1 :
日曜8時の名無しさん:
大河「天地人」の主人公の直江兼続ですが
見せ場である長谷堂合戦の前哨戦とも言うべき畑谷城の攻防において、
兼続は数百の人々を「撫で斬り」つまり無差別殺戮したことが
彼自身と与力武将の手紙から分かっています
直江の手紙 「畑谷城で撫で切りを命じて、江口ら五百を討ちとった」
上泉の手紙 「畑谷で、敵五百を討ちとり、そのほか際限なく切り捨てた」
また秀吉の尖兵として佐渡に出兵し
領主の本間らを妻子ごと殺しています
また庄内においても圧政を行い
撫で斬りも辞さず、と脅しを持って臨み
実際に一揆首謀者を火炙りで処刑したことも分かっています
また秀吉の北条攻めの前哨戦の八王子城においても
前田軍と共に皆殺しの虐殺を行っています。
大河ではこれらの虐殺はどのように扱われるのか
放送されるのかされないのか
されるならどのように扱われるのか
を話し合うスレです
前スレ 【天地人】直江兼続の畑谷城の大虐殺【大河】
http://namidame.2ch.net/test/read.cgi/nhkdrama/1240246003/
八王子の虐殺も張っときます
「そのうちのひとつである北条氏照が守る八王子城は過酷な運命をたどった。
城主が小田原に向かったこの城に残るのは、家臣とその妻子、
そして逃げ込んだ近隣の住民ばかり千名ほどであり、ほとんどが足弱の女子供であった。
こんな城が一万五千の大軍に攻められては抵抗のすべもなく、わずか一日で落ちた。
そして八王子城は小田原への見せしめにされた。
ひとりたりとも生かすなという太閤の命をうけ、
前田・上杉勢は容赦なく女子供の首を刎ねた。
そうなるくらいならばと自害を選ぶものも多く、
身投げがあまりに多かった御主殿の滝は、
水と血が混ざり三日三晩朱く染まったままであったという。
死者の首は小田原小田原城へ見せつけるように晒された。
敢えて裸に剥いた女子供を、ひきずり見せつけるようにし、
小田原から見えるところで串刺しにしたりもした。
こうした地獄絵図をつくりだすことも、一向一揆衆を虐殺してきた前田勢、
佐渡平定で国人衆を屠り、庄内の叛徒も殺し尽くしてきた上杉勢にとっては造作もないことである」
結局大河板でネガティブキャンペーンしたかっただけですね。
>>1 スレ立て乙
肝心の閻魔大王の話を忘れてるよ
直江兼続の家臣が領民といざこざを起こし、
その領民を斬り殺してしまうという事件が起こった。
調べると家臣の方に非があるようで、
兼続は慰謝料を領民の家族に送ることにした。
しかしこの領民の家族は「金はいいから死んだ本人を還して欲しい」、と抗議。
兼続の説得にもどうしても応じないばかりか、一層騒ぎ立てる始末。
ムカついた兼続はこの領民達を斬殺、死体に手紙を持たせる。
「閻魔大王へ
先ごろ死んでしまい、そちらに行った者だが、家族達を迎えにやるので、こちらの世界に戻して欲しい。
直江兼続」
6 :
日曜8時の名無しさん:2009/09/01(火) 02:51:41 ID:j09VgX1Y
バニーで杉殿が歌っちゃうぞ
7 :
日曜8時の名無しさん:2009/09/01(火) 04:50:34 ID:PSN2EAxg
8 :
日曜8時の名無しさん:2009/09/01(火) 05:03:42 ID:PSN2EAxg
9 :
日曜8時の名無しさん:2009/09/01(火) 15:14:37 ID:ywjVs9/Y
>>1 >圧政を行い撫で斬りも辞さず、と脅しを持って臨み実際に一揆首謀者を火炙りで処刑した
どこが領民愛だよw
さすがインチキ大河w
10 :
日曜8時の名無しさん:2009/09/01(火) 15:22:18 ID:A0cYyec2
愛と義のためには領民火炙りも厭わないカネツグ素敵すぎるw
ほうほう平賀善可が領民とな。庄内仙北一揆は百姓一揆のさきがけだったわけか。
それは新説だ。
12 :
日曜8時の名無しさん:2009/09/01(火) 16:24:58 ID:vQOe8u7e
>>5 >ムカついた兼続はこの領民達を斬殺、死体に手紙を持たせる。
ここが見せ場なんだから、簡潔じゃいかんよ
慇懃にやるから面白くなる
直江「そうか。あい分かった。その方どもの仰せもっともである。
ただあいにく閻魔大王に伝手が無い。わるいがその方どもにご足労願えぬかの?」
領民「??」
「え?え?、ギィェエー」(阿仁叫喚の叫び)
バサー(斬られる)
キチガイの自演スレ化してるな・・・
14 :
日曜8時の名無しさん:2009/09/01(火) 16:58:19 ID:+ry3K2qM
出た自演ヒステリー
15 :
日曜8時の名無しさん:2009/09/01(火) 17:35:21 ID:BtOJLH2m
>>1 直江はこれらの虐殺を指揮している時も「愛」の兜をかぶっていたのでつか?
愛には色々な形があるのさ
18 :
日曜8時の名無しさん:2009/09/02(水) 22:07:31 ID:37jpj6bp
閻魔の件って領民が異常なんじゃなくて
慰謝料で済ませようとする時の直江の態度が問題だったんじゃね
「おまいら金払うから、これでいいだろう」みたいな
それで頭にきて、死人を返せなんて無理なゴネ方になった
たしかに札束で横っつら引っぱたかれるようなマネされれば腹が立つ
しかも大事な人を向こうの落ち度で失ったのならなおさら
まったく直江の愛っていうのはたいしたもんですねw
戦争に於けるミナゴロシは戦略的な意味合いもあるからな
畑谷では江口以下士気の異常に高い連中に手を焼いて続く合戦を有利に運ぶ為にも脅しが必要と判断したのだろう
なんせ最上攻略は早いとこ片付けて伊達をやっつけないといかん
最上倒して佐竹と伊達挟撃ここまで持って行けばかなりいい形になる
八王子も秀吉の方針があるだろうからな
21 :
日曜8時の名無しさん:2009/09/03(木) 10:25:11 ID:5ijTphzI
>>20 得意の愛と義で最上も秀吉も説得すればよかったんじゃね?
そうすれば畑谷の皆殺しも八王子の皆殺しも避けられたはず。
>>20 こいつはもう何を言ってもだめ。
史料上の根拠を示せず、戦国板への移動も聞かず、
大河板で貶め交錯したいだけだから相手にしないほうがいい。
23 :
日曜8時の名無しさん:2009/09/03(木) 20:14:28 ID:CQzRQfIE
>>20 最上攻略は早いとこって、百戦錬磨の最上ナメ過ぎ
権力者のバックアップ無しに一度も合戦勝利したこと無い直江に
最上攻略などはなから無理
畑谷の皆殺しに戦略的意味ってのが疑問なんだよな
果たして数百人以上ブチ殺してまでやるべきことだったのかと
畑谷攻めに関しては前スレで虐殺根拠なしの結論が出ました。
以降虐殺説を主張する人は軍記・伝承・直江書状・上泉書状以外の
新しい根拠を示しましょう。
25 :
日曜8時の名無しさん:2009/09/03(木) 23:03:18 ID:+/6nQimc
うんこの自演スレ
26 :
日曜8時の名無しさん:2009/09/04(金) 00:24:52 ID:yXXylYz0
虐殺根拠無しなんて結論出てない
直江本人と同行した上泉が撫で斬り=虐殺しました
って自ら手紙残してんだから
これ以上確かな証拠は無いでしょ
直江 「撫で斬りを命じて500人討ち取って殺しました」
上泉 「500人討ち取って、その他にも際限なく殺しました」
27 :
日曜8時の名無しさん:2009/09/04(金) 00:58:45 ID:7dkMqXoz
>>24 >畑谷攻めに関しては前スレで虐殺根拠なしの結論が出ました。
そりゃオマエが勝手に言ってるだけだろw
つーか、八王子の虐殺は否定できないんだな。
28 :
日曜8時の名無しさん:2009/09/04(金) 01:02:09 ID:9k5OhpZT
畑谷も八王子も庄内も、直江が単身潜入してドジョっ子ホイ踊れば仲直りできたんでは
29 :
日曜8時の名無しさん:2009/09/04(金) 01:19:17 ID:ewqb80nM
うんこはさわってくれる人がきて大喜び
30 :
日曜8時の名無しさん:2009/09/04(金) 01:48:03 ID:u8Oks4To
まあ戦国武将は虐殺してナンボだということは知っておいた方がよい>馬鹿女
こいつは知識がなく、ただ直江を悪く言いたいだけだって
ことは前スレで分かってるんだからもう相手しなくていいよ
喜ぶだけ
八王子の指揮権は虐殺大好き前田利家と
利家でさえ助命した人間に「何勝手に助けてんの?」と文句付けた秀吉だからな。
上杉の執政ごときが主導できることじゃない。
畑谷に至っては根拠なしと。
自称レキジョが直江マンセーのために無い知識を一生懸命駆使するスレ
>>1は前スレでも知識なくアンチ書き込みしてことごとく論破された。
最後は非戦闘員虐殺のソースを出せずに、「城攻めして何百人も殺してるん
だから虐殺だ」と、もはや戦国時代の話とは思えないゆとりぶり
虐殺直江様素敵♪
36 :
日曜8時の名無しさん:2009/09/04(金) 15:40:52 ID:N0kYFSue
憎たらしいやヤツを切り捨てただけだろ
だいたい戦国武将が一人も殺していないなんてだれが決めたの?
虐殺根拠なしっていってる人は、何を根拠に虐殺がなかったって言ってんの?
史実の話をしたいのかドラマの話をしたいのか知らんが、
ドラマでは触れられることがないものばかり。
史実の話したいならドラマ板じゃないし、「愛」の解釈もドラマとは違う。
義だって上杉家への義であって民衆への義ではない。
>>1は根拠のない畑谷城虐殺をはじめ突込みどころが満載
39 :
日曜8時の名無しさん:2009/09/04(金) 18:36:54 ID:bV3C7Uhl
>>34 城攻めして数百を討ち取るのは仕方ないけど
討ち取り以外の殺戮を際限なくやってはいかんよね
ドラマでの愛って何?何処が上杉への義なの?
直江兼続って
小田原攻めでも城下の焼き討ちを指揮してる
天下人の後ろ盾があれば弱いものには徹底的に牙をむく
そういう人だったんじゃないかな
ジャイアンの傍らで偉そうにする
スネ夫だったわけですね
アホの自演スレ
43 :
日曜8時の名無しさん:2009/09/05(土) 00:36:06 ID:gjzPa1fW
>>42 おまいも自演だのアホだの
勝手に入ってきて、このスレに対する誹謗中傷や
ネガティブキャンペーンばかりしてないで
そんなに直江が好きなら正々堂々
直江にはこんな義や愛があるとか
撫で斬りの戦略的意義を主張するとか
直江の良い所を主張したらどうなんだ?
虐殺が効果を持つのは、逆に「こうすれば助かる」というのが明らかな場合なんだな
大陸の項羽みたいに何やっても穴埋めだと効果がなくなる
カネタンが虐殺&降伏からの丸抱えを過去にどれだけやってきたかというのも重要
ネガティブキャンペーンのスレでネガティブキャンペーンするなとは
討ち取り以外に敵を斬ったらいかんのならどの戦国武将も生き残れんな。
特に北条氏康なんかは極悪非道w
47 :
日曜8時の名無しさん:2009/09/05(土) 11:04:18 ID:dS0KLjAo
北条氏康は義と愛の武将じゃないし、何もしてないのにいつの間にか周りがひれ伏すスーパー武将じゃないからな。
虐 殺 も 愛
義 の た め に 虐 殺
>>44 直江が降伏者を優遇したなんてのは無いんじゃね
直江=項羽
51 :
日曜8時の名無しさん:2009/09/06(日) 01:10:56 ID:aS5PKSFk
直江って弱者に厳しかったとしか聞かないし
義光みたいに相手を讃える事もしないし
武士らしさみたいなものが無いんだよね
直江は愛と義が足りない武将だったわけね
53 :
日曜8時の名無しさん:2009/09/06(日) 11:22:45 ID:lPllcmtT
八王子城っていったら、心霊スポットとして有名だぞ
カネツグの仕業だったのか
なんたらって滝の側に近づくと相当ヤバいらしいね
56 :
日曜8時の名無しさん:2009/09/07(月) 07:50:25 ID:0RF5lJEb
愛と義のヒーロー直江かねたんが悪いやつらを虐殺しちゃうぞ☆
57 :
日曜8時の名無しさん:2009/09/07(月) 09:00:29 ID:RHQhNf+d
前スレにあった、150年前に直江を奸臣だと見抜いた米沢の学者って一体誰なんだ?
藤原せいかはずっと以前の人だし
>兼続、義光の実像に迫る 長井中央史談会が学習会 ( 山形新聞 2009年06月18日 掲載 )
>長井市中央史談会(小林幸雄会長)の公開学習会が14日、
>同市勤労センターで開かれ、上山市立図書館長の片桐繁雄さんが
>「直江兼続と最上義光の戦い」と題して講演した。
>片桐さんはNHK大河ドラマ「天地人」の主人公兼続について
>「史実だけで実像をとらえると“目立つ人”であったことは確か。
>150年前の米沢の学者はずる賢い人「奸雄」(かんゆう)とも評価している」とし、
>「抵抗勢力を皆殺しにするなど非情な面も持ち合わせていた」と解説した。
>兼続率いる上杉軍と最上軍が激突した長谷堂合戦について
>「朝日町の雪谷地区では最近まで、子どもに『夜遅くまで遊んでいるとカゲカツ
>(上杉景勝、兼続の主君)が来るぞ』としつけていたほど、最上領の人は
>上杉軍を恐れていたようだ」と説明した。また「義光が『上杉軍の強さの伝統が生きている』
>と兼続の戦いぶりを称賛した一方、義光に援軍を差し出した
58 :
日曜8時の名無しさん:2009/09/07(月) 10:28:26 ID:ULnwW6N/
>死者の首は小田原小田原城へ見せつけるように晒された。
>敢えて裸に剥いた女子供を、ひきずり見せつけるようにし、
>小田原から見えるところで串刺しにしたりもした。
俺にはわからないのだが、当時の人というのは、小田原から八王子が見えるの
だろうかw
丹沢山系が間にあるし、だいち何キロ(ry
家康が日光から江戸を見張るのと同じ原理
60 :
元八王子の住民:2009/09/07(月) 11:50:44 ID:BxUQkXhh
相模川から相模湾に出て船で小田原城へ。
晒し首も戦国の常識だと思います。
言い争う事でもない。
61 :
日曜8時の名無しさん:2009/09/07(月) 13:15:48 ID:kpmRAjsL
どっかのやつらが荒らしまわるから、結局長谷堂も最上もスルーwww.
62 :
日曜8時の名無しさん:2009/09/08(火) 12:25:00 ID:Omlku9fi
要するに八王子から小田原まで
わざわざ死体を運んで晒したんだろう
わざわざよくやるね〜直江
八王子城攻めも直江のせいとかもはやキチガイの沙汰
何せ、関ヶ原の戦略もすべて直江の企てだからな。
そのまんま徳川家康の罠にハマっているところがワロタがw
関ヶ原の西軍の動きは家康の思い通りというのを未だに信じてる人が…
またシッタカ女か
まー思い通りは行き過ぎにしてもマッチ擦ってんのは権現様だな。で割とうまく火が回って消火も順調と。
それより全て直江の企てというのが何のことかわからん。直江なんてそんな影響力無いだろ。
景勝がいくら無口だからって全部直江という事は無いな。
直江は負けた後がいいとこで、戦も下手ではないんだろうけどどこか石田的なKY臭がする。意味無く虐殺しちゃったとすればその辺か。
秀吉って才気走った人を過大めに評価する傾向があるようだが、その中では病人の大谷さんが地に足のついた常識人なイメージ。
>>67 岐阜城落ちるあたりまでは西軍の圧倒的有利だけどな。
関ヶ原当日だって、前日に東軍についたはずの小早川が様子見。
マッチ擦ったのはいいが火が回りすぎて火消しに苦労したって感じだろうな
根拠のない畑谷をはじめ、北国勢が担当した八王子攻めで直江が虐殺を先導した
とか、本当は国人の平賀善可を農民と勘違いしたのか一揆の首謀者を火あぶりに
するのは虐殺だとか、太閤検地から既得権益を守るための一揆も圧政によって引
き起こされたとか知識のなさがものすごいスレッドだな
またシッタカ女か
知らないのにアンチ活動してることのほうがおかしいのでは
71 :
八王子城の住人:2009/09/08(火) 21:44:43 ID:4ztuFpIr
豊臣軍が八王子城であげた首級。
前田軍280 上杉軍273
「関八州古戦録」から。
最近、直江兼続人気にあやかり「八王子城」に関する書籍も出版されています。
72 :
日曜8時の名無しさん:2009/09/08(火) 21:57:21 ID:Qbor+YrP
どっちにしろ武士は人殺し集団
罪深いもの達だよ
オレの先祖も武士で家老だが、一族の性格は悪くてかなわん
必死になってるやつは直江と上泉の手紙が根拠とならない理由を語れよ
まあ語れないんだろうけど
74 :
ドカタホスト ◆TPzjXRX3gs :2009/09/08(火) 22:07:55 ID:BWsCr6bH
俺は直江兼続の子孫なんだが
前スレで散々否定され、アンチは新たな史料を見つけられずに
>>1の
ように暴走。
議論する気なら戦国板でやればいいのを、アンチ工作のため大河板に残る。
この時点で終わってる。
76 :
日曜8時の名無しさん:2009/09/08(火) 22:23:05 ID:nuctJYyf
更年期障害のババアがわめいてるな
平和な国だ
77 :
日曜8時の名無しさん:2009/09/08(火) 23:02:37 ID:ThwQXsBb
仮にこの大河で描かれたとしても
ナレーション+かねたんの号泣+お船さんの説教あたりで終了でしょ
78 :
日曜8時の名無しさん:2009/09/09(水) 00:20:54 ID:iPtr6M7s
75のような不細工は城攻めの通りすがりに速攻で首をはねられるタイプ
79 :
日曜8時の名無しさん:2009/09/09(水) 00:54:53 ID:Os8ANngr
篭城した城に、生首を並べて脅すのは、風林火山の山本勘助もやってた
ドラマでも、そんなシーンがチラッと出てきたと思う
>>71 ほんとに八王子城の住人wかぁ?
別に大河便乗じゃなくても、
以前から八王子城に関する書籍はいくつも出てるじゃん。
81 :
日曜8時の名無しさん:2009/09/09(水) 01:33:35 ID:ZZ/Mn+eG
別に勘助や普通の武将は義と愛の武将じゃないからな。
史実の話をしてるときまで直江を愛と義の武将と言い張るアンチ
>>71 首級よりも、女子供を殺したことが問題でしょ
84 :
八王子城の住人:2009/09/09(水) 09:23:55 ID:VCTlT+7x
そうですね。
死者の3割から4割が女子供だったと云われています。
兼続も最上での戦いでは「女人成仏」の意味もある「梵字アン」の兜をかぶっていたそうです。
85 :
日曜8時の名無しさん:2009/09/09(水) 11:54:45 ID:uGTb24YY
女子供を殺すのも愛のひとつの形
86 :
日曜8時の名無しさん:2009/09/09(水) 12:35:12 ID:mLJMi+gz
そんなのはキチガイ
つまり直江兼続はキチガイか
畑谷城攻めはスルー。
虐殺自体が根拠薄く、小説などでも触れてるものは一切ないが、
畑谷攻め自体スルーの時点でこのスレは存在意味なし
89 :
日曜8時の名無しさん:2009/09/09(水) 14:23:39 ID:cspHh0/e
さわやかな笑顔を浮かべながら女子供をぬっころすツマブキ兼続。
う〜ん、愛って素晴らすぃ〜
90 :
これで最後:2009/09/09(水) 15:07:15 ID:VCTlT+7x
「八王子城攻め」が画かれている第29回 天下統一
の2ヶ月前位にNHKにメ−ルにて「八王子城」だけは「ラブ&ピ−ス」
で画かないでくれとお願いしました。
自分の心とは反する行為をしてしまった「苦悩」、「葛藤」が画かれると思っていましたが、
戦いが終わって八王子城の御主殿に佇む「彼」は、
どんな表情をしていいか判らない役者に見えました。
んで、自分がとりなして降伏させた大道寺も結局は切腹させられ、
直江は無常を悟る。ドラマとしてはそのほうが面白いな。
ただ、八王子攻めを含め直江が軍を動かして活躍した様子はないんだよな。
大道寺の降伏にはかかわったようだし陣中にはいたんだろうが、むしろ庄内方面
の指示など小田原だけでなく全般的な差配をしてる
そりゃまあ直江なんかより立場が上の利家・景勝が陣頭指揮に立ってるし
直江より戦歴ある上杉家臣武将もぞろぞろ参加してるし
全滅させろと要求してきたのは利家・景勝以上である秀吉な訳で。
陣中にはいても次の奥州検地の準備の方が直江のメインだったみたいだからな。
つか奥州検地で大谷刑部が景勝に助けられて上杉の義に感動するという
いかにもウエスギノギ強調にうってつけな逸話があるのにやらなかったな。
兼続の話じゃないからなのか単に粗末がこの逸話を知らなかったのか
一揆との戦闘を書けないから逃げたのかどれだろうか。
まぁ逸話としてはマニアックだからな。風林火山のスタッフならやってきそうだが。
必要かどうかといえば難しいとこだ。だからといって兼続が説得して丸く収まる似
たようなエピソードの羅列よりはいいと思うけど。
94 :
日曜8時の名無しさん:2009/09/10(木) 11:13:57 ID:RSCD3CE4
>>92 >直江なんかより立場が上の利家・景勝が陣頭指揮に立ってるし
立場が下の直江の方が、殺戮の直接指揮に近いんじゃないか?
>陣中にはいても次の奥州検地の準備の方が直江のメインだったみたいだからな。
その証拠がどこにあるんだ?
何でも都合の悪い事は景勝のせいにして、直江は手を汚してない
なんて勝手すぎ
小田原陣の最中に、庄内の今後について指示してる。
逆に直江が指揮してここを落としたなどの武功がない。
都合がいい悪いではなく、実際そうなんだから仕方ない。
立場が下の指揮官が悪いっていうなら虐殺魔は藤田信吉だな。
やっぱ適当な妄想だけが根拠で史料や研究書は全く読んだ事が無いのが分かる。
戦国時代を語っていながら虐殺だと騒ぐのもバカらしいな。
スレ立てた時点で関ヶ原前までドラマが進んでるわけで、
どのように描かれるのか−なんて言ってももう畑谷しかない。
その畑谷もナレかスルーでまず間違いない上、根拠がなく作家すら触
れてない非戦闘員虐殺なんてドラマでやるわけがない。
それを分かっててアンチ工作したいのか、知識がないからまともに
信じてるかのどちらかだな。
98 :
日曜8時の名無しさん?:2009/09/10(木) 13:05:22 ID:9ThSQLmj
wikipediaの
先兵として八王子城を攻略するなど・・・は信憑性が無いのですか?
>>98 なにが根拠か不明。聞いたことはない。
ただ、そういう話ではないと思う。
八王子城は力攻めにしろというのは秀吉の命であり、それはむしろ北国勢がそれまでの戦い
降伏させるのを前提にしたぬるい戦いだったから。
前田、上杉、真田ら連合軍が総攻め仕掛けてるのに、なぜか直江が命じたかのように虐殺魔
などとアホのように騒ぐのがおかしいという話だろう。戦国武将としてごく普通の行動だし、
婦女子が籠城していれば非戦闘員だと思うのも時代錯誤。
そもそも史実の直江は仁愛や愛民の意味で「愛」の兜をかぶっていたわけでもなく、このスレ
主が何を訴えたいのかが不明。「義」にいたっては上杉への義なので虐殺を羅列して「どこが
義?」というのは的外れ。上で言われてるように知識がなく、本当に愛民や仁愛の「愛」だと
思っているのかもしれないけど。
100 :
日曜8時の名無しさん:2009/09/10(木) 14:08:54 ID:zS9Wr5Sd
1) 虐殺を無かったことにしたいタイプ
2) 虐殺を肯定して開き直るタイプ
101 :
日曜8時の名無しさん:2009/09/10(木) 14:21:07 ID:DXevC4ca
直江は天下人の秀吉にも意見できるほどの英雄だったんだから、
八王子は優しく攻めるように、秀吉に言ったらよかったんだよ。
そんで単身城に潜入して、義と愛で説得して、ドジョっ子ホイ踊れば虐殺は避けられた。
必死になって擁護してるやつはなんなの?
無職で遊ぶ友達もいなくて暇なら就職活動しろよ
八王子攻めに上杉軍先兵として搦め手から乗り込んで
城内でぶっ殺しまくって功を立てたのは藤田信吉だよな。
藤田の働きで正面から攻め込んでた前田軍も八王子城に入れた。
以下前田・上杉両大軍に城内攻め込まれて八王子城阿鼻叫喚。
どっちかというと都合の悪いことを
全部直江のせいにしてるって感じだな。
都合の良いことは直江の功績
都合の悪いことは直江以外の悪行
わかります。
105 :
日曜8時の名無しさん:2009/09/10(木) 16:06:36 ID:9ThSQLmj
直江兼続と藤田信吉の関係について知りたい。
藤田信吉の意見が通らなったのでしょうか?
>>105 意見が通らないとはいつの話?
アンチはこういう質問には答えられないんだな
107 :
日曜8時の名無しさん:2009/09/10(木) 20:20:04 ID:sTz0cGlQ
関ヶ原の直前、
上杉と徳川の間に入って和平交渉したのにもかかわらず奸臣とされてしまった事です。
108 :
日曜8時の名無しさん:2009/09/10(木) 21:04:12 ID:92SKbxMR
>>95 小田原陣中で庄内の采配したからといって
八王子の虐殺してないなんて証拠にならない
直江は業務処理能力はあったみたいだから
両方ともしっかりサクサクこなしてたかもしれない
また北条攻めで直江が武功が無く藤田が武功があるから
直江が虐殺して無いなんて証拠にならない
戦闘は戦闘、戦闘終了後の虐殺はそれはそれで別物だ
直江が戦闘はサボっていて虐殺はしっかりやってるかもしれない
そもそも直江に武功が無く藤田が武功をあげているのは
北条攻めに限ったことではなく
新発田攻めの数年にわたってそうなんだけどな
直江が虐殺魔だった証拠はない俺の妄想です
まで読んだ。
>>109 かわいそうに
日本語が読めないんだね
早く日本語覚えようね
>>107 和平交渉ではなく、新年の祝いを述べる使者。
正月の時点で家康と通じていたのか、オール直江与党の上杉家で肩身が
狭かったのか(といって藤田が直江と仲が悪い様子もない)出奔の理由は不明。
戦後家康に所領を与えられてはいるが。同心した大身もいないから家中の対立
ということもない気がするが。
>>108 「直江が戦闘はサボっていて虐殺はしっかりやってるかもしれない」
みたいなアホなこと言ってるからどんだけ直江が憎いんだといわれるのでは?
直江が戦闘に参加してないなんて誰も言ってないだろ。直江が主導したように
言ってるのがおかしいんだよ。新発田攻めでは武功をあげてるし、寝返り工作
などもしてる。
>>1は大河で畑谷の虐殺とやらがどう扱われると思ってこんなクソスレ
立ててるの?
>>112 オマエみたいのが釣れるから立ててるんだと思うよ
114 :
日曜8時の名無しさん:2009/09/11(金) 00:28:28 ID:JM7+prQm
>>111 新発田攻めでの武功って何よ?
戦闘はサボってて、と言われても仕方ないくらい直江の武功ってpoorだけどな
直江厨の詭弁集
その@直江は武功が無い。だから虐殺してない
→戦闘と戦後の虐殺は別物
A直江は関東で庄内の事指示してるから虐殺してない
→んなこたない。
直江アンチって天地人オタと同レベルだな。
史料も調べず研究書も読んでないの丸出しでただ義と愛のイメージだけに
史実丸無視の妄想だけで噛み付いてる。
116 :
日曜8時の名無しさん:2009/09/11(金) 02:45:10 ID:h1bvHztw
直江厨って粗末豚と同レベルだな。
史料を調べた気になって、研究書も読んだ気になって、知ったかぶっているのを丸出しでただアンチのイメージだけに
都合の悪い史実を丸無視の妄想だけで噛み付いてる。
自分の無知を棚に上げ、擁護を「知った
かぶり」とは。散々史料を出してもらっ
ておいてよくそんなことが言える。
大河便乗のすぐ手に入る関連本すら読ま
ずにアンチ活動してることを告白し、知
ったかぶりに物を教えてもらっているア
ンチはなんと呼べばいいんだ?
人間に愛などない
愛だと思っているのは実は差別だって某漫画にあった
>>114 新発田攻め最終戦で景勝は新発田城へ、直江に一手を預けて五十公野城を攻め落とさせた。
また、兼続は新発田挙兵直後から複数の揚北衆に調略を仕掛けてるのが書状に残ってる。
君の論だと上杉景勝、真田昌幸、前田利家、前田慶次、真田信繁、大道寺政繁…そうそうた
るメンバーが虐殺魔だったと呼べるな。彼らが反発せずに普通に総攻めしてるんだから、当
時としては命令があればやるのは当たり前。女だろうと籠城の際には武器を持つこともある
敵。殺さなきゃやられるし、敗れた籠城側が滝に身を投げるなどして自殺するのもこの戦に
限らずよくあること。
逆に「私には殺せません」なんて言ってるほうが武将として終わってる。天地人の直江なら
やりかねないけど。
120 :
日曜8時の名無しさん:2009/09/11(金) 08:54:22 ID:9aJpe9kv
>>115 >ただ義と愛のイメージだけに史実丸無視の妄想だけで噛み付いてる。
え?
義と愛を肯定できる史実があるの?
>>117 >散々史料を出してもらっておいて
それは直江厨の妄想だろ
ソースもなしに史料とはw
>>120 >>115は、アンチが史実の話をしたいのか、ドラマの話をしたいのか
からんということが言いたいのでは?
ドラマで描かない史実の話をしてるわりに「どこが愛?」などとドラマの
設定にこだわってるから。史実の直江は仁愛とか言ってないわけだし。
>>121 実際アンチが史料を出してるのは見たことがない。
直江に関する知識はないと自分で暴露してたが。
どっちも史料無しか
痛々しいなw
前スレではさんざん出てたけど、もうこのキチガイアンチに教えてあげる気も失せたんだろ
126 :
日曜8時の名無しさん:2009/09/11(金) 18:33:22 ID:QjzQhHgB
>>119 五十公野城攻略は藤田と二頭体制で攻めて、
武功があったのは直江じゃなく藤田の方だね
愛や義があるなんて思っている奴は居ないだろうけど
NHKを愛だの義だのと言ってだまして大河誘致して
税金のようなお金を使い込ませているのは米沢人じゃないのかな
資料資料ってあんた
直江自身が書いた手紙
「撫で斬り(無差別殺戮)を命じて500人を殺しました」
直江自身の「撫で斬りも辞さず」
で実際に庄内の一揆首謀者を串刺しにして殺して
その他上泉の手紙、最上の資料散々出てきただろうに
これでも不足のなのかよ?
五十公野を大将として攻め落としてるのはたしかだね。
義は別に間違いではないと思うが?絶大な権力を握りながら決して野心を
起こさなかったんだから。
米沢人じゃないが根拠のない米沢人叩きはどうなのかね。
それじゃまるで自分が好きな人物が大河化されてないから直江に八つ当たりしてるように見える。
天地人がおもしろくないのはその通りだが、米沢人のせいではないでしょう。
直江は「畑谷を乗り崩し、皆殺しを命じて、城主江口父子ら五百人を打ち取った」。
どこにも虐殺したとは書いてない
庄内のなで斬りも辞さずというのは太閤検地の方針。火あぶりにされた一揆の首謀者は農民
ではなく検地に反対して兵を挙げた国人領主。土着の侍だから反抗すれば当然殺される。
上泉の書状は擁護に出してもらってたね。
アンチは最初、「上泉は畑谷城の虐殺で戦がいやになって撤退を進言し、直江に
却下された」というありえない話をしてた。
アンチって何のアンチさ
129 :
日曜8時の名無しさん:2009/09/11(金) 23:28:57 ID:1+95Qas0
直江は裏切り、虐殺何でもありの当時の武将の中では比較的「義」や「愛」
を大切にした人であったわけで現在の価値観で考えると全く別人。
最近の大河では利家とまつの利家がだいぶやさしく家庭人的に描かれていたり
幕末志士の小松帯刀や現大河の直江兼続がやさしく草食系男子のように描かれているけど
あれはドラマの上で子供や女性、怖い雰囲気が苦手な人でも楽しく見れるようにソフトに
されたもの。実際のキャラは兼続も帯刀もあんなソフトな草食系どころかかなり厳つい泣く
子も黙るような武将や志士だったと思う。
そうでなければ兼続なら戦国時代家老として諸臣を束ねたり戦に出向いたり、天下人家康に
喧嘩を売るような書状を書いたりはできないと思う。帯刀も幕末あれだけの
大藩を家老として治め、更には血気盛んな志士たちを束ねて倒幕の行動を起こすなどと
いうことはそうでなければできないと思う。
130 :
日曜8時の名無しさん:2009/09/12(土) 09:32:39 ID:Ghci3szN
>>129 じゃあその直江が比較的「愛」や「義」を大切にしたっていう史実って何よ?
愛の無い不義な武将にしか見えないけどな
愛を他と比較して測るのは無理にしても、不義の根拠があるの?
132 :
日曜8時の名無しさん:2009/09/12(土) 11:11:13 ID:Qo5R0xYI
↑堀秀治の件。
133 :
日曜8時の名無しさん:2009/09/12(土) 11:19:27 ID:Qo5R0xYI
越後一揆の扇動?
