1 :
日曜8時の名無しさん:
とにかく、史実と違うので・・・・・・みんなで出していってまとめればいいなと思います。
とりあえず・・・・
・甘粕が御館の乱時でも、まだ小姓をしている。
こんな感じでどんどん上げていってください。
遠山って景虎と一緒に自害したはずなんだが
3 :
日曜8時の名無しさん:2009/04/17(金) 18:08:35 ID:JFpf+egF
>>2 北条よりよっぽど忠臣だったんだけどね・・・・・・
あと北条も、あそこで死んでないはず。
そもそもが
兼続が確かな史料に初出なのが天正8(1580)年
=14話までの兼続くんの動向はほとんどが創作
5 :
日曜8時の名無しさん:2009/04/17(金) 19:50:29 ID:Xmnj/uwb
創作とは分かっているんですが・・・。
創作にも程がありますでしょう・・・。
史実と合ってるほうをあげていくほうが早そうだな
7 :
日曜8時の名無しさん:2009/04/17(金) 20:09:58 ID:VcnA6Yro
武田との交渉については
(少なくとも)新発田長敦が担当でなければおかしい(もちろん、斎藤や竹俣
も…ただ、出演陣を絞るなら新発田だろうな)。
勝頼や高坂の格を考えても新発田クラスでなければ合わないよ…
>>1 NHK大河といったって、「歴史を題材に脚色したドラマ」なんで
史実の再現ではないのが当然なのだが、
「天地人」はもはや、時代「劇」にすらなっていない。
>史実との矛盾点
なんて初回からもう満載すぎて、あげたらキリが無いだろう。
もういちいち思い出してもいられないほどだけどね。
×高坂昌信
○春日虎綱
登場時点では香坂から春日に復姓してたはず
×真田幸村
○真田信繁
存命中に「幸村」を名乗っていない
上杉(謙信の)二十五将の一人である甘糟景継があの時代に雲洞庵にいるのは
何かおかしくね?与六が5歳の頃にはもう15になってるはずだ。
>>11 >存命中に「幸村」を名乗っていない も何も、今さらすぎ。
「幸村命名創作」の件なんて、かなり前からさんざん言われてるし
また、今年の大河や原作に限ったことじゃないじゃん。
考証をちゃんとする小説家たちだって、そんなの充分にわかってて、
なのに、「信繁」じゃなく「幸村」で執筆してるのが現状だもの。
14 :
日曜8時の名無しさん:2009/04/22(水) 20:52:18 ID:OTYdrGEw
最終回までに明かしてほしい謎。
家康のこぶ
初音の年齢
不吉(魔王)すぎる安土城 黒ミサでもやってるの?
幸村名義じゃなくて、信繁名義のが珍しい
というか知らない
16 :
日曜8時の名無しさん:2009/04/23(木) 00:51:11 ID:uIKgJhEW
松方家康のそばに本多正信が登場したが
この時点での家康の腹心は石川和正ではないかと
17 :
日曜8時の名無しさん:2009/04/23(木) 22:58:46 ID:Aelk05oO
史実でもいいが史実でなくていい
俺が見たいのは、史実でないのなら「リアリティ満点のウソ」
西洋甲冑にマントを羽織る織田信長。
今や新しい物好きのステレオタイプな信長像となったが、
これは黒澤明の創作
黒澤は故意犯的にこれをやってのけた
「ゆるふわカール前髪」なんて如何にもで趣味悪いウソはやめろ
>>17 柴錬(柴田錬三郎)言うところの「花も実もある嘘八百」ってヤツだな。
20 :
日曜8時の名無しさん:2009/04/25(土) 00:56:41 ID:K6YMV9Z+
>>17 それはローマの騎士みたいなチュモンみたいなものか?
