平清盛「王家」総合3

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551日曜8時の名無しさん

奥野×黒田バトル2記事入手。文字数制限のなか抜粋。ドラマの院政期以外の史料も多いので注意。

「社寺」か「寺社」か―用語による呪縛について― 黒田俊雄(阪大教授)1981
・寺社が明治になって社寺になったよ。政府の方針ね。
・ついでにお前ら「中世皇室領荘園」とか言ってるけど、「皇室」とか中世で使われてないから。
・明治以後の天皇制はそれまでとまた違うし、中世に「王家」あんのにそれ無視とかw
・「用語の適用範囲をあえて拡大するのは、天皇を万世一系連綿として変わらないものとする見方が根底に
 あるからであろう、こういう用語の使い方は、特定の見地の主張ないし強制に通ずることにもなろう。」デス。

王家と皇家 奥野高広(国学院大講師)1981
・日葡辞書には朝家ってあるけど?
・ちなみに寺社も頼朝が言いかた決めただけで、絶対に寺が上ってこともなかったよ。
・朝家、いっぱいあるよ。
・皇家、神皇正統記とかにあるよ。晋書に出典があって、続日本紀にもあるから中世ずっと使われてたよ。
・皇室、続日本紀にも幕末の近世紀聞にもあるよ。
・「皇家や朝家とか皇室は同意語であり、中世では並行して使用されていた事実は明らかである。」デス。
・「中世の朝家とか皇家また皇室という、いわば天皇のファミリーは、新憲法下の皇室より遥かに強い権威と
 権力を保有していた。そこで中世史の研究に当って、皇室とか皇家という用語を採るのは、不適当でも
 強制に通ずるものでもない。現代において学術用語について強制などという現象があろうはずがない。」デス。

朝家・皇家・皇室考―奥野博士のご批判にこたえる― 黒田1982
・とりあえずおつかれ。でも、誰かによって強制されてるとか言ってねーし。よく嫁。
・寺社とか頼朝が決めたと思ってんの?前からあるからw
・社寺は神社仏寺を縮めただけだし、寺社が自然だったと思うよ。博士の好きな日葡辞書に社寺ないしw
・「問題は、一般に使われていた「寺社」にかえて、わざわざ不慣れな「社寺」に統一しそれを普及させた
 明治政府の意図と、その客観的な効果である。それは中世の宗教史をみるときにも、おのずから一種の
 規制力として作用するだろう。」デス。
・博士の出した朝家の文例だけど、いくつかは、現代版の頭注で朝廷って訳されてるよ。
・頭注が皇室でも、朝廷って解釈していいのもあるよ。
・愚管抄のとか、頭注に皇室とかあるけど、「「朝廷」のほうが一貫して適切である。」デス。
・太平記のなんて、「「朝廷」と解釈するほかはないことは、明らかである。」デス。
・日葡辞書の朝家にも朝廷の意味の文例あるよね?
・「これだけでも「朝家の用語が皇室を意味して使用されていた」と一義的に断定できないこと、少なくとも
 異なる語義を含むことは明らかで、しかもそういう注解がすでになされている以上、博士の主張は適切を
 欠くのでなかろうか。」デス。
・もはや朝家に「天皇の一家。王家。王室」の意味があることすら怪しいよ。ご教示くださる?w
・「皇家」は「王家」「王氏」と同じで許しといたる。
・高望王とか以仁王とか言うけど、「中世では右のような場合、制度上の称号はともかく、実際は「宮」と
 呼ばれることが多く、反対に「王」といえば国王を指すのが普通であったし(『邦訳日葡辞書』六九五ページ)、
 「王家」とはその家・一族を指す語であった。」デス。
・根来要書や花園天皇宸記に「王家」あるよね? 平家物語や源平盛衰記に「王氏」あるよね?
・「中世では、「天皇」という語は、称号として廃止されたわけではなかったが、すでに早く平田俊春氏が指摘
 されたように、諡号としてもほとんど用いられなかった。一般に日常語として用いられたのは「国王」であり、
 現在位の「国王」については「主上」、諡号としては「院」であった。」デス。※1943「吉野時代の研究」
・「雑筆要集」だけど、太上法皇に入道後、太上天皇に院、帝王に国王とか右肩に注。日常語っぽくね?>国王
・そうそう、神皇正統記にも「王家」あるけど、何で言わなかった?ねえ、何で?
・続日本紀と近世紀聞に「皇室」あるとか言うけど、中世の使用例すっぽり抜けてね?w 使ってなくね?
・「皇室」とかガンガン使い出したの「皇室典範」からだから。
・「われわれは、このような用語が明治憲法下ではまさに「強制」されたことを、銘記する必要があるとおもう。」デス。
・「昨今教科書検定≠ノおいてまさにその用語についての指示≠ェ取沙汰されているのをみても、事態は
 必ずしも楽観できない。」デス。