東京電力福島第一原子力発電所の事故で放出された放射性物質は、核燃料のメルトダウンや
水素爆発が相次いだ事故発生当初の4日間ではなく、その後に全体の75%が放出され汚染を深刻化
させていたことが、日本原子力研究開発機構の分析で分かりました。
政府などの事故調査はこの時期に何が起きていたかを解明しておらず、専門家は
「放射性物質の大量放出がなぜ長期化したのか、原因の解明が求められる」と話しています。
福島第一原発事故の規模は、放射性物質の放出量からチェルノブイリ原発事故と同じ「レベル7」と
されていますが、放出の詳しい全体像は明らかになっていません。
日本原子力研究開発機構の茅野政道所長代理らの研究グループは、原発周辺などで観測された
放射線量の新たなデータを集め、大気中への放出状況を詳しく分析しました。
その結果、事故が起きてから放出がおおむね収まった3月末までに放出された放射性物質の量は
47万テラベクレルと推定され、このうち、核燃料のメルトダウンや水素爆発が相次いだ3月15日の
午前中までの4日間の放出量は全体の25%で、むしろ、その後の2週間余りで全体の75%を占める
大量の放出が続いていたことが分かりました。
さらに、当時の気象条件を基に拡散の状況を解析したところ、15日の夕方から深夜にかけて起きた
大量放出で、今も帰還困難区域となっている原発周辺の汚染が深刻化していたほか、20日の夜から
翌日にかけての放出が関東地方など広範囲に広がり、一部の水道水の汚染などに
つながったとみられることが分かりました。
今回の分析結果は、事故の進展を食い止められず危機的状態とされた当初の4日間のあとも
放射性物質の大量放出を抑え込めていなかったことを示していますが、政府などによる事故調査は
当初の4日間に重点が置かれ、その後の放出の原因については解明されていません。
茅野所長代理は、「今後の原発事故の防止や事故の早期の収束のためにも、なぜこのような
放射性物質の大量放出が長く続いたのかを解明していかなければならない」と話しています。
福島県では12万人余が避難生活
福島県では、今も12万人余りが避難生活を余儀なくされているほか、深刻な汚染が残る
「帰還困難区域」は、大熊町や浪江町など6つの市町村に広がっています。
大熊町で畜産業を営んでいた池田美喜子さん(57)は、今も自宅や牧場周辺で年間50ミリシーベルトを
超える被ばくが想定されていて、およそ50頭の牛を残したまま避難生活を続けています。
池田さんは、20キロ離れた避難先から牧場に通って餌を与えていますが、出荷することはできず、
悩んだ末、生き物への放射性物質の影響を調べている大学の研究チームに、牛を提供することを決めました。
池田さんは、「牛がかわいいので、本当につらいですが、寿命が来るまで十分に栄養を与えられないまま
育てているよりも、せめて人の役に立つならばと研究に協力しています。帰りたいのに帰れない。
原発事故が悔しいです」と話しています。
「完全にやり残してしまった」
東京電力福島第一原子力発電所の事故を巡っては、政府や国会が設置した調査委員会のほか、
東京電力も調査を行い、それぞれ報告書をまとめています。
しかし、いずれも核燃料のメルトダウンや水素爆発が相次いだ3月15日の午前中までに調査の重点が
置かれていて、今回、放射性物質の大量放出が明らかになった15日午後以降に
何が起きていたのかは、ほとんど触れられていません。
政府の事故調査・検証委員会の委員長代理を務めた作家の柳田邦男さんは、「15日以前のことに
圧倒的に重点が置かれていて、15日以降については、付随して起こったことくらいの意識しかなかった。
いちばん謎の多い原子炉からの放射能漏れのような点は、さらに継続して調査するという点では、
完全にやり残してしまった」と期間がおよそ1年に限られた当時の調査を悔やんでいます。
そして、政府が常設の調査機関を作るべきだとしたうえで、「被害を受けた人たちは、なぜ自分がこんな
目に遭うのか、原因をはっきりさせてくれと考えている。こういうニーズに対して、国も電力会社も
応えていかなければならない」と述べ、被災者に寄り添った調査を続けていく必要性を強調しています。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20141221/k10014165631000.html ★1の立った日時:2014/12/21(日) 21:00:51.62
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