245 :
ピノコ:2005/04/09(土) 19:57:33 ID:+mJSungL
読んでいただきたい(ご批判・感想などいただきたい)ので、
とりあえず a g e !
246 :
日曜8時の名無しさん:2005/04/10(日) 21:29:44 ID:sNE7lcz5
「坂の上の雲」スレッドより
>22 :日曜8時の名無しさん :2005/04/09(土) 13:44:47 ID:qjMdTjjV
立ってから2ヶ月(正確に何日かはわからない)以上すると1日書込みがないと落ちるようになる。
このスレたって、明日で2ヶ月。まもなくdat落ちか・・・
では保守。
大河板はほかの板とは違って、実況板だからdat落ちしやすい。
「時代劇板」や「日本史板」に<ときは今>スレを立てたほうが保守しやすい。
情報提供や新見解、批評・感想など、ここよりも書き込みも増えそうだ。
ただ、他の板に立て直すとすれば、これまでの書き込み内容の要約作業が必要だし、
常連さんをはじめ、ロム専の人にもスレの移転を知らせるための手段も考えなけりゃいけないし、
結構大変ではあるな。
どうやってこのスレを運営したいのか、狙いは何なのか、明智のみっちゃん氏の詳しい考えを伺いた
249 :
明智のみっちゃん:2005/04/12(火) 17:27:52 ID:K91Fvb6K
なるほど。
そうですか。
狙いとしては、「ときは今」の原作をとりあえず完成させたいというのが一つ。
もう一つは単純にドラマとしてのおもしろみを追求していきたい。演出やキャスティングなどの。
以上の理由から考えると、上記のご指摘どおり「時代劇板」あたりに新設したほうが、より専門的でクリティカルな意見が集まりそうだと私も思います。
「日本史板」に新設すべきか迷いますが、ドラマとしての面白みも同時進行で考えていきたいですし。
または大河路線から脱却するというのも一つの選択肢かもしれません。もっとも長いスパンを割いて綿密に描けるので大河という形式を想定しましたが、
逆にそれが発展を妨げる要因であると言うのであれば、新たな道を模索することもまた必要だと考えます。
スレの「お引越し」も必要であるとなればやります。が、いますぐ独断で決行すると混乱が生じると思うので、もう少し時間と意見を要するので、
私としては、とりあえず、行く末を見守ります。しかるべき時がきたら、それこそ「ときは今!」と歓喜し新装スレを私が責任を持って立ち上げます。
みなさんのご意見やご要望をお待ちします。
明智のみっちゃまの長めのレス、お久しぶりでウレシイです。
近頃、短い書き込みが多いので、
「ご自分が当初考えていた企画とちがう方向を向きだしたので、お嫌になったのかしら??」
「ひょっとして、私の書き込みに腹を立てていらっしゃるとか…」
など、気をもんでいたもので。みっちゃまの方から具体的な方向性を示されたので
正直、ほっとしています。
ところで、「時代劇板」で、「国盗り物語」のスレッドを見つけてまいりました。
ttp://tv6.2ch.net/test/read.cgi/kin/1033738918/ 近藤正臣さまの演じる明智光秀どのに人気が集中!
ただ…当時小学生だった私の感想は、道三編は面白かったが、信長編は暗くてつまらなく感じて脱落した。
「国盗り」の光秀どのは、インテリで神経質で野心家で、信長にいじめられてて…という人。
育ての母は叔母の小見の方(!)で、初恋の女性は帰蝶chan(!!)で…という設定。
私的には、あまり好きでない。
だけど…「国盗り」スレッドを読むと、「この光秀以外は好きになれな〜い」というヒトも多くいて、
「ときは…」の目指す新しい光秀どのは、どこまで受け入れられるかチョト不安になった。
以上、葡酒もくTきも兼ねて…
(ストーリ案の続き、また書いてもいいですか??)
251 :
明智のみっちゃん:2005/04/13(水) 15:12:13 ID:pa7Aorf8
>ピノコさん
いえ。全然怒ってません。
むしろ感謝しています。スレお引越しのおりには、ピノコさんのこれまでのまとめをコピーして張ろうと思っていました。
この先、ここがどうなるか私にもわかりませんが、これからもぜひ濃い内容の長文を書き込んでいってもらいたいです。
われわれのやろうとしてることは、ある意味「挑戦」です。
明智光秀という人物に限らずに例を挙げるとするならば、
「まったく新しい宮本武蔵を作ろう!」と言ってるようなものです。(正直、こっちもやってみたいんですが)
世の中にはすでに吉川英治氏の原作が定着し、それをもとに漫画や大河が構成され、
世間一般の人から見れば「これ以外に武蔵はありえない!」と解釈されているのにもかかわらず
「又八やお通さんなどのサブキャラを一切登場させない新しいのを書いてヒットさせてやるぞ!」といきまいているようなものです。
幼いころから学研や小学館の歴史漫画などで、折檻されてブチギレちゃう光秀を見て育ってきた私たちの固定観念を覆そうという壮大な試みだと私は思ってます。
まったく、新しい光秀像を構築していくのは苦難がまだまだあるとは思いますが、できる限りのコトはしていきたいです。
明智のみっちゃん氏、お疲れ様
今夜もホシュしてお手伝い
>明智のみっちゃまへ
励ましのお言葉、ありがとう。はじゅかしいです…
ところで、みっちゃまに質問。どんなことがきっかけで「新しい光秀像を構築したい」って
考えるようになったんですか?
