ボリス応援スレ

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351日曜8時の名無しさん
ボリス・アンドレーイェヴィッチ・ヴィルキツキの履歴まとめ

1885年旧暦3月22日(4月3日) サンクトペテルブルグ郊外プルコヴォで生まれる。
1901年 広瀬武夫と知り合う。↓後の列、広瀬の右側にいるのが16歳のボリス候補生
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1904年 海軍学校卒業。中尉(мичмана)になる(旧露海軍には少尉/中尉クラスが1つしかないので、少尉でも誤訳ではない)。
1904年 太平洋艦隊へ配属される。日露戦争で4度の命令を出す。
1904年旧暦?11月(多分1904年12月末) 要塞内で海兵に銃剣攻撃を命じ、一時的に日本軍に占領されていた要塞の一部を開放するが、自身も胸に重傷を負う。
1905年1月 日本の捕虜となる。負傷兵のため早くに解放。
 帰国後、聖スタニスラフ勲章、聖ヴラディーミル勲章、四等聖アンナ勲章を受章。
 治療後、海軍大学へ入学。
1908年 海軍大学卒業。
1908年-1912年 バルト海と極東で海路測量の任務に着く。
1913年 中佐(Капитан 2-го ранга)になる。↓
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1913年〜1915年 北極海探検の指揮官として砕氷蒸気船タイミルの艦長となる。↓
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1915年〜1917年、バルト海で駆逐艦レトゥーンの副長として戦功を挙げる。
1917年 サンクトゲオルグ勲章を受章。大佐(Капитан 1-го ранга)になる。↓
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1917年 ロシア帝国崩壊。
1918年 ソ連政府の下で、シベリアへ行ったが、エフゲニー・ミレル将軍率いる白軍に身を投じる。
1919年 チャイコフスキー北部政権の下で少将(Контр-адмирал)となる。
1920年2月 ミレル将軍の敗残兵を連れてノルウェーに行き、軍隊を解除。事実上亡命。
1920年 英国国籍を取得。
 しかしながらソ連政府は北極海探検の英雄であるボリスを敵として扱わず、その後も第3回と第4回カラ海の探検のためにボリスを招待(1923年〜1924年)。
1925年 ロシアを出国し、二度と故郷へ戻らない。英国の民間商船会社に就職。
 その後、ベルギー国籍を取得し、ベルギー領コンゴで海路測量をする、↓
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1961年3月6日 ブリュッセルで85歳死去。ブリュッセルに造られた墓
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1996年 遺骨の一部がサンクトペテルブルグの墓地、父アンドレイ、叔父ユーリの横に埋められる。↓ロシアに造られた墓
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