1 :
日曜8時の名無しさん:
>>1 乙。
最初から初歩的な質問なんだけど、義仲の息子をどうして巴が育ててるの?
母親が育児拒否?巴が養育権を奪ったの?
>>1 乙〜
義高の母親自身、誰や?!って問題もあるような。 山吹姫? 巴御前?
そういや今回の大河はその辺の説明がまだなかったような…
正室がシボンで代わりに育ててるとかの可能性も。
関係ないけど平家一門スレも落ちたのか。
>>4 「立派に育てないと正妻から何を言われるかわかったもんじゃない」といった
台詞があったので、正妻は亡くなっていないと思う。
巴に子ができない、または正妻になれる身分じゃないという事情から、
巴の姪にあたる女性が正妻になって子を生み、その子は実質的な
妻である巴に育てられているんじゃないかと。
>>5 その台詞だけだと、なんとも言えない様な…。
実際に死んだ人はなにも言わないけど、死んだ人に申し訳ないってニュアンスもありえるんで…。
ネットで検索する限り、義高母親ってよく分からないな。
山吹姫だとしても、義高が死んだ後に菩提寺を作るみたいな話があるくらいだし・・・。
よく分からないから、ドラマでも詳しく解説しないって落ちかもw
7 :
日曜8時の名無しさん:2005/04/05(火) 22:16:44 ID:ZIojR9VQ
hoshu
8 :
日曜8時の名無しさん:2005/04/06(水) 00:08:55 ID:NFWxl5rK
hoshi
>>2 このドラマ限定、フィクションと思っておいた方がいいと思います。
実在はしたようだけど、巴は史料への登場が極端に少ない伝説的人物で、
要するにその生態はあんまりよく知られておりません。
巴を話の本筋に絡めるための方便だと思います。
去年なんて、父親の仇討ちに来て、そのままうやむやになって消えた登場人物
もいたからな。
これくらいで動揺しちゃイカン
ま、義経に関しては、多かれ少なかれ伝説が彩っている部分多いから(*´ェ`*)ネー
>>10 いや、彼は出てきたよ。見ないで適当なことを言っちゃいかん。
?
祐天を付けねらっていた、大村某だよ。眉毛の。
永倉に止められて、うやむやで終わったじゃん。
>>13 出てきたんだよ、永倉の前に。近藤処刑の前ぐらいかな。
侠客になっていて、「ご縁があったらまたお会いしやしょう」と去っていった。
多分、維新後の日本だってそういいことばっかでもなさそうな的な役割。
ホシュ
頼朝って河内源氏だっけ? 頼政って摂津源氏だっけ?
いあ、質問,確認じゃなくて保守したいだけ…。
17 :
日曜8時の名無しさん:2005/04/07(木) 20:15:07 ID:LAOy6fxY
>>2 これは、原作の「宮尾本平家物語」の創作です。
でもこの設定自体がおかしい。
宮尾本によると
占いの結果巴が子供を産めないから正室になれなかった。
そのかわり子供が産めるという占い結果の出た巴の姪が正室になった。
そしてその正室の産んだのが義高
ということになっています。
それに関しての感想
子供を産めないから正室になれないというのもおかしいし
正室の子を側室が奪い取るというのは絶対にありえないし、
実質的な養育は乳母がしていたはず。
>>17を読んで思ったのだが、
源実朝の乳母には、政子の妹がなっている、という例があるんだから、
素直に、巴が義高の乳母になった、としておけば何の問題もなかったのでは
なかろうか。
本当に勉強不足だなぁ、大河のスタッフは。
>>17 側室が産んだ子を正室が育てるってのは、ありえる話だがな。
逆ってのはまず考えられない。乳母ならともかく。
んで、子を産んでない女は乳母にはなれないし。
処女でも強く吸えば父は出るそうだが。
20 :
日曜8時の名無しさん:2005/04/08(金) 18:31:15 ID:JYWQ3v8H
保守
「義経」の登場人物を偉い順に教えて
とりあえず一番偉いのが後白河?
>>21 マルチはやめれ。
先に質問したスレで回答が出てるよ。
23 :
日曜8時の名無しさん:2005/04/09(土) 09:36:36 ID:CG2Bg+pf
予告で頼朝が「亡きいずのかみさまをとぶらい〜」って言ってたけど、
最初は「伊豆の神様」だと思ってたんだけど正解は「伊豆守さま」なんでしょうか?
>>23 源仲綱が伊豆守だったんで、たぶんそのことではないかと。
蛇足になるかもしれないけど補足
源仲綱=源頼政の息子。宗盛に馬をむりやり持っていかれた上に焼き鏝押されて
いじめられたので泣いて悔しがっていた人。頼政と共に挙兵し、敗れて
自害したとされている。
>>24 そうか!仲綱のことだったんですね。ありがとうございます。
義朝は伊豆守じゃなかったと思うし・・・でも「伊豆の神様」だと意味不明だし・・
とか思って悩んでました(笑)
26 :
日曜8時の名無しさん:2005/04/09(土) 15:18:05 ID:v8gQEuQ2
1さん乙です!
今日再放送した放送なんですが久しぶりにみたら
ついていけないうえに環境上集中して見れなかったです。
どんな放送内容だったんでしょうか?
始まりのほうで気になるやりとりがあったのですが。
113 名前:日曜8時の名無しさん[sage] 投稿日:05/01/24 03:16:41 ID:yrZPznHG
「ビギナーズ・クラシックス 平家物語」角川文庫
ttp://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4043574045 今現在の言葉に直してあるし
「太政大臣(総理大臣)」「式部卿(文部・総務長官)」「刑部卿(司法長官)」とか
「讃岐守(香川県知事)」「上総介(千葉県副知事)」とか「受領(地方長官)」とか
今の言葉で説明してある。「木曾の最期」とか「敦盛最期」とか声に出して読みたい所は
ちゃんと原文で書いてある。
巻末には合戦の名前とその場所、誰と誰が戦ったか、誰が勝ったか。
地図、年表、源氏、平氏の家系図が載ってる。
この本良いよ。オススメ。とりあえず立ち読みだけでも。
28 :
日曜8時の名無しさん:2005/04/09(土) 19:00:12 ID:mI5T4u/1
今日の再放送見てたら、キャストに「くぐつ男」というのが
ありました。どの場面に出て来た役ですか?
29 :
日曜8時の名無しさん:2005/04/09(土) 22:50:08 ID:u19sMA6k
>>28 行家が熊野で白拍子と遊んでたとき、踊る白拍子の後ろに
人形風の動きの男がいたので、そいつじゃないかと。
30 :
日曜8時の名無しさん:2005/04/09(土) 22:59:05 ID:xQT4MMnp
先週の大久保運さんの「武士」と
茂木和範さんと谷藤太さんの「公家」と
大坪光路さんの「くぐつ男」ってどの場面に出てきました?
思えてる人いたら教えてください
31 :
日曜8時の名無しさん:2005/04/09(土) 23:00:16 ID:xQT4MMnp
28サンとダブりました
スマソ 打つの遅いなぁオレ
32 :
日曜8時の名無しさん:2005/04/09(土) 23:07:11 ID:xQT4MMnp
↑一部ね↑
先週の大久保運さんの「武士」と
茂木和範さんと谷藤太さんの「公家」ってどの場面に出てきました?
思えてる人いたら教えてください
ってことです
33 :
日曜8時の名無しさん:2005/04/09(土) 23:13:46 ID:u19sMA6k
>>30 公家は、宗盛の屋敷に馬を見に来てた二人でしょう。
34 :
日曜8時の名無しさん:2005/04/09(土) 23:21:59 ID:xQT4MMnp
あたーす
あと「武士」が分かり申しましたら
万々歳で
「公家」二人は宗盛が仲綱から奪い取った馬を見せびらかせる時に出てきたよ。
「武士」は新宮十郎の酒宴の時に烏帽子をかぶってた人かな?
36 :
日曜8時の名無しさん:2005/04/09(土) 23:24:19 ID:xQT4MMnp
あたーす
皆々様親切で助かりました
また
37 :
日曜8時の名無しさん:2005/04/09(土) 23:43:20 ID:mI5T4u/1
>>29 なるほど。昔の五足みたいな男のことですね。
「くぐつ」って検索すると「操り人形」みたいな意味しか出てこなくて、
「そんなの出てたか?」って思ってましたが、確かに後ろにいた
男の動作は人形みたいでした。
38 :
日曜8時の名無しさん:2005/04/10(日) 00:11:30 ID:tO8ER9uu
>>37 余談だが、小説の「風と雲と虹と」で、男女が夜、
乱交していた(貞盛が参加)集まりのことを「グクツ」
と書いてた気がするけど、それは関係ないか。
39 :
日曜8時の名無しさん:2005/04/10(日) 00:52:33 ID:NCLEUB10
>>38 大河ドラマ上でも歌垣のシーンがあったね。
当時子供だった私にはカルチャーショックだった。
また貴子(吉永小百合)が輪姦されるシーンもやはりカルチャーショックだったが、それ以上に単純に哀れに思ったね。
40 :
日曜8時の名無しさん:2005/04/10(日) 01:08:45 ID:tO8ER9uu
>>39 そうでしたなぁ。おいらは貴子と貞盛が重なるシーンが泣ける。
そっか歌垣って言うんだね。歌垣=かがい。勉強になります。
グクツは関係なかったか。
41 :
日曜8時の名無しさん:2005/04/10(日) 08:21:47 ID:OXM/4voP
女子に貞操観念をうえつけたのは江戸時代以降。
それ以前はおおらかだった。
歌垣=うたがきは村のお祭り時には全国どこでも普通にあったこと。
42 :
日曜8時の名無しさん:2005/04/10(日) 08:34:51 ID:e0rU4qYS
>>41 「村祭り=誰でもフリーセックスが許される日」だった時代だもんな。
43 :
日曜8時の名無しさん:2005/04/10(日) 08:36:05 ID:CyrJO7H4
義経は鞍馬を出たあと
奥州へ着くまで
浮浪者生活をして
かなり苦労したんですよね?
義経主従で苦労して奥州に着いたのか(´・ω・`)シンミリ
何年くらいかかったんでしょうか?
44 :
日曜8時の名無しさん:2005/04/10(日) 13:06:47 ID:FWP8jblB
腰越状の奥州下り苦労話部分は、後に書き足された説もあるらしいね。
自称源氏の御曹司の小汚い奴を、奥州藤原氏が受け入れるのは不自然ってことかな。
>>44 既出ではあるが。
常盤のダンナ(エビスがやってる役)の従兄弟の子で
基成という奴がいるんだが、こいつが、
奥州にいて、秀衝の政治顧問格だったらしいl。
娘も秀衝にとつがせていて、泰衝の祖父にあたる。
どうもこいつの縁を頼って、奥州に下ったらしいっつーのが
現在の通説。
46 :
日曜8時の名無しさん:2005/04/10(日) 14:28:19 ID:mopbNjyX
義経・弁慶といえば勧進帳。
今回の大河ドラマには、勧進帳のシーンはあるのだろうか?
勧進帳はフィクションだとして抹殺されるのだろうか?
もし抹殺されたなら、石川県小松市民がらブーイングが起こること必至と思われ。
>>46 五条大橋で遮那王がふよふよしてるのを見る限り、エピ自体は外さないと予想。
いわゆる「勧進帳」そのままのシーンになるかどうかはわかんないけど。
48 :
43:2005/04/10(日) 15:35:48 ID:CyrJO7H4
>41-42
義経にも、12人とも24人とも言われる愛人がいたらしいけど、どうなんでしょ。
一般市民は乱婚(多夫多妻)らしいけど、貴族階級の女子はどうだったんだろ??
>>49 かなーり身分による。
中流階級の女房達なんかは相当自由にやってたはず。
代表選手は和泉式部か?時代は下がるが、とはずがたりの作者も強者だ。
貴族は子供を母方の家で育てたし、不動産も女系相続だから、
財産の相続に種があんまり関係ないので女の実家は鷹揚だったかも。
ただ、子供が男だった場合、初冠時にもらえる官位は父の官位によって決まるし、
その後の出世も、基本的に父方の繁栄具合によって決まるので
将来のことを考えるなら、ちゃんとした婚姻関係を結ぶのは結構大事かも。
あと、男系一族の繁栄が女子の婚姻に左右される面があったので、
父方からすると、女子が産まれたらとにかく自分の娘としてキープすべきかも。
大臣クラスの家では娘は常に女御ひいては国母候補なので、ガードは固かったはず。
内親王で浮き名を流した人の話は、平安時代は聞かないが、
たとえば式子内親王なんかはなんかあったんだろうとは思う。
ちなみに、子供を養うのに懐具合と相談しなくちゃならない庶民は、
多分あんまりたくさん妻をめとったりしなかったはず。
51 :
日曜8時の名無しさん:2005/04/12(火) 21:48:52 ID:U36EzamC
ほしゅ
52 :
日曜8時の名無しさん:2005/04/13(水) 03:19:55 ID:fqbksC8V
義経についていけない人
梶原景時ほか多数
53 :
日曜8時の名無しさん:2005/04/13(水) 09:39:42 ID:/KAqjyym
>>52 ぶw うまいね。
そういえば、スレタイに「歴史苦手」が無いもんねw
>52
むしろ義経についていっちゃった人を救うべきだな。
55 :
日曜8時の名無しさん:2005/04/13(水) 17:09:33 ID:BnKgzf01
>>54 ここはそんなスレなのかよw 「歴史苦手」を入れないとだめだな。
56 :
日曜8時の名無しさん:2005/04/13(水) 19:36:47 ID:257tq3VL
重盛が嫡男で、宗盛が三男でしょ?
次男の基盛はいつ、どうして消えたの??
教えてくださいm(__)m
平家オタです
57 :
日曜8時の名無しさん:2005/04/13(水) 21:09:22 ID:Jy5JRYOG
平治の乱の直後若死にしました。
死因は私はわかりませんが、
相当若かったはずですが子供はいました。
58 :
56:2005/04/13(水) 21:35:22 ID:257tq3VL
>>57 早速、お答えありがとうございます
宮尾本 平家物語には書いてないのかな?
読み直してみます
前に読んだ小説では馬で川を渡ろうとして溺れ死んだ事になってた。
60 :
日曜8時の名無しさん:2005/04/14(木) 08:18:29 ID:fY8n5bGN
平基盛 1139-62
重盛の同母弟。保元・平治の乱で活躍したが夭折。
保元の乱で敗れた崇徳上皇の祟りとか言われているらしい。
息子の行盛は壇ノ浦で入水。
ネットではこれぐらいしか出てきませんね。
61 :
日曜8時の名無しさん:2005/04/14(木) 10:09:53 ID:NvmW6SiU
>>60 さすが、世界悪魔大辞典にも載っている「崇徳上皇」は怖いな。
怨霊は怖いな。京の御霊神社の霊は全部怖い。
崇徳帝の歌は百人一首にも載ってるが、あれもなんか怖いし。
でも悪魔じゃないと思うが。
崇徳上皇は自分で「日本国の大魔縁になる」と宣言した人なんで
悪魔でもいいんじゃない?
うーん、将門や菅公もそうだが、むしろ神だよ。
もちろん日本的な意味でだが。
スレタイ見てふと思ったんだけど、義経は神になれなかったのかね。
川に投げ込まれて殺された頼朝第一子なんかは、若宮八幡になったようだが。
平泉に行けば弁慶堂とか義経堂に木像が安置してあるけど、
モニュメント的なもので神として祀ってある感じじゃないね。
義経は確かに悲劇的な最後だったけど、滅亡した平家はもっと悲惨だったわけで。
そっちを鎮める方が重要だったんじゃないか?
66 :
日曜8時の名無しさん:2005/04/15(金) 01:04:58 ID:2Nsc8KML
義経は悲劇的だけど祟るイメージじゃないな。
平家の方は、耳なし芳一とか平家蟹とか怨霊化したイメージだけど。
平家の怨霊の方が恐れられてたのかな。
板東武者はわりとリアリストで、霊を怖がらなかったと言うことかな。
神社より、仏教の方が盛んになったようだし。
お公家様達は自分たちと接点のあった平家が怖かったろうが、
新たに神社を造って祀るシステムはもうなくなっていたとか。
68 :
日曜8時の名無しさん:2005/04/15(金) 02:40:14 ID:VrUnFszo
>>26ですがこの日の放送のストーリーという聞き方が
漠然としすぎたでしょうか?前半に非常に気になる
やりとりがあったんですがねー・・・
69 :
日曜8時の名無しさん:2005/04/15(金) 03:03:30 ID:2Nsc8KML
70 :
日曜8時の名無しさん:2005/04/15(金) 08:04:40 ID:i8cLu09q
>>64 義経の場合「実は生きてるんじゃないか」という伝説がポイント。
怨霊になるのはこの世に恨みを残して死んだ者だけ。
生きてるなら怨霊にならない。
これなら身に覚えのある人達も庶民も祟られずに安心だねw
為朝・義経以降は怨霊が減って英雄不死伝説に取って代わられるのさ。
71 :
日曜8時の名無しさん:2005/04/15(金) 08:17:33 ID:i8cLu09q
>>70 いかん。大事なことを書き忘れた。
これを主張してるのは井沢元彦な。
この名前で判断してくれw
72 :
日曜8時の名無しさん:2005/04/15(金) 09:10:14 ID:wwuzenvi
>>71 うむ、そこは重要だ。
井沢の説は面白いが、信じるかどうかは個人の自由ってレベルで面白い。
ところで、太平記に義経怨霊出るっけ?
井沢元彦は
義経はやっぱり平泉で死んでました。
それをこっそり祀ったのが…という小説も書いてたね。
ヒントは春の藤原祭り
74 :
日曜8時の名無しさん:2005/04/15(金) 09:57:34 ID:osYuquQV
>>70 漏れも井沢を漏れなく読んでいる輩でほぼ同意だが
>怨霊になるのはこの世に恨みを残して死んだ者だけ。
ここの部分だけはもろ手をあげて同意できない。
本人が恨みを残して死んでいる場合に怨霊になるのはもちろんだが、
本人が恨みを残していない場合でも実はもっと強力な怨霊になる場合がある。
それは滅ぼした権力者側が、殺した(あるいは死に至らせた)者が本当は
無実だと知っている場合。
要は自分権力や欲の為に無実の邪魔者を消した場合。
又、本人があっさり悔いなく死んだとしても世間様から
「さぞ悔しかっただろう、死ぬに死ねないだろう」とおおっぴらには
口に出来ないが密かに大衆に同情される場合。
こういう時の天変地異はすべてその無実の人の霊力の仕業となり、
でっち上げの罪をなすりつけて殺した側が霊を沈める為に盛大に祭るため
大魔力を持つ怨霊悪霊サマとなる。
(注 昔の「悪」は悪いという意味より強いという意味)
まあ、当時政治家は祈る事も大切な仕事のひとつだったわけだしな。
75 :
日曜8時の名無しさん:2005/04/15(金) 09:59:48 ID:osYuquQV
沈める→鎮める
ごめん訂正
>>74 そうそう。
怨霊に関しては、祀られる側より祀る側の問題だよね。
>>73 平泉行ったけどようわからんかった。
中尊寺の観光地ぶりに比べて、高館がひっそりしてたのが印象的だったな。
井沢某の本を読んでみるかな。面白そうだ。
誰も
>>38の『小説の「風と雲と虹と」』には突っ込まんのか?
そりゃ義経についていけなくて当然だわw
>76
「義経はここにいる」をどうぞ
一応ミステリー小説だけど、義経関係が詳しく出てるよ。
>>77 大河「風と雲と虹と」の原作である小説「海と風と虹と」
を、略しただけではないのか?
二つの祖国と山河燃ゆみたいにややこしい題だ。
>>67 平家滅亡後に公家の有志で編集された平家の人々の回顧録「平家公達草子」
とか見てると公卿は平家の滅亡を惜しんでいるように見えるし、
そこに見られる平家の公達像もうらんだりたたったりするタイプじゃない。
(「玉葉」の作者とか、平家嫌いの公卿もいるけど)
公卿は平家の滅亡になんの責任もないから怨霊を恐れていない。
懐かしんで悲しむだけ。
むしろ、平家のたたりを恐れたなら、頼朝あたりだと思うけど。
頼朝の死は安徳天皇の亡霊のせいとする伝説もあったね。
ああ、安徳帝系の話はあるね。龍になったとかどうとか。
海でなくなったから、水神になるのだろうか。
平家は、
助けた亀に殺されて〜♪
だから、呪って出そうだよね、東国武士からみれば。
84 :
日曜8時の名無しさん:2005/04/16(土) 03:22:09 ID:IGwVMD7Q
吾妻鏡によると、頼朝は何度も源平合戦や奥州征伐で
死んだ霊の慰霊祭を行っていたらしい。
永福寺も怨霊対策だったとか。
それから、北条家の男子の早死が多かったのは
後鳥羽院の祟りと言われていたらしく
北条氏もそれなりの怨霊対策をとっていたらしい。
結構東国武士も怨霊対策はしていたらしい。
85 :
日曜8時の名無しさん:2005/04/16(土) 03:26:50 ID:IGwVMD7Q
それから、詳しいこととソースを忘れたのであるが
後白河院もそれなりの怨霊供養をしていたらしい。
対崇徳院と対平家両方だったと記憶しているが。
86 :
日曜8時の名無しさん:2005/04/16(土) 14:19:53 ID:ju3iBplC
中尾彬梶原はいつ頼朝側につくんですか?
87 :
日曜8時の名無しさん:2005/04/17(日) 22:01:11 ID:48sUm9S+
age
88 :
日曜8時の名無しさん:2005/04/17(日) 22:02:37 ID:geOCH4jc
>>86 石橋山の合戦の後だからなあ・・。
入道相国殿はもう身罷られたのか?
教盛と教経親子って出てくるの?
範頼役って誰がやるんだろ?
富士川で水鳥を云々…は武田源氏の朝駆けが原因で義経は関係ないですよね?
義経が初めて加わったのは黄瀬川のようですが、
もしかして黄瀬川と富士川は、呼び方が違うが同じ合戦の事?
92 :
日曜8時の名無しさん:2005/04/18(月) 09:36:15 ID:jLgMGqfZ
>>86 ドラマでは来週。
史実では、頼朝が鎌倉入りしてからしばらくして吾妻鏡に名前が出てくるようになる。
>>91 そうです、武田の朝駆けで水鳥が飛び立ったんです。
しかし、平家の予定撤退だったという説もあります。
また、この頃は武田氏は頼朝の同盟軍で配下でなく、
九条兼実は「玉葉」に甲斐源氏に平家が撃退されたと記していたそうです。
93 :
日曜8時の名無しさん:2005/04/18(月) 09:52:48 ID:uw/5Lsvb
>>91 黄瀬川と富士川は別の川だからね。
黄瀬川が三島市・沼津市。富士川は富士川町。新幹線で一駅程度離れている。
94 :
91:2005/04/18(月) 10:09:34 ID:8G6hScph
>>92,93
ありがとうございます。
昨日の回で、義経が富士川の平家撤退に一役買ったように描かれてたのですが…
あれはドラマの演出と割り切ってスルーすべきでしょうか。
それともああいう史実もあったの?
