この夏、僕は公民権運動に参加するため、南部のミシシッピーへ行った。
秋を迎えた今、僕は同じ闘争の別の局面に従事している。
今度は、バークレイ。
僕たちはミシシッピーで組織化された現状維持勢力に直面したが、その状況はバークレイでも変わらない。
我が大学の総長によれば、大学とはアメリカの産業ないし政府が要請する一定の製品を産み出す工場であるというのである。
そして、言論の自由を許せば現状が改革されかねないところから、大学は言論を検閲せざるを得ないという。
それは、暗澹たる光景といっていい。
だが、50年代の長い無関心時代を経てきた後に、今や学生たちは疑問を発するにとどまらず、その解答を自ら実行するまでになってきている。