(追而書)其方儀、万事我等より生れ勝り給ひぬと見付候得ハ、不謂事なから、
古人の金言名句ハ聞給ひても失念之儀あるへく候、親の言置事とあら
は、心に忘れがたく可在哉と如此候、
一、大将によらす、諸侍迄も義を専に守るへし、義に違ひてハ、たとひ一国二国
切取たりといふ共、後代の恥辱いかゝわ、天運つきはて滅亡を致すとも、義
理違へましきと心得なは、末世にうしろ指をさゝるゝ恥辱ハ在間敷候、従昔
天下をしろしめす上とても、一度者滅亡の期あり、人の命はわすかの間なれ
は、むさき心底努々有へからす、古き物語を聞ても、義を守りての滅亡と、
義を捨ての栄花とハ、天地各別にて候、大将の心底慥於如斯者、諸侍義理を
思ハん、其上無道の働にて利を得たる者、天罰終に遁れ難し、
一、侍中より地下人百姓等に至迄、何も不便に可被存候、惣別人に捨りたる者ハ
これなく候、器量・骨柄・弁舌・才覚人にすくれて、然も又道に達し、あ
つはれ能侍と見る処、思ひの外武勇無調法之者あり、又何事も無案内にて、
人のゆるしたるうつけ者に、於武道者、剛強の働する者、必ある事也、たと
ひ片輪なる者なり共、用ひ様にて重宝になる事多ケれハ、其外ハすたりたる
者ハ、一人もあるましき也、その者の役立処を召遣、役ニたゝさる処を不
遣候而、何れをも用に立候を、能大将と申なり、此者ハ一向の役ニたゝさる
うつけ者よと見かぎりはて候事ハ、大将の心にハ浅ましく、せはき心なり、
一国共持大将の下々者、善人悪人如何程かあらん、うつけ者とても、罪科無
之内にハ刑罰を加へ難し、侍中に我身は大将の御見限り被成候と存候得者、
いさミの心なく、誠のうつけ者となりて役ニたゝす、大将はいかなる者をも
不便に思召候と、諸人にあまねくしらせ度事也、皆々役ニたてんも立間敷も、
大将の心にあり、上代とても賢人ハ稀なる者なれハ、末世には猶以あるまし
き也、大将にも十分の人はなけれハ、見あやまり聞あやまり、いか程かあら
ん、たとヘハ能一番興行するに、大夫に笛を吹かせ、鼓打に舞ハせてハ、見
物なりかたし、大夫に舞ハせ、笛・鼓それゝゝに申付なは、其人をもかへす、
同役者ニて能一番成就す、国持大将の侍を召遣候事、又如此候、罪科在之輩
ハ、各別小身衆者、可有用捨事歟、
一、侍者驕らす諂らハす、其身の分限を守をよしとす、たとへは五百貫の分限に
て千貫の真似をする者ハ、多分ハこれ手苦労者なり、其故は、人の分限ハ天
よりふるにあらす、地より沸にあらす、知行損亡の事あり、軍役おほき年あ
り、火事に逢者あり、親類眷属多き者あり、此内一色にても、其身にふり来
りなは、千貫の分限者、九百貫にも八百貫にもならん、然るにケ様の者ハ、
百姓に無理なる役儀を懸るか、商買之利潤か町人を迷惑さするか、博奕上手
にて勝とるか、如何様にも出所あるへき也、此者出頭人に音物を遣し、能々
手苦労を致すニ付、家老も目かくれ、是こそ忠節人よとほむれは、大将も五
百貫の所領にて千貫の侍を召遣候と目見せよく成申候、左候得ハ、家中加様
の風儀を、大将ハ御数寄候とて、華麗を好ミ、何とそ大身のまねをせむとす
る故、借銀かさなり、内証次第につまり、町人百姓をたおし、後者博奕を心に
よせ候、さもなき輩ハ、衣裳麁相なれハ、此度の出仕ハ如何、人馬小勢にて
見苦敷けれは、此度の御供ハ如何、大将の思召も、傍輩の見聞も、何とかと
思へとも、町人百姓をたおし候事も、商賈の利潤も、博奕の勝負も無調法な
れハ是非なし、虚病を構へ不罷出候、左候得者、出仕の侍次第々々にすくな
く、地下百姓も相応に華麗を好ミ、其上侍中にたおされ、家を明、田畠を
捨て、他国へにけ走り、残る百姓ハ、何事そあれかし、給人に思ひしらせん