95 :
日曜8時の名無しさん:2005/04/18(月) 10:19:10 ID:oXouVxo6
>>94 史実では義経黄瀬川にて頼朝と対面したのは
富士川の合戦が終了してからです。
つまり、富士川の合戦で義経の活躍はドラマ上のフィクションです。
96 :
91:2005/04/18(月) 10:23:09 ID:8G6hScph
>>95 早速のレスありがとうございます
なんだか順序と登場人物がおかしい気がしたんで、フィクションと知りスッキリしました。
97 :
日曜8時の名無しさん:2005/04/18(月) 10:40:07 ID:lvX0LOBI
>>96 大河見てる若者っている?のスレでも後ろ3つくらいのレスに
史実とドラマの関係が載ってます。
よかったら見て。参考まで。
98 :
日曜8時の名無しさん:2005/04/18(月) 14:03:35 ID:o0DR6PFU
ミタチというのはどういう意味ですか?
>>98 ミタチ=御館
お館様(おやかたさま)と同じような呼称
↓
(2)大名。貴人。
「お―さま」「神戸三七殿をば美濃の―と定め/武家名目抄(称呼)」
100 :
日曜8時の名無しさん:2005/04/18(月) 14:13:05 ID:Z8dmvIMW
なんで頼朝は助殿なんですか?
>>100 都を追われる前に就いていた官職が右兵衛佐(うひょうえのすけ)だから
佐殿(すけどの)。
昔の日本では直接名前で呼ぶことはなく(庶民は除く)、
伊豆守様などのように官職名などで呼ぶ。
義経や義高なんかは、官位がないから呼びようがなくて
御曹司だの清水冠者だのいう呼び方をしているんだよね。
元服した男子たる者、官職を持ってそれで呼ばれるのがカコイイ
103 :
日曜8時の名無しさん:2005/04/19(火) 08:44:12 ID:HhGbgLdy
>>101 変な話、今で名前を呼ばないで「部長」とか「常務」とかって
感覚に近いのではないのかな?
というより名前の持つ呪的な力への配慮の名残なんだろうと思う。
105 :
日曜8時の名無しさん:2005/04/19(火) 09:17:52 ID:Q7k9MiAl
>>102 うむ、官位がないと「太郎」「次郎」とか呼ばれかねん。
誰にでも使える名前で呼ばれるのは、ちょっとな。
その時歴史が動いた 4月20日(水) 21:15〜21:58 NHK総合
希望と屈辱「源義経・流浪の貴公子栄光と悲劇の旅路(1)」
◇自らの居場所を探して1万里を流浪した源義経の旅路をたどる前編。
義経が壇ノ浦の戦いで平氏を滅ぼした1185年までを検証する。
奥州・平泉をたった義経は幼い日に断たれた源氏とのきずなを取り戻そうと、
打倒平氏の戦いに身を投じた。だが味方からは疎外され、最愛の兄である
頼朝との亀裂は深まるばかり。そんな義経が自らの存在を示すためには、
たとえ無謀な戦でも勝利という形で実績を積むしかなかった。義経は最後
の決戦となった壇ノ浦の戦いで、平氏にどのように挑んだのか。義経が
流浪や戦で赴いた土地を取材。「吾妻鏡」「平家物語」などに残る義経の
言葉を交え、義経の流浪の人生をひもとく。
>>106 松平がゲストの立場によって横柄になったり
丁寧になったりして、彼の下衆ぶりを観察する
番組だな。
110 :
日曜8時の名無しさん:2005/04/20(水) 08:38:02 ID:/emlf5mS
エセ源氏。
源氏の子孫でないと征夷大将軍になれないので家康が系図を捏造した。
>>110 ?ォ
義経を語る松平の態度が、ますます楽しみだ(*゚∀゚)=3
112 :
日曜8時の名無しさん:2005/04/20(水) 13:45:10 ID:4tgJypkP
>>110 そもそも、「松平」という苗字に名家がなくて、朝廷に「三河守」になりたい
という打診をつっぱねられたんで必死で「徳川」という源氏の子孫の家を
探して改名して、源氏を名乗って任官してもらったんだよね。
どうかんがえても松平郷の農家が武装しただけの家。
もしかして頼朝と後白河上皇って、
1回も直接会って話したことがないんですか?
114 :
日曜8時の名無しさん:2005/04/20(水) 16:10:33 ID:jPt9CraI
>>113 史料に確実に残っているのは奥州征伐後の頼朝上洛の際
二人だけで長々と話し合ったという記録があります。
推定ですが、平治の乱以前に頼朝が後白河院と
接触した可能性が示唆されています。
理由
1)頼朝は後白河院の姉上西門院に仕えていた。
後白河院と上西門院は親しかったので後白河院と頼朝が顔をあわせた
可能性がある。
2)頼朝の母の実家熱田大宮司家は鳥羽院、後白河院に近侍していた。
その線で接触していた可能性がある。
また、頼朝の少年時代に後白河院と男色関係があった可能性があると
いう説まであるようです。
>114
ああやっぱり京都行くんですね。ありがとうございました。
116 :
日曜8時の名無しさん:2005/04/21(木) 09:20:15 ID:Bei6909A
>>115 最近の後白河は、ただの臆病なおっさんにしか見えないけど、
初登場シーンとか見ると、結構な狸親父。
狸親父vs頼朝は見てみたいけど、どうなんでしょ。ま、保守上げ
平家は身内を公卿にさせるのに一生懸命で、独自の政治体制を持っていなかった
そうですが、滅亡してしまったのも若干そのせいでしょうか?
>>116 臆病風にしつつ、実は高速でいろいろ考えていた<平幹の目
>117
そのお陰で清盛の子孫は生き残れたともいえる。
男系は残党狩りで幼児まで切られたが、花山院、冷泉、七条には
清盛の外孫にあたる子供達がいたからね。
頼朝の子孫は傍系も含めて孫の代で絶えちゃったけど。
>>119 持つべきは娘だな。
血を残したのは結局女。
121 :
日曜8時の名無しさん:2005/04/21(木) 22:42:02 ID:H3FSsIb2
清盛、頼朝、義経の
「栄華を誇った」と呼べる期間はそれぞれ何年間ぐらいでしょうか?
1167年 平清盛 太政大臣になる
1179年 後白河法皇を幽閉する
1181年 平清盛 死去
1192年 いい国作ろう鎌倉幕府
1199年 源頼朝 死去
1184年 源義経 木曽を破り入京
1185年 源義経 都落ち
1189年 源義経 死去
123 :
日曜8時の名無しさん:2005/04/21(木) 23:22:14 ID:tSCr/GYC
義経の栄華って木曽を打ち破って入京したときの総大将はノリヨリでは?
巻第九「河原合戰」
大將軍九郎義經、軍兵共に軍をばせさせ、院御所の覺束なきに、守護し奉らんとて、
先づ我身共に直甲五六騎、六條殿へ馳參る。
125 :
日曜8時の名無しさん:2005/04/22(金) 08:48:25 ID:cuh+Iu/j
>>119 頼朝の子孫は絶えたが、同腹の姉一条能保室の産んだ娘達が
宮廷社会に血筋を残した。
摂関家、皇室にも彼女の血は入ったらしい。
少し代を経ると清盛と義朝の両方の血のはいった公家などが登場している。
女はつよいなあ。
126 :
日曜8時の名無しさん:2005/04/22(金) 08:58:34 ID:cuh+Iu/j
>>122 厳密な意味で清盛が栄華を誇ったのは
1179年 後白河院を幽閉から だそうです。
そのころになってやっと知行国や官職の多くを
平家が占める(娘婿を含む)ようになったらしい。
127 :
日曜8時の名無しさん:2005/04/22(金) 11:44:00 ID:n1du/ezO
そんな厳密な意味でいうと、義経の栄華の時期はゼロ。
義経って従5位判官でしょ。下っ端。
頼朝の子孫と言えば、どこかの源氏系が千鶴君を十一代目辺りに
組み込んで系図を作っているのがネットを千鶴でぐぐったときにあった。
むしろ義経の栄華はその死後じゃなかろうかw
大陸に渡ってからが義経の全盛期です
132 :
日曜8時の名無しさん:2005/04/23(土) 17:23:43 ID:XBpR6+mT
だから、チンギス・ハーンは、血縁上の母親と戸籍上の父親がはっきりしているから、
義経じゃねぇぇぇんだよ!!!!!!!!!!!って叫んでいるけど、本命は保守age
アレは江戸時代に系図屋が作った偽書が元だからね。
同じように源為朝の琉球王朝始祖伝説というのもある。
こっちはご丁寧に琉球人に偽書を作らせてる。
どっちも政治的意図が結構含まれてるね。信じてる人にはお気の毒だけど。
134 :
日曜8時の名無しさん:2005/04/23(土) 19:34:28 ID:ETFk73lE
いまでも義経=チンギスハン説を信じてる人って、自国政府が作った捏造歴史を信じている朝鮮人と同レベル。
135 :
日曜8時の名無しさん:2005/04/23(土) 19:50:44 ID:jwrDJuVA
マジスレすると
「男は子供も老人も皆殺しにし、老婆は犬の餌にし、見目良き女は幼女までも犯し尽くして奴隷にし、
敵の頭蓋骨を杯にして、廃墟にした敵の町と野積みにした死骸の山を肴に美酒を飲むのが最高の快楽」
って大量殺戮大好きの快楽殺人狂のハーン様を義経にしたいってのか?
よく考えたほうが良いぞ義経オタさんたち
鎌倉幕府が崩壊する切っ掛けになったから
「面白み」があるのでしょう。
あれは漢人や高麗人の悪い家来がやったことです
ドラマとは全く関係ないけど、
原作の宮尾本で頼朝が伊東祐親の娘と引き裂かれた後、伊東の娘が
「江間小四郎」と言う男に嫁がされたと書いてありました。
ちなみに司馬遼太郎の義経や、ほかの義経解析本でも同じようなことが書いてありました。
でも、確か北条義時が江間小四郎と称していた時期があったと思うんですが、
伊東の娘は義時に嫁いだんでしょうか?なんだか年齢が合わないような気がするんですが・・・。
この記述はなんかの創作を元にしてるんですかね?
>>138 どの文献だったか忘れたが、
生母が謎に包まれている北条泰時の母=八重姫にして、
因果というかなんかしたいようだ。
細かい合戦とか入れたら後どれくらい合戦あるの?
チンギスハンだかフビライハンだかは「坂東英二」似てる。
143 :
日曜8時の名無しさん:2005/04/24(日) 18:54:50 ID:A5eUaxms
hoshu
144 :
日曜8時の名無しさん:2005/04/24(日) 22:04:15 ID:Dkcb2Zon
頼朝の烏帽子が変わったのはどうしてですか?
変わったっけか?
146 :
日曜8時の名無しさん:2005/04/24(日) 22:33:36 ID:IvWgT6tc
質問間違えました。
頼朝の服が今日公卿みたいなのになってたのはどうしてですか?
147 :
日曜8時の名無しさん:2005/04/24(日) 22:45:29 ID:vkO7Mks1
今日の放送でオセロの白と頼朝の関係と
政子をくわえた関係、火をつけたとか、
わかりやすく教えていただけないでしょうか。
手古奈は何者かについてもついでにお願いします。
征夷大将軍は源氏の流れしか取得できない官位なのでしょうか?
また、位は天皇(帝)から何番目なのでしょうか?
>>147 オセロの白は実在の人物。
鎌倉に行った後、亀の存在を知った政子は家来に命じて家を打ち壊すが、
これは当時のうわなり打ちという風習なので特に酷い仕打ちだったわけではない。
亀もそのくらい覚悟していたはず。
放火は嘘。
151 :
日曜8時の名無しさん:2005/04/24(日) 23:26:27 ID:VI+dXs9i
義経四天王というのは誰のことを指しているんですか?
今の義経の部下たちは実在の人物なんですか?
今いる中なら佐藤兄弟と伊勢三郎は実在する。
弁慶も記述があるからいると思うけど
今書かれてるような弁慶は数人を
エピソードをまとめた説があったはず。
喜三太は義経記に出てくる創作キャラだったような。
駿河次郎はわからない。
なんかあっという間に頼朝がエラそうになっちゃってついていけません。
155 :
日曜8時の名無しさん:2005/04/25(月) 08:07:17 ID:on7qpzfI
>>150 ありがとうございます。
じ、実在なんですか!
当時愛人なんて珍しくないと思うんですが。
何かで正妻以外に女がいると子供を産んでくれる労力を半減してくれる
のでそれほど疎ましくもないとか、時代によるんでしょうか。
鎌倉には何をしに。。。
打ち壊す=放火?
あの2人の出会いはどういった経緯なんでしょうか。
156 :
日曜8時の名無しさん:2005/04/25(月) 08:39:13 ID:3pa08M9h
>>149 征夷大将軍というのは本来臨時に置かれる役職で
朝廷の序列には入れない。
あえて、どのくらい偉いかを判断するにはその将軍が兼任している
朝廷の役職で判断するしかない。
頼朝の場合
後年右近衛大将兼権大納言になっている。
権大納言は 臣下としては
摂政(関白)、太政大臣、左大臣、右大臣、内大臣、大納言(4-5人)
に次ぐ位だから10番目位
なお、後年の徳川将軍家は大臣クラスを兼任しているからもう少し序列では上。
源氏しか征夷大将軍にしかなれないとというと頼朝の頃はそんなことはない。
木曽義仲以前は坂上田村麻呂など源氏以外の人物が任じられていたし、
源氏が3代で途絶えた後は、藤原摂関家や皇族が征夷大将軍になっている。
157 :
日曜8時の名無しさん:2005/04/25(月) 08:47:23 ID:3pa08M9h
>>155 史実は話をすると
政子が頼家を出産している最中頼朝は亀の前を呼び出して浮気を始めます。
伊豆にいるときからの知り合いだったそうです。
そして、産後のまもない頃政子がその事実を知り
政子の親戚の牧宗親という人物に亀の前の家のぶち壊しを命じます。
亀の前は伏見広綱(亀の前の預かり人)という人物に助けられます。
打ちこわしの事実を知った頼朝は牧宗親の髻を切ります。(当時最大級の恥辱)
今度はそれを知った時政が怒って伊豆に帰ります。
頼朝は、鎌倉に残っていた義時をあわてて呼び出し慰留します。
こうして、世紀の夫婦喧嘩が周囲に飛び火したのです。
158 :
日曜8時の名無しさん:2005/04/25(月) 08:50:00 ID:3pa08M9h
>>155 それから、当時は母権が強く、産んだ母とその実家が産まれた子供の
後見人となり成人後もかなりの影響力を発揮します。
北条家としては政子が産んだ子供以外の子供に権力がいくと
幕府の中でも後に発言力が低下することに繋がるので
頼朝が政子以外の女性に子供を産ませるかどうかということは
死活問題だったのです。
159 :
日曜8時の名無しさん:2005/04/25(月) 09:00:36 ID:6k6ZL646
>>155 政子のいる鎌倉は嫁入り婚でしかも土地を守って子供に分けるので
あちこちにたくさん母親の違う子供がいるのは相続でも面倒。
又、頼朝がよそで子供を作ればその女の実家が力や発言権を持つことになり、
北条以外の有力御家人が出現する事になりそれも面倒。
ヤキモチ以外にもそのような理由もあって政子は怒る。
頼朝は都育ちで元服も都で済ませているし、京都は通い婚なので
あちこちに妾がいるのは普通の感覚。
頼朝はなぜ女ごときでいちいち政子が目くじらを立てるのか
きっと理解できなかっただろう。
別にいいんじゃないですか
オセロ松嶋を引っ込めさせる為のストーリーだったわけでしょう。
(いや知らぬが・・・w
161 :
日曜8時の名無しさん:2005/04/25(月) 09:25:22 ID:gCWZVd3u
昨日の平家のシーン、
宗盛・知盛・時宗・頼盛は白い衣で、重衡と孫2人は紺色の衣だったのは
官位の違いによるものですか?
白いほうがもちろん偉いのですか?
壊滅的な敗戦を喫し海路で命からがら逃げ延びた頼朝がその後
勢力を盛り返していったと説明していたが、どうしてそれが可能だったのかな
「源氏の嫡流」の威力なのですか?
石橋山の事?
安房国入りは想定内の事であったと薄く記憶にあるぞよ。
>>162 元々、関東地方はアンチ平家が多いんだよ。
でも、石橋山に参戦するかどうか迷っていた奴もいれば、参戦しようとして間に合わかった奴もいた。
そんな奴を、頼朝がいまの千葉県南端から、千葉→茨城→埼玉→東京→神奈川と通過しながら
「おめぇら、オラさ、味方になった方がヨカッペよ?」と宣伝して回ったんだよ。
↑と言っても、あくまで一部しか通過してないからな。
茨城北部だと、たしか佐竹がいて、そいつは反発していた筈。
細かいところには突っ込まないで下さいね、プリーズ。
166 :
162:2005/04/25(月) 10:38:40 ID:FDyHy7vF
あれだ、あれ!小泉に付こうか、反小泉に付こうか勢力の強い方に傾くじゃん!!!
「どうも平家はアカンぞ!今度は源氏のがイイみたいやね!」
てな感じw
若い者は派手好きなのでは?
>>161 嘘情報:盛盛いっぱいいるから、取り合えず色で分けたんだよ。
平家オタの人なら知ってるかも。
着物には興味ね〜し、てか分からない。
当時、緋色だか紫色だかは
海の貝から色素を採るために
とても貴重で位の高い役人やお坊さんしか
着れなかったと言う話は聞いたことがある。
174 :
日曜8時の名無しさん:2005/04/25(月) 13:39:31 ID:DFy5Btm+
>>162 やや、面倒なことを書きますが
当時坂東では「平家にお近づきになれた人」と
そうではなかった人の格差が大きかったようなのです。
そしてお近づきになれなかった人はお近づきになれた人から圧迫を受けていました。
そして、お近づきになれなかった人は「平家お近づき組」打倒を狙ってしました。
そこに都合よく
「以仁王の令旨」をもらった頼朝が挙兵しました。
そして、頼朝追討をしたのは主に「平家お近づき組」でした。
そんな状況の中「反平家お近づき組」が頼朝を旗頭にして
打倒「平家お近づき組」に立ち上がったという説が
現在は濃厚です。
確かに 赤や紫は高貴な色だよね。
広島カープ(赤)と、サンフレッチェ広島(紫)
・・・すれ違い、すまん。
>>174 なるほど、詳細に教えて下さってありがとうございました。
スレ違いだけれども、時代劇で、将軍様とかが病気になった時に
頭によく紫色のハチマキみたいなのを巻いてるでしょう?
あれって、おまじないですか?どんな意味があるのですか?
子供の頃から気になってしかたなかったのですが・・・
あれは病鉢巻って言うんだそうです。
多分おまじないであり、
時代劇や歌舞伎のお約束みたいなものでしょう。
>>157 こう見ると、頼朝なりに、北条家との舵取り争いをしたんだなーと思う。
本当に孤独な戦いだよね。
烏帽子がチンコケースなら髻がチンコぐらいの価値観だった頃、
髻切られた宗親は災難だったと思うけど、よくぞ切ったと思うよ<頼朝
やまい-はちまき やまひ― 【病鉢巻】
歌舞伎・人形浄瑠璃で、病人であることを示すために、象徴として結ぶ鉢巻。
男女とも若い役では紫、老人役では黒の鉢巻を用い、頭の左側で結ぶ。
だそうだ。
俺は知らんかったから、
>>179みて辞書引っ張ってきた。
こっちは色が重要だ!意味があるんだ!
>>161 嘘情報の色分け説もまんざら間違ってないと思う。
宮中に上がるとき着る服は、官位別に分けられている。
後の世と違って、血筋よりも官位が絶対的な世界だったので、
一目で判別出来るのは重要だった。
朝服だとすると、平安の色分けとはちょっと違っているようなので、
今回はドラマ仕様の色遣いで、しかも普段から着ているという感じ。
私服である直衣の色分けだと、
若 → 老
濃赤→薄赤→濃紫→薄紫→濃青→水色→白
という変化があるのだが、そっちかも。
>181
酔っ払いがネクタイ結ぶのとは関係あるのか?
それも疑問だよね。何故酔っぱらいはネクタイをハチマキに
するのだろう・・稔侍さんがやりそうだw
@信長時代の鎧兜とは全然違って、義経等が付けてる物は重くて動きにくそう
ですが、あれは、あれで戦には役に立ったのでしょうか?
身動きできますか?
通常は馬上から弓を引き攻撃しますが
甲冑の重さを利用して接近戦では人馬もろとも体当たりして
地上に落とし敵に馬乗りになってトドメを刺すのが
当時の戦いだったそうです。
>>185 敵も同一条件だから、問題無いっしょ。
動けないような奴は、武士じゃないと…。
だから、義経終わった後、数十年後の蒙古襲来で役に立たなかったと。
だから、反中デモで「中国は蒙古襲来の謝罪が無い!」と言えば良いと。
188 :
日曜8時の名無しさん:2005/04/25(月) 19:01:09 ID:amDwTACn
頼朝は官位もないのに、どうして今回公卿みたいな服装になったんですか?
>187
元朝は漢族の国ではないので、
「モンゴルに言え」と言われておしまいな気がする。
190 :
日曜8時の名無しさん:2005/04/25(月) 20:18:59 ID:jYc1zd0N
丹後の局も実在の人物?平家物語とかに登場しますか?
191 :
日曜8時の名無しさん:2005/04/25(月) 20:22:49 ID:O/D6bJAE
>>190「高階栄子」「後鳥羽上皇」「院ノ執権」でググりましょう
192 :
日曜8時の名無しさん:2005/04/25(月) 20:25:02 ID:jYc1zd0N
重盛は時子の子じゃないんですよね。母は誰ですか?
