tV3sSw0/
第16回 恩賞の波紋
ていうか大河ドラマ太平記で既に片岡孝夫ふんする後醍醐天皇が息子達に
「延喜の帝は律令によりて世を治められたのじゃ、"王"たる者、かくすべからずありたいものじゃ」
って自分のこと王っていってるよ。
48日曜8時の名無しさん:2013/02/21(木) 19:11:20.98 ID:0o9rgxAD
>>35
ありがとう!見直して見る
どうも公家方は千種とかあの辺ばかり注目しちゃうんでスルーしてた
49日曜8時の名無しさん:2013/02/21(木) 20:03:49.94 ID:DgbbmD36
>>46
あんなイカサマの統一はダメだ。
冗談じゃない。
50日曜8時の名無しさん:2013/02/21(木) 20:12:47.53 ID:+NG+ca4u
>>45
義持の場合は、単に父親である義満への反発のほうが先にあって、
中断の理由のほうが後付けという気もしないでもない。

ただ日本国王問題に関しては、義満以前に既に懐良親王が、
「日本国王良懐」を名乗った先例もある。
ネトウヨは目を背けたくなるような話だろうけどね。

>>47
「すべからず」じゃなくて「すべからく」だな。
51日曜8時の名無しさん:2013/02/21(木) 22:39:44.99 ID:HldwS5oZ
方便といえば、後醍醐天皇の「延喜・天暦の御世に戻れ」というのもそう。
本心はただ徹底した天皇親政にしたいだけで、醍醐天皇や村上天皇の政治を
模倣する気もなければ、律令に基づいた政治を目指したわけでもない。
52日曜8時の名無しさん:2013/02/21(木) 23:36:41.93 ID:xD9LXMyO
あの無能な義詮の息子、義満。大したもんじゃ。
53日曜8時の名無しさん:2013/02/21(木) 23:56:05.30 ID:+NG+ca4u
史実としての義詮は決してそんなに無能じゃないだろう。

ドラマでも最終回では「若殿はようお務めじゃ」といわれるような評価になっている。
54日曜8時の名無しさん:2013/02/22(金) 03:34:24.24 ID:hEVYkv4V
>>47
皇だったんかも。脚本見ないと分からんけど。
55日曜8時の名無しさん:2013/02/22(金) 03:43:27.13 ID:pz2p7j2k
>>46-47
というか中世の人間には、「王」と「皇」を明確に区別するような意識はなかっただろう。
「王家」でも「皇家」でもどっちにしろ読みは「おうけ」(旧仮名「わうけ」)だろうし。
56日曜8時の名無しさん:2013/02/22(金) 04:07:23.57 ID:67LoVWWM
南朝はまずヒストリアで取り上げてもらわんとな
最低でもそこが登竜門じゃね?
楠木も新田も見た憶えがない
尊氏すらないような・・・
57日曜8時の名無しさん:2013/02/22(金) 04:07:38.98 ID:fXRO6KAw
北畠親房卿は「神皇正統記」で王家(わうか)と使っておられた
あの方はあれで
中々のタヌキでござりまするからのう
58日曜8時の名無しさん:2013/02/22(金) 08:42:47.39 ID:pz2p7j2k
>>56
後醍醐帝はあったような。

つうかBS歴史館じゃダメ?
ヒストリアはスイーツ色強すぎで見るのが少々苦行。
59日曜8時の名無しさん:2013/02/22(金) 09:38:21.36 ID:lDMG2FmT
義満が一休さんの将軍様のイメージだけというのはお粗末すぎる。
60日曜8時の名無しさん:2013/02/22(金) 11:32:13.39 ID:pz2p7j2k
実際のところ、義満と一休ってそんなに接点あったのかな?
61日曜8時の名無しさん:2013/02/22(金) 12:31:59.85 ID:WyCJ7RMA
確か無かった筈。
義満在世時の一休は只の小坊主周建→貧乏雲水宗純時代。
ただ小坊主時代の寺が幕府肝煎りで諸国に創建した安国寺の一つなので、そこで接点位。
出生時に寺にやられた経緯は今尚明確な直接史料が発見されてなくて、一休の晩年や没後の年譜でいくらか語られる。
62日曜8時の名無しさん:2013/02/22(金) 21:42:50.06 ID:pz2p7j2k
『花の乱』では一休を日野家の親族のように描いていたけど、
実は後小松の正室である光範門院(日野西資子)も日野一族だよな。
63日曜8時の名無しさん:2013/02/23(土) 11:05:26.53 ID:LHC/urHf
これほど泣けるドラマはない
64日曜8時の名無しさん:2013/02/23(土) 12:52:53.09 ID:uNvdNuYD
京を攻めるとき、わしの背中に矢を射ぬように願いたい!
65日曜8時の名無しさん:2013/02/23(土) 14:24:51.84 ID:NgMrbXRO
醍醐寺でチラ見した時の帝、清らかでまわりのモンガンまで
ひとかどの人物に見えたけどな。
66日曜8時の名無しさん:2013/02/23(土) 15:49:01.13 ID:S2Qgf3fb
ぎゃははははは!ヤフオクで金玉が落札されてるw
http://omorolife007.blog.fc2.com/blog-entry-79.html
67日曜8時の名無しさん:2013/02/23(土) 16:23:29.52 ID:G2iuo/Xc
金玉って金正日の妹の名前だっけ?
68日曜8時の名無しさん:2013/02/23(土) 19:45:02.78 ID:Jx2UN/OO
王と皇の使い分けが神経質になったのは明治からじゃないかなー?
尊王とも尊皇とも書いてたから。
土佐勤王党はこれが正規。
天皇も天王と書かれた例はある。
69日曜8時の名無しさん:2013/02/23(土) 20:57:36.85 ID:/R82U8P8
>>68
尊王論は覇道の将軍と王道の天皇という対比なので王という表現は美称に他ならない。
天皇であることを明確にするために「皇」字への置き換えが進んでいったとはいえ、
音は同じなので殆どの人間にとっては別にどちらでもよかったというのが本音だろう。
ましてや朝鮮の影響で王を皇に書き換えるなんてバカバカしすぎる。
70日曜8時の名無しさん:2013/02/23(土) 22:11:40.52 ID:uNvdNuYD
>>68
中国王朝と対等な関係になりたいという意識のある古代の朝廷は、
そのあたりの文字表記に結構拘っている。

ただ平安中後期以降、中世から近世にかけての時期になると、正直どうでもよくなって、
違いが意識されることもなくなった。

近代になって再び意識されるようになった大きな要因としては、
日本の天皇が西欧語でいうところの King なのか Emperor なのかが問題になったことが大きい。
71日曜8時の名無しさん:2013/02/24(日) 01:53:04.32 ID:/4VbDsrB
>>65
でもあのときの帝は、正中の変の企てを日野たちと密談するために醍醐寺へ来ていたんだっけか?
72日曜8時の名無しさん:2013/02/24(日) 10:51:51.25 ID:We0NJ+Fh
殿ノ法印はいつ死んだのか、ドラマでは出てこなかっ
73日曜8時の名無しさん:2013/02/24(日) 12:34:08.05 ID:/4VbDsrB
大塔宮の失脚の際とか?
74日曜8時の名無しさん:2013/02/24(日) 14:44:50.58 ID:IBHe3rJk
>>71 あのとき扇に書いた歌が、いてまえ北条、という決起の檄じゃなかったのかな。
75日曜8時の名無しさん:2013/02/24(日) 16:41:01.82 ID:LcpFP9pU
>>58
ヒストリアがスイーツ臭で苦手なのは同感
ただ天璋院も直江も八重もこの時間枠で喧伝して大河になってるし
地上波とBSとではNHK内での存在価値で差がありそうな気がする
南北朝諸将の扱いが現時点で立花ァ千代より悪いと思うとやるせない
その内やるかもしれないけど
76日曜8時の名無しさん:2013/02/24(日) 16:49:29.23 ID:5IM0R9tD
俺もヒストリアきついから
NHKのBS歴史館、BS-TBSのライバルたちの光芒、謎解き江戸のススメを見てる
77日曜8時の名無しさん:2013/02/25(月) 21:03:35.48 ID:xCdrx3gD
とにかく漫画みたいな挿し絵を出すのはやめてくれ!白けるから
ライバルたちの光芒とか演出がくどいけど民放でもあんなにクオリティーが高く制作できるのはすごい
NHKもライバル日本史までいかなくてもその時!歴史は動いたぐらいの番組を作れよ
78日曜8時の名無しさん:2013/02/25(月) 21:40:11.86 ID:ghzqYj/m
『その時歴史が動いた』も初期の頃と比べて最後のほうは、
だんだんクオリティが落ちていった印象がある。
79日曜8時の名無しさん:2013/02/25(月) 23:12:14.37 ID:7znaB6c/
そこで歴史への招待ですよ。
80日曜8時の名無しさん:2013/02/26(火) 01:21:49.48 ID:8qby9FTx
ああいう歴史教養番組って、ある程度歴史に興味関心がある(必然的に多少の知識もある)人が、
常識的に主要な視聴層になるはずなのだと思うけど、
ヒストリアは完全に知識ゼロの人を主要な視聴者として想定しているような作りなんだよな。
81日曜8時の名無しさん:2013/02/26(火) 10:15:21.37 ID:S3pJotRG
北条時宗(ときむね)では日蓮が存在感があったど、太平記の始め頃に出た
時宗(じしゅう)の坊主親玉も意味ありげだった。長崎の行列の武士に
斬りかかった高氏もよかったが、その事件が縁で以後時宗坊主と高氏の交流
が始まると思ったのにそれっきりだった。
82日曜8時の名無しさん:2013/02/26(火) 12:26:07.53 ID:8qby9FTx
まあ尊氏と交流がある僧侶といえば普通は夢想素石(臨済宗)だからな。

時宗に関しては、単に鎌倉新仏教の中でも一番弾圧されやすかった宗派だから、
ああいう演出に使われたのだと思う。
83日曜8時の名無しさん:2013/02/27(水) 09:36:06.07 ID:CTOX4ew8
そうえいば天竜寺船のネタが抜けてかな。
あの坊主、後に高氏が京都へ出兵する時、見送り群衆の中にも居てた。
84日曜8時の名無しさん:2013/02/27(水) 16:30:48.93 ID:UqtEh4Zi
>>59
東山が北山殿をやるってネタは当時でてた?
85日曜8時の名無しさん:2013/02/27(水) 17:14:29.51 ID:uh7fDAkj
東山が北山?
86日曜8時の名無しさん:2013/02/28(木) 07:24:48.97 ID:kl4icjDc
>>83
夢想疎石って北条高時とも交流あったみたいだし、鎌倉滅亡前は関東にいたとか?
87日曜8時の名無しさん:2013/02/28(木) 11:04:10.85 ID:jM+TKWYT
ちょうど幕府滅亡前後に鎌倉にいた
夢窓疎石が臨済禅学んだのはほとんど鎌倉だから
鎌倉には当時から禅寺が多く、著名だった禅僧(大陸から渡ってきた僧もいた)
が京都以上にいたので

血筋上も北条一族に連なっているという説もある
88日曜8時の名無しさん:2013/02/28(木) 12:56:21.35 ID:leS7W9tN
最近はツタヤとかDVD1枚1週間で100円
89日曜8時の名無しさん:2013/03/01(金) 00:58:29.64 ID:xzcEhcfu
うちの近所のゲオなら一週間70円でレンタルできるので一気に七巻(27話「公家か武家か」)まで観てしまいました、新参者です。

南北朝の動乱が長期化した原因は後醍醐のワガママと尊氏の優柔不断だと言われているらしいですが
後醍醐(片岡孝夫)尊氏(真田広之)というのは、かなりのはまり役ですね。
片岡さんは忠臣を労う時や新政の理想を語る時の優しい微笑みと、護良親王を叱るときの「もりよしぃぃぃー!」の厳しさ、激しさや所作、振る舞いが実に後醍醐らしくて良いですね。
真田広之はドラマ「高校教師」でも二者の間で揺れ動き悩む色男を演じると絵になる人だったし、この人しかいないわというくらい適役ですね。
あとは楠木・武田が案外良かった、いや、かなり良いかも。高時の鶴太郎も東勝寺での自刃のあたりは良かったなあ。
堤・護良親王の血気盛んな血走ったところとか、柄本・高師直の淡々と飄々としながら核心をつくところとかも良い感じですね。

尊氏決起、鎌倉炎上から建武新政の矛盾が吹き出すあたりまでの展開に痺れてる最中なんですが
もう全話49話の半分以上も進んでしまったんですね。
まだまだこれからが面白くなってくる所なので、あと50話くらい観たい心境です。(ちょうどさっき観た27話「公家か武家か」が女優陣の出番を確保するホームドラマ回だったから一層)
佐藤進一「南北朝の動乱」新田一郎「太平記の時代」を片手に史実や歴史的意義を参照しながら観ております。

以上、新参者ゆえにとりとめのない長文を初投稿してしまいました、誠に失礼つかまつりました。
90日曜8時の名無しさん:2013/03/01(金) 08:03:55.35 ID:I4Baaqkw
尊氏のキャラ設定はそれほど評価しないな。
真田のあて書き、大河太平記の主人公としてはこれでいいけど、
性格が直義と足して二で割ったような変な感じになってる。

俺は前半より後半のほうが面白かったから、
逆に後半つまらないと感じるんじゃないかと心配。
91日曜8時の名無しさん:2013/03/01(金) 09:15:58.17 ID:Xwdxc4ll
殿ノ法印の方がモンガンより格上だったんだな。
宮さんから矢を射かけられる回、若頭と三下くらいの態度差がある。
92日曜8時の名無しさん:2013/03/01(金) 19:56:33.94 ID:Td8S7xYw
自分も何度も観た記憶をクリアにして
初見状態で見返したい
よくよく考えたら最低5週はしてるもんなぁ・・・
93日曜8時の名無しさん:2013/03/02(土) 03:46:27.74 ID:4KuM1AgC
筑紫落ちが省略されてて泣いた…
94日曜8時の名無しさん:2013/03/02(土) 14:39:20.73 ID:NXW/Vvll
>>83
北条時輔の差し金に違いない
95日曜8時の名無しさん:2013/03/02(土) 15:58:27.94 ID:nTZ6+I2x
>>87
北条政村の外孫らしいね。
男系は佐々木六角氏の流れみたいだけど。
96日曜8時の名無しさん:2013/03/02(土) 21:15:15.70 ID:ABTw68Z1
ここでは陣内の判官役に結構好意的な意見が多いように思うけど
俺はちょっとイマイチだったな
「陣内孝則」が立ちすぎてるというか
道誉というより画面にいるのは陣内なんだよなぁ
97日曜8時の名無しさん:2013/03/02(土) 23:19:33.34 ID:0DubTKdP
>>90
尊氏=優柔不断だけど戦上手
直義=真面目、几帳面、策士
で合ってますかね
南北朝の動乱の複雑な史実や人間模様に興味を持って大河「太平記」を見だしたので
むしろ後半の展開に興味があります(後半は主要人物が次々に退場していくのは少し淋しいですが)

>>96
陣内さんの佐々木道誉は正に陣内孝則そのままですが割と好きですね、出てくるとワクワクします
まあ真田・尊氏もドラマ高校教師とかの「真田広之」そのままですが

太平記好きの友人は武田鉄矢の楠木正成が違和感あったと言ってますが皆さんはどうですか?
古典太平記、私本太平記どころか南北朝の史実にも疎かった自分には
武田・正成は普段の農民風情や実は戦が好きではないという設定と、忠臣・策士正成のギャップの演じ分けが良いなと思ってしまいましたが
98日曜8時の名無しさん:2013/03/02(土) 23:35:58.07 ID:1VHlhyUm
道誉は素の陣内の胡散臭さが上手くマッチしていたと思う
初見の時は殆ど歴史知識無しで見ていたこともあって、「絶対こいついつか裏切る」と思って見てた
でも最初から知識アリで見てると道誉じゃなくて陣内孝則を見ている気分にさせられるのは確かだなw
99日曜8時の名無しさん:2013/03/02(土) 23:42:10.06 ID:hYGo/A6Z
学研漫画の人物日本史 足利尊氏
あれに出てきた楠木さんは、結構男前だったような・・・
だから武田さんには違和感あったな
もう慣れたけど

弟の登場は・・・
100日曜8時の名無しさん:2013/03/03(日) 12:50:56.19 ID:AZ4fKpjO
道誉はあれでよかったと思うよ。
バサラ大名でもあり一流の文化人でもある感じがよく出ていた。
101ブルックナー:2013/03/03(日) 16:04:24.43 ID:J5LbVxbS
太平記も良かったし、花の乱も良かったので、
次は、天皇になり損なった足利義満か、赤松に
殺されて戦国時代を招いてしまった足利義教
で、大河ドラマを期待しております。
102日曜8時の名無しさん:2013/03/03(日) 16:07:35.17 ID:XeqEs80J
ネトウヨ怒りの抗議デモwww
103日曜8時の名無しさん:2013/03/03(日) 16:08:41.11 ID:/0CuOT6h
義満はいつか大河で見たいな
幼少の頃からだと当然道誉も出てくるだろうし
104日曜8時の名無しさん:2013/03/03(日) 19:57:55.84 ID:MCbGWhWl
一休さんでよくね?ラストは熊沢天皇につながって終わり。それかファンタジー全開で弾正と果心居士とか。
105日曜8時の名無しさん:2013/03/03(日) 21:22:04.24 ID:33RsxeQg
義満(片岡鶴太郎)一休さん(えなりかずき)新右衛門さん(高嶋政伸か石原良純)で
大河「一休さん」が見たい
106日曜8時の名無しさん:2013/03/04(月) 10:34:49.34 ID:s8e40A9B
葵三代があるなら
桐三代で尊氏、義詮、義満も大河でやってほしい。
それか、義持を主人公にして義満を悪役として描いてもいい。
107日曜8時の名無しさん:2013/03/04(月) 16:01:03.89 ID:XD2nWcIb
義満-道誉、家光-政宗みたいな関係か?
108日曜8時の名無しさん:2013/03/05(火) 20:12:51.38 ID:LYksKWuS
>>101
>天皇になり損なった足利義満
それは一昔前に一時的に流行ったトンデモ説だよ・・・。
あまり真に受けないほうがいい。

>赤松に殺されて戦国時代を招いてしまった足利義教
義教の死と戦国時代の開始を直接的に結びつけるのも話に飛躍がありすぎる
109日曜8時の名無しさん:2013/03/05(火) 20:14:44.35 ID:LYksKWuS
>>107
ただ年齢を考えると、道誉と義満は祖父と孫くらいの年齢差があるけど、
政宗と家光は親子くらいなんだよな
110日曜8時の名無しさん:2013/03/06(水) 15:58:16.05 ID:+tyt9Eif
ましらの石は突然いなくなっちゃったけどどうなったのかな?
111日曜8時の名無しさん:2013/03/06(水) 20:51:16.28 ID:aEklIM7s
>>110
きちんと説明欲しかったよね。あんだけストーリーに絡ませてたのに突然消えるって酷い。てっきり直冬方とかについて最後出てくるもんだと思ってたw
112日曜8時の名無しさん:2013/03/07(木) 00:52:29.61 ID:Sm3C9cat
足利義満は、もうすぐ息子を天皇に、という直前に、
貴族の手によって毒殺されました。
足利義教は、もうすぐ、独裁体制を確立して、
平和で安定した日本を確立する直前に赤松に殺されてしまいました。
113日曜8時の名無しさん:2013/03/07(木) 11:04:36.40 ID:XA2R9jWB
どっちも絶妙(?)のタイミングで死んでるからな
史実としてはトンデモ呼ばわりされるのはまあ仕方がないけど、ドラマの素材としてはこれほど美味しいネタはなかなかないと思うw
114日曜8時の名無しさん:2013/03/08(金) 00:46:59.57 ID:5GefXxfR
織田信長は、足利義教の真似をして、結局、失敗しました。
115日曜8時の名無しさん:2013/03/08(金) 18:01:11.23 ID:RKpG3v7J
義満が天皇になろうとした直前に殺されたというのがトンデモなのか信憑性があるのかはさておき
鎌倉幕府、室町幕府、信長、秀吉、江戸幕府と武家が日本国の実権を握り続けていたのに
一度も帝位を奪えなかった(奪わなかった)というのは日本史を貫く大きな謎ですよね
外国人からは理解できないくらい不思議なことだと思う

皇室の中でも突然変異的な独裁者であろうとした後醍醐の建武新政が
あっけなく崩壊するのを観ると、やっぱり日本というのは実質上の権力と名目上の権威を分けないと統治できない国なんだなと思う

しかし、片岡さんの演じる後醍醐は良いですね
自分は日本史の登場人物では後醍醐はかなり嫌いな部類だったんですけど
片岡さん演ずる後醍醐にあの微笑みで「た・の・む・ぞっ」となんて言われたら、
命をかけても帝のためにと戦った人の気持ちも少しだけ分かったような気分になったw
まあ、怒るときの片岡・後醍醐の迫力と威厳も凄いけど(護良を諌めるときの「もりよしぃぃぃ!」の一喝と、尊氏との対面の場面は痺れた)
116日曜8時の名無しさん:2013/03/08(金) 21:22:17.76 ID:HgtZY+5f
今の乱れをなんとする?

顕家の舞をほめて「かずけ取らせる」・顕家が「ははあ」と恐れ入る(でもあんな布きれ要らん)

何故わびぬ? バッキー と笏を叩き割る場面。
117日曜8時の名無しさん:2013/03/09(土) 02:20:20.31 ID:5dW0o+Mq
>>115
>一度も帝位を奪えなかった(奪わなかった)というのは日本史を貫く大きな謎ですよね

神道の本尊だからでしょうな
宗教と結びついているから滅ぼせなかった。
万世一系も宗教の一部と見れば崩しようがない
外国もローマ教皇庁から統治権は奪っても滅ぼしてはいないし。
118日曜8時の名無しさん:2013/03/09(土) 02:31:42.94 ID:TQEkhha6
天皇家を滅ぼすと、物凄い悪霊となって、災いをもたらすので、
源頼朝も、執権の北条氏も足利尊氏も、徳川家康も、
そこには踏み込めませんでした。
そのタブーに挑戦しようとした
足利義満は毒殺され、
織田信長も殺られてしまいました。
119日曜8時の名無しさん:2013/03/09(土) 09:07:29.09 ID:FaikRDCy
一応承久の乱はあった
120日曜8時の名無しさん:2013/03/09(土) 10:27:26.88 ID:XcVmvycG
後醍醐天皇は美化されすぎだろ。史実は絶対違うと思うな。後白河法皇なみのくせ者だと思う
121日曜8時の名無しさん:2013/03/09(土) 10:47:05.96 ID:1/Jt99jS
建武の親政といえば有名な二条河原の落書にみられるように
その後醍醐天皇の無能ぶり批判されてるね
122日曜8時の名無しさん:2013/03/09(土) 11:01:57.47 ID:AtEm2QR2
>>117
日本神道はホントに奥が深いですね本地垂迹説で一度仏教に乗っ取られながらも生きながらえ
第二次大戦後にも日本人の日常的な信仰として生き残っている
日本が仏教国なのかと言えばそうでもないし、素朴なアニミズム信仰をこんな形で21世紀まで持ってるのはある意味凄いんだなと
日本の神仏習合の天皇と一神教のローマ教皇との比較は興味深いですが、いろいろ調べてるとどうも微妙に違うらしいですが
仏教勢力が全盛だった中世に皇室が仏教のパトロンになった事情も大きいんですかね

>>118
天皇家って承久の乱以降、特に江戸幕府以降は貧しく情けないくらい弱体化してたので(それでも桂離宮や修学院離宮とか建てていい暮らししてたみたいだけど)
武家政権にとっては生かそうが殺そうがどうでもいい存在だったんでしょうかね
師直が「奉るだけなら木の帝でもなんでもいい」と言ったように

>>119
承久の乱も鳥羽上皇は流罪になりましたが朝廷勢力は鳥羽側にはあんまりつかず鳥羽は切られたトカゲの尻尾になってたみたいですね
そして鎌倉幕府もあくまでも東国に立脚した政権にとどまってますものね
だから今更ですが私は尊氏や後醍醐や義満の歴史的意義に興味を持って太平記を観だしたってとこです

>>120
逆に言うと後醍醐以外に無理やりにでも美化できる人材がいなかったんでしょうね
白河、後白河、後鳥羽なんか美化しようにも無理ありまくりだし
後醍醐はある意味で後白河以上の曲者じゃないでしょうか、後白河は結構したたかですし

史実の後醍醐と美化されまくった後醍醐のギャップには興味がありますね
後醍醐は好き嫌いは別にして、あんなに自我剥きだしの人間的な天皇は他にいないんじゃないですかね
片岡・後醍醐も「朕はただの人間じゃ」と言ってましたがw

最近急に日本中世史に興味を持ち出したニワカなもので、長々と失礼しました
123日曜8時の名無しさん:2013/03/09(土) 11:03:03.91 ID:UmtnJK+N
後醍醐天皇のエゴが南北朝の動乱を招きました。
足利尊氏の優しさが平和の到来を遅らせました。
足利尊氏は、友人としては最高ですが、
ビスマルクのような外交手腕が不足していたようです。
124日曜8時の名無しさん:2013/03/09(土) 11:12:40.92 ID:AtEm2QR2
>>117
追記
ローマ教皇は明らかな宗教的権威だけど天皇は宗教的権威かといえばそれだけでもないし
何の権威かと言われればよくわからない・・・というように書いてた本がありました
まあ日本の宗教的権威って今でもどこに所在するのか日本人にもわからないような国ですからね(八百万箇所ですかね?)
125日曜8時の名無しさん:2013/03/09(土) 15:11:32.40 ID:CqgUQWce
足利尊氏は、気前がいいですね。財宝や土地等、どんどん周りに
プレゼントしてしまうし、
敵対しそうな人間にも優しく接しているのに
何度も裏切られるし、あの時代、優しい人間は、
損をしますね。
126日曜8時の名無しさん:2013/03/09(土) 16:29:25.28 ID:uZVVfnOf
>>115>>119
承久の乱は武家政権(幕府)が公家政権(朝廷)を軍事的には圧倒した
わけだけど、でもそれによって朝廷を完全に排除してやっていくだけの
統治機構や全国政権としてのノウハウが確立されたわけではないし。

あとは、朝廷を完全に廃絶するにはそれなりの論理武装も必要。
中国のように古い時代から易姓革命みたいな概念が定着していた国なら、
それで十分だったかもしれないけど、日本の場合、そうはいかない。
127日曜8時の名無しさん:2013/03/09(土) 16:34:59.01 ID:uZVVfnOf
ただ中国のように政権が変わると前王朝の血筋の者を根絶やしにしてしまう
国のほうが世界史的には異常にも思えるな。

ヨーロッパの王家なんかは、便宜的な王朝名は変わっても前王朝と新王朝が
血縁的に全く関係ないということは稀だし。

例えばフランスは、ユーグ=カペーからルイ16世まで基本的に同一家系の
男系による継承のみで繋がっている。
イギリスも(ここは女系による継承OKだが)、イングランドの七王国を
統一したエグバートから現女王のエリザベス2世まで血は繋がる。
128日曜8時の名無しさん:2013/03/09(土) 18:25:19.01 ID:D5elvfcb
>>120>>122
後白河って全然くせ者でもしたたかでもないと思うぞ。
この人は、政治的にはほとんど無能で軽薄な遊び人タイプというのが、
現在では一般的な評価だし。

何か理念とか定見があるわけでもなく、基本的にはその場その場で周囲に
寄ってくる人々によって流されているだけ。
ただ、周囲に流されて予測不能な行き当たりばったりの滅茶苦茶なことを
してくれるから、公家たちからも清盛や頼朝からも散々に言われてしまう。

ときの政権担当者を困らせはするけど、政治的な駆け引きとか謀略とかに
長けた人物では全くないだろう。
129日曜8時の名無しさん:2013/03/09(土) 19:57:19.51 ID:ZNSSCci3
いわゆるルーピーのことですね、わかります
130日曜8時の名無しさん:2013/03/09(土) 22:16:07.03 ID:5I+du6/c
>>128
理念に凝り固まって最後まで貫いた後醍醐が吉野で無念の最期をとげて
清盛らから無能と蔑まれた後白河がそれなりに頼朝たちをも翻弄していくんだから
中身はともかく後白河のほうが結果は残した(武士に対抗できた)とも言えるのかも
後醍醐の時代の方が武家の勢力は強力になっていたから単純には比較できないが
131日曜8時の名無しさん:2013/03/09(土) 23:41:51.93 ID:6kC9U425
後白河なんて二条が長生きしてたら何もできなく終わってただろ
後醍醐と比べるのもどうかと思うが
132日曜8時の名無しさん:2013/03/10(日) 01:49:57.92 ID:B/XwzSfz

■パチンコと東電と生フェラ口内射精売春の「日本うんこ地獄」で生活する発達障害者(チビ、ブサ、異性にもてない)♪♪♪
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http:/★/www.youtube.com/watch?v=DvqInwWbrJE
133日曜8時の名無しさん:2013/03/10(日) 01:56:43.35 ID:EzTGWxYR
義教肖像が、信長そっくりで笑った。

目がいってる。
134日曜8時の名無しさん:2013/03/10(日) 04:02:21.57 ID:rg+fJuot
>>130
後白河が治天の君でなければ、平治の乱は発生しなかった。
平治の乱がなければ、平氏の急速な台頭・繁栄はなかった。
平氏の台頭・繁栄がなければ、その後の平氏政権打倒&鎌倉幕府創設もなかった。

結局、政権を担えるまでに武士を成長させてしまったのも後白河という側面があるわけで・・・。
135日曜8時の名無しさん:2013/03/10(日) 07:37:03.35 ID:DjTw9njb
尊氏は知れば知るほど残念な人物だな。室町幕府には天下国家百年の計が見当たらねぇ。当時の一般庶民たちはたまったもんじゃねぇだろうな。この時代と昭和の戦争時代だけには生まれたくないわ…
136日曜8時の名無しさん:2013/03/10(日) 10:49:51.30 ID:IdU5Snph
足利尊氏は、友人としては、最高ですよね。
137日曜8時の名無しさん:2013/03/10(日) 11:22:02.59 ID:cEZrOf/B
過去ドラスレ上げんなよ。
138日曜8時の名無しさん:2013/03/10(日) 11:36:14.88 ID:lYJqMtp6
現行作品が不作だから仕方ない
139日曜8時の名無しさん:2013/03/10(日) 16:51:25.25 ID:NyPZXpgB
>>135-136
『逆説の日本史』か何かの受け売りですか?
140日曜8時の名無しさん:2013/03/10(日) 17:35:54.52 ID:cEZrOf/B
過去ドラスレ上げんな。
141日曜8時の名無しさん:2013/03/10(日) 18:18:42.96 ID:oxyVFr0b
>>136
兄としては、どうなんだろう?
142日曜8時の名無しさん:2013/03/10(日) 21:59:17.28 ID:YDbMg9Td
源頼朝のように、早めに冷酷に、足利尊氏も、弟に見切りを付けておれば、
戦乱を泥沼化させずに済んだでしょう。
143日曜8時の名無しさん:2013/03/10(日) 22:14:41.41 ID:1TFjsYZz
守護大名が親族連合だから弟排除しても利益代表みたいな輩が
出てきたんじゃないかな?
使えるのが佐々木、赤松、親族でも遠縁の細川あたりだったし
144日曜8時の名無しさん:2013/03/10(日) 22:37:48.44 ID:oxyVFr0b
鎌倉好きなので、どうしても直義に肩入れしてしまう
まあ京都で幕府を開くほうが歴史の流れだったんだろうけど
145日曜8時の名無しさん:2013/03/10(日) 22:49:53.97 ID:XLTd0NO7
5年前の自分だったら確実に直義派なんだが、
最近になって尊氏に共鳴する感情が芽生えてきた…
実際どっちに肩入れするか難しいよな
146日曜8時の名無しさん:2013/03/10(日) 23:28:23.61 ID:9eqpRxiQ
>>145
おまいは細川顕氏か
147日曜8時の名無しさん:2013/03/11(月) 02:09:57.01 ID:X6AEqhj9
歴史への招待です
148日曜8時の名無しさん:2013/03/11(月) 02:11:43.17 ID:X6AEqhj9
?薄学じみた政治を行い他に誰ぞやいなかったのかと疑問だらけ
代表でビスマルク崇拝で多々エーロッパ猿真似権化発祥だ
149日曜8時の名無しさん:2013/03/11(月) 13:33:09.48 ID:1S6X8JZJ
こんな大乱起こすくらいなら北条の時代が良かったわ。
150日曜8時の名無しさん:2013/03/11(月) 18:01:37.41 ID:K3sWpU5O
元寇さえなけりゃ鎌倉幕府の滅亡はもう少し後になっていたでしょうね
そうなると日本史上でも稀有な独裁天皇である後醍醐帝の時代ともずれてただろうし

しかし南北朝の動乱期に強力な外敵に攻めて来られてたら・・・と思うとゾッとする
151日曜8時の名無しさん:2013/03/11(月) 18:21:24.23 ID:7NY3hQkD
ちょうど元の衰退期と重なったのはラッキーだったかもね
152日曜8時の名無しさん:2013/03/11(月) 22:08:17.87 ID:GJ80l/ia
南北朝、応仁の戦乱がなければまだ荘園社会が長引いただろうから、
貴族寺社勢力強固なまま残っただろうね
153日曜8時の名無しさん:2013/03/11(月) 22:43:18.65 ID:z2eoWQle
>>146
細川顕氏ねぇ…なかなか楽しそうだな。
この時代は素敵な生き方をした人が多くて魅力的だ。
154日曜8時の名無しさん:2013/03/11(月) 22:59:46.48 ID:JHSvtimp
足利尊氏の子孫の方々は、よく親族同士で争いますね。
徳川家康は、足利家の失敗に良く学んで
見事に太平の世の中を作り上げました。
155日曜8時の名無しさん:2013/03/11(月) 23:03:15.01 ID:FigjVaps
>>154
それは足利が河内源氏直系で、
徳川が源氏となんの関係もない
何よりの証拠だな。
156日曜8時の名無しさん:2013/03/12(火) 00:20:28.24 ID:3ilHFlXA
徳川も幕末には尾張と福井が新政府に寝返ったから、なんともいえない
最後まで忠義を尽くしたのは津山だった
157日曜8時の名無しさん:2013/03/12(火) 09:52:49.44 ID:5FBWW3/u
それから弾左衛門
158日曜8時の名無しさん:2013/03/12(火) 11:11:10.48 ID:diVNyOZX
>>151
元は第三回の日本攻撃を計画してたらしいからなあ
それがあったらどうなってたかはわからんよな
第三回総攻撃がなかったおかげで日本では北条一族最大の繁栄期を迎えることになるけど
そこから急転直下幕府があっというまに滅びるんだから歴史は一寸先は闇
159日曜8時の名無しさん:2013/03/12(火) 15:26:38.43 ID:prK1wnCd
日本も元も戦争の結果領土を得られなかったのが、動員された兵士の不満につながり内乱となった
高麗も滅びる
明国の勃興がなければ足利義満もなかったかもしれない
160日曜8時の名無しさん:2013/03/12(火) 17:15:13.38 ID:kW69cPds
>>158
そういえば第3回に備えて、日本のほうから敵地を先制攻撃するような案も
あったらしいね。

しかし得宗専制と北条一族の幕府要職や各国守護職独占に対する反発が
鎌倉幕府滅亡の大きな原動力になったのに、結局のところ室町幕府も
北条一族が足利一族に置き換わっただけで、実態は変わらないのが
皮肉だね。
161日曜8時の名無しさん:2013/03/12(火) 17:59:09.49 ID:UIM9RwCS
尊氏が京都ではなく引き続き鎌倉に武家政権を打ち立てていたら
現在の教科書にはこれも鎌倉幕府と記されていたかな?
162日曜8時の名無しさん:2013/03/12(火) 18:21:46.90 ID:3kpD1QwQ
>>161
「足利幕府」だな、たぶん
163日曜8時の名無しさん:2013/03/12(火) 21:35:33.80 ID:5zKXUcrY
幕府名は足利幕府だろうけど時代名は後期鎌倉時代かも
164日曜8時の名無しさん:2013/03/12(火) 22:00:05.95 ID:diVNyOZX
前漢後漢みたいなもんか
165日曜8時の名無しさん:2013/03/12(火) 22:53:48.68 ID:n1xFcGVK
足利尊氏さんが気前が良過ぎて、結局、守護大名の力が強過ぎ、
足利義満さんも足利義教さんも完全には、統制しきれませんでしたね。
徳川家康さんは、その教訓を見事に活かし、
大名の統制に成功しました。
徳川家康さんは、よく歴史を勉強しています。
166日曜8時の名無しさん:2013/03/12(火) 23:15:12.12 ID:diVNyOZX
やっぱ家康ってすげーんじゃねーの、とこのスレで書いたら
やたら荒れる結果となったことを思い出します
167日曜8時の名無しさん:2013/03/12(火) 23:18:53.63 ID:Qldy10vW
秀吉も親族を大名化させて独立されたのは似たようなもんだな
やはり頼りになるのは親戚兄弟より、お友達(佐々木)だな
168日曜8時の名無しさん:2013/03/13(水) 01:57:55.34 ID:ag9Z6lWb
家康の愛読書は吾妻鏡と貞観政要だからな
169日曜8時の名無しさん:2013/03/14(木) 01:40:18.67 ID:AEp6khDx
太平記スレなのに家康age、尊氏sage。尊氏の良いとこも見つけあげようぜ。

え〜と………源氏の棟梁かな…ハハ
170日曜8時の名無しさん:2013/03/14(木) 02:10:40.58 ID:/FWv14TM
後醍醐天皇を弔うために天龍寺を建ててあげた
天龍寺は家康ゆかりの日光東照宮よりずっと早く世界遺産に登録された
頼朝がひらいた鎌倉はまだ世界遺産に登録されていない
安土城や大阪城なんかは世界遺産の暫定リストにも入っていない
つまり

世界の尊氏>>>家康>>>>>>>>頼朝>>>>>>>>>>信長・秀吉
171日曜8時の名無しさん:2013/03/14(木) 12:38:06.94 ID:65Zy5w+f
>尊氏の良いとこも見つけあげようぜ。

天龍寺船で明と交易始めたことかな
領地が少なくて苦肉の策だろうけど、後の勘合貿易と貨幣経済発展
の足がかりになった
これは京都に幕府を開いたおかげだと思う
三河の田舎将軍はそこも見習うべきだった
172日曜8時の名無しさん:2013/03/14(木) 14:14:06.34 ID:jnBbGCwl
家康にとって気前の良すぎる尊氏は反面教師だからそれは難しいな
尊氏が本格的に悪人扱いされ始めたのは江戸時代からだし
173日曜8時の名無しさん:2013/03/14(木) 14:49:11.32 ID:S7cSoMA7
そうなの?
てっきり明治以降だと思ってた
まあ崇め奉る必要は無いにせよ一応表向きは徳川将軍家と同じ源氏の将軍家なんだし、悪人扱いじゃ色々矛盾も出てきちゃうような
174日曜8時の名無しさん:2013/03/14(木) 22:30:39.85 ID:0PAWbsKq
>>172-173
水戸光圀に始まる水戸学の影響。
徳川氏は新田家家臣得川氏の末裔である、と僭称したから
新田氏のライバルである足利氏のことは低評価。
もちろん南朝正統論。
175日曜8時の名無しさん:2013/03/15(金) 00:08:04.68 ID:ZcIWJjcW
そういえば里見八犬伝でも「元はどちらも同じ南朝方…」みたいなこと言って仲良くしてる場面があったな
176日曜8時の名無しさん:2013/03/15(金) 03:46:42.80 ID:rCrygojU
初期の室町幕府の場合、南朝との戦争が延々継続している状態であることを
考えれば、とにかく気前よく餌をぶら下げて、誰でもいいから少しでも
味方を増やさなければならないという事情があったわけで。

一方、江戸幕府の場合、全国統一や大名統制の原型は豊臣政権が作り上げた
ものを基本的にそのまま引き継げばよいだけだし、しかも政権発足前夜に
関ヶ原の戦後処理によって生まれた200万石以上の没収地という資産を
もとに、大名配置や直轄領の設定がかなり効率的に行うことが可能だった。
177日曜8時の名無しさん:2013/03/15(金) 03:47:52.14 ID:rCrygojU
>>172-174
水戸学がその後の尊王論や明治維新の成立に思想的に大きく影響したのは
事実だが、江戸時代段階では幕府も朝廷も公式には北朝正統という
スタンスだったはず。
当時の天皇は北朝の子孫だし、江戸幕府も室町幕府の後継政権としての
武家政権という体裁をとる以上、室町幕府の否定に繋がる南朝正統論は
江戸幕府自身の正統性をも揺るがしかねないからね。
178日曜8時の名無しさん:2013/03/15(金) 11:08:49.88 ID:Hht7BiTC
そもそも徳川幕府が足利幕府を否定していたのなら足利三代木像梟首事件とか大した騒ぎになってないだろ
179日曜8時の名無しさん:2013/03/15(金) 13:52:38.17 ID:cBRD/Cpc
後醍醐をなんとかかんとか正当化しようとしたけど、どうにもならなかったドラマ。
でも、ドラマのつくりや役者の力量は、近年のクズドラマの比ではない。
180日曜8時の名無しさん:2013/03/15(金) 16:43:38.55 ID:ZcIWJjcW
おまえはこのドラマの何を見てたんだ
181日曜8時の名無しさん:2013/03/16(土) 00:32:52.48 ID:O+mvunb0
宮沢りえの藤夜叉カワイイな
182日曜8時の名無しさん:2013/03/16(土) 01:46:33.83 ID:31x2/UU0
秀吉の透け乳も良かったが、大河で生乳が出てくる演出は斬新だったな
183日曜8時の名無しさん:2013/03/17(日) 11:23:19.50 ID:8nT7QAKy
生乳だけど、あの巫女は貧乳だった。
184日曜8時の名無しさん:2013/03/17(日) 22:44:52.97 ID:dVXDDU/a
>>166
まあ江戸幕府の組織がしっかり固まったのは、家光〜綱吉くらいの時期で、
正直家康は単に初代将軍だというだけなのが実態だし。

江戸幕府も家康・秀忠くらいの段階だと、それまでの中世的な武家政権の
延長という雰囲気のほうが強い。
185日曜8時の名無しさん:2013/03/18(月) 09:54:07.09 ID:bXCbff69
ゲバ将軍
186日曜8時の名無しさん:2013/03/18(月) 11:10:53.91 ID:8gEKbt/f
>>164
後醍醐帝的には自分が光武帝で鎌倉が新のつもりだったんだがな
まさか自分が新になるとは
昨今の国会もそんな感じだったが
187日曜8時の名無しさん:2013/03/18(月) 11:27:59.74 ID:8gEKbt/f
それにしても直冬は結局どうなったんだろね
世捨て人にでもなったんやろか
例え本家倒してもまともに政権運営出来たとは思えないが
188日曜8時の名無しさん:2013/03/18(月) 13:34:45.68 ID:70PyXOSB
>世捨て人にでもなったんやろか

そんなとこまで父親似なんだな
直冬の子供は神輿にされたり殺されてたりしてるようだけど、
189日曜8時の名無しさん:2013/03/18(月) 14:50:52.35 ID:+JfTnG+O
この時代ならではの社会状況が尊氏には幸運をもたらした
190日曜8時の名無しさん:2013/03/18(月) 21:47:13.50 ID:pX4FIsIo
尊氏って野心家なのか欲がない人なのかホントによく分からない人ですね
後醍醐に寝返る絶好の機会を逃さなかったことや、後醍醐から離反するときの周到さは野心満々なのに
気前が良すぎたり、突然出家すると言って浄光明寺でウジウジしてたり
191日曜8時の名無しさん:2013/03/18(月) 22:12:43.46 ID:70PyXOSB
いいとこのおぼっちゃんだから、俺が源氏の棟梁=将軍だ
という意識はあったんだろうけど、将軍
192日曜8時の名無しさん:2013/03/18(月) 22:16:15.39 ID:70PyXOSB
途中で切れちゃった
将軍になった時点で満足したということでしょうな
193日曜8時の名無しさん:2013/03/18(月) 23:45:28.13 ID:VuIiHIRA
>>190
尊氏本人にしてみれば、建武政権離脱から室町幕府樹立へと至るの流れは、
正直いって成り行き上、結果的にそうなった面が強いのではないか?

