【歴史】畿内説、九州説それぞれに根拠あり 邪馬台国はどこなのか★3©2ch.net
〈倭人は帯方の東南大海の中に在り、山島に依りて國邑を為す。旧百余國。漢の時、朝見する者有り。
今、使訳通ずる所三十國〉邪馬台国や卑弥呼について記された唯一の資料、『魏志倭人伝』の冒頭である。
この中国の歴史書に書かれた記述がその後、現代に至るまで日本成立に関わる論争を引き起こした。
文化庁主任文化財調査官が邪馬台国の「今」を語る。
* * *
邪馬台国は日本の古代国家成立にかかわる重要なテーマである。古くは江戸時代の
儒学者・新井白石や国学者・本居宣長らがその謎を解き明かそうとした。肝心の所在地をめぐっては、現代まで論争が引き継がれている。
『倭人伝』によれば、邪馬台国までの道のりは朝鮮半島中西部の帯方郡から対馬国(対馬)や一支国(壱岐)を経由し、不弥国(福岡県飯塚市付近)まではほぼ特定できる。
しかし、そこから南に船で20日行くと投馬国に着き、さらに船で10日、陸路1月で邪馬台国に着くという記述をそのまま辿ると、
邪馬台国は九州のはるか南の洋上に存在したことになってしまう。そこで、投馬国から邪馬台国までを
「船なら10日、陸路なら1月」と読む九州説や、不弥国以降の〈南〉を〈東〉と読み替える畿内説などが提起された。
その後、九州、畿内を2大候補地としながらも、北は東北地方から南は沖縄まで、日本各地に可能性が唱えられた。
しかし、『倭人伝』を元にした論争は解釈の域を出ることはなく、決着を見ない。そこで考古学の出番となった。考古資料を検証するのである。
中でも重視されてきたのが銅鏡だ。2世紀前半までは九州北部を中心に出土していたのが、
2世紀末から3世紀初めには近畿を中心に出土するようになる。例えば「画文帯神獣鏡」は、
分布を研究した大阪大学の福永伸哉教授によると、2世紀後半から3世紀初めの近畿を中心に分布している。
これにより、卑弥呼の邪馬台国が登場する3世紀半ばまでに、倭国の中心が九州から近畿に移ったとみている。
それを根拠に邪馬台国=畿内説を唱える考古学者は多い。そのため、歴史学者など文献史学者は九州説を、考古学者は畿内説を唱える傾向がある。
畿内説を支持する研究者にとって、邪馬台国の所在地として最有力なのが纒向遺跡(奈良県桜井市)だ。
3世紀の遺跡で、東西2km、南北1.5kmという当時の集落として類を見ない規模を有し、
周辺には卑弥呼の墓と目される箸墓古墳などこの時期の墳墓が多数ある。発掘は現在も続いており、これまで土器や木製品、
多数の桃の種などが出土したほか、宮殿ともみられる巨大な建物が整然と並んで建っていたことがわかっている。
今後、纒向遺跡などでまだまだ新発見の余地があり、畿内説の研究者にはその「蓋然性の高さ」を証明できることが期待されている。
が、それで邪馬台国の所在地論争が終わるわけではない。
現在、学術関係者ではない、各地の民間有志による邪馬台国研究会が数多く活動しているが、
今年、その全国組織「全国邪馬台国連絡協議会」も結成された。
その謎をめぐる議論はアカデミズムの枠を超え、古代史にロマンを求める多くの人々を惹き付けてやむことはない。
※SAPIO2014年12月号
http://www.news-postseven.com/archives/20141202_285340.html ★1 2014/12/02(火) 21:49:25.31
※前スレ
http://daily.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1417570628/
2 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 00:17:30.12 ID:4P19uha10
常識的に考えると北九州だよね
あの時代に魏の国の人が畿内まで来てたとなると
ちょっと突飛な印象を受ける
どっちか決定したら、どんないいことがあるの?
4 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 00:18:27.09 ID:PJbrexlT0
あるよ
5 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 00:19:10.87 ID:1mpPiOk80
まだやるのw
6 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 00:19:18.11 ID:hiv41zRV0
邪馬台国=ヤマト国=大和
終
何を長々とやってるの?
記紀でも天下った天孫の皇祖が九州から東征したって書いてるしな
8 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 00:20:20.66 ID:5AuPq1XF0
四国なんだろ
なんかこれ読むと奈良の金剛峰寺か沖縄のなんちゃら城あたりだな
邪馬台国移動説。
12 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 00:23:27.99 ID:ujXd2lk+O
北九州から奈良に移動したんだろ。
両地域に遺構があるならそう考えたほうが自然。
13 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 00:24:05.71 ID:YimDhRrH0
邪馬台国なら俺の隣で寝てるよ
え?滋賀でしょ?
邪馬台国の起源は韓国。いまのうちに言っておこう。
16 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 00:25:31.54 ID:+0pPLWM10
北朝鮮でいいじゃん
星新一が邪馬台国ハワイ説を提唱してた
邪馬台国複数説
卑弥呼複数説
奈良のような場所で太古の昔に交易が出来たとは地政学的に無理がある
大陸に近い九州にあったというのが自然な考え方だ
丸太のような船で食料と水を積んで奈良に到達するのは相当に困難
関門海峡は渦潮も発生するし、いつも風が強い
20 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 00:28:24.27 ID:bAo1+kgEO
韓国ニダ!
21 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 00:28:39.41 ID:dEiVfhew0
だから福井だよ福井。
22 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 00:29:10.46 ID:uHLfgHRI0
魏から派遣された役人が「でまかせ」を報告したに決まっている。
23 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 00:29:10.28 ID:dXfcDD7a0
朝鮮半島の人間が九州に渡って作ったんだから九州にきまっとる
テレビとかは歴史ロマンとか言いたがるが、中国人がいい加減な記録を残したせいだから。
25 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 00:29:23.51 ID:v5y2leoc0
大分県の(旧)五馬市村だろ
26 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 00:30:00.46 ID:Ydh0A2x90
邪馬台国などというものはたまたま大陸に近い九州にあって記録に残っただけの野蛮な国家でしょう。
近江を中心とする銅鐸国家こそ邪馬台などと比較にならぬほど平和で高い文化を誇っていた連合国家です。
その名は記録として残ってはいませんがこの高い文化を誇る銅鐸国家を滅ぼしたのが
オキナガタラシヒメ、ホムタワケ、すなわち朝鮮半島南部から侵入して邪馬台の末裔と血縁を結び、瀬戸内海を東進して吉備と手をつないで
大和国に侵入した侵略者でしょう。
27 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 00:30:31.92 ID:V9yZuliB0
邪馬台国は当て字
それも小ばかにしてる悪意の当て字
当時の発音すら不明なのになぁ
学者は馬鹿だから 書かれている紙の年代で推測するし
>>23 朝鮮人には残念な結果だが稲作の米のDNA解析で日本が朝鮮に伝えたものと分かっている
29 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 00:31:02.38 ID:fE/I9CV/0
邪馬台国は奈良にある。
「ナラ」は韓国語で「国」を意味する。
当時の韓国本土から入植者としてきた韓国人が奈良を訪れ、国を建国したのだ。
すなわち日本の歴史は韓国が創造した。
これは純然たる事実。
30 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 00:31:51.95 ID:MXv4Fm6b0
2ちゃんねるの天才達にお聞きしたいのですが
魏国東夷伝倭人条に卑弥呼と書かれていますが
卑怯の卑
弥勒の弥
呼吸の呼
確かに日本語でヒミコと読めるのですが
中国語でも「ヒミコ」と発音するのでしょうか?
他に読み方があったのではと?個人的には思っているのですが
どうでしょう?
31 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 00:32:05.45 ID:JI+p8Ar00
>>19 全く同意
魏志倭人伝にある激しい戦乱の痕跡が近畿に見当たらないのも説得力が無い
北九州では矢が何本も刺さった人骨なんかも出てるけどな
33 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 00:32:20.25 ID:W1Vj/Xsj0
>>29 ネタだろうが、一応言っておく、当時は「韓国」なんて存在していな。
34 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 00:32:36.12 ID:V9yZuliB0
>29
そうだとしても 残念だが 現在の韓国人ではないぞ
半島に帰れ
35 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 00:32:55.79 ID:A9W1tDWa0
四国の徳島って事で決着しそう
36 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 00:34:38.88 ID:Ydh0A2x90
オキナガタラシヒメは朝鮮半島南部出身の「倭人」です。
おそらく多羅国の王族でしょう。
現在の愚かなエベンキ族の末裔とは何ら関係はありません。
現在の日本の天皇家と同族であった百済を滅ぼしたエベンキ末裔の新羅の子孫が
今の下劣な朝鮮半島人です。
仮に朝鮮半島を経由してたとしても、弥生人って稲作文化と濃厚な関係あるから
朝鮮半島居住の原住民とは関係ないだろうね
>>32 倭国の大乱が、九州限定なのか西日本を巻き込んでいたのかで違ってくるね。
39 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 00:37:16.04 ID:ddseoDCs0
味のマルタイ、邪馬台国!
40 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 00:37:18.44 ID:V9yZuliB0
>30
それは現代語な、当時の発音は不明だ
現代は50音だが
古の時代は70音以上あったらしい
41 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 00:37:47.07 ID:b+aO4u250
魏志倭人伝が示すのは九州のはるか南方海上
当時はそこにムー大陸の名残の大きな島があったんだよ
沖縄の海底遺跡が示してるように。
42 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 00:38:14.19 ID:CpUwouIO0
済州島だという
天皇朝鮮人説を説く割に、朝鮮半島に日本の出先機関があったのは無視するよね
44 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 00:40:17.43 ID:A9W1tDWa0
朝鮮半島なんてただの通過点じゃねえかよ
あんな未開な地域に文明なんかあるかよw
45 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 00:40:39.64 ID:yQbtbXxV0
妃魅禍
47 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 00:41:10.49 ID:le/nHvps0
48 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 00:41:13.45 ID:MXv4Fm6b0
>>40 つまり、ヒミコと発音するのが必ずしも正しいとは限らないと
何か色々と勿体無いな
49 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 00:41:19.09 ID:14IvqOPsO
>>33 魏志倭人伝には「狗邪韓國」という地名か国かは知らんがあるぞ
50 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 00:42:41.82 ID:fZIIj0bI0
妄想を巡らすよりも宮内庁に箸墓古墳の調査を許可させる要請をした方が良い。
本当に卑弥呼の墓ならば何が出土するか想像するだけでも楽しい。
奈良盆地にある宮内庁管轄の古墳は総て調査出来るように要請しよう。
51 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 00:43:26.58 ID:le/nHvps0
>>30 とりあえず、ヒミコは間違い。魏志倭人伝が書かれた当時は呼はカ行の音では無いことが分かっている。
52 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 00:43:38.03 ID:YimDhRrH0
邪馬台国は畿内、もしくは九州
53 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 00:43:39.55 ID:V9yZuliB0
>36
そこは 倭国の一部ではないかと 言われているが
54 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 00:44:27.86 ID:le/nHvps0
>>48 必ずしもじゃなくて、間違いなのはほぼ確定している。
55 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 00:44:34.78 ID:ujXd2lk+O
とりあえず、日本人から聴いた名前に当て字したら卑弥呼になったらしいが、今、読めるヒミコに近い発音だったのかな。
中国人に読んでもらうと卑弥呼はヒミコに近い発音なんだろいか?
邪馬台国の場所がなぜ混乱してるのか
それは大和が倭を隠したから
歴史から隠された土地そう
邪馬台国は阿波です(´・ω・`)
57 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 00:45:45.17 ID:le/nHvps0
>>52 畿内は消えている。
東遷も東征も消えている。
東遷・東征無しの九州説でオケ。
だいたい当時の古代朝鮮語ってほとんど解明されてないんだよな
ナラ=国って現代朝鮮語の話
サワラビとサムライとかのこじ付けでも同じような馬鹿な事言ってただろ、
こいつら w
59 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 00:46:48.36 ID:Ydh0A2x90
魏志倭人条が示すように
狗邪韓国=巨済島はもともと韓国の領土ではなく日本の領土だったのですから
韓国は巨済島を日本に返還するべきですね。
日本は平和ボケのお花畑の国家ですから、タケシマと同じく巨済島も韓国に盗られたままにしておくのでしょう。
歴史を学ばない愚かな日本人どもは、少なくとも奈良時代あたりまでは巨済島が沙都島と称して
日本の領土であったことさえ知りません。
60 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 00:47:10.72 ID:pdUXzkxu0
九州熊襲説
やま大国って言うくらいだから山の中にあるんだろう
63 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 00:49:39.17 ID:W1Vj/Xsj0
公孫度の子孫が司馬懿に滅ぼされて魏の勢力圏に収まったから、
帯方郡までちょっくら出張ったんでしょう、一番の近距離は現在の韓国の北部分に食い込んでいる魏国領土の帯方郡に行ったはず。
邪馬台国首脳部はなかなか外交巧かったな
>>57 東遷・東征が無いという根拠はなんなの?
64 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 00:50:53.84 ID:SjuAkLts0
畿内説は纒向で統一されてるけど
九州説の主張は全くバラバラで「九州のどこかにあったに違いない」ってレベルだからな
当時の中国の常識では女性君主はありえない、
リアルガリバー旅行記!
驚きすぎて邪馬台国の記述が詳細になったという説がある。
66 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 00:51:22.50 ID:ujXd2lk+O
古代の日本語が中華風で卑弥呼の文字を当てた名前だったとも考えられる。
卑弥呼をヒミコと読むのはずっと後の世だったのでは。
67 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 00:51:39.47 ID:MXv4Fm6b0
>>54 そうだったんすか・・・
正確な発音が判れば色々解明できそうなのに
(TдT) アリガトウ
68 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 00:51:56.50 ID:W1Vj/Xsj0
>>65 西王母的な神秘感で金印にしちゃったのかもね。
69 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 00:52:00.42 ID:14IvqOPsO
古墳調査って聞こえはいいが悪く言ってしまえば墓荒らしだからなあw
宮内庁は認めないよねえ…
70 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 00:54:00.29 ID:le/nHvps0
>>67 だから比売大(ヒメヲホ)だと思う。
宇佐の比売大神(ヒメヲホノカミ)。
ただし、宇佐のは台代だろうけどね。
71 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 00:54:04.91 ID:W1Vj/Xsj0
ピミなんとかさん
72 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 00:54:09.35 ID:xZ73fHwv0
そもそも現在の天皇家と関係ないただの一豪族なのでは?
たまたまシナの文献に載ってたってだけの存在なのでは?
他にもいくつも小王国が地域ごとにあったけど、目に触れたってだけなのでは?
73 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 00:54:55.28 ID:ujXd2lk+O
>>65 君主ではなく神に近い存在で、預言者&科学者だったから祭りあげられたんだろ。
古代は合議制で神のお告げがモノをいったんじゃね。
74 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 00:55:08.00 ID:hiv41zRV0
墓荒らしだからじゃなくて、正史とは違う事実が明らかになっちゃうからだね。
75 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 00:55:15.53 ID:le/nHvps0
台与だった。
76 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 00:55:34.04 ID:UmO2SXcW0
邪馬台国を理解するには日本史だけやっていてはだめだと思う
世界史、東洋史的な視野から見ないと誤るような気はするね
>>64 熊襲を除く九州全域を統治していたと思われる
統治していたというか熊襲は九州の真ん中に位置するので
攻めてこれないように熊襲を囲っていたかもしれん
78 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 00:56:23.55 ID:99yMkrOB0
?
邪馬台国これは聞いた日本語を当て字したもの
邪=ジャ、ヤ、シャ、か
馬=バ、メ、うま、ま、むま
そう邪馬台国は「八女大国」と言われたのを
当て字したのかも知れない
しかし邪馬台国は阿波です(´・ω・`)
>>64 正直な話「纒向で」ってのも早計すぎる感はあるけど、これからだろうね
82 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 00:59:14.69 ID:14IvqOPsO
>>72 そうかもしれないし、そうじゃないかもしれないから邪馬台国の場所を見つけようとしている
>>38 今でこそ近畿と九州なんてすぐご近所だが、当時の距離感覚からしたらそれどこじゃない
個人的には魏志倭人伝の倭国の範囲に当時の近畿勢力は含まれてなかったと思う
近畿の勢力(=大和朝廷)が九州勢力(=魏志倭人伝で言う邪馬台国その他の国のその後)を
征服した、もしくは邪馬台国その他の国の末裔の誰かが九州を征服し、ヤマトへ手を伸ばした、
それが記紀の天孫降臨神話の大元だと思っている
要するに、魏志倭人伝の倭国騒乱と、記紀の天孫降臨神話は別の話で、邪馬台国と大和朝廷は
全くの別物。
邪馬台国=大和朝廷ならば、記紀の神話の中に魏志倭人伝を思わせる記述があるはず。
そんな時代から中国大陸交流を持っていたなど、天皇家の歴史の格を上げるこれ以上ない
材料なんだから
84 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 01:01:41.55 ID:W1Vj/Xsj0
>>72 魏国が呉国なんかや、北方諸民族との東方戦略の調整で外交戦略を据えているのにあまりにも形のない勢力に金印まで授けるとは思えないがなあ
85 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 01:03:11.58 ID:nYfEbycq0
建設会社が掘り起こした時になんかの遺跡を見つけちゃって、
気付かないふりして上に建物造ったとかよくある話なんでしょ
もう貴重な遺跡かなり破壊されまくってると思うし
86 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 01:03:23.02 ID:RwKxaLmp0
九州でみつかった金印がニセモノくさいな
87 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 01:03:59.06 ID:nDyNcacA0
邪馬台国は大物と尼の間に有ったんや
88 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 01:04:28.03 ID:0ZpRhRfU0
>>80 福岡県には八女という地名があるぞ
あと、福岡と熊本の県境には山門(やまと)という地名もある
89 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 01:04:50.97 ID:W1Vj/Xsj0
90 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 01:05:26.70 ID:fZIIj0bI0
>>83 古代でも九州と近畿の距離は僅かだぞ、船を漕いで行けば10日もかからない
海も穏やかな瀬戸内海だし島もたくさんあるので遭難することも無い。
弥生人が江南地方から東シナ海を横断したと言う狂気の説に比べると
屁のようなもんだ。
91 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 01:05:56.68 ID:ujXd2lk+O
>>80 中華思想で卑しい当て字をされたのは間違いないと思うが、今の日本語で読める近い名前で比較できるのかな?
特に邪馬台国は大和に似ているから奈良と言われることがあるけど、邪馬台国と大和が古代中国で同じ発音だったのかも分からないしな。
93 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 01:06:11.39 ID:xO+3pbte0
と、無理やり根拠ありと譲歩することにより
九州説に説得力を持たせようと大人ぶる主水であった。
94 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 01:06:47.41 ID:le/nHvps0
>>63 もう面倒臭いよ。
東征も東遷も無いよ。学会の常識だから。
考古学的に否定されてるの。
逆だろ。覆す根拠が一体どこにあるわけ?
95 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 01:06:55.41 ID:ZFnhTqDD0
九州八女地方には縄文時代から弥生時代にかけての遺跡も多く
古くから人の定住が見られ
筑後川、矢部川に挟まれた農業にも適した土地で
目の前は有明海で、八女大国の可能性は物凄く高い
でも、邪馬台国は阿波で確定です(´・ω・`)
97 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 01:08:00.21 ID:le/nHvps0
>>81 纒向は邪馬台国とは全く関係無いよ。
ニギハヤヒの祖先の作った都と思われ。
98 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 01:08:12.27 ID:W1Vj/Xsj0
99 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 01:08:43.60 ID:6a9iZ0F+0
普通に九州だろ
大陸から渡るには最も都合が良い場所
物理の原則を妄想で捻じ曲げようとするジャップ見苦しいわ
100 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 01:09:07.46 ID:uEfRh9iR0
いい加減倭は和、卑弥呼は日巫女と書き換えるべきだと思うの
101 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 01:09:17.27 ID:fZIIj0bI0
どうして奈良地方から親魏倭王の金印が見つからないのだ?あの金印こそが
邪馬台国の存在を表しているんだよ。
>>86 おい朝鮮人、朝鮮には金印が無いからと僻むんじゃ無いぞ、
朝鮮は泥印だったそうじゃないか。
>>94 考古学者は嘘つきだ
ゴッドハンドでバレた
唯一信憑性があるのは魏志倭人伝しかない
魏志倭人伝があるから邪馬台国の存在があったとされる
考古学とか糞の役にも立たん如何様を持ち出すな
103 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 01:09:38.85 ID:Vu876C6o0
邪馬台国の起源はそもそも韓国だから韓国にあったんだろ
104 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 01:10:10.37 ID:C98ad+4Z0
修羅の国を平定した女王卑弥呼
105 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 01:10:55.57 ID:le/nHvps0
>>98 アホ。東遷・東征が史実である根拠こそ言え。
逆だと言ってるだろ。
106 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 01:11:57.74 ID:9ykHrqq9O
徳島県決まりさ
うーでが飛び出すババンバン♪
109 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 01:13:13.81 ID:W1Vj/Xsj0
>>105 東遷説に固執しているわけじゃないんですけどそうでないと定説になっているという学会について情報をあまり知らないものですから、
学界では定説とまでおっしゃるから後学のために、
詳しく研究の実態などを知りたく存じましたものですから質問したんですけど?
もしかして背景固めるような知識とか実はないんですか?
110 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 01:13:34.76 ID:C98ad+4Z0
素直に考えれば「大和国の姫子」だよな
111 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 01:13:38.10 ID:MXv4Fm6b0
>>75 ヒメヲホっていうのは遺跡や古墳などから
ちょっと弱いと思うのですよ
大分に魏の人が行って文書に残すほどの存在とはちょっとね
私、大分生まれですけどちょっとね
邪馬台国は滅んだ国。かつて九州にあったけど、3〜4世紀中に滅んだから歴史に残らなかった。
あたりを俺は推す。畿内の可能性も30%ぐらいある。
遷都とか言ってる奴は馬鹿
113 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 01:15:01.77 ID:fZIIj0bI0
>>83 お前のような古代日本の知識が乏しい者は初めて見た。
近畿の勢力は銅製の武器しか持っていなかったのに、鉄製武器を大量に
持っていた北部九州の勢力を支配下に出来る訳が無い。
こんな簡単な事も分からないなんて馬鹿じゃ無いか。
114 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 01:15:02.90 ID:A9W1tDWa0
大和とか奈良とか
そんな重要なキーワードの類の地名は
すべて四国の徳島にある
そういや天皇という地名もある
矢野神山にはヤクラヒメ神社もあるし
イザナミ神社もある
イザナギ神社は淡路島にあるし
115 :
ココ電球_/ o-ν ◆tIS/.aX84. @転載は禁止:2014/12/04(木) 01:15:36.03 ID:32YQ7Zqi0
天皇家成立は7世紀だつうの
邪馬台国=大和だろ
いつまでも本居宣長の歴史を直視出来ず、捏造した存在に振り回されてんじゃねえよ。
>>105 歴史を探るには神社しかないんだよ
元々近畿にいた出雲の神様も神武天皇に国を譲って
島根でやすらかに眠っておられる
118 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 01:16:00.62 ID:le/nHvps0
>>109 常識だから面倒臭いっつったら。
東征・東遷が史実であることを証拠付きで言ってる学者をお前がまず挙げて見せろよ。
外国説はジャワ島、エジプトかな。
他にもあるのかな?
120 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 01:17:01.80 ID:SjuAkLts0
121 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 01:17:15.76 ID:le/nHvps0
やまたい と やまと って繋がりあるの?
123 :
ココ電球_/ o-ν ◆tIS/.aX84. @転載は禁止:2014/12/04(木) 01:17:56.98 ID:32YQ7Zqi0
大和なんて日本中にあるからだめ
読みが似てるからってのは 学術じゃないし
124 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 01:18:03.39 ID:W1Vj/Xsj0
>>118 だから固執してないし、知らないから知りたいと言っているのに
私のポジションでは知らないことに別に問題はないんですよ。
貴方は東遷説を否定する論拠が学会で定説になっているという研究の推移を知ってい居るというスタンスなんですから
べつに知らないんだけどむしゃくしゃして否定したとかそんなんなんですか?
>>114 そんなの何処でもあるわw
イザナミとイザナギは天界の話であり
この世に降臨した神武天皇とは距離を置く
126 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 01:18:30.32 ID:V9yZuliB0
帯方郡から女王国に至る、1万2000余里である。
南に水行10日と陸行1月で女王の都のある邪馬台国に至る。
官に伊支馬(いきま)、弥馬升(みましょう)、
弥馬獲支(みまかくき)、奴佳鞮(なかてい)があり、推計7万余戸。
127 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 01:19:18.08 ID:0ZpRhRfU0
>>119 たった15年前に建てられた石碑を根拠にするなよ・・
128 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 01:19:20.56 ID:ujXd2lk+O
王家を名乗れるのは神の託宣があった家だけであったと考えられるなら、卑弥呼と台与が重宝されたのがわかる。
北九州に王家があり、卑弥呼→台与は預言者として王家を助けたが、台与の時、王家が他の勢力に滅ぼされ、その勢力が台与を奈良に連れて行って王朝を建てたのかもしれない。
129 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 01:19:23.53 ID:MXv4Fm6b0
個人的には箸墓周辺だと思っている
>>122 そもそもヤマタイと読むなんて誰も言ってない。
ヤマダイ ヤマトゥの可能性も高い。
昔は、普通にヤマト国って読んでた。
131 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 01:19:45.96 ID:Y/3nAekp0
>>118 俺が教えてやる
武田邦彦教授だ
知りたきゃブログから探せ
133 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 01:20:42.37 ID:HYvWbX0j0
134 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 01:21:03.35 ID:le/nHvps0
近畿説
東遷・東征
これらはもう無い。消えた。
東征・東遷無しの九州説でよい。それしか可能性が残って無いし、それで全部説明出来る。
神武は東征したのでは無く、血筋の良さを買われて近畿に招かれて行った雇われ店長。
神武東征は記紀の捏造。
邪馬台国は御井。
卑弥呼の墓は祇園山古墳。
135 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 01:21:23.24 ID:E3ODtzSb0
>>122 そもそも邪馬台国を「やまたい」と読むべきか議論がある。
136 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 01:21:52.45 ID:0ZpRhRfU0
卑弥呼ってたしか長崎県出身だったよな
137 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 01:21:59.11 ID:C98ad+4Z0
手榴弾やらRPGもっている北九州に対して、青銅器の武器の機内は勝てないな
138 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 01:22:17.22 ID:LaTKFpGZ0
中田力氏の宮崎説は(PHP新書)読んでいて、説得力があるとおもうけどなあ。
ハッキリする日は来るのか・・・
>>114 残念だが、徳島では国産みの神話が成立しないw
イザナギ・イザナミの二柱が日本列島を生んだとする神話において、
確かに、徳島から淡路島は見えるがそれだけだ
島をポコポコ産む発想はそこから生まれようがない
ということで、国産みの神話に関しては、淡路島が見え、なおかつ
川の中州が多数存在していた難波津ということでほぼ決まり
142 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 01:23:58.83 ID:A9W1tDWa0
>>125 天界とは高天原の事であり
それは四国の徳島の剣山辺りって事
天孫降臨の地の平野部(県西)にそういう地名が多い
144 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 01:24:03.35 ID:DOagamFmO
幸福の科学のイタコオヤジに聞け。
145 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 01:24:05.94 ID:M2Tw5Wx90
阿蘇山大噴火で全部埋もれた。
146 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 01:25:01.68 ID:ujXd2lk+O
>>130 昔は普通に読んでいても日本語で比較しても意味ないでしょ。
文献が残るのは中国で西晋の時代に書かれ、当て字された卑弥呼、邪馬台国の記述しかないんだから。
しかも邪馬台国の台の字は壱の旧字だったかもしれないと曖昧だし。
147 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 01:25:08.61 ID:le/nHvps0
>>135 ヤマトでオケ。
山門のことね。邪馬台国発祥の地。
148 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 01:25:11.07 ID:3wrXkTIj0
更に10日船と言うのは琵琶湖の事。
よって銅鐸が大量に出土してる野洲が邪馬台国。
149 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 01:25:28.31 ID:SjuAkLts0
>>139 金印が出るか「ようこそ邪馬台国へ」ってな看板が出るかしないと確定は出来ないな
150 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 01:25:30.32 ID:MXv4Fm6b0
>>140 史跡だけならとんでもない数があると思うんだが
151 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 01:25:34.67 ID:oVaZZ4xI0
お前ら、金錯銘鉄剣くらいは知ってるんだろ?
