284 :
日曜8時の名無しさん:2009/12/20(日) 23:20:50 ID:VpDRpU0Q
第三十一話「大坂城」(6)
「上杉弾正少弼景勝でございまする。」「上洛、大儀じゃ」正式の謁見が行わ
れた。兼続も陪席している。「上杉殿、こちらへ、」秀吉は、自分の左の席に
座らせる。「おお、紹介しよう。こちらにおるのは、榊原康政殿じゃ。徳川殿
の家臣のなかでも随一の勇将であると同時に、なかなかの文章家じゃ」「関白
殿下、お戯れを。お許しくださいませ」「許せ?わしは許しておるぞ。上杉殿、
この榊原は、姉川の戦いのとき、朝倉を側面から突き、総見院様に勝利をもた
らした男じゃ。あの時は、われらは浅井に押しまくられ、敗色濃厚じゃった。
わしも、先手の大将のひとりじゃったが、すぐに突破され、浅井勢は総見院様
の本陣に迫っておった。浅井も存亡をかけた一戦じゃったから、兵ひとりひと
りに、覚悟させておった。あれを死兵というのじゃろうな。負けたかな、と思
うておったら、突然朝倉勢が崩れた。徳川殿が、朝倉勢を打ち破ってくださっ
たのじゃ。そのきっかけは、この男の側面攻撃じゃ。長久手の戦いで、池田や
森を討ったのも、この男の指揮した軍勢じゃ。徳川殿が大敗北された三方ヶ原
の戦いでも、この男だけは、負けなかったと聞いておる。いわば、不敗の名将
といってもよい。個人的な武勇でいえば、本多平八郎のほうが、優れておるか
も知れぬが、部隊指揮官では、この男が徳川家中第一、いや日本一じゃな」関
白殿下は、石川の次に、榊原を調略するつもりなのだろうか、兼続、少し笑う。
それをめざとく見つけた秀吉「おお、直江、そなた、こたびの骨折り大儀じゃ
ったな。この榊原殿は、そなたと同じく、文武両道の男じゃ」「関白殿下、も
うお許しくださいませ。わしは、一介の武人にすぎませぬ」「何を言う、そな
たの檄文、よく書けておったぞ。小牧の戦いのとき、徳川殿よりわしを弾劾す
る檄文が発せられたのじゃが、それを書いたのが、この男、榊原康政殿じゃ。
どんな檄文じゃったか、石田、覚えておるか」「は」石田三成、すらすらと檄
文をそらんじる。「そもそも、羽柴秀吉なる者は野人の子。草莱より出できて、
信長公の馬前の兵卒となった。その後、信長公の寵遇をうけ、挙げられて将帥
を拝し、大国を領する身になった。その恩は天よりも高く、海よりも深い。そ
のことは、世を挙げて知るところである。しかるに信長公死に給ふや、秀吉に
わかに主恩を忘れ、非企を謀て、その亡主の子孫を滅ぼし、その国家を奪おう
としている。向に信孝公を殺し、いままた信雄公と兵を結ぶ。その大逆無道な
ること、言うに絶えざるものがある」石田は、おそるべき記憶力の持ち主じゃ、
兼続が感心していると、「関白殿下、伏してお願い申し上げます。もう、お許
しくださいませ。」榊原の泣きが入る。「ははは」秀吉につられて、みなが笑
う。「わしは、怒った。この男の首に十万石の懸賞をつけると全軍に布告した
ほどじゃ。しかし、一夜、酒を飲ませて仲直りした。なあ、康政」そこに、石
川数正が入ってくる。「恐れ入りまする」すると、榊原の態度が一変する。笑
顔が消え、仮面をかぶったような無表情になる。やはり、この場に石川殿を、
よぶのは無理なのではないかな、関白殿下は、どんな魂胆なのじゃろう。
285 :
日曜8時の名無しさん:2009/12/23(水) 22:52:23 ID:zkhFNmLR
第三十一話「大坂城」(7)
「関白殿下、自ら案内して下さるとは、恐縮いたしておりまする」「はは、わ
しは、これが一番楽しい。ここで、飯でも食おう」大坂城天主閣の最上階に案
内された景勝と兼続、秀吉と石田と四人で、御飯を食べることになった。「見
晴らしがよいじゃろう」ほんに、二の丸建設に従事する者どもが、働いておる
のもよく見える。遠くの山々もはっきり見える。「おお、やっときた。さあ、
さあ」しかし、六階まで上がってくる間に見せつけられた贅を尽くした部屋や、
そのなかにぎっしり詰め込まれた宝物に圧倒された上杉主従、お腹いっぱい、
なかなか食が進まない。「うん、どうしたのじゃ。やはり上方の味付けはあわ
ぬのか。石田、そなた明智と同じ間違いをしたようじゃ」「いえいえ、大変お
いしく頂いております」関白殿下の経済力は、想像を絶するものがある。われ
らは井蛙じゃ。辺土の一大名にすぎぬ、やはり百聞は一見に如かずじゃ。いい
しれぬ敗北感に打ちひしがれる主従。これが秀吉の手じゃと知りながら、それ
でも、秀吉の権力の巨大さに圧倒されている。その心中を知ってか知らずが、
秀吉、屈託なく話す。「昨日は悪かったのう。榊原が石川に挨拶せぬどころか
目も合わせぬとは、わしも思いもよらぬことじゃった。そなたらも、さぞ気ま
ずい思いをしたであろう」「やはり、榊原は調略されることを恐れたのであり
ましょう。榊原も、信雄様の三家老が、われらの調略によって上意討ちされた
ことを知っておる故、そのことを警戒したのでしょう」石田が口をはさむ。「
そうかのう」そうではない。関白殿下は、古今無双の英雄、石田も天下第一の
切れ者じゃが、どうも譜代の家臣というものが分かっておらぬようじゃ。主家
に、代々仕えておる譜代の家臣にとって、主家を離れることは、ありえないこ
とじゃ。榊原にとって、石川は、見るもおぞましい裏切りものじゃ。石川を許
すことは、自分の存在理由を否定するようなものじゃ、しかし、こんなこと、
この二人に言っても分かるまい。
「関白殿下は、天下の仕置きをどのようにお考えでしょうか」古今未曾有の権
力を握った関白殿下は、どんな国づくりを考えておるのじゃろう。「わしは、
そなたにも話したように、尾張の名もなき百姓のせがれじゃ、それが、総見院
様に取り立てていただき、天運にも恵まれ、ついには関白にまで成り上がった。
人臣としては、最高の地位じゃ。なぜ、わしが、この高みまで、登ることがで
きたのか、わしは天命じゃと思うておる。わしには、使命がある、それは天下
を静謐にし、万民に安寧の暮らしをもたらすことじゃ」おお、他の人間が言え
ば、白昼夢のような寝言でも、この場で、関白殿下から聞けば、真実のように
聞こえる。「直江、民にとって一番いやなことは何じゃ」「それは、戦であり
ましょう」「その通りじゃ、この世の中で、戦ほど、民を苦しめるものはない、
戦になれば、身内の者が徴兵される。そして戦死したり、障害者になる。また、
軍勢が進攻してきたら、略奪されたり、強姦されたり、奴隷にされて売り飛ば
されたり、酷いめにあわされる」ひといきつく秀吉、兼続、ちらと景勝を見る。
真剣な顔で聞いている。謙信の後継者が臣従するに相応しいお方なのか、納得
したのじゃろう。「わしは、父親を戦で亡くし、少年時代は放浪を余儀なくさ
れた。そして、いたるところで地獄を見た。戦は、武士だけがやっておるわけ
ではない。小さな村々も、武装し、堀をめぐらせ、互いに疑心暗鬼で、攻めた
り攻められたりしておる。なにしろ、応仁の乱以来、百年以上戦乱が続いてお
る。このため、地下の者の気風も殺伐としたものになっておる。そして、多く
のものが死に、傷ついている。わしは、この世から、すべての戦をなくしたい。
国同士の大きな戦だけではないぞ、村同士の小さな戦もじゃ」どうやって、な
くすのじゃろう。想像もつかぬが、しかし、日本国中から、すべての戦をなく
すとは、まことに正しき目標じゃ。上杉が臣従し協力するに相応しき夢じゃ。
286 :
日曜8時の名無しさん:2009/12/25(金) 09:52:26 ID:PkawdpAl
年内に上洛できて何より
287 :
日曜8時の名無しさん:2009/12/26(土) 21:56:18 ID:0CSfVjpX
第三十一話「大坂城」(8)
「この世から、すべての戦をなくすとは、まことに正しき目標かと思います。
実現するために、どんな方策をお考えなのでしょうか」秀吉、にっこり笑う。
「うむ、とりあえずは、今行われておる戦をすべてやめさせることじゃ。わし
は、すでに九州に惣無事令を出しておる。停戦命令じゃ。戦の原因が領土争い
ならば、われらが出向いて調査し公平に裁いてやる。ともかく戦をやめさせる
ことじゃ」ふむふむ「直江、なぜ大名は戦をするのじゃ」なんか、関白殿下に
試されているようじゃ。「戦の原因は千差万別、一言で言うのは難しゅうござ
いまするが、一般的に言って、外的要因としては隣接する他国の脅威、内的要
因としては家臣の統制でございましょう」すこし言葉足らずかと兼続、さらに
続ける。「隣接する他国が強大になれば、脅威となりまする。併呑される可能
性も生まれます。他国が強大にならないうちに叩かなければなりませぬ。また
家臣というても信頼のおけるものばかりではありませぬ、なかには、あわよく
ば取って代わろうと不逞の野心を持った者もおりまする。これらのものの、い
わば内乱を冀う心を転嫁するために行われる外征というものもありましょう」
石田が笑いながら、口をはさむ。「生涯、義戦を続けてこられた謙信公の側近
にしては、透徹した戦争観じゃのう。大義名分をとりのぞけば、戦の原因は、
直江のいう通りじゃろうな。根本にあるのは、疑心暗鬼というか、いつ滅ぼさ
れるか、いつ背かれるかという恐怖心じゃ。大名というても、その足元は不安
定なものじゃ。それをごまかすために、恩賞をぶらさげて戦を続けるのじゃ」
石田、謙信公を愚弄する気か、黙れ、心の中で念力を送る兼続。秀吉が引き取
る「無理もないぞ。戦乱が百年以上も続いておる。しかるに帝も将軍様も、あ
まりにも無力じゃった。将軍様など、ご自分が戦の原因になっておった始末じ
ゃ。誰も頼ることができない、誰も信用できない、自分で自分の身を守るしか
ないような時代が続いてきたのじゃ。しかし、これからは違う。天命を受けた
わしが天下に立ったのじゃ。わしは、東国・奥羽にも惣無事令を出すつもりじ
ゃ。力づくでも、戦をやめさせる」兼続、ちらっと伊達政宗の顔を思いだす。
「しかし、九州制覇を目前にした島津が従いましょうや。実際、島津は大軍を
北上させ九州制覇を完成させんとしておりまする。惣無事令は、現状を固定せ
んとするもの、大友など滅亡寸前のものは従いましょうが、島津にとっては、
寝言のようなものではありませぬか」「島津は、わしの本気を軽く見ておるの
じゃ。今に目にものをみせつけてやる。準備は着々進行中じゃ。」「こたびの
九州征討には、さらに大きな目的が隠されておる。そのための準備も兼ねてお
る、ゆえに念入りに準備をしておるのじゃ」石田の発言を、秀吉が目配せして
やめさせる。どうも、さらに大きな目的があるようじゃな。なんじゃろう。
288 :
日曜8時の名無しさん:2009/12/27(日) 00:10:21 ID:agx81fkn
第三十一話「大坂城」(9)
「戦が無くなるということは、直江が言うた通り、現状を固定することになる。
大名も他国から侵略される脅威から解放され、枕を高くして眠ることができる
ようになる」石田、自然に話をそらす。「そして、内的要因についても、われ
らは考えておる。近江などで試験的に検地を行っておる。自己申告ではなく、
われらがみずから要員を出して調べる厳密なものじゃ。最終的には、日本国中
われらの定めた尺度で測量するつもりじゃ。これは、単に米の獲れ高を調べる
だけが目的ではない、その水田の耕作者を固定していく、農民は田んぼを耕し
ておればよいのじゃ」うむむ、よくわからぬが「つまりは、一揆や農兵のよう
なものを否定するのですか」「そうじゃ、そなたらも一揆には苦しめられたじ
ゃろう。武士と農民を、はっきり分けていくことも検地の大きな目的じゃ。」
「しかし、従いましょうや」兼続の疑問に石田が答える「試験的に紀伊で刀狩
りを行っておる。農民どもの武器をすべて没収した。これも日本全国に広める
つもりじゃ。そして没収した武器を鋳つぶして、国家鎮護の仏像を造るつもり
じゃ」お船殿が細作を使いたいと言っておったのは、この調査のためじゃな。
しかし、先の先まで、よく考えておる。さらに先がありそうじゃ。「つまりは、
戦の原因は大名の地位の不安定さにある。惣無事令という私戦停止命令を出す
ことで、現状を固定し、大名の地位の保全のための安全保障とする。そして、
検地を行い、兵農を分離する。不満を持つ、農民が一揆を起こせないようにす
るため、刀狩りを行い武器を没収する、ということですか」兼続、かなり強引
に話をまとめる。秀吉、にっこり笑って「おお、忘れておった。わしは、農民
どもに喧嘩停止命を出すつもりじゃ。水利や境目の争いで、武器を使用するこ
とは許さぬ。一村皆殺しにするとな」おお、どこまでも、考え込まれておる。
あまりのことに、少しおかしくなる兼続。「武士は武士、農民は農民、職人は
職人、商人は商人、おのおの自らの生業に励めばよいのじゃ。自分の法という
ものを超えてはならぬ。天下が乱れる基じゃ」ほほう、関白殿下は、水も漏ら
さぬ大土木工事を得手とされておるが、完璧な身分制度を構築し、安定した社
会を作ろうとしておるのじゃな。下剋上の申し子というべき関白殿下が、下剋
上を完全に否定せんとしてしている。平和のためというておるが、ご自分の権