御館の乱の時の、兼続の働きはフィクションらしいけど、それはドラマ上仕方ないとして、
じゃあ実際は、乱のあとの2年後?だかに家老に抜擢されるほどの、
どんな功績があったんでしょう。
なんか記録が残ってるのかな。乱自体は関係ないんでしょうかね。
単に景勝のお気に入りってだけじゃ、今以上に実力主義っぽい当時では
周囲から受け入れられない気がします。
もう一人の筆頭、狩野秀治も謙信時代には名前がさっぱり見られず
御館の乱でぽっと名前が出てきたかと思ったら
いきなり景勝の筆頭家老に大抜擢だ。
しかも兼続と違って直江家の名を貰うような背景を付けた訳でもなく。
一応、謙信時代から活躍していた武将は織田との戦いが激しさを増す中で
どうしても景勝の傍より越中や信濃の戦線を支えに行かざるを得なくなり
景勝周囲の重臣層が薄くなり、そこで元から景勝の側近だった兼続らが力を伸ばしたらしい。
景勝の側近に力を付けさせるために重臣を追いやったという見方もあるが
じゃあ織田との戦線をろくに城を任された事も無い小身の者達に
任せられるかというとそれもな。
兼続はやはり「直江を継いだ」というのがでかいと思うよ。
景勝が「知っての通り兼続は万事隙無く行う」と手紙で言っている辺り
仕事ぶりを見れば「仕事が出来る人間」だったことは確かなんだと思う。
>>21 中郡の諸将(栃尾の本庄秀綱や三条の神余親綱など)の制圧が終ったのが天正8年夏。
樋口与六が同時代の信頼できる一次史料に初めて登場するのが天正8年7月。
配下の船の関所や港における税を免除するという景勝からの書状。
次に現れる史料は謙信の側近であり景勝派となった山崎秀仙から送られたもので、
天正8年8月のものと考えられている。
景勝と武田勝頼の使者との対面について日時や段取りを確認してほしいという内容。
以上から、乱中は物資の輸送にかかわった可能性が考えられるほか、
謙信以来の重臣から取り次ぎを頼まれるような景勝の側近中の側近であったと言われている。
>22にあるように、万事ソツなく仕事をこなせる青年だったのだろう。
その能力が認められていたからこそ直江家への婿入りが実現し、権力の拡張が図られた。
ちなみに栃尾の本庄秀綱は、天正6年10月に御館での戦いに敗れた後
本拠地へ帰ってしまっており(景虎はまだ生存中)、
神余も御館から退去して本拠地へ戻り抵抗を続けていた
(景勝に帰参を申し入れたが受け入れて貰えなかった)。
本庄は会津へ逃れ、神余は山吉氏によって殺害されたと伝えられている。
大河の史実スルーは昔から当たり前になってるが、それにしてももう少し描きようがあったな。
あんな阿呆にされてしまうとは。
…ひょっとしたら、兼続のあの前髪、NHKや妻夫木のオリジナルではないかもしれない…。
確かJR六日町駅前に兼続の顔のレリーフがあるんだけど、その顔には前髪があったように記憶している…
より詳しくご存知の方は、続報をヨロシク!
>>22-23 ありがとうございます。
事務方のエリート候補だったんでしょうかね。もちろん実力も備えた上で。
若くして派手に名を残す功績はなかったけど、順当に出世コースを歩んでいたのかな。
>もう一人の筆頭、狩野秀治
この人、他のスレでもよく目にしたけど、まーどんな人だったのかは自分で調べるとして
今回の大河ドラマに出る余地がなかったのかな。
史実は別として、兼続のライバルとか切磋琢磨しあう親友とかみたいなキャラでさ。
他のスレの書き込みを見る限り、なんか有能な人みたいだし、しかも若くして死んだとか、
少女マンガのキャラに出てきそうなんだけとなー。
フィクションとはいえ活躍が描かれて出世した兼続はともかく、なにしてたのか
よくわからないのに、いきなりどっかの城主とかに抜擢された上田衆なんぞより
ずっとキャラが立つと思うけど。
あ、ドラマ上の話です。
史実の上田衆はちゃんと兼続と同じように活躍したんでしょうね。
抜擢のされ方からして戦場の働きで、かな。
狩野秀治出したら兼続の立場が無くなるんだろ。
元尼子家臣で、つまり上杉以外の余所から来た人間で謙信とも縁薄く
御館の乱で景勝に味方して春日山籠城戦を戦い、
景勝の目に止まりいきなり一番の側近に大抜擢。
もともと景勝の家臣筋で直江家に入って取り立てられた兼続よりも
景勝と親しく信頼された家臣に見えてしまうw
兼続よりも控えめで謙虚なひとだし。
入り婿で直江の家を持つ兼続に比べ
バックになる家を持たない秀治の立場の苦しさもあったのかもしれないが。
惜しむらくは秀治は御館の乱後から秀吉に臣従する前くらいまでの
短い期間しか活躍してないことだ。
しかも秀治生前は上杉と秀吉の外交は秀治がやってた。
兼続も一緒に関わっていたがメイン窓口は秀治の方。
つまり三成と兼続のオトモダチ設定も脅かす立場にいる。
病死したらしいから、まさか兼続が暗殺したなんて描くわけにもいかんしなあ。
景勝のナンバーツーになろうとする者を片っ端から蹴落とす
ブラックな兼続を描こうとするならそれもありなんだろうけど。
狩野も謙信も直江信綱も蒲生氏郷も直江が殺ったんじゃないか、っていう説がまことしやかなわけだが
何かというと暗殺ネタに話もっていこうとする人はいったい何なんだ?