152 :
ココ電球_/ o-ν ◆tIS/.aX84. @転載は禁止:2014/12/04(木) 01:25:59.19 ID:32YQ7Zqi0
誰だっけ? 畿内説で 「弥生時代の一日は2日だった」 「南とは東を指す」 などといったのがいたな。
畿内説ってこんなアクロバット検証ばっか
>>142 徳島に神宮という名称のつく神社があれば
一考してやってもいい
155 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 01:26:26.80 ID:E3ODtzSb0
>>143 日向は式内社があまりにも少ない。天皇家との繋がりの薄さが如実に表れてる。
156 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 01:27:20.46 ID:le/nHvps0
>>142 高天原とはもちろん邪馬台国のこと。
アマテラスは卑弥呼+台与のこと。
天の岩屋の話しは245年の皆既日食のこと。
157 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 01:27:23.56 ID:L4Keqdoe0
原文は「邪馬壹國」 それを「邪馬台国」と表記するからヤヤこしくなる。
なんで原文通りに表記しないのかと声を大にしていいたい。
もう47都道府県持ち回りでいいんじゃね?
159 :
ココ電球_/ o-ν ◆tIS/.aX84. @転載は禁止:2014/12/04(木) 01:27:40.69 ID:32YQ7Zqi0
神宮ってのは天皇家の神社ね
明治天皇は明治神宮
>>131 三好郡 じゃないかなと思う
畿内一円に大勢力を有する戦国大名の
三好氏を輩出してるし
山口組三代目も出てるし(´・ω・`)
161 :
ココ電球_/ o-ν ◆tIS/.aX84. @転載は禁止:2014/12/04(木) 01:28:50.82 ID:32YQ7Zqi0
だいたい奈良で 水にもぐって魚取れるかつうの
162 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 01:28:55.46 ID:A9W1tDWa0
>>153 美馬市にある「白人大神宮」
ここは隣に神明神社があり
古代ユダヤの遺跡があるとこで有名
ググればわかる
>>152 >畿内説ってこんなアクロバット検証ばっか
いくら古代人でも東と南は間違えない
中国には寿老星という南にしか出ない赤い星があり
その星が導いてくれる
所謂、七福神の寿老人だ
やまつぼ国?
165 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 01:29:50.33 ID:le/nHvps0
>>160 違う。御井ね。
祇園山古墳が卑弥呼の墓。
九州の方は別の勢力だと思うけど
167 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 01:30:04.03 ID:L4Keqdoe0
それより天照大御神=卑弥呼説はどうなのよ
奈良だろう。
170 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 01:31:32.61 ID:le/nHvps0
>>130 そうそう。邪馬台はヤマトゥみたいな読みらしいね。
171 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 01:32:23.60 ID:W1Vj/Xsj0
>>161 奈良説を決して押しはしないけど、古代奈良盆地中央は湖あったかもよ。
172 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 01:33:18.40 ID:le/nHvps0
>>166 そうだよ。近畿とは別勢力だよ。
九州のが邪馬台国ね。
近畿は神武を雇われ店長として九州から招き入れたわけね。そのときヤマトの名前も詐称したわけ。
173 :
sage@転載は禁止:2014/12/04(木) 01:33:46.44 ID:5ECWPb180
>>30 むかーし読んだ何とか言う学者の論文に、三国時代の魏の発音では卑弥呼は「ピーミッピェ」と読んだとあった記憶がある。
ただし論文と著者の名前を忘れてしまったので、ソースを明示できない。申し訳ない。
でも、読み方自体は合ってる、と思うんだが、他に覚えてる人いないかな?
岐阜県民だけど小学生の頃に邪馬台国岐阜説があるって聞かされたで〜(´・ω・`)
175 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 01:34:36.72 ID:E3ODtzSb0
>>171 山城の伏見宇治に最近まであった巨椋池もある。
176 :
ココ電球_/ o-ν ◆tIS/.aX84. @転載は禁止:2014/12/04(木) 01:36:19.26 ID:32YQ7Zqi0
そんな湖で魚毎日とったら あっというまに尽きるだろ
海だよ
>>163 でも、元の文章が全部憶測で書いた文章だからなあ
実際に行って書いたなら間違えないんだろうけど
178 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 01:37:29.17 ID:L4Keqdoe0
卑弥呼が「ピーミッピェ」なら邪馬壹を「ヤマト」と発音するのも怪しくなるね。
>>153 天村雲命 伊勢大神主上祖也。神皇産霊神六世之孫也。
阿波國麻植郡座 忌部神社 天村雲神社二座 是也。
伊勢神宮が認めてますけど
邪馬台国は阿波(´・ω・`)
180 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 01:39:06.27 ID:le/nHvps0
カムヤマトイワレヒコ(神武)
カム(神)は井沢の説でよい。王朝の始祖と言う意味。
イワレは謂われ。
ヒコは王。
近畿がヤマトと呼ばれるようになった謂われの王であり、王朝の始祖である、と言う意味。
181 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 01:39:14.89 ID:W1Vj/Xsj0
仮に東に移ったということ自体はあったとして、
むしろその年代に周辺や環境に何があったかの方が内実に迫れるかもよ
あと宮崎県北部は大友宗麟の十字軍国家建設の時の破壊活動で結構重要なものも毀させたり焼かれてしまった可能性はあるよね。
182 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 01:39:35.52 ID:SjuAkLts0
>>174 岩手、新潟、山梨、千葉、静岡、長野
いくらでもあるぞ
>>176 何の話かよくわからんが、当時の大阪平野は河内湖というでっかい内海だぞ?w
1000年前には何の文化もなかったチョンには関係ない話だな
185 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 01:40:26.11 ID:MXv4Fm6b0
186 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 01:41:31.14 ID:le/nHvps0
新唐書
後にやや夏音(漢語)を習得し、倭名を憎み、日本と改号した。使者が自ら言うには、国は日の出ずる所に近いので、国名と為した。あるいは、日本は小国で、倭に併合された故に、その号を冒すともいう。使者には情実がない故にこれを疑う。
号とはヤマトのこと。
>>180のマンマね。
187 :
ココ電球_/ o-ν ◆tIS/.aX84. @転載は禁止:2014/12/04(木) 01:41:35.63 ID:32YQ7Zqi0
>>168 それがわからんのだ
天照が卑弥呼ならば
過去に皆既日食があったのはNASAが計算して
正確な数字を出している
248年9月5日に北部九州
189 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 01:42:14.42 ID:ujXd2lk+O
ミミ系からヒコ系に王の名前が変わったことからしても王朝交代はあっただろ。
邪馬台国は北九州で、その後、邪馬台国は滅び、トヨ(台与)を迎えた大和朝廷が立ったとも考えられる。
190 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 01:44:13.24 ID:FkUnlHMn0
だ・か・ら 卑弥呼が日本書記のどこにでてくるの?
>>163 おいおい
寿老星(カノープス)って朝鮮半島ぐらいの緯度からじゃほとんど見えないぞw
魏の文献をそのまま読むとわけがわからん事になるわ
はっきり言って現状では邪馬台国が何処にあってもおかしくはない
それと、銅鏡等の物証で割り出すのも正確とは思えないんだよね
当時、勢力のあった何者かが魏の文官を招いたとするなら九州説が有力な気がしないでもない
193 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 01:45:15.91 ID:L4Keqdoe0
神武は存在してない架空の人物が現在の定説では?
195 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 01:48:40.74 ID:le/nHvps0
>>190 出てこないのなら近畿説は消える
誰かを当てはめないと説が成り立たないから
そのてん九州説はロマンしかないから
出てこなくても成り立つけど
トータルで邪馬台国は阿波です(´・ω・`)
197 :
ココ電球_/ o-ν ◆tIS/.aX84. @転載は禁止:2014/12/04(木) 01:49:18.91 ID:32YQ7Zqi0
皇紀2600年なんてヨタ話を補強しようとして畿内説がでてるだけ
皇国史観だな
198 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 01:49:33.97 ID:W1Vj/Xsj0
199 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 01:49:57.39 ID:31QRMyIy0
>>187 巨大古墳群のある河内は、邪馬台国というより倭国本体だろうけどな
元々の飛鳥も「近つ飛鳥」と言って河内だしね
201 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 01:50:35.84 ID:W1Vj/Xsj0
>>197 皇国史観でも戦後のなんでも否定する史観でもないきちんとした学問をやればいい。
先入観はどちらにしても無い方が良い。
でもまあ、祭祀を司り国を統治する女の王と日本神話のアマテラスのイメージは
どうにも重なるわな
最高神が女神ってのは結構珍しくて特異なんじゃないかね?
203 :
ココ電球_/ o-ν ◆tIS/.aX84. @転載は禁止:2014/12/04(木) 01:50:46.86 ID:32YQ7Zqi0
九州説は 魏志倭人伝 隋書 漢書地理誌などが根拠です。
>>196 そんな事より知恵袋の大塚製薬の会長が亡くなったぞ
こっちのほうが大変では?
>>190 大日女尊(おおひるめのみこと)
ひるめのみこと
ひ(るめの)みこ(と)
ほ、ほら、あるじゃないか
206 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 01:51:30.67 ID:A4ju3xSI0
207 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 01:51:38.49 ID:E3ODtzSb0
卑弥呼がアマテラスなら台与は誰なのかと言う疑問も出て来るわな。
208 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 01:51:45.44 ID:le/nHvps0
>>188 分からんことは無い。
アマテラス=卑弥呼+台与
TVで古代史ミステリー特集やってくれないかなあ
朝まで生TVでもいいけど
210 :
ココ電球_/ o-ν ◆tIS/.aX84. @転載は禁止:2014/12/04(木) 01:52:48.65 ID:32YQ7Zqi0
倭に阿蘇山あり ゆえなくして火を噴く で 九州が倭なのは確定。
その倭を討伐したから 大和朝廷は倭ではない。
よって倭ではない畿内には邪馬台国などありえない。
証明終わり
211 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 01:53:13.74 ID:le/nHvps0
>>207 出来ない。
アマテラス=卑弥呼+台与
天の岩屋は248年の皆既日食。(この年卑弥呼は死んだ。)
213 :
ココ電球_/ o-ν ◆tIS/.aX84. @転載は禁止:2014/12/04(木) 01:54:55.78 ID:32YQ7Zqi0
214 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 01:56:10.78 ID:A4ju3xSI0
邪馬台国は「全身や顔に刺青をする文化」
というのが最大の特徴
どう考えてもサモアとかアボリジニに近い
215 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 01:56:11.34 ID:u1HtRu490
大和朝廷は元祖成りすましだからな
216 :
ココ電球_/ o-ν ◆tIS/.aX84. @転載は禁止:2014/12/04(木) 01:56:44.55 ID:32YQ7Zqi0
畿内説は捏造に支えられております
>>207 月読命かもしれんな
アマテラスの影に月読命が居るとすれば神話で語られるトヨ=月読でいいんじゃないか?
218 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 01:57:27.34 ID:hxTlIXLD0
魏志倭人伝に、いつまで踊らされてるんだよ?
あの頃、日本は統一されてなかったんだから、仮に邪馬台国があったとしても
村の酋長みたいなもんだろ、卑弥呼は。
219 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 01:59:03.57 ID:A4ju3xSI0
描写の様子を読むと、わかることは「邪馬台国はかなり暑い地方」ということ
近畿じゃかなり無理あるし、九州でもちょっと違う気がする
南西諸島以南の亜熱帯の島が正解じゃないのかな?
>>198 魏志倭人伝を素直に読み
矛盾点から一番成り立つ説が
邪馬台国は阿波だっただけです
朱の若杉山遺跡があるし
淡路島に五斗長垣内遺跡あるしで
邪馬台国は阿波です(´・ω・`)
まあ福岡辺りまで来て、面倒だからそこらで噂話を仕入れて報告書を作った
そんなとこだろうな
>>218 な、な、ナニを言いたいんだ? オマイは
>>87 なるほど
だとすれば、尼崎城の下に埋没してるのか
224 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 02:00:14.14 ID:le/nHvps0
>>213 いや、去年出た最新の学説では北部九州では見えたらしい。
>>213 なんだ?その整骨院
>>218 魏志倭人伝なくして邪馬台国を語っているのか?
あほを極めているな
226 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 02:01:21.39 ID:le/nHvps0
文献を素直に読めば九州だな
南方系の習俗、大陸との距離、東に海がある、南の国との敵対などの記述からして
228 :
ココ電球_/ o-ν ◆tIS/.aX84. @転載は禁止:2014/12/04(木) 02:02:18.15 ID:32YQ7Zqi0
>>224 アホ 学説もくそもあるか
天文現象だぞ
>>218のような事を仮説として主張してる本もあったかな
邪馬台国は九州にあって本州、畿内の勢力に対抗するため
大陸の勢力に媚びて何とかしようとした都市国家みたいなもんじゃないかとか
230 :
ココ電球_/ o-ν ◆tIS/.aX84. @転載は禁止:2014/12/04(木) 02:04:02.72 ID:32YQ7Zqi0
100%計算可能な天文現象に なんで否定的な学説をつくる余地があると思ってるわけ?
231 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 02:04:14.07 ID:W1Vj/Xsj0
まあとにかく、自国はもとより周辺諸国や様々な民族に仮託したナショナリズムは抜きで学問として積み重ねて明かしてもらいたいテーマですね
232 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 02:04:17.00 ID:A4ju3xSI0
アマテラスは卑弥呼じゃないと思うよ
233 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 02:04:25.33 ID:le/nHvps0
>>219 違う。
邪馬台国は発祥は山門で、
卑弥呼の時代の邪馬台国は御井で、
その後朝倉地方へ移り(安元美典の言う邪馬台国)、
さらに奴国と融合して太宰府に都を置き、其処で滅んだ。
234 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 02:04:40.40 ID:8oHta8O/0
UVカットサンルーフ
雨テラス 陽見戸
235 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 02:05:06.15 ID:ZIsf7pUf0
浮動小数点国なんだよ。
>>207 伊勢の外宮の祭神 豊受大神(トヨウケ)
って説もあるね
237 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 02:05:25.53 ID:E3ODtzSb0
>>217 なるほど。台与=ツクヨミは興味深い説だな。ありがとう。
>>218 魏から金印を貰ってたりクシャーナ朝と同じ待遇だからそれなりの大国と推定される。
>>229 ま、魏志自体があやふやな物だしな
倭人伝っても写本でたかが2000文字から邪馬台国を探ろうと思っても無理
書いたやつが日本に来たかも不明、伝えたやつが正確かも不明だしな
239 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 02:06:16.92 ID:W1Vj/Xsj0
九州の中央部に合って、何度も噴火する阿蘇山の噴火がひどい時に、大挙して東にむかったとかじゃねーの?
240 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 02:06:23.07 ID:le/nHvps0
>>228 お前がアホだ。
全然知らずにくっちゃべってるのバレバレだなお前は。
>>238 そう考えるならこのスレに来る必要性もない
消えな
242 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 02:08:30.68 ID:le/nHvps0
>>237 興味深く無い。
間違いw
ツクヨミとは奴国のこと。
邪馬台国がアマテラス≒高天原
243 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 02:09:05.10 ID:A4ju3xSI0
>>239 古代は特に火山信仰は相当あったようだから、阿蘇を神山と仰いでいる国があったことは想像できるね
まあ、それが邪馬台国とは限らないけど
九州に一票
あの時代にそんなに簡単に中国まで行けるわけ無いだろ
魏志倭人伝に書かれた本当の邪馬台国は
朝鮮半島にあったんだよ。
もうお前ら、朝鮮流に声の大きい方が勝ちということにしとけw
>>244 近畿の似非考古学者が調子こいてゴッドハンド使っているから九州だな
邪馬台国畿内説で益々頭に乗る
249 :
ココ電球_/ o-ν ◆tIS/.aX84. @転載は禁止:2014/12/04(木) 02:11:36.06 ID:32YQ7Zqi0
250 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 02:11:37.20 ID:le/nHvps0
>>237 ツクヨミが三貴子と言われながら神話であまり活躍しないのは、
奴国が活躍するのは神武が神話をもって近畿へ雇われて行くあとのことだから。
251 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 02:13:12.94 ID:le/nHvps0
252 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 02:13:21.69 ID:E3ODtzSb0
>>236 卑弥呼=アマテラス・台与=トヨウケだと伊勢近辺が色濃くなるな。
アマテラス自体が伊勢の地域神である可能性もある訳だから。
その上トヨウケまでとなると。
「邪馬台国=銀座」説ってのがあったと思う
今でも多くの都市に「○○銀座」って場所があるけど
人が集まって栄えた場所だからそう呼ばれてる
古代も同じように、人が集まって栄えた場所を
「やまたいこく」と呼んだのではないか、という説
つまり、九州に「やまたいこく」があり、畿内に「やまたいこく」があり、
名古屋にも「やまてぁーこく」があった、らしい
255 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 02:14:38.83 ID:9ZgiRfvv0
邪馬台国≒ワシントン州説を採って
瀬戸内海沿岸から内地街道へ入った所
今では誰も気にしてない場所だね
魏志が本当だとして一番困ってるのは西と東問題と南至投馬國水行二十日 官曰彌彌副曰彌彌那利 可五萬餘戸
この水行20日で何処でも行ける風な事を考えた人々の混乱だわな
瀬戸内、日本海、川筋とどれも水行
しかも20日ならば沖縄説も近畿、北日本さえ行ける
魏で水行一日の単位がわかればそれなりに限定は出来そうだが・・・文献が無いw
>>252 天照大神は伊勢神宮に移動させられたのだよ
元々伊勢とは何の関係もないのに
258 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 02:15:03.29 ID:le/nHvps0
259 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 02:16:26.38 ID:14IvqOPsO
>>207 天照大御神が天岩屋戸に閉じこもったため世界は真っ暗闇になり、その結果様々な災厄がおこった。卑弥呼が死んだ前後である西暦247年3月に中国で日食があったと中国の歴史書にある。地域によっては日本でも日食はあっただろう。
天照大御神が天岩屋戸に入り災厄がおきた=卑弥呼が死んで再び倭国が乱れた
天照大御神が出てきて再び光は戻った=トヨが新たな女王になり争乱はおさまった
つまり天照大御神は卑弥呼とトヨの二人をもとにしてできた神かもしれないという説がある
260 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 02:16:48.99 ID:A4ju3xSI0
>>257 伊勢神宮はたぶん渡来人系(大陸難民)の秦氏が建立した社なんだろうな
シンボルが同じだし
261 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 02:17:28.36 ID:W1Vj/Xsj0
>>245 公孫度の遼東軍閥が、魏が孔明が死んで司馬懿が動けるようになってから滅ぼすまでは交渉していないよ。
公孫氏は楽浪や帯方なんどの朝鮮半島中央部に南下進出し、呉国と交渉し、孔明との対峙に忙しい魏を牽制しようとして
呉国から燕王になった。
扶余追われた一部は公孫氏の朝鮮征服活動の時に勢力を延ばしたというからこの時に公孫氏の配下として京畿道あたりに南下してきたのかもね
で、魏が公孫淵を滅ぼした時に、安全保障を兼ねて速攻で来た(魏国帯方郡の今の京畿道あたりまで)、だからそんなに遠くない。
262 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 02:17:42.58 ID:le/nHvps0
263 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 02:18:42.18 ID:A9W1tDWa0
四国の東を「伊の国」西を「予の国」
伊勢の神宮は
「伊」の「勢力」と書く
というか紀伊半島も「伊」が「紀元」の半島
紀伊半島の「新宮」に対して徳島は「古宮」
邪馬台国がどこかはどうでもいいが
この国の紀元に関わる秘密があるのは確か
264 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 02:19:52.96 ID:W1Vj/Xsj0
>>261 速攻で邪馬台国から使いが来た(魏国帯方郡の今の京畿道あたりまで)、だからそんなに遠くない。
265 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 02:20:25.50 ID:42W2cESJ0
神功皇后の妹の名前は
豊 トヨ
266 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 02:20:27.05 ID:u1HtRu490
おいおいw
ほんとニワカが知ったかぶりしてんなw
アマテラスで伊勢とかww
勉強してこい
267 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 02:21:17.18 ID:le/nHvps0
とりあえず近畿はもう無いよ。
STAP細胞レベルねw
268 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 02:21:26.95 ID:h3kIJKK90
_ .. - .. _
/:::::::::::::::::::::::`ヽ、
/;::::::::::i:::::ト、::::::i::::i::ヽ
,l::::::::ハj ヽ! ∨l::',i::i:i _
(( ,ヘ, l::∨○ ○ l:::l::i:|l / 」 )) キーボードのVとBとNを
'、/\.i_L""r-‐¬""イi::i|√ ̄\ よく見てみるのじゃ
. / .ハルゝヽ、__,ノ_ノ/Li/ 〉
/ .ソヘl i:__.」:i::iノ /
| ./ハ!、∞ノハ 丿
\____丿(__ _i」_)丶_/
ル;i=====ミvレ
/::::::::::::::::::::::::コ
269 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 02:21:31.88 ID:A4ju3xSI0
畿内は別の王国があったんだと思う
こちらはまるで違う風習だと思う
>>260 難民かどうかわからんが
火山列島の島国に人類が誕生するはずもない
大陸系は確かだろう
秦氏、物部氏、蘇我氏
>>259 その神話でトヨ=月読と思うんだよね
月読神社って全国にあまり無く、神宮には何故か近くに豊受と月読がセットになって外宮にある
日の対比は月。昼と夜
272 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 02:23:25.35 ID:1k3Dm3vK0
間を取って岡山だな
273 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 02:23:25.41 ID:W1Vj/Xsj0
>>270 決めつけ激しいな。
渡来人を今の政治的な思想で優生学的に扱いたい思想で決めつけてはいけないよ
>>261 岡田英弘によれば、魏の国威がいかに遠くまで及んでいたかの自慢話の一つとして
魏志倭人伝が書かれているので、そこでの記述に正確性を期待するのはアホだとw
275 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 02:24:28.45 ID:ezrkyYWr0
>>270 そら根っこは何処からか経ってきた人だろうけど、
縄文時代や弥生時代に渡来してきた人の子孫だったら
もう日本人の扱いで渡来人や渡来系とは言わないんじゃね?
秦氏は自分でも渡来系と名乗ってたけど、
蘇我氏の方は渡来系説もあるにはあるが有力な説じゃないし
むしろ時が経つほど薄れているって感じ
276 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 02:24:48.11 ID:E3ODtzSb0
>>257 伊勢神宮は同じくアマテラス系の熱田神社のある尾張とともに同一の有力勢力の
根拠地として見て差し支えない。
伊勢とアマテラスが何の関係もないと考えるのは自然じゃない。
277 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 02:25:08.01 ID:kve8wG3T0
魏のラノベを真に受けると邪馬台国が実在したことになるらしい
女王国を置いてたのが邪馬台国
伊都国は代々王がいるが女王国に属する
伊都国・邪馬台国連合国と狗奴国に王がいる
狗奴国とは?もう邪馬台国以上に謎が多くて
さっぱりわからない狗奴国
そうだ悩んだ時は基本に帰るべきだ
邪馬台国は阿波です(´・ω・`)
279 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 02:25:49.79 ID:ezrkyYWr0
280 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 02:26:50.45 ID:W1Vj/Xsj0
>>274 洛東江にそって進んで、峠上って川下れば直ぐに帯方郡だけど
そんなに無理なことなかな?
それもまた一つの決めつけでは?
281 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 02:27:52.00 ID:u1HtRu490
>>270 おいおいw
火山は生命の母と言われてるんだよねw
人類誕生はすべからく火山地帯から
勉強してこようねww
282 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 02:29:01.04 ID:A4ju3xSI0
>>281 まあ、アトランティスもムーも大きな火山があった(それが滅亡にも繋がった)らしいしなw
>>275 今、ここで議論しているのは邪馬台国は何処にあったかだ
日本人の扱いで勿論結構だが、趣向と逸れる
卑弥呼を天照大神と同一視してる阿呆がわらわら湧いていると聞いて
何で神と巫女が同じなんよw
畿内説の阿呆が考えたすり替えのこじつけだろうがよ
そもそも天照大神が卑弥呼なら高千穂がある九州が邪馬台国になるはずだがw
>>276 伊勢神宮は宇佐神宮と全くと言ってもいいほどの同じ造り
宇佐神宮は伊勢神宮をコンパクトにした形
どちらの歴史が古いかと言うと宇佐神宮
286 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 02:32:58.45 ID:le/nHvps0
>>271 違う。
ツクヨミは奴国のこと。
ツクヨミ=奴国=夜の食国=隋書に出てくる奴国
勾玉は月で、奴国のこと。
博多では翡翠がとれる。
287 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 02:34:04.91 ID:A4ju3xSI0
>>284 高千穂は海から遠すぎるな
天孫降臨(どっかかから先進移民が漂着した)とするにはいささか山奥すぎる
神武の東征を考えると九州なんじゃね?