254 :
明智のみっちゃん:2005/04/15(金) 16:40:59 ID:qAH53sj2
あぁどうも。
きっかけですか〜。なんでしょうねぇ?
色々ありますが、単純に「怨恨説は後世に作られたもの」だと研究書の類には記されているにもかかわらず、
小説やドラマの世界では、まったくその路線を採用していないという点に反発を覚えたことですかね。
歴史モノなど大方、歴史の流れや展開がわかってる人が見て楽しむものでしょう。
ですから、従来の設定のものを何べんも何べんも見ていても刺激がないでしょうし、面白みに欠けます。
だからこそ、あえて!ここで「怨恨説一切ナシ」でガチンコ勝負したモノを世に出してみてはどうだろうか?
と、常々考えていたのです。実際、彼に関して残る逸話(真偽はともかく)は、とてもドラマチックなものが多いんですよね。
秀吉が草履を温めて待ってるシーンを毎回も拝むより、光秀一向の苦難や愛情や友情を描いてみるのも、見る側にとっても一興ではないかな?
と思うんです。
そして、子供のころから「本能寺には諸説ある」といったような記述を受け入れられなかったという点もあります。
「真実は一つだけなハズ。例え、光秀の心中に様々な思いや心の葛藤があったとしても、最終的な理由はキチンとあったはずだ!」と考えていたので。
それらを解明することが、逆臣の汚名を挽回する道だと思い、色々物思いにフケり、できるだけ幅広い意見が集まるようこうしてスレを立ち上げてみました。
すでに国盗物語で主人公だったろ
256 :
明智のみっちゃん:2005/04/15(金) 21:33:08 ID:qAH53sj2
↑
>>255 あなたは前後の書き込みを読んでいますか?
だれも主人公が初だとはいってませんよ。
>>250 で、ピノコさんがおっしゃってるように、「国盗り物語」とは別の視点で描きたいのですが。
わかっていただけないでしょうか?
>>256 そんなに怒らんでもええじゃないかい。
ハンドル名は 明智のみっちゃん でも
中の人の性格はむしろ信長だな。
みっちゃん、そうムキになるな 俺は応援している &保守
259 :
明智のみっちゃん:2005/04/16(土) 17:08:09 ID:nr5nyTJq
いえ。別にムキになるなど・・・
そういうつもりは一切ありませんでしたが、威圧的な態度と受け取った方がいる以上、謝罪せざるを得ませんね。
すみませんでした。もっと楽しく書き込める空間であるよう心がけます。
ps
みなさんいつも保守目的の書き込みありがとうございます。
ですが、私としてこれからも、みなさんにそういったことでお手を患わせたくないので、
スレの「お引越し」の件の意見や要望を申し付けてくださると、とても助かるので、よろしくお願いします。
やっぱり最終回は改造されてマスクつけて呼吸音とともに
天海になって終わりをキボヌ
261 :
日曜8時の名無しさん:2005/04/17(日) 20:54:17 ID:cMXqyAIk
age
262 :
ピノコ:2005/04/17(日) 23:28:46 ID:gdiRWi2b
>>260さん
こんなの、どお?
