1 :
日曜8時の名無しさん:
2 :
日曜8時の名無しさん:2009/12/27(日) 04:55:48 ID:FriFJkXj
だいたい、こいつ自身が不真面目じゃん。
3 :
日曜8時の名無しさん:2009/12/27(日) 05:04:05 ID:FriFJkXj
やっべっ、ID同じじゃん。
4 :
日曜8時の名無しさん:2009/12/27(日) 08:00:35 ID:FriFJkXj
久坂のキャスティングがまだない!
出てこなきゃインチキだ!
5 :
日曜8時の名無しさん:2009/12/27(日) 11:08:19 ID:N+aDq2OC
福山アンチってのも異常だな
7 :
日曜8時の名無しさん:2009/12/27(日) 19:33:17 ID:FriFJkXj
8 :
日曜8時の名無しさん:2009/12/28(月) 06:18:33 ID:fGTXASlo
竜馬伝も11月で終了なの?
いかにも暦女が喜びそうな大河だな
歴女が好きなのは戦国な。
腐女子が昔から好きなのは新撰組。
竜馬は女に人気がない。
そこで福山を起用して女の視聴者を釣ろうというんだが、
女にも男にもそっぽ向かれそうな予感
三国志でもそうなんだが、英雄たちは戦って死んで、
生き残って勝ったのはくだらない奴らだった。
幕末でもそれと同じ。
岩崎弥太郎なんてやつを持ち上げるのはどうかしてる。
りょう・ま・でん
りょ・うま・でん
どっちが正解?
14 :
日曜8時の名無しさん:2009/12/29(火) 02:20:51 ID:Qe4+Vorl
15 :
日曜8時の名無しさん:2009/12/29(火) 07:25:13 ID:pHXjhg0+
龍馬伝関係の本を、ちょっと読んでみたが、日本国なんかより女が好き、ずっとお前を愛し続けるぜよ!みたいなドラマみたいだね。
残念だ。
>14
後藤象二郎と岩崎弥太郎が何をやったかも知らんくせに
17 :
日曜8時の名無しさん:2009/12/29(火) 20:25:17 ID:Qe4+Vorl
メイキング見たけど、プログレッシブカメラがいいね。
18 :
日曜8時の名無しさん:2009/12/29(火) 20:37:31 ID:64reqS+E
・これまでのイメージと違う“新しい龍馬像”を描く
・柔らかいイメージをもった現代型のヒーローを描く
って、要するにスイーツということやんorz
福山雅治も「違和感があった」って…orz
これまで描かれてきた歴史事象もかなり覆すようで
19 :
日曜8時の名無しさん:2009/12/30(水) 07:36:05 ID:AwhvVK7A
用はこれ見て自分の中でどう消化するかじゃな〜い?
消化できなかったら吐き出せばいいし。
20 :
日曜8時の名無しさん:2009/12/30(水) 23:14:40 ID:AwhvVK7A
岩崎弥太郎が成功しなかったらこれほど龍馬は持ち上げられなかった。
>>18 確実に今年の二の舞になるw
もう一話も見んわ、大河キモ過ぎwwwww
24 :
日曜8時の名無しさん:2010/01/01(金) 05:55:31 ID:s7lCxkt7
>>23 だよね。
俺は桂小五郎以上だと思ってる。
真木和泉にそそのかされたんだ!
いま日本の最高支配者は薩長連合(鹿児島県、山口県)の者たちです。
・坂本龍馬は日本をいまも破壊しているテロリスト薩長連合の工作員だっただけの者です。
・織田信長の時代から戊辰戦争まで、鉄砲隊のガンパウダーはガンパウダー1樽につき、
日本人の若い娘50人を海外に売ることで調達していました。
・自殺者3万人(実際は8万とも)は薩長連合が原因です。日本はいまだに武家社会です。
・明治維新テロは薩長連合が海外の貴族やユダヤから金を借り(年利18%)て起こした国家転覆テロ。
・総理大臣、大蔵大臣、外務大臣や公安、警察、自衛隊の歴代トップは鹿児島県、山口県、
高知県、佐賀県、 長崎県出身者ばかりです。 公務員は薩長連合の使用人です。
公務員は国民を支配する道具。国策捜査は薩長連合やアメリカのための捜査です。
・日本経団連の企業は明治以前からの支配階級の関係者が興したものばかり。
・アメリカを代表する洗脳の専門家アーネスト・ヒルガードは戦後来日して
「戦後日本の教育の非軍事化のため」に働き、スタンフォード大学からその功績を讃えられます。
鳩山由紀夫もスタンフォード大学卒業です。いまもマスコミなどを使い洗脳を続けています。
・薩長連合は株式会社ゆうちょ銀行の郵便貯金を海外の貴族やユダヤに差し出そうとしている。
・アメリカ財務省証券購入で日本人は毎年アメリカに30兆円以上差し出している。
・日本人が貯蓄した金が海外にいき、信用創造で1000倍になりそれで日本の土地が買われる。
日本は破産し、IMF管理下でも 薩長連合は安泰で国民はIMFに感謝するように洗脳される。
(洗脳支配 苫米地英人 株式会社ビジネス社)
日本の政治家は右左も朝鮮人がいます。小★泉、★菅、小★沢など。
2ちゃんねるはトウ一きょう会が運営してIP集めや、自作自演して洗脳工作する場です。
http://jb★bs.liv★edoor.jp/bbs/read.cgi/news/20★92/11★94947143/
薩長連合は戦争やシベリア抑留で日本人の抵抗勢力を殺したのか。戦争は自国民を殺すためにも使われる。
薩長連合のために警察がインターネット規制をする。来年東京では匿名で情報を発信できなくなる。
情報遮断、ネット情報遮断、ネット検閲は戦後の洗脳と同じやり口。薩長連合は日本人ではない。w
26 :
日曜8時の名無しさん:2010/01/01(金) 10:10:15 ID:CEkWq6oa
竜馬出ん
まぁ、これから「太平記」がますます面白くなるし、
2月からは「草燃える」が始まるわけだから、大河ドラマは不滅よ
28 :
日曜8時の名無しさん:2010/01/02(土) 21:14:40 ID:tkPy8c4q
29 :
日曜8時の名無しさん:2010/01/03(日) 01:46:22 ID:yM7yjzSd
30 :
日曜8時の名無しさん:2010/01/03(日) 20:04:35 ID:yM7yjzSd
弥太郎登場!
32 :
日曜8時の名無しさん:2010/01/04(月) 02:32:08 ID:+eyW2w1k
33 :
日曜8時の名無しさん:2010/01/04(月) 02:42:35 ID:v9YXe4fe
吉村寅太郎もちゃんと役決めてくれ。
>>12 若く志半ばで死んだからこそ
やっかみを受けることなく晩節を汚すことなく
良い風に書いてもらってるってことを忘れたらいかんぞ。
本当に偉いのは維新の英雄が大暴れした後
理想と現実の折り合いつけて近代日本を築き上げた伊藤博文たちだよ。
大隈さんは、その後の世代の人なんかな?
37 :
日曜8時の名無しさん:2010/01/05(火) 00:26:42 ID:pijWewAm
大隈さんは参議でしたが、大久保、桂、大西郷とは比べ物にならないですね。
大隈は肥前だが、薩長との権力争いに敗れただけ。
大隈は急進的改革派で、近代化や国会開設に熱心だった。
大隈に比べると西郷などは農業の振興などと勘違いの主張をしていた。
国会が開設されると藩閥政府の利権が保てなくなるから、
山県ら主に長州勢によって大隈は失脚させられた。
39 :
日曜8時の名無しさん:2010/01/05(火) 16:15:00 ID:kUI3Ebj0
大隈の上に大久保・桂がいた頃は良かったがこの二人が消えて大隈がトップになるが
薩長ではないので追い落とされた。薩長>>越えられない壁>>土肥
板垣や後藤が自由民権運動に走ったのもそのため
明治維新時の金の流れをみんなスルーしますね
たくさん殺せば英雄ですね
41 :
日曜8時の名無しさん:2010/01/06(水) 01:42:19 ID:yiE8Enh8
長州の山県も賄賂まみれ
大隈の改革案が当時としては過激すぎたんで伊藤らによってひきずりおろされたんだよ
明治十四年の政変
43 :
日曜8時の名無しさん:2010/01/06(水) 18:18:06 ID:yiE8Enh8
明治に龍馬いねーし
44 :
日曜8時の名無しさん:2010/01/07(木) 07:13:17 ID:VSwJ6q6R
45 :
日曜8時の名無しさん:2010/01/07(木) 13:00:39 ID:EkFb63D3
やまがたありとも
龍馬らは「郷士」が一般的だが、
今回は解り易く「下士」ですか。。
勤王党=下士でまとめた方が分りやすいしな。
49 :
日曜8時の名無しさん:2010/01/08(金) 11:15:48 ID:ZKNrQ2jR
>>48 武市は反東洋の上士を取り込んで、一藩勤皇をかかげたんだよ。
「坂の上」の雲が終わると、次は「坂の下(本)」龍馬伝だね♪
失礼w
51 :
日曜8時の名無しさん:2010/01/08(金) 17:52:06 ID:ZKNrQ2jR
司馬とは違う竜馬が見たい。
じゃあ竜馬と書くなよw
53 :
日曜8時の名無しさん:2010/01/09(土) 10:19:51 ID:v7el3HPz
龍馬がゆく。だね
郷士は差別的用語という事で挿げ替えられたん?
おせーて、エラい人
少し前のレス嫁や
56 :
日曜8時の名無しさん:2010/01/09(土) 17:30:28 ID:v7el3HPz
勤王党=下士は違う。
上士(反東洋派)もかなりいるはず。
57 :
日曜8時の名無しさん:2010/01/10(日) 02:07:36 ID:PecGne3q
これはマジおもしろいぞ
ここ数年の糞大河とつくりが違う
期待ができる
59 :
日曜8時の名無しさん:2010/01/10(日) 11:40:22 ID:Ol12Ihek
弥太郎がいいなぁ。
弥太郎ファンなってしまった。 そのぐらい人をひきつける魅力がある
上士と下士って多分山内一豊が連れてきた新参組の子孫で、土着の長曽我部系の
子孫が下士っていう理解でいいの?
ごめんね不勉強で。
ごめん誤入力。
山内系=上士
長曽我部系=下士
なの?
まあそうだな
大河ドラマが当たる1つの条件は、
主役やその周囲の主要人物の死が、見せ場になること。
非業の死が基本。役者の演じ甲斐もあるし、視聴者も感情移入して、涙溢れる感動を呼び起こす。
その点、今回は最終回(?)の龍馬&中岡はもちろん、武市、長次郎、以蔵など、その面のネタが豊富。
「天地人」「篤姫」にはなかった盛り上がり要素(「新選組!」「義経」「風林火山」にはあった)ということ。
64 :
日曜8時の名無しさん:2010/01/10(日) 20:14:34 ID:uhz8Bdk4
もしかして広末涼子はりょう継りで採用されたのか?
郷士って上からも農民からも見下されてたんですかねえ
なんか哀れすぎて救い様ない気が
>>66 かといって、農民を無礼討したら上士からお咎めを受けるとか?
しかし、流石にいくら下士だからと言って土下座はないってww
広末涼子は、以前から“龍馬待望”論者で、自身も出たがっていた。
だから、この作品への思いは人一倍強い。それがいい演技にはね返ってくれるやろ。
ついでに同級生・藤川球児も出て欲しいな。
>>68 主役よりも周りが熱くなりそうな現場だなww
70 :
日曜8時の名無しさん:2010/01/11(月) 14:39:25 ID:EXhCwL0I
余談で恐縮だが。
NHKは日本嫌いの特定外国に媚びを売る番組編集が多く批判を受けている。
「坂の上の雲」も、原作にはない登場人物や場面をつくって反日場面を演出した。
司馬遼太郎の名前を使って、日本は悪い国との洗脳・宣伝をしたわけで悪質だ。
そんな中で、横暴な陸軍曹長の役で出た俳優の森●レオ。
盛本は好人物を売り物にしていた役者だった。
が、国民的清純派アイドルとも言えたデビュー当時の高校生のM(女優)や同じく高校生I
(歌手)を号姦し、処序を奪った鬼畜系俳優だった。
当然余罪はあるはずで、今は普通の主婦となった女子公校生の被害者もいるはずだ。
時効だろうし、親告罪でもあるのでモリ●モトは逃げ切ったわけだが。
NHKは意図的にこういう俳優を使って、日本軍に対する印象操作を行ったと考えられる。
このスレ必要なんだろうかと思っていたが
本スレの惨状を見るとたしかに必要だと思えてきた
72 :
日曜8時の名無しさん:2010/01/12(火) 18:44:29 ID:QwSi4P1b
松の廊下を走り回るな!
犬HKは、サムライのイメージダウン狙ってる
74 :
日曜8時の名無しさん:2010/01/13(水) 06:54:55 ID:WM3XoYN3
★★外国人参政権のある重大な問題点★★
http://sakurayamato.webspace.ne.jp/bbs/sakurayamato_topic_pr_550.html 現在の外国人登録制度がどうなっているかと申しますと、まず、日本人の場合には、旧住所から新住所に住民票を移すと、
役場から役場へ通知連絡がいくわけです。
ところが永住者といえども外国人の場合は、「外国人登録」という言葉通りに登録制なのです。
結論から先に申しますと、いくつの自治体にも登録できます(利用できる住所があれば)。
パスポート側にもどこの自治体で登録したなどの記載は残りません。
住民票にあたる「外国人登録原票記載事項証明書」にも過去の住所録は載っていません、届けませんから。
外国人ですから住所を生まれた時まで辿る必要がないという建前はわかりますが、
昨年、自民党や法務省が登録法を変えようとしたときに民団、総連が反対した理由がわかる気がします。
いくつでも現住所が持てるのです。
対馬に在日韓国人が住所をみんなで移したらどうするだという意見がありますが、移す必要すらありません。
新たに加えるだけです。
これHもちろん、本当に住んでいる場所以外は収入がありませんから、生活保護の不法受給にも悪用可能です。
住民基本台帳に入っていませんので自治体が変わると検索の仕様もありません。
横浜で暮らし、川崎で生活保護を受けて、両方で選挙権を行使する。 現在の制度では可能です。
もし既知の事項でしたら長文の失礼お詫び申し上げます。
最近も区役所に行きましたが、単にパスポート上の、入国管理局が発効した滞在許可の種類、期間を確認するだけで、
外国人登録証が貰えます。 そして登録されます。 引っ越し前の住所など書く必要がありません。
入国管理局で一括管理しようとしたら、民主、公明が反対して、潰したと記憶してます。
なぜ反対だったか国民はわからなかったんじゃあないでしょうか?
75 :
64:2010/01/13(水) 07:15:38 ID:acc4fudg
>>65 そうか
でも涼子は竜馬からとったかもなー
76 :
日曜8時の名無しさん:2010/01/13(水) 10:37:56 ID:9fCB1tHF
77 :
日曜8時の名無しさん:2010/01/14(木) 16:32:33 ID:2zFFwo2V
福山と佐藤健って何歳違うの?
79 :
日曜8時の名無しさん:2010/01/15(金) 21:23:52 ID:qnaSnL1I
土佐弁もいいが、全編土佐弁はちょっときつい。意味が理解しにくいところもあるし。
まあ、土佐から出れば標準語もでてくるとは思うが。
広末のは地元からも文句出ないネイティブ土佐弁?
日曜日の夜が待ち遠しい、こんな気分になるのは久々だな。
サザエさん症候群というか、そういうものが今年は解消されそう。
ただ、近年の大河は、人物の「歴史以前」をじっくりと丁寧に描こうとしている。
その意図は分かるけれども、どうしても終盤のクライマックスがバタバタになってしまう。
今回も、2話・3話と、まぁこのあたりの展開がどうなのかな?\///
>>81 先週のは蛇足っぽいねえ。
来週もさっさと江戸へ飛んでくれればいいのにと思う。
83 :
日曜8時の名無しさん:2010/01/19(火) 13:04:14 ID:52v4hyDd
来週は江戸だね。3週くらいでまた高知に戻るから、最初の江戸は早く終わる。
黒船、佐久間象山、吉田松陰、桂小五郎、千葉の娘、くらいだな。キーは。
江戸から「異人の首を取って帰る」というような手紙を送るから、はじめはただの攘夷論者。
やはり北辰一刀流免許皆伝は疑わしいのか
ペリーやら砲術やらで専念とはいかなかったろうし
>>81 スレと関係ないけど文末の「\///」って何?
単に文字化けしてるのかな
86 :
日曜8時の名無しさん:2010/01/21(木) 11:31:43 ID:gRrLlihU
オープニングの龍馬が浜を走っている風景があるが
あれは土佐の海?なんか違うような感じがするが?
87 :
日曜8時の名無しさん:2010/01/21(木) 13:41:35 ID:hPXjn2Iy
>>86 土佐に、あんな暗い海はない。
いかにも北国っぽい感じだ。
88 :
日曜8時の名無しさん:2010/01/21(木) 15:39:10 ID:hPXjn2Iy
高知の海は明るくてうねりがもっと大きいよね
あれは違うわ
>>84 三年しか通ってないし、残ってるのは薙刀の目録のみ。
しかも、さな子の言うとおり三人姉妹の名前入り。
つまり免許皆伝ではなく、長刀の目録取りでしたということだろう。
さな子と結婚してたら、免許皆伝まで言ったかもしれないが、
勝と会って、そんなことに興味がなくなってたのかもしれない。
91 :
日曜8時の名無しさん:2010/01/23(土) 05:46:56 ID:alvUBW4p
第4話、及川奈央が遊女役で出るって
寅年にはタイガードラマですよ。
93 :
日曜8時の名無しさん:2010/01/23(土) 21:29:14 ID:alvUBW4p
>>じゃあ「龍馬伝」は辰年にやるべきだったな。
94 :
日曜8時の名無しさん:2010/01/25(月) 01:46:16 ID:dKcpWZVD
千葉さな子だし、小太刀だし、16歳だし。
水戸黄門だし。
95 :
日曜8時の名無しさん:2010/01/28(木) 04:34:31 ID:OJjzG1h2
今度、いよいよ黒船か。
焦ってたのは幕府だけで、町人たちは物見遊山で、小船漕いで見に行ったらしいよ。
96 :
日曜8時の名無しさん:2010/01/30(土) 04:37:09 ID:FgvfiO7L
阿部正弘が勝海舟を見いだしたんだよね?
うん
98 :
日曜8時の名無しさん:2010/01/31(日) 09:42:28 ID:oKE6yBB9
99 :
日曜8時の名無しさん:2010/01/31(日) 21:08:57 ID:U6q8GSLF
次スレたちやしねえ
見た事ない異人に怯える江戸市民、慌てふためき右往左往の幕閣たち。
家光のアホ将軍が鎖国政策を選んだ結果がこれだよ。
一時は世界一の鉄砲生産大国だったのになぁ。
やっぱ信長に天下を獲らせてみたかったわ。
産業革命の時期がもっと早ければ・・・。
戦国期のエネルギッシュな思考性を潰して、従順で矮小な島国根性を植えつけた、
バカな幕府が日本を駄目にしたんだ、、と言ったら過言ですかい?
101 :
日曜8時の名無しさん:2010/01/31(日) 23:54:59 ID:usVXVz9Y
>>100 徳川の時代にも漂流民がたくさんいて、ロシア、アメリカ、南米のペルー
まで流されたらしい。漂流記もある。
外国の船を庶民が見物するのも多かったらしい。
あんなに大げさに騒ぐほどじゃないそうな。
フィクションですよ。すべて。
小学五年生にもわかりやすいようにがコンセプトです
103 :
日曜8時の名無しさん:2010/02/01(月) 01:48:58 ID:Sfr4PBoG
ここ十年の観客のウンチクがうるさくて歴史物脚本書きにくいぜよ。
実際の庶民は物見遊山で見物にでかけたらしいが、
びっくりした龍馬を描写するにはあれくらいのパニックがおきたことにしておいたほうが
おもしろくはあろう
容堂&東洋 爺さん過ぎorz
>>96 人脈的には一橋派なのに慶喜嫌いで家茂萌えな海舟。
107 :
日曜8時の名無しさん:2010/02/02(火) 13:43:21 ID:fFVW/mBp
あんなでかい船びっくりすると思うよ。
初めて大型タンカー見た時たまげたもん。
>>105 それを言うなら10代の龍馬役にもつっこんでくれw
>>107 本邦にだって当時五百石船というものがあってだな
龍馬さんキョドりすぎw
>>109 機関車以上の動力音と汽笛もついているのだが
111 :
日曜8時の名無しさん:2010/02/02(火) 18:26:23 ID:bM5ItBvX
最近のNHKの大河ドラマは、朝鮮や中国の視聴者に
向けて作られているのでしょう。
旗指物を引っ掛ける間抜けな侍。なんで見張りに旗指物?
汚い侍。風呂は日本人は好きなのに。
屏風の中で相談する幕府の侍。屏風の使い方間違っています。
みんな日本人を馬鹿にしている話。
ファンタジーだけの韓国ドラマと同じ作り。
お笑いのひとをたくさん俳優に起用するのも
「ファンタジー、お笑い、捏造歴史ドラマ」
にはふさわしいのでしょう。
112 :
日曜8時の名無しさん:2010/02/03(水) 08:56:50 ID:7HXE/VX+
歴史に忠実で「志」が見えないドラマよりよっぽどいい!
福田・大友コンビはこれからだよ。
捏造を詭弁で誤魔化すような志はいらない
お佐那さんの回も彼女の悩みに向き合ったとは到底言い難い
煙に巻いてるし
>>100 どの時代の政権にも、
「功」と「罪」の両面があるわな。
>>115 鎖国(より正確には海禁)政策は世界経済が収縮期に入った17世紀には
妥当な政策だった(どの国も似たような貿易制限政策を採っていた)が
19世紀になってもそれを「祖法」とか称して維持していたのは完全な時代錯誤。
>>105 でもその場面が一番引き締まっていたのも確か。
若手であんな凄みが出せる役者は中々いないしorz
もとより真偽定かならずな桶町千葉の塾頭説だがこのドラマでは非確定w
剣に打ち込む先生弟子皆含め全否定やらかして任じられるはずもない
119 :
日曜8時の名無しさん:2010/02/06(土) 14:23:32 ID:xcvywDkH
>>117 同感。
若手は視聴率稼ぎどのドラマも。
ほんとに損得抜きの大河がみたいね。
みんな受信料払えよ!
120 :
日曜8時の名無しさん:2010/02/06(土) 14:24:49 ID:ZwSXKwjA
さな子が塾頭してたと証言してるよ、証拠は火事で焼けた時消失したのではないかなぁ
>>119 ビジュアルからすればあんな爺さんに容堂公をやって欲しくないんだがw、
何を考えているか分からないクセのある人間でなければ
と思うんだよね。
122 :
日曜8時の名無しさん:2010/02/07(日) 20:26:25 ID:6L7cTH1c
つかあの時点で容堂20代、東洋30代だからな
ドラマだから1人の役者が演じなければいけないのは分かるが
あまりにも実年齢とドラマ上の見た目が違いすぎ
松平春嶽も実際よりかなり爺さんにするのか…orz
役者そのものは最高の人たちだけに、もっとうまく使って欲しかったなぁ…orz
在野は若く、体制は老いたのと
単純な二元構図にしたいのかねえ
127 :
日曜8時の名無しさん:2010/02/14(日) 15:36:43 ID:YHC7CVyX
岡田以蔵:佐藤と龍馬:福山じゃ親子だよ。
128 :
日曜8時の名無しさん:2010/02/14(日) 19:25:35 ID:vCPxF2UW
草ぼうぼうな庭。
どろだらけの道。
家の庭に生えている草、木にたまわない違和感あり。
変なつくりの屋敷の部屋が気になってしょうがない。
障子も相変わらず、つぎはぎ、ほこりだらけの障子ばかり。
龍の絵を描いた紙はどこの紙だろうか?
文鎮も不思議な文鎮だった。なにかいわれのある品なの?
土佐の和紙は有名。
土佐の障子には見えないなあ?
話のつくりには慣れてきたが、武士らしいひとがいないのは
とっても違和感あり。
乞食の集会みたい。
129 :
日曜8時の名無しさん:2010/02/15(月) 14:57:29 ID:T2YtKgH0
今の文房具だって可愛いデザイン、渋いデザイン、実用的なデザインいろいろあるだろ?
それと同じで文鎮だってシンプルなものから凝ったデザインまで様々ある。
どんな文鎮だったか良く覚えてないんだがそんなに変な物だったのか。
よほどの上級武士でもない藩士の家なんてあんなもんじゃないの?
かえってリアル感があって興味深いけどね。
普通の時代劇が綺麗につくりすぎなだけ。
道だって誇りっぽい、茶色っぽいんだよ。舗装しいないんだもの。
同じNHKで放送した宮尾登美子原作「一絃の琴」のヒロインの家は
御祐筆の家だったけど、けして整然ではなかったぞ。
才谷家の分家である龍馬の家セットなんぞ、綺麗なほうだ。
131 :
日曜8時の名無しさん:2010/02/15(月) 17:52:16 ID:61+DqBy4
NHKの作戦成功!
近くに武家の屋敷跡ないの?
ふつうに立派だよ。
浪人の家じゃなくて、普通の武士の家。
旧家の屋敷。
土佐の郷士が特別で汚いのなら仕方ないが、
土佐の人間を馬鹿にしている。
NHKは最近ひどすぎる。
わざわざ汚くして誰にメリットがあるの?
学のある人間は騒がない。乞食みたいな武士ばかり。
>>131 可愛そうに、古写真とか見たことも無いんだね・・・
「一絃の琴」の舞台が土佐なのも知らないようだし。
まあ色々と勝手に妄想してれば。
黄ばんだ画面にそろそろ辟易
坂の上の澄んだ映像が貴重なものに思えてくる
134 :
日曜8時の名無しさん:2010/02/15(月) 22:28:40 ID:UPEgZWS8
>>132 かわいそうに、近くに昔の屋敷もないんだね。
本国に帰ったらいいのにw
コピペ野郎はスルーで
8時になる前に逆転されて、変えた人多かっただろうね。
朝鮮南部相手に劣勢の試合なんて堪えられんわな。。
上村愛子の惜敗と、岡田日本の惨敗で20%セーフとは、
どこまで好運なんだろう・・・。
137 :
日曜8時の名無しさん:2010/02/17(水) 01:18:27 ID:A0OxOV9e
2ちゃんで真面目には語れないか。
707 :日曜8時の名無しさん:2010/02/17(水) 08:25:52 ID:FLOze6ZC
しかし武市半平太ヲタのふりをして、この程度のことすら(ry
729 :日曜8時の名無しさん:2010/02/17(水) 11:44:11 ID:m99eo1kp
>>707 確かに下品だ、だがたとえが分かりやすいw
モリアーティ教授も一見知的で紳士に見えるからこそ
悪の親玉でもホームズのライバル足り得るわけで
それに、武市は借りにも上士に準じる武士だろうに、
他家の庭先でぎゃんぎゃんわめくは若さを引いても無いな
武市はもうすぐ死ぬかもしれんからあきらめるとして
シリアスなキャラは別の脚本家が描いたほうが演出と合う
龍馬土佐勤王党入党→萩行き→東洋暗殺→勝との出会い→神戸海軍操練所→亀山社中設立、
→長州行き→武市切腹、重要なエピソードはこんな感じか?
