(続き)
未だ確固たる信念を持っていない若者龍馬がわからないことはわからないと体当たりでぶつかって行くという、
所謂ビルドゥングスロマンとして前半は展開したいというのが作者の意図のようであるけれども、第9回では龍馬は24歳。
「黒船を造って家族みんなを乗せて世界を見て廻る」なんて青臭いことをまだ言わせておいていいのだろうか。
広末涼子演じるところの加尾との「引き裂かれた愛」にしても、攘夷に熱心な京の公家三条実美に近付くため、
その兄の公睦のもとに嫁いでいる城主豊信の妹恒姫の世話係として加尾が隠密となって送り込まれるという設定が
何となくイージーで説得性に乏しく、断れば兄の収二郎が切腹しなければならなくなるという緊迫感も今ひとつ盛り上がらない。
攘夷のうねりに二人の恋愛までが翻弄されて成就しなくなるという重要なモチーフなのに、あっさりと描かれ過ぎている。
もっとドラマチックな仕掛けに出来ないものかと思う。
大切なのは龍馬をめぐる女性たちで、この時代の男としては珍しく、主体性のある個性的な女が好みと思われるけれど、
これは姉乙女の強い影響なのだろう。千葉道場の佐那、幼なじみの加尾、そして「誠にみょうな女」といわれるお龍に至る
竜馬好みの系譜をきちんと意識して豊潤に描き切らなければ、このドラマの魅力は半減するに違いない。
第10回「土佐沸騰」に至ってようやく龍馬らしい見せ場が展開されることになったけれど、政治的イデオロギーに
付かず離れずの龍馬のスタンスに、もう少し一匹狼的な男臭い魅力を付与できないものか。
とにもかくにも龍馬神話のなぞりにならない独自性を得ることが出来るか否かがドラマとしての勝負の分かれ目だ。
(以上です)