力体制を永遠のものにするためではないか。しかし、お子がおられぬのに。
「さすれば、関白殿下のようなお方はもう二度と現れることはないということ
ですか」兼続が尋ねる。秀吉と石田、顔を見合わせ、しばらくして大笑いする。
「そうじゃ、そういうことじゃ。直江は、やはり惜しい男じゃ。わしの家臣に
貰いうけたいのう。上杉殿、呉れぬか」ここまで無言の景勝「それがしにとっ
て、無二の者。その儀はなにとぞ、ご容赦くだされ。ところで、戦のない世に
なれば、武士はどうなるのですか」景勝らしい質問をする。すると秀吉、にっ
こり笑い「内乱を冀う心を外征に転嫁する」と兼続の言葉を引用し、「そのこ
とも、わしはちゃんと考えておる。しかし、それは先の話じゃ。将来の楽しみ
にとっておけ」外国にまで攻め込むつもりなのじゃろうか。しかし、関白殿下
と石田は、先の先までよく考えておるなあ。これが天下人と、その側近という
ものじゃろうか。
289 :
日曜8時の名無しさん:2009/12/27(日) 04:55:17 ID:X8s/P/TP
とりあえずあれ以外が書いた脚本だったらなんでも
290 :
日曜8時の名無しさん:2009/12/27(日) 23:09:38 ID:agx81fkn
第三十一話「大坂城」(10)
「ところで、上杉殿そなたには、従四位下少将になってもらうことになってお
る。これで、そなたも従一位関白のわしと同じ朝臣じゃ」ほう、任官すること
が、関白殿下に自動的に臣従することになっておるのか。本当に、巧妙に考え
られておる。地下の出身の関白殿下に直接臣従するより抵抗が少ない方式じゃ。
兼続が感心していると、秀吉が突然訊いてくる。「徳川にも、朝廷官位は効く
じゃろうか、そなたはどう思う。朝日の結納御礼の使者として、榊原が来たの
で、てっきり家康殿の上洛確約を持ってきたのかとおもったのじゃが、そうで
はないようじゃ。どうすれば、家康殿が上洛してくれるのか、困っておるのじ
ゃ」真田を動かしたり、富士山を見たいと東国出陣をほのめかしたり、焦って
おられるようじゃ。兼続、白湯を飲んで喉を湿らせ、やおら答える。「徳川殿
のご性格は、重厚そのもの、長久手の戦いの俊敏な機動戦には驚かされました
が、処世は、万人が納得する大道をゆったり進んでおられます。他人から見て、
非の打ちどころのないその生涯で、不思議なことといえば、松平から徳川へ改
姓したことでありましょう」「おお、そういえばそうじゃ」秀吉がつぶやく。
「名を変えることは、さほど珍しきことではございませぬが、姓を変えるのは、
謙信公のように養子になるような場合を除いて、非常に珍しいと言わざるをえ
ませぬ」「なぜじゃろう」「家康殿が、朝廷に奏請して松平から徳川に改姓し
たのは永禄九年、今川から自立した家康殿が三河国をようやく平定した年です。
そもそも三河国は、鎌倉の昔より、足利の領国であった国。吉良や今川など、
足利一門の発祥の地でもあります。その三河国を平定した家康殿が改姓して、
新たに名乗ったのが徳川、新田の支流と称しております。」「ふむ、長い間足
利の分国であり、直近まで今川に支配されていた三河を統治する権威として、
清和源氏の足利ではなく新田を持ちだしてきたわけか」石田が感心する。「三
河衆が精強であることは天下に鳴り響いておりまするが、その統治のためには、
古き権威が役に立つと、家康殿はお考えなのではないでしょうか。さらに言え
ば、家康殿自体、名門とか血筋とか、そういう権威を重んぜられるお方なので
は、ありますまいか」「ほうほう、さすれば家康殿に朝廷官位は効くというこ
とじゃな。兼続、やはりそなたは惜しい男じゃ。わしとともに天下の仕置きを
せぬか」いつものように、秀吉が兼続を口説いていると、小姓が秀吉を呼びに
来る。「島津軍、北九州に侵入とのことであります」「援軍の手配をせねばな
らぬの。毛利や四国勢を先発させねばならぬ。軍議じゃ」秀吉、景勝・兼続に
向き直り「おお、そなたらともっとゆっくり話をしたかったのじゃが、聞いて
の通りじゃ。すまぬのう。おお、そういえば、直江から、うちうちに話があっ
た佐渡と庄内のこと、そなたらの手がら次第じゃ。領有を認めよう。しかし、
越中と上野は、あきらめてくれ。」最後の最後に、引導をわたされたのう。ま
あ、仕方あるまい。「すまぬのう。利休に申しつけておくから、茶でも飲んで
行け」言い残した秀吉、風のように立ち去る。
<反省会と新年のご挨拶>
「あれれ、利休様のところに行ってお茶を飲むはずだったのではありませぬか」
「それがじゃ、規制されてなかなか話が進まなかったのじゃ」「あれれ、まだ
規制されているのでは?」「筆者はついに●を購入したのじゃ。やはり、我慢
の限界じゃ」「まあ、まあ」「じゃまするぜよ」なんと、反省会場に土佐弁の
男が乱入。「おまんが、直江兼続さんか。わしは土佐の坂本竜馬。今年の大河
の主役じゃきに、挨拶にきたがぜよ」「なんと、福山のところにブッキーが差
し入れ持って挨拶に行ったのをテレビで見たような気がするが、そのようなこ
とかのう。そなたは山内家のご家中か。」「そうじゃ。というても、脱藩する
がのう」「脱藩、なんじゃそれ」「難しいのう。なにしろ、江戸時代のはじめ
と終わりやき、いちいち説明せんといかんみたいやねえ」「というか、いやに
達者な土佐弁ですなあ」「広末と島崎和歌子なみじゃろう。実は筆者は、岩崎
弥太郎出身地の地元民ながやき。井ノ口村と高知の城下は十里ばあ、離れちゅ
うき、あんなにさいさい弥太郎と龍馬が会うとは思えんけんど、おもしろかっ
たのう。一回目」「なんと、筆者は、龍馬伝の方に乗り換えるつもちながやろ
か」なぜか、兼続も土佐弁になる。「それはないきに、幕末は難しいぞね。特
に、あしは難しいぞね。第一、最後の最後まで、なんちゃあせんきに。司馬遼
太郎先生も、困って、筆者いわくを連発して、国民作家に窯変されたがやき」
「西原理恵子先生も言っておられたが、司馬遼太郎先生あっての龍馬さんじゃ
ねえ」「そのとおりぜよ。大体、世間のあしに対する共通認識は、すべて龍馬
が行くながやき」「実は、筆者は地元で開催された司馬遼太郎先生の講演会に
いったことがあるのじゃ。例によって、お話の内容は、ほとんど覚えておらぬ
が。はっきりいって、司馬先生は、ご機嫌が悪いようじゃった。講演自体が大
嫌いということを後で知ったが。しかし、生身の司馬遼太郎先生を見たことが
あるのは、筆者のひそかな自慢じゃ。空港で、宮尾登美子先生をお見かけした
こともあるぞ。大きな声で挨拶されたので、わかったのじゃが」「篤姫さまの
原作者じゃな。しかし、、筆者はどこまで自慢するつもりなのじゃろう。それ
に、調子に乗って土佐弁を使っておると、読者のみなさまが困るぞ。」つい、
調子にのってしまいました。龍馬さんにも、たまにでてもらうつもりながやき、
今年もよろしくお願いいたします。
292 :
日曜8時の名無しさん:2010/01/09(土) 22:00:52 ID:qSPtrwGq
第三十二話「利休」(1)
大坂城天主閣に残された景勝と兼続。「利休様のお点前でお茶が頂けるならば、
千坂も呼んでやりましょう」「そうじゃな」千坂景親には京都留守居役を任せ
ることになっておる。利休様と昵懇になっておれば、千坂も仕事がしやすいじ
ゃろう。いつもながら千分の隙もない男じゃなあ。心の中で感心する景勝。
「三国無双の城でございますなあ。木村様に案内していただいておったのじゃ
が、豪壮にして華麗、感心するのに疲れました」千坂が来た。木村清久どのも
千坂が京都留守居役に就く予定であることを知っておるようじゃ。少しでも親
しくなろうと案内役をしてくれておるのじゃろう。抜け目のない男じゃ。千坂
が余計なことを言ってなければよいが。兼続の心配は尽きない。
「利休様とは、どのようなお方なのですか」兼続、木村に訊く。充分に調べあ
げておるつもりじゃが、抜かりがあってはいかん。それに千坂にも聞かせたい。
「関白殿下の政権の最重要人物は、どなたかお分かりですか。それは関白殿下
の弟君・秀長公でござる。先の四国攻めでは総大将として武勲を立てられまし
た。そればかりではございませぬ。寺社勢力の強い大和、平定したばかりの紀
伊など難治の国を任せられて、うまく治められておられます。政戦ともに手堅
く、もちろん関白殿下の信頼も厚い、威望天下を圧するお方でございます」そ
ういえば、秀長さまにもお目にかかりたかったな。お忙しいのじゃろうか。
「残念なことに、秀長公は少し体調を崩され、今有馬の湯で静養されておりま
する。いずれ、みなさまもお会いする機会があると思います。話がそれました
が、大友宗麟が先月大坂城に参ったとき、この秀長公が、内々の儀は宗易、つ
まり利休様、公儀のことは宰相、つまり参議であるご自分・秀長公が存じ候、
といわれたそうです。つまり、利休さまは、秀長公と並ぶほど関白殿下の側近
中の側近というわけです」なんと、天下第一の茶頭として、関白殿下の寵愛を
受けておるとは知っておったが、ここまでとは。やはり訊いてみるものじゃ。
「なぜ、利休さまは、関白殿下にそこまで信任されておられるのですか」千坂
が訊く。すると、木村笑って、「それは利休様ご本人に聞いてくだされ。それ
がしのような軽輩には、雲上のことは分かり申さぬ。実は、それがしの父は、
元は明智の家臣でござる。その前は荒木の家臣じゃった。山崎の合戦の直後、
丹波亀山城を開城した際のわが父吉清の仕事ぶりが認められて、許されてお仕
えするようになったのでござる。みなさまの宿舎を提供されておられる増田様
も、元は丹羽様の家臣でござるよ。」なんと、まあ、関白殿下の家臣団は、多
士済済といえば聞こえが良いが、層が薄いようじゃ。手当たりしだい、他家の
ものを口説いておるのも、そのせいかもしれぬ。そこに小姓が、準備が整いま
したと、迎えに来た。
第三十二話「利休」(2)
天主閣の広間まで下りてくると、そこにちんまりと黄金の茶室が鎮座していた。
おお、これが前田様のお話に出ていた茶室か。小早川殿が仕物にかけられると
誤解したとかいう。黄金の茶室など、下品でけばけばしいものかと想像してい
たが、百聞は一見に如かずじゃ。荘厳なたたずまいじゃ。しかし、このような
ものを作らんとする着想、現実に作り上げる実行力、関白殿下の力を象徴する
ものじゃ。利休がにじり戸の前で待っていた。「せまいところじゃが、さあさ
あ、入られよ」景勝、兼続と千坂が中に入る。目がつぶれそうじゃ。南無阿弥
陀仏、南無阿弥陀仏、なぜか、心の中で念仏を唱える兼続。緊張する三人に対
し、利休「お楽に、お楽に。茶の湯というても、ただ茶を沸かして飲むだけの
ことでござる」緊張するなと言われても、それは無理でござるよ、利休様。「
なぜ、茶室をこのように狭く作るのですか」兼続、緊張をほぐすために、尋ね
る。「すべての虚飾を排した空間を作りたいのでござるよ。茶室に一歩入れば、
身分も地位も関係ありませぬ。あるのは主人と客という関係のみでござる。茶
の湯は、もともと町人から生まれた文化でござる。それほど、難しいものでは
ございませぬ。ただ、主人は精一杯おもてなしをし、客は、それを楽しむだけ
でござるよ。それを一期一会と申しまする」利休さまは、もっと怖いようなお
方かと思うておったが、そうではないようじゃ。利休が、流れるような所作で
お茶を点てる。「さあ、どうぞ」三人、お茶を頂く。「本来ならば、関白殿下
が主人を勤める予定じゃったが、軍議のため、この利休が主人を勤めまする。
なんなりとお申し付けくだされ」すると千坂が訊く。「利休さまは、関白殿下
の側近中の側近と伺っておりまするが、関白殿下とは、どのようなお方でござ
いまするか」千坂、まっすぐに聞く。どうじゃろ、まあ、この正直なところが
千坂の特質じゃ。実は、兼続が、千坂を京都留守居役に起用したのは、上杉の
外交を駆け引きなしに、やるべきだと考えたからである。権謀術数に優れ、め
はしの効いたものは他にもおるが、半端な対応をすれば、大火傷をするかもし
れぬ。田舎者らしく、愚直を装うべきじゃ、難しきご時世じゃからな。
利休、笑って「関白殿下は、大きなお方でござる。それがし如きが、軽々に申
すことはできませぬ」かわされた。今度は兼続が訊く。「関白殿下は、長久手
の戦以来、お考えを変えたように石田さまなどから伺いました。どのように、
変わったのでしょうか」石田の名が出ると、すこし表情が変わったような、目
が険しくなったような気がしたが、「大坂では、どこにお泊りか」「増田さま
のお屋敷でございまする」「それでは、中之島に広大な空き地があるのに気づ
いておられるでしょう」そういえば、あったのう。「実は、あの空き地には、
内裏を作る計画じゃった。大坂に都を移すつもりじゃったのじゃ」なんと、「
京の町なかにも大きな空き地があったのに気づかれましたか」「そういえば、
はい」「大阪に遷都する計画は放棄され、代りに京に新たに政庁が建設される
ことになりました。名を聚楽第と申しまする。さらに、方広寺では、大仏の建
設が始まりました」おおお、大坂城ができたばかりじゃというのに、次から次
へと、なんか計り知れない権力と財力じゃな。
今年も頑張ってください!