290 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 02:34:24.17 ID:le/nHvps0
291 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 02:34:50.71 ID:gTdvccV/0
邪馬臺(やばたい)国の所在地は播州。
奈良時代、播州賀古の駅(うまや)は山陽街道随一の規模。
播州方言に「ヤバタイ」というのがある。
意味は「危なっかしい」。
倭人伝に「倭国乱相攻伐歴年」とある。
古代の戦国時代で国がヤバタイ=危なっかしい=邪馬臺
292 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 02:35:14.00 ID:E3ODtzSb0
>>284 日向の高千穂は完全に後付けだから。
それを否定するなら天岩戸神社なりが何で式内社でないか明確な説明をして欲しい。
>>286 >博多では翡翠がとれる。
まじで???
ええええええええ?
なんか自分の頭の中で繋がってきたぞ
294 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 02:35:55.51 ID:le/nHvps0
>>288 東征はしていない。考古学的に否定されている。あれは記紀の捏造。
神武は東征したのでは無く、近畿に招かれて行った雇われ店長。
295 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 02:37:25.50 ID:W1Vj/Xsj0
>>287 山奥から出たやつらが天下取ったではダメな理由がわからないな
何故「海から来た」ということになるのか?
ハプスブルク家とかだってスイスの奥地の川の渡し守の長かなんかにすぎないけど神聖ローマ・オーストリアになったではないですか
モンゴルの黄金氏族も森からきたが? 海から来た説を否定はしないが山の中から来ても別によくね?
296 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 02:37:29.37 ID:le/nHvps0
>>291 違う。ヤマトと読む。山門のこと。
>>293 オレのレス全部読んで見て。
謎が全部解けるから。
俺的には挧内説。飛鳥が怪しいと睨んでいる。
>>287 高千穂に降臨しても旅立ったのは美々津港
美々津港から見える岩と岩の間を通って行った
300 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 02:40:15.46 ID:E3ODtzSb0
>>285 アマテラス信仰の話をしてるのに祭神が八幡神や宗像神の宇佐神宮を出されても議論できない。
301 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 02:41:10.80 ID:A4ju3xSI0
>>295 いや、「山奥から出現した」なら異論はないです
しかし、「天孫降臨」を謳い「自分らはヨソ(天界・高天原)から来た!とことわっている以上
ヨソから流れ着く地(天孫降臨地)としては、かなり不自然ではないでしょうか?
302 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 02:42:31.22 ID:le/nHvps0
>>297 お前がウザい。
神武は東征したのでは無く、近畿に招かれて行った雇われ店長。
記紀は神武東征と言う捏造をやるために書かれたもの。
これが事実。
303 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 02:43:02.64 ID:W1Vj/Xsj0
>>301 いや、山岳信仰ってようは高いところを拝むんでしょ
だから天から山に舞い降りたー的な信仰の人たちが山奥から出てきて、いい場所探しながらうろうろしてたとかじゃダメかなあ?
海から来たという説も空と海とは違うがなあ。
>>300 何が言いたいのか分からない
熱田神社なら草薙の剣があるよ
305 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 02:45:15.29 ID:A4ju3xSI0
>>303 じゃあ空路で来た、ということにしておきましょうw
>>287 天孫降臨の神話は空から降りてきますが
何で海からなんだよw
神話では高千穂のクシフル神社のある山頂に降臨さるてるんだがな
307 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 02:49:05.67 ID:W1Vj/Xsj0
>>305 ハハハ。じゃあそういうことにしときます。
そろそろ寝ます。さいなら〜
309 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 02:49:43.44 ID:a7B91cdAO
310 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 02:51:32.22 ID:le/nHvps0
スレに井沢元彦が降臨中
312 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 02:52:45.40 ID:le/nHvps0
>>309 邪馬台国は御井。
投馬国はトゥマ国で、西都原の妻のこと。
>>292 後付けとかどんだけ我田引水な妄想だよw
314 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 02:53:50.18 ID:le/nHvps0
>>311 なんだそのレスはw
クルクルパーwww
315 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 02:53:58.13 ID:14IvqOPsO
日向国は12代天皇である景光天皇が名付けたという伝説がある(つまり、神武天皇の東征よりずっと後の話)し、高千穂はもともと「高い山」という意味だったという説もある
316 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 02:55:02.54 ID:E3ODtzSb0
>>304 伊勢も熱田も主神はアマテラスを祭った神社なんだがそう言う式内社は
日本国内さほど多くない。
アマテラス神話アマテラス信仰がどこで勃興して発展したかが興味深い。
尾張氏勢力は丹後但馬や山陰とも密接だから突き詰めると面白そう。
邪馬台国がどこかとは直接関係ないのでごめんなさい。
天照大神の神話と卑弥呼をまぜこぜにして畿内に持って行くのは阿呆すぎる
邪馬台国と神武の支配した日向王朝は別物
>>315 そんな滑稽な話は必要ない
宮内庁のサイトで日本の初代天皇は神武天皇となっている
319 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 02:57:47.28 ID:a7B91cdAO
九州は奴人の国
邪馬台国名乗るとか無いわwww
九州内に収まるだろ。
321 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 03:00:03.99 ID:E3ODtzSb0
>>313 神武天皇の古跡であればなぜに平安時代の朝廷が認めた式内社でないのか。
式内社であれば何一つ文句はない。
コレが真面目な話し中国人留学生の崔クンが、授業中に発言
倭人は九州の宇佐平野で栄え預言者の老婆が国を治めていたが死んで亡骸は宇佐神宮に奉納されたと衝撃の発言して教授を驚かせました。
323 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 03:01:37.00 ID:fZIIj0bI0
銅製武器しか持たなかった奈良勢力と鉄製武器を大量に持っていた
北部九州製力の戦いは現代風に言えば火縄銃の奈良勢力と機関銃の北部九州
勢力の戦いとなり、全く勝負にならないのだよ。
>>316 こちらこそ失礼申した
熱田神宮に何故に天皇家の草薙の剣があるのか教えよう
源平合戦で安徳天皇が海の底に沈んだが草薙の剣は
四国で発見されて何故か愛知県の熱田神宮に行った
いくら調べても熱田神宮で保管されている理由がわからない
そもそも日本の国造りは
最初に淡路島が生まれ
次に四国が
そして隠岐、九州、壱岐、対馬、佐渡
最後に本州が出来たと記されている
邪馬台国は阿波(´・ω・`)
326 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 03:02:33.02 ID:A4ju3xSI0
古代の中心社殿は伊勢神宮より出雲大社だった気がする
327 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 03:04:53.24 ID:a7B91cdAO
九州説なんか有り得ないだろ
粗暴な泥棒の倭国人と一緒にするなよ
>>326 当たり前の話だ
神武天皇が東征する前に近畿を統制していたのは大黒さんだ
七福神の中で唯一日本の神様
つまり出雲
地震、津波、火山活動で山門から奈良(大和)へ逃げたんじゃないっすか?
当時の災害遺構見つかっていませんか?
330 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 03:06:03.23 ID:le/nHvps0
>>325 国産みは後代の創作。
狗邪韓国が無い。
331 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 03:06:55.80 ID:C3Q3a2Jy0
>>25 >五馬市村
近くの旧・山国町はなんか関係ないのか。
日田あたりはヒサツヒメの伝説、金山の存在、金銀錯嵌珠龍紋鉄鏡が出ている。
333 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 03:07:22.45 ID:le/nHvps0
>>329 全然ありません。
諦めなさい。
東征も東遷もありません。考古学的にほぼ否定されてしまってます。
九州説なんて唱えてるのは天皇の権威を否定して畿内の一豪族にしたいだけのバカサヨク
名前みれば九州は絶対にないだろアホカ
大和たい国以外には考えられんのだが
336 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 03:09:39.74 ID:le/nHvps0
>>329 見つかっているよ
大分の竜神湖を調べた高知大の岡村教授が
20m以上の津波痕跡を確認した
神武東征の時代と符合する
>>333 子供の頃の疑問のなぜ不便な奈良なの?
海の側が怖いトラウマが有ったんじゃないっすか?
339 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 03:13:37.51 ID:E3ODtzSb0
>>326 出雲かどうかも分からないが伊勢ではないと思う。
伊勢が中心になったのは天武持統時代以降で間違いないと思う。
弥生時代後期に国内の優位性が北部九州から畿内に移って行く段階で出雲や吉備は
かなり重要な役割を果たしたんだろう。
邪馬台国のあった位置は熊襲より北
鹿児島の隼人はさらにそれより南
隼人は海洋民族であり海神の后を貰った神話と符合する
熊本の天草には巨石遺跡がありそこには鮫のヒエログリフがある
そして明治当時国内の神武天皇を祀る神社の大半は天草にあった
つまり天照大神の民族と海洋民族が和合し、九州のほぼ南半分を支配したのが日向王朝
日向三代の御陵参考地は鹿児島にある
邪馬台国と後の大和政権は別物だが何れも九州にあったわけだ
畿内は神武の勢力が移動した結果の産物
>>29 古代の半島の言葉なら「NRA」だけじゃないかな。ンラ
現代の発音だがね。w
新羅・・・・NRA
耽羅・・・・NRA
百済・・・・RA
任那・・・・NA
で、奈良は均す。
>>337 津波、戦争にビビッて周り山の奈良に逃げたんだね
343 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 03:16:33.74 ID:A4ju3xSI0
>>338 そしてその不便な奈良に吉野川がある
名称は紀ノ川と呼ばれるのに
邪馬台国は阿波(´・ω・`)
>>342 逃げたと言うか安全な土地を求めて奈良に朝廷を築いた
346 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 03:19:16.59 ID:A4ju3xSI0
神武の東征というのは本当に史実なのかな?
>>346 火山の噴火や津波などの気候変動で移動を余儀なくされた可能性は高い
348 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 03:21:57.81 ID:a7B91cdAO
349 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 03:22:03.80 ID:le/nHvps0
350 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 03:22:07.53 ID:E3ODtzSb0
>>346 そもそも記紀通りであれば紀元前7世紀の事だからね。文字通りではないよね。
351 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 03:22:12.59 ID:14IvqOPsO
>>334 畿内説なら邪馬台国連合国は東征した神武天皇軍に敗れたことにならないか?
352 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 03:23:11.02 ID:le/nHvps0
>>346 史実じゃ無いよ。
もう考古学的にほぼ否定されている。
学会で言うやつ居ないんじゃ無い?
天皇家の歴史と邪馬台国の存在って矛盾してるだろ。
それはそれとして九州説は事実の追求より地域復興を狙ってるあざとさを感じるがね。
阿波には作り方も使い方も謎の
銅鐸が非常に多く出土している
意図的に消された歴史を持つ阿波
邪馬台国は阿波(´・ω・`)
>>337 これ知らなかった、山奥に逃げる動機ですね。
山が戸(止、土)になるでヤマト説ありますか?
358 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 03:25:49.98 ID:v4dFlMhg0
倭人は顔に刺青して、海で魚介類を採ってたのやろ?
ヤマトンチューか?
359 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 03:26:22.55 ID:le/nHvps0
東遷も東征も無い。
これらを支持する学者は、まあ居ない。
例えば纒向などの遺跡を見ても、西日本全域から土器が来ていることが分かるが、九州の土器などは少し出てくるだけ。
征服者としての面影は、全く見つけられない。
360 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 03:26:24.69 ID:E3ODtzSb0
>>351 三世紀の首長連合国家と紀元前七世紀の天皇軍がどうやって戦うのか。
戦国自衛隊の世界なのか。
>>353 >それはそれとして九州説は事実の追求より地域復興を狙ってるあざとさを感じるがね
奈良と言うどうしようもないど田舎の醜態だろ
九州は田舎だが九州内で生きて行ける
前スレにあった吉野ヶ里に匹敵する阿蘇の弥生遺跡からは鉄製の鏃などの武器も出土している
高千穂と阿蘇は同一地域と見てよい
つまりあの山中に鉄製武器を使う一大勢力があったということ
一方邪馬台国は随書によれば阿蘇が望める場所で海がある場所の可能性が高い
つまり熊本平野にあったと見るのが妥当
363 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 03:27:32.26 ID:le/nHvps0
364 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 03:27:42.70 ID:a7B91cdAO
>>353 倭国の酋長を天皇とか寝言言ってた高々3万人の土人だろ
九州説取ってるやつは学者では異端かあとは地元の素人らしい。
>>357 すまんが分からない
自分が見つけたのは神武東征と津波が時代的に符号する事
皆既日食が248年9月5日に起こっている事
科学的に突き詰めて行く必要性がある
368 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 03:31:44.98 ID:A4ju3xSI0
どうも出雲がカギのようだな
369 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 03:31:47.18 ID:le/nHvps0
>>366 違う。
九州説しか残って無い。
近畿説はSTAP細胞レベル。
全然、笑っちゃうほど成り立って無い。
近畿説をとらなきゃならない理由って、ほぼ完全にゼロ。
何も無いw
370 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 03:31:53.96 ID:fZIIj0bI0
邪馬台国畿内説を支持している奴は畿内勢力が本当に北部九州製力を
支配下に置いたと思っているのか?
372 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 03:33:05.21 ID:le/nHvps0
まあ九州だろうな。中国じゃ三国志の時代に日本じゃ文献が存在しないってのが痛い
374 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 03:34:40.20 ID:le/nHvps0
>>370 逆。
九州説だからこそ、近畿が九州邪馬台国を支配下に置いたと言う話しになるの。
375 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 03:35:13.70 ID:E3ODtzSb0
376 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 03:35:23.78 ID:42W2cESJ0
山人だよ。これでヤマト。
俺しか言ってないけど多分そうだw
隼人 ハヤト
山人 ヤマト
命 = 神子人 = ミコト
377 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 03:36:19.85 ID:le/nHvps0
378 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 03:36:48.48 ID:14IvqOPsO
>>360 ああ、そこまで記紀の記述を信じてるならもう何も言うことはないわ
神武天皇は137歳(127歳)まで生きてたんですね
10代天皇の崇神天皇は古事記だと168歳まで生きたのか〜すごいですよね〜
>>373 魏志倭人伝の研究者は九州でFA
近畿の考古学者が必死で畿内悦唱えてる
もう状況証拠から九州は間違いないのだが
381 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 03:38:02.64 ID:42W2cESJ0
>>377 解説しろよ。
山人は解説なしでわかるだろ。
382 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 03:38:11.95 ID:A4ju3xSI0
383 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 03:38:25.45 ID:le/nHvps0
倭国、倭人、大和
共通するのは「わ」
阿波とは最初の倭
そう邪馬台国は阿波(´・ω・`)
>>363 なら僕が唱えます
北九州(山門)津波で祟られた土地を逃げ、山に囲まれた海から隔離された奈良(山戸)へ
ついでに大きく和を保つ様に大和に当て字で如何
386 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 03:40:20.89 ID:le/nHvps0
387 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 03:41:29.61 ID:fZIIj0bI0
>>374 近畿が九州を支配出来たと思っているのか、余程の知恵遅れだな。
武器の種類が全く違うだろうが、火縄銃(銅製武器)の近畿勢力と
機関銃(鉄製武器)の北部九州勢力だぞ勝ち目は絶対に無い。
388 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 03:41:50.86 ID:le/nHvps0
389 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 03:42:07.97 ID:A4ju3xSI0
>>385 大和のアテ字の元はおそらく「大倭」だと思うんですよね
つまり倭に対する何らかのコンプレックスか対抗意識がとても強くあった人々が作った国が大倭=大和じゃないでしょうかね
倭を大きく凌ぐという執念が感じられますw
近畿は大黒様なんだよ
元はね
神武に国を譲ったんだ
七福神で大黒さんが日本の神様で唯一ってすごい
391 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 03:43:10.75 ID:a7B91cdAO
>>367 神武はからその後九州にUターンしたの?
倭国天皇さんの系譜
392 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 03:43:15.24 ID:42W2cESJ0
>>386 なぜ門なのかを説明しろよ。
カスとかいってないで。
393 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 03:43:48.97 ID:le/nHvps0
>>387 お前が知恵遅れw
鉄器は、卑弥呼の時代を少し下ると急激に近畿が優勢になる。
>>391 >神武はからその後九州にUターンしたの?
していない
だから美々津港の漁師は神武天皇が岩と岩の間を進んでいった場所は
絶対に通らない
漁師は大漁を土産に帰ってこないといけないからね
396 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 03:46:18.42 ID:nYfEbycq0
>>393 声出してワロタ
不利な材料だろw
どっちと決めつけるわけじゃないが
397 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 03:47:46.68 ID:SYzy69QN0
最近、鈴木Q太郎をテレビで見ないな
テレビ見てないけど
398 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 03:47:53.94 ID:vU9sMb/50
399 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 03:48:08.55 ID:A4ju3xSI0
出雲もアテ字だね
400 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 03:48:15.99 ID:gTdvccV/0
>>291の補足
香具山は 畝傍を愛(を)しと 耳成と 相争ひき(万葉集巻一・13)
香具山と 耳成山と 闘(あ)ひし時 立ちて見に来し 印南国原(万葉集巻一・14)
印南国原は播州平野の東半分、加古川と明石川に挟まれた地域
香具山と耳成山とが争った場所が印南野なのか
印南野が古代の関が原だったのか
加古川下流のすぐ東に日岡山という古墳の集まった山がある。
兵庫県は古墳の数が日本一。
畿内の石棺に阿蘇の石が使われているのは
大和政権の出自に対するノスタルジー
そうでなければ超重量の石を海路で熊本から畿内まで運んだりしない
神武の勢力が東征して大和政権となった可能性は間違いなくある
403 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 03:49:55.25 ID:le/nHvps0
>>392 お前バカだろw
地名だろがアホ。
何も知らずに書き込みやってるの丸バレだなw
404 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 03:50:57.36 ID:a7B91cdAO
>>395 源平合戦で四国に逃げて墓まで有る天皇誰だっけ?
あいつ九州から逃げてきてんじゃんよ
天皇は分家しても天皇なの?
405 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 03:51:24.47 ID:42W2cESJ0
九州に隼人がいて山人がいた。
倭人だってヤマトとも呼ぶだろ。
日本はほとんど山。
天孫降臨の地も山山山。
山の人だ。それでヤマト。
卑弥呼は韓国人ニダよ
407 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 03:51:46.65 ID:le/nHvps0
>>394 アホw
征服したんじゃ無くて、神武は近畿に招かれて行ったんだよ。
>>396 オレが笑うわアホw
>>6 どうして「大和」と書いて「ヤマト」って読むの?
>>401 阿波の青石ですね
邪馬台国は阿波(´・ω・`)
410 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 03:52:51.33 ID:A4ju3xSI0
>>405 >倭人だってヤマトとも呼ぶだろ。
もともとは「やまと」は「倭」のことだよ
411 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 03:53:05.99 ID:42W2cESJ0
>>403 なぜ門なのかを説明しろといってるだろ。
奈良だって平城、寧楽、那羅といろんな漢字を当てるんだよ。
なにが地名だからだだドアホ
412 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 03:53:14.80 ID:fZIIj0bI0
>>393 お前はどうしようも無い知恵遅れ、銅鏡も鉄製武器も2世紀中頃までは
圧倒的に北部九州にしか無かった。それが3世紀になって急に増えたと
言う事は東征した結果だろうが。東征後は大和朝廷の威厳を高める為に
大型古墳の築造も増えている。当時の文化は大陸に近い九州の方が
進んでいたのは当たり前のことだ。
414 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 03:55:18.57 ID:le/nHvps0
415 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 03:55:29.38 ID:a7B91cdAO
>>412 淡路島の五斗長垣内遺跡は
国内最大規模だったりする
邪馬台国は阿波(´・ω・`)
>>407 なるほど
わざわざ九州から招かれて王位についたのか
418 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 03:56:11.84 ID:nYfEbycq0
>>407 思考停止して「なにがなんでも」という人にアホという言葉をそっくりお返しします
419 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 03:58:05.27 ID:le/nHvps0
421 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 03:58:21.98 ID:a7B91cdAO
>>414 お前の話しが一番信憑性無いな
説得力ゼロだわ
422 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 03:59:27.57 ID:le/nHvps0
423 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 04:00:25.75 ID:A4ju3xSI0
424 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 04:00:35.83 ID:42W2cESJ0
高千穂とは高い山々という意味もあるわな。
そこにわざわざ降り立ったのだから
山人だ。海人じゃない。山人だ。
日本の信仰の対象は山だ。
山人だからと考えれば当たり前になる。
九州に山人がいて、その勢力が出雲を負かした。
それが大和。
いずれそういう説になる。
>>416 阿波たん
もしかしてみのもんたの捏造番組みたの?
>>389 倭=小さく醜い、漢族のわざとらしい悪字の当て字
漢字の知らない和人は自分らをワと言っていたんだよ
>>408 当て字、平和な大きな国に成ります様に、ヤマト(山門)の国名を捨てたらバチが当たる
山背→山城みたいなもの
427 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 04:02:15.54 ID:a7B91cdAO
九州説の根拠を教えろよ
多数派の専門家に異論が有るなら簡素に箇条書しろ
そもそも大和政権が最初から畿内ならば
自らの建国神話に九州を天孫降臨の地にしたり神武東征など入れる必要がない
429 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 04:03:36.87 ID:A9W1tDWa0
>>399 出雲は伊津面
伊の津の海岸
渭ノ津とは阿波の事
伊の頭・伊の内・伊の尻・伊の谷
津は阿波忌部氏が開拓したところ
太平洋側と瀬戸内の「津」がつく地名は
ほぼそう
ちなみに阿波忌部=秦氏=鴨氏
物部氏と海部氏やト部氏などの氏族は
ほとんどが四国出身
それと忌部氏には「早雲」「飛雲」「安雲」「村雲」その他もろもろ
「雲」一族という細分化された組織もある
うちは飛雲だけど
430 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 04:04:22.95 ID:le/nHvps0
431 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 04:04:35.40 ID:A4ju3xSI0
どっちも相容れないなあw
どっちでもない気がするな
>>422 だとすると九州の王家の権威が極めて高かったってことなのかな
433 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 04:06:00.82 ID:6mpZXG2I0
邪馬台国
どうしてヤマト国と普通に読まないんだろう
近畿説はゴッドハンドが何か見つけたと言う低レベル
435 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 04:06:45.17 ID:le/nHvps0
436 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 04:07:20.75 ID:a7B91cdAO
437 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 04:08:36.90 ID:A4ju3xSI0
日本最古の古事記に神武天皇が降臨したと書いてある
誰がこの事実を否定できるんだ
天界の話ではないぞ
というか九州だろうが近畿だろうが
船で30日もかかってたのか?
どんな低速船だよ
>>425 検証して行くと阿波説は
九州説を全て上回る
畿内説は年代が合わない
卑弥呼の先代が台与になったりで
ただ阿波説はすぐソロモンとかの
オカルトに走るけのよね
しかしまぁ結論として邪馬台国は阿波(´・ω・`)
>>433 大変ありがたい古文書がそう書いてるから、変えるなんてとんでもない!
442 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 04:10:28.29 ID:le/nHvps0
443 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 04:10:55.74 ID:a7B91cdAO
>>438 古事記ってファンタジーだろ
神武天皇も後から付けた名前だし
444 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 04:11:28.58 ID:EAvuQ4fw0
神武東征の中には、神武が敗れた、正攻法では勝てなかったという話が多数
神武が推戴されて招聘されたのなら、このような不名誉なエピソードを後世に残す意味がない
勝ったり負けたりの東征、結果としての奈良盆地の支配はあっただろう
ただ、それが邪馬台国の直接的な東征であったかは疑わしいと思う
445 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 04:12:03.99 ID:nYfEbycq0
>>435 妄想だからって検討せずに否定したりしないけど、そこまで固く信じ込めるのはすごいなあ
それじゃあ学術でも謎解きでもないよ
446 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 04:12:06.32 ID:le/nHvps0
>>439 陸行だろw
あれは陸行一日の写し間違いと思われ。
手漕ぎボートでも北九州から大阪まで1週間でいけそうなもんだが
>>440 泡は津波で甚大な被害を受けているはず
高知は神武東征の時は壊滅だよ
ご先祖様が生き延びてよかったね
449 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 04:13:28.55 ID:le/nHvps0
450 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 04:15:27.46 ID:nYfEbycq0
>>449 まだ一度もおまえみたいにキメ込んだ話してないんだけどw
451 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 04:16:02.89 ID:gTdvccV/0
奈良を京にしたのは、津波から逃げるため説OKですよね?
九州の南にあった島が火山の爆発で海に沈んだんだよ
多分
454 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 04:16:54.63 ID:a7B91cdAO
>>448 高知で津波被害あれば阿波も終わりって意味不明だな
455 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 04:17:22.36 ID:le/nHvps0
>>452 津波が来てしまったので神武天皇は毎日毎日
美々津の海を見ながら決断した
>>428 所詮、8世紀における作り話だから
>>433 後のヤマト政権との連続性を証明できないから
魏志倭人伝の中の僅かな記述だけで邪馬台国が日本を支配できる規模の国だなんてどうして信じられるんだよ
まずそこから疑えよ
460 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 04:19:46.41 ID:le/nHvps0
>>454 地形的に一蓮托生のはず
みのもんたを信じるアホはいない
462 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 04:20:09.61 ID:a7B91cdAO
463 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 04:20:14.75 ID:A4ju3xSI0
>>458 大化の改新で意図的に改ざんされてるね日本古代史
465 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 04:20:43.09 ID:A9W1tDWa0
>>437 いちおう推測だけれども
いろいろ調べればそういう結論に達するので
間違っているかもしれないけど
正解かもしれない
古代の歴史なんてみんなが正解だと思うものが正解なので
そそ
もちろん「出雲」一族もいるよ!