1エビソード一話として、このドラマのダイジェスト感だと早けりゃ、4月終わりくらいか?w
脚本的には武市のシーンは上がってそうだ、だから諦めるw
ああ、結成前だった、あの様子では結成した後かとw
新しい半平太像だ、江戸にも京にも行かないかもしれないぞ、この脚本ではw
それから、書かないから知らないと思うのはよせ
自分は面白いんだろ、それでいいじゃないか
730 :日曜8時の名無しさん:2010/02/17(水) 11:53:03 ID:m99eo1kp
受験生諸君!答案の片隅に書いておこう【書かないから知らないと思うのはよせ】
第6回のツボ(第6回/2.7放送)
吉田松陰を生瀬勝久さんが超熱演!
龍馬と松陰が出会うシーンは台本9ページ!!
最初から最後まで、一度も止めずにイッキに撮影。
セリフのNGはゼロ!!
出演者の皆さん、完ぺきに役に入っていました。
熱く語る松陰のひとつひとつが
龍馬の心を揺さぶります。
志士たちを突き動かした吉田松陰は必見です。
第6回 2010.02.07放送予定
「松陰はどこだ?」
道場を追い出された龍馬(福山雅治)は、することもなく時間をもてあましていた。
そこへ龍馬を心配した佐那(貫地谷しほり)が訪ねてくる。佐那は、定吉(里見浩太郎)に
謝罪して許してもらうように言うが、龍馬は自分が剣術をやる意味を見いだせない以上、
謝ることはできないという。龍馬が再び桂小五郎(谷原章介)を訪ねると、小五郎は吉田
松陰(生瀬勝久)にこそ話を聞くべきだと言う。龍馬が思い悩む間にペリー(Tハリス)が
再び来日し、龍馬は再び海岸警備に動員される。日本中に異国を排斥すべきという攘夷
運動が巻き起こる中、小五郎は龍馬を呼び出し、松陰を探しに出る。松陰はペリーの船に
乗り込もうとしていた。海の向こうに何があるのか自分の目で確かめたいという松陰は、
龍馬に、思い悩んでる暇があったらできることを今すぐに始めろと説教する。
一方、土佐では半平太(大森南朋)が意見書を藩に提出したが、上士ではないために
冷遇されてしまう。弥太郎(香川照之)もまた提出する。加尾(広末涼子)に意見書が
よくできていると褒められ気をよくした弥太郎は、加尾との結婚を・・・
また、松陰の言葉に感銘を受けた龍馬は、再び千葉道場の門をたたき、やがて佐那と・・・・・・
金子 重之輔
(かねこ しげのすけ、天保2年2月13日(1831年3月26日) - 安政2年1月11日(1855年2月27日))は幕末の長州藩士。
名は貞吉。別称に卯之助、直三郎、重輔。渋木松太郎、市木公太という変名を用いた。
幼時より白井小助、次いで土屋蕭海に学び、嘉永6年(1853年)家業を嫌って江戸に出て長州藩邸の雑役となる。
同年、熊本藩士・永島三平を伝にして吉田松陰と出会いその弟子となる。
嘉永7年(1854年)アメリカ合衆国の東インド艦隊再来に際して、松陰と共に渡米を計画して藩邸を脱走。
鳥山確斎の私塾に寄宿して、世界地誌を学びながら機会を窺った。
日米和親条約が締結されると、松陰と共に下田へ赴いて米艦に乗り込もうとするが、アメリカ側に拒否されたためにやむなく計画を中止、自首した。
その後、幕吏によって萩へ送還され、安政2年(1855年)野山獄で病没した。
近藤 長次郎
(こんどう ちょうじろう、天保9年3月7日(1838年4月1日) - 慶応2年1月14日(1866年2月28日))は幕末期の土佐藩出身の人物である。
名を春宗。別名は上杉宋次郎、近藤昶次郎、梅花道人。
高知城下の饅頭商人の息子として生まれ長次郎自身も饅頭を売り歩いていたため、はじめは名字がなく饅頭屋長次郎と呼ばれた。
幼少期から聡明で江戸に出て学問と砲術を学び、その才能を山内容堂にも認められて文久3年(1863年)に名字帯刀を許された上で、
神戸海軍操練所に入った。
同じく土佐藩出身である坂本龍馬とは仲が良く、龍馬と共に海援隊の前身である亀山社中を設立した。
長次郎は汽船・ユニオン号を購入したが、このときに長州藩とユニオン号の引渡し条件をめぐって諍いを起こしてしまう。
しかし龍馬が仲介したため、長州藩は謝礼金を支払ったといわれている。
長次郎は龍馬と同じく狭い日本にいるよりも世界に羽ばたく国際人になりたかったようであり、ユニオン号引渡しで
長州藩から得た謝礼金をイギリス商人のトーマス・グラバーに渡した上でイギリス船に乗り込んでイギリスに留学しようとした。
ところが天候悪化により出港が遅れたためにその計画が露見する。しかも長次郎は密かに亀山社中の資金を横流ししていた。
このため、これらの罪により社中の隊士たちより切腹を言い渡されることになる。
長次郎の切腹は、龍馬不在中に社中の隊士が決定したことである可能性が高い。享年29。
龍馬の妻であるお龍は後に回顧録「千里駒後日譚」(せんりのこまごじつのはなし)の中で
長次郎の訃報を聞いた龍馬が「己が居ったら殺しはせぬのぢゃった」とその死を悼んでいた
という証言を残している。
演じた俳優
大泉洋:『龍馬伝』(平成22年(2010年)、NHK)
第7回 2010.02.14 放送予定
「遥かなるヌーヨーカ」
江戸での剣術修行を終えた龍馬(福山雅治)は土佐に帰る。半平太(大森南朋)はかつての仲間たちから
先生と呼ばれるようになっていた。弥太郎(香川照之)は加尾(広末涼子)のおかげで江戸にいくことが
できるようになった。それを機に弥太郎は加尾に結婚の申し込むが断られてしまう。
あるとき、龍馬が弥太郎とともに土佐随一の絵師で学識者である河田小龍(リリー・フランキー)を訪ねると、
小龍の話を聞こうと多くの若者たちが集まっていた。そこで龍馬は、幼なじみの饅頭屋の近藤長次郎(大泉洋)
に出会う。長次郎は小龍の弟子となっていた。そこに半平太もやってきた。そしてついに姿を現す小龍。彼が
西洋文明がいかにすすんでいるかについて話しだすと、それを聞いた半平太は攘夷を主張し、弥太郎は異国船
など関係ないと言い、龍馬は黒船の影響は避けられないと言う。小龍は黒船を見たという龍馬に興味を抱き、
坂本家に押しかける。そのとき、父・八平(児玉清)が倒れてしまうが、小龍の知り合いの医者の手当てで
一命をとりとめる。坂本家の居心地が気に入ってしまった小龍はそのまま居ついてしまい、そして一枚の絵を
描き始める。
ある晴れた日、龍馬たちは一家総出で八平を桂浜に連れて行く。龍馬は海を眺める八平に、黒船を作って遠い
異国を家族と一緒に旅するのが夢だと語る。その数日後、八平は息を引き取る。坂本家を後にする小龍。その
小龍が坂本家に描いた絵には・・・
香川照之的おすすめシーン
(第7回/2.14放送)
ぼくはモニターでしか見ていませんが、
龍馬の父、坂本八平(児玉清)さんが亡くなるシーンが
第7回の最後のほうにあります。これは必見、最高のシーンです。
桂浜(の設定)の海辺で、龍馬が自分の夢を語り、
八平さんが「龍馬はそんなことを考えちょったか」と言う。
ただ、それだけのシーンなのですが、これがいい!
第6回まで『龍馬伝』を見ていなかった人が
この場面だけを見てもきっと泣ける、というすごくいいシーンです。
今回の大河ドラマの名シーンの1つになると思いますね。
ジョン万次郎
(ジョン まんじろう、文政10年1月1日(1827年1月27日) - 明治31年(1898年)11月12日)は、幕末の日本で、黒船来航でも知られる日米和親条約の
締結に尽力した人物である。その後、通訳・教師などで活躍した。ジョン・マン(John Mung)とも呼ばれた。本名は中濱 萬次郎(なかのはま まんじろう)。
「ジョン万次郎」という呼称は、『ジョン萬次郎漂流記』(井伏鱒二)で用いられたため広まった(それ以前には使用されていない)。
文政10年(1827年) - 土佐国中濱村(現在の高知県土佐清水市中浜)の貧しい漁師の次男に生まれた。寺子屋に通う余裕が無かったため、読み書きも殆ど出来なかった。
天保12年(1841年) - 15歳の時に漁師の手伝いで漁に出て漁師仲間と共に遭難し、5日半の漂流後、奇跡的に太平洋に浮かぶ無人島の鳥島に漂着して143日間生活した。
そこでアメリカの捕鯨船ジョン・ハウランド号に仲間と共に救助される。日本はその頃鎖国していたため、漂流者のうち年配の者達は寄港先のハワイで降ろされるが、
船長のホイットフィールドに気に入られた万次郎は本人の希望からそのまま一緒に航海に出る。生まれて初めて世界地図を目にし、世界における日本の小ささに驚いた。
この時、船名にちなみジョン・マン(John Mung)の愛称をアメリカ人からつけられた。
同年、アメリカ本土に渡った万次郎は、ホイットフィールド船長の養子となって一緒に暮らし、1843年にはオックスフォード学校や1844年にはバーレット・アカデミーで
英語、数学、測量、航海術、造船技術などを学ぶ。彼は寝る間を惜しんで熱心に勉強し、首席となった。民主主義や男女平等など、彼にとって新鮮な概念にも触れる。
学校を卒業後は捕鯨船に乗り組む道を選び、1846年から数年間は近代捕鯨の捕鯨船員として生活していたが、日本に帰る事を決意、帰国の資金を得るため、ゴールドラッシュ
であったカルフォルニアへ渡り、金鉱にて金を採掘する職に就く。そこで得た資金を持ってハワイに渡り、土佐の漁師仲間と再会する。そして上海行きの商船に漁師仲間と
共に乗り込み、購入した小舟「アドベンチャー号」も載せて日本へ向け出航した。
嘉永4年(1851年)、25歳の時、薩摩藩に服属していた琉球にアドベンチャー号で上陸を図り、番所で尋問を受けた後に薩摩本土に送られた。海外から鎖国の日本へ帰国した
万次郎達は、薩摩藩や江戸幕府の長崎奉行所などで長期間尋問を受ける。
1852年に河田小瀧が取り調べ報告書「漂巽紀略」を書く。
その際に薩摩藩主・島津斉彬がその英語・造船知識に注目した。これが縁で薩摩藩の洋学校(開成所)で英語の講師をしている。
嘉永6年(1853年)、帰国から約2年後に何とか土佐に帰ることができたが、当時ペリーの来航によって幕府はアメリカの知識を必要としていたことから、幕府に召聘され
江戸へ行き、直参の旗本と軍艦教授所教授に任命され、その際、生まれ故郷の地名を取って「中濱」の苗字が授けられた。
河田 小龍
(かわだ しょうりゅう、文政7年10月25日(1824年12月15日) - 明治31年(1898年)12月19日)は日本画家。
通称蔦太郎、本名は維鶴(いかく)、号は小梁、?山のちに小龍。
1824年(文政7年)10月25日、高知片町水天宮下、土生玉助の長男に生まれる。祖父の川田金衛門の生家川田を継ぎ川田性になる。
幼少のころより島本蘭渓に画を学び、16歳のころ藩儒学者岡本寧浦の門下に入る。
1844年(弘化元年)吉田東洋に従い京に遊学、狩野永岳に師事する。1848年(嘉永元年)の二条城襖絵修復の際には師とともに従事。
1852年(嘉永5年)米国より帰国した漁師中浜万次郎の取り調べに当たりその口伝を漂巽記略に記す。
1879年(明治12年)に隠居し家督を譲る。1893年(明治26年)京都の居住の子蘭太郎の元に移る、
内国勤業博覧会外展覧会にて賞を受ける。1889年(明治22年)京都疏水建設工事図面を執筆する。
1898年(明治31年)12月19日没。
小龍は絵だけでなく学問に対しても熱心で、藩儒・岡本寧甫(ねいほ)の下で儒学などを学んだ。
岡本寧甫は高名な学者で、その塾生は千人を超えるといわれ、小龍以外にも岩崎弥太郎や中江兆民、
坂本龍馬などが弟子あるいは孫弟子として名を連ねている。
小龍に対して更に大きな影響を与えたのが吉田東洋。当時浦戸の船奉行だった東洋は、小龍の父親の
上司という立場にあり、更に岡本寧甫とも交友があった関係で、以前から小龍には目を掛けていたようだ。
高知に戻った小龍は、自宅に画塾「墨雲洞(ぼくうんどう)」を開き、下級武士や町民たちを
相手に絵や学問を教え始めた。この墨雲洞は、世の中の動きや日本の将来についての議論を
交わす場ともなり、多くの人びとがその門を叩いた。塾生の中には、後に亀山社中や海援隊
に参加することになる長岡謙吉や近藤長次郎、新宮馬之助、岡崎参三郎などもいたようだ
1852年、小龍は吉田東洋から「約10年ぶりに日本に戻ってきたジョン万次郎の取り調べを行うように」
という命を受けた。日本を離れていた約10年間に、すっかり日本語を忘れてしまっていた万次郎との
コミュニケーション手段として、絵が役立つことを、もしかしたら東洋は分かっていたのかもしれない。
日本語を忘れている万次郎の取り調べには、相当な苦労があったようだ。小龍は万次郎と寝食を共にし、
徐々に互いの理解を深めていった。そして、万次郎から聞かされるアメリカの発展ぶり(鉄道、蒸気船、
モールス信号、選挙制度など)に興奮し、改めて開国への思いを強くした。この時、万次郎から聞き
取った内容をまとめたものが「漂巽紀略(ひょうそんきりゃく)」である。
1853年、ペリー提督率いる黒船が浦賀に現れた。外国の発展ぶりをよく知っていた小龍は、
「現時点で彼らと戦争をしたところで到底勝ち目などない」ということを弟子たちに話した。
そんな小龍の前にやってきたのが坂本龍馬。龍馬は小龍に対して、日本のこれからについて
の意見を求めた。小龍は万次郎から聞いたアメリカの現状を踏まえ、開国の必要性や外国に
追いつくための方法などについての意見を言いました。龍馬は小龍の話に大いに感化された
と言われている。この時のエピソードは小龍の著書「藤陰略話(とういんりゃくわ)」に残されている。
「日本と外国では商売の優劣や戦いの勝敗を決める海軍力に雲泥の違いがある。
いくら攘夷と息巻いても、日本の今の力では彼らの海軍力を負かすことは到底不可能だし、
かといって外国の要求に応じて開国したとしても、すっかり占領されてしまわないように
攘夷に備えておくことも必要である。
ここは何としてでも渡航船を調達して、志のある船員を養成し航海術を習得させなければ
ならない」と熱く説いた。
これを聞いた坂本龍馬はとても感動して「わかりました、その船は私が調達しましょう」
と河田小龍に約束した。
坂本龍馬はこの河田小龍によって、海外に目を向けていくことになる。
小龍「外国の汽船を買い求め、同志を集めて乗組員とし、旅客や官私の荷物を東西に運搬して、
その運賃を得ながら同時に航海術を練習することが富国強兵への道である」
龍馬「僕は若い頃から剣術を好んできたが、剣では所詮一人の敵しか相手にできない。
外国に勝つためには何か大業を成さなければ、志を果たすことは難しいと思っていた。
君の意見は僕の考えと一致する。これからは互いに協力しよう」
「船は金策さえできれば手に入るわけだが、これを運用する同志がなければ何の用にも
立たない。僕はこの点について悩んでいるのだが、何か工夫があるか聞きたい」
小龍「従来より俸禄に満足している人に志がない。在野にいる優秀な人物は、志はあるが
行動を起こすための金銭が無く、何もできないでいることを嘆き憤る者も少なくない。
この者たちを教育すれば人材を確保することができる」
龍馬「もっともの意見だ。これから君は内にて同志の教育に専念して欲しい。僕は外にて汽船を
手に入れることに骨を折ることにする」
吉田 東洋
(よしだ とうよう、文化13年(1816年) - 文久2年4月8日(1862年5月6日))は、日本の武士・土佐藩士、政治家。土佐藩参政。
父は土佐藩馬廻役吉田光四郎正清、後藤象二郎は甥に当たる。
天保8年(1837年)、口論から家僕を殺害して篭居する。天保12年(1841年)、父の正清が死去により家督を相続する。
翌天保13年に出仕し、9月に船奉行に登用、同年11月には郡奉行に転身して民政に携わる。土佐藩主山内豊熈の進める藩政改革に
取り組み、飢饉に備えて藩営の済営倉の設立を進言する。弘化2年(1845年)には病のため、役を退いて療養。弘化4年(1847年)に再出仕。
人事や法令改正、海防などの意見書をまとめ、「時事五箇条」として上程している。
元年(1848年)には藩主豊熈が死去し、12月に役を退く。嘉永4年(1851年)には近畿地方を遊歴し、国学者の鹿持雅澄、伊勢の漢学者
斉藤拙堂など諸国の学者を訪ねて師事し、江戸に出て藤田東湖・塩谷宕陰・安井息軒らと親交を結ぶ。剣術は一刀流・大石神影流を学ぶ。
土佐藩主山内容堂から参政に起用され、富国強兵論などを主張した藩政改革を行うが、保守派の反対にあい免職。後に情勢が変化した後復職し、
門閥政治打破・流通機構の統制強化・洋式兵器の採用などの改革を行なうが、尊皇攘夷を唱える土佐勤王党の那須信吾・大石団蔵・安岡嘉助に暗殺される。
東洋死後のある日、酒の席で山内容堂が家臣に「俺は戦国武将で言えば誰に似てるか?」と尋ねた。家臣が「恐れながら毛利元就」と答えると、
容堂は寂しそうに「東洋なら、織田信長と答えただろう」と言ったという。
関連する作品
NHK大河ドラマ 「龍馬伝」(2010年 吉田東洋:田中泯)
コピペ馬鹿がウサ晴らし
自ら自分達の評判さげる福山ヲタってほんとにアホだ
154 :
日曜8時の名無しさん:2010/02/20(土) 22:29:23 ID:aegnQns4
実におもしろい
龍馬は本年度の本命
156 :
日曜8時の名無しさん:2010/02/20(土) 23:41:56 ID:tu3Z6/hP
お笑い番組として、面白い。
157 :
日曜8時の名無しさん:2010/02/21(日) 19:39:38 ID:gIx/vjL0
ますます弥太郎が汚くなっていく。
また三菱が怒りそう。
158 :
日曜8時の名無しさん:2010/02/21(日) 20:18:16 ID:ezesZ6sQ
汚れすぎだね・・。
器物損壊で牢屋入りかい・・
しかも龍馬にそそのかされて
炊きつけられて・・
転んでもタダでは起きない弥太郎が
牢屋生活で開眼するんですけど・・
「んなアホな」の連続のお笑いは
新しい大河なのでしょうか?