>>192
南北朝の問題がある以上、満足なんてしていられる状況じゃないし、
尊氏って別に征夷大将軍就任が最終目標だったわけでもないと思うけど。
194日曜8時の名無しさん:2013/03/19(火) 00:37:37.01 ID:uZGz+gqc
>>193
尊氏の清水寺に納めた願文が
自分は隠居して、この世は義直にまかせます。義直に
私の分の果報をあげて安穏にしてあげて下さい
って内容で、

納めたのが建武3年の南北朝が始まる年だったから、
そんなに野心はなかったんじゃないかな?
本音はともかく周囲が許してくれなかったんだろうと思う
195日曜8時の名無しさん:2013/03/19(火) 01:48:03.35 ID:fp9ajV6w
直義な
196日曜8時の名無しさん:2013/03/19(火) 02:13:30.07 ID:7cAFJrpi
この世ハ夢のことくに候、尊氏にたう心たハせ給候て、後生たすけさせをハ
しまし候へく候、猶々とくとんせいしたく候、たう心たハせ給候へく候、今
生のくわほうにかへて、後生たすけさせ給候へく候、今生のくわほうをハ直
義にたハせ給候て、直義あんをんにまもらせ給候へく候、
    建武三年八月十七日      尊氏(花押)
     清水寺
197日曜8時の名無しさん:2013/03/19(火) 02:20:25.69 ID:7cAFJrpi
 ↑
これが例の願文ね。
しかし尊氏の直筆の文書は、仮名だらけだし、表現も同じようなフレーズの
繰り返しが多くて、読むのが疲れる。
あんまり漢字の知識も多くなく、ボキャブラリーも大して豊富ではない人物
というのがよく分かる。
198日曜8時の名無しさん:2013/03/19(火) 11:51:06.18 ID:hgvxKhaI
例え本家倒してもまともに政権運営出来たとは思えないが
199日曜8時の名無しさん:2013/03/19(火) 15:59:22.96 ID:oP7CaIKs
 
3月18日〜3月21日の「ラジオバイオグラフィー5冊のアルバム」のゲストは、でんでん さん
- くにまるジャパン
http://www.joqr.co.jp/japan/2013/03/post-1511.html

名脇役の でんでん さんは、ゲートボール好きのお父さんとカラオケ好きのお母さんの間で1950年に福岡で生まれました。

その頃のでんでんさんは、相撲をとったり、ちんどん屋を追いかけたりして毎日暗くなるまで遊んでいる、当時どこにでも居た子供でした。
子供の頃のでんでんさんはクレージーキャッツの物まねをやったりしていましたが、一番憧れていたのは渥美清さんだそうです。初めて渥美清さんの演技を見たときは、あまりの素晴らしさに笑うことも出来ずに見入ってしまったと、でんでんさんは話してくれました。
200日曜8時の名無しさん:2013/03/19(火) 20:54:04.20 ID:xdxs9FF4
でんでんってどこに出てたっけ?
オープニングのでんでんのインパクトしか残ってない
201日曜8時の名無しさん:2013/03/19(火) 23:02:24.85 ID:Rr4RIUIg
 
神宮寺正房だね。


---
太平記 (NHK大河ドラマ) - Wikipedia

・・・久子(正成の正室):藤真利子
楠木正行(正成の長男):北代隼人→加藤盛大→中村繁之
和田五郎(楠木正成の配下):桜金造

神宮寺正房(楠木正成の配下):でんでん
202日曜8時の名無しさん:2013/03/20(水) 01:13:22.75 ID:w2u8rWIO
二階堂どのはおつむが古いのぢゃ
203日曜8時の名無しさん:2013/03/20(水) 11:53:15.43 ID:b2GpYRaG
大河のあるべき姿を見た気がします
204日曜8時の名無しさん:2013/03/20(水) 12:04:24.51 ID:z4SdspqB
そして我が世の春を謳歌した彼らの子孫は
翌年にはパワハラ上様の癇癪によってことごとく滅ぼされるという
205日曜8時の名無しさん:2013/03/20(水) 12:17:09.51 ID:yIW1+mb6
>>204
当時のテレビガイドにまんまじゃないけど似たようなことが書いてあったな
子孫を滅ぼすじゃなくて、新しい時代がなんたらとか
206日曜8時の名無しさん:2013/03/20(水) 19:18:00.21 ID:E/CCyVac
宗教と結びついているから滅ぼせなかった
207日曜8時の名無しさん:2013/03/21(木) 04:12:53.98 ID:5UsWEWWz
太平記くらいのレベルで作られたあらゆる国の国史ドラマが見たい
208日曜8時の名無しさん:2013/03/23(土) 15:43:16.17 ID:LQUs9Ai1
なぜ朕に申し開きをせぬのじゃー!
坊門清忠ビビりすぎw
209日曜8時の名無しさん:2013/03/23(土) 17:53:51.23 ID:ySkZ0VIS
坊門って尊氏に対してもえらそうな物言いしてるけど、
官職では参議の尊氏の方が身分上じゃないの?
210日曜8時の名無しさん:2013/03/24(日) 08:21:49.83 ID:frpyT7sP
位階では尊氏のほうが下か、最低でも同格みたい(従二位)だから
家柄のよい坊門のほうがえらそうなのもおかしくないんじゃないかな

そも御家人ではない長崎親子からして足利家に対してえらそうだし
211日曜8時の名無しさん:2013/03/24(日) 08:59:36.10 ID:o0xoR9qj
まあそういうのは時代や国に関わらずよくある話だろう
王様の側近とか耳打ち係がいつの間にか一番権力持って行くっていう
側用人とか書記長とか宦官とか執事とか愛人とか
212日曜8時の名無しさん:2013/03/24(日) 21:47:10.85 ID:TzMH/QGf
>>209
両者の位階昇進の状況(公卿昇進以降)

坊門清忠
嘉暦2年(1327)7月16日、従三位
元徳元年(1329)2月12日、正三位
建武元年(1334)9月28日、従二位

足利尊氏
元弘3年(1333)8月5日、従三位
建武元年(1334)1月5日、正三位
建武2年(1335)8月30日、従二位
暦応元年(1338)8月11日、正二位
延文3年(1358)6月3日、贈従一位
213日曜8時の名無しさん:2013/03/25(月) 04:01:29.72 ID:h1TSqJ5j
1880年 楠木正成正一位
1882年 新田義貞正一位
1900年 徳川光圀正一位
1908年 北畠親房正一位
214日曜8時の名無しさん:2013/03/25(月) 10:44:58.83 ID:G12sV5rZ
敗軍の将として帰参しながらあれだけ堂々と振る舞った
215日曜8時の名無しさん:2013/03/25(月) 11:54:39.28 ID:fNs7qbuB
二階堂どのはおつむが古いのぢゃ
216日曜8時の名無しさん:2013/03/25(月) 13:18:22.91 ID:6ODlpISj
金沢殿は自害できずに、息子に刺してもらってたんだな。
「およッ」という断末魔の変な呻きは武士らしくないかな。
217日曜8時の名無しさん:2013/03/25(月) 13:56:33.73 ID:h1TSqJ5j
そして尊氏は不動の従一位
というか南朝正統論なんて自らの首を絞めかねないのになぜ持て囃されたんだろうか
天皇親政を敷きたいにしてもそれって同時に自分らを否定してるわけで
せっかく騙し討ちでも統一できた南北朝をまた復活させかねないようなことを
218日曜8時の名無しさん:2013/03/25(月) 14:21:28.44 ID:PIGsMsn1
原理主義ってのはそういうもの
219日曜8時の名無しさん:2013/03/25(月) 16:26:02.95 ID:gGiLFnUU
「毛利元就」(1997年)を見てみたら
陣内演じる陶隆房の初登場シーンが例の高笑いだった
220日曜8時の名無しさん:2013/03/25(月) 17:48:05.37 ID:mVadUeVS
わっはっはっは!

あしかがどの〜

うわっはっはっは!!
221日曜8時の名無しさん:2013/03/26(火) 03:35:29.79 ID:Rgjs23FJ
>>219
『独眼竜政宗』の豊臣秀次もにたようなもの。

>>217
近代において、南北朝正潤論争から内乱が発生することは考えにくかったと思うよ。
222日曜8時の名無しさん:2013/03/26(火) 10:55:04.47 ID:DpZON+/n
>>219
>陣内演じる陶隆房の初登場シーンが例の高笑いだった

あのシーンの陶の年齢は小学生くらいだったらしいね
高笑いしながら入ってくる小学生w
223日曜8時の名無しさん:2013/03/26(火) 11:22:30.32 ID:iD6ExHJ4
金沢殿一ヶ月天下をため息一つという神演出
224日曜8時の名無しさん:2013/03/26(火) 15:36:31.21 ID:IuZAA27o
ましらの石って、なんのために出て来たの?
架空のくせに、あっちこっち顔を出し過ぎ
225日曜8時の名無しさん:2013/03/26(火) 19:13:51.48 ID:nGZbIkKQ
結局石の尻切れトンボっぷりって脚本家が変わったことが原因なのかなあ
226日曜8時の名無しさん:2013/03/26(火) 21:27:21.31 ID:pVlX4mVd
高時さんがよく、名君と言われた父貞時と比べワシは〜
みたいなこと自嘲して言ってたけど、
北条貞時って名君だったの?
227日曜8時の名無しさん:2013/03/26(火) 22:48:55.31 ID:LcybmkpG
北条氏全盛時代じゃないですかね貞時の代は
228日曜8時の名無しさん:2013/03/27(水) 07:41:14.26 ID:ZsTSHiM1
>>225
仲倉脚本は建武の新政を描いた数回だけだったような
229日曜8時の名無しさん:2013/03/27(水) 12:57:12.05 ID:VcZW7o7d
頼朝の肖像画は直義って説があるみたいだね
結構イケメンじゃまいか
230日曜8時の名無しさん:2013/03/27(水) 14:02:45.56 ID:z8XK6/VF
なにをいまさらw
尊氏だって、あれは落ち武者像と言うのだ
231日曜8時の名無しさん:2013/03/28(木) 01:45:33.95 ID:6eMf1BzH
>>227
貞時の時代は、北条氏というより得宗家の全盛時代というべきだな。

>>225>>228
仲倉氏の脚本は以下の9話。
第23回「凱旋」
第24回「新政」
第25回「足利尊氏」
第26回「恩賞の波紋」
第37回「正成自刃」
第38回「一天両帝」
第43回「足利家の内紛」
第46回「兄弟の絆」
第47回「将軍の敗北」

ましらの石の登場は第34回「尊氏追討」が最後。
第35回「大逆転」以降、全く登場しなくなる。
もっとも後半で突然登場しなくなるという点では花夜叉も同様であり、
第36回「湊川の決戦」を最後に長らく登場しなくなる。
ただ終盤に第48回「果てしなき戦い」で息子(後の観阿弥という設定)を
連れて再登場するので、石ほど不自然な印象にはなっていない。
232日曜8時の名無しさん:2013/03/28(木) 01:51:42.77 ID:6eMf1BzH
>>230
まあいわゆる神護寺三像(伝平重盛像・伝源頼朝像・伝藤原光能像)が
実際には足利尊氏・直義・義詮じゃないかっていう説は、今となっては
中学受験の小学生でも知っているようなメジャーな話になっているからね。
233日曜8時の名無しさん:2013/03/28(木) 08:13:47.53 ID:11zzQEcp
でも今更ニュースでやってたよ
234日曜8時の名無しさん:2013/03/28(木) 21:48:47.04 ID:GZX0ouIz
>>230
しかし落武者像というネーミングだと、ちょっと残念な印象になる。
まあ鎧の背中に矢が刺さっていたりするから、負け戦から逃げ帰る落武者を
描いているのは間違いないのだけどねw
235日曜8時の名無しさん:2013/03/29(金) 04:53:47.19 ID:WNt1YjfX
神護寺三像のなかでも特に藤原光能像は等持院にある室町幕府歴代将軍の
木像のなかの足利義詮木像と顔が酷似しているって話だね。
236日曜8時の名無しさん:2013/03/29(金) 18:29:22.77 ID:AEv8qU8w
尊氏・直義・判官殿・高時&円喜と愉快で悲しい北条一門
237日曜8時の名無しさん:2013/03/30(土) 11:14:17.46 ID:WiW0wiWl
足利への見下し方も凄かった
238日曜8時の名無しさん:2013/03/30(土) 14:35:25.76 ID:Bl82eP93
見下し方って?
239日曜8時の名無しさん:2013/03/30(土) 20:38:18.13 ID:1j8qP3IO
例 : 闘犬
240日曜8時の名無しさん:2013/03/30(土) 22:14:18.24 ID:ltypIrsG
真田って体張ってるよなあ
秀吉のときもたしか鷹に襲われたりしてたよな
241日曜8時の名無しさん:2013/03/31(日) 10:14:57.16 ID:vE++6Re7
流鏑馬のシーンは吹き替えなしで本人がやっているんだよな。
242日曜8時の名無しさん:2013/03/31(日) 10:36:54.82 ID:XWgKTEz+
サニー千葉の弟子だし
243日曜8時の名無しさん:2013/03/31(日) 13:33:02.15 ID:JGZGlsL4
高嶋政伸って昔はこんなに大根だったんだなぁ。
244日曜8時の名無しさん:2013/03/31(日) 13:38:59.21 ID:unhPvdKc
貞氏「これはお取り調べか?」
円喜「取り調べ?いやいやいやとんでもない!足利家と申さば、幕府をお開きになった源頼朝公の御親戚、よって官位は従五位下、そのような方を取り調べなどと…」
貞氏、席を立つ
円喜「讃岐どの!まだ執権殿へのご挨拶、承っておりませぬぞ!これは長崎円喜にあらず、北条得宗の名代ぞ!控えよ!!」
245日曜8時の名無しさん:2013/03/31(日) 15:13:17.73 ID:AQdWYpCy
まああのワンコよくよく見ると尻尾振りながら飛び付いて来てるんだがな
246日曜8時の名無しさん:2013/04/01(月) 02:09:03.04 ID:0vDMpjzO
>>244
当方が記憶しているその場面のセリフと微妙に違うのだが。

>>243
最終回の毒殺シーンとか普通に上手いと思ったけど。
247日曜8時の名無しさん:2013/04/01(月) 09:32:52.93 ID:Iss8y6yb
>>216 確かに。高時でさえ自分で刺してるというのに。
248日曜8時の名無しさん:2013/04/01(月) 09:37:53.38 ID:kZpTT7yJ
>>244
武家社会の尊卑からいえば足利>>北条>>>>長崎だろうな

保元の乱のとき昇殿できる武士が三人いて清盛と頼朝の父と足利の祖先
249日曜8時の名無しさん:2013/04/01(月) 11:01:26.12 ID:sILMNjWS
いやいや、せいぜいでこのくらいかと
足利>>>>>>>>>>>>>>>>>>北条>長崎
250日曜8時の名無しさん:2013/04/01(月) 13:52:59.58 ID:iOjwhkxp
我が領内に土足で踏み込むようなまねは許すまじ
251日曜8時の名無しさん:2013/04/01(月) 16:11:54.17 ID:cYEpCZX+
お前らが言ってるのは
足利>>>六角>>>朝倉>浅井>織田

みたいなものじゃ
なんの意味もない上下関係
252日曜8時の名無しさん:2013/04/01(月) 16:20:51.89 ID:Msu5YUyj
尊氏はやっちまってから「どうしよう?」とウジウジするタイプだなw
放送当時のステラでも真田の「スタジオ日記」ってのがあって、「それにしても老けたのう」とか「尊氏ウジウジがまた始まりましたw」と御自分で言ってたw
253日曜8時の名無しさん:2013/04/01(月) 18:00:11.94 ID:0vDMpjzO
>>248
厳密にいえば、保元の乱勃発段階で昇殿OKだったのは清盛のみ。
義朝と義康は保元の乱の結果、恩賞として昇殿が許可された。

>>251
朝倉・浅井・織田がその不等号になるのは何故?
254日曜8時の名無しさん:2013/04/02(火) 03:43:24.06 ID:y8xfkCQh
織田氏→斯波氏の重臣で尾張守護代
朝倉氏→斯波氏の臣だが守護代にはなれない
255日曜8時の名無しさん:2013/04/02(火) 04:06:17.79 ID:pqtKVy7l
>>252
尊ウジ
256日曜8時の名無しさん:2013/04/02(火) 09:06:35.30 ID:4FduSN2G
>254 信長の家は守護代の家来の奉行じゃなかったか
257日曜8時の名無しさん:2013/04/02(火) 10:52:16.50 ID:IbP0LoRp
>>253
義朝と義康は戦闘直前に昇殿したのでは?

>>256
守護代織田の三奉行の津田が織田姓をもらったのだろうな
津田信広(信長庶兄)とか津田信澄(信行の子)とか名跡は残っている
蒲生郷舎とか北条綱成と同じ
258日曜8時の名無しさん:2013/04/02(火) 17:27:38.56 ID:y8xfkCQh
>>248-249
長崎氏の家系は、実際には時政以前に分かれた北条庶流の可能性が高いといわれる。

>>256
守護代織田氏の庶流だろう。

>>257
義朝と義康の昇殿は乱の恩賞なんだから、乱後でしょう?
史料的にも乱後の論功行賞のところで彼らの昇殿の話が出てくるし、
乱前だと彼らは官位的にも昇殿できるような身分ではないよ。
259日曜8時の名無しさん:2013/04/03(水) 01:06:01.37 ID:atQpgC09
>>257
織田ー津田は
小寺ー黒田みたいな感じか
260日曜8時の名無しさん:2013/04/03(水) 02:33:44.98 ID:4SBS6cIm
>>253
朝倉は将軍家との結び付きが強く実際に義昭を庇護してたのもあるし
浅井と織田は互いに下剋上の大名だけど
その元が判官殿ともなればこのスレ的には浅井の勝ちだろう
斯波など取るにタランティーノ
261日曜8時の名無しさん:2013/04/03(水) 03:08:59.42 ID:pPJJCwJj
>>260
朝倉氏が将軍家と親密になるのは、戦国期以降。
単に支配地域が畿内に近い立地で、なおかつ比較的安定的な現地支配ができていたから、
将軍家に頼られたというのが実態。
ただ義材と義澄が争っていた時期だと、朝倉は義材を支持しているけどね。

あと浅井氏は本来的には単なる近江の国人領主であり、
もともと守護と被官関係にあったわけでもなさそう。
なので浅井氏の北近江奪取は下剋上といえるのかどうかは微妙。
262日曜8時の名無しさん:2013/04/03(水) 03:11:08.82 ID:pPJJCwJj
ちなみに斯波氏は、室町幕府の序列においては最も家格の高い守護大名として処遇されている。
263日曜8時の名無しさん:2013/04/03(水) 09:24:03.30 ID:oLOKVc33
室町幕府にとっては斯波は尾張徳川のような存在
もっとも格上の大名だが潜在的な危険分子
斯波の祖先が兄で母方が名越、足利本家が母方が得宗
264日曜8時の名無しさん:2013/04/03(水) 13:07:56.11 ID:pPJJCwJj
江戸幕府における御三家とイメージ的に近いものは、室町幕府なら鎌倉公方だと思うが。
官位の面から言っても、初代将軍の男系子孫という血筋から言っても。
265日曜8時の名無しさん:2013/04/03(水) 22:35:50.99 ID:WWvFq7f+
名越も北条嫡流から外され斯波も足利嫡流から外される
何か似てるな
266日曜8時の名無しさん:2013/04/03(水) 23:19:36.89 ID:lC/fnHdV
てか、足利って一族多くね?
267日曜8時の名無しさん:2013/04/04(木) 00:43:05.12 ID:Y59u2n8L
直義みたいに理知的で冷静な人には一番苦手だったんだろうな
268日曜8時の名無しさん:2013/04/04(木) 02:07:39.91 ID:lpUKS0Rp
ほうじょうごとき、このさつまのかみひとりで十分でごさる
269日曜8時の名無しさん:2013/04/04(木) 02:07:46.76 ID:onmPzlLK
>>267
斯波高経は観応の擾乱では直義派だろ
270日曜8時の名無しさん:2013/04/04(木) 02:09:43.94 ID:onmPzlLK
>>262
室町幕府における足利一族間の序列では、斯波氏と吉良氏が別格上位みたいな扱いなんだよな
271日曜8時の名無しさん:2013/04/04(木) 02:16:59.71 ID:onmPzlLK
>>244
円喜の台詞が間違ってる
正しくはこうだな

「取り調べ?滅相もない!足利殿と申さば、幕府を開かれた源頼朝公の御縁戚の血筋、よって官位も従五位下、そのようなお方を取り調べなどと…」
272日曜8時の名無しさん:2013/04/04(木) 03:25:40.46 ID:WGhcZ50k
>>270
鎌倉時代から独立した御家人で足利を名乗っているからな
もし高氏の兄が生きていて本家を継いでいれば 
斯波高経>足利高氏だった可能性もある
273日曜8時の名無しさん:2013/04/04(木) 04:13:39.30 ID:YGlnV5NU
鎌倉期限定では、
後の斯波氏に繋がる家系を足利尾張家、
後の吉良氏に繋がる家系を足利上総家、
ということがあるな。
当時の当主の官途がそれぞれ尾張守と上総介だったから。

但し室町期に入ると、何故か尾張守は畠山氏、上総介は今川氏の官途になる。
274日曜8時の名無しさん:2013/04/04(木) 10:45:03.81 ID:8vJLztu/
大河では斯波高経は出てきたっけ?
尊氏と同年齢、家督相続は早く、長命、
尊氏死後の最高実力者、道誉に嵌められて失脚
新田義貞を討ったのも斯波
275日曜8時の名無しさん:2013/04/04(木) 11:55:57.90 ID:YGlnV5NU
ドラマ中では斯波は名前だけで実物は登場していないと思うよ。
まあ義貞を討った件はほとんど棚ぼただけどね。
276日曜8時の名無しさん:2013/04/04(木) 12:40:00.68 ID:rN7jgUAE
当時の武士層が持った結果、いつのまにかみんな尊氏に寝返ってしまった
277日曜8時の名無しさん:2013/04/05(金) 12:36:06.97 ID:LwPZBJuc
気の合う主従は秘密を分け合うものだ
278日曜8時の名無しさん:2013/04/05(金) 14:03:53.14 ID:6SSjYLF5
>室町幕府にとっては斯波は尾張徳川のような存在
万年パシリも大概にせい、尾張猿め



空華集 「東海道三河州碧海荘,寔今政府左金吾(斯波義将)祖宗九京之地也」


「三河国碧海荘は管領家斯波義将の先祖の墳墓の地である」
初代斯波氏である足利家氏は、祖父足利義氏から三河国碧海荘を相伝し本拠地とした


永源寺

中世、碧海郡碧海荘内にあった禅寺。管領斯波義将が1380年代に創建。南北朝時代の禅僧義堂周信の詩文集『空華集』に収める「贈雲谿首座赴永源命詩并序」にみえ、錘秀山と号した。
「序」に碧海荘は斯波義持の先祖の墓所のあるところであるといっており、家氏以来斯波氏が伝領してきたのであろう。所在地は「碧海之東」とあるのみでどこであるか不詳である。
応永4年(1397)5月18日、のちに建仁寺61代住持となる玉岡和尚が将軍義満より住持職に補任された(『蔭涼軒日録』文明17年9月15日条)。
279日曜8時の名無しさん:2013/04/05(金) 15:08:03.43 ID:JwIj7TIp
>>277
それは頼朝
280日曜8時の名無しさん:2013/04/05(金) 15:12:18.32 ID:ANCkqVzq
鎌倉段階で足利惣領家とは別個に御家人扱いとなっていたのは、
足利尾張家(斯波氏)・足利上総家(吉良氏)と、あとは他家の名跡を継いだ畠山氏くらいかな。
281日曜8時の名無しさん:2013/04/05(金) 16:15:04.92 ID:fEhL7SZM
頼朝と4兄弟が従兄弟同士の関係にあったことが大きい
282日曜8時の名無しさん:2013/04/05(金) 16:58:44.63 ID:ANCkqVzq
>>281
佐々木4兄弟?
283日曜8時の名無しさん:2013/04/05(金) 20:02:55.93 ID:0akUZhRA
円喜も高時も出家姿にならずに俗人のまま
284日曜8時の名無しさん:2013/04/05(金) 21:08:17.48 ID:4H4nHFKa
坊主にならなくても別によかった
285日曜8時の名無しさん:2013/04/05(金) 23:22:39.93 ID:5F+YgEbI
太平記の坊主は二階堂さんが独占
286日曜8時の名無しさん:2013/04/06(土) 03:58:24.07 ID:2RAqCiDY
>>279とか>>281とかは誤爆かね?
287日曜8時の名無しさん:2013/04/06(土) 14:08:43.33 ID:y3MJ3Emr
>>280
渋川氏はどうだったっけ?
あまり有名な人は多くないが、直義の妻が渋川氏だったりはする。
288日曜8時の名無しさん:2013/04/06(土) 17:36:48.22 ID:2RAqCiDY
>>287
渋川氏は斯波氏の庶流みたいな位置付けというイメージがあるかな。
初代当主の生母が一緒だし、斯波義廉が渋川氏の生まれで斯波氏を嗣いだような事例もあるし。
289日曜8時の名無しさん:2013/04/06(土) 17:41:59.29 ID:SwnwnTzd
渋川氏は直義と義詮の正室を出してるのだから家柄は斯波氏よりは劣るが一族でも高いようだな
290日曜8時の名無しさん:2013/04/06(土) 19:18:50.72 ID:2RAqCiDY
まあ斯波氏や吉良氏のような別格扱いでもないが、
仁木氏や細川氏のような家来同然みたいな扱いでもない、
普通の足利一門という感じではないかな?
291日曜8時の名無しさん:2013/04/07(日) 02:32:40.38 ID:ECvd35ZJ
足利一門で渋川氏と立場的に似ているのは、渋川氏と同様に斯波氏に庶流に当たる石橋氏とか、
あとは吉良氏の庶流である今川氏とかかな。
292日曜8時の名無しさん:2013/04/07(日) 21:42:05.59 ID:Agj9/8zv
沈着冷静、口数少なく、何事にも慎重
293日曜8時の名無しさん:2013/04/08(月) 15:55:58.22 ID:dDofOqSg
鎌倉炎上あたりからは面白かった
294日曜8時の名無しさん:2013/04/08(月) 21:28:27.35 ID:Oy6cGiFK
宮沢りえとか正直いらなかった
295日曜8時の名無しさん:2013/04/09(火) 12:23:37.08 ID:5lJr8kXf
この大河の、というか太平記における最後の勝者は赤橋登子さんだな
新田も楠も高氏も直義も南朝方も全部

登子さんの子や孫の義詮と義満が美味しくいただきました なんだから
登子さんって北条氏なのに
296日曜8時の名無しさん:2013/04/09(火) 15:53:09.03 ID:dVtCm3t+
最後の勝者かもしれないが兄と夫が敵味方、実家滅亡
苦難の日々だっただろう
足利将軍家と関東公方が彼女の血筋、直冬系は完全没落
やはり生母の力は大きい
297日曜8時の名無しさん:2013/04/10(水) 01:38:10.89 ID:/9+/5kXg
三河って英雄とか出やすい地域なんだ
298日曜8時の名無しさん:2013/04/10(水) 02:15:22.63 ID:Cx/Z0hAv
楠木の音楽がテンポ良くてよかった
299日曜8時の名無しさん:2013/04/10(水) 02:44:13.98 ID:wwAq8HPJ
>>297
それは三河というより尾張では?

>>295
というか北条一族の血が入っている武家なんていくらでもあるよ。
鎌倉時代にそこそこ有力だった御家人なら、たいてい北条氏と婚姻関係があるし、
公家のなかにも北条氏と関係のある家はある。

例えば佐々木道誉も北条時政の生物学的な子孫。
300日曜8時の名無しさん:2013/04/10(水) 13:13:41.27 ID:BpAZIPuh
権力者の血を末端まで調べていけばきりがない
301日曜8時の名無しさん:2013/04/10(水) 15:15:29.18 ID:JZVTpBj3
しかし判官殿は何をされても許されるような魅力…人たらしだったんだねw
302日曜8時の名無しさん:2013/04/10(水) 16:12:51.57 ID:epNQnIPb
>>299
尾張の英雄とかw
具体的に誰だよ
303日曜8時の名無しさん:2013/04/10(水) 17:23:39.05 ID:b9Cridda
>>302
黒夢
304日曜8時の名無しさん:2013/04/10(水) 18:01:53.98 ID:epNQnIPb
尾張の英雄、全く思い浮かばないな
そもそも関東に尾張ゆかりのものはあるのかい?
尾張から誰か来て、なんかしたとかさ

全くないのに英雄と言われても
305日曜8時の名無しさん:2013/04/10(水) 18:22:11.50 ID:YJl7NdW6
>>304
なぜ関東に限定するのかわからんが、
とりあえず源頼朝の母方は熱田神宮の神主家だから、
頼朝は半分尾張人といえる
306日曜8時の名無しさん:2013/04/10(水) 18:50:52.45 ID:epNQnIPb
>半分は尾張人

足利義兼も半分は尾張人かい?それにしては二人共、尾張と疎遠だな
血縁関係から察すると、どーみても三河ズブズブにみえるが?w

源頼朝 従兄弟

・藤原忠季:源実朝近習
藤原実範(三河国司)→藤原季兼(三河四郎)→藤原季範(額田冠者、初代熱田大宮司)→藤原範忠→藤原忠季

・寛伝:日光山満願寺19世座主、滝山寺僧侶、滝山寺に惣持禅院建立、本尊に頼朝の歯と顎鬚が埋めこまれた聖観音像
藤原実範(三河国司)→藤原季兼(三河四郎)→藤原季範(額田冠者、初代熱田大宮司)→藤原範忠→藤原忠季

・野田清季:野田城主(三河国設楽郡野田)

藤原実範(三河国司)→藤原季兼(三河四郎)→藤原季範(額田冠者、初代熱田大宮司)→藤原範忠→野田清季

・娘:足利義康の正室
藤原実範(三河国司)→藤原季兼(三河四郎)→藤原季範(額田冠者、初代熱田大宮司)→藤原範忠→娘→足利義兼

・藤原範清: 右大将拝賀の先駆、初代星野氏(三河国宝飯郡星野)
藤原実範(三河国司)→藤原季兼(三河四郎)→藤原季範(額田冠者、初代熱田大宮司)→藤原範信→藤原範清

・藤原憲朝:駿河守、尾張国海東郡地頭
藤原実範(三河国司)→藤原季兼(三河四郎)→藤原季範(額田冠者、初代熱田大宮司)→藤原範信→藤原憲朝

・仁憲:滝山寺僧侶
藤原実範(三河国司)→藤原季兼(三河四郎)→藤原季範(額田冠者、初代熱田大宮司)→三河祐範→仁憲

・源為朝の娘:足助(加茂)重長(三河国加茂郡足助)の正室、娘が源頼家の室(公暁の母)
源義親→源為義→源為朝→娘→娘→公暁

・行快:鳥居禅尼の息、22代熊野別当、三河国蒲形荘、竹谷荘地頭
源義親→源為義→鳥居禅尼→行快

・鳥居忠氏:鳥居禅尼の息、鳥居氏の祖、承久の変後、三河国額田郡渡に移り住む
源義親→源為義→鳥居禅尼→鳥居忠氏
307日曜8時の名無しさん:2013/04/10(水) 20:37:34.94 ID:wwAq8HPJ
つうか尾張といったら普通は信長や秀吉だろw
308日曜8時の名無しさん:2013/04/10(水) 20:45:28.25 ID:wUigqsnQ
まあ足利将軍家にとって信長や秀吉は仇敵とも言っていい存在だから英雄視したくないんだろうなw
309日曜8時の名無しさん:2013/04/10(水) 21:44:36.80 ID:epNQnIPb
なんだ英雄はセンゴクか
信長(過大評価)とやらは、豊田市の長興寺があまりにでかいので、城と間違えて焼き討ちし、あとから足利将軍家ゆかりの寺と知って、慌てて再建したらしいな
今も昔も世間知らずの田舎者か?
いずれにせよ、尾張に英雄はいないという事だな

有史以来、三河以東に尾張ゆかりのものは一切ない
東日本の人間が名古屋を毛嫌いする要因でもある
310日曜8時の名無しさん:2013/04/10(水) 21:48:50.64 ID:wUigqsnQ
ほらね
311日曜8時の名無しさん:2013/04/10(水) 22:12:29.29 ID:epNQnIPb
源頼朝は名古屋で生まれた

江戸時代に作られたであろう嘘を、未だに名古屋人は主張しているんだよな
ゆかりを示す史跡等は一切なく、とってつけたような伝承があるだけにも関わらずだ

これは名古屋人の性根の悪さを端的に表しているよね


源頼朝は名古屋で生まれた→名古屋人は優秀→だぎゃ〜だぎゃ〜名古屋だぎゃ〜

これに利用しているだけだから


土佐で殺された同母弟の希義の息子が頼朝に面会し、三河国吉良の馬の銅場300貫あまりを貰って、土佐吉良氏となった
史実かどうかはさておき、頼朝にとって三河は、自分の国、身内がいる国と考えていたと感じさせる話だよね
312日曜8時の名無しさん:2013/04/10(水) 22:26:00.19 ID:wUigqsnQ
まあ史実厨なことには目を瞑るとしても、三河と尾張の味噌くさい争いをここへ持ち込まないで欲しいところだな
313日曜8時の名無しさん:2013/04/10(水) 22:49:01.49 ID:epNQnIPb
味噌
おやおや、差別語かよ
お里が知れるざんす
314日曜8時の名無しさん:2013/04/10(水) 23:38:58.01 ID:32V39kAF
我が領内に土足で踏み込むようなまねは許すまじ
315日曜8時の名無しさん:2013/04/10(水) 23:57:36.33 ID:0iTIN+aK
>>294
いる
人気絶頂期だった宮沢りえが大河で主役・尊氏の子を身籠る役をすることは凄く注目されたみたいですね
世間の注目度が全然違うし、視聴率に反映されれば制作の士気や予算にも反映されるだろうし
清盛、八重の低迷ぶりに、つくづくそう思う

まあ、台詞が極端に少ない後藤久美子の顕家は、他の人が演じてほしかったけど・・・
316日曜8時の名無しさん:2013/04/11(木) 00:49:37.88 ID:ZHsb+3c1
宮澤やゴクミのキャスティングも高視聴率の要因だろうに、いらないってことはないだろ。シエの宮澤とダブって考えてないか?太平記の頃の宮澤は無茶苦茶かわいいぞ
317日曜8時の名無しさん:2013/04/11(木) 01:04:11.63 ID:AL/sSQkN
>>313
味噌のどこが差別語?
というか尾張と三河の対立を殊更に煽りたいのかどうか知らないが、
正直関東から見れば三河も尾張も似たような地域にしか映らないのだが。

>>315
放送当時の宮沢本人の実年齢が16〜17歳だから、そんな若年のタレントに、
尊氏の落胤を産み育てるという役をやらせるって意味でも、
NHKにしてはかなり挑戦的なキャスティングと受け止められていたように思う。

まあ後藤久美子の顕家に関しては、僅か21歳で散る悲劇の美少年という意味では、
あれでもよかったのではないかと。
318日曜8時の名無しさん:2013/04/11(木) 01:59:13.66 ID:Eeo6z3Eg
永遠のライバル顕家と藤夜叉
319日曜8時の名無しさん:2013/04/11(木) 03:27:38.63 ID:Mae8CCDn
宮沢のサンタフェが出たのって、1991年の11月だから
まさに「太平記」の放送中だったんだな
320日曜8時の名無しさん:2013/04/11(木) 04:27:47.81 ID:AL/sSQkN
>>316
演技面でも『江』の上野樹里なんかよりは、当時の宮沢やゴクミのほうが遥かにマシだよな。

>>319
まあ『太平記』の撮影自体は終了している時期だし、
11月だとドラマももうかなり終盤に近い時期だし藤夜叉の出番も既に終わった後だけど、
話題性は高かったかな。
321日曜8時の名無しさん:2013/04/11(木) 10:06:53.76 ID:7vXxvE62
あの頃高校生だったけど
登校中に先輩たちが騒いでいるのを見て知った記憶がある
朝から大騒ぎだった
322日曜8時の名無しさん:2013/04/11(木) 12:53:31.46 ID:+RCI0pNa
>>317
ネットスラングで味噌は差別用語だろ、万年パシリの関東猿

いいか万年パシリの猿
嵐とかいうアイドルグループの櫻井翔は、自分の先祖は三河武士、安城の桜井が本貫と言っていた
上層エリアの人間は、しっかりと三河と尾張を区別している
同じとか言う奴は、別の地域からの上京猿か、先祖代々土着の百姓と言う事だ


お前の先祖は何処の田舎猿だ、まさか成りすましの尾張猿じゃねーだろうな
323日曜8時の名無しさん:2013/04/11(木) 13:37:44.85 ID:MtWv1zV6
差別語云々と発狂している奴が一番差別的な言動をしている件について
324日曜8時の名無しさん:2013/04/11(木) 15:21:27.52 ID:hmdbwOHK
イボ「今夜復活、貴りえ」
325日曜8時の名無しさん:2013/04/11(木) 16:55:23.25 ID:dI57rWsO
足利の天下も判官殿がいればこそ
326日曜8時の名無しさん:2013/04/11(木) 19:34:06.72 ID:l3USZW7p
頼朝生存中から粛清やってたような
327日曜8時の名無しさん:2013/04/11(木) 19:58:52.01 ID:YDgSqxfY
当時の大河は敷居高かった
328日曜8時の名無しさん:2013/04/11(木) 23:03:59.05 ID:+RCI0pNa
>>323
罵倒されてあたりまえじゃ、カス
大昔から今に至るまで、何ら利益誘導せず、日本の発展に尽力する西三河に対して味噌とはなんじゃ
口のききかたに気をつけろ、万年パシリ、万年不況の寄生虫め
329日曜8時の名無しさん:2013/04/11(木) 23:14:32.85 ID:+RCI0pNa
県庁所在地でもないハンデにも関わらず、今も昔も勝ち続ける西三河
万年不況、クレクレ乞食のナマポ猿ごときが、対等に口がきける相手ではないわ

【リーマンショック後の総所得ランキング】
・課税所得額ならびに総所得額の推計を実施。本文中の数字は全て総所得額ベース。

総所得ランキングトップは江ノ電沿線、金融資産トップは京王井の頭線沿線。
リーマンショックで打撃を受けたのは近鉄長野線沿線――。

総所得ランキング
01位 江ノ島電鉄線(神奈川県藤沢市〜鎌倉市)
02位 阪急甲陽線(兵庫県西宮市)
03位 京王井の頭線(東京都渋谷区〜武蔵野市)
04位 東急東横線(東京都渋谷区〜神奈川県横浜市)  
05位 東急こどもの国線(神奈川県横浜市)

06位 東急田園都市線(東京都渋谷区〜神奈川県大和市)
07位 相鉄いずみ野線(神奈川県横浜市〜神奈川県藤沢市)
08位 東急目黒線(東京都品川区〜神奈川県横浜市)
09位 名鉄西尾線(三河県安城市〜西尾市)  
10位 名鉄豊田線(三河みよし市〜豊田市)

11位 東急大井町線(東京都品川区〜神奈川県川崎市)
12位 東急世田谷線(東京都世田谷区)
13位 小田急小田原線(東京都新宿区〜神奈川県小田原市)
14位 名鉄三河線(三河県豊田市〜碧南市)
15位 東急池上線(東京都品川区〜大田区)

ソース:東洋経済オンライン
http://www.toyokeizai.net/life/living/detail/AC/a9f0b48216dc7b01346aec09db603d62/
ソースのソース:株式会社野村総合研究所 第2回全国のエリア別所得・金融資産を推計
http://www.nri.co.jp/news/2010/100330.html
330日曜8時の名無しさん:2013/04/12(金) 01:38:23.88 ID:e5uYGpWD
お前が西三河を死ぬほど愛してるのは分かったからもちつけ
331日曜8時の名無しさん:2013/04/12(金) 01:50:36.05 ID:wx++cf3q
尊氏は頼朝や家康に比べると完璧ではない部分が多いけど、そこが逆にたいていの人から
好感を持たれるのではなかろうか

俺もせめて尊氏みたいに女と武道に関しては、そこら辺の男より遥かに強くなりたいものだ・・・
332日曜8時の名無しさん:2013/04/12(金) 03:04:01.47 ID:zhRUM6CW
ただの木片
333日曜8時の名無しさん:2013/04/12(金) 09:31:54.57 ID:8vyc1YMd
頼朝や家康ってそんなに完璧か??特に後者は家柄からして...
334日曜8時の名無しさん:2013/04/12(金) 11:22:20.19 ID:NP3KWFXz
28,9で倒幕、35歳で征夷大将軍までやれれば十分優秀だろ
335日曜8時の名無しさん:2013/04/12(金) 11:24:39.91 ID:NP3KWFXz
おっと将軍就任は33歳か
336日曜8時の名無しさん:2013/04/12(金) 19:57:52.90 ID:G+8DLasN
征夷大将軍就任時の年齢
頼朝 建久3年(1192) 46歳
尊氏 暦応元年(1338) 34歳
家康 慶長8年(1603) 62歳

公卿昇進時の年齢
頼朝 建久元年(1190) 44歳
尊氏 元弘3年(1333) 29歳
家康 天正12年(1584) 43歳
337日曜8時の名無しさん:2013/04/12(金) 22:01:58.22 ID:QSedZWD0
墓等

・源頼朝
滝山寺(愛知県岡崎市):歯と顎髭が埋め込まれた頼朝等身大の聖観音像(運慶親子作)

・足利尊氏
八剣神社(愛知県岡崎市):供養塔(銘文が唯一ある)←矢作川工事の際、埋まっているのが発見された、元々は、近くにあった大門寺(廃寺)にあったと思われる

・徳川家康
大樹寺(愛知県岡崎市):墓、位牌(遺言による)、歴代将軍の等身大の位牌あり
338日曜8時の名無しさん:2013/04/13(土) 12:50:03.09 ID:S5ZafXQ5
足利市と新田市が並んでる地図を見てみたい
339日曜8時の名無しさん:2013/04/13(土) 13:42:10.10 ID:LyocCP9w
安心して見られたドラマだったな
340日曜8時の名無しさん:2013/04/14(日) 11:20:41.50 ID:RVzbiMzn
佐々木判官、思うところあり、寝返り御免
341日曜8時の名無しさん:2013/04/15(月) 07:07:55.03 ID:GEU+JD1S
桃井「またいつもの寝返り病じゃ」
342日曜8時の名無しさん:2013/04/15(月) 10:57:39.23 ID:IdEBRP4P
幕府はわしが作った!!誰にもやらん!
343日曜8時の名無しさん:2013/04/15(月) 12:18:06.23 ID:Jkd4EaSF
朝廷の時代に完全の終止符を打つきっかけをつくった後醍醐
344日曜8時の名無しさん:2013/04/15(月) 15:58:19.17 ID:3L0s5NjK
なあ俺たち同じ源氏じゃないか
345日曜8時の名無しさん:2013/04/15(月) 17:15:06.57 ID:qYqt6JKF
ふたりは源高氏
346日曜8時の名無しさん:2013/04/15(月) 17:56:14.65 ID:MGflllDS
佐々木は本当に宇多源氏かどうか少々怪しいとも言われるが
347日曜8時の名無しさん:2013/04/15(月) 19:20:42.92 ID:+zP1ugi0
>>343
カール・マルクス「革命は歴史の機関車」

後醍醐系が1392の京都帰還後は天皇になれなかった点を見ると、
後醍醐天皇は皮肉な意味で革命家に思えなくもない
348日曜8時の名無しさん:2013/04/15(月) 19:25:12.21 ID:+zP1ugi0
>>346
近江の古代豪族「さきやま」氏の末裔説もあるね。
藤原秀郷もお母さんかお祖母さんが藤原氏で、元は鳥取氏との説も。
宇都宮・八田両氏の始祖は中原氏で間違いないそうな(→湯山学の最新書)。
秀郷系とされてきた糟屋氏も元は佐伯氏だとか(同前)。

一方で足立景長が頼朝の子ではないかと奥富先生。
349日曜8時の名無しさん:2013/04/15(月) 20:02:23.93 ID:HCZEnt9y
行政も熱田大宮司家の親族
350日曜8時の名無しさん:2013/04/15(月) 21:03:36.50 ID:zv0SzNx/
陣内判官殿がイキイキしとる
351日曜8時の名無しさん:2013/04/16(火) 00:39:49.03 ID:Hp0m7+qJ
昔は藤姓足利氏というのもいたらしいな
352日曜8時の名無しさん:2013/04/16(火) 01:49:41.62 ID:S8vhERow
源姓足利氏にぶっ潰されましたけどね
353日曜8時の名無しさん:2013/04/16(火) 09:57:58.43 ID:rE259nUw
>>347
後醍醐系は大覚寺統の嫡流ですらないから、どのみち天皇家からは外れる家系になっただろう。
354日曜8時の名無しさん:2013/04/16(火) 13:43:07.10 ID:X3LpVkJt
戦乱が長引いて幕府軍と宮方で分かれて戦ったりしたら
恩賞地ができる分、幕府も動員しやすい
355日曜8時の名無しさん:2013/04/16(火) 15:53:38.59 ID:ZyL32/NI
後醍醐の兄の子孫は細々と続いてどこかに消えていきました
でも北朝も持明院統の傍流だよな、そこが絶えたのでもとに戻っているが
356日曜8時の名無しさん:2013/04/16(火) 18:04:10.45 ID:9irETed1
後醍醐は傍流なのに朱子学にかぶれて俺帝王やっちゃったのか
357日曜8時の名無しさん:2013/04/16(火) 19:44:05.69 ID:MJbyXtCt
>>351
藤原秀郷流だな。源頼朝に敗れて敗亡(分家などは残る)
358日曜8時の名無しさん:2013/04/16(火) 19:55:35.79 ID:MJbyXtCt
>>355-356
本当は後醍醐のお兄さんの後二条天皇の子孫が大覚寺統の嫡流(後宇田院の希望としては)。
後醍醐が笠置山で敗れ、光厳天皇が即位した時の皇太子に後二条の孫の康仁親王が立てられた。
後醍醐復権で廃太子(その後は知らない)。
後二条流は後醍醐に従わず京都に残留、勅撰集に歌を残している人も。

書くほど、後醍醐って親不孝で、人望も無かったんだなと思えてクルw

北朝は共に光厳院の子の崇光天皇と後光厳天皇の流れに分かれ(きっかけは正平一統)、
後光厳流が称光天皇(後小松天皇の子)の代で断絶し、崇光流に玉座が帰る。
今の天皇家は当然崇光流の末裔(南朝正統論とは何なのか?)。
359日曜8時の名無しさん:2013/04/17(水) 02:20:47.38 ID:bGHMe4F+
>>357
藤姓足利氏の庶流といえば佐野氏が有名かな。

>>355-358
後二条流(後二条→邦良→康仁の系統)は、木寺宮家となって存続するも室町中期に断絶。
両統迭立期に大覚寺統が相伝していた八条院領も南北朝・室町期には木寺宮家が保有している。
360日曜8時の名無しさん:2013/04/18(木) 16:26:49.52 ID:Y1JrhMAI
中世の王家領って、本来的には
長講堂領=持明院統の所有
八条院領=大覚寺統の所有
だったはずなのに、南北朝合一時の条件では
長講堂領=北朝
国衙領=南朝
になっているのは、八条院領は木寺宮家が持っているため取り引き材料に使えなかったからか?

