「篤姫」ネタバレスレッド その4

このエントリーをはてなブックマークに追加
261259からのつづきです
・桜田門ははたして閉まっていたのか
印象に残っているのが、桜田門外の変。護衛の人たちがなかなか刀を抜けなくていらいらするところを、
さっと斬りあいになってしまっている。ちょっと応戦するのが早かったかなと。
このシーンでは、桜田門外の変がおこったときに、桜田門は開いていたのか、
それとも閉まっていたのかを調べてほしいと言われた。
これは今まで考えてなかったので、調べに調べて自分の考えを伝えた。
(詳しく聞き取れなかったんですが、たぶんこんな風に説明していたと思います)

普通は大手門から入る。しかし桜田門は、彦根藩邸からわずか数百m先。
大老を大手門までわざわざ回すのは危険だから、一番近い桜田門を登城門とした方が
いいと考えたのでは。となると直進するだけだから、門は開けといてくださいとNHKには伝えた。
でも出来上がったセットの門は閉まっていた。門を開けるとその内側のセットも
作らなければいけないんだと。それなら最初から聞かないで(皆笑)。
もし桜田門が開いていたとしたら、さっと門に入って守ることもできたはず。
となると藩邸から桜田門までの短い距離の中で、本当にここぞというタイミングでの
襲撃だったのかもしれない。
桜田門を登城門とすると、まだまだ考えなければいけないことがいろいろある。
自分の中で、桜田門外の変はまだまだ見直す必要があるなと今回思った。

(桜田門のセットを見学窓から見たときは、こんなのでいいの?と思ってしまうほどのものでした。
週刊文春の記事にありましたが、田渕先生も現場で書割の壁の粗さや、
松の安っぽさに少し心配になったそうで。TVナビの撮影秘話にある通り、
このシーンはそれだけ照明と特殊効果の力が見事だったと)

・家定は本当にうつけだったのか
資料を厳密に見ていくと、うつけだと言っているのは一橋派。この人たちは外様や御三家だったりして、
普段は幕府の政治に参加できなかった。だから慶喜を将軍にして、自分たちも幕政に参加し、
総動員で当時の難局を乗り切りたかった。
この人たちの資料だと、とても放送できないような差別用語を使って、家定をうつけ呼ばわりしている。
一方、紀州派、それに大奥や勝海舟は、家定についてそれほど悪く言っていない。
譜代は自分たちだけで幕政を行っていきたい。家定が家茂を推すことを、うつけの判断にはされたくなかった。
家定がうつけか否かというのは、情報戦の色彩が強かったと自分は見ている。

では幕臣でありながら、一橋に出向していた人はどう考えていたのか。
うつけではないけれど、今の難局では持たないという言い方をして両方をたてている。
260の大名があるけれど、家定は中クラス。もし平和な時代だったら、何の問題もなかった。
動乱の時代でも、将軍ではなく一藩主であれば保てたと記録がある。

(6)「天璋院」と書かれた紙
(これは滝山が篤姫に見せていた。この後、お話は一気に無血開城に)
OAでは花をたくさん飾っていたが、実際は掃除をして大奥をきれいにした。
最後にいたのは天璋院と本寿院。その前日まで静寛院もいた。

>>260
西郷と勝についてのその件は、何も触れなかったですね。
また関係者に尋ねることができる機会があればいいんですが。
262つづきです:2009/01/06(火) 18:20:15 ID:yq9eAbJX
・『篤姫』が訴えた2大テーマ「役割」と「家族」その1
(台本の該当部分を抜粋しながら、まず役割論のお話に)

(1)第1回「天命の子」から
貧しい農民を目の当たりにした幼い於一が食事を拒んださい、お幸が語る場面。
お幸「この世のものには、すべて役割があるのです〜」
(セリフのやりとりがしばらく続き)
於一「役割……」
お幸「役割です」

ここは士農工商の身分制度のうち、武士と百姓の違いを「役割」から説明している。
台本を見ればよくわかるが、このシーンのように大事な言葉は、必ず復唱させている。

(2)第1回「天命の子」から
屋敷を訪れた於一と尚五郎に抜け荷を告白した調所が、自らの役割を語る場面。
調所「しかし、それもこれも薩摩が生き抜くため」
於一「(無言)」
調所「それが手前の役割にて」
於一「役割……」