134 :
日曜8時の名無しさん:2009/09/12(土) 11:24:41 ID:Qo5R0xYI
年貢持ち逃げ。
135 :
日曜8時の名無しさん:2009/09/12(土) 11:31:46 ID:dgX7oYyc
義の根拠も欲しいな。
権力握りながら野心を起こさなかったなんて、そんなのどこの家老も一緒だし。
直江だけが取り立てて義に篤かった根拠にはならない。
年貢持ち逃げって、確実な(一次史料とか)あるの?
越後は兵農分離が進んでなかったためか、
耕作者が会津について行っちゃってて、掘が苦労した史料はあるが。
137 :
日曜8時の名無しさん:2009/09/12(土) 11:47:48 ID:Qo5R0xYI
「家康を追うのは義に反するは」でなく、
背後に最上、伊達がいたから?
138 :
日曜8時の名無しさん:2009/09/12(土) 11:54:13 ID:Qo5R0xYI
139 :
日曜8時の名無しさん:2009/09/12(土) 11:59:00 ID:Qo5R0xYI
どっちに肩入れするかで表現が可也違うという事か!
義の武将というのは上杉家のイメージと、当時屈指の学僧南化の
「利を捨て義を取るもの」という評価からきてるんだろ。
年貢持ち逃げと不義が何の関係あるんだ?蒲生も半分持って行ってるし、
堀の落ち度。一次史料では確認できない逸話だが。
141 :
日曜8時の名無しさん:2009/09/12(土) 13:14:51 ID:dgX7oYyc
つまり、義に篤かったことを示す史実はないということだな。
極端な人の揚げ足とらなくてもいいんじゃない?
ほかの武将に比べて不義だ虐殺魔だと言ってる人も根拠を出せないだろ
まあ自分が気にいれば何でも根拠なわけだ
144 :
日曜8時の名無しさん:2009/09/12(土) 19:01:05 ID:abyRiNnO
>>140 この件が堀が反上杉と成り、
堀の策略を生んだ原因では?
>>140 直江は堀の家臣ではないから、この逸話の真偽はともかく、
義だ不義だという話とはどう見ても関係ないかと。
年貢持ち逃げは「新たな赴任先の状況を調べず、年貢を置いてくるの
がおかしい」という直江の言い分がその通りで、堀がそれを恨んだと
したら自分たちのミスなのに上杉を逆恨みしたことになってしまう。
じゃあ堀の後任が儲けたのかといえばそういう話も聞かないから、
実像は
>>136のいうような農村の荒廃から恨みが生じたんだと思うね。
結果、堀は年貢を重くしないとやっていけず、一揆を招いた。
とくに義でもないのに義を標榜するのは偽善者というべき
直江を嫌う人がいて当然だな
天地人や戦国無双だと義、義うるさいからうざいと感じるけど、それで「自分は
義の武将」なんて標榜してるわけでもない史実の直江を嫌いになって、アホの一
つ覚えみたいに虐殺だなんだと騒ぐやつが出るのもかわいそうな話だな。
まぁ、ほとんどの人が戦国武将なんて特別好きな武将以外はドラマや小説のイメ
ージのままなんだから仕方ないけどね。
直江に義のイメージがぴったり結びつくのは家康をコケにした直江状なんだろうけど、
直江状を美化正当化するためか義の武将を強調しすぎているというのは同感だな
義の武将でも愛の武将でもいいけど、説得力がないドラマになってるのが
問題なのでは?
仁愛をたまに野菜をもってくる百姓で表現するのも中途半端だし、上杉の義
というのもはっきりしない。
どこがすごいのかわからないのに奇麗事を言えば天下人も一癖あるやつもそれ
に納得してしまう。
そんなんだから中途半端な史実とドラマの愛と義を混同する人が出る。
150 :
日曜8時の名無しさん:2009/09/13(日) 23:18:25 ID:2MWDmCxM
なんだあ
最上の方から攻めてきたから直江は応戦して追い出しただけじゃ〜〜〜ん!?
今日ドラマでやってたよ〜〜!
なにしろ家康追撃も義のために断念した景勝が
自分たちから最上領に攻め込むのを許すとか普通にありえないでしょっっ
新しいスタンダードにアンチ涙目wwww
151 :
日曜8時の名無しさん:2009/09/13(日) 23:23:42 ID:T7w6xCzt
ドラマの兼続なんで急に好戦的になったんだ?
「義」を持ち出したのは景勝ではないか
>>151 愛する三成との約束のためじゃないの?w
景勝の義ってやつも実は嫉妬だよ。
男の三角関係の物語だな。さすがはBL大河。
153 :
日曜8時の名無しさん:2009/09/13(日) 23:40:25 ID:/H3fGkXL
髭をはやした兼続がムーディ勝山に見えて仕方ないのは俺だけだろうか?
>>150 最上は上杉と表面上は和睦する方向で動きながら、裏では庄内に兵を出した。
最上攻めはそがばれたことで行われたという説もあるよ。
155 :
日曜8時の名無しさん:2009/09/14(月) 08:09:08 ID:EatHND4/
たった500人で2万5000?の兼続軍に玉砕覚悟で挑む。
江口 最上かっこいいジャン!
157 :
日曜8時の名無しさん:2009/09/15(火) 14:29:15 ID:97wCY579
>>149 ドラマと史実は別だ、と言いたいのかもしれないが
史実に何の義も愛も見つからないどころか
虐殺やらかしている武将を善人に描こうとすることにはやっぱり無理がある
別に、いいこともしますがそんだけじゃないもんねで良いと思うんだね。
主役汚したくないと思ってたら違う意味で汚れちゃったみたいな。
なんかなあ、薄っぺらいのよね。
別に良いじゃん。虐殺。どんとこい。むしろ俺でもやってるかもね。
涙を呑んで職務を遂行ってんでもいい。ホントは接待でノーパンしゃぶしゃぶなんかしたくない。でもやる。
だが、それがいいってこともあるんじゃないかな。
理解されるかどうかなんて気にしてたらなんもできやしないんだぜ!
>>157 虐殺やらかしてるっていつの話?
>>1も敵の大将と妻子を磔や一揆の首謀者
火あぶりって当たり前すぎて、どこが虐殺なのかわからない。
これくらいで虐殺と騒ぐやつは戦国武将を舐めてるとしか思えない。
初陣で「敵斬れないよ〜」って泣いてる天地人はアホらしいけど。
いつの時代にしても「虐殺」はまずいよなあ。
そんな人には天地人がぴったりだな。
義=平和主義じゃないってことだな
163 :
日曜8時の名無しさん:2009/09/16(水) 00:06:29 ID:s1UJFagq
>>159 だから一揆の首謀者火あぶりや
妻子もろとも磔だけじゃないだろうに
直江は、畑谷で500人以上撫で斬り無差別殺戮し
八王子でも女子供を殺しているだろうって
大量殺戮はどの武将もやってるわけではないよ
直江は残忍な鬼畜
弱者は鬼畜にひれ伏すから国を治められる。
そして弱者は鬼畜を誉めまくり機嫌をとる。
歴史上に鬼畜と言う諸説もあれば褒め称える諸説があるのもうなずける。
>>163 小田原攻めには参加できるほぼ全ての大名が関わってるうえ
直江以上の権限を持つ武将が多数参加、
畑谷では非戦闘員(笑)を殺した証拠が無いと来たもんだw
佐渡のはりつけは、花の慶次で忍びの骨が悲しそうにしていたが、
慶次は戦国の習いだと普通に受け止めていたな。
竹中直人の秀吉は比叡山焼き討ちの時に女子供を逃がそうとしたり泣いたりしていたね
残酷な行為は炊き出し一つしてくれない信長にお任せ
大河ドラマは時代劇ですが、現代の人間が見るドラマですから、
主人公は現代の感覚に合わせた良い人にしなければ駄目です
景勝・兼続主従は謙信以来の武門の意地を通そうとしたから、西軍についたのに
江戸時代も評価を落とさず、今の人気につながってるわけで、ドラマでは義だ愛
だとなんとなく正義の味方チックな言葉にしてしまったから逆に破たんしてしまった。
武門の意地を通すんだったら大坂の陣まで豊臣方につけよアホ
ヒント
会津征伐は豊臣家VS上杉家
上杉が西軍についたのではなく上杉征伐が関ヶ原のきっかけということになってますので
西軍以外にはなりえないわけです。義理とか意地、ましてや愛ではないですね。
上杉が豊臣の利益に忠実なのは豊臣から利益を享受しているからです。
五大老の中でも実質的に家康番といえるのは前田、上杉ですが利家死んでますから上杉が主力になります。
家康にとっては五大老格の大名に喧嘩吹っかけるのは規定路線だったと思われますので、
上杉が東軍(?)ということはないでしょうね。
仮に家康に喧嘩売られなくて、例えば加賀征伐で前田VS徳川になってさらに
(ほぼありえないですけど)関ヶ原的な流れになったとしても上杉的には日和見決め込むのではないでしょうか。
豊臣大名の内紛、しかも上位の家康が叛乱軍を懲らしめると言う形を取られては手は出しにくいですね。
上杉の義理堅さってのは何が何でも豊臣に忠を尽くすことじゃないってのは
当時の人たちも江戸時代の人たちも分かってたことなんだがな。
173 :
日曜8時の名無しさん:2009/09/16(水) 17:30:28 ID:pf0DfcCj
後継ぎ争いのときは兼続側が簒奪者にしか見えなかった
カネツグは確か景虎方も虐殺したんだったよな
>>174みたいなのはもう戦国物見たり読んだりしないほうがいいな
176 :
日曜8時の名無しさん:2009/09/17(木) 00:07:51 ID:gwAPn3/E
>>175 おまいこそ見たり読んだりしなくていい
上杉の当主をブチ殺したときに景勝の帷幕に居たのも直江だったか
謙信暗殺か!!!
ついに虐殺の根拠が無くなって発狂したのか
179 :
日曜8時の名無しさん:2009/09/17(木) 01:09:00 ID:k31uQeAp
暗殺まではいかなくてもあまりに手際良いから謙信が死ぬのを待ってたんじゃなかろうか
それくらいはしてて当然、つかそれくらいじゃなきゃ謀臣とは呼べないだろうね
謙信じゃなくて景虎を暗殺しろよ
変なのがいなくなって普通に愉快な虐殺スレになってきましたな。
アンチじゃなくおもしろに方針転換したんじゃないのか
184 :
日曜8時の名無しさん:2009/09/18(金) 09:21:34 ID:eNoSpOUL
上杉の当主ってのは謙信でなく上杉憲政のことね
直江がぶち殺して景勝に上杉家を乗っ取らせた
血塗られた主従だよなぁ
上杉家の当主ってのは〜って違うぞ。
知識がないんだから無理に叩くなよ。みっともない。
186 :
日曜8時の名無しさん:2009/09/18(金) 10:41:18 ID:Gw9dhJ3z
直江状の責任を取って切腹しなかったのはなぜ?
栗田国時が気の毒です。
直江状の責任をとらなきゃいけないのはなぜ?
切腹したらそれこそ謀反を認めることになるし、米沢移封後も直江が権力を
握ってることからも独断で書いたものではないよ。
栗田が気の毒ってなぜ?
栗田が一族ごと殺された逸話を真に受けてんじゃねーの。
史実の景勝は徳川と戦するのに逃げたい奴は好きに逃げればいいと言ってるし
実際に出奔した藤田は家康に仕えて悲願の関東に領地貰ってるし
史実の栗田さんは普通に関ケ原後も上杉家で仕事してますけどね。
189 :
日曜8時の名無しさん:2009/09/18(金) 11:41:32 ID:Gw9dhJ3z
上杉の歴史は殆ど嘘で伝えられているという事?
ヤッパリ愛とか義も嘘のイメ−ジ?
これからも嘘で伝えられる事でしょう。
<完>
知識のなさを見透かされるとこれか。
191 :
日曜8時の名無しさん:2009/09/18(金) 12:01:45 ID:Gw9dhJ3z
>>190 貴方がお勧めする書籍が有りましたら紹介して下さい。
192 :
日曜8時の名無しさん:2009/09/18(金) 12:14:35 ID:Gw9dhJ3z
本当に読む気があるのかわからないけど、
実像に近い直江像が知りたいなら矢田俊文氏編集のや今福匡氏のものがよいのでは?
これらは3000円近くするので、鈴木由紀子、外川淳あたりの本は手軽かな。
直江関連のサイトは見ないよ。強いてあげれば古文書などが読める東大資料編蚕室の
ホームページじゃないかな。サイトの情報だけでアンチ活動しているのかはわからないけど、
そのようだと、どんなにageようがここにいる擁護派にはかなわないと思う。
アンチが好きな上泉書状は木村徳衛の『直江兼続伝』に全文が掲載されてる。
8000円と高額だけど。
194 :
日曜8時の名無しさん:2009/09/18(金) 14:34:04 ID:Gw9dhJ3z
>>193 ここのコテコテの擁護派に聞きたいんだけど
直江の何が魅力なの?
業績の何を支持してるの?
わからんのよな
俺は直江より景勝の方がずっと好きだから直江奸臣説でも別にいいが
妄想を史実とか言ってるのを見ると突っ込みたくなる性分だから。
景勝が好きなのは本人のイメージに反して書状が爽快だからだな。
198 :
日曜8時の名無しさん:2009/09/20(日) 14:18:21 ID:dtJQ7/TZ
>>187 直江状に限らず、筆頭家老だったからには
その間の政策に責任があって当然だろ
無能無策だったとしても責任あるわな
誰が大河化されてもこういう流れになるんだろうね。
ドラマがおもしろくないことがこういう風にするのもあるんだろうけど。
うーん、見せしめ効果だよね・・・。でも、みんなやってる伊達政宗も
、かの第六天魔王信長も。武田信玄も北信濃でさんざんやってる・・。
おかげで、庄内領の上杉軍はほとんど戦もせずに着陣したけど、
帰りに一部の軍が最上軍に全滅させられてる。100人かその辺。
>>193 ごめん、助言をしてあげてる内容に文句を言うわけじゃないけど、
鈴木由紀子はまず「小説家」だと思うし、
『花に背いて』は「花の慶次」からパクリが多いとか言われてる小説だし
また兼続とお船の新書も書いてるようだけど、
この人の新書は既存の他作家や研究者からの引用や写しが多すぎるんだよね。
まあ、手ごろに読める内容ではあるのだろうけど。
202 :
日曜8時の名無しさん:2009/09/21(月) 17:24:30 ID:+eDzTO+u
二週前の家康が西方の結集で引き返した時、上杉か謙信公の家訓?かで背後から家康を撃つのは卑怯だから打たなかったて本当?ドラマでわ兼続は打ちたかったけど上司が止め。剣が空を切ってたシーン。と秀吉に首切られるから政宗に謝れの助言(ねっから敵関係の相手に?)
藤堂 高刑(とうどう たかのり、天正5年(1577年) - 慶長20年5月6日(1615年6月2日))
鈴木弥右衛門と藤堂高虎の姉の子供として生まれる。
ハンセン病を煩っていた大谷吉継は、自害する前に側近の湯浅五助に「病み崩れた醜い顔を敵に晒すな」と申し伝えて果てた。
五助は主君の命を守り、取った吉継の首を戦場から離れた場所に埋めた。埋め終わったときに、五助は藤堂高刑に発見される。
五助は、「私の首の代わりに、主君の首をここに埋めたことを秘して欲しい」と頼み、高刑はそれを受けて五助の首を取った。
藤堂高虎は、自分の甥が勇猛な侍として名高い五助の首を取ったことに喜び、徳川家康の本陣に報告した。
高虎と高刑が五助の首を持参すると、家康は手柄を褒めつつ、大谷吉継の側近中の側近である五助なら主君の居場所も
知っているはずと、高刑を詰問した。
「知らない事はないが、五助と他弁をしないと誓って首を取ったのでこのことはどなた様にも言えませぬ。どうぞ、
私を御処分くだされ」と高刑は答えた。吉継の首のありかを言えば、更なる大手柄になるというのに頑としてありかを
言わない姿勢に家康は感心し、自分の槍と刀を与えたという話が今日まで伝わっている。
大坂冬の陣、大坂夏の陣にも参加したが、慶長20年5月6日、八尾の戦いで長宗我部盛親隊の猛攻撃を浴び、藤堂隊は
壊滅状態に陥った。この時に、多くの将兵と共に高刑は戦死した。享年39。
>>201 もちろん小説ではないほうね。
「花に背いて」は持っていて当然あの場面は知っているが、
薄くて読みやすいという点で挙げたよ。
新書のわりに小説のように心情面に入ってしまってる記述も多いけど。
そういう大河の便乗本すら読まずに叩いてる人もいるからね。
>>202 『二つの関ヶ原』で「西に向かうのはそれ(最上、伊達を抑えて)からじゃ!」と一週で
意見を翻した景勝の言い分が史実に近いと思う。景勝が書状にそう書いてるし。
<直江が家康追撃を主張→景勝が却下>
これは、上杉謙信・景勝マンセーで、直江はお家を危うくした奸臣、
という捏造軍記に因るもの。
直江兼続主役のドラマでこれを採用するなんて、まさか思わなかった。
206 :
日曜8時の名無しさん:2009/09/21(月) 22:32:05 ID:Zv9VX5Qe
>>201 つまりパクリや捏造した内容にしか直江をたたえるべき物が無い
ってことでおK?
>>206が日本語が絶望的にできないということは分かった
>>205 もとは、兼続奸臣説の証明として作られた話だったけど、
なぜか通説として流布し、いまやむしろ、兼続の才をあらわすエピソードになっちゃってる。
「天地人」をはじめ、兼続マンセー小説にも採用されてるからね。
史実を言えば、上杉に家康反転が伝わった時には、家康はとっくの昔に小山を立ち去っていたし、
そもそも小山と上杉が迎え撃とうとしてた白河はすごい距離がある(約100キロ)。
北には最上、伊達がいて、伊達にはすでに白石城を落とされて防衛線の一角が壊されていた。
これで追撃を、なんてちょっと無理。史実の兼続だってそんなこと主張してないと思う。
209 :
日曜8時の名無しさん:2009/09/22(火) 18:03:48 ID:cjyQ5s8Z
先日のニッカンスポーツでこの矛盾を指摘されてたけどねw
過熱具は戦いたくない平和主義者のくせに、家康を倒すところを妄想したりしとるがなーってw
今回の兼続は、当初、「直江状」を書きそうもない平和主義のヘタレ男だったと思ったら、
今や、この後上洛して徳川に臣従するとは思えない主戦論者だなww
ついでに連投で申し訳ないが、
今回の家康は、上杉家の恭順の申し出を受け付けないようなキャラなのだが・・・
212 :
日曜8時の名無しさん:2009/09/22(火) 21:48:09 ID:JflEof1t
影虎の世継ぎは確か始末しているよね。
5歳ぐらいの景勝の甥を戦国の習いで始末しているはず。
もちろん、こういう細かいことは家老・軍師の命令。
家臣の領地争いで文句言ってきたのを、閻魔大王に裁いてもらえって言って、打ち首にしているよね。
こういう話も残酷とかではなく、いかに領地争いをなくすために必要な措置だったのか、
争いの火種をなくすためには普通に殺す、という慣習をしっかり描いてほしいものだ。
213 :
日曜8時の名無しさん:2009/09/22(火) 22:24:10 ID:TcR5KCMa
直江ってドラマでも奸雄として描いた方が面白いんじゃなかろうか
史実のように征服地で虐殺を繰り返し
他の重臣を讒言で追い出して上杉乗っ取りを画策
しかし最後は失脚し御家断絶に至る
史実と信ぴょう性のない逸話をごっちゃにしてる人がいるみたいだな。
>>213は本気で言ってるのか?乗っ取りを画策とか失脚とか
215 :
日曜8時の名無しさん:2009/09/23(水) 14:28:26 ID:+y1XtyW7
戦国時代だから虐殺の定義・ボーダーも下がるだろ…所で調べの疲れるので前の風林火山で兼続役やってたの緒形謙
216 :
日曜8時の名無しさん:2009/09/23(水) 14:30:23 ID:+y1XtyW7
↑だったっけ?
緒形さんは宇佐美定満だね。
天地人だと宇佐美は第一話で池に落ちて死んだ。
宍戸錠がやったおせんの父直江景綱は西岡徳馬がやってた。
218 :
日曜8時の名無しさん:2009/09/23(水) 15:43:20 ID:+y1XtyW7
まとも見初めたの藩の内乱位から。風林火山の上杉関係の描写はGacktと緒形のイメージ強すぎて覚えてない、やっぱ兼続でてなかったか?NHK的に言えば日本人も成長した。もういいだろう天地人風林火山。ひとセットでお宅の歴史知識のミッシンクリングを埋めて下さい、か?
219 :
日曜8時の名無しさん:2009/09/23(水) 16:24:10 ID:+y1XtyW7
飽きた年末年始のドラマスペシャル忠臣蔵とか…戦国物と言ってもいつも同じ信長秀吉家康のお決まりのシーン秤、上杉の配役なんて覚えてない、出したら話ややこしくなったから?茶々のシーンなんか大奥かお市の方かごっちゃ池上キミ子栗原小牧島田陽子大原麗子…見せ番組だった
220 :
日曜8時の名無しさん:2009/09/23(水) 18:50:40 ID:s6UkUjUB
>>1 直江山城って虐殺魔だったんだね。
NHKは嘘つきだ!!
221 名前:日曜8時の名無しさん :2009/09/15(火) 08:50:52 ID:97wCY579
我
主
なんて読もうね?
実際、直江は主人の景勝よりも多くの家来で自分の周りを固めさせていた、と言う記録もあるしね
222 名前:日曜8時の名無しさん :2009/09/23(水) 18:44:38 ID:s6UkUjUB
>>221 どういう記録?出典は?
無知なままアンチ工作をしている典型
一年で取り上げる人物とはいえん。
家康に楯突いて、上杉を困窮に追い落としたイメージしかない。はっきり言って地味。
気概は痛快・気高く雄々しいかもしれんが、時局を見誤った愚将。
直江状は勝手に出したわけでもないし、家康が勝つことが決まってた
わけでもないからな。
224 :
日曜8時の名無しさん:2009/09/24(木) 00:16:46 ID:T/wesoGL
>>1 勉強になります
残忍系でありながら地味な武将であったことがよくわかります
家康も秀吉も彼の人間性を買ったということはひとつもなく
残忍で何やらかすかわからないところを一抹程度危ぶんだのでしょう
225 :
日曜8時の名無しさん:2009/09/24(木) 00:52:59 ID:v9U/8nWX
真偽は別として俺にわ上杉って調整藩な気がしてきたNHKか?脚本家?の持って行き方が…風林火山にしても謙信は宗教的だが野望と言うより使命感、あと昔習ったが上杉と言えば関東管領?名門。天下取るよりその良きサポートたとえそれが徳川でも、
226 :
日曜8時の名無しさん:2009/09/24(木) 01:13:35 ID:v9U/8nWX
↑義と言う標準感覚・原則に(宗教的に)従ってる、ある意味それに対してぶれてない、だから家康追撃も勝負所を解ってる兼続は秀吉の本能寺の反転並みの行動でき撃てたたが結果的霊感的にそうすると又乱世に本末転倒。行動は伊達最上から領地守ると…だが
>>223 大局は家康に移っていた。
目敏い大名は家康になびきつつあった。
家康に敵う者はいなかった。
上杉は所詮田舎大名。
意地張っただけ。プライドだけじゃ勝てん。
>>227 家康にかなうものはいなかったはずなのに上方を占拠され、ピンチに陥る。
上杉は意地張っただけだけというけど、そこが当時から現在に至るまで悪く言われない
ゆえんなんだがな。
229 :
日曜8時の名無しさん:2009/09/24(木) 15:50:06 ID:birpUejP
愚将?
意地張っただけだけ?
いいえ「愛」の武将です。
230 :
日曜8時の名無しさん:2009/09/24(木) 19:04:43 ID:iKaMRTRq
愛だの義だの言えば、敗戦も減封も許されるんだから、楽でいいな。
231 :
日曜8時の名無しさん:2009/09/24(木) 21:05:10 ID:bFKLdd3g
愛ゆえの敗戦、愛ゆえの減封で御座いました。
大国実頼が使者を斬るなんてことはないんでしょうね
>>228 上方空けたのは家康のトラップだよ。
上杉は兵を挙げるためのダシ。石田の挙兵は既に見越していて、石田に味方する者を上手くあぶり出したんだよ。
強い者が正義を作り、時代を支配してきた。義や愛など何の役にも立たない。むしろ、足を引っ張る。
謙信だって義にとりつかれ結局何も出来なかったしな。貧乏藩に落ちぶれさせた直江の評価は低くて当然。
234 :
日曜8時の名無しさん:2009/09/25(金) 01:11:11 ID:Af8c+7gH
意地を張ったら窮地おちた→当たり前だが何か手を打たなければ、それが三成との…→そのお蔭で家康反転=大危機は免れた。テラレバ言ったらお化けがでるが、もし西方の集結が遅れてたら、上杉は華々しくちったか?兼続の策どうり
235 :
日曜8時の名無しさん:2009/09/25(金) 01:20:37 ID:Af8c+7gH
↑大打撃(川の水が入ったら高松城水攻め?並みの効果あったのかな)あと三成への義理もたつが…
120→30万石への大減封w
のち、15万石にまで落ちぶれる上杉。
これが大河の主人公とは寂しい限りだ。
237 :
日曜8時の名無しさん:2009/09/25(金) 03:07:25 ID:Af8c+7gH
まあ竹田北条今川に比べたら残ってるからいいが…家康が凄さは理解してる。全てを内包し、真逆を内包し、全て利用した、上杉の事も理解してるはず。なんせ・・・言わせるか?
>>236 でも、四代藩主が世継ぎもないまま急逝して15万石にならなければ、
鷹山はこの世に生まれなかったわけで、物はとりようかもね。
239 :
日曜8時の名無しさん:2009/09/25(金) 03:49:36 ID:Af8c+7gH
上杉も天下取る気ないし、兼続も戦なき世が目的だから奇しくも苦渋の真逆で夢が達成した、親友三成を人柱?にして、三成への義理は果たしたかっただろうがサポートが秀吉から家康に替わっただけ、天下人と認めた。もちろんサポートさしてくれないがそんなID・気質の藩
>>233 ・小山の評定の段階では東軍武将たちは「内府ちがいの条々」の存在を
知らず、挙兵したのは三成・大谷程度だと思っていた。豊臣奉行衆は
味方だと信じていた。
・「内府ちがいの条々」が発せられたことで豊臣恩顧の大名の去就を疑
うようになり、家康は江戸を動けなくなった。
>>240 それもあるが、佐竹が江戸を狙う恐れあったから動けなかった。
上杉&佐竹&伊達&最上
VS
徳川
おもしろそうだ。
243 :
日曜8時の名無しさん:2009/09/26(土) 10:45:41 ID:VFboRDY8
貧乏どころか米沢藩は「愛民政策」ゆえ、
表高30万石に対して実高50万石で御座いました。
244 :
日曜8時の名無しさん:2009/09/26(土) 11:34:26 ID:VFboRDY8
虐殺魔では有りません。
八王子城では後方支援していたらしいです。
秀吉の命で仕方なく刈った首や捕虜の妻子達を泣きながら仕方なく
輸送したに違い有りません。
畑谷城では相手が玉砕の戦方をとった為「愛」届かず悲しい思いをしたに違いありません。
245 :
日曜8時の名無しさん:2009/09/26(土) 15:13:44 ID:db+rPF+1
織田を相手にしていたころのように玉砕覚悟で滅びればよかったのに
義だなんだ口で言ってるだけよりよほど説得力あるよ 義を叫んでいいのは滅びた家だけだ
246 :
日曜8時の名無しさん:2009/09/26(土) 15:16:02 ID:12CgPpuX
飢饉では農民を大勢殺してるんだろうなあ
>>243 「愛民政策」って何?具体例で言ってみて?
50万石を記録したのは豊作時の最高石高
実高30万石だったら豊作の時は普通にこの位になる
伊達家統治時代の30万石のまま増産出来なかったということだ
なんにせよ虐殺はいかんよ虐殺は
250 :
日曜8時の名無しさん:2009/09/27(日) 03:37:27 ID:2ckezYa/
余り知識ないが、豊臣に肩入れ長引いたのは、@前田家とわ違うぞ!と脊髄反射意地A幕府造ると、どの時期に分かったか知らないが兼続三成組?にその対案があったか?幕府案に対する近親憎悪的嫉妬B真田もそれっぽいが北条を潰してくれた恩
251 :
日曜8時の名無しさん:2009/09/27(日) 05:55:59 ID:a5fsS6EB
天保の飢饉の時は「かてもの」おかげで餓死者を一人出しませんでた。
「仁愛」の精神が引き継がれたので御座いました。
252 :
日曜8時の名無しさん:2009/09/27(日) 06:10:03 ID:a5fsS6EB
生活用水路の事業、
青芋、紅花、漆等 換金作物の栽培、
ソバやウコギの栽培。
松川の治水事業。
水害を食い止めるべき 約10km もの堤防を築いた。
「直江石堤」
253 :
日曜8時の名無しさん:2009/09/27(日) 06:11:09 ID:a5fsS6EB
リストラは一切しなかった。
254 :
日曜8時の名無しさん:2009/09/27(日) 06:18:56 ID:koVWzS68
単に西軍有利と判断したからだろ。
普通に考えれば大阪城がバックにあって、畿内もほぼ掌握してる西軍が負けるはずないからね。
運悪くゴチャゴチャしてるうちに関ヶ原で対峙してしまって、運悪く豊臣恩顧の大名が東軍について
運悪く小早川が東軍に寝返って、運悪く朽木、赤座、小川、脇坂も寝返って、運悪く吉川も動かなくて
運悪く秀元、安国寺、長束も動けなくて、運悪く輝元もやる気なくて、運悪く増田長盛が管理してた
120万石の財力、兵を全く使わなくて、とにかくその他にもいろいろと運が悪すぎて、半日で大敗してしまったというだけ。
>>251 最上の馬鹿を駆逐した後の出羽方面も飢饉対策は完璧だったよ
荘内藩の酒井様が素晴らしいからね
最も殿様より偉い本間様のお陰かな
今は山形県はとうぼぐで一番寂れたけど昔は凄かったんだよ
256 :
日曜8時の名無しさん:2009/09/27(日) 10:54:04 ID:2ckezYa/
兼続は良き知事市長と軍師の両面を持った凄い人だと思うが大統領総理の器と違うと?実際三成とどの程度の親密関係だったか?天下国家より目の前の戦で…三成が?関東に国替えさしたのが結果的に…三成兼続の合議制で250年はもたないだろうし
257 :
日曜8時の名無しさん:2009/09/27(日) 11:22:40 ID:2ckezYa/
↑運も実力の内。秀吉のバックにいての人だから現場経験小戦略より戦術は弱、烽を何回も上げるより小早川に鉄砲吹き掛ける方が…兼続が真横にいれば支持してくれたが…。で三成が死んで目的がなくなり徹底交戦の意味がなくなる体勢は着いてるので、
258 :
日曜8時の名無しさん:2009/09/27(日) 11:53:58 ID:2ckezYa/
↑上杉的には我を張る事に宗教・道徳的的にも自分たちが天下泰平に対する賊軍そう言う基準・感覚が…苦渋だが今となってしまえば三成との友情より上、昔の織田に攻められ時と状況が全然違う、それに相手は家康まだ話せば分かるし、真田(幸村)とも目的が違う
259 :
日曜8時の名無しさん:2009/09/27(日) 12:35:47 ID:2ckezYa/
上杉は織田の事をアシキ物で、天下人として相応しくないと思っていただろう。それに負けてたから徹底交戦するのは当然だが、三成が死に大阪の陣で徳川に徹底交戦する意味目的がない。天下人と認めた。豊臣側からの寝返りでない戦乱を長引かせたら悪謂わんやひっくり返したら
>>259 いつも携帯から?
見やすいように改行してはいかがかな。
>>252 その程度の殖産事業や堤防造りなどどこの藩でもやってる
やってない藩があったら教えてくれ
少なくとも最上や伊達の方が大規模だし
零細作物を民から取り上げて藩の歳入にするのが何で愛民政策なのか?
リストラをしなかったのは景勝だろう
人事権を直江が行使したら越権もいいとこだ
まあここは虐殺スレだから業績(大したの無いけど)を語りたいなら他スレでな
当時は土の堤が主流で石堤はすごく珍しいよ。
丈夫だけど計算や技術がいるからね。
印刷出版に手を付けたり新しい技術に積極的な人だったんだろう。
あと零細作物取り上げるってなんじゃそりゃと言わざるをえない。
技術者や官僚レベルのことを筆頭家老自らやんなくてもいいんじゃね?
筆頭家老は技術者を呼んできて財力や人員でバックアップすればいんであって
器用貧乏とでもいいうのか
そういうことが実行できる政治家は称賛されるんだよ。
新技術に理解を示し難しくても有用な新技術の使用を踏み切り
数少ない技術者を呼んで国に新技術を導入する。
技術者を呼んでくるだけだから誰でもできる、というわけではない。
265 :
八王子城山の住人:2009/09/28(月) 22:15:00 ID:dr1Q6G5g
城下町に火を放ち、
兼続隊は搦め手より八王子城三の丸目指しました。
北条の婦女子のいる御主殿に火を掛け、
溜池堀や御主殿の滝に追い詰めたのは景勝隊で
後から真田隊が加ったそうです。
捕虜250名の輸送の指揮を命じられたのは兼続説有り。
牛頭天王と8人の王子が祀られている
八王子城山は地元民の信仰の対象でもあり、
大道寺政繁ら降参兵15000を含めると
5万対3千の戦いで有りましたが、
北条の武将に率いられた領民達も鍬、鋤、竹槍て激しく応戦し激闘の18時間
だったかと...
「便乗本参考」
近くの高尾山に来る人は多いのですが八王子城山に来る人は少ないです。
山はトンネルが出来た影響か多くの杉の木が枯れ倒れています。
266 :
日曜8時の名無しさん:2009/09/28(月) 22:19:26 ID:dr1Q6G5g
5万は大杉?