しかし南北朝合一段階での国衙領なんてどの程度実態あったのかね?
361日曜8時の名無しさん:2013/04/18(木) 20:16:09.15 ID:PkULL0M5
昨日テレ東の旅番組で武田鉄矢が功名の相方の前田吟と女優さんと
鎌倉古道を歩く番組があったんだが、そこで日野俊基の墓
に来て、鎌倉幕府を倒す楠木正成役やった事話してたよ!
日野とNHKの食堂で飯食ったってwあいつここで死んだのかあとか言ってたw
ずいぶん前の大河だけど、語ってくれて嬉しかったよ。
362日曜8時の名無しさん:2013/04/18(木) 22:02:18.58 ID:4BJds/kd
武田正成と榎木俊基が直接絡むシーンってあったっけ?
赤井正季とは絡んでいたが
363日曜8時の名無しさん:2013/04/19(金) 06:58:28.40 ID:qVzKn7q2
石に何か託していたな。
364日曜8時の名無しさん:2013/04/19(金) 11:45:03.78 ID:HGD7yQIV
庶民的ながら浮世離れした人たち
365日曜8時の名無しさん:2013/04/19(金) 23:00:32.92 ID:iiKmRihC
>>360
足利氏の苗字の地である足利庄って、実は八条院領なんだよね。
そう考えると、足利尊氏は倒幕以前から後醍醐らの大覚寺統とある程度の
接点が元々あったことになり、興味深い。
366日曜8時の名無しさん:2013/04/20(土) 00:41:46.43 ID:s42dI7EE
>>360
平安末だと、まだ国衙:荘園が半々程度だったろうけど、
特定の家が国司を世襲してる国も多くなってたしね。
もっとも足利義教の時代以降、京都に帰った後醍醐系は多く断絶に追いやられてるので、
義満にありそうなフカシだった可能性も否定できない。
367日曜8時の名無しさん:2013/04/20(土) 00:43:55.87 ID:s42dI7EE
>>361
「あいつ」って言うなよなあw
正成が鎌倉に来たことはあったんだろうかね?
今は御家人説が強くなってるから、来てた可能性も高いのだろうけど。
368日曜8時の名無しさん:2013/04/20(土) 01:08:41.52 ID:UT67YkYt
>>366
厳密には、平安末〜鎌倉期における荘園と公領(国衙領)の全国的な比率は、6:4程度だな。

あとこの頃の国司の世襲って、どの程度あるのかな?
知行国主なら世襲が基本だろうけど、国司の場合どうなんだろ?
369日曜8時の名無しさん:2013/04/20(土) 01:18:37.49 ID:IhFWRVml
>>365
北関東のゴミは関係ないわ
京から東国に行く途中、面積最大(香川県の面積と同等)の八条院領ある
370日曜8時の名無しさん:2013/04/20(土) 11:49:11.22 ID:s42dI7EE
>>368
室町時代には国司がどんどん形骸化してくんだよな。
山名時氏が陸奥守みたいな。
三国司家という、伊勢の北畠、飛騨の姉小路、土佐の一条(摂関家)があり、
伊予は西園寺家が世襲国司で、その延長で戦国大名になってったけど。

鎌倉時代でも、幕府執権が相模守を兼務してて(だから赤橋相模守となる)、
陸奥守と秋田城之介(実質的な出羽国司)も幕府要人が任じられていたが。
あと、ちらほらと常陸介(実質国司)になってる御家人がいたりする(島津氏など)。

佐藤進一先生によると、南北朝時代の段階ですでに、
本来は国府や国司をさすはずの「国方」という語が守護と同一視されるようになっていき、
守護の拠点=守護所が国府と同然のものとみなされるようになっていったらしい。
371日曜8時の名無しさん:2013/04/20(土) 12:33:31.74 ID:s42dI7EE
>>251-259
朝倉と織田の格は非常に難しいと思う。一介の国人よりは上かと。
というのも斯波管領家が格の高い家だったことと、
越前国人の甲斐氏が将軍じきじきに家に来てもらえる格の高い家だったから(甲斐は朝倉とほぼ同格)。
足利義政が織田の家督問題に介入してるけど、これは普通の国人だと考え難い行為だと思う。
応仁の大乱当時の実力は、朝倉・織田・美濃守護代斎藤氏は赤松嫡流家や安芸武田氏より上だったろう。

朝倉・織田・甲斐氏・斎藤氏や関東の長尾・太田氏などは守護に準ずる程度の家だったと言えるのでは?

美濃で斎藤氏と争った東氏ぐらいだと守護代より格下とは言えるかも。
安芸小早川氏も同様。ただし全く一介の国人よりは格上と言えると思う。
372日曜8時の名無しさん:2013/04/20(土) 15:19:28.53 ID:ZzECxjNw
殺されて戦国時代を招いてしまった足利義教
373日曜8時の名無しさん:2013/04/20(土) 18:21:14.26 ID:kwfNnqzv
足利は頼朝に忠勤を励んだ上に北条と密接な関係を築いたのが大きかった
374日曜8時の名無しさん:2013/04/20(土) 19:00:46.09 ID:7XvFriBa
世渡りがらうまいと嫌われるお
375日曜8時の名無しさん:2013/04/20(土) 19:52:05.44 ID:UT67YkYt
>>372
別に嘉吉から戦国時代が始まるわけではないだろw
376日曜8時の名無しさん:2013/04/21(日) 03:33:02.66 ID:a3m4F8KL
頼朝に忠実な源氏でも時政の方についた大内・平賀は潰れてしまった
377日曜8時の名無しさん:2013/04/21(日) 12:36:37.84 ID:bbI0gQCz
既得権益側の直義が最終的に負けたのはあの時代では仕方の無い
378日曜8時の名無しさん:2013/04/21(日) 15:11:46.45 ID:WboGoqME
>>360
南北朝の内乱の過程で、多くの地域で国衙の機能の守護所への吸収が
起こっており、その結果として公領の事実上の守護領化も起こっている。
無論非合法な守護方の押領ばかりではなく、一国の公領全体をまとめて
守護請にして実質的な現地支配を守護に委ねてしまうようなことも普通に
あったわけだが、まあ守護(武家方)に一切干渉されることなく公領が
維持されているところなんて、南北朝合一の段階ではほとんどないだろう。

あと知行国主が設定されている国の場合は、その国の公領の支配権は
最初から知行国主に帰属するわけだから、そういう国の公領もおそらく
合意条件の対象外だったはず。
379日曜8時の名無しさん:2013/04/21(日) 15:26:44.62 ID:WboGoqME
>>366>>368>>370
国司の形骸化は、中央貴族が守・介などの官途を得ても現地へ行かない
遙任が当たり前になった院政期の段階から既に始まっているよ。
現地から就任を得ることだけが国司任官の目的になり、地方行政官としての
性格が完全に消えてしまうのはこの頃。
まあ南北朝以降は、国司の地位に伴う得分もほぼ消滅するから、完全に
家格を表すだけの名目的な地位になるが。

あと鎌倉期において、代々北条一族や有力御家人が国司の地位にあり続けた
国というのは、要は鎌倉殿が知行国主になっているいわゆる関東御分国で、
国司の任免権を鎌倉殿(=幕府)が握っていたから結果的にそうなった
という面が大きい。

また室町期における伊勢北畠氏や飛騨姉小路氏の国司は、建武政権期の
国司・守護併置制の国司に由来するものだからちょっと別物。

伊予西園寺氏の場合は、鎌倉期以来京都の西園寺本家が伊予の知行国主で、
その下で西園寺家の庶流に当たる家系が国司を代々世襲するような状態に
なったもの。

そして土佐一条氏の場合は、本格的な土佐入国が応仁の乱以降だから、
さらにこれらとは性格が大きく異なる。
380日曜8時の名無しさん:2013/04/21(日) 18:34:35.50 ID:Lw1Nfit1
>>371
甲斐・織田・朝倉の各氏は国人ではなく越前守護斯波氏の有力被官。
なおこの3者は家格的に同格ではなく嫡流家に関して言えば、明らかに甲斐氏>織田氏>朝倉氏だろう。

甲斐氏:越前・遠江守護代。守護被官(将軍家から見て陪臣)で唯一、将軍の自邸へのお成りがある家柄。
織田氏:尾張守護代。
朝倉氏:守護代にはならない。

あと安芸の小早川氏は守護山名氏の被官ではなく、独立の国人領主(将軍の直臣)だし、しかも奉公衆にも名を連ねている。
奉公衆の所領は守護不入権が認められているというのは有名な話だが、要は奉公衆はその国内で守護権力から完全に治外法権的な地位にある。
よって守護被官ではない一般の国人領主と比べても、地位が高いし立場も強いのは当然。
無論守護の被官として守護代なんかになるような陪臣とは明らかに違う。
381日曜8時の名無しさん:2013/04/21(日) 18:37:30.37 ID:Lw1Nfit1
なお守護被官のなかで甲斐氏の家柄が異様に高いのは、元々甲斐氏が将軍家によって斯波氏の守護代に付けられたからという背景があるから。
要は近世でいうところの御三家の付家老のような立場。
382日曜8時の名無しさん:2013/04/21(日) 20:50:20.21 ID:Xk7CbgQo
ドラマ板で語るねえw
383日曜8時の名無しさん:2013/04/21(日) 20:56:12.09 ID:Ay1IdHyt
大河ドラマと歴史談義は密接不可分だし、なかなか興味深い話も聞けるので、個人的には歓迎!
384日曜8時の名無しさん:2013/04/22(月) 00:14:43.42 ID:Vw2KR88G
織田とか尾張とか部外者無関係の単語をレスに入れるよ
スレが汚れるだろうが
385日曜8時の名無しさん:2013/04/22(月) 03:23:38.72 ID:HkqFUMHQ
意味不明
386日曜8時の名無しさん:2013/04/22(月) 07:24:00.22 ID:Vw2KR88G
万年不況、万年パシリの寄生虫、名古屋猿が大嫌いなんだよ
あいつら東海道という恵まれた位置にありながら、日本に貢献しないゴミだろ

恥ばっかかかせやがって、無能田舎猿共め
387日曜8時の名無しさん:2013/04/22(月) 09:04:52.99 ID:HkqFUMHQ
>>322
「味噌」という言葉を差別語と認識して食って掛かる思考回路が名古屋人そのものだろw
貴殿は尾張と三河は違うと主張したいようだが、結局そういう思考をしている時点で、
第三者的には尾張も三河も同じに見えるんだよ。
388日曜8時の名無しさん:2013/04/22(月) 09:52:46.59 ID:r1XqOEyD
>>338
すごく遅レスだが、新田市がない方が世渡り下手の新田らしくていいのではないかい
でも太田に吸収された新田郡は今でも新田何とか町って名乗ってて
新田らしくていいのではないかい
389日曜8時の名無しさん:2013/04/22(月) 12:37:31.43 ID:9FDsLB97
高氏って書くと足利なのか佐々木なのかはたまた師直一家のことなのか紛らわしいな
390日曜8時の名無しさん:2013/04/22(月) 13:11:18.00 ID:8+EMEwwf
足利は頼朝に忠勤を励んだ上に北条と密接な関係を築いたのが大きかったん
391日曜8時の名無しさん:2013/04/22(月) 15:22:03.21 ID:Vw2KR88G
>>387同じに見える?さてはお前の先祖は出自が悪いな、武士(三河)と田吾作(尾張)の区別つかないわけだから
三河と言えば鎌倉幕府、お前みたいな猿は、この辺も理解不能だろう

鎌倉幕府の支配層一覧(三河つながり優遇)

【鎌倉将軍】
源頼朝(母方:藤姓熱田大宮司家(三河国額田郡、愛知県岡崎市)

■将軍御一家(頼朝姻族、頼朝女系の一族)
・足利氏(下野国足利郡足利)←母親が頼朝母と姉妹(藤姓熱田大宮司家(三河国額田郡、愛知県岡崎市))の家系
・北条氏(伊豆国田方郡北条)←頼朝正室の家系、政子の父・北条時政の母は伴為房の娘(三河伴氏)
・一条氏(藤原北家中御門流)←頼朝同母(藤姓熱田大宮司家(三河国額田郡、愛知県岡崎市))姉もしくは妹(坊門姫)の嫁ぎ先の家系
■御由緒家
・安達(小野田)氏(三河国八名郡小野田、愛知県豊橋市)←安達(小野田)盛長は頼朝幼なじみ
・足助(賀茂)氏(三河国加茂郡足助、愛知県豊田市)←源頼家に室を出し、生まれた息が源実朝を暗殺した公暁
・比企氏(武蔵国比企郡)←頼朝乳母(比企尼)の家系←源頼家に正室を出す
・八田氏(常陸国八田郡)←頼朝乳母(寒河尼)の家系←八田知家の猶子である中条家長は高橋荘(三河国賀茂郡、愛知県豊田市)地頭
・結城氏(下総国結城郡)←頼朝乳母(寒河尼)の家系

■門葉(鎌倉将軍と血縁関係がある源氏)
・源範頼(三河守)←頼朝異母弟
・源広綱(駿河守)←古井城主(三河国碧海郡古井、愛知県安城市) ←太田道灌の先祖
・平賀義信(武蔵守)
・山名義範(伊豆守)←実父は矢田城主(三河国幡豆郡矢田、愛知県西尾市)の矢田義清
・大内惟義(相模守)
・足利義兼(上総介)←母親が頼朝母と姉妹(藤姓熱田大宮司家(三河国額田郡、愛知県岡崎市)
・加賀美遠光(信濃守)
・安田義資(越後守)
■執権・連署
・北条氏(伊豆国田方郡北条)←頼朝正室の家系、政子の父・北条時政の母は伴為房の娘(三河伴氏)
■政所(一般政務・財政を司う機関)
・大江氏←初代別当の大江広元は牛田城主(三河国碧海郡牛田、愛知県知立市)
・二階堂氏(相模国二階堂)←初代令の二階堂行政は、母親が頼朝祖父(初代藤姓熱田大宮司(三河国額田郡、愛知県岡崎市))の妹
392日曜8時の名無しさん:2013/04/22(月) 16:13:29.29 ID:NBDRoFsn
このスレ、史実厨よりタチの悪い奴に絡まれてしまったようだな
393日曜8時の名無しさん:2013/04/22(月) 17:12:35.81 ID:r7UP4Imh
はて…
このスレにわしの許さぬ者が来ておる
394日曜8時の名無しさん:2013/04/22(月) 19:42:32.00 ID:S73P1NPm
室町期の国人の(守護からの)独立性が強い…
というかそもそも国人が守護に仕えてるなんて表現自体が変だとも言える。

鎌倉幕府の守護は当該国の軍事力動員が最重要職務で、
御家人は鎌倉殿=将軍に仕えるのが原則だったから。
一方で、中小御家人が有力御家人の被官になってることもあった。
長尾氏が足利氏に仕えるようになってたのがその一例。
395日曜8時の名無しさん:2013/04/22(月) 19:46:08.04 ID:S73P1NPm
>>379
>建武政権期の国司・守護併置制

これなんだが、足利尊氏や楠木正成は同じ国の守護も国司も兼務してたらしく、
後醍醐が何を意図してたか分かりにくいものがあるよね。
明朝の官僚制を模倣しようとしたものか、という論はさすがに跳躍しすぎだと思うが。

極論すると、「(旧御家人は)誰も鎌倉幕府が滅んだと考えていなかった」ということかも知れない。
(歴史の概念なんて後世の人が作るものだ)
396日曜8時の名無しさん:2013/04/22(月) 20:11:14.59 ID:xowG3cOS
>>394
長尾氏の場合は、宝治合戦で一度壊滅した後、生き残りが足利氏に拾われた
ようなイメージだな。

>>395
これに関しては、武家政権否定論者である後醍醐が武家政権の制度である
守護を温存させている点、また国司と守護の職掌の棲み分けが明確でない
点など、不可解なところが多い。

まあ実態としては、ある程度は武士のポストを残しておかないと武士から
政権への不満が出てくるから、そのガス抜きとして国司と守護を併置した
ってだけの可能性もある。
それなら同一人が国司と守護を兼務することは、むしろ二重行政回避の面で
効率的といえたのかも。
397日曜8時の名無しさん:2013/04/22(月) 22:24:45.45 ID:S73P1NPm
>>396
宝治以前は三浦氏と関わってたっぽいね長尾氏(もとが同族か)

鎌倉期に知行国主がいた国はそのまま国司を継続任用した、とかかねえ?
守護が最高家格という御家人の認識とすれば、廃止されたくなかったろうね。

ドラマで石が切りかかった代官は姉小路卿の手の者だったね。
398日曜8時の名無しさん:2013/04/22(月) 23:08:49.07 ID:HkqFUMHQ
建武政権って、国司と守護を併置する一方で、
世襲的な知行国主の制度には否定的だったという話を聞いたことがある。
399日曜8時の名無しさん:2013/04/23(火) 15:33:28.79 ID:hN0fm7p8
>>393
ここにいる者はみな此度のレスに功のあったものにござります。
400日曜8時の名無しさん:2013/04/23(火) 15:40:00.32 ID:hN0fm7p8
>>397
鎌倉期なら大半の国には知行国主が設定されているはずだが、建武政権期の国司は、
鎌倉期の知行国主・国司とは無関係に置かれる感じが強いと思うぞ。
401日曜8時の名無しさん:2013/04/23(火) 22:50:39.13 ID:qUxkaLQD
建武政権は持明院から知行国である播磨を取り上げたりしているし
そもそも関東御分国だった国は幕府滅亡とともに知行国主消滅だからな
402日曜8時の名無しさん:2013/04/23(火) 23:15:54.04 ID:JCx7te7H
お前ら面倒くせえから日本史板に行け!
403日曜8時の名無しさん:2013/04/24(水) 00:06:59.77 ID:IgrjdJ0D
Wikipedeiaに書いてあるようなことを嬉々として語るレベルじゃ相手にされないよ
だからココでやってるんだろうけどw
404日曜8時の名無しさん:2013/04/24(水) 00:19:52.74 ID:PflY8Mws
わしの犬は檻のなかにいるから可愛いのじゃ。
噛み付く者は檻の中がよいぞ、檻の中が!

>>402-403
檻(隔離スレ)へどうぞ
http://kohada.2ch.net/test/read.cgi/nhkdrama/1298030843/
405日曜8時の名無しさん:2013/04/24(水) 00:29:04.79 ID:95LQ2yvq
>>397
別に鎌倉御家人の間で守護が最高家格なんて意識はないんじゃないか?
守護職は持っていないけど家格の高い家は普通にあるわけで

特に鎌倉初期だと源氏一門の家は家格は高く遇されても武田・平賀などの
例外を除いて守護職にはならない傾向が強い
足利も承久の乱後に三河の守護になる以前は頼朝に重く遇されはしても
守護職は持っていなかった
406日曜8時の名無しさん:2013/04/24(水) 01:00:24.25 ID:OqzkFnso
一時期いなかったのは恐らく去年の清盛のおかげだったんだろうな
407日曜8時の名無しさん:2013/04/24(水) 02:28:27.25 ID:gOrlLxzF
>>405
しかし佐々木氏(4兄弟は源為義の外孫)や北条氏など、一門に準ずるような氏族でも、
幕初から守護職を持っている人物はいるから、それはどうなんだろ?
408日曜8時の名無しさん:2013/04/24(水) 09:36:19.57 ID:gOrlLxzF
>>394
よく歴史教科書とかに載っている室町幕府の職制表で、
守護の下に地頭がいるような描き方しているのが多いから、そういう誤解が生まれるのだろう。
409日曜8時の名無しさん:2013/04/24(水) 11:15:54.83 ID:5fnAgvJ4
未だ無垢な尊氏と右馬助が京都ではしゃいでいる回想が泣ける
410日曜8時の名無しさん:2013/04/24(水) 11:23:28.33 ID:IgrjdJ0D
しかし、小便の匂いで喜んでいる右馬助には怖さも感じたww
411日曜8時の名無しさん:2013/04/24(水) 17:54:49.94 ID:gOrlLxzF
お手製のガイドブックみたいなものまで作ってたよなw
412日曜8時の名無しさん:2013/04/25(木) 01:14:24.96 ID:b8JWuWSa
ドラマ終盤に右馬介が西国の情勢を尊氏に報告しに来て、
“直冬によって一色殿が九州を追われた”みたいなことを言う場面があったが、
「一色殿」と言っているお前も一色じゃないかと少々突っ込みを入れたくなったw

まあここでの「一色殿」は九州探題一色範氏のことなのだが。
413日曜8時の名無しさん:2013/04/25(木) 19:06:48.44 ID:b8JWuWSa
そういえば建武政権パートで、尊氏が着到状に花押を書いている場面があるけど、
あれって吹き替え? それとも真田広之が自らやっている?
414日曜8時の名無しさん:2013/04/25(木) 23:49:45.34 ID:STEZ+osE
やっぱ直義毒殺のとこは泣けるな。私的にはオカンの兄弟仲良うとの願いを裏切ったんだし、公的には全国規模での内乱。まぁ大義親を滅すを敢行したんだけどもっと早く決断できなかったのかい尊氏さん。こんな結末じゃ北条時代の方が良かったでござるよ
415日曜8時の名無しさん:2013/04/26(金) 02:11:47.37 ID:hlCrG2Ke
>>414
しかしそうはいっても、初期の室町幕府におけるあの体制は、鎌倉幕府を真似して
将軍=主従制的支配権=尊氏
執権=統治権的支配権=直義
という仕組みにした結果なわけで。

当人たちも、まさかあんな結末になるとは夢にも思っていなかっただろうよ・・・。
416日曜8時の名無しさん:2013/04/26(金) 22:56:36.12 ID:VXyZjiLc
武士同士の争いはまぁよくあることなんで全然わかるんだが南北朝はさすがにやばいでしょ?なんか収集策なかったの?軟禁中の後醍醐帝逃がすなんて…やっぱ尊氏さん残念な人だわ。やる気がないなら(たぶんあったとは思うが)義詮なり直義なりに権力譲ればよかったのにね
417日曜8時の名無しさん:2013/04/26(金) 23:01:59.13 ID:7OkV8MLo
>>413
第23回「凱旋」に出てくる場面かな?

「次は信濃の市河助房75騎、着到にござります」といわれて目の前に
出された文書に尊氏が花押を据える場面が確かにあった。

ついでなんで「市河助房」で検索してみたら、長野県立歴史館のサイトで
そのときの着到状の実物と思われるものの画像データを見つけたw
https://z115.secure.ne.jp/~z115235/archives/komonjo_sub.php?n=111&t=2&bn=190
418日曜8時の名無しさん:2013/04/26(金) 23:11:32.75 ID:7OkV8MLo
>>417補足
なんか直接は開けられないみたいだが、そのサイトの中の
「市河文書データベース」にある
市河助房同経助着到状(元弘3年6月29日付)が当該文書と思われる。
419日曜8時の名無しさん:2013/04/27(土) 01:16:59.40 ID:fsEpU1u2
>>416
そうはいっても、後醍醐帝は隠岐という離島に押し込められても逃げちゃうような人だからな。

あと尊氏は、幕府成立後は観応の擾乱直前まで、直義の領分にはほとんど口出ししていないはず。
420日曜8時の名無しさん:2013/04/27(土) 02:38:54.95 ID:pfv/Q+xb
>>415-416
まあ尊氏・直義の二頭政治が鎌倉時代の将軍と執権の関係をモデルにした
結果というのは、近年よく言われている説だが、結局鎌倉の頃とは状況が
違っているので、そのまま模倣しても上手くいかなかったということだな。
完全に結果論としての話だが。

やはり鎌倉幕府と二頭政治期の室町幕府との決定的な違いは、鎌倉幕府の
将軍がごく初期を除くと極めて形式的・儀礼的な性格のみを持つ存在に
終始していたのに対し、尊氏は自前の軍事力とかなりのカリスマ性を備えた
人物であったということ。
そして南北朝の内乱の継続が、どうしてもそうした尊氏の存在に焦点の
当たってしまう状況を生み出し続けることになっていたということ。

結果、直義派と相容れない人々が尊氏や師直の周りに集まって来てしまい、
元々直義のやっている政治に口を出すつもりはなかった尊氏を否応なく
巻き込んでいったというか。
421日曜8時の名無しさん:2013/04/27(土) 07:20:48.70 ID:fsEpU1u2
>>417
しかしその文書には75騎という数字は出てこないな。
422日曜8時の名無しさん:2013/04/27(土) 17:02:57.44 ID:/IMrMfB7
>>412
右馬之介はもともと一色氏ではないという設定だからね
423日曜8時の名無しさん:2013/04/27(土) 17:08:37.92 ID:/IMrMfB7
直義がどうしようもなく能無しだったとか、尊氏が全く信頼してなかった、
…というわけでもなかったことが悲劇の遠因じゃろう。
分裂抗争の起きやすかった南北朝(室町)期ならでは、という気がする。

義満以降の将軍の兄弟たちはあまり政治的に活躍しなかった印象を受けるが
(素人の俺が知らんだけかも知れんが。鎌倉公方の弟らは結構出張ってたようにも)
やっぱり争いを未然に防ぐため…って考えがはらたいらのかね?
勅撰集には将軍の近親の作品がけっこう収録されてるんだけどね。
424日曜8時の名無しさん:2013/04/27(土) 20:26:42.22 ID:fsEpU1u2
義満の弟の満詮はそれなりの存在感を示しているが、
それ以降の足利将軍家は嫡子以外の男子は寺に入れるのが基本になるイメージはあるかな。

確かに直冬の件に懲り懲りしたというのもあるだろうし、
また義詮期以降の室町幕府は将軍への権力一元化・集中化をかなり進めるから、
現実的な問題として直義のような人物が出てくる素地がなくなったということもありそう。
425日曜8時の名無しさん:2013/04/27(土) 21:22:55.60 ID:/IMrMfB7
けっこう佐藤進一先生のご説(>>415>>420)が事の本質をついてる気はする。

幕権が拡張すりゃ、昔みたく単純に将軍が親裁すれば…が無理になってくる。
となると官僚機構を拡大整備し、家格に応じて役職を割り振るようになる
(家格がモノを言う点は公家と何も変わらなかったので、武士の権力を革新的と断ずるのは無理があると思う)

直義はたまたま政治に関心があり、理想も高かったし、何と言っても尊氏の弟だったから権威もあったろう。
時代が平和に向かわなかったことが悲劇の原因だろうね。
426日曜8時の名無しさん:2013/04/27(土) 21:26:04.81 ID:/IMrMfB7
>>424
何ちゃら御所みたいな将軍家一族はいたにはいたけど、何してたかがよく分からないよね。
学者の研究関心になってないとの理由もあるだろうが、社会を大きく動かすことが無かったのも事実だろう。
存在したことは確実だが、実態がほとんど分からない宮さまみたいなもんかもね。貴公子の宿命。
427日曜8時の名無しさん:2013/04/27(土) 23:14:55.73 ID:P/Kbo29r
京に幕府置いてる時点で何かおかしい。義満さんが南北朝合体した後に関東に帰ってりゃ完璧だったと思ふ
428日曜8時の名無しさん:2013/04/27(土) 23:35:20.32 ID:Pb7X3RzA
将軍家が公家権門化してたからなぁ
429日曜8時の名無しさん:2013/04/28(日) 00:29:40.87 ID:kWlE+MWv
これは続編をやらないといけないな
尊氏没後から義教ぐらいまでを
まあ義満だけで1年持てばそれでもいいんだけど
430日曜8時の名無しさん:2013/04/28(日) 02:42:35.75 ID:8Bz2MjFG
>>428
何それ?
将軍家は如何に官位が上昇しても武家であることに変わりないし、
そもそも公武統一政権になった室町段階で権門云々は最早あまり意味がないと思うが。
431日曜8時の名無しさん:2013/04/28(日) 14:25:45.59 ID:0uue/qJn
君、清盛知らないの?
義満も天皇の外戚で支配しようとしてたじゃん
432日曜8時の名無しさん:2013/04/29(月) 02:25:04.64 ID:qDhaDRWo
義満はいつ天皇の外戚になったんだ?
433日曜8時の名無しさん:2013/04/30(火) 03:12:50.58 ID:kqwDysHG
義満の母(良子)と後円融天皇の母(崇賢門院仲子)が姉妹ということが言いたいとか?
でもこの場合、天皇の母方が足利将軍家というわけではないからなぁ。
それに良子と仲子はどちらも石清水善法寺家の出身ではあるが、
仲子のほうは入内の際に公家の広橋家(勘解由小路家)の養女になっているから、
名目上は後円融の外戚は広橋家だし。
434日曜8時の名無しさん:2013/04/30(火) 15:18:26.01 ID:Ou9qzwL8
>>425
ただ観応の擾乱を経て、義詮期以降の室町幕府は、将軍の親裁化をかなり
進めるけどね。

結果的に室町幕府は、歴代の武家政権の中で“最も将軍独裁色の強い幕府”
という評価を後世から受けることになるわけで。
435日曜8時の名無しさん:2013/04/30(火) 15:30:02.30 ID:93WmbW09
意味不明
室町幕府の将軍なんて弱っちくお公家化てマロマロしているイメージしかないんだがw
436日曜8時の名無しさん:2013/04/30(火) 15:52:43.54 ID:okKjYocU
.

○ ボリスを『八重の桜』へ出演させよう ○
http://kohada.2ch.net/test/read.cgi/nhkdrama/1367295405/l50
437日曜8時の名無しさん:2013/04/30(火) 15:56:16.11 ID:Ou9qzwL8
無知とは恐ろしいw
438日曜8時の名無しさん:2013/04/30(火) 16:03:07.99 ID:aoOfQqa+
>>413>>417
足利将軍家の花押って結構印象的なのが多いよな。
尊氏のあの花押は、義満以降でいうところの武家様花押に繋がるものだと
思うけど、足利将軍系の花押は武家様花押も公家様花押も形が整っている。
あと個人的には最後の義昭の花押が特にインパクト大きかった。
439日曜8時の名無しさん:2013/04/30(火) 21:47:15.61 ID:kqwDysHG
>>435
マロマロしているって、どんな状態ですか?
440日曜8時の名無しさん:2013/04/30(火) 22:37:59.22 ID:mcdjpo53
どうせ一休さんの将軍さまをイメージしてんだろ
441日曜8時の名無しさん:2013/04/30(火) 22:47:55.95 ID:kqwDysHG
一休さんの将軍さまって義満?
442日曜8時の名無しさん:2013/04/30(火) 22:52:48.22 ID:SGKaQiH3
そうだね
443日曜8時の名無しさん:2013/04/30(火) 23:13:32.20 ID:q24sOzAS
「花の乱」ではおっさん〜じいさんだから年代的には合ってるなw
444日曜8時の名無しさん:2013/05/01(水) 01:48:32.64 ID:6DSmZTcp
というか一休が生まれた段階で、義満は既に前将軍のような・・・。
445日曜8時の名無しさん:2013/05/01(水) 11:14:07.58 ID:UqXsHxsw
>>427 関東のゴミは無関係だろ、何かあんのか?


足利義満(3代目足利将軍、1358〜1404)年表

【1351年】高師泰・高師直他高一族8人が、摂津国武庫川で殺害される
【1351年】仁木義長(兄の仁木頼章は幕府執事(管領の前身))が、三河守護(前任は高師兼(高師直の猶子)になる
【1357年頃】明阿(父:高師泰、夫:高師冬(高師直の養子))が、三河国額田郡菅生郷(愛知県岡崎市)に、一族を菩提する総持寺を創建する、住持は兄・高師世の娘
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【1358年】伊勢貞継(初代伊勢氏・伊勢俊継の孫)の屋敷で生まれる
【1360年】大島義高(新田氏流)が三河守護になる(新田義重―里見義俊―義成―大島義継―時継―盛義―義員―義昌―義高)
【1367年】足助重宗(足助重範の孫)の子・重政(寛立上人) が、松平郷主・在原信重の支援を得て、三河国加茂郡松平郷に寂静寺(高月院の前身)を開創する
【1368年】管領・細川頼之を烏帽子親として元服する
【1368年】三河国額田郡片寄郷(愛知県岡崎市)に、天恩寺を創建する、足利尊氏遺言の寺、開創は永源寺2世弥天永釈、4代目将軍足利義持の祈願所
【1369年】三河国宝飯郡御馬郷(愛知県豊川市)に御馬城築城を、管領・細川頼之に命ずる、頼之は弟の頼有に命ずる
【1370年】三河国設楽郡(愛知県新城市)に甘泉寺創建か?、天恩寺と同じ永源寺2世弥天永釈開創、御朱印高48石、山林境内20余町歩を寄進する
【1379年】管領・細川頼之失脚、斯波義将が管領になる(康暦の政変)
【1379年】伊勢貞継(初代伊勢氏・伊勢俊継の孫)を政所執事に任ずる
【1379年】一色範光(侍所頭人、若狭守護、、尾張国知多郡・海東郡の分郡守護)を三河守護に任ずる
【1380年代】管領・斯波義将が、斯波氏先祖代々の墓所がある三河国碧海郡(愛知県岡崎市)に、永源寺の創建を申し出る、これを支持し将軍家安泰を併せて祈願
【1380年代】三河国額田郡(愛知県岡崎市)の滝山寺本堂(4度目)を建替える
【1382年】源信氏(細川一族か?)が義満誕生日祈祷の為、三河国額田郡片寄郷(愛知県岡崎市)など4ヶ所を天恩寺に寄進する
【1387年】三河国額田郡下和田郷(愛知県岡崎市)を、京極高詮に還付する
【1388年】富士山遊覧、三河国額田郡(愛知県岡崎市)の矢作宿に宿泊する
【1388年】一色詮範(侍所頭人、若狭守護、尾張国海東郡・知多郡分郡守護)を三河守護に任ずる
【1390年】管領・細川頼之が、三河国額田郡細川郷(愛知県岡崎市)の屋敷跡に、蓮性院を創建する
【1390年代】足助重宗(足助重範の孫)に、尾張国野間荘を還付する、当時の野間荘は、高師直領を将軍家預かりとなっていた模様
【1391年】伊勢貞行(伊勢貞継の孫)を御料所三河国額田郡山中郷(愛知県岡崎市)の代官に任ずる、山中郷の法蔵寺は6代目将軍足利義教の祈願所
【1392年】細川頼之死去、葬儀は義満が主催して相国寺で行われる
【1394年】出家する
【1397年】三河国碧海郡(愛知県岡崎市)の永源寺(創建:斯波義将)に、後に建仁寺61代住持となる玉岡和尚を住持職に補す
【1397年】三河国渥美郡(愛知県田原市)を京極高詮に還付し、守護使不入の地とする
【1399年】三河国額田郡菅生郷(愛知県岡崎市)の乙川六名堤造営を、管領・畠山基国にを命ずる、下和田郷が水不足に陥り、領主・京極高詮から苦情が入る
【1399年】三河国額田郡比志賀の深恩院に、高一族の比志賀郷の旧領を寄進する
【1404年】松平和泉守源信光が誕生する
【1406年】一色満範(義満偏諱、侍所頭人、若狭守護、丹後守護、尾張国海東郡・知多郡分郡守護)を三河守護に任ずる
【1408年】死去する
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【1440年】松平信光(3代目松平氏当主)、三河国額田郡(愛知県岡崎市)の滝山寺寺領内に、神のお告げで万松寺を創建する
446日曜8時の名無しさん:2013/05/01(水) 11:16:31.97 ID:UqXsHxsw
テレビアニメ『一休さん』でお馴染みの蜷川新右衛門


蜷川氏

元は物部氏の流れを汲むとされる宮道氏
蜷川氏は、越中国新川郡蜷川郷から発祥した。すなわち宮道式俊・親直父子は、治承四年(1180)の源頼朝の旗揚げに参じて功があり、越中国砺波・新川の両郡を領した。
室町幕府において、政所執事を世襲した伊勢氏の家臣であり、親直から数えて3代目の蜷川親当の頃より政所代を世襲することとなった
蜷川氏の当主は代々新右衛門と名乗っており、蜷川新右衛門といえば、テレビアニメ『一休さん』(1970年-1982年)に足利義満の側近で寺社奉行の武士蜷川新右エ門が登場する


宮道氏

饒速日命を祖とする物部守屋の後裔(物部氏より分かれる)と称する。ほかに日本武尊系宮道氏
発祥地は三河国宝飯郡宮道郷(現在の愛知県豊川市)と推定される。


宮道天神社(愛知県豊川市)

源頼朝は上洛の折、安達盛長に代参を命じ、京からの帰路、鞍馬装束を奉納
447日曜8時の名無しさん:2013/05/01(水) 11:17:41.70 ID:UqXsHxsw
伊勢氏(初代・藤原俊継) 滝山寺縁起


■藤原俊経(〜1238):初代伊勢氏・伊勢俊継の父
・肥前前司
・法名願仏
・弟の相模法橋円辰と円辰の子大進法眼増恵は滝山寺僧侶
・滝山寺に持仏堂を造営する(後に持仏堂は、甥の大進法眼増恵に譲られる)
・滝山寺に古市場御油畠を寄進する
・歴仁元年(1238)5月13日、京都東山一切経の谷で死去

■藤原俊継(1217〜1274):初代伊勢氏
・藤原俊経の息
・伊勢前司
・建長7年(1255)、足利義氏追善の法華堂(宝幢寺)を造営、この堂に田畠3町8段を寄進、足利家氏に働きかけ、家氏の三河国碧海荘青野、宇祢部の料田畠を寄進させる
・文永11年(1274)6月23日、鎌倉で死去

■円辰:初代伊勢氏・藤原俊継の叔父
・藤原俊経の弟
・相模法橋

■増恵(1209〜1283):初代伊勢氏・藤原俊継の従兄弟
・円辰の息
・聖蓮坊大進法眼
・叔父藤原俊経の持仏堂を譲られ、自身の持仏堂とする
・吉良荘の奉行として、吉良氏の所領経営をする
・建長6年(1254)、本堂屋根瓦替工事の大勧進を勤め、同年、温室を改造する
・正嘉元年(1257)、一切経蔵を造営する
・文応2年(1261)、山王社の宝殿を改築する
・弘安6年(1283)2月13日、鎌倉滞在中に死去
448日曜8時の名無しさん:2013/05/01(水) 11:30:28.26 ID:UqXsHxsw
室町幕府 

【奉公衆】
・奉公衆(ほうこうしゅう)は、室町幕府に整備された幕府官職の1つである
・将軍直属の軍事力で、5ヶ番に編成された事から番衆、番方などと呼ばれた
・奉公衆の人数は全国合計250〜300人
・三河国の奉公衆は全国で最大人数、又三河国出身の奉公衆も最大人数

・5番衆の番頭
一番番頭 細川氏
二番番頭 桃井氏
三番番頭 上野氏
四番番頭 石垣氏(畠山氏)
五番番頭 大館氏


三河国の奉公衆一覧(全53家)

【藤姓熱田大宮司一族】
千秋、萩、星野、二階堂、毛利(大江氏流)