ラストシーンは…「唐崎の一本松の下に、黒衣を纏い首に赤マフラー巻いた僧が立っている。
よく見るとその人は、死んだはずの光秀どのにそっくり」ってのは。
光秀=天海説は有名だけど、私は「坂本竜馬は光秀の甥の子孫」というウワサも大切にしたいですね。
「山崎の戦い」敗北の後、光秀どのの甥・秀満どのは安土・坂本城に残る金品を家臣たちに分け与え、
その後、坂本城で妻子と共に自害しますね。
で、坂本城の家臣たちはこの後、長曽我部氏のいる土佐へ向かう…こういうラストを考えてます。
263 :
まったけ:2005/04/18(月) 20:10:16 ID:QJODUind
しばらく留守にしていました。誠に申し訳ないです。
ピノコ様、超遅レスですが、ちと訂正を・・・。
>・明智光秀は丹波亀山を「周山」と改めた
>・明智光秀は福知山城の築山を「周山」と名付けていた…
>というエピも書いてありました。
以上のことは完全な間違いなのです。
明智光秀は、かつての京都府北桑田郡京北町周山(今年4月1日から京都市右京区)に
周山城という山城を構築したのです。
歴史地理学的にも、なぜ明智光秀が周山城を築いたのか『謎』とされています。
この城に関して面白いエピソードが一つ。
秀吉が、周山城築城と命名について、天下を狙っているだろうと光秀を問責するのですが、
「所作も無い」と光秀が笑って返したそうです。
ちなみに、亀山城は、瓶山(もちろん旧字、クソっ、「ことえり」め)という丘に築いた
城に、明智光秀が縁起の良い字である『亀』の字を充てたものです。
古代の亀岡は陶器の産地だったので、カメ山と呼ばれていたようです。
福知山は、もとは横山だったのですが、明智家に福をもたらす願いを込めて『福智山』と、
かつては書いていたそうです。
>「唐崎の一本松の下に、黒衣を纏い首に赤マフラー巻いた僧が立っている。
>よく見るとその人は、死んだはずの光秀どのにそっくり」ってのは。
これは、面白いシーンになりそうですね。
琵琶湖畔に映る坂本城炎上を眺めていたら、さらに・・・。
家臣の一部が長曽我部を頼ったのは春日局を含めて事実です。
が、しか〜し、竜馬ファンの間には、坂本家の明智秀満(光秀の娘婿)始祖説について、
ムチャクチャ不評なんですよね。
何で、ここまで嫌われるかなという印象でした。
竜馬の遠縁にあたるという武市半平太の苗字も「アケチ」、「タケチ」と音が
似ているのですがねえ。
264 :
ピノコ:2005/04/18(月) 23:46:36 ID:2dGM/yX8
まったけ殿
ありがとうございます。感謝の極み。
「周山」の件、おおもとの文献は何なのですか?
童門先生が間違うなんて…「周山」一つとっても、光秀どのに纏わる話は正確に知られてないんですね。
あと「坂本家の明智秀満始祖説が竜馬ファンには不評」って意外ですな!
「ときは今」を通じて(?)、竜馬さまが明智一族の子孫(あくまで伝説ですが、実際、坂本城ゆかりの人なんでしょ、
竜馬さまの祖先は)であることに、誇りをもてるようにしたい!
265 :
日曜8時の名無しさん:2005/04/19(火) 23:22:27 ID:k3ntho7/
24時間書き込みがなければdat落ちというのは、どこまで本当か知らんが
気になるのでホシュ。
, - ' ゙ `` ‐ 、_,,,,,
,r' /=ミ
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l,,,,,__ / ___ 'r''゙ヽ
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【ゴールデンレス】
このレスを見た人はコピペでもいいので
10分以内に3つのスレへ貼り付けてください。
そうすれば14日後好きな人から告白されるわ宝くじは当たるわ
出世しまくるわ体の悪い所全部治るわでえらい事です
267 :
まったけ:2005/04/20(水) 19:24:37 ID:uFIPnZsu
ピノコ様
>「周山」の件、おおもとの文献は何なのですか?
丹波亀山(亀岡)や福知山を『周山』とする文献がないのです。
確かに、俗書の類では亀山の別名を『周山』と呼んだというものが見受けられます。
しかし、旧北桑田郡京北町に周山(※)とした地名が残っており、周山地区に城跡もありますので、
まず間違いないと思料します。
(※)一昨年前までは「京都府周山保健所」、「京都府周山土木事務所」という
京都府庁の出先機関もありました。
>あと「坂本家の明智秀満始祖説が竜馬ファンには不評」って意外ですな
何でなんでしょうね?大体、竜馬ファンは司馬遼太郎の小説『竜馬がゆく』が始まりだと思うのですが・・・。
しかも、小説では竜馬自身が明智家のことを語っているでしょ!不思議なんです。
司馬遼太郎の小説の世界では、『竜馬がゆく』と『国盗り物語』で二人は結びついていると思います。
しかし、今の竜馬ファンの傾向は、小説を「卒業」すると史実に興味が走るようですね。
そういえば、みなもと太郎『雲竜奔馬』第2巻で、竜馬が千葉さな子に自分の先祖は「明智家」と
語っていますよ。みなもと先生に書いてもらえたら嬉しいですけど、ご多忙ですからネ・・・。
光秀殿、おはようございます
269 :
明智のみっちゃん:2005/04/21(木) 12:34:08 ID:9DJP/gK9
なんだか話題が竜馬はんに流れちょるような気がするぜよ・・・
私も「本能寺」の次に「竜馬暗殺」の真相を研究してるんで、
そっちの話題が出るとそっちにのっちゃいそうです。まぁオリあらば別のスレで!