159 :
日曜8時の名無しさん:2010/02/21(日) 22:34:54 ID:gIx/vjL0
牢獄で東洋に認められる。
で、長崎に行って、藩の金、浪費しちゃうんだよね。
160 :
日曜8時の名無しさん:2010/02/21(日) 23:34:06 ID:tj/eBtOJ
弥太郎→→→三菱銀行→東京三菱銀行→三菱東京UFJ銀行
弥太郎→→→三菱信託銀行→三菱UFJ信託銀行
弥太郎→→→→→三菱商事株式会社
弥太郎→→→→→三菱重工業株式会社
弥太郎→→→→→三菱電機株式会社
弥太郎→→→→→三菱化学株式会社
弥太郎→→→→→三菱自動車株式会社
弥太郎→→→→→三菱レイヨン株式会社
弥太郎→→→→→三菱製紙株式会社
弥太郎→→→→→麒麟麦酒株式会社
武市 瑞山
(たけち ずいざん)、文政12年9月27日(1829年10月24日) - 慶応元年閏5月11日(1865年7月3日)は、日本の武士・土佐藩郷士。土佐勤王党の盟主。
通称は半平太であり、武市半平太(たけち はんぺいた)と呼称されることも多い。幼名は鹿衛、諱は小楯(こたて)。瑞山は号。位階は贈正四位(1891年(明治24年)4月8日)。
妻は土佐藩郷士島村氏の娘の富子。子女はなし。坂本龍馬とは遠縁にあたる。
武市家はもともと土地の豪農であったが、瑞山より5代前の半右衛門が享保11年(1726年)に郷士に取り立てられた。文政5年(1822年)には白札に昇格した。
「白札」とは身分としては郷士だが、当主は上士に準ずるといったあつかいである。
嘉永2年(1849年)、城下の新町で剣術道場を開く。なお、この道場の門下には中岡慎太郎、岡田以蔵等もおり、後の土佐勤王党の母体となる。
安政3年(1856年)、江戸へ出て鏡心明智流の桃井春蔵に学び、塾頭となる。江戸では桂小五郎、久坂玄瑞、高杉晋作など尊皇攘夷派の長州藩士とも交流する。
文久元年(1861年)、一藩勤皇を掲げて坂本龍馬、吉村寅太郎、中岡慎太郎らの同士を集めて、江戸にて土佐勤王党を結成、2年後には192名が連判に参加。
文久2年(1862年)には、藩主山内豊範への進言を退けた土佐藩参政で開国・公武合体派の吉田東洋暗殺を指令。暗殺後東洋派重臣を藩の要職から追放し、
新たに要職に就いた守旧派を傀儡として藩政の実権を掌握。藩主山内豊範を奉じて京に進出する。上洛後は藩の他藩応接役として他藩の志士たちと関わる
一方で、幕府に対して攘夷実行を命じる勅使を江戸に派遣するための朝廷工作に奔走する。これらの動きが功を奏し朝廷が攘夷の朝議を決した際、一橋慶喜が
これをくつがえそうと入京を画策したが、武市は裏工作によりこれを一時妨害することに成功している。・・・・・
・・・・・
京では数々の佐幕派暗殺に関与し、天誅、斬奸と称して刺客を放ち、政敵を暗殺させた(武市の下で動いた人物では、岡田以蔵、薩摩藩の田中新兵衛が有名)。
同年秋には朝廷から幕府に対して攘夷催促する勅使の江戸東下に、副使姉小路公知の雑掌となり、柳川左門という変名で江戸に随行した。
文久3年(1863年)1月、白札から上士格留守居組に出世。さらに3月には京都留守居加役となる。だがこれは過激な土佐勤王党を懐柔するための山内容堂の策謀であったとも考えられる。
文久3年8月18日(1863年9月30日)に会津藩と薩摩藩が結託したクーデターである八月十八日の政変で長州藩が中央政界で失脚すると同時に、事態は一転し、
勤王派は急速に衰退し、代わって公武合体派が主導権を握る。土佐藩においても、公武合体派の前藩主で老公と呼ばれた山内容堂の影響力が再び増すこととなる。
瑞山は同年4月に、薩長和解調停案の決裁を山内容堂に仰ぐために帰国していたが、6月、捕縛されていた側近の平井収二郎、間崎哲馬、弘瀬健太が青蓮院宮の令旨を盾に藩政改革を
断行しようとしたことを理由に切腹を命じられ、自身も政変後まもない9月に逮捕、投獄。他の勤王党同志も次々と捕縛される。一年半の獄中闘争のなか、
まだ捕まっていない同志を思い、吉田東洋暗殺も否定し続けたという。
だが、後に捕縛された岡田以蔵の自白により瑞山の罪状はおおむね決定したが、それでも東洋暗殺を否定し、老公・容堂に慶応元年閏5月11日(1865年7月3日)
「君主に対する不敬行為」という罪目で切腹を命ぜられる。享年36。未だ誰も為し得なかった三文字の切腹を成し遂げて、武士の気概を見せたと伝わる。
辞世の歌は、「ふたゝひと 返らぬ歳を はかなくも 今は惜しまぬ 身となりにけり」である。
維新後、山内容堂は武市を殺してしまったことを何度も悔いていたという。ある時などは、酔いつぶれて「半平太ゆるせ、半平太ゆるせ」とうわ言を言っていたとも伝えられる。
言説さわやかで人格も高潔にして誠実、武士道仁義を重んじていた。瑞山は1歳年下の妻、富子とは睦まじい暮らしぶりであったとされる。
そんな武市の人格から、実際にこんな逸話が語り継がれているらしい。
武市が江戸剣術修行で鏡心明智流の桃井道場へ通っていた頃に塾生の中に女や酒に走ってしまう者がいた。武市は道場主の桃井に訴えて
自ら模範を示し、至誠を持って塾生らを説いて回った。その結果、乱れた風紀は正され、塾生達の技量も上達し、桃井は武市を高く評価し
その尽力に感謝したといわれている。
また別の逸話であるが、武市夫妻に子が授からないことを心配した吉村が、富子に七去を説いて実家へ帰らせ、その留守に若い娘を女中と
して送り込んだが、武市は次々と送り込まれた娘たちに手をつけず、吉村の計略に気づいて、吉村を叱りつけたという。
また、山内容堂が土佐勤王党の弾圧への動きを見せ始めていた時、武市は薩長和解調停案に関連して帰国をすることとなった。彼の身を案じた
盟友の久坂玄瑞はしきりに長州への亡命を勧めたと言われるが、武市はその厚意に感謝の意を述べつつも君臣の義理などを理由にこれを断ったと言う。
藩に対する忠誠心は皮肉なことに自らの死を速める結果にもなってしまった。
剣の腕も一流で教養もあり、指導者としての資質を十二分に持ち合わせていた。芸術方面では南画の腕もあり、獄中自画像や美人画など多くの優れた作品を残している。
武市が投獄されて死ぬまでの1年9ヶ月、富子は毎日3食を欠かさず牢に差し入れ、また夫を慰めるため書籍や自作の押絵なども共に差し入れていたという。
瑞山の切腹の際に身につけたのも、富子が縫いあげて届けた死装束であった。富子は大正6年(1917年)まで存命し、墓所は高知県高知市で武市の傍にある。
武市の人格を評するには「一枝の寒梅が春に先駆けて咲き香る趣があった」や「人望は西郷、政治は大久保、木戸(桂)に匹敵する人材」といった言葉が
残されている事からも、高潔な人物であったことがうかがえる。
一方で、身分が低く粗野な岡田以蔵をひそかに軽蔑していたともいわれ、そうした内容の手紙を、実弟や実家に対して書き送っている。
維新後、木戸孝允は旧土佐藩主山内容堂との酒の席で酔い「殿はなぜ武市を斬りました?」と容堂をなじったが、容堂は「藩令に従ったまでだ」と答えたきりだったといわれる。
関連するテレビドラマ
『竜馬がゆく』(1968年、NHK大河ドラマ 演:高橋英樹)
『勝海舟』(1974年、NHK大河ドラマ 演:伊藤孝雄)
『新選組!』(2004年、NHK大河ドラマ 演:デビット伊東)
『龍馬伝』(2010年、NHK大河ドラマ 演:大森南朋)
岡田 以蔵
(おかだ いぞう、天保9年(1838年) - 慶応元年5月11日(1865年6月4日))は、土佐の郷士で土佐勤王党に加わった幕末四大人斬りの一人。
「人斬り以蔵」と呼ばれた。諱は宜振(よしふる)。
嘉永元年(1848年)、土佐沖に現れた外国船に対する海岸防備のために父義平が藩の足軽として徴募され、そのまま城下の七軒町に住むようになり、
以蔵自身はこの足軽の身分を継いでいる。
武市瑞山(半平太)に師事し小野派一刀流剣術を学ぶ。武市の門を叩く前にも、我流ながらかなりの剣術の腕前であった。武市に従い江戸に出て、
鏡心明智流剣術を桃井春蔵の道場・士学館で学ぶ。
万延元年(1860年)、武市に従って中国、九州で武術修行する。その途中、豊後岡藩で武市と別れ、以蔵のみ岡藩にとどまり直指流剣術を学ぶ。
その後、武市の結成した土佐勤王党に加盟。しかし、なぜか後に名簿から削られている。武市の意向なのか分からないが、暗殺の現場には、
武市の指示に従って進んで出ている。武市が、教養の無い以蔵を、ただ単に暗殺の道具として使ったともいわれている。
土佐藩下目付けの井上佐一郎をはじめ、同志の本間精一郎や池内大学、森孫六・大川原重蔵・渡辺金三・上田助之丞などの京都町奉行の役人や
与力、長野主膳(安政の大獄を指揮した)の愛人 村山加寿江の子多田帯刀などを天誅と称して暗殺(村山加寿江は橋に縛りつけられ生き晒しにされた)。
薩摩の田中新兵衛と共に「人斬り以蔵」と呼ばれ恐れられた。
八月十八日の政変後、勤王党は失速。武市が土佐に戻ると以蔵は土井鉄蔵と名を変え、一人京都に潜伏した。しかし元治元年(1864年)6月頃、幕吏に捕えられ
入墨のうえ京洛追放、と同時に土佐藩吏に捕われ国もとへ搬送される。土佐藩では吉田東洋暗殺・京洛における一連の暗殺について土佐勤王党の同志がことごとく
捕らえられ、上士格の武市瑞山を除いて厳しい拷問を受けた。以蔵も過酷な拷問に耐えたが、遂に全てを白状し、慶応元年(1865年)5月11日に打ち首、晒し首となった。
辞世の句は「君が為 尽くす心は 水の泡 消えにし後ぞ 澄み渡るべき 」。
・・・・・・
最近の研究では実際には性格は粗く酒色を好んだとされ、殊に晩年は土佐勤王党の仲間からさえ疎まれていたようである。
以蔵が捕縛されたと知った武市半平太は、実家への手紙で「あのような安方(あほう)は早々と死んでくれれば良いのに、
おめおめと国許へ戻って来て、親がさぞかし嘆くであろう」と、以蔵に良い感情を持っていなかったことが伺われる。
以蔵はまた、家が七軒町にあったことから「七以」と軽蔑的に呼ばれていたことも、田内恵吉(武市の実弟)などの書簡
として伝えられる。
一説によれば、以蔵の捕縛を知った武市は彼の自白によって他の同志が危険に晒されるのを恐れ、自分に心酔した牢役人を
通じて以蔵に毒を盛ろうとしたとさえ言われている。これは小説をはじめ広く知られるエピソードで、それらによればこの際、
武市は性根の弱い以蔵が拷問に簡単に屈してしまうと心配したとか、以蔵が軽輩故に他の同士より一層激しく耐え難い拷問に
遭うであろうと予想した、また、毒を送られた以蔵はそれを(毒とは知らずに)服んだが死なず拷問に屈して白状したとか、
毒を見破って憤りのあまり自白に及んだなどと様々に解釈されている。
こうした点が、武市から見た以蔵が「ただの暗殺の道具」に過ぎなかったのではないか、とされる所以である。
以蔵が晩年、武市らから冷遇されていた理由について諸書の記述によれば、他の同志より身分が低く教養が無いことによる
差別的感情、彼が手がけた数々の暗殺が露見することにより他の同志に累が及ぶ危機感、彼が自刃してしまえばその露見が
防げるにも拘らず彼自身がそれを行わなかったことに対する焦燥感や怒り、さらに“尊王攘夷・倒幕”を旨とする土佐勤王党に
属しながら“開国派・幕臣”の勝海舟らの護衛を行うなどしたことにより“剣術こそ強いが確固たる思想・信念を持たぬ者”
として軽蔑されたこと、などが原因ではないかと考えられている。
岡田以蔵による要人護衛
勝海舟(文久三年)
勝海舟の自伝「氷川清話」によると、坂本龍馬の口利きで岡田以蔵が勝海舟の護衛を行った。
3人の暗殺者が襲ってきたが、以蔵が1人を切り捨て一喝すると残り2人は逃亡した。その際、
勝が「君は人を殺すことをたしなんではいけない。先日のような挙動は改めたがよからう」
と諭したが、以蔵は「先生それでもあの時私が居なかったら、先生の首は既に飛んでしまつて
居ませう」と返した。勝は「これにはおれも一言もなかったよ」と言っている。
ジョン万次郎
中浜家の家伝(『中浜万次郎 -「アメリカ」を初めて伝えた日本人-』
(中浜博、2005年))によると、岡田以蔵はジョン万次郎の護衛も行っていた。勝海舟が自分の
護衛をした岡田の腕を見込んで万次郎の護衛につけたという。万次郎が建てた西洋式の墓を参りに
行った時、4人の暗殺者が万次郎を襲ったが、以蔵はその4人以外に伏兵が2人隠れていることを
察知して、万次郎にむやみに逃げず墓石を背にして動かないように指示し、襲ってきた2人を切り捨てた。
残った4人は逃亡した。
テレビドラマ
『竜馬がゆく』(1968年・NHK大河ドラマ 岡田以蔵:前田吟)
『勝海舟』(1974年・NHK大河ドラマ 岡田以蔵:萩原健一)
『龍馬伝』(2010年・NHK大河ドラマ 岡田以蔵:佐藤健)
山内 容堂 / 豊信
(やまうち ようどう / とよしげ)、文政10年10月9日(1827年11月27日) - 明治5年6月21日(1872年7月26日)は、日本の武士・外様大名・土佐藩15代藩主
(在任期間:嘉永元年12月27日(1849年1月21日) - 安政6年(1859年)2月)。諱は豊信。容堂は隠居してからの号。
酒と詩を愛し、自らを「鯨海酔侯(げいかいすいこう)」と称した。藩政改革を断行し、幕末の四賢侯の一人として評価される一方で、当時の志士達からは、
幕末の時流に上手く乗ろうとした態度を、「酔えば勤皇、覚めれば佐幕」と揶揄された。
文政10年(1827年)生まれ。豊信生家である山内南家は石高1500石の分家で、連枝五家の中での序列は一番下であった。通常、藩主の子は江戸屋敷で生まれ育つが、
豊信は分家の出であったため高知城下で生まれ育った。
13代藩主・山内豊熈、その弟で14代藩主・山内豊惇が相次いで急死した。豊惇は藩主在職僅か12日という短さでの急死で山内家は断絶の危機に瀕した。
豊惇には実弟(後の16代藩主・山内豊範)がいたがわずか3歳であったため、分家で当時22歳の豊信が候補となった。豊熈の妻・智鏡院(候姫)の実家に当たる
薩摩藩などの後ろ盾により老中首座であった阿部正弘に働きかけ、豊惇は病気のため隠居したという形をとり、嘉永元年12月27日、豊信が藩主に就任した。
藩主の座に就いた豊信は門閥・旧臣による藩政を嫌い、革新派グループ「新おこぜ組」の中心人物・吉田東洋を起用した。
嘉永6年(1853年)東洋を新たに設けた「仕置役(参政職)」に任じ、家老を押しのけて藩政改革を断行した。翌、安政元年(1854年)6月、東洋は山内家姻戚に
当たる旗本・松下嘉兵衛との間にいさかいをおこし失脚、謹慎の身となった。しかし3年後の安政4年(1857年)東洋を再び起用し、東洋は後に藩の参政となる
後藤象二郎、福岡孝悌らを起用した。
豊信は福井藩主・松平春嶽、宇和島藩主・伊達宗城、薩摩藩主・島津斉彬とも交流を持ち幕末の四賢侯と称された。
彼らは幕政にも積極的に口を挟み、老中・阿部正弘に幕政改革を訴えた。阿部正弘死去後、大老に就いた井伊直弼と将軍世継問題で真っ向から対立した。
13代将軍・家定が病弱で嗣子が無かったため、容堂ほか四賢侯、水戸藩主・徳川斉昭らは次期将軍に一橋慶喜を推していた。
一方、井伊は紀州藩主・徳川慶福を推した。井伊は大老の地位を利用し政敵を排除した。いわゆる安政の大獄である。結局、慶福が14代将軍・家茂となる
ことに決まった。容堂はこれに憤慨し、安政6年(1859年)2月、隠居願いを幕府に提出した。この年の10月には斉昭・春嶽・宗城らと共に幕府より謹慎の命が下った。
前藩主の弟・豊範に藩主の座を譲り、隠居の身となった当初、忍堂と号したが、水戸藩の藤田東湖の薦めで容堂と改めた。
容堂は、思想が四賢侯に共通する公武合体派であり、単純ではなかった。藩内の勤皇志士を弾圧する一方、朝廷にも奉仕し、
また幕府にも良かれという行動を取った。このため幕末の政局に混乱をもたらし、のち政敵となる西郷隆盛から「単純な
佐幕派のほうがはるかに始末がいい」とまで言わしめる結果となった。
謹慎中に土佐藩ではクーデターが起こった。桜田門外の変以降、全国的に尊皇攘夷が主流となった。土佐藩でも武市瑞山を
首領とする土佐勤王党が台頭し、容堂の股肱の臣である吉田東洋と対立。遂に文久2年4月8日(1862年5月6日)東洋を暗殺
するに至った。その後、瑞山は門閥家老らと結び藩政を掌握した。
文久3年8月18日(1863年9月30日)京都で会津藩・薩摩藩による長州藩追い落としのための朝廷軍事クーデター
(八月十八日の政変)が強行され、長州側が一触即発の事態を回避したため、これ以後しばらく佐幕派による
粛清の猛威が復活した。容堂も謹慎を解かれ、土佐に帰国し、藩政を掌握した。以後、隠居の身ながら藩政に
影響を与え続けた。容堂は、まず東洋を暗殺した政敵・土佐勤王党の大弾圧に乗り出し、党員を片っ端から
捕縛・投獄した。首領の瑞山は切腹を命じられ、他の党員も死罪などに処せられ、逃れることのできた党員は
脱藩し、土佐勤王党は壊滅させられた。同年末容堂は上京し、朝廷から参預に任ぜられ、国政の諮問機関である
参預会議に参加するが、容堂自身は病と称して欠席が多く短期間で崩壊した。
東洋暗殺の直前に脱藩していた土佐の志士たち(坂本龍馬・中岡慎太郎・土方久元)の仲介によって、
慶応2年(1866年)1月22日、 薩長同盟が成立した。これによって時代が明治維新へと大きく動き出した。
慶応3年(1867年)5月、薩摩藩主導で設置された四侯会議に参加するが、幕府権力の削減を図る薩摩藩の主導を嫌い、
欠席を続ける。結局この会議は短期間で崩壊。しかし6月22日には京都において、中岡慎太郎・坂本龍馬の仲介により、
薩摩の小松帯刀・大久保利通・西郷隆盛と土佐の後藤象二郎・板垣退助・福岡孝弟・寺村左膳・間部栄三郎が会談し、
幕府排除と王政復古のための薩土同盟が成立した。これにより、土佐藩全体が徐々に倒幕路線に近付いていくことになった。
容堂は自身を藩主にまで押し上げてくれた幕府を擁護し続けたが、倒幕へと傾いた時代を止めることは出来なかった。
幕府が委託されている政権を朝廷に返還する案および「船中八策」を坂本龍馬より聞いていた時の藩参政・後藤象二郎は
これらを自分の案として容堂に進言した。容堂はこれを妙案と考え、老中板倉勝静らを通して15代将軍・徳川慶喜に建白した。
これにより慶応3年10月14日(1867年11月9日)、慶喜は朝廷に大政奉還した。
演じた俳優
徳大寺伸:『竜馬がゆく』(1968年、NHK大河ドラマ)
臼井正明:『勝海舟』(1974年、NHK大河ドラマ)
嵐圭史:『翔ぶが如く』(1990年、NHK大河ドラマ)
塩屋俊:『徳川慶喜』(1998年、NHK大河ドラマ)
近藤正臣:『龍馬伝』(2010年、NHK大河ドラマ)
尊王攘夷運動
江戸時代末期に展開された反幕排外運動。その思想的基盤となったのは、藤田東湖、会沢安(正志斎)らが
唱えた水戸学である。幕府は安政1(1854)年、日米和親条約に調印し、その批准を朝廷に求めた。海外事情に
うとい朝廷は、攘夷論の拠点であった水戸藩の働きかけもあって勅許を与えなかった。他方、はなはだしく
貧困化し幕政への不満をつのらせていた諸藩の下級武士層は、夷狄(いてき)として排斥すべき西洋諸国の
圧力に屈して、幕府が国交を開くのをみて憤激した。同5年おりから将軍継嗣問題で紛糾していた幕府は、
井伊直弼が大老に就任し、勅許を待たずに反対派を押切って日米通商条約に調印、次いで安政の大獄を断行した。
外国貿易に伴う物価騰貴によって生活がさらに圧迫された下級武士層は、以後朝廷の尊攘派公家と結んで活発な
攘夷運動を展開していく。諸藩でも、初め水戸藩、次いで長州藩が諸藩として尊攘を掲げ攘夷親征の挙が宣言
されるにいたったが、文久三年八月十八日の政変で公武合体派にやぶれたこと、鹿児島、下関における四国艦隊
との交戦(四国艦隊下関砲撃事件)を通じて攘夷の無謀さが認識されたことなどの理由で、攘夷運動は急速に
衰退し、以後は尊王倒幕の方向となって展開され、明治維新の原動力となった。
ID:ZVQqe3te
「龍馬伝」を真面目に語れボケw
172 :
日曜8時の名無しさん:2010/02/28(日) 14:38:04 ID:J6T6AhbS
知識が邪魔するドラマってそうそうないけど実に突っ込みどころ満載。
時系列の不一致にイライラする・・どうにかならんか?
ねぇ、武市先生って高潔で皆から尊敬された偉大な人なんだよ。
暗殺に関与って実際はウソだとうことを皆さん知ってるよね。
なんで今に至るまで土佐の奇跡みたいに言われる偉人が暗殺に関与してる
という人がいるんだろう。ありえない
武市先生の門下の人が勝手にやったけど、武市がその司令塔に
思われてるだけ。武市の知らないところで、ケンカしか能のない
以蔵とか数人の下っ端がむしゃくしゃして殺しまわったり、武市の
意見に相反するということで勝手にやっただけなのに。
まぁ武市の傘下にいた人間の仕業だからその大ボスのせい、という
日本人的発想とはいえ、武市は何も知らなかったのに。
174 :
日曜8時の名無しさん:2010/02/28(日) 19:16:27 ID:OUoFZbgJ
龍馬と武市は幼馴染じゃなくて親戚だよ。
琢磨は、武市夫人の親戚って、そういう説もあるの?
龍馬の父・八平さんの生家=山本家の嫡流ではなくて?
177 :
日曜8時の名無しさん:2010/03/07(日) 01:08:40 ID:8307jSau
178 :
日曜8時の名無しさん:2010/03/07(日) 19:29:37 ID:gA/ssHiZ
いよいよ安政の大獄のはじまり。
井伊の勅許なしの暴挙に尊攘派が怒りまくる→井伊の尊攘派の粛清。
時代が大きくうごく。
179 :
日曜8時の名無しさん:2010/03/07(日) 20:56:39 ID:l6P7vdEp
岩瀬震忠、萌え
181 :
日曜8時の名無しさん:2010/03/08(月) 23:33:51 ID:t7PHEANh
182 :
日曜8時の名無しさん:2010/03/09(火) 05:34:35 ID:6VkFmlL4
>>173 マジ?
知らんかった。
なら、はっきりさせなきゃ、このドラマで。
183 :
日曜8時の名無しさん:2010/03/12(金) 00:28:42 ID:ph0XjVEU
とにかく映像がいいね、龍馬伝は。
キャストでは岩崎弥太郎(香川照之)がホントすばらしい。
ストーリーにも説得力があって、シリアスになりすぎないから見ていて疲れな
いし飽きない。あとはこれをどこまで保てるか。
毎年初めの5話〜10話で終わってしまうからなあ・・
えーと、タイムスクープハンター沢嶋雄一はどのシーンで出てた?
安政の大獄は容堂の蟄居だけで終了かよ。
松蔭の刑死場面を入れてほしかったなー。
龍馬伝、ペースが遅いと言われるが、
井伊暗殺が「篤姫」では夏だったのと比べたら、時間の経過は早いね。
先々週の回の頃、江戸城で篤姫は御台所になってるが、
先週の回の頃にはもう未亡人になってる。
186 :
日曜8時の名無しさん:2010/03/15(月) 02:38:22 ID:vrGjaHdU
187 :
日曜8時の名無しさん:2010/03/15(月) 04:37:35 ID:GFDcIDvq
土佐に雪が降るんですか?
188 :
日曜8時の名無しさん:2010/03/15(月) 04:44:06 ID:5FiydqNN
>>173 小沢サンや鳩山サンの知らないところで部下が勝手に暴走ですね?解ります。
189 :
日曜8時の名無しさん:2010/03/15(月) 18:15:48 ID:KmHSPR7W
>>187 城下ではめったにあんな大雪にはならない。
高知では冬のコートが売れない。
高知を知らない。
知ろうとしない脚本家が書いたから。
普通に台風、嵐にするだろう、高知なら。
高知の雨は南国の雨、バケツをひっくり返したような雨がふる。
そしてすぐ止む。初めてみたらびっくりするくらい。
190 :
日曜8時の名無しさん:2010/03/15(月) 23:10:08 ID:JhqlyRUz
>>189 桜田門外に合わせた演出だろ。
その程度理解できないのか?
というか許容できないとは狭量だな。
191 :
日曜8時の名無しさん:2010/03/15(月) 23:10:46 ID:JNj2UeNF
輝け甲子園の星(2010早春号)より
選抜高校野球選手権大会出場選手「好きなタレント」アンケート
1位 北川景子 49票
2位 上戸 彩 24票
3位 香里奈 23票
4位 佐々木希 22票
5位 松本人志 18票
6位 新垣結衣 17票
7位 南 明奈 黒木メイサ 15票
9位 木下優樹奈 12票
10位 市川由衣 11票
11位 EXILE 10票
12位 ダウンタウン 相武紗季 9票
14位 宮崎あおい 8票
15位 柴咲コウ 戸田恵梨香 井上真央 コトリッチ 7票
>>189 その雪が、演出上の効果的なものかもしれないし、
単の季節感を場面に盛り込もうという演出だったかもしれないし、
悲壮感とかそういう心情を盛り上げるためだったかもしれないし
と、そんな事を言ってるとNHKの人?といわれてしまいそうだけどね。
高知に雪が降ることもあったんじゃないの、過去には。
幕末って確かまだ小氷河期の時期だったしね。
慶應4年(→明治元年だけど)の上野の彰義隊戦争を語る際に
良く用いられる言葉としてと
「年初めから雨が多く、三日と続けて晴れなかった」というのがある。
天候不順な時期だったのだろうなとは思うけど。
193 :
日曜8時の名無しさん:2010/03/16(火) 01:16:09 ID:BlY60F/+
>>190 馬鹿だな。
加尾とのラブストーリーでも
その前にも雪がふる場面があっただろう。
九州では雪がふるから、そうしただけだろう。
NHKのひと?
演出?
高知の人間を馬鹿にしているよ。
194 :
日曜8時の名無しさん:2010/03/16(火) 01:18:52 ID:BlY60F/+
あ。脚本家は山口か。
沖縄の大河ドラマでも感動すると雪が降りそうな演出か。
195 :
日曜8時の名無しさん:2010/03/16(火) 01:41:24 ID:HmBdiAFq
>>193 というか演出に対してそこまで突っ込むお前がバカに見えるよ。
高知の人間バカにしてるというが、土地によっては雪も降るし、一応スキー場だってあるんだぜ?
てか、冬の高知県は普通に寒いぞ?
お前ホントに高知の人間か?
197 :
日曜8時の名無しさん:2010/03/16(火) 23:02:20 ID:9jLiAuBb
高知も寒いってことはわかるけど
寒いのに障子も襖も夏同様に開け放ってるから
すっごく違和感あるんですよね。。。
198 :
日曜8時の名無しさん:2010/03/16(火) 23:08:25 ID:98czYwqg
脱藩する訳だ。龍馬も。
>>197 時代劇や大河はいつもそうだよ。
常に夏同様に開けっ放しは、龍馬伝だけじゃない。
自分が寒がりなので、大河みるたびに「あー、寒そう。昔の人って
大変だぁ」っていつも常に思ってるから。
篤姫でも思ってたし、新撰組でもJINでも思ってた。
おかしいと言えばすべておかしいよ。時代劇なんてね。
昔の人なんてお風呂は殆ど入らないんだし、髪も脂ぎってる人ばかり。
女性だって殆どがスッピンで肌の手入もしないからボロボロ。
弥太郎の汚さ、あれが普通レベルだったんだよ。
歯を磨かないから真っ黒だし、臭いしねぇ。
弥太郎の汚さが江戸時代の標準。貧しい農民や武士は人間にはとても
見えないくらいだったろうね。
龍馬も武市先生もカオも千葉道場の人も綺麗すぎる。
200 :
日曜8時の名無しさん:2010/03/17(水) 21:39:12 ID:HBhj7vx+
服装や髪がきれいなのは馬が西洋馬でお歯黒がないとかと同じで
突っこむべきじゃない健全な嘘だと思うけど、江戸時代は頻繁じゃなくても
風呂くらい入ったと思うよ。
202 :
日曜8時の名無しさん:2010/03/18(木) 03:12:47 ID:bCxY6YOj
龍馬が上士になれた話って史実ですか?誰か教えて下さい。
203 :
日曜8時の名無しさん:2010/03/18(木) 05:27:45 ID:oKlOTXQz
205 :
日曜8時の名無しさん:2010/03/18(木) 12:51:25 ID:bCxY6YOj
206 :
日曜8時の名無しさん:2010/03/18(木) 14:41:59 ID:Yjn38apv
江戸時代の歯磨き
基本的に塩を指につけて歯と歯茎をブラッシングしてました。
江戸時代中期から、歯磨き粉が発明され、蝦蟇の油売りのように
曲芸付きで路地で売り始め大当たりしています。
兼康祐元という商人がこれに目をつけ大儲けしています。
また、ブラシのほうはフサ楊子という先をブラシ状に切り裂いた
楊子があり、それを使っていました。
207 :
日曜8時の名無しさん:2010/03/18(木) 16:00:29 ID:ZR5DQdDJ
風呂の歴史
http://www.yamato-gr.co.jp/ans/03-07/#7-2 江戸の銭湯は天正19年(1591)伊勢与市というものが江戸
の銭瓶橋(ぜにがめばし)に銭湯風呂を建てたとあるのが
記録にあらわれた最初で、慶長年間の終わり(17世紀初頭)には
江戸の「町ごとに風呂あり」といわれるほどに広まりました。
当時の風呂は「戸棚風呂」という蒸し風呂の一種で、浴槽の底に
湯を入れて下半身をひたし、上半身は湯気で蒸す仕組みであった。
この湯気が逃げるのを防ぐために工夫されたのが「ざくろ口」である。
そして慶長年間の末ころ、今風なたっぷりの湯に首までつかる
「すえ風呂」ができ、一般庶民の家庭にも広まりを見せることとに
なります。
当初は湯を桶に入れるくみ込み式であったが、のちに桶の中に鉄の筒
を入れて下で火をたく「鉄砲風呂」が発明され江戸で広まった。
又、桶の底に平釜をつけて湯をわかす「五右衛門風呂」は関西に多
かったようです。
江戸時代の銭湯は朝からわかして午後4時までであったが、上下の
別なく裸のつきあいができる庶民のいこいの場所として楽しまれて
いました。
208 :
日曜8時の名無しさん:2010/03/18(木) 16:19:46 ID:ZR5DQdDJ
210 :
日曜8時の名無しさん:2010/03/19(金) 05:28:17 ID:H2dOy49o
龍馬の風呂嫌いは有名だよ。
汚い、不潔、でもかっこいい!
211 :
日曜8時の名無しさん:2010/03/21(日) 06:38:27 ID:UrkMccGn
>>210 龍馬伝の龍馬は汚なくない。
それなのに弥太郎だけが異常に汚い。それがおかしい。
悪意があると思われてもしかたがないレベル。
最初に武士に漢文を教えているときから汚い。おかしいだろう?
