【西行】藤木直人・毎回歌を詠むハズ・一句目【義清】

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685日曜8時の名無しさん
うどん県の海向かいの、きび団子県住人です。
(きび団子県でも南部の一部地域では、NHK高松を受信可能)
ttp://www.nhk.or.jp/takamatsu/kiyomori/related/
ゆう6かがわ「清盛の時代を訪ねて」 第4回:西行法師 レポです。

・佐藤義清は23歳で出家、西行法師となる。
 生涯で2000首以上の和歌を詠んだ。
・50歳の時、崇徳上皇の霊を慰めるため、讃岐の白峰山(坂出市)を訪れる。
 御陵までの道は後に「西行法師の道」として整備された。
・白峰山で「よしや君昔の玉の床とても かからむ後は何かはせむ」の和歌を詠んだ。
 この世は無常という意味の歌である。
686日曜8時の名無しさん:2012/05/23(水) 22:11:57.26 ID:cZSoQXLH
685続き
・西行はその後、現在の善通寺市に向かったと言われている。
 善通寺市吉原町には、西行が自ら背負って運んだとされる木像がある。
 その木像は「生木(いきのき)大明神」と呼ばれており、
 地元の人が土地の守り神として、大事にしてきている。
・近くには西行が暮らした場所がある。
 その地には地元有志によって庵(西行庵)が建てられた。
 ここには西行を慕う人たちが集まって、和歌を捧げている(献歌)。
 それらの和歌は地元の人が本にまとめている。西行を詠んだ和歌もある。
・善通寺市の曼荼羅寺には、西行の和歌の碑がある。
 「笠はありその身はいかになりぬらん あはれはかなきあめがしたかな」
 友人が都に帰るが、桜の木に笠を掛けて忘れて帰ってしまったという意味の歌。
 人生のはかなさを詠んだ和歌とされている。

ゆう6かがわ「清盛の時代を訪ねて」 5回シリーズ、
今までの3回は崇徳上皇メインでしたが、今回は西行メインでした。
白峰の話は知っていたけれど、善通寺市にも西行ゆかりの場所があるとは
初めて知りました。
地元の人が、今も西行様を大切にしていることに感心します。