確かに「竜馬が行く」と「国盗り物語」をリンクさせて宣伝するのは効果があるかもしれませんね。
ラストの「光秀紀行」の中で「坂本竜馬とも縁があり・・・」程度に紹介するとウケがいいでしょうからね。
>まつたけ館長
武市半平太の「たけち」と「あけち」ってネタとして面白いですね。ウケました。
周山城築城の件についてもなんらかの解釈で答えを提示したいんですけどねぇ。
なにか解釈としていいアイディアないでしょうか?
>ラスト
最終回をどう描くかも重要ですねぇ。
光秀の死のシーンをどう描くのか?家臣たちのその後をどこまで描くのか?
そこで「赤マフラー坊主」をどう出すかが決まってきますからねぇ。
あえて、刺されるシーンや介錯されるシーンの光秀の表情を、兜の影や顔のうつむかせ加減やカメラのアングルを工夫して映さずに進行し、「もしや影武者?」という疑念も含みつつ、
秀吉と家康がなにやらニヤニヤと意味深なコソコソ話をして納得するシーンを出すなどもありか?と。ただやはり光秀があそこで非業の死を遂げるからこそ物語に深みが出るのも事実でして…
難しいところです。本能寺までの時間にどれだけの回数を割くのか?その後の山崎の合戦のくだりをどれだけの回数で描くのか?そういった回数的なことも考慮して今後は議論していきたいですね。
>>262 ちょっと待って!
龍馬と光秀じゃ顔と品性が違いすぎまするぅ・・どうかかんべんを・・
271 :
ピノコ:2005/04/21(木) 23:28:17 ID:dxKN0JGS
実は…私のアタマの中には、一応のストーリ構成がすでに出来ていて、
「光秀どのの最期」も「赤マフラーのお坊さんの登場シーン」も考えてあります。
あと、長曽我部氏と光秀どのの関わりも…。
>>239 >>240 >>241 >>242 >>243 >>244までも設定を生かしながら、最後までとりあえす考えたのですが。
後はノートを整理して、コピペで貼り付けて、部分的に2ちゃん用に書き直すだけでいいのですが、
やっぱり2ちゃんに載せるとなると、「もっと調べて、ウラをとってからの方が、自分が恥かかなくてイイかな?」
って気になるんですね。
明日は公休なので、できるだけ考えたストーリをこちらに貼り付けて、皆さまからの(笑)とご批判を頂きたいと思います。
この4月中にラストまで書けたらと思うんですが…
デモ、アシタ天気ガイイノデ洗濯シタリ、「組!」DVD入手シテ、ソレヲ観テバカリダッタリ…
272 :
ピノコ:2005/04/22(金) 10:20:16 ID:grqZoDaU
なんとか予定どおり、洗濯は10時までに終わった。だけど「床磨き」がしたくなったw。
まあ、予定としては今日明日じゅうに、「越前編」までのストーリ案を書きたく思います。
273 :
ピノコ:2005/04/22(金) 12:03:19 ID:5dUqIC15
…「ときは今」ストーリ原案および明智光秀に関する仮説・その5…
<光秀どの放浪中の「職業」について…「苗木の行商人」「流しの植木屋」
「農産物の種子の行商人」がよかろうと思います>
光秀どのの放浪中の生活実態については、まったく分かっていません。
考えられることは…
・妻子を養えたこと
・あちこち放浪できたこと
・放浪生活中のことが公式な記録にはいっさいみられなし、本人も放浪生活の実態を
人に語っていない。人に知られてはいけないことをしていた
・放浪生活によって、諸国の情勢を詳しく知ることができた…
これまでの小説などでは、『諸国の動向をさぐるために遍歴』とか
『仕官先をさがしていた』とか書いてありますが、
その間の生活費はどうしていたのでしょうか。
「国盗り物語」みたいに足利幕府再興のため、あちこちの大名の重臣にあっていたのなら、
公式の記録などに残っているでしょう。
274 :
ピノコ:2005/04/22(金) 12:11:55 ID:5dUqIC15
(先の書き込みの続きです)
でも、そのような記録は一切ない…
ということは、「国盗り物語」的な形での諸国放浪生活はあり得ないのではないか…
今回私が考えたのは
「光秀は放浪中、他の大名・豪族の機密を知りえるような
職業についていたのではないか」ということです。
仮説その4でも書きましたが、光秀が放浪していた理由の一つに
「斉藤義龍に追われていたから」ということを考えています。
追われる身、そして妻子を養わなければならない身にとって、
「自分の正体を隠しながら各地を移動できる職業」につくことは、
まことに有利です。
275 :
ピノコ:2005/04/22(金) 12:14:30 ID:5dUqIC15
ではそんな職業は何なのでしょうか…。
忍びの者? 職業的スパイ? …これは考えにくい。
