1 :
名無しさん@お腹いっぱい。:
途中で新撰組脱退したのはもう戦争で敗北必死で死にたくないから
逃げただけだろ?
最後まで新撰組に残りそれ以降も生き残った漢達と違い途中で逃げた
永倉にはヘタレ感しか沸いてこない
仲間を裏切って長生きできて良かったねハイハイ
みんなもそう思うだろ?
2 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/12/18 18:42:57 ID:nR3/4kor
2ゲト
3 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/12/18 18:50:17 ID:k2yvyK3s
4さま
4さま
1はへたれ
敗北必死って敗北必至の間違いか?
7 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/12/18 22:00:00 ID:k2yvyK3s
8 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/12/18 22:01:54 ID:D4WZXHgM
すみません
そのくせ生き残ったら新撰組を持ち上げて武勇伝にするしな。
だったらなんで逃げた。ホント汚いよコイツ。
10 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/12/18 23:04:18 ID:HvGDMV+T
証言者が必要だと思ったんじゃないの?
11 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/12/18 23:29:30 ID:JMgm4UuL
史実の永倉とドラマの永倉のどっちの話をしているんだ?
史実では、違う隊を結成して会津で戦ったんじゃなかったけ?
靖兵隊っすね。
>>1 死にたくないから逃げたんじゃなくて、意見の相違から離脱してその後も戦ったんですよ。
いちいちクソスレ立てないでね。坊や
乱立すんな
15 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/12/19 11:22:53 ID:apRSgph2
中村彰彦の小説「巨体倒るもとも」を読むと、永倉新八の人間性に疑問を感じてしまう。
少し長くなるが引用。文中の「おれ」は永倉新八のこと。
…おれは慶応4年三月末に江戸で近藤勇と喧嘩別れしたあと会津入りをめざしたのだが、
日光口から会津に近づいた時にはもう官軍が先行しておって、とても入城できなかった。
(中略)これではどうにも身を隠しきれぬと悟ったおれは、ままよと思って松前藩江戸
屋敷へ帰参を願い出た。松前藩は五稜郭を占領した榎本軍に福山城を奪われてしまった
と大騒ぎしていたところだったが、簡単に城を抜かれた原因は藩兵に洋式調練をしてい
なかったためだ、といわれていた。
「では拙者が、フランス式の散兵戦術を伝授いたしましょう」
というと、江戸家老の下国東七郎は喜んでおれを百五十石取りで帰参させてくれたのだ。
「その福山城攻めには、土方さんやおれも参加していたんだ」
と魁が口をはさむと、何だ、そういうことだったのか、と永倉は楽しそうに笑って続けた。
…「新選組!」が近藤先生の死で最終回を迎えたのはよかったと思う。もし続編があれば、
われわれは、こんな卑怯なぐっさんを観ることとなる。
16 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/12/19 11:29:46 ID:2aVK8fk8
隊長になるくらいなのだから元々それなりに強かったのであろうが
永倉自身が語りべとなったことで永倉の強さは神格化した。
自分より強い斎藤が生き残ったので下手なことを書いたらやられそうなので斎藤の強さも神格化された。
自分より若い番号の隊長であった沖田を神格化するしかなかった。
まあこんなところだろ
実際は知らんが永倉と斉藤 そこまで実力に差があるとは思えない
18 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/12/19 18:01:35 ID:tTwqXQc+
未来のない組織にいたって、仕方ないもんねぇ。
19 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/12/19 18:16:35 ID:mmZvtRKM
永倉は格好良すぎると昔から怪しんでいました。
上に媚びず、剣も強く、人格者で・・・・・・
自分の事を格好良く語りたがりますからね。
20 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/12/19 18:45:15 ID:tTwqXQc+
土方あたりが生き残ってたら、もっとすごいことに・・・
21 :
:04/12/19 18:45:38 ID:HUV8YSom
定めなり
>
<
言 > 成
<
>
22 :
勝海舟:04/12/19 18:54:28 ID:8+IgE6Ep
なぁに、伏見の負けが全てだったんだよぉ〜
戦場で大将が逃げちゃぁ〜それでおしまいよぉ〜
あ〜あ
23 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/12/19 18:57:04 ID:tTwqXQc+
永倉は悪くないよな、別に
24 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/12/19 22:00:44 ID:FKZg+935
別に人格者でも、聖人でもないのだから何を期待しているのか。
永倉最強は本人が言ってるんじゃなくて他の元隊士が言ってるんだがな。
為三郎も「隊内で一、二を争う剣の遣い手」と言う証言を残してるし・・・って
糞スレに何マジレスしてるんだろうな、俺。
26 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/12/19 22:34:12 ID:r+kjGoQ5
>>15 バ〜カ
小説に描かれた永倉像を語るスレじゃねえだろ
オレ流
28 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/12/20 00:00:24 ID:IWahz4Ca
>>15 ソースが小説って・・・
新選組ヲタはこんなんばだなw
>>25>>26>>28 永倉信者必死だなww
戦うのが怖くなって逃げ出して命欲しさに生き延びたのは周知の事実なはずだが?ww
31 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/12/20 10:12:21 ID:unGQ7cMj
>>29 そうじゃないだろ。単に無用な殺生は避けたかったんじゃないの?