右近衛将監高階基章の娘
194 :
日曜8時の名無しさん:2005/04/25(月) 22:57:19 ID:zvk6k58b
>>183 おれの中では時代劇で「病鉢巻」というやつは
乱痴気騒ぎしてるバカ殿(精神疾患か)がしてるイメージがある。
酔っ払いサラリーマンの頭ネクタイはその影響だと思ってるけど。
酔っぱらいのネクタイは、料理などで汚さないための配慮かと思っていた。
頭に巻いていた教授が、その前段階として後ろに回していたので。
病鉢巻は、歌舞伎や芝居でわかりやすくする記号が
映画、ひいてはテレビ時代劇に伝わったものなんだろうか。
バカ殿のイメージもあるが、良い殿もしていたと思う。
んで、北の方や姫は巻かないね。
>>158-159 要するに家族制度が妻問婚から嫁入婚への過渡期にあった時期に
東と西の地域的な意識のギャップを背景に起こった悲劇だということですね
政子の出産中にスケ殿が昔の愛人とヨリを戻して…って経緯は
「草燃える」ではわりと詳細に描かれてたと思う
紫の染料は薬草だったから、病気の時に紫の布を当てたのが
あの鉢巻の始まりなんじゃないの。
198 :
日曜8時の名無しさん:2005/04/26(火) 08:04:36 ID:/17mvY8J
>>188 第16話現在では剥奪されたままですが
平治の乱前に従五位下右兵衛佐という官位を得てました。
この時代「元の官位」というものも有効でした。
着ていた服は「狩衣」という衣装で
従五位程度の人の日常着だったようです。
199 :
日曜8時の名無しさん:2005/04/26(火) 10:26:58 ID:xxRpqpmU
打ちこわしって何ですか?
>199
うちこわし ―こはし 【打(ち)壊し/打ち▼毀し】
(1)
たたきこわすこと。とりこわし。
(2)
江戸時代、中下層の百姓・町人が群集して豪農・米穀商・高利貸しらの
家屋・家財などを破壊すること。一八世紀半ばから都市の米騒動を中心に、
百姓一揆や幕末の世直し騒動の中で多くみられた。
>199
よーは、家を壊すこと。
燃やすのとは違う。ただ単純に、どりゃーって家を壊すこと。
202 :
日曜8時の名無しさん:2005/04/26(火) 11:09:29 ID:rJ+rErz9
>>199 うわなりうちと言って、正妻が妾にしかける合法的な果し合い行事。
今で言う近所の町内会の婦人会で加勢する。
行く日時を先方に伝え、鉢巻にたすきがけデンデン太鼓みたいなのを
打ち鳴らしていく。相手も町内で加勢して助ける。
しかし政子はそこいらのおばちゃんでなく国のファーストトップレディ、
恥ずかしい気持ちはなかったのかね。
>>202 お互いの町内会を巻き込んだ、本妻vs妾の戦いって ある意味怖いぞw
>>198 1183年に右兵衛佐に復官したと記述されていますが。
「すけ殿、すけ殿」と呼ばれていたのは 単なるあだ名だったのですか?
>>204 右兵衛佐(うひょうえのすけ)だから、スケ殿。
官位剥奪されても、前右兵衛佐(まえのうひょうえのすけ)だから、スケ殿。
関白に対する太閤のような言葉が無い限り、官位剥奪されようが前の官位で呼ばれる。
と言っても、絶対に前の官位で呼べ!って訳じゃなく、他に呼び名があれば、そっち使うかもだけど。
現に、前回末から次回以降にかけては、「鎌倉殿」と呼ばれるようになるし(*´・д・)(・д・`*)ネー
つまり○○係長!○○課長!○○社長!
と、いつもその役職、ランク別に呼ばれて第三者にも丸解かりで・・・
誤魔化しが出来ませんね。
208 :
日曜8時の名無しさん:2005/04/26(火) 12:02:25 ID:fMIMFZDO
>>202 政子様、数年前までは田舎豪族の娘だったから・・・ゆるしてあげて・・・
>>188 なんだか政子も変わってたように見えたね。
官位には生涯無縁の田舎武士達には、
一度でも殿上人になったことある頼朝の貴族コスプレは効果あると思う。
政子の京風頭と服装も然り。
ああ、これでワシらも受領になれるかもしれねっぺ。
211 :
日曜8時の名無しさん:2005/04/26(火) 16:03:28 ID:+c/lAZjp
>>210 頼朝は殿上人になったことなんてない。
下級官吏サマノスケの地下人。
しかし、京都では殿上人にあこがれてただろうし、武士も公卿になれる
時代になったから、自分たちもなるべさーって思ってたかもしれない。
頼朝&政子の公卿扮装は、田舎の成金のコンプレックス炸裂にみえて
笑えたw
なんだか財前変わってた様子に見えたのはそのせいかw
>>211 従五位下は、いちおう殿上人だっぺ。
地下は六位からじゃなかったか?
214 :
日曜8時の名無しさん:2005/04/26(火) 16:20:56 ID:TLVwsmc6
>>213 殿上人は四位、五位、六位の中でごく一部の限られた人で、それ以外は地下人。
14歳で従五位下って、なかなか順調な出だしだったから
若き頼朝も頑張って出世するでと思ってただろうに。
>>215 あのまま、平和に行けば兄貴と家督争いをしてたかもね、頼朝。
光栄以外で、あの時代のゲームを作ってくれないかな?今年なら売れるだろうに。
戦争強くても、骨肉の争いで一族自体が衰退、滅亡。
それが河内源氏クォリティ。
218 :
日曜8時の名無しさん:2005/04/26(火) 17:11:17 ID:Uyugl8L3
>>213-214 頼朝は二条天皇の蔵人にもなっていました。
蔵人は天皇の側近くに上がらないと仕事にならないので
当然殿上人。
殿上人になるためには天皇の勅許が必要でした。
ですから六位の殿上人もいれば四位の非殿上人もいましたが、
目安として五位程度で勅許がおりたようです。
219 :
149:2005/04/27(水) 00:03:23 ID:PnXfGOIe
>>156 遅くなりましたがどうもありがとうございました。
死んだ頼政は摂津源氏で本流。頼朝・義経は河内源氏だから庶流。
って説もあったような気がしますよね。ま、どっちがどっちでも良いけど。
河内弁喋ってたのかなw
そういえば「以仁王の令旨」は今どういう状況なの?
もう無効状態?
鎌倉の様子とかからすると、あれから結構時間は流れてる気がするけど
義仲とか十朗とかあんなに意気揚々だったのに、今はただの反乱軍?
223 :
日曜8時の名無しさん:2005/04/27(水) 21:46:20 ID:IE4wTTnH
>>222 以仁王は、首から上が見つかっていないから、まだ生きている。
だから、以仁王の令旨は、まだ有効。
文句あるなら以仁王の首を持ってこいや(#゚Д゚)ゴラァ!!! 状態
224 :
日曜8時の名無しさん:2005/04/28(木) 08:58:31 ID:2NoSAs2M
>>222 朝廷から見ればまだ頼朝や義仲は「反乱軍」状態です。
ただ、頼朝や義仲は「以仁王」の令旨を有効であるかのごとく使ってたでしょうね。
したがっている人々もその辺には目をつぶってついていったのでしょう。
正式に彼らが反乱軍の名目を逃れるのは
義仲 平家都落ちのあとの入京直後
頼朝 義仲入京後の都混乱期に都との交渉の結果得た
「10月宣旨」とよばれるものを受けてから
*10月宣旨−
頼朝軍に東国を抑えられていたため都に東国の年貢が届いていなかった。
その年貢を都に送るなどの措置をしてもらう(その他諸々)かわりに
頼朝の東国支配権を認めるという宣旨。
これによって頼朝の東国支配権は公的なものになった。
このことを幕府成立の一過程とみなす説もある。
同時に頼朝は流人の身分が赦免され、官位が元に戻った。
>>223,224
ありがとう。
とりあえず、文句あるなら以仁王の首を持ってこいや(#゚Д゚)ゴラァ!!! 状態は
続いてるってことですね。
どのみち反乱軍つても、令旨があるかないかじゃ違うと思うし、
あんましじっくり鎌倉の地盤固めてる場合じゃないでしょ、と見てて焦っちまいます。
226 :
日曜8時の名無しさん:2005/04/29(金) 15:04:16 ID:VRrFHR6R
保守
ホッシュ
228 :
日曜8時の名無しさん:2005/04/30(土) 18:14:08 ID:OkO0o3Pt
佐々木四兄弟の中で、一番活躍したのは誰ですか?
容姿品性的には誰が一番なの?
229 :
日曜8時の名無しさん:2005/04/30(土) 19:48:43 ID:DKRr42K3
一番目立つのはやっぱり四男の高綱でしょうね。
宇治川の先陣争いというオイシイところもありましたからね。
ただ、山木攻め、石橋山といった頼朝の本当に一番苦しかった時期は
四人それぞれ活躍をしています。
(σ・∀・)σ 楽しみ楽しみぃ〜っつたって出て来るのかな?
晴れだ。
そうそう、「平家物語」と言っても原本は一つではなくて
数種類有ると聞きましたが、いくつくらいあるのでしょうか?
(現代訳のではなくて
234 :
日曜8時の名無しさん:2005/05/02(月) 15:30:54 ID:eWnlN+x7
草刈正雄の平知康って、どういう平氏なんですか?
235 :
日曜8時の名無しさん:2005/05/02(月) 20:09:52 ID:9fbLzvwo
木曽四天王とは誰のこと?
なんでみんな「三井寺」って言わないのですか?
>>237 すみません、言葉が足りませんでした。
ご指摘のとおり、園城寺というのが正式な名で、
三井寺というのは通称ですよね。
私がお聞きしたかったのは、
「なんで通称で呼ばず、わざわざ正式名称で呼ぶのか?」
ということだったのですが……
だって、金閣(あるいは金閣寺)と言わずにわざわざ鹿苑寺って言ってるようなもんでしょ。
黒谷寺を金戒光明寺って言うようなものだな
平家物語巻第四
「高倉宮園城寺入御」
「三井寺炎上」
その時の気分かな?
当時の人も気分で使い分けてたって事ですか?
奥州伊達氏の始祖となった常陸入道念西の子息、常陸冠者為宗・次郎為重・
三郎資綱・四郎為家等は、石那坂での戦いで、佐藤庄司ら18人の首をとる事に成功。
又、阿津賀志山合戦で、奇襲作戦が成功した、小山朝光・宇都宮朝綱の郎従
ら7人。これ等の成功は義経の奇襲作戦にも似ていると思うのですが、
彼等の名前が後世に有名に、ならなかったのはその戦いが小さいもの
だったからですか?でも頼朝軍の勝利には大きく貢献した勝利だったように
も思うのですが?何故でしょう?(誤字許
スター性に欠けるから。
244 :
日曜8時の名無しさん:2005/05/03(火) 10:01:31 ID:QcuFJiP4
清盛は、中国との貿易で財力を蓄えていたのだから、法皇の下で
それなりに上手く立ち回っていれば一族滅亡まで追いやられなかったのでは?
と単純に考えてしまうのだが?天皇の外戚となり摂関家とも結びついたりして、
法皇から見てみたら、それは想像以上に脅威に感じられたのでしょうか?
もしもの話ですが、平家の生き延びる為の方法、得策はあったのでしょうか?
後白河法皇の移り気な理由と、その心理の経過など分かったら、それも教えて下さい。
武家は平家に期待したんだけど
平家も貴族みたいな事やり始めたから
愛想尽きたんでね?
246 :
日曜8時の名無しさん:2005/05/03(火) 11:09:23 ID:QcuFJiP4
>>244 天皇家は文徳天皇から後冷泉天皇に至るまで、藤原家の外戚政治に頭を抑えられ続けてきたからね。
後三条天皇になってようやく藤原家との血縁が切れ、やりたいことがやれるようになった。
その解放感をまた失うのは、やっぱりいやでしょ。
仮にまた外戚政治に戻ったとしても、天皇家をちゃんと奉ってくれるなら話は別だけど、
平家の場合法皇を幽閉しちゃったり、全国の土地をぶんどったりしたから。
領地や官位をすべて天皇家に返して、おとなしく一から出直すなら平家にも存命の
余地はあったかもしれないけれど、そりゃ無理な話かな。
>>247 そうなんですか?義経に比べて地味なのかと・・
でも有名なら納得します。
Q
○○寺を味方に付けるとか、敵になるとか出てきますが。この時代の寺社の
持つ(ある)意味は今とは全然違うように思うのですが?そこん所を詳しく
説明して下さい。お坊さんが兵士になっても許されるのか?(殺生禁止では
なかったの?)
Q2
教経の従者「菊王丸」ってどんな人物?
A1
寺社も荘園を持っていたからそれを守るために武装した。
殺生を認める宗教なんてオウム真理教ぐらいだが
過去の歴史において人は神や仏の名を語り争いを止めたことは一度もない。
A2
教経の家来、小姓。出自不詳。
教経の兄、通盛に仕えたが通盛の死後、教経が引き取る。
そういえば、戦いの神ってありましたよね・・・忘れた。
毘沙門天
なんで、平家がお寺をそんなに恐れるのか、ピンと来ない人も居るかもな。福原遷都の理由になってるし。
寺社関連の重要人物を書き込んでないために、
サッパリぴんとこないんだよね。
257 :
日曜8時の名無しさん:2005/05/03(火) 16:33:06 ID:1Fiv81zs
そうなんですよ。お寺との関係がマズ分からないと・・
なんで南都攻めをしに行ったのかが ピンときません。
258 :
日曜8時の名無しさん:2005/05/03(火) 16:51:48 ID:6wOVdn/Z
259 :
日曜8時の名無しさん:2005/05/03(火) 16:58:28 ID:j031n8Xq
>>244 当時の政治制度は院が天皇の後見をするという仕組みでした。
しかし、院の意思も天皇の命令という形をとらなけりばならなかったのです。
その為、天皇が自分の意思を持つ年齢になると院と天皇の対立という点が出てきました。
それをうまく利用して両方押さえ込んだのが平清盛でした。
安徳天皇が生まれると
高倉天皇に退位してもらい高倉院に院政を敷いてもらい、
天皇は当然徳子の産んだ安徳天皇に即位してもらう。
余計な口出しをしそうな後白河院は幽閉。
こうして、院政を敷く院(妻の甥)と名目上の最高者天皇(孫)
を血縁と乳母関係で平家がしっかりと取り込んで政権を万全のものとした。
このままいけば平家は安泰であったが、
不慮の出来事が平家に起こった。
院政をとっていた高倉上皇が20代の若さで崩御してしまったのである。
院不在ということは当時考えられず、院政をとれる院は後白河院しか
存在していなかった。
しかし、その頃には後白河院は平家とは一線を画していた。
そして、その頃各地で源氏が蜂起していた。
状況しだいで、院はどの勢力とも提携することができた。
この辺が平家衰亡の一つの原因であると考えられる。
260 :
日曜8時の名無しさん:2005/05/03(火) 17:10:29 ID:j031n8Xq
>>250 寺社の武力勢力は「僧兵」というのがまず思い浮かぶが
実はそれだけではない。
寺社は多くの「荘園」を有し、そこに住む武士を自勢力の武力として
動員することができた。
寺社というものは現在思っている以上に武力経済力を有していた。
もしかしたら武家政権ではなく寺社政権が誕生していたかも知れない
という説まである。
また、寺社は今までの行きがかり上
院や摂関家などの旧勢力とのつながりが深く、
後白河院や摂政基房に対して圧迫を加えていた平家に
反感を持っていたらしい。
261 :
日曜8時の名無しさん:2005/05/03(火) 18:09:02 ID:HhzbnSvy
>>259 それまでの寺社貴族に搾り取られる荘園2重構造があって、武士はそれから脱却したかった。
時代が前へ動こうという時に出現した平氏の武家政権が貴族化したからという大きな意味では
245が正しい。なんだ結局平氏も今までと一緒かよ、と。
>>260 これを一刀両断にうちやぶったのが信長。歴史上信長一人がいなかったら21世紀の今でも
ローマ法王じゃないが日本は宗教と政治が一体に近く複雑だったろう。
262 :
日曜8時の名無しさん:2005/05/03(火) 18:50:40 ID:16mMLY8p
>>261 対259へのコメントへ
それの見方が最近では変わってきています。
武士も貴族と共に庶民から見れば支配者には変わりないこと。
この頃は武士と貴族の分化は進んでおらず、
上級武士は貴族の一部
下級武士は国府の一役人や荘園管理者で
武士vs貴族という見方だけではこの時代は説明がつかないとさえ言われています。
>>254 ヒンドゥーのヴィシュヌ神ってこの神だっけ?
毘沙門天のルーツは、人食い鬼ヤクシャ(夜叉)の王・クベーラだそうです
ヴィシュヌは日本では毘紐天などと呼ばれているようで、
ヒンドゥー教では最も崇拝されている神様ですが、日本仏教ではマイナーのようですね
265 :
日曜8時の名無しさん:2005/05/03(火) 21:17:56 ID:DvWLoWun
北の方って誰だったっけ?
266 :
日曜8時の名無しさん:2005/05/03(火) 21:31:51 ID:wGaE7ZWx
267 :
日曜8時の名無しさん:2005/05/03(火) 21:39:28 ID:vOiZtTSq
268 :
日曜8時の名無しさん:2005/05/03(火) 22:53:36 ID:rZj8UimR
木曽四天王は巴御前の兄弟だよね
>>265 北の方って、御殿の北方面に奥様のお屋敷を作ることから正妻に対する
呼称のひとつ。北政所とかも同じこと。
ヒデヒラの奥様と限定してしまうと、ヒデヒラの奥様はかなりの人数の
男と結婚しまくることになる。義経の北の方。頼朝の北の方。皆別人。
270 :
日曜8時の名無しさん:2005/05/03(火) 23:15:04 ID:2oeIbg+r
白拍子って遊女なわけだが、実際に静は体を売ってたの?
「仕事が終わったら今宵どうじゃ?」って言われて援助を受けてのステディな交渉はあったかも。
>>265 北政所は関白・摂政の地位にある男の正妻を指すのではなかったっけ?
里内裏における政所の発生から生じた呼称だったような。
道長夫人の源倫子とか秀吉夫人の寧子とか、朝臣の極位にある人の妻。
記憶違いだったら訂正よろしく。
今日タッキーが出てた藤原祭りの「北の方」は秀衡の妻だよね。
>>270 都一の白拍子として義経の前に現れたのは17の時らしいから(15説も有)、
そこにのぼりつめる過程では、年齢的に考えても売ったろうね。
都一ってのは、都で一番歌と踊りがうまい、ではなく、
都で一番人気がある=売れている、ということだから。
ちなみに、義経と出会ったのは後白河院の宴だという説があるから、
それに従えば、静の元パトロンは後白河院だったんだろうね。
>>272 政所はそうだけど、北の方は前に説明があった「寝殿の北に居室のある方」
なので、本宅の北側の部屋に住まう正妻は、誰の奥さんでも北の方だよ。
源氏物語(巻一)じゃ、桐壺更衣の母君すら北の方って呼んでたりするし。
いいんだよ、あぜちの大納言のれっきとした北の方だよ。宮家の出だし。
278 :
日曜8時の名無しさん:2005/05/04(水) 10:33:39 ID:6uOMEIfW
梶原景時⇒頼朝
「畠山重忠が謀叛を企てているようです」と讒言しますよね?
重忠は、使者「下河辺行平」の前で「おのれの気持ちは主人の頼朝が一番良く
知っている」と言って自刃しようとします。又鎌倉へ向かった時。
景時に「潔白なら、起請文を差し出せ」と言われて
「起請文などは二枚舌を使う者のやる事、心とことばと異なる所がない
自分には無縁のものである!」と言いきりますね。実に男らしい武士
だと思います。
Q1
よく讒言をする「梶原景時」の事を詳しく教えて下さい。
どのようにして頼朝と出会ったのですか?又景時が頼朝の寵臣と言われる
理由は?
Q2
奥州で、義経の身代わりとなって死んだと言われている人物とは?何者?
279 :
278:2005/05/04(水) 10:41:59 ID:6uOMEIfW
元暦元年5月。頼朝は、命の恩人「池の禅尼」の子
「平頼盛」を鎌倉に呼び寄せて歓待した。とありますが。
Q3
こんなことってありえるの?頼盛は平家の人達に怒られないの?
281 :
日曜8時の名無しさん:2005/05/04(水) 10:47:15 ID:6uOMEIfW
自分で文章書けない奴は来るなよ!
それぞれ、自分の説を書いて楽しんでるんだから!
アホは来るな!
Q3
平頼盛は平家の都落ちに同行せず都に残った。
以前から頼朝の縁故筋と接触があったからだ。
平家の野郎共とはバイバイブーだ。
283 :
日曜8時の名無しさん:2005/05/04(水) 10:57:55 ID:FcU+7XXy
>>278 Q1
景時が石橋山で頼朝の命を助けたという点もありますが、
景時が「有能」だったという点もあります。
例えば、木曽義仲戦か一の谷だったかで
他の諸将が「勝ちました」という内容の報告書を頼朝に提出していますが、
景時だけは、同じタイミングで
敵の首の数、それを討ち取った人、味方の損害
などを詳細に正確に報告しています。
また、鎌倉の諸行事をとりしきりそれをそつなく行っています。
もう一つの理由は所領の場所です。
現在の鎌倉市の中に「梶原」という地名が残っていますが
どうも景時の地元らしいのです。
三浦氏と共に鎌倉に近いということで地元優遇を受ける立場であったようです。
284 :
日曜8時の名無しさん:2005/05/04(水) 11:01:17 ID:FcU+7XXy
>>279 Q3
頼朝とのパイプが最大の理由でしょうが
頼盛は後白河院幽閉の際も清盛に兵を向けられそうになったり
以仁王事件の時も以仁王の後ろ盾八条院に近い立場にいたようです。
このような関係でかなり前から
宗盛グループとは、距離を置いていたという背景もあったようです。
ここは基本的に、ゆとり教育世代を、違う世代の人が救うスレだから。
ってのは冗談ですから。
全話見ていて
>どのようにして頼朝と出会ったのですか?
と聞いているようでは、知識云々以前の問題だと思うのですが。
# その場面はあったし、あとから台詞でのフォローもあったし。
288 :
日曜8時の名無しさん:2005/05/04(水) 13:26:47 ID:9iPOeSgd
>>287 頼朝との出会いについては
一般的にに知られている話では
石橋山で洞窟に隠れている頼朝をそこにいるのを知っていながら見逃した
という事になっています。
でも、軍記物に出てきている記載なのでどこまで信用できるかは判定しづらいところだそうです。
289 :
日曜8時の名無しさん:2005/05/04(水) 14:24:35 ID:kCunGcu9
>>283 景時って、讒言で他の御家人にも嫌われ頼朝死後滅ぼされた、と聞いていたんですが、
どうも讒言というより「ありのままを全て(他の御家人に都合悪いことも)頼朝に報告して煙たがられた」人物のようですね。
御家人衆に厳しくて疎まれた点で家康における本多正信のポジションに近い感じがします。
家康死後、息子正純が失脚(当人はすでに死去)した点もかぶりますし。
ドラマ見てての疑問なのだから、洞窟云々の故事でOKなんじゃないのか?