【足利一族】
荒川(戸賀崎流)、一色、伊奈、上野、吉良、天竺(細川氏流)、仁木、細川、三淵(細川氏流)、和田

【足利被官】
饗庭、朝倉、飯尾、岩堀、大草、高、久下、小嶋、中条、二宮、彦部

【三河源氏】
足助、水野

【三河伴氏】
設楽、黒瀬、富永

【美濃源氏】
土岐、長山(土岐氏流)

【桓武平氏】
伊勢、神谷、山下

【その他】
宇津野、大内、借宿、河内、小林、疋田、桜井、進土、杉山、堤、長、西部、本郷、松平、丸山、三浦、大和
449日曜8時の名無しさん:2013/05/01(水) 13:31:14.76 ID:ZWNKnhEt
「富士山」世界遺産に登録へ

ユネスコの世界文化遺産への登録を目指している山梨県と静岡県の「富士山」について、
ユネスコの諮問機関は「世界遺産に登録することがふさわしい」とする勧告をまとめ、
「富士山」は6月にも正式に世界遺産に登録される見通しになりました。
一方、神奈川県の 【「鎌倉」については、世界遺産への登録がふさわしくない】 と勧告しました。

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20130430/t10014292061000.html


鎌倉、待ちわびる世界遺産登録 ユネスコ決定6月に
http://www.nikkei.com/article/DGXNZO54498990Z20C13A4CR8000/
450日曜8時の名無しさん:2013/05/01(水) 14:05:49.15 ID:m1I2omCd
鎌倉炎上
451日曜8時の名無しさん:2013/05/01(水) 16:06:24.94 ID:UVmDrQjp
鎌倉が落選したのは新田のせいだな
幕府の痕跡があまりにも現存してない
452日曜8時の名無しさん:2013/05/01(水) 22:41:09.87 ID:4MEXTSUK
それは俺も思った。乱世の常とはいえ。鎌倉が燃えて幕府の重要書類等も灰になって後世の史学に多大な影響を…
安土城も惜しいよね
453日曜8時の名無しさん:2013/05/02(木) 11:42:52.09 ID:G24VEKeP
鎌倉幕府bQ


源範頼(源頼朝の異母弟、蒲冠者、参州、三河守)の年表

【1150年】父:源義朝、母:池田宿の遊女の間に産まれる

・藤姓大宮司一族(由良御前(源頼朝の母)か?)が密かに京都で養育
・その後、藤原季範(初代藤姓熱田大宮司)の弟(勘解由丞季成(藤原季成))が宮司を務める蒲神明宮(遠江国蒲村、蒲御厨)で養育され、蒲冠者と呼ばれる
・乳母父は当麻貞稔(勘解由丞季成の息)夫妻、息に吾妻鏡に出てくる当麻太郎

【1155年】藤原季範(初代熱田大宮司)死去
【1157年】由良御前(源頼朝の母)死去
【1159年】父:源義朝暗殺、異母兄:源頼朝は伊豆に配流
【1161年】藤原範忠(藤原季範の長男、由良御前の兄)周防国に配流
【1161年頃】藤原範季(藤原季範の従兄弟の孫)が養父になる

・藤原実範(三河国司)→藤原季綱(三河国司)→藤原友美→藤原能兼→藤原範季(養父)→源範頼
・藤原実範(三河国司)→藤原季綱(三河国司)→藤原友美→娘→源頼政→源広綱
・藤原実範(三河国司)→藤原季兼(三河四郎)→藤原季範(額田冠者、初代熱田大宮司)→由良御前→源頼朝

【1180年】以仁王挙兵、遠江の甲斐源氏と行動を共にする
【1183年】野木宮合戦に援軍
【1184年】木曽義仲追討軍の大将として、宇治瀬田の戦い、一ノ谷の戦い
【1184年】三河守に推挙される、本拠を形原城(三河国宝飯郡形原、愛知県蒲郡市)に構える
【1184年】九州進軍の大将として九州平定
【1185〜1187年】吉祥子(安達盛長(三河国小野田荘(愛知県豊橋市)地頭、後に三河守護)と丹後内侍の娘)を室にする
【1185〜90年】上地八幡宮(三河国額田郡上地、愛知県岡崎市)創建、茂松城(三河国宝飯郡茂松、愛知県豊川市)築城
【1193年】伊豆に幽閉、暗殺される
454日曜8時の名無しさん:2013/05/02(木) 11:46:47.62 ID:G24VEKeP
源範頼暗殺後の鎌倉幕府bQ


足利義兼(2代目足利氏当主)の年表

1153年、父:源義康(初代足利氏)、母(源頼朝の母と姉妹):藤原季範(初代藤姓熱田大宮司)の娘(実父は藤原季範の長男:藤原範忠)の間に生まれる(出生地は京都もしくは三河)
1155年、母方の祖父(血縁上は曾祖父):藤原季範死去、父方の祖父:源義国死去
1157年、父:源義康死去
1159年、母の姉:由良御前(源頼朝の母)死去
1160年、源義朝暗殺、源頼朝伊豆に配流
1160〜1162年頃、母親(頼朝の母と姉妹)の三河国額田郡乙見内(愛知県岡崎市)の所領(父親からの化粧料)に、異母兄弟2人(源義清、源義長)と共に移り住み、三河の藤姓熱田大宮司家の庇護を受ける
1161年、藤原範忠(実の祖父)周防国に配流
1167〜1168年頃、八条院蔵人、三河国碧海郡碧海庄(愛知県岡崎市、三条女御領)の庄司に任じられる(碧海庄司時代、熱田神宮祭典の大宮司代理に補された)

・異母兄の源義清(細川氏・山名氏の祖、室に新田義重の娘)は、三河国幡豆郡矢田(愛知県西尾市、皇嘉門院(崇徳天皇中宮)領)に拠を構え、矢田義清(矢田判官代)と称する

1174年、三河国碧海郡碧海庄で長男、源義純(源姓畠山氏の祖、新田義重が養育)が生まれる(その所縁か、室町時代に畠山氏流和田氏が碧海地域の奉公衆になる)
1176年、三河国碧海郡碧海庄で次男 源義助(桃井氏の祖)が生まれる
1180年、以仁王挙兵、源義清(矢田義清)、源義長、源義兼は三河国から参戦、義清と義長は源頼政(頼政死後は木曽義仲)と、義兼は源頼朝と行動を共にする
1181年、北条時政の娘を正室に迎える
1183年、異母兄2人源義清(矢田義清)と源義長は、水島の戦いで戦死
1184年、源範頼(後に三河守)軍の一員として九州平定
1185年、上総介に推挙される
1189年、源頼朝軍の一員として奥州合戦に従軍、嫡男足利義氏(後に足利氏として初めて三河守護)が産まれる
1190〜1195年頃、三河国碧海郡碧海庄(愛知県岡崎市)内に薬師寺を建立(義純、義助の母である白拍子を菩提)、三河国額田郡乙見(愛知県岡崎市)の真福寺に法華堂を建立(母親を菩提)
1195年、東大寺で出家
1199年、死去
455日曜8時の名無しさん:2013/05/02(木) 12:58:50.35 ID:zEdME59N
何このキチガイは?
多少の歴史薀蓄はアリだとしても、これはやりすぎだろ
しかも太平記の時代と何の関係もないし
456日曜8時の名無しさん:2013/05/02(木) 13:14:29.49 ID:Su9fR4Io
こいつ日本史板や戦国板によく湧く奴だから。
スルーあるのみ
457日曜8時の名無しさん:2013/05/02(木) 14:37:18.80 ID:IqFByxtA
鎌倉時代や南北朝時代の太刀、大太刀が沢山見られる、行ける人オススメ

日光二荒山神社 宝刀展
ttp://www.city.setouchi.lg.jp/~osa-token/
ttp://www.city.setouchi.lg.jp/~osa-token/exhibitions/index.htm

重要文化財 大太刀 山金造蛭巻大太刀 南北朝時代(14世紀)総長175センチ
ttp://www.futarasan.jp/cgi-bin/imgsys/image_c.cgi?194:2849:0:0
重要文化財 大太刀 号 瀬登太刀 南北朝時代(14世紀)総長158.2センチ
ttp://www.futarasan.jp/cgi-bin/imgsys/image_c.cgi?194:2848:0:0

第1章 二荒山神社の大太刀
1 ◎ 大太刀 無銘 号 瀬昇太刀 158.2 南北朝時代(14世紀)
2 ◎ 拵 黒漆山金蛭巻兵庫鎖太刀拵(瀬昇太刀の拵) 175 南北朝時代(14世紀)
3 ◎ 大太刀 無銘 号 柏太刀 189.6 南北朝時代(14世紀)
4   大太刀 無銘 伝相州正広 170.9 南北朝時代(14世紀)
5 ◆ 大太刀 無銘 号 太郎丸 259 南北朝時代(14世紀)
6 大太刀 無銘 伝志津 184.4 南北朝時代(14世紀)
7 ◆ 大太刀 無銘 伝直江志津 193.4 南北朝時代(14世紀)
8 大太刀 無銘 伝赤坂千手院 197.3 南北朝時代(14世紀)
9 大太刀 銘 奉納男体権現御宝前 願主理姓坊亮傳 寛永十七庚辰天七夕 山城大掾藤原国次作  164.5 江戸時代初期(1640年)
458日曜8時の名無しさん:2013/05/02(木) 17:53:25.81 ID:25uWjVSa
>>455
確かに。
俺は、書いた当人が自分の言葉で書いているような薀蓄なら多少長くても
結構読んでしまうほうだが、こんなどこかからのコピペを貼り付けただけ
みたいのは最初からスルーだなw
459日曜8時の名無しさん:2013/05/02(木) 18:00:03.09 ID:z3MUOepL
「北条も鎌倉も焼きつくして候」
「変わり果てた鎌倉の様に皆袖を濡らし候」
鎌倉が世界遺産登録却下になったってのを聞いて右馬介のこの手紙を思い出した

全部焼き尽くして何も残ってないんだから世界遺産はムリだよなw
460日曜8時の名無しさん:2013/05/02(木) 18:32:54.93 ID:RAn59kRi
焼けたのが悪いんじゃなく、建て直さないのが悪いんだろ
461日曜8時の名無しさん:2013/05/02(木) 18:44:04.34 ID:RAn59kRi
平安末期から鎌倉時代の話はOK、安土城とかは論外

細かい事はさておき、北条氏が三河に手を出せなかった理由が何となく分かった
源氏に譲らざるおえなかったのは、痛恨の極みだな
462日曜8時の名無しさん:2013/05/02(木) 22:28:03.78 ID:j17kL4l4
ただ三河国は鎌倉初期だと安達盛長が守護なんだけどね。
463日曜8時の名無しさん:2013/05/03(金) 00:52:08.80 ID:gv9lg+Cr
あと三河って、鎌倉時代を通じて関東御分国にはなっていないんだよな。

頼朝は平家滅亡後に範頼を三河の国司(守)に推挙しているけど、
これは三河を頼朝自身の知行国にしたというわけではなく、
範頼の三河守は単独国務としての国司だったらしいし。

この辺りから考えると、頼朝には三河を特別視するような意識はあまりないように見える。
464日曜8時の名無しさん:2013/05/03(金) 07:05:50.09 ID:V83wWMjh
>>462
間抜け、頼朝はまだ生きてんだろ
範頼無きあとは、頼朝の側近中の側近、範頼嫁の父で、三河出身の小野田盛長が三河守護になった
465日曜8時の名無しさん:2013/05/03(金) 07:13:38.35 ID:V83wWMjh
>>463
源頼朝関連史跡

■三河七御堂(西尾市、豊橋市、蒲郡市、豊川市、新城市)
源平合戦で死んだ将兵を弔うため発願し、文治〜建久年間に安達藤九郎盛長(三河国小野田荘地頭、のちに三河守護)に命じて造らせた
東三河に集中しているのは、盛長の出自が東三河(現在の豊橋市石巻小野田町)だったからと推測する

一覧
【西尾市】・光福寺/現在の金蓮寺、弥陀堂 【豊橋市】赤岩寺/弥陀堂普門寺/観音堂【蒲郡市】長泉寺/弥陀堂、安達藤九郎盛長の墓あり 、全福寺/現在は廃寺、丹野御堂【豊川市】財賀寺/観音堂 【新城市】鳳来寺/弥陀堂

■滝山寺(岡崎市)
母方の一族である藤姓熱田大宮司家氏寺、伽藍造営
源頼朝の歯と顎髭が埋め込まれた等身大の聖観音像あり
北条政子13回忌に、足利義氏(3代目足利宗家)が源実朝、北条政子の遺骨を分骨

■その他
【岡崎市】
・光明寺/堂宇を再建
・夏山八幡宮/梶原景時を名代にして参拝、社領寄進

【豊田市】
・平勝寺/元の名は大悲密院(南北朝時代に平勝親王が改名)、寺領寄進
・二井寺(普賢院)/寺領寄進
・猿投神社/藤姓熱田大宮司一族氏神、大社に改築

【知立市】
・牛田八幡社/頼朝の目代(大江氏か?)が鶴岡八幡宮を勧請

【西尾市】
・瀬門神社/1195年に源頼朝が社殿を再建

【豊橋市】
・普門寺/堂舎再興、寺領寄進、化積上人(叔父、藤姓熱田大宮司一族か?)が学頭、頼朝等身と伝わる不動王あり
・吉田神社/社殿は安達藤九郎盛長が造営、天王社勧請
・鞍掛神社/愛馬の鞍を奉納

【豊川市】
・財賀寺/本堂・仁王門再建、寺領寄進
・宮道天神社/安達盛長に代参を命じ、京からの帰路、鞍馬装束を奉納
・八幡宮/寺領(1000町歩)寄進

【蒲郡市】
・八劒神社/社殿は建久元年(1190年)、頼朝の命により安達藤九郎盛長(三河国小野田荘地頭、のちに三河守護)が造営

【新城市】
・鳳来寺/再興、三重塔造営、寺領寄進
・今水寺/寺領寄進
466日曜8時の名無しさん:2013/05/03(金) 16:38:39.25 ID:gv9lg+Cr
>>461
鎌倉末期の段階で、鎌倉と京都の間の国々のうち、北条氏から見て外様が守護なのは、
三河(足利氏)と近江(佐々木氏)だけなんだよな。

こう考えると、足利と佐々木の裏切りで最終的に幕府が潰れたのも、歴史の必然というべきかw
467日曜8時の名無しさん:2013/05/04(土) 03:03:50.49 ID:GNUIYHut
>>464
範頼は国司、盛長は守護なんだが。
468日曜8時の名無しさん:2013/05/05(日) 03:55:10.05 ID:CYgOVEU1
というか鎌倉時代の場合、
“鎌倉御家人が国司の国=関東御分国”
みたいなイメージがなんとなくあったのだが、必ずしもそうではないんだな・・・。
469日曜8時の名無しさん:2013/05/06(月) 04:56:06.40 ID:lNZb+0rj
関東御分国とはいずれも将軍家が知行国主の地位にある国のことだが、
関東御領の場合は将軍家が本家職を持つ場合と領家職を持つ場合があるんだよな。
470日曜8時の名無しさん:2013/05/07(火) 03:50:10.07 ID:ppczX9V3
>>464は意味不明。
471日曜8時の名無しさん:2013/05/09(木) 20:28:06.30 ID:Bo8FR/B4
足利義詮ってこの作品でも古典の太平記でも無能扱いだけど、
実際は貞治の変を利用して守護勢力を抑えて将軍権力を強化したり
南朝方の有力守護を帰順させ南北朝合一の道筋を作ったりとなかなか有能な二代目だよね。
北条義時や徳川秀忠と同じく重責を果たして次代に繋いでるんだから。
義時や秀忠はスポットライトを当てた作品があるけど義詮はないもんなあ。
まあこの時代自体人気ないみたいだけど。
子供のころから戦につぐ戦だったせいか短命だったのも余計印象薄くしてるし。
472日曜8時の名無しさん:2013/05/09(木) 21:26:03.96 ID:XYB+wIda
>>471 面白いんだけどね。
まあ相手を倒しても滅亡させずに残党軍団がいつまでもいるのが
印象が悪いような気がする。

それと実は尊氏がチートでヒヤヒヤ感がないんだよな。
頼朝は仇討だし、秀吉家康は分かりやすい立身出世劇だし
信長は博打打ちで薄氷を踏むような事を何回もやってるんだけど
尊氏は生まれは名門のおぼっちゃまで生まれながらの嫡男だし
偶に鬱発症しながらも何事も無難に危なげなくこなすんで物語としてはイマイチ。

九州落ちも追いつめられて逃げたってよりあの短期間で登って来た事からも
分かるようにただ西国平定しにいっただけだし
打出ヶ浜も弟だから適度な所で治めようと手加減してたようにしか見えないしなあ。
堅実極まりないから物語として成立しない個所がいくつかあるんだよね。
473 忍法帖【Lv=8,xxxP】(2+0:8) :2013/05/09(木) 21:37:43.06 ID:XYB+wIda
後醍醐天皇が北畠親房くらいの能力があるか
せめて戦術面は楠木正成の献策を全て受け入れるか
そもそも阿野廉子に骨抜きにされずに倒幕後に素直に
護良親王を皇太子に指名してりゃもう少し万人受けする展開を辿ったかもしれん。
474日曜8時の名無しさん:2013/05/10(金) 02:14:05.17 ID:2mRyF//Y
>>471
確かに義詮期は表面的には、観応の擾乱の後始末だけで終わってしまった感もあるが、
ただそれまでの二頭政治的な体制から完全に決別して、将軍への権力一元化が図られ、
室町幕府から鎌倉幕府の模倣的な要素が希薄になっていく意味では、重要な時期。
なので専門家の間では、この時期の室町幕府は実は結構注目されているはず。

あと北条氏に関しては、時政が政治的に大した人物ではないので、
義時は実質的には初代の創業者といってよいような雰囲気がある。
無論、頼朝が作った鎌倉幕府を受け継いだという点では二代目的な性格だけど。
475日曜8時の名無しさん:2013/05/13(月) 21:00:53.09 ID:VI2D5p1M
そういえば、この大河の時代考証って永原慶二さんなんだよね。
476日曜8時の名無しさん:2013/05/14(火) 00:41:35.36 ID:dbZFEKX8
鎌倉の今に残る寺は意外と室町時代や足利関連が多い
477Dr.カオス ◆/MARIA/cfk :2013/05/14(火) 02:52:22.26 ID:zJ5bRW4p
ちびまる子ちゃんのCMの
「みつみつみっつ〜みつみつっみつうろこ♪」
って北条殿とは関係あんのか?
鎌倉から落ち延びて清水で密かに栄えてたとか
それが今では全国区で毎週ちびっこ達にサブリミナル
そして来るべき一斉蜂起の時が・・・
478日曜8時の名無しさん:2013/05/14(火) 03:48:19.58 ID:+9Aj+UjD
>>476
そりゃ鎌倉五山とか定めたのは室町幕府(義満)なわけだし。

>>477
まあ鎌倉期の駿河は、幕初から最末期まで北条氏が守護だがな。
ただ、後の後北条氏も家紋は三鱗だけどね。
479日曜8時の名無しさん:2013/05/14(火) 09:26:32.65 ID:+VMgaC7X
>>477
中先代の乱?
480日曜8時の名無しさん:2013/05/15(水) 02:57:41.58 ID:0uwIPMYb
中先代の乱の発信源は信濃だがな。

しかし時代の流れとはいえ、対足利で南朝と北条残党の負け犬同士が手を組むというのは皮肉だ。
481日曜8時の名無しさん:2013/05/15(水) 06:23:18.93 ID:ApCKKCX0
>>480
そこはかとなく本末転倒だな
482日曜8時の名無しさん:2013/05/15(水) 09:25:06.24 ID:u4WrrSpa
もともと円喜に嫌われて泰家は執権になれず
新田討伐に向かい一度は勝つが敗退、鎌倉に戻らず潜伏
後醍醐暗殺未遂、逃亡して泰家・仲時は信濃で蜂起、直義の守る鎌倉占領
尊氏出陣し鎌倉奪回、その後に後醍醐に詫びを入れて北畠軍に加わる
北畠と新田の合流には反対したが、顕家・義貞戦死後は脇屋軍に加わる
その後に直冬に呼応し関東で挙兵するが基氏に破れ処刑される


脇屋義助軍に北条仲時がいた
483日曜8時の名無しさん:2013/05/15(水) 09:26:35.91 ID:ApCKKCX0
乙夜叉のプロフィール
身長165cm 体重168kg
スリーサイズ153cm 148cm 155cm
484日曜8時の名無しさん:2013/05/15(水) 09:28:05.62 ID:u4WrrSpa
泰家・仲時と斯波高経はキャスティングして欲しかった
485日曜8時の名無しさん:2013/05/16(木) 00:21:26.67 ID:7u2MOAgr
>>482
それは仲時(最後の六波羅探題北方、普恩寺流)ではなく、時行(高時の次男)だろw

仲時は六波羅陥落の2日後に近江蓮華寺で自決しているよ。
(蓮華寺はドラマの最後紀行で紹介されていたはず)
ちなみにこのドラマでの仲時の配役は、初登場時と幕府滅亡時で何故か変わっていた。
486日曜8時の名無しさん:2013/05/16(木) 00:27:39.96 ID:7u2MOAgr
あと足利方による時行の処刑(1352年)は実質的には尊氏の指示と見てよいと思う。
この段階での基氏はまだかなり若年だし、
またこの時期は観応の擾乱の余波で尊氏が関東に長期滞在しているので。

しかし高時の遺児である時行と義貞の遺児である義興・義宗が手を組むというのも究極の皮肉だ。
487日曜8時の名無しさん:2013/05/16(木) 07:12:21.95 ID:en2qAYfh
本当は北畠親房役って平幹だったんだな
随天ばりに易占いをやる親房卿か
無いな
488日曜8時の名無しさん:2013/05/16(木) 10:15:35.26 ID:WUuzccvf
>>487
イメージ的には近藤正臣のほうが合っているよな
親房は偏狭だがぶれない保守派という感じ
489日曜8時の名無しさん:2013/05/16(木) 16:22:25.43 ID:7u2MOAgr
親房って別に偏狭とは必ずしもいえないと思うが、
彼は政治思想的には当時の一般的な公家の意識とそう変わらない。

どちらの皇統が正統かという点では南朝支持だが、
ある意味究極の改革派というべき後醍醐の政治姿勢を、
親房・顕家親子が全く評価していない点は興味深い。
490日曜8時の名無しさん:2013/05/16(木) 21:29:23.01 ID:IH43AiL6
一般的な公家の意識
味方の武士が戦死:この役立たずめ
自分の息子が戦死:顕家ぇぇぇぇええええ!!(号泣)
491日曜8時の名無しさん:2013/05/16(木) 21:51:07.63 ID:RUK8J0nr
そもそも戦場に出ること自体が一般的な公家の意識と違うだろう
武士を賤しんでいるが武士の時代であることは認めているんだろうな
492日曜8時の名無しさん:2013/05/16(木) 21:59:04.12 ID:7u2MOAgr
太平記の時代の公家は、自ら甲冑を着て戦場に出ることにそんなに抵抗感はないでしょう。
公家が完全に武と無縁になるのは、江戸時代になってから。
493日曜8時の名無しさん:2013/05/17(金) 09:32:38.29 ID:s0yp75ED
>>492
平安時代の公家は武と無縁だろう、清盛を見る限り
奈良時代以前は貴族はいても公家はいないな
494日曜8時の名無しさん:2013/05/17(金) 14:36:42.50 ID:gNgCuFui
平安期に武士ではない貴族が武に関わる活動をしている例は、探せば普通にあるよ。

例えば承平・天慶の乱の平定に関わった藤原忠文・小野好古とか、
刀伊の入寇を撃退した藤原隆家とか。

あと清盛の時代でも、平治の乱の藤原信頼は自ら甲冑を着けて兵を率いることをしたといわれる。
信頼が非武士なのに斬首された理由でもあるが。
495日曜8時の名無しさん:2013/05/17(金) 17:39:37.38 ID:XL/aTMbF
【栃木】鑁阿寺本堂国宝に 鎌倉時代の禅宗様式 足利氏にゆかり
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1368779814/
496日曜8時の名無しさん:2013/05/17(金) 23:13:17.44 ID:RsH9oPbh
比叡山や本願寺も甲冑着用してたからなあ
公武って単純に分けられないよね
497日曜8時の名無しさん:2013/05/18(土) 02:31:48.95 ID:VuV0SsWX
というか公家でも自分用の鎧兜一式は揃えて持っているのが普通だよ。

まあ普段は武と関係ない生活をしている人も、
自分自身に危険が及びかねないような状況になったり、何か目的があれば武装することはある。
これは上級貴族から庶民末端までみんなそう。
ただそういう人が武装していても、それを武士とは呼ばない。

要は武士とは、普段から武芸の習得・鍛練をしていて、
その武芸というスキルを自らのアドバンテージにして生活しているような人々だな。
(職能武士論の受け売りだが)
498日曜8時の名無しさん:2013/05/18(土) 03:14:37.04 ID:AoQDlZjq
公家というのは支配階級、武家というのは奉仕階級
そういう認識だよお貴族様ってのは
499日曜8時の名無しさん:2013/05/18(土) 05:53:46.46 ID:kjalt9rH
まあ持ってても着たくないだろな
当時の兜とか無駄に重くて頭痛そうだし
500日曜8時の名無しさん:2013/05/18(土) 05:58:11.31 ID:VuV0SsWX
軍事貴族という言葉もあるけどな。
501日曜8時の名無しさん:2013/05/18(土) 11:38:52.57 ID:+EtOGRL8
22年も経ったが古びないな、この番組
船のCGだけは直したいけどw
502日曜8時の名無しさん:2013/05/19(日) 00:35:08.98 ID:PsL5AsXO
>>501
韓国の時代劇よりイイですよー
あっちは歴史的会戦でも兵隊30人ぐらいなんだものw
503日曜8時の名無しさん:2013/05/19(日) 00:53:13.46 ID:PsL5AsXO
>>497
回答になってない気もするが、武士とは「武士がいた時代にそう考えられてた人」ではないかと。
職能だけだと、室町期には既に存在した傭兵との区別が無くなってしまう…
(太田道灌の足軽軍法も、足軽=傭兵の使い方との説もある)
というよりか、武士でも全員が武芸に秀でていたわけでもないしね。ほかならぬ足利直義とか。
やはり階級なんだと思う。

あと、武士はその始まりを将門の頃としても、一貫して王朝風の優雅な文化を愛していた。
鎌倉御家人には、歌舞音曲で頼朝に重用された者もいた。
一条能保の一族は京都在住の公家だったが、御家人でもあった。
武士と公家の境界は曖昧だった。
敢えて言うなら、公家は天皇との関係で規定されていたとは言えるかも。
504日曜8時の名無しさん:2013/05/19(日) 01:50:16.95 ID:htTtgFqK
直義が武芸できなかったなんて証拠あるの?

あと「公家」という言葉は本来は“公の家”つまり国家=朝廷そのものという意味だったわけで。
天皇の取り巻きの上級貴族層という意味の階層を指す言葉として、
「公家」とか「公家衆」とかなんていう用法が生まれるのは、それこそ太平記の時代くらいから。

あと近世の武家諸法度(綱吉期に改正される前の初期のもの)でも、
武家に第一に必要なことは「文武弓馬の道」とされており、
近世初期の段階でもまだ職能武士的な意識は残っている。
505日曜8時の名無しさん:2013/05/19(日) 07:42:31.01 ID:YsgslnHC
■1234年、鑁阿寺大御堂を建立


(大檀那)足利義氏
藤原実範(三河国司)→藤原季兼(三河四郎)→藤原季範(額田冠者、初代熱田大宮司)→娘→足利義兼→足利義氏

(大行事権律師)藤原重弘
・藤原実範(三河国司)→藤原季兼(三河四郎)→藤原季範(額田冠者、初代熱田大宮司)→藤原範忠→野田清季(野田城主(三河国設楽郡野田))→野田朝季→藤原重弘

(雑掌)藤原朝氏(野田朝氏、野田大宮司、嫁は足利義氏の姉)
・藤原実範(三河国司)→藤原季兼(三河四郎)→藤原季範(額田冠者、初代熱田大宮司)→藤原範忠→野田清季(野田城主(三河国設楽郡野田))→野田朝季→野田朝氏


■鑁阿寺 多宝塔跡
藤原重弘が、父である藤原野田朝季の供養のために造立した供養塔、多宝塔供養導師は、足利義氏の息子、最信

・藤原実範(三河国司)→藤原季兼(三河四郎)→藤原季範(額田冠者、初代熱田大宮司)→藤原範忠→野田清季(野田城主(三河国設楽郡野田))→野田朝季

・藤原実範(三河国司)→藤原季兼(三河四郎)→藤原季範(額田冠者、初代熱田大宮司)→娘→足利義兼→足利義氏→最信
506日曜8時の名無しさん:2013/05/19(日) 18:59:02.20 ID:htTtgFqK
またわけわからんのが出たw
507日曜8時の名無しさん:2013/05/20(月) 06:48:28.29 ID:g/82Ya4J
打ち首だと?些細な喧嘩であろう

妙法院は丸焼けにございます


どこが些細なんだw
しかも行ってみると当事者のふてぶてしさw

この辺りの尊氏の胃のMAX度が妙に頭を抱える高時とリンクする
508日曜8時の名無しさん:2013/05/20(月) 09:27:36.26 ID:04R5GYI/
■1234年、鑁阿寺大御堂を建立

(大檀那)足利義氏(三代目足利氏当主)
・藤原実範(三河国司)→藤原季兼(三河四郎)→藤原季範(額田冠者、初代熱田大宮司)→娘→足利義兼→足利義氏

(大行事権律師)藤原重弘(鑁阿寺第四世寺務学頭、野田朝氏と兄弟)
・藤原実範(三河国司)→藤原季兼(三河四郎)→藤原季範(額田冠者、初代熱田大宮司)→藤原範忠→野田清季(野田城主(三河国設楽郡野田))→野田朝季→藤原重弘

(大勧進)阿闍梨了心

(雑掌・奉公人)藤原朝氏(野田朝氏、野田大宮司、嫁は足利義氏の姉)
・藤原実範(三河国司)→藤原季兼(三河四郎)→藤原季範(額田冠者、初代熱田大宮司)→藤原範忠→野田清季(野田城主(三河国設楽郡野田))→野田朝季→野田朝氏

(雑掌・奉公人)源季能

(雑掌・奉公人)小俣禅阿(鶏足寺の別当)

(雑掌・奉公人)大平惟行
・高階惟章→惟頼→惟真→惟範→惟長(三河国額田郡菅生郷郷司)→瀧口惟忠→大平惟行

(雑掌・奉公人)高階義定
・高階惟章→惟頼→惟真→惟範→惟長(三河国額田郡菅生郷郷司)→惟重→義定

(雑掌・奉公人)大進円憲

(雑掌・奉公人)佐野範綱

(雑掌・奉公人)真下広経

(雑掌・奉公人)小野有家

(雑掌・奉公人)藤原兼資


■鑁阿寺 旧多宝塔跡
藤原重弘(鑁阿寺第四世寺務学頭、野田朝氏と兄弟)が、父である野田朝季の供養のために造立した供養塔、多宝塔供養導師は、足利義氏の息子、最信

野田朝季(野田大宮司、朝比奈義秀と戦い戦死)
・藤原実範(三河国司)→藤原季兼(三河四郎)→藤原季範(額田冠者、初代藤姓熱田大宮司)→藤原範忠→野田清季(野田城主(三河国設楽郡野田))→野田朝季

最信(勝長寿院別当)
・藤原実範(三河国司)→藤原季兼(三河四郎)→藤原季範(額田冠者、初代藤姓熱田大宮司)→娘→足利義兼→足利義氏→最信
509日曜8時の名無しさん:2013/05/20(月) 22:20:35.58 ID:swYTS8Jm
>>507
尊氏も自分が武士の頭領になってみたら
高時の気持ちが少し分かったような気がした
なんて描写があればもっとよかったなあ
510日曜8時の名無しさん:2013/05/20(月) 22:21:04.44 ID:XH1lFkFR
>>507
高時の場合、部下の乱行に悩まされるようなことってあったっけ?
511日曜8時の名無しさん:2013/05/20(月) 22:43:24.20 ID:swYTS8Jm
>>510
トップの孤独って言うか、そんな感じの意味で。
頭領になっても世の中は思う通りには動いてくれないし。

高時は自分の無力を悟って現実から逃避しちゃったけど
尊氏は現実に立ち向かってボロボロになっちゃうのは対照的。
(時々逃げ出しかけてたけど)
512日曜8時の名無しさん:2013/05/20(月) 23:16:23.53 ID:Z/g784i5
>>509
帥直クーデータの最中にもかかわらず尊氏が地蔵の絵を描いている場面で、それに近い描写はあるな。
513日曜8時の名無しさん:2013/05/21(火) 08:34:05.15 ID:Q3z9GcHN
頑張れば頑張るほどボロボロになっていくのは、まさに中世後期という時代を象徴している。
514日曜8時の名無しさん:2013/05/21(火) 09:10:55.45 ID:Eso+juDQ
腐った鎌倉幕府は紙切れの御神体
本当の神だと信じた後醍醐も偽物の神だった
でも弟や息子と抗争している自分も紙切れの神
515日曜8時の名無しさん:2013/05/21(火) 09:24:14.70 ID:+KpqD50S
>>510
尊氏の婚礼の際に長崎円喜に暗殺されかかる。
これが古典の太平記の妖霊星を元ネタにしてる。

鎌倉攻めの際に赤橋守時を憐れむ高時が印象的。
516日曜8時の名無しさん:2013/05/21(火) 14:26:21.44 ID:P5w82Ib4
>>513
花の乱も完全にそうだな
517日曜8時の名無しさん:2013/05/21(火) 21:15:12.82 ID:do9gWT2f
「鎌倉炎上」の回を見返す事にしよう
518日曜8時の名無しさん:2013/05/22(水) 01:11:21.09 ID:J3Mijy5y
裸の巫女が目当て?
519日曜8時の名無しさん:2013/05/22(水) 02:37:55.02 ID:Uzgyvlil
>>515
結局、御内人が大きな権力を持つような体制にしてはいけなかったんだよな。
520日曜8時の名無しさん:2013/05/22(水) 19:39:59.95 ID:UVn60Y81
乗馬技術が真田尊氏上手い
521日曜8時の名無しさん:2013/05/22(水) 19:52:02.72 ID:Uzgyvlil
>>520
あれは元アクション俳優の本領発揮だな。
流鏑馬シーンも吹き替えなしで本人がやっているらしいし。
522日曜8時の名無しさん:2013/05/22(水) 21:31:31.28 ID:jhBti4Rc
全盛期の真田さんは褌一丁で全速力の馬に立ち乗りしてたりするからな
何気に武田鉄矢も刑事物語とかで和製ジャッキーだったりする
523日曜8時の名無しさん:2013/05/22(水) 22:10:27.64 ID:oOFyPIQ9
>>514
でもやはり、あれは本当の神だったのやもしれぬ・・・
524517:2013/05/22(水) 22:30:51.96 ID:zyPQXgo9
別に裸の巫女目当てじゃないがw「鎌倉炎上」を見返してみた。
無論北条氏の壮絶な滅びの美がメインだけど
終わりに赤松円心が、これからは良き世になりまするぞ
と言ってるのがあまりに皮肉。
525日曜8時の名無しさん:2013/05/23(木) 06:40:15.39 ID:BGoz4hjk
赤松は六波羅との戦いでは鎌倉攻めの新田並みに功績あったはずなのに
そりゃグレて立て籠るわな
526日曜8時の名無しさん:2013/05/23(木) 22:56:00.24 ID:J4AnZnU2
尊氏は円心にかなり助けてもらったよな。
円心、道誉がいなければ尊氏の活躍はなかった
527日曜8時の名無しさん:2013/05/23(木) 23:08:37.04 ID:5dv45qG1
>>526
観応の擾乱期の状況を考えると、足利一門出身の大名よりも、
むしろ赤松や佐々木京極のほうが尊氏・義詮に忠実な印象すらあるからねぇ。

まあ結局、血縁的に足利一門と関係ない家系から室町幕府の三管領四職に名を連ねたのが、
佐々木京極と赤松だけというところがすべてを物語っているけどね。

なお山名と関東管領の上杉は、室町幕府の位置付けでは准一門の扱い。
528日曜8時の名無しさん:2013/05/24(金) 00:25:09.61 ID:4JSnaKgM
>>527
土岐も侍所に任じられたことはあったような。
中央政界で影が薄い感は否めないが、大内並みには優遇されてると思う。

まあ外様大名のほうが足利に忠節尽くさないといけないんだろうね。
佐々木はまだしも、山名・大内・土岐・赤松はほぼそれだけでのし上がったわけで。
529日曜8時の名無しさん:2013/05/24(金) 00:29:47.16 ID:4JSnaKgM
>>525
そこまで活躍したかは何とも言えんが(義貞は過大評価されてる気もするし)
まあ最大の功績は白旗城合戦だろうね。
むしろ籠城の名手だった点で楠木正成に似てるような。命運は分かれたが…

円心の「手のひら返す綸旨など要るものか」と、
正成の「討ち死にせよとの勅諚なれ」(太平記天正本)は実によく当時の武士を物語ってると思う。
530日曜8時の名無しさん:2013/05/24(金) 00:36:01.83 ID:VfTSzKAM
赤松には円心以来義満まで大変お世話になったんだが次の義持の頃から扱い悪くなっていき
ついには義教を・・・
義詮までだったら赤松京極に加え土岐も外様では将軍家に忠実だったな
531日曜8時の名無しさん:2013/05/24(金) 00:49:46.50 ID:k3ot/r4V
>>529
後醍醐の切なるご催促に、楠木正成は重い腰を上げた。一族500人の運命を賭けて――。
一方、正成とはおよそ対照的なばさら大名・佐々木道誉は幽閉の後醍醐に近づき美姫といばらの鞭で帝の御心を自由に操縦しようとする。
かかる魔像こそ、この時代の男たちの特徴といえよう
532日曜8時の名無しさん:2013/05/24(金) 10:50:32.02 ID:+0h16zha
初登場の赤松はどう見ても山賊の棟梁だよな
533日曜8時の名無しさん:2013/05/24(金) 19:04:25.80 ID:BTl7XDnn
赤松ワイルドで好きだわ
534日曜8時の名無しさん:2013/05/24(金) 20:01:57.29 ID:lEDsDLRp
尊氏・直義、正成・正季、義貞・義助、師直・師泰、義詮・直冬
兄弟の描写が多い番組だったけど、高時・泰家兄弟の描写も欲しかった
535日曜8時の名無しさん:2013/05/24(金) 21:25:26.95 ID:BTl7XDnn
どの兄弟も上手い具合に対比してるね
いずれも動と静のバランスで成り立ってる
536日曜8時の名無しさん:2013/05/25(土) 00:53:39.84 ID:6t3ZKP+C
>>528>>530
室町幕府の侍所に関しては、実際に最近の日本史教科書なんかでは、
一般的な「四職」説と土岐も加えた「五職」説の両論併記になっている
ことが多い。
ただ三管領四職のとされる家の多くが幕府の宿老会議・御前沙汰の
メンバーなのに対し、土岐は確かに中央政界での影は薄い。

もっとも室町幕府の侍所も、初期の頃だと高師泰とか今川了俊なんかが
任用されている時期もあるから、四職(または五職)の家柄の固定化は
義満期以降の話。
537日曜8時の名無しさん:2013/05/25(土) 01:13:24.54 ID:6t3ZKP+C
まあ土岐の場合、山名・大内ほどの大勢力ではないにもかかわらず、
義満による大名の勢力削減策のターゲットにされたことが痛かったかな。

しかも山名(明徳の乱)や大内(応永の乱)の場合、山名氏清・大内義弘の
嫡流家は完全に滅ぼされてしまい、両家の家督は別の者に移動しているが、
土岐康行の場合は助命されて、それまでの嫡流家が中途半端に
温存されてしまい、その後の土岐一族の長い分裂状況を招いたことも、
中央での影が薄くなる一背景かな。

土岐康行の乱の翌年、康行の嫡流(土岐世保氏)は伊勢の守護家として
再興されるが、土岐氏発祥の地である美濃の守護には庶流(土岐池田氏)が
就任したため、土岐氏内部が分裂。
その後、土岐世保氏は康行の孫である持頼が将軍義教に討たれて断絶し、
伊勢の守護職も一色氏に取られるが、その後も失地回復を志向し、
応仁の乱の際には伊勢守護一色氏や美濃守護土岐池田氏への対抗上から
土岐世保氏は東軍方についている。
538日曜8時の名無しさん:2013/05/25(土) 12:59:05.75 ID:QEUbAQAv
高時は地獄から、自分たちを滅ぼした連中の
この世の畜生道をしっかり見ていたかな
539日曜8時の名無しさん:2013/05/25(土) 14:03:53.55 ID:Qp42P2Wh
>>534
奏家は一度も顔見世しなかったし、中先代の乱以降歴史から消えちゃうからね。
古典太平記では北条家再興を誓ってけっこう存在感あるんだが。

脇屋義助もいまいち影が薄かったかな〜
大河で石原義純がやる役ってたいていそんなだがw(05年義経の源範頼とか)

仁木頼章・義長も出たには出たが出ただけだった印象
540日曜8時の名無しさん:2013/05/25(土) 14:53:44.39 ID:Qp42P2Wh
>>536
三管はともかく四職は語感だけって気もしなくはない。江戸八百八町みたいな(実際はそれより多かった)

大内氏は「中央政界にかかわる家柄ではなかった」(講談社日本の歴史)とはされるけど、
応仁の大乱の頃には細川氏と拮抗する程度には強かったはずだし、
戦国期になると大友・土佐一条・伊予西園寺などと婚姻(さほど大きくもなかった吉見氏ともだが)

仁木頼章も幕府執事に任じられたから、足利一門の最有力者ではあったはずだけど。

三管四職は、1440年ごろには微妙なものとなった気もしないではない。
ハッキリ言って学校でおぼえさせる意味は無いと思う。
541日曜8時の名無しさん:2013/05/25(土) 21:49:15.22 ID:/wjeQfUn
>>540
仁木、細川は一門扱いじゃなく家臣扱いじゃないかな
542日曜8時の名無しさん:2013/05/25(土) 22:03:03.66 ID:9lrj7NTu
土岐は頼康が細川頼之追い落としの首謀者の1人だったからずっと義満の恨みを買ってたんだろうな
同じ立場だった京極の場合は高秀の息子の高詮が頑張った
543日曜8時の名無しさん:2013/05/26(日) 02:15:44.40 ID:lQ+aVFLm
煮ても焼いても食えないような奴らをまとめていかにゃならん
武家の棟梁は大変だ。尊氏がボロボロになるのもわかる。
544日曜8時の名無しさん:2013/05/26(日) 13:52:37.19 ID:W3wtQ2JJ
それらを一応取りまとめていた北条は、すごいのかもしれんね。
545日曜8時の名無しさん:2013/05/26(日) 18:36:01.31 ID:J02PvqaK
>>539
奏家じゃなくて泰家な。