この場面は、最後に調所が「各々が役割をば放り出し、勝手なことを始めれば、
お家は成り立たず滅びるしかござらぬ。違いますかな」と語る部分がカットされた。
(大石先生はNHKから送られてきた本放送用のテープを、台本を見ながら
今一度確認して気づいた。ここは、とくにカットしなくてもよかったのではと思ったとか)

(4)第2回「桜島の誓い」から
江戸に立つ前、調所が再び於一に語る場面。
調所「〜これが役割を超えた天命ならば、それもまたいたしかたなかったのだと」
於一「天命?」
調所「さよう、天が定めしことならば」

最終回ラストで天璋院が口にする「天命」。ここで調所が「役割」に代わる言葉として
使っていた。さらに、どの「てんめい」か思い浮かばない視聴者にわかりやすいよう
説明しなおしている。

(7)第33回「皇女和宮」から
公武合体による日本の平和のため、和宮が将軍家茂に嫁ぐ決心をした場面。
和宮「こたびの婚儀、私がお受けいたしましたのは、御上から授かったお役目のため〜」
庭田「はい」
勧行院「宮さん……」
和宮「私は、そのお役目を果たすべく江戸にゆく。その旨心して、わたくしに支えよ」

京の人なのでここは「役割」を「お役目」に代えている。

宮崎さんと堀北さんの仲が悪いというマスコミ記事がよく出ていたので、気になっていた。
現場を見に行ったときそんなことはなく、料理の話などをしていた二人。
自分が堀北さんと挨拶していて、ちょうどそこに宮崎さんが通りがかったときも、
険悪なんてことはなく、二人はとてもいい雰囲気だった。
週刊誌に聞かれたら、仲いいですよと答える構えはしていたのに(笑)。

(お話は進んでいって、江戸に逃げ戻ってきた慶喜のことに)
TVの天璋院たちはちょっといい子になりすぎ。首を差し出せというセリフも、
ドラマでは本寿院が代わりに言っている。
東北諸藩が一つになって薩長官軍と戦う奥羽(越)列藩同盟。
その中心の会津に対して天璋院は、官軍は賊軍であり、
お前たちに何とか薩長を叩いてほしいと手紙を出している。
篤姫は最後の最後まで徳川将軍家を守ろうとしていた。TVではあきらめがよすぎる。
263つづきです:2009/01/06(火) 22:56:55 ID:Bglem9JZ
(鳥羽伏見の戦いから、少し横道にそれて新撰組のお話へ。
私は詳しくないのですが、たぶんこんな説明をしてたかと)
4年前には『新選組!』の時代考証も担当。口をすっぱくして、新撰組はもっと近代的なんですけどね
と自分は言ったが、ラストサムライのイメージが強くなってしまった。
自分の考えでは、新撰組はラストサムライではなく、ファーストミリタリー。
当時の軍隊は武士階級によるもの。また奇兵隊も、あくまで長州のなかで編成されたものだった。
ところが新撰組は身分を越え、地域を越えて全国から集まった。
あらゆる階層が集まった実力主義の組織。
鳥羽伏見の戦いでは、みな鉄砲をかつぐ。また勝沼戦争は完全な銃撃戦・砲撃戦となって負ける。
近藤勇は流山で捕まるが、そのとき軍事訓練で使っていた200丁近くの鉄砲が押収される。
新撰組のほとんどの人間が鉄砲を持っていた計算に。
つまり新撰組=鉄砲隊。鉄砲相手に、誠の旗を持って、刀を振りかざすなんてバカな話はない。
新撰組のイメージを変えていく必要がある。

(10)最終回「一本の道」から
天璋院「それはそうじゃ。誰もが天命。果たすべき何かを持って
この世に生まれてくるのだからな……」
勝「果たすべき何か……」
天璋院「そうじゃ。天命じゃ」

何か=「役割」。そして最後も「天命」という言葉を繰り返し口にしている。

従来の時代劇のような勧善懲悪の図式ではない。『篤姫』では、
それぞれの人間が己の役割を自覚し、運命(おかれた立場)に
立ち向かう姿を描いている(その姿は積極的、肯定的に捉えている)。