永倉が生き残ってくれたお陰で新選組の史実がわかるようなもんだ。
ま、永倉のおかげだけじゃないけどね。
もし、あそこで死んでたら新選組はもっと謎集団になってたかもしれん。
ま、大げさかもしれんがね。
>>32 >新選組はもっと謎集団になってたかもしれん。
菜っ葉隊みたいな存在になっていたかもな
34 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/12/20 12:22:41 ID:unGQ7cMj
やった事は大差なくても、語りつぐやつがいるかいないかで大違いだな。
物書きの三谷としては、記録や資料を残してくれたものに対する敬意というのか
ちょっぴり優遇している感はあるかな。
永倉然り、為三郎然り、小島鹿之介然り・・・
36 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/12/20 13:10:48 ID:unGQ7cMj
37 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/12/20 19:29:34 ID:qbj3ywui
御陵衛士の阿部十郎の証言によれば、
剣の腕は永倉>沖田>斎藤らしい。
服部武雄との比較がないので最強は誰だったかわからんのが残念。
38 :
15:04/12/21 00:56:52 ID:AVMmxFcT
>>26 >>28
「小説がソース」って文句言うけど、小説だって全くのフィクションではなく、
何だかの史料に基づいているんだろう。
だいたい、一旦は脱藩したはずの松前藩に帰参を願い出たり、その官軍側についた
松前藩で付け焼刃なフランス式散兵戦術を教えたり、それで150石取ったり、こ
の辺りはおそらく事実だろうし、私は卑怯だと思う。そのくせ派手な石碑なんぞ建
てて武勇伝書いて…。永倉氏が書かなくても西村兼文氏や鹿島淑男氏が書き残して
いたわ。
まあ西村兼文の新選組評は
「暴党が所業、残忍酷烈、人語に絶えたり。人を殺害する事、犬猫を屠るよりなお軽率なリ」
だからな。
これだけじゃとても大河の主役にはなれんだろうw
40 :
15:04/12/21 01:12:43 ID:AVMmxFcT
西村の新選組評だけでなく、世の中全体が新選組をそう評価していたのでは
ないの? 別に永倉新八の手記によって新選組の評価が変わった訳ではある
まいに。
…私って永倉新八に対して厳しすぎるかしら?
41 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/12/21 01:15:51 ID:Z6NvocE0
端から見れば、そんなもんだしね、実際。
42 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/12/21 09:18:08 ID:3QQ2T7+j
>>38 >何だかの史料に基づいているんだろう。
>松前藩で付け焼刃なフランス式散兵戦術を教えたり、それで150石取ったり、こ
の辺りはおそらく事実だろうし、
「だろう」「だろう」ってお前・・・
だからその元となった史料を出せよ。
「だろう」で済むとでも思ってんのか?
43 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/12/21 09:51:52 ID:Xlb2IDA4
史料が全て事実ってワケでもないんだし、だいたいでいいだろ、別に
44 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/12/21 10:21:02 ID:LNOAmElN
また戦犯探しか。政府の番犬よりマシだろ。
45 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/12/21 11:21:59 ID:OGX6Xd9G
勘違いしてる奴ばかりだから、はっきり言おう
新選組の当初の目的が変わっている以上、永倉を筆頭に隊を抜けるのは問題ない
志しが違う以上、一緒にいるのが不自然
脱退はして生き延びたから卑怯なんて考えは、死の美化に酔いしれてるだけ
近藤・土方だって新選組を解散して済む話なら、解散して生き延びただろうからな
46 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/12/21 11:27:16 ID:Xlb2IDA4
うんうん。ドラマでもそういう描写されてるし。
>>1は、何が不満なんだ?
生理中だったのかな?
48 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/12/21 11:56:38 ID:Xlb2IDA4
じゃあ、仕方ないか。
49 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/12/21 12:08:26 ID:KFTUqWKf
土方は新政府のA級戦犯。デスバイハンギング確定。
同じ死ぬなら斬首か戦死のどっちがマシか。
現実主義だし切腹はいやだったのだろう。
戦う以外生きる道がなかったから、徹底抗戦した。
ギリギリまで生きる気力を手放さなかった点は賞賛すべきだが、
近藤が寛容に処遇されていたら、箱館で死なずに明治後も生きていたろう。
美化オタはどうしてもこの理屈がわからんらしい。
生き延びて長生きするのは悪いことじゃない。
幹部なのに数年後、敵に仕えた某S氏などもいるし。
尻すぼみの内にうやむや。権力に頼り安全な場所に逃がしてもらう。
自力でけじめをつけなかった所が非難される点か。
某S氏って、改名を重ねた人でしょ。
日本史板で「実は世渡り上手」と揶揄されていた。
世渡りうまい人間が会津につくか?
「世渡り上手」でも、それは終戦後の身の振り方のことだし、
S氏はS氏なりに戊辰戦争にけじめをつけた後だと思う。
閑話休題。
永倉氏の手記に、どこかの藩の公金をみつけた云々の記述があったと記憶するが
あれはその後どうなったんだっけ?
>>52 元会津藩士でもないのに会津から厚遇されたことが謎。
小説なんかでは近藤らを見張るために入隊した会津の密偵
と書かれているのもあるらしい。