第三十二話「利休」(3)
「関白殿下は、本当にはかりしれない不思議なお方でござる。それがしが、関
白殿下に、初めてお目にかかったのは、ええと、確か総見院様が上洛され、堺
に二万貫の矢銭を課し、それを関白殿下が取り立てに来たときじゃった。確か、
永禄十二年じゃったから、今から十五年くらい前のことじゃ。その後、それが
しの本業は堺の納屋衆じゃから、関白殿下の兵站を請け負うことが、多々あっ
た。関白殿下は、なぜかいつも金欠でのう、出世払いじゃというて、いろいろ
無理な注文を頼まれた。秀長公との付き合いは、そのころからのものじゃ。そ
してその頃、それがしは、総見院様の茶頭に抜擢された」ほうほう、利休さま
は、天下人を権威づけるようなお方なのじゃな。茶の湯の大成者を側近に侍ら
すことは、天下人の条件なのか、いうならば、利休さまも、信長から関白殿下
が受け継いだ遺産の一部なのか。兼続、心の中で、考える。「総見院様とは、
どのようなお方だったのですか」千坂、懲りずにまた尋ねる。「総見院様は、
水も滴る美男子で、何をお召しになってもよく似合った。南蛮の衣服なども、
好まれた。ご自分も新しい意匠を考えられた、それがしもよく相談されたこと
がある。しかし、心の中の分からぬお方であった。茶の湯についていえば、よ
く名物を集められておったが、本当に楽しまれておったのか、どうか、よく分
からぬ。いつも、醒めておるのじゃ。茶の湯を、ご自分の政治に利用されるこ
とは、よく考えられておったが、本当にお好きじゃったのかは、よく分からぬ。
関白殿下は、違う。あのお方は、心底茶の湯を楽しまれておる。総見院様に、
茶事を許されたのが、よほどうれしかったのか。その後は、よく茶会を開かれ
た」ほうほう、利休殿は、信長、秀吉公の茶頭を勤められておるのか、不思議
なお方とは、どういう意味なのじゃろうか。「関白殿下は、どのように不思議
なのでございましょうや」兼続が尋ねる。
「関白殿下は、総見院様の馬の轡をとる者からとりたてられたお方でござる。
それゆえ、お二人の仲には、他人の伺い知れぬようなところがあった。関白殿
下ほど、総見院様に怒られ続けたお方は、他にはおらぬ。それがしの見ておる
前で、足蹴にされたこともあった。すでに重臣にとりたてられておったのにも
かかわらずじゃ。実は、関白殿下ほど、総見院様の命令に従わぬお人はおらぬ」
なんと、どういう意味じゃろう。「手取り川の戦いの直前に戦場を離脱して、
無断で撤退してきた話は有名じゃから、ご存じじゃろう。しかし、それだけで
はないのじゃ。元亀二年の叡山焼き討ちの際、総見院様は皆殺しをお命じにな
られた。明智などは、思いとどまるように諫言したが、受け入れられなかった。
関白殿下は、何もいわずに、従う振りをして、実際には、部下に虐殺を許さな
かった。総見院様の耳に入れば、ただではすまぬ話じゃ。それなのに、関白殿
下は、総見院様の命令に従わなかったのじゃ。不思議なお人じゃろう」ううん、
なぜじゃろう。
第三十二話「利休」(4)
「強烈な反対意見を具申してこられたこともある。尼子の残党が上月城で、毛
利の大軍に包囲された時じゃ。同じころ、別所が謀反を起こしておったので、
総見院様は、上月城救援を断念するよう命令された。これに対して、関白殿下
は、尼子の残党を見殺しにすれば、天下に信を失いまする、なにとぞ御再考を
と、意見具申してきた。そればかりではない、関白殿下みずから、安土まで単
身帰還して意見具申された。そして総見院様の親征を要請した。あの総見院様
に対してじゃ。それがしなど、手討ちにされるのではないかと、はらはらした
ものじゃ」「総見院様は、激怒されなかったのですか」兼続が訊く。「烈火の
ごとく怒られた。宿敵尼子討伐のために動員された毛利の軍勢は十万、上月城
を包囲しておる毛利軍だけでも六万を超しておった。それに対して総見院様も
各地の戦線から軍勢をかき集めて信忠さまを総大将に増援部隊を派したが、関
白殿下の軍と合わせても、三万にすぎぬものじゃった。総見院様の救援断念は、
理にかなった判断じゃ。それに、関白殿下が、最前線の自分の部隊を放置して
安土まで直訴に来るとは僭越の極みと激怒された。」ふむ、ふむ、「総見院様
は、関白殿下を足蹴にして、お前はわしの指図に従っておればよいのじゃ。い
ちいち、差し出がましいことをぬかすなと追い返された」ほうほう、「いま思
えば、関白殿下は、もし自分が総見院様であったならば、どうすればよいのか、
といつも考えておられたのじゃな。怖い言い方になるかも知れぬが、関白殿下
は、総見院様の限界さえ見極められておったのかもしれぬ。総見院様の判断は
常に冷徹な計算に基づいておった。世間の評判など、まったく考慮されておら
なかった。しかし、関白殿下は、それでは、天下の信を得なければ、天下を平
定することはできぬとお考えになっておったのじゃ。」なんと、なんと、度肝
を抜かれる三人。呆然とする。「そんなお人は、総見院様の数多い家臣のなか
でも、関白殿下ただおひとりしかおらぬ。明智殿は、総見院様に対し、いろい
ろ諫言しておったように世間では言われておるが、有職故実など、とるに足り
ないような瑣末なことじゃた。それがしは、総見院様の側近に侍っておったの
で、よく知っておる。柴田殿も、勇将じゃったが、箸の上げ下ろしまで、総見
院様の言いなりのお人じゃったし、丹羽殿や滝川殿も同様じゃ。それがしは、
いずれ秀吉公は、信長公と天下を争うお考えがあったかもしれぬとさえ、思っ
たことがある」なんと、なんと、恐ろしげなことを言われるお方じゃ。あまり
の発言に、固まる三人。初夏だというのに、冷え冷えとした空気が黄金の茶室
に流れる。「総見院様は、恐ろしいお方じゃ。人を人と思われぬ。疑われば終
わりじゃ。しかし、関白殿下は、ちゃんと手を打っておられた。総見院様の四
男秀勝様を養子に貰いうけられた。子供がおらぬので、御子を頂けませぬかと
お願いされたのじゃ。総見院様は、笑ってお許しになられた。どんなに関白殿
下の領地が増えようとも、最後には総見院様のものになるという寸法じゃ。そ
ればかりではない、関白殿下は、九州を平定したら、一年治めさせていただい
て、軍勢を整えて、唐・朝鮮に討ちいると言われたそうじゃ。総見院様も、大
気者じゃなと大笑いされた笑い話になっておるが、古来より九州は強兵の産す
る地じゃ。天下を争うに相応しい軍勢を整えることができよう」三人、腰が抜
けたような気がする。利休様の一言一言、爆弾のようなものじゃ。「おわかり
か、関白殿下が唐に討ちいると、言われた真意が。関白殿下は、一生戦い続け
ますると総見院様に誓われたのじゃ。謀反を起こす気も余力も、自分にはあり
ませぬと、総見院様に察知されるような笑い話にしたのじゃ。」「関白殿下ほ
ど、総見院様に忠義を尽くされたお方はおらぬのではありますまいか。わしは、
不明じゃから、関白殿下の忠義のこころしか読み取れぬのですが」千坂が、訊
く。「あまりにも、私心がなさすぎると思われませぬか。いずれ、総見院様と
天下を争う力を養うための関白殿下の時間稼ぎとは見えませぬか。それに、」
利休が少し冷たく笑う。「総見院様の御子に対する処遇を見れば、関白殿下の
忠義というものも、あやしくないですか」もう、いやじゃ、こわい、利休様は
怖い。総見院様・関白殿下の側近として、枢機に参画し、相談相手になってお
ったと聞くが、恐ろしいことをいわれるお人じゃ。
第三十二話「利休」(5)
遠くの方から秀吉の声が聞こえる。小姓と笑いながら近づいているのが、音で
わかる。秀吉がにじり戸から、顔をにょきっと出した「軍議を始めたのじゃが、
やはり大和大納言がおらねば、話にならぬ。急きょ、有馬の湯に使いを出して、
呼ぶことにした。軍議は明日に繰り延べじゃ。わしも茶を飲むぞ。」入ろうと
して、「無理かのう」と、つぶやき思案顔。「そうしよう。すまぬが、わしと
上杉殿、二人きりにしてはくれぬか。直江などは、すまぬが席をはずしてくれ。
そうじゃ、利休、直江は、田舎人なれど、漢詩もよくする風流な男じゃ、そな
たの山里の廓の茶室を見せてやれ」「こちらに控えるは千坂景親でございます。
以後、お見知りおきを。上杉の留守居役を任せるつもりでございまする」にっ
こり、うなづく秀吉。
山里の廓に案内される。なんと、豪華絢爛・豪壮無比の大坂城の中に、このよ
うな場所があるとはのう。後ろについてくる千坂も目を丸くしている。小さな
小屋の前で利休が振り返る。「先ほどの茶室とは、かなり違いまするが、また
別の趣がございまする。さあ、さあ、どうぞ」おお、なんと対照的な茶室じゃ
な。兼続と千坂、一切の装飾を排した簡素な茶室に入る。兼続、さっそく、利
休に質問する。「先ほどのお話は、よくわからぬ点がございました。おたずね
してよろしゅうございまするか」利休さまは、名前と違い鋭いお人じゃ。また
とない機会、聞けるだけのことを訊いておこう。「利休さまは、なぜ関白殿下
が総見院様と、いずれ天下を争うお考えがあったと思われたのですか」「最初
に不思議に思ったのは、さっきも話したように元亀二年の叡山焼き討ちの時で
ござる。ちょうどその時、それがしは堺から軍事物資を総見院様の陣に輸送し
てきたところじゃった。普段は、下人にまかせるのじゃが、その時は大量の焔
硝の注文がありそれがし自らが宰領して運んできたところ、総見院様から傍に
おり茶を点てよと命ぜられた。ゆえに、叡山焼き討ちの一部始終を見聞するこ
とができたのじゃ。ちょうど、軍議の始まる前じゃった。総見院様は普段でも
恐ろしげなお方じゃったが、その時の、ご様子は、目は血走り、顔面は蒼白じ
ゃった。殺気の塊といったご様子じゃ。前年、南下してきた浅井・朝倉勢をひ
きいれた比叡山に対する総見院様の御怒りはすさまじく、山王二十一社、根本
中堂はもとより、全山一木一草残らず焼き払え、老若男女の区別なく生けるも
のはすべて殲滅せよ、というものでござった。佐久間殿が反対された。叡山は
国家鎮護の社にして、高僧名僧数多おり、古より伝えられた宝物も数多くあり
まする、なにとぞ、御再考を、と。総見院様に諫言するお人は佐久間殿と決ま
っておったのでな。」「その時の関白殿下のご様子はどのようなものでござい
ましたか」津々たる興味で、兼続が訊く。「総見院様は、ものすごい勢いで、
佐久間殿を叱られた。前年の戦いで、弟君信治さま、森殿、坂井殿を喪い、直
前の長島攻めでも、氏家殿などを戦死させておった総見院様は、怒髪天を衝く
ご様子で、命令遵守を厳命された。その時、叡山の後背の湖まで船を出して封
鎖する完璧な包囲陣を敷くことを献策されたのが、関白殿下じゃ」なんと、や
る気満々のようじゃな「それを聞いた諸将は、みな厭な顔をした。われらは、
仏罰を恐れて、なんとか翻意していただけないかと苦心しておるのに、猿めは、
かような時もゴマをするのかとな。そして、虐殺が開始された。僧侶僧兵ばか
りではなく、女子供に至るまで、みな殺された。ところがじゃ、完璧な包囲陣
を敷くように献策された関白殿下の部隊の警戒線だけ甘く、ここから多数のも
のが脱出するに成功したのじゃ。不可思議な話じゃろう。」確かに、そうじゃ。
第三十二話「利休」(6)
「関白殿下は、叡山焼き討ちに内心反対じゃったから、最初から助けるつもり
で、包囲陣を献策したのじゃろうか」兼続がつぶやく。「しかし、総見院様に
気づかれれば、ただではすまぬ仕儀にあいなるのではありますまいか」千坂が
尋ねる。「総見院様は大変な剣幕じゃったからのう。逆らえば、即刻手討ちに
されかねないご様子じゃった。明智殿も、何度も反対されておったようじゃが、
この日は観念して、捕捉したものは、童にいたるまで首をはねたようじゃ。他
の諸将も同様じゃ。それなのに、関白殿下は、助けられたのじゃ。不可思議じ
ゃろう」利休が応える。「関白殿下は、総見院様によく怒られておったと聞い
ておりまするが、怒られても大したことがないと思われたのじゃろうか。ある
いは、とがめられても、部下の不始末とかなんとかいって、ごまかしきれると
思うたのじゃろうか」千坂が、推理をする。「いや、総見院様は、ごまかしき
れるような甘きお方ではないし、関白殿下は、不遜なお気持でお仕えされてお
ったのではないと思うが」兼続が反論する。「関白殿下がお優しいお方である
ことは間違いない。子供の頃より、言うに言えぬ苦労をされてこられたのじゃ
ろうが、それゆえ、人の悲しみ苦しみに敏感なお方じゃ。無辜の民草が殺され
るのを座視できなかったのでござろう。しかし、関白殿下は、単純な仁者では
ない。鳥取の渇泣かしなど、平然と計算ずくで餓死させる面ももっておられる。
それがしは、関白殿下には、総見院様とは違う天下平定の構想、政治の原則の
ようなものがあったのではないかと思うておる」ふむふむ、「総見院様の足り
ない部分を補うお考えもあったと思うております」ふむ、しかし「しかし、そ
のことと、関白殿下に、いずれ天下を争うお考えがあったというのは、飛躍が
あるのではございませぬか」ふふ、利休が笑う。「本能寺以降の関白殿下のご
活躍をご覧あれ、散歩するつもりで富士山に登るお人はおられませぬ」なんか
頭の後ろが痛くなってきた。利休さまは、恐ろしきお人じゃ。
「利休様は関白殿下のご信頼厚い側近中の側近。それがしは、これから上杉家
の留守居役として関白殿下とお会いする機会もあるやもしれませぬ。関白殿下
のご器量が広大無辺であることは、重々承知しておりまするが、一番注意する
べきことは何でございましょうや」千坂は、ほんに駆け引きのない男じゃのう。
兼続も少し感心する。この調子で行く方が無難じゃろう。「関白殿下が、地下
の出身であることは、世に隠れもない事実であり、地下から粒々辛苦の末、関
白にまで成り上がった点こそ、関白殿下の偉大なところと、それがしなど思う
のじゃが、実は関白殿下は、自分が地下の出身であることを、あてこすられる
ことを嫌っておられる。そのことは、注意するべきじゃろうて」関白殿下に、
そのような面があるのじゃろうか。本当じゃろうか。
保守
第三十二話「利休」(7)
「秀吉公は関白殿下になられて変わられた。ご存じか。秀吉公が実は自分は天
子様の落しだねと言われておることを」落しだねとは御落胤のことでござるか、
それは、ちょっとというか、かなり無理があるのではないかのう。何か深いお
考えがあってのことじゃろうか。「関白職は代々五摂家が独占してきたもの。
素性の知れぬ秀吉公が関白職に就くことには抵抗も大きい。それゆえ、このよ
うな作り話をされたのではござりませぬか」兼続、気をまわして尋ねる。「そ
なたの御見立て通りじゃろうが、荒唐無稽の話でござる。大政所さまが、朝廷