見た覚えが無い、というのもナンだが、全員、全部の回見逃していない、とも限らないしな。
291 :
日曜8時の名無しさん:2005/05/04(水) 21:13:03 ID:eUeXbcQN
「一所懸命」といえば聞こえはいいけど、この時代の東国武士は
所領に対する飽くなき野望に突き動かされて、血で血を洗う
抗争を繰り返していたと言います。
現代日本でこの東国武士団の気質に最も近い社会集団は
ずばり893だと日本史の先生が授業で言ってました。
それは本当ですか?
本当だとしたら、何でこの時代の関東の住人はそんなに
殺伐としてたんですか?
洞窟の話は源平盛衰記なんだよね<梶原
西部劇だと思ってくれ。
>>291 そりゃ都ののんびりした気性とは違うからさ。
一歩離れれば殺伐とした世界なんだし。
武士は「一所懸命」に集約される。自分の耕した田んぼや畑は自分で守る。
盗賊団と言うヤクザと戦わねばならない。でも同じヤクザなら
そのリーダーは育ちの良いヤツ(元皇族、元貴族)にした方が良い。
それが武士団です。
296 :
291:2005/05/04(水) 23:00:49 ID:iZT4qx0l
>>292 >>293 >>294 ありがとうございました。
そうですか、西部劇ですか。
12世紀末の日本は、荒くれ野郎たちの時代だったんですね。
坊さんたちも恐いし・・・
まるで北斗の拳の世界だwww
都でのんびり歌なんか詠んでた貴族が、シマを東国武士に
巻き上げられてしまったのも当然なんんですね。
297 :
291:2005/05/04(水) 23:03:32 ID:JtKP/v64
頼朝は世紀末覇者・拳王、義経はケンシロウ、
義仲はジャギ、清盛はサウザーみたいなものですか。
>都でのんびり歌なんか詠んでた貴族
その貴族どもが地方の農民武士団がせっせと開墾した土地から、
むしり盗るように年貢をむしり盗り、
ほとんど893泥棒まがいのことをさせてまで厳しく厳しくむしり盗り・・・
結果、自衛した土着武士団もまた893まがいになってしまった、と。
受領の搾取が凄かったというか、いかに羽振りが良かったかというのは
いろんなところに逸話が残ってるもんね。
芥川龍之介の「芋粥」なんかもそういう話のリメイクだし。
300 :
日曜8時の名無しさん:2005/05/05(木) 11:18:03 ID:HZxWMea8
287 :日曜8時の名無しさん :2005/05/04(水) 12:19:59 ID:+dtSX/W4
全話見ていて
>どのようにして頼朝と出会ったのですか?
と聞いているようでは、知識云々以前の問題だと思うのですが。
# その場面はあったし、あとから台詞でのフォローもあったし。
「どのようにして頼朝と出会ったのですか? 」
この方が 答える側が答えやすいでしょう?(会話が広げられる可能性有)
正しく「ゆとり」を持たせてある訳です。
弁慶は生まれた時からロン毛で、歯もはえていたというのは本当でしょうか?
あと、お寺で修行中に(弁慶が優秀だから嫉妬されて)
顔に「下駄みたいな顔だ」と落書きされたそうですが?本当に
下駄みたいな顔だったのでしょうか?
ちょっと松平さんの弁慶とかぶります。
>302の伝説では生まれた時から弁慶って名前になってるけど、
自分がむかーし見たアニメ?では幼名が鬼若になってて、
お母さんに疎まれて叔母さんに育てられた事になってた。
もともと史実では、義経の部下に武勇に優れた僧侶がいたって程度の
内容しか出てないからね。いろんな伝承があって確かに面白いね。
304 :
日曜8時の名無しさん:2005/05/05(木) 17:40:55 ID:GzZYeBn/
義経は検非違使になってるけど、893の現場指揮官が
取り締まる側の警察官になったようなもんだったのか。
地元住民は歓迎するだろうけど、893側からは反感持たれるわな。
たしかに検非違使判官は警視総監みたいなものだがもっと重要な仕事がある。
「検非違使」+「穢れ」で検索してみてちょ。
地方行政にはヤクザ(悪党)から荘園を守るためにヤクザ(武士団)を用いたのだが
都市行政では治安維持もさることながら環境保健衛生も重要であり
それは穢れを職能として専門化していた職能集団が行っていたがそれを管理統括するのが検非違使。
毒をもって毒を制す。ヤクザをもってヤクザを制す。穢れをもって穢れを制す。
@清盛の「血の曼荼羅」は見られるのでしょうか?ちょっと無理っぽいですか?
☆大阪の皮革産業☆
嵯峨天皇の皇子で臣籍に降った源融の子孫である源綱は、源満仲の婿である
源氏敦の養子となり、摂津国西成郡渡辺村に移って渡辺を称した。綱は源頼光に仕え、
坂田金時、平貞道、卜部季武と共に頼光四天王の一人と称せられた。綱の子孫が
摂津渡辺党で、源氏の水軍として活躍した。源頼政の挙兵を援護し、源義経が屋島の
平家を撃つために四国に渡るに際して参軍した。
近世の渡辺村は、かわた村、役人村として知られ、行刑、獄門番、消防、皮革産業の
中心であった。中世の渡辺村とのつながりは不明である。戦国時代、渡辺村は、
鉄砲伝来によって牛皮製となった甲冑の原料を供給し製品販売を一手に行った。
ttp://drhnakai.hp.infoseek.co.jp/sub1-60.htm
309 :
日曜8時の名無しさん:2005/05/06(金) 11:53:19 ID:GtCMIArU
元服を済まして九郎義経となった今、頭にかぶってる
帽子?についてお尋ねします。
あの帽子、南北朝時代の物語「太平記」の時にも
足利直義、高師直、佐々木導誉らが同じものを
かぶっていました。
また、毛利元就も徳川家康も浅野内匠頭も、あれを
かぶっていたと記憶しています。
そこで質問なんですが、あの武士がかぶる帽子の様式、
平安末期から江戸時代までの長い年月、ぜんぜん
変化はなかったのでしょうか?
310 :
日曜8時の名無しさん:2005/05/06(金) 11:58:46 ID:KI4Ja63D
義仲が義経に討たれるって本当?
烏帽子は変化ないかなぁ。
312 :
日曜8時の名無しさん:2005/05/06(金) 12:32:02 ID:wLdZbXnc
>>310 義経軍だったか範頼軍どちらだったかは忘れましたが
とにかく鎌倉勢に討ち取られたのは事実です。
石田次郎為次という人が討ち取ったそうです。
(義仲が自害しようと田んぼに入ったらぬかるみに足をとられ
もがいているうちに石田の放った矢が当たったらしい)
>>309 折烏帽子だな。細かいこといわなきゃ、幕末まで変わらないよ。公家の烏帽子だって大差無いだろ?
大紋とセットで着るんだっけ?
「一所」の死を選びたかったらしく、義仲は額を打ち抜かれ、それを見た
今井四郎兼平は、太刀に先を口に含み、馬からまっ逆さまに落ちて死んだ。
とありますが・この2人は常人では考えにくい強い愛情のような物で結ばれて
いるように感じましたが?そこら辺の事はどう想像すれば良いのでしょうか?
他の実在の人物でも、この2人のような美しい死のパターンはありますか?
>>315 >この2人は常人では考えにくい強い愛情のような物で結ばれて
>いるように感じましたが?
詳しくは知らないけど、正に「そういう関係」だったかもな。
鎌倉の北条が滅亡する時「同性愛関係にある武士同士が、互いの胸を突いて死んだ」という話が巷間に伝わると、「ああ羨ましい。私にもそういう関係の相手が欲しい」と話題になったそうだ。←うろ覚えなので、ソースは勘弁(汗)
乳母子(めのとご)と言って
同じ乳母のもとで育った(同じおっぱいを吸って大きくなった)者は
例え血が繋がらなくても兄弟以上の関係らしい。
>>291 寺社が荘園を持っていて経済的、政治的に大きな勢力だったのはもちろんだけど、
その背景にはやはり宗教的権威ってのが大きい。
皇族、有力貴族など現世の栄華を極めた人たちの死後の安寧を保障するのが宗教で、
寺社はそこを握っていたから、朝廷もかなわない部分がある。
「俺たちに逆らったら、死後、地獄に落ちても知らんからね」と脅す。
ある意味武士よりよっぽど怖い存在。
>>291 >現代日本でこの東国武士団の気質に最も近い社会集団は
>ずばり893だと日本史の先生が授業で言ってました。
>それは本当ですか?
そう主張する学者がいる、というだけ。
どんな集団でも、暴力を伴わないだけで、なんらかの形で
ライバル集団と闘争しているのは当たり前。
上のほうで「ヤクザをもってヤクザを制する」なんていっている人も
いるけど、彼らはその一方で、国家の地方統治機関(国衙)の役人でも
あったし、中央権門の所領(荘園)を管理する職員でもあったわけで。
むしろ当時の東国武士団をたとえるなら、
地方自治体だろうね。役所と税務署と警察が一体となった存在だから。
で、警察としての部分が「ヤクザに似ている」ということも出来る、と。
だから最近はやりの「武士=ヤクザ」論は当時の武士団のごく一面を
恣意的に抜き出したものだから。
>>320 警察や税務署は日本国の決めた法律に従ってるわけだけど、
武士団は自分の利害関係に従ってやってるんだから、
いくらなんでもそれは武士を美化しすぎ。
旧日本軍が警察無視して軍部に異を唱える政治家を暗殺しまくってた
らしいから、軍部暴走時期の旧日本軍に近いんじゃない。
つまり武士=893説のほうが正しいかと。
吉川弘文館から『大江広元』が新刊で出てますね
日本の893って政治家を殺しまくってましたっけ?w
ま、平安貴族は「穢れ」を忌避するあまり
汚れ仕事を汚れてる人間(と彼らが考えた)に押し付けたあまり
自らの首を絞める結果となったんじゃあないでしょうか。
正式な治安組織もない時代の武士を893にたとえても無理があるのでは?
324 :
失礼:2005/05/07(土) 01:57:00 ID:0Wdd3I25
2行目の「あまり」削除ですw
>>321 >警察や税務署は日本国の決めた法律に従ってるわけだけど、
>武士団は自分の利害関係に従ってやってるんだから、
12世紀ころの武士団の収入というのは、基本的に
自分が管理している国衙領(つまり国家の領地)や
荘園からの収入の中に設定されている「得分」ですから。
当時の国家から認められた範囲に従っているんですよ。
「認められた範囲」を拡大解釈するケースは存在しますけど、
建前は「規定の年貢を徴収し、その中から得分をもらう」というのが
武士の収入と思って結構。
(「得分」として私領をもらってるケースもあるけど。)
なんにせよ、12世紀の武士が「徴税官吏」としての側面を
もっていることは明らかです。
あと、間違えてほしくないのは、武士=ヤクザ論を否定してるわけじゃない。
武士団の統制や、周囲の武士団との紛争の部分で「ヤクザ」的な
要素は確かに存在するけど、それが武士団の全てであるかのような
「武士=ヤクザ論」はおかしい、と言っているだけ。
なるほど。武士の発生を何世紀とするかによって見方が変わってくるようだ。
327 :
日曜8時の名無しさん:2005/05/07(土) 11:44:29 ID:NJqCMXtp
語呂合わせ「いい国作ろう鎌倉幕府」の「いい国」って
「東国武士にとって都合のいい国」って意味だったんですね。
他に良い語呂が無かったんだべ。
329 :
日曜8時の名無しさん:2005/05/07(土) 12:34:07 ID:PDGgqL4E
ヤクザと一言で言っても、それも時代によって微妙に変わってきてるんじゃないの?
いつの時代のヤクザに近いのかしら?・・・てことですよね?
任侠の世界って意味か?清水次郎長辺りだと正義の見方っぽいぞ!
331 :
日曜8時の名無しさん:2005/05/08(日) 14:34:05 ID:KGG05xqF
hoshu
えーと、スレ違いかも知れませんが清盛の病は今でいうところの
どういう病気なんですか?マラリア?
マラリア説とかインフルエンザ説とか、色々あるな
よもぎのつぼ?ってなんでしょうか?
蓬の坪
坪
建物・塀などで囲まれた狭い庭。坪庭。中庭。
「前は―なれば前栽植ゑ/枕草子 245」
何で五足が頃されなければいけなかったのか分かりません
>>336 口封じ。
清盛の「耳役」だった五足は、平家のトップシークレットの数々を
知っていたはずで、そんなヤツが一般市民の中にうろうろされて
いたら困ると思った人が刺客を差し向けたのでせう。
特に「清盛の遺言」を知ってるやつは(゚听)イラネとうわなにせdrftgyふじこlp;
>>332 風邪→髄膜炎か脳出血
という説もあるみたいだ。
>334
宮尾版の原作は吉屋信子の「女人平家」にインスパイアされてる部分が
結構あるんだけど、蓬の坪もその一つなんじゃないかと。
「女人平家」では時子を蓬に例えてて、清盛は「蓬姫」の時子を気に入って妻に迎えた
とあるから。
>>339 スレの趣旨とは違う意味で、あの「蓬の坪」エピソードには
ついていけなかったなぁ。
とってつけたように突然「清盛さまが手塩にかけた」庭が出てきて、
とってつけたように突然火をつけられても、
とってつけたように登場人物に泣かれても、
視聴者はぜんぜんついていけねーよなぁ。
>>340 それもあるし、いきなり坪って言われてってのもあるよね。
源氏物語でも知っていれば、もしかして?とか思うけど、いきなり「坪」は無いだろって感じ。
批判じゃなくて、保守Ageです_| ̄|○
342 :
日曜8時の名無しさん:2005/05/09(月) 15:14:44 ID:tc/6RSSn
本スレは、蓬の壷を知ってて当然みたいな感じだったけど、
こっちはナカーマイパーイでうれしい。
343 :
日曜8時の名無しさん:2005/05/09(月) 15:39:48 ID:7eznLy+X
どうしてお徳は五足を殺したのが平家だとわかったの?
344 :
日曜8時の名無しさん:2005/05/09(月) 15:42:11 ID:e8ehOQJY
ますらおという漫画を読むと、義経が好きになるかも。(再開を願う)
>>343 つか、それ以外に考えられないと思ったんでないかな
義経,もう飽きた。
2〜3回見たけど、ついていけねえ。
>>346 むしろこれから戦闘シーンが増える(はず)のでお勧め。
348 :
日曜8時の名無しさん:2005/05/10(火) 00:25:46 ID:FGiuZgXE
後白河法皇のことを「御上(おかみ)」って言ってましたが
天皇も上皇も法皇もみんな御上なの?
御上と呼ばれる人が同時に複数いるの?
それともそのときどきの実質的な天皇家内の最高権力者が御上?
349 :
日曜8時の名無しさん:2005/05/10(火) 00:28:58 ID:FGiuZgXE
そういえば「おかみ」ってもしかして「主上」って書く?
第一変換で「御上」が出たので348でそう書いてしまいましたが
間違っているような気がしてきましたごめんなさい。
五足が清盛のことを「殿様」と呼んでるのに少し違和感を感じたのですが
あんな昔からあった敬称なんですか?
351 :
日曜8時の名無しさん:2005/05/10(火) 07:39:09 ID:HdgDAzzf
>>348 >>350 よー知らんけど、
御上は天皇を敬う言葉だから、上皇に使っても問題無いような。権力は関係なし。
殿様は、どうだろ。でも、"殿" という言葉自体は平安時代からあるし、良いんじゃ?
義経馬引き事件の前に、奥州側に、都より「頼朝」を討て!とのお達しがあったように
思いますが・どうでしたか?ドラマでは無かったの?
奥州とのかかわりのあった義経に厳しい態度(馬を引け)を示したの?
>>352 奥州への頼朝討伐命令は無い。
義経馬引きは、弟だからといって優遇しないという意思表示だけっぽ。
354 :
日曜8時の名無しさん:2005/05/10(火) 13:05:53 ID:nQ2l4M5H
さんきゅ〜♪
>>350 住んでるところが呼称に転じたのじゃないかな。
御館=館の主とか、坊=東宮とか、曹司=部屋住みとか、対の方=側室とか、
北の方=正妻とか、御所=偉い人とか、御殿=大きな屋敷の主とか、
そういうふうに、住んでいるところを呼称にするって結構あった感じ。
>>348 天皇・上皇が多数出てくると、紛らわしいので
後白河院のことを「一院」と呼ぶ作品も結構あったね。
357 :
日曜8時の名無しさん:2005/05/10(火) 18:31:39 ID:ecrWjvIw
崇徳院は「新院」と呼ばれていた作品もありましたね
すこし脱線して失礼。
猊下と呼ぶのも変だしな。
◎清盛の「血の曼荼羅」は見られるのでしょうか?国宝だから見学は無理ですか?
>>359 金剛峰寺が所蔵してるようですが
何度か美術館や博物館で見学できたそうです。
361 :
日曜8時の名無しさん:2005/05/11(水) 14:30:47 ID:GNnEyxk5
ところで、当時方言はどのくらい違ったんでしょうか?
それなりにあったと思うので、
都育ちの義経がいきなり奥州に行って会話が通じたのでしょうか?
363 :
日曜8時の名無しさん:2005/05/11(水) 17:12:59 ID:LaO4GGGR
財前さんが、前に 着物の上から「エプロン」みたいなのを付けてた布
の名前ってあるんですか?
花柄のようでとても可愛いかったように思うのですが?
形としては、エプロンの形でしょうか?役目は?
364 :
日曜8時の名無しさん:2005/05/11(水) 17:13:46 ID:cuwiZ0mC
下品なききかたになるけど、千鳥と弁慶はいつやったんですか?
おんなは嫌だってブルブル震えていたのに
翌日には会いにいってたり行動が意味不明なんです。
>>363 褶(しびら)という幅の狭い腰布のようなもので
腰周りにぐるっと巻いたらしい。
役目はエプロンと同じく衣装の汚れを防ぐため。
>>334 『源平盛衰記』にほぼドラマの通りのエピソードがあるそうです。
ただし、『盛衰記』のみ。『平家物語』にはないので人口に膾炙して
いないということでしょう。
ただし焼けたのは庭だけではなく、屋敷すべてが焼けたので
そのついでに、ということだそうで。
史実ではないけど、必ずしも今回の大河での創作ではない、
ということでしょうか。
367 :
日曜8時の名無しさん:2005/05/12(木) 02:23:04 ID:fStR0nT8
後白河は自分のことを「み」と呼んでいましたが、上皇や法皇の一人称は「み」なんですか?
「み」は「巳」ですか?まさかMeではないでしょうが。(そしたらイヤミじゃん)
天皇の一人称は朕
貴族の一人称は麿
武士の一人称は某
女性の一人称は妾 でいいんでしょうか?
368 :
日曜8時の名無しさん:2005/05/12(木) 07:21:43 ID:iUyaiUnp
みは「躬」 自分とか自らという意味がある。
369 :
日曜8時の名無しさん:2005/05/12(木) 08:12:33 ID:hyUieMu6
>人口に膾炙して いない
おお、普通に出てくるなんてすばらしい。
しかし一般の今の中高生にわかるのか?
370 :
日曜8時の名無しさん:2005/05/12(木) 13:27:10 ID:BG1vv1LN
>>370 みんなが見ていないうちにキマッテルじゃん。
>>370 嫌い嫌いも好きのうち、遠くて近いは男女の仲ってやつでしょ。
リアルでも、仲が悪かったあの二人がいつの間に?な出来事はよくあるし。
>>370 オリキャラによるオリジナルラブ※なんだから野暮ってもんよ。
ってのはおいといて、30分あれば十分。
374 :
日曜8時の名無しさん:2005/05/13(金) 10:58:06 ID:OlMr971E
>>371-372 レスどうも。
なんといいますかそれとなくそういったところを暗示する
シーンもなにもなかったのでおや?と思いまして。
>>374 花びらに蜜がかかったり
波がザッパーンとかか?
千鳥が「おなごと言うてくれたな?」と言っただけで充分じゃないのかい。
火山がドカーンとか
花火がドカーンとか
377 :
日曜8時の名無しさん:2005/05/14(土) 08:09:40 ID:dwkumApY
>>375 弁慶が派手に壁をぶち抜いただろ。あれが暗示してるんだよ。
(しまった!女だったのか!弁慶、一生の不覚!)
378 :
日曜8時の名無しさん:2005/05/14(土) 12:14:00 ID:DE+uQh2V
皆さん色々なご意見がありますね。
弁慶の○○○
379 :
日曜8時の名無しさん:2005/05/14(土) 13:51:02 ID:QnoVX23/
今期大河ドラマ、すでにリタイヤ
まったく面白くない!!!
利家とまつ、武蔵、そして組を超える駄作大河決定
長期低落傾向?
単なるお笑いシーンじゃなかったんだ
粋な演出だなw
>>382 弁慶の壁ぶち破りにそんな意味があったなんて!!
そんなにらんぼうにしたらこ(ry
「太陽の季節」タッキーの障子破りへのオマージュだったとわ!
387 :
日曜8時の名無しさん:2005/05/15(日) 18:04:38 ID:dY9ju/MZ
いちおう上げておく
三島と石原のパク利?
しかし、義円が全くでてこなかったんで、地元墨俣は
怒り心頭だろうなぁ。
つーか、「行家に軽〜くひっかかる義円」を出しておけば、
義経との対比もできてよかったんじゃねーか?
390 :
日曜8時の名無しさん:2005/05/15(日) 21:28:56 ID:76is7GIX
清盛が死んで泣く義経、五足が死んで竹を切る義経、があるのに、
乙若死亡してもなんのダメージも受けずに家来の心配をする義経という感じだった。
ある意味、そんな冷たい義経についていけない。
義経の愚かな部分とか頼朝とその家来のダークな部分とか
描かれなさそうだな。
393 :
日曜8時の名無しさん:2005/05/16(月) 00:40:11 ID:IuL3LE/G
ドラマ上、義円は出さないとしているんだから良いんでは?
てか、史実通りじゃない部分なんて吐いて捨てるほどあるのに、まだ言ってる?って感じ。
394 :
日曜8時の名無しさん:2005/05/16(月) 00:56:18 ID:E5LIYB8m
乙若は出てたじゃん。
わかってる人は、乙若=義円も存在していると思うじゃん。
一度出た人物が存在もろとも抹消されるなんて普通思わないし、
仮にも主人公の同母兄を無視して何が家族愛だといいたい。
排除する部分を間違っている。
オリキャラ五足の死>同母兄義円の死 ですか?