ドラマは糞だが、いちおう史実に関するスレなんだからさ
どの研究者が、どの論文で、そのまことしやかな「説」をとなえているんだ?
説の裏付けに挙げられてる史料は?傍証は?
それを教えてくれ。
まさか2chの書きなぐりや、妄想炸裂の個人ブログが元ネタとか言わねーよな。
30 :
日曜8時の名無しさん:2009/04/26(日) 01:08:48 ID:CpO/2lNx
道満丸と一緒に襲われて殺されたはずの元関東管領・上杉憲政(謙信の義父)が登場すらしていない。
本多正信が「徳川の重臣」になっていたが、本能寺の前はまだ帰参を許されてから日が浅く、
重臣ではなかったと思われる。
(後に直江兼続が正信の子を跡継ぎに迎えるから、その伏線と思われる。)
>>29 結局、直江兼続って何した人なの?Pert2
8 :日曜8時の名無しさん :sage :2009/04/25(土) 23:58:39 ID:Zvv6dQEo
まあ野心を抱くのは自由だからな
伊達にも最上にもボコられてるのが現状だが
答:『最上厨』でググってみてね
>>26を見る限り
秀治の御館の乱での大活躍を兼続が見る
↓
側近の兼続が殿に秀治を推薦する
↓
頼もしき相棒として二人で政務を協力して行う中で、三成との親交を一緒に深める
↓
秀治が病気で倒れ、「直江殿、上杉の事を頼みましたぞ」と言って死ぬ
↓
相棒を失って悲嘆にくれるも、その遺言により上杉への忠義を一層心に固く誓う兼続
↓
兼続が仕事で三成へ会いに行くと、三成が「今宵は故人を偲んで飲もう」と言い、三成との親交もますます深まるのであった
…とかにすれば
お友達設定も脅かさないし、主人公が喰われることもないと思うのだけどなぁ
>>28まことしやかなわけだが
これはひどい。どこでまことしやかなんだか。
でも狩野や新発田は出てきてもよかったと思う。
ん?上条一家や藤田信吉や与七を追放したのも兼続でしょ?
上条も藤田も実頼も追放じゃなくて出奔じゃん。
遺言捏造も実城不法占拠も、江戸時代になって作られた伝記が初出
信憑性に足る史料はない
そのいっぽうで、謙信が越後国主になったと同時期に得た官途である弾正少弼を
景勝に譲ったことがドラマでは描かれなかった
謙信の後期政権の中枢にいた側近たちが、みな景勝を支持したことも描かれなかった
あたかも上田衆のみが景勝を推したかのようだった
偽善者のように見えてもしょうがない
史実を無視して後世のおもしろ俗説をベースにするから、見るに耐えない美化が必要になった
アホか
>>34 上条は「直江を俺の奉行によこせ」とわがまま言いまくって、
景勝が断ってもしつこくしてた。景勝は上条の息子に「お前
からもなんとか言ってくれ」と書状出したりと相当困ってた。
出奔は秀吉の調略を受けてた可能性もあるけど。
藤田も家康の調略を受けていた可能性もある。家康との戦いを
決めた家中で、和平派だった藤田は孤立して出奔したのだろう。
与七は本多政重の婿入りに反対だったというのが通説。政重を
迎える使者を斬る乱行に出て高野山に逃げた。
>>36 その辺が分らなかったから側近とだけ書いた
身分は低くとも小姓やってたんなら殿の近くにはいたんだろうから
殿へアドバイスする機会には恵まれるだろう
手取川の戦いだってあったかどうかわからないんだろ
>>41 手取川のことが知りたい方は、「 Sabkakusikaku 」でクグってみてください。
多くの議論かなされています。
43 :
日曜8時の名無しさん:2009/04/28(火) 17:24:00 ID:6oPgVQrx
手取り川の事まで言うのは馬鹿杉。
あれはあったでいい。
それよりも仙桃院出過ぎだろ。
勝頼は天目山で死んでないし、どっかの城で死んでるw
小山田信茂の一件は、側近の一言で終わってる
信長の光秀への叱責は、単なるアホ男の天然ボケになってるし
何よりも兼続や戦国武士達がキラキラ光る綺麗事ばかり言う橙武者になってることが
一番おぞましい。、
日本の古式泳法に平泳ぎはあったっけ?
…まして、着衣のままで。
>>44 →着衣のままで平泳ぎ…て意味だからね☆
次回予告や宣伝で兼続の泳ぎが平泳ぎだったから…
うろ覚えだけど、刀などが頭には乗っかってないようにも見えた…気のせいか?