とたくむ故、国中悉貧にして、大将の鉾先よハし、当時上杉殿の家中の風儀
如此候、能々心得らるへし、或ハ他人の財を請取、或ハ親類縁者すくなく、
又ハ天然の福人もありときく、加様之輩ハ、五百貫にても、六七百貫のまね
ハなるへき也、千貫の真似ハ、手苦労なくてハ覚束なし、乍去これ等も分限
を守りたるよりハおとり也と存せらるへし、貧なる者まねをせは、又々件の
風儀になるへけれは也、
一、万事倹約を守るへし、華麗を好む時ハ、下民を貪らされハ、出る所なし、倹
約を守る時ハ、下民を痛めす、侍中より地下人百姓迄も富貴也、国中富貴な
る時ハ、大将の鉾先つよくして、合戦の勝利疑ひなし、亡父入道殿ハ、小身
より天性の福人と世間に申候、さこそ天道の冥加にて可在之候得共、第一ハ
倹約を守り、華麗を好ミ給ハさる故也、惣別侍ハ古風なるをよしとす、当世
風を好ハ、多分ハ是軽薄者也と常々申させ給ぬ、
一、手際なる合戦ニて夥敷勝利を得て後、驕の心出来し、敵を侮り、或ハ不行儀
なる事必ある事也、可慎々々、如斯候而滅亡の家、古より多し、此心万事に
わたるそ、勝て甲の緒をしめよといふ事、忘れ給ふへからす、
右、堅於被相守者、可為当家
繁昌者也、
天文十年五月廿一日 氏綱(御判)
※
この本文は管見の限り、
『小田原市史』史料編中世U小田原北条1(192頁144号文書)、
『神奈川県史』資料編3古代・中世3下(269頁6742号文書)、
小澤富夫編『武家家訓・遺訓集成』(ぺりかん社、1998年)、
に掲載されている。
底本については、
『小田原市史』『神奈川県史』のものは東京大学史料編纂所の「宇留島常造氏所蔵文書」(影写本)、
『武家家訓・遺訓集成』のものは国立公文書館内閣文庫の『半日閑話』、
となっており、両者の間には若干の字句の異なるところがある。
ドラマに出てきたものは前者に基づいていると見られる。
なおここに書き込んだものも前者(『小田原市史』に掲載のもの)に依拠している。
257 :
日曜8時の名無しさん:2007/03/25(日) 02:47:07.91 ID:gBWYHFeM
この大河、OPのキャストに出てくる主要人物は悲惨な最期の人ばっかりだからなあ。
北条氏綱公くらいか。後継者に恵まれて、まずまず平穏のうちに天寿を全うできたのは。
259 :
日曜8時の名無しさん:2007/03/26(月) 13:33:47.45 ID:0rZNM4gU
氏綱も逝去時には後継者に恵まれていたわけでもないけどな。
かなり氏康のことが心配だったらしい。
260 :
日曜8時の名無しさん:2007/03/26(月) 14:26:04.47 ID:YbRiA7J/
中の人、去年の功名が辻に出てた?
261 :
日曜8時の名無しさん:2007/03/26(月) 14:52:25.64 ID:6vXhfUw7
でてた
262 :
日曜8時の名無しさん:2007/03/26(月) 18:03:17.92 ID:Sreg7Zig
>>260 松永久秀
1話限りの出演ながら、MVPスレではキッチリとMVP獲得
コキッとかやっちゃってw
一豊とのレベルの違いをまざまざと見せ付けてくれたよな。
ちなみに氏綱が氏康を心配していたのは
氏康が青年のころまで。
自分が死ぬ頃には自分より器が大きいことがわかっていて
安心してた。
264 :
日曜8時の名無しさん:2007/03/27(火) 02:06:29.19 ID:eOL7PiwI
訓戒状を残しているあたりをみると
そこんところは微妙だよな
相当の心配性だったみたいだ
>>263 死ぬときまで氏康の器量が心配で
あの遺言状を作成したと聞いたが違うのけ?