あれは、秀吉の命令だからなあ・・・。つめの見せしめっていうか・・。
ただ、秀吉自身も比叡山焼き討ちのときは、逃がしたりしてるから
わからないけどね・・・。地元進行はとにかくオーバーなんで・・・。
そもそも兜の「愛」は愛宕山の頭文字であって・・・いわないのはお約束かw
兼続の魅力については鷹山公に講談いただくのが・・・いわないのはお約束かw
269 :
日曜8時の名無しさん:2009/09/29(火) 17:22:05 ID:JEmDJ1JQ
つまり直江は八王子城攻めでは虐殺のイケイケ尖兵だったわけですね。
>>268 何の愛だろうが愛の前立て貼り付けて虐殺するのは異常人
また鷹山が直江持ち上げたとかデマ言いたいの?
相変わらずアホすれ上げてるなぁ
なんにせよ虐殺は良くないな
虐殺はよくないとか、とても戦国時代を語ってるとは思えないな。
秀吉、謙信、信玄、信長、利家、一豊、家康、政宗、毛利、武蔵…
過去の大河の主人公はみんな今の感覚で言うとひどいと思われることを
している。無益な戦を嫌い、愛と義、天下太平のために戦った奴なんて
1人もいない。天地人の直江が異常なのでこんな頭の悪いスレが立って
るのかもしれないが。
↑主張に一貫性が無くて意味不明
274 :
日曜8時の名無しさん:2009/09/30(水) 11:13:06 ID:RqUzMAxN
心の目で開いて見れば「虐殺」も「愛」に変わるはず。
>>273 戦国武将を虐殺魔などといちいち騒ぎたてているのが
おかしいということだよ
276 :
日曜8時の名無しさん:2009/09/30(水) 11:38:11 ID:bHFKAKUo
義だのなんだの声高に叫ぶ奴は叩かれてもなんもいえん
利家や一豊も律儀者いいながら寝返ってたな。
278 :
日曜8時の名無しさん:2009/09/30(水) 14:06:32 ID:XsrgTlm6
やっぱ直江兼続は格別に残虐だよ
信長などは裏切り者や宗教勢力に対し撫で斬りしてるのに
直江の畑谷城なんか裏切られてもいない、宗教でもない
直江が勝手に侵略して来て500人以上も無差別に殺してんだもん
いくら戦国武将とはいえ戦闘員で無い者を虐殺しちゃいかんな。
そうそう。
だから畑谷城では非戦闘員を殺害した根拠はないし
城攻め前には降伏勧告出してるもんな。
もちろん城主側も戦闘前に妻子を脱出させてるし。
281 :
日曜8時の名無しさん:2009/09/30(水) 16:26:09 ID:E2X3vNXu
非戦闘員のいるところで皆殺しをしたけど、非戦闘員は殺していないってすごい日本語だな
妻子を避難させた江口が降伏勧告蹴って玉砕覚悟の城に
非戦闘員を多数入れてたってそりゃ確かに残虐な城主だからなw
283 :
日曜8時の名無しさん:2009/09/30(水) 20:34:37 ID:MAznHOdS
>>280 直江自身が「撫で斬りしました」って手紙書いてんのに
何で根拠がない、なんだよ?
実際に非戦闘員が逃げまどっている記録もある
>>283 なんどめだ。
「実際に非戦闘員が逃げまどっている記録」に虐殺の場面が記述されていない不思議。
「撫で斬りしました」に愛を感じるな
286 :
日曜8時の名無しさん:2009/09/30(水) 23:50:06 ID:R1lxyV3Q
>>272 >秀吉、謙信、信玄、信長、利家、一豊、家康、政宗、毛利、武蔵…
>過去の大河の主人公はみんな今の感覚で言うとひどいと思われることをしている。
>無益な戦を嫌い、愛と義、天下太平のために戦った奴なんて1人もいない。
そんなことは無い。
おまいには皆偽善者にしか見えないのかも知れないが
秀吉も信長も家康も政宗も信玄も必要なら残虐なこともしているが
彼らには理念が感じられる。だから虐殺魔ではなく英雄なのだ。
天下統一すれば平和になるのだから、それを目指すのは間違いではない
ところが直江の虐殺には理念が感じられないのだ
だから虐殺魔であり叩かれる
「八王子城では上から命令されたから、虐殺に加担しました」だなんて、小物臭がすごいな
むしろ、小物だからこそ、虐殺を喜々としてやっていたのだろうと推察される
虐殺を追及されると、「天下のために、義によって虐殺してきました」と言い出しそうだ
288 :
日曜8時の名無しさん:2009/10/01(木) 00:04:30 ID:9ujBZflC
殺し合いが当たり前の戦国時代に
一人も殺していない武将を探すほうが
無理というもの
289 :
日曜8時の名無しさん:2009/10/01(木) 00:19:36 ID:NajfR4Jv
愛を持って殺っする
>>284 最上勢の飯田播磨が駆けつけた時に
直江軍に追われて逃げ惑う民衆を見た
殺戮が終わったところだったかも知れないし
皆殺しして死人にくちなしでリアル殺戮描写が無いかも知れないし
何ら不思議ではない
>>291 畑谷城の話で虐殺を決めつけるのは難しいぞ。
だから
>>1もいろんなのを混ぜてスレ立てたんだから。
逃げる民衆を見て助けるために戦死する飯田。美しすぎるが、
実際には畑谷城に打ちかけられる鉄砲を止めるために出陣し
て討ち取られたという。死ぬ場面の演出にすぎない。
「逃げている民衆がいた」「皆殺しで死人に口なし」は矛盾。
この合戦を描いた軍記物は直江を奸物に描いてるんだから、
虐殺の伝承があればそれを入れても全く問題ない。複数の軍
記物どれも虐殺に触れてない。虐殺説を唱えるならそれがネ
ックだ。つまり当時虐殺だと認識されなかったということ。
直江と上泉の書状も当時の感覚で虐殺と言える内容でないの
は何度も言われている通り。
292 :
日曜8時の名無しさん:2009/10/01(木) 01:16:34 ID:mgVl0Z8I
擁護は擁護らしく、もっと話を具体的に書けよ
複数の軍記物ってどれのことよ?
直江や上泉の手紙に関しては、馬鹿の一つ覚えで「何度も言われている通り」って
このスレをみる限り、一度も根拠にならない理由が書かれてないんだから、理屈になってない
「前スレに書かれてた」と言い訳するなら、レス引用くらいしなきゃ、ただの妄想発言だ
史料、史料と言う割りには、ソースも証さずに具体性に書ける抽象論ばかりなんだよな
ここで必死になってる擁護は
アンチはソース出してないでしょう?
>>1のすべてにソースが示されていないよ?
偉そうに言うのなら是非出してもらいたい。
「実際に非戦闘員が逃げまどっている記録もある」なんてのも典型。
これは最上義光記を指しているんだと思うけど、基本的には擁護に史料
を出してもらって語ってるのがアンチだよ。
以前論破されたものを忘れたころに持ち出してアンチ工作を開始するのも特徴。
直江「皆殺しを命じて江口父子ら五百を討ち取った」
上泉「畑谷を攻め落とし、城主江口ら五百を討ち取った。そのほか、切り捨
てた数は際限ない。あなたの息子も武名を挙げました。あなたもうれ
しいでしょう。直江も特別にほめていました」
どこに虐殺と書いているのか。
294 :
日曜8時の名無しさん:2009/10/01(木) 01:42:44 ID:mgVl0Z8I
だからさ
現に擁護も史料という名の論拠たるもののソースをだしてないだろ
偉そうに語るなら、その史料が妄想ではないとするための判断材料を提示しろよ
根拠に乏しいレスを展開してるという点ではアンチと同レベル
出典元のない史料(と言い張っているレス)は、史料とは言わないことも分からないのか
ここの奴らは何がしたいの?
大河と関係ない話ならよそでやるかコソコソやれよ。
大河板なのがわからんのか?
296 :
日曜8時の名無しさん:2009/10/01(木) 05:30:45 ID:ieTWdhRF
皆殺し!
>>294 何が言いたいのかあまり意味がわからないけど、複数の軍記物というのは
東国太平記、奥羽永慶軍記、最上義光記あたり。軍記物では畑谷城の詳細
が書かれているもののの虐殺があったことには触れていない。ないものの
根拠を出せというのは難しい話だ。
畑谷城の虐殺の話があったとすると、江口は軍記物のように玉砕覚悟では
ない、または一緒に非戦闘員を死なそうとした城主になってしまい、最上
家の撤退戦略自体もあやしくなる。女や年寄りがいる可能性は否定しない
が、籠城戦の場合は非戦闘員とみなしていいかは疑問。当時は女だって十
分な戦力だったからだ。
虐殺主張者はこうした最上方に生じる矛盾について放置したまま。2万を迎
えうつ500の城に非戦闘員を入れておいて「直江が殺さなければいいだけ」
という論は通じない。
299 :
日曜8時の名無しさん:2009/10/01(木) 10:35:27 ID:ubOPXfOm
その昔 改革詐欺師も居たよ。
スレ違い。
300 :
日曜8時の名無しさん:2009/10/01(木) 10:45:22 ID:ubOPXfOm
撫で斬りは「虐殺」では無い。
撫で斬りは「愛」だよな。
お願い!今夜は私を撫で斬りにして!!
悶えながら撫で斬りされる無辜の民たち
当時の東スポ見出し「直江 五 百 人 斬 り !!」
305 :
日曜8時の名無しさん:2009/10/01(木) 13:10:53 ID:FAmdQRrq
>>287 同感なんだよな
何か直江兼続って戦闘戦略では無能無策なのに
>>265 の記載でも分かる通り
畑谷や八王子の虐殺では、生き生きとして有能な感じがする
愛の前立てに返り血を浴びながら嬉々として殺戮をやっていたんじゃないかw
>>295 大河の主人公を叩きたい。議論の余地はない。
ソースは出せないけど、虐殺魔だと宣伝して上げ続ければいい。
戦国板だとみんな知識があるのでボコボコにされるから移動できない。
307 :
日曜8時の名無しさん:2009/10/01(木) 14:04:39 ID:ubOPXfOm
「愛の前立てに返り血」
赤く染まっていた方が「愛」の字が映えるからな
御館の乱じゃ結構、策謀に鉄砲術で活躍したんだけどね・・・。長谷堂
は何をやってんだかって失敗ばかりで・・。かき集めた浪人と越後以来の
家臣とじゃ勝手が違うってことといえばそれまでだね・・・。
310 :
日曜8時の名無しさん:2009/10/02(金) 09:03:09 ID:dt6W3Dvl
>>308 月灯りを背負い搦め手を登る、
茂みの中から突然竹槍が目の前かすめた。
兼続は咄嗟に太刀振った、
月に灯りに照らされた愛の前立ては返り血で紅に染まった。
首を刈ってやろうと顔を見たら年端も行かない少女兵(農民)だった。
と言う事ですか?
>>309 長谷堂は別に失敗ばかりでもないよ。長期戦仕様だし。御館のほうが
何やってたか分からん。
御館で直江が活躍したとか
天地人の読みすぎ
これがこのスレに張り付いている直江擁護者のレベル
当時はまだ下っ端で景虎側の非戦闘員を虐殺しまくってたんだろうな
314 :
日曜8時の名無しさん:2009/10/03(土) 11:56:57 ID:RY6+hpvO
手下の兵が非戦闘員の女をレイプしてても、これぞ愛だと感動して、虐殺、暴行を展開してたんだろうな
なんせ擁護様のおっしゃる戦国時代(笑)なんで、仕方ない
妄想スレ化してきたな。
上げるだけ恥ずかしい。
316 :
日曜8時の名無しさん:2009/10/03(土) 13:09:55 ID:UOxzK2c0
そもそも今の愛の意味と戦国時代の愛の意味を一緒にすんなよ
ドラマだから史述どおりでなくともいい
ただ初音を引き取らないで勝手に生きよと言う設定がいやだ
会津藩として幕末まであったんだから上杉の生き方はうまい
性欲=愛
何?このくだらねースレ
でも直江兼続の虐殺は史実ですから
根拠はないけど史実に間違いありません。
322 :
日曜8時の名無しさん:2009/10/03(土) 18:10:56 ID:yxmJbGVW
「義=うまい生き方」ですか?
くだらないです。
323 :
日曜8時の名無しさん:2009/10/03(土) 21:04:04 ID:Vra6+hg9
明日、天地人では悪役の家康に土下座ですね
虐殺度
家康<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<兼続
325 :
日曜8時の名無しさん:2009/10/04(日) 15:51:32 ID:rQ66azwy
俺今の大河大好物だけどなあ歴女目線なのかな?体調悪い俺にピッタリ。この薄さが体に優しい、源実朝?と言うか平安絵巻風戦国物で叙事史的に知識になかった上杉の全体の中の位置や他藩とかかわり。ぼーぉとみてても勉強になる。長谷堂(先週の日刊
326 :
日曜8時の名無しさん:2009/10/04(日) 16:18:10 ID:rQ66azwy
スポーツも短杉って書いてた)知らないが…どうせ画面的にわ関ヶ原や大阪の陣の幸村に見劣りするから三成とのエピソードでもっと泣かしてほしかったな。小早川の胸ぐら掴んで、臭い芝居もアリで、あんまりやり過ぎるとチャチなBLになるか?三成と兼続の青春劇いいよな。
327 :
日曜8時の名無しさん:2009/10/04(日) 16:38:33 ID:rQ66azwy
今まで三成のこんな描かれ方見た事ないし、福島政則?も豊臣なくなったら、あんなに駄目×2になるのか。
福島正則はもともとちょっと見込みが甘いというか。
秀吉に仕えてたせいで身の丈に合わない所領がきちゃったというか。
改易されたのも豊臣がどうこうとか関係ないしなあ。
329 :
日曜8時の名無しさん:2009/10/04(日) 18:06:07 ID:+n9LmYvY
我らの正義を後世に伝えよ!>直江
→家康の忠犬になり、豊臣に襲い掛かりますw
生きる為に味方をころころ変えてもいいじゃん
沈む船に居座るのはあほぅ
>>331 ちゃんと書き込みの意図を理解しろよwwww
333 :
日曜8時の名無しさん:2009/10/05(月) 04:07:57 ID:MGrt97qD
家康の会津攻めの時の迎え撃つ兼続の夢想するシーンも良かったな!大阪の陣の「真田丸には近づくな!」バリに「直江丸には近づくな!」みたいな。まあ伊達・最上が合流しても持ちこたえたら
334 :
日曜8時の名無しさん:2009/10/05(月) 04:28:22 ID:MGrt97qD
三成軍が北上して挟み撃ち此処まで言うと妄想だが家康が引いた時の方が可能性大・勝負所だった、家康の首に特化して会津領は伊達最上にくれてやる位の!素早く秀吉の中国おお返し?みたいに…黒田如水の様に言わなかったのが上杉(影勝)らしい(><。)義に準ずるか
335 :
日曜8時の名無しさん:2009/10/05(月) 04:40:28 ID:MGrt97qD
でももし家康撃って又戦乱の世に戻ったら、あの時、上杉が撃ってなかったら…とか謗られる、それも背後からとか…上杉には謙信か?英霊?でも憑いていたのか
上杉が所領棄てて家康追ってみたところで包囲殲滅されるくらいのこと
回りに味方がいない。佐竹が確実に味方するならまだわからんがそれもないだろう
むしろ義重爺さんがクーデター気味に返り咲いて上杉阻止で大巧挙げちゃうな
337 :
日曜8時の名無しさん:2009/10/05(月) 15:28:23 ID:bI1ggZH+
>>331 「義」だとか言うなら直江自身は大坂の陣出ないべきだよなあ
実際直江は大坂の陣で思い切り陣頭指揮して
Made in米沢の鉄砲を大坂に向けて放ってる
直江は豊臣を実験ザルに使ったわけだ
直江ってこいつ人間じゃない
はて、豊臣なんかよりも大恩ある主家上杉に背くのは
不義じゃないのか。
つーか大坂冬の陣では
須田・安田が前に配備されて先陣を勤め
左翼は本庄繁長、右翼は五十騎衆らが勤め、
直江は景勝本陣の後ろに備える後詰めだったと思うが。
与板衆も先陣に加わってはいるけどなあ。
一旦兼続を介するとは言え景勝から命令受けてるし。
339 :
日曜8時の名無しさん:2009/10/05(月) 16:11:31 ID:MGrt97qD
340 :
日曜8時の名無しさん:2009/10/05(月) 16:33:54 ID:MGrt97qD
>>337 >
>>331 昨日の番組見てたら分かるだろ!豊臣に刃向かいたい訳ないだろ。秀頼?に「上杉を潰すな」と小早川や福島の助言で言わされたにしろ、又恩が出来た豊臣に…そうやって家康は精神的に上杉をS的に苦しめ楽しんでる刃向かったら酉潰し
ここの奴らは「愛と義だ」と叫んでるドラマの兼続と史実の兼続を都合
よく混ぜて叩いてるな。
武家を統括する幕府が開かれたんだから、大名衆はこれに従う。豊臣家
はそこにはおさまらない特別な存在としてあり続ける。これを大名たち
はしばらく受け入れ、直接的な主は豊臣から徳川へ移り、豊臣は象徴的
な存在になっていく。大坂の陣で豊臣につくことはむしろ主への忠義に
背く行為になる。朝廷の公家権力を背景にした豊臣政権が存在している
うちに、武家政権を築く。武家政権に従うことは武士としては本来の形
なので豊臣から徳川へ主を移す正当性もある。
戦争の発端となった方広寺の鐘銘事件も、豊臣が作らせたときに意図的に
「家康」と「豊臣」を入れた―と文言を考えた僧侶が証言しているから、
徳川方のこじつけでもなんでもないんだよな。僧侶はいい意味で名前を入
れたと主張したが、「武士の書式は知らないが、五山の僧侶はいみなを避
ける」と別の僧侶が答申しているようにどうもあやしい。さらに且元討伐
に動くなど、徳川の考えとは別に豊臣が勝手に大坂の陣の口実を作ってし
まっている。
豊臣家は利も義も失い、従うのは一発逆転を狙う浪人ばかり。秀頼の一言
に救われたドラマの上杉家がどうするのかは知らないがね。
豊臣攻撃の理屈を小松センセイがどう誤魔化すかが
今後の見どころというわけだな。
343 :
日曜8時の名無しさん:2009/10/05(月) 21:36:53 ID:JeayCh1B
でもあれだな
藤原惺窩が直江は奸臣だったと認定してるんだから
やっぱり直江は奸臣で悪人なんだろ
344 :
日曜8時の名無しさん:2009/10/05(月) 23:25:55 ID:l7R3+kkQ
お前ら現代目線で語ってんじゃねぇよ。キンタマいじりながらPCで書き込み
できる時代じゃないんだぜ。毎日が斬ったはったの殺し合いの戦国で悪人も善人もあるかよ。
ただ上杉の場合は敵である敗軍の武将をかなりひきとってるからな、他と比較して
義あるってことだろ。
>>344 本多政重や木造長政や志賀直次を引き取った福島正則の立場は
>>343 >藤原惺窩が直江は奸臣だったと認定してるんだから
藤原惺窩は直江を奸臣だなんて言ってないぞ。
347 :
日曜8時の名無しさん:2009/10/06(火) 23:01:54 ID:hqtt7vIG
>>346 安土桃山時代から、江戸初期にかけての最大の学者である藤原惺窩(せいか)という人が
直江兼続のことを奸雄(かんゆう)と称している。
奸雄の『奸』はズル賢い、雄は英雄の『雄』という意味。織田信長ですら奸雄と何故か呼ばれない。
…
それと同時に直江兼続は自分の主君に戦いを進め、主君の義を滅ぼす男だとも言っている。
上戸彩は可愛い^^
349 :
中学生:2009/10/07(水) 08:23:12 ID:y7kJQN8K
最上にも勝てないのに家康を挑発した奸雄ってこと?
直江状は景勝に言われるままに書いたの?
「これは不味いです。」とか助言しなかったの?
皆で盛り上がっちゃのかな?
350 :
日曜8時の名無しさん:2009/10/07(水) 08:26:43 ID:y7kJQN8K
>>349
僕は加藤夏希ちゃんの方が絶対可愛いと思います。
351 :
日曜8時の名無しさん:2009/10/07(水) 08:29:08 ID:y7kJQN8K
ごめんなさい>>>
>>348でした。
>>377 おいおい。よこしまな思いを抱き、家を乱す奸臣とずるがしこい智謀で
天下を乱す奸雄ではスケールが違いすぎるぞ。
奸雄と評した逸話では主君に戦を進めるなんて言ってない。
「話してみたらなるほど人が言うように奸雄であるが、器量においても
天下の英俊であるには違いない。天下が三つあれば二つは取る男だ。
しかし、彼に会わなかったら私は命を狙われる。小早川隆景は君子な
ので私を殺さないだろう」
ただ、これはすでにだいぶ脚色された江戸後期の逸話。
もとになった「惺窩先生行状」では
滅びそうな家を守ることをどう思うか問われたのを無視し、
弟子に「家康に下らずに戦を起こそうとしている。意地や誇りを捨てて家康に
屈すれば民を苦しめずに済むのに」とだけ言っている。
事実なら、惺窩が朝鮮人学者カンハンと親しく、秀吉嫌いなのもこう言わせた
一因だろう。
「景勝に戦を進め、家(義ではない)を滅ぼす」というのもこの逸話の脚色。
最大権力者の家康に反抗して兵を挙げれば滅ぶというのは当然のことで、誰も
がわかること。西軍の挙兵などは念頭に置いていない発言だ。
354 :
日曜8時の名無しさん:2009/10/07(水) 11:10:43 ID:9pSa6bwQ
>>347 そら徳川の御用学者なんだから兼続を否定的に言うのは当たり前。徳川のアイデンティティーに関わる事だろ後々、兼続論法兼続信者的謀反人や由井正雪?似の人出てきたら幕府も困るし。んで関ヶ原で西軍勝ってたら評価が…(それを言っちゃ…
355 :
中学生:2009/10/07(水) 11:52:42 ID:y7kJQN8K
やっぱり戦国時代は愛と義だけで語れないって事ですね。
356 :
日曜8時の名無しさん:2009/10/07(水) 12:22:43 ID:FYuXTE4x
確か冤罪で死刑にした農民の家族が文句言ってきたから皆殺しにしたな
愛と義だけで何でも解決するゆとりな直江はドラマだけですよ、中学生君。
358 :
日曜8時の名無しさん:2009/10/07(水) 13:45:47 ID:DOqgEbBF
Aタイプ 戦国武将は多かれ少なかれ虐殺を行ってきたんだ。直江だけ責めるのはおかしい派
Bタイプ 直江が虐殺した史実はない。絶対ない。あたしが言うんだから間違いない派
Cタイプ 直江に関する本もほとんど読んだことないが、むかつくから
虐殺魔と呼んでみる。ソース?知らない。
Dタイプ 大河の主人公になってるやつは叩きたい。直江は戦国武将
の中でも鬼畜だ。閻魔大王に手紙書いてるし。
360 :
日曜8時の名無しさん:2009/10/07(水) 15:37:42 ID:POiXzbo1
Aタイプ 戦国武将は多かれ少なかれ虐殺を行ってきたんだ。だから直江が義と愛の武将であることは間違いない派
Bタイプ 直江が虐殺した史実はない。絶対ない。あたしが言うんだから間違いない。だから直江が義と愛の武将であることは間違いない派
だろ。
361 :
日曜8時の名無しさん:2009/10/07(水) 16:11:36 ID:zuIPlarV
で、359はどっちなの?w
>>352 直江は家臣であって奸雄なら奸臣だろ
実際お家を衰退させてんだから
363 :
入院中 中学生:2009/10/07(水) 16:44:46 ID:y7kJQN8K
テレビだけしか見ないで「畑谷城」の事を知ると
「Cタイプ」に成ると思います。
テレビだけしか見ないで
「義と愛の武将であることは間違いない派」もいます。
「テレビだけ」は良くないと言う事ですか?
>>362 言葉の意味自体が違うだろ。主君の身分だと奸雄で家臣身分だと奸臣ってわけじゃない。
>>363 その人物の本当の姿を知りたいならドラマでは不充分だね。「愛と義」だとか「直江はナヨナヨ
なんだ」と信じても自分の中でそう思う分には問題ないんじゃないか。ここの連中のように直江
のことをろくに知らない、根拠もないままに叩くのもどうかしているが。
365 :
日曜8時の名無しさん:2009/10/07(水) 18:07:24 ID:9pSa6bwQ
>>355 妻夫木が演じてる時点で裏コードある用な、幕末はあまり興味ないが
「色男、金と名誉はなかりけり。」と言う
366 :
日曜8時の名無しさん:2009/10/07(水) 18:12:54 ID:POiXzbo1
>自分の中でそう思う分には問題ないんじゃないか。
ここの連中のように直江の義と愛を少しでも否定する意見は全力で叩くのもどうかしているが。
「愛」で検索かけてみたが、圧倒的に叩いてる連中が使ってる。
「愛の武将なのに〜」みたいな感じで。ドラマの直江を基本にして、
史実の戦国武将らしいところを持ってくるから話がおかしくなるんじゃないのか。
直江好きなやつは最初から愛の武将だなんて言ってないんじゃね?
龍師火帝スレがいい例
369 :
日曜8時の名無しさん:2009/10/07(水) 18:46:16 ID:ej1uWFZ4
まあおまいら勉強しようぜ
http://yamagata6.blog118.fc2.com/blog-entry-211.html 「直江兼続は皆殺し好きだった」
戦では兼続は畑谷城戦では、撫で斬り(戦闘員以外の女・子供を斬り殺すこと)を命じた。
庄内藤島では庄内の農民が検地に反対をして、1千名の農民が藤島城に立て篭もり抵抗した。
兼続は皆殺しを命じ、農民代表者を引っ張り出し火あぶりにして殺したそうだ。
長谷堂城合戦で敗北すると、上杉軍率いる兼続は谷地城を占領した下次右衛門ら2千人に
敗北したことも告げずに、置き去りにして米沢に逃げた。
直江兼続の歴史一覧を見ると利を求めた人物で、豊臣政権の傘下に居た割りには豊臣秀吉が
亡くなると、上杉家率いる兼続は大阪の陣で全力を出して豊臣政権を滅ぼしたとのこと。
だから今ある綺麗な話は、小説家が史実に基づかないで話を作って書いてしまうのだそうだ。
それが事実だとするならば、愛と義の知将・直江兼続って一体何なんだろう・・・と思うばかりだ。
>>369 やっちゃったな・・・。
アンチを装った擁護なのか・・。
そりゃ直江好きは直江の愛の兜は軍神にあやかったもので
戦勝祈願だと思ってるから。
愛の武将なら敵を殺さないはず敵を殺すなんてひどいなんて
スイーツ(笑)か馬鹿なアンチくらいしか言わないよ。
片桐氏は直江を高く評価していたが、仙北一揆で直江が農民の代表者を火あぶりで殺したり、
藤田とともに逃亡した栗田を殺したことで嫌いになったらしい・・・・↓↓
だれか間違ってることを教えてあげて!!!
↑Bタイプw
俺はAだな。
まさかどこが間違ってるのかわからないのか?
愛の武将とは思わないが。
376 :
日曜8時の名無しさん:2009/10/07(水) 21:23:52 ID:s7ZRgFet
>>371 そうは言うんだけど、「直江って義と愛の武将じゃないよね?」と言われるとファビョって、
戦国武将は多かれ少なかれ虐殺を行ってきたあwせdrftgyふじこlp;@
ってなっちゃうんだよな。
377 :
日曜8時の名無しさん:2009/10/07(水) 21:26:39 ID:s7ZRgFet
結局、口では「直江の愛は愛染明王の愛だ」とか言っても、心のどこかで義と愛の武将ってイメージ持ってるってことだろ。
だからこそアンチに過剰反応するし。
それが無きゃこんなスレとっくの昔になくなってる。
誰も書き込まないでスレが下にいくと一人でage続けるからな。
379 :
日曜8時の名無しさん:2009/10/07(水) 22:16:27 ID:Y1StpnES
>長谷堂城合戦で敗北すると、上杉軍率いる兼続は谷地城を占領した下次右衛門ら2千人に
>敗北したことも告げずに、置き去りにして米沢に逃げた。
ヒィェエエーー。マジで最低だな。直江兼続…
虐殺魔っていうだけでなく、見殺し魔だったわけだ…
虐殺、見殺し何でもあり…
卑劣のバーリートゥードだったわけだ…
380 :
日曜8時の名無しさん:2009/10/07(水) 23:20:31 ID:shSEXET4
【家康の】寝返り魔★直江兼続という男3【忠犬】
>>378 それをスルーできなくて反応するから、またコメントでageられるんだろ。
いい加減学習しろ。
382 :
日曜8時の名無しさん:2009/10/08(木) 01:29:37 ID:iqMjPLyl
このスレの擁護は明らかに2ちゃんに向いてないよね
半年ROMればいいものを、お頭が弱いんだろうな
383 :
日曜8時の名無しさん:2009/10/08(木) 02:04:04 ID:u36++kYj
>>369 お宅何歳?しらんが、片桐って人を原理主義的に信用してるにしても、2ちゃん的に相手を論破するためのイチ道具どちらにしてもしっぺ返しをくうぞ当然社会人じゃないと思うが、まあ多くの人ガ受ける俺も受けたが、人間本質を理解したら戦国で無くても…
384 :
日曜8時の名無しさん:2009/10/08(木) 12:09:55 ID:bJU5Pznc
>>372 >仙北一揆で直江が農民の代表者を火あぶりで殺したり、
>藤田とともに逃亡した栗田を殺したことで嫌いになったらしい・・・・↓↓
>だれか間違ってることを教えてあげて!!!
教えてあげて!って何様なんだよ
学者が史料を調べてそう言ってんだぞ
意見があったら自分で言えよ
何も間違っていない
記録がある事実そのものだろう
現実を直視しようよ
372は現実が直視できないタイプの人間だな
片桐先生は郷土史家として最上の復権のために頑張っています。
従来のダークなイメージを払しょくして「愛と義の武将」だと主張してる
のも、郷土史家という立場を考えれば当然だけど、そのために史料の扱い
がやや偏る点も。教員を長くやっていて、研究に没頭できる年月がまだ短
いというのもあるのかもしれないから本人が意識してそうしているのでは
なく、経験の問題なのだろうけど。
大学教授などとはまだ同列には扱えない史家。小説などで「愛と義」のイメー
ジが作られるのが面白くないというのは天地人を見ても全く同意見だが、一揆
に対する根本的な認識ミスや俗説を鵜呑みにしたことで直江を嫌いになってし
まい、それが直江アンチに多大な影響を与えてしまっているのはいただけない。
通説と考えが異なるという次元ではない、自身の致命的な誤解から直江嫌いの
先兵になってしまった先生。ある意味、悲劇だ。
386 :
日曜8時の名無しさん:2009/10/08(木) 19:39:33 ID:MPkNrTIc
>>385 現実を直視出来ないおまいこそ、よっぽど悲劇だ
片桐先生は最も直江のことちゃんと調べた史家だろう
直接文献をあたって史実の直江の撫で斬りなどの所業を報告している
少なくともおまいよりは直接文献を見ているよ
>>385 はアマチュア2チャンネラーとして直江の復権のために頑張っています。
従来のクリーンなイメージを真に受けて「愛と義の武将」だと主張してる
のも、アマチュアネラーという立場を考えれば当然だけど、そのために史料の扱い
がやや偏る点も。ニートを長くやっていて、研究に没頭できる年月がまだ短
いというのもあるのかもしれないから本人が意識してそうしているのでは
なく、経験の問題なのだろうけど。
郷土史家などとはまだ同列には扱えないネラー。小説などで「愛と義」のイメー
ジが作られるのが面白くないというのは天地人を見ても全く同意見だが、
天地人や花の慶次を読み過ぎて俗説を鵜呑みにしたことで直江を狂信して
まい、それでも直江信者に大した影響を与えて居ないのは当然と言えば当然か。
通説と考えが異なるという次元ではない、自身の致命的な誤解から直江狂信の
先兵になってしまったネラー。ある意味、悲劇だ。
385もBタイプか
ドラマの本スレかどっかで以前
「小松は仙北一揆を農民一揆だと勘違いしてるんじゃないのかw」
って話になってたがこれと同じか。
直江の鬼畜ぶり
太閤検地に反発した豪族の一揆でリーダーである農民をあぶり殺した。
歴史上では死んでいない栗田刑部を虐殺した。
来週も虐殺虐殺♪
義光がやってきた戦争のことをまとめると何と言っても、なるべく人を殺さずに自分の土地を広げていったことじゃな。
田んぼや畑やお百姓さんたちの村もできるだけ戦争でダメにならないように気をつけたようじゃ。
戦争で勝っても、ムダに人を殺したりはしなかったし、敵方の大将でも殺さないで自分の家来にしたんじゃよ。
義光はほんとうに命を大切にした人だったんじゃなぁ!!
394 :
日曜8時の名無しさん:2009/10/09(金) 13:08:17 ID:KjKl1GlN
農民も義光側について直江と戦ったからね
領民に支持されたということだね
直江の虐殺が非戦闘員にまで知れ渡っていたのかも
領民に支持されていたはともかく、虐殺がどうのは妄想に過ぎないだろ。
ここのアンチのように片桐さんも直江に異常な敵対心を抱いてるとしか思えない。
直江を貶めることで最上を持ち上げるという間違ったやり方だな。
上で指摘された誤解もだけど、「逆らうと百姓でも皆殺しだよ」っていう太閤検地の
方針まで直江のせいだと主張してるし。天地人で五大老制を直江が考案したというの
と同じレベル。
庄内検地に反対して一揆起こしたもう一人の首謀者の金は
罪を許されて上杉に付いてるけどな。
397 :
何が言いたいのか...:2009/10/09(金) 20:33:09 ID:MTJh3akw
兼続はB型かな?