東征って言ってる奴は四道将軍知らんのか
日本が統一されたのなんてずっと後だよ。
古事記はすべての王朝の神話をつなぎあわせた結果
>>460 自らの建国神話に九州を天孫降臨の地にしたり神武東征など入れるのなら
国造りを淡路からにする必要がない
邪馬台国は阿波(´・ω・`)
468 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 04:23:11.55 ID:le/nHvps0
近畿説はもう無い。
だってとにかく全然ダメなんだからw
んで、東征・東遷も無い。
これは昔から無いってのが定説だったが、
>>359みたいにダメ押しされた。
だから、神武雇われ店長説しか残って無い。
しかも、これで全部説明できる。
みのもんたが飛んでも番組を放送したので
邪馬台国は徳島とかいう奴が出てくる
マスメディアの大罪だな
>>463 それはやはり鎌足が渡来人だったからなんかな
蘇我の方の入鹿や蝦夷とか名前も変な感じだもんな
471 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 04:24:26.14 ID:le/nHvps0
>>458 都合のよい記述しか見えないのではどうしようもないなw
津波と言う神の祟りから逃れるために山門から大和へ説は皆さん支持してくれますか?
474 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 04:26:20.53 ID:le/nHvps0
>>464 なことは無いだろ。トゥみたいな音らしいぞ。
475 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 04:26:22.87 ID:0ll2z6A30
卑弥呼の墓は円墳と記されてる纒向は前方後円墳だろ
この事実だけで邪馬台国ではないのは確実だよ
あくまで個人的な意見だが、
帯方郡 → 対馬 → 壱岐 → 末盧国 (旧肥前国松浦郡 現在の唐津市) →
伊都国 (糸島市) → 奴国 (博多) → 不弥国 (宇美町)
ここからなぜか方角は不弥国からみた方角、
距離は帯方郡からのものになる。
投馬国(宮崎平野 西都市妻)
邪馬台国(佐賀平野 筑紫平野)
狗奴国(熊本平野)
原文でおかしいのは次の2箇所のみ
末盧国から東南に伊都国(実際は東北)
伊都国から東南に奴国(実際は東)
あとは地名、距離、平野面積と人口の関係など
ほぼ正しいのではないか。
477 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 04:26:50.13 ID:a7B91cdAO
「朝鮮の向こうのほう調べてこいや」
「うぃっす」
「ダリー」
「適当に書いとこうぜ」
「南に行ってヒミコって女に会ったことにしとこう」
>>447 邪馬台国は行程通りなら台湾、青森までどこでも行ける。
480 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 04:27:20.16 ID:A9W1tDWa0
>>469 四国を知らなすぎる
まあ封印された土地だからな
テレビ以前に話題になってただろ
それにテレビが食いついただけ
481 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 04:27:38.70 ID:le/nHvps0
482 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 04:27:54.16 ID:A4ju3xSI0
>>465 そうかもしれないな
因みに「ヤマト」も「イズモ」も元々は漢字ではない「族名」だったと思っています
あとで漢字をとってつけてアテただけなのであまり意味を持たない気がします
>>465 俺本来はロマンはあるし九州説だったのよ
筑後川で久留米とかが怪しいと思ってたし
でも、それだと忌部氏の存在がどの説でもネックになるのよ
そこでふと気がついた阿波も吉備も歴史から早々に消えるコトに
消えた有力者が居る土地そうだ大都会の元ネタも阿波
もうホントになんで忌部氏の本拠地が阿波なのよ
邪馬台国は阿波(´・ω・`)
485 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 04:36:42.26 ID:A9W1tDWa0
>>482 当て字はヤバイですよ
何かある!
というか日本の重要なところは当て字
「斑鳩」「祇園」その他多数すぎて…
おもしろいですよね
謎ありますよ
邪馬台国も当て字かもですね
イヤマトの国
伊大和の国
>>459に関して、
陳寿(もしくはそのグループ)が倭国をことさら遠く、巨大に見せかけて、
魏国王の徳は遠くの夷族にまで伝わっている。そして遠路はるばる朝貢
してきたんだぞ?東夷が朝貢してくるようになったのは、西の迂遠で巨
大な国である大月氏を朝具させた曹真様と同じくらい、晋の始祖司馬懿
様の大きな功績だ。晋は魏を正統に受けついだのだ。
以上が、いわゆる倭人伝が置かれた目的なので、それを理解せずに邪
馬台国がどこだとやっても何の意味もない。
そこに事実が書かれているとは限らないからだ。
陳寿は呉の資料を見ているはずなので、仮に邪馬台国(近畿と仮定する)と
呉が連携していて、それが魏や晋の官僚にとって周知の事実であった場合、
「呉の冊封下にあった邪馬台国は女王国の都となった」と表記してもおかし
くはないのだ。
事実でなくてもまったく構わないのだから。当時の日本列島およびその考
古学的デートとの矛盾が生じているので、史料批判が大切なのだよ。
それをまったく理解できない…というか、視野が極端に狭い自称専門家が
多すぎるw
>>484 四国には阿蘇はありませんよ
邪馬台国には阿蘇がありますが
徳島の神社に神宮の名称の神社がないなら徳島は関係ない
×デート
○データ
490 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 04:40:31.48 ID:a7B91cdAO
空海は阿波で何してたんだろね
お遍路は四国で総本山は和歌山だっけ?
あの坊主の行動がよく解らん
491 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 04:41:56.51 ID:A93d0qNO0
>>481 多分おまえがみんなにNGされてるから
読んでもらえないし返事も貰えない。
鬱陶しいからコテ付けろよ。
命名「雇われ店長」
492 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 04:42:05.30 ID:c2SCh2QX0
出雲を作ったのは岐阜県民だよ
493 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 04:43:26.04 ID:npyWTn4E0
佐賀しかないんだけどな、大阪だったらその時点から繁栄しまくってる
から
北部九州が「倭」で朝鮮半島南部〜北部九州〜近畿一帯を「大倭」→「大和」
とこれまで思っていましたが(間違ってるかもしれません)
>>426の方の説明では「ダイワ」を「ヤマト」に当てる根拠付けが弱く(説得力に欠ける)
>>451の方のは音声分析に依ってるぶん説得力があるように思えますが
>>464の方の意見もナルホドと思います
手元のいくつかの辞書にも「ト」という読みはありませんでした
>>474
495 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 04:45:28.30 ID:XvdN4RC00
「南至邪馬壹國女王之所都水行十日陸行一月 官有 伊支馬(いきま) 次曰 彌馬升(みます) 次曰 彌馬獲支(みまかし) 次曰 奴佳醍(ぬはだい) 可七萬餘戸」
中国の魏志に、卑弥呼の時代には邪馬台国では、すでにアマテラスの子孫である天皇一族が、邪馬台国で「官」として、卑弥呼に使えていた・・・
496 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 04:46:06.02 ID:lOscHOvT0
>>22 でまかせじゃなく本当のことを報告したけど、倭人伝を書く担当者には
「日本は南北に長い国」という認識があって、東は南の間違いだと
勝手に書き換えたられたのかも知れない。
(日本が南北に長い国という認識は、そういう地図がいくつか現存しているのを見ると
かなり常識的にそう思われていた可能性がある。)
497 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 04:46:16.49 ID:A9W1tDWa0
>>488 徳島からしたら伊勢の神宮なんて
新しい宮だから
紀伊半島は四国東部のダミー都市
それを意図的に創ったのが空海
八十八ヶ所の遍路は
外敵から四国を守るための情報網
だから海岸部地と剣山を守る見晴らしのいい山間部にしか
配置されていない
>>494 倭(ワ)を和(ワ)に当ててるんだぞ?
何言ってるんだお前
499 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 04:47:07.05 ID:XvdN4RC00
第11代
垂仁天皇、古事記名「伊久米入日子伊佐知命」イクメ・イリビコイサチノミコト・・伊支馬(いきま)
垂仁天皇皇后「氷羽州比賣命」ヒバス・ヒメノミコト・・次曰 彌馬升(みます)
垂仁天皇皇太子(後の第12代景行天皇)妃「美波迦斯毘賣命」ミカハシ・ビメノミコト・・彌馬獲支(みまかし)
垂仁天皇妃「沼羽田入毘賣命」ヌバタノ・イリビメノミコト・・次曰 奴佳醍(ぬはだい)
500 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 04:49:57.69 ID:XvdN4RC00
中国の魏志に、
卑弥呼が女王の時代には、水行十日陸行一月の邪馬台国の女王が居る都に、
すでにアマテラスの子孫である纒向珠城宮(まきむくのたまきのみや)を拠点とする第11代目の垂仁天皇が、
邪馬台国で「官」として、卑弥呼に使えていた・・・と記述が有る以上
卑弥呼がいた邪馬台国は、奈良にあったのは間違いなし
>>490 最澄の手が及んでないから、密教と山岳信仰の親和性(魔法使い)
>>497 だから答えてくれよ
徳島に神宮という呼称のつく神社はあるのか?
503 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 04:51:31.83 ID:a7B91cdAO
>>476 狗奴はクナと読むわけだが
クナ=クマで現在の球磨人吉地域
で、クマソと符合する
つまり邪馬台国はその上の熊本平野が妥当
阿蘇の噴煙も見え海にも近い
>>498 「ダイワ」を「ヤマト」に当てる理由がわからないんです
>>487 阿蘇山とは何かを考えなくてはならない
これだけ他が文字が違ってるのに
阿蘇山だけ偶然文字が一致したのだろうか?
中国で書かれた文字から付けのだろうか?
そして一番の問題は卑弥呼の時代には出てこない
邪馬台国は阿波(´・ω・`)
>>504 そんな事は熊本県人は納得している
反論は無い
508 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 04:54:12.59 ID:g3t7wb0F0
邪馬台国は九州の海岸に近い ところに在ったんだよ
海の幸も採取できるくらいのところになきゃ 不便だし
山菜木の実は 豊富にあるし手を加えないでもドングリ栗は種が落ち生えるし
取り尽すほど集落人口も少ないし
魏人が上陸して近畿まで内陸を歩いて行くのは 樹木が背丈以上の草木が生い茂った道もない山中をいくのは困難
>>506 そもそも四国には阿蘇どころか火山自体ないだろうが
510 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 04:58:13.83 ID:pfXCULmT0
またやってんのか?
飽きないなあ、こういうの
511 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 04:59:21.13 ID:XvdN4RC00
>>500 続き
魏志に記載されている内容で、残されている問題は、一大国−末廬国−伊都国が、果たして本当に、壱岐や北九州なのか・・ってことだけ
対馬から最初にたどり着くとされている一大国という島は、その後の梁(502年 - 557年)の『梁書』倭人伝で、帯方郡−一支国−末廬国−伊都国と
一「大」国から一「支」国と変わり、
512 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 04:59:32.14 ID:A9W1tDWa0
>>502 このスレをさかのぼってください
それと神宮ってのは天皇家にゆかりがある神社というだけで
明治神宮なんて最近だし
神宮と呼ばれていたところが今は神社として呼ばれているところもある
徳島県美馬市の白人の神社は神宮と呼ばれていた
神宮>大社>神社 という序列も眉唾
一宮>二宮>三宮 のほうがもしかしたら正しいかもしれませんね
>>505 ヤマトはワの民族を統一しました。って意味じゃないのそりゃ
514 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 05:00:34.45 ID:a7B91cdAO
>>508 海岸歩けばいいじゃん
波で草なんか育たないよ
>>505 ダイワ国なんてないんだって山門国を良い当て字で大和(ヤマト)
516 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 05:02:18.12 ID:XvdN4RC00
>>511 続き
さらに隋(581年 - 618年)の『隋書』倭国伝では、都斯麻国−一支国−竹斯国−秦王国と、
末廬国−伊都国が、竹斯国−秦王国と、変化している
一大国と一支国、竹斯国と末廬国、伊都国と秦王国、本当に同じ地域で国の名前が変わっただけ・・なのか
>>512 天皇陛下が神宮と言う呼称を認めないと神宮は名乗れないんだよ
>神宮と呼ばれていたところが今は神社として呼ばれているところもある
どこ?
518 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 05:05:57.51 ID:gTdvccV/0
普通に考えれば東京だろ
なんで西のド田舎に首都が在るんだよw
521 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 05:08:41.98 ID:A9W1tDWa0
>>517 名乗れない神社もあるのでは?
そもそも天皇家の出身が四国の剣山辺りで
その出生地を封印したとしたら
古代の歴史関連は複雑すぎて
だから…こんなに盛り上がるのですね!
>>521 んなこたない
歴史上において重要な神社は歴代天皇が神宮の称号を与える
最近では明治神宮が最後
神宮と名のつかない神社県は却下
523 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 05:13:20.34 ID:SpCRC4GT0
東京www
>>509 時代が違うんだからある必要もないけどね
俀王姓阿毎字多利思北孤 號阿輩雞彌
卑弥呼も台与も存在してないんだから
邪馬台国は阿波(´・ω・`)
奈良のヤマトの語源はよくわからない。
ただ、隣がヤマシロだから、ヤマは山なんだろうとは推測ができる。
526 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 05:14:33.11 ID:bYXPlJER0
どこにあるかわからないように上手く案内したんだから
どっちもハズレだよ
527 :
sage@転載は禁止:2014/12/04(木) 05:15:19.58 ID:Y7C9t9ru0
>>2 河内や巻向で韓式土器(つまり楽浪の)がいくらも出土しているのに
その接触で庄内甕(2世紀末から3世紀第3四半期)が
影響を(長胴から丸底に変わった)受けているのに
事実より気分が優先されるので九州説は強い
528 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 05:15:52.02 ID:A9W1tDWa0
>>522 あらら
決め付けはよくないですね
神社も商売!権威ある神社になれば収入アップ
そういう現代の風潮もあれば
神宮と呼ばれていたところが
戦火で焼けたり災害でなくなったり
日本の歴史は深い
529 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 05:16:30.93 ID:i54fC/NAO
一体何年このネタやってんだよ
キムチの起源主張にしか見えんわ
530 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 05:17:46.68 ID:XvdN4RC00
魏(220年 - 265年)の『魏志』で、帯方郡−対馬國−一大国−末廬国−伊都国
梁(502年 - 557年)の『梁書』で、帯方郡−一支国−末廬国−伊都国
隋(581年 - 618年)の『隋書』で、百済−竹嶋−耽羅国−都斯麻国−一支国−竹斯国−秦王国
日本の資料では607年、奈良−大阪−筑紫−五島列島−対馬−済州島−百済のルートをたどり、「隋」に遣隋使(小野妹子)を派遣したことが判明している
>>528 文句いうなら竹田恒泰に行ってくれ
神宮とは天皇由来の特別な神社しか称号が与えられないと言ってた
嘘ではないだろ、末裔だし
532 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 05:20:36.73 ID:LxYO5OME0
あの距離は嘘、帰還した使者が遅くなった言い訳けがあの距離になったのだ
533 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 05:20:44.74 ID:+e8bgBI00
どっちにしろ半島からの渡来人だ
534 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 05:21:21.33 ID:XvdN4RC00
>>530 隋(581年 - 618年)の『隋書』で、百済−竹嶋−耽羅国−都斯麻国−一支国−竹斯国−秦王国
日本の資料では607年、奈良−大阪−筑紫−五島列島−対馬−済州島−百済のルートをたどり、「隋」に遣隋使(小野妹子)を派遣したことが判明しているので
一支国は五島列島、竹斯国は筑紫なのが、ほぼ確定・・・
>>531 嘘を言ってるつもりが無くても、間違ってる可能性は有る
536 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 05:23:25.69 ID:XvdN4RC00
>>534 一支国は五島列島、竹斯国は筑紫なのが、ほぼ確定・・・ で
一大国と一支国、竹斯国と末廬国、伊都国と秦王国、同じ地域で国の名前が変わっただけ・・となると、
『魏志』の一大国は壱岐ではなく、五島列島ということになってしまう・・・
>>535 ねーよ
天皇の末裔があれだけはっきり言うんだ
他の誰を信じろと?
問題発言だったらとっくに吊るされている
538 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 05:25:27.63 ID:A9W1tDWa0
>>531 ですね
申し訳ない…まあ古代だから
昔の天皇家だって
金積まれたらじゃあ
「神宮にしてよし」とかあったかもしれないし
いろいろな見聞を参考にになきゃ無理ですよね
竹田さんの意見はほとんど正解ですよね
けど不明なところもある
それをこういう場で討論し
検索すればいいんじゃないでしょうか!
お付き合いありがと。
>>519 だから言霊による音の近い美字の当て字だって
540 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 05:26:30.59 ID:a7B91cdAO
徳島 神社 1300軒
熊本 神社 10軒
阿波の勝ちだな
541 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 05:27:19.12 ID:AHZg0UdT0
>>529 あらゆる史書に日向から東遷したって書いてあるのに
なんで頑なに否定すんだろうね
543 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 05:29:52.94 ID:AHZg0UdT0
>>542 日向から筑紫、瀬戸内通って近畿へ遷ってるからねえ
出発点は日向でいんじゃない?
>>538 竹田恒泰は天皇家の末裔なので知っている事実も多いんだよ
九州に神宮が多いのはこれは当然のことですと言ってたし
奈良が畿内説を唱える事を、奈良は味をしめちゃいましたと意味深だった
怪訝そうな顔をしていた
日数考えるとオーストラリアだろ
547 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 05:31:40.75 ID:XvdN4RC00
卑弥呼がいた邪馬台国は、奈良にあったのは間違いなし
>>500で
『魏志』の一大国は壱岐で、『梁書』『隋書』の一支国は五島列島
『魏志』『梁書』の末廬国−伊都国は出雲で、『隋書』の竹斯国−秦王国は筑紫
奈良にあった邪馬台国とそれに続く大和朝廷は、勢力が西に拡大するにつれて、九州を利用出来るようになっていった
548 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 05:32:55.85 ID:ZBQkAv3v0
また美々津の人が来たみたいね
でも宮崎は全く関係ないと思うよ
第一に地形
古代に九州山地を越えて行き来するのは無理がありすぎる
そのためには街道の整備が必要だけどその痕跡なし
邪馬台国があっても他の国に影響を及ぼすのは無理
次に考古学から
宮崎の古墳は新しいものが多い
後、地名が後付
「きばな」とか「ごかせ」とか漢字の読み方を誤って付けただろう
549 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 05:34:55.32 ID:I566UTqF0
邪馬台国は宮城だよ!
550 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 05:35:44.81 ID:AHZg0UdT0
鬼道をよくする卑弥呼の一族ですからねえ
物理的な勢力とは違うかもね
551 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 05:35:48.41 ID:ZBQkAv3v0
宮崎は証拠が津波に流されたとか
大友宗麟に焼かれたとか
どこかの国みたいなことを言わないほうがいいと思う
552 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 05:37:28.75 ID:XvdN4RC00
>>543 中国の魏志に、
卑弥呼が女王の時代には、水行十日陸行一月の邪馬台国の女王が居る都に、
すでにアマテラスの子孫である纒向珠城宮(まきむくのたまきのみや)を拠点とする第11代目の垂仁天皇が、
邪馬台国で「官」として、卑弥呼に使えていた・・・と記述が有る以上
>>500 史書にある日向からの東遷は、卑弥呼が邪馬台国の女王になる、遙か以前の出来事
553 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 05:37:29.65 ID:a7B91cdAO
>>545 馬の骨の玄孫が言うから間違いないな
九州じゃないって事だわ
源平合戦で九州から逃げて死んだ酋長が
生きて続いてないと都合悪いんだろwww
555 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 05:38:43.63 ID:ZBQkAv3v0
これだな
宮崎市には木花という地名がある
一見「このはな」かと思うが実は「きばな・きはな」と読む
読み方が変わる場合「ひむか」→「ひゅーが」のように発音しやすいように変化するのが普通だ
きばなとは最初からそう読む地名だったのだろう
はっきり言ってしまえばこの地名は木花之佐久夜毘売をきばなのサクヤ姫のことだと勘違いをして付けたのではないか
宮崎は神話のどうとかで売りにしている割にはいい加減なところが多い
まぁ坂本龍馬や会津観光史学よりは素朴な感じでニヤニヤ見てられるが
まるで、日本全体が昔から天皇の持ち物だったかのように書いたのが古事記
本当は奈良にあった小さな国が全国を統一しただけ
そこで飛鳥昭雄の日本列島回転説ですよ
559 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 05:40:54.87 ID:XvdN4RC00
>>552 つづき
むしろ、史書にある日向からの東遷は、
九州で元々は男子を王としていた一族が、家来である天皇家の祖のカムヤマトイワレヒコを伴って
朝鮮から九州に進出してきた狗奴國「漢委奴國王」に追いやられて東に向かい
奈良周辺を制圧して「邪馬台国」を建国した、
卑弥呼のもっと前の時代・・・の話し
>>27 倭人の倭が和からチビ・小人って意味の倭にされたのと同じく
大国としての見下し目線を隠した悪意の当て字だとは思うけど
中国人もある程度自分から見たイメージを表現した当て字をするので
現地本来のヤマトが山登だか山戸だかどういう意味かはともかく
おそらくヤマトは丘の上に馬がいっぱいいる邪悪な国のイメージだったんだと思う
561 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 05:41:39.51 ID:a7B91cdAO
>>556 天皇が全国統一なんてアホか
人前に顔も出さない引きこもりの元祖じゃん
562 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 05:41:39.88 ID:AHZg0UdT0
バチカンのローマ法王が軍事的に強大というわけでもなし
数十カ国が争ったのちに立てた神輿が卑弥呼なんだし
単に勢力通りなら、鬼道をよくする必要はない気もするね
563 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 05:41:59.03 ID:ZBQkAv3v0
>>554 美々津はストリートビューで見たけど古い町並みの残るいいところみたいだね
でもいきなり船が作れるようなところには見えないな
宮崎には他にないからといって必死過ぎる
>>560 ニンベン使ってるだけ中国にしては譲歩してるんじゃね
566 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 05:43:18.24 ID:vU9sMb/50
567 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 05:44:36.44 ID:a7B91cdAO
570 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 05:47:16.77 ID:XvdN4RC00
つまり
@九州で元々は男子を王としていた一族が、朝鮮から九州に進出してきた狗奴國「漢委奴國王」に追いやられ
A家来である天皇家の祖のカムヤマトイワレヒコを伴って東に向かい奈良周辺を制圧して「邪馬台国」を建国
Bカムヤマトイワレヒコはその時の功績により、天皇家は代々王族の「官」となる
C卑弥呼が女王の時は、天皇家の第11代垂仁天皇が、卑弥呼の「官」
>>29 古代の半島で国の意味の言葉は「ラ(羅)」だよ
だから北から「コラ(高麗・高羅)」「シンラ・シラギ(新羅)」「カラ(加羅)」「クダラ(百済・下羅)」だよ
日本のナラは中国からもらった印鑑に「奴羅」とこれまた見下した文字で表現されてたけど
ヌラの「奴」とは奴隷を意味する漢字だよ
すなわち奴隷の国ということ。たぶんナラには農業奴隷がいっぱいいたんだと思う
572 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 05:48:39.88 ID:XvdN4RC00
>>570 訂正
@九州で元々は男子を王としていた一族が、朝鮮から九州に進出してきた狗奴國「漢委奴國王」に追いやられ
A家来である天皇家の祖のカムヤマトイワレヒコを伴って東に向かい奈良周辺を制圧して「邪馬台国」を建国
Bその時のカムヤマトイワレヒコの功績により、天皇家は代々王族の「官」となる
C卑弥呼が女王の時は、天皇家の第11代垂仁天皇が、卑弥呼の「官」
573 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 05:49:10.97 ID:AHZg0UdT0
>>559 倭国と日本は別種の国だそうだから
邪馬台と、大和は別でいいんじゃないかな
国際連盟と、国際連合みたいなもんだよきっと
九州説は国際連盟のジュネーブ押し
畿内説は国際連合のニューヨーク押し
みたいなもんだね
>>567 木曽路の木曽馬ならいたか?
時代的に符合しない
馬はまだ入ってきてないかと
「大和」は色んな種族が大きく和する意味をこめてつけられた当て字ぽいから、
昔の日本にはまだ色んな種族が残ってたんだと思う
たぶん当時日本で完全に国一個統一済みではなくまだ違う小さな国があちこちに隠れて残ってて
魏がそのうちどこのこと言ってるかはわからない
近畿のナラは王一人と農業奴隷がたくさんいるイメージ。武士はよその種族から雇われてきた傭兵ってかんじ
ヤマトは武士の母国のほうの呼び名かも
当て字でなく普通に山戸っていうと天の岩戸みたいな
山のふもととか
あるいは中国人による近畿奈良地方の農業地域山田の聞き間違いという新説
山のふもとの田んぼの奴隷の国
>>565 どっかに武士の先祖がいたはず。武士は馬乗ってたしウイグルや遊牧民系の移民いたのかも
>>253 >>213のサイトは「特徴あるものを抜粋」って書いてあるよね。
こっちのサイトの方が詳しい。
577 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 05:54:10.45 ID:a7B91cdAO
>>562 卑弥呼はたぶん日巫女あるいは火巫女を中国人が例の悪意文字で呼んだんでしょ。
天照大神の口寄せばばあみたいな
アマテラスは女みたいだし
579 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 05:57:02.57 ID:XvdN4RC00
>>573 そんで
D卑弥呼が死んだ後、壱与が後継になったものの、卑弥呼の存在があまりにも大きかったために卑弥呼の変わりにはなれなくて
E壱与の次の代から、王を立てることを断念し、代々王族の「官」だった天皇家が直接統治
Fそれに伴い天皇家は、邪馬台国の指導的立場を確立するため、卑弥呼を神格化し、卑弥呼という「虎の威を借り」ざるを得なかった
580 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 05:58:34.08 ID:eDhKt0M90
沖縄の人は今でもヤマトンチューって呼ぶな
古来日本人は自らをヤマトと名乗ってた証拠
581 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 05:58:47.13 ID:O0+UI9hv0
神無月に出雲に集まる最後の神様が壱岐の神様
長崎県壱岐市ね
で、この神様が糸島市(伊都国)日向峠に陣取ったのね
これが天孫降臨
で、糸島市平原遺跡に埋葬されていた鏡は
伊勢神宮にある鏡と同じ八咫の鏡
この神様が当時の最強軍隊の一大卒を率いて戦ったのが八岐大蛇退治
かくして当時ナンバー1だった出雲の神様を打倒してナンバー1へ
事後、糸島市から東遷しつつ各地の神様を服従させ
奈良の地に政権確立
大和朝廷ね
卑弥呼って大和国の巫女だろ
583 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 05:59:26.72 ID:AHZg0UdT0
>>579 代々王族かどうかはわからんと思わないでもないけども
もしかしたら各国の大王が持ち回った可能性も
584 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 06:00:00.27 ID:XvdN4RC00
代々王族の「官」だった天皇家による大和朝廷の成り立ちは
金日成の存在があまりにも大きかったため、金日成の変わりには誰もなれなくて
金日成を神様として、朝鮮労働党が国家運営していく
毛沢東の存在があまりにも大きかったため、毛沢東の変わりには誰もなれなくて
毛沢東を神様として、中国共産党が国家運営していく
みたいなことと同じようなこと
>>578 宇佐八幡宮神託事件
比売大神(日女)卑弥呼(日巫女)アマテラス
>>330 本当にあんな風に日本の島々ができたんなら怖いわ
587 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 06:01:32.06 ID:GVqeFjK/O
588 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 06:01:33.89 ID:ajEhN9yA0
>>562 単純に「姫」じゃないかって説もあるよな。
言葉もろくに通じんかったらしいし。
学者は「儀式」とか「呪術」とか好きやけど、
本当はもっと単純な生活してたんじゃないかと思う。
土偶とかも、儀式とかなんとかじゃなくて、
人形遊びの人形だったりして。
古代日本はクダラの民族とは通訳なしで話が通じたらしいよ
シンラ、コラとは通訳必要だったっぽい
古代の半島の下のほうの国と日本には同じ民族がいたもよう
どっちがどっちに移住したかは知らんけど
ちなみに昔は現在の朝鮮民族とは別の種族がいた
>>589 百済は夫余と倭人と韓人が雑居してたんじゃなかったっけ
この時代ですでに、ヤマト=関西〜九州までの総称。
っていう可能性は?