親はいつまでたっても子供のことは心配なんだよ。戦国大名でも
一緒でしょう。ましてや戦乱のちまたに国をつがせるわけだし。
信玄流に言うなら氏康こそ、氏綱最大の遺産だったとも言える。
267 :
日曜8時の名無しさん:2007/03/27(火) 14:36:03.88 ID:rI9aR3JF
氏綱は氏康のことが心配だったわけよ
いくら氏康がのちの名将でも
氏綱が死んだ時点では諸該国からはなめられるからな。
北条の場合、公的な官位も格式も後ろ盾も無いからね。
269 :
日曜8時の名無しさん:2007/03/29(木) 10:23:01.14 ID:f+uDJp0H
北条ってよそとちがって官位も役職も
関東をおさめるうえで由緒あるものをえらんでるんだよね。
270 :
日曜8時の名無しさん:2007/03/29(木) 14:55:03.54 ID:1MtonFVe
後北条は関東の成り上がりだからな
271 :
日曜8時の名無しさん:2007/03/29(木) 15:09:10.36 ID:kaVX5RPT
伊勢氏は幕府の重職にある歴とした名門ですよ
でも守護とかでない戦国大名でしょ
成り上がりというより天下りって感じかな
たしかに朝廷の常識で言えば五位をウロウロしているだけの
大名よりずっと格上だろうなあ
>義にたがえては、たとい一国二国切り取りたりと言うとも、後代の恥辱いかがは(せむ)。
義を欠いた信濃併合、駿遠侵攻のために武田は名望を下げた。
>大将の心底、たしかにかくのごときにおいては、諸侍(も)、義理を思わん。
大将(晴信)が義・理を欠く人物だったので、木曽・穴山・小山田も裏切った。
>その上、無道の働きにて利を得たるもの、天罰、ついに逃れがたし。
自己のために父を追放した因果は息子勝頼に振りかぶる。
>>272 守護がそのまま戦国大名化した例って少ないような
今川と武田と島津とあとどっかぐらい
278 :
日曜8時の名無しさん:2007/03/31(土) 02:35:10.38 ID:NZXtc5P9
>>272 後北条は北条義時以来の鎌倉北条氏の世襲官位である相模守・右京大夫に
なったけど、上杉謙信は関東管領とこれまた由緒ある地位についたし、
武田信玄は信濃侵略後これを合法化するために信濃守、今川義元に
至っては、足利家が鎌倉時代から世襲していた三河守になってる。
やってることはみな同じ。
279 :
日曜8時の名無しさん:2007/04/01(日) 17:34:41.79 ID:4DHQTHHZ
>>278 後北条は左京大夫でしょ。
この時代、右京大夫は原則として細川京兆家の当主。
それ以外の者がこの官途に就くことはまずない。
また室町期の今川氏に関しては、義元以前から代々名乗っている
上総介(上総守)や治部大輔も、鎌倉期まで遡れば本来的には足利本家が
名乗っていた官途。
280 :
日曜8時の名無しさん:2007/04/01(日) 20:28:54.01 ID:SZu/R7E8
>>279 訂正すまん。
足利家が三河守、上総守を代々名乗っていたのは、
足利氏はその国の守護だったからだね。
東海道筋に守護国をもらえるなんて、足利氏は
鎌倉北条氏にそれなりに優遇されていたってことだな。
281 :
日曜8時の名無しさん:2007/04/01(日) 21:30:41.95 ID:XcUkmEpv
>>280 足利本家で鎌倉期に三河守を名乗っていた人物なんていたっけ?