>>393 兄弟愛、家族愛をテーマのひとつとしながら、
一番近しい同母兄弟を全く無視するのは、
おかしいんじゃないの?っていってるのであって。
「史実通りじゃないから」けなしてるんじゃないよ。
今若との涙の再会も禿しくキボンヌ
>>394-395 だからと言って、兄弟全員が出てきて収拾つかなくなるより、
今の3人で良いんでは? あの3人がメインで活躍していたわけだし。
出てこないって演出について、どうこう言っても仕方ないから、諦めるほうが良いかと。
最後のコーナーで、義円について補足あったし、あんなもんっしょ。
違う意味で もう ついていけない。。。
399 :
日曜8時の名無しさん:2005/05/16(月) 14:17:30 ID:qLAgqK1q
>>397 兄弟全員出せなんて誰も言ってないじゃん。
希義の死がスルーされたときは誰も騒いでなかった。
今回は、常磐の子だよ?父も母も同じ本当の兄弟だよ?
頼朝、範頼、能子達よりも、ずーーーーーーっと血が濃いんだよ?
これをスルーして兄弟愛を語りますか?
脚本家、おかしいんじゃないの?
うん。行家が義経を訪れた時にちょっとだけ触れても良かったかな。
>>399 んまぁ、気持ちも分かるけどさ。
これといってエピソードが無い兄弟を、同母という理由だけ出しても意味無いと思ったんじゃ?
そういった兄弟を出すよりは、もっと良いシーンを演出したかったんだよ。
・・・どこがそのシーンだ?!って自分で突っ込みたい意見だけどなぁぁ
402 :
日曜8時の名無しさん:2005/05/16(月) 14:32:20 ID:KtdwvxyP
なんじゃそりゃ・・・。
呆れて物も言えない・・。
もう一人同母兄がいるから、義円を詳しくやるとくどくなると思ったんじゃないかな。
これから全成との対面があればの話だけど。
404 :
日曜8時の名無しさん:2005/05/16(月) 14:43:00 ID:KtdwvxyP
別に詳しくやれとは言ってないでしょ・・。
もちろん、頼朝、範頼、能子等も重要なのは、
言われなくても分かるし、メインだから、主要に
扱うのは当然だとしても、ちょっとでも同母兄の
義円を触れても差し障りはないんじゃ・・と思う。
例えどうでも良い大した活躍がない、役立たずだっ
たとしても、義経の一番濃い血の繋がりのある兄
なんだから。
くどくどならない程度で出すのも演出、脚本次第だと
思うのだが・・・。
いや、全成の登場があるなんて思ってると裏切られるぞorz
406 :
日曜8時の名無しさん:2005/05/16(月) 15:05:03 ID:qLAgqK1q
えっ、今若兄さんでないの?
あの子役の感じ、育った全成の賢人ぶりを彷彿とさせてイイと思ってたんだが。
>>406 今までの流れでは、兄弟は頼朝・範頼・義経の3人で行く感じだね。
実際、義円よりも先に、頼朝貴下に馳せ参じている筈だから…。
408 :
日曜8時の名無しさん:2005/05/16(月) 15:18:27 ID:a/V1ZOVF
全成って範頼と同じタイプで決して温厚なだけで賢人なわけじゃないし。
>>399 脚本家がおかしいかどうかは、1年全部見てから言え。
>>409 うーん・・・
うつぼと静と、多少差があるとはいえ、
京都から義経邸jにくる→みんなの世話をする→周囲に北の方と間違われる
→それを気にして身を引く→義経に思いを残して京都に帰る。
という基本的に同じプロットを2回もやってのけただけでも
十分、脚本家のウデを疑われてしかるべし、と思うのだが・・・
>>410 しかも、似たようなシチュなのに、静は義経が引き止めようとする。理由は説明なし。
挙句、あれだけ揉めてた筈の「正妻」はどうなったんだ?w と言いたい所ではあるな。
412 :
日曜8時の名無しさん:2005/05/16(月) 17:05:59 ID:mXz6UTo2
>>389 >つーか、「行家に軽〜くひっかかる義円」を出しておけば、
>義経との対比もできてよかったんじゃねーか?
引っかかるためには、多少なりとも知恵がいる。
それ以前の人間なんだって義円は。
いうなれば、墨俣だって自殺行為だろ。
>>411 理由は説明なしって、できてるからに決まってるだろ。
そんな事まで説明しなきゃダメなのか。
政子はほとんど御家人会議に同席してるけど、
御台所が会議に出てるのは当時としてはありえる状況なの?
>>412 >引っかかるためには、多少なりとも知恵がいる。
(´-`).。oO(知恵がないからひっかかる、ていうのが普通なんじゃないだろうか・・・)
>いうなれば、墨俣だって自殺行為だろ。
(´-`).。oO(手柄を立てるために抜け駆けをするのは当時普通にみられたことなんだが・・・)
そういえば高倉上皇はどこ行ったのかしらん?
417 :
日曜8時の名無しさん:2005/05/17(火) 09:29:22 ID:5ei6qE1E
>>416 史実ではすでにお亡くなりになっています。
ドラマでは後日解説される可能性あり。
418 :
日曜8時の名無しさん:2005/05/17(火) 12:49:26 ID:RYMPREH1
>>414 もちろんありえないでしょう。夫が生きてるときからあんなはずは絶対にないんじゃ。
>>408 ソースは?
そもそもドラマ上の人格・性格なんて史料の解釈と補完次第で
幅があって当然と思うけどね。
兄弟の中では武士にならず頼朝の側にい続けた人物からの視点って
ドラマにも義経の描写にも奥行きを与えると思う。
>>406の言うように、子役の全成があれだけ
今若と性格の違いを見せていたから
自分も期待してたよ。
420 :
日曜8時の名無しさん:2005/05/17(火) 14:39:55 ID:nYxKJNF+
初歩的な質問かもしれないけど、なんで平氏は平家ともいうのに源氏は源家とはいわないの?
平氏と平家では使い分けとかあるの?
>>420 辞書調べてみたけど、
平氏:平(たいら)の姓を名乗った一族。
平家:平(たいら)の姓を持っている一族。平氏と同じ
らしいけど、はっきり言って区別は無いと思われます。
あと、「源家」という言葉もちゃんとあります。
でも、「げんけ」って言いにくいから使わないんじゃない?
へえ…辞書にはそうありましたか
ただの個人的思い込みかも知れんけど、以下のように解釈してましたが…
平朝臣の姓氏を名乗ってれば平氏、源朝臣の姓氏を名乗ってれば源氏、
平家は清盛の一族郎党を指し、坂東平氏の三浦や千葉、あるいは鼓判官知康などは含まない
源家も多分、清和源氏の一部を指す(ひょっとしたら頼朝の一族郎党?)
>>419 まず、
>>406の全成が賢人ってソースは何?
全成は25才まで寺にいたんだけど、ものすごい荒法師だったんで
醍醐の悪禅師 と呼ばれてたわけで、頼朝についたあとの事跡は
わからずじまい。義経みたいに目だったことをしなかっただけ。
どうしてそれが賢人につながるのかわからない。
>>419>>423 いやだから
そういう情報希少の人物なんだから
性格をどっちにも断定できないってことですよ。
荒法師が鎌倉に来て、頼朝の下でおとなしくしていた賢人と書いても、
(
>>406さんのはたぶん、永井路子の小説のイメージじゃないのかな?)
荒法師といわれてた時そのままで過ごしたのだとしても
他の兄弟とは違う立場にいた人間の視点をドラマで使うのは
面白いと思うという私見を書いたまでだよ。
425 :
日曜8時の名無しさん:2005/05/17(火) 17:29:15 ID:9A3EfdST
永井路子史観
426 :
日曜8時の名無しさん:2005/05/17(火) 18:21:12 ID:4jTRSQbv
>>424 歴史上の人物を「こういう人だ!」と断定し難いという意味ですね。
全成という人を荒法師だとか、違うとか決め付けるのはどうかと思
います。
他の歴史上の人物も同じ事だと思う。
427 :
日曜8時の名無しさん:2005/05/17(火) 21:19:16 ID:WPTv5uNJ
>>423 406書いた者ですが、単に子供の今若がなかなか聡かったので、
これが育った暁にはさぞや賢くなるだろうと思ったまで。
鎌倉幕府に参加していた人物だから、当然出るだろう…
というか、子役がそれなりにキャラ出してたから出るだろうと思った。
確かに永井路子というか「草燃える」のイメージもあるけど、
新解釈として、あの今若を原型にした誠実なやり手を期待したというのもある。
428 :
日曜8時の名無しさん:2005/05/17(火) 21:43:48 ID:gnpFEIjg
>>420 うちの先祖は板東八平氏の一つらしい。(本家に行けば、系図や寺の過去帳、板碑の類から、どの平氏川刈るはず)
で平氏と平家の違いは、平家という呼び方は平姓の氏族の呼称ではなく、伊勢の平氏一族=伊勢平氏一家=平家とその家人が
平家一門と呼ばれてると思われる。
源氏も同じ考えを適用すると源家=源一家=統領たる頼朝の直系親族で、カバちゃんや義経、武田、佐竹、木曾、新宮などは
源家ではなく、ただの源氏と考えれば問題なかろう(かな?)
>>427 今若の子役なんてなんの印象もない。台詞あったの?
おまえの言ってるのもしかして牛若じゃないのか?
430 :
日曜8時の名無しさん:2005/05/17(火) 22:14:14 ID:WPTv5uNJ
>>429 いや、寺に入った兄弟の兄貴の方。台詞はバッチリあった。
常磐との最後のやりとりで、常磐をハッとさせる賢さを見せていた。
ちなみに、その頃の牛若は天才赤ちゃんだった。
たしかに刀を母親に差し出して「仏門には無用です。」と言ってる。
432 :
日曜8時の名無しさん:2005/05/17(火) 23:25:24 ID:4jTRSQbv
>>429 貴方が見逃しているだけだと思いますよ。
私も今若の毅然としたセリフが印象的だったとです。
433 :
日曜8時の名無しさん:2005/05/17(火) 23:33:33 ID:WPTv5uNJ
>>431 そうそう。刀を拒否したへんに、全成の片鱗が見えたような気がした。
「刀を持たぬことが、私にとって生きのびる術なのです」ってのは深読みかな。
状況をわかっているとはいえない幼い故乙若との対比も良かった。
乙若、あんな小さくて母親と別れて、馳せ参じたと思ったら功を焦って死んじゃったんだなあ。
不憫だ。
434 :
日曜8時の名無しさん:2005/05/18(水) 02:10:06 ID:GNwnXo14
乙若は、義経よりちっちゃいときに母と別れたんだね。
でも、自分なりに考えて、義経より早く頼朝の元に来たんだ。
生き急いでしまった乙若のドラマも見たかった気がするな。
>>434 せめて「その時歴史が」でフォローしてください
史料ないから無理ぽ(´・ω・`)
436 :
日曜8時の名無しさん:2005/05/18(水) 03:40:49 ID:EJTCe1i+
乙若の子役かわいかったなぁ(;´Д`)
以下のように対比させる演出もありだったかも…
1.宗盛−頼朝(何を考えているか分かりにくい総帥)
2.知盛−範頼(手堅い戦上手)
3.重衡−義経(常識にとらわれない戦上手)
4.維盛、資盛−全成、義円(2、3の引き立て役)
5.時子−政子(陰で実権を握る女傑)
6.時忠−時政(5を利用して自分の勢力拡大を画策する)
>>435 「その時歴史が」って、前の義経編で「義経はこー考えていました」って決め付けが
かなり引いたんだけどな。間違ってはいないけど、決め付けるのもねぇって感じ。
439 :
日曜8時の名無しさん:2005/05/18(水) 12:00:58 ID:IPTKBfJH
>>437 ああ、いいかも。特に1。
1に関しては同い年だし。
440 :
日曜8時の名無しさん:2005/05/18(水) 12:12:51 ID:BNfsjBhz
八艘飛びっていうけど八艘の船に飛び移りながら戦った所から来たのかな?
頼朝が本当に大事だと思ってたのは母が同じ希義だけ。
希義を討った土佐の豪族への頼朝の仕打ちはすごかったんだじょ^^
444 :
日曜8時の名無しさん:2005/05/18(水) 19:30:14 ID:4f1D+VaM
スケベ殿にも大切な弟がいたんだ。へー、へー、へー
希義の仇への報復はどうすごかったの?
結局異母弟なんて家臣以下でしかないわけですね。
445 :
日曜8時の名無しさん:2005/05/18(水) 19:54:30 ID:m7uBb70Z
素敵^^
現代でも30歳過ぎて小さいながらも会社を興してこれからがんばるぞ
と思っているときに、一緒に暮らしたわけでもない上、初めて見る突
然現れた異母弟が雇ってくれと言ってもかわいくない。しかもそいつ
の母ときたら自分の母親から父親を奪った人だしねぇ。頼朝母、常盤
に入り浸る義朝に怒って実家に帰ったし。
同じ立場の全成と何が違ったんだろうね。
反政府団体を旗揚げしたら、会ったこともない異母弟が
自分も参加させてくれと現れた。
使える奴かどうかわからないけど、兵隊は多い方がいいので
仲間にしておこう。
って感じじゃないの。
448 :
日曜8時の名無しさん:2005/05/18(水) 21:31:25 ID:4f1D+VaM
頼朝母、実家帰っちゃったんだ。マジ?身分の低い常盤なんかに入れあげたのがよっぽど頭きたんだろな。
スケベ殿も幼い時傷ついたんかな。
449 :
日曜8時の名無しさん:2005/05/18(水) 21:33:05 ID:MDPxGSOV
妾腹っていうんだっけ 身分は雲泥の差だろうね
450 :
日曜8時の名無しさん:2005/05/18(水) 21:40:15 ID:CkBSGIjA
頼朝母が常盤の事で実家に帰ったって話のソース何?
451 :
日曜8時の名無しさん:2005/05/19(木) 02:08:40 ID:vvqB7S3L
>>441 戦ったっていうより、逃げていたんじゃなかったっけ?
452 :
日曜8時の名無しさん:2005/05/19(木) 07:05:11 ID:lNIwl72K
453 :
日曜8時の名無しさん:2005/05/19(木) 08:12:54 ID:wLURPgE+
>>451 五十歩逃げても百歩逃げても逃げたことに変わりは無い、という意味で
「五十歩百歩」という故事成語は生まれたが、
義経は「八艘飛び」によってこれを覆した!
454 :
日曜8時の名無しさん:2005/05/19(木) 08:19:27 ID:CpO9zrGk
義経相当美化されとるよな
455 :
日曜8時の名無しさん:2005/05/19(木) 08:22:10 ID:8z3Qi4DM
>>446-450 それって根拠のない俗説でしょ。
義朝の方が婿に入っていた可能性もあるし、
当時義朝が朝廷で有る程度の官職を持っていられてのは
正室の実家熱田大宮司家の人脈の乗っかっていたらしいから
妻をないがしろにしたら宮廷社会での立場が悪くなるわけだから、
義朝は妻を怒らせることができない立場だった。
それに、義朝には常盤以外に女は沢山いた。
いちいち頼朝の母が嫉妬していたとも思えない。
それに、俗説では牛若が生まれたとき怒って実家に帰ったことになっているが
史実では牛若が生まれた年には既に頼朝の母は死去している。
456 :
日曜8時の名無しさん:2005/05/19(木) 09:17:21 ID:Peom2r0N
>それに、義朝には常盤以外に女は沢山いた。
いちいち頼朝の母が嫉妬していたとも思えない。
そのとおりだよね。そもそも常盤が有名になったのは
義経が活躍して没落して世の涙を誘い判官びいきになったから。
牛若が他の兄弟と同じ程度の活躍なら常盤がクローズアップされる
理由もなかった。
反対に蒲冠者が義経ほどの世の涙を誘ったら池田の遊女の方が
いろんなエピソード付きで有名になってただろう。
義平や朝長が早死にせず活躍して没落して世のひいきを産んでいたら
その生母たちがきっと色々なエピソードと共に有名になっていただろう。
本スレより、判りづらくなってきたよ・・・ここ
458 :
日曜8時の名無しさん:2005/05/19(木) 11:10:45 ID:+b2HEt8W
いや別に
ん?何が?ちょっと読んでみるか・・・↑
頼朝、義経の兄弟について、皆さんそれぞれ思い入れがあるのかな?
461 :
日曜8時の名無しさん:2005/05/19(木) 11:22:51 ID:+b2HEt8W
三行以上読めないなら読めないとはっきり言えばいいのに
463 :
日曜8時の名無しさん:2005/05/19(木) 12:18:26 ID:juvdswUr
でも結局義経は行家おじさんを頼るしかなくなるんだよね?
たすかに義経が希義だったら相当扱いが違ったと思われ
465 :
日曜8時の名無しさん:2005/05/19(木) 13:00:05 ID:UMRUbGVZ
当時母親が違うと別々に育ったから異母弟は他人も同然。
希義だったら頼朝の考えを一番理解した弟になったかもしれない。
事実同母姉の夫一条能保とは頼朝はかなりいい関係を結んでいた。
余談だが能保も頼朝と同年生まれです。(宗盛もですが)
ただし、当時の坂東の状況を考えると同母でも
御家人との関係によっては悲しい結末になった可能性もあるが。
466 :
sage:2005/05/19(木) 13:22:56 ID:6r+I6xeT
希義は平治の乱後、土佐に流され、頼朝 の挙兵まで、この地で20年間待っ
ていたとか。流された時、幼少だった 希義も、20代後半の武士になっていた。
そこへ、頼朝が関東で兵を挙げたと いう知らせが密かに届いた。当時の土佐は、
おおむね平氏方だった。そこで希 義は穏密に仲間の夜須行家と連絡を取り合い、
鎌倉へ向かう段取りを進めた。
そして、決行の日、なぜかその計画は漏れていたのだった。川を渡れば、夜須
行家の領地はもうすぐというところで平家方の兵に襲われて、無念のうちに倒
れたのだった。
悲しい話ですわ・・。希義 は悲劇の武将ですよね。
名前にsage入れてしまった。
468 :
日曜8時の名無しさん:2005/05/19(木) 14:04:58 ID:P341Stxv
希義についての余談。
彼は平治の乱の後駿河に逃げていたそうですが
母方の伯父朝忠(系図上では範忠とされる人)によって
朝廷に差し出されたそうです。
そして、まだ元服前だったのですがそれでは流罪にできないとの事で
流罪にする為にわざわざ元服させられたそうです。当時9歳
そして、兄は東の伊豆、弟の希義は西の土佐に配流となり
一生再会することはありませんでした。
頼朝死没800年にあたる1999年二人の墓の土を交換して
兄弟再会させたそうです。
469 :
日曜8時の名無しさん:2005/05/19(木) 14:13:26 ID:OHNLPS8t
頼朝の姉妹はどんなこがいるの?
470 :
日曜8時の名無しさん:2005/05/19(木) 14:22:45 ID:P341Stxv
>>469 同母 一条能保室
平治の乱の後しばらくしてから一条能保と結婚
平家滅亡後鎌倉に下向して頼朝と再会。
1189年難産で死去
彼女の子供に参議高能、九条良経室、西園寺公経室、
後鳥羽天皇乳母大納言三位などがいる。
彼女の娘たちの血筋は宮廷社会に残り、皇室、摂関家へとながれた。
ちなみに鎌倉四代将軍頼経は彼女の曾孫である。
異母
青墓長者大炊の娘
「平治物語」では頼朝が死んだ際入水自殺したことになっているが
実際には生きていて都に上洛する頼朝と再会している。
また、多くの「平治物語」では母は延寿となっているが、
「吾妻鏡」によると母は大炊である。
江口遊女の娘
「平治物語」によると義朝が都落ちに際して殺させたことになっているが
現存するもっとも古い「平治物語」では記載なし。
後世に補筆された「平治物語」で追加でかかれた架空の人物の可能性がある。
471 :
日曜8時の名無しさん:2005/05/19(木) 14:53:27 ID:67VvSV4t
>>468 粋な計らいだ<兄弟再会
平安貴族の家族形態では、「母が同じ」っつのは凄い絆なんだよね。
頼朝もどんなに無念だったかね。
472 :
日曜8時の名無しさん:2005/05/19(木) 15:40:20 ID:OHNLPS8t
頼朝姉は平治の乱の後に結婚したんだ。
謀反人の娘になったわけなのに、よく一条家と縁組できたな。
これも母の実家の人脈ですか?
473 :
日曜8時の名無しさん:2005/05/19(木) 15:43:51 ID:vi87OEcY
>>472 頼朝の母の実家熱田大宮司家は上西門院(後白河院姉)の側近が多い。
一方一条能保の祖母は上西門院の乳母。
おそらくこの辺りの人脈がモノを言ったと思われる。
474 :
日曜8時の名無しさん:2005/05/19(木) 15:45:09 ID:vi87OEcY
>>473補足
二人の間に1167年九条良経室が産まれているので
その位までには二人は結婚していたものと思われる。
475 :
日曜8時の名無しさん:2005/05/19(木) 15:47:40 ID:9mjtlxNu
>>472 一条といっても、後の摂関家の一条ではない下っ端藤原なので注意。
476 :
日曜8時の名無しさん:2005/05/19(木) 16:03:21 ID:OHNLPS8t
常盤の再婚相手一条長成と親戚?
477 :
日曜8時の名無しさん:2005/05/19(木) 16:21:51 ID:dKsoszAR
>>476 両方とも藤原氏であるが、かなり前の先祖で枝分かれしている。
「一条」というのは「一条大路」に面した地域み住む人という意味で、
親戚ではないがご近所といった所。
478 :
日曜8時の名無しさん:2005/05/19(木) 16:24:30 ID:dKsoszAR
479 :
日曜8時の名無しさん:2005/05/19(木) 16:25:53 ID:OHNLPS8t
へー。頼朝の姉の嫁ぎ先と、義経の母の再婚先がご近所さんというのも何か奇遇だな。
当時の一条あたりって、高級住宅地なの?
