私は脳性麻痺で手足が不自由です。歩けません。
小学校高学年までドーマン法をしていました。始めたのは覚えていないくらいの頃です。
それこそ朝から晩までです。私はリハビリが嫌でいやでたまらなかった。
私はアメリカの本場のものをしていたわけではないのでまだ良かったのですが。
と言うのも、私はちゃんと学校に行かせてもらえました。知り合いでアメリカまで渡って学んできた
人のお子さんは学校に行っていなかったと思います。
彼は結果的に歩けるようになり、私はなりませんでした。
でも、それで良かった、まだ救われたと思います。
学校に行って友達も多くできたけど、放課後友達を家に呼んで遊ぶということもできず、
何で私だけ?という思いでいっぱいでした。
歩けるようになると私も信じていたなら頑張れたでしょう。
でも、早いうちから私は「奇蹟」なんて起きるはずがないと、冷めていました。
でも親はまだ諦めてくれない。親は私のためにやっていたのでしょうが、
私は親に付き合っている気でやり過ごしていました。
途中で親も考えを変えたらしく、リハビリをやめ、友達とも家で遊ぶようになりました。
あのままリハビリを続けていつ終わるとも知れない毎日を過ごしていたら、きっと今の私はなかった。
私が4歳くらいの頃、まだ小さいですから余計にリハビリの毎日がいやで、
ぐずってリハビリをしない時がありました。
ある日そんな私に向かって母親はこう言った。
「あんたは歩けないんだから人間じゃない。泳げないから魚でもない。
這ってるから蛇か?(そのときは這う練習をしていた)
それだって上手にできないんだから蛇以下だね」
母のためにも言っておきますが、母は私のことをとても愛してくれています。
普通学級に通えたのだって母のおかげです。
だから憎んでるわけじゃない。でもこの言葉は一生忘れません。
今でも、不意にこの言葉が頭をもたげて、
憎しみをぶつけて汚い言葉を吐いてやりたい衝動に駆られます。
当時、毎日同じことの繰り返しで、目に見えて成果も上がらず、母もいらいらしていたのでしょう。
ドーマン法をしていていいことなんて何もなかった。あの幼少期を返して欲しい。
うちの親にドーマン法を教えていた人が、高校生の時に久しぶりにうちへ来ました。
私の成長ぶり、字がちゃんと書けていることなどを見て、「ドーマンをやっていたからだ」と言いました。
そんなものしていなくたって、母が字の書き方を教えてくれたと思いますよ。
ヒステリックに怒られながらでしたけどね。
母も、時々、背中をまっすぐにして座っていられるのはそのおかげだと言います。
私はそんな言葉を聞くたびに、私がどんな思いでいたか知らないくせにと思う。
今の私がもしもあの頃の忌まわしい日々のおかげであるなら、生きる意味がないとさえ思います。
祖父があるときポツリと「一種の宗教だな」と言ったそうです。
宗教。まさにそうです。あの頃私は「宗教」にがんじがらめにされていたんだと納得しました。