クレームを出さない三菱はもっとおかしいが。
>>211 ドラマってのは史実の再現映像じゃないんだよ
肩の力抜け
213 :
日曜8時の名無しさん:2010/03/21(日) 08:51:32 ID:7TQ9Hdrt
先週だかの放送で、龍馬と龍馬の姪が自分の屋敷(正確にはなんと表現するのか?)で
三味線弾いていたシーンがあったが、武家屋敷でそんなことありえたの?まるで、芸者置屋みたい・・・
>>211 みなさまのN○Kだからなのでしょうね。
CMありの民放では、こうはならないでしょうー
214 :
日曜8時の名無しさん:2010/03/21(日) 12:34:20 ID:TWpj9Xnu
>>213 坂本龍馬が上手に三味線弾けたのは、割と有名な話。
坂本家は武士といっても、表通りに店を営業してる、半武士半商人の家だから、
堅苦しくない。三味線や都都逸くらい、子供のころから楽しんでいたはず。
>>211 弥太郎の汚さは貧しいことの象徴でしょ。
確かに汚すぎるけどw。
三菱はクレームだしてるみたいだよ。最後は帳尻あわすということ
らしいが。
当初は大河じゃなくて弥太郎ドラマ製作の企画もあったらしいし。
弥太郎には「ハンサムな俳優がいい」とかNHKに言ったり、
三井と差が出来るのが気になるのか、史実より見栄え、イメージ優先
で弥太郎絶賛物語=三菱賞賛物語を希望してたんでしょう。
それは三菱としてはしょうがないね。三井みたいにセレブなイメージ
を欲しいんだろうし。
龍馬の家はかなり裕福だから、弥太郎みたいに汚い方が違和感。
なんでもかんでも龍馬を批判して弥太郎だけをかばうのは
どうかね。
>>213 江戸地域のはなしになるけど、
しかも将軍にお目見え以下の直参御家人の場合だけど、
三味線や小唄の特技を生かして、芝居町でアルバイトを
してたような武士はわりと居た。
214が言っているけど、れっきとした150石取りの家の生まれだが
高杉晋作が三味線を爪弾きして都都逸をうなってたのは有名な話。
217 :
日曜8時の名無しさん:2010/03/21(日) 19:32:42 ID:ZNgF7/B+
久坂をもっと語らせろ!
組!の久坂の方がカッコよかったなぁ。。
219 :
日曜8時の名無しさん:2010/03/21(日) 22:04:24 ID:xWhUeY5M
>>215 どこが龍馬の批判?
馬鹿なことばかり書いてはぐらかすなよ。
きもち悪い擁護も多いね。
今日も、泣いたり叫んだりお笑いみたいな番組だね。
民放なら何の文句もないがみんなのNHNでこれをやるなよ。
東洋と松蔭が同じ姓だと
無知な視聴者には紛らわしいな。。
>>206 昔の「太閤記」の残ってる回を見ると
本能寺の変の日の早朝、信長が歯磨きしてた。
>>209 東洋が一筋縄ではいかない人物であることを表現するための演出だろうな。
>>215 最初は「服が汚い」んだけどだんだん綺麗になっていくにつれ
逆に「金に汚く」なっていくんだろうな。
223 :
日曜8時の名無しさん:2010/03/26(金) 23:24:57 ID:Nl9GIfOg
龍馬が相変わらず「いいひと」であり続けるドラマ・・
225 :
日曜8時の名無しさん:2010/03/28(日) 18:13:11 ID:ZNYTpxG/
龍馬にもっと灰汁がほしいね。
226 :
日曜8時の名無しさん:2010/03/31(水) 22:11:09 ID:oXK/2knO
2部では汚い龍馬だ【汚龍】
227 :
日曜8時の名無しさん:2010/04/03(土) 09:21:41 ID:rUpKNyR2
ドラマの脚本家は所詮ドラマしか書けない!
もっとオモロイおっさん映さなあかんやろ〜
大阪が舞台の回はw
229 :
日曜8時の名無しさん:2010/04/10(土) 03:21:56 ID:eJrE4sLj
のりつっこみでいかな〜
次回は京都どすえ〜
龍馬、江戸ってんじゃねえなろうな〜!
230 :
三菱:2010/04/10(土) 08:06:30 ID:Rg+JvE+W
231 :
日曜8時の名無しさん:2010/04/10(土) 08:29:13 ID:8ATW2OE5
>>228 龍馬と肩がぶつかって因縁つけて殴りかかるも、頭抑えられて手が届かず「今日はこのくらいにしといたらぁ」って言うちっさいおっさん思い浮かんだ。
幕末の世相を瓦版売りで説明しても面白いけどな
江戸と京大坂で東西比較するとか
233 :
日曜8時の名無しさん:2010/04/18(日) 18:21:17 ID:Ji3Ud9sy
この馬鹿チンが!
234 :
日曜8時の名無しさん:2010/04/21(水) 09:03:42 ID:VFQdthqw
ジョン万とはもっと前に会ってるよな。
春嶽と会いにいくのは、間崎哲馬、近藤長次郎と3人で行ったはず。
春嶽を見て又五郎も老けたなあと思った
237 :
日曜8時の名無しさん:2010/05/01(土) 16:40:39 ID:8rPdFKps
容堂なんて怪物って感じじゃない
うむ
セリフそのものに畏れ入る要素なし
近藤オーラで保たせてるだけだ
239 :
日曜8時の名無しさん:2010/05/02(日) 18:12:00 ID:koUYt8pd
慶喜がちょっと馬鹿面だな。
240 :
日曜8時の名無しさん:2010/05/03(月) 18:10:26 ID:6UtWcP1f
「よ〜う知っちゅうのぅ〜( ̄ー ̄)ニヤリッ」
ちょっと怖かったよ
独眼流から毎年見てるけど、今年のは面白すぎ
視聴者から受信料取って製作した番組を高額で販売するなんて、と
DVD関係は一切買った事無いけど、龍馬伝だけは絶対に買う
>>228 大坂のせいかどうかは知らんが、
今回ちょっと面白かったぞw
それにしても、
大阪西区の土佐公園、藩邸があった頃は「新町」の付近なんだが。。
「JIN」の龍馬だと、三都の三大遊郭で常連の素振りだったけど、
実際、ちょくちょく通ってたのかねぇ。 お龍さんに会う前は。
243 :
日曜8時の名無しさん:2010/05/08(土) 07:08:24 ID:udf1VOlu
龍馬は19歳の時江戸に行ったのは
剣術修業ではなく砲術の勉強のためか
或いは品川防備のため
244 :
日曜8時の名無しさん:2010/05/08(土) 07:10:41 ID:udf1VOlu
龍馬は英語もオランダ語もある程度理解できた
大砲の弾道計算もできたため数学的知識もあった
千葉道場にいった事実はない
245 :
日曜8時の名無しさん:2010/05/10(月) 06:49:52 ID:fr5tNtzk
和算ってあったよねえ。
各藩から選ばれた精鋭がどうして計算できないの?
どうして浪人でないのに、汚い着物なの?
江戸の学問はそんなにレベルが低かったの?
>>245 着物はよく見てないからわからんがあそこでわからんと叫んでいたのは
浪人の龍馬だけだったから各藩の精鋭達は出来ているのかもしれないぞ
247 :
日曜8時の名無しさん:2010/05/13(木) 23:22:32 ID:I44i3FbB
龍馬なんてADHDなの?
容堂もさ、目障りなら最初から「攘夷は絶対不可」と、
釘を刺して勤王党の結成自体を封じておけばいいのに。
日和見的に許しておいて、最後にドカンと弾圧だもんな。
これじゃあ下士の党員はツライわ。。
東洋も殺されずに済んだかもしれない。
最初から先のことを考えてたわけじゃなく、
「まあいいっかな〜」
「やっぱ武市気にいらねぇ〜」
って流れなんだろう
250 :
日曜8時の名無しさん:2010/05/16(日) 21:12:49 ID:0VjldxZs
>>248 なんちゃ〜歴史がわかっとらんの〜。
武市並の馬鹿だな
251 :
日曜8時の名無しさん:2010/05/17(月) 21:02:33 ID:0JLSRVyG
ほんとに武市は容堂を信じていたんだろうか?
252 :
日曜8時の名無しさん:2010/05/17(月) 21:31:33 ID:LUEYrtl2
辞書もない時代に英語、オランダ語を学んでいたなんて、昔の人は
勤勉だったんだね。
253 :
日曜8時の名無しさん:2010/05/17(月) 21:58:22 ID:YBKcuoYP
花札に クワガタに ところてん
まじめに聞く気ねぇな
254 :
日曜8時の名無しさん:2010/05/17(月) 21:59:15 ID:YBKcuoYP
宮迫を釈放して代わりに私が・・・って言えばカッコよかったのに
255 :
日曜8時の名無しさん:2010/05/17(月) 22:01:16 ID:YBKcuoYP
横井小楠とは親密になっていくのかな 春獄の所に行けば顔を合わせるだろうけど
>>248 それは結果から見た感想でしょう。
勤王党結成時は尊王攘夷の機運が高かった為、
容堂も利用価値があると踏んだか、体裁を保つのに都合が良かった。
が、8・18政変後に状況は一変。
やはり公武合体だ、、てね。
日和見と言っちゃそれまでだが、殿様階級なんてそんなもんだよ。
257 :
日曜8時の名無しさん:2010/05/22(土) 15:01:42 ID:e+r3VJqz
横井小楠は春獄が話している最中にボリボリ食べているが
いかにも無作法。殿様に無礼じゃないの?
収二郎が切腹のときに、ひげも剃っていないが、侍として
死なせてもらえる、というのに反している。
切腹の前に死に装束に着替えているのに、ひげを剃らないなんて。
容堂公の庭が変。
勝塾の廊下に枯葉が落ちている。
その向こうで竹ぼうきで掃除している武士がいる。
おかしい。
饅頭屋が一番まともに見える。他の武士はサルみたい。
長刀を片手でぶらぶらして歩くのが良く出てくるが、真剣は
危険だし、武士の魂なら、ぶらぶらさせないように思う。
この漫画時代劇で初めてみることばかりだ。
本当はどうなの?
258 :
日曜8時の名無しさん:2010/05/23(日) 20:22:00 ID:qIC5WBew
饅頭屋は侍より侍らしくなろうとした。
だから切腹した。
残念だ。
259 :
日曜8時の名無しさん:2010/05/24(月) 20:08:33 ID:R4Uhnuxy
近藤勇の泰造さんめちゃくちゃカッコよかったなぁ(*^_^*)
これから楽しみだ♪
260 :
日曜8時の名無しさん:2010/05/24(月) 20:50:52 ID:t5IG6Ne6
武市夫婦の別れのシーン良かったなあ。捕り方が乱入してきてもなお
話し続ける武市の表情が切なかった。これが最後とうすうす知りながら
夫を見送る冨さんも良かった。
261 :
日曜8時の名無しさん:2010/05/25(火) 06:12:03 ID:Rc1cFaPz
「郷士の生まれは、雨の日に傘をさすことができない」
傘をさしていなかったかなあ?
江戸って汚い街じゃなかったんだ。
黒岩涙花
http://www.ndl.go.jp/portrait/datas/264.html 競技かるたを始めたひと。決まり字を発見したひと。
「かるた早取り秘話、1905「万朝報」
東京かるた会、東京連珠会を設立
(1904年、明治37年)
父親は土佐の郷士
「郷士の生まれは、雨の日に傘をさすことができない」
「 特に江戸は、遊びのメッカであった。
今もそうだ。江戸時代の江戸の人口は約1050万人。
当時世界第一の大都市である。
しかも三分のニが男だった。
酒と遊郭は遊び・芸事の修業の場であり、教養を磨く場でもあった。
「粋な人だね」と言われるには身代を傾けるほどの月謝が必要だったと
言われるゆえんである。
三味線、都都逸、将棋、俳句等。
わざわざ上京して腕を磨くものがあとをたたなかった。
みんな結構小金を持っていた。
お殿様は年貢米と冥加金は取っていたが、農閑期の副業は一切無税だった。」
「百人一首・競技かるた」伊藤孝男、より。
>>257 横井と春嶽に関しては、横井は天才にして変人、
春嶽は殿様ぶらぬ気さくで寛容なキャラに描かれてるのだと思う。
たしかに春嶽は、外様の容堂などとは違って、
この当時の日本では屈指のVIPなのに・・・ってのはあるが。
このスレの主旨は何?
本スレと違う何を書くとこなんだ?
真面目に書くスレだよ
中身のないマンセーはいらないてトコかな
武田鉄矢は何を言っても金八に見えてしまうな
267 :
日曜8時の名無しさん:2010/05/29(土) 00:49:01 ID:naFGD563
春嶽は橋本佐内、横井子楠がいたおかげ。
よい部下を持つのも君主の徳のうち
269 :
日曜8時の名無しさん:2010/05/31(月) 12:45:19 ID:qRkmqmyH
土佐は譜代だろ
>>266 同意、何をやっても一緒ですねぇ
もっと容姿が都会的な人をもってきて欲しかったな
271 :
日曜8時の名無しさん:2010/06/02(水) 16:13:45 ID:oJEbLIHI
クグってみたら、「竜馬がゆく」とか、
三谷脚本で反町が以蔵役をした「竜馬におまかせ!」
どちらも、本当に視聴率が振るわなかったんだな。
現在の大河は、頑張っているほうだと思うが。
坂本龍馬って人気ないわけじゃないだろうに、何でなんだろう?
見て見ればわかるが
どっちも微妙な作品だぜ
幕末自体がその気になって知ろうとしないとわかりにくいから数字は取れないよね。
戦うだけじゃなくて、思想が大きく関わってくるから。
戦国時代は戦って領地奪うのが基本で単純だから数字取りやすい。
274 :
日曜8時の名無しさん:2010/06/03(木) 19:23:19 ID:+QL8APpd
この時代って、今から150年前くらいの話だよね?
江戸時代は300年続いてたってドラマで出てたけど、かなり長いこと続いた幕府だったんだね。
275 :
日曜8時の名無しさん:2010/06/05(土) 22:24:28 ID:fn6FUlvf
龍馬が以蔵をかばって新撰組とやり合うのは聞いたことない(笑)
本当なら龍馬はめった斬りにされていただろうね
新撰組は多人数で袋たたきにするのが得意だったらしいし
277 :
日曜8時の名無しさん:2010/06/06(日) 18:19:40 ID:SHljDvAi
いや、でも言いたいことわかるような気もする。
たしかに2倍の年月って実感すると改めてすげえとは思うわ。
それを言うなら1万3000年前の土偶とかどんだけ古いんだと思うわ
280 :
日曜8時の名無しさん:2010/06/13(日) 19:05:49 ID:PDZAoNEC
それを言うなら、地球の誕生45億光年まえってどんだけ前!!
それを言い出したら宇宙開闢
282 :
日曜8時の名無しさん:2010/06/13(日) 20:43:43 ID:eVhzc3cJ
勝海舟役の武田鉄屋はまるで金八先生のまんまだな。
もらった役によって演技の仕方を変えられないもんかね〜。
283 :
日曜8時の名無しさん:2010/06/15(火) 01:58:02 ID:fWgIjP9e
武市さんの金魚鉢が変。江戸ではないみたい。
前に美の壷で金魚の特集やってたが、
江戸時代にはあの形は既にあったような記憶が…。
はっきりしなくてごめん。
底にちゃんと足がついてて、結構いいものなんだろうな。
葵徳川三代で家光が金魚鉢の金魚を眺めて喜んでなかったっけ
286 :
龍馬じゃ!:2010/06/17(木) 16:18:43 ID:FibcxqPP
287 :
日曜8時の名無しさん:2010/06/19(土) 00:18:05 ID:H4toJE5f
288 :
日曜8時の名無しさん:2010/07/05(月) 22:33:18 ID:UV0oM4Tg
よく容堂と茶を飲んでいる深山宗林という人物が気になる…
龍馬と弥太郎って実際はあまり接点がないんだよね?
290 :
日曜8時の名無しさん:2010/07/14(水) 01:13:23 ID:CxQ/znjG
江戸時代の喪服は白だってね。
「ニッポン選択」の日に
例の「ニッポン洗濯」発言は
運命的奇遇
292 :
日曜8時の名無しさん:2010/07/19(月) 15:42:42 ID:MXv40jbt
第二次世界大戦中に海軍兵学校というエリート養成校があった。
その前身は、勝海舟が神戸に開いた兵学校だった。
兵を養成する「兵」学校ではなく、
エリートに兵学を教える「兵学」校だったそうだ。
龍馬は戦争のやり方を教えて貰っていたのであって、
語学が堪能、体力がある、船の運転がうまいだけではないのだ。
長州と組んで幕府の軍艦をやっつけるのも、そういう下地がないとおかしい。
戦術がうまい、砲術がうまい、とかは全くNHKのドラマには出てこない。
勝塾の生徒は、馬鹿ではないのだ。
海軍兵学校
http://www2b.biglobe.ne.jp/~yorozu/
じっさいは薩摩から給金受けてたよね、龍馬ら
明日から本気出すのドラマスタンスでは小曾根兄が迷惑至極な顔するのもわかるw
>>292 第二部含めて、そういう興味深い話をいろいろうまくドラマに入れてほしかったよね。
それが、武市とイゾウの話ばっかりだった。
第三部も薩長やグラバーとのいかつい話と芸者遊びの話、無理矢理龍馬すごい
の単純で低質な話ばかりになるだろうな、
俺はむしろ弥太郎がおもしろいから見てる
296 :
日曜8時の名無しさん:2010/07/22(木) 20:56:21 ID:7qSCI7aO
>>294 ノベライズV読んで禿同ww
もう大河でも月9でもない・・
もう薩長連合話?
ちょっと唐突すぎね?
298 :
日曜8時の名無しさん:2010/07/26(月) 10:40:35 ID:/O/tAkY+
中岡慎太郎が出るのが遅い
薩長同盟の話の前に、出てこないといけないだろ
>>297 脚本が幕末の造詣ゼロなのでイベント切り貼りすること位しか出来ませんっ><
300 :
日曜8時の名無しさん:2010/07/26(月) 18:35:46 ID:XWo7lvE5
踏み絵がおかしい。
紙の踏み絵は初期だけ。
のちには木とか金属の板だろう。
そもそも龍馬が長崎に行ったころには、長崎では
踏み絵は禁止されていたらしい。
長崎の踏み絵は正月8日に行われたそうな。
踏み絵
http://www.nchs.nagasaki-city.ed.jp/oranda/endou/fumie.html 踏み絵の日は、男も女も礼装または晴着をつけた。
長崎丸山町の踏み絵は正月8日であった。今日を晴れと化粧し着飾った遊女
たちがそれぞれの店に居並ぶ中で、役人は遊女の源氏名を読み上げる。
遊女は次々に立ち上がって、右の素足で踏んだ。 遊女の踏み絵見物が、
その日の呼び物にもなった。丸山には人々が雑踏し喧嘩になることもあった。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B8%8F%E3%81%BF%E7%B5%B5 当初は文字通り紙にイエス・キリストや聖母マリアが描かれたものを利用したが、
損傷が激しいため版画などを利用し、木製や金属製の板に彫られたものを利用
するようになった。絵踏が廃止されると、そのまま廃棄されたり再利用されたり
したため現存するものは少なく、表面が摩耗した形で現存しているものも多い。
江戸幕府は、1612年(慶長17年)徳川家康によるキリシタン禁令、1619年(元和5年)
徳川秀忠によるキリシタン禁令の高札設置などの度重なるキリスト教の禁止を経て、
1629年(寛永6年)に絵踏を導入、以来、年に数度「キリシタン狩り」のために
前述したキリストや聖母が彫られた板などを踏ませ、それを拒んだ場合はキリスト
教徒として逮捕、処罰したとされる
1856年4月13日(安政3年3月9日)、長崎・下田などの開港地で踏み絵が廃止される。
301 :
日曜8時の名無しさん:2010/08/01(日) 12:45:38 ID:s4ViR2or
武知半平太
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%A6%E5%B8%82%E7%91%9E%E5%B1%B1 以蔵の自白により新たな逮捕者が相次ぎ、半平太らに対する取調べも厳しさ
を増していったが、それでも半平太らはあくまでも一連の容疑を否認し続け
た。この為、藩庁は半平太の罪状を明確に立証することができず、慶応元年
(1865年)閏5月11日、容堂の御見つけ(証拠によらない罪状認定)により
「君主に対する不敬行為」という罪目で半平太は切腹を命ぜられる。
岡田以蔵、久松喜代馬、村田忠三郎、岡本次郎の自白組4名は斬首、
その他は9名が永牢、2名が未決、1名が御預けと決まった。
即日、刑が執行されて以蔵ら4名は獄舎で斬首され、半平太は同日夜に
南会所大広庭にて三文字の切腹を遂げて絶命した。享年37。
辞世の歌は、
「ふたゝひと 返らぬ歳を はかなくも 今は惜しまぬ 身となりにけり 」。
武知半平太が切腹した年が1865年。
その年にはすでに踏み絵は廃止されていたことになる。
「お元」の設定は変。
302 :
日曜8時の名無しさん:2010/08/01(日) 12:52:18 ID:s4ViR2or
麻雀も出てくる。
麻雀の歴史は新しい。幕末時代劇に出すのはおかしい。
逆に、シャンチーは古いゲーム。
シャンチーの駒がぼろぼろなのは、非常に気になる映像。
小物がとにかく違和感ありまくり。
誰が指示して、こんな変な小物を使うのか?
麻雀の歴史
http://www.h-eba.com/heba/majan/history.html さて、麻雀である。麻雀のルーツについては諸先人の研究により次のように
考えられている。
中国において古代より遊ばれていた中国カード(紙札)ゲームのうち
マーチャオ(馬弔)と呼ばれるカードゲームが、象牙・牛骨製の牌ゲームに
変化し、誕生したもので、おおよそ19世紀後半(1860年前後)のこととさ
れる。
日本麻雀の歴史
麻雀見聞記
日本に麻雀を紹介した最初の記として有名なのが夏目漱石の「満韓ところどころ」
である。これは夏目漱石が支那(現在の中国)を歴訪した際の紀行文である。
明治42年(1909)11月19日付け東京朝日新聞に掲載された第19節の概略を紹介してみる。
「たくさん並んでいる部屋の一つでは四人で博奕を打っていた。博奕の道具は
頗る雅なものであった。厚みも大きさも将棋の飛車角くらいに当たる札を
五六十枚程四人で分けて、それを色々に並べ替えて勝負を決していた。
其の札は磨いた竹と薄い象牙とを背中合わせに接いだもので、其の象牙の方には
色々の模様が彫刻してあった。此の模様の揃った札を何枚か並べて出すと勝ちに
なる様にも思われたが、要するに、竹と象牙がぱちぱち触れて鳴る許りで、
何処が博奕なんだか、実は一向解らなかった。」
これが麻雀の描写かどうかは不明であるが、時代背景からもほぼ麻雀であろう。
シャンチーの歴史
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%83%81%E3%83%BC 現在の形のシャンチーが発生したのは、宋代と考えられている。
北宋末期の女性詩人である李清照による『打馬図経序』に、シャンチーと同じ
配置の図が紹介されており[5]、徽宗(在位1101〜25)の遺物とされるシャンチーの駒や、
北宋の首都であった開封から出土したシャンチーの駒が発掘されている[6]。
303 :
日曜8時の名無しさん:2010/08/02(月) 00:32:49 ID:ZiEs7t3y
中岡と池は初回からいてもおかしくはなかったし出てくるのが遅すぎ。池なんか
あと10回くらいで死んじゃうんじゃないの。個人的には、土佐脱藩の先駆け的存在で
天誅組つくって挙兵して自滅した吉村寅太郎の勇姿を見たかった。
白昼堂々同盟案を披露するバカさ加減に呆れた
それこそ隠密潜んでてもおかしくなかろうに
305 :
日曜8時の名無しさん:2010/08/07(土) 00:45:14 ID:ZawmkaU5
今回の龍馬伝は坂本龍馬を司馬遼太郎の「龍馬がゆく」の呪縛から解放することができるだろうか...
306 :
日曜8時の名無しさん:2010/08/07(土) 15:41:34 ID:OgtcjSMW
隠密はいませんよ。考えすぎ。
307 :
日曜8時の名無しさん:2010/08/07(土) 16:20:07 ID:A+i1/q1K
308 :
日曜8時の名無しさん:2010/08/08(日) 01:42:32 ID:fNXx3s0c
309 :
日曜8時の名無しさん:2010/08/22(日) 19:00:03 ID:NOLQ3oWh
460 :日曜8時の名無しさん:2010/08/22(日) 13:50:13 ID:iUpYO8cr
>452
長次郎切腹はまだ目立つからいいだろう
「霧島の誓い」のワイルウエフ号と運命を共にする内蔵太の死は龍馬の雄叫びに
かき消されるだろう (出演回数も違うからしゃあないがw)
「もう日本人同士で争うちゅう場合ではない。異国の侵略から日本を守るためには
この国の仕組みを変えんといかん」が志
「けんど、ここから先は、そうたやすうにはいかんがじゃき。もう志を訴えるだけ
では、世の中の動きは変えられん」
「わしら亀山社中は・・・・・長州を助けて、幕府との戦に加わる!長州は今、四か所
から攻められちゅう。大島口、芸州口、石州口、そして下関口。ここでの戦は、
馬関海峡での海戦になる。ここに亀山社中も加わるがぜよ」
「わしらは、舞台から降りるわけにはいかんがじゃき!戦は始まってしもうたがじゃ。
長州藩士は今、必死で戦うちゅう。薩摩ももう覚悟を決めちゅう。そんなときに、
口だけで、戦おうとせんもんが相手にされるかえ!・・・・・自分らあが世の中を変えて
みせる言うからには、力を見せつけんといかんときもあるがぜよ」
307 :日曜8時の名無しさん:2010/08/21(土) 17:43:42 ID:+RkWeuGv
脚本の福田さんがおっしゃっていたんですが、「今の陸奥は思ったままを口走っているけれど、
龍馬とともに経験を積むことで、その言葉がちゃんと意味をもってくる」と。
後半は、“カミソリ陸奥”の名にふさわしい才を発揮していくはずです。その成長を楽しみに
観ていただけたらうれしいです。>平岡祐太
まあ成長を感じないやつは感じないわけで、ホーケーの治療でもしとけよw
270 :日曜8時の名無しさん:2010/08/21(土) 13:32:07 ID:KMuhn3Ps
>189
象「おまんの報告書はよう出来ちょった。土佐中の楠を数えるがは、大変じゃったろう」
弥「とんでもないことでござます!後藤様のご命令やったら、楠じゃろうが松の木じゃろうが
何本でも数えて参りますき」
象「おまんはなかなかできる男じゃ。これからはわしが引き立てちゃる。」
弥「ありがとうございます!」
象「ところでの、岩崎。薩摩が何やら怪しい動きをしゆうそうじゃ。各藩はひそかに注目しちゅう。
土佐も遅れをとるわけにはいかん。そこで・・・ヒソヒソ」
弥「えええっ」
象「わしの命令が聞けんゆうがか、ほんなら頼んだぞ」(退場)
弥(・・・・・材木の仕事に精を出し、喜勢のそばで暮らしたいのぉ)
美和「弥太郎。後藤様はおまんを引き立てちゃると約束してくれたがじゃ。ご命令には従わんと
いかんぞね」
弥(ママンまで、わしは泣きたい膝を貸してくれ喜勢)
喜勢「京へ行きや、おまさん」
824 :日曜8時の名無しさん:2010/08/22(日) 21:56:33 ID:/A+w7yYR
アンチスレに批判を書いても、誰もレスくれないじゃん。
929 :日曜8時の名無しさん:2010/08/22(日) 22:40:16 ID:8lfJRdnn
だいたい、武士は生殺与奪の権利を持った特権階級なのだから、
自分の死とか仲間の死に潔くないのは実に見苦しい。
岡田以蔵にしても、自分は他人を殺しまくったくせに、
自分の行為を自分の責任として受け止められないのは、
それはもう武士でもなければ、日本男児でもない。
無教養な3歳児の所業であって、このドラマは幼稚園児たちのお子ちゃま劇場
ということになる。
939 :日曜8時の名無しさん:2010/08/22(日) 22:44:05 ID:8lfJRdnn
「日本を独立国にする。」
徳川幕府は260年間続いた立派な独立国。
龍馬は、イギリス商社から武器を調達して独立国?