480 :
日曜8時の名無しさん:2005/05/19(木) 18:32:38 ID:H5SkRnO/
>>479 当時の貴族の多くは一条から三条あたりに邸宅を構えていたようです。
しかし、平安末期になると六条から八条にかけて
院や女院の御所が立ち並ぶようになり
そこも貴族の邸宅が立つようになったようです。
一条から三条近辺は昔からの高級住宅地
六条あたりは新興住宅地といったところでしょうか。
481 :
日曜8時の名無しさん:2005/05/19(木) 18:34:09 ID:H5SkRnO/
>>472 平治の乱の後乱の首謀者として処刑された藤原信頼の娘が「信頼の娘」として女院に仕えています。
父親の地位にもよるでしょうが、女性にとっては父親の失脚は男兄弟ほどのダメージは無かった可能性もあるかも知れません。
482 :
日曜8時の名無しさん:2005/05/19(木) 18:54:40 ID:r0FLSuo0
清盛の弟の教盛の娘の子供が、平家滅亡後、平家が朝敵扱いになってから
天皇になったりしてるし、同じく清盛の弟の頼盛の孫娘も皇后になったり
してるから、女の場合はあまり関係ないと思う。
それだけ女系の価値はないものと見られていた。
女系の価値については分からんが。
まず、源氏物語などをみても、夫婦が離婚した場合、
男の子は父親のもとに、女の子は母親のもとに引き取られている。
基本的には男子は父親の政治的地位と、両親の財産を継ぎ、
女子は政治的地位は当然関係なく、両親の財産を継ぐ、というのが
平安時代の原則ではないかと。
当然、例外は存在するけど。
484 :
日曜8時の名無しさん:2005/05/19(木) 23:40:35 ID:oNiBtdTL
一条天皇の中宮定子は、父と兄が謀反の罪で流された後、
身分の剥奪自体はなかったものの、尼さんにさせられたんだよな。
でも、定子を忘れられなかった一条天皇が突撃して還俗させてしまった。
んでも宮中には戻れず、里もなく、皇后太夫かなんかの家を転々としながら
一条帝の子供を妊娠出産し、産後の肥立ちが悪くて死んでしまった。
485 :
日曜8時の名無しさん:2005/05/20(金) 08:32:55 ID:43s92PIy
>>484 徳子の場合は自発的出家。
隠遁したといわれる大原も当時はそんなに寂しい場所ではなかったらしく
実際には3年くらいしかすんでいなかったらしい。
ソースは詳しい題名を忘れたが、なんかの学術書。
486 :
日曜8時の名無しさん:2005/05/20(金) 08:36:13 ID:43s92PIy
>>485 定子と徳子を勘違いして書いてしまった。
定子の場合も周囲の状況がそうさせたという感じだったかな。
中宮であったが、道長の娘を中宮にするため
「皇后」にされてしまった。
「皇后」の方が格上ということにしていたらしいが
呈のいい言い訳だったらしい。
なんか、救うスレっぽくないけど、保守安芸
488 :
日曜8時の名無しさん:2005/05/20(金) 23:35:55 ID:foxWlrol
>>486 親兄弟が謀反人扱いされたときの、女性の扱いの一例として書いてみた。
連座するわけではないし、位を剥奪されたわけでもないが、
サラッと出家させられた上、その後宮中には二度と戻れなかった。
しかし、天皇の愛を受けることは出来たし、還俗して子供も産んだ。
ちなみに、彼女の兄弟の一人は件の政変で太宰権師になっているが、
任期中に大陸からの攻撃を防いでしまった。有能な人だったらしい。
定子ファソ熱いな。
定子の場合も兄弟への処遇に怒って抗議の自発的出家じゃなかったけ?
まぁ、そうせずにはいられない空気も漂ってたのかも知れんが。
ただ、周囲からは発作的出家と見られたようで小野宮の方などには不評でしたな。
中宮・皇后2后並立の論拠にされてしまったし。ある意味墓穴。
あんなふうに追い落とされたのは実に悲運だったが、
その不幸ゆえにより美しく語り継がれる面もあるかと。
隆家は気骨があっていい男だと思う。道長にも一目置かれてたよね。
てか義経から離れててスマソ・・・
立后については徳子もそうだし、
勃興する親の権力次第ではいろんな抜け道があったみたいね。
そこで今さらだけど徳子入内について質問です(`・ω・´) ノ
徳子が入内するかどうかのとき、摂関家の人がプンスカ怒ってましたが、
入内なんて何人でもできるのに、なぜそこまでこだわって反対したのですか?
武家の姫が入内した先例がなかったのですか?
それとも、清盛の娘が入内したら将来は立后するに違いない、
そんなの嫌だヽ(`Д´)ノ ウワァァン!!ということですか?
491 :
日曜8時の名無しさん:2005/05/21(土) 14:00:30 ID:84p6EFr3
>>490 摂関家も当時三分されていて
親平家=長男の子 基通(清盛の娘盛子の養子で妻は清盛の娘)
反平家=次男 基房(ドラマの中で怒ったり重盛と悶着起こした人)
圏外 =三男 兼実
という状況でした。
怒ったのは次男三男。
理由は
1)清盛の娘徳子が法皇の養女として入内した場合将来立后。
中宮の娘が皇子を産んだ場合その子が次期天皇となるのが濃厚
その結果親平家の基通のみ美味しい思いをして自分達は政界の圏外にやられる。
2)自分達も娘や養女を天皇の側に送り込みたかったが
どうやらそれができない状況になったしまった。
立后よりも次期天皇とそれに伴う摂政が誰になるかの問題
(つまり藤原氏の内輪もめ)
が大きかった。
492 :
490:2005/05/21(土) 15:03:25 ID:Zrhi071O
>>491 詳しい解説をありがとうございました。
摂関家にも親平家派がいるだなんてまったく知りませんでした。
あの基房の怒りは、公家をないがしろにする清盛の横暴に向けられたというより、
摂関家内で基通が一人勝ちすることを危惧していたのですね。
では基通の方には、摂関家内で基房達よりも優位に立つために
「平家を利用している」という意識もあったのでしょうか。
それにしても2)はなんだかなぁ。
摂関家の常套手段が使えない状況になってしまう摂関家なんて…
493 :
日曜8時の名無しさん:2005/05/22(日) 13:13:45 ID:lcvRirBm
保守
494 :
日曜8時の名無しさん:2005/05/22(日) 20:01:03 ID:qB2fEAwj
>>492 >では基通の方には、摂関家内で基房達よりも優位に立つために
「平家を利用している」という意識もあったのでしょうか
摂関家自体がその頃勢力を失って有力な後ろ盾なしには
立ち行かなくなっていた。
そういった意味では基通側も平家との提携は必須だった感があります。
495 :
日曜8時の名無しさん:2005/05/23(月) 06:26:51 ID:M8yO105z
昔の話ですが以仁王の令旨で源氏があちこちで決起しますが
平家はなぜ法皇や天皇にせまって院宣などを出させて
対抗しなかったのでしょうか?それともしたのでしょうか?
大河の中でもみたちが法皇が院宣を出せば対抗できるといった
意味のことを言ってましたよね。
法皇を幽閉した清盛が生きていたころならできたと思うのですが。
496 :
日曜8時の名無しさん:2005/05/23(月) 09:10:49 ID:h1qhsHGJ
>>495 木曽義仲が上洛するまでは
「平家が官軍」で「以仁王に与力」する人が官軍。
なにしろ天皇と院を手の中に入れているのは平家だったから。
以仁王自体がそれまでは都では「謀反人」扱い。
平家都落ちの際、法皇を取り逃がしたことが平家が「賊軍」になったきっかけ。
文覚の院宣を出さなかったから・・・
498 :
日曜8時の名無しさん:2005/05/23(月) 09:14:52 ID:h1qhsHGJ
>>496 ×「以仁王に与力」する人が官軍
○「以仁王に与力」する人が賊軍
義仲に付いてもらって都へ帰るんだよね、法皇様。見捨てられた平家
500 :
日曜8時の名無しさん:2005/05/23(月) 09:18:14 ID:3ry5SLYf
500(*´・д・)(・д・`*)エー
>>494 ありがとうございました。
公家でもっとも格の高い摂関家も、今をときめく平家も、
自分たちの力だけではやっていけなかったのですね。
大変だったんだなぁ。
なんで、大河で描かれるちと前の時代の源氏は、通字って概念が無いんだろ。
為義、義朝、為朝、頼朝、範頼、義仲、義経。「義」が多いけど、統一感は無いな。
って下がっていたので、上げます。ずいぃぃーんと
503 :
日曜8時の名無しさん:2005/05/24(火) 09:48:44 ID:fE54Tfax
源氏の場合「義」か「頼」が通字に相当すると思われる。
もう一つは烏帽子親などとの関係では?と思われる。
ちなみに平家は「盛」か「衡」
146 名前:日曜8時の名無しさん :2005/05/24(火) 10:00:02 ID:6Pg3KK/m
義高を、頼朝が「強引に差し出せ!」みたいな感じでしたが
本当の所はどうなのでしょう?
義仲の方から差し出したという事は考えられませんか?
史実ではどうなんしょうか
>>504 史実的には微妙ですね。
義高を人質として差し出したとする史科も確かにあるようです。
あと、強引に差し出せ!って感じだったかな。
本音はそうだとしても、一応 友好的に婚儀申し込みだったように見えましたが…。
本当に強引に差し出させようとすれば角が立つ。だから、婚儀という形式で申し込むという
ブラック頼朝の一面を見るようなシーンだったように思います。ま、ある意味 強引かw
506 :
日曜8時の名無しさん:2005/05/24(火) 10:25:56 ID:6Pg3KK/m
言葉的には温和でしたが、唐突でしたからね。
数回密談なり密書なりの根回しの後の、結婚だと
思ってましたから・・・友好的には見えませんでした・(トホ
>>504 頼朝「お前の子供を人質に差し出せ」
義仲「お前の子供の婿になら出してやる」
って感じ。
105 名前: 日曜8時の名無しさん 投稿日: 2005/05/24(火) 17:03:24 ID:BZmv2oa5
奥州平泉ってゴールドラッシュでできた町みたいなもん。
金鉱の掘り起こしのために人が一時的に集まった。
金が採掘できている間は金持ちだったけど、金が採掘できなくなると衰退。
奥州17万騎を信じているアホはさすがにいないだろうけど。
これってマジ?
509 :
日曜8時の名無しさん:2005/05/24(火) 18:22:53 ID:kIDV78N7
>>508 まず、奥州は中央から遠すぎて十分な史科は無いって事を前提として。
奥州が歴史上に出てくるのは、9世紀頃。安部・清原両氏が支配してます。
源義家(義経の先祖)が阿部氏と戦ったりしますが、最終的に藤原氏に統治が移ります。
これが10世紀半ば。以降4代(秦衛入れて5代)100年の藤原氏支配が続きます。
一時期人が増えたかどうか知りませんが、鎌倉幕府の統治下になるまで200年以上の歴史あり。
金山(正確には砂金)を元に経済豊かだったのも事実ですが、他にも名馬も産出してます。
あと、本スレでもありましたが、独自の貿易ルートがあって、そっちでもかなり儲けていました。
奥州17万騎に関しては、記述通り信用できないですね。
基本的に軍隊の数は、まず間違いなく嘘です。多かったり少なかったり、正確な数値は公表しませんね。
ただ、"17万という軍隊を動員出来ると思わせる" だけの経済力があったという事にはなりますね。
頼朝の軍勢は28万4戦騎・・・というから〜
>>508 「いとしのクレメンタイン」が奥州のテーマソングです
512 :
日曜8時の名無しさん:2005/05/25(水) 09:11:34 ID:Taa4nV+P
284,000騎って、中途半端だな。
280,004騎?
最初の1千騎が1万騎〜2万騎になり〜
頼朝の軍勢は、比企能員と宇佐美実政等の集団とも合流して
最終的に28万4千騎(郎党、馬周りの歩卒なども含)となったそうな
515 :
日曜8時の名無しさん:2005/05/26(木) 05:23:00 ID:Ak//BYYG
保守
来週あたりから 頼朝への「法皇様」の密書密使とか出てくるのかな?
何もなくてもドラマとして成り立つの?
517 :
日曜8時の名無しさん:2005/05/27(金) 08:49:43 ID:Kej8ovps
>>516 そういうシーン出て欲しいのですが、
TV雑誌を読む限りではなさそう。
その上史実捻じ曲げて、範頼・義経の出陣をかなり前倒ししているし。
決起の時も、文覚の「宣旨」無かったし、
裏で法皇と頼朝が通じているから両人の怖さが有るわけで・・・
519 :
日曜8時の名無しさん:2005/05/27(金) 10:45:56 ID:VPJ+Pxc0
「どくろを前に頼朝に訴える文覚」をやれば見ている側に
キョーレツな印象を残したのになんでやらなかったんだろう?
やっぱり源平物は、見る側も「源平お約束物」をどう処理するかも
楽しみにして見ているわけでやってほしかったなぁ。
まぁ絵本の世界のような幻想的な五条の大橋は(賛否両論あるけど)
個人的にはベリグーだったけれど。
そうですね、「どくろ」は創作だけれどインパクトが有るし、
やっても良かったと思う。
頼朝の決起の気持ちがはっきりとして分かりやすい。
なんだかいつの間にか鎌倉殿になっちまった気が。。。
521 :
日曜8時の名無しさん:2005/05/27(金) 14:38:23 ID:aLqOxaO7
>>520 宮尾本でもそのあたりをきちんと書いてあった。
結構いい文章だったのにカットで残念。
保守
「髑髏」は嘘だろうけど、文覚が、法皇と頼朝の間に入って
何かやってた事は有りえるのだから、そこんとこをねぇ
スルーしちゃったのが残念。
文覚って「草燃える」では確か観世栄夫が演じてたな
一回きりの出演だったけど
525 :
日曜8時の名無しさん:2005/05/28(土) 22:38:06 ID:7UBUEiao
>以前、頼朝の妻、政子の取材をしたことがあるのですが、彼女も強い女性ですよね。彼女は美しい妹が頼朝の妻になるという話が持ち上がっていたとき、
>頼朝が「ただものじゃない」と感じたのでしょうね、妹にウソをつき、家臣を言いくるめて、自分が頼朝の妻になってしまうんです。
↑
ここの事情に詳しい人いますか?
結婚してからも頼朝の愛妾の家を焼き払ってしまったりして、怖い女性というイメージが強いですよね。
あの時代、身分のある人が何人も妻を持つことはあたり前だったのに、「私は嫌だ」と意思表示できることがスゴイと思うんです。
それに頼朝にとっても、ベストパートナーだったと思いますよ。
北条家の財力がなければ、頼朝は何もできなかったし。頼朝も冷静で頭のいい人ですが、彼にはないカンみたいなものが政子にはあって、
政治的にいいアドバイスをしてたと思います。
>そして、静御前にも強さを感じるんです。彼女がしていた白拍子は、今で言う女優で、歌舞を男装しながら舞ったり、
歌ったたり、奏でたりするのですが、当時女性が自活していける職業のナンバーワンだったそうです。
彼女のお母さんも白拍子で、自分の力で生活していくという意思があったのかもしれませんね。
義経と別れて、頼朝に捕らえられたときに、詠んだ歌に心打たれました。最愛の人の命を脅かす張本人の前で、
義経への愛を詠ったのですから。「殺すなら、どうぞ。私は怖くありません」というような強い気持
義経の母、常盤御前です。もともとあまり身分の高くない家に生まれたそうですが、
いわば都の美人コンテストのグランプリを獲得した美貌の持ち主で、源氏の総大将のもとへ嫁いだそうです。
そして夫を殺した平家の総大将に「私は殺されてもいいから、息子たちだけは命を助けてください」と直訴したそうです。
結局、あまりにも美しいので夫の敵の愛妾になるのですが、とにかく子どもたちの命を守ることに懸命なんです。
常盤御前は、3回結婚して、それぞれの夫に子どもをもうけています。
時代に翻弄された可哀想な女性というより、私は、自分のできることを精一杯した強い女性に思えます。
もしかすると義経の理想の女性はこの常盤御前
長すぎて...
528 :
日曜8時の名無しさん:2005/05/28(土) 22:54:36 ID:7UBUEiao
八艘飛びはなんだかわかる?
>以前、頼朝の妻、政子の取材をしたことがあるのですが、彼女も強い女性ですよね。彼女は美しい妹が頼朝の妻になるという話が持ち上がっていたとき、
>頼朝が「ただものじゃない」と感じたのでしょうね、妹にウソをつき、家臣を言いくるめて、自分が頼朝の妻になってしまうんです。
↑
ここの事情に詳しい人いますか?
529 :
日曜8時の名無しさん:2005/05/28(土) 22:56:49 ID:luC1r8cQ
曽我物語の夢買いの話か?ただの伝説だろw信じてる人いるんだな・・・
山木との結婚と夢買いと妹へのラブレターは
いまだに本当にあったように語られるのね。
531 :
日曜8時の名無しさん:2005/05/28(土) 23:27:37 ID:RaQ6ZX6H
>>528 八艘飛びは、教経から逃げるためにジャンプして
八艘向こうに行ったという平家物語の逸話ですよ。
で、義経を取り逃がした教経は自分が生け捕りになってやろう
と大音声で言い、近寄ってきた源氏方の武将二人を抱えて
死出の旅路の共になれとかいって、壇ノ浦にDIVEするのですよ。
532 :
日曜8時の名無しさん:2005/05/29(日) 08:00:32 ID:TXJUdzzJ
>>528-530 それは「曽我物語」に出ている話です。以下その中の話
頼朝の最初の恋人は伊東祐親の娘八重姫でした。
ふたりの間に子供まで産まれましたが八重姫の父祐親は二人の仲を引き裂き
子供を殺してしまいました。
この理由の一つが八重姫が先妻の子供であったため後妻があえて二人の仲を裂いたとの事。
その後頼朝は北条家に目をつけますが
その北条家にも先妻の娘政子と後妻の娘達がいました。
伊東家で懲りた頼朝が今度は後妻の娘である政子の妹に恋文を届けさせようとします。
しかし、間に立った家来は妹よりも政子の方が頼朝にふさわしいと判断して
政子に文を届けそれが二人の恋のきっかけになります。
ちょうどその少し前、政子の妹が玉の輿に乗るという夢を見ます。
それを聞いた政子が妹の夢を言葉巧みに買い取ります。
533 :
日曜8時の名無しさん:2005/05/29(日) 08:00:55 ID:TXJUdzzJ
しかし、上記の内容は「曽我物語」に出ている内容で信憑性の薄い
フィクションと考えた方がいいようです。
政子の妹の話も時政の後妻牧の方と政子が年齢が近かったことを考えても
異腹の妹に適齢期の娘がいたとは思われないそうです。
山木の婚礼の話も
山木が目代になったときにはすでに大姫が生まれていたので
フィクションの可能性濃厚です。
山木エピを小説に書いた永井路子さんもフィクションと知っていて
あえて書いたと別の所で書いておられます。
日本史における運命の出会いみたいな感じがするから
頼朝と政子の結婚って創作話多いね。
吾妻鏡記述の本人の「父に監禁?されてた中、会いに行った」
から派生していろいろな話が作られたんだろうな。
疑問
夕べの「不思議発見」の義経の肖像画は、今までのとは違って
「ガッツ石松系」でしたが。あの画の信憑性は何%でしょうか?
父親が同じなのに頼朝は「弥生系」で義経は「縄文系」とはっきり
違っています。
勇士「義経」を印象付けようとして書いた想像性豊かな作品でしょうか?
そもそも頼朝とされる肖像画自体、別人(足利直義だっけ?)説が
強いんでしょ
頼朝だと思われてた肖像画が直義で、平重盛だと思われてた肖像画が尊氏らしいね。
肖像画の信憑性なんてその程度。
では、あの教科書の「尊氏」の画は誰?
>>538 俺が高校生の頃は高師直である可能性が高いと教科書に書いてあった。
>>538 うろ覚えだけど、高師直説があったような。
てゆ〜か、それじゃ歴史って真面目に覚えなくてもいいじゃん!
日本の石器時代の年代やら、最古に日本列島に人類が住んでた時代が
コロコロ変動しちゃってるし。捏造しちゃう人も居たりで・・・
本当毎年勉強しなくちゃいけないですね。。。(汗
543 :
日曜8時の名無しさん:2005/05/29(日) 18:17:40 ID:cNEj2Ui7
∩
_( ⌒) ∩__
/ /,. ノ ̄\ / .)E)
/i" / /|_|i_トil_| / / / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
|ii.l/ /┃ ┃{. / / < ぱいぱい ボイン!保守!ボイン!
|i|i_/''' ヮ''丿i_/ \___________
i|/ ,ク ム"/ /
|( ヽ -====-\
ゞヽ 三 ) ))
\ヽ ノ
544 :
日曜8時の名無しさん:2005/05/29(日) 18:35:43 ID:fOy5XKm0
二位尼って何って読むの?
にいに?
545 :
日曜8時の名無しさん:2005/05/29(日) 18:37:52 ID:uOjOrb8O
にいちゃま
>>542 ∩
_( ⌒) ∩__
/ /,. ノ ̄\ / .)E)
/i" / /|_|i_トil_| / / / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
|ii.l/ /┃ ┃{. / / < 鎌倉幕府も1192年設立じゃなぞ!ボイン!
|i|i_/''' ヮ''丿i_/ \___________
i|/ ,ク ム"/ /
|( ヽ -====-\
ゞヽ 三 ) ))
\ヽ ノ
政子頼朝と義経の清盛話が妙な感じに思えたんですが
頼朝が天を仰いで語ってるてのが特に
もうちょっとちゃんとやってくんないと
地理感のない漏れにはさっぱしついていけないじゃないか。
戦シーン全部やれとか言わないけど
せめ義仲がどれくらいの勢力伸ばしてたとか、
どういう進路で兵を進めたとか
地図の上をピューって矢印が進む糞アニメでいいからやってくれ。
じゃなきゃ今日分かったのは
これもり弱杉!!くらいだもんな。
550 :
日曜8時の名無しさん:2005/05/29(日) 22:14:02 ID:WxHip6nY
倶利伽羅峠がイメージ映像と絵だったのが、
「その時」みたいでちょっと悲しかったです。
今回斬首された平塚なんとかは実在の人物?
552 :
日曜8時の名無しさん:2005/05/29(日) 22:16:11 ID:KlgHvQ5D
>>551 今まで色々な本を読んでみたが今までどこにも出ていない。
たぶん切られる為につくられたオリキャラだと思うが、
もし、実在情報をもっている方がいたらよろしく!
553 :
日曜8時の名無しさん:2005/05/29(日) 22:17:53 ID:WxHip6nY
>>552 元になるようなネタはあったらしい。
本質を覆すようなアレンジが行われて原型をとどめていないようですな。
冒頭見逃した 平塚「よしさと」←どんな漢字でした?
555 :
日曜8時の名無しさん:2005/05/29(日) 22:22:19 ID:KlgHvQ5D
>>553 それってもしかして千葉県有力豪族の件ですか?
>539、540
高師直って、忠臣蔵の人だっけ?