かつての時代劇は、正義の主人公が悪人を斬り倒していくのが定番。
でも、いい人は何十人斬っても、翌週には何事もなかったかのように登場してくる。
いい人に斬られて転がった死体が取り調べられず、誰も追究しないのはおかしい。
実際は刀を持っていても抜かなかった。長い刀はお役目用で、役人である印。
短い刀は恥をかかされたり、ミスをしたときのための自殺用。
チャンバラみたいなことは少ないといろんな外国人が書き残している。
自分が時代考証を担当した『陽炎の辻』。パート1では結構斬っていたので、
やめてくださいとお願いした。
磐音は浪人だから、正義の味方だろうがお白州で取り調べられることに。
峰打ちで打撲や骨折させるなら、悪い奴は自分から訴えられないからいいが、
死体にしたら事件になってしまう。 自分の意見が通ったのか、パート2では峰打ちに。
するとある学生から、刀を返すときにあんな音がしたら刀が抜けるんじゃないかってチェックが(笑)。
でも音がないと、何をしているのかわかりにくい。
パート3も来年(年が明けたので今年)製作されるので、一応このこともNHKに伝えておこうかと。
264つづきです:2009/01/07(水) 01:35:22 ID:K1w9yoVp
(ちなみに大石先生は、好きな作品として『慶次郎縁側日記』を挙げてました)

・士農工商の役割とは
当時は士農工商という身分制度があって、結婚や就職には不自由・制限が。
役割を自覚し、置かれた立場を受け入れるというが、
武士以外の農工商の立場は。彼らはあわれむべき存在なのか。
(1)「一体武士は国家を治むる役目なる」『世事見聞録』から
→武士は国家を治めるのが役目
(2)「農人は天地生殖の財を主どる〜」『不亡抄』から
→農民は天地に生まれる財産を担当して、世の中のために衣食をつくる
(3)「工人は天地器用の材を掌る〜」『不亡抄』から
→職人は金鉄大木など自然の物を担当して、いろんな物をつくり、世の中の役に立てる
(4)「商人は天地の偏倚をたすけ〜」『不亡抄』から
→商人は社会の偏りを直し、足りないところへ回して、社会を豊かにする

現代では江戸時代のこの身分制度が容認されることはない。
しかし、このようにいずれの身分も大切な社会的役割を持っている。
だからその仕事に専念することが、人の生き方としても、社会の発展のためにも大事。
現代の私たちに対しても、一人一人が社会的役割を自覚するようにと『篤姫』は訴えている。

・『篤姫』が訴えた2大テーマ「役割」と「家族」その2
佐野チーフプロデューサーは、篤姫の一生は「家族探し」の一生だと解説していた。
だからドラマでは、篤姫が決して忘れることのなかった今和泉家という温かい家庭
を丁寧に描いている。

その前半で印象的だったシーン。父の忠剛がお幸と忠敬に抱きかかえられながら
庭へ行き、クロガネモチの木を見上げる。この場面、忠剛のセリフは台本になかった。
「一と書いてかつと読む」の部分は、何か言ってくださいと長塚さんにあらかじめ振っていた。
忠剛は名づけたときのセリフをもう一度言う。変にかっこつけずに自分を出していたので
とても好きだった。

大奥に入ってからも象徴的なシーンで「家族」という言葉が登場する。
(1)第27回「徳川の妻」より
家定「わしはな、御台。初めて思うたのじゃ。徳川将軍家を残したいと〜。わしの家族をな」
篤姫「(胸をつかれ)家族……」
家定「家族じゃ」

(2)第30回「将軍の母」より
家定(=家族)を失った篤姫に、悲しみのなかで新たな家族(=家茂)が生まれる場面。
家茂「これからは母上様を、他に代わるものなき家族としてお慕いし〜」
天璋院「(呆然と)家族……」
(いくつかセリフがあり)
天璋院「私は、ひとり残されたのではないのですね。
あなたという新しい家族ができたのですね」