にお仕えして、天子様の御子を身ごもった、などという話に騙されるもには、
どこにもおらぬじゃろう。公家どもの抵抗を和らげる屁のつっぱりにもなるま
い。むしろ嘲笑しておるじゃろう」しかし公家など官位が高いだけで無力なも
のじゃ。勝手に笑わせておけばよいのではないか。「それがしは、この大坂に
新しい城を築く計画を相談されたとき、総見院様の安土をしのぐ、新しい都を
作るつもりじゃった。開闢以来初めて現れた英雄に相応しい、どこにもない新
しい都を作るつもりじゃった。しかし、関白殿下は、変わられた。朝廷の権威
で、ご自分の綺羅を飾らんとしておる。そんなことをせずとも、充分偉大であ
るにもかかわらずじゃ。総見院様など、右大臣に任官したもののすぐにやめて
おられる。源頼朝公もそうじゃ。それがしは、あまりおもしろくないのじゃ」
第三十二話「利休」(8)
「そんなことを話されたのか、利休さまは。びっくりしたじゃろう。なにしろ、
利休さまは、もとは総見院様の茶頭をされておったお人じゃ。そして、総見院
様から、蘭奢待を頂くほど大事にされておったお人じゃ。そなたは、蘭奢待を
知っておるか」堺の町なかを歩きながら、会話する三成と兼続。堺奉行に着任
したばかりの石田が、兼続を堺に招待してくれたのだ。「正倉院の宝物じゃろ
う」「なんでも、よく知っておるのう。利休さまは、関白殿下にとっては、お
茶のお師匠様であるばかりでなく、総見院様と同じく見上げる存在であったお
人じゃ。頭が上がらぬのじゃ」「それにしても、利休さまは、頭の鋭いお方じ
ゃのう。ただの茶人・商人ではないようじゃ」「そうじゃのう。茶の湯自体、
書や骨董などすべてを含んだ総合芸術とでもいうべきものじゃから、ものごと
をまとめていく力がある。企画力があるのじゃ。それに茶の湯を通じた影響力
も馬鹿にはできぬぞ。細川殿や高山右近殿などは、利休さまの高弟じゃし、地
方の大名の中には、天下第一の茶人として賛仰しておるものも多い。それゆえ、
関白殿下は利休さまを外交に使われたりもしておるのじゃ。」なるほどな。茶
の湯というもの自体が大きな影響力があるのじゃな。「それにしても、直江は
茶の湯に興味がないようじゃな」図星じゃが、なぜそれがわかる。「茶の湯を
志す者ならば、利休さまにお点前のことなど質問攻めにするじゃろう。政治向
きの話を聞いたのは、そなたぐらいじゃ」石田が笑う。「もっとも、利休さま
が重用されるのは、他にも理由がある。関白殿下の家臣には、政治向きで使え
る者が少ないのじゃ。本能寺の変で村井さまなど総見院様の政治を取り仕切っ
ておったお人が戦死しておるし、明智軍に配属しておった室町幕府の用人じゃ
った方々も、山崎で戦死しておる。槍働きに優れた勇士はたくさんおるがのう。
国を治める経綸を備えたものが、おらぬのじゃ。どうじゃ、そなたも関白殿下
の直臣にならぬか。それがしと一緒に天下の仕置きをせぬか」そうくるか、石
田は関白殿下と同じく口が上手いな。話をそらさねば。「堺の町の繁栄は、聞
きしに勝るものじゃのう。それにみな裕福で自由に満ちた別天地じゃ。みるも
のすべてが珍しく、美しいのう」「堺の繁栄は何によるものか、わかっておる
のか」「それは、南蛮との貿易ではないのか」「貿易の利益も莫大なものじゃ
が、堺は貿易港であると同時に工業都市でもある、日本一の鉄砲生産地じゃ。
堺は、各地の大名に鉄砲を高値で売りつけておる。鉄砲はいまや決戦兵器じゃ
から、誰もかれも喉から手が出るほどほしい、その足元をみて、高値で売り付
けておるのじゃ。作れば来るだけ売れる。ぼろい商売じゃ。」石田が少し間を
置く。「いわば堺の繁栄は、諸国の戦乱の上に築かれたものじゃ。堺の人々の
富貴は、諸国の戦乱で苦しむ無辜の民草の血と涙で作られたものじゃ。何が自
由じゃ、ちゃんちゃらおかしい」石田、そなたは堺の奉行になったのじゃろう。
そんな調子で、うまく治めることができるのか。それにしても、石田は正義漢
じゃのう。発想がこわい。「そなたは堺の奉行になったのじゃろう。どうやっ
て治めていくのじゃ」石田がにやりと笑う。「堺ばかりにうまい汁はすわさぬ、
博多を使う」おお、石田の考えそうなことじゃ。「さすれば堺もわが手にはい
ってくるじゃろう」なんと、天下第一の切れ者というのは本当じゃ。
第三十二話「利休」(9)
「博多を使うとは、具体的にはどうするつもりなのじゃ」「島井宗室や神屋宗
湛という商人を知っておるか」「知らぬぞ」「本能寺の変に居合わせた博多の
豪商じゃ。本能寺では、数多の総見院様秘蔵の名物が戦火で喪われたのじゃが、
なんでも、鳥井は床の間に飾られていた掛け軸を懐にいれて脱出したとかいう
豪のものじゃ。ただの商人ではない」「よく脱出することができたものじゃの
う。手ぶらで逃げぬところも只者ではないのう。」「石見銀山を開いたり、南
海や朝鮮・唐とまで交易をされておるお人たちじゃ。日本国にとどまらぬ大き
な視野をもっておる」もしや、関白殿下は、これらのものに焚きつけられて唐
入りを考えるようになったのじゃろうか。「それがしは、九州征討の兵站は、
鳥井・神屋など博多のものに任せるつもりじゃ。」「堺は使わないのか」堺奉
行のお役目はどうなるのじゃ。「堺も使うが、小西を引き立てるつもりじゃ」
小西、確か紀州征討の時の水軍司令官ではないかのう。「小西は、なかなかに
勇敢な男じゃ。紀州太田城攻めで功績があり、小豆島に領地を貰っておる。瀬
戸内海東部の海の支配を任されておるのじゃ。キリシタンでもある。ええと、
この辺じゃが」珍しく石田が狼狽しておる。道に迷ったのじゃろうか。すると
向こうに大きな朝鮮人参の薬の看板のある店が見えた。「おお、なんじゃ、間
違うておらなんだ。実は、それがしは、方向音痴じゃ。よく、道を間違える。
思いこみが激しいのかもしれぬ。」石田、それは武将としては致命的な欠点か
も知れぬぞ。直しておけよ。それにしても、石田は、自分の党派を作らんとし
ておるのじゃろうか。どうも、それがしも、そのなかに組み込まれておるのじ
ゃろうか。それは、ちと困る。石田と昵懇になるのは、あくまで上杉家の安泰
のためじゃ。関白殿下の政権内部の権力闘争に、われらが巻き込まれるわけに
は参らぬ。かといって、無理に石田と阻隔を作ることもないがのう。石田との
付き合い方が、一番難しいことかもしれぬ。兼続、いろいろ考える。「あの店
が小西の父親の店じゃ。ちょっと、寄るぞ」ははあ、引き合わせくれるのじゃ
ろうか。
相変わらず面白いです
<反省会>
「筆者が宇宙戦艦ヤマトの艦長ならば、コスモクリーナーは間に合わず、人類
は滅亡しておるのう」「まことに、まことに。しかし、筆者はあいかわらず落
ち着き払っているようでございまする」「修論落して一年留年した男じゃから
のう。しかし、ナメクジ以下のスピードになっておるぞ。どうも、瑣事に拘泥
しておるように思えるのじゃが」「というか、わけがわからないまま、やって
おるからでございましょう。何が大事か、わけがわからないようでございます
る」「まことに前途は遼遠じゃ。のだめちゃんに負けるやもしれぬ」
「ところで、もてない男の大河ドラマに関する本、ちらちらと読みましたぞ。
なんですかな、あの挿絵のようなもの、ちょっとびっくりしましたぞ」「わら
わも、びっくりしたぞ。頭はよいお人のようじゃが、絵心はないようじゃ」
「いきなり脱線したが、筆者はどのような心づもりなのじゃ」「筆者は、ない
知恵を振り絞っていろいろ考えたようでございまするよ」
慶長五年(1600年)
四月十四日(付)直江状、家康の上洛命令を拒否
六月六日・家康、会津出陣を命令。十八日・家康、伏見を出陣
七月二日・家康、江戸城に到着。十七日(付)三奉行、家康弾劾の書状を発す。
七月二五日・小山会議。七月二六日・福島など、西進開始。
八月一日・西軍、伏見城を攻略。八月二三日・東軍、岐阜城を攻略。
九月一日・家康、江戸より出陣。九月十五日・関ヶ原の戦い。
九月二一日・三成。伊吹山中で捕えられる。二七日・家康、大坂城に入る。
十月一日・三成、斬首。
「なんですか」「簡単に時系列を整理した。やはり、関ヶ原がクライマックス
じゃからのう。関ヶ原で負けた時点でも、石田などは、やる気満々じゃったの
ではないか。秀頼様を擁する輝元殿が大坂城におられるし、立花など大津城を
攻撃していた精鋭も健在じゃ。これらを糾合して、さらに一戦と考えておった
のじゃと思う。宇喜多殿も島津殿も同じ考えで、大坂城を目指しておったのじ
ゃと思う。石田殿の最期の柿のエピも、その構想への未練と考えるべきじゃっ
たと思うぞ」「ふむ、関ヶ原一日で天下の形勢が決まるとは、それがしも思う
ておりませんでした。ゆえに、長谷堂で、第二報をまっておったのじゃが、あ
んなことになるとは」「秀頼様を擁しておる以上、天下を握っておったのは、
輝元殿なのに。あの弱腰、関ヶ原第一の戦犯は、小早川ではない。輝元殿じゃ」
「やはり天下を競望せずという家訓のせいじゃろうか」「それもあるじゃろう
が、毛利は朝鮮に実力以上の大軍を派遣しておるゆえ、厭戦気分があったのか
もしれぬのう。やはり、朝鮮出兵が関ヶ原の鍵じゃ。民心も豊臣から離れてお
ったようじゃし。筆者は、看羊録などを見ておるところじゃ。後、遠藤周作先
生も見ておる。びっくりするほど、飛ばしておるのう。小西が、太閤殿下を暗
殺するなんて、すごすぎるのう。ちょっとだけ、びっくりしたぞ」「大河にし
たらおもしろいかもしれませぬなあ。」「そうじゃ、高山右近を主役にして、
キリシタン大名たちを描くのじゃ。また、脱線したが、小山会議の後、南進追
撃というのも、時系列を見る限りないな。家康公は一カ月以上江戸に留まって
おる。これ以上、そなたたちに求めるのは酷というものじゃ」「百年の知己を
得たような気がいたしまする」
筆者、利休と秀吉とか、さまざまな本を読んで、圧倒されながら、気を取り直
して、ナメクジの這うようなスピードで進んでおりまする。なにとぞ、長い目
でお身守りくださいませ。越後に帰れば、話は動いて参りまする。ご寛恕願わ
しく、早々。「手紙かよ」
>>304 大河板銀座Now更新
>「ところで、もてない男の大河ドラマに関する本、ちらちらと読みましたぞ。
>なんですかな、あの挿絵のようなもの、ちょっとびっくりしましたぞ」「わら
>わも、びっくりしたぞ。頭はよいお人のようじゃが、絵心はないようじゃ」
こんやさんの奥さんが描いた挿絵はなかなかよかった。
緒形拳の秀吉とか。
第三十三話「羽柴秀長」(1)
次の日、秀長より使いが来る。「中将様より、能をご覧にいれたいとのお誘い
がございまする」なんと、秀長様は有馬からお帰りになったばかりなのに、わ
れらを歓待して下さるのか。ぜひにも、お目にかからねばならない。なにはと
もあれ、景勝と兼続、さっそく大坂城下で最も大きい秀長の屋敷に参上する。
「突然のお誘いにかかわらず、早速来ていただいて、感謝いたしまする」おお、
関白殿下の異父弟ときくが、秀麗な顔立ちじゃ。関白殿下の一族は、地下のも
のとかいうが、あるいは高貴な人々の末裔じゃったかも知れぬ。関白殿下が、
天子様のお胤というのも本当かもしれぬなあ、兼続があらぬことを連想してお
ると、能が始まった。明智討伐を題材にしたものらしい。本能寺の変の報を聞
いて号泣する秀吉役の演技に引き込まれる。ふむふむ、関白殿下の公式見解を
もとにして作られたのじゃな。ちょっと、おもしろいなあ。
能が終わって、お茶を頂くことになった。景勝と兼続が部屋に案内されると、
秀長の傍らには、えらく大きな男が座っていた。「藤堂高虎でございまする」
おお、秀長さまの片腕ともいうべきお人じゃ。秀長が、柔らかい声で話す。
「先ほどの能は、天子さまにもご覧いただく手はずになっておるのじゃが、わ
しの出番がないのじゃ。まあ、さしたる活躍もしておらぬから仕方ないがのう。
わしは、尾張中村の百姓じゃったものが、関白殿下の弟というだけで、ここま
で引き上げられたものじゃ。不才不徳の者じゃが、今後昵懇にお願いいたしま
する」恐縮する景勝と兼続、威望天下を圧するお人というのは、真じゃ。「と
ことで、上杉殿は、信玄公の婿であると聞いておるが、信玄公の弟君、信繁様
のことを何か訊いておられぬか」唐突に、何のお話じゃろう。「最近、わしは
武田と縁ある高僧より、武田典廐信繁殿の家訓を頂きました。天下人の弟とい
うものは難しき立場じゃ。功もないのに重職に挙げられ、人もほめそやす、知
らず知らず増長することもあるやもしれぬ、とその高僧に相談したら、信繁殿
の家訓を下さったのじゃ。たしか、川中島で戦死されたお人と聞いておるが」
「はい、謙信公が、信玄公の作戦の裏をかいて、信玄公の本陣を突こうとした
とき、その前に立ちふさがって最後の一兵になるまで戦い、戦死されたお方で
ございます。あの冷静な信玄公も、その亡骸を抱いて号泣されたと聞き及んで
おりまする。われらにとっては大敵でござりましたが、謙信公をはじめ、みな
その死を惜しんだと聞いておりまする」兼続が応える。「わしも、関白殿下の
弟として、兄に尽くして忠義を全うした信繁殿を見習いたいと思うておる。天
下人の弟というものは難しいものじゃ。古くは、源義経の例もある。もっとも、
わしは、義経公と違って軍略の才はないがのう」「ご謙遜が過ぎましょう。四
国攻めの総大将として、大功をあげられたと聞き及んでおりまする」「はは、
われらの戦は、先ず勝ちて而る後に戦いを求め、でござる。ゆえに、われらに
は、智名もなく、勇功もなし、でござるよ」孫子か、信繁様の家訓は、古典を
縦横に引用しておる難解なものじゃが、秀長様もよくお調べになっておるよう
じゃ。「それゆえ、われらは負けることはない。調略などで内応者を作り、兵
要地誌を作り、兵站を整え、圧倒的な大軍を動員する、必勝の態勢を整えて、
初めて戦を開始するからのう」ちょっと、脅かされておるような気がしてきた。
そういえば、兼続、思い当たることがあり尋ねる「その武田と縁のある高僧と
は、南化玄興和尚のことではござりませぬか」「よくお分かりじゃのう。その
通りじゃ」やはり、それがしも南化和尚に逢うてみたいのう。兼続、ちらとお
船のことを思い出す。
307 :
日曜8時の名無しさん:2010/02/17(水) 21:33:07 ID:eW5kbhC5
せっかく投稿して頂いて悪いんだけど
ちゃんと改行校訂してくれないと読む気起きないんだが
それと一応、ドラマの元ネタという設定なのに
戦国うんちく語りみたいになってるのはいただけないな
天地人みたいに内容スカスカなのは当然悪いが
ここまでテンポ悪いのもどうかと思う
また変なのが湧いてるけど、この文体とか雰囲気とか俺は好きです>作者氏
気になさらず頑張ってくださいませ