557 :
日曜8時の名無しさん:2005/05/29(日) 23:46:39 ID:Dsg1uz14
>>556 太平記ね。
鎌倉時代のどんづまりで活躍。
>>539-540 高師直かその息子師詮ではないかとされているが、
特定できていないので今は「騎馬武者像」とされる事が多いはず。
>>556 高師直は鎌倉末期〜南北朝時代の人で、足利尊氏の執事。
太平記に出てくる。
>>556 尊氏の執事だよ。バサラとして有名。
彼は最終的に敗戦者になるので尊氏よりは
騎馬武者像の可能性が高いと言われてる模様。
まあ仮名手本忠臣蔵があるから、
高師直=忠臣蔵の人?っていう556もあながち間違ってないw
562 :
名無しさん@:2005/05/30(月) 05:49:38 ID:i5Yp4i+h
スターウォーズに置き換えてみるとあら不思議、
日本史も生き生きしてくるではないですか!
鎌倉前後に置き換えてみると・・・・・
・政治的に全く機能しない朝廷支配体制
(朝廷が共和国で、藤原家がジェダイ)
↓
・鎌倉殿の布武による実力支配
(鎌倉殿はパル、北条家がベーダー、平家は分離派)
↓
・後醍醐による建武の新政
(朝廷政治復活、ルークは尊氏か正成)
ベーダー=北条家なので、当然主を殺して自分が置き換わる
予定であった。アナキンはルークが北条一族だと思い込んだ
のが誤算。実は尊王攘夷派だった。なのでやっぱり正成か?
当然反乱軍が後鳥羽であり後醍醐となる。
563 :
日曜8時の名無しさん:2005/05/30(月) 08:54:03 ID:dw3dLAZn
質問ですが、
義経の家来は出陣の時、馬ひきの少年以外はそれぞれ自分の馬に乗っていたけど
それなりの身分になっていたのですか?
>563
なるほど、ちょとおもしろい。
ということは小説版で新生共和国がすぐ瓦解するのは新政の失敗、
その後の銀河の動乱が南北朝時代に続いていくという事ですね。
565 :
日曜8時の名無しさん:2005/05/30(月) 11:37:47 ID:l19gZn8s
スターウォーズと言えば・・・
今度ゴジラがファイナルだから
「ガメラ」が子供の見方として映画化されるようですよ(本当)
566 :
日曜8時の名無しさん:2005/05/30(月) 11:37:57 ID:gFum01VE
>>552,553,555
関連
本スレ800と金子のせいで〜スレの622に書いてあった。
平塚なんとかを予告で見たときは上総介広常かと思っていたのだが・・・。
広常は勢力を誇り己の意見を誇示しすぎて頼朝の目の上のたんこぶになってしまい、
頼朝の意を含んだ景時にだまし討ちにされるんだが、
存在的な意味合いは一緒なのに何故架空の人物にすりかえる必要があるのか疑問。
568 :
日曜8時の名無しさん:2005/05/30(月) 13:12:23 ID:JdchTGId
>>567 確かに
史実どおりの上総介抹殺を行ったほうが
頼朝がいかにグラグラの支持基盤の上に立っていたのかということの
説明がついたのに。
569 :
日曜8時の名無しさん:2005/05/30(月) 13:43:50 ID:gFum01VE
わざわざ変える必要性はなかった。
史実でやった方が「義経」でこの時代に興味を持つ人に
親切だと思う。
570 :
日曜8時の名無しさん:2005/05/30(月) 13:45:26 ID:MUpI42c3
史実通りの人物にしてしまうと、
詳細が全然違うことを責められるからではないだろうか…
制作も脚本家も史実なんぞどうでもいいと思っていそうだから、
広常で行こうと思ったら、時代考証の先生に「名前変えろ」言われたんだったり。
571 :
日曜8時の名無しさん:2005/05/30(月) 13:46:08 ID:MUpI42c3
史実どおりにやるべきだった、に激しく同意
572 :
日曜8時の名無しさん:2005/05/30(月) 13:50:19 ID:n4+QMsny
史実どおりやると、子孫からの苦情がすごいんじゃないの?
子孫なんかいるかわからないけど自称で平塚に系図を結びつけている
だけの人が怒りそう
出さなかっただけで地元まで騒ぐらしいから
ヘンな扱いにしようものなら
573 :
日曜8時の名無しさん:2005/05/30(月) 14:02:26 ID:MUpI42c3
>>572 だってさ、昨日の扱いの方が酷かったじゃん。
俺的に、どうも「上総介広常=小松方正=名和長年」のイメージが強烈すぎる
最近では、若かかりし方正が悪源太義平に従い平治の乱で奮戦する妄想が...
>>574 そうそう。
大河ドラマでは「小松方正=品のない田舎の豪族」がデフォルトなんだよね
だいぶ前に亡くなったけどご冥福をお祈りします
576 :
日曜8時の名無しさん:2005/05/31(火) 09:20:17 ID:FBeYo+Dt
hoshu
577 :
日曜8時の名無しさん:2005/05/31(火) 10:58:22 ID:1KaHSDPa
史実通りにやると遺族等から抗議された頼朝が、
あっさり謝るところまでやらなきゃならなくなる。
「行家」と「義経」は尼崎から逃げようとしたってありますが、
何故「行家」は「義仲」追討の時に殺されなかったのですか?
口が上手かったからですか?
でも、なんで「義経」は「行家」を頼ったのでしょう?
>>567 真実は、上総権介広常をやっちゃったのか?
知らなかった・・・
>>578 義仲と行家は上洛してしばらくすると不和になります。
そしてそれぞれ単独で行動を始めます。
独自で平家を追討しようとした行家はまた負けて河内に逃げ込みます。
義仲にも追討軍を差し向けられますが、負けてまた逃亡。
そうしているうちに鎌倉軍が義仲を追討してしまいます。
その後は河内・和泉に行家勢力圏を構築。
鎌倉側とは一線を画する。
平家滅亡後一連の行家の行動を「謀反」とみなした頼朝は
彼の追討を決意。
それを知った行家は同時期に鎌倉追放になった義経にたくみに接近。
その後はご承知の通り失敗、逃亡、殺害されるです。
581 :
日曜8時の名無しさん:2005/06/01(水) 10:19:48 ID:pcYW1ohz
>>579 テレビのように面前で正しく斬首などというまっとうな方法でなく、
又、まだそんな絶対的な力もなかった頼朝は梶原景時を使ってだまし討ち。
どんな方法かというと梶原が上総ノ介と碁か将棋をして、そこで勝負事を
イカサマ呼ばわりで有無も言わさず短刀で刺殺。
こんな感じで梶原は頼朝が直接やりたいが出来ない裏のきたない仕事を
一手に引き受けて厚い信任を得た。
頼朝と景時の間に、よほど強くて深い絆が無ければ、
そのような仕事は頼めませんね。
つまり事故か過失か分からないように殺ったってことですね?
藤原秀衡の未亡人「泉の方」(泉禅尼)が
泰衡の一子「万寿丸」を抱いて亡命した、とありますが。
岩手県外ヶ浜の叔父さんの所へ行って、
その後は行方不明なのでしょうか?
子孫の方はいるのでしょうか?
安達盛長の娘が源範頼の室で。
景盛の娘(松下禅尼)が北条時氏に嫁ぎ「経時」と「時頼」を産み。
北条時宗は泰盛娘を娶り「貞時」が産まれてますが。
何故 安達氏と北条氏はこのように姻戚関係を結ぶ必要があったの
でしょうか?
他の御家人では駄目だったのでしょうか?
それと、景盛は「頼朝」の子供だったという説はどうでしょう?
嘘だとは思いますがホントだったら面白い。
585 :
日曜8時の名無しさん:2005/06/01(水) 14:11:34 ID:bytBILGh
>>584 北条氏は最初から幕府の有力者とみなされていますが
実際には頼朝の姻戚だというだけで、
実力的には大したことはありませんでした。
そこで、北条がとった作戦は「婚姻で仲間を増やせ作戦です」
もちろん他の豪族も同様の作戦を取っていたのですが。
そうこうしているうちに北条と緊密な関係をもつ豪族というのが
発生してきます。
足利、小山、安達などです。
実を言えば、鎌倉時代中期までは有力御家人の合議政権で
そのリーダーが執権という位置づけだったそうです。
そして、合議制のなかの有力メンバーの中の一つが安達だったようです。
つまり、安達氏は北条にとっては欠かせない有力なパートナーだったのです。
そして、その関係をより緊密にする手段の一つが「結婚」だったのです。
また、もう一つの北条の有力パートナーである(というには微妙なところもありますが)
足利氏の正室もほとんど北条家の女性です。
586 :
日曜8時の名無しさん:2005/06/01(水) 14:20:39 ID:Sxu8rksE
>>585 何故 三浦氏や畠山氏や千葉氏ではなかったのでしょうか?
そうそう、梶原氏は?
派閥違いみたいなもの?
587 :
日曜8時の名無しさん:2005/06/01(水) 14:29:07 ID:bytBILGh
>>586 三浦は泰時の妻が三浦氏(離婚したけど)
畠山も時政の娘の一人が重忠の妻
というわけで一時期は提携していたが
畠山は武蔵の国の権益を巡って北条のもう一人の娘婿の平賀氏と対立。
三浦は味方になったり敵になったりとぐちゃぐちゃ。
結婚してもずっと味方というわけではなかったと思う。
頼朝死後の政界はドロドロだったし。
梶原の場合は最初から圏外。
理由の一つとして
梶原景時の妻は頼家の乳母。
北条氏出身の阿波局は実朝の乳母。
次期将軍の座を巡って対立関係にあったと思われる。
588 :
日曜8時の名無しさん:2005/06/01(水) 14:33:31 ID:Sxu8rksE
なるほど〜だからみんな潰されちゃったのか・・・
現代なら失脚だけで済むものを・・・
589 :
日曜8時の名無しさん:2005/06/01(水) 16:25:53 ID:Cpy4CNQ2
比企氏は頼朝の乳母だし、頼家の後見家族でもあり、頼家の子供(長男)も
生んでその又源氏の嫡流の後見人でもあったけれど北条家に潰された。
それが又、だまし討ちだ。
頼家が病気になった時比企氏を見舞いに呼び寄せて
何も疑わず丸腰でやって来た所を待ち伏せしてばっさりやってる。
北条が後見家族をしていた次男の実朝に将軍職を継がせるため、
頼家と比企氏の娘にできた嫡流系の子供もその時一緒に始末してる。
頼家は助からないだろうという瀕死の病気だったが持ち直してしまった。
だから意識が戻った時、自分の育った「めのとの家の養い親」「自分の妻」
さらに「自分の子」を殺され発狂寸前に怒った事だろう。
しかし北条に先を越され幽閉され、自分も殺される。
まさしく血で血を洗う御家人抗争を勝ち抜いて実朝を将軍に就け、
北条は力を手にする。もともと弱小な御家人が結婚と知略と先制で
殺し合いトーナメントを勝ち抜いた。
あー、やだやだ
なるほど〜よけいな血が混ざってるから孫まで殺したのか・・・
なんで孫を殺したのかその意味が分からなかったんだよね。
まぁ頼家の政治も良くないけど・・・
でも政子は悲しんだのではないの?⇒頼家と一幡が亡くなって。
ヘタに将軍専制を目指したのがマズかったんでないの?>頼家
晩年の頼朝が目指したものを目指したとも云えるのかも知れんけど。
そのせいか、昔から頼朝の死も暗殺だったんじゃないかと疑われてるし。
御家人たちにとってみれば、
源氏一族再興のために旗揚げを助けた訳ではサラサラないしねぇ。
合議制でやろうとしてたモノを、
いきなり二代目坊ちゃんが独裁に持っていこうったってそりゃアンタ。
頼家があまりに比企べったりだったから警戒されたのもあるかもね。
なんにせよ、政治抗争でどちらが一方的な悪ということはないんじゃないの。
旗揚げ最初の頃はある程度目標が同じ方向へと向かっていたかもしれないけど、
徐々に亀裂が入っていく〜。まだ完璧な政治体制が整ってない最中の頼朝の死。
ぼんくら頼家を比企氏に取り込まれたら北条家は危機!だと察し、比企氏を騙し討ち?
でも頼朝も梶原氏や畠山氏や三浦氏などを頼りにしていたわけなので、
という事は、いずれは頼朝も暗殺されていたの?(暗殺説もあるが)
でないと頼朝のお気に入りの御家人(実力も有るし役に立つ)
ばかり殺されるのは変ではないですか?勘違い?
>>593 滅ぼされていない御家人もかなりいますよ。
安達、足利、小山、宇都宮、結城、千葉など
頼朝お気に入りを北条が殺したいうよりもそのときの状況で
脱落したと見るべきなのでは。
安達などはむしろ頼朝のお気に入り中のお気に入りだったのでは
ないでしょうか。
逆に状況によっては北条のほうも途中で滅んでいた可能性も
あったと思います。
他に御意見はありませんか?
鎌倉七口を教えて下さい。
あと 「化粧坂」けわいさか⇒この呼び名の意味は何でしょうか?
すっごく気になります。鎌倉武士と「化粧」との関係は?
598 :
日曜8時の名無しさん:2005/06/03(金) 07:04:29 ID:6UBfG+TP
>>594 そのとおりだね。我々は後の時代から歴史を見ているから
最終的に勝者になった北条を過大評価してしまうきらいがある。
ねんじが旗揚げの時に「北条が出せるのは数騎」と言ってた位で
もともとは北条も弱小豪族の一つに過ぎない。
頼朝との婚姻と実朝の後見がのちに役にたったが、豪族同士の
「殺し合いトーナメントを勝ち抜いた」はちょっとオーバーかも
しれないが、他豪族の懐柔や先制攻撃など上手に立ち回って
汚い手も使って苦労して地位を手に入れたのは、間違いない。
つぶされなかった豪族も上手に立ち回ったと言えるだろう。
反対に北条は弱小豪族なのに最初は頼朝との婚姻のみで大きな豪族達と
肩を並べていたのだから、そっちから見れば目障りで潰したい豪族
NO,1だったのではないか?
反対に言うなら潰されなかったのだから処世術は代々目を見張るものがある。
599 :
日曜8時の名無しさん:2005/06/03(金) 10:00:22 ID:sseOxvFn
>>584 亀レスですが
「安達景盛が頼朝の落胤説」当時からあったようですね。
(何かに書いてあったらしいのですがソースは忘れた)
この背景として
景盛の母が頼朝の乳母比企尼の娘で頼朝に近い存在だった事
乳母やその関係者が養い君の「最初の相手」であった場合が多かった
ので景盛の母が「そういう関係」にあった可能性があった事
ですが真相はわかりません。
600 :
日曜8時の名無しさん:2005/06/03(金) 10:04:57 ID:OdvBdlnq
そうなんですよね〜
史料によるとはっきりと否定してないところがあやしいんですよね〜。
可能性はあった、くらいのもんでしょうかねぇ。
601 :
日曜8時の名無しさん:2005/06/03(金) 10:22:57 ID:6UBfG+TP
もともと都育ちで平治の乱の折には元服も済ましていた
手の早いスケベ殿の事だから、無いとは言い切れないねぇ。
比企氏も頼家の養い親だが、娘は頼家の子供を産んでるし
当時は普通によくある事だったからねぇ。
602 :
日曜8時の名無しさん:2005/06/03(金) 11:26:04 ID:sjzITsKO
頼朝乳母「寒河尼」も頼朝の子を懐妊したまま小山政光に嫁したとも
言われてますが(宗朝→朝光)こちらの方は確かではなく
烏帽子親だったから「頼朝子」だと家系図に書かれているみたいですね。
でも小山も安達も残ったという事は何か関係があったのかな?
とも疑いたくなりますよね。
後の結城合戦で、結城氏朝が腹を十文字にかき切って無念の最期を遂げた。
とありますが、頼朝の血を受け継いでいたのかなとも思ったりもして・w
603 :
日曜8時の名無しさん:2005/06/03(金) 16:23:39 ID:LJQwP9/U
じゃあ、島津家の比企尼娘丹後内侍が頼朝長子を産んでうんぬんという
あの系図は、その説からきてんのかな。比企尼長女は安達の嫁だもんね。
604 :
日曜8時の名無しさん:2005/06/03(金) 17:48:35 ID:C/Cuc/ia
小説とかじゃ範頼は無能扱いされてるが、どう見ても無能には見えないのは俺だけ
ですか?義経みたいな華麗さはないけど、山陽道を制圧したり、九州の平氏軍を
破ったり、壇ノ浦で陸から義経を強烈に援護したりと普通に名将に見えるんですが。
605 :
日曜8時の名無しさん:2005/06/03(金) 19:39:09 ID:6WSV8sK7
>>603 丹後内侍にとって安達盛長は二度目の夫です。
最初の夫との間に島津忠久、若狭忠季をもうけていたようです。
最初の夫は惟宗広言説がありますが、その否定説もあります。
ただし、少なくとも頼朝落胤説は否定されているようです。
606 :
日曜8時の名無しさん:2005/06/03(金) 19:40:59 ID:6WSV8sK7
>>604 そうなんです。
最近範頼の再評価が行われているようです。
この板に範頼スレがあります。
そちらに詳しく書かれています。
607 :
日曜8時の名無しさん:2005/06/03(金) 20:29:58 ID:sYOrBWpO
>605
ちなみに、その島津忠久には畠山重忠の娘が嫁いでいる。
608 :
日曜8時の名無しさん:2005/06/04(土) 03:36:48 ID:ZMV08R1o
丹後の局って、頼朝の側室になるんですか?
てか、後白河のとこの丹後の局と頼朝のとこの丹後の局って、同一人物?
頼朝のとこの丹後の局は美しい髪の持ち主で有名だけど、
後白河のとこの丹後の局は天パーみたいだから、
違う人なのかなと。
一応調べましたが、出てこなかった。
609 :
日曜8時の名無しさん:2005/06/04(土) 05:24:50 ID:ZMV08R1o
答出ました。別人でした。
610 :
日曜8時の名無しさん:2005/06/04(土) 05:39:45 ID:qUpJKL45
>>606 なんでも義経の手柄にされて割を食った可哀想な人なんですかね
611 :
日曜8時の名無しさん:2005/06/04(土) 09:31:49 ID:HmHD1ViM
たとえば郵政民営化も、急に選挙になっちゃって首相が変わって、
次の人の時に決まっちゃったら別の人がした仕事(記録に残る)
になってしまうわけか・・・
というより、目立つ仕事をする人と、裏方というか、地味な仕事をする人。
という違いじゃないかな。
庶民を含め、無責任な立場にいる人たちは、
目立つ仕事をする人しか、眼中にないし、
その結果、目立つ仕事をする人を必要以上に賞賛する。
責任ある立場にある人は、どちらも公平に評価しなければならない。
そういう上司でなければ、部下は誰もついていかない。
もう1つのスレが全然聞く雰囲気ではないのでここで。
すいません。超ついていけない者だと前置きのうえ、
今週もついていけませんでした、ええ。
今回のポイントは兄と弟の情と理の対立みたいなものかと思った
んですが、あの対話はどういったことをいっていたんでしょうか?
そこを中心に全体を要約で教えて下さい。
範頼は義経の活躍を裏から支えたとは思うけど
義経と組んだのが他の武将でも同じような結果は出せてたんじゃないの。
今日の再放送で確認しようと思ったが、思わぬ仕事が入り見れなかった。
この間の日曜の時も、兄弟の所は気を入れて見てなかった・・・ダル。
あの会話の意味ですか?自分としては〜
ぁぁ〜〜〜〜又説明かよ〜〜〜って感じもした。
今までのドラマの中での冷酷で残忍な頼朝のイメージを脱却しようとしたセリフなのか?
(鎌倉幕府設立の為の頼朝の行為の正当性)
何が一番優先するかを考えれば自ずと行く道は決まってくる。
家族や身内が大事なのか?国を動かす事が大事なのか????
目先のことではなくもっと先を見よ!義経!!!(自分の感想)
>>613 あれ?でも変だ。頼朝は、捕虜にした敵方の重衡には手厚い態度をとっている。
それは捕虜だからか?敵だから?理にかなった情なら良いのか?
618 :
日曜8時の名無しさん:2005/06/04(土) 17:26:43 ID:CH+o4cyB
範頼って確かに結果的に義経をサポートしてるけど、単独でもかなり戦果は挙げて
いるよね。食糧不足で評判の悪い中国方面でも安芸や周防は攻め取ってるし、九州
も源氏の支配下に置いたり、壇ノ浦の戦いでも陸上から援護して勝利に大きく貢献
もしてる。なにより凄いのが、士気が下がりながら、大軍を壊滅させずに戦線を
維持したところだね。一度も敗戦無いし、損害も少ないしね。小説とか読むと、
大抵範頼は無能の権化にされてるが、源平合戦の資料を調べてるのか疑わしくなるよ。
619 :
日曜8時の名無しさん:2005/06/04(土) 17:37:14 ID:6pvR5fBf
>>613 弟「平家のようにみんなが一つの家族のように仲良くまとまっていくのが
良かった
主従の間で一番大切なのは情」(というニュアンスだったと思う)
兄「主従の間に情は必要だが一番大切なものではない
主従にとって一番たいせつなのは 御恩と奉公の関係
情にとらわれると組織はしがらみに囚われておかしくなる」
こんな感じだったと思います。
訂正などありましたらどなたかよろしく。
620 :
日曜8時の名無しさん:2005/06/04(土) 17:40:07 ID:6pvR5fBf
>>617 ドラマがまだそこまで進んでいないので何とも言い切れませんが
敵の捕虜を手厚くもてなしても
彼の政策に影響を及ぼす範囲の出来事ではなかったからではないか
と思います。
最後には、南都の要求によって殺されると判っていて
彼らに引き渡すのですから、この辺も非情といえば非情と
言えるのではないでしょうか。
621 :
日曜8時の名無しさん:2005/06/04(土) 17:43:49 ID:dRFhEn4O
>>620 敵を引き渡すのだから非情とは思いませんが・・・
622 :
日曜8時の名無しさん:2005/06/04(土) 17:48:55 ID:84EeVxDm
南都の僧たちはものすごく怒っていて、重衡をのこぎり引きの刑か、
火あぶりか生き埋めにするはずだったらしい(平家物語)。
わかってるんだから、人道的に鎌倉方で処理してやればいいのに
善人ぶるだけ善人ぶって南都に渡す非常な頼朝。
623 :
日曜8時の名無しさん:2005/06/04(土) 17:57:04 ID:UZ4VaTQL
大仏焼いちゃったからね。
目には目をでないの?
頼朝に強い権限は無いでしょう。
624 :
日曜8時の名無しさん:2005/06/04(土) 18:01:16 ID:84EeVxDm
>>623 目には目をってw重衡は坊主を焼き殺したわけじゃないし。
目には目をなら厳島神社焼き払いじゃない?