外国から武器を買うことが独立国になることなのか?
974 :日曜8時の名無しさん:2010/08/22(日) 22:55:17 ID:qKL4BHFR
>897
親のお前が子供に史実とやらを教えてやればいいんだよ
『龍馬伝』は歴史ドラマだからエンターテイメントを高めるために
〜〜の描写をしているが、チョメチョメという文献には〜〜と書いてあるとw
980 :日曜8時の名無しさん:2010/08/22(日) 22:56:49 ID:8lfJRdnn
>974
歴史エンターテイメントはリアルであればあるほど面白いってのが常識だ。
ハリウッドの戦争ものも、「硫黄島からの手紙」みたいに、リアルであれば
あるほど良いんだよ。
過去に戻って、信憑性ゼロの安物ドラマを作ってどうするんだ?
12 :日曜8時の名無しさん:2010/08/22(日) 23:09:49 ID:8lfJRdnn
>8
オレは、「坂の上の雲」で司馬が取材した人を直接知ってるぐらい、
この小説の背景に詳しいんだよ。
"松山藩おかかえ"という事の意味を君は理解できない。
なぜなら封建主義における藩ってのは一つの家族であって、
たとえ藩が無くなっても、サムライ階級は互いに助け合ったんだよ。
だから、西南戦争の時まで、士族たちの結束は崩れていなかった。
ソサエティというものを理解しないといけないよ。
どの国にもソサエティ(階級社会)というものはある。
見かけ上無かったとしてもね。
その意味では、江戸時代と明治時代の違いは建前でしかない。
実際に、明治における官僚は露骨な藩閥主義で占められているのは常識。
12 :日曜8時の名無しさん:2010/08/22(日) 23:09:49 ID:8lfJRdnn
>8
オレは、「坂の上の雲」で司馬が取材した人を直接知ってるぐらい、
この小説の背景に詳しいんだよ。
"松山藩おかかえ"という事の意味を君は理解できない。
なぜなら封建主義における藩ってのは一つの家族であって、
たとえ藩が無くなっても、サムライ階級は互いに助け合ったんだよ。
だから、西南戦争の時まで、士族たちの結束は崩れていなかった。
ソサエティというものを理解しないといけないよ。
どの国にもソサエティ(階級社会)というものはある。
見かけ上無かったとしてもね。
その意味では、江戸時代と明治時代の違いは建前でしかない。
実際に、明治における官僚は露骨な藩閥主義で占められているのは常識。
810 名前:日曜8時の名無しさん :2010/08/27(金) 03:46:52 ID:fFI+bf2g
>799
覚醒龍馬のセリフが凄いからね
内蔵太はワイルウエフ号沈没と運命をともにするのだが目立たない
長次郎とは登場回数が違うからしょうがない お元が魂の救済を祈ってくれるからw
「亀山社中は長州とともに幕府とともに戦う!」福山龍馬のかっこいいことw
龍馬の桜島丸は数十発の大砲を撃ち放ち、敵の砲台を壊滅状態に追い込む
これは4部だな、まあ期待してほしいであります
(慶応2年6月16日、高杉晋作、桜島丸に参戦依頼、亀山社中の海軍技術を求める 龍馬快諾
翌17日、高杉の丙寅丸とともに門司と田ノ浦の敵陣に挟撃をかける)
この程度は予習しろよ史実すら押さえてない『龍馬伝』アンチw
686 :日曜8時の名無しさん:2010/08/24(火) 23:15:56 ID:ju5OOBFt
>506
紀州藩奉行の茂田一次郎に対し、非を国際的に明らかにしようとするのが
象二郎なのか龍馬なのかはヨメない
龍馬と『万国公法』をどう描くのか興味は尽きない
681 :日曜8時の名無しさん:2010/08/24(火) 22:58:43 ID:ju5OOBFt
>506
船をやられたそのつぐないにゃ
金を取らずに国を取る
国を取りて蜜柑(紀州藩)食う
龍馬は世論操作しただろ、非が紀州藩にあることを広めるために
判官びいき、幕府の不人気もあって「紀州を討て」と長崎の人々は
口にするんだが、福山龍馬が三味線で歌うくらいの演出はやってくれるかもw
703 :日曜8時の名無しさん:2010/08/25(水) 00:58:25 ID:+pW2P3q0
坂本一家出てこないな
手紙もちっとも書きやしない。
乙女との手紙のやりとりも龍馬の人柄心情を表わすうえで大事だと思うんだがな
どうせ唐突脚本、
近江屋事件直前に、龍馬死亡フラグとして突然登場しそうだね。中岡慎太郎と一緒で
707 :日曜8時の名無しさん:2010/08/25(水) 01:06:27 ID:kaIluhNc
>703
翔天隊という呼称を知ってるか
中岡慎太郎はいつ出てくれば効果的なんだ?考えるんだw
689 :日曜8時の名無しさん:2010/08/24(火) 23:24:37 ID:ufa9zPTF
龍馬の筆まめの部分を、4部からでいいからどんどん入れて欲しい。
690 :日曜8時の名無しさん:2010/08/24(火) 23:26:01 ID:Y2na7INC
>689
そういえば、手紙書いてるシーンとかあんまりないな。
乙女姉さんからも貰ってばっかりw
691 :日曜8時の名無しさん:2010/08/24(火) 23:29:48 ID:ju5OOBFt
その割に乙女からの手紙は残ってないw
脱藩してから龍馬→乙女の手紙は18通残ってるのに、乙女は保管がよかったんだなw
608 :日曜8時の名無しさん:2010/08/24(火) 20:11:52 ID:ju5OOBFt
いいんじゃない毎回見てるんだったら
アンチスレっても過疎ってるし
人のいないところでストリーキングするやつはいない
ソマツなものでも人様に見られたいw
龍馬伝好きは龍馬のようにおおらかだよん
609 :日曜8時の名無しさん:2010/08/24(火) 20:13:57 ID:+tHPzxsH
批判の内容がおりょうがブサイクとか脚本が糞とかおかんが見るの辞めたとかさんざん既出の低レベルだから辟易してるだけだろw
611 :日曜8時の名無しさん:2010/08/24(火) 20:16:36 ID:ju5OOBFt
>おりょうがブサイクとか脚本が糞とかおかんが見るの辞めたとかさんざん既出の低レベル
=ソマツなイチモツw
468 :日曜8時の名無しさん:2010/08/24(火) 02:38:44 ID:Vdg86zhE
>加尾から勝を紹介される
ほんとうにこれはありえないし萎える脚本だった
482 :日曜8時の名無しさん:2010/08/24(火) 08:31:51 ID:ju5OOBFt
>468
京に来たのは@人生の指導者を求めてかA初恋の人に会いに来たのか
はっきりせいよ!初恋の人に選択を迫られるみたいな素敵な脚本じゃないかw
262 :日曜8時の名無しさん:2010/08/23(月) 12:42:30 ID:AOI3GKdf
「日本がりっぱな独立国になるために」
とかいう台詞が前回も今回も出てきたが、
日本ってずっと独立国だよな。
この脚本家って、日本と朝鮮をいっしょにしていないか?
独立国、独立国って言われてもなあ。。。
263 :日曜8時の名無しさん:2010/08/23(月) 12:45:13 ID:Bj9GY70M
>262
このままフランス頼みの幕府に任せれば、やがては列強の餌食になるだろうと
龍馬は考えていたくらいでしょ
142 :日曜8時の名無しさん:2010/08/20(金) 17:12:35 ID:cq+Uq+/H
【大坂 大和屋】
ほんまにぃ、やっと会えたな、百太郎。なんちゅう可愛い寝顔じゃ。あっ龍馬さん。
けんど父親は何をしゆう人じゃと子供は思おうですろう。わしは日本を守りたいゆう
志を持って土佐を飛び出し、侍になったがです。この子が生れたがは天の神さんが、
もうそんな望みは捨てちいぃゆうことですろか。おまんはしょせん偽侍じゃき商人に戻って
この店を継ぎやあゆうことですろうか。・・・・すまんのぉ徳。この子を産んでくれたおまんには
感謝しちゅう。このまま親子三人ずっと一緒におられるゆうがはこの上ない幸せじゃ。
けんど、けんど、わしには志があったがじゃ・・・・・・・志が・・・・ (おまさん)
この回想シーンも有効に使われていた
長次郎の志は親子三人の暮らし以上に尊いもの
でも切腹までにずいぶんためらいみたいな時間があったからw
徳や百太郎のことも考えてたのかな?
879 :日曜8時の名無しさん:2010/08/30(月) 01:57:07 ID:h8BKXKhB
「想望」半平太切腹以来でしょ
薩長同盟の第6条を、志に殉じた鎮魂の詩と解したNHK制作陣に敬意を表する
しかも「想望」付き
このシーン繰り返し何回見ることか
886 :日曜8時の名無しさん:2010/08/30(月) 02:20:58 ID:h8BKXKhB
755 :日曜8時の名無しさん:2010/08/29(日) 23:32:50 ID:2iwiPL5g
「・・・・天皇の威光が増し、復権することを目標に誠心を尽くし、必ず尽力すること」
武市先生も喜んでくれそう、半平太の盟友、福山龍馬らしい見事なアレンジだったな
冤罪が解けたうえは、両藩は誠心をもって力を合わせ、日本のために砕身尽力することは
いうまでもなく、いずれの場合にあっても、今日から両藩は日本のため・・・・
想像力豊かな発想だね
823 :日曜8時の名無しさん:2010/08/30(月) 00:14:28 ID:ySYfqZUF
龍馬が惚れる魅力的な女とは到底思えないお龍
お龍がどこに惚れたのか全く分からない龍馬
主役といえる二人がこれなんだもんなあ
832 :日曜8時の名無しさん:2010/08/30(月) 00:24:09 ID:h8BKXKhB
>823
女郎に売られた妹を取り返す武勇伝や月琴を弾くことが
真に面白き女にてと乙女への手紙に記載されている
425 :日曜8時の名無しさん:2010/08/29(日) 21:22:46 ID:2iwiPL5g
「想望」は半平太切腹以来じゃないか?
薩長同盟の最後の条が半平太の志まで継いでるなんて、なんて素敵な解釈なんだ
武市さん、以蔵、長次郎、みんな行って来るぜよ あれっ収二郎はみんな扱いかよw
979 :日曜8時の名無しさん:2010/08/28(土) 02:16:30 ID:RC6gquOw
>978
「竜馬がゆく」を読むのは勝手だが、そのイメージを『龍馬伝』に押し付けては
いけない 『龍馬伝』の世界を理解するためには無用の書物
『龍馬伝』アンチ
@司馬遼太郎ヲタ
A・・・・・・
B・・・・・・
C・・・・・・
に言ってもムダかw
984 :日曜8時の名無しさん:2010/08/28(土) 07:14:28 ID:F3hBIz8p
>979
新しい龍馬像を描くといいながら、「最終的に皆さんが知っている『龍馬』に
たどり着かないといけないと考えています。 」(公式インタビュー)といってる
福田氏にも問題あるんじゃないの?
「皆さんが知っている『龍馬』」はどう考えても司馬作品由来と思うんだが?
986 :日曜8時の名無しさん:2010/08/28(土) 08:08:57 ID:CYLAS/D+
>984
違うね「竜馬がゆく」とは限らない
坂本龍馬には多様な描き方がある
990 :日曜8時の名無しさん:2010/08/28(土) 09:00:12 ID:CYLAS/D+
「竜馬がゆく」以前の伝記をお前が知らないだけw
993 :日曜8時の名無しさん:2010/08/28(土) 09:16:15 ID:CYLAS/D+
「ちかみきよおみ」って誰だw『龍馬伝』を勉強してないの丸出しだなw
26 :日曜8時の名無しさん:2010/08/28(土) 12:24:15 ID:CYLAS/D+
『坂本龍馬』(大正三年)千頭清臣 博文館
37 :日曜8時の名無しさん:2010/08/28(土) 14:28:49 ID:YBCcYOB1
>33
金はとらない、私心はない、私心があれば(利を求めたら)志じゃない
みたいなことを言わせたからな。
薩摩から給料もらってた史実の龍馬は、私心の人で志がないことになる。
史実の主人公に対してここまで悪意仕込んだ例を他に知らない。
43 :日曜8時の名無しさん:2010/08/28(土) 14:52:11 ID:CYLAS/D+
>37
ドラマをよく見ようか?と言うより日本語レベルの問題かw
やとう【雇う】賃金や料金を「支払って」、人や乗物を自由に使える状態におく
慶応二年の十月に薩摩藩から社中への待遇が改められ隊士一人あたり月額三両二分の給料になった
それ以前は記録がなく不明なだけ(で支払われていた)
『龍馬伝』の世界はお前が考えてるほど甘くはないw
176 :日曜8時の名無しさん:2010/08/29(日) 19:12:02 ID:LrLEqS+k
弥太郎からすると暴露するとかではなく、加尾の時や東洋の時の苦い
思い出があるから、「京都に来てまで、みんなが注目しているのは龍
馬かよ!」みたいな感じで名前が漏れたんだと思うけどな。
180 :日曜8時の名無しさん:2010/08/29(日) 19:13:51 ID:2iwiPL5g
>>176 のように、いろいろ想像力のある人間が「龍馬伝」を楽しめるわけ
答えはないんだ
177 :日曜8時の名無しさん:2010/08/29(日) 19:12:03 ID:2iwiPL5g
龍馬と弥太郎の史実上の最初の接点は知ったうえで(慶応3年4月19日)
フィクションを楽しんでいるわけだがw
薩長同盟に奔走する前に、もうちょっと前段が欲しかったな。
寸前まで海軍と土佐の同輩に関心ベッタリで、
長州藩の心配なんざ全然してなかったくせにさ、龍馬。
776 :日曜8時の名無しさん:2010/09/11(土) 18:35:45 ID:nVUFN6KX
昭和九年(1934)四月、国際法学者で同志社大学教授等を歴任した蜷川新(にながわあらた)は、
『歴史公論』誌上に「幕末維新の陰謀政治とその表裏」を発表し、薩摩藩が龍馬暗殺に関与したと
主張した。また、自著の『維新正観』(千代田書院、1952)においても、同趣旨の発言を行っている。
773 :日曜8時の名無しさん:2010/09/11(土) 18:14:23 ID:nVUFN6KX
すぐに龍馬から書状が届き、そこには「百両は海援隊の仕官たちに与えた。しかし私の給金はどうしてくれるのか」
と書かれていた。後藤に確認したところ、その必要はないというので、それを龍馬に伝えたが、龍馬はなかなか
聞き入れようとしない。その日、龍馬らは大洲藩船いろは丸で大坂に向かわなければならないことになっており、
それを理由に、「ぜひとも五十両借してほしい」と粘るのだった。なんともわがままな龍馬だった。しかたなく
弥太郎は、独断で公金から五十両を出し、自ら龍馬の宿へ現金を届けにいった。金を受け取った龍馬は、大いに喜び、
弥太郎に酒を出してもてなしている。はじめて顔を合わす二人が、お互いにどのような印象を持ったのかは記録に
ないためにわからないが、初対面にして意気投合したということだろう。
741 :日曜8時の名無しさん:2010/09/11(土) 16:00:12 ID:nVUFN6KX
慶応二年六月七日に開始された第二次幕長戦争は長期化し、将軍家茂が死去したため、八月二十一日攻撃停止の
勅命が下った。この時期、「倒幕論」と「討幕論」の二つの用語が交錯した。「倒幕論」は公議政体論、大政奉還論、
討幕論などを含む幕府制度の廃止一般を指す言葉であり、「討幕論」は武力により幕府を廃し、徳川家を国政の中枢
から排除することを目指す言葉であった。慶応二年十二月五日、徳川慶喜が十五代将軍に就任したが、同月二十五日
には王政復古を望まず公武合体を支持していた孝明天皇が急死し、明治天皇(十六歳)が跡を継いだ。このころ
「討幕論」が広まった。
698 :日曜8時の名無しさん:2010/09/11(土) 13:16:40 ID:nVUFN6KX
「龍馬伝」では、幼いころからの知り合いとして描かれる龍馬と弥太郎だが、史実のうえでは
この時期まで二人が出会った記録はない。文献上、彼らがはじめて顔を合わせるのは、慶応三年
四月十九日のことである。
その日、参政後藤から、「坂本の社中十六人が一人あたり月五両の給金を要求しているので、
渡してやってくれ」という指示があったので、弥太郎は、そのとおりにして百両を龍馬のもとに
届けさせた。土佐商会は、藩に付属する海援隊の世話もしていたのだった
341 :
日曜8時の名無しさん:2010/09/20(月) 20:05:13 ID:897Pbrsl
【妻お龍との別れ】
龍馬は新婚旅行の帰り、長崎でお龍を下船させ、豪商小曾根英四郎の元に預けた。慶応2年(1866)6月のことだ。
ついで、翌年2月にお龍は下関に移り、豪商伊藤助太夫の世話になる。龍馬が高知にライフル銃を運ぶ際、下関に
寄港し、9月20・21日と滞在した。このつかの間のひとときが、2人がともに過ごす最後の時になった。なお、
お龍は龍馬の仕事に興味がなく、その偉業を知るのは明治になってからだった。
てす
343 :
日曜8時の名無しさん:2010/09/24(金) 13:19:23 ID:DxGwFiNM
【日本を今一度洗濯致し申候】(文久三年六月二十九日 坂本乙女宛書簡)
文久三年(1863)五月十日の長州藩による下関での攘夷決行(外国船砲撃)を述べている。
それをうけて、砲撃を受けた外国船が、江戸で修復を受けており、修理した船が長州でまた
戦っている。あきれ果てた話で、これは幕府の姦吏が外国人を内通しているからで、自分は
「神州」を保つため軍を起こして姦吏を「打殺」て、「日本を今一度洗濯する」するのだと、
「神願」という言葉で、決意のほどを語っている。実際には幕府が外国船を修理したという
のは噂にすぎなかったようであるが、この「洗濯」宣言は後年の討幕思想へつながっていく
と見ることもできよう。
344 :
日曜8時の名無しさん:2010/09/25(土) 17:43:19 ID:uAleC0Ej
その主張の骨子は、次のとおりである。
(1)龍馬暗殺の現場に駆けつけた海援隊士中島信行が、旅館の女中から暗殺犯が鹿児島弁を
しゃべっていたことを聞いた。
(2)(1)の事実は、植村澄三郎なる人物が、文献・史料によって調査を行った。
345 :
日曜8時の名無しさん:2010/09/27(月) 23:49:23 ID:33mhI0so
この説に、妥当性はあるのだろうか。そもそも中島信行は、当時長崎に出張中であり、時間的にも
京都に戻ることは不可能である。後者についても、植村が参照した文献や史料が見つかっていない
ため根拠が薄弱だが、状況証拠としては、いくつか重要な事実が知られている。
346 :
日曜8時の名無しさん:2010/10/01(金) 21:57:23 ID:/ISUEurL
今井とまったく面識のないはずの西郷隆盛が、なぜが今井の助命嘆願に乗り出したのである。
今井は死刑を免れ、後に釈放されることになった。西郷の真意は不明なので状況証拠にすぎないが、
西郷が熱心に助命嘆願に動いたのは、薩摩藩が黒幕であった可能性を示しており、だからこそ今井の
釈放に力を入れたと解釈することはできる。
裏切り馬鹿の薩摩は本当にやることが下劣だね
本州から隔離された僻地の九州という劣等感がこういう捻じ曲がった性格を生み出すんだろうな
348 :
日曜8時の名無しさん:2010/10/07(木) 18:59:26 ID:jQmLM1br
そうすると、先の佐々木多門書状は、薩摩藩のおかげで龍馬暗殺犯の姓名(原田)がわかったと
いうことになり、薩摩藩が龍馬暗殺に関与した証拠とはならなくなる。だからといって薩摩藩が
龍馬暗殺にまったく関与していなかったとは言い切れないが、暗殺から三日後、大久保は岩倉
具視に対して、中岡慎太郎の死を惜しむ内容の書簡を送っている(慶応三年十一月十八日付・
大久保利通書状『大久保利通文書』第ニ)。
349 :
日曜8時の名無しさん:2010/10/08(金) 18:43:37 ID:hE+OUwGp
明治三十三年、「今井信郎氏実歴談」という談話筆記が『近畿評論』第十七号に掲載された。この中で、今井は
自身が暗殺実行犯であると語っている。その他にも、先の供述と相違する点がいくつか挙げられる。この内容が
問題となり、龍馬とも親交があった土佐出身の政治家、谷干城は売名行為に等しいとして、後に講演の中で強い
不快感を示している。しかし、この記事は、談話筆記を寄稿した甲斐新聞の記者、結城礼一郎が一部捏造・誇張
したものであることが後に明らかにされている。
>>347 やられる前にやったまで。
お手本は東照権現。
乱世になれば当り前。
351 :
日曜8時の名無しさん:2010/10/11(月) 23:28:07 ID:do737RYN
今井は直接手を下したのではなく、あくまで見張り役であったらしい。今井は、龍馬暗殺が京都見廻組与頭佐々木
只三郎の命令であったとしつつも、佐々木に命令を下したのが旧幕府の重職にあった者なのか、京都見廻組が所属
する京都守護職だったのかはわからないと供述している。明治三年(1870)、今井は禁固刑に処せられ、死罪を免
れている。先にも触れたとおり、一説によると、西郷隆盛の助命嘆願があったという。今井は二年後の明治五年に
特赦となった。ところが、龍馬暗殺実行犯をめぐって、その後も今井は何度か表舞台に立つことになる。
会津藩の家臣が暗殺指令は諸侯の誰かって言ってた
黒幕は松平容保じゃねーの?
353 :
日曜8時の名無しさん:2010/10/13(水) 00:38:13 ID:CUDnTXx5
龍馬暗殺について新選組が犯行を否定したのに対し、京都見廻組実行説については、当事者である今井信郎が詳細に
自白している。今井は天保十二年(1841)十一月、旗本今井安五郎守胤の子として生れた(実際には旗本ではなく、
中間だったともいう)。文久三年(1863)に神奈川奉行支配定役に就任し、慶応三年に京都見廻組を拝命した。翌年
からはじまる戊辰戦争では、旧幕府軍として各地を転戦し、函館戦争で降伏している。新政府軍に捕らえられた今井
は、龍馬暗殺の一件について、詳しく話している。概略は以下のとおりである(『坂本龍馬関係文書』第一)。
354 :
日曜8時の名無しさん:2010/10/13(水) 06:28:12 ID:3/MQDQZY
>>346 西郷が今井の助命嘆願に熱心に動いたなどという史料は一切ない
歴史研究家の憶測に近いもの
禁錮刑になったのは新しい法治国家という姿勢を当時の刑部省が示したかったからに他ならない
刑部省は松平定敬・容保兄弟にこそ細かい訊問を行なうべきだったが、身分差社会はそのまま明治になっても引き継がれたから突っ込んでおらず、結局うやむや。
新政府への反乱分子としたら微刑ですましてるな。
356 :
日曜8時の名無しさん:2010/10/13(水) 22:19:08 ID:jRdilh79
さらに明治四十二年、今井は大坂新報社の和田天華の質問に対して、龍馬暗殺の件について次のように回答している。(『坂本龍馬全集』)
(1)幕府の命令によって、職務として龍馬を捕縛するのが目的であった。
(2)本件は、新選組と一切関係ない。
(3)龍馬を捕縛しようとしたのは、龍馬が伏見で同心三名を銃撃したからである。
今井の言葉によれば、慶応二年の寺田屋襲撃の際に同心を銃撃した罪を問うため龍馬を捕縛しようとしたのであり、結果として龍馬が死んだ
のはハプニングであったと解することができる。実行犯に関しては、これ以外にも京都見廻組の渡辺篤が加わっていたとの説もある。
357 :
日曜8時の名無しさん:2010/10/15(金) 00:30:40 ID:I9Qyr+VT
龍馬から「船中八策」の提示を受けた土佐藩の参政・後藤象二郎は、慶応三年六月十二日に兵庫港へ上陸した。
すぐさま、象二郎は前藩主・山内容堂に「船中八策」の内容を知らせるべく、京都へ向かった。しかし容堂が
帰国していたため、象二郎は薩摩藩の家老・小松帯刀、西郷隆盛に「船中八策」の内容を知らせた。二人のうち
西郷は「船中八策」の内容に前面的に賛同した。この時点で既に西郷をはじめとする薩摩藩の大半は、武力に
よる討幕を決意していたとされる。無論、「船中八策」には武力による討幕を是とする条文はないが、・・・
龍馬暗殺まであと半年なら、
「沢村惣之丞が自ら命を絶つまで、あと9ヵ月じゃった」と言って欲しいな。
359 :
日曜8時の名無しさん:2010/11/04(木) 00:27:25 ID:hrq940Hn
360 :
日曜8時の名無しさん:2010/11/04(木) 00:55:49 ID:nHYMiA+c
伝説のまぜごはんの作り方を、誰か知りませんか?
食いたい!