(7)最終回「一本の道」より
天璋院「そして人の幸せとは、地位や名誉、財産ではなく、気の置けぬ友や家族たちと
ともに過ごす穏やかな日々の中にこそあるのだと思うておる」

今日の家庭や教育にかかわる社会問題の背景に「家族」の変質と崩壊があるとすれば、
『篤姫』を通して「家族のつながり」に対する関心を高めることの意義は、とても大きい。
265日曜8時の名無しさん:2009/01/07(水) 03:24:10 ID:rjxQ7yYd
・『篤姫』で描く生活文化
「住」は、大奥に勤めた女中からの聞き取り調査を収めた永島今四郎編
『新装版・定本江戸城大奥』の記事を参考に。篤姫の部屋のセットも、これをもとに再現。
「食」は、豆、あんかけ豆腐、串団子、せんべい、ボーロ、かるかん、みかんなど
当時の史料を参考にした。
ほかに、家具は火鉢や炬燵など、小物はハサミ、煙管など、年中行事は花見、菊見、
雛祭りなど、ペットは金魚、アヒルなど、作法・教養は琴、仕舞、生け花、小鼓、筆、茶、
香、薙刀、琵琶、碁など。
読書は頼山陽の『日本外史』や『日本楽府』、『源氏物語』を取り上げている。

ドラマ本編だけでなく、番組冒頭のアバンや最後の篤姫紀行もちゃんとチェック。
とにかく全部は目配りできない。薩摩が原口泉先生、江戸が自分という分担に。

・時代考証として今回調べたこと
(2)家定と篤姫が初めて顔を合わせるのはいつ、どこでなのか?
当然結婚式まで会わせないだろうと答えた。でもNHKはわざわざ聞いといて、
ドラマでは庭でかくれんぼしていた家定と偶然出会うシーンを作ってしまう(笑)。

橋の上で家定が篤姫を助ける場面。
「家定の目からうつけじゃないとわかる。あの時点でバラすのは早すぎないか」
と自分に文句を言ってきた人が。
NHKに伝えたら、その人にはこう答えてくれと言われた。
あのときの家定の視線は、篤姫だけが見たもの。あのシーンがあるから、
篤姫だけは家定がうつけではないと確信が持てたのだと。

(3)斉彬や近衛忠熙ら父たちは、結納や結婚のときに、どこにいて、
どのような役目を負ったのか?
現代とは違う。近衛忠熙は京都にいたし、その際にそばにくることはなかった。

(4)篤姫が江戸城から外出できる機会は? 薩摩の要人と会う機会は?
これは繰り返し言われた。だから家康の代から御台所が外に出たことがあるのか
くまなく調べた。1回でもあればよかったが、結局その事例は発見できなかった。
増上寺や寛永寺には老女が代わりに行っている。
なので、もし御台所が外に出たら、暴れん坊将軍になっちゃいますと答えた。
どうしても外で会わせたい場面を作りたかったNHKは、
天璋院になった後にそのシーンを作ることに。

(6)篤姫を支持できそうな幕府の役人はだれか?
>>247>>252で少し書きましたが)篤姫にとっての第3の恋人を探してくれと言われた。
家定が亡くなった後、孤立してしまう篤姫。そこを助けてあげられる幕府の役人がいればと。
候補として挙げたのは、一人は安藤信正。もう一人が○○○○。
(名前がはっきり聞き取れませんでした。ゆあさ(orいわせ?)こうぞうと
私には聞こえたんですが。本当に無名で、得たいがしれないとも言っていたような)
一生懸命調べたが、結局この人物が登場することはなかった。

また、初期の段階では池田屋事件や近藤勇を描く案もあったらしい。
(大石先生も不思議がっていました。どう絡ませるつもりだったのでしょう?)

(7)勝海舟の登場時期(篤姫と知り合う時期)を考えて下さい
軍艦奉行になったら会えるかなと答えたが、それではだいぶ先になるので困るとNHK。
おまけして軍艦奉行並かなと答えたが、それでもまだ遅いと。
おそらくNHKとしては、高橋英樹さんが演じていた斉彬が亡くなった後、
キャストのクレジット順のトメをどうにか北大路さんにしたかったんじゃないかと。
業界人のようにそんなことを気にするようになってしまった(笑)。