また足利本家で上総介を名乗っていることが確認できるのも、鎌倉初期の
義兼・義氏あたりだけ。
足利氏が上総守護になるのは、宝治合戦のときにそれまで上総守護であった
千葉秀胤(三浦泰村の娘婿)が三浦氏と一緒に討たれたのちのことだから、
鎌倉初期の足利氏における上総介の官途は、のちになって子孫が獲得する
上総守護職とは直接的には関係ない。
因みに足利氏の三河守護職獲得は承久の乱のとき。
なお鎌倉後半期においては、上総介は吉良氏が代々名乗っている。
もっともこの時期には吉良の苗字は成立していないので、のちの吉良氏に繋がる
家系のことを上総介の官途から「足利上総家」などという場合もある。
またのちの斯波氏に繋がる家系ついても、鎌倉期には尾張守を名乗っていた
ところから同様に「足利尾張家」と称する場合がある。
但し室町段階では、吉良氏は左兵衛督(佐)、斯波氏は右兵衛督(佐)が
一般的な官途になり、上総介は今川氏、尾張守は畠山氏の官途になった。
そろそろ日本史板の方へ移動願えませぬか?
283 :
日曜8時の名無しさん:2007/04/02(月) 16:30:21.40 ID:woyTCVLj
>>278 朝廷の官途(官職)と幕府の役職とをごっちゃにするなよ。
284 :
日曜8時の名無しさん:2007/04/02(月) 16:37:12.89 ID:woyTCVLj
>>276-277 他に佐竹、宇都宮、能登畠山、小笠原、若狭武田、六角、大内、大友、宗など。
また守護家ではないが、守護家の一族クラスが戦国大名化した例は、
最上、越後上杉、尼子、龍造寺など。
まあその辺は織豊の段階ではほとんど消えてるしな
ショック!ほぅ・・・
287 :
日曜8時の名無しさん:2007/04/03(火) 01:45:18.72 ID:4Y64xElG
大半の戦国大名は織豊段階で消えるわけだが。
>能登畠山、小笠原、若狭武田
このへんは問題外。
289 :
日曜8時の名無しさん:2007/04/03(火) 21:51:29.26 ID:/e97Zyom
能登畠山や若狭武田も天正年間まで大名として残っているぞ。
それに細川高国敗死後の義晴・義輝期の室町幕府は、ある意味、
六角と若狭武田のおかげで持っていたようなものじゃない?
管領の細川晴元は家中の相次ぐ内紛と三好の台頭に対処することに手一杯で、
ほとんど頼りにならない状態だし。
290 :
日曜8時の名無しさん:2007/04/04(水) 01:03:14.47 ID:1uWOMy7J
北条家は氏綱から正式に伊豆・相模守護に任じられてまっせ。
官職も従五位下相模守・左京大夫を与えられてます。
氏康も氏政も、同じ官職に任じられてる(氏政は従四位下)。
氏直は何故か左京大夫のみで相模守には任じられていない
みたいだが・・・。
下剋上や成上がりの代名詞と云う感じで、今まで早雲(引いては北条家)
は捉えられて来たけど、近年の研究成果から言っても、「何の家柄も無い
素浪人が国を盗った」的な史観はもう勘弁して欲しいなあ。
291 :
日曜8時の名無しさん:2007/04/04(水) 02:58:05.81 ID:uOp+a/N5
292 :
日曜8時の名無しさん:2007/04/04(水) 10:01:38.72 ID:9cARtb0C
確かに守護の話はあまり聞かんな。
氏綱の時代は両上杉が残っていたから、
伊豆も相模もそっちじゃないの?
293 :
日曜8時の名無しさん:2007/04/04(水) 13:07:31.71 ID:XF8GYqXA
能登畠山はこのあいだまで信玄と間違えられていた画像の主ではないか。
歴代のドラマ信玄や甲府駅前の信玄像はみんな畠山がモデルだ。日本人は
400年にわたって畠山家をあがめていたことになるw
まあこれも名族主義の松平定信が馬鹿だったからだが。
あのアホのおかげで日本の教科書が大混乱だw
294 :
日曜8時の名無しさん:2007/04/04(水) 14:41:07.85 ID:YAoz53jR
>>292 伊豆は元々は山内上杉が守護。
相模は時期によって変遷があるが、後北条氏が関与し始めた時期は三浦。
295 :
日曜8時の名無しさん:2007/04/04(水) 20:37:04.66 ID:O7u3dBwD
扇谷がいつのまにか三浦に戻っていたんだっけか。
296 :
日曜8時の名無しさん:2007/04/04(水) 20:39:12.15 ID:1uWOMy7J
>>294 早雲は関与し始めた頃は、相模も上杉が守護
だったのでは?