625 :
日曜8時の名無しさん:2005/06/04(土) 18:03:15 ID:UZ4VaTQL
東大寺大仏、興福寺仏像、伽藍、経巻、ことごとく焼失。
4千人に余る老若の非戦闘員、学問僧等が焼け死ぬ大惨事。
正に地獄絵図だったそうな。殺されるのは仕方ないね。
平家全員焼け殺しても気が済まないじゃないの?
626 :
日曜8時の名無しさん:2005/06/04(土) 18:04:59 ID:84EeVxDm
それはそれとして、頼朝が重衡を助命するはずなかったと思う。
重盛の子息で藤原家に養子に入ってた10歳たらずの子供まで
斬首しちゃうくらいだし。平孫狩りなんてやらせてたくらいだし。
南都が殺すことは確実だから、自分的には助けても良いんだが、
という政治的ポーズをとっただけ。
627 :
日曜8時の名無しさん:2005/06/04(土) 18:07:38 ID:UZ4VaTQL
後に頼朝は東大寺再興に力を尽くしていますから(重要なスポンサー)
超初心者でスマソ、倶梨伽羅峠の戦いに至るまでの経緯なんですが・・
義仲が後顧の憂いを無くすために越後を押さえたところまでは理解できた
のだけれども、なぜ平家方は義仲討伐軍を北国街道から送ったんでしょう?
義仲の本拠地(?)木曾へは中山道を一直線に進軍したほうがいいと思った
のですが。詳しい方ご教授ください。
629 :
日曜8時の名無しさん:2005/06/04(土) 18:14:16 ID:UZ4VaTQL
630 :
日曜8時の名無しさん:2005/06/04(土) 18:19:50 ID:84EeVxDm
>4千人に余る老若の非戦闘員、学問僧等が焼け死ぬ大惨事。
これってソースある?
それと非戦闘員って、違うぞw反乱鎮圧だし。
平家物語ではやむを得ず延焼したみたいに書いてあったから
義経が屋島で民家やいた程度の罪かと。
631 :
日曜8時の名無しさん:2005/06/04(土) 18:24:33 ID:6/7wjOTk
質問させてください。司馬遼の小説「義経」に、腰越の義経に会いにきた
頼朝の使者である結城朝光という御家人は頼朝の実子である。という
話がでてきますが、これは歴史学的に事実と認めらているのでしょうか?
ネットで「源頼朝」「結城朝光」で検索してもほとんど見つからないのですが。
>630
「南都焼き討ち」でぐぐって見ればいいのに。
反乱起した僧兵だけじゃなくて、反乱に無関係の老僧・学僧・稚児やら
女性やら、延焼した大仏殿に逃げ込んだ人たちがことごとく焼け死んでる。
これほど有名な話を知らん人がいたのか…。
>>631 602 :日曜8時の名無しさん :2005/06/03(金) 11:26:04 ID:sjzITsKO
頼朝乳母「寒河尼」も頼朝の子を懐妊したまま小山政光に嫁したとも
言われてますが(宗朝→朝光)こちらの方は確かではなく
烏帽子親だったから「頼朝子」だと家系図に書かれているみたいですね。
でも小山も安達も残ったという事は何か関係があったのかな?
とも疑いたくなりますよね。
後の結城合戦で、結城氏朝が腹を十文字にかき切って無念の最期を遂げた。
とありますが、頼朝の血を受け継いでいたのかなとも思ったりもして・w
634 :
日曜8時の名無しさん:2005/06/04(土) 19:27:09 ID:84EeVxDm
>>632 4000人のソースを知りたいんですが。
635 :
日曜8時の名無しさん:2005/06/04(土) 19:28:38 ID:GgD0hP/D
619 :日曜8時の名無しさん :2005/06/04(土) 17:37:14 ID:6pvR5fBf
>>613 弟「平家のようにみんなが一つの家族のように仲良くまとまっていくのが
良かった
主従の間で一番大切なのは情」(というニュアンスだったと思う)
反論ではありませんが、平家は生意気盛りの童を使って、反平家言動を
摘発させ、その横暴ぶりが京の民の反感をかったのだから、平家は
やはり身内だけ良ければよかったのでしょかね?
636 :
日曜8時の名無しさん:2005/06/04(土) 19:40:20 ID:84EeVxDm
>>635 真っ赤な服で、同じ髪型、しかも童。
こんなんで真剣にスパイをやらせる気はなく、単に示威が目的だった
という分析がジョーシキでは?
反感や身内がよければそれでよしは後の義仲や頼朝よりはましでしょう。
そうなんですか?
でも平家は不人気になったとか?
そう言えば義仲軍が上洛して横暴しまくりの時、
これならまだ平家の方がマシだった・・・という感想だったとか・・
639 :
日曜8時の名無しさん:2005/06/04(土) 19:51:34 ID:84EeVxDm
>>637 飢饉と福原遷都で評判が下がったのは確かじゃない。あと法皇幽閉とかさ。
平家が普遍的に不人気だったという事実はないな。
平家の公達を花や風物にたとえるのがはやってたしw
藤原家でも一部の平家に自分の官位をとられたと怒ってる貴族以外は
仲良くやってたようにみえる。
おばさん・・・
>634
4千とは誇張されすぎかもしれんが、平家物語には
「行歩にも叶はぬ老僧、修学者、ちご共、女房、尼などは山階寺の天井の上に
七百余人かくれのぼる。 大仏殿の二階のもこしの上には、千七百余人逃のぼりけり、
敵をのぼせじとてはしごを引きてけり。十二月のはてにては有けり。風はげしくして、
所々に懸たる火一にもえあひて、多くの堂舎にふきうつす。
興福寺より始て、東金堂、西金堂、南圓堂、七重の塔、二階楼門、しゅろう、経蔵、
三面僧房、四面廻廊、元興寺、法華寺、やくし寺迄やけて後、西の風いよいよ吹ければ、
大仏殿へ吹うつす。猛火もえ近附くに随ひて、逃上る所の千七百余人の輩、叫喚大叫喚、
天をひヾかし、地をうごかす。何とてか一人も助かるべき、焼死にけり」
とある。山科寺と東大寺あわせて二千四百余人、他の寺も焼き尽くされたとあるから犠牲者は
もっと多い。しかも仏教が本気で尊崇されてた時代に寺やら大仏を焼いちゃったんだから、
民家焼いたのとは比べ物にならない程の罪なわけで。
京の民衆にとっては、平家は都のえらい人達だけど
これまで縁のない東国武士は宇宙人みたいに感じたんじゃねえの。
643 :
日曜8時の名無しさん:2005/06/04(土) 20:22:47 ID:84EeVxDm
>>633 それ、おかしくない?
最初の頼朝の子を云々は義朝の間違いだと思うけど、頼朝と朝光は
20歳も年が離れているし。
>>632 の4000人のソースって何?
脳内?
644 :
日曜8時の名無しさん:2005/06/04(土) 20:29:09 ID:84EeVxDm
>>641 そうかね?
平家は反乱を起こす南都を鎮圧しようとしてるわけで。
戦いの範疇。仏門は武装して、弁慶みたいなやつらが平家に反抗して、
平家が遣わした使者の武士60人を殺したから、重衡が鎮圧に向かった
わけだし。無関係の民家をいきなり焼いた義経のほうが非戦闘員
殺戮としてはひどいと思うけど。
弁慶も殺しまくってやられそうになると「何をするーオレは僧侶だー
非戦闘員だーー罰をあててやるー」とか言い出すの?w
645 :
日曜8時の名無しさん:2005/06/04(土) 20:35:21 ID:84EeVxDm
殺生禁止の仏門が人を殺して60人も首晒したとかする時点で
もう仏教じゃないよなー。当時はもう仏門が暴力団みたいになってた
んだね。それ以後信長の時までずっとなってたけど。
>>628 第一に、平家が送ったのは、義仲追討軍というよりは、
むしろ北陸道鎮定軍といったほうが良く、第一の戦略目標は
越前・加賀・能登の反乱軍鎮圧にあったからです。
で、さすがは平氏、あっというまに越前・加賀を制圧。
越中・能登を伺っていたところ、隣の越中に
義仲自身がいたということです。
もちろん義仲自身も重要な目標だったでしょうが。
647 :
日曜8時の名無しさん:2005/06/04(土) 21:19:32 ID:XSejab5s
>>631 朝光が頼朝実子というのは少し怪しいですね。
烏帽子親が頼朝だったということから派生した話だと思います。
ちなみに同じく頼朝が烏帽子親だった泰時にも少しだけご落胤説も
あるそうですが、又聞きなのでソースは少し不明。
648 :
日曜8時の名無しさん:2005/06/04(土) 21:29:19 ID:84EeVxDm
確か、朝光の母が頼朝乳母だと思うんだけど、
朝光の母は、1167年に政光の子の朝光を産んでるんだよね。
頼朝の子ってことは頼朝が自分の乳母に手を出したってこと?
指折りの豪族で、藤原秀郷流の嫡流と尊敬されていた
小山政光が流人の乳母を子供つきで娶るというのが
まず理解できない。
649 :
日曜8時の名無しさん:2005/06/04(土) 21:30:57 ID:PSP0ZRpB
>>643 学術書に載っていた話で昔読んだのものです。
延慶本「平家物語」にそのくらいの数字が出ていたようですが
その学術書の作者は「平家物語」独特の大げさな表現だろうと
書いておられます。
ところで、東大寺の大仏が焼かれたということは
現代に例えると
某超大国が戦争を仕掛けた国がとても大切にしている
信仰心の象徴的なものを破壊した状態と考えてみてください。
彼らの信仰する聖典が不浄な場所に流されたということで
死者がでるような状態の人たちが大切なものを破壊された状態です。
(不穏当すぎる表現失礼します。)
その宗教を信じる地域の方々の反応を想像してください
当時は「神仏の加護」「たたり」を真剣に怖れて信じていた時代です。
清盛はその当時にしては合理的な考え方をしていましたが、
それでも、徳子の出産の際はたたりなどを真剣に心配していました。
神仏を本当の意味で恐れなくなるのは信長の出現を待つしかないでしょう。
650 :
日曜8時の名無しさん:2005/06/04(土) 21:36:25 ID:XSejab5s
>>648 寒川尼は1138年生
1167年朝光が生まれた頃には数えで30歳。
当時としては高齢出産。
当然それ以前に小山政光に嫁ぎ既に子供を儲けていたはず。
(兄朝政は1158年生まれ)
したがって朝光を身ごもったまま政光に嫁いだということはありえない。
651 :
日曜8時の名無しさん:2005/06/04(土) 21:40:54 ID:84EeVxDm
>>650 朝光が身ごもったまま嫁いだと書いているのは
>>633で、私はそうは
思ってないしおかしいと思ってるけど、
朝政と次男の宗政は前妻の宇都宮氏の子供でしょ?
そのせいで鎌倉室町時代、三男の庶流にすぎない結城氏が優遇されて
長男次男系統の小山長沼系統は結城より目立たなかったのでは?
652 :
651:2005/06/04(土) 21:41:57 ID:84EeVxDm
×朝光が
○朝光の母が
653 :
日曜8時の名無しさん:2005/06/04(土) 21:48:40 ID:XSejab5s
>>951 寒川尼は宇都宮氏出身です
(寒川尼は八田宗綱娘 八田氏=宇都宮氏です当時は
知家から八田と宇都宮に分かれた)
つまり、朝政母=朝光母
それからマーカーの付け間違えで不愉快な思いをさせて失礼しました。
654 :
日曜8時の名無しさん:2005/06/04(土) 21:55:54 ID:84EeVxDm
>>653 ということは、結城氏だけが母親が頼朝の乳母なので優遇されたっていうのは
ガセですか?
比企だってそうだろ
656 :
日曜8時の名無しさん:2005/06/05(日) 09:33:31 ID:FHGMgP83
宇都宮隆って宇都宮氏の末裔?
比企理恵って比企氏の末裔?
シラネッ酢
658 :
日曜8時の名無しさん:2005/06/05(日) 09:59:25 ID:WnstOQcb
>>599乳母やその関係者が養い君の「最初の相手」であった場合が多かった
ので・・・
では女子の場合はどのような教育がなされたのでしょうか?
女官が教えたのですか?徳川家には教科書みたいなのが存在したとか?
その本を、お嫁に行く時に持たされたように聞いています。
>>658 江戸時代の話ですが、嫁入り道具に春画があったとかなかったとか。
660 :
日曜8時の名無しさん:2005/06/05(日) 23:19:44 ID:VBAe5yQ4
朱雀の翁って何者?
ドラマのオリジナルキャラ?
今でいうヤクザ?
うん。
662 :
日曜8時の名無しさん:2005/06/06(月) 00:31:37 ID:1XVbqttR
10万の軍勢とか、簡単に集まる数?
この時代の不健康な都に、戦に出られる程の元気な人たちが、そんな数ほんとに居たのかな?
>>656 比企理恵はデビュー当時そう言ってた
確か本名のはず
664 :
日曜8時の名無しさん:2005/06/06(月) 01:45:50 ID:1XVbqttR
>663
thank you!
やっぱ、そうなのか。
665 :
日曜8時の名無しさん:2005/06/06(月) 01:53:33 ID:9/LeTBg5
地名苗字は、そこの住人だったってだけで苗字にしている
お百姓さんがいっぱいだから子孫とは限らないよ。
666 :
日曜8時の名無しさん:2005/06/06(月) 02:11:32 ID:1XVbqttR
>665もありがとう。
参考にします。
667 :
日曜8時の名無しさん:2005/06/06(月) 08:45:13 ID:zBvuAEwf
それを言うなら荻野目洋子か慶子が昔自分を
那須与一の子孫だと言っていた。
ほんとかね?
668 :
日曜8時の名無しさん:2005/06/06(月) 09:05:39 ID:SgRYTSuV
>>662 その10万という数自体の真偽自体が諸説あってわかりません。
ただし、北陸攻めに行く段階で
なぜか平家は木こりを動員していたらしいのです。
その理由もよくわからないのですが
かなり無理をして兵を集めて進軍して
ボロ負けして帰ってきたようです。
669 :
日曜8時の名無しさん:2005/06/06(月) 13:00:06 ID:1XVbqttR
>668
お答thank you!
やっぱ私も、軍勢の数には誇張が有るんじゃないかと思ってました。
10万ていやぁ、私の住む市の倍近くの数。
ヨボヨボ爺さんや女子供含めて5万7千人しか居ない我が町に暮らせば、
元気な男ばかり10万て、どうやって集めるのかと。
基本的にこの時代の軍の数は誇張だよ。
だから一番少なく見積もったら実際は
言われてる十分の一くらいだで。
671 :
日曜8時の名無しさん:2005/06/06(月) 13:33:33 ID:1XVbqttR
じゅ、じゅ、十分の一まで減りますか。
つまり、実数に0を一個加えて言うてるわけですね。
誇張にも限度がありますよね。
672 :
日曜8時の名無しさん:2005/06/06(月) 14:25:58 ID:zD6QrkTE
ちょっと疑問に感じたのですが、木曽谷って山ばかりで稲作ができそうな
平地がほとんど無いですよね。義仲の経済基盤は何だったんでしょうか。
美濃や信濃の他地域に飛び地の領地などが在ったのすか。
もちろん木曽の山々で生産される木材の転売はけっこう利益が大きかった
とは思うのですが。
673 :
672:2005/06/06(月) 14:31:24 ID:zD6QrkTE
すいません書き間違えました。
「領地などが在ったのですか」です。
>>673 あまり領地がなかったから源氏の棟梁にこだわったんだと
思いますが。頼朝も領地はあまりなかったのではないです
か。血統と武士を公平に裁く組織を作ったことで君臨してい
たんじゃないですか。
樋口次郎と今井四郎の兄弟は、今回の冒頭の説明だと父親の苗字は中原なのに、
兄弟で苗字が違うのはなぜ?
源姓の範頼が、出身地にちなんで蒲と呼ばれているのと同じようなケース?
長野県上伊那郡辰野町樋口
>>675 住んでた場所を名乗っただけでしょ
岡崎・佐原・佐奈田・大多和・津久井・椙本・和田・多々良・高井
みんな三浦一族なのと一緒と思われ
親戚同士で話をすると
大阪の叔母さんとか名古屋の叔父さんとか
地名で呼ぶことがあるでしょ。
義仲って名前くらいしか知らんかったけど
戦国時代に生まれてたらすごいメジャーになってそうなヤシだな。
頼朝が征夷大将軍を求めたのは孫子からわかるように、
将軍は軍中において絶対権力をもっているためな。
御家人の統制に朝廷の介入をなくしたかった。
一言で言えば、頼朝は自分の家来に関しての生殺与奪権を得るわけだからな。
だから、どうしても頼朝は将軍位がほしかった。
で、頼朝には認めなかったものを、なぜ義仲には積極的に任命したかだが、
これは単純に京から出て行って欲しいって意味から。
このとき、後白河は後に頼朝が将軍位を求めてくるとは思わなかっただろうな。
頼朝はこれを逆手にとったわけだ。
さすがに後白河は頼朝の真意をわかったのだろう、自身の存命中は
この件だけはさすがに認めなかった。
王朝権力のほとんどを失った後白河が最後まで抵抗したのは何故か
これでわかったと思う。
これにより新しい、将軍を最高位にする武士の支配体制が確立された。
そして、なぜ幕府というかの意味もわかったことだろう。
最後に孫子の言葉で締めとしまふ。
私、今や御命令をうけて将軍となっております。将軍が軍中にあるときは
君主の御命令とてお聞きできないことがあるものです。
681 :
日曜8時の名無しさん:2005/06/07(火) 21:00:58 ID:UpVbtC7p
age
682 :
日曜8時の名無しさん:2005/06/07(火) 21:08:28 ID:KbqkcFG3
孫子(そんこ)=女流エッセイスト
684 :
日曜8時の名無しさん:2005/06/08(水) 00:59:56 ID:PVD11QC3
勝者の歴史なので最終的に勝った頼朝が源頼朝。木曽義仲。
もし義仲が勝って頼朝が負けていたら、今の教科書は
伊豆頼朝、源義仲になっていた。
べろべろばー うほほほほ
おチンチンびろーん ∩___∩
∩___∩ | ノ ○─○ヽ_∩__∩ にひゃひゃひゃひゃひゃ
| ノ ヽ/⌒) / /3 3 | ヽ
/⌒) (゚) (゚) | .| | ( _●_) |o⌒ ⌒o|
/ / ( _●_) ミ/∩―−、 |∪| /⌒(_●_)⌒ ミ
.( ヽ |∪| / / (゚) 、_ `ヽ ヽノ | |∪| /
\ ヽノ / / ( ● (゚) |つ ∩. ヽノ∩
/ / | /(入__ノ ミ | ノ⌒ ⌒ヽ
| _つ / 、 (_/ ノ / (。)(゚)|
| /UJ\ \ \___ ノ゙ ─ー| (⌒_●⌒)ミ
| / ) ) \ _彡、/ |U UU_/
∪ ( \ \ \ | | ||
\_) あびゃばばばだーん . .| |nn _nn|| ぐへへへへへへ
\___) ッ
最近歴史に詳しい人が寄り付かなくなった。。。
少なくとも3人は居たのに。。。
688 :
日曜8時の名無しさん:2005/06/09(木) 10:29:07 ID:XmxMOWC6
>687 ここの程度が低すぎるのかな??г(´〜`)?
>>687-688 本スレで史実質問出て答えることあったし、そもそも質問が減ってきたからでは?
聞かれてもいないのに史実ウンチク話し出すのも、ちょっとなんだし(´・ω・`)
690 :
日曜8時の名無しさん:2005/06/09(木) 17:21:11 ID:XmxMOWC6
そりゃそうですね。
691 :
日曜8時の名無しさん:2005/06/09(木) 17:43:19 ID:aEI7Wbk0
本スレだと、歴史の話ちょっと続いただけでキレて出ていけと言う人がいたりね。
692 :
日曜8時の名無しさん:2005/06/09(木) 17:46:53 ID:XmxMOWC6
そう、史実の史の字を出すのも恐いくらい。
本スレの住人は歴史も知らない馬鹿ばっか
検索すれば出てくることだし。
>>693みたいなのがいるから、ウザがられるんだよな。
馬鹿にされても仕方ない知識でギャアギャア騒ぐからだろう
まぁ、史実と違うとヒステリックになるヤシはどうかと。
アホー板でラストサムライに噛み付いてた史実ヲタとかいたし
ありゃびっくりしたな。
大河ドラマは歴史を題材にしてるけど、学問としての歴史じゃなく
娯楽(ドラマ)としての歴史だからね。
日本史板では歴史知識がないと話にならないだろうけど
大河ドラマ板での歴史知識は、あってもよいがなくてもよいもの。
歴史に詳しい人もそうでない人も、自分なりの視点でドラマを楽しめばいいだけ。
ドラマをきっかけに歴史に興味持つ人もいるだろうし。
699 :
日曜8時の名無しさん:2005/06/10(金) 23:57:57 ID:zzK+uOVB
仰せのとおりでございます。
異論はございません。
しかし「草燃える」程度には史実を踏まえて欲しいなぁ
ってのは贅沢か?
701 :
日曜8時の名無しさん:2005/06/11(土) 02:05:40 ID:uzaZR758
ドラマチックにするためには、多少の史実脚色は仕方ないと、私は思ってますが、
一つ嫌なのは、実在の人物を無視して、無理矢理オリキャラをねじ込んでくるところ。
>>700 一視聴者の意見としては、別にいいんじゃないか
暇そうなので、これに答えてあげてみて↓原文の通り。
74 :日曜8時の名無しさん :2005/06/09(木) 22:03:37 ID:voIhKYVH
北条時宗の塔二郎と長一郎って誰か知ってる人
どうか教えてください ペコリ
704 :
日曜8時の名無しさん:2005/06/11(土) 09:34:02 ID:FLtFHGrT
ドラマなので歴史をなぞる必要は無いが尊重はすべきである。
脚色するのであれば史実より面白くする必要はあるべきである。
さて・・・・
705 :
日曜8時の名無しさん:2005/06/11(土) 10:04:50 ID:kaivgkHj
「影武者徳川家康」も大河の原作としてOK?
706 :
日曜8時の名無しさん:
>>703 塔二郎は蒙古からの国書を日本に渡すために高麗使節が対馬に来島
したさい、帰りに拉致して蒙古に連れて行った対馬島民二人のうち
の一人であろうが、長一郎のほうは知らん。塔二郎ともう一人の対
馬島民は大都でクビライに歓待され、1年後に対馬に帰還した。蒙
古襲来の5年前のこと。