982 :日曜8時の名無しさん:2010/11/24(水) 09:41:59 ID:tV31J2EZ
[歴史特集]ドラマの時代
幕末の激動時代、故郷・土佐を飛び出し、日本を舞台に活躍しつつ・・・ドラマの時代を概観しよう。
ドラマの時代1 龍馬誕生 土佐藩の成り立ちと幕末の日本
ドラマの時代2 龍馬、江戸へ遊学する 尊王攘夷運動の高まり
ドラマの時代3 龍馬、脱藩する 薩長両藩、開国論へ転換
ドラマの時代4 龍馬、暗殺される 大政奉還の駆け引き
ドラマの時代5 龍馬亡きあと 明治維新と自由民権運動の萌芽
「武士の商法」、「神風連の乱」、「秋月の乱」、「萩の乱」、「西南戦争」
NHK大河ドラマ・ストーリー 龍馬伝 前編
945 :日曜8時の名無しさん:2010/11/24(水) 00:47:53 ID:gUqpECO/
歴史特集 龍馬暗殺“誰が指示し、誰が実行したのか”
慶応3(1967)年11月15日、坂本龍馬は、京の近江屋において何者かに襲われ、
同志・中岡慎太郎とともにその生涯を閉じる。
龍馬暗殺にはいまだ不明な点があり、今なお真相が解明されたとは言えない。
ここでは、いくつかの証言や記録を見ながら、龍馬暗殺の犯人像を探っていく。
歴史特集1 諸説が錯綜する黒幕と実行犯
歴史特集2 諸記録から真相に迫る
歴史特集3 慶応3年11月15日とその後
NHK大河ドラマ・ストーリー 龍馬伝 完結編
福山龍馬へのメッセージ
坂本八平役 児玉清さん
海岸での龍馬との最後のシーン。シーンを丸ごと、都合4回撮ったのですが、
一度も間違えることなく長ゼリフを4回ピシッと決めた息子・龍馬は、雄大なる
海岸の背景とともに、僕の心の中でいつもリピートしています。
「龍馬伝」の撮影が始まって今日までの間、日ごとたくましく、男らしくなっ
ていく姿に感嘆しています。これからますます大人の男の魅力を存分に発揮して
くださるのが楽しみです
NHK大河ドラマ・ストーリー 龍馬伝 完結編
制作者からのメッセージ
龍馬のように「気持ちいい人」になりたい
チーフ・プロデューサー鈴木圭
龍馬ファンが10人寄れば、10人とも全く違う龍馬像を思い描いている。坂本龍馬という男は本当に
厄介な多面体だ。「どんな龍馬像を目指しますか?」「龍馬伝」の企画を発表して以来、この難題
にどれだけ悩まされたことか。・・・・・
私の目指す坂本龍馬像は、ひと言で言えば、「気持ちのいい人」である。ヒントは福山雅治さん
の記者会見での言葉。確か「邪気のない人」「無邪気」という表現をされていた。今の世の中、
「邪気(=病気などをおこす悪い気、悪意)」にあふれていて、心から見ていて気持ちのいい人、
というのは本当に少ない。日曜夜八時、見ているだけで気持ちよく、眼が離せず、応援したくなる
ような龍馬を演じたいと、福山さんは語った。シンプルで深い言葉に、目からウロコだった。・・・・・
NHK大河ドラマ・ストーリー 龍馬伝 前編
時代を駆ける 大友啓史〔1〕 対照的な龍馬作り
ほこりまみれの登場人物が走り、叫ぶ・・・・・。ダイナミックな展開で、NHK大河ドラマの常識を
変えたといわれる「龍馬伝」。チーフディレクターとして撮影を指揮した大友啓史さんは、まっ
たく新しい龍馬像を作り上げることから企画をスタートさせた。
大河ドラマの話が来たのは、放送開始の2年半ぐらい前でしょうか。1年間かけて描く人物と
して3人を候補に挙げ、うち1人が坂本龍馬でした。「チェンジ」というキーワードが言われて
いたころで、おもしろい題材だと思ったのです。
ただ、龍馬といえば司馬遼太郎さんの小説「竜馬がゆく」。42年前に大河でやっており、同じ
切り口ではできない。そこで見つけたのが岩崎弥太郎でした。三菱を築いた経済人が見た「志の
人」というコンセプト。映画「アマデウス」でモーツァルトの才能にあこがれ、ねたんで複雑な
感情をたぎらせた作曲家、サリエリみたいになるのではと考えたわけです。
映像的なイメージも逆に振りました。僕らの世代が思い浮かべる龍馬役といえば「幕末青春グ
ラフィティ坂本竜馬」(82年、日本テレビ)の武田鉄矢さんでしょう。小柄でギャーギャーわめ
くおっさんから、顔がきれいで足の長い対照的な姿にしようと。この案に、端正なルックスの福
山雅治さんが乗ってくれた。NHKの企画採択者たちもピンときた。そこで「行くぞ!」ってなった。
《 「主演・福山雅治」は、放送前から大きな話題を呼んだ》
福山さんには意外と骨っぽいところがあります。受けの達人でもあります。芝居で向かい合う
相手によって反応を変える。そのピュアなリアクションが輝きをみせます。長崎から東京へ出て
スターになった経歴も、土佐から全国を駆け回った龍馬と重なります。
なりきっています。共演者の本田博太郎さんいわく「龍馬が乗り移っている」。28日は最終回。
「死にっぷりを見てほしい」と自分で言って回っておきながら、どこか切ない気がします。
おおとも・けいし NHKドラマ番組部専任ディレクター。1966年5月6日、盛岡市出身。慶応大学
法学部卒業後、NHK入局。連続ドラマ「ハゲタカ」(07年)、「白洲次郎」(09年)などの演出を
担当した。
身分が低い脱藩浪士の龍馬が、どうして藩主などに会えたの?
龍馬は土佐藩を脱藩した下級武士だった。その龍馬がなぜ、福井藩の前藩主の
松平春嶽や、幕府の海軍奉行並の勝海舟といった高い身分の人々に面会できたの
だろうか。
考えられる理由を3つあげてみよう・・・・・
NHK大河ドラマ・ストーリー 龍馬伝 前編
制作者からのメッセージ
龍馬再発見の旅へ
チーフ演出 大友啓史
・・・・・(「龍馬伝」=)フィクションはいつの時代も、現実を生きている人々の無意識を反映する
合わせ鏡になります。・・・・・
制作者からのメッセージ
龍馬のように「気持ちいい人」になりたい
チーフ・プロデューサー鈴木圭
龍馬ファンが10人寄れば、10人とも全く違う龍馬像を思い描いている。坂本龍馬という男は本当に
厄介な多面体だ。「どんな龍馬像を目指しますか?」「龍馬伝」の企画を発表して以来、この難題
にどれだけ悩まされたことか。・・・・・
NHK大河ドラマ・ストーリー 龍馬伝 前編
765 :日曜8時の名無しさん:2010/11/23(火) 13:56:08 ID:fIJaOQu0
史実とは違う!も声援だ、人間できとるw
766 :日曜8時の名無しさん:2010/11/23(火) 13:59:46 ID:YsJbn41t
福山はかっこいいな
768 :日曜8時の名無しさん:2010/11/23(火) 14:05:08 ID:YsJbn41t
福山散々叩いてごめんお
777 :日曜8時の名無しさん:2010/11/23(火) 14:22:48 ID:Bx23TXsi
2位は2ちゃんでも評判良いよ。
何度も何度も書かれるけど脚本がダメってのは無いと思う。
脚本変えたら全然違うものになる。
ドラマの枠組みを作ってるのは脚本だ。
779 :日曜8時の名無しさん:2010/11/23(火) 14:25:03 ID:ICNBxiO8
やっぱり遙かなるヌーヨーカのラストシーンはいいね
久しぶりに見たけど泣きそうになったわ。児玉さんも乙彼様でした
781 :日曜8時の名無しさん:2010/11/23(火) 14:26:07 ID:kGhgiWm0
やっぱり遥かなるヌーヨーカーは全話通しても良回だな。
しかし福山はもちろんだが香川も宮迫も大泉も
大友のリハなし長回しの話が出るなー
784 :日曜8時の名無しさん:2010/11/23(火) 14:34:53 ID:mLUIq7qF
スタジオパーク良かったな
福山はすごい役者になると確信した
785 :日曜8時の名無しさん:2010/11/23(火) 14:36:11 ID:sIKlJ1++
>773
今朝のテレビでキムが「何しに来たんだよ!」「ねーんだよ」みたいな今時の若者言葉で会話を構成してるの見て
俺もしみじみそう思ったわ。中の人のキャラって重要。
788 :日曜8時の名無しさん:2010/11/23(火) 14:38:45 ID:PjYSsuNc
児玉さんが福山龍馬を推したってのは
キムに絶対やらせたくないっていう意思の表れだろうな。
796 :日曜8時の名無しさん:2010/11/23(火) 14:51:18 ID:y9t8fZxb
>791
観覧募集の時にアンケートでベストシーンを書き込む欄があった
ちなみに 自分はヌーヨーカーに入れた
797 :日曜8時の名無しさん:2010/11/23(火) 14:56:52 ID:DgJkNqxh
>796
サンクス。やはりそうか。
福山、海外でたっぷり充電してきたのか肌の色艶がやけによかったなw
第三部
☆1 第36回「寺田屋騒動」寺田屋騒動
捕り方たちが寺田屋内になだれ込む。迎え撃つ龍馬と慎蔵。大立ち回りの末、龍馬は腕に深い傷を負う。京の町を逃げる龍馬。材木置き場の屋根に隠れるが、寒さと出血で意識が遠のく。お龍は襦袢姿のままで薩摩藩邸に走る。果たして龍馬は助かるのか…。
☆2 第29回「新天地、長崎」龍馬VS西郷VS高杉
龍馬は料亭・引田屋で長州の高杉晋作に出会い商談を持ちかける。そこになだれ込んで来たのは西郷吉之助たち薩摩藩士。長州と薩摩、まさに一触即発!そのとき龍馬がほえる!「日本人同士で喧嘩をしゆう場合かえ!」
☆3 第34回「侍、長次郎」侍、長次郎の切腹
イギリスへの密航が失敗してしまった長次郎は亀山社中に迷惑をかけない為に自ら命を絶つ道を選ぶ。武士に憧れ、海外での活躍を夢見た長次郎。饅頭屋長次郎は侍長次郎として最後を遂げる…。
☆4 第35回「薩長同盟ぜよ」薩長同盟成る!
幕府の追っ手におわれながら、雪の降りしきる京の町を走る龍馬。ようやく西郷と木戸の待つ小松帯刀邸にたどりつく。龍馬を立会人として、薩摩と長州の歴史的な同盟が成立する。その夜取り交わされた盟約には、龍馬の平和への願いが込められていた。
☆5 第34回「侍、長次郎」龍馬、長次郎追悼の杯
下関で薩長同盟に向けた交渉をしていた龍馬のもとに長次郎切腹の報が届く。長崎に戻った龍馬を待っていたのは長次郎の亡骸だった…。死の直前、長次郎と二人で酒を飲む約束をしていた龍馬。龍馬は一人引田屋に赴き、長次郎の写真と酒を酌み交わす…。
☆6 第37回「龍馬の妻」龍馬のプロポーズ
薩摩藩邸に運ばれた瀕死の龍馬を懸命に看病するお龍。その甲斐あって龍馬は一命を取り留める。薩摩で療養することになった龍馬はお龍に一緒に来るように頼む。「わしらは夫婦になるがじゃ。ずっと傍におってくれ」。
☆7 第30回「龍馬の秘策」高杉晋作の覚悟
池内蔵太に連れられて長崎の唐寺にやってきた龍馬。そこには高杉晋作が待っていた。長州は独立する、異国や幕府にひれ伏すつもりはないと語る高杉の決意に龍馬は感じ入る。二人の友情の始まりだった…。
☆8 第36回「寺田屋騒動」お龍の入浴
夜。伏見奉行所の捕り方数十名が龍馬捕縛のために寺田屋へ向かう。闇にまぎれて寺田屋を囲む捕り方。湯に浸かっていたお龍が外の動きを察知。襦袢一枚で龍馬に危機を知らせに走る!
☆9 第38回「霧島の誓い」霧島の新婚旅行
薩摩で傷を癒やす龍馬は、霧島の霊峰高千穂峰に登る。龍馬の元を離れたくないお龍は男装をして同行。険しい山道を登りきった龍馬は、頂にある伝説の剣を引き抜き、再び地に突き刺す。それは龍馬が自らの手でこの国を引っ張っていくと決意した証しだった。
☆10 第38回「霧島の誓い」龍馬の覚悟 写真撮影
幕府軍が長州に攻め入ったことを知り愕然とする龍馬。薩長同盟の抑止力はもろくも崩れた。いま長州を助けなければ内乱は広がり、日本は異国に侵略されてしまう。龍馬は幕府と戦う覚悟を決める。出発直前、龍馬は自らの決意の姿を写真におさめる。
第三部
☆1 第36回「寺田屋騒動」寺田屋騒動
捕り方たちが寺田屋内になだれ込む。迎え撃つ龍馬と慎蔵。大立ち回りの末、龍馬は腕に深い傷を負う。京の町を逃げる龍馬。
材木置き場の屋根に隠れるが、寒さと出血で意識が遠のく。お龍は襦袢姿のままで薩摩藩邸に走る。果たして龍馬は助かるのか…。
☆2 第29回「新天地、長崎」龍馬VS西郷VS高杉
龍馬は料亭・引田屋で長州の高杉晋作に出会い商談を持ちかける。そこになだれ込んで来たのは西郷吉之助たち薩摩藩士。
長州と薩摩、まさに一触即発!そのとき龍馬がほえる!「日本人同士で喧嘩をしゆう場合かえ!」
☆3 第34回「侍、長次郎」侍、長次郎の切腹
イギリスへの密航が失敗してしまった長次郎は亀山社中に迷惑をかけない為に自ら命を絶つ道を選ぶ。武士に憧れ、海外での
活躍を夢見た長次郎。饅頭屋長次郎は侍長次郎として最後を遂げる…。
☆4 第35回「薩長同盟ぜよ」薩長同盟成る!
幕府の追っ手におわれながら、雪の降りしきる京の町を走る龍馬。ようやく西郷と木戸の待つ小松帯刀邸にたどりつく。龍馬を
立会人として、薩摩と長州の歴史的な同盟が成立する。その夜取り交わされた盟約には、龍馬の平和への願いが込められていた。
☆5 第34回「侍、長次郎」龍馬、長次郎追悼の杯
下関で薩長同盟に向けた交渉をしていた龍馬のもとに長次郎切腹の報が届く。長崎に戻った龍馬を待っていたのは長次郎の亡骸だった…。
死の直前、長次郎と二人で酒を飲む約束をしていた龍馬。龍馬は一人引田屋に赴き、長次郎の写真と酒を酌み交わす…。
☆6 第37回「龍馬の妻」龍馬のプロポーズ
薩摩藩邸に運ばれた瀕死の龍馬を懸命に看病するお龍。その甲斐あって龍馬は一命を取り留める。薩摩で療養することになった龍馬は
お龍に一緒に来るように頼む。「わしらは夫婦になるがじゃ。ずっと傍におってくれ」。
☆7 第30回「龍馬の秘策」高杉晋作の覚悟
池内蔵太に連れられて長崎の唐寺にやってきた龍馬。そこには高杉晋作が待っていた。長州は独立する、異国や幕府にひれ伏すつもりは
ないと語る高杉の決意に龍馬は感じ入る。二人の友情の始まりだった…。
☆8 第36回「寺田屋騒動」お龍の入浴
夜。伏見奉行所の捕り方数十名が龍馬捕縛のために寺田屋へ向かう。闇にまぎれて寺田屋を囲む捕り方。湯に浸かっていたお龍が
外の動きを察知。襦袢一枚で龍馬に危機を知らせに走る!
☆9 第38回「霧島の誓い」霧島の新婚旅行
薩摩で傷を癒やす龍馬は、霧島の霊峰高千穂峰に登る。龍馬の元を離れたくないお龍は男装をして同行。険しい山道を登りきった龍馬は、
頂にある伝説の剣を引き抜き、再び地に突き刺す。それは龍馬が自らの手でこの国を引っ張っていくと決意した証しだった。
☆10 第38回「霧島の誓い」龍馬の覚悟 写真撮影
幕府軍が長州に攻め入ったことを知り愕然とする龍馬。薩長同盟の抑止力はもろくも崩れた。いま長州を助けなければ内乱は広がり、
日本は異国に侵略されてしまう。龍馬は幕府と戦う覚悟を決める。出発直前、龍馬は自らの決意の姿を写真におさめる。
慶應3年(1867年)11月15日、近江屋の2階。
酒を飲みながら、人物名を書き記している龍馬。しだいに思いは、志半ばで命を絶った仲間たちへ。
「ここに、武市さんの名前を書きたかったぜよ」
「以蔵、おまんはやさしい男じゃき、きっと、いろんな人を助ける仕事が向いちゅうき」
「おまんのことも、忘れちゃあせんぜよ、長次郎。長次郎には、世界中を飛び回る大仕事をしてもらうぜよ」
その日の夜、中岡慎太郎が近江屋にいる龍馬に会いに来る。
「蒸気船のようにびっくりするもんが、世界中には満ちあふれちゅうぜよ」
「世界中の国の人の知恵を集めて、日本国を作ったら、世界一の国になれるがじゃき」
「そうじゃ!日本には、今のわしらあには考えも及ばんような夢と希(のぞみ)があふれちゅう国になるぜよ!」
「希・・・!」
「そうじゃ希じゃ!」
「海か・・・けんど、わしは、泳げんがじゃ」
そこへ、京都見廻り(みまわり)組がなだれ込んで来る。
・・・龍馬、暗殺。
「中岡、泳げんでもへいきじゃ。わ、わしの船は、どんな、あ、あ嵐やち、しず、沈まん・・・」
「海の向こうの世界、見てみたかったねや」
「・・・わしは・・・この命を・・・使い切れたかねや・・・」
坂本龍馬、享年33。
「母上が、わしに教えてくれたがじゃ。憎しみからは何ちゃあ生れんと・・・。」
慶應3年(1867年)10月14日、慶喜公(田中哲司)は大政奉還を決断、
徳川幕府は終焉(しゅうえん)を迎えた。
その知らせを京で聞いた龍馬のもとへ、懐かしい顔が訪ねて来た。
「勝先生!どういて?」
「なんて奴だ。こんな大仕事をやってのけるとは」
「・・・夜明けじゃ。新しい日本の夜明けぜよ!」
「おめえはおいらの幕府をぶっ壊した。800年も続いた侍の世の中を終わらせたんだ。ここからがおめえの勝負のしどころだ!さあ坂本、おめえはここから何をする!」
「ここからなんだよ。おれもおめえもな」
「・・・はい!」
「また会おうぜ、坂本」
薩長同盟を成功させ、土佐の大殿様を動かし、ついに念願の夢だった大政奉還を成し遂げた龍馬。
しかし、そんな龍馬を憎しと思うものは大勢いた。
「龍馬」
「武市さん」
「これまで、ようやったねや」
「ありがとうございます」
近江屋の2階にいた龍馬を岩崎弥太郎が訪ねる。
「弥太郎・・・そんなにわしが嫌いかえ」
「おまんはガキのころから、人のええボンボンで、きれいごとばっかり言うちょった」
「おまんのやることが正しければ正しいほど、恨みや、ねたみや、恐れ、保身・・・その怒りの矛先はおまんに向くろう」
「世の人はわれを何とも言わば言え。われがなすことは、われのみぞ知る」
「やめやッ」
「おはんは、日本一のカンパニーを作って、日本人を幸せにせんといかんがじゃ。それはわしにはできん。この世で岩崎弥太郎だけができる大仕事ぜよ!」
最新式のミニエー銃を土佐に運ぶ途中、龍馬はお龍のいる下関に立ち寄る。
「龍馬さん!」
「元気にしちょったかえお龍!」
2人の時間を楽しむ龍馬とお龍
しかし、これが2人で過ごす最後の時間だった。
慶応3年(1867年)9月23日、龍馬は土佐に戻った。
「龍馬が戻ってきたぜよ!」
「ただいま戻りました、乙女姉やん」
「龍馬、おまんはどういて土佐に戻ってきたがじゃ」
「日本の仕組みを変えるために、大殿様にお願いをしに帰ってきたがじゃ」
後藤象二郎とともに、大殿様(容堂公・近藤正臣)に建白書を書いてくれるように願い出る。
「答えや、坂本。武士も大名ものうなった世の中に、何が残る?」
「日本人です」
「異国と堂々と渡り合える、日本人です!」
後日、容堂公は大政奉還の建白書を書く。
「おんしは、わしがこれを書くと信じちょったのぉ、どういてじゃ?」
「それは・・・大殿様が武市半平太の牢(ろう)に来られたと聞いたからです。武市さんと同じ地べたに座られて、おまんはえい家来じゃと・・・武市さんは涙を流して喜んじょりました」
土佐を出る前に、桂浜で姉弟の時間を過ごす龍馬。
「わしは約束したろう。一家みんなあを連れて、世界中を旅すると!」
「もちろん、覚えるちゅう」
「わしが、姉やんらあに広い広い世界を見せちゃるき!」
「そうかえ・・・ありがとう。ありがとう、龍馬」
土佐藩の後藤象二郎と手を結んだ龍馬は、
「わしら亀山社中の名を捨て、これからは「海援隊」と名乗るがぜよ」
「海から日本を助ける海援隊じゃ!」
そして、海援隊の経理全般は岩崎弥太郎が担うことになる。
龍馬はお龍を連れて、下関へ。そこで病におかされている高杉晋作と最後の会話を交わす。
「戦に勝った者ではのうて、日本と日本人を幸せにしようゆう志の高い者が、国の政(まつりごと)を担う世の中ぜよ」
「高杉さんが作った奇兵隊には身分の差らあなかったじゃき。・・・奇兵隊を見て、わしは確信したがぜよ。これこそが新しい日本の形じゃと」
「・・・うれしいのぉ。ぼくは、希望を託せるお人に出会えた」
「日本を頼みます、坂本さん」
京に上った龍馬は、中岡慎太郎(上川隆也)と会い、のちに「船中八策」と呼ばれるようになる条文を見せる。
そこには、龍馬がこれまでさまざまな人と出会い、学んできたことが見事に生かされてた。
「・・・これは木戸さんから教えてもろうたことぜよ」
「・・・これは横井小楠先生からきいたがじゃき」
「・・・吉田東洋様が言われたようにの」
「・・・これはもちろん勝麟太郎先生の教えぜよ」
「・・・これはの、長州の久坂玄瑞殿がわしに教えてくれたことぜよ」
「なんちゅうことをおまんは・・・わしは、わしは涙がでてきたがじゃき!」
「・・・しかし龍馬、これを世の中に出したら、おまん、殺されるぜよ」
事実、龍馬暗殺まで、もう五か月を切っていた。
京都で薩土盟約を結んだのち、龍馬は長崎に戻る。
そこで龍馬は、隠れキリシタンであることがばれたお元(蒼井優)を、イギリスへ逃がす。
「泣きな、お元。今までつらかった分、神さんはおまんにようしてくれるき」
「坂本さんが志ば成し遂げて、日本の、新しか国に生まれ変わったら・・・」
「変わったら、何ぜ?」
「・・・戻ってきてもよかですか」
「当たり前ぜよ。そのときは、おまんが誰の目も気にすることのうマリア様を拝める国になっちゅう。わしが、誰でも笑うて暮らせる国にしちゅうき!」
どんなにつらくても、結末はやって来る。
龍馬伝絵巻4
2010年11月28日、『龍馬伝』は最終回を迎えました。第1部、第2部、第3部と、龍馬の心の動きや成長をダイジェストで
つづってきた「龍馬伝絵巻」も今回で最後となりました。ホームページでは、1〜4の「龍馬伝絵巻」がご覧いただけます。
泣き虫少年だった龍馬から暗殺されるまでをもう一度、振り返ってみてはいかがでしょうか?