A型の可能性も高いな。
398 :
日曜8時の名無しさん:2009/10/10(土) 06:43:37 ID:u+U5BLCg
直江なんか存在しないほうが良かった
テレビ見ると、せっかく三成はサワヤマ城にひっこんで大人しく草履編み
をしてたのに、直江が余計な入れ知恵したせいで負けて斬首された
上杉も120万石まで行ったのだから徳川に臣従すれば良いものの、直江は
徳川臣従論の上杉家老を追放した
本当に直江ってのは、こいついったい何がやりたかったんだ?と思う
行動が矛盾だらけ、徳川と戦をやるならやるで、自らも遠慮せず米沢30万石を
太閤から拝領すべきだった。そうなれば上杉150万石なので最上と伊達を
直江で落城覚悟で押さえ、景勝は大群を率い家康と戦が出来た
399 :
日曜8時の名無しさん:2009/10/10(土) 06:45:18 ID:u+U5BLCg
三成は、生きてたら石田草履屋店主とかの第二の人生があったかもわからない
直江がわざわざきて、三成に余計な事いったばかりに、、、、
400 :
日曜8時の名無しさん :2009/10/10(土) 07:08:02 ID:gFoK0nYp
>>398 天地人は、むちゃくちゃな作り話だから、史実として受け止めちゃダメ。
三成は佐和山に戻る前から家康討伐を計画していたというのが、司馬史観。
>>400
司馬史観は、むちゃくちゃな作り話だから、史実として受け止めちゃダメ。
402 :
日曜8時の名無しさん:2009/10/10(土) 09:12:15 ID:4ae9vkdP
>>395 >虐殺がどうのは妄想に過ぎないだろ。
ファンとしてそう思いたい気持ちは分かるけど、
ただでさえ史料が少ない直江兼続なのに
畑谷の撫で斬りは本人の手紙があるし
庄内の火あぶり処刑も
佐渡の妻子もろとも磔も
八王子の虐殺も史料として残っているから
やっぱり虐殺好きだったんでしょ
直江の史料が少ないか?陪臣としてはむしろ豊富だと思うが。
畑谷城で女子供を虐殺したなんてのは研究者誰も指摘していないんだが、
直江を虐殺魔と呼ぶために下げたここの基準では、虐殺魔にならない武将
を挙げるほうが大変だな。
↑Aタイプ
405 :
日曜8時の名無しさん:2009/10/10(土) 12:24:49 ID:RNbTjT2S
>>403 片桐さんが直江の虐殺を史料を挙げて認めてるじゃん
片桐さん以上の直江の研究者って居たら教えてよ
史料は直江自身の手紙があるじゃんw
虐殺してないなら何で「撫で斬りしました」なんて手紙書くんだよ?
こういうAタイプ
直江が虐殺するなんて絶対ない、って奴に
史料を突きつけてさらし上げて反応見るのが楽しいなw
406 :
日曜8時の名無しさん:2009/10/10(土) 12:44:25 ID:u5eHcpLP
最上が極悪非道とかいわれて、避難されてばかりいるから比較対象として直江も虐殺やってるっていう
論理にもっていきたいのはわからないでもないが、そんなこと
最上領の人間以外にはどうでもいいことなんですよ。戦国時代だし。
片桐さん以上の直江研究者を挙げろとか…
片桐さんは最上研究者であって直江に詳しくないのはすでに証明
されてるだろ。直江に関する本も出してない。
直江「撫で斬りを命じて江口父子ら五百を討ち取った」。
で、どこに虐殺だと騒ぐ要素が?
408 :
日曜8時の名無しさん:2009/10/10(土) 15:20:55 ID:px5Ogxz8
撫で切り=皆殺し
皆殺しをしたけど虐殺はしてませんかよw
つーかまたこれの繰り返し?
生き残った者が悲しむから皆殺しにするのが愛
繰り返しだな。
こればかりはしょうがない。
411 :
日曜8時の名無しさん:2009/10/11(日) 01:35:49 ID:zSBgdVCQ
>>407 スレに張り付いて話題をループさせてる擁護のおまい
おまいはまず出ている質問に答えてから問題提起しろって
>虐殺してないなら何で「撫で斬りしました」なんて手紙書くんだよ?
>皆殺しをしたけど虐殺はしてませんかよw
| この答えマダ〜?|
| |
.\____ _/
マチクタビレターν
☆チン
☆チン 〃∧_∧
.ヽ___\(\・∀・)
. \_/⊂ ⊂_)_
/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄/|
| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄| |
そろそろ天地人も終了だしもうどうでもよくね
所詮、かねつぐなんて必死に擁護するような魅力的人物でもない
目を覚まそうぜ
413 :
日曜8時の名無しさん:2009/10/11(日) 01:48:53 ID:TWK6HxCy
小早川さん福島さん両家のその後を思うと今回の描き方,
すごく良かったです。最終的に徳川家が頭で,
時代ごと地域ごとに多くの問題が発生しつつも総体として
文化的にも商業的にも発達,充実安定した江戸時代になったけれども
,その過程までのさまざまな群像劇の絡みが全て生きていて,
まさしく全てが天地人だった気がします。
家康さんもそういった大河を思い平和な時代にする重責を
強烈に思ったのでは?勝ち負け勢力図関係なく
地域それぞれに多くの武将が親愛の気持ちで
語り継がれ奉られていることが何となく納得です。
最近あまり言いませんが,簡素〜という感じが
上杉家の描写に現れていて好きです。超大作の坂の上,
力入りが伝わる龍馬,破格の視聴率を取った篤姫の狭間で,
大変だろうな,と思いましたがどうしてどうして良い作品だと思います。
毎週飽きずに楽しみに試聴できているのも,
自分にとって何かの縁,誉めたくてほめたくてしかたありませんね〜
それほどずっ〜と自分がチヨイスして見続けることに
価値を感じています。ホ-ムDぽい〜全然構いませんいいですよ。
役者さん皆様の表情,お面構えが本当に良い。
畑谷城の戦い
最上「五百じゃ二万相手にもたない。撤退しろ」
江口「いやだ。戦う」
直江「温情をかけてやる。降伏しろ」
江口「いやだ。戦う」
直江「んじゃあ総攻めだ!皆殺しにしろ」
江口「ぐはっ」
全滅
2ちゃん「虐殺だろw片桐も言ってるし間違いないw」
>>414 解りやすく簡潔にまとめてくれてありがとうw
頭が悪い奴のは、長文と繰り返しばかりで読んでられん。
虐殺という言葉自体があいまいだが、「皆殺しも辞さない態度はいけない」
という愛の武将がいたとは思えない。誰かいる?
松永久秀
418 :
日曜8時の名無しさん:2009/10/11(日) 16:12:19 ID:u/XFf2xZ
そもそも「愛の武将」という設定自体、へそで茶がわく。
「愛の軍人」と言うようなものだからな。
419 :
日曜8時の名無しさん:2009/10/11(日) 18:39:12 ID:yhFVHwgC
てゆーか
当時の「愛」といったら「愛欲」だの「煩悩」だの
そういう意味合いの方が強いんだし
愛をかかげる武将がいること自体は問題ない。
勝手にLOVE&PEACEの意味に限定されるから
おかしなことになるんであって。
420 :
日曜8時の名無しさん:2009/10/11(日) 19:00:25 ID:yhdVZljw
>>414 続きがあるだろ
直江「城内、付近の民衆も殺せ」
民衆「おいマジかよ」
直江「女子供も逃がすな」
民衆「ギャー」
皆殺し終了
.閻魔大王の話っつうのは、出来すぎ、講談話みたいなので、後日多分作られた話だべさ。
権現様の顔に泥を塗った奸賊、兼続にふさわしいって悪行っところでない?
藻前等その位分かれよ。
>>421 ところがどっこい、佐渡や庄内でのやり口を考えあわせてみるとあら不思議!
424 :
日曜8時の名無しさん:2009/10/11(日) 21:09:20 ID:SaIMhHob
>>377 こんだけ討論して、愛染明王のことを言ってる人が一人しかいないんだな。
上杉は毘沙門天とか仏教神を重んじる流れだった。
愛と義の武将と称すれば、本が売れる視聴率がとれると思って、
無理やり曲解しているだけ。
西洋のLOVEを訳すとき、該当する日本語がなかったから、
愛を当てたのは有名な話。
戦国と現代の愛では意味はまったく別物だぞ。
>>424 散々ガイシュツ
藻前校庭10周くらい遅れてるよw
だいたいwikiにすら書いてあることを、どうしたらそんなにエラソーに語れんの?
>424 ソウスキボン
漢字源
愛
《解字》
会意兼形声。旡カイ・キとは、人が胸を詰まらせて後ろにのけぞったさま。
愛は「心+夂(足をひきずる)+音符旡」で、心がせつなく詰まって、
足もそぞろに進まないさま。
広辞苑第五版】
あいぜん‐みょうおう【愛染明王】‥ミヤウワウ
(梵語Rgarja) 衆生しゆじようの愛欲煩悩がそのまま悟りであることを表す明王。
本地は金剛薩さつた。全身赤色、三目六臂さんもくろつぴで忿怒の相をなし、
弓箭などを持つ。愛染法の本尊。後に恋愛成就の願いなどもかなえる明王として、
水商売の女性などの信仰の対象ともなった。
>>426 仏教用語の愛は、欲望にとらわれて執着することを指す、いわゆる煩悩。
愛着、愛執、愛染、渇愛など、
自己中心的な執着心で、あまりいい使われ方をしていない。
それが、キリスト教が伝来すると、
愛に自己犠牲や他者尊重、万人平等など様々が概念が流れ込み、
複雑な意味を持つようになった。
愛の武将、直江兼続は虐殺に御執心です
>>427 愛がもともと仏教語であまりいい意味ではないのは確かだが、実はすでに平安鎌倉の昔から、それを超えた幅広い意味を持つようになっていたようです。
むしろ、明治の知識人が愛という言葉の意味を高尚な愛に局限しようとした節があるね。
愛の脱セックス化&宗教的な意味プラスみたいな(笑)
で、この試みは半分成功半分失敗したと言えて、
現代人が座右の銘として愛をあげる場合、フツーは高尚な愛のことだろう。
一方、直江の前立が愛染明王の愛だとすると、その愛はもっとドロドロした愛だろうから、そういう意味では別物と言っちゃってもいいのかな、とは思う。
430 :
日曜8時の名無しさん:2009/10/12(月) 16:09:05 ID:4kFRty2z
山形市議も取り上げてるな
また、仁愛の人、直江兼続と称されているが、実は畑谷城戦では、
500人もの人を撫で斬り(戦闘員以外の女・子供を斬り殺すこと)し、
庄内藤島では庄内の農民が検地に反対している1千名に及ぶ農民の皆殺しを命じ、
農民代表者を引っ張り出し、火あぶりにして殺したと史実に基づいて…
http://blog.masa-ori.com/?eid=747735
431 :
日曜8時の名無しさん:2009/10/12(月) 16:21:23 ID:2KwTTYrk
432 :
日曜8時の名無しさん:2009/10/12(月) 17:23:34 ID:bwyE3Vi2
そもそもあの兜は愛染明王もしくは愛宕神の加護を祈願したものなんでしょ。 すくなくとも「愛」の言葉の意味に固執してたわけじゃない。
愛だろうと愛じゃなかろうと
虐殺して良い、なんて事はない
虐殺魔人直江は極悪人
>>430 カルトだね〜
怪しげな集まりには気をつけよう
>>432 まあそうなんだが、あの愛が愛染明王の愛だとすると、現代的な意味での高尚な愛と捉えるのは誤りである…と、このことはよくよく強調しておかないとね。
あれは愛欲や性欲のエネルギーの発露したものなんで、エロパワー充填完了、エロエロ光線発射!みたいな感じなんだなw
乱暴にいうと真言立川流の親戚みたいなものだと考えると理解しやすいかと。
437 :
日曜8時の名無しさん:2009/10/12(月) 22:01:05 ID:bwyE3Vi2
当時は、自分の守護神は、元々氏神様だったり祈祷師が透視して決めていたらしい。
だから、好んで自分の守護神を決めることは無いことら、あの愛の兜は守護神への戦功祈願以外に意味はないと考えるのが普通。
438 :
日曜8時の名無しさん:2009/10/12(月) 23:28:34 ID:VkrpSNMx
徳川愛
徳川に義を貫く
>>437 表向きは、ね。現代の話であれだが、仏教の結縁潅頂などは出来レースでね。決定が偶然性に委ねられているように見えても、実は最初から大日如来と結縁することが決まってたりもするんだよね(笑)
それと…俺としては、兜の意匠としてそれを採用している時点で、それに特別な意味を見出している可能性が高いと思っている。もちろん戦功祈願という面を否定するつもりはない。
440 :
日曜8時の名無しさん:2009/10/13(火) 08:09:48 ID:/JACJvPB
>>430 また片桐か。
上杉神社に貼ってあった山形新聞で、山形大の教授が「大河ドラマや
小説で愛の武将というイメージがつくのは構わないが、肥大してしま
うのはいかがなものか」みたいな話を書いてた。
つまり前立ての解釈の問題で、カブトは戦で頭を守るためのものだから
神仏にあやかっていると考えるほうが自然なこと、仁愛みたいな意味には
当時は「慈悲」を使うことなどを指摘していた。
上杉神社の景勝甲冑は直江のに似た瑞雲?の上の皿に毘沙門天とか三つく
らい軍神の名前が書いてあるから(瑞鳥の上に皿が乗っている宮坂考古館
のカブトとは別)とお揃い。意味はおのずと決まる
441 :
日曜8時の名無しさん:2009/10/13(火) 08:49:27 ID:DurW7zgK
虐殺でなくは「見せしめ」。
「見せしめ魔」
見せしめも愛
443 :
日曜8時の名無しさん:2009/10/13(火) 20:40:08 ID:koqMmNVE
つうか
まともな歴史研究者で直江兼続を良く評価してる人って居るの?
最も研究してる人が片桐先生じゃないかな
フィクションの小説家や郷土愛の史家によって
虚構で固められて持ち上げられているんじゃないかな
矢田とかは真面目に一次史料当たって評価してたような。
ただし一次史料重視派は兼続より景勝の評価が高くなる傾向があると思う。
実際の書状なんか見ると兼続もだが景勝も頭が回るタイプに感じるし
景勝をないがしろにして兼続ばかりが仕事してたという印象は消えるからな。
>>443 片桐繁雄は最上に関する本は地元出版で出してるが『日本歴史』などの史学雑誌に論文を
出しているわけでなく、全国発売の本も書いていないいわゆる郷土史家。君の言う「まと
もな歴史研究者」と呼べるかは疑問だよ。
ずっとレベルは下がるが2年前の『歴史読本』では「最上義光の合戦研究最前線」を担当して、
兼続を「才覚優れた人物だった。一方、そこをマイナス面と見た藤原せいかは『主家を滅ぼす男』
と冷めた眼で評価したとある。いずれにしても武人として政治家として当時最高の知識人であった
ことは間違いあるまい」と評価し、畑谷では江口の命を惜しんで降伏を促した直江、直江の撤退戦
の見事さを称えた義光と、一流の文化人武将同士尊敬し合っていた様子をつづっているんだが。
大河化がおもしろくないのか、その後から講演で最上を称揚し、直江を貶める発言をするようになった。
片桐先生が直江嫌いなんて言ってるの?
言ってないだろ?
歴史の研究者として好き嫌いなんてバイアス入れてないと思うけどな
むしろ興味深い面白い人物とみている様に見えるけどな
その事績からズル賢く奸雄であり、虐殺をよくする残忍な人物として
歴史の研究者は大概バイアス掛かってるだろw
個人的に好きな方に
都合の良い解釈だけをしてる論文なんかよく見るわ。
研究書とか読んでるか?
奸雄と見るようになった理由に挙げた事績が何と言うか・・あれなんだよなあ。
郷土史家ってのは基本的には地元の英雄の称揚が第一だから思い切りバイス入ってる。
片桐先生もその点はかなり強い。大河開始前、もしくは最上登場前に最上が悪く描かれる
のを想定して、そうじゃないことを一生懸命伝えたかったのだろうけど・・・それが極端
になって、無理に兼続=悪、最上=善に持っていこうとしている感じが出ている。
兼続に関しての知識があまりないとは思わないが、最上とのかかわりの中での兼続に関する知識なん
だろう。兼続の知識不足でなければ曲解なのか、一揆の件なんかは講演で流し聴きされる 程度なら
ともかく、ブログや2chで知らないまま引用されるとかなり恥ずかしい失言。
何にしても虐殺はいかんよ虐殺は
そうだよな。
殺すんなら逆さ磔にすべきだよな。
「八王子城で女共六十四人をとらえたとのこと。本来は成敗すべきだが、それでは
国が荒廃してしまうので、命を助けてそれぞれの里へ返してやるのがよい
六月十九日 秀吉
羽柴越後宰相中将殿 」
そもそも、戦国武将を評価する際に、虐殺を行ったことをもって直ちに残酷とか残虐という評価には直結しないと思う
もちろん、「愛」に直結しないのも言うまでもないことなんだけどね(笑)
八王子では秀吉は逃がしてやれとゆうたが
直江は嫌だ!ゆうて処刑したってこと?
454 :
日曜8時の名無しさん:2009/10/15(木) 08:53:17 ID:M0Sd7nY/
上杉勢のことだから、殺すくらいなら売り飛ばして小遣い稼ぎするだろう。
ただ小田原の陣の時、秀吉は関東で人取り(人身売買)という悪習があるのを知り
禁止令を出したくらいだから、その前か後かで状況は違ってくるが。
457 :
八王子の住民:2009/10/15(木) 12:21:39 ID:30wCVZP8
北条の妻子達は船で小田原城から見える砂浜に晒されたが、
北条家以外の領民(農民とか)は開放された説有り。
458 :
八王子の住民:2009/10/15(木) 12:27:00 ID:30wCVZP8
兼続が捕虜の護送を任された書状も有るそうです。
「便乗本」より。
459 :
八王子の住民:2009/10/15(木) 12:39:10 ID:30wCVZP8
戦闘で生き残った領民(農民とか)の事。
強制的に集めら戦闘に参加した領民達殺さなかった訳ではないと思います。
後に武田遺臣の北条遺臣達とで八王子千人同心が編成され
「関ヶ原」で東軍に参加します。
460 :
ちょと訂正:2009/10/15(木) 12:43:47 ID:30wCVZP8
戦闘で生き残った領民(農民とか)の事。
強制的に集めら戦闘に参加した領民達を殺さなかった訳ではないと思います。
後に武田遺臣と北条遺臣等で八王子千人同心が編成され
「関ヶ原」で東軍に参加します。
461 :
日曜8時の名無しさん:2009/10/15(木) 12:57:25 ID:30wCVZP8
八王子城が落ちたのは6月23日
6月19日???
>>461 6月29日の間違い。
徴兵された領民が戦場で殺されるのはどこの戦場も同じ。
徳川も北条攻めに加わってるから、北条攻めがきっかけで
後の同心になる一族が東軍についたわけではないと思う。
ほとんどが武田の旧臣だし。
463 :
日曜8時の名無しさん:2009/10/15(木) 14:29:14 ID:30wCVZP8
ごめん表現が足りなかった。
徳川の配下の元、
初代 代官頭を大久保長安(武田)とし、
武田の旧臣を中核に250名。
後に北条・今川の旧臣達で500名に増員。
関ヶ原を前に1000名に増員。
大久保長安も地元民の為、浅川に石積みの堤防作ってます、
遺跡は殆ど残っていません。
今さらアレだが板違いじゃね?このスレ
465 :
日曜8時の名無しさん:2009/10/15(木) 15:36:47 ID:io9yOPNv
秀吉は敗残兵や女子供に対する扱いは各武将の裁量に任せていた
そのなかで八王子でも佐渡でも虐殺を行い
苛烈に臨んだのが直江と景勝だった、ということ
歴史研究ではその前の城攻めで降伏開城させて敵の将兵を助命したら
秀吉から「何勝手なことしてるの?」と叱責されたために
全員殺害することになったというのが通説だけどなw
しかも秀吉に送る首を前田軍は雑兵の首まで刈りまくって送ったが
上杉軍は将クラスの首しか送らなかったという逸話付きw
妄想乙
468 :
467:2009/10/15(木) 15:50:33 ID:AIdriq2k
469 :
日曜8時の名無しさん:2009/10/15(木) 17:12:51 ID:zRRo2nY1
>>456 逆らう奴らを皆殺しにする位の覚悟がないと武士は務まらないだろう?
だからこそ謙信、信玄などの多くの大将は坊主になったんだよ。
身勝手からの虐殺は非難されたとしても、政策的な虐殺は問題なかった
時代なのだろう。
現代流に考えると良い武将なんていないよ!殺戮と狂気の塊でなければ
生き残れない!謙信だって狂気の坊主だぜ!
虐殺が徹底的だった信長か、最小で抑えた家康の違いくらいだろう?
470 :
日曜8時の名無しさん:2009/10/15(木) 17:23:19 ID:zRRo2nY1
明智光秀に本能寺で襲われた魔王信長が、落ちる女や部外者に「光秀は女
子供を殺す男ではないから逃げろ」と諭すシーンがあると言う事は、光秀
の人格を表しているのではないか?
冷酷な武士に向かない性格が、最後に狂気の信長と刺し違いたのが本能寺
の変ではないかと思う。
家康が最小限か?
大坂夏の陣の残党狩りに伴う狼藉はかなりの地獄絵図だと思うが。
472 :
日曜8時の名無しさん:2009/10/15(木) 19:07:46 ID:zRRo2nY1
>>471 この虐殺?を最後に島原の乱まで騒乱は消えたわけだから最小限の仕打ちだろう。
・まともな研究者は、そもそも善悪なんか気にして研究しない。
善悪なんて考えが出てきたら、それは歴史学じゃない。
・史実について議論する際に、「郷土史家と呼ばれる人」が出てきた時点で
議論の必要はない。「郷土史家と呼ばれる人」は歴史学研究者じゃない。
・確実な史料(≠学術論文の記述)に基づいて主張する人と、
その他のくだらない情報で主張する人が同じ場(2ch)で議論しても
答えが出てくるわけない。(史料を提示してる人は一人も見られないが…)
・そもそも、「義」とか「愛」の概念という、到底論証できないこと
について議論してる時点で、そこから史実が導き出せるわけがない。
・「〜という研究者がこう言っている。」なんてことを基にして、
史実を論じ合うことが馬鹿ばかしい。議論したいなら史料を提示しろ。
(
>>451それはあなたの解釈であって、根拠の史料にはならない。)
・あと、「片桐」って誰だ。同じ片桐なら片桐昭彦さんの論文を読め。
於八王子城虜之女共六十四人被差越候雖可被御成敗候圀可為荒所與被思召何茂
被助候条在々江如元(りっしんべんに造:たしかに)送届可被返付候但小田原
籠城之者共之妻子者最前請取城々如並申付可被置候猶増田右衛門可申候也
六月廿九日 秀吉
羽柴越後宰相中将殿
475 :
日曜8時の名無しさん:2009/10/15(木) 23:14:51 ID:UzL/ctwG
↑う!読めない。
ここ以外とレベル高い人が居そう、
俺が低いだけか。
わざわざ載せていただいてお疲れ様です。
せっかく書いていただいたので、ちょっと指摘を。
これは上杉家文書ですか。「六十四」ではなく「六十余」人ではないでしょうか。
上越市史の別編二では「余」となっています。「御成敗」の前の「則」も抜けてます。
他にも数か所不自然な点があります。どの資料を載せたのでしょうか。
まさか、原文書の写真をご自身で読まれたのですか。
「則」は「雖」の前でした。失礼。
『上杉家御年譜』です。
普通に考えれば「余」のほうが可能性は高いように思いますね。
「則」はありません。原文書はもうほとんど読めませんので刊行物です。
虜にしたのは農民などではなく当然城将、地域の豪族レベルの妻子と思われる。
北国勢による力攻めにより双方に相当数の犠牲者が出たとはいえ、ここで言われている
ようなただひたすら城内にいる者を殺していったとも考えにくい。
ここは原典を読む講義の場ではないからさ
史料史料って直江自身の手紙に「撫で斬りした」って書いているんだからさ
それを否定してる学者でもいるの?
『上杉家御年譜』は後世の編纂物なので、あまり信用しないほうがいいと思います。
北条攻めについて調べたことはないので、確証は有りませんが、
「八王子城虜之女共」なので、当然農民の妻子ではないでしょう。
いわば北条氏の人質のようなものではないでしょうか。
虐殺やらなんやらに興味はないので、とくに言うことはないですが、
当時の常識と今の常識を比べて、「善悪」がどうのと言うのは意味がないと思います。
その文書は、
「八王子城において捕虜となした女子はその在所に返したが、
小田原籠城者の成敗は前々諸城籠城者同様に処分すべし」という
秀吉の命令でしょう(by木村徳衛氏)。
この文書によれば、八王子城の女子は小田原城と違い命を助けられたのでは
ないのでしょうか?
>>479 「撫で切り」がどの文書に書かれているのかわかりませんが、
したと書いてあるなら、恐らく「撫で斬り」したのでしょう。
問題は、その史料が信用に足るものかということだけです。
それ以外の議論は無意味です。
「善悪」は個人で勝手に思えばいいこと。
>>481 でしょうね。私もそう書いてあると思います。
『上杉家御年譜』は後世の編纂物で明らかな誤りとみられる部分もありますが、
編纂物だから信用しない方がいいと切って捨てるのもどうかと。もちろん扱いは
慎重になるべきでしょうが。
たとえば、会津征伐軍への迎撃作戦についても、白河で決戦を挑むというような
軍記物の影響は見られず、会津の各難所に兵を配置して敵を防ぐというような戦
略が記述されています。一考すべきものだと思いますが。
ま、ここは大河板なのであまり史料がどうの言ってもしょうがないし、
>>1みたい
なのはそんなの関係なくただ大河ドラマの主人公を中傷したいだけなんだろうけど。
有る事柄を知りたいとき、その同時代の確実な史料がない場合にのみ、
『上杉家御年譜』といった後世の編纂物を使用すべきです。
そういう意味では、おっしゃる通り全く切り捨てるのは問題ありですね。
ですがこの時期に関しては「上杉家文書」という良質の史料があります。
とにかく、後世のものできるだけ疑ってかかったほうがいいでしょう。
申し訳ありませんが、近世後半の話は全く分かりません。
研究者ではないので手持ちのもので語るしかないので。
上杉文書も結構コピーしましたが、ここの部分はありません。
ネットで見れるのであとで確認します。
会津征伐の話は関ヶ原前のことで幕末の話ではないですよ。
金額をいとわないのでしたら、『上越市史 別編二』をお勧めします。
編年ですので調べやすいですよ。
会津征伐ですか…。今度調べてみます。
大河ドラマは全く見てませんが、歴史学素人の直江アンチの嫌がりそうな
書き込みをたくさんできたので満足です。
haHVlqaTさんとは楽しい話ができました。ありがとう。
ありがとうございます。高そうですが興味はあるので図書館で
見てみてよさそうなら購入します。
つまらん話が終わったようなので、俺の考えをひとつ
加熱具の「義」はチンピラやくざの唱える「仁義」と同質だと思う
絶対面白い話になると思うんだけど、今までにこうゆう視点で書かれた小説とかドラマってあるのかな?
最後に一つ。
史料に基づく史実の直江兼続の話をしているのか。
それとも、イメージ像の直江兼続の話をしているのか。
これまでのここでの議論は、後者の方だろ。
それこそクソつまらん妄想話。お互いのイメージをぶつけ合って楽しいのか。
史料を使わないでどうやって歴史をかたるんだ。
要は歴史をよく知らないアンチがドラマの設定を真に
受けてマジツッコミをしていると考えればいい。
大河板で史料の深い議論もそぐわないしな。
>>490 >史料を使わないでどうやって歴史をかたるんだ。
直江自身の畑谷の手紙を読め。おまいはそれから語れ
>史料に基づく史実の直江兼続の話をしているのか。
>それとも、イメージ像の直江兼続の話をしているのか。
畑谷や庄内での虐殺という史料に残っている事実を踏まえた上で、
それに対する意見や好き嫌いを自由に語る場、じゃね
>>490 そもそも史料などというものは、公正でも中立でも無謬でも十全でもない
そんなものを金科玉条としたところで、導き出される結論などたかが知れてる
まあ年表作りたいなら勝手にどうぞとしか言いようがないが、
少なくとも俺は、そんなものには何の興味もない
つか、日本史板にでも逝けよ
だから、その書状は何文書に入ってるんだ。
そもそも、このスレのだれが、その文書を見て「事実」だと確認したんだ。
「Aさんが言ってるから事実です。」ってことだろ。それは史実とは言わない。
史実じゃないことを前提に意見を言い合ってるのがばかばかしい。
もしかしたら、史実の可能性があるが、現在は可能性でしかないだろ。
じゃあ、俺も一つ「事実」を言ってやろうか。
「直江兼続は宇宙人です。」
お前らこれを前提に議論すんのか。
そもそもこのスレは直江が虐殺したかどうかを議論するスレじゃないだろ
>>1の日本語も読めない馬鹿だな
>>494 おまえの言う加熱具宇宙人説は筋が悪すぎる
それじゃドラマにならんだろ?
もうちょっとマシな物語を考えるんだな(笑)
はい、やりなおし!
>>1は、事実ともいえない「事実」を前提にして話し合えと言ってるんだろ。
それに従って話し合って、大河ドラマについて話し合ってるのが馬鹿だって言ってんだよ。
>>494 歴史っつうのは突き詰めれば解釈なんだよ
史実の確定なんつうつまらん仕事は、2流の歴史学者にでも任せておけばよい
で、確定した年表が完成したら持ってこい
精々参考にさせてもらうよ(笑)
>>494 アンチの人がいう例の「撫で斬り」の文書は、
慶長5年9月15日の秋山伊賀(定綱)宛の兼続書状、
同じく9月18日の小将監(小山田貞光)宛の上主水泰綱書状だと思います。
どちらも写しか残ってませんが、ともに覚上公御書集19にあり、
臨川書店から刊行されてます。
自分は覚上公御書集を読んだわけではなく、小田原の陣の例の文書と同じく、
木村徳衛氏の「直江兼続」に所収されていたのを見ただけですが。
兼続書状では
「・・御状被見、仍去十三日最上領畑谷城乗取、撫斬ニ申付、城主江口五兵衛父子共頸五百余討取候・・・
とあります。
泰綱書状には
「・・当表、去十二、向幡谷の地ニ出馬被申、同十三、責落、敵五百余人討捕、其外、切捨無際限候事・・」
と確かにあります。
ただこれだけで、アンチのいう「直江は戦国でも例をみない残酷なやつ」という評価には
私は決して賛同しません。
反論すればするだけ適当なことを返してくるんですから、ほっといたらいいですよ。
私も今後このスレに書き込むことはしません。
500 :
日曜8時の名無しさん:2009/10/16(金) 09:12:25 ID:cUI+dJPe
「直江は戦国に当たり前に残酷なやつ」
ここまでの流れ
■片桐「直江は皆殺しが好き。最上は愛と義の武将」
↓
■戦国板で畑谷城の戦いが話題に上る
↓
■天地人大河化決定すると大河板にアンチが「畑谷城虐殺スレ」立てる
アンチ「直江が手紙に『撫で斬り』って書いてるから間違いない。
女子供も虐殺された」
擁護「皆殺しを命じて城主ら五百を討ち取れば虐殺なのか?女子供
ってどこから出たんだ」
アンチ「軍記物に逃げ惑っている男女や落人が出てくる」
擁護「その軍記物にはなんで逃げてる描写だけで虐殺してる場面がないの?」
アンチ「最上は滅亡したから史料が少ないんだ。皆殺しになったから死人に口なし」
擁護「皆殺しになったのか、逃げてるところを最上の武将に助けられたのかどっちだよ」
アンチ「上泉は畑谷の虐殺で戦争にいやけがさしたんだね」
擁護「上泉は書状に畑谷の戦功を誇ってるぞ?」
アンチ「なに!上泉もたくさん切り捨てたと書いてるのか。虐殺の証拠だ」
擁護「当時の常識でも異常なことしているなら、上泉が『あなたの息子も大活躍でよかったで
すね』なんて書かないだろ。大河板にそぐわないから、真面目に議論したいならageるな」
アンチ「命令されたくない。反論するならage続けてやるw」
擁護「次は戦国板に立てろよ」
↓
■スレ消化。
今度は畑谷だけでなく庄内仙北一揆や八王子城攻め、佐渡侵攻も加えて
再び大河板にスレ立て。
アンチ「庄内仙北一揆ではリーダーの農民を火あぶりにしました。
八王子城で直江が大虐殺をしたことは否定できないだろw」
擁護「仙北一揆を百姓一揆だと思っているのかw」
アンチ「直江兼続に最も詳しい研究者片桐先生が言っているので間違いない」
擁護「片桐のどこが直江の研究者だw最上を研究している郷土史家だろ」
大虐殺だといわれた八王子城で女共を捕虜にしたという書状
アンチ「畑谷城の直江書状を読めよ」に帰る。
とアンチが直江や上泉の書状を2ch以外で読んでるとも思えないが。
502 :
日曜8時の名無しさん:2009/10/16(金) 11:11:45 ID:3LOFF1Pt
>>490>>491 史料に忠実にあたるなら、直江が義と愛の武将だったことはまるでない。
それなのに、史料を重視するはずの擁護はそれを批判しない。
つまり、史料史料と言う割に、自分達に都合のいい「義と愛のイメージ」は、史料に無くても批判しない。
そのダブスタっぷりを突っ込まれてるんだよ。
503 :
八王子城の大鷹:2009/10/16(金) 11:26:04 ID:cUI+dJPe
搦め手から頂上付近の小宮曲輪(三の丸)を落としたのが兼続。
御霊谷から御主殿の滝の堰を伝わり、
北条の妻子達を追い詰めたのが景勝。
「便乗本レベル」
>>502 擁護は直江を愛の武将だとは言ってないからだろ。
>>1は最初からドラマに登場しない場面を持ち出してるんだから、史実の兼続について
語ろうとしている。史実の直江は愛民や仁愛の「愛」だと言って生きていたわけじゃない。
普通に考えて前立ては軍神の「愛」であり、現代的な意味の「愛」でないのはみんな知ってる。
それを史料上で愛の武将の根拠を出せというのは失笑を買うだけ。
スレタイが「史実でも愛と義の武将直江兼続」っていうのなら君の論は
当たってるが、アンチが勝手に「どこが愛?」なんてつけてるだけなので、
アンチの君がそんな指摘しても滑稽。
義の武将であれば、生涯景勝から離れなかったことや養子をとらずに
家禄を返上したことから言えないこともないのでは。天下一の義の武
将だと言ってるわけでもないんだから、いちいち「どこが義?」と突
っ込むのもどうなんろうか。家のために討ち死にしたら義だとか、主
君に殉死したほうが義だとかいうのは比較できるもんじゃないしね。
君がどんなに直江嫌いか知らないけど、天地人で愛の武将とか呼ばれ、
なよなよした直江に憤ってるのは擁護のほうだろ。
505 :
日曜8時の名無しさん:2009/10/16(金) 13:51:22 ID:WBqqxT2S
>>504 >義の武将であれば、生涯景勝から離れなかったことや養子をとらずに
>家禄を返上したことから言えないこともないのでは。
言えないだろ
生涯主君に仕えるなどほとんどの武士がそうだ
家禄は自分で返上していない
それどころか本多や本庄の息子など養子を繋ぎ止めようと必死だった
直江が死んでから直江家断絶になった
補足させてもらうけど
本庄の息子が養子になったのは景明が生まれる前で、
景明誕生とともに直江家を離れてる。
一応関ヶ原前の話だから。
>>505 恥かいたな。
中途半端な知識で無理するからだぞ。
嫡男が死んで五年。高齢でもともと体が丈夫でない直江が死ぬまで養子
をとらず、おせんも潘主に大切にされながら家を再興しようとしていない。
>>506 確か本庄の息子って後年本多政重が前田家に仕官し、
政重と兼続の姪の阿虎が再婚して阿虎が前田家に行った時に
阿虎に付いて前田家に移った上杉家臣の中に本庄の息子がいたと思うが
こいつが兼続の養子になってた奴?
