【▲】平清盛の視聴率について語るスレpart30【▲】
61 :
日曜8時の名無しさん:
62 :
日曜8時の名無しさん:2012/04/06(金) 14:27:00.27 ID:kSwlDduH
○本郷先生の産経新聞の記事によれば神皇正統記(北畠親房)にも
「王家の権さらになきがごとくになりぬ」という用例もあり
「王家」は一般的な用法だった。また、「皇家」は「王家」
ほど使われてなかった。
→まず神皇正統記の全文テキストファイルも検索しましょう。
ttp://www.j-texts.com/chusei/rek/jinno2.html 検索結果は次のとおりです。
「皇」 695件
「天皇」359件
「王」 179件
「帝」 73件
「上皇」 46件
「朝廷」 4件
「朝家」 2件
「皇家」 2件
「王家」 2件
まず、「王家」は稀な用例であることが理解できるはずです。
また、「王」は古代の日本の王、漢籍で出てくる王、親王がほぼ
すべてです。
では、ここでそれぞれの用例を見ましょう。
まず「王家」の用例は次の二つです。前後の文章も必要でしょうから
転記します。
(用例1)
これより清盛天下の権をほしきまゝにして、程なく太政大臣にあがり、
其子大臣大将になり、あまさへ兄弟左右の大将にてならべりき
天下の諸国は半すぐるまで家領となし、官位は多く一門家僕にふさげたり。
王家の権さらになきがごとくになりぬ。
(用例2)
頼朝勲功まことにためしなかりければ、みづからも権をほしきまゝにす。
君も又うちまかせられにければ、王家の権はいよ<おとろへにき。
このように「王家」は「王家の権」として成句で2回しか使われていません。
検索結果を見てもそれぞれの文脈にあわせて適切に
それぞれの言葉を著者は使い分けていることは明らかです。
つまり、「王家」は権力構造の説明のためにのみ
成句として使用されていると考えるのが妥当と思います。
また、神皇正統記には「王家」より高い頻度で、「朝廷」、
同じ頻度で「皇家」や「朝家」があることも指摘しておきます。
従って本用例もNHKの「王家」の使い方の根拠としては弱いと考えます。
(黒田先生は「王法正理論」やこの用例を踏まえて「王家」を使ったと
思われますが、黒田先生が「王家」が中世史料で頻出するされたことの裏付けは
データベース上から発見することはできませんでした。)
63 :
日曜8時の名無しさん:2012/04/06(金) 14:27:30.80 ID:kSwlDduH
○本郷先生によると保元元年の新制(新しい憲法)は冒頭で「九州の地
(日本全国)は一人(天皇)のもつところなり。王命(天皇の命令)のほか、
なんぞ私威(しい)を施さん」と力強く宣言しているではないか?
→原文を提示します。
一、可令下知諸国司、且従停止、且録状、言上神社仏寺院宮諸家新立庄園事、
仰、九州之地者一人之有也、王命之外、何施私威、
また全文テキストは下記です。
ttp://www.furugosho.com/inseiki/hyohanki/hougen1-9b.htm この用例の一文の後には、数十の神社や寺に対して固有の名前を挙げて
厳しく対応することを宣言しています。つまりこの保元元年の新制は、
租税権を中心にした神社仏寺院宮諸家への権力の明確化の宣言なのです。
つまり、神社仏寺院宮諸家に対しての荘園経営という権力構造上の
特殊な文脈での「王命」という成句での用例と考えるべきと思います。
「天皇」を直接「王」と呼んでいるわけではありません。
また、主に神社仏寺院が列挙されているので「王法正理論」から来ている
「王」の用法と考えるのが妥当でしょう。
64 :
日曜8時の名無しさん:2012/04/06(金) 14:27:54.25 ID:kSwlDduH
○「王法(天皇の法)と仏法は車の両輪」は普通の言い回しだ。
→その通りでしょう。王法という言葉がまず仏教の経典としてありますから
仏教との関係では普通の言い回しです
しかし、仏教用語が唐でも日本でもそれがそのまま援用されているので、
この「王」をもって「天皇」を一般に指す
というのは明らかに行き過ぎてしょう。
「王法」は「王法正理論」という経典から出ています。
この経典は5世紀半ばのインドの論師・弥勒が著述したものを、
7世紀半ば中国の学僧・玄奘が翻訳したものです。
この論は、王の十種の過失などで王法(為政者の法)と仏法の関係を説いています。
黒田先生のいうところの「王法仏法相依の関係」や
本郷先生の「王法(天皇の法)と仏法は車の両輪」は「王法正理論」と同じ
仏教との関係で相対化を図るための表現でしょう。