297 :
日曜8時の名無しさん:2007/04/04(水) 21:12:16.71 ID:O7u3dBwD
ああそうか、三浦道寸が扇谷出身だから三浦に移ったのね。
勝手に一人で納得。
298 :
日曜8時の名無しさん:2007/04/04(水) 21:37:14.74 ID:2h8ztLW3
禅秀の乱以前は、相模・伊豆は犬懸上杉だったんだっけ?
299 :
日曜8時の名無しさん:2007/04/04(水) 23:55:29.20 ID:55ANSb7Z
>>293の松平がその時のアナだと思って
何言っているんだこいつw
って感じたのは俺だけではないはず。
じゃあの
300 :
日曜8時の名無しさん:2007/04/05(木) 03:59:14.28 ID:OlPcaNbp
301 :
日曜8時の名無しさん:2007/04/05(木) 06:43:16.33 ID:AUEEI1gp
>>297 三浦氏が守護だったのは、永享前後までの一時期だけで、
その後は上杉じゃなかったか?早雲の頃には扇谷上杉だろ。
守護所も糟谷の道灌暗殺屋形に比定されてるし。
302 :
日曜8時の名無しさん:2007/04/05(木) 08:26:19.61 ID:O1khxZvJ
>>300 NHK『その時歴史が動いた』に松平アナっているだろ
三浦義同が相模守護であったことはあっちこっちで言われてますね。
まあ本当のところは守護代だったのかもしれないし、元守護(家)扱いなのかもしれないし、
何人守護がいてもおかしくない時代ですからねえ。
304 :
日曜8時の名無しさん:2007/04/06(金) 01:06:13.37 ID:T6/WMCqj
>>302 それとあの信玄像が実は能登畠山って話とどう絡むのよ?
305 :
日曜8時の名無しさん:2007/04/06(金) 09:04:30.73 ID:BsQ/K8tN
306 :
日曜8時の名無しさん:2007/04/07(土) 00:53:48.57 ID:u4M2yrY7
>>305 ある意味、実力社会を否定し、家柄第一、譜代第一の保守反動の政治家が
松平定信と井伊直弼だな。
2人の発想はよく似ている。
でも、片方はほめられ、片方は悪玉。
307 :
日曜8時の名無しさん:2007/04/07(土) 01:43:38.35 ID:SfK64VIm
なんだか史ヲタが常駐しているな。
ま、いいけど。
>>307 もう品川さんの出番はつつがなく終了して落ち行く運命のスレだから
別にいいんじゃね。
しかし、品川さんって11話中で合計3シーンしか出てないんだよね。
それでテレビ初登場の氏綱の存在をしっかり印象付けられたから大したものだ。
仲代信虎より有能な大物戦国大名に見えた。
つーか、晴信、氏康、義元はまだ若造だから、ドラマに登場した大名の中で
いまのところ一番有能だったかも知れん。次が寿桂尼だな。
309 :
日曜8時の名無しさん:2007/04/07(土) 08:58:55.03 ID:1fQ594OR
>>304 だから「何言ってんだこいつ」ってなるんでしょ
310 :
日曜8時の名無しさん:2007/04/07(土) 17:39:56.88 ID:QP0NL0qL
なるほど。NHkの松平アナが松平定信の子孫だと思いこんでたわけかw
いや違うだろ。
ええっ!たった3シーンだったのか!!
確かにそれでいて氏康はもとより、信虎よりも高いところから
天下を眺めている大大名という貫禄はしっかと感じさせていた。
画面の外にまでオーラを及ぼしていたとは…あらためて、感謝…。
313 :
日曜8時の名無しさん:2007/04/09(月) 14:59:35.24 ID:hOOy/yag
氏康が主役のドラマ
氏康・・・・・美輪明宏
氏政・・・・・アルフィーの高見沢
氏照・・・・・京本政樹
氏邦・・・・・ガクト
314 :
_:2007/04/28(土) 17:13:53.30 ID:TcmFifBn
up
316 :
_:2007/05/09(水) 15:19:15.53 ID:1TtSVquB
age
317 :
日曜8時の名無しさん:2007/05/09(水) 15:29:35.26 ID:jUisZqd/
いまは時代的に言うと、信虎様と同様、寒気による不作・飢饉で
停滞している国内を新しい御屋形様である氏康が優しい民政で
切り抜けようとしていたおかげで、両上杉が攻め込まれないのなら
攻め込むまで、と反撃に転じて氏康様四苦八苦の場だな。
ここから「北条氏康の名を一躍天下に響き渡らせる」川越の奇跡が
起こるのだっ! 勘助、あんまり出しゃばるでないぞっ!
