朝日新聞 1996年08月13日 神奈川面 朝刊
心身障害児の心の叫びを詩歌に 横浜・緑区の日木流奈ちゃん/神奈川
話せない、歩けない、笑えない。そんな重い心身障害のある横浜市北部の少年が、
一字ずつ文字盤を指さして詩や歌を詠んでいる。緑区北八朔町、会社員日木貴さん(二九)と
千史さん(三二)の長男、流奈(るな)君(六つ)。手作りの詩歌集二巻をまとめ、リハビリを
助けてくれるボランティアたち約七十人に配った。流奈君はいま、新たな詩歌集づくりに挑んでいる。
A5大で無題の第一巻(六ページ)と第二巻「想ふ月」(二十一ページ)。「私に声を下さい 自由に
話せる声を」と訴える詩など五編と、短歌計十四首を集めた。三十行の詩に五日かかり、体力も消耗するが、
自叙伝もまとめ始めている。
流奈君は極小未熟児で生まれた。生後二週間のうちに三回、大手術をし、そのストレスで脳に水がたまって
脳障害が起きた。
四年前、眠っている脳細胞を刺激し、活性化させるリハビリ治療を開発した米国のグレン・ドーマン博士の
本を千史さんが見つけた。首、足、手を繰り返し動かすリハビリで、流奈君は、3DKの自宅につくった
傾斜板を自分ではって下りられるようになった。
この治療法のひとつに、百科事典から抜き出した絵などを見せながら説明してあげる方法があった。
そのやり方で流奈君の知識の量もぐっと増えた。初めて意思を伝えたのは昨秋。五十音や「はい・いいえ」と
書いた文字盤の文字を順々に指さした。「わたす さかな」という言葉になった。「夕食の魚がおいしかった
ので、パパにもあげて」という意味だった、と千史さん。千史さんが百人一首を読み聴かせたのが、詩歌に
目覚めるきっかけになったようだ。流奈君は「(障害で字を知らない人たち)みんなに字を教えてほしい」と
文字盤の文字を追って、語った。
日木さんは流奈君の訓練のボランティアを募集している。希望者はファクス〇四五********へ。