>>541
仁木・細川は先祖の矢田義清(足利義兼異母兄)が木曽義仲軍に参加して
水島で戦死した後、義清の遺児(義実)が足利宗家に拾われたような
形だったからな。
一門といっても実質は被官人同然だったとか。
546日曜8時の名無しさん:2013/05/26(日) 18:40:15.75 ID:J02PvqaK
>>542
佐々木氏の場合は、佐々木六角氏と佐々木京極氏が実質的に別の家みたいに
なって、うまく共存していく形になったけど、
土岐氏の場合は、土岐世保氏と土岐池田氏が延々と一族内での対立を
引きずっているようなイメージもある。
547日曜8時の名無しさん:2013/05/27(月) 00:19:51.43 ID:A6q0zDQM
後醍醐の君が、もう少しだけ、思慮分別のあるお方だったならば、
君の息子たち、武家たち、商人百姓どもの苦しみはなかったものと思われる。
548日曜8時の名無しさん:2013/05/27(月) 02:29:46.60 ID:CwDUDSYz
というか、最初は中継ぎのつもりだったとはいえ、後宇多上皇が文保の和談の際に、
尊治のような怪物を登極させちゃったのがマズかったと思う。
549日曜8時の名無しさん:2013/05/27(月) 08:15:00.96 ID:fwnVgbbt
嫡流じゃないのに出しゃばりすぎなんだよな
550日曜8時の名無しさん:2013/05/27(月) 09:41:23.10 ID:zGDeWpge
後鳥羽、後醍醐は天皇の権威を失墜させ、武士の権力伸長には大きく貢献した御門だが、
彼らが(鎌倉時代の平均的な天皇のように)特に何もしなかったとしても結局、
天皇は武士の従属下に置かれる(都合のいい存在にされる)ようにはなったと思う。
鎌倉幕府は御家人の利権擁護団体だしね。

今年の大河は天皇に翻弄される会津藩の悲劇だが、幕末の武士は何とも糞まじめに思えてしまう。
江戸幕府に北条義時、足利直義のような政治家がいたら、天皇を江戸城で軟禁状態にしたかね?
551日曜8時の名無しさん:2013/05/27(月) 12:42:24.01 ID:EIFe4hFt
今の大河見てると会津藩と新田義貞が被る
552日曜8時の名無しさん:2013/05/27(月) 21:35:44.25 ID:fTb1AK2P
ただ、義貞も後醍醐の権威と組むことで尊氏に対抗出来た面はあるんだろう
この辺、ショーケンだったらもっと野心を秘めた義貞像が見られたかもね
根津甚八の素朴な関東武者振りも悪くないと思うけど
553日曜8時の名無しさん:2013/05/27(月) 21:43:59.30 ID:CwDUDSYz
>>550
ただ朝廷が武家政権に完全に依存・寄生するだけの存在に陥ってしまった背景としては、
南北朝の内乱で朝廷の経済基盤や政権としての統治機構がメタメタに破壊されたことも大きい。

だから史実のように後醍醐が登場して南北朝の内乱が発生しなければ、どうなったか分からんよ。

>>551
新田義貞でいえば、以前にこのスレで、
「越前国というのは伝統的に負け犬(新田義貞、柴田勝家など)を呼び込みやすい」
というレスを見たことがある。

でもよく考えると、幕末に関しては越前藩(松平春嶽)って、
徳川親藩大名の癖にちゃっかり勝ち組になっているんだよなw
554日曜8時の名無しさん:2013/05/27(月) 23:17:45.49 ID:s7GH+/9i
朝廷が持明院と大覚寺で争うておるとてそれは朝廷の都合ぞ
我らはあくまで間に入って調停しておるまでよ
朝廷だけに
555日曜8時の名無しさん:2013/05/28(火) 00:43:40.29 ID:NVMO/zUR
ん? ヱンキの台詞?
556日曜8時の名無しさん:2013/05/28(火) 03:20:08.63 ID:ywpBKnEu
>>552
そいやショーケンてなんで降板したん?
557日曜8時の名無しさん:2013/05/28(火) 07:15:11.15 ID:NVMO/zUR
>>550
江戸後期だと、いわゆる尊皇論や大政委任論みたいな考え方が世間で支配的になっているからな。

中世や近世初期のようなスタンスで天皇を扱おうものなら、
世論の強い反発をかったりとか難しい時代だったと思うよ。
558日曜8時の名無しさん:2013/05/28(火) 09:10:09.81 ID:nx4SFLt2
>>553
明治維新は山口・鹿児島両県の人がエロく要職を占め、あと高知県の人も軍などに多かったようで、
でもまあ反政府だった県の人も新政府に採用されたりもした、という何とも中途半端な人事だった。
まあ、山口・鹿児島は勝ち組としても、あとはそんなに違わないと思うお。

今はさびれた(ごめん)北陸三県も、江戸時代(の途中?)までは先進地帯だった。
越前国は斯波が封ぜられ、朝倉が威を振い、柴田勝家、松平秀康(徳川家康の次男ね)が封じられた要地。
石川・富山両県と同様、江戸時代にあまり伸びず、近代も工業化が進まず停滞しちゃった。
江戸時代に人口倍増したけど、近代に低迷した高知・徳島みたいなもん。
559日曜8時の名無しさん:2013/05/28(火) 09:20:20.42 ID:nx4SFLt2
>>556
中耳炎か何かじゃなかったっけな?
>>552
総集編ではショーケンの義貞がバッサリ切られてるという巧妙っぷりw

ショーケンの義貞はギラギラしてるよね。
「足利殿とちごうて我ら貧乏御家…」という台詞はよく記憶に残ってる。

円喜も「あの貧乏御家人の新田が?」と言ってたが、実際のところ鎌倉期の新田氏の実情は意見が分かれるよう。
室町期、新田氏の惣領を引き継いだ岩松氏がそこそこの地位を保ってた点を考えると、
新田氏も常陸の佐竹氏みたいに隠然たる勢力は保持していたのかも。

岩松経家も中盤でちょっとだけ登場してるんだよね。
560日曜8時の名無しさん:2013/05/28(火) 09:35:01.52 ID:nx4SFLt2
>>557
天皇崇拝の風潮が広まったとしても、江戸時代の武士は鎌倉・室町の恩恵を最大限に蒙ってると言えるよね。
その武士を、形の上では否定し、精神的支柱としては崇め奉るという、日本近代のゆがんだ思想状態を招致したとも。

今でも武士崇拝は根強いし、三島由紀夫みたいな変な右翼が天皇を武士の頂点と位置づけたのも、
戦前の後鳥羽・後醍醐及びその周辺への過度な顕彰も、その辺のゆがみが生んだ一産物だろう。
561日曜8時の名無しさん:2013/05/28(火) 15:44:51.61 ID:KeENaykf
>>545
馬鹿の壁か?
一門でなければ被官でもなかったが正解

当然、庇護も受けていない
562日曜8時の名無しさん:2013/05/28(火) 19:01:08.75 ID:NVMO/zUR
>>560
後醍醐に関しては、近世の水戸学が南北朝正閠論争に火を付けたことがすべての元凶。

ただ大政委任論は本来的には、朝廷に対して、
幕府(武家)が政権を握ることの正統性をアピールするための論理武装として、
編み出された感が強いけどね。
563日曜8時の名無しさん:2013/05/28(火) 22:29:31.00 ID:ywpBKnEu
>>559
義貞当時の新田は貧乏御家人で間違いないと思う。
頼朝が生きてた時は新田義重は平家側について疎まれてたけど平家滅亡後は義重の娘?を頼朝の側室に迎えるっていう手打ち案があったけど義重が拒否ってあぼん。その後の新田宗家はみるも無惨な有り様に…
この時は新田の勢力無視できなかったんじゃないかな?
564日曜8時の名無しさん:2013/05/28(火) 23:50:26.75 ID:nx4SFLt2
>>563
鎌倉末期の新田氏(特に惣領家)が貧乏だったかは学者も見解が割れてるんだよ。
土地の売却も、貧乏ゆえとの説と、寺社への寄進のためとの説(峰岸純夫)がある。

まあ、頼朝以前の関東武士の所領はそんなには大きくもなかったのは事実だろうから、
頼朝に早い時期に味方した人が各地に多くの領地をもらって栄えた。
有力御家人は、平家との戦い、奥州合戦、承久の乱で伸長した場合が多いようだ。
このチャンスに活躍できなかった(させてもらえなかった)のだろう。
梶原景時や畠山重忠も最初は頼朝に敵対したが、後に有力御家人になってるので、
新田義重の人間性や政治力に問題があったということかも知れない。

鎌倉期にはそんなに優遇されてなかった佐竹氏が足利の時代には常陸の最有力国人になってるから、
可能性としては新田氏もそこそこの力はあったかも知れない。
ただ、山名や里見は惣領家から独立性が強かったろうから、そこも考慮する必要はある。
ていうか山名氏のほうが新田惣領家より有力だったでしょう。
565日曜8時の名無しさん:2013/05/28(火) 23:54:37.86 ID:nx4SFLt2
>>562
光圀さんも不思議なお方だよね。
南朝正統論は家臣やおかかえの学者からも疑問を呈されたようで、
臣下に「許してくれよ」と懇願していた口述記録が残ってる。
面白いもんで、わりに家臣とは気さくに話すお方だったようだ。

会津藩より、水戸藩のほうが幕末は精神面で苦しかったんじゃないかと思うね。
公武が平和共存してる時代の思想だったんだろうね。
566日曜8時の名無しさん:2013/05/29(水) 00:58:51.95 ID:T4ONZqme
新田ほど権力に翻弄された氏はないからな。仕方ないな

足利幕府から見れば敵だし
徳川は新田一門だし
明治政府では英雄だが、情けない

太田市は新田町を合併した時に足利に対抗して「新田市」にすればよかったのに
中途半端に市章だけ一つ引きにした
目に曇りなく新田をみるのは難しいのだろう
567日曜8時の名無しさん:2013/05/29(水) 01:00:28.23 ID:XLNHU8w3
>>564
新田の別家で有力は山名、岩松、世良田あたりかな。
特に岩松さんの活躍は目覚ましいよね
568日曜8時の名無しさん:2013/05/29(水) 07:56:02.85 ID:4LIYUKXv
>>563-564
鎌倉期における新田氏の弱体化に関しては、義重のときの一件もさることながら、
政義(義重の曾孫)が自由出家で幕府から処罰されたことも大きいのではないかな?

あと山名氏は男系では新田一族だけど、
初期の頃から代々の当主の正室がほとんど足利一門出身だし、
当人の意識のなかでは実質的に足利一門だったと思うよ。

この辺は、男系では足利一族ながら新田一族というアイデンティティーの強かった岩松氏とは、
対照的だけど。
569日曜8時の名無しさん:2013/05/29(水) 08:46:10.25 ID:LcZ4PDz2
ドラマの話は嫌いか?
570日曜8時の名無しさん:2013/05/29(水) 13:27:06.42 ID:+phO+SmB
じゃあ俳優の話。

フランキー長崎がキャラ立ってたな。緒方拳さえ食っていた…
「讃岐殿!執権殿へのご挨拶まだうけたまわっておりませんぞ!ここにあるは長崎円喜に非ず!執権殿の名代ぞ!」
緒方は『毛利元就』で細川俊之とヒゲ生やしてからの橋之助以外は鎧袖一触の恐ろしい演技をしていた。怖い…

榎本師直も有能さと強欲さが良かった。もっと太ましいマッチョな役者でも良かった気はするが…
円喜、師直は栄華を極め滅び去ってゆく悲哀をよく象徴してたと思う。

皇室に配慮したのか、皇族はちょっと物足りない。やっぱゴダイゴと護良親王か。

女優では樋口可南子と宮沢りえの裸族コンビ、眠狂四郎で脱ぎ要員だった藤村志保、巫女と裸満載夢おっぱい。
571日曜8時の名無しさん:2013/05/29(水) 15:35:50.82 ID:+gNzH/iG
帝にも将軍にも拝謁できてしまう、ましらの石さえいなければ...
戦場にまで出やがって
572日曜8時の名無しさん:2013/05/29(水) 16:27:37.93 ID:pcNMBwmw
石が、六波羅を落としたのが尊氏だと知った時の唖然としたシーンは好きだったな
573日曜8時の名無しさん:2013/05/29(水) 20:37:31.78 ID:+7dUM5Mt
群像劇って日本人には難しいとおもうけど、
制作、俳優ともこの作品で見事にやってのけたね。
574日曜8時の名無しさん:2013/05/29(水) 21:37:56.89 ID:+phO+SmB
石が千早城合戦の時「総力戦じゃー」とか言ってて、
リアリティ考えたら変な台詞なんだろうけど、
この当時はそういう細かいとこ気にしなかったってことかね?
お公家さんも普通に標準語しゃべってた(どうにも公家訛りはキモくてなw)

石に惚れてたデブな女はどうなったんだろ?
575日曜8時の名無しさん:2013/05/30(木) 01:41:46.32 ID:uURMbApa
トレンディ俳優・アイドルが大挙しても脚本と脇がしっかりしてれば重厚な大傑作が作れるという見本
太平記のトレンディ俳優はみんな役者としてものすごいものになってるよね。ゴクミはまあ置いといて

ってことは最近の大河でもできるはずなんだと思うんだがな
576日曜8時の名無しさん:2013/05/30(木) 02:01:49.42 ID:Xe7GmFrT
ゴクミ→北畠顕家だったね

そこをもっとフィーチャーして欲しかったが・・・

否!

そうしたら太平記の滔々たる時代の流れを描くことは叶わないのであって・・・
577日曜8時の名無しさん:2013/05/30(木) 09:19:48.19 ID:mK5TWBsr
>>570
フランキーは邦画全盛期に主役を張ってた俳優だし
緒形拳よりも格上で「食う」なんて表現はそもそも変なんだけど
大河板にいる人は昔の映画はあまり見なそうだし緒形拳のほうが格上だと思われてそう
578日曜8時の名無しさん:2013/05/30(木) 09:58:26.18 ID:C2qjN5UF
森繁主演の社長シリーズ
579日曜8時の名無しさん:2013/05/30(木) 12:22:34.47 ID:6tDOc4UQ
>>574
ちょっと待て
石に惚れてたジャイ子は楠木の侍女で中島さん扮する乙夜叉とは別人だぞ
580日曜8時の名無しさん:2013/05/30(木) 21:01:55.76 ID:xNtQUdbZ
【芸能】陣内孝則 最年長54歳でライダーに変身!
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1369861775/

婆娑羅だなあ・・・・
581日曜8時の名無しさん:2013/05/30(木) 22:12:19.42 ID:Xe7GmFrT
柄本は?
582日曜8時の名無しさん:2013/05/30(木) 22:39:47.18 ID:6tDOc4UQ
>>580
悪のボスにしか見えねぇw
583日曜8時の名無しさん:2013/05/31(金) 01:26:53.68 ID:i8h4kedS
あのクソ時代の勝者を敢えて挙げるとするならば、

佐々木氏であるといえよう。
584日曜8時の名無しさん:2013/05/31(金) 05:57:58.75 ID:rZwYA1L2
>>583
佐々木氏といっても、佐々木京極氏だけじゃないか?
585日曜8時の名無しさん:2013/05/31(金) 06:57:09.63 ID:vjzlhmzj
しかし道誉の身内はいっぱい戦死してるし
傷だらけの勝者ではあるね
586日曜8時の名無しさん:2013/05/31(金) 19:38:22.19 ID:WoZv5RNv
日光山
源頼朝がその母方の熱田大宮司家の出身者を別当に据えて以来、鎌倉幕府、関東公方、後北条氏の歴代を通じて東国の宗教的権威の一中心であり続けた


源頼朝
・藤原実範(三河国司)→藤原季兼(三河四郎)→藤原季範(額田冠者、初代熱田大宮司)→娘(由良御前)→源頼朝


母方の熱田大宮司家の出身者
寛伝(日光山満願寺19世座主)
・藤原実範(三河国司)→藤原季兼(三河四郎)→藤原季範(額田冠者、初代藤姓熱田大宮司)→藤原範忠→寛伝
587日曜8時の名無しさん:2013/05/31(金) 19:39:21.55 ID:WoZv5RNv
日曜8時の名無しさん:2013/05/20(月) 09:27:36.26 ID:04R5GYI/
■1234年、鑁阿寺大御堂を建立

(大檀那)足利義氏(三代目足利氏当主)
・藤原実範(三河国司)→藤原季兼(三河四郎)→藤原季範(額田冠者、初代熱田大宮司)→娘→足利義兼→足利義氏

(大行事権律師)藤原重弘(鑁阿寺第四世寺務学頭、野田朝氏と兄弟)
・藤原実範(三河国司)→藤原季兼(三河四郎)→藤原季範(額田冠者、初代熱田大宮司)→藤原範忠→野田清季(野田城主(三河国設楽郡野田))→野田朝季→藤原重弘

(大勧進)阿闍梨了心

(雑掌・奉公人)藤原朝氏(野田朝氏、野田大宮司、嫁は足利義氏の姉)
・藤原実範(三河国司)→藤原季兼(三河四郎)→藤原季範(額田冠者、初代熱田大宮司)→藤原範忠→野田清季(野田城主(三河国設楽郡野田))→野田朝季→野田朝氏

(雑掌・奉公人)源季能

(雑掌・奉公人)小俣禅阿(鶏足寺の別当)

(雑掌・奉公人)大平惟行
・高階惟章→惟頼→惟真→惟範→惟長(三河国額田郡菅生郷郷司)→瀧口惟忠→大平惟行

(雑掌・奉公人)高階義定
・高階惟章→惟頼→惟真→惟範→惟長(三河国額田郡菅生郷郷司)→惟重→義定

(雑掌・奉公人)大進円憲

(雑掌・奉公人)佐野範綱

(雑掌・奉公人)真下広経

(雑掌・奉公人)小野有家

(雑掌・奉公人)藤原兼資


■鑁阿寺 旧多宝塔跡
藤原重弘(鑁阿寺第四世寺務学頭、野田朝氏と兄弟)が、父である野田朝季の供養のために造立した供養塔、多宝塔供養導師は、足利義氏の息子、最信

野田朝季(野田大宮司、朝比奈義秀と戦い戦死)
・藤原実範(三河国司)→藤原季兼(三河四郎)→藤原季範(額田冠者、初代藤姓熱田大宮司)→藤原範忠→野田清季(野田城主(三河国設楽郡野田))→野田朝季

最信(勝長寿院別当)
・藤原実範(三河国司)→藤原季兼(三河四郎)→藤原季範(額田冠者、初代藤姓熱田大宮司)→娘→足利義兼→足利義氏→最信
588日曜8時の名無しさん:2013/05/31(金) 21:25:44.39 ID:Bqf66tS/
三河厨は新田スレへ帰れ
589日曜8時の名無しさん:2013/05/31(金) 22:21:03.43 ID:pr+9UdyU
これなんなの?
590日曜8時の名無しさん:2013/05/31(金) 22:55:02.94 ID:fWETqSFB
591日曜8時の名無しさん:2013/05/31(金) 23:08:23.41 ID:QUW7rQv4
石のせいで宮沢りえも斬られたしな
592日曜8時の名無しさん:2013/06/01(土) 04:07:50.83 ID:forAqcJG
ギバさんの降板理由は正季に殴られたせい
593日曜8時の名無しさん:2013/06/02(日) 11:21:11.43 ID:J26o4OA/
■日光山
源頼朝がその母方の藤姓熱田大宮司家の出身者を別当に据えて以来、鎌倉幕府、関東公方、後北条氏の歴代を通じて東国の宗教的権威の一中心であり続けた


源頼朝
・藤原実範(三河国司)→藤原季兼(三河四郎)→藤原季範(額田冠者、初代藤姓熱田大宮司)→娘(由良御前)→源頼朝


母方の熱田大宮司家の出身者(源頼朝の従兄弟)
寛伝(寛典・観纒とも、額田僧都、式部僧都と称された、日光山満願寺19世座主)
・藤原実範(三河国司)→藤原季兼(三河四郎)→藤原季範(額田冠者、初代藤姓熱田大宮司)→藤原範忠→寛伝


年表
・1142年、生まれる
・叔父の三河法橋裕範(源頼朝の母の弟)、粟田口法眼長暹(源頼朝の母の弟)を頼って滝山寺(愛知県岡崎市)で仏門に入る
・仁和寺で修行
・1182年、源頼朝の推挙により日光山満願寺19世座主になる
・宗徒と面会する際、御簾を半分にしか上げず紛紜、2ヶ月で三河国(愛知県岡崎市)に戻る
・菩提寺の滝山寺(愛知県岡崎市)僧侶になり、66郷を領し精舎一区を創建する
・鑁阿寺奥院の法界寺に、宋版の一切経を納める(後に一切経は、足利義氏により鑁阿寺に)
・高野山御影堂に大鐘を施入する
・1201年、頼朝公の3回忌、滝山寺内に惣持禅院を創建し、本尊として頼朝公の御歯と御髪を納めた聖観音菩薩を安置する
・惣持禅院に供僧10人を常置し10町の土地を寄進する
・1205年、死去する
594日曜8時の名無しさん:2013/06/02(日) 11:25:33.27 ID:J26o4OA/
滝山寺(愛知県岡崎市滝町山籠107)
・創建:伝・天武天皇時代(673年 - 686年)
・開基:伝・役小角

12世紀

【1122年】仏泉上人永救、物部朝臣・伴氏女を檀那として再興、最初の本堂を建立し、鎮守として山王・白山社を勧請する
【1130年代】三河法橋裕範(源頼朝の母の弟)、粟田口法眼長暹(源頼朝の母の弟)、仏泉上人永救に弟子入り、入山する
【1138年】仏泉上人永救、死去する
【1140年】藤原季範(源頼朝の祖父)、夫婦(夫人は源行遠の娘)で蓮華寺造営、仏性灯油料として額田郡恵那河内郷(愛知県岡崎市米河内)を寄進する
【1151年】藤原範忠(源頼朝の母の兄)、滝山寺の本堂(2度目)を建替える、10月8日の供養の時に延暦寺より招いた導師に馬3匹を贈る
【1155年】藤原季範(源頼朝の祖父)、死去する
【1159年】藤原範忠(源頼朝の母の兄)、弟の三河法橋裕範の要請を受け、大檀那として滝山寺の四至を確定し、 田畠1町2反づつを寺へ寄進する
【1159年】三河法橋裕範(源頼朝の母の弟)、姉の由良御前(源頼朝の母)が死去した際、49日の仏事を差配してその菩提を弔る
【1160年】三河法橋裕範(源頼朝の母の弟)、頼朝が罪人として伊豆国の配所に送られる際、郎従を付けて送り出す
【1182年】寛伝(藤原範忠の息、源頼朝の従兄弟)、源頼朝の推挙により日光山満願寺19世座主になる
【1188年】任憲(三河法橋裕範の息、源頼朝の従兄弟)、鎌倉で源頼朝に引見する
【1190年代】源頼朝、寺領412石寄進
【1191年】源頼朝、任憲(三河法橋裕範の息、源頼朝の従兄弟)の熱田社領御幣田をめぐる争いの仲裁をする
【1199年】源頼朝、死去する
595日曜8時の名無しさん:2013/06/02(日) 11:26:17.33 ID:J26o4OA/
13世紀

【1201年】寛伝(藤原範忠の息、源頼朝の従兄弟)、頼朝公の3回忌に惣持禅院を創建し、本尊として頼朝公の御歯と御髪を納めた聖観音菩薩を」安置する
【1205年】寛伝(藤原範忠の息、源頼朝の従兄弟)、死去する
【1222年】足利義氏(3代目足利氏当主)、滝山寺本堂(3度目)を建替える
【1226年】大平惟行(高階惟行)、大谷惟伴(坂上惟伴)と連署で、額田郡阿智波郷名越(愛知県岡崎市阿知波)の田地8反を惣持禅院に寄進する
【1229年】大平惟行(高階惟行)、常行堂の造営にあたり娘と一緒に大檀那となり、足利義氏に相談してこの堂へ料田3町8段を寄進する
【1230年代】藤原俊経(藤原俊継の父)持仏堂を造営、古市場御油畠(愛知県豊田市古市場)を寄進する
【1233年】足利義氏(3代目足利氏当主)、舞童装束などの調進のため150貫文を奉加する
【1238年】藤原俊経(藤原俊継の父)、京都東山一切経の谷で死去する
【1240年代】大谷惟伴(坂上惟伴)、持仏堂(延福寺)を造営する
【1244年】】大谷惟伴(坂上惟伴)、死去する
【1254年】増恵(藤原俊継の従兄弟)、本堂屋根瓦替工事の大勧進を勤め、同年、温室を改造する
【1254年】足利義氏(3代目足利氏当主)、死去する
【1255年】藤原俊継、故足利義氏の法華堂(宝幢寺)造営し、藤原俊継は田畠3町3段、足利家氏は壁海郡碧海荘の青野の田2町、宇祢部の畠1町2段を寄進する
【1257年】増恵(藤原俊継の従兄弟)、一切経蔵を造営する、足利頼氏(5代目足利氏当主)、一切経蔵の経会料所として、額田郡阿知波郷(愛知県岡崎市阿知波)を寄進する
【1261年】増恵(藤原俊継の従兄弟)、山王社の宝殿を改築する
【1263年】大平惟行(高階惟行)、死去する
【1274年】藤原俊継、鎌倉で死去する
【1283年】増恵(藤原俊継の従兄弟)、鎌倉滞在中に死去する
【1284年】足利貞氏(7代目足利氏当主)、故足利家時(6代目足利氏当主)追善の如法堂を造営する
596日曜8時の名無しさん:2013/06/02(日) 11:29:09.49 ID:J26o4OA/
14世紀
【1301年】足利貞氏(7代目足利氏当主)、家時17回忌、如法堂に額田郡上村の田3反と正観坊跡大門屋敷を寄進する、同時期、熱田大宮司家ゆかりの蓮華寺へ願文を奉納する
【1331年】足利貞氏(7代目足利氏当主)、死去する
【1335年】足利尊氏(8代目足利氏当主)、中先代の乱で足利直義と三河で合流、滝山寺に千寿王と赤橋登子を預ける
【1330年代】輔阿闍梨貞円(高師泰・高師直の弟)、滝山寺に入山
【1380年代】足利義満(3代目足利将軍)、滝山寺本堂(4度目)を建替える


15世紀
【1440年】松平信光(3代目松平氏当主)、滝山寺寺領内に神のお告げで万松寺を創建する
597日曜8時の名無しさん:2013/06/02(日) 13:00:21.70 ID:f5UpZEkT
↑足利氏と松平氏の関係は?
598日曜8時の名無しさん:2013/06/02(日) 17:04:50.68 ID:p3mgWjJc
しかし鎌倉大地震ってやべぇな
こんなん今起きたら日本終了じゃん
もっと真面目に首都の再編やった方が良いんじゃないの?
無駄に人集まってるだろフリーターとか地元帰れよ
599日曜8時の名無しさん:2013/06/02(日) 17:50:38.38 ID:mq8QY1WQ
>>598
平禅門の乱のきっかけとなった永仁の関東地震の話?
それとも高徳院の大仏殿が流された明応の関東地震?
600日曜8時の名無しさん:2013/06/02(日) 20:35:21.85 ID:UGYmRCit
昔も今も食えるところに人は集まるんだろうなあ
601日曜8時の名無しさん:2013/06/02(日) 21:02:07.66 ID:p3mgWjJc
>>599
詳細な記録があるわけじゃないけど大津波が来てる時点で関東大震災以上の地震でしょ?
鎌倉でそれなら東京湾もタダじゃ済まないだろうよ
ニコニコにフジテレビの311当日の動画あったけど
新宿駅の人の集中具合とかありゃヤバいよ
被災地無視して東京ばっか撮ってんのは問題だけどさ
ごめんドラマと全く関係無いわ

そういや当時彗星が鎌倉に衝突したってあったけど実話なん?
小さかったのかね?
602日曜8時の名無しさん:2013/06/03(月) 01:35:42.38 ID:mpD12tM8
鎌倉はもともと地形的に津波に弱い場所なのは常識でしょう。
相模湾西部が震源の大正関東地震(関東大震災)でも、
房総半島南方沖が震源の元禄関東地震でも、どちらのときも津波被害を受けている。
603日曜8時の名無しさん:2013/06/03(月) 23:49:17.55 ID:vucuUr3b
鎌倉時代は6月に雪が降ったり天変地異が多い時代だよね
604日曜8時の名無しさん:2013/06/04(火) 00:03:40.94 ID:w14JBGAL
太平記ほど、各々役者のキャラがたった大河ドラマもないな。
大成功でしょう?
605日曜8時の名無しさん:2013/06/04(火) 00:07:06.91 ID:VEFYWDEr
ああ間違いない
リアルタイムで見てない32歳の俺がDVDで見ても震える内容だったぜ
606日曜8時の名無しさん:2013/06/04(火) 02:05:55.93 ID:uzGU/rAX
ある学者によると、東京湾西岸は久里浜(横須賀市)までしか津波が来ないんだそうだ(記録が無い)。
また、鎌倉は相模湾の一番奥になるのだそうで、だからか武家屋敷は海から遠いところに多かった。
607日曜8時の名無しさん:2013/06/04(火) 02:22:45.52 ID:UFmHtWcK
>>605
32歳なら普通にリアルタイムで見ているだろ、普通。
608日曜8時の名無しさん:2013/06/04(火) 02:37:02.28 ID:hFSt7pVc
>>601
被災地無視も何も断片的で不正確な情報ばかりだったから
それに東京は東京で本当に大変だったんだぞ
いつまたでかい余震が来るかもしれないしな
609日曜8時の名無しさん:2013/06/04(火) 02:44:00.88 ID:VEFYWDEr
1991年だろ?11歳小学五年生だぜ?見てるわけねえよ。リアルに鼻水垂らしてたわ。
大河見出したのは秀吉からかな。
昔の大河いいね。これや独眼竜や徳川家康が好き
610日曜8時の名無しさん:2013/06/04(火) 03:10:54.09 ID:uzGU/rAX
>>609
池端俊策(太平記の人)、ジェームス三木(独眼竜)、市川森一(花の乱)のが
近年の大河の脚本家より実力あったってことかも知れないね。
今の作家は連続ドラマの脚本を書くチャンスが少なくなってるだろうから、かわいそう。
611日曜8時の名無しさん:2013/06/04(火) 05:30:30.13 ID:9buEYN9n
>>606
久里浜は東岸なわけだが
612日曜8時の名無しさん:2013/06/04(火) 05:31:08.31 ID:hFSt7pVc
普通5歳くらいから見るよな
613日曜8時の名無しさん:2013/06/04(火) 09:03:41.60 ID:UFmHtWcK
親や祖父母が大河を欠かさず見るような家庭なら、物心ついた頃から一緒に見るようになるし、
そういう家庭環境に育った人なら、記憶力的にも小学校高学年くらいの時期の大河って、
一番鮮明な印象が残っているものではないかな?
614日曜8時の名無しさん:2013/06/04(火) 12:36:36.25 ID:JCs68keA
>>613
いやお風呂タイムだろ
昔のフジテレビは凄かったもの
まる子→サザエ→キテレツ→名劇
そして9時からは日曜サヨナラ劇場
615日曜8時の名無しさん:2013/06/04(火) 13:06:40.83 ID:VhuQ//Jf
現代でも5月に雪が降ったことあるし、13世紀後半から寒冷期に入ってたらしいから、
旧暦6月に雪が降ると言う現象もあり得たのだろうな
616日曜8時の名無しさん:2013/06/04(火) 14:37:44.63 ID:MEsD+A2O
//ikura.2ch.net/test/read.cgi/sky/1340274822/525
>鎌倉将軍家も源氏は断絶したものの、その後も最後まで頼朝の縁者で繋がっている。

守邦親王って、頼朝と血縁的に繋がるの?
617日曜8時の名無しさん:2013/06/04(火) 18:03:29.74 ID:JCs68keA
>>615
旧暦6月だと今の7月にならないか?
618日曜8時の名無しさん:2013/06/04(火) 22:57:51.94 ID:d/fRuJb9
>>613
よほどマニアックじゃないと小学生じゃ見ないってw君の家庭と他家を一緒にしないでもらえるかな。
小学生の頃は確かバブル全盛期?だったからファミコン、ジャンプ、ミニ四駆、トレンディードラマwで大河どころじゃない。
昔の作品をDVDで見てると脇役でこの俳優が!?みたいな人がいるね。稲垣吾郎ちゃんとか稲川淳二とかw
619日曜8時の名無しさん:2013/06/04(火) 23:54:09.13 ID:5Ivy2B4u
東京ラブストーリーでは不倫の上司を、太平記ではフランキーの息子を、西岡徳馬がやってたのを小6の自分には切り替えがつかなかったな
620日曜8時の名無しさん:2013/06/05(水) 01:30:28.65 ID:Olg1bfm+
当方、齢34にて毎週欠かさず観ておった者。物の語りは、はっきりと記憶してござる。


拙者に言わせるならば、この時代の勝者とは、
一芸に秀でる者。

これに尽きまする。
621日曜8時の名無しさん:2013/06/05(水) 01:38:01.75 ID:8UT3sw3G
>>597
事実上あらゆる決定権を持つ国主であった、三河の全てを知る男、足利義満の霊を呼び出して聞け

足利義満と、松平氏菩提寺の高月院の前身を開いた坊さんの親父は、お友達だ
特に松平信光が、一色氏出身の娘を嫁に貰った経緯を、聞いてくれ


間違っても司馬遼太郎の霊は呼び出すなよw
何もない山の中の貧しい土豪で、細々と暮らしていたと語り始めるw
622日曜8時の名無しさん:2013/06/05(水) 02:01:20.95 ID:Olg1bfm+
足利尊氏こそ真の悪党ぞ!
623日曜8時の名無しさん:2013/06/05(水) 03:59:32.10 ID:NtCGqLxU
>>619
西岡徳馬に限らないが、
バブル俳優としか思われていなかった俳優の履歴書が太平記なんだと考えればいいだろう


今でも残ってる奴と、消えた奴とはっきりしてるからなwwwwww
大塔宮wwwwwwおまえ誰なんだwwwwww
624日曜8時の名無しさん:2013/06/05(水) 08:43:45.09 ID:IIPW3slI
>>623
堤大二郎なら今でも現役の俳優らしいぞ→Wikipedia
ほかの宮様はウィキで赤字(項目が未記載)の人が多いね
625日曜8時の名無しさん:2013/06/05(水) 08:52:28.99 ID:SFblGSyb
大塔宮は新田義貞と同じアクシデントがあったからなぁ。

放送当時は、大河の翌日フジで西園寺卿と正成が女をめぐって争ってたねw
626日曜8時の名無しさん:2013/06/05(水) 08:55:00.24 ID:IIPW3slI
>>619
ウルトラマン80こと長谷川初範が西園寺公宗を演じつつ、
101回目のプロポーズで武田鉄矢=楠木正成のライバルも演じていた偶然。
顔の化粧が厚かったからか、再放送で声を聴くまでショパンと知らなかったw

ちなみにウィキペディアでは長谷川は80に誇りを持っていると書かれているが、
80終了直前にファンのイベントに参加したある人は「80の仕事を嫌がっていた」と証言している。

ちなみにウルトラセブンの森次晃嗣が細川顕氏。
殿の法印=大林丈史はウルトラマンレオでブラック指令を演じている。
万里小路藤房を演じた大和田獏がウルトラマンタロウで素手で怪獣と戦った話は有名。

ほかに桜金造、大杉漣、豊川悦司、大塚周夫が登場している。
627日曜8時の名無しさん:2013/06/05(水) 09:11:21.64 ID:IIPW3slI
>>621
司馬は知らんが、小説『徳川家康』の山岡壮八も結構いいかげんだよ。
当時では松平氏に関する「一般人」の知識なんてそんなもんだったのかも。

家康が若い時点で松平=徳川氏は日本でトップ30には入ってる家なんで弱小とはとても言えない。

家康と言えば岡崎。岡崎市に仁木、細川のルーツがあるのは偶然なのか?
足利の勢力がきわめて強かった三河(源範頼も三河守だった。三河は重要な国だった)。
司馬も山岡も、「階級闘争史観」「下剋上」に毒されていたと思う。
628日曜8時の名無しさん:2013/06/05(水) 09:25:40.00 ID:IIPW3slI
>>616
守邦親王(9代)は久明親王(8代)の子で、母は惟康親王(7代)の娘。
久明は後深草天皇の子供だから頼朝とは特に関係ない。

宗尊親王(6代)は後嵯峨天皇の子で、母は平棟子という人なんで、
この時点で頼朝との直接の血縁は無くなってるよ。
摂家将軍の藤原頼経(九条家)が頼朝の妹の子孫だっただけ。

近年、鎌倉御家人の「源氏将軍への憧れ」を強調する史家もいるけど、
実際には頼朝血縁は鎌倉後期にはそんなに重要でもなかったのではないかな?
629日曜8時の名無しさん:2013/06/05(水) 09:30:34.17 ID:IIPW3slI
>>625
西園寺卿とショパンがもう少し知名度高かったら…と思わなくもないw
ゴダイゴ失意の時に嫌味を言うシーンが印象に残ってる。
630日曜8時の名無しさん:2013/06/06(木) 00:53:40.00 ID:ocpO1xcr
>>624
儂は二品の親王、征夷大将軍なるぞーっ!
(名和の部下に捕縛されるシーン)
631日曜8時の名無しさん:2013/06/06(木) 01:30:53.38 ID:87HggBfR
藤木孝って役者知ってる?
632日曜8時の名無しさん:2013/06/06(木) 06:26:01.36 ID:kputSJ1a
>>616
>>628
久明親王・守邦親王は、摂家将軍の頼経・頼嗣と同様、坊門姫(頼朝の同母妹)の血を引くよ。

坊門姫(一条能保室)─全子(西園寺公経室)─西園寺実氏─大宮院(後嵯峨天皇中宮)─後深草天皇─久明親王─守邦親王
633日曜8時の名無しさん:2013/06/06(木) 18:41:10.52 ID:dNN0dXiT
>>632
系図お疲れさん。
でも頼朝縁者ってことがどれほど重要視されたんかな?
貴種って点では当然天皇家の男子という点が最重要視されてるだろうし。

後世の我々は足利、徳川両幕府が年頭にあって考えてしまうけど、
実は尊氏の将軍襲職→世襲はけっこう歴史の分岐点なんではないかと思う。
634日曜8時の名無しさん:2013/06/06(木) 20:22:21.24 ID:JFt3l9FR
鎌倉殿=鎌倉右大将家跡だから
頼朝の血胤である必要はある
635日曜8時の名無しさん:2013/06/06(木) 22:47:56.31 ID:2ic+XrYd
>>633
室町幕府って成立当初から尊氏の子孫による将軍職世襲を前提にしていたように見えるけど?
636日曜8時の名無しさん:2013/06/07(金) 01:25:23.33 ID:064N+Ptr
これはとっても難しい話が始まってるぞ
637日曜8時の名無しさん:2013/06/07(金) 01:37:54.59 ID:AI1Qv333
その辺の事って尊氏より直義の方が
明確な思想や方針を持っていたのかな
638日曜8時の名無しさん:2013/06/07(金) 08:51:27.36 ID:7wuYaNha
>>628
しかし惟康親王は、一時期だけど臣籍降下して源惟康と名乗っている時期があるからな・・・。
将軍家を源姓に戻したい意識が全くなかったとはいえないのでは?
639日曜8時の名無しさん:2013/06/07(金) 09:00:00.79 ID:7wuYaNha
>>633
宗尊親王の場合、母方の身分が低いが、後嵯峨天皇の正妻(坊門姫の曾孫)である大宮院■子と、
義理の親子関係にあることは意識されていたんじゃないかな?

■=女へんに吉
640日曜8時の名無しさん:2013/06/07(金) 11:07:07.62 ID:7wuYaNha
というかよく考えたら、宗尊親王の正室近衛宰子は九条道家の外孫だから、
まずはこの関係で宗尊以降の鎌倉将軍も坊門姫に繋がるじゃないかw
641日曜8時の名無しさん:2013/06/07(金) 23:33:10.95 ID:8SUsD6c2
>>633
実朝までの源氏将軍家だって世襲だから、鎌倉幕府が将軍職の世襲を
想定していなかったとはいえないと思うよ。

>>636
別に難しくはないだろ。

>>637
直義は単に鎌倉幕府を模倣する形で新たな武家政権を作ろうとしただけで、
自分が尊氏の後継者になる意識はなかっただろう。

ただ直義失脚後に、それに代わる政務担当者として迎えられた義詮は、
最初から尊氏の後継者として扱われている感じが強く、単なる直義の地位の
継承にとどまらず、将軍代行みたいなことをかなりやっている。
642日曜8時の名無しさん:2013/06/08(土) 01:00:53.67 ID:JHpk+Oel
とりあえず鎌倉将軍の系図をまとめると、こんな感じか。

・源氏将軍
源義朝─@源頼朝─A源頼家
源義朝─@源頼朝─B源実朝

・摂家将軍
源義朝─坊門姫(一条能保室)─女子(九条良経室)─九条道家─C九条頼経─D九条頼嗣
源義朝─坊門姫(一条能保室)─全子(西園寺公経室)─倫子(九条道家室)─C九条頼経─D九条頼嗣


・皇族将軍
源義朝─坊門姫(一条能保室)─女子(九条良経室)─九条道家─仁子(近衛兼経室)─宰子(E宗尊親王室)─F惟康親王─女子(G久明親王室)─H守邦親王
源義朝─坊門姫(一条能保室)─全子(西園寺公経室)─西園寺実氏─大宮院姞子(後嵯峨天皇中宮)─後深草天皇─G久明親王─H守邦親王
源義朝─坊門姫(一条能保室)─全子(西園寺公経室)─女子(三条実親室)─三条公親─房子(後深草天皇後宮)─G久明親王─H守邦親王
643日曜8時の名無しさん:2013/06/08(土) 01:39:25.71 ID:88bmpYqD
>>642
をを、素晴らしい!