というのは光秀どのが信長公の家臣になってから、
「特に情報戦に優れていた」「忍びの者との付き合いが深かった」とは
言えませんからねえ。
「旅の連歌師」「旅のお坊さん・山伏」…これはあり得そうですが、
特殊な世界すぎてドラマにしにくいし…
そこで私が思いついたのが、先に書いた「植木屋」「苗木屋」「種子屋」の類。
以前、組!の「植木屋平五郎スレッド」で、「植木屋は、苗木を入手するため、
特別な全国ネットワークをもっていて、そのためスパイ活動をすることも
あった」という書き込みを思い出したからです。
種子の行商人も同様ですね…。
特に植木屋は、大名・豪族の屋敷の庭に入れるわけで、諸国の情勢を知るのに
持ってこいの職業。
まあ、全ての植物商がスパイ活動をしていた訳ではなく、「時にすることがあった」
程度のことで、殆んどの植物商はむしろ、口が堅かったでしょう(でないと
信用を失う)。
276 :
ピノコ:2005/04/22(金) 12:24:25 ID:5dUqIC15
しかも、この仕事だと、妻のヨシコさんも一緒に諸国放浪ができる!
家族ぐるみで苗にするための樹木の種子を山の中で集めたり、
種子の販売促進のため、新しい種類の野菜の調理法をヨシコさんが村の人に教えたり、
みっちゃまが
>>77でおっしゃっていた、庶民的視点も出せるシゴトだと思われます。
しかも光秀どの、「唐崎の一つ松」をはじめ楓だの銀杏だの自らあちこちに植えてますので、
この設定は不自然ではない!
(我ながら、スゴイ空想力だな…)
この家族ぐるみ(もちろん本職の苗木商・種子商の人たちといっしょに)の行商生活は、
光秀どのが越前に定住する1562年頃まで続きます。
光秀逮捕(?)を命じていた斉藤義龍はその前年に死去。
一方、斉藤利三(のちに光秀どのの家臣となる)の妹は、この翌年の1563年、
土佐の長曽我部元親氏に嫁いでいます。
(このあと、続く)
277 :
ピノコ:2005/04/22(金) 17:12:52 ID:5dUqIC15
…「ときは今」ストーリ原案および明智光秀に関する仮説・その6…
<美濃からの逃亡ルートについて>
@美濃・明智郷を出立した光秀一行は、美濃の山岸光信領に立ち寄る。
この時に…ヨシコさんとの間に生まれた光重クンを養子に出す。
ヨシコさんは、その長い髪を切って鬘屋に売り、光重クンの養育費に
充てる。
というエピを出したいと思います。
今回の設定では「光秀どのは明智家の嫡男ではない」となってますので、
自分の息子を養子に出すことは不自然ではありません。
また、越前編でも詳しく書きますが、落城後のヨシコ夫人が鬘屋に売れる程の
長い髪をしていたとは考えられません! だから「髪を売るエピ」はここで出します。
あえて長い髪を切ることにより、その後の流浪生活(というより逃亡生活)の厳しさと、
その生活への覚悟を演出したいと考えました。
278 :
ピノコ:2005/04/22(金) 17:15:35 ID:5dUqIC15
A道三の実家「山崎屋」にいったん身を寄せる。
道三の実家「山崎屋」は、油屋こそ廃業していたものの、美濃の産物などで細々と
商売をしておりました。女主人の名は「お万阿」。松浪庄五郎の妻・お万阿の子孫です。
もちろん架空の人物。この山崎屋とお万阿は、放浪中の光秀にとっての恩人で、
越前・近江・丹波時代にもたびたび登場して、光秀どのを助けます。
(交通の要所・山崎の商人なので、いろいろ使い勝手のいいキャラとなります)
光秀どのは「山崎屋」を手伝いながら、甥の弥平次に学問をさせたり、
自分も連歌や茶の湯を本格的に学び、京の有名人とお近づきになりたいと
考えます。
が、斉藤義龍が追っ手の者を京・山崎にまで遣してきました。
山崎屋に迷惑をかけないため、光秀どのは山崎屋を離れ、
どこかのお寺に潜伏することを考えます。
そこで選んだのが、石山本願寺でした。
279 :
ピノコ:2005/04/22(金) 17:22:45 ID:5dUqIC15
B石山本願寺でいったんは暮らすことにするが…
石山本願寺で自分は庭掃除人、ヨシコ夫人はお手伝いさんとして住み込みで
働くことを決意した光秀どの。
お寺なら、追っ手も入って来れないだろうし、何より最新の学問ができる…
と考えたからでした。
が…本願寺の僧侶の堕落ぶりにはがっかりします。
学問はしないし、中にはヨシコ夫人にセクハラを行なう坊さんまでいるし…。
しかし悪いお坊さんばかりが本願寺にいるのではありませんでした。
一人、名僧知識と呼んでいいお坊さんもいて、その人は海外の情勢にも詳しく、
この時代としては新しい、外来の農産物の種子すらもっていました。
(その種子とは、かぼちゃと唐辛子が相応しいかな??)
