NHK特集「奇跡の詩人」2

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205『パ〜の進化論』
ルナママ尊師の説法

私は最近、「パ〜の進化論」を提唱した。
先に挙げた、「世の中に全く役に立たない人間」を目指し、クリアした人だけが次の段階に移れるのだ。
前回、数多くの物議を醸し出した「目指せ、役立たず」、ご理解いただけただろうか?
さる某団体に喜び勇んで我がサイトのトップページのお題目を伝えた某HM嬢は、そのお題目に秘めた学びについて深く追及され、後じさりをしたという。
役に立たない人間、あぁ、なんといういい響きであろう。
私としては、この役立たずの意味を理解した者こそ、人類の叡智を獲得するにふさわしいと考えている。
さすれば、次に行くのは「パ〜」しかないのである。
ここで少し謎解きをしておこうと思う。
賢明な読者諸君にはもうすでにご理解いただいているとは思うが、「パ〜に向かうべき役立たずとは何か?」、
これを少し解説していこうと思う。
世の中、人というのはだれかに役に立つことがよいとされる傾向にある。
しかし、他人の役に立つということをもう一度諸君に考えていただきたい。
親切のつもりが余計なお世話。逆に、無関心が不親切と言われる。
では我々はどうしたらいいのか? 答えは簡単である。
自分を幸せに満たしてやればいいのである。
この件に関しては私の友人のロミという女性が各地の講演会でうまく説明しているので、いつか機会があればぜひ彼女の話を聴くことをお勧めする。

話がだいぶそれたが、いったい自分をおざなりにしてひとの役に立って、本当に相手が幸せで満たされると思うか、その点を考えていただきたい。
自分の幸せが他人の不幸の上に成り立っていると感じて、諸君は幸せでいられるだろうか。
ちなみに、私は役立たずの人間である。自分の下の世話もできず、メシも食わせてもらっている。
口ばかり発達した脳障害児である。ちなみに、高齢者の痴呆が進むのは、自分でトイレに行けなくなったときだという。
人間の尊厳が損なわれるからだという。
父と母によれば、私はまだ人間の尊厳すら持っていないのネ、ということだ。んー、尊厳などまだ考えちゃいない私であった。
こうして立派な役立たずをしている私はなぜか皆によくしてもらっている。役に立たない人間というのはなかなか愛されるものだ。
 と、ここから「パ〜」に移るのだが、以前からさんざん我が家に来る人々は私の親たちによって「頭悪いヤツら」というレッテルがはられている。
つまり、パ〜だ。彼女たちは惜しげもなく交通費をかけ、時間をかけ、私のリハビリの手伝いにやってくる。
すでに立派なパ〜なのだ。損得の計算ができないのだ。つまり、頭が悪い。困ったことだ。
我が家では「役立たず」と「パ〜」という言葉は紛れもなくほめ言葉となる。私はこうしてパ〜の進化論を見つけたのだ。
パ〜の進化論の最先端を行くのは、間違いなく父だ。彼は母に言われた仕事は何カ月たっても、何度言われてもけっしてやらないのに、骸骨マークを使って各パ〜の家庭にFAXを送って喜んでいる。
役に立たないことをして、資源の無駄遣いをして、心赴くまま骸骨通信を送っている。ただ己の心のゆかい度を満たすために。それに乗ってくるヤツらも紛れもなくパ〜である。
この真理を発見した時、私はうれしさのあまり震えを感じ、立つことが困難になった。
とは言え、私はまだ腹這いしかできないのだが。
というわけで、我が家の近辺では恐るべき怪文書が出回り、パ〜への道に拍車をかけている。
あぁ、すばらしきかな、人生。
では諸君、また会おう。

みんなゆかいに生きようネ。
じゃ。