「篤姫」ネタバレスレッド その4

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36日曜8時の名無しさん
今月の4日、佐野元彦チーフプロデューサーの講座「篤姫制作の舞台裏」が
あったので、そこで聞いたお話をまとめました。

・担当した作品の紹介
土曜ドラマのマチベン、氷壁。朝ドラの天花。他に女神の恋、楽園のつくり方など。
今まで関わった大河ドラマは毛利元就、元禄繚乱、利家とまつ(途中から)。篤姫が4本目。
篤姫の収録は終わったが、作業はまだ続いている。この時点で第46回を編集中。

・幕末の大河を描く難しさ
これまでにも幕末を描いた大河ドラマはあったが、
「暗い」「ややこしい」「人がいっぱい出すぎてわからない」
という感想が視聴者から多く寄せられた。これは自分も同じ気持ちだった。
「ややこしい」のは、一級史料が多く存在するため。
たとえばもっと昔の戦国時代だと、一級史料は少ない。

講談や歌舞伎などではいろんな見方をした歴史が語り継がれている。
こういったものは、ややこしい部分、納得できない部分、物語にならないような出来事などは
削ぎ落とされて洗練されていった。

しかし明治に近くなると、西郷にしても、大久保にしても、
何日に誰が何をしていたという記録がきちんと残っている。
本人だけでなく、立場の違う人も同じことを書いていれば、これは史実に近づく。

できるだけ嘘にならないように、いろんなことを注意しないといけないので、
地雷の上を歩いているような気分。
だから、反論がこないようにドラマを作ろうとすると、
削ぎ落とされていたような史料まで多く抱え込むことに。
その結果、枝ばっかりが多くて幹が見えてこないドラマになってしまう。

・今までと違う幕末の大河を
夜中に脱藩した者たちが暗殺計画を練る。そして誰かが殺される。これが繰り返される。
自分がイメージしてしまう幕末は、こんな暗いものだった。
でも全然違うんじゃないか。
戦争で亡くなる人が特別に多い時代だったわけではない。
人口の半分以上は女性だし、子供もたくさんいた。
仲の良い人たちがいれば、そこにもいろんな泣き笑いがあった。
だからこそ、今までの血生臭いイメージからは離れて、
もっと人間味のある時代として描きたかった。こうして選んだのが、篤姫。
まっすぐ前に向かって生きていくポジティブな女性を描けば、今までとは違う幕末大河になるはず。

・原作の宮尾先生にお願いしたこと。
大奥に入ってからの篤姫には、人づてにしか外の情報は入ってこない。
大きな動きがあるのは京都なのに、篤姫は走って見に行くことはできない。
視聴者にどの時代の大奥なのかはっきりさせるために、やっぱり政変も描いていかないといけない。
だから、原作には登場しないような男性たちを出したい。了承をもらいに、宮尾先生のもとへ。
1年という長い期間をかけて放送する大河ドラマなら、
そういう部分までわかる必要があるから登場させていいですよと宮尾先生。

大事なのは、京都で起こっている政治劇が、篤姫のいる大奥と同じ空気でつながっているということ。
こういう揺れている世情の中にあった大奥だったことを描きたかった。

・宮尾先生が出した謎解きの問題
とにかく早く鹿児島に行って、桜島を見てきなさい。そうすれば篤姫がどんな人物かわかると。
宮尾先生がそうおっしゃっるので、3、4日後にすぐ鹿児島へ。
そこで見たのは、熱気を伝える桜島と波のないおだやかな錦江湾。
いたるところから見ても、この2つがきれいに一枚の絵におさまる。
こんな景色を見ながら育った篤姫に対するイメージが出来てきた。
熱いハート、大胆さ。そして動じない冷静さも。その両方を持っていたはず。
それを感じてきなさいと宮尾先生は言ってたんじゃないかと思った。
先生本人に答えを聞いてはいないけど、いい謎解きの問題を出してくれたなと。(つづく)
37つづきです:2008/10/22(水) 23:10:01 ID:ZVE//UiL
・幕末ホームドラマで描くのは
ホームドラマは昔からある基本的な形。僕はホームドラマが好き。
篤姫が成し遂げた大きな仕事。
最後には大奥1200人を家族としてまとめあげ、無血開城を行ったこと。
その豪胆さ、英断、落ち着き、あきらめない気持ち
そういったものはどこから生まれてきたのか?
だから、子供時代にどういった育ち方をしたのか丁寧に描きたい。

