○ストックホルム症候群まで発病?したNHK清盛のデタラメな心の変遷
第18回「誕生、後白河帝」
@「法皇様、上皇様、お二人に仲ようしていただく」(清盛邸での平氏の評定)
A「上皇様を白河院の呪縛から解き放ってもらえませぬか。これまでのことについて
上皇様にお詫びくださいませ。御存知の通り、私も父忠盛の実の子ではありませんでした。〜」(鳥羽院に清盛が直談判)
(後白河帝誕生)
第19回「鳥羽院の遺言」
B「法皇様の御心を上皇様にお伝え下さりますれ」(清盛が倒れた鳥羽院を見舞い)
C「これは我が子なり。法皇様の心よりのお言葉でございます」
(鳥羽法皇が写経した法華七喩の長者窮子を崇徳院に持参。)
D「(崇徳院が)われは法皇様の子ぞ。子が親の死に目に会いて何の触りがある。
安芸守早う法皇様のもとへ案内せい」
それに対し清盛が「少しばかり遅うございました。(清盛が中国剣を崇徳院の顔に突き付ける)」
第20回「前夜の決断」
E「われら平氏はいずれにもつかぬ。これは戦のあとを考えてのことじゃ。帝方も
上皇方も平氏の武力は喉から手が出るほど欲しいにちがいない。こうやって待たせる
ことで恩賞を吊り上げるのだ」(「兄上も悪どうなられた」と時忠が絶賛)
(清盛、後白河院に呼び出される。恩賞作戦が帝にバレていたことが発覚。後白河帝にボコボコにされる)
F清盛邸の平氏の評定にて「われら平氏は帝方につく。帝はお見通しであられた。オレは父上の志も、
どちらに与し、どちらが勝とうとも武士の地位は変わらぬと釘を刺された」
(ここでストックホルム症候群発病)
「オレはその時悟ったのだ。あのお方は、帝はオレを煽りながら、オレに
登ってこいと仰せになった。ご自分と互角に渡り合えるところまで登ってきてみよと。
あのお方だけが、今の世における武士の力をようわかっておる」