本庄繁長って子供がめちゃくちゃいるから詳しく覚えてないが。
>>308 その通り。
元養子長房はその後再び上杉に帰ってるけど。
>>507 >恥かいたな。
何が? 自分は
>>505じゃないんだけど
家禄返上が直江の意思という証拠が何処にあるの?
直江の意思なら生前に返上してるはずでしょ
直江は景明が生まれるまでは養子をとろうとしてる
その後景明死後に養子が来ないのは
なり手が無かったかも知れないし
直江の権威の失墜によるかもしれない
直江の権威は失墜してないし、後に与板衆が藩に提出した嘆願書に
あるようにあえて養子を取らなかったという記述に矛盾はないよ。
>>505 >生涯主君に仕えるなどほとんどの武士がそうだ
毎回そう切り返すから、「天下一の義の武将だといってるわけでもないだろ」という
話を付けたんだよ。
513 :
日曜8時の名無しさん:2009/10/16(金) 21:00:54 ID:Jys3QNla
>>512 つまりほとんどの武士、普通の武士のレベルの「義」だったわけですか
その程度のこと一々鬼の首を取ったかのようにいわない方がいいと思いますよ
ファンもアンチもちょっとは勉強すれば
直江が愛や義の武将ではない事は分かってると思いますが
大河の運動をした人々は愛と義の武将と言ってNHKや人々をだまして
税金のような視聴料を注ぎ込んでいるのですから
文句言われても仕方ないですよ
>>513 「どこが義?」などといちいち突っ込みいれるもんじゃないだろってことだよ。
直江家をあえて断絶したことも否定はできない。それが通説化して、義の武将化
してるんだから、別にいいんじゃないのか。秀吉の誘いを断ったというのはソースが
ないと思うが。
どうせ中立を装ったageアンチだろうけど、大河の主人公の設定に「だましている」なんて
爆笑ものだよ。昔からだろ。
515 :
日曜8時の名無しさん:2009/10/17(土) 11:33:28 ID:AQkvgAGa
>>514 普通レベルの「義」でしかないのに、「義の武将」なんて言い方すれば
突っ込みが来ても仕方ないんじゃないの。
百人並みの容姿でしかないのに、「美人」って言うようなもんで、誇大看板だからな。
で、それを、「普通レベルの美しさはある、天下一の美人だといってるわけでもないだろ」
って擁護してるわけだけど、明らかに無理があるw
まあいつの時代にせよ虐殺は駄目だな
【民主党クラッシュ】 結局埋蔵金とか言うのは見つからないまま 概算要求、実質97兆円超す 過去最大
http://tsushima.2ch.net/test/read.cgi/news/1255756936/l50 12 : モズク:2009/10/17(土) 14:28:30.33 ID:fRNr9Zxx
スターリンも自分に敵対するものを「トロツキスト」と呼んで次々粛清した。
民主党もあらゆる批判者を「ネトウヨ」だの「自民信者」と呼びだしてるのはやばいな。
本当にこのオウム化しはじめてる政権を何とかしないと。
ポッポはもともとソ連コネクションが強い。早く日本人の総力をあげて
このペテン独裁カルト政権を打倒しろよ。
28 : モズク:2009/10/17(土) 14:31:48.81 ID:fRNr9Zxx
民主党は無駄遣いを省けば財源は出てくるといっていた。
長妻は「ハットカズ」だの念仏のように唱えていた。
それが国民に借金、とりわけ子供世代に負担を押し付ける赤字国債で
親にパチンコ代だの朝鮮学校の無償化だのやるようじゃ、カルト政権との
批判は免れないだろう。
32 : モズク:2009/10/17(土) 14:32:54.40 ID:fRNr9Zxx
これは明らかに巨大な詐欺であり、ペテンである。
この責任を鳩山と民主党はどうとるつもりなのか?
44 : モズク:2009/10/17(土) 14:34:45.75 ID:fRNr9Zxx
山賊集団が政権をとって自分たちの私腹を肥やすために一斉に
赤字国債発行という手段でカネを横領に走り出しているだけだこれは。
一刻も早くこの政権を国民は打倒しなければならない。
民主>>>>>>>>創価自民>>>>>>>>>>>>>>>>直江
家禄を返上するために自分の継いでいた家を潰したならかなりの義だな。
普通は家を守るのが第一で家を守ってくれるお殿様に滅私奉公だからな。
ま、家康の挑発を受けて立ったのは直江じゃなくて景勝なんで
直江状出したのがギーとか言われるとそれは違うだろと思うけど。
520 :
日曜8時の名無しさん:2009/10/17(土) 21:19:41 ID:C/q5DdPL
直江状なんか微塵も痛快でない!
しない喧嘩を売って、根回して、頭を下げただけ。
家禄を返上しなければ成らなかった家庭が問題。
義じゃなくて上杉に恩を返しただけ。
「どこが義」じゃなく「なにしても義」。
>>519 >家禄を返上するために自分の継いでいた家を潰したならかなりの義だな。
だから自主的に返上した証拠が何処にあるんだと
懲罰的な断絶だろう
>普通は家を守るのが第一で家を守ってくれるお殿様に滅私奉公だからな。
そんな普通どこの普通なんだよ?
>ま、家康の挑発を受けて立ったのは直江じゃなくて景勝なんで
>直江状出したのがギーとか言われるとそれは違うだろと思うけど。
都合のいい時だけ景勝のせいにするなよ
まあ最高責任者は景勝だろうけど
高禄とって外交を担ってた直江も連帯責任に決まってる
>>521 >>519は景勝のせいにしてないだろ。家康の理不尽な要求を突っぱねたのは
直江個人ではなくあくまで景勝、上杉家の決定と言ってるだけだろ。
通説とされる家禄の返上を否定して懲罰的な断絶とする根拠は?
直江は嫡男が亡くなると死ぬまで養子をとっていない。死ぬまで権力が衰えた様子
はない。与板衆による独裁体制は義弟の志駄義秀が死ぬまで続いている。景勝が死
んで代替わりしてもだよ。明暦の時代にも、位牌のあった東原寺は直江のゆかりの
寺であることを理由に役を免徐されている。
おせんは定勝に三千石与えられている。前田慶次の孫の今井がそうだが、直江夫妻
に家再興の思いがあればこの時に養子をとり、微禄でも復活は可能なのにそれもし
ていない。のちに与板衆が藩に提出した嘆願書にはおせんがあえて養子をとらなか
ったことが記載されている。
>>522 何も証拠になってないよね
>通説とされる
何をもって通説としてるの。ファンだけの通説?
>与板衆による独裁体制は〜で続いている。
与板衆による独裁が良くなかったんじゃないかな。
>東原寺は直江のゆかりの寺であることを理由に役を免徐されている。
これ原典原文示してくれん?
あとおせんはおせん。直江は直江だから
直江が自身の意思で返上したらな生前にすべきだよね
>原点〜
「承明日記」明暦3年6月13日条
「東源寺役免赦之事、達三之御寺にて候故〜」
>与板衆による独裁が良くなかったんじゃないかな。
どのへんがよくなかったの?直江執政体制の歴史的な意義を分かったうえで
そんなことを言ってるのか?
>直江が自身の意思で返上したらな生前にすべきだよね
なぜその必要が?家禄なしで奉公するの?上洛に従うなど死ぬまで働いてるのに。
>>524 その承明日記の何処に直江のおかげって書いてるの
でも何かスレ違いになってきてるな
直江本スレですべき
ここは虐殺スレだから
達三は直江の法名だろ。
確かこの人の菩提寺は破却されたんじゃなかったっけ?
晩年は失脚してたらしいから、死後は反対派がコノヤローって感じで勢いで破却したのかな?
位牌を置いた東源寺は破却されていない。
墓があったという徳昌寺が破却されて越後に逃げ帰ったのは林泉寺となにかしらの訴訟に敗れたから。
晩年失脚もしていない。
529 :
日曜8時の名無しさん:2009/10/18(日) 05:33:21 ID:4nBppWBs
そうか前立てがジョンレノンじゃなく、愛染恭子?か理解しやすい異性ダケじゃなく同性にも愛欲、愛憎、必着…愛深き故愛を捨てた男。虐殺も理解できる人たらし?でもあるかも、自問自答で行き過ぎてを調整して仁愛にも…
530 :
日曜8時の名無しさん:2009/10/18(日) 06:04:23 ID:4nBppWBs
単なるエロエロパワー解釈だと前立てが“性”“恋”になり兼続みたいな頭いい人とギャップがでてくるが(対象表現的に若手AVやグラドルで単なる異性への性欲満たすだけで、恥ずかしい前立てだが)愛憎…愛欲、業、愛着…人間的に深みが。理解できる、戦国なので敵方で馬が
531 :
日曜8時の名無しさん:2009/10/18(日) 07:39:44 ID:jtXMAzEo
土地を追われるは地位を失うではない?
後に米沢を追われたのは菩提寺で、墓は
訴訟に勝った林泉寺に移されているよ。
江戸家老の千坂が妙心寺の僧侶に直江の
法名の由来を考えてもらったり、林泉寺
で葬儀をしたなど、直江死去に際して藩
が関わったことを示す記録もあるらしい。
ここで擁護してるこいつ
>>528 、こいつ大丈夫か
いつでも即レスするけど、おまいパソコンに張り付いているのか?
直江がおまいの生き甲斐なのかww
アンチは反論できなくなるとこうだ。
と低レベルな反論モドキ
536 :
日曜8時の名無しさん:2009/10/19(月) 17:47:54 ID:xf/6EP6i
結局直江が家禄を自主返上したなんて証拠は何処にもないんだな
直江ファンは証拠もない事を吹聴して直江を持ち上げてるけど
直江が畑谷その他で虐殺したのは手紙に書いてる事実だからな
愛か義か、解釈はバイアスがかかるけど
直江の虐殺はあったか無いか。バイアスのかかり様が無い
直江自身の花押がある手紙に書いてる歴然たる事実
sub乙
直江自身の書状には江口以下500の将兵を皆殺しとしか書いてなくて
虐殺は根拠無いけどなw
皆殺しにされた奴らは主君の撤退命令にも従わず降伏勧告も蹴って
勝てない相手に玉砕しに掛かってきた奴らだし。
539 :
日曜8時の名無しさん:2009/10/19(月) 23:52:35 ID:xIq+E2ji
>>538 でも直江自身の手紙に皆殺しを命じたと書いてあって
上泉の手紙にその500人以外にも際限なく殺したって書いてるよ
直江はやっぱり虐殺魔だよ
もはや史料の解釈の違いだな。
直江は江口以下を皆殺しにしたとしか書いてないし、上泉がその他
際限なく切り捨てたと書いてても、その他が何なのか明記してない。
しかもそのあとに書状の相手の息子が奮戦したことを讃えている。
アンチのいう虐殺なのに、だ。
一次史料はないものの、藩の諸書にかかれた家禄返上は根拠がないと
切り捨てながら、畑谷の戦いは根拠なく女子供を殺したと言い張る。
どうどうめぐりで同じことしか言えず、史料も提示できない。
どういう見解を持っても構わないと思うが、今後も直江に触れた本で
虐殺魔だと書くものは出てこないだろう。
>>540 直江の手紙が一次資料以外の何物でもない
直江が皆殺しを命じたことと
直江軍が討ち取り以外の殺戮を際限なくやったことは確定してる
際限ない殺戮の対象が非戦闘員でなかったら何なんだ、
という問いに答えられていないじゃないか
答えてから反論しようよ
| その答えマダ〜?|
| |
.\____ _/
マチクタビレターν
☆チン
☆チン 〃∧_∧
.ヽ___\(\・∀・)
. \_/⊂ ⊂_)_
/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄/|
| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄| |
また繰り返し。
切り捨てる=非戦闘員を殺戮する という意味であることを証明するのが先。
543 :
日曜8時の名無しさん:2009/10/20(火) 09:30:31 ID:K74fL8yQ
女子供のいる場所で際限無く切り捨てしたけど、女子供は殺していないと言うわけですねわかります。
すっかり誰も書き込み無くなりました
女子供のいる場所って何に出てくるの?
そもそもそのほかの戦闘では女子供も犠牲になることがあり、
それを虐殺だなんていちいち言わないの知らないのか?
最上スレで批判されとる。
アンチ直江が片桐の著作をろくに読まずに、ネットの記事を鵜呑みにして
引用するのが鬱陶しい。ああいう手合いは最上が好きでもなんでもなく、
ただ武将を貶めたいだけの輩だと思う。
そういうスレばっかりで最近はガッカリだ。
547 :
日曜8時の名無しさん:2009/10/20(火) 11:12:42 ID:K74fL8yQ
ソースは片桐
550 :
日曜8時の名無しさん:2009/10/20(火) 14:28:06 ID:d+MwXc7R
畑谷も残忍だけど、庄内一揆はもっと凄いな
農民を千人ブチ殺して、首謀者を磔で火あぶりだもんな
佐渡では城主の妻子もろとも磔で処刑
八王子も住民千人を殺して串刺し&見せしめ
戦国史でこんなユニークな奴居ないぜ
米沢市民も直江を今の大河みたいに善人としての虚像を持ち上げるよりも
ジェノサイダーとしての史実の直江をアピールした方が
怖いもの見たさで訪れる人も増えて盛り上がるじゃないかな?
直江兼続虐殺館とか建てて公開するんですね。
わかります。
赤穂浪士をマンセーしている国で何言ってんだか
佐渡で反抗した奴を妻子と一緒に磔にしたのは花の慶次以外にソースがあるのかな。
したとしてそれが虐殺かは別の話だけど。
【九戸の乱】
豊臣方武将
蒲生氏郷、浅野長政、堀尾吉晴、井伊直政に南部、津軽、秋田、小野寺ら東北の将
粘る九戸勢に、一党の助命を条件に降伏を促す。
九戸政実は開城し、降伏。主要メンバーは護送中に斬首。
開城した九戸城には総攻めを仕掛け、皆殺し。
浅野「秀吉様、九戸の一揆は包囲したらあっさり降伏しました」
>>554 東北の人は残酷が好きだから、従軍した諸将が虐殺しなければ収まらなかったのだろう。
秀吉はいっつもこんなんばっかだな。
557 :
日曜8時の名無しさん:2009/10/21(水) 12:46:14 ID:agvrSeHF
直江の虐殺は花の慶次にすら載っている公然の事実だったのか…
敵対する武将の妻子を殺せば虐殺なのか。さすが最近の大河に毒された
連中はイっちゃってるな。
559 :
日曜8時の名無しさん:2009/10/21(水) 13:34:35 ID:3RXK865a
撫で切りしても愛の兜をかぶれば義と愛の武将なのか。
さすが最近の大河に毒された連中はイっちゃってるな。
現代の感覚で語れば戦国武将なんてみんな虐殺魔。
合戦だって口減らしや略奪目的で行われることも多い。
自国の領民を生かすにはそうするしかない。殺さなければ殺される。
それを安穏と過ごす現代人が虐殺だどうだと論じても何の意味もない。
愛だ平和だと現代の感覚をねじ込んで矛盾を生じさせている最近の大河ドラマと一緒。
要するに程度の問題ってことだな
562 :
日曜8時の名無しさん:2009/10/21(水) 18:26:51 ID:QXlm14lI
>>560 直江は別格の虐殺魔だよ
畑谷で際限なく非戦闘員を殺し
庄内で農民千人虐殺+首謀者火炙り
八王子でも女子供を沢山殺し
佐渡でも磔
その他長谷堂撤退時の見方見殺し
これだけ残虐な奴って他に居るか?
信長くらいしか思いつかん
残忍と思われがちな義光や政宗も数・質ともに及ばない
とりあえずソース全部出してみよう。
そこまでむきになるほど直江が突出してるようにも思えないが、
軍記物などでも残虐だなんて書いてるものがあるのか?
>>562 >その他長谷堂撤退時の見方見殺し
虐殺以前に武将としてこれは酷い。
同じ方向から攻め込んでいた志駄は普通に撤退してるから、
見殺しというよりは最上勢に遮断されて下まで連絡がつかなかったんだろうけどな。
566 :
日曜8時の名無しさん:2009/10/22(木) 01:16:08 ID:zeFiCdFw
擁護もっと頑張れよ、完璧にアンチに負けてるじゃんか
全部の出典知ってる人いないの?読んでみたいんだが。
568 :
中学生:2009/10/22(木) 10:06:24 ID:XPT/W0dV
googleで見ると。
直江石堤は城下町を守る堤防ですか?
一度洪水が起きると対岸の農地は水浸しになりませんか?
完璧にアンチに負けてると思ってるのはアンチだけで
アンチの言い分はとっくの昔に根拠無し、
当時の情勢に全く符合しないと結論出てるしw
>>568 なぜここで質問するのかわからないが、
氾濫を完全に止めることは難しいので被害の少ないほうに誘導するのが堤防。
ちなみに現在残っているいわゆる直江石堤は城下から相当離れた山のほうにある。
松川の水害を受けにくい地域を広げることで町の拡張が可能になる。治水だけでなく、
木材の運搬や領民の水利にも関わってくる。
>>569 アンチは根拠を示せないため煽るしかできないんだよ。
おれは歴史研究者じゃないから原典までは見ないけどさ
直江本人の手紙の残っている畑谷城の虐殺だけで十分虐殺魔じゃね
それより片桐繁雄先生の講義の
第一回11月12日、「戦いの始まり」、
第二回11月19日、「最上義光と直江兼続」、
第三回11月26日、「郷土の武将 谷柏相模守」
これの2回3回の内容を、行って来た人居たら教えてくれ
片桐先生は
『城を包囲した兼続が「かかる小城で戦うは無謀、無益。城を明け渡せば
多大の恩賞を与え、名誉ある処遇をする」と降伏を勧めた。しかし江口
は「最後の一兵となっても、戦わずして明け渡しはせぬ」と拒否した。』
と最新の本で書いてる。撫で斬りは、直江がそういう書状を同僚に送ったと
二行にあっさり書いて、虐殺だとか個人的な感想は述べていないけど。
それと虐殺の定義はあいまいで、逃亡兵の追撃、兵糧攻め、火攻め、水攻めなど現代人の感覚
だと当時の戦術はみんなひどい行為だと思うんだけど、ここでは何をもって虐殺だと言ってるの?
話の流れからすると、直江だけが虐殺魔で、上にあった蒲生氏郷や秀吉、家康などは虐殺魔として
評価してないってことなのか?そこの違いは何なのか。
>>560で書いたようにそもそも現代の感覚を持ち込んで議論するのは意味がないんだけど、敵を殺戮
して奮戦するのが主君への義なのであって、虐殺魔がどうのという話と、愛とか義というのは関係が
ないと思うんだ。スレタイ自体が矛盾をはらんでいるから、話がかみ合わないんじゃ・・・。
574 :
日曜8時の名無しさん:2009/10/23(金) 00:36:52 ID:LF4dYgS6
>>573 虐殺は残虐な殺戮だろう
秀吉も家康も蒲生も虐殺してるけど
天下統一や乱の鎮圧という高邁な目標があって
それを果たしているからOK 虐殺魔とは言わない
直江の数々の殺戮には目標や必要性、意義が疑問
だから虐殺魔なんだろう
直江が嫌いだから虐殺魔と言ってるだけだとはっきり言えばどうだ?
普通に虐殺魔だから直江が嫌いなんだと思うが?
考え方がひねくれてるなお前は
>>574 虐殺魔というのは研究本などでは見られないのだけど、個人的な研究の成果により認定したということ?
それぞれの出典がいまだに出されていないけど、独自に研究したのならぜひ教えてほしい。
高邁な目標とそうでない目標の違いはどこに。たとえば大坂夏の陣後には残党狩りと称して、命乞いする
豊臣兵を殺害、城下の民は蹂躙され、民も乱取りや強姦などの被害にあっている。これは天下統一におけ
る高邁な目標のためなのだろうか。九戸の乱の場合は城攻めの過程どころか、開城後の皆殺し。乱の鎮圧
に必要な殺戮だったのか。
これらの例が際立って悪いというのではなく、戦国時代はそういうものだということだ。
どう取り繕おうが虐殺は虐殺
虐殺をしていれば虐殺魔
出典も出さないまま、そう言ってしまえばもう語る必要はなくなるね。
同じ虐殺でも森忠政や長可は悪人ぶっているから好きだけど、
善人ずらした直江は嫌い。
森は鬼武蔵とか呼ばれただけで悪人ぶってないし、直江が善人ぶってる
ってそれ天地人w
悪人ぶってるんじゃなくて普通に悪人だからな。
自分はろくな出典も出せないくせに出典出典と馬鹿の一つ覚えで喚く出典厨
ソース厨とも言うな。
と、ソースを出せないことをごまかそうとしておりますw
数々の虐殺があるならその証拠を出せばいいだけ。戦国武将の中でも
兼続が虐殺魔だから嫌いなんだろ?
八王子城攻めも上杉、前田、真田ら北国の大名衆が参加してるのに
一家老の直江だけが虐殺魔だと言い張ってるんだから、ソース出せ
ないならキライなだけと言われても仕方ない。
>>584 あんたソースは直江自身の手紙って何度言ったわら分かるんだよ
八王子の虐殺でも直江が主導的に働いてるのは既に
>>265 の指摘の通り
>>265の史料上の信憑性があるのか?
秀吉の書状により八王子は皆殺しでないことが分かってるんだが。
畑谷も同じ。撫で斬りしましたーは分かったから、どこに虐殺だと?
587 :
日曜8時の名無しさん:2009/10/23(金) 14:57:53 ID:T3IYjHG8
ここ山形市民必死すぎwww.
出典出しても見てみないふりワロス
199名無しさん
最上は庄内に侵攻した際に領民を虐殺しまくった
309名無しさん
最上は虐殺魔
311名無しさん
ソースは?
312名無しさん
199が出してるだろ
こういうのを出典とはいわない。
ソースと主張してるものがソースになってなくてワロス
591 :
八王子城山の住人:2009/10/23(金) 16:51:57 ID:dqaH3Lpf
八王子城内に隠れていた北条の血筋以外の領民は里に帰されたようです。
秀吉が命令しておいて、
やり過ぎるなと諫めた様ですね。
皆殺しではないが数千人のうち60名余り開放しただけ?
とも取れます。
戦国時代で虐殺とか論じるのも変です。
もう辞めよう。
>>591 >八王子城内に隠れていた北条の血筋以外の領民は里に帰されたようです。
これこそソース必要でしょ。なんか見てきたみたいに言われても
秀吉がやり過ぎるなとさとさざるを得ないほど、
直江上杉の殺戮がそれ以前に目立っていたって事でしょ
>>1の出典すべて出せる人はいないのか?
便乗本とかでなく、書状でもこのさい軍記物でもいい。
出典もないのに論じるのは無意味。妄想と根拠のない推理の世界と一緒。
なんでそんなに必死に否定するだかな。
別にいいじゃん直江が虐殺魔でもw
>>592 あの秀吉書状はとてもやり過ぎるなと命令したものとは思えないけど。
むしろ八王子城で捕虜になり、故郷に返されたものは例外中の例外。
後は過酷な処分がされたものと思われる他の城の捕虜のように処分しろという秀吉の命令状じゃないの?
>>474の書状でしょ。
捕虜になったのは百姓の女共なんかじゃなく支配者層の妻や子なんだろうから、
数千人の中で六十数人を捕虜だけ捕まえてあとは殺したという話ではないと思うぞ。
わざわざ「虐殺しました」なんて書くわけないだろ、知ったか擁護は本当に馬鹿だなぁ
ソースに詳しいアンチ様は書いてあるものを出してくれるんだろう?
つまりアンチ様のソースと主張してる
兼続書状も上泉書状も全く虐殺話は書いてないんですね。
ある意味
>>597は正しい。虐殺というのは感覚的なものなので、自分が「やりました」と
言うものではなく、他人の目で「ひどい」と判断しなくてはいけない。そういうものを出
さないと意味がない。
つまり最上側ですら虐殺と認識してない畑谷城は別に虐殺ではないと。
>>601 ', ;l: ll kr'´ ィイィ彳彳彳彳
ヾ州ィイイィ彳彳彡彡彡
_ __ ,′ ``ヾミミミ
,. '´;:.:.:.:.::::::::.:.:.``ヽ ,′ -‐ミミヽ/ミミミミミ
,. '´..:.:.:,. -─‐‐- 、;;;:;:.:ヽ〈 ,′ミミミミヽ
/ .:.:.:.:.:.く ``ヾ「ヽヽヾミニ二二ミヽ `ヾミミミ
./ .:.:.:.:::::::::::::〉 ∠二二ニ彡' V/ T TTにニニニニニニニニニ====
/ .:.:.:.:::::::::::::::/ -='ぐ / l ||¨´ ̄`` . :;
/ .:.:.:.::::::::::::::::/ '''´ ̄` / `Y´ . ;..:
,′.:.:.:.:::::::::::::〈 ヽ____ノ', .;: .;:
i .:.:.::::::::::::::::::::::', ,;;;'ハミミミヽヽ .,.:; .; :.;:.
',.:.:.:.:/´ ̄`ヽ;;;', .;;;' ``ヾミヽ j! ,. ′.;: .;:. :
',.:.:.:ヽ い( )ミミj 、
',;;;:;:;:入 _ ..:;.;:.:;..:`Y ミj! 、 、 ', ., 、:, 、
';;;:;:.: `フ´ _ノ . ;: .;: .; :. ;:. ;:.`Y´ 、 、 ', ., 、:, ,. '´
Lノ´ ̄ , ィ´ .:; .:; . ;:. ;:. ;: .;: .; :. ;:. ;} 、 、 ', ., 、:,,.: '´
ノノ ____\ ;.: .;: . :;. :;. :;. :; .;: .;: .;人 _; :; :; ィ´`ヾ
,. '´  ̄ ̄``¨¨ー',:;;,,:,;:,;,. '´ /;;;;;;;;;;;;;;;/
603 :
日曜8時の名無しさん:2009/10/24(土) 09:15:32 ID:PUDRQsRz
あった! ない!
「南京大虐殺」みたいな...
>>601 そう。百人殺せば虐殺とか基準があるわけではないので、「畑谷ではむごい殺しが」とか被害者側なり第三者
の目がないと当時から虐殺だと思われていたとは言わない。そういうのがない以上、現代人の感覚で「虐殺だ」
と騒いでいるだけで無意味な話になる。現代の感覚で語るなら1人だろうと殺せば「殺人」。それでもみんな
「ひどい」と言うさ。
何人殺そうが虐殺は虐殺なんだよばーか
戦国時代全否定ですか。
戦闘と虐殺とは違うという意味だろ?
本当に馬鹿なの?お前
畑谷城では戦闘ではなく虐殺が行われたんです。
江口五兵衛というのは地元の農民でした。
直江がいきなり攻めてきて農民が皆殺しになりました。
庄内で立ち上がった農民一揆と同じように無残にも直江に殺されました。
ということですね。
609 :
日曜8時の名無しさん:2009/10/24(土) 14:25:46 ID:RkLVhB1I
家康が政宗に「あの男を買ってるらしいな」って、あの男って、兼続の事だろ?!位置的に米沢だから伊達にイジメられるかと思ったが良かった×2…と菊姫の死自体も豊臣徳川両方の天下の御意見番的にも言い訳・筋通しにもなる謙信公か神でも憑いてるのか?調整藩上杉
610 :
日曜8時の名無しさん:2009/10/24(土) 15:33:33 ID:PUDRQsRz
ここで虐殺とか虐殺でないと騒いだところで、
NHKが作った「愛」と「義」の
どうしようもない「変なイメ-ジ」は真に歴史を知ろうとしない者達には
未来永劫に消えないだろう。
611 :
日曜8時の名無しさん:2009/10/24(土) 15:36:24 ID:PUDRQsRz
「愛と義」の折伏みたいな...
アンチが真に歴史を知ろうとしてるのか知らないが、
叩く割にネットで仕入れた中途半端な知識しか持たず、
間違った知識で偉そうに語る。ソースも出せないまま。
ソースを求められると
>>605のように開き直り。
613 :
日曜8時の名無しさん:2009/10/24(土) 16:29:25 ID:DRZ3Le74
あの上杉っていうか直江があんなに怒ったんだもんな。
お前らの殿様の最上ってどんな卑怯者だったんだ?
そう馬鹿にしたところでソースは出てこないよ。
擁護派って何か信じるに足るちゃんとしたソース出せてるの?
畑谷での直江書状はアンチが言い出したが、全文を知らないため、
ネットから持ってきたと見られる。
他には、例えば上泉書状も小田原陣の秀吉書状も擁護が出している。
逆にアンチはネットから間違ったまま引用して仙北庄内一揆は農民
一揆だなどと発言。片桐先生が間違ってる訳無いなどと開き直る。
出せてるわけないだろw
>>612のようなレスをするしか能のない馬鹿なんだからw
自分がどんなレスしてるか考えてから言いなよ。
621 :
日曜8時の名無しさん:2009/10/24(土) 22:33:11 ID:+YAxJDXP
ttp://www.47news.jp/CN/200910/CN2009102401000420.html 直江兼続は天皇の倍額を寄付 北野天満宮の屋根修理で
安土桃山時代から江戸時代初期の武将直江兼続(1560〜1619年)が、
学問の神様、菅原道真を祭った北野天満宮(京都市上京区)の屋根修理費として、
天皇の寄付額の倍に当たる米100石を寄付したことを示す古文書が同天満宮に残っていたことが24日、分かった。
記載された人の中では最高額で、鑑定した藤井譲治京都大教授(日本近世史)は
「学問に秀でた兼続が、天満宮を支援したのでは」と推測。兼続の“太っ腹”ぶりを示す史料として注目されそうだ。
古文書は1588(天正16)年の「北野檜皮葺奉加帳」で、北野天満宮が所蔵。
修理費用を負担した人の名前と金額が筆書きされ、最初のページには身分の高い7人が掲載されていた。
6人目に直江兼続を示す「越後 直江山城守殿」と書かれ、寄付額は「米百石」だった。
当時の換算では約20両で、黄金2枚分に相当。同じページには「位御所様 黄金壱枚」などの記載もあり、
後陽成天皇と、正親町天皇だった正親町院がそれぞれ黄金1枚を寄進したことを示している。
藤井教授によると、兼続は、生まれ故郷の越後国の一部が室町時代に
北野天満宮の領地だったため寄付したとも考えられるという。
また豊臣秀吉の妻ねねは「黄金壱枚 政所殿様」とあり、後陽成天皇や正親町院と同額だった。
ねねの次の行には「黄金弐枚 密々」と記され、
秀吉の名前を伏せて、黄金2枚の寄付額だけを記載した可能性があるという。
2009/10/24 17:25 【共同通信】
622 :
日曜8時の名無しさん:2009/10/24(土) 23:05:55 ID:Lcoz+7uz
残り二人は?
>>618 庄内一揆では直江は首謀者の武士を火あぶり処刑しただけでなく
農民もたくさん殺してるみたいだよ
ええ、庄内の一揆は農民によるものですよ。
米沢の博物館でも農民一揆で資料が出てました。
片桐先生に恨みでもあるのかしら・・・?
天正九年九月末、景勝らが検地をほぼ終えた仙北で一揆が発生しました。
山田氏、川連氏らを中心とした在地の領主たちが、増田・山田・川連の古
城に篭城しました。(後略)
天正十八年秋に始まった奥羽仕置では、現地の実情を踏まえつつも検地や
刀狩、城郭の解体が進められていきました。これらは現地の秩序を大きく
変えるものであったため、奥羽の各地で一揆や反乱が勃発しました。同年
冬に起きた大崎・葛西一揆や翌年の九戸政実の乱が知られています。上杉
氏の管下でも九月下旬には仙北・由利郡で、十月には庄内藤島に一揆が起
こりました。(後略)
『特別展直江兼続』図録(米沢市上杉博物館)より
常識だが、一揆=いわゆる農民の反乱ではない。
藤島一揆の首領は平賀善可という在地領主。
626 :
日曜8時の名無しさん:2009/10/25(日) 01:49:52 ID:LfD/ex54
>>625 仙北一揆は土豪とともに農民もたくさん参加してるよ
直江らによって一揆を率いた土豪も殺されたが農民も殺された
「仙北地方における景勝の検地は、大森城(秋田県横手市大森)を本拠として天正18年8月中旬以降に着手され、
9月下旬には一応終了したようです。しかし、検地が終了して間もなく、
仙北の土豪や農民たち(およそ25,000人と伝えられています)が、
仙北郡六郷を中心に蜂起し、あちこちに放火するとともに大谷吉継の配下50〜60人を殺害するという事件が起きました。
>>624 仙北一揆は検地の監督だった大谷吉継が土民と衝突したことから発生した一揆で、上杉が派兵して
鎮圧した一揆。太閤検地に権益を否定された在地領主や没落した大名の旧臣が蜂起したもので、川
連城で一揆勢を打ち破ると一揆は降伏し、一揆は解体した。
ちなみに、農民が参加していたことを以て「農民(百姓)一揆」とは呼ばない。
>>625はインターネットで検索して持ってきたようだけど、一揆に率いられるのが百姓なのは当たり前。
それは「戦国時代の合戦は職業軍人同士の戦いじゃない。ほとんどが農民だ。だから敵を殺しちゃだめ
だ」と言っているのと同じ。戦国時代を語ること自体を無意味にさせる。
629 :
日曜8時の名無しさん:2009/10/25(日) 11:57:02 ID:LslU0dCt
天地人は戦国時代を画いて無いと言う事?
