【慰安婦/吉田証言】「講演での話の内容は具体的かつ詳細で全く疑わなかった」と話した元朝日記者、渡航歴を調べ記憶違いと確認 -朝日

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・吉田清治のペンネームは清田治史のアナグラム
・早くから清田から吉田への電話を息子が取り次いでいる。
・吉田が得た著書や講演による収入は実入りが少なかった
・初報記事対象の吉田の講演時に、清田は海外渡航
・二次以降の多数の吉田記事は全て清田
・吉田証言否定を清田が強く拒否、吉田が死ぬまで検証ならず
・清田や植村の退社後に記事の検証と訂正
・清田は初報扱い記者として、講演内容は具体的かつ詳細だったと証言
・発覚したとする真の初報記者は執筆記憶が曖昧
・清田の天下り先の帝塚山大に爆破予告と同時に辞職
・初報記事は別人だと公表


●ここから分かること

吉田は清田がでっち上げた証言者である
清田は吉田に自分の名前を使ったペンネームで偽書を出版させたゴーストライターである
吉田の著作も講演内容も全て清田が執筆しており、収益や謝礼は二人で山分けしていた
吉田の処女作の慰安婦本はさして話題にならず、二作目で慰安婦狩りを記述し、
スピーチライターまで担当して講演をやらせ、それを紙面で紹介しようと画策した
しかし吉田を囲い込むつもりの清田は、自分が初報を書いたらやらせ臭が漂ってきて疑われかねないため、
他記者にスピーチ原稿か講演録音テープを聞かせて記事にさせたか、
もっと言えば自分で書いた記事を他記者の名義で出させ、へたをすれば勝手に他記者名で出して
世間的に「発火」させることに成功した後は、思いのままに吉田を操縦することに成功した
吉田証言への疑惑が浮上後は、北畠記者などが吉田への電話にかかりきりになるなど、
吉田による真相暴露を阻止しようと躍起になり、その後は清田が記事訂正を断固拒否し、
社内の一切の検証を拒絶した上で、ひたすら吉田が死ぬのを待っていた。
吉田が死んでまんまと隠蔽に成功した清田は朝日とずぶずぶ関係の帝塚山大学に天下り
慰安婦問題が国際化し、日韓関係が破綻して、原点の朝日記事に焦点があたって
遂には検証訂正に追い込まれ、爆破予告まで来るようになったため、
清田は帝塚山大学を辞職して逃亡、その上で、初報にアリバイ工作してダミー記者を使ってたこと
を今さら公表して、世間の反発を弱めようと姑息な計算をしている。
社内検証時にダミー記者の存在を秘匿していたのは、さすがに利用しただけの記者を巻き込むのは
気の毒だったからだろう。聴いてない書いてない清田が講演内容を詳細に記憶し、
書いた記者がまるで覚えてないのはそのせいである。