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↓(青山繁晴) 脱私即的幸福論:
336 :(青山繁晴) 脱私即的幸福論:2012/03/17(土) 00:06:03.34 ID:66c9vWJHP
(URL略)
独自且つ的確な視点と情勢分析による鋭い提言や価値ある情報発信において他の追随を許さない青山繁晴が、
視聴者からの質問に答える形で、日本の現状と未来を展望していく『青山繁晴が答えて、答えて、答える!』。
今回は、「人生の幸福」について悩むご質問に対し、青山なりの選択肢を提示させていただきます。
※質問者:小野寺 徳之さん
・私はデザイン業で生計を立てている29歳の貧乏会社の社長です。
・私は今まで他人の幸せも自分の幸せも考えたことがありません。
幸せなど望むだけきりのないものに思えますし、幸せになりたいという人は大概幸せそうに見えるからです。
しかし、私も幸せを感じる瞬間はあります。目標に向かって突き進む時、えも言われぬ幸福感に満たされます。
しかし目標を達成してしまうと、今度は虚無感が襲ってきます。
我ながら何と傲慢な魂だろうと思いますし、
幸福感を得るために目標を立てたりはしないのですが、漠然と虚ろに生きることが私は恐ろしく感じてしまうのです。
・現代日本に生きる私達は安全にそして清潔に保護されていますが、時々窮屈に感じてしまいます。
命を危機にさらすこともなく、階級や人種の壁による差別のない社会はまさに平和なのですが、
反面、人間の心を曇らせてしまう気がしてなりません。
実際には世界各地で飢餓や紛争など、日本においても痛ましい事件は山ほどあるのですが、私にとっては所詮テレビの中のバーチャルなのです。
人間の心を豊かに育むのは、やはり実体験に基づく経験でなければいけないと私は考えます。
周りを見渡すと、虚ろな人間がひしめき合い人生のゴールに向かって行進しているように感じます。
もちろん私の主観ですから、事実は必ずしもそうではないのでしょうが…
188 :
↓(青山繁晴) 脱私即的幸福論:2012/03/17(土) 00:54:49.65 ID:TAjI3Xin
・江戸から明治にかけて日本は多大なる犠牲を払い、近代化に成功しました。
当時の彼らを羨ましく思います。
私が思うに、日本人の気質は江戸時代から変わっていない気がします。
日本人は今も昔もこれからも、常に人目を気にし、人目のないところでは暢気で怠惰なままと思われます。
そして、どんなグータラ親父も危機的状況には命をかけて家族または困っている人を助ける気概を持っております。
・日本の中で最も罪深いのは、上に立って指針を指し示すはずの指導者が、自ら道に迷い恐る恐る森の中をさまよっている事です。
近隣諸国、欧米、そして自国民、そのすべてに気を使いヘコヘコし、みるからに自信無さげです。
人生の目標ではないにしろ、国としての目標が現在見えません。
・この閉塞感の原因は何でしょうか?
また、この閉塞感を打開するにはどうしたらよいのでしょうか?
日本国民が一丸となり何かを成し遂げることは今後ないのでしょうか?
それとも、仮初めの平和に身を委ねることこそが実は最善の選択なのでしょうか?
(※補足(私見):番組の最後で青山氏は「『差別が無い社会』と日本を言うことを僕はできないと思います…」などと仰ってますが、
これについては、
戦後の「押し付け憲法(『日本国憲法』)」の下で随分経過した現在、“差別”というより、
むしろ“外国勢力等による(本来的)日本国民に対する逆差別”こそが問題とされるべき状況にあると考えられます。
そこで、現在民主党が検討している「人権(侵害)救済法案」ですが、
これなど単に無用の長物であるというのみならず、外国勢力等による悪用をますます助長するだけの極めて危険性の強いものです。
よって、ここに私は、この手の立法措置に断固反対することを表明しておきます!)