こんなスレが出来たのも「愛と義のNHKへ反発」
ではないのではないだろうか?
最上の殿様も本当は名将らしい。
ここで説得してもたいして影響無いと思う。
>>623 >
>>618 > 庄内一揆では直江は首謀者の武士を火あぶり処刑しただけでなく
> 農民もたくさん殺してる・・・・・・・・・・・・・・・、『みたいだよ』…勢いが↓
農民は貴重な戦力やし、戦にかり出されたのは当たり前だから
侍1割農民9割の連合戦でも農民一揆違いますとか言いそうだな。
仙北の土豪や農民たち(およそ25,000人と伝えられています)を殺害し
「農民(百姓)一揆」とは呼ばないのは無理のある発言では?
>>631 一揆の分類上、農民が何割だから「農民(百姓)一揆」と呼ぶということはない。
百姓一揆というのは江戸時代の文字通り農民を中心とした蜂起をそう呼ぶ。
ちなみに今の問題には関係ないが、「二万五千人と伝えられている」というのは図録にもあるけど、
普通に考えてあり得ない数字だと思う。あと、一揆は川連城で上杉に大敗し、すぐに降伏している。
634 :
日曜8時の名無しさん:2009/10/26(月) 00:16:21 ID:E9FV8Fy6
要するに、まとめると
仙北一揆は百姓一揆ではないが農民も沢山参加してた
直江兼続はそれを掃討し沢山の農民を殺した
やっぱり虐殺魔、ってことね
一揆や戦争で農民を殺していない武将がどこにいるw
636 :
日曜8時の名無しさん:2009/10/26(月) 08:40:27 ID:769+uZAE
一揆が起こった原因の方が問題。
愛じゃない!
そもそも一揆の原因理解しているの?
638 :
日曜8時の名無しさん:2009/10/26(月) 15:01:21 ID:769+uZAE
ゴメン...
してない。
無駄に農民を殺したという意味では確実に虐殺魔とみていいな。
足軽という名の農民かw
直江は庄内・仙北で1000人以上の農民を殺してるみたいよ
やっぱり虐殺魔人だよ
最上勢は小野寺の柳田城攻めで、 円通寺の剛勇にさんざんに悩まされた。
鮭登の郎党が弟が傷を負ったのを見て周りの人々が治療すれば助かると見たが、
「もうお前に生き甲斐ないよ」って言い放って弟の首を斬ったり、柳田城中の女
童が逃げ隠れるのを追いかけ回して追詰め散々に切捨てたり、女童を天井の梁に
取り付けぶら下げ槍や熊手で引き落とし突殺。 女下部の老人が助け給えと手を
合わせ泣き悲しむのを手足を縛り胴切り、衣装を剥ぎ取り裸にし仰向けに踏み返
し、腹を裂き首を切り笑いまくり阿鼻叫喚の言語に絶する悪逆。こんな感じで小
城を撫で切り483人討ち取り。 さらに最上軍は10歳くらいの童男や童女の父母兄
弟が目の前で殺され、走り倒れ泣き叫ぶのを拉致って、 雪の中を湯沢まで連れて
行って柳田の兄弟の男子かどうか詮議すると言いながら、吟味を一切せずに全て虐殺。
この悪逆に奥羽永慶軍記の著者は「此人々の行末を見まほしや。」と嘆じる。
そして、最上改易でその報いを受けた場面で筆を置いている。
他スレからの引用。戦国時代はこんなもんです。
なんか戦で殺された農民がかわいそうみたいな話になってるが、彼らは
ただ領主に搾取されたり無理やり戦争に連れて行かれるような弱い存在じゃない。
藤木氏や黒田氏の著作を読むとよい。
虐殺してようがしてなかろうが、
直江が義とは程遠い人間であることはこのスレを見てよくわかった。
義は下の人間へのものではないからな。
645 :
日曜8時の名無しさん:2009/10/28(水) 13:52:30 ID:v4UQy2FU
それなら
そもそも義って何?
義将と呼ぶ場合は主君への忠義が厚いとかじゃないのか?
下の者に優しいのは義じゃなくて慈悲とか哀では。
家臣領民にどんなに優しく善政を敷いたとしても
勢力拡大に暗殺とか謀反とかやってると義将とは言われないよな。
648 :
日曜8時の名無しさん:2009/10/28(水) 17:23:06 ID:lfpOg8D6
直江が下の者に優しいなんていう話も無いし
善政を示す話も無い
むしろ上杉の高租税は直江の執政の時代から始まってるし
まあ愛の無い不義の武将ってとこですわ
加えて家臣領民に残虐な武将は救いようが無いな。
愛というのはそもそも妄想にすぎないとして、不義とか残虐というのはここで
はなにを根拠に言い切ってるんだ?
651 :
日曜8時の名無しさん:2009/10/28(水) 19:36:14 ID:FEgVqK8g
直江擁護の史料観
【軍記物の扱いについて】
・畑谷城に非戦闘員がいたってのは軍記物だろ? 信用できない!
・直江の撤退戦が素晴らしかったのは軍記物にしか書いてないけど事実です(キリッ
【解釈について】
・虐殺したなんてどこの史料にも書いてない! 史料を解釈して言ってるだけだ!
・兼続が自分で直江家を断絶させたとはどこの史料にも書いてないけど、自分で断絶させたと解釈できるに決まってる(キリッ
652 :
日曜8時の名無しさん:2009/10/28(水) 19:58:23 ID:91PbxjCJ
まあ存外に無礼で怒りっぽいのが兼続
直江状は後世の創作だと言われているが、
・家康に宛てて手紙を出したこと
・それを見て、家康が激怒したこと (近習の日記にハッキリと書いてある)
これは事実である。
直江状の何が問題なのかというのは、「その文章が分かっていない」というだけのこと。
家康が怒ったのは事実なので、
今知られている文章が後世の創作であろうとなかろうと
それに近いことはズケズケと書き連ねたのだろうことは想像できる。
>>651 直江夫妻が自ら家禄を返上したというのは後代のものであれば米沢藩
の史料にもあるだろ。 与板衆の請願にもあるし。
撤退戦については詳細はともかく、政宗の書状によれば「勝てるもの
を逃した」 という事実が読み取れ、最上義光記のような敵側のものに
も記載がある。水原も「なかなか語り尽くせない」 と書状に書いてい
る。撤退戦自体を過大評価するつもりはないが、傍証となるものは多い。
軍記物の扱いで問題なのは、「城中の男女が逃げ惑った」「落人を救う
ために飯田播磨が戦死」というのを 虐殺の根拠にしてるが、その虐殺の
描写が複数の軍記物中になく、指揮下の兵と共に華々しく戦死した江口が
かっこよく描かれているだけだということだ。それとも、諸書がそろって、
最上方の領内防衛能力のなさをなんらかの意図で隠すために虐殺の事実を
隠蔽したのだろうか。
>>653 >直江夫妻が自ら家禄を返上したというのは
また言葉のトリックだな
直江は直江、妻は妻
直江が自ら返上したなどという史料はない
家中での直江への怨嗟に耐えられず、妻が返上した、ということはあるかもな
直江家はおせんが後継ぎみたいなもん。おせんと信綱連署の書状もあるくらいだし。
普通に考えて、おせんが納得しないと直江家を断絶はできないだろう。
直江が自ら返上したという史料はないというのは調べたの?
直江への怨嗟というのは史料にあったのかな。よく調べたね。
656 :
日曜8時の名無しさん:2009/10/29(木) 00:38:25 ID:ka99rDLH
>>653>>655 とりあえず君は、直江「兼続」が自ら返上したという史料をだすべきだよ。
>「勝てるものを逃した」
>「なかなか語り尽くせない」
普通に解釈すれば、直江が素晴らしい撤退戦をしたとは読めないけどw
>最上義光記のような敵側のものにも記載がある。
だからそれって軍記物だろ。
兼続より景明の方が先に死んでて
景明死後兼続が死ぬまで養子縁組の話はないんだから
少なくともお船一人の意志ではなく
兼続とお船双方の意志であったと見るべき。
兼続は家禄返上する気無かったけどお船一人の意志で
養子を取らなかったというのは無理がある。
お船の叔父の血筋もいるにも関わらず
直江家を継ぐ予定だった政重に嫁いだ娘が
「兼続の弟の娘」というところからも直江家の後継決定権は
少なくとも兼続生前はお船ではなく兼続。
658 :
日曜8時の名無しさん:2009/10/29(木) 01:41:00 ID:fsWoWL/W
だったら何で生前あるいは死ぬ時に家禄返上しないのさ?
直江自身は本田に逃げられる前は本庄の倅を頼ったりと
後継者に必死だった
直江は晩年は失脚してた
次代藩主の定勝を掌中にキープすることで何とか地位を保っていたみたいだから
誰も直江家に来たがらなかった、と考えた方が無理が無い
>>658 落ち着け。
おまえのほうが根拠のないことを並べてるぞ。
おまえはソースの片鱗すら出さず妄想を続けているだけ。
定勝を掌中に入れるのに必死、晩年は失脚、養子に逃
げられ誰も来てくれなかった。これらは根拠があって
語っているのか?
生前に家禄を返上しろっていうのは前も言ってたけど、
その必要性はどこに?
ていうかさ
直江が家禄を自主返上したのか
それとも断絶を食らったのか
どちらも確たる証拠なんてないんじゃない?
どっちの説が無理がなく自然か、ということになると思う
元々直江家を絶やさないために兼続が入婿したのに
兼続の意志で家を断絶させるというのは無理がある
直江家への非難轟々でやむなく断絶、の方が自然じゃないかな
直江家に批判轟々があったのなら、
なぜ兼続死後も与板衆による独占体制が続いたんだ?
直江の義理の甥であり、与板衆の筆頭ともいうべき志駄は、
兼続の死の三年後、同じく与板衆出身の奉行平林の後任として、
景勝により奉行に任命されてる。
翌年景勝は亡くなるが、志駄は死ぬまで、定勝政権の中心として権力を握っていた。
直江が生前に失脚してたという根拠になる史料でもあるのか?
実際直江家って景綱の代で急激に台頭した家で
何が何でも血を絶やしちゃいけない名家って家でもないしなあ。
安田とか武田なら血に価値もあるかもしれんが、
後継者である本多の息子に嫁いだのが樋口の娘な時点で
直江家の「血」は絶えても別に構わないって感じじゃん。
兼続が直江家に入ったのは上杉家筆頭家老に相応しい名が
上田衆出身の兼続に権力を持たせるのに必要だったからで
兼続が入り婿だから兼続の意志で断絶できないってのは
当時の意識として違うと思うな。
景勝の権力が安定した時代には「直江」の名の力を借りる必要も無くなってるから
景勝や兼続がもう直江を潰しても良いと思えば潰せたんだろう。
663 :
日曜8時の名無しさん:2009/10/31(土) 10:04:08 ID:QqkpmAzy
どれもこれも勝手な解釈じゃん。
「兼続が自分の意志で直江家を断絶させた」史料はないの?
少なくとも、非難轟々で断絶という可能性よりはアリだな。
665 :
日曜8時の名無しさん:2009/10/31(土) 12:05:52 ID:QqkpmAzy
>>664 〜より可能性がある、ってのもそう考えたい人の解釈にすぎないんだし、
「兼続が自分の意志で直江家を断絶させた」っていう史料は本当に無いのかね。
今福匡は養子の話を全て断ったと書いてるが、何をもとにしたんだろうか。
兼続は急死ではなく進行性の病だったと思われるので、家を存続させるつもりなら
準備をしてるはずだが。
667 :
日曜8時の名無しさん:2009/10/31(土) 17:06:11 ID:S6VuiHYK
>652
関ヶ原までは直江&上杉も義のある側といっても良かったけど、
関ヶ原以後の寝返り様は酷かったね。
徳川への忠犬振りは見事と言いたくなるほど。
よく大河ドラマに出来たと・・・
>>665 非難轟々や晩年失脚ってのは上で否定されてる。あっさり否定する材料
はないということだ。
>>667 そのへんは本スレでも言われてるけど、大名で大坂攻めに加わらなかった
のはいない。東軍についた大名もほとんどが関ヶ原では豊臣のため−とい
うことで家康に味方したんだが。
669 :
日曜8時の名無しさん:2009/10/31(土) 23:42:59 ID:/TwwJDYA
>>668 >非難轟々や晩年失脚ってのは上で否定されてる
どこにその証拠が?
自分で証拠も出さずに否定しておいて「上で否定されてる」って何?w
>家康に味方したんだが。
このやたら「だが。だが。」で終わる口調のこの男
だが雄、とでも呼ぼうか
ID青くして張り付いて即レスしてうざいんだがw
>>668 直江の晩年の失脚は史家の誰だったかが検証して本に書いてるよ
それに志駄は後に政権中枢を遠ざけられてるよ
与板衆の権力独占は徐々に弱まっているし
それに伴って水利事業とか増えてるから
挙党体制というか挙藩体制になって良かったんじゃないかな
>>668 だが雄氏=長文やめた戦国版のSOHO氏?
671 :
日曜8時の名無しさん:2009/11/01(日) 01:43:46 ID:L9LZoOB6
スクープ!
まだあった直江の虐殺
畑谷や庄内、八王子だけでなく
栗田某らも皆殺ししてるんだ
片桐先生講義の続報です
「政治では自分に反対する者や、徳川家との争いになると上杉家から逃げ出す福島県の大森城主
の栗田を、上杉家の情報が漏れないためにと、追撃し捕まえ130名を殺した。
直江兼続は残酷だったと話すのは、150年前に米沢で書かれた鶴城業談(かくじょうそうだん)
という古文に記載されているそうです。つまり昔の学者は兼続を評価しない傾向にあった訳だ。」
http://yamagata6.blog118.fc2.com/blog-entry-371.html
よくこれだけ恥ずかしげもなく嘘が書けるな…。
しかも自らageげているのが笑える。
>>669 >>661あたりを読むといい。
>>670 相川司の説は直江重光の「重」は政重にこびて付けた(政重は勝吉に改名済みなのであて
はまらない)、おせんや志駄も直江から距離を置いた(おせんが高野山に夫と息子の供養
を依頼したことは無視)、また俗説に惑わされないとしながら最後のほうは直江を奸臣と
して描いた会津陣物語を多用するなど、こじつけ感がある。
志駄は定勝の代になっても藩主御成や茶会出席の回数が突出。また、志駄と、江戸にいる千
坂は「志駄同心」「千坂同心」という特別な家臣団を抱えており、依然として与板衆が権力
をにぎっていた様子が窺える。寛永九年に執事を退き、まもなく死去。翌年、息子が執事に
任じられるが、何らかの原因ですぐに解任された。
直江執政体制は国人の独立を否定し、上杉家を近世大名化するのに必要な景勝の方策なので
大名権力が確立されると必要なくなっていくのは当然。それと晩年には失脚という話は別物。
>>671 >>188を読むべし。
674 :
日曜8時の名無しさん:2009/11/01(日) 20:22:07 ID:O3sOz4uU
確か本多〜がムスメって真田に嫁いだような…?訳わからんん関ヶ原の時も息子は西についたちゅう事は撹乱目的だったのか本多って根っからの徳川方の隠密か?
675 :
日曜8時の名無しさん:2009/11/01(日) 20:38:27 ID:O3sOz4uU
上杉と真田って明治まで続いたんだよな生き残り方が確か関ヶ原の本多親子と似てるな幸村は大阪城で暴れてこい真田の名を天下に…父と兄?が徳川方…巧くやったし。上杉は兼続の才能一本で…へえオマツの死も本多の心動かし役立つのか恐るべし上杉格好いい!
相手をびびらせて生き延びた家と
相手に土下座で生き延びた家じゃ天と地だがな
>>674 真田に嫁いだのは、本多正信の方じゃなくって、
本多忠勝の娘。
本多政重が宇喜田に仕えたのと、真田が関ヶ原で敵味方に別れたことは、
意味が違うんじゃないの?
政重は単に家康・秀忠の怒りを買ってるから徳川に仕えられないだけだろ。
真田は自分の嫁の実家に味方しただけ。
679 :
日曜8時の名無しさん:2009/11/02(月) 19:29:17 ID:MjmMahAo
何処を見ても栗田国時は伏拝坂で殺され、一族は族滅された、と書いてるけどな。
直江を直接知る藤原惺窩も
150年前の鶴城業談の著者も
現在おそらく直江を最も文献を直接あたって調べている片桐先生も
みな直江は悪人だと言っている
その歴史の方が長いわけで
それに対し直江を良く言ってるのは近年の小説家、郷土愛のアマチュア史家のみ
やっぱ直江は悪人なんだろ
釣り乙。
682 :
日曜8時の名無しさん:2009/11/07(土) 12:29:37 ID:mnKjvZ7o
>>680 新たな直江のキーワードは「族滅」
族滅魔 直江兼続
いや、兼続は最上や伊達との戦いの時に
栗田刑部の動きも指示しているからね。
一族どころか本人死んでねえw
「自分はその気が無いのに回りが勘違いしてやった」
大河で多いパターン
686 :
日曜8時の名無しさん:2009/11/08(日) 21:40:26 ID:CRvuijzF
>>684 栗田 国時(くりた くにとき、生年不詳 - 慶長5年(1600年))は、上杉氏の武将。
−中略−
景勝の会津移封に伴い、信夫郡大森城主となり8300石を与えられた。
しかし、慶長5年(1600年)に徳川家康が上杉景勝討伐へ出陣した際、
国時は景勝を見限り家康と内通するが露見し、大森城の南東・信夫郡伏拝(現在の福島市伏拝)で殺害された。
だそうです。
687 :
日曜8時の名無しさん:2009/11/08(日) 21:47:11 ID://uDBs0h
結局、歴史って常にねつ造されるから、本当のところはわからんな
400年前の直江のことをいまさら、調べようもないし
でも、400年前は戦国時代
ひととひとが殺し合いをする時代だったのだから、今と同じ
感覚でものを考えるのは間違いだろう
ウィキか何か知らないけどそんな軍記物ソースの俗説は常識。
689 :
日曜8時の名無しさん:2009/11/09(月) 11:11:38 ID:eeV8DhPo
変な宗教 天地人
殺害されたという時期から半年後の慶長三年九月三日付
本庄繁長宛書状で兼続が「伊達に備えるため栗田刑部も
呼び寄せるように」と命じているな。
慶長五年じゃなくて?
慶長五年のミス
693 :
日曜8時の名無しさん:2009/11/11(水) 23:57:34 ID:XDlZWL3H
族滅、見殺し、虐殺、火炙り、
直江って何でもありの殺戮魔なんですね
いつものage乙
695 :
変な人:2009/11/13(金) 14:19:16 ID:d1/rkeEm
殺戮魔でなく
愛と義の邪教の教祖です。
「ぶった再誕」の荒井東作です。
八王子城落城をテーマにした演劇が19日に八王子の市民会館で上演されるそうな(14日付読売新聞多摩地域面)
nhk取材してくれないかなぁw
697 :
日曜8時の名無しさん:2009/11/15(日) 13:00:50 ID:EDbdMbM1
ウィキ見てたら北条氏って
あの鎌倉幕府の執権北条氏と直接関係ないと…と言う事は物まねルパンの栗館?がそのまま本家の声優なったみたいな…執権北条氏にあこがれてたとか…
698 :
日曜8時の名無しさん:2009/11/15(日) 13:02:30 ID:EDbdMbM1
↑なんちゃって北条氏って事か?
真田丸には近づくな!
?里丸にも近づくな!頑張れ美奈子!
700 :
日曜8時の名無しさん:2009/11/15(日) 22:41:13 ID:yw7j78JK
嘘はいけません;義に反しないのか兼次
701 :
日曜8時の名無しさん:2009/11/15(日) 23:00:46 ID:kurMkLh3
歴代の大河ドラマ(現代劇以外)で人を殺してない
奴なんて居ないだろ?
702 :
日曜8時の名無しさん:2009/11/15(日) 23:02:46 ID:kurMkLh3
大石も武蔵も秀吉も利家も西郷も山之内も天障院も皆、人殺しです
703 :
日曜8時の名無しさん:2009/11/15(日) 23:04:41 ID:kurMkLh3
近藤も謙信も道三も大久保も勘助も日野も人殺し
704 :
日曜8時の名無しさん:2009/11/15(日) 23:16:03 ID:YswT0LxN
戦国時代の義と、現代の義は違う。
大河で愛!LOVE!義!戦のない世の中!人殺しダメ★ってうざい直江に
イライラした人がそりゃ違うんでねぇの?って言ってるだけで、
その時代には戦で人殺して当たり前、今の義とは違うって皆分かってるんじゃない?
要するに大河がダメダメだって話でさ…
707 :
4公6民の愛の武将です。 :2009/11/16(月) 15:24:04 ID:V8lt9SeI
北条早雲の北条。
関東の支配者を印象付ける為、
早雲の子 氏綱が北条と名乗った。
そう鎌倉北条氏からパクリました。
4公6民の愛の武将です。
708 :
日曜8時の名無しさん:2009/11/16(月) 20:44:40 ID:M9r0eTwH
なにせ北条早雲の伊勢氏は、ヘタすりゃ本家の北条よりも
家格は上という名家だからな。
都会の名政治家兼プランナーが、親族のいる地方に下向して
そこで最先端の政治システムを実験して大成功したっていうのが
江戸幕府のシステムの根幹を作った小田原北条。
田舎の人たちに親しんでもらえるように、土地の名士の名前を
便宜上借りて見せただけ。そういうことが出来るのも、自分の
地位に満足していたから、カッコをつける必要を感じてなかった
からだろうな。ちりめん問屋を名乗る副将軍みたいな余裕だ。
709 :
日曜8時の名無しさん:2009/11/16(月) 22:44:06 ID:CLUfq79y
そもそも「愛する」という日本語は、明治以降につくられた言葉ではないでしょうか。
アイというのは“音読み”なんです。それにスルという送り仮名を付けて「愛する」という言葉をつくった。
対して「恋する」のコイは“訓読み”なんです。むろん“音読み”は恋愛のレンです。
通常、日本語では、“音読み”に送り仮名を付けて動詞にするようなことは、あまりないはずです。
ですから、現在人の感覚でいう「愛」と、戦国時代の「愛」とではかなりニュアンスが異なるように
思います。
それにしても、城から討って出ているはずの真田幸村(信繁)が井戸の中を覗き込んでいる、という
演出には驚かされました。
711 :
日曜8時の名無しさん:2009/11/17(火) 17:02:21 ID:hlcti4Da
>>696 悪行は直江の所業ですね。
八王子城の陥落を描く演劇「火の鳥」が19日、八王子市上野町の市民会館で上演される。
「市民劇場八王子夢座」の3年ぶりの定期公演で、城主・北条氏照の人物像に迫る。
原作は主宰の作家阿部昭三さん(81)。〜略
八王子城は1590年6月、豊臣秀吉の関東制圧で上杉景勝、前田利家らの軍勢に攻め落とされた。
氏照が陣を構えた小田原城も落ち、氏照は自害した。物語は幸せに暮らす八王子城下の領民らの姿、
続いて城が落ちて女、子どもらが次々と滝に身を投げるなど悲惨な状況が描かれる。
「火の鳥」とは落ち行く城の象徴。大きく真っ赤な鳥が城の上を舞う。
そして氏照の亡霊が現れ、戦のむなしさを嘆く。
阿部さんによると城主不在の城を守ろうとしたのは、はせ参じた農民や猟師、修験僧ら。
「ふつうの領民が丸一日敵を寄せ付けなかった。
それは善政をしく氏照に対し、敬慕の念を抱いていたからでは」と思い至ったという。
相変わらずなレスしてるな
713 :
中学生:2009/11/18(水) 08:03:23 ID:eICRhRNm
捕虜になって小田原に連れて行かれたしまった北条の妻子達は、
その後どうなったのですか?
このスレも今週で終わりですか?
>>711 そして現代
八王子にオカルト番組のスタッフがやって来た
地元民に何かオカルトスポットがないかと尋ねると
「八王子城址なんて幽霊出そうな場所ですよね」と答える
そして何の言い伝えもなかったその場所を心霊スポットとしてでっち上げ紹介
以来、八王子城址は八王子屈指の心霊スポットと化したのである
715 :
八王子市民:2009/11/18(水) 09:43:59 ID:eICRhRNm
地元民の思いが作った伝説。
八王子城址を守る為、
八王子城を荒らされないよう人を近ずづけ無いよう、
北条の遺臣、地元領民達が流布しました。
実際肝試しに来る人達に荒らされて苦情が出ています。
花火の燃えカスや食べ残しが散らばっている事が有ります。
オカルト番組の撮影は断っているようです。
716 :
八王子市民:2009/11/18(水) 09:54:50 ID:eICRhRNm
現代の八王子で人気のオカルトスポットは、
あの事件の有った「旧小峰トンネル」です。
717 :
八王子市民:2009/11/18(水) 09:57:38 ID:eICRhRNm
道了堂跡も。
718 :
日曜8時の名無しさん:2009/11/18(水) 10:07:53 ID:eICRhRNm
そうそう!
八王子城に肝試し来るアベックを狙った強姦集団が出没したしそうです。
719 :
日曜8時の名無しさん:2009/11/18(水) 13:15:58 ID:PbMUvcnn
やっぱさ
四公六民の善政をやっていた北条こそ大河の主役にすべきであって
零細作物まで生産者から取り上げて藩の歳入にして自分の手柄にしていた直江は
悪役にすべきだよな
720 :
日曜8時の名無しさん:2009/11/18(水) 14:45:40 ID:nw97M7Ee
>>711 謙信時代の小田原城攻めた時、八王子城は素通りしたのか?…でも謙信は関東官領だからその大義から北条とぶつかるのは必然で、室町将軍をコケにする信長と同じ敵でわ?景勝・直江もその意志を継いだだけでわ?
721 :
日曜8時の名無しさん:2009/11/18(水) 14:58:00 ID:nw97M7Ee
↑謙信の時と違って大秀吉がバッグにいるから同じ敵でも相対的に北条を弱い者イジメしてる様に見えるから虐殺に見えるとか…敢えて伊達や島津…に見せしめとしての役目とか…
722 :
日曜8時の名無しさん:2009/11/18(水) 15:02:52 ID:eICRhRNm
本当の「負け組」を画くなら「小田原北条氏」でしたね...
岩倉織田家だろう
おそらくそういう意味の負け組がやりたかったのではないだろうけど、
小松脚本なら北条でよかった。最後は理不尽に攻められて滅亡と
書きやすいだろうし
725 :
日曜8時の名無しさん:2009/11/19(木) 21:03:21 ID:NGo9z7K2
描きたかったのは負け組じゃなくて、現代的な愛にあふれた義人直江兼続ですけどね
726 :
日曜8時の名無しさん:2009/11/20(金) 00:24:32 ID:8znSbItb
戦友と弟と元の仕事場を見捨てる程度の愛を描きたかったのですねww
わかります。
Subみたいなのが大河板にもいるんだな、
728 :
日曜8時の名無しさん:2009/11/20(金) 16:16:09 ID:1fA1g0Pm
SUB?
NHKのこと?
729 :
日曜8時の名無しさん:2009/11/23(月) 18:51:16 ID:Kb/ok7GA
終わりですか?
730 :
日曜8時の名無しさん:2009/11/24(火) 09:57:48 ID:gSUfnI3J
結局、虐殺魔では無いけれど、
謙信無き後の上杉は「義」だけでは生き残れなかった。
「義」だけでは生きて行けない苦悩とか画けば良かったのに…
愛は、元寇を沈めた伝説の有る「愛染明王」の愛。
まだギーギー言ってる奴が居る
一体直江の何が「義」なの?
>>731 もうしょうもないレスしか付かないうんこスレなんだから無理すんな
733 :
日曜8時の名無しさん:2009/11/25(水) 22:34:50 ID:WhfFx1vW
史実の直江ってさ
景勝のダークな部分を担った人なんじゃないか?
謙信を殺したのも直江って説もあるし
直江家当主やら狩野やら
直江に都合のいいように次々と人が死んでんだよな
直江の前半生が分かってないのも
ダーク場部分として記録から消されたんじゃないか
734 :
日曜8時の名無しさん:2009/11/27(金) 00:27:19 ID:vfEkOQ+r
記録がほとんどないのは、わざわざ残すほどの人物じゃなかっただけのような
記録が少ないから
後世の小説家どもが愛だの義だのって
無いことをとってつけるに都合が良かったんだろう
そもそも上杉家の記録は当然上杉当主周辺の記録しか載ってないんで
景勝が当主になるまで景勝家臣の人物は殆ど記録がない。
まあ栗林だの深沢だの上田長尾系家臣でも筆頭クラスになれば
少年時代の景勝の補佐役として謙信の文書にも時々名前が出てくるが。
よって景勝に仕えていた樋口家は景勝が当主となる御館の乱終了まで
殆ど記録が残ってないのも仕方ない。
樋口家はそれでも綾姫が政景に嫁ぐ折りに
上田長尾側からの出迎えの家臣として名前が出てくるのでマシな方。
ネット情報しかないのに虐殺魔だの奸臣だのにしたがってる
だけだから、マジレスするだけ無駄だよ。
738 :
日曜8時の名無しさん:2009/11/29(日) 22:15:52 ID:x7PVBZWw
ネット情報も何も
直江が畑谷で「撫で斬りしました」って書いてる手紙
そのものが現存してるのですが、それでもだめなのでつか?
引き続き、釣りに参加してきた
741 :
日曜8時の名無しさん:2009/11/30(月) 08:36:50 ID:wCMAmdSl
同じ事繰り返すだけもう沢山!
直江状を書かされた(書いた)人と言う事で終わりにしましょう。
742 :
日曜8時の名無しさん:2009/11/30(月) 10:25:16 ID:oUAflauc
趣味は複数持ちましょう。無益な戰はもうまっぴらじゃ!
743 :
日曜8時の名無しさん:2009/12/03(木) 12:59:34 ID:o2q+1H5t
つうかこんな変な武将を信奉して、
公共のお金で宣伝すべく運動した米沢人ってのが
悪の根元で、どうしようもない変態集団なんじゃね
スレ主が必死過ぎる
745 :
日曜8時の名無しさん:2009/12/03(木) 22:10:14 ID:1sjtm49W
746 :
日曜8時の名無しさん:2009/12/03(木) 23:02:19 ID:Fz8DDfeW
肛門とかも一村撫で斬りなんてやってる。
747 :
日曜8時の名無しさん:2009/12/03(木) 23:18:03 ID:vy6KduNg
戦国時代の武将なんて偉人なんて呼べる人は本来いない
みんなおおかれすなかれ人殺してなんぼだったんだから
>>745 空け逃げってことはつまり戦闘行為一切無し、
最上側は全員退避済みのはずだが…
敵が来ること承知で守る気もないのに一般庶民置いていったのか。
そりゃひでえ。
一般庶民置いていったなんてどこにも書いてないが。
敵に打撃を与えるために領民避難済みの村や畑を焼き払うのは
攻める側も守る側もよくやるよ。
空け逃げだったとはっきり書いてあるんだから畑野城攻めで城兵500が討たれ
それから14日にいたるまで途中戦闘は起きてないとみるべき。
750 :
日曜8時の名無しさん:2009/12/04(金) 09:10:40 ID:bJb5TiaW
明け逃げしたのは簗沢の城の兵士であって
村々には人々は居ただろう
戦闘は無くとも殺戮はあっただろうな
751 :
日曜8時の名無しさん:2009/12/04(金) 09:43:20 ID:mY1KeoPX
敵地の村に放火することが異例なことのように語る無知な
>>1
村々に居た老人などは逃げられずに焼死しただろう
直江はやっぱり残忍な虐殺魔だよ
なのに秀吉や家康にはおもえめでたいんだよね
強きを助け弱きをくじく人、って感じ
さすが守る気もないのに領民を敵兵の前に差し出すのが得意な最上。
相変わらずこれで領民が殺されてたら恥なのは直江じゃなくて最上じゃんって
シチュエーションばかり無理矢理設定するんだね。
安全確保と打撃のために制圧する際周辺の村落や田畑を焼き払うのは一般的だし
そういう時代だから普通戦えないために残ってるような村人は
戦争が始まった時に山の中に避難させるもんなのに。
合戦を農民が弁当持って見物するくらい戦争がありふれた時代に
敵に攻め込まれて近くの城が落ちた時
わしはこの家と一緒に死ぬんじゃーここをうごかんぞーみたいな人がいたんだろうかね。
あ、それとも数日前から敵がやってくることが分かってるような場所で
逃げられないような奴は死ねって方針を取ってたという話かな。
空け逃げなんて書いてある話を堂々と持ってきて虐殺とか笑える。
直江は少ない時間で山の中まで捜索して動く者みな殺して回ったという
史料を探せばいいのに。
>>751 ここにもドラマの設定と史実を混同している人間が・・・。
このスレは、尾張の殿様ファンが水戸黄門ばかり有名になるのに腹を立て、
「水戸黄門が漫遊した証拠出せよ!!」と息巻いているようものだな。
757 :
日曜8時の名無しさん:2009/12/05(土) 19:38:02 ID:97HvwqIY
>>755 >村落や田畑を焼き払うのは一般的だし
何を根拠に一般的って言ってんの?
>合戦を農民が弁当持って見物するくらい戦争がありふれた時代に
それこそ撫で斬りや村々の放火が一般的ではない証拠だろう
直江の殺戮行為が当時としても異常だったということだ
>空け逃げなんて書いてある話を堂々と持ってきて虐殺とか笑える。
>直江は少ない時間で山の中まで捜索して動く者みな殺して回ったという史料を探せばいいのに。
明け逃げは簗沢の城であって、村々を襲った事とは別
捜索して回らなくとも殺戮は殺戮、虐殺は虐殺
あたしが言ってるんだから一般的に決まってる
って言ってんだよ
敵領に侵入したら農作物の刈り取り、焼き打ち、その他略奪はよくあること。
直江が嫌いなのはよく分かったから、農民視点の戦国時代研究書を読むといい。
じゃあ愛だの義だの言わないで、
「利」「欲」「奪」「虐」とかかかげれれば叩かれないですんだのに
仙台人の前で結構直江好きって言ったら鼻の穴に五円玉詰められた
762 :
日曜8時の名無しさん:2009/12/06(日) 01:12:19 ID:bnFdK9aE
五円玉の穴から息出来るからいいだろw
実際に研究書読んでみたらいいのに。
村や田畑の焼き払いなんか戦国はもちろん幕末まででも
戦が起きれば頻繁に出てくるよ?
