「篤姫」ネタバレスレッド その4

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56日曜8時の名無しさん
講座「篤姫制作の舞台裏」。第2回目があったのは10月11日。
今度は佐藤峰世ディレクターから聞いたお話をまとめました。

・担当した作品の紹介
利家とまつ。ハルとナツ 届かなかった手紙など。
(講座のあった週から)ちょうど篤姫総集編の仕事に入ったところ。
総集編は12月26〜28日の3日間。
50本を5本にしなければいけないので、どうまとめようかいろいろ考えている。

・クランクアップを迎えた篤姫
佐藤D 撮影が終わった日は、宮崎あおいさん泣きましたねえ。ここまで泣くかと。号泣とはこのことかと。
(コレ見て!ムービーを見たら、よくわかりますね)

・日本人と涙
篤姫では、宮崎あおいさんを始めとして泣いているシーンが多い。
男性陣はあまり泣かないようにしているけど。その涙が好評。
もともと日本のドラマは泣くシーンが多い。
フィクションであっても、視聴者は一緒に泣いてくださる。
ハルとナツの撮影で行ったブラジルのドラマでは涙なんてない。笑ってばかり。
理由はわからないけれども、日本人は過去に非常に悲しい体験をしているからなのか。

・ディレクターという仕事
ディレクターは大河を経験すると2つ歳をとる。1年間が準備で、残りの1年間が撮影。
55歳から篤姫のプロジェクトに入ったので、今57歳。
映画監督のような立場だが、自分でシナリオを書いたり、自分でお金を集めたりなどはしない。
NHKという組織では禁じられている。一人の人間に権力が集中するのを避けるため。
だからシナリオは脚本家の先生が書く。自分たちはその文章を映像にする。
今回、大河ドラマの担当ディレクターは4人(メインが)。自分が一番年上なのでいろいろ責任を。
撮影は月に1本分やるのが精一杯なので、どうしても4人は必要。
(話を聞いている間、撮影で実際に使った台本を回覧しています)
台本に書いてあるセリフを細かく線で区切って、カットごとに絵を指定するのが自分たちの仕事。
ただし、これは仕事の中でもかなり終わりの部分。

・鹿児島でも知名度は低かった篤姫
篤姫のことは、今回のプロジェクトに関わるまでよく知らなかった。
今から25年前に書かれた原作。徳川家に嫁いで苦労する天璋院篤姫。暗い印象をもった。
当時バブルに向かって走っている時期にこんな小説をよく書いたなと。
世の中浮かれてちゃいけないよと宮尾先生は書きたかったじゃないかと。
撮影に入る前、鹿児島へ下見に。当時は鹿児島の人に聞いても、篤姫をほとんど知らなかった。
(第3回目の屋敷プロデューサーも同じことをおっしゃってましたね)
県の人(県庁?)はさすがに知っていたが、暗い物語だからせめて明るいものにしてください、
明るくないと当たらないからと言われた。お願いされた自分たちが暗い気持ちに(笑)。

・新たな主人公を発掘する大河に
前田利家(以前担当したときの主人公)あたりまでなら知ってるが、篤姫は本当に知られてなかった。
ほとんど知られていない人物を大河ドラマの主人公に持ってくるのは、やはりリスクが大きい。
最初、これはいけると思っていたNHKの上の人は誰もいなかった。
第1回(試写のことか?)を見たあとでも、これじゃ何か足りないんじゃないかと自分の目の前で言われた。
それなりに大きい予算が組まれているのだから、心配するのは当然。
15年くらい前だったら、篤姫のような作品はやっていなかったはず。
しかし大河ドラマを続けていくうちに、秀吉など同じ人物が何度も主人公になるようなケースが。
最近は知られていない人物を発掘して、見方を変えたストーリーにするよう努力も。

つづく