592 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 06:05:19.41 ID:XvdN4RC00
つまり、邪馬台国は、国体として女王を奉り、実務は天皇家が行っていたという
大日本帝国の、天皇&総理大臣という形に、とても似通った、形態をとっていた
【卑弥呼まで:女王(実在する絶対権力者)→天皇家(役人職)】
593 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 06:06:36.67 ID:/opU9MbY0
投馬国もわからん。まー日本のどこかにあるんだろうが。
594 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 06:06:39.72 ID:a7B91cdAO
>>589 南シナ海寄りの犬食いなんだっけ?
あいつらが朝鮮人のルーツらしいよ
その後四角い顔族が排水溝から涌いて出た
595 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 06:06:45.33 ID:XvdN4RC00
>>592 つづき
それが卑弥呼が死んだところで、卑弥呼の存在があまりにも大きかったために、
壱与が後継になっても、卑弥呼の変わりにはなれなくて、今の日本にとても似通った、形態
【卑弥呼のあと:女王(実在しない神様アマテラス)→天皇家(役人職)統治】
に変化した
>>582 本来は日巫女なのに中国人の悪意表現を引用して後世日本人までが自分らで卑弥呼書いてるのは屈辱と思う
冬でも生野菜を食べているって記述があるから、日本海側でないことは確かだろうけど、俺は宮崎だと思う
神武天皇の日向から東征ってのと一致するし
では、卑弥呼が誰なんかってことになると?
邪馬台国の謎を解くには
邪馬台国=阿波を認めないと謎は解けない
歴史の表舞台からは完全に消されてるから
真実は日本三大秘境の阿波にある(´・ω・`)
>>590 そんじゃきっとヤマトかナラはクダラの倭人と仲がよかったんだな
わざわざ新羅や高麗との戦争に援軍出してるし
600 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 06:11:45.28 ID:XvdN4RC00
卑弥呼がいた邪馬台国は、奈良にあったのは間違いなし
>>500で
『魏志』の一大国は壱岐で、『梁書』『隋書』の一支国は五島列島
『魏志』『梁書』の末廬国−伊都国は出雲で、『隋書』の竹斯国−秦王国は筑紫
奈良にあった邪馬台国とそれに続く大和朝廷は、勢力が西に拡大するにつれて、九州を利用出来るようになっていった
ヤマタイコクって読み方はおかしい。 ヤマトコクかヤマイコクだろ・・・1文字1音だろ
壹與(トヨ/イヨ)なんだから
602 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 06:12:33.80 ID:gTdvccV/0
>>594 現代の朝鮮人は半島を侵略しにきた中国人に便乗して入ってきた異民族の子孫
それ+漢人or元(モンゴル)の支配者との混血
604 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 06:15:20.53 ID:XvdN4RC00
>>602 いんや
隋(581年 - 618年)の『隋書』で、百済−竹嶋−耽羅国−都斯麻国−一支国−竹斯国−秦王国で
日本の資料では607年、奈良−大阪−筑紫−五島列島−対馬−済州島−百済のルートをたどり、「隋」に遣隋使(小野妹子)を派遣したことが判明しているので
一支国は五島列島、壱岐では無い
605 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 06:18:14.31 ID:gTdvccV/0
訂正
>>602 ×一支国は宋本魏志倭人伝の誤刻
○一大国は宋本魏志倭人伝の誤刻
606 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 06:19:18.66 ID:ZBQkAv3v0
>>597 日向国は7世紀中頃にでき、702年頃に薩摩国、713年に大隅国が別れる前は、
鹿児島宮崎を併せた地域でした。古事記が712年、日本書紀が720年に出来た事を
考えれば、日向を現代語で表すとしたら南九州が近いでしょう。
日向=宮崎というのは、極端に言えば陸奥国=むつ市があるから青森県
というのと同じです。
607 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 06:19:26.95 ID:XvdN4RC00
つまり『魏志』の一大国と、『梁書』『隋書』の一支国は、別の島
同じ地域で国の名前が変わっただけ・・では無い
『魏志』の一大国は壱岐で、『梁書』『隋書』の一支国は五島列島
旧唐書だったかに、日本は倭の亜種だとか書かれてなかったっけ?
倭国の中の、邪馬台国や狗奴国なので、たぶん、日本国も倭国の中の一つだったんだろう。
で、日本が大和朝廷で倭国全土の支配を完了したから国号も倭国から日本国に変わったんだと思う。
609 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 06:22:32.05 ID:KNPtCt990
邪馬台国は2つあった
はい終了
610 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 06:24:47.60 ID:AHZg0UdT0
>>608 倭国が九州にあった、連合国家になった
連合国家が大きく拡大した、大和になってのち日本を名乗った
てことでいんじゃない?
発音は大和も日本も同じ「ィムトゥ」あたりでどないだw
611 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 06:25:19.06 ID:ofKAWjI80
ヤマタイコクじゃなくてヤマトコクと読む
これだけですべてがぴったりはまって
綺麗におさまるのになぜそれができないんだろね
どんな弊害があるのか
>>607 日本から派遣するルートと
支那から来るルートが同じとは限らないのでは
613 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 06:26:52.68 ID:XvdN4RC00
>>608 まぁ、邪馬台国の卑弥呼が親魏倭王になったのは、魏に朝献して気に入られたからで
当時の日本列島で、邪馬台国が最大の国土面積を占める大国だったから親魏倭王になれた【わけではない】のは、確か
狗奴国が、最大の国土面積を占める大国だった・・かもしれないし
三内丸山に代表される東北の勢力が、最大の国土面積を占める大国だった・・かもしれない
>>610 それだと、ヤマトタケルや四道将軍なんかで、中国、九州方面の征伐をする必要性が曖昧になるよ。
>>291 九州弁でも「危なっかしい」を「ヤバイたい」と言うな。
616 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 06:32:40.27 ID:tNYjcKzZ0
>>604 一支国は小さく農耕が出来ない、と書かれてる、五島列島は当て嵌まらない。
>>607 漢委奴国王の金印が見つかったのが志賀島
奴国王の時代には九州とはつながっていない
独立した島の志賀島が到着地点
まぁ少なくても中継地点にはなる
邪馬台国は阿波ですけどね(´・ω・`)
618 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 06:33:41.97 ID:XvdN4RC00
>>612 うんにゃ、天皇家が大陸に朝献するとき、大陸から賜り物を授かって帰国するときや大陸から使者が来るときは
同じ国家であれば、同じルート
邪馬台国でさえ、一大国には中国語か読める一大率という派遣官を在駐させ、中国語で
持ってく者と物、持って帰ってきた者と物が、書類通りに揃っているか、ちゃんとチェックしている
619 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 06:34:04.71 ID:aMQlzaMy0
結論:どうでもいい
620 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 06:36:15.04 ID:A9W1tDWa0
621 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 06:37:01.41 ID:XvdN4RC00
>>616 五島列島の中の、小さく農耕が出来ない島・・が、島丸ごと、一支国という大和朝廷の出先機関
623 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 06:38:35.27 ID:AHZg0UdT0
>>614 完全に服属するとは限らないからじゃないかな
例えば出雲の主要勢力が国を譲っても、それが気に入らず
抵抗した出雲勢力がいたかもしれない
624 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 06:44:41.79 ID:XvdN4RC00
>>623 出雲の主要勢力が国を譲ったとき、それが気に入らず抵抗した出雲勢力(弟のタケミナカタ勢力)は、諏訪に流罪として
アマテラス(奈良の大和朝廷の祖である邪馬台国の卑弥呼)が、間に位置する形で、出雲から分断した
ヤマトは農民の集団というより馬に乗ってた人もしくは武士の先祖がいた国と予想
遊牧民系の大陸民族が古代日本に先に移住してきてたのかも
馬が走りやすそうな九州の広大な土地でなければ元から馬のいた台湾とか天孫降臨神話のある済州島とか
あるいは武士が多そうで古くから馬がいっぱいいた関東平野かもしんない
日本に馬いないって書いてる箇所もあるけど馬ちゃんといたし
あるいは単純に山戸山登の意味であれば山陰山陽あたりの国とか、はたまた岡山とか
そんでナラは稲作農業の奴隷がいっぱいいた国
大和は色んな国を統一して無理矢理当て字を使った
はやし浩司の説では、卑弥呼は空を飛べたらしいってさw
九州勢力なんてせいぜい2世紀初頭までだよ
もうそれ以降は、吉備、阿波、讃岐、大和の連合政権が倭国を主導だ
問題は出雲がどう絡んだかだな
629 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 06:54:55.45 ID:ujXd2lk+O
>>611 台与をトヨと読むからそれでもいいが、九州勢力も否定できない。
後漢は日本をヤマトとしか認識できない、つまりどこの場所に朝廷があったとしてもヤマトと呼んでいたかもしれんから。奈良限定とはかぎらない。
倭健命は日本武尊でもある。
文字だけで判断できない。
630 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 06:56:12.20 ID:XvdN4RC00
@九州で元々は男子を王としていた一族が、朝鮮から九州に進出してきた狗奴國「漢委奴國王」に追いやられ
A家来である天皇家の祖のカムヤマトイワレヒコを伴って東に向かい奈良周辺を制圧して「邪馬台国」を建国
Bその時のカムヤマトイワレヒコの功績により、天皇家は代々王族の「官」となる
C卑弥呼が女王の時は、天皇家の第11代垂仁天皇が、卑弥呼の「官」
631 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 06:56:49.97 ID:XvdN4RC00
D出雲に国譲りを迫り、了承した長男のコトシロヌシは出雲に残し、抵抗した弟のタケミナカタは、邪馬台国を挟んだ諏訪に流罪として出雲から分断
E奈良の邪馬台国の卑弥呼は出雲から魏に朝献して親魏倭王
F卑弥呼が死んだ後、壱与が後継になったものの、卑弥呼の存在があまりにも大きかったために卑弥呼の変わりにはなれなくて
632 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 06:57:09.56 ID:XvdN4RC00
G壱与の次の代から、王を立てることを断念し、代々王族の「官」だった天皇家が直接統治
Hそれに伴い天皇家は、邪馬台国の指導的立場を確立するため、卑弥呼を神格化し、卑弥呼という「虎の威を借り」
I勢力が西に拡大するにつれて、一支国の五島列島、竹斯国−秦王国の筑紫と、九州を利用出来るようになっていった
633 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 06:57:29.33 ID:AHZg0UdT0
>>628 むしろ四国は初期女王国連合の一味だったかも知らん
DNA解析によると日本の馬の原種はモンゴル起源だってさ
半島から九州を通って古墳時代には馬具も出土してる
きっとモンゴル人も馬と一緒に来ていたのだろう
東遷とか実証的な裏付けがあるんならもっと戦闘の痕跡があってもいいんだが、
第二次高地性集落期ですら大した戦闘の痕跡も無い
東遷なるものに何かモデルがあったとしたら、2世紀初頭までに九州勢力から、
畿内の諸勢力に倭国の主導権が移ったことぐらいだろうな
>>324 ヤマトタケルが東征の折に草薙の剣を熱田神宮に預けたからじゃないの?
637 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 07:01:22.33 ID:Krn4ML2d0
もともと九州説って本居宣長が中国に朝貢する女酋長が天皇につながるわけがないだろうがボケ。
九州の女酋長が僭称しただけだろうが。
で、始まった話だし。そこからはずれるのはすべて却下。
また天孫降臨は高千穂で確定しているんだから、そこから外れる話もすべて非国民の話。
>>633 古墳的に見て、四国は初期大和政権の有力勢力であったのはかなり濃厚だよ
特に阿波、讃岐はね。
記紀から見ても、モモソ姫は讃岐あたりと相当縁が深いし。
>>632 天皇家は日巫女の家臣の官僚家だったのに
死後かわりのカリスマ宗教女がいないことにつけこんで
いわば下克上をして成り代わったのだな
わるいやつだ
640 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 07:04:25.96 ID:XvdN4RC00
>>635 文字書けないやつらの小さな村や国を侵略して皆殺しにしたり征服したとしても
後世にまでわかる痕跡ってあんま残らなそう
日本の歴史書もリアルタイムでなく100年後とかに聞きかじりで
しかもその時の施政者が気に入るようにまとめてるし
642 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 07:06:10.66 ID:Krn4ML2d0
>>640 朝鮮に追われたなんて話も、今の韓国の歴史ドラマレベルw
643 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 07:06:42.90 ID:v/CBPmRMO
何故か「死ねぇ!」と叫ばないといけないと感じてしまった
>>641 九州勢力から畿内勢力に主導権が移る時期や倭国大乱の
時期にあたる第二次高地性集落期には、戦闘の死体や大きな戦闘の痕跡が
無いんだよ。諸勢力の砦であった高地性集落にもない。
弥生末期だから死体があったんなら骨が残る。
中国がまず日本を正確に記録してるというのがありえない話で
ヒミコなる人物がいたとしてもそれが君主だったというのは日本書紀の記述から見てもありえない
646 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 07:10:15.69 ID:Krn4ML2d0
天孫降臨と邪馬台国は完全に別の話。それを結びつける根拠もいっさいなし。
647 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 07:10:36.70 ID:XvdN4RC00
>>643 狗奴國は「漢委奴國王」なんだから、朝鮮と繋がりが深くて当たり前
>>640 天照大神じゃないけど、岩穴の洞窟から神が現れて、日本方向から流れてきた女たちを嫁にして
定着した神話があるのが済州島
台湾と済州島には馬いた
関東にも馬いた
ちなみに沖縄は海の向こうから神が渡ってきた伝説がある
あと天孫降臨てのはなんで子じゃなく孫なんだかわかんないけど孫だから結構代が下ってそう
649 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 07:12:50.98 ID:XvdN4RC00
別の話じゃありません
垂仁天皇、古事記名「伊久米入日子伊佐知命」イクメ・イリビコイサチノミコト・・伊支馬(いきま)
垂仁天皇皇后「氷羽州比賣命」ヒバス・ヒメノミコト・・次曰 彌馬升(みます)
垂仁天皇皇太子(後の第12代景行天皇)妃「美波迦斯毘賣命」ミカハシ・ビメノミコト・・彌馬獲支(みまかし)
垂仁天皇妃「沼羽田入毘賣命」ヌバタノ・イリビメノミコト・・次曰 奴佳醍(ぬはだい)
>>1 どうせキチガイゴミクズ朝鮮人が捏造を根拠にした主張をするんだろうなぁ
任那日本府を否定するようなキチガイだからなぁ
★ キチガイ 反日 極左 犯罪民族 朝鮮人 工作員 記者 一覧
・ジーパン刑事=無糖果実=擬古牛(sc):正体は「丑田滋」(元朝日新聞記者).「うっしぃ(うし)」から改名.複数のキャップを取得して工作中.
・Hi everyone!=熱湯浴:正体は「安田浩一」(キチガイ反日ジャーナリストの通名.本名は「アンホイル」).「諸君(もろきみ)」から改名.
・イマジン:数少ないもろきみの盟友
・Twilight Sparkle,DQN,theMiddleAges:上記三匹と同類のキチガイ極左.嫌儲出身
651 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 07:16:26.17 ID:XvdN4RC00
邪馬台国の女王卑弥呼と、その「官」であった垂仁天皇イクメ・イリビコイサチノミコト・・伊支馬(いきま)と、
天皇家の自称ではなく、中国という第三者が書き残しているんだから
天孫降臨と邪馬台国は完全に別の話・・・では、ありません
完全に同じ話です
652 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 07:16:59.02 ID:ujXd2lk+O
>>639 絶対王政の時代ではなく合議制の時代で、卑弥呼のような預言者(神の意思を伝える)は統治というよりも政治の決定を占いなどで決めていたから大事にされたんだろ。
後の斎王。
その立場が当時の中国人には統治者に映り記録されたんだろな。
邪馬台国は北九州で、後に台与は奈良に招かれたということじゃないか。
王朝は何度か交代しただろ。
653 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 07:17:48.03 ID:AHZg0UdT0
>>646 江南人が渡来して混血したのが天孫降臨の地
鬼道をよくするのは江南系の混血した一族の末裔
654 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 07:18:06.41 ID:t9u7y7opO
日巫女は無いな
巫女は昔は「カムナキ」と呼ばれてたからな
ヒメミコだろう。比売命。
>>647 狗奴国とかすごい侮った文字を使われたものだよね
いぬとどれいだ
少なくとも日本で歴史を語る際は正しく意味の通る文字に改めるべきだな
中国人は漢字読めないアホのやつらが格下の奴隷扱いする暗号を刻んだ印鑑を手渡し
使者たちが忠誠を誓い、慇懃に感謝の意を表明し大切に持ち帰るさまを見て
ふんぞりかえって見下していたのだぞ
これはある種の呪術。古代中国人得意のやつ
卑弥呼とか邪馬台とか倭人とか奴羅とか自分で書いてはいけない
日巫女、大和、奈良と書き直すべし
日本が天皇のもと統一国家として建国してから何百年もたってるのに
地方の豪族に過ぎないと思われる人物が大陸に使者を送るかね
658 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 07:22:43.77 ID:AHZg0UdT0
上で誰か姫って書いてたな
姫王で発音は「ヒメオホ」だな
659 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 07:23:19.32 ID:XvdN4RC00
>>648 元々は男子を王としていた邪馬台国は、220年 - 265年の魏の時代は、卑弥呼という女王だったというだけの話で
@九州で元々は男子を王としていた一族が、朝鮮から九州に進出してきた狗奴國「漢委奴國王」に追いやられ
A家来である天皇家の祖のカムヤマトイワレヒコを伴って東に向かい奈良周辺を制圧して「邪馬台国」を建国
したのは、どのぐらい前の時代だったのかはわからない
>>655 漢字で表すのも反対だけどな
神代の人物であるなら神代の文字で表すのが正当
661 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 07:24:07.68 ID:60ikldLi0
卑弥呼って男説あるんだよね
>>647 倭人の亜種が半島から渡ってきて狗奴隷の国ナラを作り、
他の小国に先じて親中姿勢を示し、印鑑もらって帰って嬉しがっていたのか
そのおかげで征服がはかどったのかもしんないけどなんかあんま嬉しくないな
親中派として招待されたハトヤマポッポか半島のクネみたいだ
中国兵法リクトウでは有能なやつは何一つ渡さず馬鹿は歓待して帰せと言われてたけど
それっぽい
「卑弥呼は石舞台古墳の隣の公園のところに住んでた。卑弥呼の葬列は
石舞台古墳から出発した」って霊視した外国人霊能者がいたよ
有り得る話としては
ローマの大秦国安敦みたいに
全然関係ない地域の人間が
当時絶対的権威だった天皇かそれに類する架空の権威者の名を騙って交易を行おうとしただけなんじゃないの
665 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 07:27:27.35 ID:Krn4ML2d0
666 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 07:28:04.72 ID:Fzwz+3Vh0
>>651 イクメ、イリビコとかなんか乳母か養育係みたいな名前
668 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 07:29:34.98 ID:XvdN4RC00
>>660 まっ、中国の史書の、国や人名などの固有名詞は、倭人の発音に対しての中国漢字の当て字だろうね
オレ達が、Davidを、アメリカ人の発音から「デイビット」とか「デービット」って書くのと同じさ
神話から考察すれば
卑弥呼=天照大神
卑弥呼の弟=スサノオ
トヨ=天照大神次代だろ
邪馬台国って連合国家だったから王と豪族の力差はさほどなかったから、連合国家の体を為すために小豪族の娘の卑弥呼を女王にしたわけだろ
その卑弥呼がカリスマ的な存在になってしまったから、卑弥呼の氏族のスサノオも権力を持ち、死後男王に即位するが、各地の豪族の反発を招き出雲に逃れる
尾張氏がトヨを擁立、邪馬台国は分裂を免れる。愛知に豊橋、豊田、豊川なんて地名在るのはトヨの由来と思う、でスサノオは出雲でヤマタノオロチ豪族を制圧し、出雲朝廷の基礎をつくる
物部氏が神武を招聘
>>654 カムナキは神鳴きで託宣というか口寄せのことでしょ
巫女の仕事のことだよ
王族の代々の姫イコールそこの宗教の巫女だったのかもしらんけど
671 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 07:30:23.21 ID:ujXd2lk+O
>>657 何をもって統一か?
中国に三国志時代があるように、日本にもそういう時代があっても不思議じゃない。
>>666 あれは歴史上日本の外交権が分断した二つのうちの一つの例で
それでも双方は天皇を首長に定めてたじゃん
673 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 07:31:42.29 ID:g3t7wb0F0
中国から当時の古地図が出てくるかもしれない 古地図を探したほうが早い
>>654 日女=ひめになったんじゃないかな。神道でいう日巫女と同じ意味だよたぶん
カムナキは神の預言というか口寄せ霊能者の意味っぽい
邪馬台国は讃岐
大和朝廷の発祥は都城あたり
676 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 07:34:23.79 ID:fZIIj0bI0
大和朝廷が奈良にあったのは確実だが、奈良から遠い宇佐神宮とどうして
縁が深いか考えた事があるか?
677 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 07:35:03.40 ID:XvdN4RC00
>>667 まっ、中国の史書に書かれている、当時の倭国の国や人名などの固有名詞は、倭人の発音に対しての中国漢字の当て字だろうね
オレ達が、Davidを、アメリカ人の発音から「デイビット」とか「デービット」って書くのと同じさ
固有名詞なんだから、読んで発音したときに、似たように聞こえていれば、それで事足りる
普通に皇女(ひめみこ)
じゃないの
679 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 07:36:04.66 ID:AHZg0UdT0
卑弥呼の発音からだな
古代中国語なんて発音するんだ?
考古学界では畿内説9割九州説1割くらいの割合
>>674 カンナビス=大麻って説を聞いた事があるな
>>654 日御子が日の国の皇子で、日女御子は姫巫女かも
684 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 07:40:23.56 ID:vqogttJf0
魏志倭人伝なんぞにいつまで振り回されてんだよ
書いたの中国人だぞ?あの中国人。白髪三千丈で有名な
お前らの大嫌いなあの適当な中国人
雨乞いの女王 卑弥呼
中国大陸を縮尺して日本列島と重ねるとこうなる。
青海から内モンゴルのあたりが九州から鹿島にいたる中央構造線の西側の北側
南側つまり太平洋側の須恵器が火炎山などからベトナムにいたる南西地域
南北に到る鬼門ルートが瀬戸内からとおり京都洛陽古北京が東京
687 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 07:43:53.71 ID:fZIIj0bI0
弥生人が江南人で渡来して縄文人を支配したのか?
それならば日本語は支配者が使っていた言葉にならなければいけないのだが
実際は江南語は日本では使われていないぞ、いい加減な事を言うな。
>>669 スサノオは荒ぶる系の馬乗った別の種族の神を混ぜたんじゃないかなあ
内輪の血縁の中でただの凶暴な弟を指してるとかだと
なんかしょぼいかんじ
征服に出たのはそいつかもしんないけど
畿内じゃないの?
権力基盤が脆弱なこの時代に九州からの遷都って至難のワザだろ
戦国時代とかでも難しいのに
690 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 07:45:49.55 ID:aiz0s/y90
学会では邪馬台国の場所を論じることはまずないけどね。現時点では決定的な証拠がないんだから、どこをどういう風に主張することも出来る。論じても最終的には水掛け論にしかならない。
だから普通の研究者のスタンスはとにかく発掘と遺構の研究を積み重ねること。
邪馬台国論争なんて水もの。注目を集めて予算を獲るプロレスか観光案内用のアドバルーンに過ぎない。
まあ、作家や雑誌の編集者は記事を売りたいし、個人で研究してるアマチュアはロマンを追いたいからね。
691 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 07:46:23.64 ID:AHZg0UdT0
>>687 弥生人が渡来してきたわけじゃない
江南人が渡来してきて縄文人と混血して弥生系になったんだ
縄文人と弥生人は同じ種族だが、混血してるかしてないかだけの話
弥生文化そのものは縄文人だって取り入れてたりしても不思議はない
ソコから東北方向を新古事記が黄海から半島此方とダブルオクターブに重ね東征とわめく倍音域としたのだ。
この線を北に折れ曲げて碁打ちの好きな桂林アムール東モンゴルが裏日本とされる。
洛陽の位置はコレは鉱山地区特に水銀を参照すると興味深い。
両側にありまんなかにない。関東は水銀鉱山がなかった場所だ。ほかはある。
俺が予てから興味を持っていたのは古代金銀銅とは今の元素と同じなのかというところもある。
違うだろうと思ったので要はアマルガムが貴金属だったと考えると平安のぐにゃ加減が理解できる。
だから金粉金箔のかねての作り方といったものとしてのなんかのアマルガム法。叩くなら油粘土でやって天日干しすれば?と思ったからだ。具体は知らず。
かの地がダブルオクタービング以外を許したわけが無い という事から勝手に強制的に重ねるとこうなた(・∀・)
>>690 なにがしらの遺構をみつけて卑弥呼の宮殿後に間違いないと騒ぐような研究者は論外だって事ですね
694 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 07:52:08.70 ID:g3t7wb0F0
卑弥呼は 異星人 遠い星から天の浮き船に乗ってやって来たいくつかの集団の一人
位山にも別の集団が降り立った その中に両面宿儺がいた 後に武振熊命に討たれた
日本在来の小型馬ばっかりだったとこに、古墳時代からちょぼちょぼずつ中型馬が入ってきたんだけど
おそらく新たに輸入したと思われる中型馬は近畿地方辺りから広がったらしい
もともと馬扱うのが得意な種族が中型馬を乗りこなして遠方を制圧したのだろう
遠くまで歩いて行くと侵略もはかどらないし
馬乗りとして自民族を鍛えたのか手下に加えた他の民族を使役したのかはわからない
中央林間じゃね?