やってない兵士なんかまずいない。
そもそも現実的に、敵の潜む場所になるから放っておいたら危なくて仕方ない。
戦国時代はどんだけお花畑な戦いだったと思ってるんだろう。
764 :
日曜8時の名無しさん:2009/12/06(日) 08:19:21 ID:1yCDRfxQ
義とか愛とか語る奴が一番胡散臭いのは古今東西の常だよな
765 :
日曜8時の名無しさん:2009/12/06(日) 09:17:46 ID:Ux0adMfE
てか
実物は義だの愛だの語ってないし。
むしろ当時の感覚で「愛」といったら
欲望のままに!
殺しつくせ!犯しつくせ!奪いつくせ!
の方が正しいんじゃね?
>>1が戦国板から逃亡して大河板にこんなスレ立てるから、大河を真に
受けて相変わらず愛を現代的な意味にとらえてるアンチがいるな。
軍神の名前が羅列されている景勝の兜と造りが似ているから、直江の愛も
愛宕権現か愛染明王の意味でほぼ確実。しかも直江の兜は上杉家当主の兜の
特徴を有していて、最初から直江のものなのではなく、当初は景勝あたり
が使用したものだろうとされている。
ドラマや小説の読みすぎには注意しましょう
所詮二次創作です
768 :
日曜8時の名無しさん:2009/12/08(火) 11:41:07 ID:v1B0mslZ
愛と義の総合失調症
769 :
日曜8時の名無しさん:2009/12/10(木) 17:23:24 ID:AdYXyo72
おわり?
大河も終わったことだし、戦国版に行ったらどうよ
戦国系板だと兼続は○ブというKittyに荒されるけどね。ここもあまり変わらないけれど。
まあせめてこのスレぐらいは使い切ろうぜ
新しい話題ないの?
ループ話題しかないこのスレに新話題なんかあるわけない
片桐先生の講義の第三弾
報告マダ〜?
776 :
日曜8時の名無しさん:2009/12/12(土) 11:43:35 ID:cKUJHFfz
古川に兼続子孫の墓
謎の人物直江兼康
郷土史家「大名並みの地位」
米沢直江会「隠し子の可能性も」
大崎市古川下中目の萬年寺(ばんねんじ)に、直江兼続の子とされる人物か
ら続く直江一族の墓があることが分かった。石碑には、一族の初代の名は「直
江山城守兼続嫡子肥前守兼康」と記されており、この兼康が戦国時代から江戸
時代初期にかけて上杉家の家老をした兼続の子とすれば、これまでの通説を覆
す発見になる。
墓は高さ約1・5bで、正面に「直江家之墓」と刻まれているほか、脇の石
碑には、兼康をはじめ江戸から昭和にかけての直江一族43人の生前の名や戒名
、死亡年月日などが記されている。
それによると、兼康が死去したのは正保3(1646)年10月21日。兼続が
60歳で死去した元和5(1620)年の26年後に当たる。戒名は「松覺院丹光
壽榮大禪定門」。郷土史家によると、院≠竍大≠フ文字から相当地位が高
かった人とみられるという。
墓を管理している子孫は10年前に古川から引っ越し、現在は茨城県で暮らし
ている。直江一家と交流があった農業、加藤憲治さん(60)=大崎市古川下中
目=によると、1987年に墓を建て直した際、以前の石碑に記されていた名
前などをそのまま書き写したという。墓以外には情報がなく、詳しいことは分
かっていない。
さらに、大崎市松山下伊場野の別の直江家にも、祖先のものとされる弓など
が残されていたといい、世帯主の男性(68)は「昭和初期に下伊場野に引っ越
す前は中目に家があった。我が家こそが兼続ゆかりの家かもしれない」と話し
ている。
通説では、兼続は長男・景明のほかに2人の養子を迎えたが、景明は20歳前
後に病死、養子2人も縁組を解消したため、直江家は断絶したとされる。仮に
兼続に別の男子がいたとしても、米沢藩の重鎮の一族が要職にも就かず大崎地
方に住んでいたのは不可解だ。
これらについて、米沢直江会の小山田信一会長(80)=山形県米沢市=は「
徳島県にも兼続直系とみられる一族がおり、兼続に隠し子がいた可能性がある
」と指摘。大崎地方にいた点については「茂庭家との関係でかくまわれていた
のでは」と推測している。
茂庭家は、1600年の関ケ原の戦いに連動して兼続率いる上杉家が最上領
内に侵攻した際、伊達家の援軍として逆に上杉領内に攻め込んでいる。松山領
主になる前は伊達家などとともに米沢に住んでいた。兼続が1598年から米
沢を所領していたことからも、両家に敵味方を越えた関係があった可能性もあ
る。
ただ、兼康の墓がある萬年寺は、茂庭家より前に松山を所領していた遠藤家
の菩提寺。400年前の点と点を結ぶにはさらなる解析が必要になりそうだ。
郷土史に詳しい茂庭家菩提寺「石雲寺」の前住職、宮本亨一さん(76)は「
生前の名前や戒名を見る限り、(兼康は)大名並みの地位だったことが分かる
。なにか身を隠さなければいけない理由でもあったのではないか」と話してい
る。
(2009年11月11日付 大崎タイムス)
777 :
日曜8時の名無しさん:2009/12/13(日) 07:19:48 ID:h6VLDfW9
>>776 直江家断絶が懲罰だった。
だから子孫は他家にかくまわれた、ということだろう。
金だけは持ち逃げしたから他家で食客になれた。
Subの妄想は相変わらずだな。
でもさ、そう考えた方が自然な感じがするな
他家に居るってことは上杉に居れなくなったとしか考えようがないし
まず子孫の話が本当なのか疑うべきじゃないのか?
関ヶ原時の判断も直江のせいではなく、懲罰で断絶させられる理由はない。
米沢では奸臣扱いされていたというのも軍記物による俗説に過ぎず、
正史では普通に功臣として描かれている。
江戸時代直江は有名だったし
有名人物の嘘子孫なんかいっぱいいるからな。
大体懲罰的に断絶させられたのなら他家において大名級の扱いというのもないない。
他家で有力家老クラスだったのなら、その他家に出た時点で
本家が力を持っていた証拠。
記憶違いかもしれないけど、米沢に伝わる資料の中に、
兼明死後再び養子をとったけど、その子も死んでしまったと書いてあったような。
県史かなんかの資料編に載せられた記録だったけど、
兼続の伝記本には全く書かれてないから間違いなのかなあ。
少なくとも兼続は景明生存中は、直江家を断絶させるなんてさらさら考えてなかったみたいだし。
政重の存在も、景明廃嫡というより直江体制の維持、強化のため、とする研究家もいる。
前田にいった本庄の息子を景勝が戻らせようとしたのは、
もしかしてかつて養子に行ってた直江を継がせようとしたのかも。
直江家を断絶させると決断したのは、お船かもしれない。
子供死にすぎだよ。そんなに死ぬもんなの?
隠し子については裏付け史料がまたいくつか見つかるといいな。
確実な史料で夭折したとはっきりしてるのは、景明と娘一人だろ。
兼続の隠し子っていうことは、直江家の血をひいていないことになるな。
確かお船って「北条政子」のようだと言われてたんだろ。
北条政子といえば、女傑だったのかもしれないけど、非常に嫉妬深く、
頼朝の愛人の家をぶっ壊させたり、隠し子たちを次々出家させた人として有名じゃん。
785 :
日曜8時の名無しさん:2009/12/15(火) 17:43:42 ID:fQui6EVr
天地人は戦国時代を画いたのではなく、
愛と義の「折伏宗教」画いたとのだと思う。
786 :
日曜8時の名無しさん:2009/12/20(日) 12:28:14 ID:mACtHowx
直江兼康の位牌見つかる
子孫提供、「兼続嫡子」と明記
大崎存続説の裏付けか
直江兼続の子とされる「直江兼康」の位牌が現存していたことがこのほど、
宮城県大崎市古川の直江家子孫が提供した写真などで分かった。仏教関係者に
よると、大きさなどから相当地位が高い人のものとみられるという。古川の墓
地にある石碑と戒名や生前の名前も一致していて、兼続の子孫が大崎地方で存
続していたという説の信憑性を高める証拠のひとつになりそうだ。
位牌の写真を当社に提供したのは、埼玉県ふじみ野市在住の内池(旧姓・直
江)弘子さん(62)=古川市下中目出身=。見えにくい部分があるが、表には
「松覺院丹光壽榮大禪定門」、裏には「直江山城守兼続嫡子 肥前守兼康 正
保三年十(一の可能性も)月廿(二十の意)一日」と記されているようだ。
内池さんによると、位牌は高さ約60aで全面うるし塗り。生まれたときには
すでに下中目の実家にあり、父らから「殿様のものだから大事にするように」
と言い伝えられた。兼続ブームが起こり始めた2年ほど前に撮影し、現物は現
在、茨城県在住の義姉が大切に保管しているという。内池さんは「最初は歴史
に興味がなかったけど、新聞にも取り上げられて自分の祖先がどんな人だった
のか興味がわいてきた。真相の究明につながれば」と期待を込める。
大崎市松山の石雲寺前住職、宮本亨一さん(76)によると、位牌の高さは20
a前後が一般的で、これほど大きいものは珍しいという。台座には装飾が何層
にも施されており、宮本さんは「相当地位が高い人のもののようだ。(大崎の)
直江家の家柄を証明する大きな手がかりになるのでは」と分析している。
内池さんによると、生家には位牌のほかに家系図のような巻き物もあったが、
現在、所在は分かっていないという。
下中目の直江家は10年ほど前に引っ越し、現在は近くにある萬年寺に墓が残さ
れている。墓には、兼康をはじめ43人の生前の名や戒名、死亡年月日などが記さ
れている。
通説では、兼続(1560−1619)には長男・景明のほかに2人の養子がいたが、
景明は20歳前後で死去。養子2人も縁組を解消したため、直江家は断絶したとさ
れている。兼康が死去したのは兼続死去の約20年後で時代背景は合うが、2人を
結び付けるにはさらなる解析が必要になりそうだ。
【写真】
直江兼康とされる人物の位牌(内池さん提供)
(2009.11.28 大崎タイムス)
787 :
日曜8時の名無しさん:2010/01/06(水) 17:02:22 ID:PJrZYdD5
新年です。
788 :
日曜8時の名無しさん:2010/01/18(月) 10:56:38 ID:a6xGJxza
@日本で最初の図書館(誰でも書物を見れる寺)禅林文庫を造った 。興譲館や各地藩校が出来る実に200年以上も前。
A直江版と呼ばれる日本で最初の印刷本(銅活字)を造った 。全61巻、国宝:禅林文庫に所蔵。
B蛮天連教令後も景勝とキリシタン(信教の自由)を保護。「米沢藩領に切支丹これなく候」との幕府宛書状。定勝期に転換。
C最上川上流で暴れ川で有名な松川に石堤を作り洪水防止。庶民生活の安寧を図り、 表石30万石を約15年で実石高51万石まで引き上げることに成功(米沢は四方を山に囲まれ平地が少なく開墾には不向きだが他藩に先駆け実行)。
紅花、青苧、楮、ウコギ等商品作物栽培を奨励し鉱山開発を行い、家臣召し放たず、藩財政を潤した。半米半金税(半分が米半分は紅花等商品作物で納める:日本初)を敷き商品作物栽培奨励。
例えば紅花は山形藩(河北町)や仙台藩(村田町等)まで普及し、他藩財政を潤した。兼続死後その政策は無視されたが、約200年後に鷹山が兼続政策を自ら実践・政策実行し有名となった。
D朝鮮出兵で、貴重な論語や漢詩等を持ち帰り禅林文庫に収めた(他の武将から「馬の肥しにもなるまいに」と言われ「頭の肥やしに為り申す」と答えたと言う:まさに傾奇者)。
E直江家の婿になり、いとこのお船と結婚(生まれた子供は早死) 側室も持たず、春日山林泉寺には、戦国武将の墓として珍しく、夫婦全く同じ大きさの墓が並ぶ。
F武田から菊姫を景勝の妻を迎えることに成功、武田家血筋も残すことに尽力(六男信清の子孫が今も米沢に在住)。
G伊達家存続に尽力(伊達政宗に小田原早期参陣を促す書状何通か現存(仙台市博物館他)佐竹等への対策で上杉領上野を通過させた)。
H直江状(会津転封まもなく、公共工事等で内政忙しい。謀反など全くないことを説明(上杉家として一戦も辞せずとの考えはあり、謙信の二十三回忌で諸将に対決方針を確認)。
豊臣(家康)衆は、経済発展のための道路建設事業等まで「戦いの準備」ととらえた。上杉ならずとも反論したくなりますわな。
I兼続自ら約500の兵で殿を務めた最上領からの電撃撤退作戦。
撤退路は狐越街道という難所だが成功。その相懸引き作戦は旧日本陸軍「日本戦史」でも取り上げられ撤退戦の手本となった。
敵将最上義光曰く「直江は古今無双の兵(つわもの)なり」と。家康も「聞き及びしより、いや増しの武功の者」と賞賛。
J戦争抑止力としての鉄砲を重視、東北の地で初めて鉄砲製造を行った。約1,000丁と言われる。鉄砲の撃ち方指南書(1604年 鉄砲稽古定)を書いた。
今福・鴫野の戦い。上杉軍約五千で大野治長・後藤又兵衛(負傷)軍2万数千を打ち破り、大阪城に撤退させることに成功。
L数々の漢詩(例:1599年の「春雁、花に背いて帰る」の詩には豊臣からの誘いを断って会津に帰る決心が読み取れる。亀岡文殊堂1602年初詣詩会で奉納した「元日」の短冊には、つつがなく新年を迎えた人々を見て安堵する兼続の姿が浮かぶ)。
M1604年、四季農戒書(養子の本多政重が加賀藩へ行ったため、加賀藩に残っている)商品作物の奨励と仕事を楽しくするための心得等。
N米沢と庄内を繋ぐ「朝日軍道」を引いた(天地人のオープニングに流れた雪山行軍は「朝日軍道」を彷彿とさせる)。
O神指城建設事業←若松城では城下が手狭。小田山からの攻撃に弱い面を見抜き(270年後の戊辰戦争で兼続が懸念が露呈)。平地に城下を大規模(若松の約2倍)にし道路も整備。経済発展を工夫。完成した神指城、見てみたかった。
P上杉の人質となった真田信繁を謙信の景虎に対するが如く、侍従として丁重に扱い、「義」の精神を伝授。第一次上田合戦では上田城防衛のため上杉軍の援軍を入れ、また「軒猿」と呼ばれる忍者を使い、徳川軍を翻弄。
R世襲制限を自ら実践し、直江家の録を返上し断絶させた。
S会津⇒米沢へ、堀立小屋しかなかった小さな城下町へ三万人の上杉軍を無事生活できるよう手配し町割。 その頃から景勝は「御館様」直江は「大旦那」と呼ばれていた。
農村や神社仏閣を積極的に回り、地主や農民の意見を聞いていたという(宮内の熊野大社に直江山城守名が刻まれた寄進の短冊現存、亀岡文殊堂等にもあり)。
21徳川秀忠に藤原惺窩と朱子学を紹介。道徳や愛、義等の政治がいかに大切かを説き、幕府の正教として朱子学を導入することに成功。
藤原惺窩は幕府に入ることを拒否。弟子の林羅山を紹介した。
直江山城守の業績はまだまだあれど、疲れたので止めます。
転痴ナントカ終わったんだからさ
コピペ釣りみたいのやめれ
目障り
790 :
日曜8時の名無しさん:2010/01/19(火) 09:22:26 ID:k0EYO/pC
その天地人だけど、NHKと小松先生には、もっと直江山城守兼続がどんな人だったかを十分研究してからドラマを作ってほしかった。
自分への利と得、まして生と死までも超越した生き方をした所に彼の本当の魅力がある。
791 :
日曜8時の名無しさん:2010/01/19(火) 09:27:01 ID:k0EYO/pC
>>786 宮城県塩釜市にも直江の子孫だって言う店の看板があった(松島行く途中、たしか蒲鉾屋だったか)。
やっぱり、伊達政宗は小田原参陣で直江に感謝してたから、隠し子を匿ってたとかあるのかな?
792 :
日曜8時の名無しさん:2010/01/23(土) 21:02:38 ID:xH9Ust+J
>>790 >充分研究してからドラマ作ったら、それこそ虐殺ホラー映画になってたろ
自分の利のために生き、生に執着して生きたようにしか見えないがw
直江の子孫は米沢には居られなかった
やはり直江家断絶は藩による罰だったか、あるいは直江自身が家中総スカンだったかなんだろうね
795 :
日曜8時の名無しさん:2010/01/28(木) 11:11:58 ID:k0cdDuYy
虐殺ホラーとはなんだ!
796 :
日曜8時の名無しさん:2010/01/28(木) 11:15:14 ID:k0cdDuYy
「生と死までも超越した生き方」ってなんですか?
邪教の屁理屈?みたい。
>>792 戦争なんて虐殺当り前だろ
そんな事どうでもいいわww
一向一揆なんて一般市民とは言わん
799 :
日曜8時の名無しさん:2010/01/29(金) 08:25:30 ID:WYkpxjI6
そう!戦争なんて虐殺当り前。
戦争はすべての民をも巻き込む。
だから「愛」とか「義」とか言うな!
俺は言った覚えが無い。
800 :
総合失調症男:2010/01/29(金) 08:38:31 ID:WYkpxjI6
虐殺当り前の世を終わらせた家康こそ「愛と義」の人。
潰すより上杉を取り込んだ方が良いと判断した家康は賢い。
愛と義の折伏はもうこりごり。
草加せんべいでも食ってろ!
大坂のゲルニカ
>>796 お家断絶喰らって子孫が米沢に居たたまれなくなる生き方が
「生と死までも超越した生き方」なんでしょうかね?w
家を継げる子孫がいないからお家断絶を選んだ訳で発想が逆。
804 :
日曜8時の名無しさん:2010/02/01(月) 13:34:30 ID:mNX5tx3M
お家断絶しか選べなかった?
sage知らないの?
806 :
日曜8時の名無しさん:2010/02/04(木) 23:26:06 ID:NHDQq1xo
他のスレでも散々指摘されてるけど
兼康なんて名前からして兼続の息子かどうか怪しいよ。
兼続の息子なら当時では考えられない名前。
808 :
日曜8時の名無しさん:2010/02/21(日) 00:46:53 ID:wZM8KPzo
慶次の親友の直江兼続が虐殺などするはずが無い!
なんだこの糞スレは!
809 :
日曜8時の名無しさん:2010/02/21(日) 21:02:38 ID:rf3eQN0Q
つうかその前田からして畑谷で虐殺してるわけだが
ああでも前田のは戦闘行為か
その後の直江のは虐殺だが
808と809は自演だろ
かねたんはぎゃくさつまでつ
812 :
日曜8時の名無しさん:2010/02/28(日) 13:16:30 ID:RfEi3uMM
あまり無知なブログから転載しないほうがいいぞ。
いつもだけど突っ込み所が満載だ
ああ、虐殺の反証になっちゃってる
「中秋の名月見るためにお団子作ってたら
直江軍の兵士が来てお団子奪っちゃったよウワーン」って
民話ねw
>>813 だったら遠慮せずどんどん突っ込んでくれ
このスレは真実を求めてるだろ
>>814 命奪えなくて逃げられたから食物奪ったんだろ。
で、何ら反証にならんだろ
>>815 自分のブログすか?
・江戸時代に作られた直江状
・畑谷城撫で斬り(これで上泉主水が「上杉に義なし、城州に謀られて
酷い所に仕えてしまった」と絶望
・(本多政重を婿にしようとして「本多佐渡がそんなに怖いか」と)弟に
逐電された(上に弟の娘を養女に、本多政重を婿として絶縁宣言される
)話、没後回忌毎に参列者が激減。荒れた墓所を復興させたのが上杉鷹山
・着陣初日に夜襲された件・退却時に錯乱した件(共に「城州錯乱」とある
このへんは明らかな誤りか思い込み、ソース不明なもの。
直江状は完全な偽書だという説を支持する研究者はほとんどいない。
長谷堂合戦でも着陣当日に戦闘は起きていない。
上泉が激怒したというのも軍記物の創作。
>>814はそういう民話が残ってるのに虐殺の伝説が残ってないことが疑問だと
いう意味だろ。新事実でもなく、前から言われてることだが。
ちなみに上泉が軍記物の中で怒ったのは畑谷云々ではなく、
的外れな撤退提案を退けられたから。
ブログの人の言う「ひどい所に仕えてしまった」とかぼやく
割に子孫は直江系の与板衆の中で重きをなしてるんだが。
818 :
日曜8時の名無しさん:2010/03/03(水) 23:44:45 ID:kUWM5h2H
>>812 わずか15日間の食糧も持たずに直江は戦いに出た訳ですね。
てか、そんなことあるかいな?
直江アンチって、、、バカ?
虐殺・略奪は戦争の常ですよ
820 :
日曜8時の名無しさん:2010/03/04(木) 19:39:47 ID:5Nxko2OJ
>>818 食糧を持って出たが、
予想外の苦戦で先陣が長引き不足して略奪したってことだろ
そのくらい思いつけ。バカさらしage
821 :
日曜8時の名無しさん:2010/03/04(木) 20:47:35 ID:nVIeJM6L
伊達政宗を悪者にしやがって!
戦内容と出陣日時を見る限り全然長引いてない件。
823 :
日曜8時の名無しさん:2010/03/05(金) 20:46:38 ID:YCiCHoau
>>817 また直江ファンのデタラメだな
上泉は与板衆でもなんでもない
その子孫は上杉家中で重きをなしているだけ
上泉の撤退案は結果的に妥当だろ
畑谷程度の小城落とすのに敵数百人を虐殺し
味方も千人以上の犠牲者を出して、
さらに長谷堂でも郭一つ落とせてないワケだから
上泉の子は大坂の陣で戦死。その子供はいない。
与板系の志駄修理の子が家督を継ぐ。
>>823 畑谷では五百人くらい斬られたんだろうけど
どこに虐殺って書いてるの?千人以上も犠牲
を出した割に一日で落ちてるのはなぜ?軍記
物をそのまま信じてるのか?長谷堂は上杉方
から攻めてないって知ってる?
直江の撤退戦だって、軍記物では千五百人と
か戦死者が出たことになってるけど、一次史
料では百人とかなんだぞ。
無知なのにageられる勇気は認めるぞ。
大河終わったのにスレまだやってんだ
直江って内心は政宗に憧れていたんじゃないの
金貨投げつけたりしたみたいだけど
本心は憧れていて真似してみたくてつい撫で斬りやっちゃったんだ
>>816
に引用されている上泉の件について。
このことは江戸時代初期(1680年)の上杉側の軍記「会津陣物語」では、
上泉が「山形城を攻める際は慎重に行うように」と提案した時、
直江だけでなく杉原、松本、春日、芋川といった武将達も共に
「それは勇士の考えることではない」と笑ったので、上泉は恥じて
討ち死にの覚悟をしたことになっている。
それが1725年の「関原軍記大成」では、一説としてだが、
直江一人が嘲笑ったことになっている。それに続けて編者の宮川尚古は
わざわざ「直江はそんなことを言って上泉を辱めるような者ではない」と書いて、
直江をかばっている。
この二つしか知らないけど、たぶん他にもたくさんバリエーションが
あって、中には直江を全くの悪者にしているのもあるんだろうな。
>>826 軍記物での上泉の進言は全く必然性がないんだよな。
あそこで撤退の進言なんて上杉家の戦略を理解できていない
ことになり、あり得ない。おまけに会津陣物語では、なぜか
上方の戦いが短期決戦で終わることを予測した上で進言しているw
会津陣物語で、水原も「あいつ増長して俺の言うことを聞かない」と
直江批判をしているけど、それにも宮川は「信憑性がない。そんな独
り言誰が聞いたんだよw」。
水原は畑谷は捨てて山形を目指せと進言したが、直江が却下。
最前線の畑谷放置していたら包囲される形になるわけで、却下は当然。
そもそもこんな阿呆な進言をするわけがない。
そんな直江を有能だけど奸臣に描いた「会津陣物語」でも、虐殺魔には
されていない件。
829 :
日曜8時の名無しさん:2010/03/09(火) 18:43:52 ID:ed4KuA5A
つうか最上攻めの戦略そのものが間違ってんじゃないの
家康の圧勝という想定内の事象ごときで撤退するなら
沢山の人を撫で斬りしてまで進軍するな、と言いたい
つまり直江にとって人命はそれほど軽いわけだ
やっぱ直江は虐殺魔の鬼畜だよ
>>829 最上攻めの目的をどうとらえているの?
家康の短期間での圧勝が最初から分かっていたとは、
これまた新説です。
上泉の気持ちはわかるけどね
最初から分かってた、とまで行かなくとも
東西の主力決戦は当然想定される
そうなると二つに一つ、三つに一つぐらいは家康の勝利がありうる
そうなると最上攻めの戦果は無に帰してしまう
多くの人を虐殺してまで進軍する直江を諌めたくなった、ということでしょうな
家康の勝利を考えていた人物は多数いても
数日も持たずに決着すると考えた人物はいないと思うが。
家康も含めてな。
上杉の最上攻めもその観点に立った物。
家康が勝とうが負けようが、戦が長引きさえすれば良かった。
上泉の撤退進言は実際にあったとするなら
「すぐに上方は家康によって治められる」という
当時誰も考えていなかったシナリオに立った物。
>>331 >多くの人を虐殺してまで進軍する直江を諌めたくなった、
ということでしょうな
何年も遅れた議論。畑谷の戦いを「虐殺」と呼ぶこと自体、史料上
では認められないが(むしろ美談になっている)、上泉は畑谷の戦
功を同僚に書き送ってるんだから、撤退進言が事実だったとしても、
原因はそこじゃない。
>>832 上泉の進言は逆で「西軍が勝てば最上も自ずと屈服する」というもの。
直江は最上攻めを西軍の全国的な戦略に乗るための前哨戦(最上か伊達
のどっちかを叩いて降伏させ、もう一方とは優位な条件で和睦する)と
してとらえているんだから、最上を屈服させること自体を目的にしてる
わけじゃない。だから上泉の進言が本当なら、彼は最上攻めの目的を把
握していないことになる。足軽頭でもあるまいし、あり得ない話。
要は軍記物作者による死亡フラグ。
834 :
日曜8時の名無しさん:2010/03/11(木) 20:38:14 ID:nBxnacoE
どっちにせよ
無駄な合戦やらかして
沢山の人々を殺したのが直江ってことですね
わかります
論破されてもそこに戻るのがアンチ
836 :
日曜8時の名無しさん:2010/03/14(日) 20:48:45 ID:Uk2HOz7R
>>833 畑谷の殺戮が美談になっている、って一体どこの誰なんですかw
殺戮だの虐殺だの騒いでるのは現代の一部の人間であって
基本的に江戸時代を通じて畑谷城の戦いは
城将江口が武士の意地を見せた見せ場という扱い。
直江を直接知っている藤原惺窩が直江を悪い奴だって言ってんだから
やっぱ悪人なんじゃね
藤原惺窩が留守中、隠棲する小早川隆景が訪問、不在を嘆いて去る。
次いで會津入封時の直江兼続が来て、残念がって去った。
帰って来た藤原惺窩、「直江を追う」と言うので弟子が「かねがね小早川様と親しいのに…」と問えば、
「小早川宰相は偏りのない御仁だ。書面でも意は通じ表裏なく、決して知人の心底を邪推なさらぬ。
但し直江城州は違う。あの御仁は必ず根に持って接する」と答える。
>>838 正確に言うと「藤原惺窩が直江を奸雄と評した逸話がある」だな。
しかもこの逸話を信じるならこの時、藤原は直江と初対面。
「直江と話してみたところ、人が言うように天下の奸雄であり、
器量も天下の英俊。天下が三つあれば二つまでも掌握する男だ。
だが、彼が大をなした時には自分は忌避される。小早川は一世の
君子なので自分を害することはない」
弟子の「なぜ直江を追ったか」との問いに、なぜか会ってみての
感想で返す不思議な藤原先生。
直江が「滅びそう家(豊臣)を支えるという考えはどうか」と尋
ねたのに対し、韓流好きで豊臣嫌いの先生はなにも答えず、あと
から「家康様に素直に従えばいいのに。豊臣なんかを助けて戦す
るなんて馬鹿じゃないの。民が苦しむし」と嘆息したという逸話
のほうがソースから見てもまだ信憑性があり、これに尾ひれがつ
いた逸話だろう。
840 :
日曜8時の名無しさん:2010/03/16(火) 10:08:46 ID:MXkTJGVs
841 :
日曜8時の名無しさん:2010/03/16(火) 18:44:08 ID:xS8H1y1W
藤原惺窩先生は学者なのに
「惺窩先生は男子にあらず」
直江のバカが炸裂してる話だとオモタw
「惺窩先生は男子にあらず」 は創作かと。
自分が見た本にはその直江の嘆息は載ってない。
「惺窩先生行状」は弟子がまとめたものであり、
惺窩の嘆息を聞いた弟子がいたとしても、その
あえて直江に返事しなかった惺窩の嘆息をなぜ
か聞くことができた直江の返事まで逸話にあっ
たら、余計信憑性があやしいものになる。
そもそも、いくら相手が野の学者だからって、
関ヶ原の1年以上も前にこんな最高機密(?)を話すかね?
それも諸侯と親交のある有名な学者だ。
学者ならバラさないとは限らないだろう。
うっかりチョロッとしゃべっちまったらどうする?と
直江でなくても思うだろう。
第一この時期はまだ徳川家と上杉家の関係は比較的よかった。
この頃から家康と敵対しようとしていたかどうかは
わからないんだが。
アンチはネットに書いてあることから揚げ足とっていくしかないからなぁ
845 :
日曜8時の名無しさん:2010/03/18(木) 17:01:12 ID:kvccxNZp
>>843 もっともだ。そんなヤツは生き残れないな
愛⇒愛染明王の頭文字。本能や煩悩を重視。
義⇒やくざ者の仁義。通用するのは身内だけ。
>>845 もっともだ。そんなバカな直江は御家断絶してるしな
>>843の意味を取り違えたアンチの自演がすごいな。
849 :
日曜8時の名無しさん:2010/03/28(日) 07:22:07 ID:nbnzmp06
逆薩摩 直江加熱具 定期上げ
少数派によるゲリラ活動になってきてるなw
>>850 まったくだ。少数派ゲリラによる歴史の事実を直視しない
無理な直江擁護もいい加減にしろ、って感じだ
最上厨が必死すぎる・・・
853 :
日曜8時の名無しさん:2010/04/11(日) 08:32:46 ID:MEAIyTl1
850、851
自演乙!!
かねつぐさま!
856 :
日曜8時の名無しさん:2010/05/22(土) 08:39:26 ID:QcNWCAkQ
>>841 惺窩の弟子が記している記述で直江が言ったとされてるのは「藤原惺窩は学者であって男児にあらず」でしょ。
文脈としてなにも、おかしくないと思うけど。
「絶継扶傾」は義か否か?の問答。
857 :
日曜8時の名無しさん:2010/05/22(土) 08:50:06 ID:QcNWCAkQ
直江状、豊臣政権内で専横の限りを尽くす徳川内府に対してのこの一節。
「この直江兼続、尋常にお相手いたす...。 参れ!!」
ですね。直江の「義」は。 慶次が漢惚れするのもわかる気がする。
858 :
日曜8時の名無しさん:2010/05/25(火) 20:06:37 ID:18D06Mt/
>>856 惺窩先生は男児にあらず
じゃあ、女だったわけですかw
860 :
日曜8時の名無しさん:2010/05/27(木) 21:35:43 ID:w6rXyzpb
861 :
日曜8時の名無しさん:2010/06/13(日) 11:40:09 ID:DXYei5y2
アンチが必死に「直江は虐殺魔だ」と煽る意図がわからん。
例えば、最上義光自身は最上斯波家伝の中で側近には「景虎勇武が未だに残りける。直江は古今無双の兵なり」と評価している。
少なくとも敵である最上側では、畑谷城落城での出来事を虐殺だとか酷いことをされたとかいう認識は資料上も無い様だし、直江を「虐殺魔」と思っている節も無い。
直江は景勝から預けられた大軍の安全を第一に考えて仕事(最上降伏作戦)を遂行する以上、後顧に憂いを残して(畑谷城に最上兵を残したまま)進軍はできなかったって所だろう。
アンチの唯一の虐殺魔だとする論拠である片桐校長(退職後、元最上歴史館館長)の説は、最上側に立ったもの。
(最上残党勢による藤島一揆を直江が弾圧した件とかは、武藤家を滅ぼしてやっと得た庄内を上杉に取り返された恨みみたいなものを感じる)。
862 :
日曜8時の名無しさん:2010/06/13(日) 11:47:51 ID:DXYei5y2
あと、同じく直江が虐殺したとされる佐渡の本間家に件だけど、実際には直江の手引きで上杉家家臣となり庄内(酒田)に領地を貰って、子孫が直江の奨励した紅花等の最上川水運で大豪商になったんじゃなかったっけ。
本間にも色々いるんだろ
抵抗してやられた人と降伏した人と
864 :
日曜8時の名無しさん:2010/06/13(日) 19:23:48 ID:rOeK/G1c
天地和合楽
君臣合躰楽
武運長久楽
子孫繁栄楽
所願成就楽 慶長弐拾年 正月朝日 重光 花押
元日
楊柳其賓花主人(葉の緑はお客様、その花は主人)
屠蘇挙盞祝元辰(おとそを挙げて、元日を祝う)
迎新送旧換桃符(新年を迎え、旧お札を換える)
万戸千門一様春(全ての家に一様に春が訪れている)
慶長七年二月二七日 直江山城守兼続
865 :
日曜8時の名無しさん:2010/06/13(日) 23:52:28 ID:wBxGgxIl
>>861 直江を擁護したいのはいいから、ageるな
このスレは常時sage進行だ
バカやろう間違って上げちまったじゃねえかよ
アンチの嫉妬スレなんだから放置しとけよ。
さあ、きょうも元気に虐殺虐殺♪
869 :
日曜8時の名無しさん:2010/06/18(金) 21:21:37 ID:5sEKdCE2
私としては、正義だの大義だのほざいてぐずぐずしているうちに、関東に南進する機会を逸し、最上領併呑を目論むが、最上山形侍従の硬軟両面を政略にはまり込み、大敗したという結果しか伝わって来ない。
直江は正義だのとほざいて関東に攻め込まなかったのではないし、
最上領をとろうと攻めたわけではないがな。
>>869 直江が正義だとか大義だとかってほざいた(言った)、なんて記述なんてあったっけ?