またお地蔵様に預けやがったな?
47 :
日曜8時の名無しさん:2009/04/29(水) 03:38:59 ID:QKPbfAU+
>>43 えりんじ焼き討ちが遅い!て怒ったんだよね?ドラマで
48 :
日曜8時の名無しさん:2009/04/29(水) 06:43:10 ID:jVJYI9dk
仙桃院がでしゃばりババアだったってのは何となくわかる気がする。
公儀のことはともかく、米沢転封後に越後の寺社に奉納されていた
謙信由来の品々を強引に取り上げて米沢に持っていった経緯は仙桃院
の指図だったらしいし。上杉家内々のことにはやりたい放題だったん
じゃね?
なんでそう悪意に取るのかね
戦国大名と宗教との絡みは色々あるからな。
長野の善光寺が甲府にもあったりするし。
御館近くの居多神社は景虎側に付いたので追放されたけど、景勝が会津に移ったら戻ってきた。
景勝に付いてたら会津や米沢に行かされたから、そうならなくてよかったんだそうだ。
>>48 他のスレにも同じようなこと書き込んでるようだけど、
略奪したという史料残ってるのか?
他所で掘家転封による林泉寺没落に付け込んでというようなこと書いてるけど、
堀家改易は慶長15年、仙洞院死去は慶長14年だよ。
それから史料とかみると、米沢では謙信の菩提寺である大乗寺等真言寺院のほうが
林泉寺より大切にされてた感じだけど、
米沢林泉寺にそんな力あったのかなあ。
もっと普通に、引っ越しの際に、思い出の品も持っていったんじゃないのかなぁ。
今と違って、気軽に観光に訪れるわけには、いかないだろうし。
守り神的な思いもあったかもしれない。
お寺に奉納されてた物を、っていうのは確かにどうかとは思うけど、
勝手な想像だけど、願掛けのために奉納したものはともかく、現代の
感覚よりもう少し気楽に、預けたものもあったのかもしれないし。
53 :
日曜8時の名無しさん:2009/05/17(日) 12:04:58 ID:0dymquKY
>>1 史実との矛盾点なんて、そりゃあんた 全部ですよ全部
まあ最たるものは、もみじのような武将ってやつ
史実の直江はもみじのように散るどころか、徳川にゴマをすり
上杉家中では自分の与党で要職を固めて権力にしがみつき
挙句の果てにお家断絶食らっているワケですから
本当に全てが改ざんされてる大河ドラマだ
地元民は忘れんよ
>21
一応記録では、御館の乱から記録が出てくるみたいです。
手柄としては、御館の乱の戦後処理らしいです。
ドラマでは乱後は大した事ない風でしたが、色々大変だったみたいです
+その後の北条と川中島での領有を争った戦でも、武勲を上げているそうです。
ドラマでは、あれから3年たちました、とスッ飛ばされてしまいましたが。
「天地人」がアレなので、今 必死で勉強中ですが、
どの本を見ても、与六(兼続)が泣き虫だったなんて、エピソードが出て来ない。
ドラマとしても、必要性を感じなかった。(子供時代は良いとしても)
>>55 むしろ一刻も早く忘れたい。
記憶しておくべきなのは今現在大河誘致運動をしている地方の人々だろう。
>58
でも一番 恐いのは、次の大河ドラマが良作品だったらどうしようという恐怖。
今のNHKの会長?は大企業の元会長だと記憶しているし、ニュースなどで見ると、NHK審議会等のメンバーには旅館の女将などが入っていた。
つまり「利」や「競争」などの価値を肯定しているから、その正反対の「義」や「愛」を本当は馬鹿にしていて、わざと今回の「天地人」を駄作に作っているんじゃないか?
という疑問が最近 沸いて来ている。
兼続の弟の実頼は、官位なんて貰ってないだろう。
天正15年に新発田重家を滅ぼし乱を収め平定。
そして翌16年に討伐の報告の為、景勝と兼続上洛。
その時に、豊臣姓を兼続以下、家臣2人の計三人に与えられた。
更に兼続は景勝と共に、朝廷から官位をそれぞれ与えられた。
以上のこの事だろう。
ナレーションやCGで良いから、与七なんて良いからちゃんとやれよ。
何の必要性も感じなかったよ。
貰ってるみたいよ
>61
なるべく公的なところを調べたけど、何処にも出てこないよ
>61
スマソ
ちょっと有りました(^^;
ネットでググッて調べてる程度なんですが、やっぱり図書館などで正式に史料を見ないと史実は分からないのかな?