そういえば宗尊親王室の近衛宰子って、大河『北条時宗』では川原亜矢子がやっていたなw
644日曜8時の名無しさん:2013/06/08(土) 08:19:56.84 ID:uPqEJLkN
面白い話題であるが、板違いスレ違い
645日曜8時の名無しさん:2013/06/08(土) 08:26:38.93 ID:1vLfvu8f
源義朝の種馬力って凄ぇな。
646日曜8時の名無しさん:2013/06/08(土) 21:38:22.28 ID:QL7+tlKx
義朝というより坊門姫だな
647日曜8時の名無しさん:2013/06/08(土) 22:00:05.81 ID:owPHDcZb
坊門姫大人気だなw
あの世で苦笑しているかな
648日曜8時の名無しさん:2013/06/08(土) 23:32:32.38 ID:88bmpYqD
要は、頼朝とその兄弟の男系子孫はほとんど絶えちゃったから、
結果的に頼朝同母妹である坊門姫の血筋がクローズアップされたようなものだろ?
649日曜8時の名無しさん:2013/06/09(日) 00:56:20.57 ID:Il8Ja7V2
足利ヨシアキラ「系譜なんてどうでもいいんだよ」
650日曜8時の名無しさん:2013/06/09(日) 12:48:15.27 ID:3bqDWU1P
義詮の名前の読みって、本当は「よしのり」って説もあるよな。
651日曜8時の名無しさん:2013/06/09(日) 13:07:25.27 ID:oeaYe8DC
楠木対鎌倉幕府軍の戦闘シーン、
出来は??かもしれないが、スタッフの意気込みというか、やる気が感じられてよかったな。
篤姫とか江とか、室内手抜き大河では絶対に見られない。
652日曜8時の名無しさん:2013/06/09(日) 16:34:18.66 ID:Z+3rDRbk
楠木はゲリラ戦専門です
653日曜8時の名無しさん:2013/06/09(日) 23:52:33.35 ID:TNqmwvE2
去年の大河『平清盛』では源義朝はこの上なくダメそうな人だったが…w

>>641
まーったく個人的なほとんど妄想だが、実朝が男子に恵まれていたら、
鎌倉幕府は永遠に存続(つまり今も存続!w)していた可能性もあった気がする。
ていうのも、鎌倉幕府は「頼朝に仕えた御家人たちの政権」という色合いが強く、
御家人の立場上、頼朝の嫡流実朝の子孫を断絶に追いやることは精神的に難しかったろうから。
足利、徳川だと、大大名にとって将軍様は一つ格上程度ではあっても(臣従と言えるのか?)、
絶対に取って代われないほどの貴種ではなかったろう。

近年、本郷和人あたりの考える、実朝暗殺は北条義時らの計画的陰謀、との説は簡単には承服しがたい。

もし鎌倉幕府が近代に至ったとしたら…イギリスの上院みたいに御家人が特権的世襲国会議員になってたかもね。
そう考えると、鎌倉幕府永久存続もまんざら空虚でもないと思う。
ていうか今の保守系政治家が世襲だらけなのを思うと、武士が近代貴族として…なんて思っちゃうのはスレ違いw
654日曜8時の名無しさん:2013/06/09(日) 23:57:54.16 ID:TNqmwvE2
>>648
実朝と公暁の死で頼朝直系将軍は断絶、と簡単に書かれることが多いんだが、
エロ野郎頼家は男子が4人以上いて、彼らが非業の死を遂げたことは銘記されるべきかと。

あと頼朝ご落胤のお坊さん貞暁。この人は僧侶として一生を全う。
必ずしも血統だけで殺されたわけでもない。

面白いのは源範頼の子孫はけっこう生き残ってて、俺もその末裔に会ったことがある。
薩摩島津氏、豊後大友氏が頼朝後胤を自称したのも興味深い。
個人的に、足利氏将軍が確立されて、頼朝後胤を称してももはや政治問題にはならず、
この後よくあった家系の捏造の一例となっていったのだろう。
島津氏も秦の始皇帝の末裔になると思うんだがw
655日曜8時の名無しさん:2013/06/09(日) 23:59:21.50 ID:TNqmwvE2
>>650
詮て字を名に持つ武士が多いんで、その読みを考えるべきだよね。
一番多いのは「あき」と思われる。
で、上級武士の場合、義詮の偏諱の可能性が高いのだから、
ヨシアキも正しいと言えるのかも知れない。
656日曜8時の名無しさん:2013/06/10(月) 02:10:10.26 ID:ypGd2VRp
>>653
頼朝を担いだ東国武士たちは、そもそも政権奪取のための旗頭として頼朝を担いだのであって、
頼朝の子孫が大きな指導力を発揮するような体制なんて最初から望んでいない。
頼朝死後の13人の合議制も、頼家に独裁的な権力を持たせないためのものであったわけだしね。

ただ実朝に関しては、暗殺されようとされまいと彼に子供が全くできなかった以上、
いずれにせよ源氏将軍家の断絶は免れなかっただろう。
657日曜8時の名無しさん:2013/06/10(月) 14:38:27.27 ID:ilE02TeT
あんたたちは毎度毎度何の話してんの?
658日曜8時の名無しさん:2013/06/10(月) 20:52:21.66 ID:xjhrPdP6
足利義詮、苦労人の坊ちゃん。なんか面白いね。
北方氏の道誉の小説も面白かったし、大河の主役に抜擢してもいいかな。
659日曜8時の名無しさん:2013/06/11(火) 09:07:45.85 ID:cVZVhx3U
泣ける
660日曜8時の名無しさん:2013/06/11(火) 09:08:01.33 ID:cVZVhx3U
泣ける
661日曜8時の名無しさん:2013/06/11(火) 20:01:51.19 ID:mgtB2Us7
>>658
坊ちゃんだが苦労人と言うキャラはなかなか良いな
義詮の成長をもうちょっと描く時間があったならなあ
662日曜8時の名無しさん:2013/06/11(火) 20:41:44.88 ID:0gjZpjds
陣内さん今度は仮面ライダーに変身するらしいよ
どこまでもバサラなお方よのぉ
663日曜8時の名無しさん:2013/06/11(火) 22:19:56.75 ID:mgtB2Us7
結構前に既出だったような・・・
664日曜8時の名無しさん:2013/06/12(水) 01:56:14.95 ID:21iLe4kT
足利貞氏時代から始めたのは、大正解だと思う。
665日曜8時の名無しさん:2013/06/12(水) 08:34:59.17 ID:W9HOowcn
師直は弟なのに、兄を差し置いて執事になれたのはなぜ?
666日曜8時の名無しさん:2013/06/12(水) 14:46:27.85 ID:M7RJ0VqE
師直は高階氏の系図では師泰の弟とされるが、
園太?では師泰の兄とされる。
つまりよくわからん
師泰が庶子だったとか、師直が元々高氏の側近だったからとかかな
667日曜8時の名無しさん:2013/06/12(水) 16:51:45.28 ID:yvp3wvMY
師泰が兄、嫡男
668日曜8時の名無しさん:2013/06/12(水) 17:05:57.01 ID:yvp3wvMY
間違い、師直
関東目線だからわからんのんだろう


高師直(三河守)→高師冬(三河守、師直猶子)→高師兼(三河守護、師直猶子)


嫡流重代、本貫の地と言える三河国、師直の系統が仕切っている
669日曜8時の名無しさん:2013/06/12(水) 18:59:04.99 ID:Fm2ybYN/
三河バカが帰ってきたのか
670日曜8時の名無しさん:2013/06/12(水) 19:26:57.53 ID:21iLe4kT
大河「太平記」のDVD、ゲ〇で全て借りられてたわ・・・
太平記流行ってんの?
671日曜8時の名無しさん:2013/06/12(水) 20:15:19.96 ID:yvp3wvMY
額田郡比志賀郷が高師直、額田郡菅生郷が高師泰で分けあったみたいだな
武庫川で一族が惨殺されると、高師泰の娘が菅生郷の屋敷跡に総持寺を建ている
また、安城市の三角神社には、高師泰が娘の鏡を埋めたと言われる鏡塚がある
672日曜8時の名無しさん:2013/06/12(水) 23:35:48.02 ID:/SslrYee
高師秋が嫡流説もあるんだよな(湯山学)

師直、師奏では、師直の官途が一貫して高いように思える(武蔵守と越後守など)
師奏が兄だと考える必然性はあまり無いように思えなくもない。

仁木頼章(兄)×義長(弟)でも、兄は師直の後に執事になってる。
義長は執事になったか証明されてなかったと思う。
畠山国清(兄)×義深(弟)でも、国清は関東公方基氏の執事になってて、
兄の没落後に弟が中央政界で地歩を固めて管領家になってゆく。

嫡長子制の未確立な時代とはいえ、極端に能力差が無ければ兄を優先したんじゃなかろうか?
ぶっちゃけ尊氏と直義も…(尊氏は武人ぽいと思うんだけどね)
673日曜8時の名無しさん:2013/06/13(木) 08:35:13.74 ID:2gittdzv
高氏嫡流の話はしていないがな、師秋は家時置文も保管していたらしいな
674日曜8時の名無しさん:2013/06/13(木) 14:54:42.80 ID:BYPrJvvy
原作でもガン無視だし話が複雑になるからだろうけど
足利高義もちょっとくらい出して欲しかったな
せっかく釈迦堂殿がちらりと出てるのに
675日曜8時の名無しさん:2013/06/13(木) 22:00:08.80 ID:Esy/PduV
高義の存在を描写するとしたら
尊氏の描き方も変わってきちゃうだろうなあ
兄の死によって当主に座が巡ってきたわけだから
676日曜8時の名無しさん:2013/06/13(木) 22:27:34.93 ID:byEZZCpl
高義のオカンは北条出身だっけ?
もし尊氏が世に出なかったら後の上杉の隆盛もなかったかもね。(尊氏のオカンは上杉氏)
677日曜8時の名無しさん:2013/06/13(木) 23:33:34.62 ID:DERsw4Ob
丹後の上杉でしょう?
678日曜8時の名無しさん:2013/06/14(金) 00:07:59.93 ID:qK6ZQQ9s
Wikiでは足利高義の母は北条顕時の娘・釈迦堂殿になってる。
尊氏、直義とは異母兄弟とも
679日曜8時の名無しさん:2013/06/14(金) 00:10:50.36 ID:bI8K4E83
高義や竹若丸の存在をしっかり描いたら
かなり尊氏の人物像が変わるだろうね
680日曜8時の名無しさん:2013/06/14(金) 08:02:48.33 ID:2SPUzb6W
上杉氏

上杉−勧修寺家支流と称するが疑問が大きい。丹波国何鹿郡上杉庄より起り、上野を本拠として、越後や関東各地等に分る。『東鑑』を含め確実な史料には、先祖重房の下向記事が見えず、
足利家家人の上杉三郎入道(頼重)より前は不明。その出自は難解であるが、三河の日下部(穂国造一族か)と関係をもった場合も考えられ、その場合は、同国の足利被官で藤姓を称した杉山氏や大草氏と同族か


日名屋敷(事実上の始祖である上椙三郎入道(上杉頼重)の

鎌倉末期に額田郡日名にあった上杉氏の屋敷。足利貞氏室となり尊氏・直義を産んだ上杉頼重の娘清子が、暦応2年(1339)10月15日に丹波国光福寺(現綾部市安国寺)へ日名屋敷を寄進、
翌年4月5日に清子の甥上杉重能がこの屋敷を光福寺雑掌へ渡すよう岩堀右衛門三郎に命じている。
頼重は額田郡を含む足利氏所領群を管理する奉行人のひとりであったから、現地支配の拠点として上杉氏がこの屋敷を所領とし、頼重から女子清子に譲与されたものであろう。日名屋敷跡伝承地の近くの墓地に14世紀後半の宝塔の笠1個がある。
681日曜8時の名無しさん:2013/06/14(金) 11:52:19.00 ID:v/RHit8F
貞氏室?
三河厨は所詮三河厨だなwwww
682日曜8時の名無しさん:2013/06/14(金) 16:04:45.53 ID:2SPUzb6W
■上杉氏

上杉−勧修寺家支流と称するが疑問が大きい。
丹波国何鹿郡上杉庄より起り、上野を本拠として、越後や関東各地等に分る。『東鑑』を含め確実な史料には、先祖重房の下向記事が見えず、
足利家家人の上椙三郎入道(上杉頼重)より前は不明。
その出自は難解であるが、三河の日下部(穂国造一族か)と関係をもった場合も考えられ、その場合は、同国の足利被官で藤姓を称した杉山氏や大草氏と同族か



■日名屋敷(事実上の始祖である上椙三郎入道(上杉頼重)の 屋敷)

鎌倉末期に三河国額田郡日名にあった上杉氏の屋敷。
足利貞氏室となり尊氏・直義を産んだ上杉頼重の娘清子が、暦応2年(1339)10月15日に丹波国光福寺(現綾部市安国寺)へ日名屋敷を寄進、
翌年4月5日に清子の甥上杉重能がこの屋敷を光福寺雑掌へ渡すよう岩堀右衛門三郎に命じている。
頼重は額田郡を含む足利氏所領群を管理する奉行人のひとりであったから、現地支配の拠点として上杉氏がこの屋敷を所領とし、頼重から女子清子に譲与されたものであろう。
日名屋敷跡伝承地の近くの墓地に14世紀後半の宝塔の笠1個がある。
683日曜8時の名無しさん:2013/06/14(金) 22:09:50.24 ID:2SPUzb6W
日静(1298年〜1369年)
・父は上杉頼重、母は足利氏の娘、姉は上杉清子


■竜泉寺(愛知県岡崎市竜泉寺町字西ノ山8)

日蓮宗の寺院
本寺は遠江国鷲律の本興寺

寺伝によるともと天台宗で、暦応2年(1339)に足利尊氏の叔父妙隆院日静が龍泉寺の有力坊であった戒善坊を改宗させたと伝える



■長満寺(愛知県額田郡幸田町深溝誉師16)

日蓮宗の寺院
開山は妙龍院日静
旧本山は大本山本圀寺(六条門流)

正慶元年(1332年)、深溝城主大庭朝満が妙龍院日静に願い出て、当地に法華堂を建立。 興国5年(1344年)、長満寺と改める
小浜長源寺、尼崎長遠寺と共に、六条門流三長の一寺
684日曜8時の名無しさん:2013/06/15(土) 17:04:45.97 ID:WJDte7Jg
>>670
今の大河が糞おもしろくないから太平記観ると神ドラマに思える
685日曜8時の名無しさん:2013/06/15(土) 20:10:35.76 ID:szXmg58H
>>666
当時は、実際の出生順では先に生まれていても、庶子だと弟扱いされてしまうこともある。

例えば足利将軍家の例だと、政知と義政・義視、義維と義晴なんかがそう。

政知: 義政・義視より実年齢は上だが庶出のため弟扱い
義維: 義晴より実年齢は上だが庶出のため弟扱い
686日曜8時の名無しさん:2013/06/15(土) 20:25:44.55 ID:szXmg58H
>>672
「師奏」じゃなくて「師泰」だろw
前にも同様の誤字を見かけたが、同じ人かな?

>>676-678
Wikiに限らず、高義の母は釈迦堂殿(金沢貞顕の姉妹)と見なすのが一般的だと思う。
なお釈迦堂殿の母(顕時の正室)は安達泰盛の娘なので、高義は泰盛の曾孫ということになる。

あと足利氏嫡流と上杉氏との関係でいえば、尊氏の祖父家時の生母も上杉氏の出身。

しかしこのドラマ、確かに釈迦堂殿を初回だけチラッと出していたが、
あれはどういう意図だったのだろう?
687日曜8時の名無しさん:2013/06/15(土) 20:55:46.01 ID:ZvWiciVr
安達氏(小野田氏)


■三河国小野田荘

平安末期〜室町期に見える荘園名。
寿永3年4月24日の源頼朝下文案に賀茂別雷神社領の荘園として「参河国 小野田庄」とある(賀茂別雷神社文書/平遺4155)。
その後,文治2年10月1日にも頼朝が同社に当荘を安堵した


■東観音寺(三河湖渥美郡小松原)

東観音寺所蔵の金銅馬頭観音御正体は、直径34.3cmの円形の光背に約27cmの金銅製半肉彫の馬頭観音坐像を浮き出させたもので、
篭字(二重書きの文字)で彫刻された銘があり、文永8年(1271)に地頭であった安達泰盛によって寄進されたことが記されている



■霜月騒動
霜月騒動に安達氏与党として討滅されたものは、安達氏一族とその分流大曽祢一族、泰盛の母の実家にあたる小笠原惣領伴野出羽守長泰一族
長泰の子泰房は、安達氏の旧領三河国小野田荘に逃れて、その地に住んで三河小笠原氏の祖になった
688日曜8時の名無しさん:2013/06/15(土) 21:52:36.59 ID:bKShbizb
この時代を北条側からの視点でドラマ化してくれんかなあ
少年高時が執権になる辺りから始まって
最後は時行が龍ノ口で死ぬところまで
689日曜8時の名無しさん:2013/06/15(土) 21:59:37.26 ID:szXmg58H
>>688
それでドラマになるのかよw
690日曜8時の名無しさん:2013/06/15(土) 22:09:58.28 ID:ENnoSfOG
足利目線でもこれ1作しかないのに、無理無理
北条目線は時宗をやったじゃないか
691日曜8時の名無しさん:2013/06/15(土) 22:30:26.75 ID:aLkoVBQt
時宗視点で見ると足利も小賢しいことやってるよね。
692日曜8時の名無しさん:2013/06/15(土) 23:37:20.96 ID:rhI3W/d9
何をいまさら
悪党ぞろいの中でも、大悪党じゃねえかよw
693日曜8時の名無しさん:2013/06/16(日) 00:05:24.97 ID:RD0yp/qW
やるなら道誉視点でバサラの一生とか?
694日曜8時の名無しさん:2013/06/16(日) 00:51:25.04 ID:4JkNOCZW
この時代、とにかく、キャラのたつ人物が非常に多い時代なんで、あれだけど、

佐々木道誉をフィーチャーするのは同意。
695日曜8時の名無しさん:2013/06/16(日) 01:35:37.04 ID:OBYwOh9p
裏・太平記
佐々木道誉〜BASARA
696日曜8時の名無しさん:2013/06/16(日) 02:25:14.93 ID:Z9OmfeLe
北条高時の御相伴衆だった頃から始まって
基氏死後の鎌倉下向あたりまで忙しいなあ道誉

隠居後、昔を回想する姿を想像してしまった
697日曜8時の名無しさん:2013/06/16(日) 07:43:41.80 ID:RD0yp/qW
鎌倉末〜建武政権〜南北朝前半くらいの時期でドラマの主人公になり得るのは、
尊氏以外では正直道誉くらいだろう。

滅茶苦茶な世の中を巧みに生き残った人じゃないとストーリー的に難しい。
南朝方や北条残党の目線ではちょっと内容的に悲惨というか暗すぎるし、史料的制約も大きい。
698日曜8時の名無しさん:2013/06/16(日) 10:05:45.10 ID:spfQ7mSO
阿野廉子あたりはどうだろうか
699日曜8時の名無しさん:2013/06/16(日) 10:11:23.41 ID:bTn1VK09
真田レベルの若手俳優がいないという大問題
700日曜8時の名無しさん:2013/06/16(日) 12:33:14.26 ID:N35iRPTA
新田次郎原作、ジェームス三木脚本で新田義貞でもやっとけばいい
701日曜8時の名無しさん:2013/06/16(日) 14:51:05.78 ID:Z9OmfeLe
>>699
吹き替え無しで闘犬と絡んだり流鏑馬をしたり蹴鞠をしたり
こんな事出来る役者はなかなかいないね
702日曜8時の名無しさん:2013/06/16(日) 16:26:41.32 ID:4JkNOCZW
俳優空白の30代か
703日曜8時の名無しさん:2013/06/16(日) 21:38:33.86 ID:RD0yp/qW
>>698
阿野廉子主人公のドラマなんて面白いと思うか?
704日曜8時の名無しさん:2013/06/16(日) 21:43:45.93 ID:o3jiDp/Y
>>703
濡れ場あり?
705日曜8時の名無しさん:2013/06/16(日) 22:00:34.48 ID:RIzmXxCA
>>703
壇蜜主演かな
706日曜8時の名無しさん:2013/06/16(日) 23:07:40.36 ID:4JkNOCZW
ドラマ「大奥」とカブるのでは?
707日曜8時の名無しさん:2013/06/17(月) 19:25:35.22 ID:88DB7EPG
「二つ引き両〜足利三代」
708日曜8時の名無しさん:2013/06/17(月) 21:12:14.30 ID:lKM0MW9U
壇蜜主演なら、『とはずがたり』の実写化とかのがよくね?
709日曜8時の名無しさん:2013/06/17(月) 21:19:27.10 ID:jf1aAey3
710日曜8時の名無しさん:2013/06/17(月) 21:52:50.74 ID:88DB7EPG
おめでとうございまする。
711日曜8時の名無しさん:2013/06/17(月) 22:29:15.86 ID:wJUdw/3U
>>709
これはこのスレ的には凄いビッグニュースだな!
712日曜8時の名無しさん:2013/06/17(月) 23:07:01.10 ID:yEhfmnD/
逆賊ゆかりの寺だからうちはみじめなんですよと寺の関係者が愚痴ってた昭和までから隔世だな。
713日曜8時の名無しさん:2013/06/17(月) 23:36:27.87 ID:NRP+i98L
>>707
義輝、義栄、義昭ですね分かります
714日曜8時の名無しさん:2013/06/18(火) 00:32:57.67 ID:E9ameK3j
義輝や義昭にとっては、義栄なんて誰それレベルで、
同じ一族としての連帯感なんて全くなかっただろうよ。
715日曜8時の名無しさん:2013/06/18(火) 09:49:12.56 ID:Jo33LBtn
>>709
本堂=大御堂
現存するのは足利貞氏再建


■1234年、鑁阿寺大御堂を建立

(大檀那)足利義氏(三代目足利氏当主)
・藤原実範(三河国司)→藤原季兼(三河四郎)→藤原季範(額田冠者、初代熱田大宮司)→娘→足利義兼→足利義氏

(大行事権律師)藤原重弘(鑁阿寺第四世寺務学頭、野田朝氏と兄弟)
・藤原実範(三河国司)→藤原季兼(三河四郎)→藤原季範(額田冠者、初代熱田大宮司)→藤原範忠→野田清季(野田城主(三河国設楽郡野田))→野田朝季→藤原重弘

(大勧進)阿闍梨了心

(雑掌・奉公人)藤原朝氏(野田朝氏、野田大宮司、嫁は足利義氏の姉)
・藤原実範(三河国司)→藤原季兼(三河四郎)→藤原季範(額田冠者、初代熱田大宮司)→藤原範忠→野田清季(野田城主(三河国設楽郡野田))→野田朝季→野田朝氏

(雑掌・奉公人)源季能

(雑掌・奉公人)小俣禅阿(鶏足寺の別当)

(雑掌・奉公人)大平惟行
・高階惟章→惟頼→惟真→惟範→惟長(三河国額田郡菅生郷郷司)→瀧口惟忠→大平惟行

(雑掌・奉公人)高階義定
・高階惟章→惟頼→惟真→惟範→惟長(三河国額田郡菅生郷郷司)→惟重→義定

(雑掌・奉公人)大進円憲

(雑掌・奉公人)佐野範綱

(雑掌・奉公人)真下広経

(雑掌・奉公人)小野有家

(雑掌・奉公人)藤原兼資


■鑁阿寺 旧多宝塔跡
藤原重弘(鑁阿寺第四世寺務学頭、野田朝氏と兄弟)が、父である野田朝季の供養のために造立した供養塔、多宝塔供養導師は、足利義氏の息子、最信

・藤原実範(三河国司)→藤原季兼(三河四郎)→藤原季範(額田冠者、初代藤姓熱田大宮司)→藤原範忠→野田清季(野田城主(三河国設楽郡野田))→野田朝季

最信(勝長寿院別当)
・藤原実範(三河国司)→藤原季兼(三河四郎)→藤原季範(額田冠者、初代藤姓熱田大宮司)→娘→足利義兼→足利義氏→最信
716日曜8時の名無しさん:2013/06/18(火) 15:56:40.34 ID:E9ameK3j
また三河バカか
717日曜8時の名無しさん:2013/06/18(火) 18:16:00.10 ID:Jo33LBtn
>>715
関連事項

■日光山
源頼朝がその母方の藤姓熱田大宮司家の出身者を別当に据えて以来、鎌倉幕府、関東公方、後北条氏の歴代を通じて東国の宗教的権威の一中心であり続けた


■源頼朝

・藤原実範(三河国司)→藤原季兼(三河四郎)→藤原季範(額田冠者、初代藤姓熱田大宮司)→娘(由良御前)→源頼朝


■母方の熱田大宮司家の出身者(源頼朝の従兄弟)
寛伝(寛典・観纒とも、額田僧都、式部僧都と称された、日光山満願寺19世座主)

・藤原実範(三河国司)→藤原季兼(三河四郎)→藤原季範(額田冠者、初代藤姓熱田大宮司)→藤原範忠→寛伝


年表
・1142年、生まれる
・叔父の三河法橋裕範(源頼朝の母の弟)、粟田口法眼長暹(源頼朝の母の弟)を頼って滝山寺(愛知県岡崎市)で仏門に入る
・仁和寺で修行する
・1182年、源頼朝の推挙により日光山満願寺19世座主になる
・宗徒と面会する際、御簾を半分にしか上げず紛紜、2ヶ月で三河国(愛知県岡崎市)に戻る
・菩提寺の滝山寺(愛知県岡崎市)僧侶になり、66郷を領し精舎一区を創建する
・鑁阿寺奥院の法界寺に、宋版の一切経を納める(後に一切経は、足利義氏により鑁阿寺に)
・高野山御影堂に大鐘を施入する
・1201年、頼朝公の3回忌、滝山寺内に惣持禅院を創建し、本尊として頼朝公の御歯と御髪を納めた聖観音菩薩を安置する
・惣持禅院に供僧10人を常置し10町の土地を寄進する
・1205年、死去する
718名無しさん@お腹いっぱい。:2013/06/18(火) 22:14:02.71 ID:KmQwGAY8
鑁阿寺には尊氏の書も仰山あるよ
たまに墓参りに来る程度だったけどね
家康は源氏家系が欲しいがために
足利氏に擦寄り鑁阿寺に源氏家系をと
懇願した家康からの頼書もあるよ
719日曜8時の名無しさん:2013/06/18(火) 22:43:29.93 ID:jNTWj/Md
直冬「家流?!なに?それw」
720日曜8時の名無しさん:2013/06/19(水) 00:39:38.08 ID:x9Vs7evT
松平は源姓だから、一色氏から嫁が入っただろ
どこの馬の骨か分からない奴が、従五位下和泉守になれるかよ
いい加減、馬鹿の壁
721日曜8時の名無しさん:2013/06/19(水) 01:23:44.46 ID:7G9vZNcG
あぼーんばっか
722日曜8時の名無しさん:2013/06/19(水) 01:28:07.82 ID:QopUJimM
松平信光は、正室が三河守護一色満範の娘ということもあるが、
信光自身も室町幕府政所執事の伊勢氏と繋がりがある。
信光の子の親忠の名前は伊勢貞親からの偏諱の可能性もある。

あと徳川秀忠の生母西郷局の実家である三河西郷氏は、
一色氏が三河守護だった時代に守護代を勤めていた家。
幕末に西郷頼母が出る会津藩家老の西郷氏も、この三河西郷氏の庶流。
723日曜8時の名無しさん:2013/06/19(水) 07:20:21.13 ID:smIeMw7P
家康は、新田氏の傍流の得川氏の系図を手に入れて、
そこに当時の姓であった松平氏を無理やりくっつけてしまったのは事実
系図を捏造したのは1566年に三河地方を統一し、
三河守に任官を希望したとき
724日曜8時の名無しさん:2013/06/19(水) 08:32:22.95 ID:x9Vs7evT
当時は、現代のように手軽に史料が手に入らないからな
仮冒する為でなく、伝え聞く松平の史料としっかりと突き合わせる為に必要だったのさ

足利一門の今川貞世でさえ、数世代前は系図があやふやになっているから、書き留めて置くと言っている
松平信光がしっかりと書き留めて置けば、後世怪しまれる事はなかった
725日曜8時の名無しさん:2013/06/19(水) 08:52:48.80 ID:HIcIMZ3X
板違いなのに
書き留め置くバカが格好つけるスレですか?
726日曜8時の名無しさん:2013/06/19(水) 11:55:43.70 ID:x9Vs7evT
バンナ寺の話から繋がっているんだから問題ねーだろ
お前出ていけ、猿
727日曜8時の名無しさん:2013/06/19(水) 23:07:46.58 ID:QopUJimM
系図があやふやというなら、時政以前の鎌倉北条氏だって、かなり混乱が激しいからな。

ただ松平氏の場合、源姓の真偽はともかく、同氏が三河の国主のようになっていく背景として、
一色氏との姻戚関係がプラスに働いたことは容易に推測できる。

一色氏の三河守護は、一色義貫(松平信光の妻の兄弟)が1440年、
将軍義教に謀殺されたところで終わってしまうが、
その後に代わって三河守護となった細川讃州家は三河支配は弱体で、
戦国時代の開始とともに自然消滅してしまった感じだから、
結果的に旧守護の縁者である松平氏が三河の盟主としてクローズアップされた面もあるのだろう。
728日曜8時の名無しさん:2013/06/19(水) 23:14:34.05 ID:QopUJimM
あと後に徳川家康に仕えて黒衣の宰相といわれた金地院崇伝も一色氏の出身。
家康の段階になっても、徳川(松平)氏と一色氏の関係は深い。
729日曜8時の名無しさん:2013/06/20(木) 00:12:28.44 ID:MZpRvnaq
そういえば松平信光の父松平泰親は実在が証明されたんだっけか?
730日曜8時の名無しさん:2013/06/20(木) 00:15:36.74 ID:QWeeoiG0
そいやドラマに出てた一色右馬之介は実在するの?一色一族?養子?
731日曜8時の名無しさん:2013/06/20(木) 20:45:43.16 ID:0dIGcgYo
居て欲しいが、創作だろうな。

ところで、

この傑作大河の唯一の欠点は、護良親王役、堤大二郎の大根ぶりよ!
732日曜8時の名無しさん:2013/06/20(木) 21:23:12.62 ID:n6gUKO7/
親王とは思えない目の剥き方とか、気性の荒さが出てて良かったと思うよ。
この時代のドラマは他に無いためか、固定観念なく見られて、ミスキャストは思い浮かばない。
当時17才くらいの宮沢りえが子持ちというのが、ちょっと
733日曜8時の名無しさん:2013/06/20(木) 21:54:34.54 ID:O1Ekux3u
一色右馬之介 関連事項


■源範円
・父:源範頼、母:安達盛長と丹後内侍の娘
・源範頼→源範円→吉見為頼(初代吉見氏)


■正法寺(愛知県豊川市赤坂町西裏69)

創建年:弘仁7年(816年)
開基:万巻上人
中興:了信坊(源範円)


正法寺の創建は聖徳太子が赤坂の地を訪れた際、太子堂を建立したことが始まりと伝えられている
弘仁7年(816)、万巻上人が病により太子堂で亡くなったことから、上人を開基と定め寺院として開山する
当初は天台宗の寺院でしたが貞永元年(1232)に親鸞が太子堂の参拝に訪れた際、当時の住職範円(源範頼の子息)が親鸞に教化され浄土真宗に改宗する
734日曜8時の名無しさん:2013/06/20(木) 22:37:52.97 ID:0dIGcgYo
あ、もひとつ
ゴクミの北畠顕家。
あれは残念なものだった。
735日曜8時の名無しさん:2013/06/20(木) 23:15:23.22 ID:hoYHTXpZ
>>720 >>725
完全にバカ丸出しだなwww
736日曜8時の名無しさん:2013/06/21(金) 07:23:58.93 ID:ajgZ4PHS
不明なのは家康が足利氏ではなくて新田氏(得川氏)に近づいたのかな
当時の三河は足利氏の領地も結構あったはずだし
家柄的には新田より足利だと思うのだが
737日曜8時の名無しさん:2013/06/21(金) 07:42:53.36 ID:G6SseWWG
足利系統に反抗するんだから、対立軸としての新田を選択するだろう
738日曜8時の名無しさん:2013/06/21(金) 11:43:04.62 ID:U+j9BL52
何で対抗心を持たなあかんのか、元々足利側の幹部だろ

源為朝を祖神と考えていた足利一門は、内心縁もゆかりもないと思っていた北関東ではなく、母方ゆかりの地三河に殆ど拠点を移して住んでいたから、仮冒は難しいだろうが

松平和泉守源信光の意味は、実父の親氏から世良田と直接聞かされていたか、松平氏の出自が足助氏のどちらかだな
足助氏は、鎌倉幕府の御家人でありながら、昇殿も許されていた清和源氏滿政流の名門だ
739日曜8時の名無しさん:2013/06/21(金) 12:42:27.38 ID:Y4nZ11pG
恐るべし三河脳
740日曜8時の名無しさん:2013/06/21(金) 12:52:50.84 ID:U+j9BL52
http://homepage1.nifty.com/sira/baisyouron/baisyou37.html
梅松論37


宰府に領地を寄進しようと、御文章の参考のために社家の古文書を召し出された中に、昔、鎮西八郎為朝の寄付の文書があったのを御覧になり、「当家の祖神」とまことに有り難く思し召して、御社頭に向かって合掌され、御敬神浅からず見えた。



足利尊氏
「俺っちの本当の始祖、源為朝様ではないか、ありがたやありがたや(北関東の新田とやらが同族気取りでウザイ)」
741日曜8時の名無しさん:2013/06/21(金) 22:24:26.56 ID:zpAXgwLN
>>737
織豊政権はともかく、江戸幕府には室町幕府への対抗心はまずないだろ。
むしろ自分自身が室町幕府の後継としての正統な武家政権というアピールをかなりしている。
そのため室町幕府の奉公衆・奉行衆クラスの人々の子孫を幕臣に大量に召し抱えて、
室町幕府に倣う形で、将軍の権威を演出するための儀式・儀礼なんかの仕組みを整えている。
742日曜8時の名無しさん:2013/06/21(金) 22:29:13.69 ID:KJRAH6ec
堤大二郎は大芝居なんだよね
今見ると古臭いのかな?キャラにはあってたと思う
他にはくどい位実直な高嶋弟とかうっとうしいギバ、
未熟でたどたどしい筒井とかキャラには合ってたから
演技に違和感あってもそれはそれで良かったと思う
743日曜8時の名無しさん:2013/06/21(金) 23:05:27.00 ID:jdKWJfFb
>>737
足利化冒するなら本家本元の義昭さん担がにゃならんで
744日曜8時の名無しさん:2013/06/21(金) 23:47:04.19 ID:P2O68hPY
主演男優賞:大地康夫
助演男優賞:片岡鶴太郎
主演女優賞:原田美枝子
助演女優賞:沢たまき
745日曜8時の名無しさん:2013/06/22(土) 00:33:51.55 ID:UzAHlhTI
三河に領地があった足利氏に対抗の、三河に領地の考えが間違い

タカちゃんの頭の中

俺っちの先祖は
源為義→源為朝→足利義兼
藤原季範(額田冠者)→娘→足利義兼

元々、今の愛知県出身じゃん、親戚いっぱいいるし、養子で入った足利に、苗字の地以外に愛着ないわwつーワケだ


親戚いっぱいいるの具体例

父系
・源為義→源為朝→娘(三河国、足助重長室)→娘→公暁
・源為義→源為朝→尾頭義次(鬼頭義次)

・源為義→源義朝→義円→愛智義成(母方が三河の藤姓熱田大宮司家)
・源為義→源義朝→源範頼(三河守、参州)→源範円(三河国、正法寺僧侶)

・源為義→源行家(三河国、五井城主)→→西乗→中野為貞

・源為義→鳥居禅尼→行快(22代熊野別当、三河国蒲形荘竹谷荘地頭)
・源為義→鳥居禅尼鳥居忠氏(三河国、初代鳥居氏)

母方
藤原季範(額田冠者、初代藤姓熱田大宮司)→藤原範忠→藤原忠季(実朝近習)

藤原季範(額田冠者、初代藤姓熱田大宮司)→藤原範忠→寛伝(日光山満願寺第19代座主)

藤原季範(額田冠者、初代藤姓熱田大宮司)→藤原範忠→野田清季(三河国、野田城主)

藤原季範(額田冠者、初代藤姓熱田大宮司)→藤原範信(初代星野氏)→藤原範清

藤原季範(額田冠者、初代熱田大宮司)→藤原範信→藤原憲朝

藤原季範(額田冠者、初代藤姓熱田大宮司)→三河祐範→仁憲(三河国、滝山寺僧侶)
746日曜8時の名無しさん:2013/06/22(土) 20:46:50.34 ID:LFnAeytG
>>736
当時の三河と足利の関係は
・足利義氏が承久の乱鎮圧後三河守護
・足利氏とその一族が三河に土着して領地を持つ 
・足利義氏後、細川氏・仁木氏・今川氏・吉良氏・一色氏は三河に領地も持った足利一族

学説によると代を遡り単純に足利より新田の系図の方が容易いってことらしい
747日曜8時の名無しさん:2013/06/22(土) 21:58:16.86 ID:MP8wdG8y
>>746
学説って?
単純に容易って?
どういう意味?
748日曜8時の名無しさん:2013/06/22(土) 22:15:42.56 ID:UzAHlhTI
三河との関係は義兼時代からだがw
出自が謎の伊勢氏も、義兼時代に三河で知り合ったんだろうが
何回説明させんねん

何故義氏が三河守護になれたのか考えろ
おばさんの縁故だろうが、源範頼、安達盛長も三河の熱田大宮司家繋がりだ

義清の息子孫達が、北関東にいた伝承、史跡等あるか?一切無いだろ
無いと言う事は、いなかったと言う事だな
じゃあ何処にいたか?元々三河にいたワケだ
細川氏と戸賀崎氏の菩提寺と足利氏・足利被官の菩提寺は違う
また独自に氏神をもち、戸賀崎義宗はそこで神官をしていた
他の足利一族より土着色が強いのは、義氏に連れて来られたのではないからだ
749日曜8時の名無しさん:2013/06/22(土) 23:45:02.32 ID:q8sVg72Y
三河一党の前で、高氏が置文を読むシーンは、思わず熱くなるぜ!
750日曜8時の名無しさん:2013/06/23(日) 00:50:00.66 ID:6zJkWF7D
夢むなしく破れ、
ただ家名を保つのみ!
751日曜8時の名無しさん:2013/06/23(日) 07:20:03.62 ID:XDq+6W1z
youtubeにあがってた動画何度も聞いてたら空で言えるようになった

高氏
師直!我が祖父、家時殿の置文をこれへ。
北条が為、無念の死を遂げられた、我が祖父家時殿の置文を、今日こそ!皆と共に読もうぞ!

帥直
はは!
752日曜8時の名無しさん:2013/06/23(日) 09:39:12.45 ID:/uPf8sOy
>>750
「夢むなしく破れ」の次は「僅かに家名を守らんがため一命をなげうつのみ」だったと思うが。
753日曜8時の名無しさん:2013/06/23(日) 15:13:42.19 ID:du12bRKD
>>720 >>745 >>748
そういうこと遡れば新田源氏に行き着くのは明白。

そもそも徳川が家系捏造を信じ込んでいるヤツは
その時点で頭が可笑しい。
新田や足利を語る以前の問題。
754日曜8時の名無しさん:2013/06/23(日) 15:17:49.86 ID:I5TGeLuQ
アホクサ
755日曜8時の名無しさん:2013/06/23(日) 18:07:08.41 ID:du12bRKD
古くから足利も新田も三河との関係が深いんだよ
そこで徳川(松平)と密接な関係出来るのは自然な流れ
遡れば新田氏と同じ源氏・藤原の家系にたどり着くのは必然
足利も新田も出目も繁栄も北関東や鎌倉に在らずってワケ
756日曜8時の名無しさん:2013/06/23(日) 20:51:49.96 ID:g07hnzt+
「鎌倉炎上」の、あのカタルシスは、大河随一では?
757日曜8時の名無しさん:2013/06/23(日) 21:46:46.78 ID:UK5B2uIE
細川氏

菩提寺:隣松寺(愛知県豊田市)
氏神:村積神社(愛知県岡崎市)←初代細川氏・細川義季の弟、戸賀崎義宗が神官


足利宗家
菩提寺:滝山寺(愛知県岡崎市)
氏神:無し


滝山寺の縁起に、細川・仁木・戸賀崎は一切出てこない


義氏に三河に連れて来られて、家来扱いされていた

これは間違い

元々、義氏と無関係の三河の国人(足利一族かどうかは不明)で、家来でもなかった

が正しい
758日曜8時の名無しさん:2013/06/24(月) 00:18:46.82 ID:nJ+yn58U
>>756
あの回は大河史上の最高傑作という説もあるからな。
759日曜8時の名無しさん:2013/06/24(月) 10:13:50.68 ID:vB/P5+/Q
>>758
憎まれ役の高時・円喜の潔い死に様
救世主だった後醍醐天皇の本性が出てくる
主役の尊氏は右馬介から手紙で報告を受けるのみ
「勝利に笑うもの一人も無く、奇妙な勝ち戦に候」
760日曜8時の名無しさん:2013/06/24(月) 19:12:28.88 ID:cdEuhfww
原作も、鎌倉炎上はクラクラしながら読んでた。
761日曜8時の名無しさん:2013/06/24(月) 21:34:57.92 ID:f8qw2EQz
個人的には鎌倉炎上の前数回のほうが印象的なシーン多いかも
762日曜8時の名無しさん:2013/06/24(月) 21:47:08.65 ID:uoRBeKEm
個人的には家時の置文読んだり「何故御舎弟に幕府を任せたー!?」と怒鳴ってる場面の方が好き
763日曜8時の名無しさん:2013/06/24(月) 21:52:29.24 ID:d5qx1zs2
霜月騒動の敵討ちなんだよな
尊氏は鎌倉幕府16代将軍でも良かった
764日曜8時の名無しさん:2013/06/24(月) 22:04:44.93 ID:z62fMv6U
言われてみればそうだな。頼朝の遠戚でもあるし。血筋的にもおk
765日曜8時の名無しさん:2013/06/24(月) 22:45:07.56 ID:e1/aj7GG
10代将軍から15代将軍は一体誰ですか?w
766日曜8時の名無しさん:2013/06/24(月) 23:30:45.84 ID:cdEuhfww
尊氏にしたら、孫があんな風になろうとは、

あの世でおったまげたんだろうな。
767日曜8時の名無しさん:2013/06/24(月) 23:33:56.67 ID:JEjGsXpv
>>763
霜月騒動の敵討ちって、どういうこと?
768日曜8時の名無しさん:2013/06/25(火) 00:31:33.97 ID:Kn9HfEl8
足利の陣営、戦に勝ったと笑う者一人もなく、不思議な勝ち戦にて候。
769日曜8時の名無しさん:2013/06/25(火) 00:50:34.64 ID:ZVvTmESC
三河に領地があった足利氏に対抗の、三河に領地の考えが間違い

タカちゃんの頭の中

俺っちの先祖は
・源義家(郎党12は三河国の国人)→源為義(母は三河守源隆長の娘か?)→源為朝→足利義兼
・藤原季兼(三河四郎)→藤原季範(額田冠者、初代藤姓熱田大宮司)→娘→足利義兼


鎌倉殿と父方母方で従兄弟

・源義家(郎党12は三河国の国人)→源為義(母は三河守源隆長の娘か?)→源義朝→源頼朝
・藤原季兼(三河四郎)→藤原季範(額田冠者、初代藤姓熱田大宮司)→娘→源頼朝



元々、今の愛知県出身じゃん、親戚いっぱいいるし、養子で入った足利に、苗字の地以外に愛着ないわwつーワケだ


親戚いっぱいいるの具体例

父方

・源義家(郎党12は三河国の国人)→源為義(母は三河守源隆長の娘か?)→源為朝→娘(三河国、足助重長室)→娘→公暁
・源義家(郎党12は三河国の国人)→源為義(母は三河守源隆長の娘か?)→源為朝→尾頭義次(鬼頭義次)

・源義家(郎党12は三河国の国人)→源為義(母は三河守源隆長の娘か?)→源義朝→義円→愛智義成(母方が三河の藤姓熱田大宮司家)
・源義家(郎党12は三河国の国人)→源為義(母は三河守源隆長の娘か?)→源義朝→源範頼(三河守、参州)→源範円(三河国、正法寺僧侶)

・源義家(郎党12は三河国の国人)→源為義(母は三河守源隆長の娘か?)→源行家(三河国、五井城主)→西乗→中野為貞

・源義家(郎党12は三河国の国人)→源為義(母は三河守源隆長の娘か?)→鳥居禅尼→行快(22代熊野別当、三河国蒲形荘竹谷荘地頭)
・源義家(郎党12は三河国の国人)→源為義(母は三河守源隆長の娘か?)→鳥居禅尼→鳥居忠氏(三河国、初代鳥居氏)

母方
・藤原季兼(三河四郎)→藤原季範(額田冠者、初代藤姓熱田大宮司)→藤原範忠→藤原忠季(実朝近習)
・藤原季兼(三河四郎)→藤原季範(額田冠者、初代藤姓熱田大宮司)→藤原範忠→寛伝(日光山満願寺第19代座主 三河国滝山寺僧侶)
・藤原季兼(三河四郎)→藤原季範(額田冠者、初代藤姓熱田大宮司)→藤原範忠→野田清季(三河国設楽郡野田、野田城主)
・藤原季兼(三河四郎)→藤原季範(額田冠者、初代藤姓熱田大宮司)→藤原範信(初代星野氏)→星野範清(三河国宝飯郡星野、頼朝右大将拝賀の先駆)
・藤原季兼(三河四郎)→藤原季範(額田冠者、初代藤姓熱田大宮司)→藤原範信→藤原憲朝(駿河守(源広綱の後釜)、尾張国海東郡地頭)
・藤原季兼(三河四郎)→藤原季範(額田冠者、初代藤姓熱田大宮司)→三河祐範→仁憲(三河国、滝山寺僧侶)
770日曜8時の名無しさん:2013/06/25(火) 01:03:57.82 ID:UCtyYRgV
「我に代わりて、天下を取れ!」
771日曜8時の名無しさん:2013/06/25(火) 03:36:33.31 ID:njSRbpY7
>>766
尊氏がもし義教・義政・義昭・茶々丸あたり見たらどんな反応するか気になるわ
772日曜8時の名無しさん:2013/06/25(火) 11:47:50.34 ID:Kn9HfEl8
なぜに茶々丸?
773日曜8時の名無しさん:2013/06/26(水) 21:07:03.11 ID:GigsPjmM
関東から移り住んだを頑なに否定しないから、こんな苦しい解釈をしざるおえない