目立とうとしたあかつきには馬の糞小便をお見舞いするであろう!
318 :
日曜8時の名無しさん:2007/05/13(日) 22:14:53.28 ID:pjCOCxqe
もう出ないのかっ!?
319 :
日曜8時の名無しさん:2007/05/18(金) 14:26:00.50 ID:/za6cpRZ
回想・幻影・怨霊に期待するしかないな
320 :
日曜8時の名無しさん:2007/05/19(土) 07:25:34.58 ID:BQxrfE1A
321 :
日曜8時の名無しさん:2007/05/19(土) 15:19:53.74 ID:oZ2Zd7Sv
伊予松山藩分家の子孫だってさ
322 :
日曜8時の名無しさん:2007/05/19(土) 15:55:57.29 ID:dHxTvKQ+
桑名藩松平だったら定信の子孫だな
323 :
日曜8時の名無しさん:2007/05/20(日) 03:03:53.14 ID:rz1uwJ6S
松山も桑名もどちらも本来の家系は久松系。
だから「定」が通字。
324 :
日曜8時の名無しさん:2007/05/22(火) 03:33:43.18 ID:djB5GGMk
松平アナは、松山藩の分家筋に当たる旗本の子孫らしいから、松平定信とは関係なさそう。
しかし松山藩の家系は明治維新後に久松に復姓しているのに、その分家は松平姓のままなのか。
つーかいい俳優を短期間で退場させ過ぎw
まぁ、本編が面白いからいいけどさ。
予算の関係かなぁ
326 :
日曜8時の名無しさん:2007/05/23(水) 11:10:05.44 ID:iKpzYm6h
>つーかいい俳優を短期間で退場させ過ぎw
今思えば「徳川家康」のときはこんなもんじゃなかった。
327 :
日曜8時の名無しさん:2007/05/25(金) 02:05:26.97 ID:u1j2gLTQ
短期間で退場したいい俳優っていうと、
みつ、兄者、くしま越前、みるみる姫といったあたりかな?
つ赤井さん
329 :
日曜8時の名無しさん:2007/06/18(月) 22:42:49.68 ID:1q7YWqSU
君の苦悩を、私は支持するョ・・・
回りくどい言い訳を並べないで、、辞退したまえ
これで大河に登場していない後北条家当主は
早雲だけになってしまったな
静岡、神奈川の戦国大名は、大河ではさんざん鎌倉とかやっちゃってるから
どうしてもスルーされてしまうんだろうな。
今回氏綱の教えがテロップで出てきた。
品川さんの病床氏綱を思い出したので書いてみた。
334 :
日曜8時の名無しさん:2007/09/20(木) 16:02:27.86 ID:1S8dx6r9
来年も出てくれないかな
徳川斉昭あたりで
335 :
日曜8時の名無しさん:2007/11/19(月) 22:49:53.99 ID:t5Ua3Y2A
h
336 :
日曜8時の名無しさん:2007/11/20(火) 07:06:24.36 ID:if5J0f5C
この俳優さんて、去年 松永久秀役で爆死してた人だっけ?
337 :
日曜8時の名無しさん:2007/11/26(月) 22:17:35.69 ID:IiSZH8yl
氏直が出た大河なんかあったっけ?
338 :
日曜8時の名無しさん:2007/11/26(月) 22:45:14.86 ID:RxWDflIE
秀吉もんならチラ出しそうだけどな。
>337
大河「徳川家康」に小田原篭城時で天海上人と会話してる氏直出てたよ?
品川徹さん、72歳の誕生日おめでとう。
341 :
日曜8時の名無しさん:
来年は何の役で出るのかな?