まあこの当時でしかも相手が秀吉なら官位の授受なんかそれほどたいした問題じゃねえし、
単に義経の話をパクりたかっただけなんだろうな
しかし、史実でも最初の原作でも、ドラマの落水での三成との最初の会話でも、兼続は「豊臣の中央政権下での、日本の平定に共感し、主君景勝を説得し、上杉家は納得して秀吉政権下へ入ったのではないか?」
それなのに、官位を受けるのをあんなに嫌がるのは不自然だと思う。
そんなエピソードも余り聞かない。矛盾を感じる。
むしろ喜んで頂き、堂々と日本平定へと邁進するのが兼続なのではないか?
秀吉の官位ばらまきは後で大変なことになったらしいなw
もはや兼続本人の原型も無い
景勝・兼続は「本能寺の変」の後、越後国内の平定を進めましたが、同時に前将軍・足利義昭から上洛の要請があり天下人との関わりが始まります。
1583(天正11)年には、景勝と豊臣秀吉の間で書状が交わされ、提携する事が確認されました。
秀吉と柴田勝家との戦の後、景勝は戦勝品を贈り、関係を深めて行きます。
徳川家康との緊張が高まった秀吉は、本格的な同盟を景勝に求め、景勝は甥を養子(人質)として送りました。
1586(天正14)年、景勝は兼続と共に初めて上洛します。この事により豊臣政権の一員に組み入れられました。
こうした上杉家と豊臣家が接近して行く交渉事は兼続と石田三成との間で行われていました。
これを飛ばしたらまずいと思います。
せめてナレーションだけでも…
>>68 粗末「・・・??????
よくわからないです〜。省略しましょう〜」
「あれから3年たちました」
(ナレーション)
「さて、そんなこんなで関ヶ原の合戦が終った年のある日・・・」
「宇宙が一巡したのでございます」
「そして明治の世を迎え、武士の世の中は終りを告げたのでございます」
74 :
日曜8時の名無しさん:2009/07/30(木) 09:55:47 ID:G6giFAp5
髪型をやめたのは、評判が悪かったせいですか?
第1話の冒頭で、上洛シーンを入れちゃったので、上杉の上洛が終わるまで、変えるに返れなかったからですか?
直江兼続と船の子は一男一女。
次女とされる人物は直江夫妻とは血は繋がっておらず
景勝の養女として上杉家にいた9歳の姫と猶子契約を結んだ。
最近判明した史実な。
汚染は次女は産んでない。
>>72 ああ、宇宙が一巡したんなら、「それまでの」史実とぜんぜん違っててもおかしくは無いな
だから何
さあ?
もういい加減、
南化玄興くらい出してくれ
80 :
日曜8時の名無しさん:2009/08/03(月) 21:37:57 ID:AHamrCIX
豊臣政権の盤石のための朝鮮出兵?
史実では日本で与える領地がなくなったために朝鮮を領土にしようとしたんじゃ
なかったっけ?
それと戦乱が収束すると困る加藤清正とか福島正則ら武闘派が自分たちの存在を
アピールするためじゃなかったっけ?官僚の石田三成らへの対抗意識。
ゲイスポ板に出張するかな
「天地人」に史実の反映や歴史のうねりの再現を要求するのは無駄ですね。
今回も石田三成は朝鮮に行ってないことにされるのかな
実頼が小国から大国に改名したのは景勝の命じゃないの?
85 :
日曜8時の名無しさん:2009/08/05(水) 07:21:05 ID:NYBRuun/
大名の弱体化を図ったのは家康。豊臣の刀狩は一揆の弾圧。
それから上地が養子?史実では大政所の甥っこだろ。
秀次は出ないの?
出るよ
ややこが出来たから戦が終わる、っていう根拠がわからん
実際終わってないし、誤解を招きそうなセリフだな
88 :
日曜8時の名無しさん:2009/08/06(木) 11:04:43 ID:b7eq7Pb6
89 :
日曜8時の名無しさん:2009/08/06(木) 12:54:20 ID:jr0PP0nR
斉藤朝信は存在そのものがなかった事になってるな
…斎藤朝信と新発田長敦は御館における対武田外交の手柄を兼続(と上田衆)に奪われた揚句、存在そのものが抹殺されてしまってる…
「イケメンじゃない武将は登場する価値がない、まさにゴミでございます。」
とうとう南化和尚を出さなかった
まさか相国寺の和尚まで出さないつもりか?