昨年の大河ドラマダメージが癒されます。
作者様、御自分のペースで続投願います。
第三十三話「羽柴秀長」(2)
酒肴が運ばれ、酒宴となる。「先ほど、われらの戦いには、智名もなく勇功も
なしというたが、実は四国攻めで、わしは大変困った状況に追い込まれ焦って、
あやうく藤堂を死なせるような失敗をしてしまったのじゃ」秀長が、うちとけ
た様子で、景勝と兼続に話す。そして傍らに藤堂を呼び寄せる。「この藤堂は
みての通りの大男じゃが、中味もぎっちり詰まった男じゃ。何をやらせても、
間違いのない男じゃ。わしは、関白殿下に何一つ到底及ばぬ男じゃが、唯一勝
っておるのは、藤堂を家臣にしておることじゃ。関白殿下の家臣には石田のよ
うな切れ者や、七本槍のような勇士が数多おるが、藤堂の方が優れておると、
わしは思っておる」「中将様、過分の御褒め恐縮いたしまする」藤堂が赤面す
る。これ以上ない褒め言葉じゃ。よほど、藤堂の力量をかっておるのじゃな。
「わしは関白殿下の弟というだけで、土民から目もくらむような高みに引き上
げていただいたものじゃが、反面、弟ということで、いろいろ我慢することも
あった。わしは山崎合戦では天王山の守備、賎ヶ岳の戦いでも木ノ本の守備を
するだけじゃった。四国攻めは、わしにとって生涯初めてのひのき舞台じゃっ
た。わしは、張り切った。というても、長曾我部は、和睦したがっておったし、
毛利・宇喜多も動員した圧倒的な大軍で攻め込むのじゃから、何の心配もない。
そして、実際作戦は日程通りすらすらと進んでおった。ところがじゃ、関白殿
下が、突然何を思われたか、御みずから親征すると言いだされた。言い出され
たばかりか、堺まででばってきて、まだかまだかの矢の催促じゃ。」ちょうど、
越中の佐々征討の前じゃ。何か、われらの知らない情報が入ったのかもしれぬ
なあ。「関白殿下がもし増援部隊を率いてこられたら、わしは面目丸つぶれじ
ゃ。秀長が攻めあぐんだため、関白殿下みずから出陣されたということに、世
間ではなるじゃろう。わしは焦った。その時、われらは、阿波一宮城を攻撃し
ておった。険岨な山城じゃ。普段ならば、包囲して兵糧攻めにするか、調略す
るか、時間をかけるところじゃが、焦っておるわしは、強攻を命じた。長宗我
部は、雑賀とつながりがある。熟練した鉄砲隊に狙撃され、攻撃は頓挫した。
その夜じゃ、この藤堂が、単身、いや従者を連れて、堀の深さを測りにいって
くれたのは。そして、狙撃された。さいわいなことに、弾は鎧を貫通したが、
直垂でとまっておった。しかし、藤堂は、人事不省になって、高熱を出した。
わしは、うんうん唸っておる、藤堂の顔を見ながら、わしの功名心が、藤堂を
殺すのかと、心の底から後悔した。わしの功名など藤堂の命には代えられぬも
のじゃと思うた」藤堂は、何度も主家を変えた計算高い男じゃと思うておった
が、忠義者じゃのう。いや、秀長さまの信頼が、藤堂を忠義者にしたのじゃろ
う。やはり、関白殿下の弟君、万人の上にたつ器量のあるお方じゃ。
「藤堂は、城を作るのも得意じゃ。上杉殿も城を作る時は、藤堂に相談すれば
よい。重宝な男じゃ。しかし、藤堂はやれぬぞ」ちょっと、冗談ぽくいう秀長。
「それがしも、浅井・阿閉・磯野・津田と何度も主家を変えてまいりましたが、
秀長様に終生お仕えする所存でございまする」ちょっと、感動する景勝と兼続。
よき主君とよき家臣じゃ。
「そういえば」藤堂高虎が秀長に話す。「関白殿下から、佐々殿が九州征討作
戦への従軍を願い出ておるが、中将はどう思うかとのお尋ねがございました」
「佐々殿も、闘志がよみがえったようじゃのう。このまま朽ち果てさせるには
惜しいお人じゃ。わしも賛成じゃと伝えてくれ」「関白殿下は、何事も中将様
にご相談されまする」藤堂が少し自慢げに言う。
「徳川に対する融和策をどのようにお考えでございますか」兼続が尋ねる。石
田の話では、秀長様は、朝日姫様の輿入れに反対されておったと聞くが。
「関白殿下のご命令で、わが妹は離縁して、徳川殿に嫁いだ。わしは、仲睦ま
じい夫婦を引き裂いてまで、天下平定の礎にせんとした関白殿下の苦衷、その
苦衷を察してうけてくれた朝日の志を無にするようなことはできぬ。いまは、
一日も早く、徳川殿が上洛されることを願うのみじゃ」なんと、肉親の情とし
ては当然じゃが、石田の話とは大分違うではないか。大丈夫かな。少し、真田
ことが心配になったぞ。悪い予感のする兼続。
<反省会>
「タイトルを考えたぞ。『お船と兼吉の米沢三十万石物語』じゃ。どうじゃ」
ええと、突っ込みどころ満載じゃが。何から、言えばよいのやら。「藤子先生
の漫画を参考にしたのじゃ。やはり主人公の名前を出した方がよいぞ。ロケッ
ト君みたいに」ええと、これだけにしよう。「その題名ですと、お館さまと菊
姫さまを、蔑にすることになるのではありますまいか。われら夫婦はあくまで
家老夫婦でございまする。それがしの名前も違うようですし、それに、いかに
も、前田夫婦をパクったように、思われるのではありますまいか」「うむ、偶
然の一致じゃが、そういわれてみればそんな気もせんでもないのう。別のタイ
トルを考えよう。そなたも、考えておけよ。」
「ところで、ようやく上洛編も、あと一話で終わりじゃが、大河での、そなた
の、幸村、また逢おう、というシーンは、なかなか良かったのう。ゴッドファ
ザーパートUの、ビト・コルレオーネを含むイタリア移民が、自由の女神を見
るシーンのようであった」「いくらなんでも、それは言い過ぎでございましょ
う。それにしても、それがしの愛の前立てに、原作者の先生は思い入れがある
ようでございますなあ」「筆者は、愛の前立ての話は苦手じゃ。子供店長も苦
手じゃが。意味がよくわからぬ。第一、そなたは、それほど甘き男ではあるま
い。米沢三十万石に減封された後、本多正信に対する工作をする一方、ひそか
に鉄砲職人を呼び寄せ軍備を充実させるなど、二枚腰・三枚腰の男じゃ」「海
音寺先生にも、御褒めにあずかっております」「海音寺先生は、そなたのこと
を高く評価しておるのう。特に、関ヶ原以後の二十年を。」「はい、反面、石
田と真田のことは、ぼろくそでございますね。人徳の差というものでしょうか」
「海音寺先生は、史実に詳しきお人、参考にせねばならぬが、しかし、石田に
は厳しいのう。」「ところで、真田と石田は、相婿の義兄弟なのじゃが、筆者
は、いつ本編に書くつもりなのでしょう。」「忘れておるかもしれぬ。筆者は、
後で気づいて、間違えたと思っておることは、山ほどあるぞ。おお、そうじゃ、
忘れないように、メモっておこう。家康公が東鏡を愛読したのは、武家関白を
打倒し、東国に幕府を開かんとしたのではないか」「なにやら、ペダンチック
になっておるのう。」「廷尉なんとか、という大正時代の訳を読んでおります
る」「前回、突然義経が出てきたわけがわかったぞ。しかし、吾妻鏡を家康公
も読んでいたかと思うと、不思議な気がするのう。」「なにやら、筆者、徳川
の勉強をしておるようじゃが、まさか」「そのまさかじゃ、そなたには、近い
うちに、徳川にお使いに行ってもらうことになっておる」「それがしは、上杉
家の執政なのじゃが、おつかいばかりで、いつ政務をとるのじゃろう。あまり
にも、軽々しいのではないかのう。」「九州に行かされないだけ、ましと思わ
ねばならぬ。筆者は、そなたを動かして話を進めることしか、能がないのじゃ。
何事も、がまんじゃ。その前に、上洛編の掉尾を飾る『京都の夜』じゃ。」
「なんか、修学旅行みたいなタイトルですね」「本編の主人公、お船さまが、
大活躍する回じゃ。やはり、主役が登場しないと、面白くないじゃろう。そう
じゃろう」
筆者、関ヶ原挙兵の石田の動機を考えております。石田には、自分にしか天下
の仕置きはできぬという自負があったのではないかと。そして、そのためには、
豊臣政権の政策を検討する必要があると、考えておりまする。
読みづらい><
第三十四話「京都の夜」(1)
景勝の参内のため、京都に戻る一行、秀吉も上洛してきた。「いよいよ、こた
びの上洛の総仕上げでございますな」「うむ。謙信公も、二度上洛されたおり、
後奈良天皇・正親町天皇に拝謁されておる」お館さまは、喜こんでいるようだ。
関白殿下の推挽で任官することは、自動的に関白殿下の臣下になることじゃが、
本当によく考えられておる。天子様に拝謁できる感激で、何もかも忘れてしま
いそうじゃ。兼続、お船を探すが、「奥方様は近江に調査に行かれておられま
する」と言われる。何をしらべておるのじゃろう。検地かな?
天正十四年六月二四日、上杉景勝は、秀吉に先導され参内、従四位下左近衛権
少将に叙せられた。最初から分かっていたことだが、秀吉の対応の変化に驚く。
「上杉少将、自今わが節度に従え」大音声で決めつけられる。お客さま扱いは
終わりで、これからは純然たる臣下ということじゃな。景勝の後ろに控える兼
続、少し面白くない。
はずむ足取りで本国寺に戻る景勝。「わしは、和仁親王様より天杯を賜ったぞ。
景勝一代の冥加じゃ。感激じゃ。関白殿下に感謝の言葉もない。そなたの御蔭
じゃ。上洛してきて本当によかった」お館さまにしては珍しく舞い上がってお
るようじゃ。無理もないが、それがしも感激で胸が詰まる思いじゃ。
関白殿下の使者として真田幸村が来る。なんと、「それがしは、関白殿下の近
習として、さまざまなことを学ばさせていただいておりまする。関白殿下から
の御言葉をお預かりしてまいりました。上杉少将、こたびの上洛真に大儀。な
お、位官については、さらに上らせることを考えておる。さらに佐渡・庄内へ
の関与を承認するとのことでございまする」なんといたれりつくせりじゃな。
決めるところは決めて、その後の懐柔も抜かりなしか。佐渡・庄内は手柄次第
ということか。しかし、新発田の件はどうなるのじゃろう。
「ところで、少し気になることがあるのじゃが、そなた、どうも徳川への攻勢
というのは、石田・大谷などの一存で容認されておるようで、関白殿下の政権
全体の意志ではないようじゃ。もしや、真田だけの責任にされる可能性もある
やもしれぬ。留意せよ。もし、困ったことになれば、遠慮なく相談してもらい
たい。われらにとって、真田は南の藩屏、それに、われらは謙信の家じゃ。何
があっても見捨てることはない」「ありがたきお言葉、何かありましたら、ご
相談いたしまする」「われらの連絡網をお使いなされ」少し気になっておった
から、よい機会じゃった。幸村を使わしたのは石田の考えじゃろうか。
そこに、お船が戻ってきた。
第三十四話「京都の夜」(2)
さっそく、景勝と直江夫婦の打ち合わせ会議が始まった。まず、兼続が要領よ
く大阪での出来事を報告する。「ふむ、利休さまは関白殿下が変わったと言わ
れたのか」すこし考える風情のお船、おもむろに口を開く。「考えてみれば、
関白殿下のまことの姿を誰も知らぬのかもしれぬ」うん、どういう意味?「関
白殿下は、幼き頃、家を出され各地を放浪し、ありとあらゆる苦労をされた。
乞食や盗賊まで、やりきったという話じゃ。それゆえ、関白殿下は、人の心が
読める。人の悲しみ、苦しみを自分のことのように感じる感受性を身につけら
れてた。そしてそれを武器に、天下を取られた。」「世の中の裏の裏まで知り
つくされたお方が、天下に立ったわけでございまするね」兼続が、相の手を入
れる。「そうじゃ、しかし、誰も関白殿下の本当の姿を知らないのではないか
のう」「どういう意味ですか。それがしは関白殿下は聡明で心優しく、度量の
大きなお方と思うておりまするが」「それはその通りじゃが、それは、関白殿
下が苦労した少年時代、総見院様にお仕えしておった時に、みずから作り上げ
たものではないか。いまや、関白殿下は、天下平定目前じゃ。誰に憚ることな
き立場になられた。利休さまは、関白殿下は変わられたと言われたそうじゃが、
本当の姿をお見せになりつつあるのやも知れぬ」言われてみればそうじゃ、今
や、天下は関白殿下の思うままじゃ。関白殿下が何をお考えなのか、どんなお
方なのか、再検討する必要があるようじゃ。
「ところで、お船殿の収穫はいかがなものですかな」「わらわも、収穫大じゃ。
何から話そうかな」少し考えるお船。「まず、細作からの報告を話すとしよう
か。尼崎などには、大量の食糧・軍需品が集積されておるようじゃ。毛利の領
内には、道路・港湾の整備を念入りにするようにとの関白殿下の命令が出され
ておる。赤間が関には、関白殿下の直轄領が設定され、大きな蔵が建設されて
おるそうじゃ」「九州征討の準備も着々と進んでおりまするな」「そればかり
ではないようじゃ。唐入りも視野に入れて、念入りに作れとの命令が出ておる
ようじゃ」「うすうす、唐入りがあるやのようなことは、関白殿下や石田など
から、ほのめかされておりまするが、本当でございましょうや。」「どうも、
唐入りの計画は本当のようじゃ」「しかし、何故でございましょう。天下が平
定されれば、内政に力を注ぐのが筋ではないじゃろうか。無益な戦をするべき
ではないのではないじゃろうか」兼続、誰もが思う当然の疑問を口に出す。
「その内政に、唐入りは関係があるのじゃ。ううん、どう話せばよいのじゃろ
う。ざらざらと話すから、疑問に思うところは、質問せよ」前置きして、お船
話し始める。情報、盛りだくさんのようじゃな。
「わらわは、お館さまなどが大坂に発たれた後、妙心寺に赴き、南化玄興和尚
にお目にかかったのじゃ。勝頼公の首を鄭重に供養してくださったことについ
て奥方様よりお礼されるようにもうしつかっておったのでな。南化和尚のとこ
ろにいったら、先客がおった。わらわと年格好が同じくらいの女性じゃ。南化
和尚が、所用で席を外されて、なかなか帰ってこないので、わらわはその女性
と世間話をしておった。」誰じゃろう。「昨年暮れの畿内の大地震は大変な被
害を出したようじゃ。その女性も城が倒壊して、一人娘を亡くされたそうじゃ」
「城もち大名の奥方様なのですか」「そうじゃ、山内一豊殿の奥方じゃ。知っ
ておるか」「いや、存じませぬ」「長浜城の城主じゃ」長浜城、そういえば、
上洛の途中、崩れた天主閣を解体しておったが。しかし、長浜は、関白殿下の
旧領、そこをまかされるとは、関白殿下の信頼の厚いお人のようじゃ。
「なんでも、関白殿下の家臣のなかでは最古参のお人らしい。奥方様も、千代
様といわれるのじゃが、なかなか世間に名が通ったお方じゃ。覚えておらぬか。
総見院様の御馬揃えの時、誰も手が出ぬ高値の名馬を、ご自分のへそくりを出
して亭主殿に買わせた奥方の話を」「おお、そういえば、美談として、そんな
話がありましたなあ」「その本人じゃ。千代様は」「おお、それは奇縁でござ