・プロデューサーとしての大事な役割は
こうして基本的な構想は出来上がった。
あとはブレちゃいけない部分は何なのかをしっかり伝えること。
自分が旗を振って、みんなを最後まで導かないといけない。

・本作りの基本は
続いて脚本家と台本作りに。どういう人物を登場させるかなど話し合う。
大事なのは、史実をねじまげちゃいけないこと。
たとえば薩英戦争(ちょうど放送直後だったので)。
当時、小松帯刀は江戸の薩摩藩邸にいたなどと、いくつかの日記に
もし記録されていたとしたら、戦場で指揮をとっていたとは書けなくなる。

ただし、こういうことはある。
於一と利通は知り合いだったと書けるか。
知り合いだったという史料はないが、知り合いではなかったという史料もない。
ただ、身分の違いを考えれば、普通だったら2人が知り合うのはありえない。
しかし2人の間に、「小松帯刀」という人物を挟めば、この構図はギリギリ成立する。
小松は剣を習っていたので、大久保たちと剣を交えたことがあってもおかしくない。
また小松は、島津家の人間が鶴丸城に集まるときに立ち会える立場だったので、
於一と顔見知りであったとしてもやはりおかしくはない。
あくまで史実はねじ曲げず、史実ではないと言い切れないギリギリのところで書く。

このアイデアをくれたのは時代考証の原口先生。
篤姫の成長期に出てくる男性。しかも大奥で籠の鳥となってからも、
京都で活躍のできる人物をお願いして探してもらった。
3人くらい考えられる人物がいたらしいが、最も適しているのは小松帯刀だったと
原口先生は言ってくれた。

強引なことをやっていると思われる人もいるかもしれないが、
自分たちの中では絶対おかしいということはやっていないつもり。

・薩摩編の分量をどうするか
物語は篤姫の少女期である薩摩編から。普通の配分なら3本くらい。
本来ならいくらでもはしょれる年代だけど、今回はたっぷりと描きたい。
小松帯刀という伴走者もつくので、長くてもフォローできる。
篤姫の自己形成期を1クール12本かけてたっぷり描くことに。

・キャスティングのポイント
本作りのプランと同時期に進めるのが、キャスティング。
篤姫は11人チーム。チーフプロデューサーである自分につくのは、屋敷プロデューサー。
そしてスケジュールを決める制作主任。さらに演出、助監督がいる。
キャスティングをどうするかはチームそれぞれだが、今回は自分が主導で決めている。

キャスティングで自分が大事だと思うのはアンサンブル。
誰かが突出してよいのではなく、全体のパッケージとして成立しているかが大事。
単に集めただけにならないように注意しなければいけない。
(つづく)
38つづきです:2008/10/22(水) 23:29:45 ID:ZVE//UiL
・ストーリーが変わったかもしれない篤姫のキャスティング
民放では企画ありきでそれに合う人を探したりもしてるが、
この役者をおさえたから、こういう企画で進めようということはしていない。
ただし、今回は薩摩での少女期が長い。10代の女性をしっかり演じてもらわないといけない。
強引に10代を演じてもらうのはあることだが、
大型ハイビジョンで見る時代に、12歳の於一だと言い張られても(皆笑)。
亡くなる40代まで演じてもらえる引き出しの数をもった若い人というと、
宮崎あおいさんしか思いつかなかった。
なので、もし彼女が引き受けてくれなかったら、篤姫という企画はつぶさなかったが、
2、3回で少女期はすませていた。

交渉したのは純情きらりの収録終わりごろ。宮崎さんからは1週間の時間をくださいと言われた。
僕の場合、考えるは4・6で悪い方が多かったがやりますとの返事が。
企画書で篤姫についてはこんな人生だと知らせていた。
宮崎さんからは「やれるかどうかわからないけど面白い。他の俳優さんがやることを考えたら
口惜しいから私は絶対やる」と。
この若さでそんなことが口にできるのかと。自分の若い頃を考えるとびっくりした。

・小松帯刀を演じるのに必要なものとは
構想を変えずにすんだところで、次は小松帯刀。瑛太さんに交渉。
嫌われ松子の一生を見て、瑛太さんの芝居に感動。
攻撃的な芝居がうまい人はいくらでもいるが、受ける芝居がうまい人は数えるほどしかいない。
相手の芝居を受けてゆっくりリアクションする。自分から仕掛ける芝居でなく
受け止める芝居をする。20代でそれができるのは瑛太さんだと。

受けの芝居が要求されるのは、相手の篤姫がポジティブだから。
どちらもポジティブな人間にして、たとえばお互いケンカしあうような間柄を描く場合もあるが、
今回の大河でやるとメチャクチャになりそうな気が。
こうしてちょっとひ弱な帯刀像が出来上がっていくことに。

