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つづきです:
(鳥羽伏見の戦いから、少し横道にそれて新撰組のお話へ。
私は詳しくないのですが、たぶんこんな説明をしてたかと)
4年前には『新選組!』の時代考証も担当。口をすっぱくして、新撰組はもっと近代的なんですけどね
と自分は言ったが、ラストサムライのイメージが強くなってしまった。
自分の考えでは、新撰組はラストサムライではなく、ファーストミリタリー。
当時の軍隊は武士階級によるもの。また奇兵隊も、あくまで長州のなかで編成されたものだった。
ところが新撰組は身分を越え、地域を越えて全国から集まった。
あらゆる階層が集まった実力主義の組織。
鳥羽伏見の戦いでは、みな鉄砲をかつぐ。また勝沼戦争は完全な銃撃戦・砲撃戦となって負ける。
近藤勇は流山で捕まるが、そのとき軍事訓練で使っていた200丁近くの鉄砲が押収される。
新撰組のほとんどの人間が鉄砲を持っていた計算に。
つまり新撰組=鉄砲隊。鉄砲相手に、誠の旗を持って、刀を振りかざすなんてバカな話はない。
新撰組のイメージを変えていく必要がある。
(10)最終回「一本の道」から
天璋院「それはそうじゃ。誰もが天命。果たすべき何かを持って
この世に生まれてくるのだからな……」
勝「果たすべき何か……」
天璋院「そうじゃ。天命じゃ」
何か=「役割」。そして最後も「天命」という言葉を繰り返し口にしている。
従来の時代劇のような勧善懲悪の図式ではない。『篤姫』では、
それぞれの人間が己の役割を自覚し、運命(おかれた立場)に
立ち向かう姿を描いている(その姿は積極的、肯定的に捉えている)。
かつての時代劇は、正義の主人公が悪人を斬り倒していくのが定番。
でも、いい人は何十人斬っても、翌週には何事もなかったかのように登場してくる。
いい人に斬られて転がった死体が取り調べられず、誰も追究しないのはおかしい。
実際は刀を持っていても抜かなかった。長い刀はお役目用で、役人である印。
短い刀は恥をかかされたり、ミスをしたときのための自殺用。
チャンバラみたいなことは少ないといろんな外国人が書き残している。
自分が時代考証を担当した『陽炎の辻』。パート1では結構斬っていたので、
やめてくださいとお願いした。
磐音は浪人だから、正義の味方だろうがお白州で取り調べられることに。
峰打ちで打撲や骨折させるなら、悪い奴は自分から訴えられないからいいが、
死体にしたら事件になってしまう。 自分の意見が通ったのか、パート2では峰打ちに。
するとある学生から、刀を返すときにあんな音がしたら刀が抜けるんじゃないかってチェックが(笑)。
でも音がないと、何をしているのかわかりにくい。
パート3も来年(年が明けたので今年)製作されるので、一応このこともNHKに伝えておこうかと。