・矢田庄、矢田御厨、矢田郡などの呼称の所領は当時足利氏の所領に存在していないと言われており、矢田判官代なる義清の通称は誤りであり、根本所領の梁田判官代とされるのが正しい
・足利荘や梁田御厨の周辺に義清の子孫が定着しなかったことから、義清は早い時期から足利荘を離れて多胡郡矢田郷に拠点を移したらしい


義朝妾の子(範頼)の面倒を見ていた三河の藤姓熱田大宮司家が、義康妾の子(義清)の面倒もみたは極めて自然

・源為義(母は三河守源隆長の娘か?)→源義朝→源頼朝(母は三河の藤姓熱田大宮司家出身)
・源為義(母は三河守源隆長の娘か?)→源義朝→源範頼(母は遊女、三河守、参州)→源範円(三河国、正法寺僧侶)

・源義国→源義康→源義兼(母は三河の藤姓熱田大宮司家出身、八条院蔵人)→足利義氏
・源義国→源義康→源義清(母は不明、上西門院に仕える、矢田判官代)→広沢義実→細川氏、仁木氏、戸賀崎氏


矢田郷前城
http://www.geocities.jp/shiro20051212/Yada-Gomae-jo.html

矢田郷後城
http://www.geocities.jp/shiro20051212/Yada-Goushiro-jo.html

矢田熊子城
http://www.geocities.jp/shiro20051212/Yada-Kumako-jo.html


由緒はアレだが、水島の戦いで父親が戦死してあと、三河の藤姓熱田大宮司家の庇護を受けていた
後に義氏が三河守護として乗り込んできて、矢田郷を長氏に譲って、細川郷に拠点を移した
辻褄が合っている
774日曜8時の名無しさん:2013/06/26(水) 21:10:23.49 ID:skwDria8
日本語の不自由な方でしたか
775日曜8時の名無しさん:2013/06/26(水) 21:22:44.65 ID:GigsPjmM
× 関東から移り住んだを頑なに否定しないから、こんな苦しい解釈をしざるおえない

○ 関東から移り住んだと頑なに主張するから、こんな苦しい解釈をせざるおえない
776日曜8時の名無しさん:2013/06/26(水) 21:24:22.25 ID:RhiZsO0r
777日曜8時の名無しさん:2013/06/27(木) 00:44:27.69 ID:e/D3VuFc
個人的には歴史蘊蓄は全然許容範囲だと思っていたが、三河バカだけは受け付けないやw
778日曜8時の名無しさん:2013/06/27(木) 12:05:40.16 ID:36VY+8TN
三河のことなどどうでもよいっ!
それよりも、この鎌倉を死守するのが先決ぞ!
779日曜8時の名無しさん:2013/06/27(木) 17:40:52.82 ID:4qqP9g2K
>>767
ドラマでは確か家時の自殺は霜月騒動に連座して、という設定だったかと。
家時の死については、霜月騒動前年の佐介流北条氏(時房の子孫)粛清に連座してのことという説も有り。
どっちにしろ得宗家に詰め腹切らされたのは確からしい。
ちなみに霜月騒動では足利氏からは吉良満氏(貞義の父)が犠牲になっている。
780日曜8時の名無しさん:2013/06/27(木) 21:12:17.79 ID:nDnAHlvf
>>779
霜月騒動における足利一門の動向は結構難しいよ。

確かに吉良満氏は霜月騒動で討たれたと見られているが、その一方で
満氏の弟の今川国氏は霜月騒動で幕府から恩賞を貰ったという記録もある。
また満氏・国氏の父である長氏もこの段階ではまだ存命だが、彼がこの件で
幕府から咎められた様子は特にない。

おそらく佐介時国の粛清や霜月騒動への対応をめぐっては、足利一門自体も
実は分裂していた可能性が高い。
781日曜8時の名無しさん:2013/06/27(木) 22:15:49.87 ID:GbFPxBYt
国氏は霜月騒動の時、既に死んでるがな
この頃はちょうど吉良と今川が仲が悪くなった時代だろ


根幹は頼朝譜代御家人(三河繋がり)排斥だよ

主要御家人

・安達氏(三河国八名郡小野田)←安達泰盛は三河国渥美郡小松原荘の地頭
・小笠原氏←庶流の伴野氏は、安達氏の旧領、三河国八名郡小野田荘に逃げ、三河小笠原氏となる
・吉良氏(三河国幡豆郡吉良)←吉良満氏自害
・斯波氏(三河国碧海郡矢作)←越中国の所領没収
・足助氏(三河国加茂郡足助)
・二階堂氏←二階堂行景は三河国碧海郡重原荘地頭


頼朝譜代御家人(三河繋がり)排斥は、1296年に範頼子孫の吉見義世が殺害されて完了する
三河を中心にして考えないと、物事はみえてこないよ
782日曜8時の名無しさん:2013/06/27(木) 22:38:05.62 ID:Shfe6vfm
もうお前は巣に帰れw
783日曜8時の名無しさん:2013/06/28(金) 23:44:17.21 ID:xIhr0BL7
三河バカってかなりタチが悪いよな。
スレのテーマ的に「三河」を機械的にNGワードにするわけにもいかないし・・・。
784日曜8時の名無しさん:2013/06/29(土) 22:58:45.89 ID:sL/Ap9Qy
>>773
面倒見がいい三河の熱田大宮司家と言えば、義経も世話になったわな
季範も出席したらしいが、元服を熱田神宮で行った
義経が持っていた、河内源氏相伝の阿弥陀如来は、元々愛知県岡崎市の明願寺にあった
それが今は増上寺にある黒本尊(九郎本尊)だ

親鸞の母親が義朝の娘とすると、三河と親鸞の濃密な関係もうなずける
785日曜8時の名無しさん:2013/06/29(土) 23:06:14.66 ID:sL/Ap9Qy
>>733関連事項

親鸞の母親が義朝の娘だとすると、三河で坊さんやっていた範頼の息子は、親鸞と従兄弟同士と言う事になる
786日曜8時の名無しさん:2013/06/29(土) 23:30:46.94 ID:IzqzHb0c
道誉の陣内孝則は最高だな。
絶対、次はない。
787日曜8時の名無しさん:2013/06/30(日) 00:10:17.23 ID:CqL5HR+Z
わしは新田に寝返るぞ!
そうでもせねば、この世は生きてゆけぬわっ!
もしそこもとが御出陣とあらば、それがしに御一報たまわりたい!
一番に駆けつけようでなあ!
わっはっはっはっは!
788日曜8時の名無しさん:2013/06/30(日) 02:32:56.85 ID:6rxy/VPv
佐々木判官、思うところあり。寝返り御免!
789日曜8時の名無しさん:2013/06/30(日) 12:45:07.42 ID:TvbXRTic
自他共に認める節操無し・・・と見せて
「尊氏の盟友」という立ち位置は最後まで一寸のブレも無い判官殿は実に良いキャラ
790日曜8時の名無しさん:2013/06/30(日) 16:56:53.70 ID:pp/uq50U
千寿王かわいいよ千寿王
791日曜8時の名無しさん:2013/07/01(月) 00:44:24.21 ID:5HsPwPmq
いずれ義詮殿から義満殿に寝返りいたそうよ!
792日曜8時の名無しさん:2013/07/01(月) 23:54:33.51 ID:og1AWRcQ
>>784
訂正及び補足説明

×明願寺
○妙源寺(元は明眼寺)


清和源氏の守護本尊(恵心僧都作)

源満仲

源頼光

源頼義

源義家

源義朝

平清盛

常盤御前

源義経

三河国碧海郡矢作の長者(菩提寺の誓願寺は恵心僧都創建)

妙源寺(元は明眼寺)

岡崎城(家康による、地名の明大寺は源義経創建の妙大寺に由来)

増上寺
793日曜8時の名無しさん:2013/07/03(水) 23:38:17.62 ID:USKMzCSh
佐々木判官、申したき儀あり。しばしお控えめされよ!
794日曜8時の名無しさん:2013/07/05(金) 01:37:10.21 ID:cfYxd7qk
生涯の友じゃと・・・。
795日曜8時の名無しさん:2013/07/05(金) 21:24:14.08 ID:LSHK+93E
>>784
季範さんは義経が生まれる4年前に死んでますが
796日曜8時の名無しさん:2013/07/05(金) 21:55:17.81 ID:cfYxd7qk
三河バカに一々反応すんなよ。
797日曜8時の名無しさん:2013/07/05(金) 23:46:30.43 ID:qUuyjtE7
判官殿は、もし陣内がオファー断ってたら誰がやったのか想像して見る…誰も浮かばないw
しかし時の経つのは早いものだ。
あれから22年、もはや尊氏、判官の中の人の歳を越えてしまった。
798日曜8時の名無しさん:2013/07/06(土) 01:10:25.11 ID:tA3eI6gO
判官は結構長寿だよ。
799日曜8時の名無しさん:2013/07/06(土) 01:19:12.96 ID:NxINNOx1
当時は佐渡判官が通称
800日曜8時の名無しさん:2013/07/06(土) 18:48:21.88 ID:DaNvRUre
佐渡の判官
「あれに控えし、隠岐の判官めがお供つかまつりまする」
801日曜8時の名無しさん:2013/07/06(土) 19:04:16.17 ID:ae1syt8z
尊氏「義詮を・・・幕府をよろしゅう頼みますぞ」
判官「わしは、頼りにならん男ぞ」
尊氏「いや、30年前初めて会った時から友じゃと思うておった・・・
   生涯の友じゃと・・・」
判官「・・・フフッ・・・かなわぬな・・・」

お人よしの尊氏と、
その遺言に涙目で照れながら受け答える佐々木判官。

変節お構いなしを自他ともに認めるが
「わしは尊氏殿が好きなのじゃ」という気持ちは、生涯ブレなかったな。
802日曜8時の名無しさん:2013/07/06(土) 21:13:38.52 ID:tA3eI6gO
>>799
さらに厳密にいえば正しくは「佐渡大夫判官」だな。
803日曜8時の名無しさん:2013/07/06(土) 22:49:43.60 ID:DaNvRUre
「大御所!!なにゆえ御舎弟に幕府を任せた?!政をわたした?!!!」


「御辺が政を行うのじゃ!!!」
804日曜8時の名無しさん:2013/07/06(土) 23:54:57.17 ID:dEBlKJpf
>>801
直義殺す回手前から終わりになるのが嫌で見たいのに見れてない。鎌倉炎上は10回くらい見てるw
805日曜8時の名無しさん:2013/07/07(日) 00:11:14.65 ID:n7a3mHeC
セリフだけ書いてる奴って何なの?アスペなの?
806日曜8時の名無しさん:2013/07/07(日) 00:18:00.32 ID:s6lB418t
とにかく、原作も大河も、特に後半はヘビー級な物語で、観賞には気力体力を必要とするわ。



憎々しい坊門清忠役はナイスだね。あの俳優さん最近見ないけど
807日曜8時の名無しさん:2013/07/07(日) 09:02:18.27 ID:DmVX179E
>>795
時系列に拘る>>594、俺とした事が
ゴミ名古屋人の嘘が頭にこびりついていたわ
あいつら、頼朝が名古屋生まれとか言っている嘘吐きの馬鹿だよな
いずれにせよ、恐らくこの長者は、三河の藤姓熱田大宮司関係者と思われ、繋がりがあったと想定できよう

加えて三河に多い熊野神社関係者と義経の繋がりも指摘しておきたい
弁慶の父親は熊野別当堪増らしいが、母親は鳥居禅尼(源義朝姉妹)の娘、その娘の兄弟が三河国蒲形荘竹谷荘の地頭の行快
義経を支援しようと熊野から駆けつけて、三河に土着した三河鈴木氏の祖である鈴木重善

足利将軍家と熊野三山の深い関係は、三河と源氏と熊野三山の関係を踏襲しているワケだ
808日曜8時の名無しさん:2013/07/07(日) 09:46:33.56 ID:nL45TGth
>>805
劇中のセリフを書くのは、このスレ的には別に構わないと思うが。
書いた当人にとって、それだけその場面が印象深いってことでしょう。

むしろウザいのは、長文で面白くもない三河ネタを飽きもせず延々と投下し続ける危痴害のほう。
809日曜8時の名無しさん:2013/07/07(日) 11:22:04.76 ID:Kpz20IDC
もしかすると三河人はキチガイだと思わせるのが目的だったりしてw
810日曜8時の名無しさん:2013/07/07(日) 19:08:21.71 ID:s6lB418t
尊氏の性癖が窺い知れる、師直の折檻。
811日曜8時の名無しさん:2013/07/07(日) 22:48:56.74 ID:DmVX179E
矢作は大友皇子が逃げてきた伝承があって、玉泉寺という寺もある
史実かどうかはさておき、園城寺と足利氏(源氏)との深い関係も、この辺りが関係しているのではないかと、ボキは思うね
812日曜8時の名無しさん:2013/07/08(月) 01:40:36.05 ID:cNhSboSz
佐々木導誉のキャラは陣内さんの怪演でほとんどイメージ作られちゃってるんだろうけど
今後もう永遠に映像化されない時代かも知れないからな〜

実際にはわりと尊氏にぺこぺこしてた人だったかも
813日曜8時の名無しさん:2013/07/08(月) 20:00:33.05 ID:nRWmsyYP
京極佐々木家自体が、あんまり体力ないしね。
814日曜8時の名無しさん:2013/07/09(火) 04:41:30.42 ID:0VwfIzop
出雲尼子氏も京極佐々木氏と考えれば(実際そうなんだが。だって導誉の子孫だし)
戦国末まで勢力を保ったとも言えるかも?

どうにも実際には昔の通説のように応仁の乱以後急速に守護が衰えていったというのは不正確で、
山名氏、赤松氏(別所氏や有馬氏など)、畠山氏も信長の頃まで一定の勢力は保持していた。
815日曜8時の名無しさん:2013/07/09(火) 05:43:36.93 ID:4DCoah7N
正しくは京極佐々木氏じゃなくて佐々木京極氏だな。
816日曜8時の名無しさん:2013/07/09(火) 19:59:48.75 ID:KwSsgguQ
第一話から見返し始めたんだけど緒形拳の演技に痺れるね。耐えに耐えて怒りを飲み込んで恭順しつつも長崎一派に潰されない強かさを持つ稀有な武将。柄杓をバキッて折るシーンや尊氏を伊勢に追放する時の「これでいい」って呟くシーンもどれも味があって最高。
817日曜8時の名無しさん:2013/07/10(水) 23:28:19.39 ID:ck2E0hvw
原作でもあまり深く描かれなかった貞氏を
血肉通った素晴らしいキャラに仕上げてあるのは
脚本のみならず緒形さんの演技に寄るのだろうね
818日曜8時の名無しさん:2013/07/10(水) 23:55:13.78 ID:/XvMe3PO
OP曲は歴代で一番好き
819日曜8時の名無しさん:2013/07/11(木) 00:13:54.56 ID:5DAI9HpF
『花の乱』も同じ作曲家なんだよね。
数少ない中世大河に随分と縁のある人だw
820日曜8時の名無しさん:2013/07/11(木) 01:47:18.47 ID:g4Chp2dF
鎌倉中期〜戦国前半ぐらいだと視聴者がつきにくいんじゃないかな?
花の乱も視聴率では苦戦したそうだし。
去年の平清盛も登場するお公家さんがわかりにくかったと思われ。

でも大河の低迷は戦国、幕末に偏ってるせいだとも思うんだ!
日本の歴史は500年しか無いのか?と思う事しばしば
(戦国前半ぐらいまでは資料の制約が厳しいからだろうけど)
821日曜8時の名無しさん:2013/07/11(木) 01:54:01.11 ID:g4Chp2dF
>>816-817
貞氏はまだしも(尊氏を食ってしまうほどではなかった)
『毛利元就』の尼子経久は細川俊之の大内義興以外を全部飲み込むほどだった…

でも『風林火山』の宇佐美定満はそこまででもなかったから出力調整できる人なのかも。
緒方拳が偉大すぎたために俺は俳優をあきらめた!(ウソウソ)
822日曜8時の名無しさん:2013/07/11(木) 04:23:42.85 ID:yo7VJn/5
>>820
もう大河ドラマ
藤原道長
しかないな

それ以前は天皇しかいないしな
823日曜8時の名無しさん:2013/07/11(木) 05:38:38.12 ID:ukdDVLV3
聖徳太子という手もある
824日曜8時の名無しさん:2013/07/11(木) 06:43:08.85 ID:5DAI9HpF
>>820
古代ならともかく、日本史の中世で史料的制約は、
(少なくとも政治史的な話題に関しては)まずないと思うが。
825日曜8時の名無しさん:2013/07/11(木) 10:20:55.20 ID:g4Chp2dF
>>822
どうしても大河は戦争とか大事件がテーマに好まれるようだから
名前だけは有名でも道長では難しいんじゃないかな?
でも『いのち』は戦後を生きた女医の話なんだよな(脚本家の技量次第ってこと?)
826日曜8時の名無しさん:2013/07/11(木) 10:29:53.61 ID:g4Chp2dF
>>823
NHK大阪だかが単発長編ドラマ『聖徳太子』作ってるよ。
喪っくん=太子、緒方拳=蘇我馬子、今田コージ=小野妹子、松坂慶子=推古天皇という。

平将門を主役の『風と雲と虹と』もある。将門=加藤剛、藤原純友=緒方拳(しかし緒方多いなw)
やっぱ平安中期以前は難しいとも思う。
827日曜8時の名無しさん:2013/07/11(木) 10:47:06.66 ID:g4Chp2dF
>>824
三河大好きっ娘が萌え萌えの松平氏レベルの超メジャー大名でも不明部分が少なくない。
尼子経久も若いころはほとんど不明。
北条早雲とか斎藤道三も名前が有名なわりには謎が多い。

戦国乱世の途中で消えちゃった尼子、大内、今川、上杉(謙信より前の)、少弐、芦名なんかは主役にしてもらえないんでそ。
長宗我部、竜造寺、三好、南部、津軽、秋田安東でさえ。
市川森一ぐらいの作家なら、紀州雑賀一揆でも主役にできるんだろうが。
828日曜8時の名無しさん:2013/07/11(木) 13:04:30.82 ID:/f03k1Ft
松平は父方が世良田氏、母が加茂氏の松平氏で確定だろ
その子供が松平和泉守源信光

何かよくわからんが、足利一族は、三河の南朝系に寛大だったよな
義貞側だった三河の足助氏や三河鈴木氏は滅ぼされる事もなかったし、執事職船田一族の船田時経は、豊田市で行福寺を作って坊さんやってた
尊氏の息がかかった熊野系神社に、義貞側の宇都宮泰藤が義貞の首を盗んできて埋めた伝承とかね
世良田とやらがやってきても、気にも止めないし、有り難がる状況でもなかったんだろう


佐々木氏だが、三河国渥美郡の地頭だったが、為義の娘の血(子供は頼朝従兄弟)が入っているからだろうか
新城市には佐々氏館跡があって、佐々成政はそこで生まれた伝承がある

ついでに近くには、比企氏の先祖代々の墓があるらしい
現在調査中れす
829日曜8時の名無しさん:2013/07/11(木) 14:00:10.58 ID:COu6Ae4L
>>826
ドラマ聖徳太子は太平記と同じ池端俊作脚本、佐藤幹夫演出だね
830日曜8時の名無しさん:2013/07/11(木) 16:05:11.17 ID:3RmLbUV+
佐々木と書いたり佐崎とかいたり。
読みはサザキ。
831日曜8時の名無しさん:2013/07/11(木) 21:04:15.63 ID:bsxSoRIR
もう、一色右馬介を主役に据えて大体をフィクションに徹したほうが、よほど面白そうだ。
832日曜8時の名無しさん:2013/07/11(木) 22:55:10.17 ID:ZcVRdkHY
オープニング曲本当にいいね。つい巻き戻して聞き直しちゃうもん。
833日曜8時の名無しさん:2013/07/11(木) 23:11:37.79 ID:yo7VJn/5
OP最高だよね

デンデンデデンデン
プワァーーンと不気味な笛?
炎背景に天狗の面
アーアーアーアーアアー
足利軍団参上

最後の日輪のとこの激しい音楽で小便漏れるね
834日曜8時の名無しさん:2013/07/12(金) 08:06:04.27 ID:oHzqIvY9
関東と関西の騒乱で三河に逃げてきた武士は大変多い
それを知らない奴は、松平の世良田氏に違和感を感じるわけだな
当時の三河人にしてみれば、良くある話で気にも止めないつー事だ



具体例のほんの一部

■大庭氏
・平家側の大庭景親の子息の流れ
・三河に逃げてきて岡山(愛知県西尾市吉良岡山)に改名、武蔵吉良氏仕える為に関東戻り、再度、大場に改名、後に世田谷代官
・同じ一族で深溝城主(愛知県額田郡幸田町)の大庭氏、菩提寺の長慶寺は日静(上杉清子兄弟)創建

■杉浦氏
・初代は和田義盛子息の杉浦義国、和田合戦で近江に逃げ、後に三河に土着

■佐久間氏
・初代の佐久間家村が、宝治合戦で三河国碧海郡重原に逃げてくる、毛利季光(大江広元の息)所縁か?
・和田義盛の孫である朝盛を養子にし、この系統が後に御器所佐久間氏
・別の系統に、江戸幕府大名の三浦氏(三浦正次)
835日曜8時の名無しさん:2013/07/12(金) 16:16:49.70 ID:K/WOqUMH
>>833
滝が流れ落ちるシーン→騎馬武者が草原を駈けてくるシーンの静と動の入れ替えが最高に盛り上がる!
大河ドラマ主題歌全集買ったから聞き放題!
836日曜8時の名無しさん:2013/07/12(金) 20:58:49.39 ID:HS+MHa4c
後醍醐天皇

片 岡 仁 左 衛 門
837日曜8時の名無しさん:2013/07/12(金) 22:50:49.47 ID:H5BYKD2T
>>827
そりゃ戦国時代の一地方のお山の大将にスポットを当てようとするからだよ。
『太平記』のように全国規模で話が連動していく話や中央の政治史メインの話なら、
知られていないだけで公家日記とかを掘り返せばエピソードはいくらでもあるし。

>>828
佐々木氏が渥美郡の地頭であることが史料的に確認できるのは南北朝以降だから、
この地頭職のルーツを佐々木秀義が源為義の娘婿であったことに求めるのは、少々危険に思うが。
838日曜8時の名無しさん:2013/07/12(金) 23:15:07.82 ID:30M0Ll/C
>>835
俺も買おうっと♪
839日曜8時の名無しさん:2013/07/13(土) 01:04:07.58 ID:bAUJ+xlx
真田尊氏が、寝そべった馬に乗りかかり、そのまま馬を立たせるシーンはすげえカッコイイ!

さすがサニー千葉の直弟子。
840日曜8時の名無しさん:2013/07/13(土) 09:57:04.82 ID:1n/SexMn
草燃えるの全話再発見の時に
プロデューサーの人かな?が言ってたけど
大河は本当は日本史の中心にいた人を取り上げてやっていきたかったんだそうだ
そうして日本の歴史をドラマで見つめ直して
最終的には明治大正昭和の日本をやりたかったんだそうだ
なるほどだから「大河ドラマ」なんだって納得した話でした
841日曜8時の名無しさん:2013/07/13(土) 10:08:06.21 ID:MkNII6FB
ジェームス三木に国生み神話から明治天皇まで書かせたらいい
842日曜8時の名無しさん:2013/07/13(土) 13:13:19.84 ID:eEKftXTs
>>839
南朝勢にボロクソにやられてコソコソ敗走してた時だよね?
あまりにも当たり前の様に馬起こしててちょっと驚いた
843日曜8時の名無しさん:2013/07/13(土) 21:15:11.88 ID:yi6ob0Do
>>837
平安時代から渥美郡辺りに何らかの所縁があって、地頭になれたのではないのかと言ってんの
現在調査中
844日曜8時の名無しさん:2013/07/14(日) 11:52:37.85 ID:cCepzLlu
■日光山
源頼朝がその母方の熱田大宮司家の出身者を別当に据えて以来、鎌倉幕府、関東公方、後北条氏の歴代を通じて東国の宗教的権威の一中心であり続けた


源頼朝
・藤原実範(三河国司)→藤原季兼(三河四郎)→藤原季範(額田冠者、初代藤姓熱田大宮司)→娘(由良御前)→源頼朝


母方の熱田大宮司家の出身者(源頼朝の従兄弟)
寛伝(寛典・観纒とも、額田僧都、式部僧都と称された、日光山満願寺19世座主)
・藤原実範(三河国司)→藤原季兼(三河四郎)→藤原季範(額田冠者、初代藤姓熱田大宮司)→藤原範忠→寛伝


年表
・1142年、生まれる
・叔父の三河法橋裕範(源頼朝の母の弟)、粟田口法眼長暹(源頼朝の母の弟)を頼って滝山寺(愛知県岡崎市)で仏門に入る
・仁和寺で修行
・1182年、源頼朝の推挙により日光山満願寺19世座主になる
・宗徒と面会する際、御簾を半分にしか上げず紛紜、2ヶ月で三河国(愛知県岡崎市)に戻る
・菩提寺の滝山寺(愛知県岡崎市)僧侶になり、66郷を領し精舎一区を創建する
・鑁阿寺奥院の法界寺に、宋版の一切経を納める(後に一切経は、足利義氏により鑁阿寺に)
・高野山御影堂に大鐘を施入する
・1201年、頼朝公の3回忌、滝山寺内に惣持禅院を創建し、本尊として頼朝公の御歯と御髪を納めた聖観音菩薩を安置する
・惣持禅院に供僧10人を常置し10町の土地を寄進する
・1205年、死去する
845日曜8時の名無しさん:2013/07/14(日) 11:54:46.24 ID:L+hfyXvk
>>842
あの場面は、時間軸としては九州への敗走より前だから、厳密にはまだ南北朝分裂の前だな。

>>843
多分だが、三河渥美郡が佐々木京極氏の所領になったのは、そんなに昔からではないと思うよ。
室町前期における佐々木京極氏の渥美郡支配は、度々守護一色氏の押領を受けていて、
かなり不安定な様子だし、少し時代が下ると渥美郡自体が一色氏のものになってしまう。

そしてその後、今度は一色氏が三河の守護職を失った後も渥美郡だけは維持し続け、
戦国期にも渥美郡は一色氏の元被官であった戸田氏の領有となる。
846日曜8時の名無しさん:2013/07/14(日) 12:52:23.16 ID:gG7C6xoy
>>821
確かに尼子の演技は派手で良いんだけど、
自分はこの太平記での貞氏のような演技こそ、名優の真骨頂という気がするな。

普通の俳優がやったら埋もれてしまうような役柄が、
見事にリアルな人物像として浮きあがって来た。
847日曜8時の名無しさん:2013/07/14(日) 18:06:51.65 ID:cCepzLlu
・八田宗綱→八田知家→中条家長(猶子、三河国加茂郡高橋荘地頭)
・八田宗綱→宇都宮朝綱→宇都宮成綱→宇都宮頼綱(養父は小山政光)
・八田宗綱→寒河尼(源頼朝乳母、小山政光の後妻)→結城朝光
・小山政光(後妻は源頼朝乳母、寒河尼)→小山朝政→性空上人(改称:慶円、本證寺(愛知県安城市)開基)
・小山政光(後妻は源頼朝乳母、寒河尼)→小山朝政→娘(初代吉見氏、源為頼の室)
・源義朝→源範頼(三河守)→源範円(正法寺(愛知県豊川市)僧侶)→源為頼(初代吉見氏、室は小山朝政の娘)

■本證寺(愛知県安城市野寺町野寺26)
・創建年:建永元年(1206年)頃
・開基:性空上人(改称:慶円)

性空上人(改称:慶円)は小山朝政の次男(結城朝光の甥)
・小山政光(後妻は源頼朝の乳母である寒河尼)→小山朝政→性空上人(改称:慶円)

■裕福寺(愛知県愛知郡東郷町大字春木字屋敷)
・創建年:建久2年(1191年)
・開基:宇都宮頼綱

・八田宗綱→宇都宮朝綱→宇都宮成綱→宇都宮頼綱(養父は小山政光)
1389年(嘉慶3年)に再興されたと伝えられ、室町時代には足利氏の帰依を受け隆盛を極めた

■正法寺(愛知県豊川市赤坂町西裏69)
創建年:弘仁7年(816年)
開基:万巻上人
中興:了信坊(源範円)

・源義朝→源範頼(三河守)→源範円(正法寺(愛知県豊川市)僧侶)→源為頼(初代吉見氏、室は小山朝政の娘)
正法寺の創建は聖徳太子が赤坂の地を訪れた際、太子堂を建立したことが始まりと伝えられている
弘仁7年(816)、万巻上人が病により太子堂で亡くなったことから、上人を開基と定め寺院として開山する
当初は天台宗の寺院でしたが貞永元年(1232)に親鸞が太子堂の参拝に訪れた際、当時の住職範円(源範頼の子息)が親鸞に教化され浄土真宗に改宗する
848日曜8時の名無しさん:2013/07/14(日) 23:23:26.39 ID:t8x1tKuH
足利貞氏→ビト・コルレオーネ

足利尊氏→マイケル・コルレオーネ

足利直義→フレド・コルレオーネ

足利直冬→ビンセント・コルレオーネ

足利義詮→アンソニー・コルレオーネ

一色右馬介→トム・ヘイゲン

佐々木判官→クレメンザ

朝廷→バチカン
849日曜8時の名無しさん:2013/07/14(日) 23:30:24.78 ID:mt971Eud
で?っていう…
850日曜8時の名無しさん:2013/07/15(月) 17:52:12.25 ID:UJaPArTl
>多分だが、三河渥美郡が佐々木京極氏の所領になった


だから何で京極氏なんだ?
吉見一族が義満から三河の領地を、斯波松王丸が義政から碧海郡の領地を隠居の地としてもらったりしたのは、大昔の縁を将軍が知っていたからだろ


奉公衆の長氏つーのも、三河に領地をもらっている、長氏は鎌倉時代からの足利宗家被官

■長氏
鎌倉時代、鎌倉幕府の御家人となった長谷部信連より始まるとされる、信連は源頼朝から能登国大屋荘を与えられて領主化した。その子孫が「長」姓に改めた

長谷部為連(長馬新大夫(三河国長馬))→長谷部信連


改めて源頼朝つーのは何でも三河コネばかり
851日曜8時の名無しさん:2013/07/15(月) 18:48:54.88 ID:UJaPArTl
寛正4年(1464年)に宗成喝食(斯波松王丸)へ「助成之所領」として将軍義政から三河国近江庄が与え
られた(蔭涼軒日録)

助成之所領=隠居の地


碧海荘
・1168年、三条女御々領として立券(兵範記)、寄進者は三河の熱田大宮司家か?足利義兼が荘司の伝承あり
・承久の乱後、足利義氏が地頭になる
・嫡男の泰氏に給されるが、無断出家で幕府に没収される
・幕府から義氏に返され、義氏から孫の家氏(斯波氏祖)に給される
・以後鎌倉期を通じて斯波氏が地頭職を保持
・鎌倉末期は、一部が熊野社領、持明院中納言家領、宣政門院領
・室町期は、将軍家領、近江葛川明王院領
・管領・斯波義将が先祖の墳墓の地に永源寺を創建
・1464年、義政が宗成喝食(斯波松王丸)へ助成之所領を与える
852日曜8時の名無しさん:2013/07/18(木) 15:02:46.19 ID:yFhNyq6W
>>840
>大河は本当は日本史の中心にいた人を取り上げてやっていきたかったんだそうだ

独眼竜政宗、毛利元就、直江兼続でもけっこうな冒険だったってことだろうか?
武田信玄があんなに人気なのも不思議だが…関東・中部はオーケイ?
大友宗麟ほどの有名人でも単発ドラマ(松平健主演、遠藤周作原作)では、長宗我部元親なんか永遠に無理かw

たしかに日本史の中心に絞ると、清盛、頼朝、尊氏、のぶ、ひで、やすしかいません罠
でもそれ言うたら忠臣蔵なんか国の歴史には毫も影響しない大名家同士のチンケな紛争に過ぎないんだがなw
853日曜8時の名無しさん:2013/07/18(木) 15:43:25.56 ID:r8cZKM8U
講談のヒーローは取り上げられやすいでしょ。
太平記は特殊な立位置になっちゃったけど。
854日曜8時の名無しさん:2013/07/18(木) 17:46:29.60 ID:bxNCV4KW
大河の毛利元就はマジで冒険だったと思うよ
大河でやる前は中国地方の一大名程度の認識が
歴史オタ以外じゃ大半だったろうし
元就の敵役だった貞氏演じる尼子経久の認知度も増した

そもそも大友宗麟ほどの有名人って認識が世間ズレしてる
上杉謙信より朝倉宗滴の方がスゲーんだぞと言っても
世間じゃ朝倉宗滴?誰?みたいなもの
855日曜8時の名無しさん:2013/07/18(木) 20:28:09.69 ID:yFhNyq6W
戦前は北条氏歴代でほぼ唯一賛美された北条時宗も、単に蒙古襲来のときに執権だった人としか。
幹二郎、シロー、ピーター、ギバちゃんの熱演は認めるけど。

もう鎌倉以降ではめぼしい時代も英雄も無いんじゃなかろうか?
太田道灌は江戸と関東中世史に関心ある人は皆知ってるが、ローカルの人の域を出ない。

もはや南総里見八犬伝しか残されてないなw
856日曜8時の名無しさん:2013/07/18(木) 20:47:39.48 ID:scmAzzuN
時宗の嫁さんと尊氏が面会してるシーンがあったな>北条時宗
面会シーンだけでもトンデモだが例の血の置き文まで嫁さんに見せてたぞw
太平記じゃ門外不出レベルの代物扱いだったのに
857日曜8時の名無しさん:2013/07/18(木) 21:25:35.26 ID:LmY+oRIS
足利義満を採り上げねばなるまいて!
858日曜8時の名無しさん:2013/07/18(木) 21:39:16.77 ID:8PuCmLFS
赤松円心なんかも面白いよ
859日曜8時の名無しさん:2013/07/18(木) 22:21:56.28 ID:ScKKLhKq
赤松円心を原作北方謙三で
860日曜8時の名無しさん:2013/07/18(木) 23:41:30.05 ID:SyNSm8eW
>>859
悪党の裔なら道誉なりでも頼む
861日曜8時の名無しさん:2013/07/18(木) 23:45:31.89 ID:scmAzzuN
小説が改変されまくってファンが痛い思いをした作品が
4年位前と7年位前にあっただろ
90年代なら兎も角、今の大河で小説原作は地雷(オリジナルも地雷w)
862日曜8時の名無しさん:2013/07/18(木) 23:46:10.44 ID:Nc/wZyma
黒田勘兵衛やるんだぞ。山内一豊やったんだし。長宗我部や大友宗鱗なんか余裕だろ。てか九州の戦国大名大河が見たいわ
863日曜8時の名無しさん:2013/07/18(木) 23:57:02.80 ID:scmAzzuN
島津四兄弟なら作品化できるかもな
ただ1年で出来るか問題と誰を主軸にするかで揉めそう
864日曜8時の名無しさん:2013/07/19(金) 00:22:07.44 ID:NBsCEN/s
もし大河で義満やれば本人は当然だがまず細川頼之のキャスティングは重要だろうな
そこは演技派の重鎮を持ってくると思う
その他にも将軍家に朝廷に守護大名に鎌倉公方に様々な人物出てくるからキャスティングは面白そう
ただ女性は影が薄いので女性はあまり見ないかもな
865日曜8時の名無しさん:2013/07/19(金) 01:01:14.27 ID:aCx5LEWi
南北朝〜室町時代あたりを本気でやろうと思ったら
清盛の比じゃないぐらい視聴者離れが加速すると思う
前に一度日野富子やって大失敗しちゃったしね

その前は奥州藤原氏でその前は琉球だったし
あの頃のトラウマがある制作陣なら
二度と手を付けたくはない題材だろう
増してや義満となると色々メンドくさい事情も絡んで来る
866日曜8時の名無しさん:2013/07/19(金) 06:45:24.87 ID:pERm7Jay
菊タブーのせいかこの時期を扱った作品は
小説の類はともかく映像化されにくい傾向が戦後ずっとあるな
南北朝や室町初期なんて戦国時代も真っ青の超展開満載の
映像化すれば恰好の題材なのに
867日曜8時の名無しさん:2013/07/19(金) 08:10:09.13 ID:3Yum4Jaz
大河ドラマ徳川家継
868日曜8時の名無しさん:2013/07/19(金) 09:45:32.09 ID:XTQSk12a
>>863
>誰を主軸にするかで

義弘しかないだろ
オタ以外であのお兄ちゃん主役の大河を一年も見てみたいと思うか?
869日曜8時の名無しさん:2013/07/19(金) 14:54:30.52 ID:NB9kfyc0
>>862
官兵衛の生涯の半分は秀吉の腰巾着(なぜかイソギンチャックを思い出したw)
しかも最後は50万石の大団円という大河好みと言えば大河好みなラスト。
終盤は大分あたりの合戦でクライマックス?(しかし天地人の長谷堂城合戦のショボさゆえ期待せずw)
870日曜8時の名無しさん:2013/07/19(金) 14:57:27.24 ID:NB9kfyc0
>>864
封建時代の女性の影が薄いのは仕方ない。明治維新でも女は日陰なんだから。
女の活躍見たかったらプリキュワ見ろって話だすな。
871日曜8時の名無しさん:2013/07/19(金) 15:05:58.98 ID:NB9kfyc0
>>865-866
日本の歴史は特定の時代、特定の人物に関心が集中してしまう傾向があり、
そこからちょっとでも外れるとマニアしか知らないということが多い。
漫画に期待するほうがいいかも?