いまするな。才気煥発の才女なのじゃろうか」「いや、娘を亡くされて半年じ
ゃから、元気はなかった。子に先立たれた親は一生立ち直れまい」不意に、お
松の顔が浮かぶ。はやく、逢いたいのう。もう、大きくなったかな。
第三十四話「京都の夜」(3)
「千代様は、その亡くなったお嬢様の供養のことで、南化和尚を尋ねてこられ
ておったのじゃ。」ふむ、南化和尚と、とても親しいお方のようじゃなあ。
「南化和尚は、千代様の前に小さな男の子を連れてきて、面倒を見てもらえま
せぬかと頼まれておった。女の子ではなく男の子とは、南化和尚は、なかなか
深い考えのあるお人のようじゃ」逢ってみたいのう。
「ところで、わらわは千代様に、ちらと検地のことを聞いたのじゃ、検地とい
うのは、具体的にどのようにするのですかと、すると、千代様は、少し考えて
おられたが、今日は新しい息子を授かった日じゃから、仏への功徳として、教
えてあげましょうと、極秘情報を教えてくれた」なんじゃろう、景勝までも、
身を乗り出す。「検地が試験的に行われているのは、近江・山城じゃ。どちら
も、きわめて生産性が高い国であり、百姓どもも豊かなものが多い。しかし、
検地に対しては、猛烈な反対が起きておるようじゃ。」はて、聞いたことない
が。「近江は、関白殿下の政権の要の国じゃから、表立っての一揆は、即座に
鎮圧されるじゃろうから、耕作を放棄することで、抵抗しておるとのことじゃ」
ふむ、「検地というのは、土地の面積を測り、年貢を決定するだけでなく、そ
の田畑の耕作者を決めていき、領主と自作農を直接結びつけることを目的とす
るものじゃ。いわゆる土豪のごとき中間的存在は、すべて排除される。この排
除された者どもが中心になって、猛烈に反対しておるのじゃ。実は、わらわは
千代様に聞いた、逃散した村を見に行ってきたのじゃ。」「どうでしたか」
「千代様の話は、本当じゃった。無人の村が幾つもあったわ。検地というのは、
口で言うほど、簡単ではないようじゃ」おお「千代様の話によれば、総見院様
が大和で検地をおこなったときは、一万の軍勢を派遣し、五十以上の城を割っ
て、そのうえで検地をしたそうじゃ。検地というのは、軍勢の威圧のもとでな
いと難しいものらしい」「それで検地しても逃散されては、本も子もないでは
ないですか」「その逃げて行った百姓どもは、どうしておるのじゃ」突然、景
勝が珍しく質問する。「どうも、京や大坂に流入しておるようでございまする。
関白殿下は、大坂城・聚楽第・方広寺大仏殿と、矢継ぎ早に、大工事をはじめ
ておられますが、これらの流民を吸収するためかもしれませぬ」なるほど、関
白殿下は流石じゃ。そこまで考えておるのか。「つまり、お船殿は、平和的な
方法では、検地の遂行は難しいので、唐入りをするという戦時体制を構築し、
そのなかで検地など国内改革を進めるのではないかと見ておられるのですか。
しかし、それはおかしいのでは。唐入りのための軍勢を整えるため、軍役を課
す根拠となる検地をするのではないですか」兼続、またもっともな質問をする。
「唐入りは、関白殿下にとって、内政改革の目的であると同時に内政改革の手
段でもあるのじゃ。検地というものは、ここ百年以上の日本の体制を根本から
変革する改革じゃ。生半可なことでは成就できない大改革じゃ。ゆえに、唐入
りは目的でもあると同時に手段でもあるのじゃ。小牧の戦いを見てみよ、敵は
徳川じゃが、関白殿下は戦うこと以上に、自分の陣営を固めることに留意され
ていたではないか。それと同じことじゃ。関白殿下が、はかりしれない大きな
お方であることは、われらもわかっておるつもりじゃったが、想像を絶する大
きさなのかもしれぬぞ」おお、なるほど、そうかも知れぬ。
第三十四話「京都の夜」(4)
「関白殿下の精鋭は、専業の武士ばかりじゃから、上方は兵農分離が進んでお
ると思うておったが、そうではないのじゃろうか。検地ももっと簡単なものの
ように思うておったが」景勝、やはり関心があるのは軍事面である。「実は、
わしは武士と農民の区別がよくわからないのじゃ」景勝、率直な疑問を口にす
る。おお、しかしお館さまの疑問ももっともじゃ。そもそも、年貢を出せば農
民じゃし、軍役に服せば武士になるじゃろう。区別ができるのじゃろうか。
お船が応える。「関白殿下は、先年の紀伊攻めで、刀狩りというものをされて
おりまする。根来寺を焼き払った関白殿下の軍勢は、最後の拠点太田城を包囲
し、水攻めにされました。水が城内まで流れ込んできたため、籠城衆は、降伏
を申し出ました。すると、関白殿下は、主だったもの五十人ばかりを処刑し、
残余の者は助命し、そればかりか彼らが城内に持ち込んでいた、農機具・食糧
なども返してやり、村に返したそうでございます。そして、農業に専念せよと
布告したとのことでございまする」「やはり、関白殿下は、地下の出身ゆえ、
百姓どもにまで憐みをかけておられるのじゃな。これが総見院様ならば、間違
いなく皆殺しにされておったじゃろう。やはり、関白殿下は、お優しいお方じ
ゃ。天下を治める器量のあるお方じゃ。」どうも、景勝、上洛してからすっか
り秀吉に心服したのか、見方が相当甘くなったようである。
お船、少しも動ぜず話を続ける。「その後、この地域全体の百姓の武器を取り
上げたかのような噂もありまする。以上は、京で仕入れた情報で、紀伊の現地
に派遣しておる細作が戻れば、さらに詳細な分析ができるかと思われまする」
ふむ、つまり一揆の武装解除に留まらぬ、百姓全体の武装解除か、しかし、そ
んなことができるのじゃろうか。これも、軍勢の威圧のもとに、占領地だから
できたことなのじゃろうか。関白殿下は、日本国中で検地と刀狩りをやるのじ
ゃろうか。われらもせねばならぬのじゃろうか。検地をやりきれば、上杉家は
お館さまのもと、一糸乱れぬ家中となるじゃろうが、一歩間違えると、大反乱
が起きるやもしれぬのう。それにしても、関白殿下は、天下統一の戦のさなか
にもかかわらず、泰平の世を招来する方策もちゃんと考えておられる。それが、
唐入りと関連しておることは、気になるがのう。
兼続の心を読んだか「検地・刀狩りが進行すれば、意にそまず武士の身分を失
ったものの不満は高まりましょう。それらのものの不満をそらすためにも、唐
入りが設定されておるのやも知れませぬ」お船殿は、やはり鋭いのう。
第三十四話「京都の夜」(5)
お館さまの前を下がった後も夫婦の会話は続く。兼続、いつものように、洗い
ざらい報告させられる。「そなた、堺で小西殿に逢った後、和泉屋とかいう鉄
砲商人にあって鉄砲を注文したのではないか、身辺警護のものより報告が上が
っておるぞ、その話がぬけておるようじゃが」やっぱり、それがしは四六時中
監視されておる。よかった、誤解を招くような行動をしなくて、また兼吉にさ
れるのはたまらん。しかし、自由がないというのは苦しいものじゃ。世の中の
婿養子は、みなそれがしのように苦労しておるのじゃろうか。
「そなた、ほかに隠しておることはないのか」さらに追い打ち、清廉潔白なの
に、痛くもない腹を探られるかわいそうな兼続。たまらず、話題を変える。
「しかし、関白殿下は、本当に唐入りなど、考えておられるのでしょうか。そ
れがしには、雲をつかむような現実離れしたことのように思えます」「実はわ
らわも、どこまで本気なのか、測りかねておる。しかし、毛利の領内に、唐入
りも視野に入れて、念入りに道路・港湾の整備をせよという命令が出ておるの
は事実じゃ。それに、関白殿下は、天下静謐のため、士農工商の身分のはっき
り分かれた国を作ろうとしておる。これは、なかなか大変なことじゃ。さまざ
まな矛盾や軋轢も生まれるじゃろう。それを、そらすために設定したものでは
ないじゃろうか。そなたもいうておったではないか。内乱を冀う心を外征に転
化すると、関白殿下が言われたと。外征とは、つまり唐入りのことではないの
か。」ふむむ、「しかし、厳然と士農工商の身分が別れた社会というものは、
どのようなものなのでございましょう。中国の史書でも調べないといけませぬ
なあ」そこで、閃く兼続。「そういえば、南化和尚に」「ちゃんと、わたりを
つけておいてやったぞ。昨今、そこまで好学の士は奇特でござるな、とおおせ
で、いつでも、お尋ねくださいとのことじゃ」おお、南化和尚には聞きたいこ
とが山ほどある。次の上洛のときには、時間を作って、いろいろ教えてもらわ
ねばならぬ。そうじゃ、能筆のものを選抜して、書き写し隊をつくっておこう。
色々な書物を集めて、学校を作るのじゃ。足利学校みたいな学校じゃ。それが
しは、武ではなく文で国を治めるのじゃ。兼続の夢は膨らむ。
「関白殿下は、大きな器量で天下を平定しようとしておるが、意外と誰も信用
していないのかもしれぬなあ。やはり、本能寺の明智の謀反は、われらが想像
する以上に心の傷になっておるやもしれぬ」うん、兼続、妄想に水を差される。
「前田殿など、戦を厭い安穏を求める諸将は、関白殿下を天下を平定し、平和
をもたらし、民に安穏を恵むお人じゃと信じ、関白殿下に従い、盛りたてよう
としておるのじゃが、関白殿下は、戦争に動員していないと安心できぬのかも
知れぬ。ご自分がそうだったからなのかな」「どういう意味で」「関白殿下は
総見院様に忠誠を尽くされたお人じゃと世間では思われておるが、ご自分のな
かでは、いつの日か、総見院様と天下を争う不逞の考えがあったのやも知れぬ
ということじゃ」うん、「ちょっと、意味がわかりませぬが」「わらわも、う
まく言えぬが、どれほど忠義づらしておっても、その心底は分からぬというこ
とじゃ。ご自分がそうだったから、他人もきっと不逞の野心を持っておるので
はと、疑っておるのではないかということじゃ」なるほど、利休さまの話と初
めて平仄があった。そういう意味か。「つまり、関白殿下は、どれほど忠誠を
尽くす臣下でも、その心底はわからぬと疑ってられるということでございます
か。ゆえに、唐入りという途方もない軍事作戦を計画して、みなを動員し、謀
反する暇をあたえぬつもりじゃと」「そうじゃ、関白殿下は、総見院様に唐に
攻め込むといわれた笑い話があるようじゃが、ご自分の謀反の考えを隠す意図
があったのではないか。関白殿下は、ご自分が総見院様の立場となったいま、
誰も信じておられぬのではないか」史上最強の権力者の心のなかが、猜疑心で
いっぱいというわけか。「動かしておらぬと安心できぬのではないじゃろうか」
「ちょっと、考えすぎのような気がいたしまする。関白殿下にお目にかかれば、
そのお優しいお人柄にふれれば、お船殿の疑念も春の雪にように消えるのでは」
「そなたは甘い。お館さまも相当、関白殿下に幻惑されておるご様子じゃが、
そなたまで、そのように甘きことをいうておると、お家の大事となるぞ。しっか
りせよ」お船の説教が始まったようである。京都の夜は更けていく。
第三十四話「京都の夜」(6)
「藤田信吉隊、動き出しました」京を出立する朝、本国寺にしつらえられた本
陣に、行軍序列に従って、各部隊が動き出した報告がはいってくる。越後に帰
ったら、まっさきに新発田を攻めつぶしてやる、兼続が景勝と、よもやま話を
していると、そこに石田が見送りに来た。最後の最後まで、鄭重な扱いじゃの
う。兼続が、応対する。
「早速じゃが、確認しておくぞ。佐渡・庄内への進攻作戦は許可する。その代
り、越中・上野はあきらめてもらう」いつものように余計なことは言わない。
「関白殿下の惣無事令、いずれ東国にも出るのではないか。大丈夫じゃろうか」
「大丈夫じゃ。もともと、佐渡・庄内は、謙信公以来上杉の領地のようなもの
じゃ。それに、上杉は、関白殿下にとって無二の家じゃ。それがしなど、北条
を滅ぼした後、関東を上杉に任せたいと思うておる。もとは関東管領のお家じ
ゃし、徳川を東から牽制してもらいたいとも思うておる」石田、われらが喜ぶ
つぼを知っておるようじゃ。「新発田攻めについては、われらの指示に従って
もらいたい。北条攻めが早まるかも知れぬ。その場合、新発田の戦力も必要と
なる。」ほんとうに、手前がってなことをぬかす奴じゃ。ちょっと、籠絡され
かけたけど、新発田を許すことなどできるはずもないわ。黙って、聞き流す兼
続。「こたびの上杉殿の上洛は、関白殿下も高く評価されておる。そなたの功
績も大きいものじゃ。天下静謐のため、これからも、いろいろ協力してもらう。
何か、困ったことがあれば、それがしに相談するように。できるかぎり援助す
るつもりじゃ」石田は、石田なりに精一杯好意を示しておるのじゃな。「そな
たらも忙しいじゃろうから、これで失礼する。」風のように去る石田。と、思
ったら、戻ってきて、「そういえば、上条殿には、飢え死にせぬ程度の食禄を
与えることになった。五百石くらいじゃ。上杉に配慮した上での関白殿下の決
定じゃ。一応、伝えておく」上条殿も、関白殿下に利用されて、捨てられたか。
ちょっと、かわいそうなことになったが、家中の統制からいえば、満足できる
結果じゃな。兼続、早速景勝に報告する。黙って聞く景勝。「帰れば、すぐに
新発田攻めじゃ。忙しくなる。頼むぞ」
<反省会>
「いきなり脱線じゃがバンクーバー、納得いきませぬね」
「全く同感じゃ。筆者は狂信的なマオイストというだけで、フィギュアのこと
何にも分かっておらぬのじゃが、同じシーズンであんなに点数があがるものな
のじゃろうか。史上最高点とかいうておるが、何がすごいのか、さっぱりわか
らぬ。まったく不可解じゃ。さらに不思議なのは、メディアの論調じゃ。すご
いすごいというておるが、何がすごいのか。全くわからぬぞ」
「02ワールドカップの時と同じでございまするね。キモ。審判を買収して、
ポルトガル・イタリア・スペインから勝利を盗んだ韓国を褒めておった時と」
「キムコなど、韓国を見習えとかぬかしておったぞ。一遍で嫌いになった。
今回は、2002年以上に嫌いになったものが多い。もう二度と韓国には行か
ないし、キムチも食べないし、テレビも見ないわ」
「ていうか、筆者、今年になってテレビは、龍馬伝と不毛地帯しか見ておらぬ
し、キムチはもともと嫌いじゃし、冬ソナもチャングムも金某の動画も一回も
みておらぬじゃろ。筆者のボイコット、あんまり大勢に影響ないぞ」
「金某は昔から子供らしくないので、苦手だったのでござる。表現力とか、顔
芸とかなんですかな、気持ち悪いだけでござる」
「われらは上杉じゃから、あまり品のないことを、これ以上いうのは憚られる。
が、真央殿は、立派でござったのう」
「まことに、源氏物語とか、そういうレベルでの日本の宝ものでございますな。
同じ時代に生まれあわせ、拝見できることができる僥倖に感謝せねばなりませ
ぬ。なにもかも美しいお方じゃ。」
「わらわにそっくりじゃな。」