冬至の日に、そのお坊さんと「かぼちゃ」を食べながら、
新作物の普及のため諸国を巡り歩き、併せて諸国の情勢を探ることを
思いつきます。
さいわい本願寺滞在中に流れ者の庭師兼苗木の行商人の「植造」さんと
いう人と既知になりました。
(この苗木種子行商人の植造さんも、山崎屋のお万阿と同様、架空キャラとして
ストーリ展開の便利屋的な活躍をします)
結局話し合って、お寺をでて苗木・種子の行商人となることにしました。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
本心を言えば、光秀どのは世を忍ぶ仮の姿とはいえ、
自分が「商人」に成り下がることに抵抗感もあったのですが…
その時、かつての師である快川和尚に再会し、
新たな農作物の普及を図ったり、木の伐採が盛んなこの時代に苗木を広めたりすることは、
天の意に叶う道=天職だと考え直します。
山崎屋のお万阿の協力もあって、無事、行商人として新たな旅立ちの日を
迎えます。
280 :
ピノコ:2005/04/22(金) 18:02:39 ID:5dUqIC15
<光秀どのは放浪生活中、何度も自棄になりそうだった。その度、必死の思いで自分と
戦った>
光秀どのは「十兵衛」と名を変え、家族ぐるみで行商生活に入ります。
一緒に旅をする植造さんですが…結構ヤな奴というのが、今のところ、私が考えているキャラ設定。
あちこちに木の苗を植えたり運んだり…委託農家に種子用の新種の農作物の栽培を依頼したり…
その傍ら、十兵衛光秀どのは諸国の地理・民の様子・大名や領主の館に立ち寄れば
そこで得た情報などを、「和歌」の形でメモします(和歌が一種の暗号となっている)。
で、有名なお寺などに寄れば、掛け軸・書物の類も見せてもらうようにします。
何よりの生きがいは明智家嫡男・秀満(弥平次クン)の教育。
弥平次クンも一日たりとも無駄にしないよう、観るもの・聴くもの・体験するものの全てから
学び取ろうとしています。
この時期の光秀どのの人生の目標は「明智家再興」です。
281 :
ピノコ:2005/04/22(金) 18:05:36 ID:5dUqIC15
斉藤義龍に追われ、故郷の美濃には立ち寄れぬ身。
しかし、道三が織田信長に「美濃一国を譲り渡す」と遺言していたことを思い出し、
いつか信長が義龍を倒し、無事美濃へ戻れる日を信じ、
植物行商人として潜伏生活を送ります。
だが…肝心の信長は?
前にも書きましたが、種子商・苗木商には独特の情報ネットワークがあります。
それで聞く限り、どうも信長公の分が悪い…。
いったい自分達一家はどうなるのだ!
このまま明智家再興もならず、一生どころか代々行商人か!
いっそう、どこかで足軽奉公しようか…?
悩む十兵衛光秀どの。
しかし、一年…五年と年月を重ねるたびに考えが変ってきます。
以前に植えた苗木が大きく育っている…
自分が薦めた新しい農産物で、民の生活が改善された…
自棄になるのは止そう。いつか「ときは今」と思える日が来る…。
遠い少年の日、自分が明智家の嫡男ではないと知り、自棄になりかけた、
しかし何とか立ち直り、修養に努めたあの日々…。
そして今、何もかも失ったけど、希望を捨てず、一日一日を大切に生きたい…
そう思い直します。
これまでの小説やドラマでは、明智光秀は「インテリゆえの弱さ」が強調されてました。
が、実際は、長い間放浪生活を送っただけに苦労もした、筋金の入った人物だと私は考えてます。
放浪生活を通じて、光秀どのの並々ならぬ精神の強靭さを描いていきたいと思います。
282 :
ピノコ:2005/04/22(金) 22:22:08 ID:5dUqIC15
…「ときは今」ストーリ原案および明智光秀に関する仮説・その8…
<斉藤利三は当初、光秀どのの「敵」として登場する>
斉藤家は美濃の守護代を勤めていました。
室町幕府下において、守護職はしばしば京に上ることがあり、
その間、守護職に代わり領地を護るのが守護代。
ちなみに歴代美濃斉藤家の人物では、15世紀の斉藤妙椿が有名ですが、
これはまた別のお話。
さて守護代斉藤家ですが、西村勘九郎(後の斉藤道三)が、
美濃守護職・盛頼(頼芸の兄)を追放した時、盛頼とともに越前へ落ち延びます。
ちなみに越前をはじめとする北陸は、斉藤氏の勢力のあるところです(…と百科事典に書いてあった)。
こうして勢力のなくなった美濃斉藤家を、勘九郎が乗っ取り、
「斉藤道三」と名を改めたところまでは、皆さまもよくご存知のこと。
斉藤利三は、この乗っ取られた側の斉藤氏の者です。
当然、道三を憎むこと余りあり、ついでに道三に加担した明智家も憎い!