天地人で家康は、誰に兼続への手紙を書かせる事になってしまうんだろう
一回ポッキリで蓮司が登場
このドラマでは関ヶ原で西軍が勝つらしいよ。
しかも大坂の陣では上杉が豊臣方について大活躍
直江状をみんなにばらまくって、ありえないでしょう
直江状もらえなくて怒って東軍についた奴もいるだろうなw
99 :
日曜8時の名無しさん:2009/09/20(日) 20:38:47 ID:HfJVqglh
秀忠って三男で嫡男じゃないだろ
松尾山に催促に出向く三成 wwwww
>>100 粗末の脳内では関ヶ原って新宿中央公園くらいの広さなんだろうな
102 :
日曜8時の名無しさん:2009/09/21(月) 11:15:52 ID:y2FqgtYF
遠山左衛門丞はそのまま江戸町奉行になってしまう
103 :
日曜8時の名無しさん:2009/09/21(月) 11:23:46 ID:b9SYPm6E
105 :
日曜8時の名無しさん:2009/09/21(月) 12:44:46 ID:aALpCl0A
たぶん史実っていうのは記録とか伝聞なんだろうけど、それ自体創作されたものも多い。
だから史実、史実と強調する奴はあまり信用しないほうがいいという結論にいたる。
「史実」じゃなくて「俺の知ってる知識」にかえたほうがいい。
>>105 創作って・・・根拠とする史料がなにかということじゃないの。
二次史料なんかは創作の可能性もあるけど。
研究者が重視する一次史料によるものは、史実といっていいんじゃないの。
ただ研究者によって、同じ史実の解釈が違う場合があることと、
史料自体が間違った記述をしていることもあるから、
他の史料との比較が絶対必要になるけど。
107 :
日曜8時の名無しさん:2009/09/27(日) 09:50:00 ID:3flQmrZ/
>>105上杉が天下を取る展開になっても
「もしかしてこれが史実なのかもしれないが、俺の知ってる知識と違う」と言えと?
>>105 こういうスレでの「史実」という言葉の使い方に?がつくことが多いのは同意。
しかし「俺の知っている知識」というのはさらにおかしい。
「(信憑性の高い)史料によると」などと言ってできるだけソースもつけるべき。
まじめな議論ならね・・・
一次史料(当事者の手紙など)で裏付けがとれていれば史実でもいい。
あと関ヶ原で東軍が勝ったなど証明の必要のない「史実」も多い。
利休の娘と兼続がラブラブとか「史実と関係ない」と言えるものも多い。
109 :
日曜8時の名無しさん:2009/09/27(日) 14:07:59 ID:oljvoF59
ほぼすべて
糸冬了
これはもう歴史物語じゃなくて、創作物語でしょ
歴史物語だろうがなんだろうがドラマだから創作に決まっているだろ。
問題はそういうところにあるのではない。
直江状で家康が怒って上杉討伐に至ったと、定説を史実のようにしてしまった事は罪なことだ。
史実では直江状とは、相国寺の西笑和尚が、交流のあった兼続に、上杉家を心配して書き送った書状に対しての返事が直江状だ。
何故、和尚に対しての返信を家康が見て、怒らなければいけないのか?おかしい。
やはり、直江状の原本も見つかってないのに、偽物が多く残されている事や、その偽物も敬語の使い方がおかしい等の事柄が多く存在している点からも、家康側の上杉討伐を正当化する為の、方便だったと思う。
承克は徳川家と上杉家の交渉役だったんだから
承克宛に送れば家康側もその内容を見るのは
当然だと思うが。
交渉役っていうのはちょっといい過ぎかも。
家康の正式な詰問使は会津まで行ってるんだから。
直接景勝たちは詰問使に対面して返答したはず。
秀忠も会津討伐は詰問使へ返答次第だと言ってるし。
ある研究者は、その後の秀忠書状の内容から、
上杉は一旦は条件つきで上洛を承知したんじゃないかとしてたね。
実際上杉はは直江状を出した後も、戦争準備してるわけでもなく、
神指城の普請を続けてる。
家康が西笑に兼続宛ての書状を書かせ、その返事を見たのは事実だと思うが。
その後西笑が兼続に返事を出したことも含め、史料に残ってる。
それに上杉を討伐するにしては、かなりゆっくり進んでいたと聞く。
やはり三成を挙兵させる為の方便だったと思う。
淀かな
今回の兼続の直江家を犠牲にするのは本当だ。
摘男の景明がいるにも関わらず、徳川家老の本多正信の子、正重を長女お松の娘婿にして、直江家の家督を正重に譲るのだ。
これで徳川家との強いパイプとし、これからの上杉家を安堵する為に利用しようとするのだと思う。
大減封食らったのに武士を解雇しない上杉に対するスパイって線も考えられる。
政重さんも頃合を見計らって前田に移ってるし
119 :
日曜8時の名無しさん:2009/10/09(金) 22:20:28 ID:PAu1xrIw
>>117 確かに本当だがちょっとだけ時期を前倒ししてる。
この時期本多政重はまだ前田の家臣で(ちなみにその前は宇喜多の家臣。関ヶ原も西軍として戦った)