慶応2年(1866年)、ついに幕府と長州の戦がはじまった。
龍馬たち亀山社中は、高杉晋作(伊勢谷友介)率いる奇兵隊とともに幕府軍を迎え撃つ。
「碇(いかり)を上げや!」
「高杉さんらあを助けるがじゃ!敵船を近づけるな!」
幕府が長州に負けたという事実は日本中を揺るがした。
この勢いで、一気に倒幕にでようとする木戸貫治(谷原章介)。
しかし龍馬は
「日本人同士が殺し合うて、えいことらあら、ひとつもないがじゃき」
慶応3年(1867年)1月12日、『清風亭』。
土佐藩の後藤象二郎(青木崇高)と龍馬は会談をもつ。
土佐藩のために長州藩との橋渡しをするよう龍馬に迫る後藤に対して龍馬は、
「今こそ、大政奉還を迫る絶好のきかいですろう」
薩長と土佐が手を組めば、大政奉還は実現できると後藤を説得する。
「わしは土佐のためでのうて、日本のために働きゆう。・・・土佐が新しい日本を作る要になるゆうことじゃ」
「・・・わかった。おんしの話に乗ろう」
「約束のシェイクハンドじゃ」
新天地、長崎へ。
9月26日の放送から『龍馬伝』は最終章である、第4部に突入します。
ここでは、「龍馬伝絵巻2」に続き、第3部での龍馬の動き、葛藤(かっとう)をダイジェストでお届けします。
龍馬伝絵巻3
第3部のメインイベントは、なんといっても薩長同盟。
薩摩と長州の手を結ばせることで、日本を変えたい。徳川幕府を倒したい。
同じ志をもった亀山社中の仲間とともに、龍馬は動き出します。
「もうすぐ長崎ぜよ!全速前進じゃ!」
薩摩藩の船で、西郷吉之助(高橋克実)とともに薩摩へ向かう龍馬(福山雅治)たちは、途中長崎に立ち寄る。
「長崎はおもしろいぜよ。日本と世界がかかわっちゅうゆうことを肌身に感じるがじゃき」
龍馬は西郷に、自分たちは長崎で商売をしたいということ、そして、これからの日本について語る。
「侍は藩の下で生きる。藩は幕府の下で生きる。今まではそれが当たり前じゃったけんど、もうそろそろ止めにしてもえいがではないですろうか」
「幕府の下から飛び出してみんかえ、西郷さん」
「ここらで世の中の仕組みを変えんと、日本は異国の餌食(えじき)になってしまうぜよ」
また長崎では、同じ志をもつ男との出会いも待っていた。長州藩の奇兵隊を率いる高杉晋作(伊勢谷友介)だ。
「ぼくらは独立するんです」
「ぼくらは異国との戦に負けて、力ずくの攘夷(じょうい)は無理じゃと悟りました。じゃが異国にひれ伏すつもりはありません。まして幕府にひれ伏すつもりなど、毛頭ない!」
ミステリアスな芸子(げいこ)・お元(蒼井優)とも出会う。
「世の中の仕組みば変えるってどげん意味ですか?」
「日本人みんなあが笑うて暮らせる国を作りたいがじゃき」
薩摩に龍馬たちを連れて行こうとする西郷に、ついに龍馬は秘策を告げる。
「西郷さん、このまま幕府の下におったら薩摩の将来はないがです」
「幕府に逆らうこつなんどできるわけがなか。戦になったら薩摩に勝ち目はなかとじゃ」
「あります!長州と手を組むがぜよ!」
龍馬たちは「亀山社中」を結成。
慶応元年、1865年5月23日。
龍馬は長州へ向かう途中、福岡の大宰府(大宰府)で土佐藩の旧友と再会する。中岡慎太郎(上川隆也)だ。
「わしはあのお方に出会うて目がさめた。武市さんのように、一切の私心なく、天下のために働きたいがじゃ」
「一切の私心なく・・・わしも、自分のことらあどうでもえい。この日本を、えい国にしたいがぜよ」
長州で龍馬は桂小五郎(谷原章介)に、薩摩が長州と手を結ぶ意志があることを伝える。
「ぼくらを結びつけて、君に何の得があるんか」
「桂さんらあに幕府を倒してもらわんと、日本の将来はないき」
しかし、薩摩から長州へ向かったはずの西郷は、そのまま京へ行ってしまう。
「二度とぼくの前に現われるな!」
西郷が京へ向かったのは、隠密(おんみつ)に薩摩と長州の動きを感づかれたかもしれないという恐れがあったためだった。
慶応2年、1866年1月22日夜、薩摩と長州の秘密会議が始まる。立会人は、元土佐藩士、坂本龍馬。
「ここに至るまで、何人もの命が失われてきたがです。わしの友にも、死んでいったものは大勢おる。その者たちの志も、薩長の盟約に入れてくれませんやろうか」
「おいに異論はありもはん」
「ぼくもじゃ」
「ほんなら、これをもって、薩摩と長州の盟約は成ったということで、えいですねや」
薩長の盟約を成し遂げた龍馬は、このときから政治の表舞台へと顔を出す。
同時にそれは、何か大きなものの標的にされるということでもあった。
事実、龍馬は寺田屋で伏見奉行の捕り方に囲まれる。
「早う逃げとくれやす!」
「窓からは逃げられん!」
「迎え討つしかないねや」
寺田屋を脱出したが、深手を負った龍馬は、生死をさまよう。
「後は頼むぜよ、西郷さん、木戸さん・・・」
「お龍・・・ごめんちや・・・」
「みんな・・・ごめんちや・・・」
薩摩藩邸に運ばれ、なんとか一命をとりとめた龍馬は、木戸のために、この盟約は確かに薩長の間で交わされたものであるという証文を書く。
そして、寺田屋で命がけで龍馬を守ろうとしてくれたお龍(真木よう子)へ
「ずっとわしのそばにおってくれ」
「わしらは夫婦になるがじゃ、お龍」
「はい、龍馬さん」
お龍を連れて亀山社中の仲間がいる長崎に戻ってきた龍馬。
「西郷さんと木戸さんが約束を交わすがを、わしは、その場でしっかり見届けたき」
「日本は大きゅう変わるがぜよ」
グラバー邸では、豪商である大浦慶(余貴美子)、小曽根乾堂(本田博太郎)、グラバー(ティム・ウェラード)に今後の夢を語る。
「薩長を盛り立てて、いよいよ幕府を倒しにかからんといかんがじゃ」
「できれば、戦をせずにのぉ」
「相手をたたきつぶしててっぺんに立てば、今度は自分がやられる側じゃ。それでは今までをなんちゃ変わらん・・・」
冒険の旅へ。
新たな出会いへ。
7月18日の放送から『龍馬伝』は第3部に突入します。
龍馬伝絵巻2
第1部終了後の「龍馬伝絵巻」に続き、今回も龍馬の心の動き、苦悩、成長をダイジェストでお届けします。
脱藩し、孤立無援となった龍馬は、自らの師を求め、日本の希望を見いだすために旅に出ます。
文久2年(1862年)。龍馬(福山雅治)は、脱藩した龍馬を捕まえるために大坂に来ていた岩崎弥太郎(香川照之)と再会する。
脱藩の理由を問い詰める弥太郎に龍馬は、
「どうもわしの思うちゅう攘夷(じょうい)は、ほかの者とは違うたがぜよ。どう違うがかと聞かれても困るが」
「わしには まだまだ知らんことがようけあるき。何をするか決めるがは、まだ先ぜよ」
まるで別世界にいるような、凄(すご)みのある男になっていた龍馬に、弥太郎は圧倒される。
その後、初恋の女性、加尾(広末涼子)に会うために龍馬は京都へ。
そこでも脱藩の理由を聞かれる。
「戦になったら日本は勝てんき。それどころか一気に異国の属国になってしまうろう」
「わしはの、ケンカせんと日本を守るにはどういたらえいかを考えゆう。それを教えてくれる人を探して、わしは旅をしゆううがぜよ」
そして、その後の龍馬の人生を変える人物の名が、加尾の口からもたらされる。
「江戸に、勝麟太郎様ゆうお人がおるそうやき」
「龍馬さんに生きる道を教えてくれるがは、そのお方やないろうか」
加尾も弥太郎と同じように龍馬の変化に気づいていた。
「おまさんはもう、私の知っちゅう龍馬さんではのうなってしもうた」
「どうぞ江戸に行ってつかあさい。おまさんは、大きな仕事を成し遂げるために、この世に生れてきたお方ですきに、私のことは、もう忘れてつかあさい」
龍馬と加尾に、最後の別れが訪れる。
江戸に出向いた龍馬は、海軍奉行、勝麟太郎(武田鉄矢)を訪ねる。
一度は龍馬のことを追い払った勝麟太郎だったが、龍馬が「藩も幕府もいらぬ」と言ったことを知り、もう一度、龍馬と話がしたくなる。
日本が異国の属国にならないためにはどうすればいいのかを勝に問うが、「おめえはどう思う」と逆に聞かれる。
「自分の腹ん中よおく探ってみな。何かあるはずだ」
「わしは北辰一刀流の目録をもろうたがです。おこがましい言い方をしたら、わしは、強いがじゃ」
「そもそも、わしが強いと知っちゅう者はケンカを吹っかけてきませんきに」
「つまり、わしが言いたいがは・・・今、日本が異国の言いなりになっちゅうがは、戦になったら負けることがわかっちゅうきぜよ」
話しながら、だんだん自分の考えが見えてくる龍馬
「けんど、強い海軍さえあったら、誰ちゃあ負けん剣の腕があったら戦にはならん」
「そうじゃ!異国の技術を学んで日本の軍艦をどんどん造ったらえいがぜよ!」
「異国と渡り合える文明を持ったら、日本は安泰となりますき!そうじゃ!戦をせんでも攘夷が成し遂げられますき!」
それを聞いた勝は、
「おめえはおもしれえ!合格だ、坂本!」
「探してたんだよ、おれは。海軍作りの力になってくれるやつを!」
勝に連れられ日本の黒船「咸臨丸(かんりんまる)」の甲板にいる龍馬。
「何ちゅうことじゃ!わしは今黒船に乗っちゅう!黒船じゃああああああああああああああああ!」
そこには、あのジョン万次郎(トータス松本)もいた。勝は万次郎に
「俺らあなジョン。海軍操練所を作ったら訓練生の頭を、こいつに任せようと思ってんだ」
と龍馬を紹介する。
「オー!ワンダホー!」
龍馬は勝の命を受け、海軍操練所の訓練生を集めるために大坂へ向かう。
旅をするたびに、誰かと出会うたびに、龍馬は大きくなっていく。
海軍操練所の訓練生を集めながら、大坂の勝塾で船舶の知識や技術を学ぶ龍馬。
一方、土佐では山内容堂(近藤正臣)による土佐勤王党の弾圧が始まり、平井収二郎(宮迫博之)が投獄される。
京の土佐藩邸で、収二郎を助けるために土佐に戻ろうとしている武市半平太(大森南朋)と会う龍馬。
「わしといっしょに海軍をやりましょう、武市さん。本当の攘夷をやるがです!」
「収二郎を放っちょくわけにはいかんぜよ」
容堂は、下士(かし)の集まりである勤王党を嫌っており、今土佐に帰ると必ず逮捕されることを半平太に訴える龍馬。
「土佐にもんてはいかん、それだけはやめてつかあさい」
「攘夷(じょうい)の夢が破れてしもうたがじゃぞ・・・をのわしに大殿様までも信じるなゆうがは、武市半平太ゆう男を、わしの人生のすべてを、否定することぜよ」
龍馬は、勝塾の資金調達のために越前の松平春嶽(夏八木勲)に会いに行く。
「お願いしますき!勝塾のため、日本の海軍のために、千両!どうかご助勢もらえませんろうか!」
「わしらあは必ずそれを生き金にしてみせますき」
「その金で日本の将来を担う人間をつくり、日本を守る海軍ができるきです」
資金調達に成功し大坂に戻った龍馬に、加尾から兄、収二郎の死を伝える手紙が届く。
「私には、どういてもわかりません。兄上は、どういて切腹させられたがですろう。教えてとうせ。龍馬さん。教えて・・・」
世の中の大きな流れから見れば、1人の人間の命など、けし粒ほどのものでしかないのだろうか?
「わからん!やっぱりわしにはわからんがじゃき!収二郎さん!ああああああッ」
土佐に帰った武市半平太、新選組に追われている岡田以蔵(佐藤健)。
龍馬は、勝麟太郎に2人を助けたいを申し出るが、勝はそれを許さない。
「以蔵が無理なら、せめて武市さんを!わしらは幼なじみですき!考えは違うても、友だちですき!」
「お前はおれが見込んだ男だぞ!日本のために、日本の将来のために働いてもらうために、弟子にしたんだ」
「お前を死なせるわけにはいかねぇ。坂本龍馬にはこれから成すべき事が山のようにあるんだよ!」
そして土佐に戻った半平太は、龍馬が心配したように、半平太が覚悟したように、投獄される。
龍馬は、やがて妻となる女性、お龍(真木よう子)と出会う。
「日本を守るゆうて大口をたたいて土佐を飛び出したのに、まだ何も成し遂げちょらん」
そのころ、逃げ回っていた以蔵も逮捕される。
「大切な友だちが、・・・また捕まってしもうたがぜよ」
「また・・・なんちゃあ出来んかった」
元治元年、1864年、池田屋事件。
海軍操練所を抜け出し、池田屋で長州の攘夷派を密会していた土佐藩士(音尾琢真)が池田屋事件で死んだ。
神戸村へ帰る途中に立ち寄った船宿・寺田屋で、母にそっくりの女性に会う。
「実は、わしの母上に・・・そっくりながじゃ」
「まだ心の臓がドキドキして、お登勢さん(草刈民代)の顔がまともに見られんがぜよ」
海軍操練所のメンバー望月亀弥太が、長州藩士と策略を企てていたことにより、勝は軍艦奉行を降ろされ、海軍操練所は閉鎖となる。
「ここが閉鎖ということは日本の海軍はどうなるがですろう。異国から日本を守るための海軍は、どうなってしまうがですろうか」
「こうなったのは、何もかもおれの力が足りなかったからだ、すまねえ、みんな!」
と土下座をする勝麟太郎。
海軍操練所の閉鎖は、龍馬の居場所も、日本を守るという夢も閉ざされるということだった。
海軍操練所が閉鎖され、行き場を失った龍馬に、勝は薩摩藩の西郷吉之助(高橋克実)を紹介する。
西郷と会った龍馬は、薩摩藩の長州征伐をやめてくれるように説得する。
「今、日本人同士で戦を始めたら、異国につけいられて、この国はどこかの属国にされるかもしれんがぜよ」
「坂本さんは長州の味方ごわすか」
「わしは、日本人の味方じゃ」
最後の海軍操練所。勝は訓練生に言う。
「海が日本と世界をつないでいる。お前たちの腕で日本を変えてみろ。この日本を、世界と五分に渡り合える国にしてみろ!」
「お前たちは、おれの希望だよ」
「わしらは、何やちできるぜよ!」
土佐では半平太は投獄され、以蔵は拷問を受けていた。それを弥太郎からの手紙で知った龍馬は、いても立ってもいられず土佐へ。龍馬は兄・権平(杉本哲太)に、
「縁切状」を書いてもらい、以蔵を拷問している後藤象二郎(青木崇高)の前に現れ、
「吉田東洋(田中泯)を斬(き)ったがわしじゃ」
と言い放ち逃げ去る。
その後、奉行所の半平太のろうに忍び込んだ龍馬。だがもう半平太は、吉田東洋を殺したのは自分たちだと容堂に白状していた。
「龍馬、あれはもう十年も前じゃ。おまんが弥太郎に言うたことがあった、土佐を上士(じょうし)も下士(かし)もない国にすると」
「坂本龍馬がどうやって日本を変えるがか楽しみぜよ。きっとわしが思いもつかんやり方を考えるじゃろうのぉ、おはんは」
死を覚悟した半平太を見つめ、
「・・・ありがとうございました、武市さん」
武市半平太と岡田以蔵が、その生涯を終えたのは、それから間もなくのこただった。
龍馬は仲間と薩摩へ行くことを決意する。
「わしらはどんな船でも操れる。この腕がある限り、わしらは誰にも縛られることなく、己の道を進めるがじゃき!」
「それは、この国を洗濯することぜよ!」
「徳川幕府が二百六十年間も支配したこの国には、コケやあかがへばりついちゅう」
「それを全部洗い落として真っ白にする。」
「それこそが、わしらの成すべき事ぜよ!」
泣き虫で、誰にもやさしい男の子だった龍馬は、母と父の死、幼なじみの非業の死を乗り越え、志の尊さを知り、悲しみ、別れ、むなしさ、くやしさ、人の恐ろしさや愚かさを知り、
このときから龍馬は、あの坂本龍馬になっていく。
そして『龍馬伝』は、第3部へ。
今の龍馬ファンへ!これからの龍馬ファンへ!
4月4日の放送から『龍馬伝』は第2部に突入します。
龍馬伝絵巻
学問も剣術も苦手な、泣き虫少年。それが、坂本龍馬だった。
当時の土佐藩には武士の中にも、上士(じょうし)、下士(かし)という厳しい階級制度があり、龍馬たち下士は屈辱的な差別を受けていた。
ある日、龍馬(濱田龍臣)の不注意がもとで事件がおきたとき、上士から龍馬を守ってくれた最愛の母(草刈民代)を亡くしてしまう。
息を引き取る間際に母上が言った言葉を、龍馬は胸に刻む。
『憎しみからは・・・何も生れません・・・何も』
青年に成長した龍馬(福山雅治)は、これまで当たり前のように続いてきた階級制度や差別に疑問を感じる。
「土佐もいつか変わる日が来るかもしれ。けんど、どうやったら土佐が変わるかわからん。毎日毎日考えゆうけんど、わからん。」
「わかっちゅうは、ケンカじゃ変えられんゆうことぜよ」
「母上が・・・教えてくれたがじゃ・・・」
広い世の中を見たい。江戸へ行きたい。そうすれば、自分が何のために、この世に生れてきたのか・・・わかるかもしれない。
千葉道場での剣術修行のために江戸へ出て来た龍馬。そのころ、黒船の来航が日本を揺るがす。
桂小五郎(谷原章介)と黒船を間近で見た龍馬は、
「なんちゅうでかさじゃ。あんなものがこの世にあるとは・・・!」
「あんな化け物に、剣は通用せんぜよ」
「桂さん、実はわしも悩んじゅうがです。
このまま・・・剣術修行を続けておってえいがじゃろうか」
悩む龍馬を吉田松陰(生瀬勝久)が一喝する。
「君は何者じゃ!何のためにこの天の下におるんじゃ!」
「考えるな!おのれの心を見ろ!」
吉田松陰の言葉に、剣はただの道具ではないことに気づかされる。
「黒船に通用するかせんかは、剣ではなかったがでした。この坂本龍馬ゆう人間の問題やったがです」
江戸での剣術修行を終え、15か月ぶりに土佐に帰る。土佐の一望できる高台に立ち
「土佐は、・・・こんなにこまかったかのぉ」
土佐で龍馬は、絵描きで学者の河田小龍(リリー・フランキー)に会う。そこで龍馬は、世界地図を始めて見て、日本がちっぽけな島国であること、アメリカでは、町人や農民であっても、大統領になれることを知り驚く。
「わしは江戸で学んだがじゃ。おのれをまどわす敵は、実はおのれの中にあるということを」
幼なじみの武市半平太(大森南朋)は、攘夷(じょうい)を掲げ、下士たちのリーダーになっている。龍馬は、力ずくで攘夷(じょうい)を実行しようとする半平太たちに距離を置く。
死を前にした父(児玉清)は龍馬に言う。
「この世に生まれたからには、おのれの命を使いきらんといかん。使い切って・・・生涯を終えるがじゃ」
「父上。私は、まだ何も成し遂げちょりません。父上に何もお見せできちょりません」
世界は広い。いつか黒船を造り、家族を乗せて世界中を旅したいと、父に自分の夢を語る龍馬。
そして初恋の人、加尾(広末涼子)に
「わしはまだ何者にもなっちょらん。」
「もうちくっと待ってくれ、加尾。そのときが来たらおまんを迎えに行くきに」
と言い残し、再び龍馬は江戸へ。
江戸の千葉道場で修行を終え、北辰一刀流の目録を与えられる龍馬。
「剣を極めたからには、人としての道もおのれで切り開いていかねばならん。・・・その苦痛を乗り越えていけば、そこにほかの誰でもない坂本龍馬の生きる道が見えてくるであろう」
千葉定吉(里見浩太郎)の言葉に
「先生の今のお言葉は、決して忘れませんき」
と胸を熱くする龍馬。
ずっと龍馬に恋心を抱いていた千葉道場の長女、千葉佐那(貫地谷しほり)は、土佐へ帰る龍馬へ胸の内を告白する。
「私は・・・あなたのことをお慕い申しておりました」
「土佐には、大事なものがあるがです。わしにとってかけがえのないもんが」
龍馬が2度目の江戸修行を終えた年、日本はアメリカと修好通商条約を結ぶ。
土佐に戻った龍馬は、加尾にプロポーズする。
「わしは江戸で、ようけ学んだがじゃ」
「これから坂本龍馬が何をするかワクワクしゆう。いつか、黒船も造りたい」
「加尾、わしはもうどこへも行かん。わしの女房になってくれんかえ」
「・・・はい」
しかし龍馬と加尾は引き離され、加尾は京都へ。
土佐では、下士を中心に攘夷(じょうい)の機運が高まって行く。
龍馬は、姉・乙女(寺島しのぶ)にポロリとつぶやく。
「わしは息苦しゅうての・・・ここは土佐じゃ。わしが生まれ育ったところぜよ。けんど、だんだんわしの居場所がのうなっていくような気がするき」
「居場所がないと思うがは、おまんが大きゅうなったきじゃ。えいことちゃ」
岩崎弥太郎(香川照之)に自分の揺れ動く気持ちをぶつける龍馬。
「わしは日本人じゃき、この国を守りたい思うがじゃ」
「土佐の人間である前に日本人ながじゃ、わしは」
「おまんは土佐を出たいと思うたことはないがか、弥太郎。」
「上士、下士にしばられることなく、自分のやりたいように生きてみたいと思うたことはないがか」
土佐藩は、攘夷(じょうい)派と開国派にますます分裂していく。
しかし龍馬は、そのどちらにも属さない。
「上士も下士も、攘夷(じょうい)派も開国派も、日本人も異人も、みんなあ一家のように仲ようなったら、この世から戦らあのうなるのにのぉ」
それを実現するためには、どうすればいいのか?龍馬にはわからない。ただ、武力や争いでは実現できないことだけはわかっている。
いくら考えても答えは見つからない。土佐には、その答えはないのかもしれない・・・
苦悩しながらも、龍馬は脱藩を決意。
自分の生きる道を切り開くために、家族に、友人に、土佐に別れを告げる。
そして、第二部へ。
844 :日曜8時の名無しさん:2011/01/29(土) 02:38:03 ID:KSXl/0Zm
篤姫 第38回「姑の心 嫁の心」
・・・その頃、遠く離れた江戸では勝麟太郎さまをお訪ねの方がおいででした。
勝 「越前様の紹介・・・か・・・・・用向きを伺おう」
龍馬「無用心やにゃぁ。会うたこともない相手と二人になるゆうて
勝 「なんだい、用心がいるのかい?」
龍馬「場合によったらあんたを斬らせてもらう」
勝 「俺を斬る?・・・・そうか、そいじゃあ俺の部屋へ行こう」
龍馬「はい・・・・・・・・え?」
勝 「斬られる前に茶が飲みたくなった・・・・・・茶もいいが、こっちにしよう。坂本とか、まあお座りなされ、
これはウィスキーという麦から作った酒じゃ、うまいぞぉ・・・・土佐の者か?」
龍馬「土佐を脱藩してきたきに」
勝 「じゃあ、ジョン万次郎を知ってるな」
龍馬「はあ、会うたことはないけんど」
勝 「や、無類の船乗りだあ、俺とアメリカへ行った」
龍馬「ほんで、アメリカゆうがはどんな国ながですか?」
勝 「ひとことで言えば才能のある者が出世できる国だ、だから、皆が競い合ってどんどん優れたものが作られる」
龍馬「要するに家柄や身分で一生が決まってしまう日本とは大違いいうことかえ?」
勝 「なんでえ、分かってんじゃねえか・・・・・そういう国を創りたくはないか?・・・・それには開国だよ、どんどん
異国の知識、技術を取り入れなきゃ。まずはしっかりと目を開いて日本の周りを見てみろ何がある?
・・・・・海だ!海しかない!海しかないのに海軍すら持っていない、これで世界に勝てるはずがない、違うかい?
龍馬「・・・・・海・・・・・世界・・・・」
勝 「どうしたぃ?」
龍馬「海軍を創るには幕府を動かさんといかんはずや、そこはどうするがですか?」
勝 「よく聞いた!それには幕府の重役たちを軍艦に乗せるのが手っ取り早い、身をもって知るってやつだ。・・・・
公方様ご上洛の折にも軍艦をお使いいただこうと思っている」
龍馬「公方様まで!」
勝 「そうよ!お喜びになるでぇ」
龍馬「勝・・・勝先生!」
勝 「なんだよ、おい、急に先生に格上げかい?