菊タブーったって平将門も大河になったし足利だけが問題なのか?勝ったから?
872日曜8時の名無しさん:2013/07/19(金) 16:01:16.46 ID:zW/5y5dt
大河ドラマに限らず映像作品が少ない事は確かだ

将門公の人気・知名度は首塚関係の逸話や
そうした逸話を上手くアレンジして商品化した
創作物の影響も大きい
あの界隈は歴オタの熱気とは少し違う
オカルトファンの集いと化してる

太平記も大河ドラマ化した時期に
ライト層に売り出す機会が充分あったと思うが
その機会を上手く生かせなかった感がある
873日曜8時の名無しさん:2013/07/19(金) 17:25:53.96 ID:vmsQgN6w
>>871
足利氏だから問題というわけではないことは、『太平記』が大河化されたことで決着している。

それに『太平記』放送当時のNHKは、近い将来に義満主人公の大河をやることも、
前向きに考えていた可能性もある。
『太平記』の最終回で唐突に義満の話題が出てくる演出に、そんな雰囲気を感じなくもない。

ただその後、『琉球の風』『炎立つ』『花の乱』の3連続がことごとくコケたことで、
流れが変わってしまったような。
874日曜8時の名無しさん:2013/07/19(金) 20:30:00.25 ID:NB9kfyc0
>>873
琉球、平泉、応仁の乱…眼前に大河暗黒時代が彷彿としてくるぜ…(苦笑)
琉球なんて下手したら沖縄独立派を喜ばせそうなのによくやったよね。
炎はつまんないとは思わなかったが、やっぱ奥州藤原氏の人気ゆえか〜?
875日曜8時の名無しさん:2013/07/19(金) 20:37:08.99 ID:NB9kfyc0
>>872
将門こそ逆賊中の大逆賊のはずなのに、関東では神として崇拝されているせいか、
今でも非常に人気ある古英雄となっている。
日本全国に拡散していった御家人が将門を崇拝してたせいもあるだろう。

足利=悪という歴史観も結局は昔の楠木人気に便乗したものとしか思えない(南朝の帝が人気あったとは全く思えない)。
明治新政府の安定後は足利の逆賊の汚名を払拭するべきだったと思う。
876日曜8時の名無しさん:2013/07/19(金) 23:53:03.61 ID:akK6CNkj
歴史観なんぞ時代の流れで変わる
尊氏もだいぶ名誉は回復しただろ
877日曜8時の名無しさん:2013/07/20(土) 00:29:18.33 ID:wftqZphQ
「だいぶ」どころじゃないね。


・・・わしは・・・ また生き残ってしもうた・・・・・
さらばじゃ!直冬。
・・・右馬介!!
878日曜8時の名無しさん:2013/07/20(土) 04:17:04.77 ID:F2rK2IEf
話をし出すと現在の皇室の正統性云々まで踏み込まなきゃならないから
ただ帝に反旗を翻した「だけ」の将門公の比じゃ無いぐらい気を遣う問題だろ

あくまで皇室の問題であって足利は関係無いって話じゃ済まねーもん
足利氏はこの問題に関わり過ぎてる
879日曜8時の名無しさん:2013/07/20(土) 04:19:12.73 ID:F2rK2IEf
二行目

×ただ帝に反旗を翻した「だけ」の将門公の比じゃ
○結果的には帝に反旗を翻した「だけ」に終わった将門公の比じゃ
880日曜8時の名無しさん:2013/07/20(土) 06:25:44.86 ID:mkj/IixF
恐らく大河のブームに乗って発売されたPCエンジンの太平記のゲームはどうなの?
ニコニコ動画で見るまであんなゲームがあるの知らなかったわ
信長の野望か何かのノリで作ったけど大コケしてしまった代物だろうけどw
881日曜8時の名無しさん:2013/07/20(土) 09:27:39.04 ID:4a5sUluK
PCエンジンはハードがコケたからな。
スーパーファミコンから出てたら、太閤立志伝や維新の嵐よりも売れてたかもよ。
882日曜8時の名無しさん:2013/07/20(土) 15:28:55.77 ID:lIMfl8yI
現皇室も何も、光厳にせよ光明にせよ足利の擁立(この言い方はやや不正確かも)した御門である点は変わりなく、
その後の崇光も後光厳も足利の支持なしには位につくことも出来なかったわけだから、
結局、足利幕府が天皇家の正統を確保したことに何の変りも無いんだがな…

足利にそっぽ向かれた後醍醐流は天皇家の傍流、枝葉の存在になってしまった。
明治帝の南朝正統は自分自身の足元を危うくするとは思ってなかったのかね?
少なくとも彼の先祖20代ぐらいは一貫して北朝正統だったのに(そりゃそうだ)
彼一個人の裁定なんかどれほど重みがあるというのか?(苦笑)

南北朝正閏論への明治の介入は、なぜか院政期を思い起こさせるんだよな…
本院(治天)は強大な権力を持ってるようでいて、実はあまり一貫性が無かったというw
883日曜8時の名無しさん:2013/07/20(土) 16:23:30.02 ID:zo1EeGQG
草燃えるの続編で泰時-経時-時頼の北条3代も大河でやってほしいな
なんか足利絡みは駄目みたいだがこれならいいだろ
884日曜8時の名無しさん:2013/07/20(土) 21:10:23.34 ID:yapx54Yl
>>882
明治帝までの歴代天皇は北朝の末裔の自覚を持ってたけど、
当時の政府の意向で南朝正統の裁定を下したと聞いたことがある。
今はどっちも正統だけど、代をカウントするのは南朝だけだっけ?
光厳天皇だけでもカウントさせたげてよとは思うが。
885日曜8時の名無しさん:2013/07/20(土) 22:05:12.05 ID:Ap3AUmJj
>>874
『琉球の風』『炎立つ』に関しては、

傲慢な中央vs虐げられる地方

という構図にどうしてもなってしまうから、こういうのが生理的に嫌いな人には、
最初から受け付けなかったというのもありそう。

『花の乱』に関しては序盤の人物設定が分かりにくすぎたことが大きく影響したような・・・。
886日曜8時の名無しさん:2013/07/20(土) 22:18:40.33 ID:Ap3AUmJj
>>882
仮に後醍醐が史実とは違って大人しく一生を終えていたとしたら、
それはそれで結局後醍醐流は傍流のままだっただろうけどね。

>>884
光厳を歴代にカウントすれば、それは結局後醍醐や建武政権の正統性にとってマイナスになる。
後醍醐は建武政権樹立の際に、光厳の即位自体をなかったことにしているからね。

要は後醍醐の脳内では、後醍醐はいったん退位した後に復位したのではなく、
元弘の乱の最中も後醍醐は天皇に在位したまま京都を離れて、
笠置や隠岐を長らく旅行していただけという論理であり、
そうした前提の上で建武政権を樹立しているわけでw
887日曜8時の名無しさん:2013/07/21(日) 02:40:01.24 ID:o26n+TxD
後醍醐は本来一代限りのピンチヒッターなわけでして。
兄の後二条天皇の系統も断絶してたならともかく、邦良→康仁と続いてたのだから、
後醍醐の正統性なんか彼の退位と同時に永遠に失われてしまうべきものだった。
治天になれたとしても正統性の問題は常につきまとったはず。

狭い意味での南朝は「1336年の後醍醐の洛外への逃亡に従った大覚寺統」かしら?
一番悲惨な皇統は、宙ぶらりんにされちゃった後二条流とも言える。

北畠親房の『正統記』は相ーっ当っ無理な理屈で展開されているわけでして…w
南朝正統論は「政治の前に論理的一貫性などたいした意味を持たない」ことを象徴してますなw
888日曜8時の名無しさん:2013/07/21(日) 05:21:04.95 ID:3CeSNxhI
>>887
治天は天皇(当今)の直系尊属(父・祖父・曾祖父)が原則だから、
仮に後醍醐が両統迭立に基づいて大人しく退位し、その後に邦良や康仁が即位したとしても、
後醍醐が治天になれるかどうかは微妙だと思う。

まあ後二条流に関しては、北朝から大覚寺統の家領というべき八条院領を安堵されているから、
大覚寺統の嫡流としての体裁は一応保ったような形にはなっている。
もっとも建武以降は、皇位継承とは無縁なただの宮家(木寺宮)になってしまうが・・・。
889日曜8時の名無しさん:2013/07/21(日) 06:31:27.64 ID:svjvKvOj
最近は知らないけど元外務官僚の佐藤優が
やたら太平記や神皇正統記を読む事を薦めてたな

太平記に関しては原版が素晴らしいのであって
二次創作紛いの作品(私本太平記は兎も角恐らく難太平記・梅松論あたりまで含めて言ってるw)は
邪道だから一切認めねーと言っていたが
こちとら普通の時代小説レベルを読み下す事でも精一杯の頭だっての
890日曜8時の名無しさん:2013/07/21(日) 07:00:22.65 ID:3CeSNxhI
『神皇正統記』は読んでみると以外と面白いよ。
意地悪に見ればただの屁理屈だが、一応この本は親房なりの筋の通った論理で一貫している。

例えば、皇位継承という観点では南朝正統としつつ、後醍醐の政治姿勢は全く評価していない。

また武家政権の創始者としての頼朝と尊氏を比較して、
頼朝の場合は朝廷(後白河)の側から政治権限を委譲した結果であるのに対して、
尊氏の場合は天皇側に委譲する気が全くないのに勝手に奪っていった点が問題だと言っている。

あとは摂関政治と院政の比較の部分も、なかなか面白かった。
前者は天皇に代わって臣下が実権を握るものであっても、
太政官など本来の朝廷の制度を活用してその枠内で行われたものだから肯定されるのに対し、
後者は院庁など朝廷組織の外にあるものが政治の中心になったので、よろしくないとか。
891日曜8時の名無しさん:2013/07/21(日) 11:10:54.92 ID:x/Zxw033
神皇正統記って承久の乱については
鎌倉幕府の政治がうまくいって民心を
掴んでいるのに戦いを挑んだ後鳥羽が悪い
みたいなことを書いていたな。
892日曜8時の名無しさん:2013/07/21(日) 13:02:06.63 ID:3CeSNxhI
確かに承久の乱についてもそうだね。

幕府政治の根拠は、いわゆる寿永二年十月宣旨や文治元年の守護・地頭設置勅許などで、
朝廷側から与えたものであり、なおかつその後に幕府側に特に失政もないなかで、
やっぱり幕府が気に食わなくなったからといって、それを潰そうとするのは、
王者のすることとして間違っている、みたいに言っていたはず。
893日曜8時の名無しさん:2013/07/21(日) 19:58:08.33 ID:o26n+TxD
>>889
太平記はなかなかの美文なんだよ。これは二流三流の古典と比べるとよく分かる。
どうにも近代になって、平安サロン文学みたいなものがもてはやされて、
和漢の知識を踏まえた混淆文のすばらしさが黙過される傾向にあると思う。

正統記、愚管抄、海道記、東関紀行、江戸時代の学者の本などは非常に読みやすい文章で、
そういう純学術的かつ言語学的観点からも再評価が望まれる。
894日曜8時の名無しさん:2013/07/21(日) 20:15:27.49 ID:o26n+TxD
>>888
後醍醐は花園院と同じなんだろうね当時の京都の貴顕にとっちゃ。
本来いなくていい(!)んだが、甥っ子が若すぎるんで代打にされた、と。

>>890
院政のマイナス・イメージは親房が起源なのかね?
江戸時代だと摂関政治もマイナスに考える人が増えたようだが、
個人的に「摂関政治」って概念は…これもプロパガンダ性が強い言葉だと思う。
895日曜8時の名無しさん:2013/07/22(月) 05:23:29.71 ID:nXZlNG6Z
南朝方やそれに加担した武将なんて
南北統一以後の皇室がガチで葬り去りたい過去だろうに
尊氏は逆賊で後醍醐は偉人でそれに付き従った楠木や新田は偉大な武将なんて
的外れな主張がそれ以後の皇室・政府で罷り通ってて民間の連中もそれに追随したんだろ?

明治の前政権であった徳川が悪しざまにされるのは何となく分かるけど。
それでも名家として今現在まで生き残ってる
896日曜8時の名無しさん:2013/07/22(月) 14:38:24.07 ID:ShfTFoEc
>>895
民間の楠公崇拝が先にあって江戸時代の反幕府派(反体制派)が利用したんじゃないかね?

徳川政権が五公五民で農産物の半分を徴税していたというのは多分にプロパガンダの混じった誤解で、
五公五民とか四公六民は後北条氏の政策を踏襲しただけのもので、
しかも北条氏は水田には40%を税として課したが、畑には十数%しか課税してなかった(中公「日本の歴史」11巻にも載ってる)
加えて、課税は任意で、全く非課税の農地もたくさんあった。
ある程度税収があれば、それ以上あんまり無理に徴税しないのが封建時代(乾隆帝は10年間税を免じたこともあった)
維新萌え萌え〜の御用学者のような連中と左派が取りたい放題の江戸幕府をでっちあげたとも言える。

明治政府は徳川時代の税収を減らす気も無ければ出来もしなかったので(政府の負担は増えていたのだから)
徴税基準を土地の価格にすり替えて、しかも酒税などの間接税を増やした
(そのせいで、昔は酒税の取り締まりが厳しかった)

だからお侍さんが庶民の恨みを買っていたわけでもなければ、明治になって庶民に暗殺されたわけでもなかった。
尊氏逆賊論は外国を批判するようなもんで、「敵」を攻撃することによって政府の強権を正当化してたとしか思えんw
897日曜8時の名無しさん:2013/07/22(月) 14:46:45.06 ID:DPlTv5+1
>>894
摂関政治や院政って、別にプラスマイナスのイメージで語られるものでもないと思うよ。

ただ親房の摂関政治論・院政論は、後醍醐の意識とは明らかに違う。
後醍醐の理想は、延喜・天暦への回帰だから基本的には摂関政治にも否定的なわけだが、
親房の場合は、摂関政治自体は肯定的に捉えているからね。

まあ院政は、親房のいうように、本来的には朝廷の制度・組織の外にあった院庁が、
院政下では事実上の政権中枢になってしまったわけで、
このあたりはその後に武家政権が出てくる流れにも繋がっていく面があるだろう。
898日曜8時の名無しさん:2013/07/22(月) 15:53:36.90 ID:C8BAMwRK
楠木正成を祀った神戸の湊川神社は国家のために殉難した英霊を祀るために国策で初めて建てられた神社
湊川神社の様式が後に東京招魂社(靖國神社)、護国神社に受け継がれている
明治政府が天皇神格化のために南朝功臣を評価したということ。
899日曜8時の名無しさん:2013/07/22(月) 17:22:10.16 ID:DPlTv5+1
南朝や楠木父子を持ち上げたのって、近世の水戸学が最初でしょ?
900日曜8時の名無しさん:2013/07/22(月) 21:43:32.87 ID:kNUvHFyT
        /゙ミヽ、,,___,,/゙ヽ
        i ノ  ノ   ヽ、'
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       彡 /// ミ(_,人_)彡ミ    ふふふ・・・    
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    i   人_,、__ノ  ヽ、_,,_ノ.|
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  ヽ|++++|     ノ    i
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        |   /   .\  |、_
       ,/  /     ヽ、__つ
      .と__,,ノ
901日曜8時の名無しさん:2013/07/22(月) 22:45:47.74 ID:ShfTFoEc
>>899
初めててこともないんじゃないかな?
千早赤坂晃の楠木合戦は太平記の見せ場でもあるし正行の四条畷合戦が無いと師直も盛り上がらない。
ただ昔はイデオロギー臭はあまり無く、源義経みたいな受け取られ方してたんじゃないかな?
902日曜8時の名無しさん:2013/07/22(月) 22:57:43.34 ID:ShfTFoEc
>>897
院庁に関しては昔の政所政治と同じく異論もあるようだ(政所政治は今は死語)。
道長の政治が院政につながってくとの指摘も近年あり。

最大の謎は、院政最盛期(鳥羽院の時代)の直後に平清盛の政権ができることだと思う。
明確な説は今でも出されてないと思う。
院政が中世の始まりとするのが今の通説だが、これも今後修正を迫られるかもね。
903日曜8時の名無しさん:2013/07/23(火) 03:36:32.90 ID:eoMzw5v0
もう今更指摘するのもアホらしいけど、何でドラマの話から大きく逸脱した様な専門的な話が色々転がってるんだろ
904日曜8時の名無しさん:2013/07/23(火) 04:01:03.34 ID:MKQqWi3N
>>901
まあ『梅松論』だって武人としての正成には割りと好意的な見方をしているからね。
そう考えれば、このドラマでの正成に親近感を寄せる尊氏という描き方も、
そんなに荒唐無稽というわけでもない。

>>902
ただ元々単なる先入観から始まった摂関政治期の政所政治論と違って、
院政期の院庁は現実問題としてかなりの存在感があるからね。
905日曜8時の名無しさん:2013/07/23(火) 04:13:28.39 ID:MKQqWi3N
>>902
あと平氏政権の成立に関しては、

・鳥羽院政期段階で伊勢平氏が公卿一歩手前まで来ていたこと
・保元平治の乱の経緯とその結末
・後白河上皇の政治的資質および後白河院政の正統性についての問題
・朝廷内での後白河院政派と二条親政派の対立の長期化
・保元の乱による摂関家の壊滅的状況とその後の人材不足

といったあたりの要因がすべて複合した結果という感じではないかな?
906日曜8時の名無しさん:2013/07/23(火) 04:57:37.68 ID:eoMzw5v0
って言ってる傍から書いてるし
907日曜8時の名無しさん:2013/07/23(火) 13:10:08.40 ID:hYt3Z/PV
やる夫スレで梅松論原作の作品やってるけど
配役がぶっ飛び過ぎてて内容が頭に入って来ない
908日曜8時の名無しさん:2013/07/23(火) 13:57:14.59 ID:h47/B3Q3
>>903
太平記は天皇制問題に関わっちゃうから。
当然尊氏の描き方にも影響する。
この大河の尊氏は後醍醐を崇敬しすぎてるんじゃないか?とか
909日曜8時の名無しさん:2013/07/23(火) 14:43:43.19 ID:GBWj97jm
でも実際の尊氏も後醍醐に刃向ってから
悩んだりしてるやん
910日曜8時の名無しさん:2013/07/23(火) 15:23:55.50 ID:hyxdkv5O
革命なんだから、世界史をみても、君主の首なんぞ普通にぶった切るんだけどなあ
日本人と天皇の不思議だね。
911日曜8時の名無しさん:2013/07/23(火) 22:47:35.00 ID:h47/B3Q3
>>910
日本で本当に根絶やしにされた名家は北条高時と豊臣秀吉ぐらいじゃね?
横井小楠は北条時行の末裔を「自称」しているが

中国でも旧皇族は多数残っているので必ずしも革命=王様処刑ってことでもない。
フランスとロシアはよっぽどせっぱつまっていたのか?と最近思う
912日曜8時の名無しさん:2013/07/23(火) 23:27:23.56 ID:LUgbx9Kl
板部岡江雪斎も北条時行子孫
その血脈は紀州徳川家にも受け継がれた
913日曜8時の名無しさん:2013/07/23(火) 23:48:30.43 ID:FIlXR8U5
石田三成の子孫も生き残ってるらしいしな
葵スレで見たが子孫の経営していた旅館が最近潰れたらしい
914日曜8時の名無しさん:2013/07/24(水) 03:13:02.04 ID:t+K7nkiv
>>911
北条氏だって、太平記の時代には残党はいくらでもいただろうし、
普通なら旧政権の血を引くような人は反体制派が旗頭にするのに持ってこいな存在だろう。

ただ南北朝時代の場合、室町幕府に対する反体制派にとっては、
北条残党よりももっと魅力的な旗頭として南朝の存在があったから、
北条残党はあまり相手にされることなく、比較的早い段階で歴史の闇に消えたイメージがある。
915日曜8時の名無しさん:2013/07/24(水) 04:17:17.67 ID:hGEpdI4j
未だに後北条氏が北条家を名乗った意味が解らん
伊勢氏のまま下剋上した方が周りの混乱招かなかったろうに

史実か創作モノ限定か知らないが
周りの国人領主や上杉家から「北条?wありゃ伊勢だろm9(^Д^)プギャーw」されてただけにしか見えん
916日曜8時の名無しさん:2013/07/24(水) 06:03:31.37 ID:2xAXfxn8
伊豆から出て相模に進出するのに都合の良い苗字だったんだろうね
917日曜8時の名無しさん:2013/07/24(水) 15:29:17.26 ID:Gk2lNnRl
秀吉は種無しだったのも子孫が残らなかった原因だろうな
そこもそこそこ子を成した高時との違い
918日曜8時の名無しさん:2013/07/24(水) 16:25:57.32 ID:k23BisTD
足利の話に絡めて話すと義詮が割に早く亡くなって
10歳の義満にバトンタッチせざるを得ない事態になった時は
結構ヤバかったんじゃないの?
秀次の事もあるけど豊臣はそれで詰んだ様なもんだし
919日曜8時の名無しさん:2013/07/24(水) 19:30:21.41 ID:qOdjard9
義詮もだけど弟の初代鎌倉公方の基氏も早くなくなるんだよな
その時一門や有力守護などが幼い義満や氏満に取って代わるような動きがなかったのが不思議だ
920日曜8時の名無しさん:2013/07/24(水) 19:40:17.06 ID:t+K7nkiv
>>915-916
後北条氏が北条苗字を名乗った背景は、いろんな研究者が言及しているけど、
やはり「関東公方─関東管領」という、それまでの関東地方の秩序に割って入るためには、
鎌倉幕府の執権(公方の補佐役)を想起させる北条苗字を、っていう説が妥当なんじゃないか?

これなら、公方の身柄をしっかり確保した上で上杉さえ追い出せば、
それまでの関東の秩序が後北条氏を中心としたものに早変わり。
921日曜8時の名無しさん:2013/07/24(水) 20:29:57.71 ID:t+K7nkiv
>>918-919
基氏が死んだ半年後に義詮も死んでしまうというタイミングは、結構危なかっただろうし、
実際義満の初期の頃の幕府はかなり不安定なのは事実。
ただそこは、佐々木道誉と細川頼之が上手くやったということだろう。

まあ基氏死後の鎌倉府の再建を道誉に依頼し、自らの死後の京都の幕府は頼之に託すという、
義詮の判断は、その後の流れを考えればかなりの英断といえる。

あと足利一門や有力守護による下剋上は、そのための大義名分・正当性を得ることの難しさや、
仮に実行した場合に多数の支持を得られるかということを考えれば、現実的ではないよ。
922日曜8時の名無しさん:2013/07/24(水) 21:00:56.97 ID:NITRYW8p
佐々木道誉=簒奪しない家康
細川頼之=前田利家
ってところかな?
923日曜8時の名無しさん:2013/07/24(水) 21:21:51.03 ID:v5SPyLVL
まあまだ出来たばっかの頃だからねえ…
足利一門や有力外様にとっては幕府あっての我々だったろうし
彼らが作った政権とも言えるわけで

そう思うと鎌倉幕府はもっと危うかった気がしないでもない
924日曜8時の名無しさん:2013/07/25(木) 01:02:17.46 ID:xG8fk1H2
鎌倉幕府に関しては、北条氏(特に得宗家)を倒そうとする動きはあっても、
将軍家を倒して自らがそれに取って代わろうという者は、基本的に出なかったんだよな。
925日曜8時の名無しさん:2013/07/25(木) 02:50:58.99 ID:jw91nRxs
>>920
あの辺の歴史・経緯って難しいな
鎌倉公方・古河公方・関東管領・後北条氏入り乱れてて
歴史初級者な自分には未だにチンプンカンプンだ
のぼうの城の影響で多少調べたがよくワカンネ
926日曜8時の名無しさん:2013/07/25(木) 03:07:30.40 ID:2N4a7TKI
>>925
さほど難しいわけでもない。
鎌倉公方は尊氏の子・足利基氏が関東に置かれて、以後子孫が関東統治の頭となる。
基氏の子孫、足利成氏って人が上杉氏と衝突して本拠を茨城県古河市に移して以後を古河公方と呼ぶ。
(実はこれ以降のほうが面倒なんだが省略)

関東管領はまぎらわしい。
上述の関東公方をいうこともあるが、基本的には公方の下の上杉氏を指す。
この関東管領家が、後に大きく山内(やまのうち)家と扇谷(おうぎがやつ)家に分かれる。
(山ノ内、扇ガ谷、犬懸、宅間などはいずれも鎌倉市内の地名。本拠は鎌倉なので)

上杉謙信は山内家の家来で一番偉かった長尾氏の出で、彼は山内家の養子になった。
上杉氏は越後国の守護も兼ねていて、長尾氏が守護代だった。
上杉氏と後北条氏は何十年も西関東で争ってたので、謙信もそれを受け継いでる。
武田信玄よりはむしろ北条氏康が最大のライバルだった。

のぼうの城は今の埼玉県行田(ぎょうだ)市にあった忍(おし)城を舞台としていて、当時の城主は成田氏。
927日曜8時の名無しさん:2013/07/25(木) 03:29:54.95 ID:ncoIYcCp
やる夫スレ嫁やる夫スレ
鎌倉時代の奴なんてよく出来てる
アニメAAに抵抗なけりゃあれが無料で読める格好の入門素材だ
928日曜8時の名無しさん:2013/07/25(木) 04:52:03.77 ID:xG8fk1H2
>>926
室町幕府の鎌倉府は、中先代の乱後の尊氏上洛時に義詮を鎌倉に残したのが始まりだから、
本来的な初代は義詮ともいえる。

ただこの段階では、義詮自身が「関東管領」と称されていることが多く、
後の関東管領に相当する地位は「関東執事」といわれている。
中央において、執事→管領の改称が行われた頃に、
鎌倉府でも、関東管領→関東公方、関東執事→関東管領の改称があったのだろう。
929日曜8時の名無しさん:2013/07/25(木) 13:38:23.83 ID:2N4a7TKI
1361年に畠山国清が没落し、国清の没落後に高師有(師秋の子)が関東執事に任じられるけど、
その後、上杉氏による執事職の独占が進み、その過程で管領という呼称になってったと思われ。

室町期は公方の乱用が甚だしいんだよな。
鎌倉幕府では公方は将軍=鎌倉殿を指したと思われるが、この時代はどれだけ普及してたか分からない。
鎌倉殿のほうが一般的な呼称だったと思われ(これは頼朝以来ずっと使われた)。
江戸時代には将軍様だけを指すのが一般的だったと思うけど、室町期は地方の足利氏にもけっこう使われていた。
篠川公方、稲村公方、堀越公方、阿波公方、小弓公方など。これらは公方の代わりに〜御所とすることも多い。
古河公方も居所を転々としていたので、鴻巣御所などの称もある。

室町期の公方は「足利将軍家、または関東足利家のうち(地方)政治の中心とされた人たち」ぐらいかな?
930日曜8時の名無しさん:2013/07/25(木) 14:53:15.04 ID:2N4a7TKI
>>924
鎌倉幕府は「源頼朝公(の家を継いだ将軍様)に仕える御家人の政権」て色合いが強かったからだろうね。
足利、徳川は、最大の大名が大名たちのリーダーになった政権、だから。
将軍様の別格度が違うというか。
だから、実朝横死後は摂関家や天皇家から頭目を…って考えは実に自然なものだったかも知れない。
鎌倉幕府はいろいろな点で過渡的な雰囲気が強いと思う。
931日曜8時の名無しさん:2013/07/25(木) 20:05:21.91 ID:2N4a7TKI
>>917
さすがにスレチだけど秀吉は56人以上子供がいても皆断絶したと思われ。
秀頼に男女1人ずつ子供いたけど、男子は大阪落城後に京都で斬首、
娘は鎌倉の東慶寺(当時は尼寺)の住職になって一生を終えた。

日本の名家って男系が途絶えちゃうと、よその名家から養子もらったりで、続いてるウチが多いんだけどね。

山内上杉家(藤原氏)は謙信入道(長尾氏は平氏)を養子にした後、景勝の系統が断絶、
吉良上野介(吉良家は足利の分家です)の子を後継ぎに迎え、これで晴れて足利一門になったという奇縁。
俺たち太平記スレの住人に赤穂浪士は不倶戴天の宿敵かw
932日曜8時の名無しさん:2013/07/25(木) 22:41:55.64 ID:xG8fk1H2
>>929
室町期では、足利一族に限らず一般守護や荘園領主のことを「公方」と呼ぶことも普通だけど。

あと「鎌倉殿」は室町期だと、関東公方を指す言葉。
これは当初の鎌倉公方だけでなく、堀越公方や古河公方を「鎌倉殿」としている用例もある。

>>926
よく勘違いしている人がいるが、扇谷流は上杉氏のなかでも早くに分かれた庶流の家系で、
関東管領になることはできなかったはず。
室町前半期の関東管領は、基本的には山内流と犬懸流が交互に就く職だったが、
上杉禅宗の乱で犬懸流が没落した結果、その後は山内流の世襲のようになった。
933日曜8時の名無しさん:2013/07/25(木) 23:15:44.50 ID:2N4a7TKI
>>932
歴史用語としてよ>公方
個人的にはまぎらわしいと思うんであんま使いたくない言い方なんだけど
御所ではいささか漠然とし過ぎててなは

永井路子の小説では御家人が頼朝を「御所」と呼んでるね
934日曜8時の名無しさん:2013/07/25(木) 23:42:39.70 ID:gdj5Gpfs
>>930
実朝後の摂家将軍や宮将軍も何かしら頼朝に縁のある人を選んでる。

これ豆な
935日曜8時の名無しさん:2013/07/25(木) 23:43:45.84 ID:2N4a7TKI
>>925氏へ
この辺はややこしいのきわみなので、上杉氏は山内と扇谷の2家だけ憶えてくりょ♪

>>932
上杉氏の嫡流ってけっこう意見が割れてるみたい。
まああれだけ広がった一族に嫡庶なんて意味が無いのかも知れないが。
京都の八条上杉氏が嫡流と説く学者もいる。
扇谷家は山内家の庶流とは言えまい。
八条上杉氏に血統上近い扇谷家がむしろ嫡流に近いという説も成り立たなくはない。

犬懸家と山内家でも、嫡庶とまで言える関係だったかはちょっと疑問。

畠山氏や細川氏は明確に管領家が嫡流だけど、
上杉氏は全一族を統括する明確な嫡流家があるような一族でもなかったんではないかと思う。
山内流は山内流、扇谷流は扇谷流で、全く別個の家のように思える。
また、非常に同族の結束を重んじてた家ではなかったかとも思う。
936日曜8時の名無しさん:2013/07/25(木) 23:46:34.17 ID:2N4a7TKI
>>934
それけっこう↑でも書かれてるな。
まあ頼朝の別格さ加減が尊氏や家康と違うんだろうね。
種なし実朝ではなく、絶倫頼家が御家人の支持を得ていたら…と思わなくもない。
天は誰に味方したのか?
937925:2013/07/26(金) 03:13:30.98 ID:7wqK0MzW
ID:2N4a7TKI氏へ

懇切丁寧に有難う

>>927
すみません
アニメは無理なんでチト厳しい
938日曜8時の名無しさん:2013/07/26(金) 03:58:59.72 ID:KIcdH05q
>>933
歴史的な用語=当時の史料上の用語としての「公方」の意味に、
一般守護とか荘園領主の意味が普通にあり、普通に使われているわけだけど。

>>935
別に上杉氏の本来的な嫡流がどこかなんて話ではない。
単に事実として室町期には、
山内流・犬懸流=関東管領になれる家系
扇谷流=関東管領にはなれない家系
であったわけで、両者の間には厳然とした家格の差が存在していた。

無論これは、室町幕府の成立期の経緯のなかで結果的にそうなったという見方もあり得るが、
そういうのなら、細川氏なんかにしても京兆家が最初から嫡流と決まっていたわけではなく、
さまざまな経緯のなかで結果的に京兆家が管領を出す家系となり、嫡流扱いになったようなもの。
939日曜8時の名無しさん:2013/07/26(金) 04:18:26.84 ID:KIcdH05q
>>933
あと「御所」については、大河では『草燃える』以外に『花の乱』でも、
将軍に対して「御所様」という言葉が多用されていた。

ただこの「御所」に関しても、当時の史料上では貴人なら誰でも「御所」と称され得るから、
御所=将軍というわけでは必ずしもないのだけどね。
もっとも「大御所」「若御所」みたいな言葉もあるから、
将軍=御所というイメージは実際かなり強いけど。

>>936
というか鎌倉御家人って、ハッキリいって頼朝の血は尊重しても、
将軍が大きな権力を持つ体制はハナから望んでいないからな。
そういう意味では、頼家が御家人の多数から支持を得る目はないだろう。
940日曜8時の名無しさん:2013/07/26(金) 11:10:47.60 ID:ni2NR4QQ
三河バカよりはマシだからまあいいか
941日曜8時の名無しさん:2013/07/26(金) 17:45:56.23 ID:Q9BpAJ4n
>>902
そもそも時代区分なんて、後世の人間が考えた便宜的なものだから、明確に
何が正解なんていうものではない。
近年、院政期から中世とされることが多いのは、院政期に中世の社会構造の
基本が完成しているから。
ただ10〜12世紀(延喜・天暦期〜武家政権の成立)あたりを通して
広い意味での古代・中世移行期といったほうが無難とは思う。
942日曜8時の名無しさん:2013/07/26(金) 17:57:10.59 ID:Q9BpAJ4n
>>915>>920
越相同盟(武田信玄の駿河侵攻に対応した越後と相模の同盟)が成立する
以前だと、上杉謙信と後北条氏は、互いに相手を「伊勢」「長尾」と
呼んでいることが多い。
まあお互い相手を「北条」「上杉」とは言いたくない心理はわかるがw

>>928
鎮西管領→九州探題の改称も同じ頃か。

>>930
足利幕府や徳川幕府だって、最末期以外は将軍家そのものを倒そうとする
動きなんてほぼ皆無なわけだが。

>>938
専門家によっては、社会にたくさんの公方がいる中世後期の状況を
「公方国家体制」なんていう人もいるな。
943日曜8時の名無しさん:2013/07/26(金) 21:46:35.58 ID:1dVeKshq
足利尊氏は、隠岐を抜け出し船上山にたてこもった後醍醐天皇を討伐すべく、鎌倉を出発した。
途中、三河の矢作川のほとりの矢作の宿で三河の足利党19家の兵馬の出迎えをうけたが、ここで倒幕の決意を固めた。

19家とは

01.西条吉良氏■後に将軍御一家
02.奥州吉良氏■後に奥州管領家、関東公方御一家
03.今川氏■後に九州探題、守護職
04.一色氏■後に四職家、九州探題、守護職
05.仁木氏■後に室町幕府執事、守護職
06.細川氏■後に管領家、守護職
07.斯波氏■後に管領家、守護職
08.戸賀崎(荒川)氏■後に守護職
09.畠山氏■後に管領家、守護職
10.桃井氏■後に守護職
11.渋川氏■後に将軍御一家、九州探題
12.上野氏■後に奉公衆
13.岩松氏■
14.石塔氏■後に奥州総大将、守護職
15.鹿島氏■
16.粟生氏■後に奉公衆
17.倉持氏■後に奉公衆
18.高氏■後に室町幕府執事、守護職
19.上杉氏■後に関東管領家、守護職


太平記第20回「足利決起」
http://www.youtube.com/watch?v=w5APWchJ-m0
944日曜8時の名無しさん:2013/07/26(金) 22:38:54.74 ID:RAPg1vT6
その動画削除されてるぞ
945日曜8時の名無しさん:2013/07/26(金) 22:53:09.18 ID:KIcdH05q
>>943
ちょい質問だが、奥州吉良氏というのは、後に大崎氏や最上氏になる系統?
それとも後に蒔田氏になる系統?

岩松氏は幕府滅亡時には関東にいて、鎌倉攻めに参加したのでは?

あと鹿島氏以下は足利一族というより被官のような・・・?
946日曜8時の名無しさん:2013/07/26(金) 23:33:33.22 ID:1dVeKshq
足利党とは書いたが、足利一族とは書いてないが
19家は太平記そのままだな
947日曜8時の名無しさん:2013/07/26(金) 23:39:41.45 ID:1dVeKshq
当然、蒔田の系統だ、大崎と最上は斯波氏流だからな

鹿島は天竜寺文書に出てくる
948日曜8時の名無しさん:2013/07/27(土) 02:46:32.20 ID:dh2KzkyN
ほかにいるなら知らんが常陸鹿島氏なら平貞盛系。
鎌倉期以降だと足利家とは家格が大きく違ってしまうと思うので被官だろう。
鹿島平氏は鎌倉公方や上杉氏に仕えた人たちもいた。

岩松経家は義貞の鎌倉攻めに参加してる。
岩松さんは足利義純が新田氏と結婚して産まれた子の家系なんで、足利一門とも。
949日曜8時の名無しさん:2013/07/27(土) 04:18:52.28 ID:9Cn/N/AS
>>946
ということは、その回のナレーションの
「分家19家の当主が・・・」という部分が間違っているわけか。

>>948
常陸平氏ということは、大掾氏の流れか。

後世の岩松氏の史料なんかだと、鎌倉攻めの総大将は幼少の義詮で、
岩松経家と新田義貞が陣代として実際の軍を指揮した、なんて認識になっているね。
950日曜8時の名無しさん:2013/07/27(土) 11:20:42.52 ID:dh2KzkyN
岩松は鎌倉攻めには参加していたが、そんなに偉かったでもないらしい。

義詮の件についても、足利の兵力は相当数が西に行ってるはずなので…
あんま注目されないが、小山氏や千葉氏も鎌倉を攻めている。
951日曜8時の名無しさん:2013/07/27(土) 16:50:29.70 ID:uLKh81yS
あれ?
952日曜8時の名無しさん:2013/07/27(土) 22:51:02.19 ID:IpxrD7/B
義純は三河生まれなんだから、岩松や桃井がいても不思議ではないわな
同じ事は三河生まれの義範にも言える
父親とは袂を分かって、いち早く頼朝の元に馳せ参じたよな

関東だけをみていては物事は分からない、常に三河を中心に添えて考えなければ駄目だよ
953日曜8時の名無しさん:2013/07/28(日) 00:36:54.19 ID:xl00qNAh
>>943
東条吉良氏はないの?

>>952
桃井氏って義純の子孫だっけ???
954日曜8時の名無しさん:2013/07/28(日) 18:24:06.36 ID:02SY52hS
赤井英和の楠正季はかっこよかったな
955日曜8時の名無しさん:2013/07/28(日) 21:59:44.29 ID:yw9WxFM3
かっこよくはなかった
956日曜8時の名無しさん:2013/07/28(日) 22:22:24.92 ID:9ogJchFn
鎌倉幕府開府から江戸幕府大政奉還までを、三河時代と呼ぶべき
幕府はひっくるめて三河幕府、鎌倉、室町、江戸は、ただ三河幕府があった所だな
三河幕府45代、尊氏は16代将軍、家康は31代将軍だ
三河時代は終わったが、三河幕府は残った
場所はもちろん、豊田だ


これが正しい歴史
957日曜8時の名無しさん:2013/07/29(月) 00:51:58.80 ID:n5d5GIJt
>>956
消えちまえ三河のみそ野郎
958日曜8時の名無しさん:2013/07/29(月) 01:54:56.42 ID:5joORgdt
>>943
荒川氏や石塔氏は守護職を持っていたイメージが薄い。

逆に渋川氏は九州探題分国である肥前の守護職のイメージがあるが。
959日曜8時の名無しさん:2013/07/29(月) 09:00:49.60 ID:SvI6s/fu
お前さん個人が抱いてるイメージなんてどうでもいいから
チラ裏に書いとけ
960日曜8時の名無しさん:2013/07/29(月) 13:02:42.61 ID:wX8hyjiA
>>956
デンマーク弁当でも食ってろ、ハゲ
961日曜8時の名無しさん:2013/07/29(月) 18:29:45.36 ID:9zMSY4V9
>>954
三河国加茂郡野口に逃げて来て、その子孫が野口雨情の伝承がある楠木正季かい?
どうしても三河から逃れられないなw


鹿島氏だが

鹿島宗実

・五郎左衛門尉
・1303年、三河国額田郡沙汰人余三太郎跡給田畠を足利貞氏より宛がわれる
・娘が細川和氏(細川宗家)に嫁ぐ(娘は細川清氏の実母か?)
・1312年、和氏に嫁いでいた娘に、三河国額田郡沙汰人余三太郎跡給田畠三河国額田郡沙汰人跡三太郎跡給田畠を譲る
・三河国額田郡沙汰人余三太郎跡給田畠は、和氏娘の尼恵鑑(清氏と同母姉妹か?)に譲られ、後に臨川寺三会院に寄進された


細川清氏の外戚だったみたいだな
962日曜8時の名無しさん:2013/07/29(月) 19:12:50.54 ID:nEy8UWFf
この傑作ドラマの唯一といっていい欠陥は、北畠顕家役に後藤久美子を配したことであろう。
963日曜8時の名無しさん:2013/07/29(月) 19:37:11.68 ID:ebtT8tuJ
そういえば本来的な細川氏の嫡流は、和氏─清氏の系統なんだよな。

上のほうで細川氏の嫡流は最初から後の管領家に繋がる系統だったといってる奴いるけどw
964日曜8時の名無しさん:2013/07/30(火) 02:29:36.87 ID:NuIAy+/y
管領家は頼春−頼之かな
和氏の弟が頼春
965日曜8時の名無しさん:2013/07/30(火) 20:45:10.16 ID:oiz8atwz
讃岐殿!
まだ執権殿への御挨拶、承っておりませぬぞ!!

これは、長崎円喜に非ず。北条得宗の名代ぞ!

控えおろ!!!!!
966日曜8時の名無しさん:2013/07/30(火) 22:25:28.86 ID:LOTn7VEN
>>965
この後ニコォ〜ッて笑うんだよな。フランキー堺の名演。
また1話から見始めてしまったわ。
967日曜8時の名無しさん:2013/07/30(火) 22:39:54.17 ID:aKycpsfY
>>964-965
そういえば細川頼春・頼之父子って、どちらも讃岐守だよね。
尊氏の父親と同じ官途名を名乗れるなんて、結構厚遇されていたのかな?
968日曜8時の名無しさん:2013/07/31(水) 01:54:35.60 ID:dIS+qRVt
頼春−頼之は養子縁組
969日曜8時の名無しさん:2013/07/31(水) 03:41:52.36 ID:Dlc6tHgy
>>968
頼春と頼之は実の親子だよ。
養子縁組なのは頼之と頼元のほう。

>>967
頼春は讃岐守だが、頼之の官途は一般的には武蔵守。
讃岐守の官途は、頼春の死後は詮春に継承され、その後は阿波守護家の
世襲となる。
970日曜8時の名無しさん:2013/07/31(水) 06:45:52.59 ID:140PX9AT
太平記の翌年が信長だけど
当時連続で見てたら
尊氏が、あれだけ苦労して作った幕府があっさり滅びるのかと思って
悲しくなりそうだな。
971日曜8時の名無しさん:2013/07/31(水) 13:53:10.22 ID:dsMIDTzY
>>970
翔ぶが如く→太平記→信長
3年連続幕末だな
972日曜8時の名無しさん:2013/07/31(水) 15:07:57.68 ID:2ATNw6X5
>>970
まあしかし室町幕府ほど初期と末期で大きく性格の変わる政権もなかなかない。
973日曜8時の名無しさん:2013/07/31(水) 17:35:55.61 ID:fz0Uhb+T
>>964
清氏の没落によって、結果的に頼之が細川氏嫡流のような立場になったな
974日曜8時の名無しさん:2013/07/31(水) 22:02:13.35 ID:NyTgM9zJ
ルーピーのことですね、わかります
975日曜8時の名無しさん:2013/08/01(木) 00:39:52.12 ID:l1WwcLJ/
昔の大河スレでここまで定期的に伸びるスレってのも珍しいな
ドラマの脚本に出演者、太平記って読み物がみんなの妄想を掻き立てるんだろうな
976日曜8時の名無しさん:2013/08/01(木) 03:15:21.54 ID:uQqU3Oxb
題材がレアってこともあるだろう。

つうか次スレ、どうする?
977日曜8時の名無しさん:2013/08/01(木) 13:07:04.12 ID:VWPBIL5V
>>973
清氏の没落には判官殿が深く関わってるな

ていうか尊氏が死んだら判官殿ブレーキが利かなくなってやりたい放題。スーパー判官タイムw
978日曜8時の名無しさん:2013/08/01(木) 21:32:15.09 ID:zCVtYM7P
大河ドラマ「三河幕府45代」やらないかしら


第一回は、母方が三河の熱田大宮司家の源頼朝が、三河出身の安達盛長の紹介で、母方が三河伴氏の北条時政の娘と知り合う話でどうかな?
979日曜8時の名無しさん:2013/08/01(木) 22:26:17.38 ID:ZQqCvDSs
>>978
消えちまえ三河のみそ野郎
980日曜8時の名無しさん:2013/08/01(木) 22:29:08.80 ID:UBZzttcy
好きなキャラベスト5

1一色右馬介
2判官殿
3赤橋守時
4楠木正成
5足利貞氏
981日曜8時の名無しさん:2013/08/01(木) 23:13:14.16 ID:uQqU3Oxb
宮将軍、北畠亜相、日野右少弁は嫌いでしか?
982日曜8時の名無しさん:2013/08/02(金) 03:36:07.64 ID:WYVX8Jo5
鶴太郎忘れんな!w
983日曜8時の名無しさん:2013/08/02(金) 11:07:30.62 ID:7b0RrRRx
なんでギバちゃんは忘れさられたのですか
984日曜8時の名無しさん:2013/08/02(金) 12:43:43.67 ID:8GJ83NqO
赤かぶ円喜も上がってない

>>962
見たのが消防の頃だったせいか違和感は無かったな
顕家はゴクミの姿で未だにインプットされてる
985日曜8時の名無しさん:2013/08/02(金) 17:54:50.05 ID:AV+JG/Px
桃井刑部もないね
986日曜8時の名無しさん:2013/08/02(金) 19:58:57.11 ID:TelDQOsz
「手を洗わぬ者も帰れ!!」
987日曜8時の名無しさん:2013/08/03(土) 00:56:58.96 ID:nY599+Tw
【解説】
太平記第十九回「人質」(1991年5月12日放送)
ttp://www2s.biglobe.ne.jp/~tetuya/REKISI/taiheiki/taiheiki19.html
988日曜8時の名無しさん:2013/08/03(土) 00:57:47.44 ID:nY599+Tw
こっちじゃなかった

新スレ立ててみたのでどうぞ
http://kohada.2ch.net/test/read.cgi/nhkdrama/1375458861/
989日曜8時の名無しさん:2013/08/03(土) 01:08:51.67 ID:9KjL/kfG
>>988
990日曜8時の名無しさん:2013/08/03(土) 01:56:28.16 ID:cjf89ZWl
家紋が望みと申しておったそうじゃな。
991日曜8時の名無しさん:2013/08/03(土) 04:22:08.58 ID:0pC5w+oM
師直のハマリ具合は半端なかった

兄上はアウトレイジビヨンド見た後だと
赤松円心あたりはいけたんじゃなかったのかと思う
992日曜8時の名無しさん:2013/08/03(土) 10:38:21.39 ID:Uw+G4Chz
>>744
主演男優賞と助演女優賞で「深川通り魔殺人事件」
993日曜8時の名無しさん:2013/08/03(土) 11:15:16.75 ID:zLTtwehj
足利直冬役の筒井道隆も大熱演だったなぁ

上手い役者なのに最近見ないなあ
994日曜8時の名無しさん:2013/08/04(日) 00:25:29.86 ID:jcGBRJIF
筒井は定期的に大河に出てるよ。ググってみそ
995日曜8時の名無しさん:2013/08/04(日) 03:07:00.83 ID:zfS4Zk8s
>>993
あの人、演技上手いか?
どう見てもセリフ棒読みという印象なのだけど。
996日曜8時の名無しさん:2013/08/04(日) 09:36:40.72 ID:1Gq0n4ui
オヤジに似ず血気盛んな人間だってことは伝わる演技だった。
997日曜8時の名無しさん:2013/08/04(日) 19:42:57.19 ID:zfS4Zk8s
直冬「直冬は西国へ参りまする。西国へ行き、独立独歩思うように生きまする!」
尊氏「それはならん!」
998日曜8時の名無しさん:2013/08/04(日) 20:49:38.34 ID:rCrQxtpz
大河で生おっぱいは画期的だった
999日曜8時の名無しさん:2013/08/04(日) 21:29:56.07 ID:lwmljvls
直冬「直冬は西国へ参りまする(棒読み)西国へ行き、独立独歩思うように生きまする(棒読み)」
1000日曜8時の名無しさん:2013/08/04(日) 21:30:20.53 ID:lwmljvls
1000
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