秀家が島津に伴われ家康に下った1603年に旧主に殉ずる決意で前田を去った。
彼を婿にする意向を伝えたのはそのあとで、上杉はとうに米沢30万石に決まっていた。
確かに幕府とのパイプ作りを図ったのだが、ドラマのようなカッコヨサはない。
だから時期をずらしたと思われる。
この本多政重という男の生涯もなかなか面白い。
前田慶次郎を思わせる武辺ぶりで、ために諸大名からも愛され
最終的に加賀前田家の重臣となり5万石。子孫は重臣八家の一つとして7万石となった。
細かい事言えば兼続は政重に家督を譲ってはいない。譲られる前に上杉を去り前田に戻っている。
景明が嫡男に復帰したが父より先立って死んだので、直江家は無嗣絶家となった。
>>114 家康が直江状で会津攻めを決めて豊臣奉行衆に止められたのも書状
に残ってる。
>>115 たしかに三成に不穏な動きがあるのは察知してたかもしれないが、
大軍勢になるとは思わなかったというのが最近の主流。その点は
天地人は小山でのやり取りで見せていた。
史実では小山評定の時点でも豊臣奉行や淀たちは味方だと信じ、毛利
らの荷担も確信できてなかった様子だが。家康とともに戦う!とみん
なが誓うのも当然。
>2
一緒ではないが、近い日に無くなっているな、ゴンザは。
124 :
日曜8時の名無しさん:2009/10/11(日) 13:40:24 ID:cVZAkjHz
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1326062363 ベストアンサーに選ばれた回答
kaachanokanさん
てゆーか、大河ドラマが「史実のドラマ化」だと思ってる人多くて笑っちゃうよね〜。
ちゃんとオープニングにでっかく「火坂雅志 天地人」って出てるじゃないですか。
つまり「小説のドラマ化」でしょ。
「フィクション」のさらに脚色されたドラマに史実がどうのなんて言ってるの、アホらしくないですか?
「時代小説」はあくまでも「小説」であり「エンタテインメント」です。
もしも太平洋戦争で日本軍がもっと強かったら、という「仮想戦記」というジャンルの小説がありますが、それと似たようなもんです。
もしも○○だったら。もしも○○じゃなかったら。という「架空」の「娯楽作品」です。
そんでもってこのドラマは直江兼続が主人公ですから、直江兼続がイケメンスーパーヒーローとして描かれているのは当たり前です。
みんな直江兼続が大好きです。直江兼続には秘められた数々の能力があるのです。“ハリーに一万点じゃ!byダンブルドア校長”の世界なのです。
フィクションをフィクションとして楽しんでおられる様子が微塵も感じられなかったのでわざわざ「フィクション」「娯楽」「エンタテインメント」を強調して書かせていただいたのですが?
それとももっと思いきって、武田信玄が軍配で竜巻起こして山一つ吹き飛ばしたり直江兼続が目からビーム出して敵の軍勢を蹴散らしたりしてくれないとはっきりフィクションだって割り切れないですか?
端から見るとあなたの言ってる事って「ドラえもんってロボットのくせになんでどら焼き食べるの?燃料にもならないのにおかしくない?」「戦艦大和を改造して宇宙船なんか造れるわけないじゃん?おかしくない?」って言ってるのとたいして変わらないですよ。
最後の最後に一言だけ本音言っちゃおうかなあ。
あー、史実ヲタクうぜー。
あー、史実ヲタクうぜー。
あー、史実ヲタクうぜー。
あー、史実ヲタクうぜー。
あー、史実ヲタクうぜー。
樋口兼豊、あと6年は生きると思ったのだが…
大国実頼、この後、どうやって本多政重への使者を斬るんだ? orz
>>125 兼豊が死んだ年は合ってるよ
日本の歴史では
1601上杉米沢へ移封
1602兼豊死
1603家康将軍に
1604菊姫死、政重前田家を離れる→政重養子に
小松の歴史だと
1601政重養子を条件に上杉を救う→米沢移封
1602兼豊死
1603家康将軍に
まあ遠山が20年以上も生き延びているんだから、兼豊が5、6年生き延びても罰はあたらんだろうな
しかし景勝が部下宛の書状で、いくら内府(家康)に上洛出来ない理由を説明しても聞いてくれない、旨の内容だから
やっぱり上杉討伐は家康の強引な言い掛かりだったと思う。
要するに、前田への謀反の嫌疑といい三成のちっ居といい、『豊臣政権崩壊』へと導きたいとの意向の現れだと思う。
>>128 無断で大名間の婚姻もしてるし
言い訳が年で忘れましただから潰す気満々
本多政重はスパイどころか仲良い
それとも後から仲良くなったのか
米沢上杉博物館で、
本多政重が関ヶ原で付けていた(西軍)甲冑が、12月4日位まで展示されている。(加賀前田の本多蔵品館より貸出し)
興味のある人は見に行かれたし
131 :
日曜8時の名無しさん:2009/11/30(月) 19:52:51 ID:ej9GIYmu
信長の野望で大国実頼と泉沢久秀つくりたいけど能力どれくらいだと思いますか?