「エ、どちらかというとミキティの方が似ておるのでは」
「それは常盤さんのことじゃろう。わらわは、真央殿に似ておる。そう決めた」
決めたとか言われても。
「韓国は触るもの、すべてう○こにしてしまうのう。」
「世間というか外聞を気にしないみたいですな」
「関白殿下も、かかわったために、法則が発動したのやもしれぬなあ」
「ワールドも気になりますが、先を急がねばなりませぬ」
「宝○の合格発表も気になるのう。がんばれ、怜ちゃん」
「なんじゃろう、脱線のしすぎじゃ。次回のタイトルは三方ヶ原、ついに、そ
れがしは、徳川家康公にあいにいきまする」
>>319 こんな反省会は読みとうなかった…
気持ちはお察ししますが、ちと板違いかと。
普段の作者さんらしからぬおっしゃりよう、
もしや偽者かと思いましたぞ。
第三十五話「三方ヶ原」(1)
濃い緑が燃える春日山が見えてきた。無事帰りついた、ほっとする兼続。「近
いうちに新発田攻めに出陣せねばなるまい」かたわらの景勝が、つぶやく。
今、われらに潮が満ちておる。この潮にうまく乗って、一気に越後平定を成し
遂げたいものじゃ。ぼやぼやしておると、関白殿下の邪魔が入るやもしれぬ。
敵も味方もおかまいなしに、自分の軍勢と計算しかねぬからのう。一度、兵を
郷里に帰して、再招集するとして何日必要じゃろうか。今日は七月六日じゃか
ら、ううん、やはり、新発田攻めは来月になるかのう「新発田は、この情勢の
変化をどのように思っておるじゃろうか。天正十年、本能寺の直前は、われら
が孤立無援じゃった。いまや、形勢逆転じゃ」景勝がさらに重ねる。新発田は
われらがいちばん困難なときに謀反した。ゆえに、許せぬ。しかし、お館さま
は、お許しになることも考えておられるのじゃろうか。兼続、景勝の心の中を
忖度しようと、じっと景勝の顔を見つめるが、何も読み取れない。
春日山には、本庄が待っていた。「こたびの上洛、ご苦労さまでございまする」
「天子様にも拝謁されたそうでございまするな。おめでとうございまする」
「うむ、これは関白殿下より、拝領した陣羽織じゃ。どうじゃ」景勝も、うれ
しそうに見せる。揚北の諸将も、祝賀の使者を春日山に送ってきた。応接に暇
がない兼続。やはり、関白殿下が、われらの後ろ盾になったことで、みなの見
る目が変わってきたようじゃ。これらのものにも動員をかければ、新発田討伐
の軍勢は万を超えるじゃろう。軍勢が膨らむのは、かまわぬが、兵站が問題と
なるのう。どれほどの食糧が必要となるのじゃろう。ざっと、計算しておかね
ばなるまい。食糧不足で撤退するようなことになれば、それがしの面目がたた
ぬ。何もかも細かい兼続、苦労が絶えない。高梨に計算してもらおう。
そこに、使い番が来る。「お館さまが、火急のお呼びでございまする」なんじ
ゃろう。景勝の前に出ると、そこに真田幸村がいた。どうしたのじゃろう。あ
る程度、自由がきくというても、人質は人質じゃろう。越後まで、来るとは。
自由すぎる。もしや、逃げてきたのじゃろうか。説教して追い返さねばならぬ。
ぐるぐる頭で考えながら、幸村の前に座る。なんと、幸村の顔は、蒼白で、ぶ
るぶると小刻みに震えている。何があったのじゃろう。
>>319 たしかに不可解でしたね。「五輪さえ勝てればいい」とでも思ってるのか、彼の国は……
まあそれは兎も角、いよいよ上田合戦ですか。楽しみです
第三十五話「三方ヶ原」(2)
「徳川家康、真田討伐のために甲府に進出したという情報が入っておりまする」
おお、なんと、石田の思惑通り、真田の攻勢が功を奏し、徳川との戦いが、
再開されることになったのじゃろうか。われらも、信濃に出陣せねばならなく
なったのかな、そのため、幸村殿が派遣されてきたのじゃろうか。
「石田殿の思い通りになったというわけでござるか。それで、われらに真田の
後詰をせよということでござるか」兼続が幸村に訊く。
「いいえ、関白殿下は、真田の佐久郡進攻を烈火のごとくお怒りで、こたびの
後詰は無用と上杉に申しつけよ、との仰せじゃということでございまする」
なんと、驚く景勝、あまり驚かない兼続。やはりな。
「近いうちに石田殿より詳細な書状が届くかと思われます」
幸村、つとめて冷静に話そうと努力しているようだ。
「おかしな話じゃな」納得いかない景勝。「真田の攻勢は、石田殿も容認とい
うかむしろ使簇しておったものじゃろう。それを今になって、真田の後詰をす
するなとは、上方の人間は、恥がないのじゃろうか」
「おそらく、こたびの家康の真田討伐は、上洛遅延の口実でございましょう。
関白殿下も、それは充分おわかりじゃが、九州の情勢が悪化しており、いても
たってもおられないほど焦っておるのでございましょう。島津の九州制覇は、
目前との報告もあがっております。このまま、時間がたてば、九州征討の足が
かりを失いかねないのに、徳川の上洛がないので九州に親征することができぬ
ため、関白殿下は、上洛遅延の名目となっておる真田に八つ当たりをしておる
のでございましょう」兼続、冷静に分析する。
「しかし、後詰無用といわれても、確か、佐久郡は、われらが真田に安堵した
所領じゃ。ここで、上杉が真田を見殺しにすれば、われらは鼎の軽重を問われ
ることになろう」景勝、武門の意地が立たなくことになるのではと心配する。
「それで、幸村殿は、どうされるおつもりじゃ」兼続が問う。
「このまま、上田にもどり、徳川との戦いに備えるつもりでございまする」
「われらも、新発田攻めを中止し、川中島に進出、真田の後詰をする」景勝、
熱くなっている。お館さまは、幸村殿を気に入っておられるからなあ。
「お館さまは、予定通り新発田攻めに出陣してくださいませ。揚北の者どもも、
自発的に新発田の出城を攻撃しておりまする。この機を逃してはなりませぬ」
「木村殿が、新発田への降伏勧告の使者として、近いうちにこられるようなこ
とを聞きました」幸村、必死で景勝に加勢する。
「関白殿下に臣従して最初の命令が、真田を見殺しにし、新発田を許すと言う
のであれば、わしは出家するぞ」景勝、さらに熱くなっている。
「木村殿が来ることも、聞いておりまする。それゆえで、ございまする。この
まま、出陣して、われらに許す気がないことを、関白殿下に分かってもらわね
ばなりませぬ」「では、真田はそのまま見殺しにするのか。謙信公に顔向けで
きぬことになるぞ」さらにさらに熱くなる景勝。
「それがしにお任せ下さいませ」にっこり笑う兼続。大丈夫か安請け合いして。
第三十五話「三方ヶ原」(3)
「しかし、わしが新発田攻めに出陣すれば、真田の後詰はできぬぞ。それに、
木村清久殿が、新発田への降伏勧告の使者として派遣されるのじゃろう。折角
出陣しても、新発田を攻めつぶすことができぬのであれば、せめて春日山で様
子をみておるべきではないじゃろうか」景勝は、まだ納得していないようだ。
「真田の後詰など必要ございませぬ。要するに、徳川殿の真田攻撃を翻意させ
ればよろしいのでございまする。さすれば、新発田への降伏勧告もなくなりま
する」「それができぬから、関白殿下は新発田を許して、われらとともに北条
攻めの先鋒としたいのじゃろう。北条を先に攻めつぶして、徳川を孤立させた
いのじゃろう。そのための木村殿の派遣ではないのか」「その通りでございま
する。家康殿に真田攻撃を翻意させ、上洛を決断させれば済む話でございます
る。」「それが、できるのか」「それがしが、徳川殿に会ってまいりまする」
「危険すぎるのではないか」「大丈夫です。徳川殿が、上洛をしぶっておるの
は、上洛すれば仕物にかけられるのではと心配しておるからでございましょう。
つい、先ごろ上洛を果たして無事帰国したわれらの話は、聞きたいのでは、な
いでしょうか」「ふむ、しかし、どのような手順でやるのじゃ」「榊原康政殿
に面識がございまする。榊原殿は、家康殿の信頼の厚いお方、うまく取り計ら
ってくださるでしょう」「そなたを遠くへはやりたくないのじゃが、また、行
ってもらわねばならぬなあ」
「われらのために、ご家老さまは、そこまでお考えくださるとは、まことにあ
りがたく、このご恩は終生忘れませぬ」幸村も、ほっとした様子。「幸村殿、
お礼の言葉はまだ早い。そなたにも、やってもらいたいことがある。すぐさま、
上田に赴き、お父上に軽挙はくれぐれも慎むように言うて下され。そして、す
ぐに帰ってきてもらいたい。お館さまのお名前で、関白殿下に書状を書く。そ
なたの話では、石田が関白殿下の意を体した書状を送ってくるそうじゃが、そ
れがつき次第、わがお館さまの書状を持参して上方に戻ってもらわねばならぬ。
真田の存亡がかかった工作じゃ。」ここで兼続、にっこり笑う。「そなたをよ
こしたのは、大方、石田の差し金じゃろう。石田の奴、自分では関白殿下に翻
意してもらえぬので、お館さまを使って翻意させようとしておるのじゃ。お館
さまの書状を持っていけば、後は石田がうまくやってくれるじゃろう。」
幸村、来たときとは打って変わって生色を取り戻した顔で上田に急ぐ。兼続も、
榊原に手紙を書く。徳川の臨戦態勢も二年以上じゃ。そろそろ、領内が持つま
い。絶対、食いついてくるはずじゃ。自信満々の兼続、しかし、どうやって家
康を説得するつもりなのか。
おっと、第一次上田合戦は既に終わっていましたね。失礼しました
第三十五話「三方ヶ原」(4)
「大丈夫か、本当に家康殿を説得できるのか。徳川が人質を出して和睦がなっ
てから半年以上たつが、上洛する気配はないぞ。小牧で共に戦った信雄殿の家
老の瀧川なんとかというものが説得の使者として派遣されたが、家康殿にけん
もほろろの扱いで、追い返されたと聞いておるぞ。それに、徳川にとって真田
は、上田合戦で苦杯をなめさせられた憎き相手じゃ、関白殿下の後詰禁止命令
を知れば、嵩にかかって真田をつぶしにくるのではないか。やはり、お館さま
のおっしゃる通り、せめて春日山で待機するべきではないか。主力が新発田攻
めに出陣すれば、上田城が攻められても、どうすることもできぬぞ」
お船も心配する。
「大丈夫でございまする。徳川はいずれ上洛する心づもりでございまする。そ
れがしには、それがわかっておりまする。勿論、それがしが行き説得すれば、
すぐに上洛を決心すると楽観しておるわけではありませぬが」
「下手すれば、真田は滅ぼされ、われらは新発田と同陣で北条攻めの先鋒にさ
せられるやもしれぬぞ。」
「徳川を放置して、北条攻めなど不可能でございまする。これは、関白殿下の
徳川に対する駆け引きでございまする。あるいは、佐竹・宇都宮など北関東の
領主に対する攻勢をかけている北条を牽制する意図も含まれておるのやも知れ
ませぬな。ともかく、徳川は最後の条件闘争をしておるだけで、真田に対して
攻勢をかける気など毛頭ありませぬ。それがしにはわかっておりまする」
「甘粕殿・山吉殿ら、新潟城・沼垂城を攻略いたしました。」家老部屋で議論
している夫婦に吉報が届く。「早速お館さまに報告せねば」兼続が部屋を出る。
「そなたの、蒔いた種が芽を出してきたようじゃな」
「いいや、こたびの勝利は、藤田信吉殿の調略によるもの。さすがは千軍万馬
の武将、なかなか使えますな。」
「わしの目は節穴ではないぞ。そなたが、いろいろと手を打っておることは、
とうの昔に知っておる。ところで、そなたを信じて、予定通り出陣することに
するぞ。」お館さまは、いつもそれがしの意見に合わせてくれる。ありがたい。
そこに上田城から幸村が帰ってくる。
「お父上の様子はどうじゃ。軽挙妄動はつつしむように言うてくれたか」
兼続が尋ねる。
「余人ならともかく、直江殿のお言葉であれば、服する以外の道はない。お指
図をお待ちします、と伝えてくれとのことでした」
「お館さま、榊原殿よりの使者が参りました。榊原殿自身が、小諸まで迎えに
くるとのことです。それがしも、出立いたしまする。それと、幸村殿、石田殿
より、書状が参った。そなたの言うた通りのことが書いてあった。真田は、表
裏比興の者じゃから、こたびの後詰無用とな。さっそく、この書状を持って、
上方に戻りなされ。お館さまのお名前で、関白殿下におとりなしを願う内容じ
ゃ。なあに、心配無用じゃ。石田の奴、自分自身が関白殿下を説得できぬもの
じゃから、お館さまのお名前を借りようとしたのじゃ。これを持っていけば、
後は、石田が関白殿下を説得するじゃろうて。」
「先年の上田合戦に続き、こたびも大変なご恩を受けました。それがしは、生
涯忘れませぬ」
「前に、お館さまが真田を助けると言うておる。われらは、上杉じゃ。謙信の
家じゃ。一度、口に出したことを、たがえたりはせぬ」
景勝も、めづらしくにっこり笑ってうなづく。
第三十五話「三方ヶ原」(5)
従者を連れて、馬に乗った兼続がぶつぶつ呟きながら信濃路を南下する。それ
がしも、諸葛孔明に似てきたかもしれぬ。なぜか、ひとりで悦にいっている兼
続。従者、いつものことと気にも留めない。上田城が、見えてきた。「真田に
釘をさしておこうかな。必要ないと思うけど」上田城をちら見する兼続、城に
翩翻と翻る旗を見て驚き、落馬しそうになる。なんじゃ、あれは。
「真田、あの旗はなんじゃ」真田に会って、開口一番尋ねる。「ええ」ちょっ
と馬鹿にした口調の真田昌幸、「直江殿、あの旗を知らぬのか。それは、ちょ
っと困りましたな。あれこそ、孫子四如の旗じゃ。われら、武田武士が、仰ぎ
見た風林火山の旗じゃ」「そんなことは、わかっておる。何故、ここに翻って
おるのか、たずねておる」「それがしは、武田の旧臣、別に不思議ではござる
まい」「そなたの魂胆を尋ねておるのじゃ」「それがし、あの旗とともに甲斐
に攻め込み、武田を再興する所存でございまする」「そういえば、そなた、龍
芳様の遺児を探し出して、かしづいておるそうじゃのう」「わしは、信玄公の
幕僚じゃった男じゃ、その男が次郎様の御子に仕えるのは不思議ではあるまい。
さらに言えば、次郎様は、海野をお継ぎ遊ばされたが、海野は真田の本家筋じ
ゃ。二重三重にお仕えする道理があるというものじゃろう」そういえば、お船
殿が、真田には武田再興の夢があるゆえ、いつまでも上杉の下風にはおるまい
というておったが、このことじゃったのじゃろうか。「武田の再興、というて
おるが、穴山殿のお子が武田を継いでおるのではござらぬか」「穴山殿は、親
類筆頭であるが、龍芳さまは正室三条様のお子、どちらが嫡流か、三歳の童子
でもわかるじゃろう」「それで、そなたは、孫子の旗と次郎様のお子をおした
てて、甲斐に進攻するつもりじゃったのか」「その通りでござる。われらは武
田再興の義軍でござる。いったん、われらが甲斐に入れば、武田の旧臣は、わ
が軍に合流し、たちどころに甲斐を平定し、武田再興はなるじゃろう」なんと、