伝承では藤原惺窩へ「絶継扶傾」(斜陽になった豊臣を扶助するのは)は義ではないか?
と問答したぐらいだろう。
873 :
日曜8時の名無しさん:2010/06/26(土) 14:11:53 ID:Pi9BslYC
「継絶扶傾」の話が本当だとすれば、直江はこのまま行けば徳川の世になることを判ってたってこと?
だとすれば上杉家の維持拡大を図るには、前田利長のように徳川に味方するって選択をすべきだろうと思う。
景勝や直江にはにその辺りの狡猾さが足りなかったってことか。
徳川に味方するも何も徳川が上杉に敵対してきたんだから
選択も何もない。
徳川が上杉に敵対してくるという結果をもたらした
直江のそれ以前の行動・政策がバカだった、ということだ
バカだと言いたいだけで具体的な話はできないんだな。
それまでの行動だと、上杉と徳川は割と仲悪くなかったけど?
むしろ上杉と徳川が接近してるって毛利が不快感を表してる。
単に前田に喧嘩ふっかけたら前田がさっさと折れたから
次は上杉になっただけ。
つまり景勝と主従揃って器量も無いのに
秀吉におだてられて大大名になって五大老なんぞ勤めていたから
良くなかった訳ですね
具体的な話が出来ないのを更に暴露してどうする。
直江が器量があるかないかは
>>788 >>861 >>864 を見れば大凡判る。
山形県白鷹町に直江が日本で初めて組織的に紅花を栽培した農地が残ってるよ。
秀吉や景勝、石田らの信頼も尤も。
山形県花は紅花です。
直江さんの功績の一つですね。
紅花を定着させたのは最上なんだけどな
>>877 直江状の一節「北国肥前殿の儀、思召しのまま仰せ付けられたるの由、御威光浅からず候事。」
脅しには屈しません。と言外に匂わせた。
その直江状ってのも後世の捏造なんだってさ
直江状が捏造だとしたら、上杉討伐は何故決まったのでしょう?
増田長盛らが家康に言った「直江の所業は田舎者故の不調法」だからとして上杉討伐を諌止したというその不調法とは何だったのでしょう?
上杉景勝書状で直江状に酷似する書状が現存している他、山城状と呼ばれる直江状写が福島(旧上杉領)から出てきたり徳川方からもほぼ同様な書状が現存しておりますが何故?
非常に興味がありますのでお答えください。
今では直江状の本当の原文は不明だが
家康を怒らせる内容の書状が直江から承克宛に送られてるのは事実、
そして内容はおそらく今知られている直江状と
似たような文面だっただろう
(もしかしたら最後の挑発文だけは後世の付け足しかも)
っていうのが有力じゃね?
直江状が捏造とか言ってるのは単に物知らずなだけだろう。
>>886 >最後の挑発文だけは後世の付け足しかも)
後世の付け足しを捏造と言わないなら、一体何と言ったらいいんですか?w
つまりラスト2行以外の9mにも及ぶ手紙の9割9分は
史実と認めるんですね。
889 :
日曜8時の名無しさん:2010/07/17(土) 20:05:34 ID:753LvH1P
>>886 >内容はおそらく今知られている直江状と似たような文面だっただろう
ということは今知られている直江状と本物の直江状は似ているけど違う文面だった
→後世の誰かが書いた
→捏造と言わなかったら何なのさWWW
バカだねぇ 直江厨WWWW
>>889 上杉の捏造と言いたいんだろうけど、
実は関ヶ原軍記大成や大三川志などむしろ情報ソースが徳川寄りと
見られるもののほうが「追而書」がある。上杉御年譜や覚上公御書
集、よくアンチが捏造と騒ぐ東国太平記にもない。
実際、幕府に楯突いたことを上杉家がわざわざ捏造して強調する必
要はない。
現存する最古の直江状は徳川秀忠から越後の村上氏に送られたもの
の写しで1640年のもの。これには追而書がない。
諸大名に送った時点では追而書はないが、酒井家などで伝わってい
るものにはあるので、もともとはあった追而書が削除された可能性
を指摘する人もいる。
最近の研究で一致しているのは「直江状は直江と三成の共謀を否定
する過程で、根拠もなく偽書とされた」ということ。
いちいち駄レスに反応するなっつうのドアホが
age魔がスレageて喜ぶだけだろうっての
ageて無知をさらしただけだけどな。
>>889 >バカだねぇ 直江厨WWWW とは?
「直江状が実際存在したと判断する人=直江厨」とは限らない。
バカだねぇ アンチ直江WWWW。
前田は前田、上杉は上杉と前田と上杉は違う(脅しには屈しない)との覚悟を示したとされる「北国肥前殿の儀、思召しのまま仰せ付けられたるの由、御威光浅からず候事。」
この一節は、徳川方・上杉領内等から出てきている直江状(写)に共通している部分。
っていうか、追而書の有無(上杉領内から出ている写には無い)と写すときに書き間違ったと思われる「て・に・を・は」の部分以外はどの直江状(写)も共通してるよね。
ようするに家康に開戦の口実を与える
マヌケな手紙書いたのは真実ってことでいいワケですね
マヌケな直江状に高笑いし、「うまく誘いに乗ったぞ、上杉の馬鹿」と
会津に出陣したなら、その間に京都と大坂を西軍に奪われた家康のマヌ
ケぶりったらないな。
直江状、「漢」として魅力的じゃないですか。
ちなみにサラリーマンの私には絶対書けない。
現代の日本にもそういう政治家が出てこないものか?
世襲・保身・権力に走る政治家ばかり。
898 :
日曜8時の名無しさん:2010/07/20(火) 07:32:57 ID:XQTTJ3RH
家来の分際で、主家を危険にさらすケンカを売るっていかがなものか
直江もタダの上杉家のサラリーマンですよ
会社のこと考えないバカってだけ
当時の情勢や大名家の外交の基本について知らない
>>898は
どうして自分の無知をさらけ出したがるのか。
>>898 あなた直江状見てないね。
直江状では豊臣家へケンカなど売っていない。
ただ、上杉家謀反など無いという説明。
家康はそれを曲解して逆にケンカ売ったんじゃない。
ケンカを売られた上杉は前田のように土下座はしなかったってこと。
謙信公依頼の武門を大切にする上杉らしいじゃないの。
国家安康
君臣豊楽
と同じ手口。上杉家への言いがかりですよ。
902 :
日曜8時の名無しさん:2010/07/31(土) 15:36:58 ID:ADXCD5/6
903 :
日曜8時の名無しさん:2010/08/01(日) 10:08:16 ID:IJHrmUcf
NHK(小松)の描いたスウィーツ直江は偽物。
「利いた風な口を聞くなー!!」と老臣でさえも一喝する直江山城守が本物。
でなけりゃ気位ばかり高い上杉家家臣が石高1/4(録1/3)になってはついて行く訳無い。
⇒毛利輝元・吉川広家の様に隠居させられる筈。
一方、直江はその後平和が訪れた後にに素晴らしい政治(新田開発と治水事業、一次産業の振興(紅花・青芋)と米織などの二次産業の振興、日本最古の銅活字印刷本文選発行、禅林文庫(200年後の興譲館)の創設)を造り上げていった。
信念などサラサラない現代の政治家に爪の垢でも煎じて飲ませたいよね。
904 :
日曜8時の名無しさん:2010/08/01(日) 11:08:48 ID:IJHrmUcf
具体的には参議院選(関ヶ原)で敗北した管総理に言っているのだが。
直江や鷹山の政策での財政立て直しの場合「税金上げ」は一切やっていない。
産業振興政策の実施や半金半米制度による農家(家計)扶助政策により立て直している。
むしろ借金が多いからと一般民衆の税金上げた場合の方が歴史的には負のスパイラルを惹起し結果一揆発生等で惨憺たる結果になっている。
よって借金が多い⇒消費税上げとはならない。財務省の洗脳(財務大臣となった谷垣、与謝野も含む)等消費税上げ論者に、政治家を志した時の原点に戻ってほしい。
決して一般庶民の税金を上げるという安直な考えは無かった筈。
905 :
日曜8時の名無しさん:2010/08/01(日) 11:17:36 ID:IJHrmUcf
民主党で期待している一人、野田まで財務省に消費税上げで洗脳されないと良いが。
具体的には、例えば、PFIでの公共事業の実施による政府支出削減とか、直江だったらやりそう。
906 :
日曜8時の名無しさん:2010/08/03(火) 17:44:01 ID:pTg0Gcas
>>902 この赤坂大輔って人一体何者?何した人?
直江ブームの仕掛け人とか書いてるけど?
NHKに工作でもしたの?
教えてエロい人
>>902 ageるなら自分で読んでからにしろ。
これはほとんど小説の類で研究書ではない。
謙信は暗殺されたとか書いてる本だぞwww
908 :
日曜8時の名無しさん:2010/08/07(土) 11:33:38 ID:8gerl3MI
>>889 偽書の可能性が高いなんて言ってる奴は最近は全くいない。
元々偽書説を出してる奴なんて、たいして直江の研究もせず、単に「時の最高権力者である家康に、上杉の一家臣である直江ごときがこんな書状を書く訳が無い」という単純な理由で「無い」という結論ありきで構築した説であり、所詮無理がある。
「直江ごときがそんな書状を出せるなら、必ず上方との挟撃作戦があった筈、それが立証できない以上、直江状は偽書だ」という研究者とは思えない結論ありきからの直江状のあら捜し。
写しなんだから当然ちょっとした粗は当然あるはずだけどね。
これだけ各地(村上氏、酒井氏など大名家や上杉家臣の子孫等)からほぼ同様の写が出てきており、増田長盛の家康宛討伐諫止状などを見ても、無いと断言できる方がかなり難しい、と思う。
では何故原本が現存していないのか?原本は必ず家康・正信主従が見ている筈。
上杉は形上開戦の口火を切っている訳で、石田や安国寺らと並ぶ責任があるとも言える(責任が問える)立場にあった。
しかし、家康・正信は上杉を残したかった(それも景勝・直江主従のままで:そこが毛利や島津とも違う所:2家とも当主隠居)。
それには、直江の戦争責任の証拠になり得る「直江状」自体を正信は葬りたかったのでは?
故に、原本は本多(正信⇒正純)家が所蔵していたと考える。もしかしたら政重の加賀前田家にあるかも。
909 :
日曜8時の名無しさん:2010/08/21(土) 17:14:06 ID:KeA2wTir
虐殺説完全論破で終了かよ。
直江アンチのスレ主。情けなさ杉。
直江本人が「撫で斬りしました」って書き残しているのに
論破ってあんたww
911 :
日曜8時の名無しさん:2010/08/22(日) 10:01:22 ID:p+7wmzaQ
アンチはまた手紙記述「撫で切り=虐殺」論かよ。論破されても永遠ループ。
「天地人」の手紙部分「撫で切り」を読んで虐殺だって思ったのかな。
それであれば、伊達政宗とか真田幸村とか徳川家康とか豊臣秀吉とか、まさに「大虐殺者」でしょうね。
>>903 「家臣召し放たず」
人材育成(教育:禅林文庫、鉄砲稽古定、四季農戒書等、文選等)と新田開発、治水事業。
殖産興業・鉱山開発(水運、青芋、紅花の奨励:後に最上地方や庄内酒井・本間家に莫大な利益)。
収入1/4になりながらも、増税無き財政再建を主導。
人員削減によるリストラや増税で日本経済を負のスパイラルに落としている(落とそうとしている)経営者や政治家に爪の垢でも煎じて飲ませたい。
秀吉の云うとおり、まさに「天下の仕置きが出来る人物」。
出来る奴ら(新井白石や上杉鷹山等)が直江を尊敬するのも判るわ。
もともと無知なアンチが立てたウンコスレなんだから、
お前もわざわざageてやるなよ
913 :
日曜8時の名無しさん:2010/08/23(月) 22:04:16 ID:HtPLDHV9
>>911 撫で斬りを記した記録は、直江自身の、9月15日付け、僚友秋山伊賀守あての手紙だよ
天地人の手紙じゃないよw
「去る十三日、最上領畑谷城を乗り崩し、撫で斬りを命じて、
城主江口五兵衛父子含めて、首を五百余り討ち取った。
簗沢の城も空け逃げ、在々(村々)に放火し、昨十四日には最上の居城に向かい陣を構えている……」
と書いた。「撫で斬り」とは、刃にあたる者皆殺し、の意。壮絶、悲惨な戦いであった。
片桐先生好きだな。
引用元の最上歴史館にも書いてあるけど、
江口は降伏を拒否している。
助命を自ら拒んで皆殺しにされたのがなぜ
虐殺になるのかだね。
「平成から見たら虐殺」なら戦国武将はみ
んな虐殺魔だね。
915 :
日曜8時の名無しさん:2010/08/27(金) 13:12:37 ID:S1ZGevGo
畑谷程度の小城は支隊で手当てをするだけにして
長谷堂を速攻するべきだった。
虐殺に手間をかけている間に長谷堂の守りが強固になった。
直江は虐殺好きのために、大局を誤った。
玉砕嫌なら降伏しろよっていう
やられたとたんに「虐殺だ」とか
かっこわるっ!
>>915 そう進言した人が居たんじゃなかったっけ?
上泉か誰かが
それを無視して直江が畑谷城の撫で斬りに固執した
水原は畑谷を放置して山形に向かうよう進言したが、
戦略上、境界の城を無視するなどあり得ない。
江戸時代に悪者にされた直江と、軍記物を書いた奴の
一族である水原の仲が悪い設定にしたかっただけ。
直江は江口を惜しんで降伏するよう勧めた。
江口は降伏を拒んだ。
直江が総攻撃。
それだけの話。
919 :
日曜8時の名無しさん:2010/08/28(土) 17:10:48 ID:cbI5QaFu
直江軍は2万以上だったはずだから
将兵500程度の畑谷城を3千で手当てしても
1万7千以上で長谷堂を攻撃できたはず
水原案の方が正解だろ
背後に敵の城を抱えたままか…
和睦の機会も無視して
やられた途端に、
「わーん(泣)!兼続のヤツがいじめた〜!」てか
かっこわる〜
江口はかっこいいけど、直江もろとも貶めてるやつがいるからな。
後の上杉家も江口の武勇・忠義を称えているのに
ここの直江厨ときたら、
畑谷の直江の虐殺がまるで江口のせいであるかのように
言ってるからな
どうしょうも無いクズだなあ
虐殺言ってるやつが江口を貶めてるんだろ
降伏拒否して玉砕したのは美談として伝わっている
のに
925 :
日曜8時の名無しさん:2010/09/12(日) 20:50:28 ID:PXHvCmMm
畑谷程度は支隊で包囲して長谷堂に向かうべきだったのに
なぜ兼続は全軍で畑谷に向かったのか
それは、撫で斬りの虐殺を自ら指揮・検分したかったんだろうね
やっぱりこいつ虐殺魔だよ
>>925 畑谷は米沢と山形をつなぐライン上にあるから。
一人でいつまでもageてるなよ 無知なのにみっともない
つまり支隊では畑谷を押さえられない
全軍挙げて攻めないと攻略できないほど
直江軍が無能ってことですね
929 :
日曜8時の名無しさん:2010/09/17(金) 17:19:15 ID:cFn5HZAg
上杉家の愛の軍旗は「愛宕」の愛で確定。
直江の兜の愛も「愛宕」の愛で確定。
931 :
日曜8時の名無しさん:2010/09/18(土) 00:51:54 ID:P64vWBbg
んなこと言ったら、伊達政宗だって、葛西大崎一揆主催しておいて、
秀吉にばれそうになったら、証拠隠滅のために参加者全員だまし打ちしてるし、
大坂の陣では友軍の神保相茂に発砲して、壊滅させた上に、神保勢の手柄横取りしてます。
そんなもんですよ。人間なんて。
>>928 撤退時も上杉軍は畑谷に入っているわけで、結果的にも
畑谷を落としておいてよかった。
>>929 ヒント:その人の専門は考古学。史料上、藤島一揆をどう処分したかは不明。
一揆の性格を間違うといけない。元国人たちが自分たちの利権を守るために
武力蜂起したもの。農民一揆ではない。
農民だろうと国人だろうとだまし討ちはいけませんん
「愛」の前立てを振りかざしては信じさせてはだましてたんですかねぇ
ぎゃくさつぅ〜
935 :
日曜8時の名無しさん:2010/10/29(金) 15:02:59 ID:U80axZu6
竹田研究会の仲間で、9月24日の記事で紹介させていただいた、
赤坂大輔先生と某局プロデューサーKさんに関して。
Kさん、歴史作家でもあられる赤坂先生の御著書、ちゃんと買って読んで、
読みどころをみんなにご紹介されていました。
Kさん曰く「きちんと一次史料に基づいて、おもしろい話を伝えている。
この本を読んで大河ドラマを見ると、妻夫木聡が極悪人にしか見えない。
直江兼続ってあれほどの無差別殺人をした人はいない大陰謀家。
勝者が歴史をどれほど歪めるか、という見本のような話。上杉謙信ファンも驚く内容。
直江ファン必読の書。」と。さすが、何だか読みたくなったです。
こういう風に、切れ味鋭く人の良いところを紹介できる人になりたいですね。
今の日本、優れた批評家に恵まれていないと痛感します。
赤坂大輔『愛・直江兼続の敗北』(新人物往来社。二〇〇九年)
皆さん、買いましょう!
こ〜れ〜も〜愛
あれも愛
たぶん愛
きっと愛
虐殺の日々
938 :
日曜8時の名無しさん:2010/10/30(土) 16:32:39 ID:Jo4zx+2a
>>936 虐〜殺〜も〜愛
騙し討ちも愛
見殺しも愛
略奪も愛〜♪
大河の主人公ともなると嫉妬が激しいな。
虐殺も義
謙信は暗殺されたと主張している赤坂の本がアンチのバイブル
942 :
日曜8時の名無しさん:2010/11/27(土) 11:09:52 ID:14xhSNcK
>>929 藤島の件は城に立て篭もった最上の残兵と和議なんか結んでいない。最上方の残兵が最終的に降伏してきただけ。
歴史上では「藤島一揆」ってことになってるけど。正確に言うとしたら「最上残党の乱」でしょ、実際は。
中央(三成)の指示かどうかは知らないが、降伏してきた首謀者を磔にしてるのは事実だから、それを「虐殺」と言えばそうかもね?
943 :
日曜8時の名無しさん:2010/11/27(土) 11:16:28 ID:14xhSNcK
>>911 紅花やからむしだけでなく鉱山開発も直江は積極的。
佐渡だけでなく、庄内立谷沢川の砂金開発とかも村を造って始めてる。後々最上や酒井の収入になってる。
>943
最上家のお膝元の地域の人達は、その事を分かってんのかな?
最上戦跡を案内するガイドの兼続への悪意ある解説が酷すぎる。
945 :
日曜8時の名無しさん:2011/01/02(日) 18:48:36 ID:jWQ8u77W
出羽合戦の直江を悪意なく解説しろってのは無理ってもんだろ
大した戦略的な理由もなくやってきて虐殺し放題
進めなくなったらとっとと撤退
虐殺が目的としか思えない
>>945 知識がないとこういうことしか言えないんだな。
藤島一揆を鎮圧したら百姓を虐殺したと言ってるようなもの。
>>946 藤島一揆についても結論は出てるだろ
百姓一揆でなく国人一揆だが、農民も多く参加し直江に殺された、と
(天正年間に行われた奥州仕置きにより、上杉氏の支配が決まり、検地を施行しましたが、
それに対する地侍の抵抗が大きく農民達を扇動し大一揆と発展します。
一揆勢は藤島城に籠城、上杉軍と交戦し、直江山城守兼続でも城を落とせなかったと言われています。)
>農民も多く参加し
うん。一般の合戦も同じだね。
直江ぎらいは分かるが、もう少し勉強しよう。上杉の最上侵攻の目的なども
理解できていないし、ネットから中途半端な情報集めるだけでなくちゃんと
した本も読んで。
ちなみに藤島城を落としたのは京都帰りの直江
この部分だけでもそこのサイトは誤っているよ
直江が藤島城を一年かけても攻略できなかった
だから上杉軍は交渉で開城させた
というのが史実
落城は1591年春。この年新年早々、直江は上洛し、少なくとも1カ月は滞在している
というのが史実。一年前には一揆がおきていないというのも史実。
直江って、上洛だの交渉・折衝、そんなことばっか
だから攻略できなかったんじゃね
戦績ゼロ。ネゴシエーターって奴だ
愛と虐殺の日々
アンチ的には一揆勢を皆殺しにしてほしかったのに、
降伏勧告で終わらせたので不満なんだろうな。
虐殺も愛
>>954 直江は、一揆首謀者を磔にして虐殺したから十分でしょう
まあ虐殺ぐらいできないと一人前の戦国武将とは言えないからな
首謀者の磔が虐殺というのはぶっ飛びすぎだが、実は藤島一揆の首謀者はその後
上杉家に仕えてるんだな、これが。
《畑谷城の戦い》
畑谷城(最上軍)城主・江口五兵衛光清と兼続の一戦。
この二人には深い友情があり、深く親しい仲であった。
豊臣秀吉の命で上洛の際には、互いに、妻へ京の土産にと揃いのかんざしを持ち帰るなど、心通の仲であり
兼続は畑谷城主を常日頃から慕っていた。
いかなる時も、民を第一に考える同士であった。
しかし、運命とは残酷だ。
徳川方に付く最上義光陣営でもある畑谷城。
上杉軍が初めての慶長出羽国合戦での戦いが、残酷にも盟友どうしの決戦に相成る。
片や、上杉120万石家臣の直江兼続。片や、わずか千人程の城主・江口五兵衛光清。
白鷹山の頂に陣営を築く上杉軍兼続が、幾度も幾度も使者を出して、
戦いたくないとの書状を送り、降伏を促す願いを幾度も綴り送った。
戦いの結果は見当のつくもの。畑谷城には、地理的にも山に囲まれ加勢するには至らず、、最上軍の多勢も長谷堂に待機する形となった。
白鷹山に位置する畑谷城は、上杉陣営からは丸見えで、監視を出さぬとも、全て見通せる場所にあった。
志固い畑谷城主は、降伏する事なく、ただひとつを兼続に願った。
それは、女・子供達は救って欲しいとの兼続への願いだった。
兼続は即座に願いを受け入れた。
残された畑谷城には、約五百名程度の男衆しか残らなかった。
立派な畑谷城主は皆を纏め、戦いは始まった。
農家の男衆と地侍で結成された、わずか五百余りの畑谷城兵に対し、
兼続率いる上杉軍は二万とも言われる軍勢で攻め行った。
互いに、全力を出し切って戦い合った。
城は約二時間程で焼け落ちた。
この戦いの後に、長谷堂の戦いがあった。
西軍では、豊臣軍・石田三成が敗れ、
関ヶ原は徳川軍が勝利し、戦は終結した。
その後に、山に隠れ生き延びた、畑谷の女・子供達は兼続を頼り、今の南陽子小滝へとたどり着く。
その時、その中のひとりの女性が大切に持っていたのが、京都で互いの妻への土産にと、共にお揃いで買ったかんざしであった。
この女性を見た兼続は、
この地に大事に住まわせ、江口五兵衛光清の墓も立て、生涯大切にした。
小滝には今も沢山、
江口家が存在する。
これは、地元に伝わる
男と男の友情物語である。
完
960 :
日曜8時の名無しさん:2011/01/09(日) 13:42:55 ID:7Ii2MbP+
>>958 戦い終わればノーサイド。
最上に寝返った下吉忠の子孫ですらも上杉家に帰参している程。
だから武田信清も上杉の家臣になってる訳。
また謙信や兼続から薫陶を受けた真田幸村も同様。
それが上杉の義。
>>945 <大した戦略も無く とはどういうこと?
最上を屈服させ伊達・佐竹と関東進出する。
兼続の考えとは違ったが上杉景勝の戦略は以上。
当時の黒田官兵衛と同じ動きであり理解できる。
945みたいなアンチって、何も知らずに只批判するだけだから意味ないよね。
もうちょっと勉強して批判して欲しい。
>>960 >>945は勉強不足だが、史学的にとらえるなら真田が兼続から薫陶を受けた
という根拠はないよ。同じく、最上と伊達を屈服させて関東進出という戦
略は景勝も兼続も書状に記していて、考えが違ったという根拠はない。
>>959は直江江口ともに詩歌に通じていたとはいえ、同じ連歌会に出席した
りはしておらず、深く親しい仲だったというのは根拠がない。
962 :
日曜8時の名無しさん:2011/01/09(日) 21:46:14 ID:OWK7jeD+
春日山城に行ったことある?
景勝や兼続や有力武将連中の屋敷が山の中にあって麓に林泉寺。
謙信における北条景虎や畠山政繁と同様に景勝も真田幸村や武田信清を上杉家の重臣としようとしていたことは容易に想像が付く。
ということは、上杉家家臣として「義」についての教育をしていたことは当然。
それが、あたかも魚津での12将の力戦を彷彿とさせるような戦いである大阪での幸村の活躍に繋がっている筈。
>>962 >〜としようとしていたことは容易に想像が付く。
だからそれは単に想像だろっての
>ということは、上杉家家臣として「義」についての教育をしていたことは当然。
だから何が当然、なんだっての?
徳川嫌いの真田が、上杉征伐ならば、と徳川に従って参加していた
これが事実
「想像がつく」とか「つながってるはず」ってのはアンチに
突っ込んでくださいって言ってるようなもんだぞ
「想像がつく」
「つながってるはず」
直江厨はこれが全て
虐殺厨もこの程度の突っ込みしかできないわけだが
967 :
日曜8時の名無しさん:2011/01/21(金) 18:00:07 ID:SaC+KHml
千利休を殺したのも直江上杉
利休は聚楽屋敷内で切腹を命じられる。70歳であった。
切腹に際しては、秀吉の命令を受けた上杉景勝の軍勢が屋敷を取り囲んだと伝えられる。
死後、利休の首は一条戻橋で梟首された。
首は賜死の一因ともされる大徳寺三門上の木像に踏ませる形でさらされたという。
文化人を相手に軍勢でもって向かうのが上杉の愛
スレ主もネタ切れか
こんな暗い世相に虐殺魔を語るのもねえ
敵を虐殺するのは無問題
ドラマ上の兼続は上杉の領民の虐殺者である
971 :
日曜8時の名無しさん:2011/01/25(火) 10:52:13 ID:lOYwQ9U3
>>967 利休切腹の折に利休宅の警護を上杉家が命じられる...。
最上改易の折の山形城受け取りについて上杉景勝が務めたことにも通じるが、そういう重要な役割を任せられることイコールそれだけ(秀吉)政権からの信頼が厚かったってこと。
仮に上杉が秀吉に利休宅の警護を命じられて職務を放棄し秀吉に歯向かうという選択肢はあったかを考えれば「文化人に軍勢を持って向かう」とする記述のナンセンスさが解ろうというもの。
972 :
日曜8時の名無しさん:2011/01/25(火) 11:01:01 ID:lOYwQ9U3
>>966 全くですね。
他人の説の重箱の隅と突っつくような批判はできるが、自らは史料や事実に基づいた仮説作成や他人の説への反論・反証は全くできないレベル感なのが直江アンチ(虐殺厨)の特徴。
973 :
日曜8時の名無しさん:2011/01/25(火) 11:08:45 ID:lOYwQ9U3
>>943 確かに立谷沢川の砂金採り人夫の先祖は新潟出身。
ベニバナやウコギ、増税なき財政改革や殖産興業・鉱脈開発による成長戦略等。
鷹山や新井白石、林羅山等そうそうたるメンバーが尊敬していた直江にはまだまだそういう隠れた功績が沢山ありそうだね。
974 :
日曜8時の名無しさん:2011/01/25(火) 11:11:13 ID:lOYwQ9U3
増税増税と財務省に洗脳された菅や節操の無い裏切り者与謝野らは直江や鷹山の政策をもっと勉強するとよい。
975 :
日曜8時の名無しさん:2011/01/25(火) 11:13:33 ID:lOYwQ9U3
与謝野も菅も財務大臣になってから消費税増税論者になった。
要するに鷹山も直江も税率はそのままで民間を儲けさせて給料を増やした上で会社に利益を上げて所得税・法人税の税収を増やす努力をしたということ。
976 :
日曜8時の名無しさん:2011/01/25(火) 11:15:06 ID:lOYwQ9U3
消費税増税は景気を冷やし、孵って所得税や法人税の税収を下げる可能性がある。
977 :
日曜8時の名無しさん:2011/01/25(火) 11:32:36 ID:lOYwQ9U3
プライマリーバランスが悪化しているから増税する。
そんな単純なことだったら誰でも考えつく。
そんな中でどうやって人心を纏めるか民に負担をかけずに行政再建を考え実行するのが政治、だよね鷹山先生・直江先生。
一汁一菜。民の父母となる。成せば成る。政策的には直江の焼き直しだが、上記のように実際自らそれを実行し行ったこと、鷹山の一番偉いところはそこ。
978 :
日曜8時の名無しさん:2011/01/25(火) 12:30:51 ID:N2MryfNf
消費税が3%から5%になった時に未曾有の「平成大不況」が襲来
したもんな。もう忘れてる奴が多いみたいだけど。
竹下内閣以来消費税で稼いだ額と同じだけの金額が、大企業の減税で
きれいに消えてしまった。「福祉目的税」といってバカを騙して導入した
消費税は、結局金持ちのために貧乏人に回すカネを絞り取るための
詐欺装置でしかなかったことは誰が見てもハッキリしてる。
そしていま企業はリーマンショック以前の空前の収益を得てる。そこへ
農村をつぶし貧乏人をつぶし福祉をつぶし、事実上「国家」を潰して
日本を江戸期以前の弱肉強食の無法地帯にしようとしているのが今の
官僚たちだ。そりゃ小沢が邪魔になるはず。やれやれ。
>>977 >一汁一菜、民の父母。成せば成る。
そのデタラメは一体どこの三流小説から引っ張ってきたんだよw
史実の文献に当たれってのw
虐殺税
979
米沢の鷹山像の下に文言が刻んであるそうです。
兼続公も、自らは貧しい食事で我慢したそうです。
その間に一般庶民は貧しい食事すらも取れずにバタバタ死んでるんだろうねえ
>>981 >米沢の鷹山像の下に文言が刻んであるそうです。
これは事実?だとしても
>兼続公も、自らは貧しい食事で我慢したそうです。
こっちは勝手な空想
直江は山椒三粒をおかずにしてご飯を食べていたと言われてますよ
極貧な食事をしようが虐殺は虐殺
>>984 >言われていますよ、
そんなあいまいじゃなく文献で示してくれ
みんな、もう一スレ行っとく?
>>986 アンチに知識がなくレベルの低い中傷しかしないので不要。
大河板用でもない。
・城の普請をしていた際、余った縄のはじを「もったいない。すたわら
(?)に使う」と言って捨てないでいる者がおり、直江は「倹約はもっと
もである」と褒美を与えた。(米沢雑事記)
・衣食住に倹素であり、食事は山椒3粒で済ませた。上杉家臣がトウガラシと
漬物をおかずにしているのを「いずれか一品にすべ」と忠告した。(愛日漫録)
・色部家に招かれた際、雁の吸い物を出してきたので、「このような贅沢なもの
を食すのはおごりだ」と断った(鶴城叢談)
訂正:「いずれか一品にすべき」と忠告した
ケチで虐殺魔ということか
続スレ行くかどうかは
直江擁護らが直江の虐殺魔だと認めるかどうかだろ
認めたら終わりにしてやろうぜ
どうなんだもまいら
もし続きあるなら戦国版でよくね?
認めます。
だから終りにしてくださいよう
992 :
日曜8時の名無しさん:2011/01/30(日) 16:17:33 ID:W5zeIk7F
>>987 それって直江が倹約を他人に押し付けているようにみえるなあ
藩の貧窮は直江にも責任あるのに、いかがなものか?
倹約は自分の美徳として、姿勢・態度で示す、というのがあるべき姿だろう
直江ってのがなんか厭らしくて好きになれないのは、こいうことなんだよなあ
直江の兜の「愛」は愛宕権現の「愛」なので、どこが愛?
なんてスレを戦国板に立てたら笑われて終わり。
戦国の虐殺について語るスレがあるから、そこで畑谷の話を
書き込んでみては。畑谷の話なんか相当レベルは低いが。降
伏勧告を拒否した軍が全滅したのを虐殺だと言っては失笑買
って終わりでは。ドラマの軟弱な直江のイメージとのギャッ
プがあるというだけで。
>>992 あるべき姿っていうのはよくわからないけど、倹約で有名
な人はだいたい掟で他人や家臣にも倹約を求めていますな。
直江はそもそも黙々と仕事をこなして美徳を姿勢態度で示すよう
なタイプじゃないし。書状を見ても割と態度はでかく、ハッタリ
も言う。プライドが高い上杉家ならではなのだろうけど。
幕閣を呼び捨てにしていたという逸話もあるけど、本当でもおか
しくない。ただ、他人に厳しいけど自分にも厳しいし、全国レベ
ルで名が知られる優れた宰相であることには変わりがなく、尊大
なところがあっても家中で信頼が厚かったのは間違いないが。
美徳を示さない
態度はでかい
ハッタリ言う
幕閣を呼び捨てにし
他人に厳しい
直江ってまあこういう人物なんだろうな
数々の逸話のとおり