八重の桜が失敗した理由は?

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494日曜8時の名無しさん
そもそも敵イコール悪って考え自体が薄っぺらい
敵にも家族や仲間や守るべきものが沢山ある。死んだ仲間たちの悲しみも背負っている。生き残った者たちに願いを託したとすれば尚更だ。

だから勝麟太郎は
『攘夷派のやつらだって日本を守りたいって気持ちはオイラたちと同じなんだ。向こうが斬りかかってきても、むやみやたらに斬っちゃなんねえぞ』
と弟子たちに説いている

譜代のプライドにとらわれ自分たちの故郷すら大事に思えない会津武士たちに他藩の心情や痛みを理解する余裕など微塵も無かった

一方で
薩摩は他の痛みを理解し得るからこそ坂本龍馬の話を聞いて日本を守る戦いで窮地にある長州と手を組み、勝の江戸を想う覚悟を認め無血開城を成し遂げた

松平容保に友はなく、その生涯に目的も夢も志も無い

西郷隆盛には友がいた。仲間や日本を想う彼の志は板垣や彼を討った大久保たちの記憶にもずっと残っていた。
死してなお次の世代へ語り継がれる英雄となった。