ただ思いつきで言ってみただけ
便利だし乗り換えできるし
697 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 07:53:30.81 ID:XvdN4RC00
>>693 研究者がなにがしらの遺構をみつけて、マスゴミが卑弥呼の宮殿後に間違いないと騒ぐ・・のよ
研究者が卑弥呼の宮殿後に間違いないと騒ぐ・・・わけじゃない
研究者が卑弥呼の宮殿後に間違いないと言うときは、決定的な証拠が出たときで
決定的な証拠が出たんだから、研究者は騒がない
>>351 畿内説だと、邪馬台国≒初期ヤマト王権だから、もし
神武東征があったとしたら邪馬台国以前の時代ってことになる
699 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 07:55:45.02 ID:fZIIj0bI0
>>691 相当に無理がある解釈だな、日本語に全く江南語が混ざった形跡が無いだろうが
江南人はただの1人も日本には来ていないんだよ。日本に来たのは日本語と
殆ど同じ半島の百済系の百済よりも前に住んでいた半島人だ。
いい加減な解釈をするな。江南人は山東半島経由で朝鮮には行っている。
神武天皇てのはヤマトタケル(大和猛る)=スサノオのことかね
そいつがまわりの国の征服に成功して最初に神を名乗ったのだな
ありがち
また中華から考えて また中華に隷属していた日本であろうと思われるところから
中心点があります ということを許したわけがなく従ったに違いない。
われわれはスプロール現象しかございませぬ。皇帝の都にしか中心はないもの。
ドーナツでございます。
俺が新説
邪馬台国はすでに日本全土に及んでた
なので九州も近畿も邪馬台国で正しい
首都はグンマ
703 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 07:58:47.06 ID:XvdN4RC00
>>698 邪馬台国以前の時代・・・と言うよりも、卑弥呼以前の時代・・・だね
邪馬台国は、220年 - 265年の魏の時代は、卑弥呼という女王だったというだけの話で
卑弥呼以前の、どのくらいの年代に建国されたかはわからない
皇帝の威光の前に何が現れましょうや 況して中心などと、どーなっつ でございます。
私は最近の韓国ドラマを最後みておもったが、そう言ったに違いないと確信した。
だから 女力伏戯この文字通りから見ても 女が中心、戯れに伏したるがということなので、中心が在った訳が無い。
つまり 畿内九州など 残っている所は女力 伏したる戯れの義 コレが残らざる中心であったに違いない。
ここから 要するに 残っている所だけを除けば そのどこかにある。
そして本物が まちがえた訳が無いから わかるわけが無いところが 本物邪馬台国である。
多分 南鳥島だと思う。
>>699 日本人のDNA鑑定からすると長江の南辺りからの血筋も結構多かったはず
北からも南からも入ってるし
日本人はもともと多民族だったのが徹底的に混血することで逆に均質な単一民族国家になってしまったんだよ
706 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 07:59:53.47 ID:8vb0OtBp0
>>699 旧石器時代には朝鮮半島には人はほとんどいなかった。
日本列島には旧石器時代から現代に至るまでずうっと人がたくさんいた。
朝鮮から日本に来たんじゃなくて、日本から朝鮮に人が渡ったんだよな。
いい加減邪馬台(ヤマタイ)国と呼ばずに大和(ヤマト)国と呼べよ・・・
そもそも大和は近畿を本部にして九州北部に大規模防衛拠点を持った
西日本一帯を起源とする国家なんだからどっちとも言えるのは当たり前なんだよ
>>699 日本語で似てるというとちょっと離れてるけど中国のミャオ族(苗族)が共通する単語が多いんだってさ
ミャオ族が日本やベトナムみたく稲作するかは知らんけど苗とか農民ぽいし
朝鮮人はトーテムポールの文化が中国北方のエベンキというエスキモーに近いそうだ
709 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 08:03:18.29 ID:XvdN4RC00
>>698 畿内説だと、邪馬台国≒初期ヤマト王権だから、もし、神武東征があったとしたら
邪馬台国以前の時代・・・と言うよりも、卑弥呼以前の時代・・・だね
元々は男子を王としていた邪馬台国は、220年 - 265年の魏の時代は、卑弥呼という女王だったというだけの話で
卑弥呼以前の、どのくらいの年代に建国されたかはわからない
八女たい
以上論争終了
711 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 08:05:10.38 ID:2tTrMqfL0
こういう古代史の話をすると、トンデモ史観が多くて、うんざりするんだよ。
いわゆる保守の連中でも、平気でトンデモを言うからなw
それだけ、このあたりの歴史が曖昧で、明確な共通の歴史観がない証拠。
ちなみに、DNAの云々に話を言いたがるやつがいるけど
それだけでは、邪馬台国の話なんて分からないぞ。
というのは、最近では、日本で農耕が開始された時期は、当初よりも
古かったことになってきているからだ。
陸稲でも5000年以上前、弥生時代とされる水稲でも3000年以上前な。
邪馬台国の話なんて、せいぜい1800年前の話なんで、
日本で農耕が始まって1000年以上の時間が経過した時代の話になる。
そんな時代に、民族も糞もあるか。
712 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 08:05:23.69 ID:UwIg35ww0
専門家はほとんどが畿内説だろ。
九州説なんて信じてるのはトンデモ学者と素人だけ。
713 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 08:07:20.43 ID:YNyag0Na0
論争が、邪魔タイ! とならぬように
なかよく並立論を唱えることがよろし。
ヤマトのヒミコの使者が印鑑と一緒に中国から馬とか武器とか輸入して持ち帰り
スサノオの侵略に活用させ神を名乗ったのでは
そんで次にカリスマが見つからないので家臣の一族が権威を乗っ取って後継いだ
中国人は自分に媚びてくる親中派というか手下パシり扱いの王を支援してまわりの小国の制圧を後押ししたったのかも
>>711 日韓同祖論によって歪められた解釈とか縄文人と弥生人が別人種とか
キチガイにも程がある話が堂々と学会で発表されてるよね
716 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 08:09:31.10 ID:re4u/ho60
>>80 >邪=ジャ、ヤ、シャ、か
>馬=バ、メ、うま、ま、むま
そうかなるほど外国が日本を「ジャパン」と呼ぶのは
この呼名の音から来ているんだな
719 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 08:11:05.12 ID:2tTrMqfL0
神武天皇という天皇名を考え出したのは
淡海三船な。
それも、日本書紀が編刺されて、数十年後の話。
つまり、古事記にも日本書紀にも、神武天皇という名前の天皇は登場しない。
ただ、日本書紀や古事記に登場するのは、イワレ彦ワカミケヌ命という人物が
現在の天皇家の先祖にいたことだけ。
この人物を後世、神武天皇と名付けただけだ。
よく古事記や日本書紀などを読めばわかるのが、大和朝廷の本当の開始時期は
神武東征からではなく、出雲国譲りからである。
出雲国譲りとは革命でもあり、そこから、現在の天皇家のの先祖が
天下を統一したことが分かる。
だとすると、出雲国譲りの時に、初代天皇としてもよい倭王が誕生したはずだ。
しかしながら、後世、天皇家は日本書紀において、
その時代を神話の時代として、人代と分けることによって、実質的に
切り捨てしまった。
なぜだか分かるか??
720 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 08:11:34.94 ID:AHZg0UdT0
>>699 現在において在日3世4世が祖国の言葉をまったくしゃべれなくても
不思議はないのと同じこと
一度に渡来するのが数千人規模ならいざしらず、
何年も何十年もかけて十数人づつ渡来してたら
ごそっと民族文化が入れ替わるようなことにはならないよ
頑なに縄文の文化を守る者あり、目新しい弥生の文化を取り入れる者あり
>>676 7世紀後半に成立した日本は、数十の小国を寄せ集めた連合王国だったからだよ
これらの小王国は、王の中の王として、天皇を統一のシンボルとして戴いた
大和の王が、王の上位に位置する天皇(=皇帝)として認められたのは、大和朝廷が
武力面で強大だったこともあるが、多分にその権力基盤は象徴的なものであったがために
各地の小王国はリスペクトされた
>>711 記録に残されていない歴史があまりにも多いとゆうことだね
ローマ帝国にしたってローマ以前の欧州人類の歴史は何千年とあるけど
普通にカエサルが神とか名乗っていたからな
723 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 08:13:25.88 ID:2tTrMqfL0
>>715 歴史学界や考古学では、アカデミックの場では
そんなに発表されていない。
そういう話をするやつらは、在野の歴史作家とかだ。
司馬遼太郎とか井沢元彦とか、事情に有名な歴史作家だが
彼らは別にアカデミックの場の歴史学者ではない。
ただの小説家と一緒だ。
724 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 08:14:19.87 ID:XnwG1tWQO
邪馬台=高志之八俣
卑弥呼=奴奈川姫
大青勾玉=翡翠
大和大乱=越国譲り(出雲vs越)
>>716 ガイジンはなぜかヤとかユとかの発音にJをつけてジャやジュにしてしまうよね
にほんがニッポンとかハポンとかヤポンとさ果てはジャパンにされてるし
原型をとどめていない
ユダヤもジュー呼ばわりだし
やゆよの発音が苦手なのかも
九州説が一発逆転を狙うなら飯塚の麻生邸の山を掘ってみることだろう
あの山は周囲の地形から考えると不自然な盛り上がり方をしており、古墳である可能性が高いと思う
近くには立岩遺跡などもあるので何らかの重要な発見がかなり期待できる
邪馬台国は耶麻郡だった
(福島県会津地方)
発行 2012年12月1日
発行所 NPO法人会津の文化つくり
著者 遠藤 谷吉
定価 880円
>>719 イワレヒコワカヒケムとか全く意味がわからないよね
古代の漢字が読めなくて専門家の間でも間違って定着してる呼称が絶対あると思う
発音より意味優先の当て字が以外と多いし
>>725 多分、そこらへんは言語学的に変化しやすいんだろうな
日本語も「そうだな(SOUDANA)」と「そうやな(SOUYANA)」と「そうじゃな(SOUJANA)」
という変化が普通にある
730 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 08:20:46.33 ID:fZIIj0bI0
大和朝廷が奈良にあったのは確実だが、奈良から遠い宇佐神宮とどうして
縁が深いか考えた事があるか?
731 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 08:21:41.32 ID:SLjjdl7e0
まーだ、この話題やってんのかよ
普段は日本史板、地理・人類学板、オカルト板でくすぶってる古代史オタがたまーにニュー速+で集まる話題と言ったらこれだ
>>719 イワレヒコはイワレすなわち天皇家のルーツになった日子でワカは若だとして、
ミケヌはなんだ
他の読み方はないか検証するべきとおもう
733 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 08:21:58.28 ID:XvdN4RC00
んで畿内説だと、神武東征があったとしたら、卑弥呼以前の時代に天皇家は、元々の男子を王と一緒に東征したはずで
卑弥呼が親魏倭王になったのが238年で、その時に、卑弥呼の官だった垂仁天皇は、初代カムヤマトイワレヒコから11代目
「官」在位が1代20年(←あてずっぽう)だとすると
初代カムヤマトイワレヒコが元々の男子を王と一緒に東征し、邪馬台国を建国したのは、西暦10年頃
邪馬台国や卑弥呼のモデルになった国や人物はあっただろうが
邪馬台国と卑弥呼そのものは架空の存在だよ
神武天皇だって架空だろ
別に普通のこと
735 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 08:24:20.38 ID:2tTrMqfL0
>>728 イワレ彦は、イワレの領主ぐらいの意味で、通称な。
ワカミケヌは諱。つまり、本名な。
後世の事例に例えるのならば、吉良上野介義央ならば、
イワレ彦は、上野介の部分、
ワカミケヌは、義央の部分な。
>>719 出雲国譲りって母国の起源でなく、
わざわざよそに侵略してって乗っ取りを開始した時期を歴史の始まりにするのか
迷惑な国だ
しかも出雲土着の連中は嫌がって逆らってるし
>>735 彦って「日子」だよな
つまり皇族の男子って意味なのかね
俺詳しくないけど
739 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 08:29:00.17 ID:GvPf/qI2O
初代の倭国造はウズヒコ、瀬戸内海の海人だからだよ。
宇佐は女王国への瀬戸内海東の拠点。
瀬戸内海で大三島や淡路島が重要なのはいうまでもないだろう。
過去の九州説では瀬戸内海や四国の存在を全く説明出来ない。
卑弥呼から何百年後の聖徳太子だって架空の人物の可能性が高い
卑弥呼は架空の人物なのはほぼ確実
741 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 08:30:01.03 ID:2tTrMqfL0
神武〜開化に該当する天皇は、そういう人物が、天皇家の先祖にいたのだろう?
ただし、彼らが正統な天皇(つまり、倭王)に即位していたかどうか?
そもそも、神武天皇とか、孝元天皇とかいう漢風諡号の天皇名は
西暦8世紀中頃の淡海三船が、後から考え出したものだ。
箸墓古墳の被葬者が卑弥呼ならば、高い確率で卑弥呼は
ヤマトトトヒモモソ媛命ということになる。
だとすると、中国側の文献では、その当時、
記紀では天皇とされる人物(孝元〜崇神の初期まで)は
倭国の正式な国家元首ではなかったことになる。
この手のくだらねえ学術論争てのは、日本人特有の重箱の隅を突く細かさが裏目に出て
袋小路に陥って、何ら生産性のない結論に終ることが多いなw
>>740 まぁ、当時の魏の人の伝聞で書いた記事だからなアレは
卑弥呼は「日巫女」でしょう
卑弥呼の弟は「スサノオ」でしょう
邪馬台国は「大和国」でしょう
「倭ってどんな地域?」って聞かれた人がアマテラスを頂点とする宗教国家って
神話でも語ったんだろ
744 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 08:33:40.77 ID:p4huFlhR0
球節論者も畿内説論者も、なんで支那の属国だったのを競い合うんだ?
しかも捏造まがいの史料の捻じ曲げまでしてさw
>>724 ヤマタノオロチ退治の神話伝説って何だろうな
8つの部族を従えた山の霊力をもつ蛇野郎ということか
八俣なんだかヤマトなんだかわかんないけど
そいつらが娘をさらって食べてしまうと親が泣くのでヤマトタケルが退治したったとあるけど
これはなんか侵略征服や乗っ取りを正当化するための隠喩か
746 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 08:34:45.40 ID:fZIIj0bI0
宇佐神宮が皇室と縁が深いのは北部九州製力が東征をする前に宇佐神宮で
戦勝祈願をしたら東征が上手く行ったので大和朝廷の礎を築いた神社として
大事にしているんだよ。宇佐神宮の拝殿の下には石室がありそこが卑弥呼の
墓と言う人もいるがそれは違う。石室の中には大和朝廷から拝領した宝物が
納められている。
747 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 08:35:37.77 ID:2tTrMqfL0
播磨国風土記によると、昔、播磨国で出雲と天津神が激突し、
出雲国譲りがあった時、
大国主が降伏した相手は、天皇家の先祖のニニギではなく、
ニニギの兄にあたるホアカリということになっている。
ホアカリは妃が天道日女命といって、大国主の娘だった。
つまり、出雲の大国主は、娘婿(義理の息子)のホアカリに降参したのである。
その後、ホアカリの弟のニニギ(天皇家の先祖)は、九州の高千穂に飛ばされた。
卑弥呼の国は、そのずっと前に男王によって建国された。
その建国した男王は、このホアカリのことじゃね?
748 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 08:35:47.27 ID:XvdN4RC00
>>741 中国の魏志に、卑弥呼の官は垂仁天皇、古事記名「伊久米入日子伊佐知命」イクメ・イリビコイサチノミコト・・伊支馬(いきま)という記載があり
当時、天皇という職名だったかどうかは別として
卑弥呼の時代にはもう、卑弥呼が居る都(邪馬台国)に天皇一族は、卑弥呼の役人(官職)として存在していた
749 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 08:36:44.58 ID:g3t7wb0F0
なぜ邪馬台国と 台国となっているんだろう
独立島のような気もするし
大国主神とか大物主の話が出ないのがなぁ
大国主神の宮司なんて天皇家に次いで長い家系だよ
>>730 それは神話の時代にうさぎさんをわにから助けてあげたから
ワニって名前の部族が山陰だか山陽だかにいたよね確か
ウサゆう国も近くにあったのかも?
752 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 08:38:39.61 ID:GvPf/qI2O
卑弥呼だけではなく、イヨ(トヨ)も
邪馬台国の女王であることを忘れるなよ。
イヨの国なら普通に香川辺りだろw
で、畿内説で有力候補の箸墓で有名なモモソ姫は
吉備〜香川の瀬戸内海で幼少期を過ごして
20過ぎで大和へ戻った事は伝承で残っているんだよな。
はっきり言ってもう九州説なんて相手にするレベルではない。
753 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 08:39:24.74 ID:2tTrMqfL0
宇佐神宮が天皇家と関係が深いのは、神功皇后繋がりな。
それだけだ。
邪馬台国と何の関係もない。
神話で無視されてる地こそ、かつて邪馬台国のあった地だ
755 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 08:42:02.43 ID:2tTrMqfL0
トヨは、豊鋤入媛命な。
卑弥呼は、媛命(ひめみこ)のことで、ヤマトトトヒモモソ媛命のこと。
狗奴国の王の卑弥弓呼とは、許乃国(このくに)の彦命(ひこみこ)だった
武埴安彦命のことな。
756 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 08:42:19.64 ID:fZIIj0bI0
>>752 香川は古代からうどん地方としは有名だったが邪馬台国とは無関係
イヨ(伊予)の国は愛媛県に決まっているだろうが。アホらしい
>>734 だから邪馬台はヤマトで卑弥呼は日御子だよ
カムヤマトは神のヤマトでイワレヒコはルーツになった日子でしょ
中国人が悪意で使った邪悪な漢字で読むからかえってリアリティがなくなるのだ
普通に意味の通る漢字使えば普通に大和の皇子だ
758 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 08:43:19.27 ID:vqFKhi970
>>742 重箱もなにもプロレスだけど
歴史も分からないただの銭ゲバにはわからんだろなw
卑弥呼から後100年間ぐらいの日本のことを書いた文献が何もなしだろ
謎の4世紀って奴だ
卑弥呼自体架空なんだから
まだ当時の日本なんか大陸に比べたら未開地で
記録に残すような政治的なものなんかないよ
760 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 08:44:16.96 ID:XvdN4RC00
垂仁天皇、古事記名「伊久米入日子伊佐知命」イクメ・イリビコイサチノミコト・・伊支馬(いきま)
皇后「氷羽州比賣命」ヒバス・ヒメノミコト・・次曰 彌馬升(みます)
皇太子(後の第12代景行天皇)妃「美波迦斯毘賣命」ミカハシ・ビメノミコト・・彌馬獲支(みまかし)
皇妃「沼羽田入毘賣命」ヌバタノ・イリビメノミコト・・次曰 奴佳醍(ぬはだい)
これだけ合致しているのも珍しい
>>741 トトヒモモソも変な名前だな
たぶん読み方を間違ってる
764 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 08:46:49.31 ID:XvdN4RC00
垂仁天皇「伊久米入日子伊佐知命」イクメ・イリビコイサチノミコト・・伊支馬(いきま)
皇后「氷羽州比賣命」ヒバス・ヒメノミコト・・次曰 彌馬升(みます)
皇太子(後の第12代景行天皇)妃「美波迦斯毘賣命」ミカハシ・ビメノミコト・・次曰 彌馬獲支(みまかし)
皇妃「沼羽田入毘賣命」ヌバタノ・イリビメノミコト・・次曰 奴佳醍(ぬはだい)
魏志とこれだけ合致しているのも珍しい
765 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 08:47:44.70 ID:XvdN4RC00
当時、天皇という職名だったかどうかは別として
卑弥呼の時代にはもう、卑弥呼が居る都(邪馬台国)に天皇一族は、卑弥呼の役人(官職)として存在していた
>>747 ホアカリはともかくニニギも変な名前
もしかしてモンゴル風とか
あるいはアイヌ風の名前に似たようなのはないのかな?
もしかしてまだ本州もそっち系の民族が中心の時代だったとか
767 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 08:48:09.68 ID:Tqg4nLd50
御井はナイ。
高良大社のある高良山にはもともと高木神がいたけど、高良玉垂命が一晩泊めてといったので、高木神が貸したところ、玉垂は結界を張って居座ったとの伝説があるしw
これってまるで韓国人の手口じゃんよ。高良ってコウライの事では?w
日本は神様までお人好しだから困る。・・・・・
768 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 08:48:35.67 ID:jjt0QDiZO
俺は関西在住だが、邪馬台国は岩手県の八幡平にあったという説が好きだな。
769 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 08:49:20.58 ID:GvPf/qI2O
>>756 愛媛には弥生末期最大級の遺跡も存在しているんだよ。
あと重要なのは三津の存在だな。
大三島に渡る古代からの港。
大三島周辺には今のところ最古の製鉄を
行っていた遺跡も確認されてる。
何故か九州説の連中はスルーしてるがw
770 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 08:49:54.07 ID:fZIIj0bI0
>>753 歴史年表の順序が狂いまくっているな。神功皇后と仲哀天皇は三韓征伐の前に
宇佐神宮に参拝したんだがどうして参拝したか分かっているのか?
要するに宇佐神宮は東征も上手く行ったので戦の神様として知れ渡ったので
それにあやかろうと参拝をしたんだよ。
一番有力な説は釜山というのは世界の常識だよぬ。
772 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 08:51:27.89 ID:XvdN4RC00
ちなみに
当時、天皇という職名だったかどうかは別として
卑弥呼の時代にはもう、卑弥呼が居る都(邪馬台国)に天皇一族は、卑弥呼の役人(官職)として存在していた垂仁天皇の拠点は
奈良の纒向珠城宮
邪馬台国は、卑弥呼が女王だった時代には、奈良にあったのは間違いなし
>>699 支配民族が被支配民族の言語を変えていない例はいくらでもある。そも
そも言葉は絶えず変化する。平安人と現代人が意思疎通できないのは当然
のこと。日本語も明治維新でようやく平均的な言語ができたのだし。
また古代の江南の人たちも縄文語に合わせた可能だってある以上、古代
漢語が現代日本語に混じっていないからという理由で否定することはでき
ない。
ましてや一人も来ていないなどと、何故決めつけられるのかまったく理
解できない。
九州説は虫の息と聞いたが
775 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 08:53:16.01 ID:2tTrMqfL0
纏向が邪馬台国の遺跡ならば、
卑弥呼の正体は、ヤマトトトヒモモソ媛命な。
記紀によると、三巻イリ彦イニエ命(崇神天皇)の父方の大叔母になる。
つまり、欠史八代の人物になる。
そうなると、卑弥呼擁立の切っ掛けになった倭国大乱は
欠史八代の時期と重なることになる。
記紀によると、このヤマトトトヒモモソ媛命という人物は、巫女であり、
天皇家の長老的な存在で、政治に大きく関与していた。
三巻イリ彦イニエ命(崇神天皇)が政治的な決断するときにも
彼女の占いによって決定することが多かった。
だとしたら、卑弥呼の死の直前にあった狗奴国王の卑弥弓呼の乱は
ヤマトトトヒモモソ媛命の死の直前にあった武埴安彦命の乱ということになる。
許乃国(このくに)の彦命(ひこみこ)だったのは武埴安彦命。
伊予は確かに愛媛県だが、四国島自体は本来伊予二名島だろ。
イヨ&トヨの二つ名を持つ意味かもなw
>>749 古代中国人も台湾や済州島や沖縄辺りの島々を化外の地、つまり化け物や魑魅魍魎の住むあやしい土地として
まったく眼中に入れてなかったからな
神話時代のルーツはあの辺までごっちゃに繋がってても不思議はない
あっちからも移民来てるだろうしこっちからも往復してたかも
778 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 08:58:26.25 ID:XvdN4RC00
>>775 卑弥呼の正体は、ヤマトトトヒモモソ媛命で第7代孝霊天皇皇女
それに仕えていた官のトップから四席までが、纒向珠城宮を拠点としていた第11代垂仁天皇・・というのは
ちょっと苦しいよ(^_^;
そもそも3世紀の海外の不確かな文献と、8世紀の国内の不確かな文献の
内容を対比して、「海外のAは、国内のBのことだ」と断言するのは、
素人がよくやりがちなこと。
まともな知能のある学者、研究者は絶対やらない
>>780 たぶんキリスト教やユダヤの文献も日本や中国の歴史史料も適当な記述とかまちがいや捏造改変がたくさんあると思うよ
リアルタイムの記録じゃないもん
数世紀後とかに伝聞をまとめつるだけ
相手の呼び名とかはんこ一つにこれだけ悪意の仕掛けするやつは歴史史料にもご都合主義の改変を加えてるに違いないな
783 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 09:09:08.51 ID:re4u/ho60
>>751 >ウサゆう国も近くにあったのかも?
宇佐神宮と関係してるのかな?
784 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 09:09:53.42 ID:XvdN4RC00
>>780 垂仁天皇イクメ・イリビコイサチノミコト・・伊支馬(いきま)
皇后ヒバス・ヒメノミコト・・次曰 彌馬升(みます)
皇太子(後の第12代景行天皇)妃ミカハシ・ビメノミコト・・次曰 彌馬獲支(みまかし)
皇妃ヌバタノ・イリビメノミコト・・次曰 奴佳醍(ぬはだい)
ここまで合致していたら、んなこと言ってられない
785 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 09:10:57.49 ID:2tTrMqfL0
垂仁天皇は、魏志倭人伝には登場しないだろう?
あそこに登場する倭の官の大半は
新撰姓氏録に登場する豪族の先祖の誰かだろう?
>>781 あたまの悪い人たちって、何故かそれを理解できずに、古文献を
盲信し、己だけに通用する論理を組み立てて、さらにそれを盲信
してるので非常にやっかい。
鉄漿というモノについても似たような風習があったのではないか。
古代において貴金属アマルガムを薬膳に用いることは貴族の証であった。
そこで 多分女性は銀のアマルガムをお菓子のように丸薬として用いていたのではないか。
私は疑問に思っていたなぜ仁丹は銀色なのか?