泉沢は一応内政がそれなりだろうが、実頼はそんなに外交で活躍してたのかね?
>>1 一応といえど、火坂みたいな3流以下の作家を
「大河原作作家」にしてしまったこと。
>>132 史実じゃ、京都留守居は千坂だろ。
むしろ実頼は文化面の功績ありかな。
上杉の連歌会の常連、和歌の古今伝授も受けたらしいし。
上杉家って しょっちゅう歌会をやってたのに、
歌会のシーンを入れて欲しかったな
桑取衆が持って来た米が、あっという間に真っ白なおにぎりになっているのには驚いた。
上杉家は精米機でも持ってんのか?
その米をガンガン食べてしまうのもおかしい。
いつまで戦が続くのかわからないし米は無限ではないのだから加減して食べるべき。
史実かどうか以前に戦国時代のことがわかっていない。
>>135 >歌会
無理無理。
今年の大河制作陣にそんな風雅なものを期待してはいけない。
重大事件や人物もスルー、題材を湾曲しまくりの脚本家なのだ、
戦国大名家の文化など知っているわけがない。
謙信は2度も上洛してて都の公卿とも親しく行き来していた。
都での身の処し方や贈答の慣習などを熟知した側近は残っていたはず。
またあれだけの大名家なのだから、有職故実に明るい家臣も置いたはず。
なのに「天地人」での景勝上洛での物知らずぶりは何なんだよw
>137
史実では
景勝は菊姫と、兼続はお船と
夫婦仲良く初上洛したらしいね
そしてあちこち散策したらしい
その後すぐ、信長らと通じて反乱を起こした新発田を討伐したんだから、
充分に上杉家は優秀だよ
139 :
日曜8時の名無しさん:2009/12/02(水) 15:01:35 ID:lfpm3I33
>>135 粗末「歌会?戦国時代もカラオケやってたの?そんなシーンならあっても
いいわね!」
>139
それでやらかした
どじょっこホイ!
>>140 死ぬ前の兼豊パパのアレは松竹芸能の寄席芸人の出囃しみたいだったな…
兼続が使ってた「愛」の旗って本当にあったんだね
写真で見たけど、天地人のOPでは白地に赤だったけど、本物は白地に墨書きの黒だったよ
自筆なのかな、崩し字でめちゃ上手い字だった
;歴史ヒストリアでは伊達政宗が床に伏せる家康に秀忠のことを託されていた。
カネツグ関係無しかやっぱり。
家康が死ぬと政宗が秀忠に謀反起こすという噂が立ってたからなw
ちなみに家康がいよいよ危ないとなって上洛するとき
景勝と政宗・義宣は一緒に家康を見舞っている。
145 :
日曜8時の名無しさん:2010/06/09(水) 15:40:08 ID:T7isg3GU
アメリカは橋龍の娘を集団レイプした。アメリカを許すな!日本から出てけ
>>144 それで政宗のやろうとしてる事を全部家康が言い当てて政宗をおとなしくしたって逸話があるな
兼続に言ったせいでただのアホ親父になっちまった
政宗に秀忠を託すとも思えんが…
集めた大名全員に「秀忠をよろしく」って言っただけなんじゃね、もしかして。
矛盾点つーか、このドラマは
歴史を捏造しちまった
発売の4ヶ月前にはアナウンスってあるもんなんだね
Civ3発売日2001年10月30日
http://bit.ly/ot15yq Civ3の二つ目拡張発売日2003年11月4日
http://bit.ly/oGU6kZ Civ5の発売日2010年9月21日 無印→BtSや3みたいに約2年後に拡張が出るとしたら拡張発売日は2012年9月21日と予想される
今から7ヶ月の間に拡張発売のアナウンスがなかったら5は拡張出ないのかもしれん
テスト
あ