龍馬「お話、腹の底に響いたきにぃ、弟子にしてくれませんろうか?」
勝 「俺を斬るっていう話は?」
龍馬「場合によったらと言うたはずです」
勝 「ったく、それじゃあとりあえずウィスキーでも飲みな」
龍馬「はい」
勝 「坂本、いつも海を思え、海がなきゃ、そのウィスキーだってここに届かねえんだってことだよ」
二人「ハハハハハ・・・・・」
666 :日曜8時の名無しさん:2011/01/22(土) 00:09:33 ID:+B7Exge1
篤姫紀行 第36回「薩摩か徳川か」
京都府京都市〜寺田屋事件〜
京都市の南に位置する伏見。江戸時代、伏見は京都と大坂を結ぶ水上交通の要衝として栄えました。[両替商跡の碑]
名水が湧く伏見では酒造りが盛んに行われていました。(語り 内藤裕子アナウンサー)文久2年、1862年 、船宿寺田屋で
事件が起こりました。有馬新七ら急進派が同じ薩摩藩士によって鎮圧されたのです。[大黒寺]犠牲になった9人は
寺田屋の北にある大黒寺に葬られました。後に西郷隆盛が自ら筆を取り墓碑銘を書いたと伝えられています。
伏見での出来事が天璋院の愛する薩摩の行く末を大きく変えていきます。
「大黒寺」への行き方 近鉄京都線「桃山御陵前」京阪本線「伏見桃山」下車徒歩10分
624 :日曜8時の名無しさん:2011/01/19(水) 14:37:05 ID:VvUOTqJb
篤姫紀行 第35回「疑惑の懐剣」
高知県高知市〜龍馬のこころ息づく町〜
高知県高知市、土佐藩24万石の城下町として栄えました。[坂本龍馬誕生地の碑]坂本龍馬は篤姫や
小松帯刀と同じ天保6年、1835年に生まれました。
市内を流れる鏡川。龍馬は川沿いにあったとされる日根野道場で14歳から剣術を学びます。
市内の北側には龍馬ゆかりの家屋が残されています[田中良助旧邸]。
時折ここを訪れ、囲碁や将棋を楽しんだと言います。
龍馬が脱藩を決意した時、立ち寄ったと伝わる和霊神社。(語り 内藤裕子アナウンサー)龍馬は藩の
後ろ盾を捨てることで大きな飛躍を遂げていくのです。[坂本龍馬像(桂浜公園)]
幕末の動乱を駆け抜けた坂本龍馬。後に小松帯刀と運命的な出会いを果すことになります。
(演奏 吉俣良×千代正行)
「坂本龍馬像(桂浜公園)」への行き方 JR「高知」よりバス「桂浜」下車徒歩10分
773 :日曜8時の名無しさん:2010/09/11(土) 18:14:23 ID:nVUFN6KX
すぐに龍馬から書状が届き、そこには「百両は海援隊の仕官たちに与えた。しかし私の給金はどうしてくれるのか」
と書かれていた。後藤に確認したところ、その必要はないというので、それを龍馬に伝えたが、龍馬はなかなか
聞き入れようとしない。その日、龍馬らは大洲藩船いろは丸で大坂に向かわなければならないことになっており、
それを理由に、「ぜひとも五十両借してほしい」と粘るのだった。なんともわがままな龍馬だった。しかたなく
弥太郎は、独断で公金から五十両を出し、自ら龍馬の宿へ現金を届けにいった。金を受け取った龍馬は、大いに喜び、
弥太郎に酒を出してもてなしている。はじめて顔を合わす二人が、お互いにどのような印象を持ったのかは記録に
ないためにわからないが、初対面にして意気投合したということだろう。
698 :日曜8時の名無しさん:2010/09/11(土) 13:16:40 ID:nVUFN6KX
その後、恩師の東洋が土佐勤王党の手で暗殺されたこともあって、再び不遇の時期を過ごした弥太郎だったが、慶応三年(一八六七)、
三十四歳のときに転機を迎えることになる。
東洋の門下で知己を得ていた後藤象二郎が、そのころ参政になっており、弥太郎に再度の長崎出張を命じたのだ。今度の役目は、藩の
内外商取引のために新設された土佐商会の運営にあたることにあった。
三月に長崎に赴任した弥太郎は、そこで気になる人物と出会うことになる。それが、土佐を脱藩し、この時期に復帰していた坂本龍馬で
あった。
「龍馬伝」では、幼いころからの知り合いとして描かれる龍馬と弥太郎だが、史実のうえではこの時期まで二人が出会った記録はない。
文献上、彼らがはじめて顔を合わせるのは、慶応三年四月十九日のことである。
その日、参政後藤から、「坂本の社中十六人が一人あたり月五両の給金を要求しているので、渡してやってくれ」という指示があったので、
弥太郎は、そのとおりにして百両を龍馬のもとに届けさせた。土佐商会は、藩に付属する海援隊の世話もしていたのだった。
231 :日曜8時の名無しさん:2011/05/24(火) 00:04:20.19 ID:Uc5FitI4
5月23日 魂ラジレポート
児玉清さんのご逝去を悼んで
5月16日に俳優の児玉清さんがお亡くなりになったことを受け、福山さんの口から語られたことを掲載致します。
F「こんばんは、福山です。みなさん、既に報道などでご存知だと思いますが、俳優の児玉清さんが今週月曜日にお亡くなりになりました。
77歳でした。コメントを各メディアから色々お願いされていたんですけど、なんかコメントって自分の中ではどうかなと思っちゃって。
今日は番組の冒頭で僕なりに感じた、お伝えしたいなと思っている児玉さんの人となりを少しお話させていただければなと思ってまして。
初めて僕がお会いしたのはですね、2003年のドラマ『美女か野獣』で共演させていただいたときだったんですね。
『すごくクールな方なのかな。』って勝手な印象を持ってたんですけど、実際に芝居場でもセッティングの合間とかにはずっと現場に
たたずんでいらして。前室っていうスタジオの外にある溜まり場みたいなところがあって、役者さんたちっていうのは大体その前室にいて
バカ話したりしてるんですけど、児玉さんはいつも一人ぽつんとスタジオの中にいらっしゃる感じだったんですよ。
『一人になりたい方なのかな。クールな方なのかな。』と思ってたんだけど、僕も余計なお世話といいますか、ちょっとコミュニケーションをなんて
勝手に思いまして、よくスタジオの中でお話させていただいていました。とても知的な方で、読書家で書評家でもいらっしゃいましたから、
本当に色々なことをご存知で雑学的なことも勉強になりますし、文学的なことも大変勉強になりました。色々お話させていただいた中でですね、
児玉さんが『僕はオリンピックに行きたいんですよ。一生に1回でいいから。』なんてお話をされていて、僕はちょうどテレビ朝日さんの方で
オリンピックに行く機会が多かったので、『じゃあ、是非とも一緒に行きましょうよ。僕、ちょっと番組の方に言ってみますよ。』なんて言って、
2004年に一緒に行く機会をいただきまして。テレビ朝日さんの方からも快諾していただいて。
その後もメールのやり取りはずっとしていたんですね。あんまりメールも慣れてらっしゃらなかったんですけど、僕がいつも『メールしてくださいよ。』って
しつこく言ってたものですから、メールをいただいたりなんかして。で、『龍馬伝』で共演ってことになったんですけど、この共演にあたっても
最後の最後に背中を押してくださったのは児玉さんだったんですよね。児玉さんは本当にごく内密に僕が坂本龍馬役のオファーを受けているということを
ご存知でいらっしゃった。児玉さんは常々僕に、『あなたは一見飄々としているように見えて世間では二枚目風に思われているけど、
僕が知っているあなたはもっと骨っぽくて男らしいところがあるから、そういうものが見たいな。』とおっしゃって下さっていて、
『龍馬は本当にぴったりだと思うよ。』とも言って下さって。僕は自分ではそういう風に自分のことを客観的に見れないので、ああだこうだうだうだ
迷っていたんですけど、児玉さんがそこまでおっしゃってくださるんだったらやってみようかなと思って。最後のひと押しというか勇気をいただいて
『龍馬伝』をやることになったんですよね。
『龍馬伝』の中では父子という関係だったんですけど、お芝居をしてても役柄という設定以上の何かを感じられた。
それは僕がってことじゃなくて、あえて愛情と言わせていただきますけど、児玉さんがそういうお気持ちで芝居場に立ってくださって、
そういう思いをどんどん出して下さったので僕自身もそういうお芝居ができたんじゃないかなと思って。役柄以上の何か、役を越えた生の感情というものを
親子のシーンの中ではいつも感じさせていただきました。児玉さんが演じられていた八兵衛さんは役柄上、第7話で亡くなったんですけど、
その後も本当に1年間ずっとほぼ毎週ですかね、メールを下さいまして。『今週はあれが良かった。これが良かった。』って。
当然お芝居で迷ったりすることもあるんですけど、児玉さんがいつも応援して下さっていて、支えて下さっていたので、それで乗り越えることができた
『龍馬伝』だったと本当に言える存在でしたし、作品でしたね。
232 :日曜8時の名無しさん:2011/05/24(火) 00:04:46.39 ID:Uc5FitI4
一見クールな、ハンサムなという感じがしますけど、実は児玉さんの方こそ大変男気ある、男らしい方。でもそれがなかなか表には出さず、
シャイで少年のような、本当に少年のままの77歳でしたね。実は2週間ぐらい前かな、やっとメールが来まして。
児玉さんが体調を崩されているということでちょいちょいメールを送っていたんですけど、返信がなかったんですよ。どういう治療をされていてとか、
そういう詳しい流れは伏せさせていただきますが、やっとメールが来て会うことが出来たんですよ。
かなりもう痩せられていたんですが、その日は2時間ぐらいずっとお話しましたね。某有名作家さんが児玉さんのために書いてくれたお芝居の話があって、
『それをやりたいし、それをやるために僕はまだまだ元気でやりますから。それを目標に元気になりますから。』『僕も出させてくださいよ。』
なんて話をして。そういうときの心境って僕も児玉さんと同い年や同じような状態になったときじゃないと分からないかもしれないですけど、
最後までもう一度仕事をやりたいという気持ちでいらっしゃったと思います。
本当にお芝居の方でも最後の最後まで迷いながら悩みながらやってらっしゃった、そういう人間らしい方で、『俺はこうなんだ。だからこう行くんだ。』って
いう雑な感じではない、大変繊細な人柄で、少年であり、本当に僕の憧れとする、理想とする児玉さんでした。
あんな素敵な方にはなれないと思いますけど。」
242 :日曜8時の名無しさん:2011/05/25(水) 12:37:18.98 ID:IZA7yEjU
>231-232
おんし明日から登城せえ。新御小姓組を仰せつける!
[東京都 女性 50〜59歳]このシーンは龍馬さんの行動の根底に流れている心情をよく表していると思います。思い出すだけで胸が熱くなりますし、気持ちいい場面です。坂本家の温かさもよく表しているし、
八平が龍馬に「そんなことを考えておったのか・・・」と感慨深くつぶやくところも胸が熱くなります。両親からの愛をいっぱいに受けて育った龍馬さんは、人に対する愛情豊かな青年に成長し、その後の行動の
原点はこのシーンに象徴されていると思います。私利私欲からではなく、身近なひと、更には世の中の人皆が幸せに暮らせることを望んで、命がけで行動した龍馬さん。後半の困難な険しい状況の場面を見るとき、
いつもこのシーンが思い出されます。
[埼玉県 女性 40〜49歳] 幕末でなくもっと平穏な時代なら、本当に龍馬さんの願いが叶ったのかもしれないと、思われるシーンでした。プライベートでも親交のある
御父役の児玉さんは、亡くなられている福山さんのお父様のようで、福山さんがおとうさんに語りかけているようでもありました。八平さんを坂本家のみんなが温かく見守り、
武家の家でありながら楽しい人たちだったからこそ、後の龍馬さんは「みんなが、笑って暮らせる時代へ」に繋がる出来事のひとつだと思いました。
[東京都 女性 50〜59歳] このシーンは龍馬さんの行動の根底に流れている心情をよく表していると思います。思い出すだけで胸が熱くなりますし、気持ちいい場面です。
坂本家の温かさもよく表しているし、八平が龍馬に「そんなことを考えておったのか・・・」と感慨深くつぶやくところも胸が熱くなります。両親からの愛をいっぱいに受け
て育った龍馬さんは、人に対する愛情豊かな青年に成長し、その後の行動の原点はこのシーンに象徴されていると思います。私利私欲からではなく、身近なひと、更には世の
中の人皆が幸せに暮らせることを望んで、命がけで行動した龍馬さん。後半の困難な険しい状況の場面を見るとき、いつもこのシーンが思い出されます。
393 :
日曜8時の名無しさん:2011/07/18(月) 01:36:47.72 ID:xmPDHQty
299 :日曜8時の名無しさん:2011/05/18(水) 19:30:19.69 ID:oP4AREgH
>298
こんな粘着ニートが龍馬伝持ち上げてるんだから作品の程度もたかが知れてるというものよね…。
親に泣かれてるんじゃない?
『武市半平太小楯勤王事歴』寺石正路
『武市瑞山先生』重松実男
『勤王烈士武市半平太』松沢卓郎
『土佐勤王党』間々田隆
『武市半平太』田中貢太郎
『獄窓の武市瑞山』近藤勝
『武市瑞山と土佐勤王党』平尾道雄
『武市半平太―ある草莽の実像』入交好脩
『武市半平太伝 月と影と』松岡司
『武市半平太―ある草莽の実像批判―併せて我が国史壇批判』横田達雄
『武市半平太と土佐勤王党』横田達雄
『武市瑞山獄中書簡 妻及び姉・妹あて』横田達雄・編
んで武市さん関連の著作が色々出ている訳だけどおおむね好意的だったよ。
上のを全部読んだ訳じゃないけど興味ある人は参考にしてね。
394 :
日曜8時の名無しさん:2011/07/18(月) 01:37:51.48 ID:xmPDHQty
327 :日曜8時の名無しさん:2011/05/18(水) 21:46:55.64 ID:oP4AREgH
>320
じゃ、関連書籍を読んだ感想ね。
武市さんの土佐藩に与えた影響は武市さんがああいう人間性でああいう立場じゃないとできない事で、
他に武市半平太の代わりができた人はいなかった。
龍馬を感化し、龍馬の志士界隈における保証人になった武市さんの役割はやはり偉大だし、
328 :日曜8時の名無しさん:2011/05/18(水) 21:51:10.09 ID:B/dvBP36
>327
その程度は読まなくても言えるw
334 :日曜8時の名無しさん:2011/05/19(木) 00:18:26.60 ID:/LnR1Lei
「ああいう」人間性「ああいう」立場w
336 :日曜8時の名無しさん:2011/05/19(木) 00:27:45.60 ID:/LnR1Lei
何を指しているんだ低脳の指示語は分けがわからんw
395 :
日曜8時の名無しさん:2011/07/18(月) 09:53:34.77 ID:RaIoszpi
長文ばっかりだな、龍馬伝の良さを
サクサク語り合いたいな。
396 :
日曜8時の名無しさん:2011/07/20(水) 06:53:09.09 ID:oMvgqvjS
945 :日曜8時の名無しさん:2010/11/24(水) 00:47:53 ID:gUqpECO/
歴史特集 龍馬暗殺“誰が指示し、誰が実行したのか”
慶応3(1967)年11月15日、坂本龍馬は、京の近江屋において何者かに襲われ、
同志・中岡慎太郎とともにその生涯を閉じる。
龍馬暗殺にはいまだ不明な点があり、今なお真相が解明されたとは言えない。
ここでは、いくつかの証言や記録を見ながら、龍馬暗殺の犯人像を探っていく。
歴史特集1 諸説が錯綜する黒幕と実行犯
歴史特集2 諸記録から真相に迫る
歴史特集3 慶応3年11月15日とその後
NHK大河ドラマ・ストーリー 龍馬伝 完結編
>>395 龍馬伝の関連スレはどこもこんなもんだよ
キチガイの自演場
398 :
日曜8時の名無しさん:2011/07/20(水) 17:59:09.03 ID:ljaaCu1J
21 :日曜8時の名無しさん:2011/06/17(金) 22:38:11.54 ID:NNEXnzSU
龍馬伝で龍馬が天の逆鉾を引き抜くエピを、新婚夫婦のおふざけではなく「これがニポーンの夜明けぜよ」に解釈したのは
当時は噴飯者のアホ解釈という扱いだったが、ウゴとかいう今大河枠を電波ジャックしている謎の動画に比べれば、
よっぽど真面目に「歴史」と「ドラマ」に取り組んでたな
今までの骨太大河は「濃厚な酒」 甘味大河は「水っぽい酒」 ウゴは「酒っぽい水」
27 :日曜8時の名無しさん:2011/06/18(土) 01:39:45.99 ID:gMDjvmcc
>21
お前がアホ
サカホコの神性を疑うような表現を視聴者の多い大河ドラマでできるわけがないだろ
厳かな気持ちで訪れる観光客も多いのに
「龍馬の手紙」の内容は知ってるし、「竜馬がゆく」でどう表現されているかも
賢明な「龍馬伝」スタッフは知ってるわけ
なぜ変えたのか考えないお前がアホというわけだw
だいたい文句があるなら「龍馬伝」スレに書けよw
399 :
日曜8時の名無しさん:2011/07/20(水) 18:22:03.15 ID:ljaaCu1J
161 :日曜8時の名無しさん:2010/02/22(月) 09:38:14 ID:ZVQqe3te
武市 瑞山(wiki)
(たけち ずいざん)、文政12年9月27日(1829年10月24日) - 慶応元年閏5月11日(1865年7月3日)は、日本の武士・土佐藩郷士。土佐勤王党の盟主。
通称は半平太であり、武市半平太(たけち はんぺいた)と呼称されることも多い。幼名は鹿衛、諱は小楯(こたて)。瑞山は号。位階は贈正四位(1891年(明治24年)4月8日)。
妻は土佐藩郷士島村氏の娘の富子。子女はなし。坂本龍馬とは遠縁にあたる。
武市家はもともと土地の豪農であったが、瑞山より5代前の半右衛門が享保11年(1726年)に郷士に取り立てられた。文政5年(1822年)には白札に昇格した。
「白札」とは身分としては郷士だが、当主は上士に準ずるといったあつかいである。
嘉永2年(1849年)、城下の新町で剣術道場を開く。なお、この道場の門下には中岡慎太郎、岡田以蔵等もおり、後の土佐勤王党の母体となる。
安政3年(1856年)、江戸へ出て鏡心明智流の桃井春蔵に学び、塾頭となる。江戸では桂小五郎、久坂玄瑞、高杉晋作など尊皇攘夷派の長州藩士とも交流する。
文久元年(1861年)、一藩勤皇を掲げて坂本龍馬、吉村寅太郎、中岡慎太郎らの同士を集めて、江戸にて土佐勤王党を結成、2年後には192名が連判に参加。
文久2年(1862年)には、藩主山内豊範への進言を退けた土佐藩参政で開国・公武合体派の吉田東洋暗殺を指令。暗殺後東洋派重臣を藩の要職から追放し、
新たに要職に就いた守旧派を傀儡として藩政の実権を掌握。藩主山内豊範を奉じて京に進出する。上洛後は藩の他藩応接役として他藩の志士たちと関わる
一方で、幕府に対して攘夷実行を命じる勅使を江戸に派遣するための朝廷工作に奔走する。これらの動きが功を奏し朝廷が攘夷の朝議を決した際、一橋慶喜が
これをくつがえそうと入京を画策したが、武市は裏工作によりこれを一時妨害することに成功している。・・・・・
162 :日曜8時の名無しさん:2010/02/22(月) 09:39:38 ID:ZVQqe3te
・・・・・
京では数々の佐幕派暗殺に関与し、天誅、斬奸と称して刺客を放ち、政敵を暗殺させた(武市の下で動いた人物では、岡田以蔵、薩摩藩の田中新兵衛が有名)。
同年秋には朝廷から幕府に対して攘夷催促する勅使の江戸東下に、副使姉小路公知の雑掌となり、柳川左門という変名で江戸に随行した。
文久3年(1863年)1月、白札から上士格留守居組に出世。さらに3月には京都留守居加役となる。だがこれは過激な土佐勤王党を懐柔するための山内容堂の策謀であったとも考えられる。
文久3年8月18日(1863年9月30日)に会津藩と薩摩藩が結託したクーデターである八月十八日の政変で長州藩が中央政界で失脚すると同時に、事態は一転し、
勤王派は急速に衰退し、代わって公武合体派が主導権を握る。土佐藩においても、公武合体派の前藩主で老公と呼ばれた山内容堂の影響力が再び増すこととなる。
瑞山は同年4月に、薩長和解調停案の決裁を山内容堂に仰ぐために帰国していたが、6月、捕縛されていた側近の平井収二郎、間崎哲馬、弘瀬健太が青蓮院宮の令旨を盾に藩政改革を
断行しようとしたことを理由に切腹を命じられ、自身も政変後まもない9月に逮捕、投獄。他の勤王党同志も次々と捕縛される。一年半の獄中闘争のなか、
まだ捕まっていない同志を思い、吉田東洋暗殺も否定し続けたという。
だが、後に捕縛された岡田以蔵の自白により瑞山の罪状はおおむね決定したが、それでも東洋暗殺を否定し、老公・容堂に慶応元年閏5月11日(1865年7月3日)
「君主に対する不敬行為」という罪目で切腹を命ぜられる。享年36。未だ誰も為し得なかった三文字の切腹を成し遂げて、武士の気概を見せたと伝わる。
辞世の歌は、「ふたゝひと 返らぬ歳を はかなくも 今は惜しまぬ 身となりにけり」である。
維新後、山内容堂は武市を殺してしまったことを何度も悔いていたという。ある時などは、酔いつぶれて「半平太ゆるせ、半平太ゆるせ」とうわ言を言っていたとも伝えられる。
401 :
日曜8時の名無しさん:2011/07/22(金) 12:33:00.52 ID:UWJu4Huc
>長文ばっかりだな、龍馬伝の良さをサクサク語り合いたいな。
>龍馬伝の関連スレはどこもこんなもんだよ キチガイの自演場
低脳なりに語ればいいだろ
誰も止めてないw
163 :日曜8時の名無しさん:2010/02/22(月) 09:40:42 ID:ZVQqe3te
言説さわやかで人格も高潔にして誠実、武士道仁義を重んじていた。瑞山は1歳年下の妻、富子とは睦まじい暮らしぶりであったとされる。
そんな武市の人格から、実際にこんな逸話が語り継がれているらしい。
武市が江戸剣術修行で鏡心明智流の桃井道場へ通っていた頃に塾生の中に女や酒に走ってしまう者がいた。武市は道場主の桃井に訴えて
自ら模範を示し、至誠を持って塾生らを説いて回った。その結果、乱れた風紀は正され、塾生達の技量も上達し、桃井は武市を高く評価し
その尽力に感謝したといわれている。
また別の逸話であるが、武市夫妻に子が授からないことを心配した吉村が、富子に七去を説いて実家へ帰らせ、その留守に若い娘を女中と
して送り込んだが、武市は次々と送り込まれた娘たちに手をつけず、吉村の計略に気づいて、吉村を叱りつけたという。
また、山内容堂が土佐勤王党の弾圧への動きを見せ始めていた時、武市は薩長和解調停案に関連して帰国をすることとなった。彼の身を案じた
盟友の久坂玄瑞はしきりに長州への亡命を勧めたと言われるが、武市はその厚意に感謝の意を述べつつも君臣の義理などを理由にこれを断ったと言う。
藩に対する忠誠心は皮肉なことに自らの死を速める結果にもなってしまった。
剣の腕も一流で教養もあり、指導者としての資質を十二分に持ち合わせていた。芸術方面では南画の腕もあり、獄中自画像や美人画など多くの優れた作品を残している。
武市が投獄されて死ぬまでの1年9ヶ月、富子は毎日3食を欠かさず牢に差し入れ、また夫を慰めるため書籍や自作の押絵なども共に差し入れていたという。
瑞山の切腹の際に身につけたのも、富子が縫いあげて届けた死装束であった。富子は大正6年(1917年)まで存命し、墓所は高知県高知市で武市の傍にある。
武市の人格を評するには「一枝の寒梅が春に先駆けて咲き香る趣があった」や「人望は西郷、政治は大久保、木戸(桂)に匹敵する人材」といった言葉が
残されている事からも、高潔な人物であったことがうかがえる。
一方で、身分が低く粗野な岡田以蔵をひそかに軽蔑していたともいわれ、そうした内容の手紙を、実弟や実家に対して書き送っている。
維新後、木戸孝允は旧土佐藩主山内容堂との酒の席で酔い「殿はなぜ武市を斬りました?」と容堂をなじったが、容堂は「藩令に従ったまでだ」と答えたきりだったといわれる。
関連するテレビドラマ
『竜馬がゆく』(1968年、NHK大河ドラマ 演:高橋英樹)
『勝海舟』(1974年、NHK大河ドラマ 演:伊藤孝雄)
『新選組!』(2004年、NHK大河ドラマ 演:デビット伊東)
『龍馬伝』(2010年、NHK大河ドラマ 演:大森南朋)
龍馬らの上京の目的は大政奉還を実現させることにあったから、それを知っていた弥太郎は、一世一代の大仕事のために出発する龍馬を見送るにあたり、
感慨が涙になってあふれ出したのだろう。
彼らが長崎で再会できたのは八月十五日のこと。長崎でイギリス軍艦イカルス号の水夫殺害事件が起こり、海援隊士に犯人の容疑がかかっていたため、
やむなく龍馬が京都からやってきたものである。
龍馬は弥太郎の顔を見るなり、こう言った。
「すぐに二百両出してくれ。長崎には目明かしが二十人ばかりもいるから、今夜のうちに彼らに一斉に金を与え、このたびの下手人を探索させるのだ」
相変わらず豪快な金の使い方をする龍馬だったが、弥太郎は快く了承し、公金から二百両を出した。犯人探しは時間がたてばたつほど難しくなってしまう。
龍馬という人は、金をいつどのように使うべきかということを、よく知っていたのである。
弥太郎の着任から程ない四月十九日、海援隊(亀山社中が改組。弥太郎が会計を務める)の操るいろは丸(一六〇トン)が、土佐藩の鉄砲弾薬を輸送中、
紀州藩の明光丸(八八七トン)と衝突・沈没するという事件が起きる。弥太郎と龍馬は、紀州藩への倍賞交渉について談じ合ううちに、親交を深めてゆく。
六月、後藤は土佐商会の仕事を弥太郎に一任し、大政奉還に専念するため龍馬とともに上方へ発った。弥太郎は紀州藩との交渉を続け、放漫経営の引き締めも
行った。しかし、外国商人への供宴は変わらず続けた。使うべきところには金を使う必要がある。武器などは後藤のように相手の言い値では買わず、情報
収集により適正価格を探って交渉した。鰹節や樟脳などの藩の専売品の販路拡大も図り、他藩の品を外国商人に売って利ざやを稼ぎ、外国商人の仕事を
手伝って信頼と手数料を得た。
七月には長崎でイギリス人殺傷事件が起き、土佐に嫌疑がかかったが、弥太郎は激怒するパークス公使に粘り強く反論し、藩を守り通す。
405 :
日曜8時の名無しさん:2011/08/05(金) 20:06:06.01 ID:xv6627Zh
!
私は坂本龍馬という人物のことを今回初めて知りましたが、彼が伝えようとしているメッセージは、とても素晴らしいですね。逆境に負けず、人々に
自由をもたらした。こういう人こそ、我々はヒーローとして愛するべきだと思います。彼自身はその結果を見ることなく亡くなってしまい、それは悲しい
ことですが、私たちは彼の功績を祝福するべきだと思います。そして、こうして過去の出来事がドラマとして再現されることで学ぶべきでしょう。我々が
どこから来て、どのようにして自由になれたかを。ドラマや音楽は自分の人生を見つめ直すことができるもの。皆さんもぜひ、この龍馬たちのドラマに
触れて、現在与えられている幸せに感謝し、それを大切にしてください。
407 :
日曜8時の名無しさん:2011/10/14(金) 10:33:29.44 ID:qakd32vN
790 :日曜8時の名無しさん:2011/09/11(日) 11:41:46.18 ID:TQkTUY9W
471 :日曜8時の名無しさん:2011/09/10(土) 13:35:57.90 ID:a+iqRO2m
>>469 知識自慢したいのに否定されちゃってそれでも強引に書いたら書き間違い?
それ指摘されて怒ったの?
今どんな気持ち?
ねえ
>>471 山川の日本史の教科書見てみ
坂本「竜」馬だからw
791 :日曜8時の名無しさん:2011/09/11(日) 11:49:24.59 ID:TQkTUY9W
坂本「竜」馬は司馬さんの専売特許じゃないぜ
俺が何をどう書き間違えたのか?w
792 :日曜8時の名無しさん:2011/09/11(日) 12:33:58.75 ID:Ayd1FpMd
薩長同盟と大政奉還は坂本「竜」馬のお仕事としてちゃんと記載されているw
>そこで竜馬と書き違えたら何の説得力もない
もともとお前を説得するつもりなどないしw
797 :日曜8時の名無しさん:2011/09/11(日) 15:18:28.53 ID:Ayd1FpMd
今どんな気持ち?
∩___∩ ∩___∩
♪ | ノ ⌒ ⌒ヽハッ __ _,, -ー ,, ハッ / ⌒ ⌒ 丶|
/ (●) (●) ハッ (/ "つ`..,: ハッ (●) (●) 丶 今、どんな気持ち?
| ( _●_) ミ :/ :::::i:. ミ (_●_ ) | ねぇ、どんな気持ち?
___ 彡 |∪| ミ :i ─::!,, ミ、 |∪| 、彡____
ヽ___ ヽノ、`\ ヽ.....::::::::: ::::ij(_::● / ヽノ ___/
/ /ヽ < r " .r ミノ~. 〉 /\ 丶
/ /  ̄ :|::| ::::| :::i ゚。  ̄♪ \ 丶
/ / ♪ :|::| ::::| :::|: \ 丶
(_ ⌒丶... :` | ::::| :::|_: /⌒_)
| /ヽ }. :.,' ::( :::} } ヘ /
し )). ::i `.-‐" J´((
ソ トントン ソ トントン
798 :日曜8時の名無しさん:2011/09/11(日) 15:21:04.06 ID:Ayd1FpMd
と煽っといて、てめえの無知をさらけだす
こっちが聞きたいぜ「今どんな気持ち?」w
408 :
名無し:
く、狂ってやがる・・・!!!!!!!