・原作とは違う家定のキャスティング
宮尾先生が力を入れて書いている人物だけど、ドラマでは原作とは変えている。
繊細で傷つきやすいけど 暗愚ではない。周囲から特異に見られるけど、
ときに聡明に見えたりもする。そういう人が見たかった。
こういう振れ幅が大きい人物を演じてもらうとなると、芸熱心な堺さんしか思いつかなかった。
早い段階で本のことを伝えると、豆を炒る道具やお手玉とか美術さんに話して、
家に持ち帰って練習したみたいで。
どれくらいやったのか聞いてみたら、本人は「うーん、言えない(笑)」と。
その集中ぶりはやっぱり家定にピッタリだった。
(たしか雑誌GALACのインタビューでも、脚本家の田渕久美子さんが、
最近の俳優の方についてほとんど知らないけど、家定については最初から堺さんを
イメージしていたと書いてあったかと)

・ベテラン俳優のキャスティングについて
年の近い人間同士ばかりだと、なあなあになったりすることだってある。
だから普段出会わない俳優さんに出会ってもらって真剣勝負を引き出したい。
たとえば北大路さんと宮崎さんが話している場面なんか、なかなか想像できない。
世代を超えた俳優同士のピンポンは面白い。

・終盤のスタジオ収録を見て
自分も芝居を見ていて何度も泣ける場面が。
天璋院と家定のシーン(第48話)
天璋院と帯刀が最後に再会するシーン
(講座でお話を聞いたのは、この場面のことが書かれた雑誌が発売される前だったと。
なので講座が終わったあと、質問して再確認。佐藤CPは第49話だとおっしゃってました)
お幸が天璋院と会うシーン(第50話)。
この場面も明治2年なら会いにいってもおかしくないという裏づけをとっている。
(つづく)
39日曜8時の名無しさん:2008/10/22(水) 23:38:25 ID:ZVE//UiL
・この後、VTRを交えながらCG合成について解説
タイトルバック。グリーンシートの上で宮崎さんを撮影。
合成するときは荒れやすい。スロー映像を美しく撮るために、
普通のカメラの30倍のハイスピードカメラを使用。

斉彬お国入りの大行列が橋を渡っている場面。
撮影場所の川には水が流れておらず、山の位置も違った。行列も人数が足りない。
行列は少人数のエキストラを3回にわけて撮影して長い行列に。
鹿児島で実際に流れている川から水の部分だけ撮ってはめこむ。
山の位置は画面右隅。これもバランスがよくなるように合成している。

江戸城の全景。平河門から撮影した写真に、史料をもとに作ったCGの城をはめこむ。
橋を渡る武士たちはスタジオで撮影。グリーンシートの上を歩いてもらって、
小さく縮小したものをはめこんでいる。
他に空や富士山など様々なものを組み合わせて、この映像も完成している。

さらに於一が生まれた日の雪が降っているシーンや薩英戦争などについても説明。

最後に質問する時間があって、講座は終了。
撮影終盤のロケについて尋ねましたが、どうやら鹿児島での撮影はなかったようです。
終了後には、猫のさと姫が出てこなかったことについても聞きました。
やはり撮影に膨大な時間がかかるのと、大奥の撮影で猫アレルギーの人が一人でも
いると大変なので登場させられなかったとおっしゃってました。
(岩倉と一緒に出てきた猫を撮るときでも、短いシーンでしたがやはり苦労してましたし)

佐藤CPはこれまでにも地方などで何度か講演されているので、
お話がきちんとまとまっていてとてもわかりやすかったです。
雑誌インタビューなどで知っていることも多々ありましたが、
直接お話を聞くことができてとてもよかったです。
40日曜8時の名無しさん:2008/10/23(木) 00:33:23 ID:c4xO53po
>>39
すいません。佐藤CPではなく、佐野CPです。

先週末、また愛宕山にあるNHK放送博物館に足を運んだのですが、
ちょうど大河ドラマ関係の展示物が一部変わったところでした。
篤姫に関しては以下のものが展示されてましたね。
・「一」「篤子」の命名紙。
・第7回の放送台本。
・篤姫の懐剣、緞子地筥迫、懐紙挟み。
・島津斉彬の竹十骨柄扇、銀鼠糸巻柄薩摩紋入唐草蒔絵鞘大小刀。
・篤姫の打掛(前の週に来たときあったものから、別のが2枚になってます)
・和宮の袿(こちらは新たに展示されました)