巴御前スレに来い!けえ〜いこ♪.......【小池栄子】2

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339日曜8時の名無しさん
>>335
永井路子氏(平家物語の女性たち)・西岡虎之助氏(日本女性史考)が指摘しているように
その後日談は、1201年の「城資盛の叛乱」で「矢倉の上から寄せ手に、百発百中の
強弓を射る」と謳われた資盛の叔母の、「板額御前」の話とないまぜになっているようです。
「吾妻鏡・建仁元年六月二十八日」によれば、藤沢清親という御家人が生け捕りにし、
鎌倉に護送して将軍頼家の前に引き出されたらしい。翌二十九日、甲斐国の浅利義遠が
「自分が預かって妻にし、豪胆な男子を産ませて幕府のお役に立ちたい。」と申し出て
頼家に許された、という話ですね。

個人的に私は「延暦本」の「鞆絵(巴)は落ちやしぬらむ、被(レ)打ちしぬらむ、行方を
不(レ)知らなりにけり。」というあっさりしたのも好みだけど、「平家物語」の
最後の五騎の中にまで残ってついてくる巴を見た義仲が、
「おのれはとうとう、をんななれば、いづちへもゆけ。我は討死せんと思ふなり。
もし人手にかゝらば自害をせんずれば、木曽殿最期のいくさに、女をぐせられたりけり
などいはれん事もしかるべからず」(巴よ、お前は女なのだからどこへでもいい、早く落ち延びろ
自分は今日ここで討ち死にする。もし人手にかかるような事があったら自害する。
木曽殿は最期まで女を連れていたと言われるのは心外だから。)
と言う台詞が萌えですな。そのあと義仲に巴が、最期の戦を見せる場面で
鎌倉方屈指の大力、御田八郎師重の首をねじ切って捨てる、と。萌え〜。
小池栄子ならすごく上手くやってくれそう!

>>313>>321
「新版・絵巻物による日本常民生活絵引」の解説によれば「寡婦絵詞」に鎧の女武者が
描かれているのをはじめとして、「法然上人絵伝」「春日権現験紀」の「僧兵」たちの中にも
女が多く混じっているそうですね。