NHKスペシャル「奇跡の詩人」part10

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134名無しさんといっしょ
>>113
保全コピペ

’02年4月29日(月曜日)

昨夜、偶然チャンネルを合わせたNHKスペシャルのことがどうしても忘れられない。
それは、重い脳障害を患う11歳の男の子の、まさに「奇跡」としかいえない「天才ぶり」を取材した番組だった。
アメリカの学者が開発したある能力開発プログラムによって、彼の知性は飛躍的に進化した、と番組の中で母親は言い、
そして立つことも話すこともできない彼にピッタリと寄り添って、思うように動かない彼の手指を補助するカタチでもって、
文字盤の上の、彼の思いを代弁していた。
確かに彼の話す内容は、11歳の子供が発しているとは思えないほど大人びて蘊蓄に富んでいるのだが、逆に子供らしい、
のびのびした感情はまったく伝わってこなかった。そして彼は両親や、生まれたばかりの妹について実に思いやり溢れる言葉を綴るのであるが、
アタシにはその一言一言がどうしても、「コドモにはこう思っていてほしい」と切望する親の言い訳にしか聞こえてこなかった。
障害を持つ子供を育てる苦労というのは相当なものなのだろう。その痛み、苦しみが「わが子は天才」という「思い込み」に逃避していっても、
それは仕方のないことなのかもしれない。それでこの家族が、あるいは彼らの周りの人々が癒され、救われているのなら、そっとしておいてやれば、
という気にもなる。でも、アタシには、辛いリハビリを強いられている彼の目が、悲鳴を上げているように見えてならなかった。
満足に眠る時間も与えられずに「執筆」をする彼の指がもし本当に自分の意志で動いているのなら、「お願いだから眠らせて。苦しいリハビリを、どうか休ませて」
と訴えたいんじゃないかという気がしてきて、可哀想でならなかった。
そしてこの男の子の、1歳になる妹も。両親は24時間つきっきりで彼の面倒を見ている(父親は定職に就いていない。つまりはそういうことだ)。
甘えたい盛りの赤ちゃんを、満足に抱っこもしてやらない。「ママ、ママ!」と泣きわめいても「これが我が家の法律だから」と言って絶対に許さない。
これって、虐待じゃないのだろうか(またもやこれについて彼は「(お仕置きされた)90秒後の妹が、よりいっそう可愛く思えてくる」などと語るのだが、
これはどう考えても折檻する母親のエクスキューズにしか聞こえてこない)。
べつにこの「奇跡」が本当かそうじゃないのか、なんてことはアタシは実はどうでもいい。信じたい人がいれば信じればいいのだし。
それにどういうやり方であれ、世の中には子供をダシにして生活している親なんていっぱいいる。
所詮は他人のことだし、それが悪いことだとも言わない。子供の意志が、そこに明確にあるのであれば。
でも、この家族はどうだろう。立つことも話すこともできない11歳の男の子が、言葉もおぼつかない1歳の女の子が、
大事な「家族の時間」を削ってまで、「対話集会」という物販行脚をやりたいのだろうか。
近所のおじさんに「世の中は、あなたが幸せじゃないと世の中は幸せにならないんですよ」なんて説教したいんだろうか。
この両親が特定の宗教団体に深く関わっている、ということにも不安を感じる。彼は本当に幸せなんだろうか。
幸せならいいのだけれど。アタシが感じたこういう気持ちを「余計なお世話です。あなたのようにひねまがった心を抱えていたら、
ちっとも幸福になれないんだよ」とでも詩ってくれればいいんだけれど。
リハビリのときのあの子の目が涙で濡れていたようで、ひと晩たっても、アタシは気になってしょうがない。