現在の美濃守護職・斉藤義龍は、実は土岐頼芸の息子なので、やはり明智家が憎い!
…というわけで、義龍の命を受け、光秀を追っているのが斉藤利三というわけ。
はじめのうちは光秀どのを憎む斉藤利三さんですが、
物語が進行するにしたがい、光秀どのに惹かれていきます。
ついに旅の途中の光秀どのの命を救ったりしてね!
あと…最初の方では利三さんは、光秀どのと一緒に旅をする植物商の植造さんを買収し、
植造さんも光秀どのを利三さんに売ろうとするエピも登場させましょう。
この斉藤利三さん、のちに稲葉一鉄の家来でありながら、光秀どのに仕えようとして、
光秀どのと信長公との間に一悶着が起こるのですが…光秀どのと利三さんとの間に、過去、
前述のような関係があったとすれば、後半における2人の関係に深みが出てきます。
283 :
ピノコ:2005/04/22(金) 22:25:17 ID:5dUqIC15
…「ときは今」ストーリ原案および明智光秀に関する仮説・その9…
<光秀の越前定住は、斉藤利三の力添えによるもの>
放浪、というよりも植物商という仕事の性格上、あちらこちら旅する光秀一行ですが、
もっとも立ち寄る国の一つが土佐でした。
高知県は現在は野菜の促成栽培などで有名ですが、
この時代も材木の生産や種子の生産が盛んで、植物商にとっては魅力のある国の一つでした。
光秀どのは何度か土佐の国に立ち寄るにつれ土佐が好きになりました。
何よりも土佐を治める長曽我部氏に光秀どのは心を寄せています。
長曽我部氏は名門・秦氏の流れを汲む一族です。
(「秦氏=ユダヤ人」!という説が、江戸時代からすでにあったらしい。まあ、ガセネタですが…)
優れた科学技術をもつ一族で、この時代にも長曽我部氏は名君として知られています。
いっそう、自分は庭役、弥平次クンは足軽という形で長曽我部氏に仕えようか…
(もちろん光秀どのとしては、もっと高い身分で仕官したいのですが、今や一介の牢人、
いきなりは望むような身分で雇ってもらえない)
284 :
ピノコ:2005/04/22(金) 22:27:16 ID:5dUqIC15
ところが、この時、思わぬ人物と再会を果たします。
斉藤利三さんです。
講談社現代新書の「謎とき本能寺の変」(藤田達生 著)によりますと、
「斉藤利三の実兄・石谷頼辰の妹」が、長曽我部元親の正室となったのは、
永禄6年(1563年)…なのだそうです。
(それにしてもヤヤコシイ書き方ですね。斉藤利三さんはもともとは、石谷家の人で、
斉藤家に養子に入ったのでしょうか??)