>>784 合いそうなものを引っ張り出してくっつけて、どうだあ!とやってるだけ。
そもそも記紀の作者たちは魏志を読んでるつーのw
789 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 09:13:33.33 ID:2tTrMqfL0
伊支馬=いきま
この発音に近い人物を各豪族の先祖から探すしかない。
ちなみに、難升米は、発音から見て
梨迹臣命のことな。
ちょうど、孝元〜崇神時代の中臣氏の祖先。
791 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 09:15:15.56 ID:NX5ri/Bz0
>>1 あなたの瞳の中です。
目を閉じれば太古の記憶が甦る。
>>783 うさ(宇佐)は大分でわに(和爾)は滋賀だって。思ったより遠いな
交流あったのかな?
793 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 09:15:50.12 ID:XvdN4RC00
>>784 つづき
卑弥呼には弟がいて彼女を助けていたとの伝承もあるのでヘタしたら
垂仁天皇「伊久米入日子伊佐知命」イクメ・イリビコイサチノミコト・・伊支馬(いきま)と同じ崇神天皇の子供の女子
国方姫命や千千衝倭姫命、豊鍬入姫命や渟名城入媛命、十市瓊入媛命のうちの、誰かが卑弥呼
って可能性すら有る
源平時代前までの日本は文化的精神的には完全に中国の属国と言っていい
日本書記も外国人の指導の元に書かれた
源氏と平氏の激しい内線を経験して日本のアイデンティティ確立に近づいた感じかな
795 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 09:17:36.60 ID:2tTrMqfL0
伊支馬=垂仁天皇説は無理がある。
伊支馬=邇支倍のことじゃね?
倭国造になった人物だし。
796 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 09:20:12.57 ID:2tTrMqfL0
倭国造
伊支馬=邇支倍
797 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 09:20:37.83 ID:GvPf/qI2O
水銀朱は仙薬だからな。三世紀頃なら初期道教が拡散し始めた時期だが。
本来鏡と丹(水銀朱)はセットで意味がある。
巻向周辺の古墳石室ではこの水銀朱が大量に使用されている。
しかも扱いは頭付近に置いたり(水銀朱だけの古墳もある)
むしろ鏡より重要視されているからな。
798 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 09:22:09.88 ID:tkoUTotS0
タイムマシーンがあって、この時代に行けたら面白いだろうね
従来の説とは違う意外な事実の連続になりそう
799 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 09:22:38.68 ID:vqFKhi970
800 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 09:23:18.16 ID:re4u/ho60
大体が卑弥呼の「卑」とか邪馬台国の「邪」とか倭人の「倭」とか
あえてマイナスぽい漢字を当てているのは当時の中国の奴らなんだろ?
不思議に韓国説ってないね(´・ω・`)
802 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 09:26:47.48 ID:2tTrMqfL0
魏志倭人伝に登場する名前で
天皇家の人物は
卑弥呼=ヤマトトトヒモモソ媛命
男弟=卑弥呼擁立当初(180年代)は孝元天皇、卑弥呼の死の直前(247年)は崇神天皇
トヨ=豊鋤入姫命
狗奴国王の卑弥弓呼=許乃国の領主だった武埴安彦命
だろう?
天皇家以外の人物は
狗奴国の副官の拘右智卑狗=河内彦(武埴安彦命の外戚)
難升米=梨迹臣命(孝元〜崇神時代の中臣氏の先祖)
本来再生、蘇りの仙薬であるのが丹。丹生と書いてにゅうと読む、
newと意味が似通っているんだよ。
804 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 09:27:51.70 ID:Ydh0A2x90
>>83 >邪馬台国その他の国の末裔の誰かが九州を征服し、ヤマトへ手を伸ばした
これが真実に近い姿でしょうね。
邪馬台国はおそらく狗奴国との戦いに敗れて卑弥呼は戦死、もしくは敗戦の責任を取らされて処刑されたのでしょう。
台与の代になり、宇佐あたりに遷都して細々とやっていたところに
ワカタラシヒコ(景行天皇)、オキナガタラシヒメといった半島から渡来した倭人が北部九州を席巻し
日本生まれのイザサワケ(応神天皇)が邪馬台国の末裔と姻戚関係を結んで東進したものでしょう。
和爾氏は大和朝廷成立時の豪族の中で最有力だった一族で、奴国の王族の末裔だってさ。
奈良から滋賀に領土を広げたのかな。
親戚かな
どっかの天皇の代で血脈は絶えたみたいだけど。
奴国の王家和爾氏が大和朝廷の大王になったわけではないのだな
豪族として家臣に加わったのかな
806 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 09:29:08.10 ID:XvdN4RC00
>>795 中国の史書に書かれている、当時の倭国の国や人名などの固有名詞は、倭人の発音に対しての中国漢字の当て字
オレ達が、Davidを、アメリカ人の発音から「デイビット」とか「デービット」って書くのと同じ
伊支馬は上古音でi∂r-kieg-mag 中古音でIi-t∫Ie-ma (mba) 推定音イキマ
807 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 09:29:19.78 ID:YdT+/ixN0
邪馬台国がどこにあったかで議論するのはOKだけど、卑弥呼が皇室の祖先とか
キモチワル過ぎる。妄想としか思えない。こういうトンデモ説を平然と言えるヤツは
考古学の信用をなくすだけだから止めろよ。物証も状況証拠もなしに犯人と決め付ける
ようなものだ。
808 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 09:30:26.17 ID:2tTrMqfL0
>>801 魏志倭人伝を読んだら、どうみても違うだろう?
この説を持ち出したやつは元は右翼が多くて、
天皇家が中国に朝貢した事実が嫌なので
韓国=邪馬台国、だから、中国に朝貢した邪馬台国は韓国というふうにしたかっただけ。
でも、結果的に、この説を悪用されて
やがて、右翼がもっと嫌がる
騎馬民族征服王朝説みたいなトンデモ説が巻き起こった。
右翼の自業自得。
卑弥呼の何百年も前の時代の古代中国じゃ
既に偉大な哲学者が何人も生まれていたわけだ
孔子、孟子、老子など
そんな国とシャーマンが治めているという未開国に対等な交流があるかね
邪馬台国なんて作り話だよ
ワンピースやドラゴンボールとなんら変わらん
810 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 09:33:16.47 ID:lRTA6F8UO
まあずっと謎のままの方が面白い
811 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 09:33:42.74 ID:2tTrMqfL0
>>807 気持ち悪くない。
そもそも、邪馬台国=纏向説は、
卑弥呼の正体は、崇神天皇の父方の大叔母で天皇家の長老だった
ヤマトトトヒモモソ媛命なのでは?という説からきている。
>>809 今だって天皇家は神道の儀式を担当してるし敗戦までは現人神名乗ってたんだけどね
813 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 09:35:10.87 ID:tkoUTotS0
>>794 日本が属国というのは、それは極論過ぎるだろ。
文化的な影響は受けていてもチョンのように冊封使を受け入れてなどいない。
日本はそのようなことはしていない。
東遷すると土器様式も移動するとかは思い込み。
815 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 09:36:12.85 ID:2tTrMqfL0
>>810 別に謎じゃないけどな。
外国で英語で書かれたヤマト王朝って書籍でも
卑弥呼は崇神天皇の父方の大叔母だろうと前提で書かれているものもあるよ。
日本はいまだに宮内庁かなんかに陰陽道の呪術だか占いを司る人たちの部所があるんだっけ?
ハニワ幻人が出土した方が勝利
818 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 09:37:24.88 ID:TOJyfZmk0
九州に古い遺跡とかがないって言ってるやつ頭おかしい、
小林に住んでる自分の市だけでも
本田遺跡 二原遺跡こんなのあるけど、他にもいくらでもあるんじゃね?
819 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 09:37:57.73 ID:XvdN4RC00
>>811 違うよ(笑)
邪馬台国=纏向説は、中国の魏志に、卑弥呼の官は伊支馬(いきま)と書かれ
奈良の纒向珠城宮の垂仁天皇が、古事記名「伊久米入日子伊佐知命」イクメ・イリビコイサチノミコトで、
官のトップから四席までもが、垂仁天皇一族と同じだったから
820 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 09:39:58.94 ID:XvdN4RC00
>>811 違うよ(笑)
邪馬台国=纏向説は、中国の魏志に、卑弥呼の官は伊支馬(いきま)と書かれ
奈良の纒向珠城宮の垂仁天皇が、古事記名「伊久米入日子伊佐知命」イクメ・イリビコイサチノミコトで、
魏志に書かれている「官」のトップから四席までもが、垂仁天皇一族と同じ名前だったから
821 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 09:40:25.25 ID:2tTrMqfL0
神武天皇の東征の前も後も倭国の中心地は畿内。
そして、神武天皇ことイワレ彦は、実は正当な倭王を継承していない。
その当時、正当な倭王の地位にいたのは、天叢雲命。
イワレ彦の先祖のニニギと天叢雲の先祖のホアカリは兄弟。
出雲国譲りの時に、正当な倭王の地位に就いたのは、ホアカリのほうで
ニニギのほうは、兄弟のホアカリの命令で、九州高千穂の地方官へ派遣された。
九州はヤマトやナラではなく、
うさぎさんの土地。
大分の宇佐島の神もうさぎなんだってさ。
もしかして九州のうさぎさんも大和朝廷の豪族の一員として仕えていたのかな?
神話によるとうさぎがワニを騙そうとして怒ったワニに逆襲されてひどいめに遭い、
大国主がなだめて助けてやったそうだ
ちなみに遠征行くとき宇佐神社に行くと成功率が高いというので神社の中では結構な高位らしい
823 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 09:41:26.50 ID:2tTrMqfL0
824 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 09:41:38.09 ID:xK0WqTNg0
まぁ、半島と違って漢や魏の兵がやってきて統治されてるって訳でもないしな
遠友近嫌、直接の利害関係が無いからこそお客さんとしての金印だったんだろう
半島国家が下賜されてるのは軒並み銅印
>>807 畿内説の馬鹿どもが無理に邪馬台国を畿内にするためにねじ込んだごり押し説だからな
826 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 09:42:55.55 ID:/4UpI5jC0
卑弥呼みたいな神様もどきのすげえ指導者がいるちゃんとした国みたいに考えがちだけど実際は結構しょぼいんだろうな
827 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 09:43:31.75 ID:XvdN4RC00
邪馬台国=纏向説は、中国の魏志に、卑弥呼の官は伊支馬(いきま)と書かれ
纒向珠城宮の垂仁天皇が、古事記名「伊久米入日子伊佐知命」イクメ・イリビコイサチノミコトで、
魏志に書かれている「官」のトップから四席までもが、古事記に書かれている垂仁天皇一族と同じ名前だったところに
纏向で、纒向珠城宮の遺構が伝承通り発掘された・・ことから始まった
倭国も相当巨大なんだが、
それを飲み込む大和政権ってマジで隋唐と遜色のない超大国なんだよ。
日本は有史以来強大な超帝国であり続けているという認識を持って
古代史をしっかり考え直してもらいたい。
830 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 09:44:47.94 ID:2tTrMqfL0
>>1の出典のSAPIOは右翼雑誌。
現在の考古学会でも歴史学界でも、ほぼ畿内説で勝負ついているけど
なぜか、近代以降の右翼の間では、九州説のほうが根強い。
近年は圧倒的に畿内だけど、それでは困るので、九州説も対等に記載しているだけ。
ただし、近年、畿内説のほうが、右派の思いに適うかもってことから、
右派の中でも徐々に畿内説に寝返り中。
831 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 09:45:33.73 ID:7GO9InIn0
ところで、魏志倭人伝には当時の倭(日本)の人々がどんな様子だったかも記されています。
http://y-ta.net/gishi-wajinden-2/ 服装・身なり
・男性も女性も、大人も子供も、偉い人も民衆もみんな顔や体に刺青(いれずみ)をしている。
その刺青(いれずみ)は階級によって入れる場所や大きさが違う。刺青(いれずみ)はおまじない
の意味もある。
・はちまきをつけて布を体に巻いている(真ん中に穴の空いた布に頭を入れて結んでいる)。
・みんな裸足で生活している。
・顔に赤い顔料を塗る(化粧?)。
> 現在の考古学会でも歴史学界でも、ほぼ畿内説で勝負ついているけど
付いてないよ。
畿内説は大昔の学閥の偉い人の妄想意見が何でも力を持った時代の名残でしかない。
834 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 09:46:44.65 ID:RrVEq4s7O
東西南北を知り得る漢人が簡単に南と東を間違えるものだろうか。
投馬国は琉球以南にあって邪馬台国はタイとかじゃないかな。邪馬タイ国。
835 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 09:46:52.75 ID:XvdN4RC00
んで、卑弥呼には弟がいて彼女を助けていたとの伝承もあるのでヘタしたら
垂仁天皇「伊久米入日子伊佐知命」イクメ・イリビコイサチノミコト・・伊支馬(いきま)と同じ崇神天皇の子供の女子
国方姫命や千千衝倭姫命、豊鍬入姫命や渟名城入媛命、十市瓊入媛命のうちの、誰かが卑弥呼
って可能性すら出てきて、卑弥呼ヤマトトトヒモモソ媛命説は一瞬で吹っ飛んだ
836 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 09:47:14.08 ID:7GO9InIn0
837 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 09:48:02.50 ID:XvdN4RC00
>>833 垂仁天皇「伊久米入日子伊佐知命」イクメ・イリビコイサチノミコト・・伊支馬(いきま)
皇后「氷羽州比賣命」ヒバス・ヒメノミコト・・次曰 彌馬升(みます)
皇太子(後の第12代景行天皇)妃「美波迦斯毘賣命」ミカハシ・ビメノミコト・・次曰 彌馬獲支(みまかし)
皇妃「沼羽田入毘賣命」ヌバタノ・イリビメノミコト・・次曰 奴佳醍(ぬはだい)
>>830 たぶん九州にも有力な豪族がいくつかいたんでしょ
わにさんとうさぎさんの確執の神話は豪族同士の主導権争いの歴史の隠喩と思う
大国主なる大和朝廷のボスは奈良の王族わに、九州のウサギとはまた違う人っぽい
839 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 09:49:15.13 ID:2tTrMqfL0
近代、右派の間で邪馬台国九州説を推す声が強かったのは
女王卑弥呼が中国に朝貢した事実がまずく、
天皇家と卑弥呼の王朝を別物にしたかったから。
本居宣長の国学思想なんか、まさにそう。
でも、最近でも右派の間で、畿内説へ寝返るのが多くなったのは
卑弥呼が天皇家の人物だということによって、
天皇家による日本列島統一が思ったよりも早まることになるのと
また、中国の魏志倭人伝をよく吟味していると、たしかに卑弥呼は中国に朝貢は下が
他の中国の周辺国よりも、圧倒的に大国として、中国が倭国に対応している事実を
評価されてのことである。
840 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 09:50:12.22 ID:xK0WqTNg0
>>826 んでも、邪馬台国の女王卑弥呼は邪馬台国だけじゃなく
20以上の国で構成する女王国の女王だから大統領もしくは女皇帝だ
こういう体制がある以上、議会制政治もあっただろうがね
実際そっちに弟とかが出て運営してたとかだと、なんだか近代の天皇とあまりかわらんという
841 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 09:50:18.22 ID:XvdN4RC00
邪馬台国=纏向説は、中国の魏志に、卑弥呼の官は伊支馬(いきま)と書かれ
纒向珠城宮の垂仁天皇が、古事記名「伊久米入日子伊佐知命」イクメ・イリビコイサチノミコトで、
魏志に書かれている「官」のトップから四席までもが、古事記に書かれている垂仁天皇一族と同じ名前だったところに
纏向で、纒向珠城宮の遺構が伝承通り発掘された・・ことから始まった
842 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 09:50:37.64 ID:XvdN4RC00
んで、卑弥呼には弟がいて彼女を助けていたとの伝承もあるのでヘタしたら
垂仁天皇「伊久米入日子伊佐知命」イクメ・イリビコイサチノミコト・・伊支馬(いきま)と同じ崇神天皇の子供の女子
国方姫命や千千衝倭姫命、豊鍬入姫命や渟名城入媛命、十市瓊入媛命のうちの、誰かが卑弥呼
って可能性すら出てきて、卑弥呼ヤマトトトヒモモソ媛命説は一瞬で吹っ飛んだ
843 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 09:51:25.79 ID:qZh17/vS0
>>811 天皇家の長老だったのなら、そのままの王権引き継ぎの史実を正史に書けば良かったのに
紀でオキナガタラシヒメでそれらしく書いてるだけで、一切卑弥呼と邪馬台国を
歴史から抹殺してる理由がわからんな
844 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 09:52:55.53 ID:2tTrMqfL0
>>836 邪馬台国が大和国であり、畿内だとしたら
魏志倭人伝に倭国の風俗が九州を思わせるものが登場するのは
なんら不思議ではない。
なぜならば、邪馬台国=大和国は、何も畿内だけではなく
九州の伊都国などで一大率を設置して諸国を監視していたとあるから
九州の風俗が出てきても、無問題ではある。
845 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 09:53:53.28 ID:tkoUTotS0
>>829 大仙古墳ひとつみてもすごいよね。
あんなものは朝鮮半島には無い。
あれと対抗できるのは始皇帝稜くらい。
846 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 09:55:01.07 ID:JhrE0BEM0
魏志倭人伝に準拠するなら九州のどこか以外ありえない。
帯方郡から「朝鮮半島・倭の北岸」まで7000里、九州北部まで10800里、邪馬台国まで12000里と明記。
漢代から出先機関を置いた朝鮮半島の距離を大きく間違えるわけがない。
魏の里400mで計算するのが間違い。
帯方郡から最南端の釜山回り込んでも700q、1里100mだよ。
九州北部から1200里=120q以下のどこかだよ。
>>844 たしか一大率は邪馬台国の北になかったっけ
>>835 ヒミコゆうのは聖徳太子が日出処の天子を名乗ったのと同じで個人名ではないかもな
少なくとも、2,30年前の古代史や考古学じゃ想像もつかない規模だったことが
分かってきてるからね、3世紀の倭は。
850 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 09:55:37.22 ID:YdT+/ixN0
>>840 >こういう体制がある以上、議会制政治もあっただろうがね
バカヤロー、何妄想してんだよ。考古学ファンて、こういう「ムー」愛読者
みたいのが多過ぎるぜ。卑弥呼=皇室祖先説を唱えているのはこういう輩だなwww
>>843 クーデターとか混血か何かで乗っ取ったのかも
852 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 09:58:12.04 ID:XvdN4RC00
>>847 『魏志』の一大国は壱岐で、後の『梁書』『隋書』の一支国は五島列島
『魏志』『梁書』の末廬国−伊都国は出雲で、後の『隋書』の竹斯国−秦王国は筑紫
853 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 09:58:38.84 ID:2tTrMqfL0
>>843 卑弥呼がモモソ媛命で長老だとしたら
その卑弥呼擁立の切っ掛けになった倭国大乱の謎が出てくる。
つまり、いわゆる倭国大乱と欠史八代が同時期ということになる。
卑弥呼の前の王統は何者だったのか?という疑問符が付いてくる。
魏志倭人伝の作者は、一応、卑弥呼も、その前の王統も同じ王家であり
革命がおこったのではなく、同じ国が継続している解釈している。
自分はそれは半分真実で、半分嘘だと思っている。
厳密にいうと、欠史八代の前半の天皇、つまり、神武皇統の当主達は
正式な倭王の地位におらず、ただの政治的な最高権力者だったにすぎないと思う。
正式な倭王の地位にあったのは、ニニギの兄のホアカリの男系子孫であり、
後の尾張氏の先祖だと思う。
854 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 09:58:43.66 ID:xK0WqTNg0
>>850 では武力で統率したの?すげえ軍事力じゃね邪馬台国ww
855 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 09:58:50.47 ID:JhrE0BEM0
>>829 大和朝廷と邪馬台国がそもそも同じじゃないだろう。
後に大和朝廷に飲み込まれた九州の一国家・邪馬台国が、
中国と近いことから外交をしていただけに過ぎないだろ。
旧唐書にも倭や日本の併合やそれに伴う国号の譲渡の様子がうかがえる記事がある。
856 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 09:59:22.05 ID:4k+WLJEt0
筑紫都督府の頃に何かあったんじゃね
2世紀初頭までは北部九州勢力が倭を代表してたのだろう
規模から見てイト国、ナ国あたりか。
2世紀中葉から、吉備や四国、大和が力を付けて、やがて畿内主導で倭を代表。
これが連合政権の内幕だろうな。薩長土肥でくるくる政権回したようなものだ。
>>812 それは天皇自身が名乗っていたわけではないだろ
国民を洗脳するために軍が利用していたわけだ
だから古代中国人が九州の未開人達を友好的に治めるために卑弥呼という超人を創作し利用していた可能性もある
神代三代の御陵が南九州にある時点で畿内説は破綻している
神武が畿内に湧いて出たわけではなく
ニニギ以降の祖先が九州にあって神武の時代に東征があって勢力が移動しその道すがらを平定しながら大和政権が成り立ったわけだ
畿内から九州を平定した話は架空の人物と言われる日本武尊命まで時代を降りなければならない
861 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 10:01:12.38 ID:rxie3lbJ0
中国の曹操の墓発見はその後どうなった
>>854 武力で統一したんだよ
そんで無理矢理統一したあとに
みんな仲良くするんだぞ
と不仲の豪族集めて押し付けがましく名づけた統一国家の名前が
大和
卑弥呼の倭国は狗奴国との抗争上、
魏とか中国にも朝貢もしてたし、同時に吉備や大和とかにも朝貢してたのだろう。
当時日本国内のかなり広い範囲で交易していたのが分かってるし。
2世紀前半には倭国や狗奴国と同規模の国が
出雲、吉備、大和、伊勢、毛野とかの各地にあって交易していたのが分かってる。
魏志に名前が残ったのが至近にあった北九州の倭国であったと考えるのが自然。
864 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 10:03:54.92 ID:XvdN4RC00
>>855 邪馬台国=纏向説は、中国の魏志に書かれていた、卑弥呼の「官」のトップから四席までもの名前が
古事記に書かれている纒向珠城宮の垂仁天皇一族と同じ名前だったところに
纏向で、纒向珠城宮の遺構が伝承通り発掘されて、
もはや、邪馬台国が九州なんて言っている人はいないよ
卑弥呼ヤマトトトヒモモソ媛命説も一瞬で吹っ飛んだ
865 :
853@転載は禁止:2014/12/04(木) 10:04:47.72 ID:2tTrMqfL0
実は平安時代、天皇家は、丹波の海部氏に対して
いわゆる欠史八代と同時期の海部氏の当主について
詳しく書くなと圧力をかけていたことがわかっている。
この海部氏というのは、ホアカリの男系子孫でもあり、
尾張氏の庶流にあたる一族である。
この海部氏の系図を国宝海部氏系図とよばれるものだが
尾張氏と海部氏との嫡流と庶流の関係を誤解するなど混乱部分もあり
額面通りにはとれないが、
卑弥呼擁立のきっかけになった倭国大乱と欠史八代が同時期だった説を
補強することにもなる。
866 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 10:05:56.08 ID:tkoUTotS0
>>860 なんで住みなれた本拠地を捨てて東征したの?
住み慣れた所が一番いいんじゃないの?
867 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 10:06:07.63 ID:XvdN4RC00
中国の魏志に書かれていた、卑弥呼の「官」のトップから四席までもの名前が
古事記に書かれている纒向珠城宮の垂仁天皇一族と同じ名前だったところに纏向で
古事記の伝承通り、纒向珠城宮の遺構が発掘されて、
もはや、邪馬台国が九州なんて言っている人はいないよ(^_^;
卑弥呼ヤマトトトヒモモソ媛命説も一瞬で吹っ飛んだ
868 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 10:06:27.52 ID:YdT+/ixN0
>>854 >では武力で統率したの?すげえ軍事力じゃね邪馬台国ww
合意の結果は文字で刻まなきゃならねーんだよ。邪馬台国には文字があったのか?
考古学では日本にいける最古の文字はいつ出現したんだ? 話はそれからだ!
869 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 10:06:46.12 ID:JhrE0BEM0
>>864 官の名前と古事記の4名ってどれのこと?