おもしろい男じゃ。本気なのかな。しかし、徳川の嫌がることをよく知ってお
る。徳川家康、武田の旧臣の心を獲るために、勝頼公の墓所を作ったり、恵林
寺を再興したり、横死した穴山の子に武田の名跡を継がせたり、手を尽くして
おる。それだけ、武田旧臣に配慮しておるということじゃが、ううん、そうか、
「案外、徳川は、そなたの魂胆を知って、再攻撃を決心したのやもしれぬなあ」
「やりすぎましたかな」「いいや、それがしは、よい話を聞いたと思っておる。
徳川にあった時、それがしの武器となる話じゃ」「こたびも、直江殿に助けて
頂くことになりましたな。おお、そうじゃ、ここに控えるは、わが長子信之で
ございまする。なにとぞ、家来の端にお加えくださり、お供させて下さいませ」
真田は、話がよく読めておるようじゃ、それがしに対して、人質を出し、軽挙
はせぬというておるのじゃな。「承知した。話し相手がほしかったところじゃ。
信之殿、いっしょに徳川家康を見に行きましょう」「お供いたしまする」
第三十五話「三方ヶ原」(6)
「そなたの父上はおもしろいのう。孫子の旗を見たときは、驚いたぞ」
「どこまで本気なのか、わが父ながら、不可思議な時がございまする」
「孫子の旗で、武田家再興とは、思いもつかぬ計略じゃ」
「わが父には、どこかふわふわしたところがございます。これでお家が保てる
のか、心配になることがありまする」
「いや、筋は悪くない。成算のある計画じゃ。じゃが、武田崩れ以降というか、
長篠以降、甲信の民草は、重税や戦乱で疲弊しておる。民の暮らしにも思いを
致さねばなるまい。いま、ようやく天下は関白殿下の手で平定されようとして
おる。百年以上続いた戦乱が終わろうとしておる。そのことを考えると、どん
なに成算があっても、平地に乱をおこすようなことはするべきではないと、そ
れがしは思う」
「それがしには、思いもつかぬ考えです。胸をつかれました。父にも聞かせと
うございまする」
「信之殿、そなたのお父上は、信玄公に、わが目であると言われたほどのお方
じゃ。武田家が健在ならば、重臣として、天下を狙うことができたやもしれぬ。
自分の舞台の小ささにいらだっておられるのやも知れぬなあ」
二人が、真田昌幸論を戦わせていると、小諸城が見えてきた。
「お待ち申しておりました」
城外で、にこにこ笑って榊原康政が待ちかねておった風情。
「こたびは、榊原殿に骨折りいただきありがとうございまする。して、家康公
は、どこにおられるのじゃろうか。甲府かな。」
第三十五話「三方ヶ原」(7)
「真田討伐の先鋒部隊は、すでに甲府に到着しておるが、主力はまだ駿府で集
結中じゃ。なにしろ二万ちかい軍勢じゃからのう。わが殿も旗本とともに駿府
におられる」二万とは、いきなり、はったりをかます榊原。
「われらも春日山に軍勢を集結中じゃ。もちろん、新発田討伐のためじゃが」
いつでも、真田に後詰を出す態勢ができておることをにおわせながら、兼続も、
やんわり押し返す。そして信之が、はったりに動揺してないか、ちら見する。
その視線の先にに気づいた榊原に、紹介する。
「こちらは、真田殿の長子信之殿でござる。こたび、同行していただいておる」
榊原、表面上はすこしも動ぜず、少し態度を和らげて
「おお、上田合戦での戦ぶりは家中でも評判じゃ。敵ながらあっぱれと、みな
褒めておった。それにしても、そなたは背が高いのう。直江殿も長身じゃが、
さらに大きいのう。本多平八など、そなたと手合わせしたいというておったが、
これほど大きいとは。平八でも危ないかもしれぬのう」
榊原は、戦巧者じゃが、なかなか口も上手い、外交も得意のようじゃ。
「本多忠勝殿は、関白殿下に東国一の勇士と褒めそやされたお方。それがしな
ど、戦場でまみえれば、あっという間に首を取られることとなりましょう。で
きれば、戦いたくありませぬ」
信之殿は、なかなか、利口な若者のようじゃ。真田の息子は、はずれなしじゃ。
真田が躊躇なく同行させたわけがわかった。
「実は、わしも戦いたくないのじゃ。先だっての上洛で、天下の大勢が決しつ
つあることが、しみじみわかった。わしは、殿が一日も早く上洛するべきじゃ
と思うておる。真田討伐などしておる場合ではない。もし、われらが、上田ま
で攻め込めば、当然上杉殿は、援護に出るじゃろうし、関白殿下の援軍も来る
じゃろう。また、小牧のような持久戦になるのは必定じゃ。もし、その間に、
九州が平定されれば、関白殿下は、全軍を挙げて、再度攻めよせてくるじゃろ
う。さすれば、勝ち目はない」
あっさり、本心を白状する榊原。やはり、信之殿に同行していただいたことが
効いておる。真田に戦意がない証として受け取られておるようじゃ。
「それがしは、家康公に真田との和睦を勧めに参った。われらにも戦意はない。
春日山に集結中のわが軍勢は新発田討伐のためじゃ。近いうちに下越に出陣す
ることとなろう。来る途中、真田にも軽挙は慎めと言うて参った。真田は、そ
の返事として、信之殿をそれがしに同行させたのじゃ」
「直江殿は、関白殿下のお気に入りの切れ者とは聞いておったが、噂にたがわ
ず、やることなすこと、無駄も隙もないのう。願ってもない話じゃ。実は、わ
しも、真田との和睦と、上洛を進言しておるのじゃが、石川のことが、あるゆ
え、あまり強く言えぬ。榊原も調略されたといわれるのでな。わしも、逐電せ
ねばならぬ羽目になりかねぬ。上洛から帰国したばかりの、上杉の重臣の言う
ことならば、わが殿の決心も定まるやもしれぬ。それがしが案内いたしまする」
先を急ぐので一行、小諸城は素通りする。
第三十五話「三方ヶ原」(8)
「そういえば小諸城の城代じゃった依田信蕃殿は討ち死にされたそうじゃのう」
馬を代える宿場で、突然兼続が思い出す。
「そうじゃ。大分前のことじゃが、まことに惜しいお人を失くしてしもうた」
榊原、これ以上ないという残念な顔をする。
「気が逸っておったのじゃろうか。岩尾城という小城を攻撃中に、狙撃されて
それが元で亡くなったのじゃ。皮肉じゃのう。あれだけの守備の達人が」
確かに、長篠敗戦直後は二俣城を半年堅守し、武田崩れの時は、田中城を堅守
して、天下にその志操の堅固なることをみせたお人じゃったが、守るは得手で
も攻めるは苦手じゃったのかな。
「岩尾城は信玄公おん自ら縄張りされた城でございます。仕掛けがあったのや
もしれませぬ」信之が口をはさむ。信玄公は、何でもできるお方じゃなあ。
「城攻めというのは、どんな小城でも難しいものじゃ。それゆえ、総見院様も、
関白殿下も、手当たりしだい城割をさせておるのじゃ」榊原、話を続ける。
「一番、残念がっておるのは、わが殿じゃ。わが殿は、武田崩れの後の残党狩
りの時、総見院様の意向に逆らって、匿うほど、依田殿のことを高く買ってお
ったからのう。わが殿は、めったに感情を露わにするお方ではないが、依田殿
の討ち死については、大層お嘆きになり、いまでも惜しい惜しいというておら
れる。そして、依田殿の息子を大名に取り立てて、松平の名字と康の一字を与
えられ、松平康国と名乗らせておる。」
これ以上ない待遇じゃのう。
「家康公とは、どのようなお人なのじゃろう。誰に訊いても、評判のよいお方
じゃが」さりげなく、徳川家康のことを聞き始める兼続。
331 :
1:2010/04/18(日) 15:05:22 ID:P13UPFl9
第三十五話「三方ヶ原」(9)
甲府を過ぎた一行、富士川を舟で下ることになった。
流れが速く、川面を吹きわたる風が、頬に心地よい。
「千里の江陵、一日にして還る」思わず李白を口にする兼続。
「わが殿は、非常に用心深く、慎重なお方じゃ。」
榊原が、家康のことを話し始める。榊原は、兼続の家康との会見がうまくいく
ように、家康のことをいろいろ教えてくれるつもりのようだ。
思った通り人の好いお人のようじゃが、家康公になんとかして上洛の決心をし
てもらいたいが、決め手がなく、わらにもすがりたい心境のようでもある。
「すでに御承知じゃと思うが、わが殿、家康公は、二歳の時にお母上様と生き
別れとなり、六歳の時に人質に出され、八歳の時にお父上様を亡くされた。そ
して十九歳まで、初めの二年は織田、残りは今川の人質・家臣じゃったお方で
ござる。幼き頃より、辛酸を舐めてきたせいか、非常に用心深い性格じゃ。わ
が殿が、今川の人質・家臣の境遇から解放されたのは、桶狭間の戦いの時じゃ
ったが、その時もまわりの家臣どもが、やきもきするほど慎重な進退じゃった」
桶狭間の戦い、ええと、それがしが生まれた年じゃから二十四年前の話じゃな。
「総見院様が、桶狭間で今川義元様を討ちとったのは、永禄三年五月十九日の
ことじゃ。その時、家康公は大高城におられた。上洛をめざす今川軍二万五千
の先鋒として、丸根砦を攻略したのじゃが、織田軍の抵抗も熾烈で、かなりの
損害が出たため、休養と部隊の再編のため、大高城で待機していたのじゃ。そ
こに、本陣が奇襲され、義元様をはじめ一門譜代のお歴々の武将が討ち死にし
たとの連絡が入った。そして全軍の撤退が始まった。戦闘部隊のほとんどは健
在じゃったが、なにしろ総司令部が全滅したのじゃから、どうにもこうにもな
らぬ。ところがじゃ、わが殿家康公は、動こうとせぬ。家臣どもも、撤退を進
言するのじゃが、頑として聞き入れないのじゃ」
ふむ、ふむ。
「そうしていると水野信元様から、桶狭間の戦いの詳細と撤退を勧める使者が
来た。水野様は、わが殿のお母上様の兄にあたるお方じゃ。伯父として、心配
して使者を立ててくださったのじゃが、わが殿はそれでも動かなかったのじゃ。
水野様は伯父上じゃが、織田の部将じゃ、謀略じゃというてな。他の部隊は、
続々撤退しておる。撤退といえば聞こえは良いが、算を乱しての敗走じゃ。誰
も信じることができぬような敗北じゃからのう。二万五千の大軍が、三千もか
きあつめることのできぬ総見院様の奇襲に敗れたのじゃから。信長は鬼神じゃ
というて、恐慌状態になっておった。織田軍に追撃されても、反撃することも
できず、全軍が壊滅しておったじゃろうのう」
ふむ。
「しかし、このままでは、敵中に孤立して全滅する。家臣どもが必死になって
説得するが、わが殿は、それでも撤退を承諾せぬのじゃ」
勇気があるのか、状況判断が悪いのか、若気のいたりなのか。
「水野様が、親切に岡崎の留守家老に早馬を出してくださり、その家老・酒井
正親の今川軍総崩れの詳細を認めた書状を貰ってきて来て下さった。これで、
ようやく撤退を決心してくださったのじゃ」
ふむ、しかし、これは用心深いというだけのことではないのう。
第三十五話「三方ヶ原」(10)
「この話には続きがある。わが殿が率いる二千五百余の部隊が、岡崎城下に到
着したのは翌々日の五月二一日の午後のことじゃったが、わが殿は、岡崎城に
は入らず、城下の大樹寺で休息すると言いだしたのじゃ。今川殿のお許しがな
ければ、城には入れぬと言うてな。十年以上今川に占拠されていた城が、今ま
さに、自分のものになるというのにじゃ。われらも驚いたが、さらに困ったの
は、岡崎城を守っておった今川勢じゃ。われらに城を明け渡して、一刻も早く
本国に帰る心積もりじゃったのに、わが殿が、ぐずぐす言うて、城に入ろうと
せぬ。とうとう、われらに断りもせず、城を捨てて逃げて行った。わが軍勢が
岡崎城に入ったのは、空城となった五月二三日のことじゃ。わが殿は、どんな
時も、用心深く、そして律義なお方なのじゃ」
「なぜ、二六年前のことを榊原様は、そこまで克明に覚えておるのですか」
信之が質問する。
「永禄三年五月二一日は、わが殿にとって、今川から自立する記念となった日
でござるが、わしが殿に、小姓としてお仕えすることになったのも、この日な
のじゃ。殿は十九歳、わしは十三歳じゃった。」
ほうほう、じゃから、よく覚えておるのか。
「この話には、さらに続きがある。岡崎城に入った殿が最初に言われたことは、
義元様の弔い合戦の準備をせよということじゃった。言うばかりではないぞ。
三河国内の織田方の砦を片っぱしから攻略する一方、駿府に使者を出して、出
陣を意見具申された。自分が先鋒を勤めさせていただきまするというてな」
ほうほう律義というても筋金入りじゃ。ここまで律義なお人がおるじゃろうか。
「実は、わしは、心配した。あまり織田を刺激せぬほうがよいのではないかと。
総見院様は、桶狭間の勝利の後、ひと月もたたないうちに、美濃攻略に出陣さ
れておったが、いつものように敗れておった。美濃に攻め込んで失敗し続けて
おる総見院様が、義元様を失って動揺しておる三河・遠江・駿河に食指を伸ば
すことを考えるやもしれぬと。平八も、平八とわしは同い年じゃから親しかっ
たのじゃが、同じ心配をしており、二人で、殿に意見具申をした。あまり、織
田を刺激せぬほうがよいのではないかと。織田との和睦を考えるべきじゃと。
今川の後詰が期待できぬ以上、下手すれば、織田の大軍をわれら一手で防ぐこ
とになりかねませぬぞと」
ふむふむ。
「すると、殿はいわれた。信長公は、人の心の美醜にことのほかうるさく、独
特の美意識がある。わしが、織田と戦うのは、織田と和睦するためじゃと」
なにやら、深い話じゃ。考えてみれば、今と同じような状況じゃな。
「そろそろ、お昼に致しませぬか」
榊原の家来が、弁当を持ってきた。
「家康公に、初めて目通りした時のことを覚えておられまするか」
信之がさらに質問する。第一印象はどのようなお人なのじゃろう。
「大高城から、徹夜で行軍してきた後じゃったから、疲れておられたようじゃ
が、静かに座っておられた。大体、殿は、大人しいお人じゃ。しかし、勇気が
ないというわけではないぞ。後で、本多平八に聞いたが、大高城からの撤退は、
いつ織田軍に追撃されるのか、気が気ではなかったそうじゃが、殿は、落ち着
き払っておったそうじゃ。これは、なかなか十九歳の若者にできることではな
いぞ」
確かに、そのとおりじゃ。何か、秘めておられるお人じゃ。
「わが殿の、もうひとつの特徴は、家臣をとても大切にされることじゃ。とい
うか、わが家中の君臣関係は特殊じゃ。なにしろ、十数年、人質であった殿の
境遇を慮り、今川に年貢を横領されても、黙って先手を勤め、毎年毎年、夥し
い戦死者を出し続けた忠義一筋の家来衆じゃ。わが殿には、家臣に対して、頭
があがらぬところがあるのじゃ。先年、わが殿は背中に腫れものができ、死ん
だとかいう噂もでるほどじゃったが、その時も老臣どもが、よってたかって薬
を塗りたくり、それがまた沁みて痛く、さずがの殿も少し怒っておったが、が
まんされておった。家来というより、口うるさい親戚の伯父さんみたいなもの
じゃのう。」
家康公は、よい家臣をたくさんお持ちのようじゃ。知れば知るほど、大きなお
人のようじゃ。