ちなみに石谷家は美濃土岐一族の庶流の一つで、足利幕府の幕府奉公衆でもあります。
まずいことになったな…と光秀どのは思います。
正室と同じ一族の者が足軽身分で仕えることはできない…いや、家臣として仕えることもなあ…。
同じ思いは、斉藤利三さんの側にもあります。
斉藤道三の件で明智家は敵とはなったものの、元を質せば同じ一族。
それにおじ上をいつまでも牢人身分のまま放って置くのは忍びない…。
そこで斉藤利三さんは、光秀どのが朝倉家に仕官できるよう、取り計らいます。
長曽我部元親。
光秀どのにとっては、心から「お仕えしたい」と考えた名君。
そして、斉藤利三にとっては妹の嫁ぎ先。
このことは、後に大きな伏線となるのですが…
285 :
ピノコ:2005/04/22(金) 22:32:49 ID:5dUqIC15
なんとか今日中に、「越前編」の直前まで、書き込めました。
越前編は、案外波乱に富んだストーリ展開になるんですよ。
でも、この調子じゃ、今月中にラストまでの書き込みは無理だわw
皆さまのご批判・ご意見お待ちしてます。
追伸…明智のみっちゃまへ
みっちゃまのほうでもストーリ原案を考えていらっしゃると思います。
ぜひ、みっちゃまのストーリも、書き込んで下さいな、お願い申し上げマス…
時は今〜
岩にしみいる〜
蝉の声〜
光秀が植木屋(苗木屋または庭師)というのはすごい着眼だと思います。
庭師は隠密の隠れ蓑でよく時代劇にでてきますよね、
諸国を行脚しながら情報収集するのが不自然じゃないし、
この時の様々な情報が後に信長に仕えたときに生きてきて出世の足がかりになりそう。
それに、庭師は室町時代には河原者とよばれ蔑まれていたそうで、
それなら庭師をしてい事をと、絶対言うはずないですよね。
ピノコさんスゴイです。
288 :
ピノコ:2005/04/23(土) 05:58:41 ID:k6Yqow0H
お褒めのお言葉ありがとうございます。
当時、行商人は文盲の人が多かったと思うのですが、
十兵衛光秀どのが文字を読めるどころか風雅の道に通じているので
植造さん、不審に感じるのですが、
光秀どのは植造さんに「自分はさる城主の庭役だったのが(ry…」などと説明します。
で、植造さんは光秀の作り話の身の上話を聞き、
「この人物と結びついていたら、いつか自分もウマイ汁吸えるゾ」と思い
光秀どのを雇うこととします。
…こういう設定。
おやすみなさい、光秀殿
なんか一番下がっているな、このスレ
291 :
ピノコ:2005/04/25(月) 13:52:58 ID:DJbfKF9g
うわゎっっ…! はじゅかしい〜。 登場人物の名前、マチガエテシマッタ…
光秀夫人のお名前「ヨシコさん」じゃなくて「ヒロコ」さん。
夫人のパパのお名前が「ヨシヒコ」さんで、確かパパから一字もらった名前だったなあ…と覚え間違えて
こんなこととなりました。
光秀どの、ヒロコ夫人、そしてこのスレッドをお読みになられた皆さまに、心からお詫び申し上げます。
292 :
ピノコ:2005/04/25(月) 14:03:15 ID:DJbfKF9g
訂正
ヒロコ夫人のパパの名前
「ヨシヒコ」→「ヨシヒロ」
応援age
294 :
明智のみっちゃん:
>ピノコさん
いつもいつもお世話になってます。
そうですねぇ。植木職人いいですねぇ。バカボンのパパみたいでいいですねぇ。
なるほど。確かにいいアイディアなんですが。一つの職業に固定しないほうが逆にいいかもしれませんよ。
様々な職業を転々とする暮らし。まぁ今の言葉でいえばフリーターですか?
そういったもののほうが光秀の「一体自分は何をやってるんだ?自分は本当は何がやりたいんだよ?」という自分への疑問を募らせられますし。
そういう葛藤の中から「このままじゃ妻のためにもならんなぁ。何とかせねば・・・。」と思い立つようになると・・・
当然、その中で植木屋さんもやってたでしょうし行商人もやっていたでしょうし・・・
ピノコさんのおっしゃるとおり、人目を気にせず情報収集ができ、なおかつ名前が残らない職業を選ぶとすれば職種も限られてくるでしょうし
植木屋をやる傍ら、妻のヒロコさんが経理を担当して、種をかいつつも、多岐に渡る物産をあちこちから買ってきては、輸送し他の地で売るといった生活をしているとすればいいのではないでしょうか?
それと、以前ピノコさんをおっしゃっていた信長と光秀を結ぶ小道具として「鉄砲」を出してみては?
と、あったので行商をやっていたときに鉄砲というものに触れ、自分でもちょっとやってみて腕を磨くシーンなんかあるといいかもしれませんね。
それに当時の商人は連歌や茶の湯などの風流を解さないと固定客がつかなかったらしいので、彼はこのころにそういった事に関する文化人としての技能や教養を身につけていったと。
植木屋さんをやってるころから桔梗の花印をトレードマークにさせておくのもいいですねぇ
庭師の作業着の裏に桔梗のマーク!戦場でも桔梗のマーク!本能寺を埋め尽くしている桔梗のマーク!そして、東照宮に天海名義で贈られた灯篭にも桔梗マーク!
どんなに光秀の心境に変化が生じようと何が起きようとも、これだけは不変!とすれば、面白いかもしれませんね。
よし、ピノコさんのがんばりをみて奮起したので
今度又長いのを書くかな。がんばりましょう。