>>858 なるほど
それで権威付けのために倭王を奈良に迎えたのが神武東征として書かれたって事かな
やはり邪馬台国はうどん県だな。
根拠は腐るほどある。
872 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 10:08:33.21 ID:XvdN4RC00
>>869 垂仁天皇「伊久米入日子伊佐知命」イクメ・イリビコイサチノミコト・・伊支馬(いきま)
皇后「氷羽州比賣命」ヒバス・ヒメノミコト・・次曰 彌馬升(みます)
皇太子(後の第12代景行天皇)妃「美波迦斯毘賣命」ミカハシ・ビメノミコト・・次曰 彌馬獲支(みまかし)
皇妃「沼羽田入毘賣命」ヌバタノ・イリビメノミコト・・次曰 奴佳醍(ぬはだい)
873 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 10:08:47.81 ID:+NintPuo0
俺たちは中国人なんだよ
たぶん南北朝くらいまでは皇室だけに伝わる秘密が隠されていたはず
ラピュタの王家に伝わるナントカみたいにな
874 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 10:08:50.43 ID:YdT+/ixN0
文字の重要性を無視した考古学は、バカの集合体でしかないwww
記紀は崇神以前は明らかに改新以降の創世神話だから
それを無理やり中国の史書とくっつけようってのが無理がある。
維新以降、日本史超有名人卑弥呼を神聖不可侵の皇室とを切り離して考える訳にはいかなかったので
色々無理してくっつけていた苦労の跡が、畿内説や東遷説だろう。
北九州の倭国が、畿内を中心にした日本に吸収されていく過程が、旧唐書新唐書に出ていると考えるのが自然。
876 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 10:10:26.05 ID:2tTrMqfL0
>>863 :名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 10:02:04.37 ID:/h8EnKjf0
>卑弥呼の倭国は狗奴国との抗争上、
>魏とか中国にも朝貢もしてたし、同時に吉備や大和とかにも朝貢してたのだろう。
卑弥呼が中国に朝貢したのは、狗奴国とは無関係であり
むしろ、対外関係においてである。
厳密にいうと、西暦240年代、魏が再び朝鮮半島の経営に力を入れだし、
公孫氏を滅ぼすなどした時代である。
まあ、この時代、帯方郡で三韓の反乱があり、帯方郡の太守が戦死した時でもある。
877 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 10:11:03.77 ID:4k+WLJEt0
>>870 >権威付けのために倭王を奈良に迎えた
こういう考えは嫌いじゃないな
現に今の東京がそうだし十分ありえる話
>>860 そんじゃウサギがワニを騙そうとしてワニが逆襲し大王がなだめるいうのも
九州から大和大王が手下のウサギさんを連れて奴国まで遠征してきて、奈良土着のワニ王家の逆襲に遭うという逸話かね
ワニ族を潰すのは無理ゲだから豪族として家臣に加えてやる言って、奴国をヤマト朝廷の支配下に入れたのかな
出雲は反抗する豪族をねじふせて無理矢理国譲りとかさせたんだな
何が力の根拠になっていたのだろう
やっぱ中国から特別の武器とかもらってきていたのかも
879 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 10:11:37.80 ID:+NintPuo0
そう文字
出雲から中国元号が入った鏡が見つかったんだっけ
これが三種の神器だろ
つまり中国人だ
880 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 10:11:43.63 ID:UJApjHpv0
こういうやりとりってもうあきた。両方起源説を教科書にのせろよ
881 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 10:12:13.24 ID:fZIIj0bI0
東征はなかったとか書いている者がいるが最近も京都から東京に
東征したじゃないか。江戸時代も天皇は京都にいたので首都は江戸では無く
京都だろう。奈良から大津、大津から京都に都が移っている。
東征や遷都は珍しい事では無い。
882 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 10:12:33.25 ID:JoR9ILqi0
もっと科学的な調査ができるといいな、オカルト系な学問分野は。
883 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 10:12:33.47 ID:JhrE0BEM0
>>864 纏向の規模が大きいことと、そこが邪馬台国であることに何の論理的整合性もない。
魏志倭人伝に従うなら、方角も距離も合致しない畿内になるわけがない。
距離も方角も何の問題もなく九州を指しているだろうに。
「九州説は距離に問題がある」という人は解釈を間違っている。
漢代から把握する朝鮮半島の大きさと、それを示す里から解釈すれば九州になるよ。
884 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 10:12:33.55 ID:7FICeruyO
>>857 日本の神話と他の神話の違いも鑑みような。
余所の神話が殆ど“太陽神=男神、月神=女神”なのに、日本の神話は“太陽神=女神、月神=男神”なんだよ。
邪馬台国が古くからあって、それとは別に後から興った大和朝廷に収斂された説とかに当てはめると
卑弥呼は皇子じゃなくても不思議じゃない。
885 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 10:12:41.50 ID:vqFKhi970
ヒミコを紐解くと今の中国人はメンタル崩壊してしまうので
そっとしておいてあげる優しさも必要w
>>875 邪馬台国とに大和政権は全くの別物だろ
日本神話自体邪馬台国や卑弥呼は出とらんで
887 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 10:12:46.75 ID:2tTrMqfL0
>>875 :名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 10:09:20.38 ID:/h8EnKjf0
>記紀は崇神以前は明らかに改新以降の創世神話だから
> それを無理やり中国の史書とくっつけようってのが無理がある。
戦後のマルクス主義史観に毒されたの発見。
崇神時代は創作とは思えん。
創作じゃないから、欠史八代といって、記述が減ったんだろうw?
本当に創作するのらば、もっと詳しく書くわw
888 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 10:12:51.83 ID:XvdN4RC00
>>875 ひとりならまだしも、魏志と古事記で四人も見事に名前が合致していたら
んな事言う方がムリがある
889 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 10:13:43.20 ID:e3dLRrCE0
> 邪馬台国は九州のはるか南の洋上に存在したことになってしまう
つまりアトランティスで確定ってことだろ
890 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 10:14:55.49 ID:2tTrMqfL0
>>886 いま、有力になってきている纏向遺跡が邪馬台国説だと、
結果的に、邪馬台国=大和朝廷になってくるわな。
891 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 10:15:04.10 ID:+NintPuo0
逆に日本の元号が入った鏡は見つかってないんだろ
神武○年みたいな
つまり中国皇帝が暦を決めていた
俺たちは中国人
892 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 10:15:11.44 ID:XvdN4RC00
>>883 纏向の規模が大きいことなんて、そこが邪馬台国であることの理由には、一切していません
中国の魏志に書かれていた、卑弥呼の「官」のトップから四席までもの名前が
古事記に書かれている纒向珠城宮の垂仁天皇一族と同じ名前だったところに纏向で
古事記の伝承通り、纒向珠城宮の遺構が発掘されたので、邪馬台国は奈良です
>>862 ヤマトはあからさまに八咫太陽カガミ信仰の中原国由来なんでそれは九州で結構なんだが
それと事あるごとに緊張状態に入る熱田中心の近畿の蛇神、剣信仰の一派
地味ながら全国に交易版図を持った北陸、東北のヒスイ玉文化圏が存在してるんで
まぁ最終的にはヤマトの傘下に入るんだけど
武力制圧範囲だけがヤマトであればもっとシンプルな文化物流の版図で
遺物にしてもこんなに色な地域の文化の跡が混交したような感じにならないと思うんだよね
894 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 10:15:52.40 ID:aNQiDifY0
まあ当時の邪馬台国は、かなり大きな国だったよ。
中国でのポジは大月氏(インド)と同格
>>794 中国の属国になるのが嫌で、日本国を建国したのに何を言ってるんだ?
だからこそ、7世紀末日本建国と同時に中国の皇帝と同格の天皇を立てたんだろうがw
大体、(河内)源氏は摂関家(藤原家)の犬(パシリw)、それが院政期に入って法皇のパシリである平家に
とって替わられただけだよ。武家の台頭は、政治闘争に武力を使った院政のチョンボが原因
896 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 10:16:44.31 ID:+NintPuo0
>>892 >卑弥呼の「官」のトップから四席までもの名前が
>古事記に書かれている纒向珠城宮の垂仁天皇一族と同じ名前だった
字が同じなの?読み方が同じなの?
それともこじ付け?
898 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 10:18:44.45 ID:tkoUTotS0
>>881 本拠地を捨て去ってしまうのは珍しいかと
その理由も示されていない
普通なら本拠地を拠点にしたまま属国にするはず
九州説の本家本元、本居宣長は邪馬台国は九州の女酋長が勝手に倭王を名乗っただけ
と言ってる訳で、大和にはもっとでかい国があったはずという前提な訳だ
900 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 10:19:46.48 ID:/4UpI5jC0
「どうでもいい」ていう結論は無しなの?
901 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 10:20:17.63 ID:XvdN4RC00
>>897 →
>>872 ここまで合っていて違うと言う方が、原発事故の時にメルトダウンなんかしないと言ったような、こじつけ
史書の漢語と、日本の記紀時代の漢字を、
音で比定いくのは、地名も人名官職名も無理がある。
八俣のオロチを悪者に仕立てたヤマトタケルによる騙し討ち退治の神話伝説も
ヤマト豪族を騙し討ちした九州からの侵略者を美化する為の創作かも
最初のヤマト豪族は邪悪の霊力を持った8つの複数豪族で
九州からやってきて蛇どもを退治する俺ヒーローヤマトのタケルてきな
そんで、出雲、奈良と進みもともとあった朝廷ごと乗っ取って
怒る豪族たちを主に騙し討ちで次々支配下に入れ、無理矢理大和と名づけて融和を強要した
娘食われて親泣く逸話は神話見る限り旧豪族よりヤマトタケルがやってそう
たぶん自分がやったことを潰した豪族にすりかえて食った娘は自主的に嫁になったことにして
ヤマトの国名もぶんどった
マルクス「ヤマトタケルはあんなにこき使われて労働組合とか作らなかったんだろうか?」
こんな感じ?
907 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 10:22:45.01 ID:vqFKhi970
>>896 中国という国が出来てから60年ちょい
どんだけ国を壊してきたのか勉強すべし
908 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 10:23:05.27 ID:XvdN4RC00
>>902 史書の漢語も、日本の記紀時代の漢字も、音に漢字を当てただけ
>>900 どうでもいいんだよw
だって、邪馬台国のあった時代は、小国分立の時代であったことだけは間違いないのだからw
いくつもあった小国のどれが邪馬台国だったかなんて何の意味もない
910 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 10:23:51.79 ID:qZh17/vS0
>>875 記紀は崇神以前は明らかに改新以降の創世神話だったら、奈良の御所あたりで掘り出されてる物は何だろな
>>853、865
ホアカリとニギハヤイや、ヤマトスクネとムラクモやジンムのモデル的動きをしていた者の
正体とか、どう理解するかね?
そして尾張氏がツチグモで描写されているかもしれない状況で、そう王権の引き継ぎの
背景を感じることができかね?
>>893 八咫太陽カガミ信仰の中原国由来なんでそれは九州、これが現在の東遷説の根拠だな
近年の考古学の成果を見ると、四道将軍の事績と重なる北陸や関東での、
大和王権の勢力伸長が、3世紀末ぐらいになりそうなんだなあ、遅くとも4世紀初頭
>>908 漢書とか古代の読みは
清代の研究で大分違ってるよねって話になってるのに
現代の読み方の音で比較していくのは無謀だろ。
>>903 >八俣のオロチを悪者に仕立てたヤマトタケルによる騙し討ち退治の神話伝説も
何じゃこいつw
914 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 10:24:41.72 ID:JoR9ILqi0
どう考えたって中国が日本文化のオリジンだろ。なんの問題があんだよ、たかが過去の話に。
否定する奴は漢字使うなよ。アホらし。
>>897 地位や時期差など何の根拠もなく、似ているのをただつなげているだけ。
相手にするだけ時間の無駄。倭人伝に書かれたその余の傍国に似た発音
の地名を見つけてきて、「ここそうだ」と決めつけるおっさんと同じ発
想w支那の古代音の発音すら頭にないw
>>899 というか3世紀までの倭国というのは北部九州の狭い範囲のことだし。
>>914 多少の影響は受けてるけど、古代日本は中国と比べても全然引けを取らない超大国だという話をしてるんだが。
魏志倭人伝以外に邪馬台国や卑弥呼の存在を証明するものってあるん?
日本から渡った者が誇張して中国人が釣られたってことはないん?
このスレ見てもわかるように九州説論者は偏執的なキチガイばっかw
邪馬台国時代の日本の地図っていうか海岸線はほぼ現在と一緒なん?
>>917 史書編纂事業ってそんな適当な仕事じゃないんだが。
身体に刺青をして顔に赤い顔料を塗っているって
中国の少数民族と同じような特徴だな
もしかしたら中国の少数民族の中に古代日本人と祖を同じくする人たちがいるかもしれない
その人達を調査したら古代日本文化が解明される鍵になるかも・・・?
922 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 10:28:54.77 ID:xK0WqTNg0
>>903 スサノオとヤマトタケルじゃなく、スサノオとヤマタノオロチが同一の存在
祖神や英雄としてのスサノオの存在だけが赦されて
支配者王権としての歴史が抹消された結果
尾張熱田でぶっ殺されるヤマトタケルとスサノオが一緒な訳ねーだろう
>>919 かなり違うよ
畿内だと河内湖があって、大阪の大部分は海
マキムクまでは大きな川でつながってる
濃尾平野も南の結構な部分が湿地帯だ
卑弥呼は韓国人!
まだウリジナル辞典に挙げられてないのか・・・
926 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 10:29:20.58 ID:2tTrMqfL0
上で書いてる倭の官に垂仁天皇をあてているのがいるけど
それは流石に違うと思うぞ。
卑弥呼がモモソ媛命ならば、世代も違うし、
垂仁天皇は倭の官ではなく、後の倭王だ。
でも、それ以外については、おおかた、正解が多いとは思う。
927 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 10:29:20.50 ID:YEiz4E7L0
ヽ(´ー`)ノわーい!!wwww
アスカ!エッセンシャルズ!
面白いです!
読んでねーーー!!!wwwww
928 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 10:29:42.91 ID:+NintPuo0
>>907 君はマルコムXとか黒澤明時代劇の映画を見て勉強すべし
929 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 10:30:54.09 ID:XvdN4RC00
>>918 九州説論者は結局、朝鮮半島に近いから邪馬台国は九州・・・だからね(^_^;
>>911 布留式土器の全国(東北以北を除く)展開がおおよそ大和政権
の勢力の広がりなのだろうな。四道将軍が実在したか否かは
ともかく。
931 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 10:31:12.83 ID:JoR9ILqi0
>>916 多少の影響で済ませるオマエは大丈夫か?
ギリシャやローマの影響は多少だ、なんていう欧州人なんてジャンキーしかいないって。
ほんと了見狭いな世界の田舎者って。
まあ確実に言えることは、
日本の国号使ってる頃には、すでに日本は中国を超えつつある超大国であったこと。
有史以来、朝鮮半島の国々は、倭国や日本と比較したら話にならないほどの小国であったこと。
この辺はもう議論の余地は無いわな。
933 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 10:31:54.22 ID:+NintPuo0
>>916 それはないだろw
邪馬台国のイメージは縄文と弥生の過渡期なイメージだ
証拠を持って来い
まぁ、なんだかんだ言って宇佐神宮が九州にあるのだから九州なのは確定だけどな
935 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 10:33:50.34 ID:YdT+/ixN0
>>916 >古代日本は中国と比べても全然引けを取らない超大国だという話
ほらほら出たぞ、「ムー」愛読者w
中国に匹敵する文明国家だったら、なぜ文字の歴史書が奈良時代の
「古事記」「日本書紀」までねーんだよwww 中国文字を使っていたのは
いいとしても、その文字を紙や竹、石に刻んでなぜ歴史を記述出来なかったん
だよwww
936 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 10:34:04.21 ID:+NintPuo0
>>932 上2行はともかく
>有史以来、朝鮮半島の国々は、倭国や日本と比較したら話にならないほどの小国であったこと。
>この辺はもう議論の余地は無いわな。
あるよ
江戸時代の公務員が日本人の祖先は馬韓だと言ったんだぞ
937 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 10:34:28.63 ID:IYjWO7Qg0
畿内派って、竹島を実効支配した韓国や尖閣を実効支配しようと企む中国にそっくりなんだよな〜
だから、九州説を支持するわ
938 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 10:34:32.25 ID:2tTrMqfL0
>>933 現在の考古学では、陸稲は5000年くらい前
水稲は3000年くらい前に起こった説が有力になってきている。
だとしたら、邪馬台国時代は、弥生時代が始まって
すでに1000年以上に経過した時代な。
過渡期なんかではないぞ。
>>1 この作文のどこがニュースですか?>Anubis ★
941 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 10:35:13.63 ID:vqFKhi970
>>928 邪馬台国や卑弥呼とは関係なく
なんだかよく分からんがw
どの作品がオススメよ?
>>930 まあ、四道将軍の直接の手掛かりは、稲荷山鉄剣ぐらいかな
いまのところは
>>914 部分的には正しいが、漢字を単に音を当てることに使っていた(万葉仮名)ことから見て、当時から別の文化だよ
結果的にそれが平仮名、片仮名を産み、最終的に和漢混淆文として完成される
単なる中国文化のコピーではないからこそ、数々の文芸作品を生み、今の我々も豊かな文化を享受できているw
>>891 きっと中国から鏡と印鑑もらってきて外国の技術と武器と権威の虎の威を借りて
勢力を拡大したひれつな豪族がいたんだね
ロスチャに金借りて自国を制圧し文化大革命した毛沢東みたく。
飛鳥時代にはすでに中国と並んでるだろう。
北九州にあった倭国ですら、使持節都督倭・百済・新羅・任那・秦韓・慕韓六国諸軍事安東大将軍倭国王なのに
それを吸収した日本なんてもうその気になれば宋なんか余裕でボコすほど強大。
平安時代には世界でも屈指の超大国だった。敗戦後日本人はやたら日本を小さく見過ぎている。
946 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 10:35:59.72 ID:YdT+/ixN0
>>916 こういうアホがいるから、中国や朝鮮の反日感情が激化するんだよ。
お前みたいのは愛国者ではなくて、売国奴だよ。
947 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 10:36:43.99 ID:cW+gf2mc0
ヤマタイっていうくらいだから九州だろう
熊本あたりだな
948 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 10:37:24.81 ID:JoR9ILqi0
確実に言えるのはID:/h8EnKjf0が歴史を直視しようともしない朝鮮脳だと言うことだ。おわり。
949 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 10:37:25.22 ID:2tTrMqfL0
>>916 流石に、それは無理がある。
前近代は、人口農耕生産量だからな。
中国は、その当時は、世界で最大の大国。
倭国も、中国には及ばない。
ただし、それ以外の国と比べたら、倭国はなかなかの大国。
すくなくも、満州や朝鮮半島にある国々よりは、ずった大国。
950 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 10:37:30.43 ID:XvdN4RC00
>>934 中国の魏志に書かれていた、卑弥呼の「官」のトップから四席までもの名前が
古事記に書かれている名前と同じだった、垂仁天皇一族の纒向珠城宮が
古事記の伝承とは全く違い、奈良の纒向ではなく、九州のどこかで発掘されていたら
邪馬台国は九州だったろうにね(^_^;
951 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 10:37:38.09 ID:qZh17/vS0
>>926 その当時、正当な倭王の地位にいたのは、天叢雲命の根拠は何なのかね?
>>910 >奈良の御所あたりで掘り出されているもの
奴国の王家和爾氏の遺物
>>946 でも、現実問題として、周辺国で中国に朝貢しなかったのは日本だけだけどなw
>>933 弥生時代と古墳時代の過渡期だと言いたかったんだろ?w
冗談で言い過ぎはしたけどおまえら古代史勉強したなら、
あれ、日本って平安期には相当な超大国過ぎね?って分かってるだろ。
>>921 確か、鳥越憲三郎だっけ? 倭人じゃなくて倭族を提唱してたような?
中国南部から日本にかけての稲作、入れ墨文化を持つ民族
957 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 10:39:42.21 ID:2tTrMqfL0
>>945 流石に、それはない。
倭国は人口で見て、中国は勝てない。
ただし、島国だったので、中国の干渉を受ける可能性がなく
敵に攻められにくかった。
958 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 10:40:49.17 ID:XvdN4RC00
>>943 それは、第43代元明天皇707年〜 の命で太朝臣安萬侶が、日本語(日本独自の「やまと言葉」)を用いて編纂してからの話し
邪馬台国当時から、第43代元明天皇707年までは、日本の公文書は全て、日本書紀とおんなじ中国語(古代中国の文語体の「漢文」)
959 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 10:41:08.71 ID:+NintPuo0
>>938 イメージだけどな
鉄もなけりゃ鍬も出土してないだろ
木製鍬を作り出すにしたってどうやって木を切り出すんだ
出土してるのは青銅剣ばかり
あの髪型だって農作業に向かないだろw
証拠を見せてくれ
>>955 阿倍仲麻呂なんて、中国の高官に納まってるもんなw
道真公が遣唐使を止めた理由も、もう学ぶものが何もない、だしw
961 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 10:41:30.11 ID:2tTrMqfL0
魏志倭人伝の西暦240年代は
日本書紀の崇神治世10年くらいまでの記述と同じ。
ココを起点に物事考えれば、なんとなく推測できる。
狗奴国の乱とは、武埴安彦命の乱な。
>>950 読み方も字も違うのに何を言ってるの?
魏志と古事記は何年違うの?
話にならないくらいのこじ付けだよ
全くの架空の人物に仮にしても親魏倭王金印をくれてやるほど魏には当時余裕はない
964 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 10:42:36.18 ID:qZh17/vS0
>>950 纒向珠城宮の建物自体は出てないんじゃないかね
兵庫の大学の建築学者が図を書いてたのは伊勢仕様の倉庫と出雲仕様の祭祀施設じゃないかね?
965 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 10:42:51.18 ID:YdT+/ixN0
「考古学」と書いて「よたばなし(与太話)」と読みます wwwww
逆に不勉強だと中国をやたら大きく見過ぎてるんだよな。
三国志時代の魏なんて、許周辺の一部を指して”中国”でしかない。
967 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 10:43:40.55 ID:T++PfdAh0
邪馬台国は畿内
ヤマト王権は九州から出兵
ヤマト王権は狗奴国、卑弥呼は邪馬台国
あの後すぐに邪馬台国がやられた。=すでにやばかったとある。
968 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 10:43:55.14 ID:JoR9ILqi0
>>943 オマエレベルに講義ウケる必要ないから。
働くだとかは日本オリジンの国字だから日本人はよく働く、右翼は英語の直訳だ、くらい言えよ。
歴史好きってマジで退屈な脳みそだなほんとw
>>922 タケルとスサノオは両方凶暴だから名前の雰囲気が似てるだけで敵属性だったのかな?
ヤマタは八俣なのかヤマトなのか知らんけど地名と豪族の数の掛詞かな
スサノオがワーニーでタケルが九州からの侵略者かね
970 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 10:44:01.10 ID:qZh17/vS0
>>961 その当時、正当な倭王の地位にいたのは、天叢雲命の根拠は何なのかね?
971 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 10:44:17.52 ID:+NintPuo0
>>958 公式の文書は、平安時代でも漢文だよ
それとは別のルートで日本独自の文化が万葉集の昔から綿々と生きてたのが日本
973 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 10:44:53.29 ID:XvdN4RC00
>>943 それは、第43代元明天皇707年〜 の命で太朝臣安萬侶が、日本語(日本独自の「やまと言葉」)を用いて編纂してからの話し
邪馬台国当時から、第43代元明天皇707年までは、日本の公文書は全て、日本書紀とおんなじ中国語(古代中国の文語体の「漢文」)
邪馬台国も一大国で一大卒が、中国語で書かれた書類と、持ってく者と物、帰ってきた者と物を付け合わせしてチェックしてた
974 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 10:45:39.65 ID:+NintPuo0
>卑弥呼の「官」のトップから四席までもの名前が
>古事記に書かれている名前と同じだった
これは面白い。
聞き取った人は耳がいいよな
975 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 10:46:27.45 ID:vqFKhi970
そもそも魏志倭人伝が三国志の一部だし時代が離れすぎている
976 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 10:46:44.35 ID:acSe7HoL0
よこしまな馬
群馬じゃね
>>971 日本の国号を使うようになってからは朝貢してないという意味ね
978 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 10:48:07.57 ID:aakU8f6O0
邪馬台国は近畿に決まっている
ソースは、
往復路を、書いた魏志倭人伝
北九州から、山陰を日本海にそって行き
若狭から畿内に入って
邪馬台国へ
そこから、大阪湾から
瀬戸内海ルートで、北九州まで戻ってくる
航路をちゃんと書いてある
980 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 10:49:17.74 ID:XvdN4RC00
>>972 いんや、日本独自の「やまと言葉」は、第43代元明天皇で太朝臣安萬侶が産み出し、基礎を作った文字
太朝臣安萬侶は手紙で、中国語(古代中国の文語体の「漢文」)で書かれている文章を、日本独自の「やまと言葉」に当て字するのは、
スンゲー難しくて面倒くさいってこぼしていた(^_^;
981 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 10:49:29.18 ID:+NintPuo0
>>977 まあ独立したんだろうな
ただ俺たち日本人のルーツは中国だな
アメリカ白人がイギリス王室を好きなようなもんだ
982 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 10:49:31.05 ID:42pP7+CI0
邪馬台国はみんなの心の中にあるんだよ
どれだけビッグビジネスになってるのかを考えれば分かるだろ
>>981 ルーツな訳がないだろ。
それは義経がチンギスハーンになったのは事実レベルの妄想だろ。
984 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 10:51:05.11 ID:+NintPuo0
皇族の中には当時の中国語でのまじないだか合言葉みたいなのがあったはず
やまと言葉は日本統治用
ヤマタノオロチは土着の蛇信仰と生贄の習俗が
外来から来た者の視点により終わって事じゃないの?
治水説も聞いたことあるけど
986 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 10:51:35.97 ID:vqFKhi970
>>982 銭ゲバには一生分からない
それが邪馬台国
>>913 大蛇退治の蛇は旧豪族の隠喩だと思うんだよね
年中揉めてたとかゆう熱田の蛇信仰、剣信仰の連中を暗に指しているのでは
ヤマトタケルやスサノオがそれぞれどこ出身の豪族だかはよくわからんけど
>>965 君、考古学を学んだことがないでしょ?
考古学には邪馬台国も、卑彌呼も出てこないんだよ。
989 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 10:52:39.58 ID:XvdN4RC00
>>972 いんや、日本独自の「やまと言葉」は、第43代元明天皇の命で太朝臣安萬侶が産み出し、基礎を作った文字
太朝臣安萬侶は手紙で、中国語(古代中国の文語体の「漢文」)で書かれている文章を、日本独自の「やまと言葉」に当て字するのは、
スンゲー難しくて面倒くさいってこぼしていた(^_^;
990 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 10:53:17.10 ID:JoR9ILqi0
>>983 オマエのルーツは朝鮮だから安心シロ。
文化的なルーツが中国でなんの問題があんだよ。仏教だってインドだろ。
なんでも受け入れたから発展するし、世界だって同じだっての。
991 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 10:53:20.16 ID:+NintPuo0
>>983 じゃあルーツはどこだよ
おれたちの先輩、江戸幕府の公務員が馬韓から来たって言ってたみたいだぞ
992 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 10:53:37.83 ID:2tTrMqfL0
邪馬台国=大和朝廷
以上。
神武東征ってのは、
江戸時代、和歌山から徳川吉宗が江戸の将軍になったようなもの。
それでも、吉宗東征とは言わないだろう?
そういうことだ。
大和朝廷が建国したのは、神武東征よりも前であり
それは出雲国譲りから。
よって、大和朝廷=邪馬台国は、ずっと畿内にある。
何年かに一度総選挙やって、
各地域持ち回りで邪馬台国(首都)やってたんだろ。
魏志倭人伝自体が偽書の可能性ががが
和気清麻呂が宇佐に行った事の説明がつかないから九州が正解だな
>>980 だから、無文字文化として日本文化というのは当時からあったんだよ
>>981 遺伝子的に日本人の約半数は縄文系だけどねw
近畿圏の稲の遺伝子が江南のものだったから、そっち系が混じってるのは確かだろうけど、
集落の遺跡を見るかぎり、渡来人の数は少なかったようだから、縄文人に吸収されて
混血の弥生人が生まれたと見るのが無難かな
998 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 10:55:24.33 ID:qZh17/vS0
>>988 日本では出土した土器の欠片を並べるだけの作業だけの学問ということになって終っているわけだがね
???「いや13000里より遠い所は野蛮な世界だって思ってたから…」
???「ギリギリ文化がある辺境って意味で12000里とね」
???「別に得る物もなさそうだったしどうでもよかった」
>>932 さすがに国土面積の差と文化の遅れを棚に上げてそれはないわ
半島よりは若干マシていど
1001 :
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