【国内】郡山城、金箔瓦の壮麗天守…豊臣政権時に築城
豊臣秀吉の弟・秀長が居城としていた郡山城跡(奈良県大和郡山市)の天守台の遺構から、天守を支えた16世紀末の礎石群が出土し、同市教委が12日発表した。
天守は豊臣政権時に築かれたとみられ、配置などから、五層(約20メートル)の高さがあったと考えられる。
市が展望施設の整備事業に伴い、天守台(東西15〜16メートル、南北18メートル、高さ8・5メートル)や、南側下段の付櫓つけやぐら台の遺構
(東西22メートル、南北11〜17メートル、高さ4・5メートル)など計約220平方メートルを発掘した。
その結果、天守台の地中から、大小の礎石23個などが、東西で3列分、南北で2列分あることを確認した。
礎石の大きさや配置から、天守1階部分は東西15・4メートル、南北17・6メートルの規模と推測でき、当時の築城技術を考慮すると、高さは五層程度とみられる。
礎石に改修された跡はなく、豊臣家ゆかりの城で見つかる金箔きんぱく瓦の破片(長さ6センチ)が付櫓台から出土。
大坂城の金箔瓦と同型の軒丸瓦も見つかり、明確な史料がなかった郡山城の天守が金箔瓦を葺ふいた壮麗な建物だったことがうかがえる。
現地説明会は19、20の両日午前10時〜午後4時。問い合わせは市教委生涯学習課(0743・53・1151)。
郡山城 戦国武将の筒井順慶が1580年に築城。85年に豊臣秀長が入り、城郭を整備した。
秀長没後は豊臣政権時の五奉行の一人、増田長盛(ました・ながもり)が外堀などを造った。
天守は江戸時代には失われていたが、城下は大和の政治経済の中心として繁栄した。
2014年09月13日
http://www.yomiuri.co.jp/osaka/news/20140913-OYO1T50010.html
ミンスが悪い!!
3 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/09/13(土) 11:01:55.55 ID:shvoDoe90
復旧されてない天守が有るという事は
あんまり必要なかったと
見晴台造らんとちゃんと元通りに建て直したらええねん。
5 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/09/13(土) 11:18:49.54 ID:Ln1t1p3a0
趣味悪い、バブル期の成金かよ
センスと教養、欠片もなし
残ったのは金箔瓦の破片だけ
徳川幕府は緊縮財政に韓国大好きだからある意味ミンス政権に近い
多聞山城のほうを掘ってほしい。
掘って欲しい
掘って欲しい
掘って欲しい
掘って欲しい
アーッ!